Japanese Physical Therapy Association
NII-Electronic Library Service Japanese Physioal Therapy Assooiation
理学療 法学 第14巻第 6 号 427N443 頁 (
1987
年)特 別
講
演
1
日
本
の
リ
ハビ
リ テ ー
シ ョ ン医
療
のあ ゆ
み
*服
部
一
郎
* * は じめ に 何 分 古い こ とですから, 資料は散 逸し, 記 憶 もあい ま い でござい ま し たの で,
私が関係し た ご く狭い範囲の お 話にな るこ と を お許し 下 さい。
A .
明治 末 期から 昭 和20
年ま で ドイツ と ア メ リ力 写真1
は大正10
年 (1921
) ドイツ の国立ル ドル フ・
ウ イル ヒ ョ ウ病院の物理療法主任であるA .Laqueur
のDie Praxis der Physikalischen Therapie であ り ます
。
こ の本では
,
表 1の ように物理療法は5項 目に分 類 され,
A.
は水治療 法 と温 熱 療 法,
B.
は温 泉療法,
C .
は光線 療法と日光療 法,D ,
はマ ッ サー
ジと機 械 的療法,
E.
d’
Arsonvalisation,
これは一
種の高周 波 療 法であ ります。
今 日の運 動 療 法はD,
機械的療法の中に含まれ,
Zander,
Herz の装置に よ る訓練と治療 体 操が 紹 介されてい ます。 写真 2は昭和22年, オー
ス トリアのGraz
のHolzer
教 授の Physicalische Medizin
in
Diagnostik undThe ・
rapie であります。 こ の本では表
2
の よ うに20
項 目に分 類さ れ てい ま す が,
訓 練 療 法は最 後に,
僅か 10ペー
ジ し か書かれて お り ま せ ん。
写 真3は,Holzer
と殆 ど 同 時 代に,
ア メ リカ の二 。 L一
ヨー
ク大 学の Kovticsta
授が書か れ た AManual ofPhysical
Therapy
であ ります。 表3
の よ う に13
項 目に 分 類され,
工0
と12
が 訓練療 法であり,
70ペー
ジも書か れ て お り ます。 戦 争に勝っ たアメ リカ は,
リハ ビ リ テー
シ ョ ンを発 達さ せ たの に対し ま して,
負 けた ドイツ側はそ れどころでな かっ た こ とがわか り ます。
戦 前の物 理 療 法 (主と し て内科領 域 ) さて,
戦 前は ドイツ医 学 が主流で,
物理 療 法は,
温 泉 療法と水 治療法 が 中心でありま し た。
そこ で,
当 時の主 な物理療法施設を ご紹 介いた します。
東 大 物 療 内科は, 大正15年の開講と な っ てい ますが,
実 際に は10年 前の大 正5年に,
物 理 的 治療 所と し て出発 し て お り ます。
大 島良雄 先 生は三代目の教 授で,
大 学は 違い ます が,
公私と もに非常にお世話になりまし た。
九大 温 研は別 府に昭和6年, 北海 道 大学 は 登 別 温泉に 昭 和ユ1年に分 院をつ く り, 鹿 児島県は 昭和12
年に霧 島温 泉 療 養 所を作 り,
大 阪 大 学は昭 和13年に 白浜温泉に温 泉 気候 療養 所をつ くり, 岡 山 大 学は昭 和14年に三朝温 泉に表 1 Die Praxis
der
PhysikalischenTherapie
(Laqueur
,
1922)* The Short Histoyy of Medical Rehabilitation in
Japan.
** 長 尾 病 院
Iehiro Hattori
,
MD :Nagao HospitalA
.
Hydrotherapie undThermotherapie
(nicht
hydrotherapeutisch
)B
.
BalneotherapieC .L
三cht−
undSonnenbehandlung
D ,Massage
undMechanotherapie
*E
.d’
Arsonval三sation* Zander
,
Herz,
Heilgymnastik,
Ubungstherapie
表 2Physikalische
Medizin
in
Diagnostik
undTherapie (Holzer
,
1947) 12345678901234567890 11111111112 Hydrotherap 三e warmetherapie Badertherapie TrinkkurenAtmungs
−
undInhalationstherapie
Klimatherapie Lichttherapie
R6ntgentherapie
Radiumtherap 三eGalvanisation
Faradisation
Arsonvalisation
Iont
。phoreseD三athermie und
Kurzwellentherapie
Hochfrequenztherap 三e
Elektroschocktherapie Elektr三sche Unfallkunde
Abdominelle
Saug−
und DrucklufttherapieMassagetherapie
Uebungstherapie
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428
理 学 療 法 学 第14
巻第6
号裹
3
AManual ofPhysical
Therapy(
Kovacs,
1949)1234567890123
1111Radiant
heat
Arti丘cial
fever
Heliotherapy
Arti
丘ciallight
therapyGalvanic
currentLow −
frequency currentHigh−frequency
currentsMedical
diathermy
Hydrothermal
measures 頁ydrok三netic measuresMa 呂sage Exercise Electrodiagnosis 温泉療養 所, 慶 応 大 学は昭 和16年に月ケ瀬 温 泉に温研を つ くり ま し た
。
ま た東北 大 学は昭 和19年に鳴 子 温 泉に温 泉 医 学 研究所をつ くり ま し た。
いずれ も水 治,
温泉療法 を中心とし た一
般理療法施 設をもっ てい ま した、 どん な 治療をし て い た か 温 泉,
水治 療 法 としては,
温泉浴,
淡水浴, それを全 身 浴,
半 身 浴,
部 分 浴 とい うふうに使い 分 け,
又薬 浴,
腸 洗 浴,
これは入浴しつ つ 浣 腸を す る もの で,
ア メー
バ 赤 痢に使用し て い ま し た。
運 動 浴は今と同 じ です が, マ ッ サー
ジ師が一
緒に入っ て指 導な どは せず,
歩 行 訓 練 な どに使用し て いまし た。
電 気 療 法は通 電 を 平 流,
感 伝,
この感伝を周期 的1
こ強 くしたり弱 くした りする脈 動 波,
square wave と し てフ ラ ン ス の Reduc の装置 な ど を利用 し て お り ま した。
高 周波は ジ ア テル ミー
と超 短波だ け,
この ほ か イ オ ン導入 な ど もあ り ま し た。
光線 療 法は 紫外 線と赤外線だけ,
このほ かマ ッ サー
ジ.
徒手 矯 正 を 主にやっ てい ま し た。
訓練療法と し て は Zander の装 置で自動,
他動,
抵 抗 運 動を し た り, 治 療 体 操み た いな もの もあり ました が,
実際にはあまり処 方 されて いませ ん。
その頃の施 設その
一
例と して, 別 府 九 大 温 研の昭 和工2,
3年頃の もの を お めにかけま しょ うe 鉱 泥 湿 布 (写 真4),
入工炭 酸浴 (写 真5),
気 泡 浴 (写 真6),Hauffe
の部 分 浴 (写 真7), 蒸 気 函 浴 (写 真8),
蒸 気 圧 注 (写 真9
).
雨 灌 浴 (写 真10), 座 位 圧 注 (写 真11),
トニ ザ トー
ル通 電 (写真12),
運動浴 (写真 13)を よく使用し ま し た。 Zander の装 置で は人工 呼 吸 器があ り, 喘 息 な どに利用したこと も あり ま したが, 余り使用して いま せん (写 真ユ4)。
写真15も全 部 Zander の装 置で, 指の運 動か ら,
股 関 節の よ うな 大関 節まで, あ りとあ らゆる関 節に抵 抗,
自動,
他 勤 運 動 ができま し た。 し か し当時の私 共には,
これ を う ま く使い こな す運 動療法の知 識 がな く,
利用しなか っ た と言っ た方が よい で しょうe 装置に罪は ない の であり ま すe 写真16
は,
70隼 前の膝 運 動 用のZander
ですが,
写 真 17は 最 近の カタロ グに載っ てい た,
同じ膝のExercizer
であり ます。
全 く同じ であり ます。
古 くて新し い Zan・
der
装置であります。 内科領域の リハ ビリの先 駆 者 さて,
内科 領 域で は,
誰が今日 の リハ ビ リ医 療,
ま た はそれ に 近い こと を始め たので しょ うか。
それ は,
こ の 藤井静 雄 先生であ り ま す (写真18)。
先 生は昭 和10年,
東 大稲田内科で高血 圧の研 究に従事して い る とき,
脳卒中 発 作直後か ら体位変換を し, 他動運動, マ ッ サー
ジ を2
週 目 よ り行い,
尖足には写真19の義足 を装 着さ れて いま す。 義足とい っ たの は,
当 時 補 装 具 とい う言 葉 が なか っ た か ら であり ます。
私 共は藤 井 先 生の名 を忘れて はなり ませ ん。
外 科,
整 形 外 科 領域で の物 理 療 法 次に外 科 系,
整 形 外 科の物理 療 法に移り ましょ う。
明 治40年か ら45年までの間に, 東大, 京大, 九 大に相 次い で整 形 外 科が でき, 物 理 療 法 を やっ て い まし た。
だい ぶ 後になります が 整 肢 療 護 園 も有 名であります。
ま た,
リ ハ ビ リ医療とい う広い意 味で は光 明療 もそ うであb
ます。
戦時中は, 臨時東京第一
陸軍 病 院で下 肢 切 断に義 足,
東京第三陸軍 病 院で は主 とし て上肢 切 断に義手を,
そ し て小倉陸軍病院 も物理療 法と と も に, 義肢 装 着 訓 練な ど を さ れて お ワ ま し た。
リハ ビ リ 医療とい う点では,
外 科つ ま り整 形 外 科とい うこ とになりま す が, こ の方が内 科 系より,一
歩 も二歩 も先に出て い た とい えます。
そ れは東 大 整 形 外科の高木 教授に先見の明があっ たか らであ ります。 私は思い ます に,
外科系は治療手技その ものを追求し たの に対して,
内科系は物理的因 予の生体へ の作用 機点 や 反 応 を 追求し た か らであります。 しか し国際的に は温泉治療の分 野で は高い レ ベ ル であっ たこ とも事実であります。
B
.
戦 後 よ リ昭 和40
年まで 労 災 病 院の誕 生 敗 戦の シ ョ ッ ク か ら覚めやら ぬ昭 和22年,
占領 軍 総司 令 部の命 令で,
新しく労働省がう ま れ, 労 災 補 償 課は労 働災 害の治療のた め専門病 院 をつ くるこ とを企 画,
まず 東京と九州,
関西,
岡山と全 国に広 げるこ とに し ま した。
九州労災を小 倉に作っ た の は,
筑豊の炭 坑に労 災 患 者 が多 発し た か らで,
八 幡 製 鉄 所,
今の 新日鉄ですが,
そ N工 工一
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日本の リ
ハ
ビ リ テー
シ ョ ン 医 療のあ ゆみ 429 れ が持っ ていた小倉郊外の原 野を買収し, 八幡製鉄所付 属 病 院 長の 内藤三郎 先 生を院 長と し ま し た。
写 真20が,
その原 野で,
3万坪もあリタ ヌ キが出た り,
マ ムシが手 術 場にいた りする 田舎で した。
内 藤 院 長 と 池 辺 課 長 内 藤先 生は労災患者tこは手 術,
薬も必 要だ が,
理 学療 法が最 も大 切で あ り,
その後 職 場に戻 れぬ者に は,
職業 再 教育を するとい う先 見の明があ りま し た。
そのため,
昭和 23年11月, 私の いた別府九 大 温 研に見学に来られ,
当時理学療法の主任であっ た私が応対し ま し たので,
建 物と設備を是 非 設計し て協力し て ほ しい とい わ れ まし た。
当時 国 民は食うのがやっ とで,
物療の機 械な ど全 くない 状 態で し た。
写真21が内藤 先 生,
ご専 門は整形 外 科,
非 常な勉 強 家 で,
災 害医 学の専 門家で もあb,
その他非常に多くの外 国の リハ ビ リに関する文 献 や 災 害 医 学の論 文を翻 訳して パ ン フ レ ヅ トと し て関 係 者に配布さ れ ま した。
その 中の,
い くつかの ものを 表4で ご紹 介 し ます。
先 見の明のある 方で し た。
中で もシ ドニー
大 学でGuttln
細 nが行っ た 講演 (
Management
and Rehabilitation of Spinal CordInjuries
,
Sydney
Univ.
,1957
)を訳さ れて紹 介さ れ たの は 大 きい功 績の
一
つ であり ます。
私は内藤 先 生の情熱にほ だ されて, 九州労 災病院に馳 せ参じ ま し た。
し か し,
当時の 日本は戦 争に負け,
財政 は逼 迫し,
私が設計した 費用莫 大 な 理 学療法棟を作るに は反 対が多かっ たの です が, その時の若い池辺労災 補償 課 長は内藤 院 畏と私の作っ た案に賛成し多額の予算をつ けて くれましたe 私は内 藤 先生の先見の明と,
池辺課長 の決 断が なかっ たならぽ,
今日の リハ ビ リ医 療は,
随 分 お くれた と思い ます。
表 4 内 藤 三 郎 先 生の訳 出 文 献の一
部 1,
2.
3.
4.
ド
Dρ
07 カ ナダ の 労働春補 償公団 と 「リハ ビ リ テー
シ ヨ ン」 カ ナダ労 働 災 害 者 補 償 公 団の病 院,
回 復 訓 練セ ソ ター
身 体 障 害 者の更 生療育 (レ ハ ビ リテー
シ ョ ン) に おけ るスポー
ツ の重 要 性 (Dr .
Ludwig
Gut.
tmann ) カ ナ ダ脊 損 麻 痺 者 協 会と“
LYNDHURST
LODGE”
病 院 職能療法 師の教 膏 課程の設 置 職 能療法 部の組織 労 働テス ト (Work
test) と身 体 的職業 能 力 評 {di
(Physical apPraisal ) 写真22が池辺課長,
随分後の写 真ですが,
若い時はい かにも精悍とい うか,
切れもの とい う感じ がしまし た。
理 学 療 法 棟 の完成 昭 和25年, 待望の理 学療法棟がで きま し た が, 先 程ご 紹 介し た一
般 理 学療法が主体であっ た こ と はい う ま でも あり ませ ん。
写真23がその と きの建 物で,
平 屋で した。 温泉地以外 に で きた,
当時日本最大の施 設で し た。
先 程の九 大 温 研 の処で ご説 明し た ような もの ですが,
運動浴もつ くり ま し た。
患 者 が 溺 れぬ ようにロー
プ をは っ て,
滑 車でつ っ て歩か ぜ ま し た。
写真24は若ぎ 日の細川君であります。
労働省は次々 と各 地に労災病 院をつ くり, 九州 労災で作 っ た ものを 改 良し て設備しまし た の で,
後ほ ど良い もの がで き ました。
一
般 理 学 療 法 だ け で 出 発 せ っ せ と一
般理学療法を や っ て いますと,
確か に患 者 さんは喜び ま し た が,
私 共は し ば ら くす る と 「これ で よ い の か,
何か不 足して いる」 と感 じ始めました。
し か し 外 国の本の輸入はな く,
すで に外 国で は立 派な運 動療法 がある こ とすら知り ませ ん で し た。
前 述のHolzer,Ko −
vtics の本は,
ずっ と後で入手できた ものであり ます。
幸に し て当時 は 労災患者が95
%,
あ り とあら ゆ る 運動器,
神経系の損 傷を み るこ とがで き, 四肢麻 痺, 対 麻輝, 片 麻痺,
脳神経・
末稍神経麻痺,
失調に心 因性麻痺な ど多 彩で し た。
腰 痛 症,
頭 部外 傷も一
杯で し た。
それで は, 脊損の対麻痺な ど, ど う し て歩行訓練な ど し ていたので しょ うか。
ある程 度よくな る と,
医師の指 示で看 護 婦が適 当な 長 さの杖や松 葉 杖を 患者に渡し,
患 者は 自分 勝 手に歩 行 練 習して独 りで よくなっ て い ぎ まし た。
お恥 ずか しい こ とですが誰一
人,
平 行 棒 を思い 付 き ませんで し た。
患 者は若 くて強壮で し た の で,
事 故 もな く, 今か ら思っ ても冷汗もの であ ります。 運動 療 法の誕 生 し か し これで は い け ない と内藤 先 生 も私 も考 え,
患 者 の 自己 流 訓 練に マ ッサー
ジ師 を立 会 わせ ます と,
歩行パ ター
ン,
それ が 回復に よっ て変 化し て い く過 程が わか り,
対麻 痺の歩行 訓 練 を 指 導で きる ま でとな り ま し た。
そこ で,
今まで は何か物足 りな く感じて いたもの が,
回復 訓 練 とわか り,
これ が理 学 療 法の 中心だと初め て 理 解できま し た。
そこでマ ッ サー
ジ室をつぶ し て 回復訓 練 室にするこ とに しましたら,
V ッ サー
ジ師が反 対し,
患 者も同 情してス トする とい いだ し ました が,
やっ と説 得 しました。
回復 訓 練 室の誕 生 し か し,
どんな機 械をお い た らよ い の か分らず,
内藤 N工 工一
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430 理学療 法学 第
14
巻第6
号 院 長の指 示で水 野 祥 太 郎 先 生に お尋 ねし て,
頂いた写 り の悪い イ ギ リス の写 真から肋 木と平 行 棒をみつ け,
鉄 管 (水 道の)を拾っ て きて,
義 肢 科で作っ て もらい,
肋 木は 体 操の道具屋か ら買いま し た。
後か ら全 身鏡を手 製,
ド イツの頭部外傷の本から滑車と重 りに気付いて,
これも 手 製 して追 加 し ました。
写 真25が訓 練 室の唯一
の写 真であ ります。
6×6m2,
平 行棒は床に埋 込み式で,
高 さ調 節 式です。
そし て細 川 君 を主任とし て訓練する と,
自主 的な訓練よ り,
物凄い効 果で し た。
要 する に患者が教 科書その もので し た。
マ ヅ サー
ジ師は全 員一
定 期間訓練室 勤 務 制 としま し た。
米 軍 PT の視察 昭和28 年米軍のArmy
Hospital のPT
であっ た アー
マ ンダー
大尉 を私の友人の池 見九大 助 教 授が 連れて来て くれ,
施 設 視 察の後 質 疑 応 答 をさせ て くれま した。 彼 女 はマ ッ サー
ジ処 方が多い のが欠 点 と指 摘し,
し か し訓 練 し て いたの で very nice とい っ て くれま し た。
写真26が その時の記念 写真, 全員ア メ リ カ人 と一
緒に写 真に写り たくて,
仕 事は放棄して集ま り ま し た。
脳 卒中の訓練開 始 この頃か ら,
私共のやっ てい る回復訓 練 が 評判にな り,
脳 卒 中の片麻痺 が 集り始め,
年 令 が 若い の で90% 独 立歩 行と な り, 肩 手 症 候 群な どの 合併 症 も殆どあり ませ んで した。
昭 和20年代の補装具 この頃の装 具を お めにかけま しょ う。 昭 和25,
6年頃の 三輪車 車 椅子 (写 真27) 脊 損 専 用で移乗 可 能,
対 麻痺の LLB (写 真28)は足継 手な し,
靴な し で運動 靴をつ りあ げて使 用,
片麻痺の尖 足 防止 (写 真29) も 同じつ りあ げ 式,
室内用の尖足 防 止 (写真30)。
労災は保険で装具が できま し た が,
健 康 保 険では 自 己負担で したの で,
私共 が老 え たの は8
の字ホー
タ イ, 現在の プv フ ィ ッ ター
の 原 型 (写真31)です。
女 性の室 内外 用の尖足防 止 装具 な ど も工夫しまし た(写 真32)。
こ の頃 膝 折 れのある片麻痺が 極 く稀にあ りましたの で,
私が軍隊の時の脚 絆 をグル グ ルまい て防止,
これは長尾病院で も使用 してい ま し た が,
30年 も使 うとボ ロ ボ ロ になっ て 行 方 不明 と な り ま し た (写真33
)。
国立身 障 者更生 指 導所 東京新宿代々木にあ り, 国 立身障セ ンター
と私 共は呼 ん で い ま し た。 昭和25年から29年にかけて建 設され,
当 時とし て は 日本 最 初の立派な 回復 訓 練 場があり まし た。
回復訓 練 場は,
相 模 原の米 軍Army
Hospita1
のを参考 に し て作 られ,
現 在の体 育 大 学に相 当する高等 師 範 学 校 体 育科を出て体 操の教 師を して いた増田弥太郎さ んが運 動 療 法士で した。 写 真34がその全 景,
写 真35が増田 さん です が, 英,
独,
仏の論 文が読め,
非常に熱 心な方で,
私 共も敬意を表し た もの です。
写真36
は増田 さんの記録の一
部で,
タテ書 ぎ,
涙 ぐまし い努力を されて いま し た。
写真37
は両大 腿 切 断の倒立,
向こ うの手を組ん で い る の は下河辺 先 生。
写真38
は他の病 院の両 下 腿 切 断で,
初 期の治 療 が うまく 行 か ず,
股 関節,
膝関節の屈曲拘 縮がある者に装具でピ ンポン させ て い ます。
こ この 特徴は,
義肢 装 具の よ か っ たこ と,
稗田先 生 がおられた か らで,
ま た金工二,
木工,
縫芸,
事 務 な どの サン プル ワー
クで ADL,
職業能力の 評価 が す ぼ らしく評判で し た。
私 もよ くこ こ に習い に行 き まし た。
国立療 餮 所東京 病 院 清 瀬の東 京 病 院は肺 機 能療 法を開拓し た ところで,
千 葉,
長 汎 古 賀 先 生な どに下 河 辺先生 が協力し て,
相模 原の米 軍 ArmyHospita
!の PT デス モ ン 少 佐 等が協 力 し, 訓練は村野さんとい う方が 担当しまし た。
下 胸部,
胸 部の下の部 分の 呼 吸 訓 練 (写 真39),
術 後の肩 関節 変 形 に対 する擁体操(写真40),
排痰 訓練(写 真41),
そし て以 上の こ とをま とめ て, 肺 機能療法の本を出さ れ ま し た。
ま た,
肺 結 核の アフ ター
ケ ア とし て作 業療法を植 村 先生 が長 年か かっ て体 系 化 されま し た。 それに は草と り作業 の他いろいろの作 業が な され (写真42), 散歩を歩行治 療 と呼ん で い まし た (写真43)。
ま た これ も,
まとめ ら れ て 肺 結 核のアフター
ケ アとい う本と なっ てい ます。 大 阪 府 立 身 体 障害者 更 正 指 導 所 今 度は,
大 阪の身 障セ ン ター
であります.
昭 和26年か ら 田村春雄 先 生 が苦労して,
築 き あ げ られ ました。
指 導 は水野先 生で申し分ない の ですが,
予 算が 乏しく写真44
の よ う なバ ラ ッ ク の中で,
素 晴 らし い業 績をあげておら れ, 頭が下が ります。 工 業 学 校 出の年 長 者の 二 人の技 術 員と一
緒に,
手 作りの PT,
OT を な さっ て おら れ,
そ の苦労は大 変 な もの だっ た と思います。
PT もQT もし て おられますが,
多 くの方が,
OT のすぽらしさを たた えて お ります。
写 真45は織機ですが,
歯車 も何もか も手 作 りです。
写 真46
は立織です。
写真47
は結び織です。
こ の他 手作りの.
すば ら しい装 置ば か りです。 初期の評 価 さて,
昭 和28年 頃どんな 評 価 を私 共は して いたでしょ うか。
ROM−
T は今とそ う変わ りま せ んが,
MMT は九 州 労 災で は私が考 えた 4段 階,ADL −T
は簡 単 な もの で し た。
昭和29 年で し た か, 偶 然福岡の 丸善 で ダニ エ ル の N工 工一
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日本の リハ ビリ テ
ー
シ ョ ン医療のあ ゆみ431
MMT (初版,
第4刷)の本を みつ け,
私は息が とま る位 驚 きまし た (写 真48)。 直 ぐ さ ま,
講習会を病 院 内で も,
福岡県の マ ッ サー
ジ師に も致しまし た。
職能 療法の芽 生 え 少し後戻り し ます が,
昭 和27,8年 頃,
内藤 先 生はOT
を や れ といわ れま し た が,
私は神経内 科の外 来診療 もし,
病棟 もll
亡しいの で着 手し て い ませ ん で し た。 し か し29年 には私の病 棟 内でdiversional
OT を (木工,
竹細工,
木 彫な ど)頭 部外傷に試みて非常に愁訴がへ り,
興 味が 出てきま し た。 そこで 理 学療法 棟の中で一
室をあ け,
陶 芸,
織物も加 えて続け まし た。
回復 訓 練 場の予 算 獲 得と完 成 昭 和30年にな り ま す と,
私 共の 回復 訓 練が高 く評 価さ れ, 正式に作るこ とにな り,
新 宿 代々木の身 障セ ン ター
を 参 考に し,
これまで の私 共の経 験を加え設 計し ま し た。
昭和31印 完 成し,
直 ぐこ の訓 練 場で リハ ビ リ テー
シ ョ ン回診とい うのをPT ・
看護 婦・
医師が集まっ て行い ま し た。
訓練場 (写真49),
練 習用階 段とパ ス の乗 降口 (写 真50),
全 身 鏡 (写 真51),
上肢のため の専用訓練室 (写真 52),
訓 練 用 和 室 (写 真53),
わ ざ と和 式のWC
も作り,
訓 練 用の玄関 もあり ま した (写真54)。
天 児 先 生 も喜ん で下 さっ て,Rusk
の ADL , 自助 具の本を下さい ま し た。
そ し て この頃か ら,
や っ と洋 書が私 共の手に入る様にな り まし た。
こ の新しい 回復訓練場 ができ てか ら,
全国か ら の見 学 者 が 多く, さ ま ざ まの鋭い質 問や, 立派な意見を 頂い て,
私 も大 変 勉 強にな り ました。
義 肢・
装 具センター
続い て,
昭 和31 年義 肢 装 具セ ン ター
がで き,一
層便利 になりま し た。
技 術 員は戦 争 中,
大 砲とか機 関 銃をつ く っ てい た小 倉 造 兵 廠の熟 練工で,
あら ゆ る 工作 機 械 が あ りまし た の で,
どんなもの で もつ くれる能力 を持っ てい まし た。
写 真55は,
古いX 線の透 視台を利 用して作っ た,
頸椎 牽 引し た り,
尖 足を 自分の体重で矯 正するもの です。
後 で これ がTil’
t tableと そ っ く り なの で,
びっ く りしま し た。
右 側のは,
私 共が設 計し た頸 椎,
骨 盤 牽 引 装 置,
こ れ も手 製,
現 在これが全 国に広がっ て お り ます。
とに か く,
よく協 力し て くれました。
マ ッ サー
ジ師も 器 用 マ ッ サー
ジ師の中に は,
電 気に詳し い長N
君がい て, 筋 電 図 も 自分 達で組み立て ま し た。
部 品はラジ オの部 品 を使用し ま し たので, 天気の良い 日 はい い の ですが, 雨 が降る とラジ オの米 軍 放 送が聞こえて ぎて, 波 型を見な が らラ ジオ も楽しみ まし た。
写 真56は手 製の超 短 波の ソtzノイド電 極,
最 初ス イ ッ チをいれる とぎは,
管球がパ クハ ツ するので は ない か と,
ヒヤ ヒ ヤ しました が,
立派に作 動し て くれ ま し た。 とに か く, あらゆる困 難を乗り越え て前進 する の は楽し み で した。
失 語症 に 悩 む こ の頃にな る と,
失 語 症が少 し集 まっ て きて,
治療を ど う して よい か分らず,
国 立 聾 唖セ ン ター
に行 き,
下 河 辺 先生に世 話して 頂い て田口恒夫先生, 笹沼 澄 子先生に 教えて頂 ぎました。
職 能 療 法の開始準備 昭和32
年, 理 想的な労災 病院の運営で有名なカ ナダに 内藤院 長は視 察に行かれ,
自信を深めて帰 国 され,
OT を 正式ICIxじ めよ う とい わ れ, 私は英 語の う まい マ ヅサー
ジ師の和才 君を推薦し て,
院 長直々 の特訓 が始ま り ま し た。
内 科 系 の りハ ビ リ の 関 心 た か ま る こ の頃か ら,
内科 系の先 生 方の見 学が増 えてきま し た。 最初 は東北 大の杉 山教 授,
次 は東大の大 島教 授で し た。
両 先 生は後で内 科 系リハ ビ リの申 心とな られま し た。
脊 損 パ ラリ ンピッ ク 昭 和34
年,
脊 損の運 動 会 を し まし た。 写真 57はバ スケ ッ トボー
ル を し てい るところ ですが,
これは院 長 がカナ ダ で見て来られ たムら だと思い ます。
車 椅子を良 くご覧 下 さい。
こ の 頃は,
三輪 車で な く,
キャ ス ター
が後 方に つ い て い ます。こ の後
,
イン ドの雑 誌J
.
of Reh.
in Asia か ら脊損の リハ につ いての原 稿を依頼さ れ,
私が苦労して書き まし た。 こ の時分か ら, 全 国 労 災の リ ハ ビ リに従 事 する医 師,
マ ッ サー
ジ師らで勉 強し よ う とい う気 運が起 こ り,
労 災 理 療 技 術とい う雑 誌を出しました。
職 能療法 棟 設 立の決 定昭和35年 職 能療法 棟 を 作る事が決 定
,
私は当時フ ラン ス に い て,
あと6
ヵ月 勉 強す るところで し た が,
他に設 計 図 をか ぎ,
予 算 を 請 求 するものがい ない の で内藤院 長 の命 令で,
泣 く泣く帰 国しました。
そして 和才君 他3
名で開 設 班を組 織 しました。
ア メ リ カの 有 名な OT のSpackman
が助言し て くれ ま した。
フ ラ ンスでの勉強も 表 5九州労災
OT
開設 時の 職能療法士教育講習 昭 和35年1月〜
ユ0月 全 時 間 :1027 時 間 (講 義 491,
実習536
) 主 な 研修 機 関 :国 立 身 障セ ン ター,
大 阪 身障セ γター,
九大 医学 部,
阪 大 整 形 外 科.
整肢療 護 園,
その他 9施 設の見 学 N工 工一
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432 理 学療法 学 第14巻 第6号 非 常に役立ちまし た
。
写真58が その とぎの 4名で,
直ち にこの 4 名を研 修に出し ま し た が, 大 阪 が最 も役 立っ た よ うに言っ て い ま し た。
こ の企 画は天 児 教授 や内藤三郎 院 長が 主に され ま し た (表 5)。 ポ リオの大 流 行 昭 和35年 よP36
年にかけ,
ポリオの大流 行があり,
フ ラン ス での 勉 強が役立ちました。
写 真59がその頃のLLB
です。
その時の 日本の 医 学 界の対応は最低で した。 昭和36
年, 職能療法 が 完 成し ま し た。 その一
部ですが (写 真60,
61)できた ばか りで ガ ラン としてい る ところで す。
フ ラ ン スか ら持っ て ぎた 写真をもとに し て和 才 君達 が荷 物を 送っ て きた枠で作 り上げた織 機です (写真62)。
買っ たのはア メ リカ のオ リバー
の木 工 機 械 くらい で す。
パ ゥン ダー
作 業 (写真63),
シ ャ ベ ル,
バ イスケ作業 (写 真64), 両下 腿 切 断の運搬作 業 (写 真65),
鋸 引 き作
業(写 真66) も あ り ますが,
織 物,
木工,
陶芸な ど も勿 論 充実 させ ました。
Dasco 先 生の来日 昭 和36年 秋,
Dasco 先 生が 鹿教湯の リハ ビ リセ ンター
や, その他の所で脳 卒 中の リハ ビ リの講 演 を され,
新 聞 も大 き《
報 道しまし た。
し か し当時 私共は,
大体 Dasco 先生の レ ベ ル の近 くま で い っ て い た と思っ てい ます。 上田敏 先 生と の出 会い 昭 和37年,
東 大の 椿 助 教 授か ら依 頼さ れて 日本臨床 神 経 学会で神経疾患の治 療に リハ 医 療が欠 くこ とがで きな い もの であるとい う教 育 講 演 を行い ま し た。
その とき,
演 題 発 表 をさ れた上 田敏 先生 が会い に 来ら れ,
内科 医と し て リハ ビ リを や る方と初め て会い , 私 も感 激 して,
以 来上京 毎に先 生を訪ねて情 報交換し ま し た。
また随分 多 くの こ と を教 えて頂 ぎま した。
外 国リハ専門家の訪 問 この 年,
イ リ ノ イ大 学の ドロ シー
大森 教 授が来られ,
厚 生 省 関 係のOT 講 習 会が あb ,
その時九州労災の評 価 用 紙を大 部 分 使 用さ れ たこと もあり,
和 才 君が特 別に参 加 を許さ れ,
年末には,
九州労災 病院に来られ,
フ ァ シ リ テー
シ ョ ン の講義とデモ ン ス トV一
シ ョ ン を し て下さ いま し た。
和才 君が熱 心に 聞い てい たの が 印象的です (写真67)。
こ の他ア メ リ カの PT,
OT
の方が続々 と訪 問さ れ ま し た。
この 目,
ア メ リ カ の テ キ サス大 学の Erik Wright 先 生 も来 られ,
東 京 身 障セ v ター
の稗田先生 やCP
の心 理 的訓練で有名な 九大成瀬 教 授 もこられて,
身体 障 害 者の 心 理につ い て,
熱心に皆で話 合い ま し た (写真68)。
日本リハ ビ リテー
ショ ン医 学 会の誕 生の いきさつ 翌38年,
整 形 外 科 学 会がリハ ビ リテー
シ ョ ン医学 会 を つ く る とい う噂を上田先生 が聞 き 出し て,
そ れ が大 阪で の医学総 会の時, 整 形 外 科 評議会で決 定 するこ とが分り,
上田先生 と私は,
内科と一
緒に作っ た方がベ ス ト である と申し入 れよ うと そ の評議 委員会に強 引に顔を出し た と ころ, も う議 決された後し た。
し か し,
上田先 生のす す め で,
私が厚か ま しくも内科 も リハ ビ リテー
シ ョ ン医 学 会を作ろ うと し て い るの で,一
緒にし たらど うで しょ う か と一
生一
代の演説を し ま し た。
皆 黙っ て返 事 をさ れ ま せん で し た。
私は心の中でダメだと思い ま し たが,
亡 く な られ た小 池 文 英 先 生 が好意 的で, 新潟 大 学の河 野 先 生 が助け船をだし て くれて,
シ ブシプ皆 が同意さ れ まし た。
私と上田先 生は ホヅ とし て,
大 阪 厚生年 金 病院に行 き,
下河 辺 先 生に報 告しました。
危 ない綱 渡りを し た もの で した。
その後,
上田先 生は九州 労災に来 られ,一
週 間お られてい ろい ろ と熱 心に勉弾
され,
直く”
アメ リ カに留 学 さ れ ま し た。 新理 学療法棟の完成’
昭 和38年5月,
新しい理 学 療 法棟 が出来 上 がり (写 真 69),
いろい ろと改 良し て,
一
般理学 療法は縮 小い た しま した。
これで PT,
OT ,
Brace
clinic と そ ろっ たこと に な り ます。
14年か か りま した。
PT・
OT 身 分 法 審 議 会 この年の 5月,
東 京 清 瀬に リハ 学 院 が日本で初め て出 来,
翌 年か ら教 育 を 開始 する予 竃で し たの で,
それ ま で に どうし て もPT
,OT
の 身 分 法を作 らねば ならず,
38 表 6PT,
OT
身 分 制 度 調 査 打 合 会 構 成 員 所 属 慶 応義 塾 大 学 医学 部 教 授 // 国 立 伊 東 温 泉 病 院 長 都 立、
松 沢 病 院 長 東 京 大 学 医 学 部 教 授 〃 整 肢 療 護 園 長 国 立 療 養 所 東 京 病 院 長 九 州 労 災 病 院理学診 療 科 部 長 嗣立身 体 障 害 者 更 生 指 導 所 長 東 京 大 学 医 学 部 教 授 東 京都立 大 学 法 経学部 教 授 労 働 省 労 働 基 準 局 長 文 部 省 初 等 中 等 教 育 局 長 文 部 省 大 学 学 術 局 長 厚 生 省 社 会 局 長 厚 生 省 児 童 局 長 厚 生 省 医 務 局 長 氏 名 三 猪 次 勉 雄 雄 英一
郎 虎 治一
利 繁 雄 正 克 篤 勇 豊 寅 久 良 晴 文 茂一
正 威 孝 茂 行 利 嘉 沢 原 藤 副 島 沼 池 原 部 田 木 上 田 林 山 木 崎 相 岩 伊 江 大 勝 小 砂 服 稗 三 唄 村 福 小 大 黒 尾 N工 工一
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日本の リハ ビ リ テ
ー
シ ョ ソ医療のあ ゆみ433
年6月か ら39年3月まで か か っ て,
表 6の メン バー
で審 議い た し ま し た。
理 学療法 とする か,
物理療法とする か は,
投 票で理 学 療 法と決ま り ま し た。
職 能 療 法の方は す ん な り と作業 療 法と決ま り ま し た。
砂 原先 生が 座 長,
実 }こな ご や か に審議できま した。
慢 性肺気腫の呼 吸 訓 練 写 真70は,
硅 肺に対 する呼 吸 訓練で,
内科の津田部長 と下 畑 君 が苦労し て軌 道に のせ ま し た。
原リハ専 門医の就 任38
年8
月, ア メ リカ の専 門医の資格を とっ た原君が帰 っ て来て,
作 業 療法 部門を非常に充 実して くれ ま した し,
カン フ ァ ラン ス もよく致し ま し たが, リハ ビ リ科以外の 整 形外科や外科,
内 科 医の参加 が 少な く, 少し佗びし い 気がしまし た。
こ の翌 年の39年7月,
リハ 医 学の 第 1巻,
1号 が出ま し た。
18年 もか か っ た, 大変能率の悪い リハ ビリ臨療の歩み で あ り ま し た。
しか し,
全くのゼロ か らの出発で したの で,
曲 りな りに も出 来 上がっ て,
私は満足で し た。
以 上 が私が 知 り え た 昭和40年ま での全 て であります。 こ の他に も各地で多 くの方がリハ ビリ 医療に貢献された の であ りますが,
私は九州 め田舎にい ま し たので,
こ の 程 度し か知る こ と がで きませ ん で し たe い つ か, 皆 様の 中か ら私の講演に追 加して くださ る方がで ること を祈っ て お り ます。
なお,
武 富 会 長よ りみな さま に一
言とい うご希望であ りまし たの で,
写 真71をご ら ん くだ さい。
これは イギ リ ス の 伝統をもった, 有 名な医学 雑 誌で あるLancet
に載 っ て いた もの でHow
to readJapanese
MedicalJour−
nal とい う論 文であ り ます。
「医学に おける 日本の貢献 は素 晴ら しい」 と前おきし て, 日本 語の論 文の読み方を 解説してい る論文であり ます。
裏をか えせ ば,
私共も,
英語 だけでな く,
ドイ ツ語,
フ ラン ス語, その他の国の 論 文 も広 く読むべ きで は ない で しょうか。
ど うか頭の隅 に こ の こと を お ぼえて い て くだ さい。 この講 演の機 会をあた え,
司会の労を と られた武 富 学 会 長と,
私に講 演をす すめて くだ さっ た山下準 備 委 員 長 に心か ら御礼申上げます。 参考文献一1
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nfi序 不 同) 下 河 辺征 平 (国立身体障害 者 更生指 導 所 ) 増田弥太郎 (〃
千 葉 胤 夫 (国立療 養 所 東 京 病 院 ) ) 福 井 圀 彦 (日本 IBM,
鹿 教 湯 リハ・
セ ンター
) 上 田 敏 (東 京 大 学 教 授 ) 板 井 和夫 (大 阪府立 身体障害者福祉セ ンター
長) 塚 田 愼吾 (東 京 都 老 人医 療セ ンター
) 辰己 三代子 (大 阪 府立身 体 障 害 者 福 祉セ ン ター,
作 業 療 法 部) 細川 忠 義 (長 尾 病 院 ) 和 才 嘉 昭 (九 州リハ ビリ大 学 校 ) 米 倉 豊 子 (九州 労 災 病 院リハ ビリ部) 下 畑 博正 ( 〃 ) 吉 沢二 朗 (労 働 福祉事 業団 文 書班 長) 池辺 道 隆 (労働福祉事 業 団 理 事) 藤 井 道 也 (東 京 新 宿 藤 井 内 科 医 院 ) 井 坂 安 利 (厚 生 省 健康 政 策 局 医 事 課 ) N工 工一
Eleotronio LibraryJapanese Physical Therapy Association
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434 理学療法 学
第14巻 第
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日本の リハ ビ リテ
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436 理 学療法 学 第14巻 第6号 ・・
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日本の リハ ビ リテ
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シ ョ ン医療のあ ゆみ 437Japanese Physical Therapy Association
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438 理学 療 法 学 第14巻 第6号
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439 H本の リハ ビ リ テ
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440 理学療法学 第14巻 第6号
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日本の リハ ヒ リテ
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442 理 学療法 学 第14巻第 6号
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