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≪「人(じん)財(ざい)」余話≫第1回

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第8回≪そのとき、トップは≫――戦訓「太平洋戦争」

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社会保険労務士法人 幸和会 松山労務管理 社員会長 松山 幸 (2014.9.11〔月〕) 前々回、前回に引き続き、月刊誌『プレジデント』1979年12月号(特集=戦史の教訓) 掲載の作 家 ・ 豊 田 穣 氏 の 寄 稿 文 を 取 り 上 げ ま す 。 「最後に最も重要と思われる情報とエレクトロニクスについて眺めてみたい。まず、大本営発 表である。日本軍の発表は最後まで〝常勝皇軍〟で終始した。しかし、この 捷 報しょうほう(戦争に勝っ た知らせ)が実際の戦果と釣り合ったのは17年5月の珊瑚海海戦ぐらいまでで、6月のミッド ウエーからウソが始まった。日本軍が空母4、重巡1を失い、米軍が空母1、駆逐艦1を失った のが正確な結果である。しかし軍艦マーチと共に発表されたのは<撃沈空母2、わが方空母1沈 没、1大破、巡洋艦1大破>とややわが方有利というようなごま化しであった」 「ウソはウソを呼ぶもので、この悲劇を国民の眼から蔽う為、沈没した空母の乗員は各地の航 空隊などに軟禁され、1、2ヵ月外出禁止の後、前戦に送り出されたのである。この為国民はい つまでも戦勝の夢に酔い、政府は敗戦の実態を国民に告げることが出来ず、戦争終結の機会はず るずると伸ばされ、ついに原爆投下の悲劇を迎えるに至ったが、この原爆さえも、単に新型爆弾 と発表して徹底抗戦を続けようとしたのであるから、軍部は国民の生命をどの程度重視していた のか、全く首をひねらざるを得ない」 「連合軍はどのように戦況を発表していたか? 開戦間もない16年12月10日、英海軍は マレー沖で虎の子の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを失った。チャーチルは議会で これを報告し、<誠に悲しむべきことである>と暗い表情で告げた。 アメリカは真珠湾の被害は沈没、戦艦5隻とそのまま発表したことはもちろん、負けていると きでも被害を極端に少なく発表し、戦果のみを誇大に述べたことはなかった」 「ミッドウエー後でも<空母2乃至3を撃沈もしくは大破、空母1乃至2を大破せしめたと考 えられる>と控え目な第一報を発表している。 米海軍は空母ホーネットを失いエンタープライズが大破した。日本海軍は軽空母瑞鳳小破、翔 鶴が大破した。 米軍は<史上最も暗い海軍記念日を迎えた>としてホーネットの喪失を発表した。日本側の発 表は<敵空母3隻撃沈、わが方1隻中破>となっている」 「今でこそ国民には〝知る権利〟があるということになっているが、戦争中は余計なことを知 ろうとしたり、しゃべったりすると憲兵に引っ張ってゆかれたものである。国民が事実を知らぬ うちに戦争の突入し、敗戦に引きずりこまれるというのが全体主義国家の特徴であり、それは今 も痕跡を残している」 「たとえば16年4月から11月まで秘密裡に行われた日米了解案に基づく和平交渉につい

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て日本人はどの程度知っているのか。この交渉で日本はアメリカのハル国務長官に操られ、結局 大戦突入に至ったのである。外相松岡洋右はこの途中で近衛総理と衝突して解任され、やがて東 条首相のリードのもとに開戦となるのである。 私はそのいきさつを『燃える怒涛』(三笠書房)『松岡洋右』(新潮社)などで書いたが、初め て知ったという人が多かった」 ** 「次に情報と暗号解読にゆこう。「日本郵船戦時船史」によれば、太平洋戦争中に280隻も の船が沈められた。これに大阪商船その他の船舶を加えれば、かなりの数の船が軍用の輸送船と して太平洋や東支那海で沈められているはずである。 その大部分は米英潜水艦によるものであり、なぜそのような多くの船がむざむざと沈められた のか? アメリカのG2(情報部暗号解読斑)の無線傍受により船団の行動が解読され、待ち伏 せをくったからである。 ある時期に日本の艦隊はA地区にあり、輸送船団はB地区にいることがわかっていれば襲撃は 容易である」 「では日本の潜水艦は何をしていたか。敵の艦隊襲撃が専門であったが、その位置がわからな いので、攻撃に苦心していた。開戦の初期にサラトガに雷撃を加え、ガダルカナル付近でワスプ を撃沈するなどの戦果をあげたが、その後はほとんど戦果があがっていない。 筆者の同期生が乗っていた何隻かの潜水艦も連合軍の潜水艦のレーダーによる雷撃によって 沈められた」 「レーダーといえば、アメリカはこの開発に力を入れていた。ミッドウエーのときすでに空母 にレーダーをつけていたといわれる。ソロモンでもレーダーは大いに活躍した。 ガダルカナルに米海兵隊が上陸して苛酷な消耗戦の幕を切って落としたのは、17年8月7日 であった。三川中将の第八艦隊は翌8日サボ島に南方水道から進入し、あっという間に米重巡3、 濠重巡1を撃沈して風のように去った。日本海軍伝統の夜戦の勝利である。これに懲りた米軍は レーダーの普及を急いだ」 「10月11日のサボ島沖の夜戦ではこのレーダーが登場し、重巡古鷹が沈んでいる。11月 14日の第三次ソロモン海戦(2日目)では米新型戦艦ワシントンのレーダー射撃で日本の戦艦 霧島が沈没している。 18年10月6日第三水雷戦隊はソロモン群島のベラベラ島沖で米駆逐隊と夜戦を演じた。こ のとき、三番艦風雲の砲術長は68期を2番で卒業した国島清矩くにしまきよのりで、四番艦夕雲の水雷長はク ラスヘッドの秀才山岸計夫やまぎしかずお大尉であった。山岸は東京府立三中の給仕をして家計を助け、夜学で 勉強して海兵に合格し、1番で卒業した頭の切れる男で前途を嘱望されていた」 「しかし、この夜米軍の新式レーダーは闇夜の中で日本艦隊を捉え、まず夕雲に猛砲撃を加え て来た。夕雲は敵の初弾を艦の中部に受け、続いて艦橋も命中弾を受けて火災を生じついに沈没、 山岸も艦と運命を共にした。 では日本海軍はレーダーを開発していなかったかというと、そうでもなく、18年4月初旬の い号作戦の為、私が空母飛鷹乗組としてトラック島に赴くとき、艦橋上部に装備してあるレーダ

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ーの受像の様子を見た記憶がある。しかし、何としても機材不足で、大戦の最後まで日本のレー ダーが大活躍をしたという話は聞かなかった」 *** 「アメリカ側の新兵器開発はいろいろあって、19年6月のマリアナ沖海戦のVT信管なども 有名である。 日本の攻撃隊はこのVT信管の洗礼を受け、結局9隻の空母から400機の攻撃隊を発進せし めながら1隻の空母をも撃沈することは出来なかった」 ■VT信管:(Variable-Time fuze)近接信管ともいう。砲弾にレーダー を組み込み、たとえ目標(飛行機)に直撃しなくても、一定の範囲内であれば、その近く(数メ ートル手前)で炸裂することにより、目標物に対してダメージを与えることができる。(2014.9.10 現在ウィキベディアより。「次の、PTボートも同じ」) 「新兵器というほどではないが、米軍が十二分に活用し、日本軍が殆ど活用しなかったものに PTボート(高速魚雷艇)がある。 真珠湾攻撃の直後、マッカーサーはコレヒドール要塞からミンダナオに脱出したが、このとき PTボートを利用した様子は映画にもなっている。 19年10月24日夜レイテ島に近いスリガオ海狭では、日本の西村艦隊を迎えたPTボート 群が島陰から現われて水スマシのように夜の海を駆けめぐって肉迫雷撃を行った。その為、扶桑、 山城、最上などが海底に沈んだ。 振り返ってみると、日本軍はやって出来ないというほどでもないことをやらずに、肉弾攻撃に すべてを託して自滅した感じが強い」 ■PTボート:(Patrol Torpedo boat)哨戒魚雷艇ともいう。全長20 メートル、排水量50t程度の木製の船体に航空用エンジンをデチューンして搭載。40ノット (約70㎞/h)以上の高速を誇る。魚雷や機関銃や機関砲を搭載し、排水量当りではかなりの重 装備。大戦中768隻が建造された。 **** 文中に出てくる、軍隊の階級制について、私の知るところで触れておきます。 陸軍と海軍、また時代で若干異なるようですが、帝国海軍の例です。 【(元帥)、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、兵曹長、上等兵曹、一 等兵曹、二等兵曹、水兵長、上等水兵、一等水兵、二等水兵】 さて、「戦訓<太平洋戦争>」。 我が日本は、野球なら2回までは辛うじてリードしていましたが、3回から逆転され、徐々に 差を拡げられて、終わってみると大差で負けた戦いでした。ビジネスに例えると、最初はやや優 勢だったのが、売上、経常利益とも追いつかれ、相手は次第に伸ばしに伸ばして、その差は歴然 となり、日本株式会社は遂に倒産に追い込まれた。 戦争もマネジメントも、瞬間の勝負は大事ですが、やはり総合力の競争ということになります。 ビジネスであれば仕入に例えられる〝石油〟を確保する術の差ははじめからついていました。日 本は中国、東南アジア、インドなどに石油を求める(仕入)ことからやらねばならない。アメリ カは自国および同盟国からの調達が容易。スタートラインからして差がありました。

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戦艦から空母への転換の遅れ。 技術革新の早い時代になったのにもかかわらず、日露戦争の戦艦勝利の体験が忘れられず、大 艦巨砲主義を貫こうとした日本海軍。飛行機の時代の読みを間違えた。飛行機の生産力はアメリ カの10分の1、これでは勝負にならない。 陸軍の人海戦術。 明治38年の日露戦争時代の三八銃(単発銃)。相手は小型連発銃のトミイガン。ノモンハン の戦訓を生かして戦車を増産することすらしなかった。レーダー開発の差。「我に三百万の陸軍 あり」と人海戦術をとった陸軍。 年功序列と実力主義。 日本軍は年功序列主義で、臨機に対応ができなかった。陸軍大学や海兵校の成績によって軍隊 での出世が決まる。学校の成績が良ければ戦果を挙げるなんて誰が考えてもナンセンスなのに、 です。 片や実力主義。「戦争」という特殊な状況に強い人材を選抜して任に当たらせる。ダメならす ぐ引っ込ませ、新たに実績があり見込みのある者を役職に据える。 その差、はっきりしています。 シビリアンコントロールと統帥権。 アメリカは文民統制のシビリアンコントロール。選挙で選ばれた大統領が全権を行使する。片 や日本は軍令部総長を介して天皇に仰ぐシステム。いわゆる統帥権。総理大臣といえども、決定 権はなかった。これでは、責任の所在がはっきりするはずがない。 ウソつき報道。 〝常勝皇軍〟のウソ発信。ウソはウソを呼ぶ。大本営発表のデタラメ。著者の述べるように、 国民の知る権利なんて微塵もなかった。 著者の豊田氏は、兵站について触れていませんがが、この差も大きい。片や、缶詰や堅パン、 コーンビーフらの保存食を研究し、最前線に送った。日本は現地調達主義。炊飯は煙が出て敵に 発見されやすいということで、すきっ腹であるにもかかわらず、思い切って炊けなかった。飢え と病気(マラリアなど)で、戦闘以前にやられる者が多かった。それまでの戦争では長距離での 兵站の経験が皆無だった日本。兵隊を見殺しにしてしまった。 軍隊の兵站は、ビジネスでいえば「後方支援」、つまりバックアップです。応援部隊を送ると か、資金の援助に当ります。これらの多寡・遅速は、現場の士気に大きな影響を与えます。 著者が最後に述べた、日本軍はやって出来ないというほどでもないことをやらずに、肉弾攻撃 にすべてを託して自滅したということ。 日本は負けました。倒産しました。「戦訓」のすべてについて学ぶ必要があります。 ( 了 ) < 引 用 文 献 > 豊 田 穣 「 戦 訓 < 太 平 洋 戦 争 > 」 月 刊 『 プ レ ジ デ ン ト 』 ( 特 集 = 戦 史 の 研 究 ) 1 9 7 9 年 1 2 月 号 プ レ ジ デ ン ト 社 p .6 0 - 7 1

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