• 検索結果がありません。

地域保健活動における住民支援の方法―沖縄県南城市の健康づくり活動を中心に―

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "地域保健活動における住民支援の方法―沖縄県南城市の健康づくり活動を中心に―"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

日本福祉大学社会福祉論集 第 121 号 2009 年 9 月

研究の背景・目的

戦後日本の保健・医療は, 疾病構造の変化と人口との高齢化にともなって, 大きく変動してき た. 劣悪な衛生状態と乏しい医療資源のもとで感染症対策に追われた戦後初期から, 高度成長期 を経て, 日本は世界有数の長寿国となった. 今我々が直面しているのは達成された高度産業化・ 長寿社会ゆえの保健・医療課題である. 日本経済が驚異的な成長をとげた 1950 年代後半から 1970 年代にかけて, 衛生・医療環境の改 善はめざましく, 平均寿命は急伸した. その一方で, 食・運動・休養といった健康の基本を脅か す 「都市型」 生活の普及は, 糖尿病や高血圧症など 「生活習慣」 の関与が指摘される疾患の増加 を促した. また, 加齢が招来する動脈硬化症の多くは治癒が困難であり, ケアの必要な人びとを 多数生み出している. 疾患に対して医学的治療を施したり罹患リスクの高い人を選び出してチェックするといった戦 後初期の保健・医療対策では, 現状を打開することは難しい. さまざまな健康障害を抱えた人に は, 治療だけでなくリハビリを含めた幅広い医療や福祉分野におよぶケアを提供する体制の整備 が欠かせない. そして, 地域社会ではすべての住民を包み込む健康づくり活動の展開が求められ ている. 1986 年に開催された WHO の第 1 回ヘルスプロモーション会議では, 「人々が自らの健康をコ ントロールし, 改善することができるようにするプロセス」 とヘルスプロモーションが定義され (オタワ憲章:World Health Organization 1986), その実現に向けた個人と社会両面からのア プローチが議題となった. 日本でも 「21 世紀における国民健康づくり運動 (健康日本 21)」 (2000 年) にオタワ憲章の理念が盛り込まれ, 地方自治体では各地域の特性をふまえた総合的健 康増進計画の策定が始まった. 国が都道府県を経由して伝える政策を事業化することに慣れた市町村にとって, 自主的に独自 の地域計画を作ることは容易ではない. 国の示す 「モデル」 に依拠して地域特性の乏しい画一的 な計画をたてたり, 業者に作成を委託する例も少なくなかった. 留意すべきは, これらの計画が

地域保健活動における住民支援の方法

沖縄県南城市の健康づくり活動を中心に

(2)

「住民主体」 を謳いつつもトップダウンで進められがちであったこと, そして, 健康づくりの社 会的側面 (健康づくりを支援する環境整備や公共政策等) よりは個人的側面 (生活習慣の改善, セルフケアの技術開発等) に重点がおかれたことである. 1990 年代に始まった国による健康増進活動は, 2002 年には 「健康増進法」 として法制化され た. 同法は, 健康の自己責任を明記した上で, 疾患を予防し 「健康長寿」 を実現するための数値 目標を示し, 国民一人ひとりに生活改善を促している. 国が細かい基準値まで設定した背景には, 急速に進む高齢化に伴う医療・介護費増大の抑制という経済的要請が垣間見える. しかし, 個々 に異なる身体状況や生活を画一的な基準で律することには無理がある. 個人が与えられた一般的 な情報を受け入れるだけでなく, 自分の健康を管理できる意識と方法をもたなければ健康づくり の実効はあがらない. ヘルスプロモーションとしての 「健康づくり」 については, 看護分野を中心として住民主体の 活動形成の方法に焦点をあてた研究・報告がみられる(飯塚 2001, 岩永 2003, 飯野 2005). 住民 の組織化や地域の関係者との連携などを実践例とともに論じた論考には, 現状対応への具体的な ヒントが含まれ示唆に富む. しかし, 活動の舞台となる地域社会を, 歴史的な流れと多彩な人び とによって構成される公共空間の広がりに着目してとらえ, 地域独自の住民支援方法を検証する アプローチは少ない. 本稿の目的は, 住民主体の活動を形成・定着させた沖縄県南城市旧佐敷町 (2006 年 1 月に隣 接する知念村, 玉城村, 大里村と合併して南城市となったが, 以下 「佐敷町」 と記す) における 健康づくり事業を検討し, 住民の自主的な動きが生み出される過程を明らかにすることである. 町の行政職や保健・医療職, 地域の専門機関スタッフなど多くの専門職は, いかにして住民の 力を引き出し, 健康づくりを地域の生活に定着させていったのか. 時間 (戦後沖縄における公衆 衛生活動の蓄積等) と空間 (地域住民や外部機関を組み込んだ組織・実施場所) 関係 (行政・専 門職・住民相互の協働・連携等) の 3 点に着目して考察する. 一つの地域を歴史的社会的に捉えながら住民主体の活動が形成された過程を分析することによっ て, 住民とともに健康な地域をつくるための専門職の支援方法を考える端緒としたい.

本研究で用いた資料は, 沖縄県 「佐敷町」 における聞き取り調査のデータと南城市役所, 琉球 大学, 沖縄県立公文書館・図書館などで収集した文献に大別される.  文献・資料検討 南城市役所 (「佐敷町」 役場) や市立図書館に保管されている行政記録や地域の生活記録, 県 公文書館・県立図書館・琉球大学附属図書館所蔵の 「佐敷町」 を含む沖縄県全体の公衆衛生活動 に関する文献を収集し, 沖縄県における戦後公衆衛生活動の流れと 「佐敷町」 の保健活動の実態

(3)

について検討した.  聞き取り調査 ① 調査対象者・実施時期 「佐敷町」 の健康づくり事業に関与する専門職と住民の方々を対象に, 2005 年∼2008 年にかけ て, 計 18 回インタビューを実施した. 調査対象者は, 町の健康づくり事業に参加した住民 25 名 (のべ 29 名) 町職員 7 名 (のべ 10 名) 外部専門職 6 名の計 38 名 (のべ 45 名) である (表 1). まず, 町の健康づくり事業を推進する健康課の課長や保健師に, 現行の企画に関する聞き取り を行い, その中に登場する関係者へのインタビューを依頼した. 住民の方々から調査対象者を選 ぶにあたっては, 地域の諸団体の代表や行政が委託する委員などリーダー的役割を担う人, 自主 的な活動のメンバー, 町が募集した健康教室の参加者などさまざまな角度から健康づくりにアプ ローチする人が含まれるように配慮した. 健康づくりの流れや住民への支援を多角的に捉えるために, 現在勤務している町の職員だけで なく退職した元職員, 連携関係にある大学や県専門機関のスタッフへのインタビューも実施した. 表 1 聞き取り調査対象者・実施時期 実施年・月 調 査 対 象 者 住 民 専 門 職 ( 市 内 ) 専 門 職 ( 市 外 ) 1 2005 年 11 月 健康ボランティアサークル代表 1 名 2 2005 年 11 月 元母子保健推進員・婦人会役員 1 名 3 2005 年 11 月 町保健師 1 名 4 2005 年 11 月 元佐敷町職員 (事務管理職) 2 名 5 2006 年 2 月 元佐敷町駐在保健婦 1 名 6 2006 年 2 月 新開太極拳グループメンバー 2 名 7 2006 年 6 月 健康教室修了者 1 名 8 2006 年 6 月 元佐敷町職員 (事務管理職) 1 名 9 2006 年 6 月 健康教室修了者・健康づくりサークルリーダー 1 名 10 2006 年 6 月 南城市職員 (栄養士) 1 名 11 2006 年 9 月 母子保健推進員 2 名 市保健師 2 名 県保健師 2 名 12 2007 年 2 月 健康教室修了者 4 名 市保健師 1 名 13 2007 年 2 月 婦人会役員および民生委員 4 名 14 2007 年 12 月 琉球大学教員 1 名, モデル事業スタッフ 3 名 15 2007 年 12 月 新開太極拳グループメンバー 6 名 16 2007 年 12 月 市職員 (事務管理職) 1 名 17 2008 年 2 月 健康ボランティアサークルメンバー 3 名, 自治区長 1 名 市保健師 1 名 18 2008 年 10 月 新開太極拳グループメンバー 3 名

(4)

② 調査方法 インタビューの大半は, 町役場 (市役所), 公民館, 大学もしくは対象者の自宅で 1∼2 時間か けて実施したが, 新開地区太極拳グループの聞き取り 3 回のうち 2 回 (表 1:6, 15) は, 活動 している公園に赴いて戸外で 30 分∼1 時間程度お話をうかがうかたちをとった. 表 2 聞き取り調査の概要 カテゴリー イ ン タ ビ ュ ー か ら 得 た デ ー タ の 概 略 時 間 戦後沖縄の 公衆衛生システム 〈県南部保健所による町への支援〉 ・町保健師への助言・協力 ・県保健所の事業を佐敷町で展開 〈県駐在保健婦の活躍〉 ・「佐敷町」 の 「住民」 になって業務 ・外部情報の窓口, 町外組織とのパイプ役 ・町保健師への技術伝達 〈琉球大学による町への支援〉 ・健康診査や保健指導の実施 ・健康増進事業の企画・運営に協力 地域社会の 互助システム 〈婦人会活動の定着〉 ・全員参加で戦後の生活再建 ・行政への協力から娯楽・親睦まで多機能 ・時代に合わせた参加形態で持続 〈集落単位の自治組織〉 ・共同で行う行事や冠婚葬祭 ・さとうきび栽培の労働力交換に由来する互助精神 「ユイマール」 空 間 運営の空間 〈組織〉 〈町健康課の構成〉 ・町役場内で健康づくりに関わる職員を横断的に集結 ・健康づくり推進員など住民代表を 「配属」 ・琉球大学スタッフを職員として処遇 ・多様な人びとに開かれた組織 実践の空間 〈活動場所〉 〈戸外で活動する住民グループ〉 ・早朝公園に集まった人がメンバー (太極拳・ウォーキング) ・誰でも参加可能で出入り自由 ・規則なしで数年間一日も欠かさず継続 ・多様な人びとに開かれた活動 関 係 住民と専門職 〈水平的コミュニケーション〉 ・住民からの要望に応えて役場職員がボランティアサークルへ国の補助金適用 ・国保財政の窮状を訴える町職員の意を汲んで病気予防の活動をたちあげた住民 ・健康教室スタッフとのやりとりで自信とやる気を得た受講者 専門職相互 〈連携の積み重ねの上に新たなネットワーク〉 ・県と町職員の間に恒常的で円滑な情報交換と連携の回路 ・琉球大学関係者と町職員がチームを組んで事業運営 住民相互 〈健康づくりを通して広がる人々の網の目〉 ・婦人会など既存組織が健康づくりの媒体に ・町主催の健康教室メンバーから 「模合」 が誕生 ・退職後の生きがいを太極拳グループに見出す人びと

(5)

インタビューは自由形式で行い, 自然な会話・対話を通して, 事実関係の把握や健康づくりに 関する考え方を汲み取るように努めた. 住民に対しては, 1) 自らの心身状態と健康観, 2) 町主 催の健康づくり事業とのかかわり, 3) 地域での社会関係と住民による活動, 専門職に対しては, 1) 事業展開と役割, 2) 専門職相互の連携・ネットワーク, 3) 住民との関係と支援方法, を質問 内容に含めた. 調査対象者へは, プライバシー厳守や回答の拒否の自由について説明し, 全員から録音の許可 を得た.  分析方法 聞き取り調査については, 録音したインタビューを文章化し, 内容を 1) 事業の時間的流れ (歴史的事実), 2) 事業の空間構造 (組織づくり, 実施場所や形態), 3) 事業に関与した人々の関 係 (行政・専門職・住民相互) を軸にカテゴライズした. 収集した文献・資料についても 3 つの視点から整理し, 聞き取り調査内容と照合しながら, 佐 敷町における健康づくり事業が住民主体の活動を形成するにいたる要因を検討した.

聞き取り調査から得られたデータを時間・空間・関係の 3 点から整理したところ, 表 2 のよう なカテゴリーに集約された. インタビュー内容を行政記録, 担当者の実践記録, 戦後史資料等文 献と照合した結果, 町の事業が住民の中に定着していく過程 (図 1) が明らかになった. 図 1 健康づくり事業の展開

(6)

 時 間 「健康づくり」 の時間的流れ (表 3) を検討した結果, 現行の事業を支える重要な要素として, 戦後沖縄の公衆衛生システムと地域社会に在る互助システムが浮かび上がってきた. ① 戦後沖縄の公衆衛生システム 「佐敷町」 の保健・衛生事業は, 町制施行 (1980 年) 以前の佐敷村時代から, 保健所や公衆衛 生看護婦(注)制度, 琉球大学など町 (村) 外の組織との深い関わりのもとで進められてきた. そ の背景には, 本土とは異なる状況で展開された戦後沖縄の公衆衛生行政がある. 沖縄本島を含む琉球列島は, 1972 年に本土復帰するまで米軍に占領されていた. 行政機構と して設置された琉球政府は, 米軍の管理下にありながらも住民と一体となって米軍と対峙し, 独 自の動きを見せた. 保健・医療領域を担当した厚生局は, 限られた自治機能内でアメリカからの 技術・情報を住民のために活かす方法を模索しつつ独自の保健・医療システムを構築した. 注目すべきは, 琉球政府が琉球列島を一つの地域としてとらえ, そこに住むすべての人の健康 を守るための活動を展開したことである. 本土から切り離されて米軍の直接軍政下に置かれた琉 表 3 「佐敷町」 の健康づくり事業の展開 時 期 事 業 組 織 外 部 資 源 行 政 住 民 1970 年代 ・結核検診の継続 ・農協による健診の 開始 ・琉球大学保健学部に よる老人健診の開始 ・町民集団健診の開始 ・住民課 (国民健康保険係を 福祉課から住民課へ) ・婦人会 ・農協婦人部 ・老人クラブ ・健康ボランティアサー クル ・地区健康づくり グループ ・健康教室修了者 サークル ・那覇保健所 ・琉球大学 保健学部/医学部 ・県予防医学協会 ・県公衆衛生協会 ・南部 (福祉) 保健所 ・琉球大学 医学部/教育学部 ・総合保健協会 1980 年代 ・健康づくり推進 協議会創設 ・ヘルス・パイオニア タウン事業の指定 ・婦人の健康づくり 事業の指定 住 民 課 ・母子保健推進員 ・保健 (健康 づくり) 推進員 ・食生活改善 推進員 1990 年代 ・高齢者健康福祉事業 ・総合健康指導事業 ・高齢者を対象とした 睡眠健康教室 痴呆対策教室等 健 康 課 2000 年代 ・国保生活改善 モデル事業 ・国保ヘルスアップ モデル事業 健 康 課

(7)

球において, 政府は, トップダウンで政策を実施する組織ではなかった. 市町村や集落などと一 体になって, 軍政内での自治権拡大を目指す地域の代表機関としてオーナーシップ (被占領地域 の主体性) を発揮したのである. 「佐敷町」 を管轄する県那覇保健所 (現在の南部福祉保健所) は, 地域保健の専門機関として 町の事業に参加した. 地域保健法によって町に保健師が誕生すると, 県保健所の保健師は丁寧に 助言を行って専門職育成に協力している. 多くの島嶼から成る琉球列島全体に配置された公衆衛 生看護婦 (保健婦) は, 「佐敷町」 にも駐在し, 地域住民の健康増進に努めると同時に町外組織 や関係者とのパイプ役となり, 町が新しい情報や人的支援を導入する際に尽力した. 占領下の 1951 年に設立された琉球大学との関わりも見逃せない. 米軍は, 日本から分離した 琉球列島のアイデンティティ確立を企図して, 地域に奉仕することを目的とするアメリカのラン ド・グラント大学をモデルに琉球大学を設立した (琉球新報 2008). 1968 年に新設された保健学 部は 「医療及び公衆衛生の向上並びに予防医学を強化するためにその分野の指導者を養成するこ と」 を目的に (琉球大学医学部保健学科 1990), 地域社会をフィールドに教育・研究を展開した. 「佐敷町」 では, 1970 年代から保健学部の教員が各集落に入って老人健康診査を行い, その後 も健康相談, 健康教育など町の事業への参加・協力を続けている. ② 地域社会の互助システム 「佐敷町」 は 1970 年代に結核対策として集団検診や健康教育を開始し, 1980 年代に入ると, 国の第一次国民健康増進推進構想を追い風に, 本格的な健康づくり事業に着手した. 2000 年の 「健康の町宣言」 後は住民組織に積極的に働きかけながらモデル事業を推進して老人医療費増加 を食い止めている (杉山 2007). 町の事業を中心的に担った人びとの多くは, 婦人会活動の経験者であった. 沖縄では, 戦後の 復興に婦人会が大きな役割を果たしてきた. 激烈な地上戦が展開された中南部地域にある 「佐敷 村」 では, 住民のほとんどが米軍に捕らえられて北部への移住を強いられた. 分散していた村民 が帰村したのは, 1946 年秋のことである. 食糧も物資も枯渇した厳しい状況で行政を開始した村は, 生活再建に女性の力を活用するため に婦人会の組織化を急いだ. 村長の要請を受けた戦前の婦人会長が中心となって佐敷村婦人会を 結成したのは 1947 年 1 月である. 結成当時の会員数は 1,200 名, 総務部・産業部・衛生部・家 政部と 5 つの専門部が設置された (佐敷町婦人会のあゆみ編集委員会 1990). 当時の記録からは, 地域の女性たちが互いに助け合いながら生活の立て直しに精力的に取組ん だ様子がうかがわれる. 各集落の婦人会役員が村の衛生係と一緒に各家庭の清掃状況を見回るな ど, 行政との連携も良好だ. 注目すべきは, 個々の日常生活の回復だけでなく広く社会的視点を もって活動が展開された事実である. 婦人参政権が実現すると会は早速政治部を新設して政治問 題懇談会を開催し, 伝統的な行事や慣習については簡素化を図るなど変革志向も見られる. 村が立案した事業は, 婦人会活動で形成されたつながりによって地域全体に浸透し住民の活動

(8)

として定着していった. その過程には, 地域の住民組織として重要な役割を果たしてきた婦人会 の経験が活きている. 戦後社会の変化にともなって婦人会をめぐる状況も大きく変わった. だが, 戦後の困難な状況を切り拓いてきた 「助け合い」 の仕組みは, 現在も続いており, 「健康づくり」 の推進力として機能している. 男性も含め全住民がかかわる集落単位の自治組織の互助機能も重要である. 町内には現在 16 の集落があり, それぞれ自治区として活動している. さとうきび栽培が主要産業であった 1980 年代頃までは, 製糖期には, 隣近所が互いに労働力の交換をしてきび搬入の重労働をこなしてい た. 「ユイマール」 と呼ばれる無償の労働力交換は, 屋根葺きやお墓の普請などの際にも行われ, 地域の相互扶助精神を育んできた (佐敷町教育委員会 1989). さとうきびの専業農家が数軒にまで減少した現在でも, 地域の日常生活に関わる冠婚葬祭や諸 行事は住民相互のかかわりを基礎に営まれており, 長年培われてきた 「ユイマール」 精神は健在 だ. 町には, 村から町へと発展する過程で新たに開発された集落と旧来からの集落が混在してお り, 区長の選出方法や自治の形態は同一ではない. 興味深いのは, 各地域がそれぞれのやり方で 互助の仕組みを健康づくりに活かしていることである. 最も古い津波古地区では, 選挙で選ばれた専従の区長のもとで婦人会など地区組織のつながり を通して 「健康づくり」 が展開される. 一方, 他地域からの移住者が多く住む新開地区では, 公 民館活動などで知り合った人々が, 町の関係者を媒介に仲間作りをしながら新たな活動を立ち上 げている. 生業に不可欠な仕組みとして定着してきた 「ユイマール」 は, 今, 高齢社会に必要な 互助システムとして機能しているのである.  空 間 「健康づくり」 の空間的構造に着目すると, 事業を担当する行政組織と実践の場所という二つ の空間が, 住民の主体的な活動を可能にした要素として見出される. ① 事業を担う町健康課の組織 「佐敷町」 では町制施行以来健康づくりを重視し, 事業展開に適した組織編制を行ってきた. 町が誕生した 1980 年, 事業の主管課は住民課であった. 医療費と健康づくり事業は一体である という考えのもとに, 保健衛生係, 母子保健係, 老人保健係, 国民健康保健係など町職員が一つ の課にまとめられ, 県の駐在保健婦や母子保健推進員など住民代表も同一課に配属された (宮城 ら 1988). 当初から町職員と県職員そして住民が一体となって事業に取組む体制がとられていた のである. その後設置された健康課は, 町職員として保健師と栄養士を加え, モデル事業実施期には琉球 大学のスタッフを嘱託の専門職として迎えて活動に適したチームとなっている. 行政機関が地域 住民や外部スタッフを受けいれ, 町外の専門機関や地域の諸団体ともつながる開かれた組織 (図 2) を形成したことは, 事業の進展を促す要因として注目される.

(9)

② 戸外で活動する住民グループ 町では, 個人の生活改善を地域レベルで実現するために, 国の補助金を活用しながら住民の組 織化を進めた. 「国保生活習慣改善モデル事業」 (2000∼2003 年度) ではモデル地区となった 5 つの自治区で住民中心の健康づくり活動が推進された (佐敷町 2001). 行政主導のモデル事業に よって, 住民の自主的な動きを喚起することは容易ではない. 補助金が交付され活動報告が義務 付けられている事業の実践が, 実施期間の終りとともに消滅してしまう例も少なくない. 「佐敷町」 の 5 モデル地区では, 住民同士の話し合いによってそれぞれ独自のプログラムが展 開され, 事業終了から数年が経過した現在も, 地域の人びとの生活や行事の中に根づいている. 中でも, 現在まで一日も欠かさず活動を続けている新開地区の太極拳グループの実践は見逃せな い. 継続性の要因の一つは, 実践の空間すなわち活動場所にあった. 毎朝 6 時にメンバーが集まる のは新開公園 (現在は福祉センター横の広場に変わったが環境はほぼ同じ). 海に面した広々と したスペースには, 散策する人, ゲートボールをする人, 通勤や買い物のために通りぬける人な どさまざまな人が行きかう. 住民なら誰でも知っている 「公共空間」 だ. 公園内の小さな倉庫に入れてあるラジカセを取り出して開始の音楽を流すのは, T さん. 太極 拳とウォーキングを, 事業開始時から毎日欠かさず続けている. 来れる人が来て運動するという リーダー不在のグループ存続のキーパーソンだ. 誰にも見える開かれた場所で, 毎朝太極拳を行 い終了後は海辺の道をウォーキング. 公園に来た人がその日のメンバーとなる. T さん同様毎朝 の実践を長年続けている人もいれば, 通りかかった飛び入りの人もいるというゆるやかで自由な スタイルがグループの特徴である. 町のモデル事業として始まった当初, 参加者は, 公民館で行われる講習会で太極拳を覚え, メ ンバーを固定して計画的に運動に励み, 区長は活動内容を町に報告するといった行政主導の 「型」 に従っていた. しかし, モデル事業実施期間が終わり, 住民自身がやりたいように活動を進めて いくうちに, すべての住民に開かれた公園を舞台に出入り自由な空間で活動するという現行のス タイルが出来上がっていったのである. 図 2 健康づくり事業にかかわる組織と人のつながり 外 部 資 源 行 政 地 域 社 会 琉球大学 保健所 公衆衛生協会 駐 在 保 健 婦 事務職 保健師 栄養士 嘱託専門職 食生活改善推進員 母子保健推進員 健康づくり推進員 住民グループ 社会福祉協議会 医師会 町 ・ 健 康 課 ⇔ ⇔ ⇔ ⇔ * 駐在保健婦は 1997 年に廃止されたが, 図に示す外部資源との関係はその後も継続している.

(10)

 関 係 事業に関与した人々のつながりに目を向けると, 専門職と住民をめぐるさまざまなレベルの関 係がネットワークとなって住民主体の活動を支えていることがわかる. ① 住民と専門職の関係 今回の聞き取りでは, 2000 年代以降に町が実施してきた健康づくり事業を中心に実態を調査 した. この時期, 町では国保関連のモデル事業 (表 3) を導入しながら健康づくりを展開してい る. 国の補助金事業を実施する際は, 行政側の専門職が住民に対して 「指導・教育」 するといった 上からの垂直的コミュニケーションが先行しがちだ. しかし, 「佐敷町」 では住民と専門職が同 じ土俵の上でそれぞれの立場から対等にやりとりする水平的コミュニケーションが成立している. 健康ボランティアサークル代表の S さんは, 地域での活動について気軽に町の担当者に相談 する. 「自分たちの健康づくりとお年寄りへのサービスを組み合わせた活動をしたい」 という地 域の思いをキャッチした S さんは, その希望を町役場に伝えた. 国保のモデル事業で住民の活 動を支援したいと考えていた健康課長は, 適用可能な補助金を早速交付し, ボランティアサーク ルが誕生したのである. S さんが臆せず役場職員と話ができる背景には, 民生委員や食生活改善推進員などを務めた経 歴がある. 行政の指示に従って動くのではなく, 住民代表として町の職員と対等に活動してきた ことが大きい. こうした流れの中で, 行政・専門職は, 委員などを務めるリーダー的人々だけで なく多くの住民と円滑にコミュニケーションする力を蓄えていった. 太極拳グループ誕生の経緯をたどると, 事業の必要性を訴える町職員とのストレートなやりと りを通して, 住民が健康意識を磨き活動へのモチベーションを高めていく様子が読みとれる. 医療費の増大と町の財政の窮状を率直に語り 「どうしたらいいか皆で考えてほしい」 と投げか ける健康課長に対して 「私たちの医療費がこんなに町の財政を圧迫しているとは知らなかった. 病気にかからないようにできることから取り組まなくては大変だ」 と住民たちは話し合いを重ね, 誰でもできる太極拳とウォーキングをやることに決めたのである. 町が取り組んだ事業の中でもっとも規模が大きかったのは, 国保ヘルスアップモデル事業 (2004∼2006 年度) である. 個人が生活習慣を改善し健康管理能力を身につけるためには, 集団 や地域社会における関係づくりが欠かせない. 琉球大学の教員・スタッフのバックアップのもと で健康教室が開催され, 専門職と参加者間の良好なコミュニケーションが成果を生み出した. プログラムはグループワーク方式で進められる. スタッフは, 指導者というよりもグループの 一員として参加し, ひとり一人に声をかけ, ワークシートへ励ましのメッセージを記入する. 受 講者からは 「ほめられてやる気がでた」 「自信がついた」 「楽しかった」 などの声が聞かれ, 専門 職と住民の間の水平的コミュニケーションの効果が認められる.

(11)

② 専門職相互の関係 町が地域レベルの事業を展開する際に, 関わる多くの専門職相互の関係をいかに調整するかは 大きな問題だ. まず町の中で健康づくりに関わる多職種の間に良好な関係が形成されなくてはな らない. すでに述べたように, 健康課の組織は健康づくりに関わる職員を集結する形態をとって いる (図 2). 健康課では, 事務職, 町保健婦, 県駐在保健婦, 栄養士など多彩な職種が机を並べ, 常に連絡 をとりながら業務を進めている. 事務職の課長が補助金事業について説明すると, 常に住民と接 している町保健婦が, 実践方法に注文をつける. 他地域の事情に詳しい県保健婦は活用できる外 部資源を紹介する, といった具合に, 相互に意見交換をしながら事業のかたちができあがってい く. 職種の違いや役職の上下にとらわれない自由なコミュニケーションが目立つ. さまざまな専 門職が同じ地域の一員として一緒に課題に取り組む姿勢は, 米軍に対峙しながら沖縄の自治を築 いた琉球政府のオーナーシップにも通じる. 健康づくり事業には, 幅広い知識や技術が求められる. 「佐敷町」 の事業を一貫して支えてき たのは, 県の保健所や琉球大学などの専門機関である. 注目されるのは, これらの外部機関が外 から町を手助けするのではなく, 自らの仕事の一部として町の事業にかかわっていることだ. 保健所にとっても琉球大学にとっても地域の課題は取り組むべき主要なテーマであり, 市町村 との協働を当為ととらえている. ヘルスアップモデル事業では, 大学のスタッフが町の嘱託職員 となってひとつのチームを編成し, 強力な連携のもとで活動が進められた. ③ 住民相互の関係 「佐敷町」 には, さとうきび栽培で育まれた 「ユイマール」 精神を基盤に, 婦人会・青年会・ 老人会などの住民組織が根づいている. しかし, 住民の大半が勤め人となり, 新たに開発された 住宅地や団地に住む町外からの移住者が増えた現在, 地域社会の人のつながりは変化しつつある. 各自治区では, 時代の変化に対応すべく, それぞれのやり方で住民相互の絆を維持している. 町 内で最も古く住民の結束力が強いといわれる津波古地区でも, 最近は婦人会など既存の組織に加 入しない人が出てきた. 会では, 仕事や子育てで忙しい時期の負担を減らすなど運営方法を見直 して入会しやすい環境づくりに努めている. こうした柔軟性が組織の存続につながり, 現在婦人 会は, ウォーキングや食生活改善など健康づくり活動の受け皿となっている. 健康づくり事業の中から生まれた新しい集団もある. 国保ヘルスアップモデル事業の一環とし て, 町は琉球大学と協働して 「ちゃーシュガー 健康づくり教室」 を企画した. 住民が主体的 に健康管理能力を身につけることをねらった参加型プログラムである (佐敷町 2005). 講座はグ ループワーク形式で進められ, 受講者は相互にコミュニケーションを深めながら健康づくりのス キルを習得していく. 終了後もサークルを組織してウォーキングを行うなどフォローアップを行っ た結果, 教室修了者の中から模合をつくる動きが出てきた. 模合は, 経済的相互援助から始まった 「頼母子講」 の一種だが, 現在は親族や友人同士が定期

(12)

的に集まって歓談したり積み立てを行って旅行するなど親睦目的で行われることが多い. 小額で も金が介在するので信頼関係がないと成立しない. 沖縄社会に広く浸透した人と人の 「関係」 で ある (石原 1986). 初対面の健康づくり教室のメンバーによる模合の誕生は, 事業が住民相互の 関係づくりを促進した事実として興味深い. 新開地区の太極拳グループでも, それまで面識のなかった住民の結びつきが見られた. 昨年定 年退職した K さんは, 長年やってみたいと思っていた朝のグループのメンバーになった. モデ ル事業発足時に公民館で行われた説明会に出たあと約 10 年間, 公園の活動を横目で見ながら通 勤し, 退職後に時間ができたので念願かなってグループの一員になったという. 以来, 早朝の運 動と仲間とのおしゃべりを楽しみに毎日欠かさず参加している. モデル事業立ち上げ当初は, 顔見知りの近隣住民の集まりだったが, 現在のメンバーはほとん ど活動の場で初めて出会った人で構成されている. 特筆すべきは, 住民と専門職, 専門職相互, 住民相互それぞれの関係が, 健康づくり事業の積 み重ねの中でつなぎ合わされ, 地域のネットワークとして広がり定着していることである. 人と 人の関係を注意深く見ていくと, 健康づくりを通して伝統的なつきあいと新たな出会いが重なり あいながら, 地域の社会関係を形成していることがわかる.

「佐敷町」 の健康づくり事業を時間, 空間, 関係の 3 つの視点から検討してみると, 健康づく りが, 狭義の保健・医療活動にとどまらない地域づくりとして組み立てられてきたことがわかる. 事業を時間軸で見ると, 「佐敷町」 を包み込む戦後沖縄の公衆衛生システムと戦前から地域社 会が積み上げてきた扶助システムが一体となって形成してきた地域の底力が浮かび上がってくる. この地域力が健康づくりの基盤となった. 空間に目を転じると, 外に開かれた行政組織と緩やかで自由な活動形態が創りあげた公共空間 が印象的だ. さまざまな住民, 行政関係者, 外部の専門職など多彩な人が出入して交わることの できる場の存在が, 活動の拡大・定着に大きな役割を果たしている. 長い時間をかけて形成されてきた基盤の上に広がる公共空間, そこに張り巡らされた社会関係 の網の目が, 住民の組織活動を育み支えてきた. 住民, 専門職, 地域の団体, 外部の専門機関な ど多様な人々・組織が取り結ぶ関係は, 一定の型として固定されたものではなく, 状況に応じて 変化する柔軟性をもつ. 「佐敷町」 では, 助け合いの仕組みが信頼関係をベースにした社会関係 資本として蓄積されており, 人びとは, 積み重ねられてきた関係をもとに健康づくりのネットワー クを広げて成果をあげた. 社会的ネットワークが健康維持に役立つこと (Putnam=2006:401-412) を示す事実である. 健康づくりは, 地域づくりとして各地域が独自に取り組むことによって定着する. 専門職には, まず地域に流れる時間を的確に捉える力が必要だ. さらに, さまざまな人が有機的な関係を紡ぐ

(13)

ことができる公共空間をつくり, そこで活動が進展するように環境を整備しなければならない. そして, 忘れてはならないのが, 住民との水平的コミュニケーションだ. 「佐敷町」 の実践で みられた専門職と住民の対等な関係は, 地域の一体感に根ざしている. 役場職員も専門職も同じ 住民として地域づくりとしての健康づくりに取り組む, その姿勢が成果を生み出す原動力となっ た. 専門職も一住民という側面をもつ. 住民と同じ土俵にたちながら, 専門職としての役割を担 うことができれば, 上からの指導ではない, 側面からの有効な支援が可能になるであろう. 〈謝辞〉 インタビューに応じてくださった, 南城市の住民・健康課長高江洲順達さんをはじめとする職 員のみなさん, 琉球大学教育学部教授金城昇先生, 国保ヘルスアップモデル事業支援プロジェク トスタッフの方々に深く感謝いたします. * 本稿は, 2007 年度日本福祉大学課題研究 「地域保健活動における住民支援の方法 沖縄 県 「佐敷町」 の健康づくり活動を中心に 」 および 2008 年度科学研究費補助金研究 「地域 保健活動におけるコミュニティ・エンパワメントに関する研究」 の成果の一部である. (注) 看護婦・保健婦の名称は, 現在看護師・保健師に変っているが, 本稿の歴史的記述の部分では, 当時の名 称を用いた. 〈文献〉 飯野理恵 (2005) 「保健師と住民との協働における看護活動方法の特徴:住民との協働に関する文献検討 を通して」 千葉看護学会会誌 11(2), 16-22. 飯塚禮子 (2001) 「「地域づくり型保健活動」 を通した保健所の市町村支援の試み」 公衆衛生 50 (1), 14-15. 石原昌家 (1986) 郷友会社会 都市のなかのムラ ひるぎ社. 岩永俊博 (2003) 「「地域づくり型保健活動」 の使い方」 公衆衛生 59 (11), 1018-1024. 宮城重二・志村政子 (1988) 「佐敷町の保健活動の実践と展望」 公衆衛生 52 (1), 60-65. Putnam, Robert. D. (2000)     (= 2006, 柴内康文訳 孤独なボウリングー米国コミュニティの崩壊と再生 柏書房.) 琉球新報 (2008) 「琉大物語」 21, 2008.06.13 付記事. 琉球大学医学部保健学科 (1990) 琉球大学医学部保健学科 20 周年記念誌 琉球大学. 佐敷町 (2001) 平成 12 年度国保生活習慣改善モデル事業報告書 佐敷町. 佐敷町 (2005) 平成 16 年度国保ヘルスアップモデル事業報告書 佐敷町. 佐敷町教育委員会・立命館大学説話文学研究会編 (1989) 沖縄・佐敷の昔話 佐敷町教育委員会. 佐敷町婦人会のあゆみ編集委員会編 (1990) 婦人会のあゆみ 佐敷町婦人会. 杉山章子 (2007) 「住民による健康増進活動の形成 (その 3) 沖縄県「佐敷町」における実践から 」 日本福祉大学福祉論集 116, 37-52.

World Health Organization (1986): Ottawa Charter for Health Promotion, First Intermational Conference on Health Promotion, Ottawa, Canada

参照

関連したドキュメント

 母子保健・子育て支援の領域では現在、親子が生涯

当財団では基本理念である「 “心とからだの健康づくり”~生涯を通じたスポーツ・健康・文化創造

一方、介護保険法においては、各市町村に設置される地域包括支援センターにおけ

地区住民の健康増進のための運動施設 地区の集会施設 高齢者による生きがい活動のための施設 防災避難施設

 「事業活動収支計算書」は、当該年度の活動に対応する事業活動収入および事業活動支出の内容を明らか

ダイダン株式会社 北陸支店 野菜の必要性とおいしい食べ方 酒井工業株式会社 歯と口腔の健康について 米沢電気工事株式会社

目的3 県民一人ひとりが、健全な食生活を実践する力を身につける

 「事業活動収支計算書」は、当該年度の活動に対応する事業活動収入および事業活動支出の内容を明らか