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生徒指導講座のこれから

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Academic year: 2021

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(1)生徒指導研究第11号. 【巻頭言】. 生徒指導講座のこれから. 渡達満 はじめから私事で恐縮ではあるが、生徒指導講座に道徳教育の担当者として着任して、早いもので ちょうど8年の歳月が流れた。平成4年2月16日付けの着任であった。前任校は私立大学であったの で、自分が出題した入試の答案を5日間の缶詰状態のなかですべて採点し終わってから放免された。 自動車に一人分の寝具を積んでの単身赴任であったが、幸いにも単身生活の寂しさや不便のことをあ れこれ考える暇はあまりなかった。学部と大学院の集中講義が待ちかまえていたからである。 大学院の講義は新鮮であった。全員現職の院生であったが、これから教職をめざそうとする学部生 とはまったく異なり、登校拒否、いじめ等の諸問題がすべての学校の問題になろうとしていたなかで、 一人一人が自分の課題を持ち、その上多くの院生が学校現場に戻ったとき自分の研究が何らかの寄与 ができるかどうかを強く意識していたように思う。 それは、こちらが少し難しいことを言うと、 「先生の言いたいのはこういうことですか」とすぐ学 校現場の文脈で解釈が行われ、反応が別の言葉で返ってくることに示されていた。一生懸命やってい るのに不登校の子どもが出てしまうことや、役割演技を取り入れたり、導入、終末の工夫をしながら 道徳授業に熱心に取り組んできたのによい結果が出ないなど、悩みながら教師を続けてきた人はどそ うだった。大学で教育学に取り組んできて、特に近代教育思想史に取り組んできたのだが、自分が見 当違いなことを考えているのではないことを確認することも多かった0 一方では、疑問も感じた。少なからぬ人たちが教師の仕事である教育について、それが「どのよう な行為なのか」、 「その行為を支えるものはあるのか、あるとすればそれは何なのか」そして「自分た ちの悩みがそのこととどう関係していたのか」といった基本的なことについてはあまり考えたことが ないようであった。それは、子どもたちの様々な問題行動の原因をある一つの要因に求め、それに直 接作用しようとする特定の技術への信じがたいはどの大きな期待と価値付けや、 「これから現場に帰 ることになりますので、何か土産を持って帰らなければいけないのですが。何を持って帰ればいいの でしょうか」とよく聞かれたことにも表れていた。 「大学院で学ぶ目的は、そういうことではなく、教育という不確かなものを突き放して改めて冷静 に考え直すことでしょう。技術なんてすぐ古びてしまうし、それに今問題なのは、ある特定の技術を 求めることなのではなく、登校拒否やいじめを生み出してきたこれまでの学校教育が、技術が持っ目 的一手段の構図(操作的啓蒙)をぬぐい去ることができなかったことでしょう・-」と言うと、 「教育 という不確かなもの」という言い方がそもそも不確かだったのか熱いまなざしだけが返ってきた。院 生の熱いまなざしに接すると、そのまなざしは、 「いくら学問的な言葉を語ろうと、具体的な方策を 示さなくては、その言葉自体が生きてこない」と告げているようにも思えた。これは大変なところへ 来てしまった。自分の能力をはるかに超えるものが求められているのだとも思った。 -1-.

(2) この1ケ月半で過ごしてしまった8年前の生徒指導講座での1年目は、アカデミック・ショックと 慌ただしさのうちにすぎていったのであるが、今振り返ってみると、学校教育が直面している未曾有 の危機的状況のなかで生徒指導講座の課題がいかに困難なものであるのかを示していたのだと思わな いではいられない。この8年間で学校教育はさらに深刻な事態に陥っている。登校拒否は倍増してし まった。その間、対応のための制度的な措置が行われたり、不登校と改称され、その多様な形が認識 されたのであるが、問題それ自体の解決は方向さえ見えない。いじめは数的には減少しているように 見えるが、それは確実に存在していて、他者への不信を生み、もっと深刻な別の問題行動へとつながっ ていっており、学級崩壊、授業の不成立という学校教育の根幹にまで及んでいるようにも見える。 一方、生徒指導講座における院生指導はこの8年間で大きな変化を体験した。教官の世代交代もそ の一つであるが、もっとも大きな変化は臨床心理士認定の指定校という位置を与えられたことであろ う。これはこれまでの取り組みが大きく評価されたということであり、これまでにない多数の受験者 を迎えることができ、喜ばしいことに間違いない。反面、気になる心配もないわけではない。学校に おける生徒指導上の諸問題の多様化と深刻化がいっそう顕著となる現実のなかで、これらへの取り組 みが教育の外側に由来するある一つの技術的方策へ一元化されれば、学校教育の基本的な部分への問 いかけが見失われることとなりやすい。一見そうでないように見えて、実はかけ声(「生きる力を育 てよう」、 「こころを育もう」、 「教えるべきことは教えよう」、 「道徳的規範意識を育てよう」等々)だ けが繰り返される我が国の教育界全体の現状とまったく軌を一にすることになってしまいかねないの である。なぜならそこには、ある一つの技術的方策はすでに想定されているが、どうやったらそれら のかけ声の諸課題が実現可能となるのかという問いへの多様なアプローチとそれらの多様なアプロー チを比較吟味するために必要な基礎的部分(「端的に「教育とは何か」という8年前にぶつかった問 題)への視点が抜けているからである。易きを求めるのは人の常とは言え、筆者にはそのような方向 によい帰結は期待できないのである。 教育学部及び教育系大学院改革の全国的な動向のなかで、平成12年度より本学にも教育臨床講座が 設立されることとなっている。われわれの生徒指導講座にとって、それは存在意義が問われることで もあろう。しかし生徒指導上の諸問題が学校教育の根幹につながっているのであり、その解決の可能 性も学校教育のなかで日々営まれている教育活動につながった取り組みによってしか生じないことを 思い起こせば、たとえ力の限界を超えるものであろうとも、熱いまなざしを逼り続ける院生諸君と共 に、問題の大きさを確認しながら、かけ声に終わらぬ研究活動に取り組むしかないだろうと、筆者に は思われる。. -2-.

(3)

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