ウガンダ・カンパラの新興「ミュージカル」-- デ
ジタル技術を操る若者たち (特集 途上国のエンタ
ーテイメント事情)
著者
大門 碧
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
203
ページ
18-19
発行年
2012-08
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003902
東アフリカのウガンダ、首都カ ンパラ。夜は、そこかしこのレス トランから音楽が鳴り響く 。ス テージでは派手な色のTシャツや スーツ、ドレスなどを着こなした 若い男女がマイクを片手に歌った り、ダンスをしたりしている。音 楽はアメリカのヒップホップやR &B、カンパラの共通語となって いるガンダ語で歌われるポップ ス。いや、よく見るとステージ上 の若者は歌ってはいない 、﹁クチ パク﹂である。次には、大きなお なかをした男性とミニスカートの 女性が仲良く腕を組んで登場。す ると直後に、民族衣装に身を包ん だ別の女性がやってきて二人にど なり始める。ただし言葉はすべて スピーカーから流れてくる音楽の なか 。かれらは歌を ﹁クチパク﹂ しながら 、芝居をしているのだ 。 いわばカンパラ版ミュージカル だ。
●ショー誕生の背景
このショーが勃興した背景に は、ウガンダにおける一九九〇年 代の経済復興と政治の安定があ る。真夜中まで歩き回ることがで きる環境や、盛り場に集まる人び との経済的な余裕が、この若者た ちのショーを盛り立てた 。また 、 音楽のデジタル技術の発展も見逃 せない。一九九〇年代初めにCD が複製できるコンピュータが入っ てくると、徐々に海賊版のCDの 販路が拡大してゆき、二〇〇〇年 代半ばには、レコード会社による CDやテープの製作・販売は衰退 した。現在のカンパラでは、音楽 は﹁ライブラリー﹂ と呼ばれる場所 を経由して流通する ︵図 1︶。そこ は、スタジオやインターネットか ら集めた音楽をコンピュータに保 管し、 それを、 盛り場のスタッフや パフォーマー、そして一般の人び とへ、CDなどに焼いて提供して いる。こうしてレストランやバー のコンピュータには 、﹁ライブラ リー﹂へ通う盛り場のスタッフや パフォーマーの手を介して、また 宣伝目的のミュージシャンによっ て、新旧ジャンルを問わずたくさ んの曲が集まってくる。 この結果、 多様な音楽を使ったショーが た や すく実 現 可能 と な る の で あ る 。 このショーは﹁カリオキ﹂と呼 ばれる 。原語となる ﹁カラオケ﹂ の機械がカンパラに初めてやって きたのは、 一九九六年。 ﹁カラオケ ・ ナイト﹂という催しが実施され 、 そこで若者たちはアメリカ音楽を 歌うだけでなく、踊ることを優先 し、マイクを持ちながらも実際に は歌わない﹁クチパク﹂の演目を 生みだした 。さらにかれらはグ ループを結成し、カラオケの機械 がないほかの盛り場へと活動場所 を広げていった。その際、長時間 のショーを開催するために、踊ら ない﹁クチパク﹂の演目も取り入 れた。ただし、こうしたパフォー マンスの中心にいたのは大学生の 若者たちで、かれらは西欧の音楽 にしか興味がなかった。しかし二 〇〇三年に、資金繰りに困ったあ るNGOの下部組織が盛り場で ショーを行うようになると、さら スタジオ インターネット 「ライブラリー」 (街中) 「ライブラリー」 (カンパラの各地) レストラン・バー・クラブ :「カリオキ」のパフォーマー :盛り場のスタッフ :「ライブラリー」関係者 :ミュージシャン :プロモーター 矢印:音楽の移動 図1:カンパラにおける盛り場への音楽運搬経路 (出所)筆者作成。ウガ
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特 集
途上国の エンターテイメント 事情18
アジ研ワールド・トレンド No.203 (2012. 8)に変化が訪れた。この組織は、も ともと地元の音楽を使って学校や コミュニティで啓蒙的な内容の芝 居を見せていたので、盛り場での 公演にもその音楽を取り入れたの である 。そして 、﹁ コメディ ﹂と 呼ばれる芝居をする演目もこの組 織の参入をきっかけに創出されて いった。