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ドイツ啓蒙主義の社会・文化史的研究

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Academic year: 2021

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ドイツ啓蒙主義の社会・文化史的研究

(課題番号11610529) 平成11年度一平成12年度科学研究費補助金基鱒研究C(2) 研究成果報告書 平成13年1月 渡邊直樹 研究代表者 宇都宮大学教授国際学部

'ツ啓蒙主義の社会・文. 上史的研究

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はしがき 研究代表者: 渡邉直樹(宇都宮大学教授国際学部) P■ 研究経費 平成11年度 平成12年度 1,500千円 2,100千円 』【 計 3,600千円

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ドイツ啓蒙主義の社会・文化史的研究

渡邊直樹

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目次 はじめに ●■■■■■■■■ I 文化史的研究 (一)レッシングと神学論争 (二)啓蒙主義とフリーメーソン ーレッシングの『エルンストとファルク。 フリーメーソンのための対話』 1 2] 社会史的研究 (三)フリーメーソンとユダヤ人コミュニティ 1■■巳■■の■■ 38 (四)サークルの誕生と社会変革 l■●■■■●■「 51 おわりに ■●●●■■■□■ 70

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はじめに 18世紀ドイツ社会は、神聖ローマ帝国という国家体制を維持してはいたが、 実態は統一国家ではなく、領邦それぞれが独自の専制政治体制をもつ集合体で あった。中央集権の絶対主義体制国家であり、国際都市パリをもち、政治経済 的に大陸の中心であったフランスとは異なり、ドイツは領邦の集合体であった がためにまた長所をもつことができた。ゲーテが「啓蒙」という尺度を文化的 発展に適用してフランスと比較し、ドイツ領邦国家体制の優越を説いたことは それなりに説得力がある。しかし、文化の担い手たる市民とその市民の権利を 保証する社会体制の確立においてドイツはフランスと比較していかにも遅れて いた。教会と権力とが相変わらず社会のヒエラルヒーの頂点に立つ政治体制は、 小さな領邦という集合体であるがゆえに維持され得た。 ヨーロッパ近代の市民社会を形成する市民階級が存在し得る要件をドイツ諸 領邦は欠いていることが多かった。自由な商業経済活動は領邦を地域単位とす るために限定され、産業資本の投資規模もこれに比例した。従って、資本家や 商業・工業活動によって豊かになった富裕層の割合はイギリスやフランスと比 較してはるかに低く、社会構造そのものを覆すほどの力を獲得するまでにいた らなかった。多少の差があったとしてもドイツの領邦それぞれは、この状況に おいて変わりはなかった。しかし、文化的側面から見ると、ドイツは領邦に分 割されていたために、市民階層は「国際都市パリ」と同様の文化や施設を享受 することができた。階級横断的なサロンやサークルが18世紀ドイツに多く誕 生したことが、このことを裏付けている。ドイツやオーストリアの諸都市で啓 蒙的雑誌が多く発刊されたのみならず、フランスの書物や雑誌がベルリンやウ ィーンでも多く発刊されていることは、市民の知的刺激や教養への欲求をあら わしている。 フランス啓蒙主義が政治体制の変革を伴う人間の権利の獲得において近代へ の準備をしたとすれば、ドイツ啓蒙主義は人間精神の内面を深く洞察する神学 や宗教の分野において近代への扉を開くものであった。しかし、それはドイツ において社会変革への意志が存在しなかったという意味ではない。宗教・神学 1

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にかかわることは必然的に教会と一体となって人間精神を支配する体制を堅持 していた権力者たちとの衝突を招いた。ゴットホルト・エーフライム・レッシ

ングがルター正統派との神学論争の末に検閲免除の特権を剥奪され、論争を中

断しなければならなくなったことは、このことを明らかにするものであろう。 このレッシングは、フリーメーソンに国家と人類の発展の理想を見ていた。 フリーメーソンロッジの憲章が制定している自由と宗教的寛容に基づくヒュー マニズムが実現されているかどうか、この現実問題に直面したときロッジの会 員であったレッシングはフリーメーソンの歴史と伝統を研究し、その基本的理 念の再検証に着手する。 フリーメーソンの歴史を正確に辿ることは困難である。なによりもフリーメ ーソンは神秘主義によって特徴的性格をもっているからである。フリーメーソ ンがイギリスとヨーロッパ大陸に広く分布し国家横断的なフリーメーソンロッ ジが18世紀にいたってもなお存続し続けたことは、ヒューマニズムに基づく 基本理念に理由が求められる。フリーメーソンロッジには憲章に定める宣誓に よって誰にでも入会が認められた。しかし、誰にでもロッジが開放されていた わけではない。ここにヨーロッパ社会が歴史的に抱えてきた大きな問題がはか らずも暴露される結果となっている。キリスト教徒とキリスト教対非キリスト 教徒と非キリスト教、わけてもユダヤ人とユダヤ教徒の社会対立が、このフリ ーメーソンロッジにも持ち込まれていた。ユダヤ人とユダヤ教徒は正規のロッ ジに入会することに制限が加えられていた。 人間生得の自然権を認めようとしたフランス革命以降、ドイツにおいてもユ ダヤ人に公民権を与え、彼らのコミュニティを認知しようとする時代の雰囲気 が大勢を占めるとともに、ユダヤ人のフリーメーソンロッジ入会の問題が改め て浮き彫りにされた。フリーメーソン憲章に照らして入会の正当性を論証しよ うとする試みにおいて、キリスト教とユダヤ教の双方の教義が歴史的思想的基 盤となった。キリスト教徒の側からは繰り返しユダヤ教の教義が有する独善性 や政治的危険性が指摘され、彼らに対して制限を強固なものとする意図が見え るし、一方ユダヤ教徒はキリスト教の教理とユダヤ教のそれが決して対立する ものではないという解釈を提示することによって制限の撤廃を訴えた。完全な 和解へといたることはなかったが、この対立は1830年代にはじまるドイツの Z

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自由主義的時代の雰囲気によってかなり改善される。裕福で教養あるユダヤ人 のなかにはロッジの最高指導者にまでなる者もあらわれた。キリスト教徒とユ ダヤ教徒との間のフリーメーソンロッジ入会をめぐる対立の図式は、憲章の基 本理念の解釈とは別のところで存続し続けた。シオニズム運動や時代の雰囲気 に応じて、ユダヤ人と彼らのコミュニティに対するキリスト教徒や権力者の態 度も変化するものなのである。 ユダヤ人の解放のために努力した多くの人たちは、ユダヤ教とキリスト教と の宗教思想上の接点を模索した。レッシングとほぼ同年齢であり、ヨーハン. クリストフ・ゴットシェートとクリステイアン・ヴォルフの思弁哲学の継承者 であったモーゼス・メンデルスゾーンは自然宗教という宗教的真理を措定する ことによってキリスト教とユダヤ教が等しく信仰者に開示される啓示宗教であ ることを示そうとした。レッシングの宗教思想にも認められるこうした努力に よっても、しかし現実に両宗教の和解はならなかった。しかし、啓蒙主義は宗 教的寛容と人間生得の権利を社会の構成員全員に告知し得た。ユダヤ人であっ たメンデルスゾーンその人が果たしたヒューマニズムに基づく言論活動が、こ のことをあらわしている。フリーメーソンの憲章の解釈にあらわれた「フリー メーソン教」なる普遍的宗教に、彼の主張が見て取れる。 翻って、20世紀のナチス時代にはフリーメーソンロッジとユダヤ人コミュニ ティが連帯して社会に敵対的な「国家のなかの国家」を形成していると宣伝さ れた。フリーメーソンの神秘主義的性格とユダヤ人コミュニティの閉鎖性を利 用して、人間の心のうちに秘められた社会に対する不満や不信をそらそうとす る権力者側の策略は常に巧妙である。 ここで考察された18世紀ドイツ社会におけるフリーメーソンやユダヤ人問 題は、ヒューマニズムに基づく人間の権利のみならず人間精神にも深くかかわ っている。自由・平等・公民権や宗教的寛容は時代と人間を超えて普遍的に保

証されるべき基本理念である。啓蒙主義の合理主義が生み出した思想や制度が

必ずしも人類の教育による発展の先にあると信じられた幸福をもたらすもので はなかったという反省に立って、本研究は、近代ヨーロッパの思想的基盤とな った啓蒙主義を検証する。 §

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(一)レヅシングと神学論争

レッシングは、神秘主義からライブニッツにいたるドイツ伝統の宗教的思弁 的思想を受け継ぐ人であったが、理性によって神学を批判的検証のふるいにか けた。そして、この神学批判を含むレッシングの思想は、さらにライブニッツ

を経てドイツ・イデアリスムスにいたる18世紀ドイツ精神史の要に位置づけ

られている。しかし、レッシング自身のキリスト教をめぐる神学や宗教哲学に ついてはいまだ明確な位置づけが欠けている。

デイルタイは『体験と創作』(ErlebnisundDichtung,1904)で「レツシング

の学問的研究には、われわれの側に立って見ると身近な多くの関心が含まれ、

本人の側に立って見ると多くの謎が含まれている。近代のドイツ文学史上、厳

密な組織立った吟味が必要な材料があるとすれば、レッシングこそまさにそう

である’」と書いている。20世紀のはじめには、研究対象の宝庫であったレッ シングについて、その後多くの研究成果が発表されている。しかし、レッシン グにかんする学問上の謎であり、かつ重要で歴史が長くいまだ吟味の対象であ り続けているのは、相変わらず「神学・宗教」にかかわる思想であるといって

よい。それらの著作が断片のかたちで、一定の論理的関連をもつことなしに書

かれたものだからである。20世紀後半にいたっても、グートケがレッシング解

釈の分裂の多くをこれら神学的著作と彼のキリスト教についての考えのうちに

見ている。

神学の分野からみれば、レッシング自身「神学に関心をもつ者ではあるが、

神学者ではないし、特定の体系にも宣誓してはいない2」と認めている通り、

彼は体系的に思索を著作で示す意志をもたなかった。だからといって、彼の神

学思想が「即興的」で稚拙であるということにはならない。また、レッシング

の宗教哲学的考察である『人類の教育』(DieErziehungdes Menschengeschlechts)が、ドイツ哲学史で語られることが少ないからといって、 DasErlebnisunddieDichtun9.15.Aufl.,G6ttingenl970 lWilhelmDilthey S、19. 2LMX111,s、109. 4

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その価値が低いということにもならない。何よりも、レッシングの神学や宗教

哲学の理解をむずかしいものにしている原因はこれらについて学問的体系を完

成していないからである。それにもかかわらず、レッシングの神学・宗教思想

の影響が途切れずに続いている。じじつ、彼の思想のうちには後のプロテスタ

ントの偉大な思想家たち、フリードリヒ・ダニエル・エルンストシュライア

マッハー(FriedrichDanielErnstSchleiermacher)やゲオルク・ヴィルヘル

ム・フリードリヒ・ヘーゲル(GeorgWilhelmFriedrichHegel)、セーラ・キル

ケゴール(SoGrenKierkegaard)やエルンスト・トレルチ(ErnstTroeltsch)など

が体系づけた仕事の先駆けが認められる。

これら神学・宗教にかかわる著作にこそレッシングの真実の自己告白が見て

とれると期待してよかろう。しかし、レッシングが神学論争で対決を余儀なく

されたルター正統派が、教会を通して政治権力とともに人間精神を支配する社

会体制の一翼を担っていたという事実に基づくならば、レッシングの正統派批

判は社会体制への批判であり、政治権力への批判と考えられる。一方、レッシ

ングの宗教・神学にかんする考察は時代の底流に流れていた敬度主義やスピノ

ザ主義の宗教的精神と通じる面をそなえていた。宗教を個人の信仰において純

化しようとする姿勢とスピノザ的汎神論への信仰告白は、それぞれをキリスト

教への信仰的態度と無神論的傾向と見る限り、レッシングの宗教観は一貫性を

欠いているかに見える。しかし、この両者はレッシングの精神において、一致

している。なぜならば、神学と哲学という異なる地平ではあるが、レッシング

においてキリスト教の宗教性の復活と宗教的真理という哲学的課題が同時並行

的に考察されているからである。

フリードリヒ・ローフス(FriedrichLoofs)は、20世紀はじめにプロテスタン

トの立場からレッシングの神学・宗教思想を「公教性」(Exoterik)と「秘教性」

(Esoterik)という概念を用いて統一的に解釈しようと試みた。ルッシングの

神学を提起しようとするのは無意味である。なぜならば、レッシングが公教的

に表現した神学思想は、ただ部分的な位相の一つに過ぎず、彼の秘教的見解を

われわれは知らなさすぎる3。」つまり、レッシングの神学・宗教にかかわる薬 3FriedrichLoofs:LessingsStellungzumOhristentum・Hallel910,S、24. 5

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参照

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