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日本統治時代台湾における国語演習会について

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Academic year: 2021

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(1)日誌統治時代台湾における.国語演習会について 松田吉郎 はじめに.  大正3年(1914)に全島国語演習会一が開.かれ、漢族の了弟、青犀の日本語能力を計り、. 日本語普及の推進が行われていた(P。 一方、原住民’に対する国語演習会についての記録. が見えるのはこれより10数年後の大正14年(1925)からである。その目的は漢族と同様で あったが、原住民子弟が逼’う「蕃童」公学校、教育所、’国語講習所の生徒、及び青年団員. 等の代表で行われた国語演習会は台湾総督府の臼本語推進政策の集大成的意味を持ってい たと考えられる。.  国語演習会の内容を時期的に第1期(大1E14年∼昭和5年〈,925∼30>)、第2期(昭 和6年∼12年7月〈1931∼37>)、第3期(昭和12年8月∼16年⇔937∼4D)に分けて考 察してみた、・。三期の各画期をなす事件‘ま昭和5年の霧社事件、昭和12年7月7日の日申戦. 争の開始である。第1期は霧社事件前の1理蕃政策}時期、第2期は霧社事件以後の【理 蕃政策大綱}時期、第3期は日中戦争時期である。昭和16年∼20焦くig41∼45)の太平洋 戦争時期については国語演習会の記録が見えず、同時期については三三できなかった。 i  第1期 (大1E 14年∼日召和5年 《1925∼30> ).  この時期の国語演習会に関する1‘台湾日日新報』の記事は大正14年(1925)3月15日に台. 北第二高女で開催の11蕃童学芸会」と同年10月20円の1蕃三三嬢の台東国語演習会、jのニ ー=)しか見えない。 《2》.  特に3月15日に台北第二高女で行われた学芸会の内容を見てみよう。  台北州1「理三三」の一k催により、内務局長、学務局長、台北州知事、台北市ヲ}、高等法. 院官長、台北州教育課長等の来賓出席の下、同州文山、羅東、蘇三三郡の教育所「二三」 招0名の学芸会と児童成績品展覧会が行われた。学芸会は話方、遊戯、唱歌、成績品は図画、 予工、作文、習字等で約400点展示された(3㌦.  唱歌は「那須與市i、話方はi私σ)夢.;、遊戯は1兎と亀1(Gであり、唱歌は当時の学 校唱歌、遊戯の主題も童話等でおなじみのものであった。話方1よ即題であったのか、準備 題であったのかはわからない。.  学芸会に対する評価はi學二三としてはお恥しいものであるjが、 「:ε化に箔つたこの. 司憐な見童の演習に拍手を惜まず、薫化の跡を讃へる囁はあちらこちらから漏れ1、また 「普通學校の児童に劣らぬ出來榮で観衆に滞足を與」えていたと言われる(5㌔おそらくは、 当時の原住民子弟の国語演習の状況は、日本人子弟に比べると見劣.りし.ていたであろうが、. 彼等をそこまで指導した「理蕃に從事する職員へのかくれた努力の跡、並に其の家族の苦 心の程をお察し願ひたい」(酎という言葉にもあらわれているように、来賓に原住民子弟の. 一36一.

(2) 進化の度合いを理解をしそもら’お.うというのが主たる目的であ’っ『た。吊.  郭話の成績晶展覧会では「衣食住』の.改善向’上」樋習の打破ぐ良俗の馴致に全力をつくし. たことがありありと見られ、純眞率直な彼等の行末は頼母しく愛すべきもの\やうに感じ た」{・∼乏言われ、原住民の生活習慣が日本的に変わりつつある様子を示す展示物であった ようである。..  3月16、17両日は台北市内の台湾神社、動物園、博物館、植物園、盲唖学校、製糸工場 を見学’ オた上で㌃f蕃社」に帰る予定であった。(8’,.  大i正M年’に台北で行われた学芸会’は、 「蕃童教育所」生徒の国語修得め進歩と生活習慣. の日本化の進展度合いを確認するためのもσ)であり、日本入園にはほど遠いが、徐々に 1進歩」していること、 「理蕃関係者.1の努力が来賓各位に確認されたものであった。. II 第2期(昭和6年∼12年7月U931∼37>)  昭和5年(1930)10月28日の霧社事件1ま原住民教育に変更を求めた,,.  即ち、「蕃人の教化は彼等の弊習を矯正し、善良なる習慣を養ひ、島民思想の酒養に意 を致し、軽科教養に重きを’置き、Rっ日常生活に即したる簡軍な知識を授くるを以て主眼 とすべし」ω)と言われ、霧社事件のような反抗が起こらないように「善良なる習慣」に変 え、日本国民意識をもち、実科教養に重点・を置いて教育されることになうた。そのために. まずは国語教育の推進が計られ、各地で国語演習会、国語村、国語家庭の建設が木格的に 行われていたζ,αo}.  さそ、国語演習会については、・「年二同下寝せ剛しめ全慶下蕃童教育所見童の國語演習密 なるものがおこなわれる。・… この教育なるものの究極の目的は日本人たらしめんと七、 日本人としての情操陶冶をなさんとする手段の第一歩であろう」。しかし、当時の演習会. は「多くはこれ機械的であって、精神的でない。型式のみであって内容的でない,,根本的 に異なった出登をもつ民族を根本的に出直させやうとうする’仕事として現在、警察官の手. によってなされてるる教育はメカニズムにすぎるlqDという反省を行っている,,  「か\る蕃童教育なぞといふ事業は極めて精神的且っ宗教的に燃ゆるが如き信念の上に 立脚する篤志な人によって特殊な教育をなすかどうか、兎も角まつ第一に改善すべきは蕃 童教育所及び蕃人主語校の内容に就て大いに刷新を要するのである,,」臼2)と言われ、特 に教育所担当巡査の資質、情熱の向ヒがはかられていた。.  この時期の国語演習会の記事を見ると、昭和8、⇔年頃(1⇔33、34)は花蓮港庁のもの がほとんどである、,.  昭和9年(1934)1・月14rlに花蓮港庁鳳林支序演武場で開催予定国語演習会を見ると、 参加団体は「蕃童教育所児竜ゴ、司卒業生、青年団員200余名でζ公学校職員が審査員とな. り、出演者の態度、内容、発音、語調、思考の五項目について審査を行い、優秀者た国語. 章が授与されることになっていたq3㌔.  同年2月22日に同庁主催予定の第4回国語演習会では各支庁「蕃地」教育所児童、卒. 一37一.

(3) 業生、国語普及会員二百数十名が参加して行われる。、演習以外の催しとしてはブセガツ農. 業講習所n4\填水港製糖寿工場、市内築港.(花蓮港)の見学v昭和会館にて映画観覧が. 行われる予定であった。qω  公学校・教育所等における日本語教育及び国語演習会の成果は囲語理解者が増加1し、.花 蓮信士では同年8月段階で原住民総入口1万2575名詮、素語理解者が4875名(37.・83%)に 達しており、 「本島人ヤミ族蕃人に比し遙’に高率を示してみる」(’ωと言われた。しかし、. 台湾総督府.はこれに満足せず、青年団、家長会(1ひを通じて「家庭の國語化」、 「蕃社の. 乙鳥化」1ピ8)が目指された6また、国語章受賞者に対しても再度試験を行い、資格を失っ. たと認められる者には国語章を没収する措置も行われ、日本語普及の更なる向上が図られ たΩの。.  昭和9年置1934)時期の国語演習会は花蓮港庁で開催されたという新聞報道が多かった が、同年12月1日に高雄州で初の国語演習会が開かれ、演習会の地域的広がりが見えた。  こμは高雄州主催で》三州公学校で知事代理の警務部長、理蕃課長等の来賓出席の下、. 国語普及会員である50歳の「老蕃」壷最高として、教育所児童\伺卒業生、青年団員の 「老幼蕃人」177名が参加して行われた。即題、準備題、対話質問形式の国語演習が行われ た他に、童謡、舞踊、ハーモニカ演奏、遊戯が行われ、成績優良者には賞品が授与された。. その他、同開場において鉢教育所卑童の手工品、図画の成績品展覧会も合わせて実施され. てい衝伽’  昭和10年(1935)12月9日に花蓮港庁花蓮港小学校講堂で開催された国語演習会におい ては、その審査方法が公学校6年、4年、国語講習所生、公学校卒業生、青年団員の.各単. 位に分かれ、その各個人に対して各々1∼3等まで表彰され、さらに団体に対しては総合 回腸旗も授与された。(2正》この各単位毎の成績優秀な各個人を表彰する.と共に、団体単位. で総合優勝を決定する方法は昭和12年以降も採用された。.  こう彩た経過をふまえて花蓮港庁「理蕃當局⊥は昭和11年目1曾36)において、同15年 (1940)までに国語理解者’を50%に向上させる計画をたて、.さら1こ、、教育所話方教授細目. 並びに国語普及会教科書の編纂を実施した(22)。さらに昭和12年(1937)に花蓮港庁では. 本島人、高砂族に対する国語普豫の根本方針として、家庭の国語化、部落の国語化、街庄 の国語化、国語講習所の規程改正、同講習所の授業内容の改善、.国語解者の優待、国語の 家の表彰、部落対抗国語演習会の開催、国語美談の発表、、国語普及尽力者座談会の開催が 計画され角伽㌔同年5月花蓮港公学校では学校内外にお・ける国語使用を徹底するために、. 学級毎に国語表を作成し、各級長に児童間の国語会話を調査し、成績優秀者には学年末に 国語章を授与する。毎土曜臼に国喪演習会を開き、3年忌以上の生徒を出席させた。また 教師に通学途上における児童の状況を偵察させ、その「悪癖の匡正」にっとめ、、F国語化 の徹底」に努めていた。姻》. 一38一.

(4) 皿、第3期(昭和12年8月∼16年《・1937∼41>).  日中戦争が始まってからの国語演習会の内容は所謂「時局認識」、戦時下体制の認識を 深める色彩のもので.あった。.  例えば、昭和14年(1939)1月26、・Z7日に台北試訳東郡ショウラ教育所で開催された高 砂族国語演習会ではまず、国旗掲揚、皇居遙拝、「神社参拝にはじまり、 「皇軍將兵に試し. 感謝黙祷を捧ぐ」ことから虚言した。演習では教育所児童、補習生、晶晶講習所甲部生徒 は即題、講習所乙部生徒のみ準備題であろた。即題では丁兵隊さん」「旗行列」が行われ、 劇では「タ「イヤルの夢」 「日本軍人の父」、 「銃後美談」の「我友サヨンさんについて」 と、時局物が中心であった。(25》  翌臼には国歌奉唱の後、 「事愛一周年に賜りたる勅語」 「青年團に賜りたる令旨奉言言」 「令旨奉答歌」 「藤川中佐の興味深い戦地視察の講演」 「青年團の視閲」 「分列式」が行. われ、青年団を中心に軍事教練が行われ、まさに「…蕃出軍國糟巻」が展開されていた。そ の後、青年相撲大会も行われた。(26).  同年2月5日台巾市湊小学校講堂で行われた台中州高砂族国語演習会では「支那事攣と我 等の覧悟」の即題演習、 「軍山山のある朝」の会話劇が行われた畑η。また2月17日に花蓮 港庁花岡山で開催された同庁下高砂族国語演習会では「新東亜秩序の建設」 「日本精神は. 豪語から」「國語常用家庭の誇り」「國語を話せば心は光る」等の演習が行われた。これ らの演習は教育所児童、国語講習所甲乙部生により全部即題で行われたものであった。さ. らにタイヤル、ブヌンの「娘達」は花蓮港街内で自作の粟餅を売り歩き、その売上金を 「國防献金」にあてていた。(2ω.  昭和15年(1940)2月18日に高雄市湊小学校で開催された二二下高砂族第三回国語演習会 では来賓に高雄要塞司令官、三下各郡の郡守、横尾広二元視学官(29)等が見え、国歌斉唱、 皇居三拝}皇大神宮遙拝、皇軍感謝の黙祷、国語常用家庭・国語常用者・篤農家の表彰の 後、演習が行われた。 「準備題は實に驚く程すばらしい出來ばえであったが、即題の方は. 他州に比べて幾分見劣り」がしたと言われているが、演習、唱歌、舞踊、劇には「時局認 識も.. R鼠なもので」あったと言われている。その演習・劇には「國語の有難さ」「青年の. 務め」「銃後の國民」「大陸は招く」「興亜の光」「戦死の知らせ」があり、さらに男女 青年各一名による「時局掛合萬歳」が行われた。さらに翌19日には高雄陸軍病院を訪簡し て戦傷病兵を慰問した(3。㌔.  その後も新聞記事を.見ると昭和16年2月12日に花蓮港庁で国語演習会が行われたことが記 されている(3D。だだ、丸面ながら太平洋戦争時期については資料は見当売らない。.  以上の資料から見ると、この時期に行われた国語演習会は、まさしく日申戦争下におい .て原住民に「「銃後の民」 「戦力」意識を高めるための演習会であったと言えよう。. 一39一.

(5) おわりに  国語演’習会の内容を振1り返.ってみて、、以下のような特徴点があっ.た。.第1期(.大正14年. ∼昭和5年G925∼30>)においては国語能力は未熟であるが’、来賓各位に原住民子弟に おいては徐々に日本語能力が.ヒ達し、また生活習慣も日本化していること、即ち「理蕃関 係者」の努力を認めて.貰い、今後とも協力を仰ぎたいと’いうためのものであった。  第2.期(昭和6.年∼:12年7月.〈193重ん37>)‘こおいては、霧社事件の反省から原住民子弟. を教育する巡査の資質向上、原住民の「弊習1矯正のため・に国語普及がはかられ、.hその〕 千段として国語演習会が催された。.国語解者が50%になることが目指された。.  第3期(昭和12年8月∼16年〈1937∼41>)の日L11戦争時期は国語解者を増加させるとと もに、原住民に「時局」認識、即ち」戦時下の:「銃.後の民」 1戦力」.意識を向上さぜるた めのものであった。.  国語演習会は教育所就学率の向ヒ、国語講習所の普及等とあい・まって、原住民の国語解 者を昭和10年(1935)の22.76%から同17年(1942)の50.59%に上昇させるととも{32〕、 太平洋戦・争には高砂族義勇隊に原住民壮年男了が参加するなど(33}、’台湾総督府の所期の. 目的は達成されていたと考えられよう。 註. (1) 『台・湾日日新報』昭和14年(1939)12月10日・;「全島国語演習会 ・’各州庁選抜の舌の.  戦十 きのふ高雄市で大熱演;。 (2) 『台湾日日製麺」!大正14年(1925)3月8日【工手学.芸会と成績品展覧会を.育北第二  高女に開催」、同大正14年3月9日「台北州下各教育所の蕃童の学芸会 唱歌〈那須與市〉  話方〈私の夢〉などすらすらと遣.ってのけ喝采を博す.」。・同大正14年10月20日1蕃童蕃 嬢の台東国語演習会」.。. (3)註(2)前掲『台湾日日新報』大正一14年3月昂日「蕃童学芸会の成績品展覧舎を台北  第二高女に開催」.。. (4)註(2)前掲『台湾日.日新報』大正14年3月9ぼ「台北州■下各教育所の蕃童の学芸会 .唱歌〈那須與市〉話方ぐ私の夢〉などすらすらと遣ってのけ喝采を博す」,, (5 ) 天主 (4) に1司じ。. (6)註(4)に同’じ。. (7)註(4)に同じ。 (8)註(3)に同じ。 (9) 『台湾教育沿革誌」498頁。. (10) 『台湾日R新報』昭和9年(1934)8月22【1「蕃社の国語化 国語解者ば年々著く  増加」.。9月4日「下衆が率先して蕃社に国語村建設」.(花蓮港)嵐昭和12年(1937)  1月26口「蘇懊郡.ド蕃地に〈国語家庭〉を建設.i》尚、■理蕃大綱二時期の原住民教育  については、拙稿「『理蕃の友』に見える台湾原住民教青関係資料に.ついて」 (『台湾  史研究』第13号、1997年3月)を参照されたい。 (11) 『台湾日日新報』昭和.6年(1931)9月8日.「理蕃政策ヒの重大なる問題(’2)」。 (12)註(11)に同じ。. (13) 『台湾日日新報』昭和9年1月7日「蕃童等の国語演習会i(花蓮港庁)。 (14)拙稿「点本統治時代台湾における農業講習所について」 (子現代台湾研究』第20号、  2000年10月)を参照されたい。. 一40一.

(6) ,(.15),『台湾日日新報』昭和9年2月16Rr花蓮港庁第四回国語演習会 二卜二日に開催」。 (16) 『台湾日日新報』昭和9年8月22日1蕃社の国語化 国語解者は:年々著く増加」。 (17)青年団については拙稿「日本統治時代台湾の高砂族青年団について」 (『現代台湾 研究』第21号、200董年3月刊行予定)、家長会については同「日本統治時代台湾の高砂 族自助会について」 (r兵庫教育大学研究紀要』第21巻第2分冊、2001年2月)を参照  されたい。. (18>註(16)に同じ。. (19).『台湾ロ日新報」昭和9年9月15日「蕃人ら.に国語の試験。資格喪失:者からは国語 章を没収。 〔花蓮港電話〕.1。. (20>『台湾F{日新報』昭和9年12月2[r高雄州最初の蕃人国語演習会 五十歳の老蕃  も出.演」。. (21) r台湾日円新報』昭和10年12月10日「花蓮港庁下の国語演習会素晴らしい出来栄え」。 尚、国語講習所については拙稿「日本統治時代台湾の高砂族国語講習所にづいて」 (姫 路濁協大学教職課程研究室r教職課程研究エ第11集、200/年3月刊行予定)を参照され たい。. (22) 『台湾日日新報』昭和!!年1月20日「山の人たちにウンと国語を奨励、教授用の教 奉垂球も編纂」。. (23)『台湾日日新報』昭和12年4月20Hr各種施設を充実し国証普及を徹底 花蓮港庁  ・根本方針を確立し近く具体化せんi。 (24) 『台湾日日新報』昭和12年5月29日}『国語表を作製し、級長が会話調査。通学途上 の状況を審・に偵察。国語化の徹底に努む。」 (25)『理蕃の友』第86号(昭和14年3月1日)「皇民化・… 軍国調豊に、各地が競ふ車輿 の盛観i台北、東原生,, (26)註(25)に同じ。. (27)註(25)と同資料、台中、杉佐木。 (28)註(25)と同資料、花蓮港、斎藤,, (29)横尾広輔については註(10プ前掲拙稿 『理蕃の友』に見える台湾原住民教育史関 係資料について」を参照されたいで、 (30) 『理蕃の友』第101号(昭和15年5月1目) 「高雄の国語演習会i警務局、斎藤‘, (31) 『台湾白日新報』昭和16年2月Hヨー高砂族の国演会  レニ日花蓮港庁で1 (32) 「高砂族の教育』昭和11年度・同18年度(昭和11年11月、同19年3月、台湾総督府 警務局)。. (33)高砂族義勇隊については拙稿「阿里山ッオウ族の戦前・戦後・イウスム・ムキナナ 氏のライフヒストリーをψ心に一」(『兵庫教育大学研究紀要』第20巻第2分冊、−2000 年2月)を参周到れたい,,. 一41一.

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