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アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) ●﹁ アラブの春﹂がもたらした GCC の団結 二〇一一年の﹁アラブの春﹂の 発生によりチュニジアやエジプト といった周囲の権威主義体制国家 が次々と倒れたことは、 GCC ︵湾 岸協力会議︶諸国の指導者に国内 問題が体制の安全保障にとって最 も重要であることを再認識させ た。バーレーンやサウジアラビア 東部ではシーア派を中心とするデ モが発生。オマーンやクウェート では若者による民衆運動が起こっ た。カタールと U A E では目立っ た街頭運動は発生しなかったもの の、 U A E ではクーデターを計画 したとしてムスリム同胞団系の組 織のメンバー数十人が一斉に摘発 された。 暴動の主体となった若者たち は、雇用の創出や生活水準の向上 といった経済改革も求めたことか ら、産油国として巨額の財源を持 つ GCC 諸国は大規模な開発計画 を発表するなど 、﹁ ばらまき﹂政 策によって国内の暴動にも対処し た。石油資源が少なく、かつデモ の規模も大きかったバーレーンと オマーンに対しては、 GCC の残 りの四カ国が共同して、両国に一 〇年間で百億ドルの支援をするこ とが決定された。 これらの措置により、 GCC は 体制変動の波を乗り切ることがで きたが、これまで安全保障を依存 してきたアメリカから、国内での 体制変動の脅威に対して協力を得 られなかったことは、 GCC 諸国 にとって大きな衝撃だった。特に バーレーンでの暴動に関しては 、 イランの介入によるものだと訴え たにも関わらず、アメリカは中立 的な立場を崩さなかった。その結 果 、 GCC は合同軍を自らバー レーンに派遣し、 GCC 設立以来 初めてとなる独力の軍事作戦を遂 行することになった。 もともと GCC は対外的な安全 保障協力よりも、国内の安全保障 を確立する方向で発展してきた機 構である ︵参考文献①︶ 。新たに 体制変動の脅威と既存の安全保障 体制の限界に直面した GCC 諸国 は 、加盟国間の協力を深めるべ く、政治・安全保障面における G CC の統合を進めようとしてい る。二〇一一年一二月の GCC 首 脳会議では、サウジアラビアのア ブドゥッラー国王が GCC を﹁協 力﹂から﹁連合﹂へと進める段階 だと提案した。二〇一二年一一月 の GCC 内相会議では、これまで 長らく懸案となっていた安全保障 協定の締結で全加盟国が合意。更 に二〇一三年一二月の GCC 首脳 会議では、統一軍事司令部、海上 連携センター、 GCC 警察機関の 設置でも合意している。 一連の GCC 強化案は、サウジ アラビアの主導により進められて いるが、このサウジアラビアと最 も協調しているのがバーレーンで ある。 GCC ﹁連合﹂案にも真っ 先に賛成を表明したバーレーン は 、 先に書いたサウジアラビア 軍主体の GCC 合同軍 、﹁半島の 盾﹂軍の介入により、国内の反体 制派を鎮圧し、安定性を確保した という経緯がある。国民の多数派 がシーア派であるバーレーンと 、 東部に多数のシーア派を抱えるサ ウジアラビアは、対イラン戦線で 最も強固な連携を築いている。ま た、二〇一二年にムスリム同胞団 系の政治組織﹁イスラーハ﹂によ るクーデター計画に直面した U A E は、同じくムスリム同胞団の勢 力拡大を脅威とみるサウジアラビ アと、協力関係を深めている。二 〇一二年末のクーデター計画に関 しても、摘発の端緒となったのは サウジアラビアからの情報提供で あった。 ● GCC ﹁連合﹂構想案に対 するオマーンの反対 しかしながら、全ての GCC 諸 国の間で利害が一致しているわけ ではない。サウジアラビアが提案 した GCC ﹁連合﹂構想に関して域内安全保障協力の進展をめ
ぐる
GCC
各国の不協和音
村
上
拓
哉
激変
する湾岸
の安全保障環境
特 集29
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) 域内安全保障協力の進展をめぐる GCC 各国の不協和音 は、オマーンは公に反対の立場を 表明している。 GCC ﹁連合﹂構想案は、二〇 一一年一二月の GCC 首脳会議 で、アブドゥッラー・サウジアラ ビア国王によって突如提案された ものである。サウジアラビアの面 目を保つため、会合後に発出され るコミュニケには GCC を﹁連合﹂ に向けて進展させるとの一文が 入ったが、一体﹁連合﹂が意味す るところは何なのか、具体的なこ とは明らかにされず、詳細は小委 員会による検討作業によって決め られることになった。サウジの提 案に対して、はっきりと賛成を示 したのはバーレーンだけであり 、 他の国は賛成も反対も明らかにせ ず、曖昧な態度をとっていた。他 方、オマーンだけは﹁連合﹂構想 に反対であることを明確にしてき た。 そのようなオマーンの対応が大 きな注目を集めたのは、二〇一三 年一二月、 GCC 首脳会議の数日 前に開催されたマナーマ・ダイア ローグ︵イギリスのシンクタンク によって毎年開催される安全保障 会議。 GCC 諸国を始め、アメリ カ、イギリス、イラン、イラクか らもハイレベルの政府高官が参加 している︶でのことである。この 会議において、マダニー・サウジ アラビア外務担当国務相が、地域 の脅威に対し 、 GCC が ﹁連合﹂ に向けて一致することを呼びかけ る演説を行った。これを聞いたオ マーンのアラウィ外相は、自ら発 言を求め 、﹁オマーンは連合の発 足を止めることはないが、我々は そのメンバーになることはない﹂ と高らかに宣言した 。このアラ ウィ外相の発言は、英米も参加す る会議の場での発言であったこと から、欧米やアラブ諸国の大手メ ディアによって大きく報じられ 、 GCC の足並みが乱れている証左 として話題を呼んだ。サウジアラ ビア資本の汎アラブ紙である﹃ハ ヤート﹄紙に至っては、オマーン の行動を強く非難し 、﹁イランと オマーンが協力して GCC を崩壊 させようとしている﹂とまで述べ た。 しかし、オマーンが GCC ﹁連 合﹂構想案を拒否したのは、この ときが初めてではない。アラウィ 外相は 、二〇一二年三月二〇日 、 カタールの﹃シャルク﹄紙のイン タビューにおいて 、﹁次世代では 受け入れられるかもしれないもの の、現状においてまだその機は熟 していない﹂と述べた。三月二八 日の U A E の﹃バヤーン﹄紙のイ ンタビューにおいても同様の発言 が繰り返され、 オマーンが﹁連合﹂ 構想案を支持していないことが明 らかとなった。六月二日、オマー ンで開催された別の会合に出席し ていたアラウィ外相は、記者の質 問に答える形で 、﹁ GCC 連合の 構想を検討する委員会は既に活動 を終了した 。連合 ︵の構想︶は ジャーナリストの間を除いて残っ ていない﹂と公の場で明言し、 ﹁連 合﹂ 提案へのオマーンの不支持は、 検討段階を終えて結論であること が示された。 このようなオマーンの立場が 、 二〇一三年一二月のマナーマ・ダ イアローグの時点まで他の GCC 諸国の政府レベルに伝わっていな いということは非常に考えにく い 。 既に非公開の会議の場でオ マーンの立場は GCC のメンバー に対して説明されていたと推測さ れるべきである。 その点で、 マナー マ・ダイアローグでのアラウィ外 相の発言がメディアの大きな注目 を集めたのは、あくまでジャーナ リスティックな反応に過ぎず、こ れまでのアラウィ外相の発言およ びオマーンの立場を知らなかった 記者たちの勘違いによるものだと いえよう。実際、会議に参加して いたキング ・ファイサル ・イス ラーム研究センター所長のトゥル キー・ビン・ファイサル王子は記 者の質問に対して、 ﹁︵アラウィ外 相の発言は︶連合の発足を妨げる ものではなく、オマーンは発足の ときでも、もしくは後からでも参 加できるし、全く参加しない︵と いう選択肢もありうる︶ ﹂と冷静 に発言している。もっとも、本来 会議で発言する予定のなかったア ラウィ外相が、わざわざ発言を求 めてオマーンの立場を主張したこ とは 、﹁連合﹂構想の推進を求め るサウジアラビアの不興を買った 可能性がある。 オマーンが﹁連合﹂構想に反対 するのは、この連携の強化が、特 定の敵、すなわちイランの脅威に 対抗するものとなることを懸念し ているからである。オマーンとイ ランは、その歴史を通じて非常に 良好な関係を築き上げてきた。一 九七〇年代にオマーン南部で起き た共産主義者との内戦で、オマー ン政府はイラン軍の派兵により反 乱運動を鎮圧したという経緯があ る。オマーンはイスラーム革命後 のイランとも関係を継続させ、そ30
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) の他の GCC 諸国や欧米諸国とイ ランとの仲介を担ってきた︵参考 文献②︶ 。そのため 、サウジアラ ビアやバーレーンのようにイラン と敵対的な国と外交方針を軌を一 にすることは、オマーンにとって リスクとなる。 もっとも、オマーンは過去に一 〇万人規模の GCC 軍の創設を提 案したり、先に書いた二〇一二年 の安全保障協定を含む各種協定は 承認したりと、 GCC の軍事面で の協力が深まることに反対する立 場ではない。まだ中身が固まって いない GCC ﹁連合﹂には反対 し、軍事協力の深化には賛成する というのは、一見矛盾するような 対応である。イランを刺激するこ とを恐れつつも、現実に地域が不 安定化した際の担保を必要とする オマーンは、あくまで静かで実務 的な外交を望んでいるのではなか ろうか。それゆえ、 GCC ﹁連合﹂ 構想案そのものに反対しているの ではなく、その導入にあたりイラ ンを意識した域外の敵対勢力の存 在をサウジアラビアやバーレーン が盛んに喧伝したことが、オマー ンの選択肢の幅を縮めた可能性が ある。 ● 安 全 保 障 協 定 に 対 す る ク ウェート議会の反対 二〇一二年一一月の GCC 内相 会議で合意された安全保障協定 は、主に国内治安における GCC 諸国間の協力を取り扱ったもので ある。市民の個人情報の提供︵第 四条︶ 、様々な犯罪 、特に国境を 越えた組織犯罪を防止するための 手段の発展に関する情報・経験の 交換 ︵第六条一︶ 、法律 ・手続き の一体化 ︵第六条二︶ 、不法出入 国の取り締まりの協力 ︵第一二 条︶ 、犯罪者の引き渡し ︵第一六 条︶などが主な内容であり、一九 九四年に締結された安全保障協定 に取って代わるものである︵第二 〇条一︶ 。 しかしながら、この安全保障協 定には、クウェートがまだ批准を していない。二〇一二年の内相会 議ではクウェートも協定に合意 し、アフマド・フムード副首相兼 内相は﹁協定を通じて、地域の課 題に向き合い、安定を確保するた め 、︵ GCC の︶協力を強化する 合理的な根拠と戦略的な理由があ る﹂と述べた。だが、クウェート 国内からは強い批判の声が上がっ た。二〇一四年二月一九日、イス ラミストやリベラルが混在する協 定反対派は声明を発出し、協定は ﹁一九六二年憲法で保証された民 主主義を放棄し、自由主義を殺す ことになり、国民への法的保護を 奪うものである﹂と主張し、自国 の憲法に協定はそぐわないと主張 した。 議会では、賛成派も反対派も協 定の条文が憲法に抵触しないか専 門家の判断を踏まえたうえで議論 することを望んだことから、ガー ニム議長は政府に対して議会に拙 速な承認を強要しないよう求め た。これに対し、サバーハ副首相 兼外相は、政府は国内法に抵触す るいかなる協定も締結したことは ないとしつつも、議会には協定を 精査する権利があると発言してい る。もしこの発言が政府の方針で あるならば、議会の動向によって は協定が批准されない可能性もあ る。 安 全 保 障 協 定 を め ぐ っ て ク ウェートで議論が起きたのは今回 が初めてではない。 GCC が発足 して間もない一九八二年にこの協 定の草案となる安全保障協定が G CC 内相会議で提案されたが、ク ウェート政府が議会の意向に配慮 して締結を拒否したため合意が阻 まれた。 一九八五年五月、 ナッワー フ ・アフマド内相は議会に対し 、 ﹁国家の憲法と矛盾する条項が修 正されない限り、政府は安全保障 協定には署名しない﹂ と保証した。 一九九四年には、一九八二年の協 定の修正案が提案され、サウジア ラビア、バーレーン、オマーンの 三カ国が協定を批准、カタールと U A E も後から協定に参加した が、クウェートはまたしても協定 に参加することはなかった。二〇 一二年に再度修正された安全保障 協定が提案されたのは、クウェー トが参加できる協定案を成立させ ることで、 GCC として一体的な 制度を確立し、更に協力を促進さ せることが狙いといえよう。 クウェートによる GCC の安全 保障協力を停滞させる動きは、オ マーンの例とは対照的に、政府の 戦略的な判断というよりも、国内 の政治闘争の結果である。他の湾 岸諸国と比べ、議会が活発に活動 し、表現の自由が保障されている クウェートは、自由民主主義の進 展という観点からは高く評価され るかもしれないが、迅速な意思決 定や外交上の合理的判断を阻害す る要因にもなっている。政府が強 硬に協定の承認を進めることは 、 国内勢力の不満を招き、かえって31
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) 域内安全保障協力の進展をめぐる GCC 各国の不協和音 国内が不安定化する恐れがある。 ●内政不干渉の原則をめぐる カタールとの相克 二〇一四年三月五日、サウジア ラビア、バーレーン、 U A E の 三 カ国から 、それぞれ自国の駐カ タール大使を召還するという声明 が突如として発出された。三カ国 は共同記者会見を開き、カタール が GCC の内政不干渉の原則を十 分に履行していないこと、履行す るよう説得し続けてきたものの 、 状況が改善されなかったことを批 判して、大使召還を決定したと発 表した。 声明では大使召還を決定した具 体的な事案については触れられて いないが、これはカタールがムス リム同胞団を支援してきたことと 無関係ではないだろう。カタール はエジプトのイスラーム主義組 織、ムスリム同胞団の庇護者とし て近年名を高めていた。エジプト でムバーラク政権が倒れ、ムスリ ム同胞団のムルシー政権が発足し た際にも多額の援助を提供してい た。また、カタールには元同胞団 員のイスラーム法学者であるユー スフ・カラダーウィ師が居住して いるが、大使召還が起きる一カ月 前、 U A E で二〇一二年に拘束さ れた同胞団系のメンバーに実刑判 決が下されたことを受け 、カラ ダーウィ師が U A E をイスラーム 法に反した国だと激しく非難して いた。これに対して U A E 政府は 駐カタール大使を召還し、カター ル政府に対する正式な抗議を行っ ている。 サウジアラビアや U A E に とっ て、反体制集団であるムスリム同 胞団を取り締まることは、自国の 治安上当然である。それを、同じ GCC 加盟国であるカタールの地 から、同胞団を支援する声明が流 され続けていることは、安全保障 協定への違反だと主張しているの だろう。カタールにとって難しい のは、カラダーウィ師の発言はあ くまで民間人の発言であると同時 に、彼が世界的に著名なイスラー ム法学者であるという事実であ る。カタール政府が外交上、カラ ダーウィ師と距離を置くことは可 能だが、彼の国内での活動を制限 することは、これまでターリバー ンやハマースといった多くのイス ラーム主義集団を支援してきたと いうイスラーム世界におけるカ タールのブランドを大きく傷つけ る恐れがあるだろう。 なお 、この大使召還には 、ク ウェートとオマーンが参加してい ない 。カタールへの対応を巡っ て、 GCC 諸国が、 GCC の機能 を強化させようとするサウジアラ ビア、 バーレーン、 U A E と 、 様 々 な事情から強化に賛成できないカ タール、クウェート、オマーンに 二分されたことは、ある意味象徴 的であろう。 しかし、この GCC 内部の対立 が、 GCC 諸国間の本格的な紛争 に発展すると断じるのは早計であ る。カタールからの大使召還をめ ぐっては、四月一七日に GCC 臨 時外相会合が開かれ、クウェート の仲介により、和解することで合 意された。本稿は三月一〇日に初 稿を提出したが、そのときには一 部報道で GCC の解体や分裂に言 及される程であった。最終稿の校 正をしている四月二二日現在、そ のような事態に至る可能性はほぼ なくなったと言ってよいだろう。 既に設立から三〇年以上が経過 した GCC は、経済・社会・教育 など多岐に渡る分野で複合的な協 力関係の構築に成功している。各 国は協力関係を深めるという大枠 には合意しており、現在の停滞は 協力の具体的な内容を巡る路線対 立に過ぎない。クウェートの国内 政策、そしてオマーンとカタール の外交政策は、いずれも政府の長 年の方針であり、今後も容易に変 更される見通しはないものの、 G CC との協調と本質的に矛盾する ものではない。実務的な協力は今 後も漸進的に進展する見込みだと いえよう。 ︵むらかみ たくや/中東調査会研 究員︶ ︽参考文献︾ ① Legrenzi, Matteo 2011. The GCC and the International Relations of the Gulf: Diplomacy, Security and Economic Coordination in a Changing Middle East NewYork, I.B. Tauris.
②村上拓哉 [ 二〇一三] ﹁仲介者 オマーンによる対イラン政策と 今後の湾岸情勢の展望﹂ ﹃中東 研究﹄第五一八号。