日本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について
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(2) 78. 争議を端緒に、殖産局長喜多孝治が局員にこの地方を調 査させたことから、小作慣行改善事業が始まった- (9) 当時、台南州新宮郡守は塚越翠であり、彼は小作紛争発 祥の地、岐阜県出身であり、西貞美桃園庁長が業佃巡行 会を行った頃の桃園公学校長であった。 塚越が始めた改善事業に州勧業当局や街庄長は疑問視 あるいは冷淡視していたが、台南州知事吉岡荒造は積極 的に賛成した。またその後、吉岡の後任に喜多孝治があ たったことにより、より本格的に改善事業が進むことに なる- (10) このような経過で改善事業がはじまったが、その成績 は非常に良かったので、昭和2年度より総督府は国費を 計上して、この種団体の普及につとめた(ll)。 2台湾の小作慣行 総督府が調査した台湾小作慣行を前掲『台湾における 小作事情と其の改善施設』 (以下、 『改善施設』と略称) 及び前掲宮川次郎著『台湾の農民運動』 (以下、 『農民運 動』と略称)により見ていくと、その概要は次の13点 であった。 (彰小作契約は口頭契約が多く書式契約が少ない(『改 善施設』 9頁)。即ち、大部分は口頭契約であり、書式 契約は製糖会社、大地主、不在地主との契約であった (『農民運動』 182-84貢)。 (塾小作契約期間に定めが無いものが多く、また定めが あっても期間が短く中途解約ができる(『改善施設』 13 貢)。この点は特に「近時農村思想の変遷に伴い、斯種 契約を以てしては小作関係頗る不安となり、農法の集約 化を阻碍するのみならず、往々小作争議の原因をなす」 (『改善施設』 74-75亘)と言われている。また、契約期 間について口頭契約においては小作契約には普通定めが 無い。稀に台北州で3箇年、台中州で作分小作又は収穫 不定の地域では1箇年もある。書式契約では普通3-5、 6年と言われる(『農民運動』 187・88貢)。 ③小作料の分納。即ち、水田小作料において第一期作 の小作料納入の割合が、第二期作納入割合に較べて非常 に大きい(『改善施設』 19-20頁)。この点を地方別に見 ると、分納割合は台北州、新竹州、台中州において大凡 第一期作:第二期作-7 : 3であるが、台南州、高雄州 において6 : 4、 5 : 5と第一期作の割合が低くなって いる(『農民運動』 192-94貢)。 ④畑小作の小作料は前納が多い(『改善施設』 19 - 20 ' 72貢)。地域的に見ると台北州、新竹州、台中州では前 年冬至頃前納、台両州、高雄州では本年2、 3月と9、 1 0月に分納であり、畑小作の小作料は金納を原則とし ている(『農民運動』 192-95頁)0 ⑤小作料代金納の場合は地主のみで換算価格を決定す ることが多い(『改善施設』 76貢)0. ⑥小作料の品質について定めがなく、小作争議の原因 となりやすい(『改善施設』 76貢)。水田小作料は全て籾 で納入、北中部は台斗(台斗1石-普通石の六割)何石 とし、南部は斤量で契約。水相の小作料は梗籾を原則と するが、蓬莱米納入の場合、北部では当初、減額か減額 せずに金肥給与、現在(昭和2年当時)はこの方法をと らない。籾小作料の品質に就ては余り吟味せず、頗る不 良ならざる限りは受領する。 金納の場合は 「1.小作地に水稽及び甘庶を栽培せる場合、籾の収穫 量が小作料に不足せる時 2.小作地遠隔なる場合 3.小作人が青田売買を行ひたる時 4.小作人が自家用食糧に不足せる時 5.地主より現金入用の鵠め其要求ある時」 (『農民運動』 194・95貢). ⑦鉄租(定額地代)が多い。普通小作料に比し多少低 額であるが、凶作の場合、小作人を経済的に窮迫させ、 小作人逃亡の原因となっている。 (『箪善施設』 76貢) ⑧地主が簡単に小作料を引き上げる。 (土地改良時、 公租公課の負担増、小作地売買時、生産物価格高騰、小 作希望者が多い時、小作人の集約経営により生産増加時 『改善施設』 73 - 77貢)。 ⑨礁地金(小作料保証金)が多額、その利子を小作人 に返還しない(『改善施設』 77貢)。台北州、新竹州、台 中州では碩地金の慣行があるが、台南州、高雄州では一 般にこの慣行はない(『農民運動』 203-07頁)0 ⑲佃頭が多く、因って耕地の転貸が盛んである。従っ て、小作料の高等酎ヒ、小作関係の複雑化、地主・小作人 間を疎隔化を来している。 (『改善施設』 73ォ78頁) ⑪定頭金(契約金)の授受(台湾中部以北の地方、 『改善施設』 72頁)。 ⑫田寮の附随しているものがある。これは小作人の住 宅であるが、地主よりの束縛がある(『改善施設』 74責)。 ⑬小作料の受け渡し場所が小作人の家で行われ、保管 中の減少、損失は小作人の負担となっている。 (『改善施 設』 73貢) 以上の13点のうち、 ③、 ④、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑲、 ⑪、 ⑫、 ⑬は日本とは異なる慣行であると言われている。 (12). さて、以上の慣行のいくつかの実態について検討しよ う。. ①の小作契約は口頭契約が多く、書式契約が少ないと いう点について。宮川氏は書式契約は製糖会社、大地主、 不在地主との契約に見られるという(13)。後に述べるよ うに、農民組合は製糖会社、大地主を主な小作争議対象 としており、製糖会社や大地主は小作料収入を安定化し、 また小作争議を長引かせたり、拡大化、暴動化するのを.
(3) 日本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について. 防ぎ、また小作争議を法的に解決する根拠として、書式 契約を推進し、それを総督府がバックアップしたものと 考えられる。 ②小作契約期間の定めが無い、また定めがあっても期 間が短く中途解約できる点については、 「小作争議の原 因」 (14)と言われるように、農民組合の闘争目標になり やすかった。 ③の小作料の分納、特に、両期作田における第一期作 から徴収する小作料が第二期作から徴収する小作料より も多いという点について。川野重任氏の研究から考えて みると、台湾米穀は在来種(インディカ米)を中心に栽 培されていたが、大正1 1年(1922)頃より内地種(ジャ ポニカ米)の蓬莱種の栽培がすすみ、昭和1 0年 (1935)には蓬菜種が61.13%、在釆種30.12%となり、 蓬莱種の普及がすすみ、以後はこの傾向のまま推移した。 そして、この一期作の蓬莱種は日本内地への移出米が 中心であった。即ち、 「台湾に於ける二回作のうち第二 期作はあだかも内地・朝鮮に於ける米作と時期を等しく してゐる。従ってここに於ける第-期作・第二期作の均 等ではなく、逆に第一期作への偏奇と云ふ見掛け上の不 均等こそは、正に日本米穀経済圏全体の見地よりして、 生産・供給の-暦年に於ける平準化を可能ならしむる作 用をもっものと云へよう」 (15)ということであった。 次に⑦鉄租(定額地代)が多く、凶作でも減噸しない こと、及び(秒地主が簡単に小作料を引上げることについ て、この両者は小作料の高額の問題とかかわり、小作争 議で一番多くとりあげられる問題であった。 陳逢源氏によると、清朝道光時代の大租戸-小粗戸現耕個人時代に現耕個人が支払った小粗は「大体収穫高 の五割乃至六割の高率となり、此の慣習が領台後まで継. 79. に基いて最近まで小作料率が著しく低下したが、本島で は大正末期より蓬莱種の普及と之に対抗する優良甘庶大 茎種の水田進出と相侯って益々小作料の騰貴を来す事と なった」。 「更に内地に於ける畑小作料を見るに農林省の 調査に依る昭和8年より同1 0年に至る料率は・・-平均 3 1%3 6であるが、昭和1 2年調査の台湾西部五州畑 小作料は-則から十二則までは最高平均4 4%1 0、最 低3 0%6 4であり、調査件数の最も多い十則佃は平均 34%03であるから、本島より頗る低率であるといへ よう」。また中国の小作料については天野元之助氏の研 究を用い(16)、 「小作料率を見るに分担率は上田5 2%4、 中田48%6、下田は45%5であり、穀租率は上田5 0%8、中田46%8、下田47%であるから、物納小 作料に相当する穀租率の中田が平均4 6%8を以てすれ ば内地の平均小作料4 7%8よりも却って幾分低率であ る」o一方、ヨーロッパ各国の小作料を見ると、 「英克蘭 (イングランド)に於ては1919年小作料の総収入に 対する割合は僅か19612しかなく、蘇格蘭(スコット ランド)に於ては1918年1%48にして1898年 から1 9 1 8年に至る小作料率が平均1%82である。 仏蘭西(フランス)に於ては其の小作料が普通農地価格 の約3%内外であって4%以上に達するものが少ないか ら、小作料率は約2割4分に該当するのであって、之を 内地の小作料率4割7分8厘に比較すれば極めて低い」。 要するに台湾の小作料率は極めて高いのであった。また、 それに加えて島内米穀の甲当収穫量は明治4 2年9.376 石から昭和2年の11.438石、昭和1 3年の15.225石、昭 和1 5年の12.001石とほぼ昭和1 3年まで増加傾向にあ. 続して現在(昭和1 7年当時)の高率小作料の根底となっ た」。そして、昭和2年当時は「本島の水田小作料率は. り(17)、また、百斤袋当の米価も昭和1 2年の10.68円か ら、昭和1 3年の11.35円、昭和1 4年の12.67円と高騰 している。このような単位面積あたりの収量の増加と、 米価の高騰は小作料率が一定していても、小作料の実質. 収穫高に対し大体約五割に当っている事は一般の常識と なった」。また「最近台中州に於て調査した昭和1 5年 7月1日現在の小作料率は小作料統制令施行後の全島最 新の材料であるが、 -別田より十三則までは十則及び十. 増加となっていた(18)次に⑨の碩地銀の多額さについてである。 『小作制度 の改善』 (台湾総督府殖産局、昭和5年1 1月) 15-16 Ui:. 一別の4 9%以外はいづれも平均五割以上であり、就中 -別田の66%、二則の60%、三、四、五、六別の5. 小作料の保証金は碩地金と称し、極めて稀に地主の 信用厚さ小作人の場合には之を要せざることあるも、 普通の場合は水田の契約に関しては必ず授受を行ふ。 其の額は小作料籾台斗1石(官斗6斗)に付き2円 を普通とし、一部交通不便の地は1円、 1円5 0銭 等に定むるものあり、高きは3円に及ぶ。畑小作料 にありては多く前納なるを以て碩地金を納入せざる も、後納する場合は小作料100円につき、 40円 乃至6 0円見当のものあり。 *・・・地主は契約期間中 碩地金を無利子にて利用するを普通とす。極めて稀 に全額又は其の半額に利子を支払ふことあり。而し. 7%、 59%、 57%、 55%は頗る高率である許りで なく、前期昭和1 2年調査の台中州の平均小作料と比較 すれば次表の如く最低1%2 2、最高;4 6の騰貴を しめしている」。これに対して内地においては「大正元 年の水田一、二毛作の平均が5 5%3から大正1 0年は 53%1に低下し、昭和1 1年には遂に50%を割って 4 7%:となった。即ち内地の小作料率は大正元年頃か ら同十年頃は本島に比し高かったが、昭和1 1年頃にな ると却って本島に比し低くなった・・-。即ち内地では一 時小作争議の激化及び昭和2年以降の農業恐慌等の原因. て碩地金は地主が中途解約を申出でたるとき、小作.
(4) 80. 人が中途解約を申出で地主が承諾したるとき、契約 期間満了し、更新をなさゞるとき地主より小作人に 返却す。 ・・-この慣行も亦定頭金と同じく北部に多 くして南部に進むに従ひ、一般に行はれず特殊の場 合に稀に行はる。 と述べられているように、碩地金は小作料の保証金であ り、小作料滞納時に小作料滞納分あるいは欠額分を穴埋 めするためのものであった。従って、小作人が小作契約 締結時に小作料1石につき1-3円、普通は2円納め、 無滞納で小作契約を終了するとき地主が小作人に返還す ることになっていた。碩地金は定頭金とともに北部台湾 に多く、南部台湾には稀であると言われる。 また、張所感「台湾の小作事情と関係法」 (1) (『台 湾時報』 227号、 1938年10月)によると、「横 地金額は勿論小作料額の多少に依るが普通石当3円から 5円内外、甲当70円から1 1 0円内外といふ高額であ る」、しかも「碩地金は小作料と共に重要な小作条件で 契約書には必ず詳記するのであるが、其の額は高く、殊 に近来地主の破産、或は校苛骨な地主の為に偶々之を踏倒 されたことがまゝある」と言われ、同氏作成の表による と、碩地金の有る契約と碩地金の無い契約の比率は8 5 %と15%であり、碩地金の有る契約の85%うち、 8 1%は田であり、 4%は畑であった。また、昭和11年 台北州勧業課がが調査した「小作料立立碩地金調」を次に 引用されている。. (第1表) 甲当境地金額. 田. 最高. 50 0 ,0 0 0. 最低. 0 .6. 平均. 74 .64. (円). 畑. 小作料 石当境地金額. (円). 畑. 田. 32 8 .9 0. 2 1 .7 2. 1 2 .4 3. 0 .4 1. 0 .1 0. 0 .17. 17 .8 9. 3 .3 3. 5 .5 5. 表にあるように礁地金は非常に高額であり、小作争議 の対象になっていた。次に、定頭金について、前掲『小 作制度の改善』 14ォ15貢によると、 左(小作契約に関する保証)の場合に於ては定頭金 と称するものを地主小作人間に授受せらるゝを普通 とす.其の額は契約一件につき普通2円にして時に 2 0円前後のことあり。又碩地金の幾割と定むるも のあり。契約成立又は解約の証たる性質を有す。地 主の収受したる定頭金は硫地金に繰入れらるゝを普 通とす。 イ小作人より地主に交付する場合. 1小作契約締結に合意ありたるとき ロ地主より小作人に交付する場合(この場合送 定金と称せらるゝことあり) 1地主より中途解約の申人をなすとき 2小作人より中途解約の申人をなし地主が承 諾したるとき 3期間満了し更新をなさゞるとき 而して定頭金の慣行は北部に於て多く行はれ南部に 行くに従ひて砂し。即ち台北州、新竹州及び台中州 の中北部に行はれ、台中州の南部、台南州には漸く 稀に、高雄州にては殆どこの慣行なし。 と言われている。定頭金は小作契約締結時に小作人が小 作料の保証金として、契約1件につき普通2円、ときに は2 0円前後の高額を支払うか、礁地金の何割かを納め るものである。また、地主より逆に小作人に交付する場 合もあったようである。そして、小作契約満了時に定頭 金の小作人への返還の有無については、 「定頭金ハ普通 無利子ニテ地主之ヲ使用収益シ、前項(期間満了シ更新 セザル場合、地主ヨリ中途解約ヲ申込ム場合、小作人ヨ リ中途解約ヲ申込ミ地主之ヲ承諾シタル場合)ノ場合、 之ヲ返還スルモノナルモ、地方ニヨリテ期間満了トトモ ニ全ク地主ノ所有二帰スル所アリ」(19)と言われ、普通は 返還されるが、そうでない地方もあったようである。 以上、台湾の小作慣行の概要を見ると、口頭契約が多 い、小作科が高額で地主によって値上げされやすい、ま た、碩地金、定頭金などの小作保証金の負担が重いなど の特徴があった。 次節で、小作改善事 小 作 料 百 斤 当 境 地 金 額 (円 ) 業を行う第二の原因で ある、農民運動につい 佃 田 て考察しよう。. 3台袴の農民運動 台湾における合法的 0 .06 0 .42 政治運動は大正3年 2 .23 1 .20 (1914)に板垣退助の 訪台がきっかけとなっ て、林献堂等による台湾同化会の結成にはじまると言っ てよいであろう。台湾同化会は台湾人を日本人同様に化 育すること及び台湾人にも内地人同様の権利待遇をあた えるべきことを主張した。台湾総督府は政治活動の拡大 を盛れ、板垣退助を追放同様のようにして離台させ、台 8 .83. 3 .l l. 湾同化会を解散させた。 (20)林献堂、蕪培火、蒋潜水等 は大正1 0年(1921)に台湾文化協会を発足させた。総 督府はこれに対抗して同1 2年華顕柴、林熊徴等に公益 会を作らせて対抗した。 ところが、同1 5年(1926)にマルクス主義的傾向を もった台湾無産青年会が結成され、その会員の一人、連.
(5) E]本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について. 温卿が台湾文化協会に加入し、やがて文化協会の主導権 を握った。旧幹部は脱会して、台湾民衆党を結成し た。(21)こうして、政治運動が社会主義運動と民族運動に 分裂していく中で、社会主義運動の台湾文化協会幹部が 指導して、大正1 4年(1925)から農民組合が結成され ていく。そして、昭和3年に台湾共産党が結成されると、 農民組合は文化協会と共産党の指導下に入っていっ た。(22). さて、農民組合は大正1 4年(1925)に高雄州鳳山農 民組合が結成されたのをきっかけに、各地に広がり、翌 1 5年(1926)に全島の農民組合を統轄する台湾農民組 合が結成され、昭和2年(1927)に本部が台南州麻豆に 移された。 (23) 設立状況と各組合支部が起こした争議事件・問題につ いて次の第2表で考察しよう。 (第2表) 団 体 名. 設. 立. 期. 団 体 区 域. 台湾農 民組合 同 鳳 山支部 同 東 港支部 同 罪 東支部 同 湖州 支部 同 曽文支 部 同 嘉 義 (竹 崎) 支部 同 小 梅支部 同 虎尾 支部 同 北 門支部 同 新宮 支部 同 大 甲支部 同 二林 支部. 大正15年 (1926) 6月 大正14 (1925) 年11月 昭和2年 (1927) 3月 ? 昭和2年3月 大正 15年6月 大正15年9月. 同潮州郡 台南州 曾文郡 同 嘉義郡. 昭和2年3月 大正15年8月 昭和2年 1月 昭和 2年3月 大正15年6月 大正14年6月. 同 小梅庄 同 虎尾郡 同 北 門郡 同 新嘗郡 台中州大甲郡 同 斗六郡. 同 間 同 同 同. 大正 15年11月 昭和 2年3月 昭和 2年7月 同 同. 同 大屯郡 新 竹州中埋郡 同 桃園郡 同 大渓郡 同 新 竹郡. 大屯支 部 中糎支 部 桃園支 部 大渓 支部 湖 口支 部. 台湾全 島 高雄州鳳山郡 高雄州東港郡. 農民組合支部の所在地、引き起こした争議事件等から 見て、 「設立の動機は多くは、内地人の企業を対照とす るか、又は同企業に関する事件を対照とした」 (24)こと がわかる。 また、 「今日猶旧慣を固守する所の暴戻なる台湾人の 地主に対する運動を差措いて、直に母国人の事業を牽制 す可く熱中しつゝある点は、内地の農民運動と大に趣き を異する所以である」 (25)と言われ、台湾の農民組合運 動の特徴は日本植民地支配に対抗したという点にあり、 また日本の製糖会社、大地主が主な対象であるが、台湾 人経営の製糖会社、台湾大地主にも及んでいたことがわ かる。. 81. まず、大正1 4年に農民組合ができる原因について考 察し、その後、農民組合が扱った主な農民運動の特徴を 見、それがいかに小作慣行改善運動につながるのかにつ いて検討したい。前掲『農民運動』 (93・94亘)による と、 「鳳山に於て第一声を挙げた小作人の反抗の事実は、 実に台湾農民運動史の第1ページを成すものであって、 其の挑戦の理由は、新興製糖会社々長たる陳中和の地主 としての横暴であった。即ち、大正1 1年の頃、新竹州 桃園郡大園庄付近の小作人約2 0名が、高雄州鳳山郡島 松庄大寮庄付近に移住して来て、約3 8甲の水田の小作 に従事した。小作開始の当初は地主陳中和と永久小作の 口約を為し、従て永住的家屋を建築し、一同其の覚悟を 以て農耕に従事して居た」。 「所が突然地主側の新興製糖 が、甘煮自作の口実の下に、其の土地の一部引揚げを強 行した時、小作人は極力反対したが力が足らず、遂に泣 寝入りに帰した」。しかし「翌1 2年更に新竹州より移 争議事件 (発生年). 新 興製 糖会社 (大正 14) 台 湾製 糖肥 料代補助 問題 堕水港製糖 施尾工場 の小 作問題 台湾製糖社有 地小作 問題 明治製糖小作 問題 三菱竹林払 下問題 (大正 15) 税金不納 同盟結 成 (昭和 2) 税金不納 同盟結 成 (昭和 2) 退官者土地払下 問題 (大正 15) 明治製糖 製糖業、業個対抗 退官者土地払下 問題 (大正 15) 林本源製糖会社 (大正14) 大豊拓殖会社 (章顕柴) 日本拓殖会社 (昭和2). (『農民運動』 110貢等 より作成). 帝 国製糖. 住して来た黄石順なる者に対しても、大正1 4年5月に 於て地主陳中和より又同様の土地引揚げを強要した」た めに、黄石順等が中心となって「大正14年1 0月4日 小作組合を組織した.偶々黄石川削ま簡吾なる者と相識り、 意気投合した結果、単なる小作組合では余りに範囲が狭 いから、寧ろ農民組合として一般甘煮農業労働者をも包 括し、広く無産農民を糾合Lやうと云ふ事になり、立に 初めて大正1 4年1 1月1 5日鳳山農民組合を組織した」。 この経過を見ると、農民組合の結成は製糖会社が「甘 庶自作」 (直接経営)を名目に小作農民の小作権を取り 上げた事に端を発したものであったが、所謂、 「米糠相 魁」下、製糖会社が甘煮生産の安定、効率化のために、.
(6) 82. 小作地を減少し、自作地を増やす事業方針の転換期に起 こったこと(26)、そして、この地の小作農民は新竹州の 前述の季節風が起こると他へ移住する農民であり、小作 改善事業の端緒になった問題をはらんでいたことである。 即ち、台湾北部地帯の米作下の小作農民が抱えている 問題と南部台湾における甘庶小作農民が抱えている問題 が連動して起こった農民組合結成であった。 次に、農民組合が行った運動の代表的なものの特徴を 検討しよう。 同じく『農民運動』によると、 ①林本源製糖株式会社に対する原料代値上げ運動に依る 暴動(大正14年10月22日) 「此の事件は農民組合の発達の以前に属し、文化協会 の一味なる開業医李応章が、庶農組合を組織し、原料代 値上げを迫った。之に対し会社側で原料代発表を蹄槽し て居る虚に乗じ、台中州下北投郡二林圧の庶農は甘庶の 刈取りを拒み、社員に向って暴行を加へた」 (同書1 3 4頁)という事件であった。 周知のように林本源という台湾最大の地主経営の製糖 会社に対する、原料甘庶代金値上げを要求した争議であっ m ②鈴木商店系のE]本拓殖株式会社に対する小作料減額運 動に依る組合員幹部留置の釈放運動(昭和2年7月3 0 日). この事件は「新竹州中糎郡下にある鈴木商店系の日本 拓殖株式会社に於ける小作人が、現在の小作料を4割方 減少せよと要求し、不穏の行動に出でた農民組合中糎支 部副支部長黄清江と同支部会計黄蘭生が、本年(昭和2 年) 7月2 7日詐侶及業務妨害罪で拘留された」 (同書 1 1 4頁)ために、その釈放を求める運動であった。 即ち、日本人地主に対する減税運動であった。 ③三菱造林係争事件(大正1 4年) 「台中州竹山、台南州斗六、嘉義の三郡下に跨る竹林 地帯は、佐久間総督時代に三菱製紙会社に予約売渡が許 可されたものである。其の面積1万余甲の勉大なる面積 であるのみならず、住民祖先伝来の土地なりとして、払 下許可に対して猛烈なる反対運動開始され」、 「更に大正 1 4年4月6日の成功満期の当時、秩父宮殿下を奉迎し た中部地方に於て、数百名大挙して陳情の挙に出でんと したとさへ伝へられ、一時は台湾の社会が、富豪の三菱 に対する反感も手伝って、相当注目されたる問題であっ た」。 「而して9月1 5日愈々許可の旨が発表され、更に 1 1月に入って住民に対し特典付与の条件の下に竹林関 係者を納得せしめ、無事落着の旨を発表したのである」 (同書1 2 6貢)0 この三菱への払い下げ竹林の由来について、 「官憲に 於ては無断開墾地と認定したものを三菱に許可したもの であって、何等の違法はない訳である」が、しかし「-. 万甲の内約九千甲は既成竹林であり、三菱が実際に於て 開墾したのは千二百甲内外に過ぎず、余りに労少なくし て功多きに対する嫉視があったものと見られる」 (同書 1 2 7貢)と言われ、この竹林は台湾人が先祖代々作っ てきたものであり、土地契約書が無いために総督府が無 断開墾地と認定し、三菱に払い下げしたために、農民が 反対し、農民組合がこの問題をとりあげて争議を行った のであった。このような無断開墾地払い下げ問題は台中 州豊原郡や同大甲郡でも起こっていた。 (27) ④小作料増額・蓬莱米栽培強制事件(大正1 4年) 「新竹州新竹郡湖口地方に於ける有数の地主周朝湧、 周朝吉の兄弟と、個人農蕃婆なる者との問に惹起した争 議は、一時正に血を見やうとする迄に行詰ったのである。 右は周の所有地中八甲に対し、大正1 1年から1 2箇年 の小作契約を結び、毎年小作料百四十石と決定した所、 同1 4年に至って前約は破棄され、小作料を二百石とし、 内百石は蓬莱米を以てする事を強制さるゝに至った。然 るに其の強要に甘んじたと恩人間もなく、いっの間にか 他人に小作権が移って居た」 (同書1.1 5 - 1 6貢)と いう事件であった。 以上四争議は甘庶自作政策下の原料値上げ問題、水田 における小作料闘争、無断開墾地払い下げ問題、小作料 値上げ・蓬莱米栽培強制・小作権剥奪事件であった。 この四点は当時の台湾農業が抱える問題を凝縮してい たと言って過言でなく、それに対する一定の改善、地主・ 小作人間の融和の目的で行われたのが小作慣行改善事業 であった。 しかも、農民組合は農民に「小作争議は刑法に問はれ るものではなく、どこ迄も民事に属するものである。故 に小作人必要の収穫を為し、其の残余量を地主に提供す ればよいのである。又全部日収しても刑法の問題にはな らぬから、須く此の手段に依って地主を圧迫するに若く はない」 (28)と法的認識を高めたために、地主・製糖会 社にとっては常に小作争議にまきこまれる危険性が生じ ていた。この農民組合運動は昭和6年(1931)の台湾共 産党の一斉検挙まで全島で展開した。 (29)従って、地主・ 製糖会社の小作料の安定的徴収確保策と総督府の農業振 興策が一致して小作慣行改善事業が行われたと考えてよ かろう。 以上の農民運動前後の小作争議の内容について次節に おいて検討しよう。.
(7) E]本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について. 83. 4台湾の小作争議 『改善施設』 8 3-8 6貢によると、次の3表のように小作争議の内容が分類されている。 (1)発生件数(第3表) 年. 次. 台北州. 大正13 大正14 大正15 昭和 2 昭和 3 昭和 4. 新竹州. 台 中州. 台南州. 高雄州. 1 3 4 5 1 0 3 1 5. 2 1 4 4 6 1 7 3. 1 1 7 4 2. 3 0 9 1 5 9 1. 2. 1 4 3 1 3 2. 4 6 4. 7 3. 2 4. 3 9. 2. 6 1 2. 2 5 9 3 7 5 1. 昭和 3 1 2. 昭和 4 4 1 3. 汁 1 3 1 5 0 6 8 8 5 1. 3 1 6 2 8 5 1 l l 2 2 8 1 1 1 4. 1 2 2 7 7. 1 9 1 4. 8 1 1 2 4. 3. 3 6 2. 1. 蝣 Io 7 3 7 6 1 1 9 3 3 3 5 1 5 7 6. 4 3 1. 1 3 4. 2 3. 昭和 2. 昭和 3. 昭和 4. 1 2 1 5 1. 1 6 5 9. 2 7. 3 0 2 1 7. 3 1 1 7 5 2 3. 1 2 1 9. 2. 4 5 1 7 6 3 2. 9 3 0. 1 3 6. 1 2. 1 0 7 8. 4 3 1. 1 3 4. 2 3. 5 8 8. 1 8 1 1 0. 計. 花蓮港庁. 計 5 4 5 1 4 3. (2)要求別件数(第4表) 要 求 地 主 側 よ りす る もの 小 作地 返 還 要 求 小 作料 値 上 要 求. 事. 項. 小 作料 請 求 小 作料 在 爽 種 を蓬 莱 種 米 に変 更 方 要 求 債 権 の 担 保 と して農 作 物 引 渡 請 求 小 作 人側 よ りす る もの 小 作 料 滅萄 要 求 小 作料 納 付 延 期 要 求 有益費 償還要求 水根 の減免要求 契 約 解 除 に伴 ふ 移 転 料 補 償 要 求 契約更 新要求 耕地整理 要求 個 頭の中間利得返還要 求 小 作権 の 確 立 要 求 其他 計. 昭和 1 1 4 5. 1 2 1. 5 9 0. (3)争議手段別件数(第5表) 手. 段. 民 事 訴 訟 の提 起 小 作 人 単 独 又 は農 民 組 合 を 背 景 に 代 表 者 を選 出 して地 主 に直 接 交 渉 小作料不納 小作料籾 隠匿及仮装債権 の設定 農 民 組 合 に よ る団 体 的 示 威 (共 同 鋤 起 共 同耕 作 、 共 同 刈 取 等 ) 地 主 の耕 作 を妨 害 其他 計. 以上の3表を見ると、小作争議発生件数は昭和2 ・ 3 年が最大であること、即ち農民組合活動が活発な時期に 発生していたことがわかる。また、要求別件数を見ると 地主側から出されるものは小作地返還要求、小作料借上 要求が多く、一方、小作人側からだされるものも小作料 減額要求、契約更新要求が多かった。両者の要求は基本 的に小作料、小作権問題に関わっていたことがわかる。 また、争議手段を見ると、小作人単独や農民組合を通じ. 計. てというものが多く、これも農民組合運動と連動してい たことがわかる。. 5小作慣行改善事業 『改善施設』 9 9-1 1 1貢の記載を中心に、小作慣 行改善事業を検討しよう。 (1)専任職員の設置 昭和2年7月、殖産局に技師1名、属1名、技手2名.
(8) 84. が設置された。改善事業の推進団体は業佃会とか、特に 台中州では興農侶和会と呼ばれた(30)。 台湾総督府殖産局一州一郡一街庄 州農会郡連合業個会街庄業個会 会長;郡守会長;街庄長 上表のように街圧に街庄業個会を置き、街庄長が会長 となり、郡には郡連合業侶会を置き、全長には郡守があ たった。これを州農会が統轄し、そして、最上部には総 督府殖産局が管理した。 (31) (2)補助金 補助金としては、 1団体に年頃1200円、 3箇年継 続補助(昭和2年度より年額1 2 00円、 3簡年継続補 助、昭和8年終了と言われる(32))が行われた。 ( 3 )小作慣行改善事業の使命と方針 これは、 ①愛地心の誘起、 ②地力の増進、 ③生産の増 加、 ④公正なる小作制度の確立、 ⑤業侶両者間の紛争を 未然に防止し、其親善融和を図り、万一紛争発生の際は 之が協定、と言われる- (33) (4)小作慣行改善 小作慣行改善事業は具体的には、 ①書式契約の推進、 ②契約期間は5年又は6年以上とすること。 ③期間満了 前、一定期間内(普通6箇月)に当事者の一方より解約 申込を篤さゞるときは契約を更新するものと看倣すこと。 (彰凶作の場合は当事者の協議により小作料の減免をなす こと。 ⑤正当の事由なく小作料を滞納し、又は土地を荒 廃せる場合は解約をなし得ること。 ⑥転貸は地主の承認 を要すること。 (⑦地形変更其他地力に影響を及ぼす如き 事項は総て地主の承認を得てなす可きこと。 ⑧地主の了 解を得てなせる土地改良に対しては地主に於て其の費用 の一部又は全部を負担すること。 ⑨正当の理由なく中途 解約をなす場合は相手方に賠償をなすべきこと。 ⑲契約 履行に関し、紛争を生じたる場合は改善団体の調停を受 くること、であった(34)。. ①∼⑲のうち、重点的な改善事業は口頭契約をやめ、 書式契約にすること、契約期間を5 ・ 6年以上とし、小 作権を保証し、生産を安定させることであった。そして 小作料の減額とか碩地金・定頭金の減額とかの改善は行 わず、わずかに凶作時に地主・小作人問の小作料減免の 協議を保証しただけであった。 (5)奨励手段 業佃会による小作慣行改善のための奨励手段は①宣伝、 ②講話、 ③活動寓真の開催(35)、 ④印刷物ポスターの配 布、 ⑤父兄会、総代会、其他集会を利用して宣伝講話、 ⑥役員又は職員の戸別訪問が行われた。 (36) (6)小作紛争の調停 小作紛争調停機関が設置され、これには小作調停委員 会または理事会が設けられることになっていた。調停は 二級制度(街庄業佃会-郡連合業佃会)が制度的にはあっ. たが、実際は街庄業個会で行われるのが普通であった。 調停委員・理事は地主・小作人同数で組織された。調停 委員会・理事会の調停に服さない者は団体より除名、会 員間の小作締結を禁止された。 前掲『業佃会の小作調停』序によると、 現在内地及び朝鮮には小作に関する諸種の法令が数 多く施行されて居るが、本島では民法の外殆ど未だ 施行されて居ない。之れは未だ其の必要を感じて居 ない烏であろう。否、地主小作人の自治的協調団体 たる業佃会の存在がある鳥である。 と言われ、台湾においては小作関係法を施行せずに業個 会が争議の調停、未然解決を行っていた。また調停の基 本精神は「紛争当事者の合意を基礎にし、妥協、譲歩を 根本の精神」と言われ(同8貢)、調停の範囲は「其の 街庄内の会員に止まらないで、他街圧の会員に関する事 件も相互連絡の下に取扱ふ事を妥当」 (同1 2貢)とし ており、 「裁判するのではなくて、寧ろ当事者間の合意 を成立せしむ」(同14- 15貢)ものであると言われ ている。 (7)地主、小作人の協調施設 地主、小作人の協調施設は(彰講話会其他による協調恩 想の宣伝普及、 ②地主、小作人懇談会の開催、又は地主 主催小作人慰労会の開催奨励助成(補助金交付等)、 (郭 規約による契約締結済小作人の競作会開催、又は地主主 催小作人競作会の開催奨励助成(審査、補助金交付等). があった。 (37) (8 )農事改良助成及奨励 これには①農事改良指導講習会の開催、 (塾官庁、農会、 農事組合と連絡をとり、耕地防風林設置、深耕、緑肥栽 培、堆肥豚舎建設等の指導奨励があった。 (38) (9)調査研究 これには(彰小作地面積及其の増減、 ②農作物生産量、 ③農家経済状況、 ④相当小作料、 ⑤凶作による減少歩合 があった- (39) (1 0)優良地主小作人の表彰(40) (1 1)農事及小作改善事業の視察(41) 以上のような小作慣行改善事業が行われていた。.
(9) 日本植民地時代台湾における小作慣行改善事業について. 85. 6小作慣行改善事業成績 同事業の成績を次の2表で検討しよう。 (1)書式契約締結状況(『本島小作改善事業成績概要』台湾総督府殖産局、昭和1 3年3月、統計は昭和1 2年1 2 月末現在) 12貢 (第6表) 区域 別. 小作地総面積. 台北州 新 竹州 台 中州 台南 州 高雄州. 5 2 ,6 56 甲 9 1 ,8 70 86 ,7 64 10 9 ,567 6 3 ,13 1. 計. 4 0 3 ,9 88. 証書契約 締結面積. 同上 割 合. 35 ,09 3 甲 69 ,14 8 53 ,29 2 93 ,95 7 48 ,24 6. 7 4 .19. 地. 結. 人. 主. 員 小作人. 20 ,6 26 件. 12 ,0 22 人. 16 ,38 3 人. 23 ,14 7 4 6 ,6 9 1 7 1,6 4 5 4 5 ,2 75. 18 ,09 0 15 ,54 9 25 ,9 19 12 ,0 13. 2 1,15 1 3 4 ,69 4 6 0 ,8 13 38 ,9 13. 2 07 ,3 84. 83 ,59 3. 17 1,95 4. 6 6 .6 4 % 7 5 .16 6 1 .4 2 8 5 .7 5 7 6 .4 2. 2 99 ,73 6. 締 締結件数. (2)愛佃施設設置状況(『本島二於ケル地主ノ愛佃施設状況』台湾農友会、本島小作問題研究資料第9韓、昭和8年) 1-2貢 (第7表) 州. 別. 愛 佃 施 設 を 行 う地 主 数. 同上 地 主 所 属小 作 人. 5 0 人. 1 、 1 2 6 人. 台北州 新竹州. 1 2 蝣 1 1 ○. 台中州 台南川 高 雄州. ○. ○ (⊃. 汁. 4. ○. 同上 小 作 地 面 積 2 、 4 3 3 甲. 8 7. 2 2 6. 1 、 3 3 3. 3 、 1 5 2. 4 8. ○. 1 6 3. 2 2. 2 、 1 7 0. 4 、 3 0 3. 4 4. 2 、 1 1 1. 2 、 7 8 1. 2. 3 6. 蝣 4 3. o o. 2 、 1 9 9. 3 、 0 6 2. 2 4 0 4 3 7. ○. 2 、 1 2 1. ○. 1 1 、 2 3 1. 4 、 2 9 6 2 0、 4 5 9. (○印は2人以上の地主共同にて施設を行えるものの数なり) 以上の2表により、書式契約は昭和1 2年(1937)段. き、口頭契約を書式契約に変え、近代的契約関係を締結. 階で全島普及率74.19%にまで進み、所期のEj的を一応 達成されたものと考えられる。しかし、地主の小作人に 対する慰安措置、即ち、 「愛佃施設」の設置状況は愛侶 施設を行う地主を書式契約締結地主数で割ると約0. 5 %となっており、極めて普及率が悪いと言わざるをえな い。ちなみに、愛佃施設とは「小作人懇談会、改良豚舎 堆肥合の建設、優良農機貝の購入補助、農作物競作会・ 品評会の開催、優良小作人の表彰、肥料補助、蓬莱米栽 培・改良増収奨励補助、小作料の特別値下・減免」等. し、愛個施設等の設置によって、地主小作人問を融和さ せ、近代的農法を推進し、生産力向上を目指した。 3、書式契約については概ね所期の成果を得たが、愛 個施設等については、書式契約地主の0.5%前後であ り、進展しなかった。 4、書式契約については特に製糖会社による原料甘庶 地買い占め等日本人地主の土地所有拡大に寄与した。 5、蓬莱米生産の増加は各種農政の一環によって行わ れたが、小作慣行改善事業がその生産関係の安定という. (42)のことであった。. 点で寄与した。日本国内の米穀需給関係と緊密な関係に あった。 (43) 6、総督府による農民組合弾圧、小作慣行改善事業に よって小作争議は減少したが、台湾における高額な小作 料、磁地金・定頭金は小作農の不満、経済圧迫を温存し たままの地主一小作人関係で太平洋戦争に突入するので あった。 註. おわりに 1、大正末から昭和1 4、 5年にかけて行われた小作 慣行改善事業は植民時代第二期目の農政であった。その 本質は蓬莱米導入、米糖相魁下、製糖会社による自作地 増加策に即応し、旧来の小作慣行を近代的に変え、台湾 農民組合による階級闘争に対抗するために行われた、地 主小作人協調事業であった。 2 、小作慣行改善事業は小作慣行の綿密な調査に基づ. (1)宮川次郎『台湾の農民運動』 (拓殖通信支社、 1927年) 162貢。.
(10) 86. (2)江丙坤『台湾地租改正の研究』東京大学出版会、 1974年。 (3)註(1)163貢。 (4)註(1)164貢。 (5) 『台湾に於ける小作事情と其の改善施設』 (台湾 総督府殖産局、 1930年)0 (6)註(1)164貢。 (7)註(5)に同じ。 (8)註(1)165貢。 (9)註(1)215貢、註(5)e (10)註(1) 215-17頁。 (ll)註(5)99亘。 (12)註(5)に同じ。 (13)註(1)182-頁。 (14)註(5)74*75貢。 (1 5)川野重任『台湾米穀経済論』 (有斐閣、 1941年) 118-21貢。 (1 6)天野元之助『支那農業経済論』上巻(改造杜、 1940年) 446、 7貢。 (1 7)米穀局『米穀要覧』 ( 1 8)陳逢源「本島小作問題の核心」 (『台湾農会報』 4巻3月号、 1942年3月)。 (1 9)台湾総督府殖産局『台湾二於ケル小作問題二関 スル資料』 1930年3月、 105-07貢。 (2 0)矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』 (岩波書店、 1929年) 242-3貢。 (21)註(20)と同書245貢。 ( 2 2 )台湾総督府警務局編『台湾総督府警察沿革誌』 m (1939年原本、 1986年、緑蔭書房復刻)第六章「農民 運動」、向山寛夫『日本統治下における台湾民族運動史』 (中央経済研究所、 1987年) 785貢。 (23)註(1)と同書91-92貢。 (24)註(1)と同書109亘。 (25)註(1)と同書93貢。 (2 6)前掲川野重任『台湾米穀経済論』 (27)註(1)と同書113貢。 (28)註(1)と同書118貢。 (2 9)註(2 2)と同書第三章、共産主義運動の734 -37頁。 (3 0)張新患『業個会の小作調停』 (栗田印刷工場、 1935年)、台中州『興農侶和会設立経過並其事業報告』 (1930年)等を参照されたい。 (31)註(30)の『業個会の小作調停』20頁及び 『改善施設』 100・101頁。 (3 2)茂野信一「台湾に於ける小作改善事業」 (『台湾 時報』 168号、 1933年11月) 5貢。尚、 『農民運動』 2 1 7貢に「大正1 2年1月総督府殖産局より嘱託茂野信 一派遣されて、新宮郡業個会の事務を執り、督府の意志. 漸く地方的に具現さるゝ迄に進行した」と言われ、彼は 業佃全事業に直接携わっていた。 (3 3)台湾農友会『業佃事業に就ての実験談』 (本島 小作問題研究資料第6韓、 1929年) 6頁。 (3 4) 『改善施設』 108・109頁。 (3 5)台湾農友会『小作慣行改善映画説明集』 (本島 小作問題研究資料第4韓、 1929年)には「繁明の村」 「圧の栄」という題名の映画が上映されたことが記され ている。 (3 6) 『改善施設』 109頁。 (3 7) 『改善施設』 110貢。 (3 8) 『改善施設』 110頁。 (3 9) 『改善施設』 no-in貢。 (4 0) 『改善施設』 111責。 (4 1) 『改善施設』 111貢。 (4 2)前掲『本島二於ケル地主ノ愛個施設状況』 2-4 L'l。. (4 3)日本及び日本植民地経済圏における米穀需給構 造については今後の検討課題としたい。.
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地域の中小企業のニーズに適合した研究が行われていな い,などであった。これに対し学内パネラーから, 「地元
は、これには該当せず、事前調査を行う必要があること。 ウ
海外旅行事業につきましては、各国に発出していた感染症危険情報レベルの引き下げが行われ、日本における
目的 これから重機を導入して自伐型林業 を始めていく方を対象に、基本的な 重機操作から作業道を開設して行け
① 新株予約権行使時にお いて、当社または当社 子会社の取締役または 従業員その他これに準 ずる地位にあることを
対象期間を越えて行われる同一事業についても申請することができます。た
・毎回、色々なことを考えて改善していくこめっこスタッフのみなさん本当にありがとうございます。続けていくことに意味
最も改善が必要とされた項目は、 「3.人や資材が安全に動けるように、通路の境界線に は印をつけてあります。 」は「改善が必要」3