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ブレヒトの演劇論 : 「真鍮買い」を中心に

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(1)ブ レヒ トの演劇論 ―『真鈴買 い』を 中心 に一. ノ Jヽ. ││ り. 正. 巳. 1. 20巻 本 の ブ レヒ ト全集 (edition suhrkamp)の なかの ,. 15,16,17巻 は. ブ レヒ トの演劇 に 関す る発言が 集録 されて い る。必ず しも年代順 とは言 いが た いが ,大 体 15巻 はかれの 初期 の 発言が ,16巻 は 中期 ・ 後期 の 発言が ,そ し て 17巻 はか れ の 戯 曲につ け られ た註が 集録 され てい る。本来 は劇 作家 で あ る ブ レヒ トの演劇 に 関す る発言のなかで ,ま とまった演劇論 と言 え るのは16巻. の中期を代表する F真 鍮買い』(1939/1940)と ,後 期を代表する F演 劇のた めの小思考原理』(1948)で あろう。 『真鍮買い」 と F小 思考原理』 との関係 については, ブレヒ ト自身 F小 思考原理」 を書きあげた後, 1948年 8月 に 「 これは F真 鍮買い」の総括である」と言っている1)。 勿論10年 経て書かれ た F小 思考原理』 は,『 真鍮買い」の「総括」とは言え,両 者を較べたとき ,. そ こに変化は認められる。「のちの F小 思考原理」のなかでの論争を 目的と した数 々の尖鋭化は, ここ (『 真鍮買い』筆者)で は一一 そ してまさにそれ が対話の形式をとっているので一一巧妙に相対化されている。諸概念はまだ 熟 していな くて,や っと発展 されたところである。諸概念はまだ可動的で. ,. 誤解された り, 教条的に使用された りする危険はない 。 両者の違いは 2)」. ,. 1)GW16,Anm.8.

(2) 82. ブ レヒ トの演劇論一 F真 鍮買い』を中心 に一. しか し何よりも F真 鍮買 い』 が未完結があるのに 対 して,『 ノ思考原理』 が 完結 して いることであろう。後者が前者の「総括」 であれ ,そ こに違 いがあ lヽ. る以上 ,完 結 した後者を参考 に しなが ら,未 完結の前者を中心に据えて,ブ レヒ トの演劇論 を考えてみよ う。 レヒ トの亡 命 中 の 『 真鍮買 い』 は ,そ の成立年代 を見 てわか るよ うに ,ブ 作 で あ る。 ブ レヒ トの亡 命生活 は1933年 に始 ま り,東 ドイツに帰 った1948年 まで 続 く。 その間 ,主 な亡命地 は1933∼ 1941の 北欧 (主 と してデ ンマー ク. ,. 次 いで フ ィ ン ラ ン ド),次 いで 1942∼ 1947の. USAで. あ る。今か りに亡命 ま. での ブ レヒ トを初期 と呼 び ,亡 命 中を中期 ,亡 命以後 を後期 と呼 ぶな らば. ,. 初期 の ブ レ■ 卜は 何 と言 って も 劇作家 で あ った。 従 って有 名 な 「演劇 的演. ハゴニー市 劇」 と「叙事詩的演劇」 との差異の対照表は,あ くまで劇作 Fマ の興亡』 の上演のための註であ った。つ まり劇作の上演が まずあって,そ の 上演のため演劇論的註が付 されたのであ った。 しか し亡命は劇作家 にとって 最 も重要 な上演の機会を奪 う。亡命期の劇作家 ブレヒ トについて,ク ラウス ・ フェル カーはその Fブ レヒ ト伝』 のなかで 次 のように述べている。「政治 的状況が要求 したので,ま た ブ レヒ トは演 じられ ることを望んだので,か れ は作家 としてかれの作品制作 において妥協を強 い られた。 ブ レヒ トは理論 と 実践 とを分離 した。今 まではかれ にとって実践的仕事は理論な しでは全 く考 え られ なか ったが ,今 やかれはそれぞれ数週間は劇作 を書 きおろ し,そ れ と 『 カラールの おかみさんの銃』,『 第 並行 して叙事詩的演劇の理論を仕上げた。 二帝国の恐怖 と貧困』及 び Fガ リレイの生涯』 と並んで対話形式をとった演 劇的語録である F真 鍮買 い』 が生れた,そ こでは既成の演劇の批判か ら新 し い演劇形態がかち得 られることが証明され る。『 真鍮買 い』 の仕事はブ レヒ トにとって ,実 践譲歩への解毒剤 であったのだ. 3)」. 。. フェル カーは F真 鍮買 い』 を「対話形式を とった演劇的語録」 と言 ってい. 2)Ernst Wende: Der《. MleSSingkaufer》 BertOlt Brecht, Theater heute 12,. 1963.5.63. 3)Klaus Vё lker:Bertolt Brecht eine Blographie.NIunchen 1976.5。. 286.

(3) 川. 正. 巳. るが ,ブ レヒ トの 本来 の意図は ,演 劇形態 を とった演劇論 で あ ったわ けで あ る。す なわち登場人物 は主 と して哲学者 ,演 劇主任. (Dramaturg),俳 優 に. よる対話劇であ って ,そ の対話劇 は四晩 にわた って演 じられ る予 定 で あ っ た。 しか しそれ は完成 しなか ったので ,現 在私 た ちが手 にす る全 集 16巻 の F真 鍮買 い』 は ,完 成 ,未 完成 の 対話 と散文を ブ レヒ トの 計画 に基 いて ,や. は り四晩 に分 けて ,全 集 のために編纂 された もので あ る4)。. ブ レヒ トの本来. の意 図 で あ った哲学者 と演劇主任 と俳優 による演劇形態 を とった演劇論 と い うこ とか ら言 え ば ,私 た ちはゲ ーテの Fフ ァウス ト」 の始 めに置かれた「劇 場 にお ける序 曲」 を思 い 出さな いわ けにはゆか な い し,伝 統 のパ ロデ ィー化 を好 む ブ レヒ トもそれを 意識 して いたのではな いか。「劇場 にお ける序 曲」 もまた舞台監督 と座付作者 と道化 によ って 演 じられ る演劇形態 を とった演劇 論 と い うこ とがで きるが ,こ こで はヴ ァイ マ ール 宮廷劇場 で実地 に演劇 的苦 労を したゲーテではあ るが ,や は り作家 の 分身 で あ る座付作者 に最 も感情移 入 して い るよ うに思 われ る。 『 真鍮買 い』 においては,ま さにそ の作家一座付 作者 の かわ りに ,演 劇 とは一見無 関係な哲学者が おかれ て い る。哲学者が い かに演劇 とは不調和 で あるか は ,こ の演劇論 の 標題 とな った<真 鍮買 い>の 比 愉を哲学者 自身が 述 べ る くだ りに あ らわれ て い る,「 私 は私 の 関心 の この 特殊性 を非常 に強 く感 じるので ,私 は次 に述 べ る人間 の よ うに思 って い る, すなわ ち謂 うなれ ば真 鍮商人 と して音楽隊の と ころにや って きて ,例 え ば ト ラ ンペ ッ トでな くて ,た ん に真鍮を買 いたが って い る人間。 トラ ンペ ッ ト吹 きの トラ ンペ ッ トは真鍮 でで きて い るが , トラ ンペ ッ ト吹 きは トラ ンペ ッ ト を まさに真鍮 と して ,真 鍮 の値打 ちで ,何 ポ ン ドか の真鍮 と して売 りたが り は しないだろ う」5)。. 音楽隊 に トラ ンペ ッ トの音 を 聞 くため ではな くて , ト. ラ ンペ ッ トを真鍮 と して買 いに きた とい うのは ,ま さに異化効果 で あ ろ う が ,こ の異化効果 は F真 鍮買 い』 とい う演劇論 を貫 く概念 で あ るだ けに ,こ. 4)な お私 たちは全集 9巻 ,詩 篇 2に 「『真 鍮 買い』 か らの詩篇」 (S.761-798)を ,. さ. らに全 集 7巻 , 劇作 7に F真鍮 買 い』 のための 「俳優のための稽古劇」 (S.30043027)を 有 ってい る。. 5)GW.16.S.507.

(4) 84. ブ レヒトの演劇論一「 真鍮買い』を中心に一. の 演劇論 の 標題 にな ったわ けであ る。 その よ うな重要 な異 化効果を荷 なわ さ れ た哲学者 とは一 体何者 で あ ろ うか。 と りあえず哲学者がかれ の職業 とは一 見 不調和 な劇場 にわ ざわ ざ 足 を運 ぶ理 由を聞 いてみよ う,「 私が あなた方 の 芝居 づ くりに興 味を いだ くのは ,あ なた方 の 装 置や芸 によ って ,人 間 の あ い だにお こ って い る成 り行 きを模倣 す るか らです ,そ の結果あなた方 の 許 にい ると現実 の生活 にむか いあ って い るよ うに思 うこ とが で きるのです。人間の 共 同生活 のや り方 に私は興 味を も っていますか ら,そ れをあなた方が模倣す 6)。 るの に も私は興 味を もつので す」. っ ま り音楽隊 に トラ ンペ ッ トの 音を聞. きに くるのではな くて , トラ ンペ ッ トを真鍮 と して買 いに くるとい う些か突 飛 な 目的を もってはいるが ,哲 学者 は演劇 に観 客 と して参 加 して い ると言 っ て いいのではな いか 。 その点で再 びゲ ーテの 「劇場 にお ける序 曲」 と較 べ た ときに ,ゲ ーテの座 付作者 に あた るのが ,観 客 で あ る哲学者であ るとい うこ とは ,少 くとも F真 鍮買 い』 と い う演劇論 には ,劇 作家 ,つ ま り作家論が. ,. そ してそ の 劇作家 が苦心 して 作 りあげ る作品 ,つ ま り作品論が欠 けて い ると. い うことが言えよう。た しかに F真 鍮買い』のなかに作家論,作 品論が欠け ているという確認は大切だが,だ か らと言って作家論,作 品論がないわけで はない。それはむ しろ強いて言えば『 真鍮買い』の輪郭をな していると言 う べ きだろうか,『 真鍮買い』があくまで本来は劇作家 ブレヒ トの 演劇的形態 を とった演劇論 で あ るか ぎ りは ,そ れ は劇作家 ブ レヒ トが作品 と して私た ち 観 客 (読 者)に 提 出 した演劇 で あ る,と すれ ばブ レヒ トの 他 の 演劇作品 とと もに ,そ こに は異化効果が含 まれ ているは ずであ る。私た ち観客 (読 者 )は この提 出され た F真 鍮買 い』 とい う演劇作品に感情移入す る こ とな く,批 判 的態度 で臨む べ きで あろ う,そ れが この 作品を書 いた ブ レヒ トの 意図 でなか った と して も,本 来 の ブ レヒ トの 私た ち観客 (読 者 )に 望 む態度ではな いか と思 う。 F真 鍮買い』は,古 い演劇に従事する演劇人一― ここでは演劇主任と俳優. であるが一― に,一 見演劇とは不調和な哲学者が介入 して くるこ と に よ っ 6)ibid. S. 502.

(5) 小 川 正. 巳. 85. て ,古 い 演 劇 が 批 判 され ,こ れ が 解 体 され ,新 しい 演 劇 が志 向 され る と い う こ とで あ ろ う。 そ′ して この 古 い 演 劇 を 批 判 して ,新 しい 演 劇 を打 ち立 て よ う とす る こ とは ,す で に ブ レ ヒ トの 初 期 か ら,す で に述 べ た よ うに実 践 を主 と. しなが らも,そ の実践 に基いた理論 と して行われ て きた。実作 Fマ ハゴニー 市 の興亡』 の註 として書かれた「演劇的演劇」 に対する「叙事詩的演劇」 の 対照表 は余 りに も有名である7)。. その対照表を見 る限 り,そ れは古 い演劇 と. 新 しい演劇 との表現様式の相違である。そ してこの古 い演劇 と新 しい演劇 と の表現様式の相違は,『 真鍮買 い」 においては, ア リス トテ レス演劇 に対 し て,叙 事詩的演劇 として概念化され ,前 者の表現様式と して,ア リス トテ レ スの詩学 に基いて,「 感情移入」 (Einfuhlung)が 批判され ,後 者の表現様 式 と して 「異化効果 」 (Verfremdungserekt)が 推賞 され る。『 真鍮買 い』 の 第二 夜 で述 べ られ る回転木馬型 (ド イツ語の Karussellか らT型 )と プ ラ ネタ リウ ム型 (Planetariumか らP型 )の 対比 は , それ以前の 対比が新 し い比愉 の もとで敷街 された と言 うべ きであ る。 も っとも この 回転木馬型 とプ ラネ タ リウム型 とい う対比 は ,そ こで ブ レヒ トも言 って い るよ うに3), 弱点 を もって い るので ,余 り流行を見 なか った。 ただ しこの比愉 によ る対比 は. ,. 弱点を もって い るだけに ,こ の 時期 の この 対比 に対す る底意を窺わせ るもの を もって い る。 つ ま リブ レヒ トの推賞 す るプ ラネ タ リウム は ,音 楽 とともに 回転 してゆ く回転木馬 と違 って ,そ れを見 るものに距離を も った観 察 の機会 を与 え る点は いいわ けで あ ろ うが , しか し頭上 に展 開す る もの は ,ブ レヒ ト はそれが シェー マ的 と一 応保留 は しなが らも回転木馬 の 非科学 的な風景 では な くて ,科 学 で あ るとい うこ とであ る。 この 点 は後 に触れ る こ とになろ う。 『 真鍮買 い」 の第 二 夜 にお いて は ,回 転木馬型 とプ ラネタ リウム型の対比 に つ づ いて ,ブ レヒ トが 推 賞 す るプ ラネ タ リウ ム型 の 表現 様 式 と して ,こ れ ま. た有名な『街頭の場面』が長々と述べ られる。すなわち自動車事故の目撃者 7)GW。 17.S.1009f. 8)「 これ らは,た だか りそめ の説 明 に使用す べ きで,そ れがす んだ ら再 び廃止 され る べ きである, とい うのは様 々 な弱点 を有 ってい るか らであ る」GW。 16.S.540.

(6) 86. ブレヒトの演劇論一『 真鍮買い』 を中心に一. が ,集 って きた人 々に ,そ の 判断を求 め るために 目撃 した 自動車事故 の 様を 伝え るのが「街頭 の場面」 で あ るが ,ブ レヒ トが 目指す新 しい演劇 ,す なわ ち叙事詩的演劇 の基底 に この 「街頭 の場 面」 がな けれ ばな らな い とす るわ け で あ る。 ここで 私た ちは始 め て 「異 化効果 」 と い う概念 に 出会 う。「街頭 の 場面」 の 目撃者 の 伝達様式 こそ「異化効果 」 で あ る。叙事詩的演劇 は「異 化 効果」 とい う表現様式 に基 いてつ くられ ねばな らな い。. ブレヒ トは F真 鍮買い』 において,以 上述べたように,古 い演劇,そ れを ア リス トテ レス劇と呼ぼ うと,回 転木馬型と呼ぼうと,そ の表現様式である 「感情移入」 を批判 し,新 しい演劇 ,そ れを叔事詩的演劇 と呼 ぼ うと,プ ラ ネタ リウム型 と呼 ぼ うと,そ の 表現様式 で あ る「異化効果」 を説 いて い る。. しか し F真 鍮買い』で述べ られているのは,そ のような古い演劇と新 しい演 lllと. の表現様式の対比に尽きは しない。 ブレヒ トは F真 鍮買い』において. ,. の表現様式が「感情移入」であるとい うだけでな く,一 歩 進 め て 占い演際」 「感情移入」とい う表現様式は, 古い時代の 産物であると言おうとしてい る。『真鍮買い』の「総括」である Fノ 思考原理』の33は 次のよ うに述べて いる,「 エディプスは当時の 社会を支えていたい くつかの 原理に背いたので Jヽ. 処刑 され る,そ れ は神 々の配剤 で あ って ,神 々は批判 で きな い。 シェクス ピ アの偉大 な個 々人 は ,自 らの運 命 の星 を胸 に抱 いてい るので ,そ の空 しく. ,. 死す べ き熱病の コース を止 めが た く完走 し,自 らの 獲物 とな る,死 ではな く て生 はかれ らの 破滅 にお いてはいかがわ しい もの とな り,そ の破局は批判 で きな い。到 ると ころ人間 の犠牲 だ。何 とい う野蛮な楽 しみだろ う。私た ちは 野蛮人 に も芸術が あ る こ とを 知 って い る。 私 た ちは別 の 芸術を や ろ う」. 9)。. 『 真鍮買 い』 にお いて ,演 劇主任 が ア リス トテ レスの 詩学 にお ける悲劇 の 定 義を述 べ たあ と,「 演劇 はア リス トテ レスが これを書 いて 以来 , しば しば変 fヒ. して きたが ,こ の 点 では 殆 ん ど変 って いな い。 この 点が変れ ば ,そ れ は も. はや演劇 (テ ア ター)で はな い と考 えねばな らな い」 と言 うと,哲 学者 はそ れな ら,自 分 の 目指す演劇 は ,テ ア ターな らぬ ,タ エ タニ と呼 ぼ うと言 って. 9)GW。 16.S.677.

(7) 月ヽ 川 10)。. 皆 を笑 わ している. 正. 巳. つ ま リア トス トテ レスの 悲劇 の 定義 に従 うか ぎ り,そ. れが ギ リシヤ悲劇 のよ うに神 々で あろ うと,シ ェクス ピアの悲劇のよ うに巨 大な個 人を襲 う運命 で あろ うと,そ の表現様式 は「感情移入」 で あ ると ころ の 古 い演劇 た らざるを得 な い。古 い演劇 を発生 させた古 い時代 に対 して ,ブ レヒ トは現代 (す なわ ち新 しい時代 )を 「科学 の 時代」 と呼 ぶ 。 ブ レヒ トは 科学 を 自然科学 と,人 間相互 の 関係 の 科学 とにわ けて い る。 この二つの 科学 の 発展史 の概 略を F小 思考原理 』 の 15以 下 は述 べ て い る。近世 の 初頭 にガ リ レオな どの 自然科学者 が 自然 の法則を発見 した ,以 後 自然科学 は人間 に幸 福 な 未来 を約束す るか に見 えた ,「 人類 は今 や始 め て意識的 に統一 的 に ,自 分 の住 んで い る地球 を住 みやす い もの にす る こ とに着手す るか に見 えた。地球 の生 成要素 の 多 く,例 えば石炭や水 や石 油等 は宝物 に変 った。 ……」uO「 新 しい科学 は この よ うに して 巨大な変化 を ,就 中私た ちの環境 の 可変性 を可能 に したが ,新 しい科学 の精神が私 た ちす べ て を規定的 に満 た した とい うこ と はで きな い。新 しい思考及 び感 性方法 が大 いな る人間集団 に まだ実際 に滲透 しな い理 由は ,科 学が か くも 自然 の搾取 と屈服 に成功 しなが ら,科 学 のせ い で支配 を得 た階級 ,す なわ ちブル ジ ョワ ジーに阻 ばまれ て ,ま だ暗黒 のなか にあ る他 の 領域 ,す なわ ち 自然 の搾取 と屈服 に さい しての人間相互 の 関係 と い う領域を耕 さなか った こ とにあ る……」l171。 「実 際 に 人間相互 の 関係 は以 前 よ り不透明 にな った。人間相互の関係がかかわ りあ って い る共 同 の 巨 大 な企 ては人 間相互 の 関係を次第 に分裂 させ るか に見 え ,生 産の増加は悲惨 の 増加を生み ,自 然 の搾取 に際 してはほんの若干 の 僅かな ものだ け が 利 益 を 得 , しか もそれ は人間を搾取す る こ とによ ってであ る。万人 の 進歩 で あ り得 るものが ,少 数者 の 特権 とな り,生 産の次第 に大 きな部分 は ,巨 大な戦争 の ・か くて人 間社 ための破壊 の手段 を つ くるのに 利用 され る。 ……」l181。 「・…・ 会 の本質 にかか り,約 数百年前 に樹 立 され た新 しい科学 は ,被 支配者 の支配 者 との 闘争 に樹 立 され るに到 った。 ……」性9。. 私 た ちは ここに ,1924年 の ブ. レヒ トの マル クス との 出会 い ,そ れ以後 の ブ レヒ トの マル クス研究 ,そ して lo)GW。. 16。. S.508.

(8) 88. ブレヒトの演劇論一『 真鍮買い」を中`い に一. マル クス主義者 と しての ブ レヒ トを見 る こ とがで きるЭ ブ レヒ トに あ っ て は ,科 学 は 自然科学 とと もに ,こ の人 間相互 の 関係 の 科学 で あ る マル クス主 義を意味す るわ けで あ る。 ガ リレオが 科学 者 で あ れ ば ,マ ル クス も科学者. である。そ して占い演際1の なかに介入 していった F真 鍮買い』 の哲学者 も. ,. そのよ うな意味での科学者である。『真鍮買い」 の俳優が 言 う,「 はっきり 言 って, 私には, かれが 哲学者であるとい う 印象 は 持 て ません」 。 それに 対 して哲学者 は, 自分は普通の カテ ゴ リーに属する 哲学者でないことを 言 うH)。 ブ レヒ トのす ぐ前は自然主義の時代であった。丁度 日本の現代のア ングラ 小劇場運動が そのす ぐ前の新劇を批判する ことによって,自 らの演劇を打 だ した よ うに ,ブ レヒ トは rf代 劇 で も シェクス ピア劇 で もな く,こ の す ぐ前 の 自然主 義 の 演劇を批 判す る こ とによ って ,自 らの 新 しい演劇を展開 した と言 え よ う。 ブ レヒ トが 自然主義演 劇 とい うとき,そ れ は必ず しも一 律 ではない よ うだ。 ハ ウプ トマ ン,イ プ セ ン,シ ョー , トルス トイ ,ス トリン ドベ ル ク 等 自然主義の 際1作 に対 しては必ず しも 批判的ではなか った よ うであ る。『真 鍮 買 い』 で も演劇主任 は次の よ うに言 っている,「 だが 自然主 義の 作品か ら 社会的衝撃 は出て きた。公衆 は多 くの 抑えが た い状態を今や ,そ れが まさに 抑 えが たいと感 じるよ うに させ られ た。公 教育 の場 での 教育 ,女 性 の 独立を さまたげ るや り方 ,性 的な 宇柄 にお ける偽善 ,そ の 他多 くの こ とが告発 され た」12)。. それ は まさに「科学 の 時代」 で あ る現代を視野 に 入れ た もので あ る. と言 えよ う。 ブ レヒ トが 自然主 義演劇を批判す るのは ,自 然主義演劇の作品 ではな くて ,そ の上 演法 ,す なわ ち表現様式であ って ,そ れ は ス タニ ス ラフ スキーに 集中す る。 ブ レヒ トの 演劇 の 本質をなす叙 IF詩 的演劇 とか異化効 果 の概念を意識化 さす契機 ともな って い るス タニ ス ラフス キー ヘ の 関心 は ,以. H)GW.16。. S.512f。 (な. お全 集 15巻 ,演 劇論集 1に は,「 演劇 にお け る哲学者 」 とい う. 項 目で,演 劇 と哲学 にかかわ る文章 が集 め られ ていて, ブ レヒ トが哲学 をどの よ う に考 えて い るか を窺 うことがで きる)。 12)ibid. S.517.

(9) 小. 川. 正. 巳. 後 も ブ レヒ トは抱 きつづ け,全 集 16巻 に も,1953年 の東独 にお ける「 ス タニ ス ラフス キー会議」 を 中心 と した文章が「 ス タニ ス ラフス キー研究」 とい う 項 目の もとに集 め られ てい る。 そ こで見 られ る所謂後期の ブ レヒ トは ,か れ が居住を選んだ東独 にお ける ソ連 の影響 もあ り,さ らにそ の影響の もとに ブ レヒ ト自身 ス タニ ス ラフス キーを 研究 して い るだけに ,ス タニ ス ラフス キー の 研究 は これか らだ と しなが らも,そ こに は 自分 とス タニ ス ラフス キー との 関係 づ けの努力が見 られ る13)。. しか し F真 鍮 買 い」 の段階 では ,ス タニ ス ラ. フスキーは ,ブ レヒ トのかか げ る新 しい演劇 に対比す る古 い演劇 の見本 と し て扱 われ てい る, 演劇主任 はそ こで次 のよ うに言 っている,「 ス タニ ス ラフ ス キーが 最良 の年齢 に あ った とき,革 命が や って きた。かれの演劇 は最大の 尊敬を もって取 り扱 われた 。革命後二 十年 た って ,こ の 演劇 にお いて は ,丁 度博物館 にお けるが如 く,そ の 間 に視野か ら消え うせた社会層 の生 態 を まだ 研究す る こ とが で きた」14)。 ブ レヒ トが 自分 の <異 化>の 演劇 を反 ア リス トテ レス演劇 と呼んで批判 し てい るア リス トテ レスの「感情移入 」 は ,観 客 に「 同情 と恐怖 を巻 きお こす ことによ って ,カ タル シス をお こ さす」 と ころの謂わば観客の「感情移入 」 が狙 われ て い る。 しか しス タニ ス ラフス キーの 「感情移入」 は ,そ の よ うな 観客 の 「感情移入」 を得 るために , む しろ重点 は 俳優 の 役割 へ の 「感情移 入 」 におかれ る。 そ して この俳優 の役 割 へ の 「感情 移入」 に最 も鋭 く対立す るのが ,『 真鍮 買 い」 の 第二 夜 で 述 べ られ て い る有名な「街頭 の場面」 で あ る。 「街 頭 の場面」 は既 に述 べ たよ うに , ブ レヒ トの 叙事的演劇 の謂 わば骨 格をなす もので あ るが ,そ れ は基 本 的 には俳優 の役 割 へ の <異 化>が 言 われ てい るわ けであ る。 この よ うに ブ レヒ トは そのす ぐ前 の 自然主義 の劇作 よ り,む しろス タニ ス ラフス キーに集 中 され る自然主義の表現様式を「 感情移. 13)ブ レヒ トとスタニス ラフスキー との関係については,雑 誌「 匙』創干J号 (1979)に 「 スタニス ラフスキー とブ レヒ ト(1)」 とい う題 日で書 いているので,参 照 していた だきたい。 14)ibido S.516.

(10) 90. ブ レヒ トの演劇論一『 真鍮買い」 を中心に一. 入」 と批判 し,そ の「 感情移入」 を ,さ らに遠 くア リス トテ レス にまで湖 っ て い るわけであ るが ,要 はそ の よ うな古 い時代 が生んだ「感情移入」 とい う 表現様 式 で ,新 しい時代 で あ る現代 ,す なわ ち「 科学 の 時代」 を ,理 解 も表 現 もで きな い と言 って い るので あ る。 ブ レヒ トは現代を 「科学 の 時代」 と呼ぶが ,そ の 科学 は ,既 に述 べ た よ う に ,二 つの 意味に使 われ ている。一 つ は 自然科学 だ。近世 の 初頭 に ,自 然科 ° 学 は ,自 然 の 秘密 に関す る様 々な発見を した 。 そ して そのよ うな 自然科学 の 発見 の成果は ,万 人のために使 われ な いで ,少 数者 の手 に握 られ ,そ れ によ って少数者 は支配者 とな り,多 数者 は被支配者 とな り,後 者 は前者によ って 搾取 され て不 幸 な状態 に陥 って いる。 そのよ うに ,現 代 にお いて は ,人 間 の 相互関係 が「不透明」 にな って いる。「不透 明」 で あ るか ら, 多数 の人 々に とって は , それ は「 当然」 (naturlich)と 思 われ て い る。「 人間 によ る人間 の 巨大 な抑圧 と搾取 ,あ らゆ る種類 の軍 事的殺数 と平和的な 冒漬が 全地球上 15)と. にお いて 既に殆 ん ど 自然的 (naturlich)様 相を帯 びて いる」. , F真 鍮 買. い』 の第 二 夜 の 冒頭 で哲学 者 は述 べ て い る。哲学者 はそ の「 時代 につ いての 説話」 を次 の よ うに閉 じて い る,「 私た ちは人間 の暴力か ら解放 され るとき. ,. は じめて 自然 の 暴力か ら 解放 され るだろ う。 私た ちの 自然 につ いての知識 に ,私 た ちが付 け加えねばな らな いの は人間社会 につ いての知識 で あ り,い か に私た ちが私た ちの 自然 につ いての知 識を人間的 に利用 したが って いるか とい う人間相互 の 関係 の 知識 で あ る」。 ブ レヒ トが い う「科学 の時代」 にお ける科学 とは ,自 然科学 と,こ の人 間相互 の 関係 の 科学 で あ る。 そ して この 人間相互 の 関係 の 科学 とは ,既 に述 べ たよ うに ,ブ レヒ トを衝撃的 に社会 的. 開眼 させたマル クスの科学である。そして F真 鍮買い」 とい う演劇形態をと った演劇論に,演 劇論とは不調和にはい り込んできた哲学者は,す なわちマ ル クス主義科学者であるわけである。哲学者エルンス ト・ プロッホ は そ の 望とい う原理』の第19章 「世界変革,あ るいはフォイエルバ ッハに関す F希. 15)ibido S・ 538. 16)ibid. S.539.

(11) 小. 川. 正. 巳. る マル クスの十 一 のテーゼ』 で ,す べ ての知 (哲 学 )の 歴史を マル クス 以前 と以後 とにわ けて ,マ ル クスの知 こそアル キメデ スの点 で あ ると 言 っ て い る。 マル クスの知 によ って批判 されたす べ て の過 去 の知 は「過去」 にかかわ り,観 想的 で あ り,そ の意味 でプ ラ トンの言 った アナ ム ネー シス (回 想 )で あ るのに対 して ,未 来 に実践的 にかかわ る点 に マル クスの知 の 画期性 が あ る と言 って い る17)。. ブ レヒ トに とって ,『 真鍮 買 い』 の哲学者 に と って ,マ ル. クス は まさに ,ブ ロ ッホの謂 う「 アル キメデ スの点」 で あ る。それ は まさに 人 間を ,人 間 の相互 関係を , そ して世 界 を解 く鍵 で あ る。「科学 の時代」 を 解 く唯一 の「科学」 で あ る。哲学者 は第一夜 の「無知 につ いて」 の談話 の な かで ,「 問題 はそれ ゆえ , 出来 るだ け多 くの人 々に この知を伝達す る こ とで あ る18)」 と言 って い る。無知な人 々に ,こ の知を伝達す る方法が ,劇 作家 ブ レヒ トに とっては ,叙 事詩的演劇 で あ り, 異 化効果 で あ る。『 真鍮買 い」 の 第 二 夜 は ,ブ レヒ トとともに叙事詩的演劇を始 めた ピス カー トルの演劇 の叙 述 に続 いて ,ブ レヒ トは 自 らの演劇 の経歴を語 った と ころで ,演 劇主任 に次 の よ うに言 わ して い る,「 劇作家 (ブ レヒ トー私註 )は 演劇 にかかわ るよ う にな る前 に ,自 然科学 と医学 を勉強 して いた 。芸術 と科学 とはかれ に とって は一 つの平面 上 の対象物 で あ った 19)」 。 (傍 点筆者 )さ らに F小 思考原理 』 20 で は こ う述 べ られ て い る。「 だが 科学 と芸術が 出会 う点 は , 両 者 が人間 の生 活を容易 にす るために存在す る こ とだ ,科 学 は人間 の生計 (Unterhalt)に. ,. 芸術 は人間 の娯楽 (Unterhaltung)に 従事 して。 来 るべ き 時代 には芸術 は 新 しい生産力か ら娯楽を汲み 出す だろ う,そ して新 しい生産 力 自身が ,や が て 妨 げ られ る こ とが な けれ ば , 最大 の娯楽 とな り得 る こ とであろ う. 20)」. 。っ. ま リブ レヒ トに あ って は ,少 くとも,『 真鍮 買 い」 の時点 では ,か れ の 科学. ,. す なわ ち マル クス主 義 と,そ の表現様式 で あ る叙 事詩的演劇乃 至異化効果 は. 17)Ernst Bloch:Das Prinzip Hoffnung.Frankfurt aoM.1959。 18)ibido S.524 19)ibido S.599 20)ibido S.670f.. S,328ff..

(12) 92. ブ レヒ トの演劇論一『 真鍮買い』を中心に一. 不即不離 の 関係 に あ った と言 い得 る。「 科学 の時代」 を伝達す るためには. ,. 叙事詩的演劇 で な けれ ば伝達で きな いで あろ う し,無 知な る観客 に科学 の知 を獲得 して も らうためには ,感 情移入な らざる異化効果が必要 で あ ったわ け で あ る。 (異 化効果 につ いて ,『 小思考原 理 』 42は 次 のよ うに述 べ て い る,「・……古代. 及び中世 の演劇 はそ の 登場人物を人間や動物 の仮面 で異化 した し,ア ジアの 演劇 は今 日で も音楽 的な ,そ して パ ン トマ イ ム的な異化効果を用 いて い る。 それ らの 効果 は明 らか に感情 移入を さまたげたが ,こ の技術 は ,感 情移入が 狙 われ る技術 よ りも催眠術的 に暗示す ると い う基礎 に もとず いて いな いわ け ではなか った 。 これ らの 古 い効果 の 社会 的 目的は私た ちの とは全 く違 った も のだ21)」 。 この 発言か らも, ブ レヒ トの表現様式 で あ る異化効果が , 全 くブ レヒ トの 科学思 想 と不可分 に結 びつ いて い る こ とが わか る。) 2. 1982年 に俳優座が岩淵達治訳,千 田是也演出で,ブ レヒ トの F食 肉市場の. ジャンス・ダル ク』(原 名『 屠場の聖女 ヨハ ンナ』 )を 上演 した。それに対 し て,全 芝浦屠場労働組合が,そ れを差別劇として,批 判介入 した。当時部落 解放 同盟 中央 本 部 文 化 対策 部 か ら「 見 解」 が 出 され ,さ らに それ に 対 して雑. 誌 F前 衛』から反批判22)が 出されたりして,討 論騒然たるものがあった。私 もそ の騒然た るなかで一文 23)を 書 いた が ,私 はそのなかで ブ レヒ トの その劇 作品を ,ブ レヒ トの演劇論を含 めて擁 護 しなが らも,そ の劇作品 の 日本 にお ける上演 につ いて は ,文 化伝統 の 相違を考慮す べ きで あ ると述 べ た 。 だが そ のよ うな私に衝撃を与えた の は池 田浩士 の 「表現 の<暴 力>に つ いて考 えて 21)ibido S.680f。 (追 注)ブ レヒ トにあって,科 学 と芸術が不可分に結びついているか ら. と言 って,勿 論芸術家 であるブ レヒ トにあっては科学 と芸術 とは等式記号 で結 びつ いているわけではない。私たちが F真 鍮買い」 に興ず るのは,か れの視野 のなかに ある,科 学 か らはみだ した芸術 が到 るところにち りばめ られているか らであろ う。 22)西 沢舜一「芸術 と暴カーー ブ レヒ ト劇介入 の意味す るもの」 『前衛』 8号 1982. 23)「 表現 と差別」,『 部落解放」第 183号 ,1982..

(13) 川. み る」 とい う文章. 24)だ. 正. 巳. った 。 それ は批判が ブ レヒ トの演劇 自身 に触れ て いた. か らで あ る。 そのなかで 池 田浩士 は次 の よ うに書 いて い る,「 介入 は , ブ レ ヒ トを頭 で知 って い る,起 るはず の異 化効果 をあ らか じめ予期 しなが ら,葉 巻やパ イプを くわえ て ,観 客席 で うなず いて い る前売 券 の観客か ら,や って くるとは限 らな い。 ライ トを浴 びた 舞台 で演 じられて いなが ら,し か も舞台 て 見 えな い と ころに い る人間た ちか ら,介 入 はや って くる か ら闇 につつ まれノ ので あ る」。 (傍 点池 田)同 年 3月 号 の F新 日本文学』 の ,訳 者岩淵達治を加 えて の討論「俳優座公演 F食 肉市場 の ジ ャ ンス・ ダル ク」 をめ ぐって」 の な か の村 田拓 の次 の発言 は この 問題 に 関 して 決定的であ った と思 う,「 日本 の 演劇界 の 中 に被差別 の民衆が 物 申 した とい う,ブ レヒ ト流 に言 えば観客が演 劇 に参加 した こ とで す」。 つ ま リブ レヒ トの劇場 は , その本質か ら言 って. ,. いかな る批判 介入 ,参 加 に も開かれて い るか とい う問題 で あ る,よ しその批 判l介 入 ,参 加が ブ レヒ トに と って未知 の もので あ って もだ。 た しか にブ レヒ トはその演劇論 で ,観 客 の介入 ,参 加を言 って い る。音楽 隊 の なか に ,そ の音楽隊 の トランペ ッ トの真鍮を買 いに来 た哲学者 の介入. ,. 参加を歓迎 した F真 鍮買 い」 の 構造 その もの。 さ らにそ の F真 鍮買 い」 の な かで も,そ の哲学者がかれ の信奉す る マル クス主義につ いて述 べ た くだ り。 「 マル クス主義 の教説 は物 の見方 の あ る種 の方法 を ,す なわ ち批判基準 を提 示す る。 その教説 はそ の際 ,現 象 の あ る種 の判断 に ,実 践 へ の予言 と合 図 に 導 く。 その教説 は ,そ れが社 会 的な介入 に属 す るか ぎ り,現 実 に対す る介入 の思考 を教 え る。そ の教説 は人 間 の実践を批判 し,人 間 の実践 によ って批判 され る25)」 。 (傍 点筆者 )マ ル クスの教説 を信奉す るブ レヒ トは ,た しか にそ の劇作 にお いて ,観 客が「現実 に対 して 介入 す る思考 」 を ,社 会 に<参 加> して ゆ く思 想を教え る,そ してそのよ うな思考 ,思 想を観客 に伝達す る手段 が叙事詩的演劇 で あ り,異 化効果 で あ る。 そ してた しか に異化 効果 は ,対 象 にlよ 情移入 しな いで ,対 象 を批判す る こ との態度を求 める。 しか しブ レヒ ト F新 日本文学』 1月 号,1983。 ibido S.531..

(14) 94. いに一 ブ レヒトの演劇論―「 真鍮買い」を中′. の場合 ,そ の異化効果 は ,上 に述 べ た よ うに ,か れ の科学思 想 と不可分 に結 びつ いて い る。 異化効果はあ くまで , かれ の 科学思 想 の 手段 で あ る。 従 っ て ,目 的 で あ る科学思 想を ,手 段 で あ る異化効果 で異化 (批 判 )す るとい う こ とはあ り得 る こ とで あろ うか。 ブ レヒ トは1956年 ,ス ター リン批判が行わ れた ソ連 第20回 党大会 の年 に死 んで い る。様 々な批判を抱 きなが らも,ブ レ ス トは基本的には ソヴ ィエ ト・ ロシアの社会主義 に人 間 の 相互関係 の未来 を 信 じて いたよ うで あ る。 フ ァシズ ム と果敢 に闘 いなが らも,ブ レヒ トは 自 ら が抱 いて いた 科学 思 想 に 最後 まで 忠実 で あ ったよ うで あ る。 現代 , 私た ち は ,ブ レヒ トの 劇が異 化効果 の うちに終 った ときに ,解 決保留 の まま提 出 さ れた問 いに対 して ,当 惑す る こ とが あ る。それ はそ の未解決 の む こ う側 で 層、 を殺 して窺 って い る作者が ,私 た ちに手渡 さな いで握 って いる解 決を知 って お り, しか もそれが私た ちには唯一 の 解決 とは信 じられな い こ とが あ るか ら で あ る。私た ちは次第 にブ レヒ トの 劇を , 池 田浩士 が言 うよ うに ,「 頭 で知 パ って いて ,起 るはず の異化効果をあ らか じめ予期 しなが ら,葉 巻や イプを くわえ て ,観 客席 に うなず いて い る前売券 の 観客」 た らざるを得 な くな って い る。 ブ レヒ トは F真 鍮買 い』 にお いて ,す でに この こ とを ,ス タニ ス ラフ スキー につ いて , 言 って いる,「・……ロシア人 に あ って は普通 の こ とだが (ス. ,. タニ ス ラフスキーの 自然主義 の 作品一筆者 )の 上 演 の い くつ か は ,も う. 三 十年以 上 も全 く変更 され る こ とな く行われ て い る,全 く違 った俳優 によ っ て 演 ぜ られ て は い るが。 (略 )そ れ は シ ャベ ル を深 く掘 って得 られた土 の塊 にた とえ られ る,植 物学者 によ って研究 の ために実験用 テー ブルの上 に もた らされ た ものだ。 (略 )か れ の 作品 には歴史的価値があ る, かれ は歴史家 で はなか ったが. 26)J。. そ してやは り F真 鍮買 い』 の なか で ,ブ レヒ トは , それ. に対す る対策 とも言 うべ きもの も述 べ て い る。哲学者が ,劇 作品 に対 して. ,. 俳優 にすすめた方法 で あ る。「君 た ちがす べ きす べ ての こ とは ,た だ出来事 を 出来 るだけ真剣 に うけとめ て ,劇 作家 によ るそ の利用を 出来 るだけ軽 く受 けとる こ とだ。君 た ちは劇作家 の解釈を一 部は実際 に削 りと り,新 しい要素 26)ibid. S.516..

(15) 川. 正. 95. 巳. を つ け加えて も いいのだ。要す るに,作 品は材料 と して使 えばいい。 そ して 私 が あ らか じめ想定す る こ とは,君 た ちは ,充 分 に公共 の 関心 をお こ さす 出 来 事 を もった作 品を選 ぶ こ とだ27)」 。 そ して この方法 は , 同時代 の作品が望 め な い段 階にあ って は ,古 い時代 の演劇 ,古 代劇 とか シェクス ピア劇 に も適. 用することを,ブ レヒ トは求めている。F小 思考原理』 において,古 い時代 の演劇を,自 然主義上演の表現様式である「感情移入」で上演することを批 判 している。 古い時代の演劇の上演は,「 感情移入」 によるのではなくて. ,. その発生の「歴史的条件」を<異 化)す べ きこと,そ して F小 思考原理』38 は次 のよ うに述 べ て い る,「 歴史的状件を勿論 , 暗黒 の 力 (背 景 )と して考 えて はな らな い ,(そ のよ うに組立て られ る こ ともな いで あろ う),歴 史 的条 件 は人間 によ って作 られ ,保 持 されて い るので あ る (そ して人間 によ って変 え られ る),つ ま りそ こで行動 され るものが ,そ れを作 りだす のだ. 28)」. 。そ し. て ブ レヒ トは ,こ の 原理 によ って ,シ ェクス ピアの Fコ リオ レイナス』 や ソ フ ォク レスの Fア ンチ ゴー ネ」 を上演 して い るので あ る。 つ ま リブ レヒ トの科学思 想は ,そ の一 部は歴史的な価値 か ら見 られ て も. ,. 演 劇家 ブ レヒ トの表現様式 は ,か れが マル クス を発見す る以前か ら暗黙 に も って いた もので あ り,次 第 に叙事詩的演劇 とか異化作用 と意識化 され ,方 法 論 化 されて い った わ けで あ るか ら, 一 応かれ の 科学思 想か ら 切 り離 されて も,創 造 的表現力 と して生 き続 けるのではないか 。. 27)ibido S。 533.. 28)ibid. S.679..

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参照

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