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Taro-138複製

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(1)

平 成 2 3 年 東 北 地 方 太 平 洋 沖 地 震 に よ り 被 災 さ れ た 皆 様 方 に 対 し 、 鉄 道 友 の 会 福井 支 部 一 同 心 か ら お 見 舞 い 申 し 上 げ る と と も に 、早 期 復 興 を お 祈 り い た し ま す 。

鉄 道 友 の会 福 井 支 部 報

No.138

w a

d a

c h i

平成23年9月号

(▲ 2011 年 8 月 16 日 えちぜん鉄道 勝山駅

撮影

森家和治)

え ち ぜ ん 鉄 道 テ キ 6 形 機 関 車 保 存 施 設 へ 移 動 !

え ち ぜ ん 鉄 道 が 所 有 す る 電 気 機 関 車 テ キ 6 と 無 蓋 貨 車 ト 68 が 、 勝 山 駅 前 に 整 備 中 の 屋 根 つ き の 展 示 保 存 施 設 に 移 動 し ま した 。

福井支部

ホームページアドレス

URL

http://www.geocities.jp/railfan_fukui/

(2)

欧亜国際連絡列車

夢はヨーロッパヘⅣ

田中 完一

敦賀の欧亜国際連絡列車 Ⅰ

こ の 敦 賀 市 街 地 の 鉄 道 ル ー ト の 完 成 に よ り 、 明 治 45( 1912) 年 6 月 15 日 の ダ イ ヤ 改 正 に よ り 、 新 橋 − 金 ヶ 崎 間 に 欧 亜 国 際 連 絡 の た め の 直 通 寝 台 急 行 列 車 の 運 転 が 開 始 さ れ た 。 明 治 46 年 6 月 の 鉄 道 院 営 業 課 発 行 の 「 列 車 時 刻 表 」 及 び 大 正 元年 9 月 号 の 「 汽 車 汽 船 旅 行 案 内 」 を 見 る と 、 下 り は 新 橋 駅 を 毎 週 日 ・ 火 ・ 木 曜 日 の 21: 00 発 神 戸 行 の 9 レ ( 2・ 3 等 急 行 ) に 1・ 2 等 合 造 寝 台 車 を 連 結 し 、 米 原 で 翌 朝 切 り離 し、 8: 36 発 の 不 定 期 16 レ と し 金 ヶ 崎 駅 に 11: 00 に 着 い た 。 毎 週 金 曜 日の 17: 00 時 に 敦 賀 港 を 出 航 す る ウ ラ ジ オ ス ト ク 行 の 大 阪 商 船 鳳 山 丸 と 毎 週 月 ・ 水 曜 日 の 19: 00 発 の ロ シ ア 義 勇 艦 隊 商 船 の 定 期 船 に 連 絡 し た 。 ウ ラ ジ オ ス ト ク に は 、 日 曜 日 10: 00(鳳 山 丸 ) 及 び 水 ・ 金 曜 日 11: 00( ロ シ ア 義 勇 艦 隊 )に 到 着 し 、同 じ 曜 日 の ウ ラ ジ オ ス ト ク 発 17: 00 の 東 浦 鉄 道 経 由 哈 爾 浜( ハ ル ピ ン ) 行 に 乗 車 し ヨ ー ロ ッ パ へ 向 か う こ と に な る 。 当 時 、 シ ベ リ ア 鉄 道 の ハ バ ロ フ ス ク 経 由 ル ー ト は 未 開 通 で あ っ た 。 上 り は 、 毎 週 木 ・ 土 ・ 月 曜 日 の 朝 6: 00 に 敦 賀 港 に 入 港 す る 鳳 山 丸 と ロ シ ア 義 勇 艦 隊 商 船 か ら の 旅 客 を 受 け て、金 ヶ 崎 駅 を 朝 8: 52 発 の 不 定 期 16 レ で 発 っ た 。米 原 に 10: 50 に 着 き 乗 客 の 大 半 は 、 米 原 発 11:06 の 下 関 か ら の特 急 2 レ に 乗 り 換 え 、 新 橋 駅 に は 午 後 20: 25 に 到 着 し た 。 車 両 は 、回 送的 に 米 原 発 16: 32 の 14 レ (岡 山 発 、 2・ 3 等 ) に 連 結 し 新 橋 駅 へ は 翌 朝 6: 35 に 到 着 し た。 こ の 列 車 に は 、 イ ロ ネ 5476・ 6476 及 び イ ロ ネ フ 5480・ 5481 を 共 通 運 用 し た よ う だ 。 1 等 寝 台 の 1 人 床 が 上 段 8 個 と 下 段 8 個 の 16 個 で 、 2 等 寝 台 が 1 人 床 上 ・ 下 段 そ れ ぞ れ 2 個 の 4 個 分 の 1・ 2 等 合 造 車 で あ る 。 第 1図 金 ヶ 崎 駅 の 欧 亜 国 際 列 車 (大 正 4年 )

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第 1 図 は 、 鉄 道 院 発 行 の 「 鉄 道 旅 行 案 内 」 所 収 の 写 真 で あ る が 、 機 関 車 の 直 ぐ 後 ろ の 車 両 が 1・ 2 等 合 造 寝 台 車 で あ る 。 窓 の 下 に 白 い 帯 が 途 中 ま で あ る の が 1 等 部 分 で 、 そ の 後 ろ の 連 結 車 両 は 3 等 車 、 金 ヶ 崎 ・ 米 原 間 は 2 両 で 走 り 、 米 原 で 1・ 2 等 合 造 寝 台 車 の み 東 海 道 線 の 列 車 に 併 結 さ れ た 。 と こ ろ で 明 治 45 年 6 月 16 日 は 土 曜 日 で あ り 、 下 り の 最 初 の 列 車 は 、 翌 日 曜 日 の 16 日 か ら 運 転 さ れ た の で は な い だ ろ う か 。 上 り 列 車 は 金 ヶ 崎 駅 を 15 日 に 発 車 し た の か 不 明 で あ る 。 大 正 元 年 に は 、 イ ロ ネ フ 5480 形 2 両 を 新 製 し 、 そ れ ま で 使 用 し て き た 1・ 2 等 寝 台 緩 急 車 イ ロ ネ フ 6475・ 5476 に 換 え 、 同 3 年 に は 全 面 的 に 置 き 換 え た 。 大 正 3 年 7 月 第 一 次 世 界 大 戦 が 勃 発 し 、 続 い て 同 6 年 ロ シ ア 革 命 が 起 き 、 さ ら に は 同 11 年 の ソ ビ エ ト 連 邦 の 成 立 な ど で 国 際 連 絡 運 輸 は 次 第 に 利 用 も ま ま な ら ず 、 当 初 の 週 3 回 が 大 正 4 年 に は 週 2 回 に 減 便 し た 。 そ の 後 、 ウ ラ ジ オ ス ト ク 経 由 ハ ル ピ ン 行 き の 日 満 連 絡 は 続 い た も の の 、欧 亜 連 絡 に つ い て 、大 正 7 年 4 月 号 の 時 刻 表 に は 、 記 載 が な い 。 そ し て 、 東 京 − 敦 賀 間 の 日 満 連 絡 列 車 は 、 同 12 年 に は 週 1 回 と な っ た ( 第 2 図 )。 こ の 間 、 大 正 3 年 12 月 20 日 に は 東 京 駅 の 完 成 に よ り 新 橋 発 着 の 列 車 が 東 京 駅 に 変 わ っ た 。 ま た 、 同 8 年 1 月 11 日 に は 金 ヶ 崎 駅 を 敦 賀 港 駅 と 改 称 し て い る 。 大 正 8 年 こ ろ ま で は 、 ロ シ ア 船 も 就 航 し て い た が 、 そ の 後 は 大 阪 商 船 の 鳳 山 丸 の み で あ っ た 。 大 正 14 年 に は 嘉 義 丸 (2347 ト ン ) に 替 わ っ た 。 昭 和 2 年 8 月 1 日 か ら シ ベ リ ア 経 由 欧 亜 連 絡 運 輸 が 再 開 さ れ 、 毎 週 金 曜 日 の 21: 15

第2図 欧亜国際連絡列車の変遷

東京 米原 敦賀港 M45. 6.15 週 3 回 日、火、木 9 ∼ 15 レ 21:00 → 8:22 / 8:35 → 11:00 14 ∼ 16 レ 5:45 ← 15:32 / 10:50 ← 8:52 T 4. 8. 8 週 2 回 T 5.11.15 週 2 回 9 ∼ 81 レ 21:00 → 8:21 / 8:45 → 10:46 16 ∼ 82 レ 7:10 ← 17:31 / 17:13 ← 15:30 T 8. 8.20 週 2 回 21 ∼ 67 レ 20:20 → 9:15 / 9:35 → 11:38 22 ∼ 68 レ 7:30 ← 19:27 / 17:26 ← 15:20 火、土 / 9:35 → 11:38 62 レ 月、金 2 レ / 10:40 ← 8:55 T12.7. 1 週 1 回 29 ∼ 69 レ 20:55 → 9:29 / 9:40 → 11:26 2 ∼ 62 レ 19:35 ← 11:10 / 10:34 ← 8:45 T13. 7.31 欧亜国際連絡列車廃止 T15. 8.15 619 レ 9:15 → 10:55 614 レ 11:02 ← 9:20 S 2. 8. 1 欧亜国際連絡列車復活 週 1 回 7 ∼ 617 レ 21:15 → 7:25 / 8:05 → 10:16 2 ∼ 614 レ 20:20 ← 11:33 / 11:02 ← 9:20 S 4. 9.10 週 2 回 15 ∼ 604 レ 21:20 → 6:41 / 7:08 → 9:03 2 ∼ 604 レ 20:00 ← 11:25 / 10:47 ← 9:05 S 5.10. 1 週 1 回 金 17 ∼ 604 レ 21:25 → 6:41 / 7:09 → 9:03 10 ∼ 502 レ 20:25 ← 11:48 / 10:09 ← 9:32 S 8. 1. 月 3 回 17 ∼ 604 レ 21:25 → 6:41 / 7:09 → 9:03 16 ∼ 603 レ 7:15 ← 21:37 / 21:24 ← 19:30 S. 8. 7 . 1 7 ∼ 604 レ 21:45 → 7:24 / 7:30 → 9:14 16 ∼ 605 レ 7:15 ← 21:37 / 21:17 ← 19:20 S 9. 4 東京発毎月 6 の日 7 ∼ 604 レ 21:45 → 7:24 / 7:30 → 9:14 16 ∼ 605 レ 7:15 ← 21:37 / 21:17 ← 19:20 敦賀港発毎月 3 の日 S 9.12. 1 19 ∼ 604 レ 22:00 → 7:00 / 7:30 → 9:11 *♯ 10 ∼ 106 レ 19:45 ← 11:39 / 10:21 ← 8:37 * 605 ∼ 8 レ 9:10 ← 22:03 / 21:21 ← 19:25 ♯ * 浦塩航路東京発 5 の日 敦賀発 3 の日 ♯ 北鮮航路東京発 0 の日 敦賀発 8 の日 S12.11.15 東京発毎月 6 及び 10 の日 敦賀発毎月 4 及び 9 の日 1023 ∼ 604 レ 22:00 → 7:14 / 7:30 → 9:11 140 ∼ 10 レ 19:45 ← 11:39 / 10:36 ← 9:20 S15.11. 1 欧亜国際連絡列車廃止 北鮮航路連絡列車継続 608 レ 7:30 → 9:11 140 レ 10:36 ← 9:20 S18.10. 1 北鮮航路連絡列車廃止 「汽車汽船旅行案内」「汽車時刻表」「列車ダイヤの変遷(金 鉄局)」などより作成

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東 京 発 下 関 行 1・ 2・ 3 等 急 行 7 レ に 連 結 さ れ た。上 り は、敦 賀 港 を 金 曜 日 の 9: 20 発 で、 米 原 で 下 関 発 3 等 特 急 4 レ に 連 結 さ れ 同 日 の 20: 45 に 東 京 へ 到 着 し た 。 第3図 欧亜連絡切符第1種 第 3 図 は JTB が 取 り 扱 っ た シ ベ リ ア 経 由 の 東 京 か ら ベ ル リ ン 行 の 切 符 で 、そ の 内 の 第 1 券( 東 京 -敦 賀 間 ) の 表 裏 で あ る 。 1938 年 4 月 25 日 の 刻 印 が あ る 。 ウ ラ ジ オ ス ト ク 、 ハ バ ロ フ ス ク 、 ワ ル シ ャ ワ 経 由 で ベ ル リ ン に 向 か う こ と に な る 。 再 使 用 を 防 止 す る た め 無 効 の ゴ ム 印 を 押 し て い る。( 若 狭 町 : 個 人 蔵 ) 第 4 図 欧 亜 国 際 連 絡 列 車 時 刻 表 (日 本 旅 行 協会 発 行 汽 車 時 間 表 昭 和 5 年 10月 号 ) (以下次号へ 続く)

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台湾鉄路一周の旅(3)

岸本 雅行 台 湾 鉄 路 一 周 の 旅 の 3 回 目 は 、「 台 灣 鐡 路 」( 在 来 線 の 国 鉄 ) に つ い て 報 告 し た い 。 台 湾 の 鉄 道 は 「 台 灣 高 速 鐡 路 」 (新 幹 線 ) と 「 阿 里 山 森 林 鐡 路 」 以 外 は 中 華 民 国 交 通 部 が 運 営 す る 「 台 灣 鐡 路 (通 称 、 台 鐡 )」 で 、「 台 灣 鐡 路 」 の ほ と ん ど は 日 本 統 治 時 代 に 整 備 さ れ た 。 線 路 の 幅 は 日 本 の 在 来 線 と 同 じ 1,067mm で 、 列 車 種 別 ・ 運 賃 制 度 を 除 き 日 本 の 鉄 道 シ ス テ ム と 非 常 に 似 て い る 。 西 部 幹 線 (基 隆 ∼ 高 雄 )・ 屏 東 線 (高 雄 ∼ 枋 寮 )・ 南 廻 線 ( 枋 寮 ∼ 台 東 )・ 東 部 幹 線 ( 台 東 ∼ 八 堵 ) の 島 を 一 周 す る 路 線 と 、 平 渓 線 ・ 集 集 線 な ど の 支 線 の 約 1,100km か ら 成 っ て い る 。一 周 す る 路 線 の う ち 、 経 済 活 動 の 盛 ん な 西 海 岸 を 走 る 西 部 幹 線 は 早 く か ら 複 線 電 化 さ れ て い る が 、東 海 岸 は 経 済 発 展 が 遅 れ て お り 、 屏 東 ∼ 花 蓮 間 は 非 電 化 で 、 ほ と ん ど が 単 線 区 間 で あ る 。 な お 、 支 線 は す べ て 非 電 化 単 線 で あ る 。 列 車 の 種 別 は 、 特 急 が 「 自 強 号 」、急行が「莒光号」、 準 急 が 「 復 興 号 」、 さ ら に 「 区 間 車 」( 通 勤 通 学 列 車 )、「 普 快 車 」 ( エ ア コ ン 無 し の 普 通 列 車 ) の 5 種 類 に 分 け ら れ る が 、 特 急 券 ・ 急 行 券 と い う も の が 存 在 せ ず 、 列 車 種 別 ご と に 運 賃 が 異 な る 。す な わ ち 、「 自 強 号 」、 「莒光号」、「 復 興 号」・「 区 間 車 」、「 普 快 車 」 の 4 ラ ン ク に 分 類 さ れ 、順 に 少 し ず つ 安 く な る 。 こ の た め 、 隣 駅 ま で で も 気 軽 に 優 等 列 車 を 利 用 で き る 。 な お 、 特 別 車 ( グ リ ー ン 車 ) は 「 台 灣 高 速 鐡 路 」( 新 幹 線 ) の 商 務 車 以 外 に は ほ と ん ど 存 在 し な い 。 新 幹 線 で 到 着 し た 高 雄 で 一 泊 し た 後 、 在 来 線 で 島 の 南 端 を 経 由 し て 花 蓮 ま で 行 く こ と に し た。最 初 の 計 画 で は 、 「莒光号」で台東まで行き、台東市内 を 散 策 し た 後 に 「 自 強 号 」 で 花 蓮 へ 向 か う 予 定 で あ っ た 。 し か し 、 台 東 ま で の「莒光号」が満席であったため、高 雄 発 、 花 蓮 行 の 「 自 強 号 」 で 直 行 す る ことになった。台東までの「莒光号」 は デ ィ ー ゼ ル 機 関 車 が 牽 引 す る 客 車 列 車 で 、 一 度 は 乗 っ て み た い 列 車 で あ っ た の で 、 た い へ ん 残 念 で あ っ た 。

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高 雄 駅 前 は 台 湾 第 2 の 都 市 の 表 玄 関 に し ては 狭 く て ゴ ミ ゴ ミ し て お り 、 東 京 郊 外 の 私 鉄 タ ー ミ ナ ル と い っ た 雰 囲 気 で あ る 。 新 駅 舎 の 隣 に は 、 日 本 統 治 時 代 の 重 厚 な 造 り の 旧 駅 舎 が 残 っ て お り、現 在 は 高 雄 市 広 報 セ ン タ ー と して 利 用 さ れ て い る。新 駅 舎 建 築の 際、 わ ざ わ ざ 移 転 し て ま で 保 存 が 決 ま っ た そ う で 、 親 日 的 な 台 湾 人 の 気 持 ち を 象 徴 し て い る よ う で あ る 。 駅 構 内 を 少 し 探 検 し た 後 、 改 札 を 通 り 目 的 の 月 台 ( ホ ー ム ) へ 向 か う が 、 日 本 の 駅 と 同 じ よ う な 感 じ で 、 と て も 外 国 へ 来 た と は 思 え な い 。 乗 車 す る ホ ー ム に は 、 ち ょ う ど 台 北 方 面 か ら の E1000 系「 自 強 号 」が 到 着 し た と こ ろ で あ っ た 。E1000 系 は「 自 強 号 」 の 主 力 車 両 で 、 南 ア フ リ カ 製 の 電 気 機 関 車 が 韓 国 製 の 客 車 を 前 後 に 挟 み 込 む プ ッ シ ュ プ ル 方 式 の 列 車 で あ る 。 デ ビ ュ ー 以 来 10 数 年 経 過 し て お り 少 し 薄 汚 れ た 感 じ で あ る が 、 故 障 が 多 く あ ま り 評 判 は よ く な い そ う で あ る 。 時 刻 表 を 見 る と 、 台 北 ∼ 高 雄 間 に は 新 幹 線 が 開 通 し た に も か か わ ら ず 、 在 来 線 に 「 自 強 号 」・「 莒光号」などの優等列車 が 1 時 間 あ た り 数 本 の 割 合 で 頻 繁 に 走 っ て いる 。 新 幹 線 と 在 来 線 は 別 会 社 と い う こ と も あ る が 、 新 幹 線 が 開 通 す る と 優 等 列 車 が す べ て 消 え 去 っ て し ま う 日 本 と の 違 い に 驚 い て し ま っ た 。 ほ ど な く 、 私 た ち が 乗 車 す る 12 時 40 分 発 の 花 蓮 行 「自 強 号 」 2053 列 車 ( 日 本 車 両 製 の DR3100 系 気 動 車 6 両 )が 進 入し て き た。新 幹 線 連 絡 の た め 始 発 は 左 営 駅 であ る が、 高 雄 駅 で ほ ぼ 満 席 と な っ た 。 グ ォ ー と い う 何 と も 懐 か し い 気 動 車 特 有 の 轟 音 と と も に 発 車 、 市 街 地 を 抜 け る と 椰 子 の 木 や ビ ン ロ ウ 樹 が 一 面 に 広 が り 、 だ ん だ ん と 南 国 ら し い 風 景 に な っ て く る 。さ っ そ く 駅 売 店 で 買 い 込 ん だ 駅 弁 で 昼 食を 始め た。購 入 し た 駅 弁 は 60 元 ( 約 180 円 ) と 日 本 で は 信 じ ら れ な い よ うな 値 段 で 、 ご 飯 の 上 に 肉 ・ 卵 焼 き が の っ た 質 素 な も の だ が 、 何 と も 言 え な い 味 付 け で 美 味 し か っ た 。 南 国 情 緒 あ ふ れ る 景 色 を 車 窓 か ら 眺 め な が ら 食 べ る 駅 弁 の 味 は 格 別 で あ っ た 。 屏 東 か ら は 単 線 非 電 化 区 間 と な り 、 ロ ー カ ル 線 ム ー ド 満 点 で あ る 。 日 本 統 治 時 代 に 建 て ら れ た と 思 わ れ る 日 本 風 の 古 い 駅 舎 も 見 ら れ 、 昭 和 30 年 代 の 日 本 の ロ ー カ ル 線 を 走 っ て い る よ う な 錯 覚 に と ら わ れ た 。 枋 寮 か ら 台 東 ま で の 南 廻 線 は 、 1992 年 に 台 湾 一 周 環 状 鉄 道 と し て は 最 後 に 開 通 し た 区 間 で あ る 。 沿 線 に 人 家 は 少 な く 、 優 等 列 車 以 外 は 普 快 車 ( 普 通 列 車 ) が 1 日 2 本 と い う 超 ロ ー カ ル 線 で あ る 。 険 し い 中 央 山 脈 の 南 端 を 長 大 ト ン ネ ル で 越 す と 、 車 窓 に は 雄 大 な 太 平 洋 の 大 海 原 が 見 渡 せ る 。 南 東 部 最 大 の 都 市 の 台 東 あ た り か ら 平 野 が 広 が り 、 ほ ど な く 台 湾 き っ て の 米 ど こ ろ と し て 知 ら れ 駅 弁 で 有 名 な 池 上 駅 に 到 着 。「 べ ン ト ー 、 ベ ン ト ー 」 と ホ ー ム の 弁 当 売 り が 日 本 語 の よ う な 発 音 で 売 り 歩 い て お り 、 子 供 の 頃 の 日 本 の 駅 を 思 い 出 し 懐 か し か っ た 。 ホ ー ム の 数 少 な い 弁 当 売 り に 乗 客 が 殺 到 、 2 分 程 度 の 停 車 時 間 で は 発 車 時 刻 に 間 に 合 わ な い 乗 客 も 数 名 見 ら れ た 。 し か し 、 全 員 が 買 い 終 わ る ま で 車 掌 が 発 車 を 遅 ら せ て ま で 大 サ ー ビ ス 、 こ こ に も 古 き 良 き 時 代 の 日 本 を 思 い 出 さ せ る よ う な 風 景 が 見 ら れ た 。 池 上 駅 を 発 車 し た 列 車 は 瑞 穂 駅 付 近 で 北 回 帰 線 を 通 過 、 夕 や み 迫 る 田 園 地 帯 を 北 に 向 か っ て 快 走 、 定 刻 の 17 時 54 分 、 花蓮 駅 に 到 着 し た 。 新 幹 線 が 走 り 賑 や か な 西 海 岸 と 比 べ て 、 時 間 が の ん び り と 過 ぎ 去 っ て い く よ う な 南 部 ・ 東 海 岸 の 風 光 明 媚 な ロ ー カ ル 線 、 こ の 路 線 に 乗 る こ と が で き た の は 貴 重 な 体 験 で あ っ た 。

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高雄∼花蓮間の切符 旧高雄駅舎

E1000 系「自強号」(高雄駅) DR3100 系「自強号」(高雄駅)

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国鉄形特急列車と北近畿タンゴ鉄道

森家 和治 前回の、136 号で、福知山の特急列車を リポートした続編で、北近畿タンゴ鉄道の 特急について紹介したい。 残念 ながら、381 系「こうのとり」は 6 月下旬に廃止され、同時に国鉄色の 381 系 も廃車となってしまったようだ。 それでも、まだ 485 系改造の 183 系が活 躍しているので、変わらず目の離せない線 区である。 さて、北近畿タンゴ鉄道であるが、2 つ の区間から成り立っており、一つは宮津と 福知山間 30.4km を結ぶ宮福線、もう一つは 西舞鶴∼宮津∼豊岡間 3.6km を結ぶ宮津線 がある。京都から日本三景のひとつである 天橋立へ向かうには、以前は山陰線の綾部 と、宮津線の西舞鶴で 2 回方向転換をしな ければならず、時間もかなりかかるため、 福知山から宮津までの短絡線の計画がなさ れ着工、建設が進んだものの、国鉄末期に 不要線として工事が凍結してしまった。す でに工事のほとんどが完成していたため、 府などが第三セクター方式で「宮福鉄道」 を設立し、昭和 63 年に開業した。 ▲ 23-4-6 もと宮福鉄道 MF100 宮津駅 単線ながら全線高架、盛土で踏切なしの 高規格路線で、全長 3km を超えるトンネル もある山岳路線であるが、平成 8 年に電化 され 130km/h 運転も可能となり、関西方面 から天橋立へ向かう重要な観光路線となり、 JR からも多数の特急が乗り入れるドル箱路 線である。KTR は電車を保有せず、気動車 の MF100 形がローカル輸送を担う。 一方の宮津線は、国鉄時代からの歴史あ る路線であるが、国鉄末期に赤字のため廃 止対象路線となり、平成 2 年 4 月に JR 西日 本から経営を移管、宮福鉄道とあわせて第 三セクターによる「北近畿タンゴ鉄道」と して再スタートを切った。こちらは、一見 ユニークな顔つきの KTR700 形気動車が活 躍する。レールバスのようだが、実は全長 20m 級の大型で、転換式クロスシート装備 の観光型車両であるが、苦しい台所事情の ためか、傷みの目立つ車両もある。 ▲ 23-4-6 KTR700 形 宮津駅 宮津線の西舞鶴∼宮津間は風光明媚な車 窓風景で知られた路線で、丹後神崎∼丹後 由良間の由良川橋梁や、海岸線の海水浴場、 森鴎外の小説「山椒太夫」で知られる奈具 海岸などがきれいに見渡せ、「タンゴ悠遊号」 などの観光列車では、きれいな風景の場所 で徐行、一旦停止などのサービスもある。 車内にはアテンダントが乗務し、観光ガイ ドアナウンスや案内を行っている。 私は特にこの区間の景色が好きで、由良 川のゆったりした流れや、複雑に入り組ん だ海岸線、宮津湾に浮かぶ大型船、天橋立 の松並木など、車窓風景が実に素晴しい。 青春 18 切符と、KTR の特急乗り放題フ リー切符を使えば、小浜線から舞鶴線で福 知山に出て KTR に乗換え、宮津、天橋立、 西舞鶴までぐるっと回るのがいつものルー

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トで、時間を見ながらいかに効率よく特急 にたくさん乗るかがポイントである。 宮津線の天橋立∼豊岡までの区間は、実 はあまり乗車の機会が少ない。なぜかとい うと、この区間は距離が長く、ダイヤも閑 散としているため、非常に時間がかかる。 豊岡まで行ってしまうと、JR の特急で福 知山まで戻らないと、小浜線の接続が悪く て日帰りだと帰宅がたいへん遅くなる。 乗客も高校生の通学時間以外はたいへん 少なく、沿線に大きな都市がないこともあ り、一時は廃線の声もあがったほどである。 ほぼ全線が京都府内を走るのだが、末端 の但馬三江駅と豊岡駅が兵庫県に属してい るが、兵庫県が支援に消極的だという話も ある。並行する近畿自動車道が高速道路無 料化の実験線だったことから、観光客は増 加したものの、KTR には大打撃だったよう だ。そのほか、宮津線の設備老朽化による 経費の増加(橋梁の架け替え等)、JR 乗り 入れ費用(人件費など)の負担など、日本 有数の観光地を擁しながら、苦しい経営が 続いている。 ▲ 23-4-6 KTR8000 と JR はしだて 天橋立 特急車両は 2 車種あり、現在の主役は平 成 8 年に登場した、KTR8000 形「タンゴデ ィスカバリー」で、2 両 1 ユニットで正面 貫通扉 をもち、2,4, 6 両と、多彩な編成 を組める。室内は JR の 681 系に近い雰囲気 で、183 系よりは 格段によい。前面は運転 席後ろがガラス張りで、眺望が非常によい。 バリアフリー対応で、車椅子専用の座席も ある。デッキ付近には立席のサロン風スペ ースがあり、そこが喫煙場所になっていた が、現在は禁煙となっているようだ。春の ダイヤ改正で、「はしだて」「まいづる」と して運転されている。 自社線内でも特急「タンゴリレー」や、 観光列車としても運転されている。加速力 がすばらしく、宮福線内では気動車とは思 えないほどの高速度で、本領を発揮する。 ▲ 23-4-6 KTR「まいづる」 西舞鶴 もう一方の雄は、平成元年に登場した、 KTR001 形「タンゴエクスプローラー」で、 前面非貫通のワイドビュータイプ、3 両 1 ユニットで 2 編成所有、この時期流行した 中二階といわれるハイデッカーで、ドアか ら階段を 3 ∼ 4 段昇って客室に入る。客室 窓はスモークガラスで上部肩から天井にか けてカーブを描く曲面ガラスで、天井にも 天窓が装備されている。 デビュー当時、話題をさらったのはその スタイリングで、他のどの車両とも比較で きないほど優れたデザインだったと思う。 西洋の騎士の鉄鎧のようなマスクとでも言 おうか、さらに淡いゴールドメタリックの 塗装が上品で高級感を出している。現在で もその斬新さは失われていない。 ▲ 22-4-10 KTR001 福知山 しかし、老朽化とバリアフリー非対応で 自社線内専用となってしまい、少々もてあ まし気味である。個性的な特急車両と旧国 鉄型特急の走る KTR、また今夏も再訪した い。 < END >

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県立歴史博物館で鉄道模型運転会

岸本 雅行 福井県立歴史博物館で「鉄道博覧会∼日本と福井の鉄道のあゆみ∼」(7 月 1 日∼ 8 月 31 日)という催しが開かれていますが、福井支部ではこの催しに協力して、7 月 24 日と 8 月 7 日の 2 日間、鉄道模型運転会を実施しました。北陸線ゆかりの N ゲージ・HO ゲージの模型 を走らせ、終日多くの客で賑わいました。なお、7 月 24 日∼ 8 月 7 日の間、森家和治氏(福 井支部会員)の写真展「北陸線を駆ける特急たち」も開催し好評でした。博物館側にもたい へん喜んでいただき、「機会があれば、また模型運転会を行ってほしい」という有難いお言 葉をいただきました。 [県民福井 2011 年 7 月 25 日]

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福井県内の鉄道関連ニュース(7・8月)

福井新聞掲載記事より 7 月 2 日 『揺られほろ酔い「乾杯」 福鉄福武線 恒例ビア電開始』 福井鉄道福武線で夏恒例の「ビア電」が 1 日、運行を始めた。蒸し暑い日が 続く中、30 人の乗客は車窓に流れる風景とほろ酔い気分を楽しんだ。 7 月 2 日 『日本と福井の鉄道史ひと目 福井・県立歴史博』 新橋-横浜間で日本初の鉄道が開通した 1872 年から現代にかけての日本の鉄 道史と、多くの私鉄路線網が敷かれていた本県鉄道史の往時をたどる鉄道博覧 会∼日本と福井の鉄道のあゆみ∼」が 1 日、福井市の県立歴史博物館で始まっ た。 7 月 7 日 『えち鉄・永平寺口 町が整備計画 線路北側に新駅舎』 永平寺町は本年度から、えちぜん鉄道永平寺口駅の駅前広場整備事業に取り 組んでいる。国の有形文化財に登録された現駅舎建物を保存し、線路北側に新 駅舎を建設、駅前をロータリー化する計画。 7 月 12 日 『利用客 180 万超へ決意 福鉄福武線 沿線住民が総会』 福井鉄道福武線の福井市内の沿線住民らでつくる「市福井鉄道福武線サポー ト団体協集会」の総会が 8 日夜、同市の麻生津公民館で開かれた。2011 年度の 利用客目標 180 万人超えに向け、決意を新たにした。 7 月 29 日 『鉄道模擬運行児童ノリノリ JR 西・敦賀で体験学習』 子どもたちに鉄道について学んでもらう体験学習プログラム「旅育」が 28 日、 敦賀市の JR 敦賀駅などで行われた。市内の児童が、日ごろ職員の訓練に使われ ているシミュレーション機器など体験し、ひとときの車掌、運転士気分を満喫 していた。 8 月 6 日 『人力発電「新幹線」走れ 延伸機運盛り上げへ催し』 北陸新幹線の県内延伸の機運を盛り上げる体験イベント「走らせよう新幹線」 が 5 日、福井市の JR 福井駅東口広場で始まった。人力発電で走る新幹線型の遊 具が運行し、子どもたちが楽しんだ。7 日まで。 8 月 14 日 『怪談列車で夏涼しく えち鉄 稲川淳二さんの DVD 上映』 えちぜん鉄道は 20、27 日と 9 月 3 日の 3 日間、怪談の語り部として有名なタ レント稲川淳二さんの DVD を電車内で上映する「えち鉄 怪談列車」を運行す る。参加者を募っている。 8 月 18 日 『えち鉄活性化協が素案 行政支援 10 年間で 44 億』 えちぜん鉄道の 2012 年度以降の支援スキーム(枠組み)を検討する活性化連 携協義会は 17 日、福井市役所で第 4 回会合を開き、地域公共交通総合連携計画 の素案を示した。今後 10 年間の行政の経営支援として、県は根本的な安全設備 投資などに 22 億 1 千万円、沿線市町は従来の赤字補てんでなく線路など鉄道の 維持に必要な経費に限定した 21 億 9 千万円とした。 8 月 21 日 『新幹線早く来て 促進同盟が楽しむ教室 親子 福井駅部を見学』 県北陸新幹線建設促進同盟会は 20 日、「親子で楽しむ新幹線教室」を福井市 で開き、県内の親子 16 組 44 人が新幹線福井駅部を見学した。駅部では、参加 者は新幹線のレールが敷かれる所を歩いたり、記念撮影して楽しんだ。

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事 務 局 だ よ り

KM 鉄道資料館見学・旧南越線廃線跡巡りのご案内

9 月 11 日(日)12:30 JR 武生駅改札口集合

9 月 の 見 学 会 は 、KM 鉄 道 資 料 館 見 学 と 福 井 鉄 道 旧 南 越 線 廃 線 跡 巡 り を 計 画 し ま し た 。 KM 鉄 道 資 料 館 は 福 井 鉄 道 社 員 の 北 橋 幸 治 氏 が 旧 南 越 線 村 国 駅 跡 に 開 設 さ れ た 資 料 館 で す 。 福 井 鉄 道 を 中 心 と し た 貴 重 な 資 料 や 鉄 道 模 型 が 収 蔵 し て あ り 、 今 回 は 鉄 道 友 の 会 の た め に 特 別 に 開 館 し て い た だ き ま す 。 資 料 館 横 に は 、 福 井 支 部 が お 別 れ 運 転 会 を 行 っ た 福 井 鉄 道 160 形 が 保 存 し て あ り ま す 。 今 回 の 廃 線 跡 巡 り は 、 社 武 生 駅 跡 ( JR 武 生 駅 東 側 ) か ら 浅 水 川 旧 鉄 橋 跡 ま で の 約 5km を 、 歩 い て 巡 る 予 定 で す 。 そ の 途 中 に 、KM 鉄 道 資 料 館 を 見 学 し ま す 。 帰 り は 、 武 生 東 高 校 バ ス 停 よ り 路 線 バ ス で JR 武 生 駅 ま で 戻 り ま す 。(15:35 JR 武 生 駅 到 着 予 定 ) 福 井 支 部 の 行 事 で す が 、 他 支 部 の 会 員 の 参 加 も 歓 迎 し ま す 。 参 加 希 望 者 は 9 月 10 日 (土 ) 午 後 6 時 ま で に 福 井 支 部 事 務 局 ま で 電 話 ( 090-1639 -2121) ま た は メ ー ル ( [email protected]) で ご 連 絡 く だ さ い 。 雑 草 が 茂 る 田 舎 道 も あ り ま す の で 、 歩 き や す い 服 装 ・ 靴 で ご 参 加 く だ さ い 。(少 雨 決 行 )

◎ 震 災 義 援 金 寄 付 の 報 告

特 急 「 雷 鳥 」 絵 葉 書 の 売 上 金 の 一 部 ( 1 セ ッ ト に つ き 200 円 寄 付 ) の 計 1 万 5,600 円 を 、 8 月 23 日 (火 )、 震 災 義 援 金 と し て 日 本 赤 十 字 社 福 井 支 部 に 届 け て き ま し た 。 鉄 道 友 の 会 福 井 支 部 会 員 の 皆 様 を は じ め 、 多 く の 方 々 に ご 協 力 を い た だ き ま し て あ り が と う ご ざ い ま し た 。 な お 、 絵 葉 書 は 残 部 が 多 数 あ り ま す の で 、 引 き 続 き 販 売 し て い ま す 。 寄 付 金 と し て の 取 り 扱 い は 終 了 し ま し た の で 、1 セ ッ ト 800 円 に な り ま す。購 入 希 望 者 は 、 事 務 局 ま で お 申 込 み く だ さ い 。 ︽ 終 着 駅 ︾ 今 年 の 夏 も 梅 雨 明 け か ら 非 常 に 暑 く て 猛 暑 日 が 続 き ま し た が 、 お 盆 過 ぎ か ら 急 に 雨 が 続 き 、 涼 し く 過 ご し や す く な り ま し た 。 し か し 、 最 近 の 雨 は 降 り 出 す と 雷 を 伴 っ た 豪 雨 と な り 、 洪 水 や 浸 水 の 被 害 を も た ら し ま す 。 地 球 規 模 の 環 境 の 変 化 が 感 じ ら れ 、 不 気 味 で も あ り ま す 。 先 日 の 県 立 歴 史 博 物 館 の ﹁ 鉄 道 博 ﹂ で の 模 型 運 転 会 に お 手 伝 い い た だ い た 会 員 の 皆 様 、 お 忙 し い 中 あ り が と う ご ざ い ま し た 。 お 蔭 様 で 大 好 評 だ っ た と 聞 き ま し た 。 こ の よ う な 場 所 を ご 提 供 い た だ き ま し た 博 物 館 の 関 係 者 様 に お 礼 申 し 上 げ ま す 。 私 も 久 し ぶ り に 長 編 成 で 模 型 の 運 転 が で き 、 ま た 会 員 の 皆 さ ん と 交 流 が で き ま し た こ と 、 嬉 し く 楽 し い 時 間 を 過 ご さ せ て い た だ き ま し た 。 ま た こ の よ う な 機 会 が あ り ま す こ と を 期 待 し ま す 。

参照

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