長 野大学紀要 第16巻 第1I2号合併号 84-92頁 1994
「
教養」の概 念 につ いて
A Note on the Concept "Culture"
1.「教養」とは、単に広い領域にわたって多 くの 知 識 を身につけ るこ とだけ をい うのではな く、読 書や実際の体験 な どを通 して獲得 した「知識」、さ らに 「思索」に もとづ いて人格 的完成 をめ ざして 自己形成 してい く精神的活動全体 をい う。 しか し この教養 としての 自己形成 を、個 々人が 自分の ま わ りの現実か ら遊経、ないしは逃避 してそれぞれの 内面においてのみ追 い求め るな ら、その場合の 自 己形成は抽象的に とどまる。ひ とはある民族 な り、 ある時代 な りの 「文化」 との係わ りのなか では じ めて具体 的に 自己 を教養 してい くこ とが で きるの であ る。 そ して、逆に また個 々人の 「教養」- 形 成の努力な くして、いかな る 「文化」の形成 も期 待すべ くもない。「教養」を意味す る英語の 「カル チュア」 は同時に 「文化」 も意味す る。 まさに、 個 人の 「教養」 は社会の 「文化」 と深 いつ なが り をもって成 り立つのであるo Lか し、社会の 「文化」 にデ ィベ ン ドして個 人 は 自己を教養す る といえども、個 人がある時代 、 ある社会の文化 に無批判 に埋 没 して しまっては 自 己を教養す るこ とはできない。 1952年 フランクフル ト学派の領袖M.ホル ク-イマ-は当時学長 を務めていたフランクフル ト大 学の入学式に際 し新 入生 を前に講演 を行 い、そこ で産業社会 、大衆社会の時代 にあって新 しい 「教 養」のあ り方の方向 を示 した。その一節に次の よ うな件がある。 「自分 自身の事 に没頭 してそれ と全体 との連 関 を認識 しないな ら、その ような者はだれ も教養 あ る ものではない。 また、大学の職 に就 いている者 はその学問においてス ロー ガンや きま り文句や先 入観か らの 自由 を獲得 しなければな らないが 、そ のおな じ自由 を世 間的なこ とにお いて も時代精神 に抗 して積極的に行使 しないな ら、その ような者
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はだれで も教養 のある者 ではない。」 自分 自身の内面にのみ沈潜 して外の世 界 を顧 み ない ような者は 自己を教養 しえない し、さ りとて 、 外の流行 の文化に埋 没 して しまった者 も自己 を教 養す るこ とはで きない。今 日私 たちに押 し寄せ る 商品や情報 は上の講演が行 われた1952年 な ど比較 にな らないほ ど圧倒 的に大量 である。 これに どの ように抗 して 自分 自身 を教養 してい くこ とがで き るのか。むつか しい問題 である。2
. ドイツ特有の小説形態に、人間の教養-形成 の過程 を描 く 「教養小説 (ビル ドゥングス ・ロマ ン)」とい うものがあるが 、その範 となったゲー テ の 『ウィルム- ルム ・マ イス ター』の第一部 、第 二部のそれ ぞれの タイ トルは 「徒弟時代 (レール ヤー レ)」、「遍歴時代 (ヴ ァンデルヤー レ)」 とい うふ うに、手工業時代 の職 人の修行過程 に擬 って つけ られている。つ ま り、中世以来 ドイツでは徒 弟制度の もと職 人たちは まず親方について手 で、 すなわち身体 で仕事 を習い覚 えた上 で広 く世 間に 出て仕立て職 人、靴職 人、錠 前職 人な どとしてひ とり遍歴 を重 ね、一 人前のマ イスター- と自分 自 身 を形成 していったのであ るが 、この伝統 を受 け 継いで、人格形成は単 に書斎のなかの読書や思索 だけではな く、実際の身体 的 「行為」に よらなけ ればな らない とい うのが 、ゲーテの教養観 であっ た。 同 じゲー テの作 品 『ファウス ト』のプロロー グ の部分 でフ ァウス トが新約聖書の 『ヨ- ネ伝』の あの有名 な 「初めにロゴスあ り、ロゴスは神 とと もにあ り、ロゴスは神 な りき」 とい う言葉の 「ロ ゴス」 とい う語 を ドイツ語に訳 そ うといろいろ試 み る場面があ る。 まず フ ァウス トは、普通 よ く訳 され るように 「言葉」 と訳 してみ るが気に入 らな囲増 治之 「教養」の概念について い。次に、「心」、「力」 と次 々訳 語 をあて てみ る が、いずれ も気に入 らない。最後に 「行為」 と訳 してや っ と彼は満 足で きた とい う。 この場面 、そ の後の劇 の展開 を先取 りしている。やがて書斎の なかだけの研究生活に飽 きた らぬファウス トは メ フ ィス トフェレス と魂 を賭けた契約 をして若返 ら せ て もらい、外の広 い世 界に出て 「行為 の人」 と なって様 々の遍歴 を重ねてい くこ とにな る。 ここ に もゲーテの人格 は 「行為」 を通 じて形成 され る とい う教養観が色濃 く現 れている。 これに対 して 日本の教養観念は政治的、経済的、 技術的 「行為」 を排除す る形 で形成 されて きた。 明治の初めか ら 「和魂洋オ」の合 言葉 の もとヨー ロ ッパか ら洋才 、つ ま り技術的知識のみ を摂取す るのに忙 しか った反動か ら、大正期 にはいる とヨ ー ロ ッパか らの文学 、美術 、思想な ど精神 的文化 のみに限 って理解 、摂取 しようとす る教養主義的 傾 向が強 くなっていった。そ してその影響 の もと、 日本語の 「教養」 とい う言葉 には外の政治的 、経 済的、技術的現実か ら離れて 自分 自身のなか で 自 己を純粋培養的に形成 してい くとい うこ とが合意 され るようになった。その結果 、外の世 界に 「行 為」的に働 きかけ るこ とよ り、読書遍歴 を通 じて 外の世 界か ら知 識 を受 け取 るこ とが 「教養」の基 本 とみな されたのであった。 3. そ もそ もゲー テ は その 自然 考察 にお いて
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とい う言葉 を広 く 「さまざまな姿 を と って現れて くる」 とい った程度の意味で用 い、こ の活動 を有機体一般 につ いて認め、その根本活動 とみ な した。 『形態学序説』 のなか でゲーテは、「あ らゆ る形 態 、なか で も特 に有機体 の形態 を観察 してみ る と、 そこには、変化 しない もの、静止 した ままの もの、 他 とのつなが りをもたない ものは、ひ とつ も兄い出 せ ず、む しろすべ てが運動 してや むこ とが ない と いわ ざるをえない」(潮 出痕社 『ゲーテ全集』第1
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巻p.43)、とい ってい る。いか な る生命 も、その生 命活動 を遂行 してい くために、そ して、た とえば 熱 い空気や冷たい水 といった外的な 自然の要素か ら自らを守 り自己を保持す るために、外皮 を必要 とす る。生命は外皮 をとって、つ ま り一定 の形態 の もとに、有機体 として現れ るのであ る。 しか し、 85 生命は生命 である限 り、一定 の形態の もとに安 ら うこ とはないOなぜ な ら、一定 の形態に安 らうこ と、それは死 を意味す るOいや し くも生 きている 限 り、そこでは生命 な きもの と化 してい く外皮の 内側 でたえず新 しい外皮が形成 され、その有機体 は脱皮 し、別の形態へ と変態 してい く。「ひ とたび 形成 された もの も、たちどころに変形 され る」o してみれば、「
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形成)」とは「
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(変形)」 である。生命 は一つ の形態か ら他の形態 - 、 よ り高い形態- 、よ り成熟 した形態- と変態 してい くこ とを通 して 自己 を形成 してい くのであ る。有機体 の根源にある生命の方か らいえば、そ れは さまざまの形態へ と変態 して一定 の有機体 と して現れ るのである。そこで、ゲーテは 「ある有 機体 が現 れて くる場合 、形成衝動 の統一 と自由は メタモルフォーゼの概 念な しには把握 で きないの である」(『形成衝動』、潮 出版社 『ゲー テ全集』 第1
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巻p.
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4)
、 と主張す る。 この形成衝動が最高度に 自由に発揮 されるのが 、 有機体 のなか で もとりわけ人間においてである。 なん となれば、人間は 「重大な場面においては立 法者 としてふ るまう」Oつ ま り、人間は、自分 自身 か ら自分 に対 して形式 を課 して、或 るひ とつの形 態へ と変容 し、 自分 を形成 してい くか らであ るO 人間はすべての有機体 のなかで もす ぐれて意志的 に 自分 自身 を形成 してい くのである。 この意味で の人間のBi
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(人間形成 - 教養 )をゲーテは あ る一個 の人間ウ イルヘ ルム ・マ イスター を通 し て描 いた。それが 『ウイル- ルム ・マ イス ターの 徒弟時代』、『ウ ィル- ルム ・マ イス ターの遍歴時 代』の二部作 の小説 である。 4.ゲー テの 『ウ ィルへ ルム ・マ イスター』二 部作 のプロ ッ トはおお よそ次の ような ものである。 町の良家 に育 った主人公 ウ ィル- ルムは子供 の 頃 よ り演劇 に興味 を抱 いていたが、青年期 を迎 え る と退屈 な市民生活 を嫌 い、家 を出て演劇 の世 界 へ飛 び込 んでい った。そこでさまざまの 人や事件 に出会 い人生経験 を積 んでい く。やがて、か って の恋 人の忘 れ形見フェ- リックス を自分の子 と確 認 した ところで 「修行時代」 は終 わ りを告 げるo フ リー メー ソンを思 わせ る 「結社」の一員 となっ たウ イル- ルムは、「三 日以上一つ屋根に逗留 して86 長 野大学 紀要 第16巻 第1 ・2号合併号 1994 はな らない。少な くとも宿か ら-マ イル以上- ど たっていなければ、新 しい宿 をとってはな らない」 といったその風変 りな淀 に したが って、一子 フェ ー リックスを連 れ て 各地 を転 々 とす る。「遍歴時 代」の始 ま りである。 まず彼は、 とある山中で聖書の聖家族 になぞ ら えた ような大工 ヨセフの家族 に会 い 、その家に泊 めて もらって交流す る。 さらにウ ィル- ルムはか っての劇 団時代 の知 り合 いで今 はモンター ンと名 乗 り鉱 山の仕事 をしてい るヤル ノーに会 い旧交 を あたため る。その折 りウ イル- ルムは、外科 医術 を修得 したいため一つ所に滞在 で きるようあの淀 か ら解放 して もらいたいので、そ う結社 の同志 に とりな して くれ るようヤル ノーに依頼 し、彼 と別 れ る。その後 も淀 に したが って転 々 と遍歴 を重 ね たウ ィルへ ルムは、フェ- リックスをある大 きな 学園に預 け さらにひ とり旅 をつづ け るが、やがて 願いがかない、投か ら解放 される日が訪れる。外科 医術の修得にいそ しみ卓越 した外科医 となったウ イルへ /レムは、新 しい社会 をつ くるべ く結社 の同 志 と新世 界ア メ リカへ渡 ろ うとす る ところで、こ の物語は終わ る。 叩参行時代』の主 人公の人間形成は、演劇 お よび 劇 団生活 を媒介 としてなされてい くが 、『遍 歴 時 代』 では 「手仕事」 を媒介 として主 人公が 自己を 豊かに形成 してい くさまが展開 されてい く。『遍歴 時代』 は 「諦 念の人々」 とい う副題 をもつ。人間 社会に真に有用 な もの とな るためには、一つの手 仕事 に 自己 を制 限 し、それに打込 まなければな ら ない。 『遍歴 時代 』 に登場す る大工 ヨセ フ も鉱 山 師 モ ンター ン も諦 念の手工業者 である. そ して、 「僕 のせ が れ に は、一つの限 られた手仕事があた え られ るよ りも、 もっ と広 く世 界 を見 る 目をあた えてや りたいですね」 といって一子 フェー リック スを連れて遍歴 を重ねたウ ィル- ルム もやがて、 「あ らゆる生活、あ らゆ る行為 、あ らゆる技術には 、 まず手仕事が先行 しなければな りませ んが、この 手仕事 は、ただ制 限す ることに よって修得 され る ものなのです.お よそ一つの こ とを正 し く知 り、 かつ実行す るこ とは、百の ことを中途はんばにや るよ りももっ と高 い教養 をあたえて くれ ます」 と い う一人の老 人の意見に従 い、フ ェ- 1トソクスを 「学園」に預 け る こ とに な る。 ここに著者 ゲー テ の教養観が端 的に表れている。「手仕事」に よって こそ高 い意味 での 「教養 」が身につ くとい うので ある。そ して子供 と別れたウ イル- ルム も外科 医 術の修得 に専心 し、一 人前の医者 となる。医者の なかで も外科医は とくに手工業的である。中世 ヨー ロッパ では理髪師が外科医 を兼ねていた くらいで ある。手仕事 を媒介 とす る人間の 自己形成 を描 く ゲーテは 、さらに熟達 した手工業者の共同に よる 社会形成 を夢 みたのである。 5.ルネ ッサ ンスは、中世 には卑 しめ られてい た 「肉体 」が古代 ギ リシア時代 と同 じように再 び 賛歌 され るようになった時代 である といわれてい る。中世 の美術の代表的モチー フである十字架上 のキ リス トの肉体 のみすぼ らしさ といった らどう だろ う。それは もうほ とん ど骨 と皮だけであ る。 これに対 して、た とえばルネ ッサ ンス時代 の男性 美の象徴 といわれ る ミケ ランジェロの『ダヴ イデ』 は筋肉隆 々で、それは クラシ ック期の ギ リシア彫 刻 の復活 を思 わせ るであろ う。 しか し、そこにはギ リシア彫刻 とは異なる何か がある。 コン トラポス トの完壁 な具 象化 として名 高 い古代 ギ リシアの ポ リュ クレイ トスの 『ドリュ フ ォロス』 と比較頂 きたい。なに よ りも ミケラン ジェロの 『ダヴ ィデ』像 は頭 の大 きいこ とが 目に つ くであ ろ う。 これにつ いてはこの像が均衡 に欠 け る との批判がある。 しか しその一万 で、この像 は もともとフ ィレンツェ共和国の市政庁正 面入 口 前の広場 に高 い台座 の上 に立 ってお り、人々は下 か ら仰 ぎみ るこ とになるのであるが 、その場合 、 頭が これ くらい大 きいほ うが遠近法的にバ ランス よ くみ えるのである、 とい う指摘 もある。 しか し それに して も遠近法的にいってあえて大 き くす る 必要がない両方の手 も大 き過 ぎる。それにその手 は血管が浮 き出ているところまで詳細に刻 まれて いるO「手」が強調 されている ところ、そこに こそ 古代 ギ リシアの 「トル ソ」的な彫刻 との大 きな違 いがあるだ ろ う。 この ミケ ランジェロの 『ダヴ ィデ』像 にみ られ る手の強調 こそ近代 的な人間観 におけ る人間形成 -教養 において果 たす 「手」の 、そ して「手仕事」 の役割 を象徴 しているのではないだろ うか。
囲増治之 「教養 」 の概 念につ いて 6.ルネ ッサ ンス以来 、ゲーテの時代 にいた る まで 「手仕事」に基づ いて近世 の 「文化観」、「教 養観」 は形成 されていったが 、機械生産 の労働管 理社会の今 日では当然手仕事時代の 「文化 ・教養 観」 とは異なるであろ う。 鍛冶屋 、錠前屋 、錬工 、時計職 な ど中世 ヨー ロ ッパの手工業時代 の職 人は、 自分の手 で道具 をし っか り握 り、それ を駆使 し、 自分の技術や工夫 を す なわち自分の 「人格」 を傾 け、なにか作 品 を最 後 まで仕 上げていった。彼 らはつ ねに 自分 の手の なかか らある一定の作品が産み落 ちるの を、大 げ さにいえば、ある一定 の価値が創造 され るの を見 るこ とが で きた し、それゆえ また 自分の仕事の意 義 を確か な手触 りで もって把握す るこ ともで きた のであった。 しか るに、分業の細分化 、部 品 ・製品お よび作 業の規格化 ・標準化 に よる大量生産 の時代 の到来 を迎 えた現代 、 どれだけの人が 自分の人格 を傾 け て仕事 をしているであ ろ うか。規格化 され標準化 され た作 業 な らこの 「私 」 で な くて も、ほかの 「誰か」がや って も同 じで あろ う。その ような、 もはや仕事 ともいえぬ 「作業」に誰が 自分 の人格 を注 ぎこむであろ うか。人格 を傾けてす る仕事 に しては じめてひ とは人格 を形成 してい くこ とが、 自己 を教養す るこ とがで きるのに
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世 紀の終わ り分業の時代 を迎 え、ニーチ ェはその著 『ェ ッヶ・ ホモ』 のなか で 自著の 『反時代 的考察』 につ いて 振 り返 って語 っている箇所 ですでにつ ぎの ように 述べ ている。 「・・・この非 人間的な歯車 と機械 的か ら くり、 労働者の『非人格性』、『分業』とい う誤 った経済 のために、生 は病 んでいる。 目的 、す なわち文 化 は失 われて行 き、一一-一手段 、す なわち近 代 的科学 とい う営みは野蛮化す る ・・- 。」 (KritischeStudienausgabeBd.6S.316)。
ここでニーチェは 「文化」が 目的であ る といっ て い る。文 中の 「文 化」 とい う語 は、 原文 では "Cultur"で、「教養」とも訳 しうる。すなわちニー チ ェに従 えば 「生」の 目的は生 自身の 自己形成 と い うこ とになる。 ところが 目的 と手段が転倒 して いる とい うのである。そ して 『反時代 的考察』 で はニーチ ェは 「装飾文化」つ ま り単な る装飾 と化 した 「文化」、そ して 「教養」に痛罵 を浴びせ かけ 87 たのであった。 ニーチェの時代に比べて、比べ ようもない くらい 分業が進んだ今 日では ましてや仕事 を通 じて人格 を形成 してい くとい うこ とな ど期待 しうべ くもな いであろう。そ して 「教養」 はいまや単 なる 「装 飾」に、いや 「虚飾」 に化 そ うとしている。
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.ニーチ ェは 『ェ ッケ ・ホモ』のなか で誇 ら しげに、「教養俗 物(Bildungsphilister)とい う語 は私の著作以来 、国語 に残 るようになった」(Kri -tischeStudienausgabeBd.6S.317)といっている。 ここで彼のい う 「私の著作」とは 『反時代的考察』 の こ とをさす。 この著作全篇が痛 烈な文化批判 、 時代批判 となっているのであるが 、 とくにニーチ ェはその第一篇 『ダー ヴ イ ド ・シュ トラウス、告 白者 と著述家』 では、普仏戦争 での軍事 的勝利 を ドイツ文化 のフランス文化 に対す る勝利 と取 り違 え、いい気 になって 自己満 足的な気楽 さに安逸す る当時の ドイツ文化 を似而非文化 として容赦 な く 批判 している。そ して、この ような時代風潮に迎 合す る知 識人 を指 してニーチェは当時の学生用語 を使 って 「教養俗 物」 と呼んだのであった。以後 それ まで俗語 として使 われていた"Bildungsphili -ster"とい う語は、ドイツ語の辞書 に採 り上 げ られ るようになった といわれている。 では、「教養俗 物」の 「俗 物文化」(Philisterkul -tur)か ら区別 され るべ き 「真の文化」 とはニーチ ェに とって一体如何 な るものであろ うか。 ニーチェは 『反時代的考察』の第- 篇の冒頭 、 普仏戦争 での ドイツの勝因は ドイツの教養 と文化 ではな く、 ドイツの将校の よ り博 い知識 、 ドイツ の兵隊の よ り高 い教育 、そ して よ り科学的な戟略 にあ る、と議論 した後 、「文化 とはなに よ りもまず 、 或 るひ とつ の民族 のすべ ての生活表現 におけ る芸 術的様式の統一 であ る」 (KritischeStudienaus・ gabeBd.1S.163)と、有名 な定義付 け を行 ってい る。 さ らにつづ けて日 く、「しか し博 識博 学 は、 文化 の必須の手段 で もなければ文化 の徴表 で もな く、場合 に よっては、それは文化 の反対物 たる野 蛮 、す なわち無様式性 あるいはあ らゆ る様式の カ オス的混乱に非常に よ くマ ッチす るのである」 と。 上 の 「文化」につ いての定義 は 「民族 」 とい う語 を 「人格」 とい う語に置 き換 えればその まま 「教88 長 野大学 紀要 第16巻 第1 ・2号合併 号 1994 養」 につ いて もあては まるであろ う。「教養」ノとは 知識の量 とは無関係 である。いや それ どころかニ ーチ ェか らすれば統一 な き多量の知識の氾濫 はむ しろか えって 「野蛮」 で しか ないのである。その 意味では過剰 な情報の溢れ る今 日の情報化社会の 状況 こそまさに 「野蛮」 ではないだ ろうか。みん なが気楽に同 じようなこ とを全員斉唱的に語 るよ うな人間の「画一化」、それは「様式化 された野蛮」 で しか ない。 これに対 し「文化」、「教養」とは、一 個 の民族 な り人格 な りが 、絶 え ざる厳 しい 自己追 求 、 自己陶冶 をつ うじて常 に 自己を根源的に創造 していって安 らうこ とのない独創的活動 なのであ る。 8.「一般 教 育 」 の授 業 は大学教育 の 目的の一 つ 、「幅広 く深い教養 、総合 的判断力 を身につけ、 豊かな人間性 を藤養す る」 とい う教育 目的、つ ま り 「教養形成」 とい う目的 を担 ってい るが 、その 大部分の (少な くとも、学生が卒 業す るのに必要 とす る単位数 の大部分 を供 給 している)授業は「講 義形式」、それ も 「マ スプロ授業」で行 われている. 大学の 「講義形式」の授業について、バーゼル大 学教授の若 きニーチ ェは 『われわれの教養施 設の 将来につ いて』 と題す る公開講義 のなかで次の よ うに語 っているが 、これは現在の「一般教育科 目」 の授業につ いて もあては まっているこ とではない だろ うか。す なわち、 「学生は、聴講す る。彼が語 る時、見る時、歩 む時、人 と交 わる時、芸術 を行 う時 、要す るに 彼が生活す る時、彼は 自立的、つ ま り教養施 設 か ら独立的なのである。学生 は聴講す る一方、 同時に学生は非常 に しば しば ノー トをとる。 こ れは、学生が大学の階の緒に依 存 している瞬間 である。彼は聞 きたい と思 うもの を選択 で きる し、聞いたこ とを信 じる必要 もない し、聞 きた くない ときは耳 を塞 ぐこともできる。これが 『講 義形式』 の教授法 である。 ところで教師は この よ うに聴 講す る学生に語 る。教師が普通考 えた り行 った りす るこ とは も のす ごい裂 け 目に よって学生が知覚す る事柄 と 断絶 している。教授 は語 る一方 、同時に しば し ば ノー トを読み上 げ る。一般 的には教授 はこの ような聴講者 をで きるか ぎ r)多 く持 とうとす るo 仕方のない場合 は少数 の者 で我慢す るこ ともあ るが 、ひ と りの聴講者で我慢す るこ とはほ とん どない。ひ とつの講義す る口 と非常 に多 くの耳 とその半数 の筆記す る手- これが外見上 の大 学 の装置であ り、これが大学 とい う作動 中の教 養マ シンであ る。 ところで、この 口の持 ち主 は 多 くの耳の所有者 たち と切 り離 されてお り独立 している。 そ して、この二重の 自立性 を人は高 揚 した気分 で もって 『大学の 自由』 と称 える」 (KritischeStudienausgabeBd.1S.739i.)
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Lか し、ここで称 え られ る 「大学 の 自由」の 「自 由」 とは、教授が講義 内容 を自由に決め 、一万学 生 は聴講す る講義 を自由に選択す る といった意味 での 「自由」 で しか ない。 自分 自身に よって 自分 を導 いてい く 「自由精神」のそれ ではない。 もし 学生が単 に受容 し学ぶだけで、狭 い専 門領域 に甘 ん じ、 自らを絶 えず よ り高めてい く教養 力 を身に つけず 、専 門以外は無教養 な ままで卒業 して しま うな ら、その ような人間は規格 に従 って仕立てあ げ られた 「ね じ」 に似ている。ニーチェは 『われ われの教養施 設の将来につ いて』 の草案の一つ と して遺 された断章 の一つに、「今 日、学問の分業 と 専 門学校 は教養 の偏狭化- と導 いている。 とにか く教養 は今 日まで よ り一層お粗末 な ものになった だけである。仕立て上が った人間、それはまった く異常 である。工場が支配 している。人間はね じ になる」 (KritischeStudienausgabeBd.7S.298)、
と記 している。 さらに敷宿 していえば、今 日の大 学の教師たちは工場労働者の よ うに 「ね じ」の よ うな人間 を大学 とい う 「教養」マ シンに よってマ スプロ的につ ぎつ ぎ仕立てあげ、社会に供給 して いる、 ともいえるだろ う。 では、真の 「教養 」 を育む地盤 となるもの とし てニーチ ェは何 を考 えていたであろ うか。『われわ れの教養施設の将来について』でかれは「哲学」、「芸 術」、「古典教育」の三つ を挙 げてい るo「一切 の教 養 は、今 日大学の 自由 ともてはや されているすべ ての ものの反対か ら、す なわち服従 、従属
、訓
錬 、 奉仕か ら始 まる」(KritischeStudienausgabeBd.1 S.750)とい うニーチ ェか らすれば、古典教育 にお け る厳格 な言語訓練や厳 しい芸術 的訓育が たいせ つ とされ るのは当然 といえば当然であろう。 しか国増 治之 「教養」の概念について ニーチ ェは云 う.「人間は諸々の極めて深刻且つ 困難 な問題に取 り囲 まれているので、 もし正 しい 仕方 でそれ ら諸問題に関心 を向け るように された な ら、人間は時 を得 て持続的なあの哲学的驚 きに 陥 るだ ろ う。そ して この哲学的驚 きの上 にのみ、 それ を稔 り豊か な地盤 として、よ り深 くして よ り 高 貴 な教養 が 生育 す る こ とが で きるのである」 (ibid.S.741)。古 くア リス トテ レス も、哲学 は 「驚 き」 (タウマゼ イン)か ら始 まる、 と云 ってい る。ニー チェ も云 うが ご とく人間は、諸 々の極め て深刻且つ 困難 な問題に囲 まれて生 きている。 し か し普 通 ひ とは 日常 茶飯 の こ とに煩 わ されその ことに気づか ない。 日常性 のヴェールが破 れ問題 が問題 として現れた とき、そこに 「驚 き」が生 ま れ、その 「驚 き」か らまこ との 「知 」 を問い求め る活動 としての 「哲学」が生 まれ るのであるO そ して、ニーチ ェはそこに 「よ り深 くして よ り高貴 な教養」が生育 で きる、 と言 う。 まさに、ニーチ ェに とって 「哲学 」 こそが 「教養 」その ものに他 ならないのである。 しか し、その哲学 その ものが 大学か ら追放 されている とニーチ ェは嘆 く。いや 、 ニーチ ェの時代以上に、今 日 「哲学 その もの」は 大学か ら追放 されているO た とえ、「哲学 」とい う 科 目は設け られている として もである。 9.狭 い専 門領域 に偏 きない普遍的な能力,態 度 、識 見の陶冶 を目指す 「一般教育」の理 念は、 古代 ギ リシア以来の ヨ- ロ ッパの 「1)ベ ラル ・ア ーツ」の伝統 を受 け継 ぐものである。「リベ ラル ・ アーツ」 とは 自由民た る限 りまず修 めなければな らない教養科 目を云 う。 この理念は、専 門分業の 細分化が進んだ今 日、専 門的偏狭 さか ら解放 され 広 い視野に立 って 自由に思考 で きる人間 を育て る とい う新 たなる意味において、重要 な もの とな っ て きている。 さて、「リベ ラル ・アー ツ」 の科 目が確定 したの は、古代 ローマ末期か ら中世初めにかけてである が、そこでは、科 目は文法学 、修辞学 、弁証法の 基礎三科 (trivium)と、算術 、幾何学 、天文学 、 音楽の応用四科 (quadrivium)か らな り、 自由七 料 (septem artesliberales)とよばれた。基礎三 科 に挙げ られた科 目はいずれ も 「こ とば」 とそれ に よる 「表現」、「思考」 とにかか わる科 目であっ 89 た。つ ま り、「こ とば」 につ いての教育が重要視 されていたのである。 この言語教育重視 の伝統は古典 的教養教育 を旨 とす る近世 ドイツのギムナ ジウムの厳格 なギ リシ ア語教育や ラテ ン語教育 に も脈打 っていた。 しか し、若 い頃ザ クセ ンの名 門ギムナ ジウムのプフ ォ ル タ学 院でギ リシア語 ・ラテ ン語 を中心 とす る典 型的 な古典教育 を徹底的にたた き込 まれたニーチ ェは、す でに ギムナ ジウムの語学教育が変質 した、 と嘆 いている。 当時の ギムナ ジウムの語学 の教師 たちは 、万言や語源や判読の研究 に埋 もれて しま い、「彼 らの うちの だ れ も我々老人の ように、 自 分 の愉 しみのために、 自分のプ ラ トン、 自分の タ キ トウス を読む こ とがで きないのであ る」、とニー チ ェは述べ てい る (KritischeStudienausgabeBd.1 S.705)。 ギ リシア語や ラテン語 を比較言語研究や 語源研究 といった しかたで客観的に研究す るので はな く、 もっ と主体 的に古典 と「自分のプ ラ トン」、 「自分 の タキ トゥス」として取 り組む こ とに よって、 ギ リシア精神 、ラテ ン精神 を範型 とし自らの精神 を形成 してい くこ とがで きる。それ こそが真の教 養 とい うものである。 ところで、或 る一つの言語 は、或 る一つの時代 、或 る一つの民族 、或 る一つ の精神 の産物 であ り、思想の蓄積 であるか ぎり、 語学 は単 に知 識獲得のための一つの手段 とい うよ りもむ しろ、語学 自体がす でに一つ の重要 な教養 なのであるQ外国語 を学ぶ こ とがす でに別 の精神 を学 び摂取 し、 自らの精神 を形成 してい くこ とに なるのである。 ところが 、テ クノロジーの時代のテ クノロジー 関係 の用語は きわめて画一的に普遍的であ るO機 械 につ いてい るマニ ュアルは簡単 に他 の言語に翻 訳可能 である。つ ま りその言語 には精神 がないの である。語学教育が単 に機械 のマニ ュアルに書か れてい るような言葉 を理解す るための教育 に堕 し た とき、それは もはや 「教養」教育 とはいえない であろ う。 10.語学教育 のなか で もとりわけ教養教育 とし て重要 なのは母 国語 につ いての 「読み ・書 き」の 訓練 で あ ろ うC事 実 、ニ ー チ ェ もまた母 国語 を 「真の教養 が始 まる第一 に して最 も身近 な対 象 」 (KritischeStudienaus等abeBd,1S・683)とよんで
90 長野大学紀要 第16巻 第1 ・2号合併号 1994 いる。 ところが 、この母 国語が 、ニーチ ェが嘆 い てい るように、いや それ以上に、今 日の 日本の教 育 のなか でなお ざ りに されている。そ して、その 一方 で新 聞、週刊誌、テレビに溢れ る俗語 、業界 用語 、省略語 、 きま り文句、誇張的な表現が今 日 話す こ とや書 くこ とを支配 し、誰 もが きわめて劣 悪 、卑俗 な仕方 で語 った り、善 いた りしている。 とくに、現代の若者の会話 には 「テ レビ」 と 「漫 画」の影響 は大 きい。彼 らに とって 「こ とば」は 写真や漫画 、映像 な どの添 え ものに成 り下が って しまい、論理的 とい うよ りも挑発的 、感情喚起的 な ものになってい る。 か って 「言霊の幸ふ国」 と請 われた 日本 では、 こ とば 自身が魂 をもつ と考 え られた。 また、念仏 として唱 え られた 「言葉」 は、言葉 とは別 のなに か を指示す る単 な る 「記号」 ではな く、それ 自身 がす でに 「仏」 である と考 え られた りもした。 し か し、今 日 「言葉」か らその呪術的力が剥奪 され 、 単 なる 「道具」 と見 られ るようになる。そ うなれ ば 、道具 としての言葉 に求め られ るのは、使用上 の有効性 とい うこ とになる。その限 りでは、ウ ィ トゲンシュタインの い うよ うに、 「こ とばの意味 につ いて語 るな、使用について語れ」 とい うこ と にな るのか もしれ ない。 しか し、それは人間の道 具化 を一層お しすすめ るに過 ぎない。 道具 としての言語は、それが情報伝達 のために 使 われ る場合 にはその効率 的使用のために、画一 的な一義性 において使用 され るこ とになる。 この 場合 その言語の意味す る ところは一義的明瞭 さを 有す るが、含蓄的な深みのない浅薄 な もの となる。 この ような言語 を媒介 として画一的な情報 は効率 的に伝達 で きるか もしれないが 、 しか し何 らの抵 抗 もな くスムー ズに情報伝達が行 われ るこ とに よ ってそこには 「問答」が 、すなわち弁証法的思惟 が起 こってこない。か くして、言語の情報伝達道 具化のなか人間の思考能力は麻埠す る一方 、 コマ ー シャルな どの誇張的な表現の言語は思考 の麻俸 した人間の感情 、欲望 を効率 よ く挑発 し、操 り動 かすO巧みに操作 されたマ ス ・コ ミュニケー シ ョ ンの大衆向けの言葉は、思考能 力、批判能 力 を喪 失 した大衆に とって、近世剥奪 された呪術的力 を ふ たたび もつ のである。 マ ス ・コ ミュニケー シ ョンの呪術にかか って魂 を奪 われて流行語 に流 されないために も、いまま さに求め られ るのは、 自分 の魂 を、そ して人格 を 傾 けて語 り、そ して書 く能 力であ り、そのための 言語上の訓練 である。 ll.古 くプ ラ トンが 『国家』 のなか で魂 の教養 のためにム ウシケ- (音楽 ・文芸 ) とともにギュ ムナ ステ ィケ- (体育 ) も必要 だ とした ように、 教養形成の方法は書斎 のなか で座 しての 「読書」 だけに限 らないこ とは確か ではあ るが 、「読書」が 教養 のための もっ とも有力な方法であるこ ともま た確か である。ある人の 「読書遍歴」 こそ、その 人の教養形成の道程 を端 的に示す ものである。 時 として、この 「読書遍歴」の途上 で、「魂 の転 向」 を引 き起 こす ような遊道 とい うべ き出会 い も ある。例 えば、ニーチ ェの シ ョーペ ン- ウ7- と の出会 いが そ うである。大学時代 のニーチェは生 活が荒れ、ボン大学か らライブツ イヒ大学-移 っ た ときには、体調 も思わ し くな く、無気力な状態 にあった。 この ような時に彼はシ ョーペ ン- ウ7 -の主著 『意志 と表象 としての世 界』 に出会 った のであった。その模様 をニーチェ 自身次の ように 記 してい る。 「ところで、かか る状態 で シ ョーペ ン- ウアー の主著 を読 む こ とが、 どの ような影響 を与 える か想像 してほ しいOす なわち、ある 日私は ロー ン老 人の古書店 にて この本 を見つけ、私が全 く 知 らなか ったこの本 を手 に とり、ば らば らと頁 をめ くった。いか なるデー モンか は知 らないが 、 『この本 を家 に持 ち帰れ』と私 に ささや きかけた。 とにか く性急には本 を購 入 しない私 の普段 の習 慣 に反 して、その ように した。家 に帰 ると手 に 入れたこの宝物 を手に ソフ ァーの隅に身 を投 げ かけ 、このエ ネル ギ ッシュで陰欝 な天才が私 に 力 をお よぼすが ままに身 をまかせ始めた。」 (シュレヒタ版全集 第3巻133頁) この後2週 間、ニーチ ェは潰れたかの ようにこの 本 をむ さぼ り読み 、無理や りにで も自分 自身 を夜 中の2時にベ ッ ドに追 いや り、朝は6時にベ ッ ド をはなれなければな らないほ どだ った とい う
。
「本 と娼婦 は、ベ ッ ドに連れ込む こ とが で きる」 とベ ンヤ ミンは言 ったが、ニーナ ュに とって シ ョーペ ン- ウア-の本はベ ッ ドに持 ち込んで寝 る前にち囲増 治之 「教養」の概念について よっ と気軽に読む といった代物 ではなか ったので あるO この ような シ ョーペ ン- ウ7-の本の耽読 のなかか らやがてニーチ ェは彼独 自の思想 を懐 胎 す るのであった。 ところで、大量の書籍が刊行 され溢れか える情 報化時代 の現代 、この ように本 との衝撃的な まで に創造的な遊蓮が なおあ りえようか。大量生産大 量販売の時代 にあって本 も消耗 品 として流通す る。 大量に売れなければな らない。人の 目を引 くよう に どぎつ い装丁 を施 し、野菜 ・果物 なみに店頭 に 山積 み されて売 られ る。それ らの本 は流行廃 れが 激 しく、少 し経 って売れ残れば生鮮 食料 品の野菜 果物 なみに廃棄処分 とす る′しか仕方がないだろ う。 この ような現代 にあって、読書に よる教養 はなお 望 むべ くもあろ うか。