ll“
The
Present
Situation
and
Problems
of
Studies
on
’
the
History
of
Japanese
Movable
「
「
ype
小 宮 山 博 史
KOMIYAMA
Hiroshi
佐
藤 タイポ グラ フィ研
究所
Sato
lnstitute
ofTypography
和 文 活 字
書
体 史研 究
の
現 状
と
問 題
占
1
.
研 究
の出 発 点
上 海 美
華 書 館
の前館
長 ウ ィ リ ア ム・
ギャンブル の長 崎で の講
習
によ
っ て、
欧米
の近代 的 活 字制 作 技術
が 日本
に導
入 さ れて か ら140
年
ほどに な る。
短く は な い そ の歴史
の中
で、
和 文 活字 書
体 史
研究
が どのよ うにおこ なわ れて き たの か を記し てほし い と いう提案
は、
興 味 深い。 し か しわた くし の調査範
囲は幕末
明 治初期
に限 定
さ れ れおり
、 日本
の基 本 的
な書 体 全般
につ い て そ の 歴史を調べ た わ け で は な い。
そ の た め草
創 期の明朝
体 研究
を進 めて き た過 程
で気
がつ いた、
あるいは感
じた、
まっ た くの私 的
な狭
い範
囲の回想
にならざるをえず
、
論 考
と は と て も言えない 内容
に な る こ と を は じ め に お断り して お き た い。 た だ初 期 明朝
体 開発
につ い て の疑 問 点
は今
も解決
さ れて はおらず
、
こ こが解
明さ れ な け れば 日本
の活
字書 体 史
研 究は基 礎部
分、
つま り出
発点
が確
立され ない ままで始
ま る こ と に な る。わ た く しが
和 文
活字 書体 史
、
そ の中
で も近代 活 字 史
を調べて み よう と考
え た のは、
師 佐 藤 敬
之輔 病 没 後 約
10
年
ほ ど過
ぎ た ころ で あっ た。
亡師は和
文 活字 史
を い ろ い ろ の誌
紙に発 表し て いた が、
その内 容
は第
一
次資 料 を 使 わず
、
わ ず
か ば かり
の活 字
見本 帳
の分 析
と、
たぶ ん1965
年 前後
に精 力 的
に お こなっ て い た関 係者
への聞き取 り調査 の結 果か ら導
き だ さ れ た も のであ っ たよう に 思 う。 長年
亡師
の研 究 助
手と し て執筆
過程
を 見ていた が、
正直に述べ ればそ の方 法論
に疑 問を感じ て い た。
な ぜ もっ と第
一
次 資料
にあ
たらない のか、
な ぜほかの研 究 論 文
を参 考
に しようとしない の か。
公 表 さ れて い た研 究 論 文は無 視で き る ほ ど内 容
が ない のか等
々。
と り あえず
そ の疑 問
を解 決
すること と 書 体 史 研 究の現 状 を 知るた めに、
時 間 をみ つ けて は少
しずつ活 字 史の書 籍 と 資料
を探
し は じ め た が、
し か しな に を参 考
に して よい のか わ からない状
態 が長
く続
いた。わ た く し が入手でき た 書 体 史の
著 作
はまことに少
なく寒
々 と したもの で、
その時 まで に刊 行 さ れて いた定 評の ある研 究 書 は次
の6
冊にす ぎ
なかっ た。
・
『本 木 昌
造 平 野富
二詳 伝
』 三谷 幸 吉 著
、
本木
昌造
平 野富
二 詳 伝 頒 布 刊 行 会、
1933
年・
『本 邦 活 版 開 拓 者の苦 心』 津 田 伊三郎 編 (執 筆 は 三 谷 幸吉
)
、
津
田三省 堂
、
1934
年
・
『活 版 印刷 史
』川
田久
長著
、
印刷 学 会 出版 部
、
1949
年
・
『京 橋の印 刷 史 』 牧 治三郎 著、
東 京 都 印 刷工業 組 合 京 橋支 部
、
1972
年
・
『毎
日新
聞 百年 史
』毎
日新
聞社
、
1972
年
・
『明朝 活 字
その歴史
と現状
』矢 作 勝 美 著
、
平 凡社
、
1976
年
こ の
6
冊は いず
れ もおもし ろ く、
和 文
活字 史
研究
の実 情
が 理 解で き る も のばか りで あっ た。
『
本木 昌造 平
野富
二詳伝
』 では、
近 代 金
属活 字 開
発の祖
とも 言うべ ぎ 二人の先 達の苦 闘の 歴史が 理解
で き た し、
『本 邦 活 版開拓 者
の苦
心』 は表
題 どお り活 字
に深
く 関 わ り、
生涯
を それに賭
けた技術 者
・
職 人
の苦心
の上に現在
見て い る活 字 書体
が あ る こ と を認識
し、
そ して 先 人へ の敬 意
を感じ た も ので あ る。
『
活版 印刷 史
』 はわ
が 国 に おけ
る活 字
の 通史
であ
るが
、
重 点
を置い た本 木
昌造 以降
明 治 期の活字 史
の詳 細さ に 圧倒
さ れ た。
同じよ うに 『京橋
の印 刷 史
』 も個 入
の不断
の資 料収 集
の成
果 に 図1
『本 木 昌造平 野富二 詳伝 』 詳伝頒布刊 行 会、
1933
年 図2 『活 版 印刷 史 』 川田久長、
1949年 図3 『明朝 活 字 』 矢 作 勝美、
1976 年42
デザイ ン学研究特 集号s ρeclai
i$sue
ofjapanesosocfety
ferthe
science
ot
dssign Vol
17
−
2 No、
66 201DNII-Electronic Library Service
裏打
ち さ れ た広 範
囲な記述
に驚
い た。
京 橋
と い う狭
い一
地 域
の 印刷 史
であ る が、
実
は 明治
以降
の活字
に 深 くか か わっ てい るこ と を 知 った一
冊であっ た。
『毎 日 新 聞 百 年 史』 の 中 の 「技 術 編 は同 社の古 川 恒の執 筆だ が、
金 属 活 字で新 聞 印 刷 を 目 指 し た 毎 日新
聞草 創 期
の紙
面の分析 結
果 の 記述
は、
わ た く し の そ の 後 の 研 究 方 法の基 礎になっ て い る。
ま た亡 師と活 字につ い て 話し合 う厳
しい顔
の 「実
証主 義 者」
の面 影 が 忘 れ が たい。
こ の中でもっ と も
参
考になっ たのが 『明 朝 活 字』 であった。
現在
にっな
が る 日本の基 本書 体
で あ る 明朝 体
の誕 生と発達
過 程 を初めて詳 細に記述
し た 「労 作 」 で、一
般
的に研 究が進め られ て い る 印刷通 史
と は異 な
り、
明朝 体
という一
書体
に焦点
を あて 日本
の近 代 を そこから切 り 取 ろ うと いう もので、
こういう 研 究 の アプロー
チが ある の か と眼を見 張っ た 記 憶がいまも鮮 明 に残
っ て い る。 ま た 原寸
図 版の多
用と いう構 成
が本
文を読
み 進 め る う えで理 解しや す く、
配 慮の行 届いた編集
方 針であっ た。
これ ら
6
冊 を読
み比
べて いた 研究 初 心 者
のわ た く し に とっ て、
これまで の日 本の近 代 活 字 史 研 究は順 調に そ の歩み を進め て い る よ うに見 え た。2
.
既 存 研 究
の疑 問 点 (
1
)
一
本 木 昌造 は な に を した
のか
この
6
冊 に 共 通 して いること は、
いず
れ も 本 木 昌 造の苦 闘 か ら記 述 をは じ めて い る こ とで あった。
日 本の近 代 活字
は、
本 木 昌造
の長い時
間 をかけた近 代的
な 活字製 法
と印 刷技 術
へ の摸索
と試 行 錯 誤の結 果であ る とい う、
それまで の研 究 結 果に疑 問を挟
む余 地
はないよ うに思え た。『
本
木 昌 造 平 野富
二詳伝
』は 『印 刷雑 誌
』創
刊 号(
明治
24
年
2
月)
から第
6
号 (
7
月)
まで連 載
され
た もの で、
原 文
は漢 字
片 仮 名 交
じり文
で あ るが、
三谷幸
吉は そ れ を漢 字 平仮 名 交
じ り文
に か え、
原文
に はない小
見出
しを 入れ
、
註 釈
を加
えたも のであ
る。
本木
昌造伝
のあ
とに お かれ
た 平 野富
二伝
の中
で、
日本
の 近代 鋳 造 活字
の祖と しての本 木 昌 造は次の よ う に記述
されてい る(
三谷書
108
頁。
原文
は 旧字
旧仮 名 )
。「
……
我邦
鋳 造 鉛製
活字
は、
本 木
昌造
翁 が多年
の 工夫
に より て成 就
せ しものに して、
其
の功
の偉
大 なる事
は独逸
に於
け る グー
テン ベル ク、
ス コー
フ ァル の両 氏に比 肩す る す る も恥ず
る所
なか るべ し……
」こ の文
章
だけ を読
めばすべて本木
昌造の努 力の結
果と い う こ とになる。
し か し初
心者
に とっ て の素 朴
な疑 問
は本 木 昌
造 は そ れら の技術
を自得
したのか、
ある い は誰
がい つ本 木 昌
造に欧 米
の技 術を伝 授したのか という ところ である。
長 崎のオランダ 通 詞 として、
あ るい は 長 崎 製 鉄 所 頭 取と し て欧
米の近 代工業 技 術 に接 す る機 会
はあっ た と して も、
書物
だけで製 作
は可能
か と考
え る と不 可能
で はない か も しれ ないがむず
かしい。先 載
さ れ た 本 木昌
造伝
に は平野伝 と矛 盾 する記 述 が ある。
本 木 昌 造 は 製 作 と資
金に困っ て いた と き、
ア メ リ カ人宣教
師 某が上海
に建て た 美 華 書院 (
美 華 書 館 が 正 しい)
が 電 胎 法で活 字 を 作っ てい る こ と を 知 り、
人 を 派 遣 してそ の 技 術 を 学 ぼ う と し た が、
某 は そ の 技 術 を 隠 して教 え なか っ たという 記 述 を 前 に 振っ た あと、
ア メ リ カ 人宣教
師 フルベ ッキ の 紹 介 に よ り、
「
・
…・
・
在 上 海 美 華 書 院 活 版 技 師 米 人ガ
ンブ
ル氏 満 期 帰 国の序 を 以 て暫
く長 崎へ留 ま ら んこ とを 照 会 に 及 び 製 鉄 所 よ り雇 聘 し 興 善 町唐
通 事 会 所 跡 に 活 字 鋳 造 及 び 電 気 版の業 を創 設 す……
是 よ り活 版製
造の技 頓 に 進 歩 し遂 に 其の事
業 を 大 成 す る事
とは な りぬ」 (三谷 書5
]頁 )本
木 昌造
は 長年 苦心
していた活 字 製造
をガ
ンブ
ル(
ギ
ャ ンブ
ル とい うのが 正 しい)
の 指導
のも とで習 得 し、
そ の 後 の 印 刷・
活 字 製 造 事 業 を 軌 道に乗せたことに な り、
その 技 術 は 本 木の まっ た くの独 創 で ない ことが
わ か る。
ギ
ャンブ
ルと本
木 の 関係
を外 国 語の文 献と印刷 資 料 から指 摘 し たの は 『活 版 印 刷 史 』が 最初
であ
ろ う。
川
田久
長 は重
要 な事 実
を 記 してい る。
「
……
当 時の上海
へ は単に印 刷が委 託された ば か か りでな く、
印 刷 機 や鋳
造機
、
欧文
及 び漢 字
の活 宇 や、
活 版工 具の類 な ど が 美華 書 館
の手を経て日本
に輸 入されて いる」(
同書
107
頁)
「
……
日本
の活版 印刷
の 歴史
を語 る者
は、
その鼻祖
と称
せら れている 本 木 昌 造 の 背 後 にガ
ンブ
ルの巨 像 を クロー
ズ
アッ プ す るこ とを 忘 れては ならない」 (同 書112
頁 )し か し川 田の こ の
指
摘 は重視
さ れず
、
川 田 以降
の研 究 も 近 代 活 字の開 発は本 木 昌 造の独 創と して 記 述され 続 けて き た。
本 木 は明治
8
年
に亡
くな っ て お り、
開拓 者
と し て の評価
は高
くて も、
そ の後
の活 字 開 発の進 展に は大きな 影 響を与えてはい ない と考
え るのはそ う間違
っ て はいな
いだ
ろ う。3
.
既 存 研 究
の疑 問 点
一
ギ
ャンブル
の役 割 と評 価
『印
刷 雑 誌
』 の 記述
と川
田久
長の指摘
で、
ギ
ャ ンブ
ル の来 崎
と講 習 が 日 本の近 代 活字
の出 発点
に なっ た と い う事実
は、
研究
に新
しい方 向性
を 示し てく れた。 しか しギ
ャ ンブ
ルの来崎
につ いての日本
の資
料は探
し得ず
、
指 摘
を重
く意 識
し た研究者
も手
詰
ま りの状 態
であっ たの であろ う。古川 恒
は明治初 年
に長崎
に 上陸し た外
国 人 名簿
を調査 し て い る が、
ギャ ンブル の名 前
は見 いだせな かっ た と報 告
して い る。
こ の問 題に新 しい資 料 を 提 供したのが 矢 作 勝 美 氏である。
氏 は 『図 書
』第
431
号(
岩 波書
店、1985
年7
月)
に 「わ が 国 活版 印 刷
史の新 資料
ウ ィ リアム・
ガン ブ ルの来 日 につ い て」 を 発 表 し た。
矢 作 氏 は 上 海へ の調 査 行で同 地の研 究者
か ら 『教
会新 報
』所収
のギ
ャンブル関係
の記事
を提供
され、
それ を 翻訳
し解 説
を 加 えて い る。
『教 会新
報』 はアメ リ 力 人 宣 教 師 ヤング・
ジョン・
ア レンが1868
(明 治 元 ) 年 創 刊 し、
美 華 書 館が印 刷 を 担 当 した漢 字
週刊 誌
で、
教 会
関係
記事
と世
界のニ ュー
ス他
を課
驚
:
:
∵
:
嘘
載
せ て い る。
残存
原 誌は ほ と ん どな く 中 国で は上 海 図 書 館 が 収蔵 す
る の みであるこ と をわ た く し は後
に知
ることに なる。
な お 日本
国内
の大 学
図書館 数 館
に は 台 湾の リ プ リン ト版 が 収 蔵 さ れ て い るが、
こ れ は本 文 頁だ けの覆 刻であ り、
発 行 日 が 書 か れて いる表 紙
もはず
さ れ た 不完
全 な も の で あ る。
『
教
会新 報
』 に はギャンブルの動 向が何 回にも わ たっ て掲 載 されて お り、
明治
2
(
1869
)
年11
月 に 来 崎 し たこ と、
長 崎で の講習 内 容
や滞 在 期
間 が4
ヶ月で あっ た こ と がわ か る。
た だ 矢作 氏
が提 供
さ れ た資 料
に は出
発 月と在 崎期
間、
帰
滬 を 記 し た 記 事一
本
が 欠け て い た た め、
氏は帰 国 月をギ
ャンブ
ル にたいす る中 国 人 美 華 書 館 館 員
の詩
から推 測
するほかな
かっ た よ うであ る。矢作 氏
は詩
に使
わ れて いる 「春末」
を5
月 と してい る が そ れ は今の新
暦で の解 釈で、
こ の詩が書かれたのは1
日暦 を 使って いる時代
であるから3
月の はず
であ る。 記事
には 予 定 通 り3
月 に は帰
滬し て い る こ と が書
かれて いる。
ま た
矢作 氏
は 『活 字
富
表 現
・
記録
・
伝 達
す る 』(
出 版ニ ュー
ス社
、
1986
年)
所収
「ウ ィ リ ア ム・
ガン ブル の来 日を記 録 し た 公文 書
と して、
『太 政 類 典
』か ら 「明治
四年
四 月長 崎 製 鉄
所 付属 新 聞
局ノ活 字
器械 処
分」 を発 掘し た こ と を記し、
ギ
ャン ブル の来 崎
を 日本 側
の資料
か ら確
認して いる。
『明朝
活 字s の内 容
を補
足しつ づ け る矢作
氏の努 力 は、
初 心 者 に とっ て研 究の継 続 性
の大 切さ を教
え て く れ る もの で あった。
氏 は 『明 朝 活 字』 の増 補 改 訂版
を計 画
し て いると聞い て いるが、
その一
日 も 早い完 成が の ぞ ま れ る。ギャンブル の
来 崎
による講 習
が 日本
の近代 活 字 製 作
と印 刷 術 の出発点になっ たこ とが明 ら か に な り、
な が く 定説と なっ て い た本 木 昌
造独創 論
が書
き換
えられ
たこ とになる。4 .
既 存 研 究
の疑 問 点 (
3
>
一
美 華 書 館
の書 体 と 日本
の関 係
長 崎
へ は活 字
を含
む印刷
・
鋳 造機 材
一
式 を 帯
同 し て お り、
そ れ を 使っ て 母型 を作
り活 字を鋳 造し、
鋳 造し た活 字を組んで試 しに和 英 辞 書
を印刷
したとあ
る。 母 型 は欧 文
・
漢 字
・
仮名
の3
種 類である。
ギ
ャンブル の滞 在
は わず
か4
ヶ月にす ぎず
、
その 間 に3
種 類の種 字 を 新 刻 し母型 を作
る ことは不 可能
であ
る。 可 能 な 方 法 は ギャ ン ブ ル が 帯 同し て き た活
字 を 種 字と し て、
電 胎 法で 母 型 を 作 るこ とであ る。
確 証 は ないがこ の方 法 を とっ たの は間違い な さ そ うで あ る。
活 字 サ イ ズ はス モー
ル・
パ イ カ (11
ポ イント)
であろ う。 な ぜな
ら幕 末
明 治初 期
に 美 華書
館 に 依 頼 して 印 刷 さ れ た 和 訳 辞 書は2
冊あり、
いつれ も ス モー
ル・
パ イ カ によっ て印 刷 さ れていること、
そ して3
字 種 を 持つ活字
はこ の サ イズし か な かっ た か らで あ る。
日 本 に 導 入 さ れ た 印
刷
・
鋳 造 技術
がギ
ャ ンブル が 日 常 的 に お こなっ ていた 美 華 書 館の方 法である よ う に、
活 字書
体も美 華 書館
が保 有
し て い た もの を 複 製 し たの では ないか と推 測
する こ44
デザ イン字 研 究特 集 号speci 副issue ofiapanese societyめrthe science ofdesign
Vol
.
17・
2NO
.
662010「
美鑵
贔
侮 白‘
毎 貔 甲 罐 掌 豢 鮭 勢 配 幇 鰍 蒭 於 左 蹴 腸 顧 聯}
.
.
−、
戸
.
導 冰 釁套
嘆
小 霞 羣 婁 辭 貴 謙 國 臨 輅 爾 青 得 成 在 飽 如…
讎
父 在 天 者爨
髦
黶 爾 讒 明 鍛一
鵬 籌 譚 藻 奮 瓢麦
薊 在 天 罵 我 鯵髴
之 糧 冷・
瀬
攤
霧
難
黼
襁
灘
羅
轍
難
謎
鷺 欝嚢
醋 難 雛韆
瀰B
賜 我 免 我 儕 諸 費 如 我攤
難
騰
羅
難
輛驪
鑼
韈
鱗韈
隊
醗
綴
侈瀕
繹
次 隙 灘陸
萋
叩燕
曝 蹴 蠶 ・ ・ …覊
韈
嬲
鑼
図4 『教会 新 報 』 第16号、
1868 年磊
翫
〕
の 有 之 候寛
と、
刺 翼 西 洋 文 達、
弋.
掴 立 叢 烹 嚀謀
i ーー
…
… 三.
i
.
L ……
.
.
瞽胤
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驀
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二 離 全 棄 + 二 叉 三 氈 爺 尿 八 叉 五 分 囲 籬 全 鎌 八 文 班 畿 全 汞 七 丈 五 分ー
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… 七 離 振 隈 嘔 票 五 支・
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二
鋺 以 下 梅 繊 早 服 煢 停 假 宅 濁 音 響 鷺 寤 音 響.
醐 蕪 他 西 滞 文 穿 猟 穂 賓 之 且 魂 字 其 昂 と・
篤 寧广
奔 御、
好 禍 遖 型 避 饂 來 咆.
儘、
実 澱 跏 放 碧 傘 艤
二
担 揺 o 斑 悔 型 筒 命 勒 騨 G鐡 輩 ζ 六 小 ℃ 交 牢 鰍 盆 o 躑
.
盤 o 糊 o 畢 o 夊麗 器 械 興 軸 贈 字 λ 展
の
旛 晶 図5
『新 聞 雑 誌 』第66
号 附 録、
1873
年 と は自 然 な 流 れで あ る。
美 華 書 館の活
字見 本
は、
1895
(
明治
28
)年
に 同 館 が 編 集 し 印 刷 刊 行した50
年
史で あ る 『ミッショ ンプ レ ス・
イン・
チャイ ナ』 に、
6
サ イ ズの明朝 体
一
行見 本
が 掲 載 さ れてい る のは 見ていた が、
ギャ ンブルが来 崎
し た頃の活 字 書 体 見 本 が あ るのか ど う か は 知 ら な かっ た。 そ の後 上海
図書
館 近 代 文 献 資 料 室で 『教 会 新 報』 の原 本 を 創 刊 号 から閲覧
し て い た ときに、
不 定 期では あ る が 「美 華 書 館 告 白 」 と 題 さ れ た見
開き の活 字 販 売 広 告 が8
回
出 稿 さ れている のを発
見し た。 これ まで美華 書 館
が保 有
す る 漢 字 活 字の全 体 像につ い て記述
した論
考はな く、
ま し て や あ る程度
の組 見 本が提 示 さ れ たこ とも な かっ たの で驚いた。日 本 最 初の活 字 見 本は
、
明 治
5
(
1872
) 年
2
月 刊 の 『新 街 私塾 余
談』に掲 載 さ れ た 初 号 から七 号ま で7
サ イズ9
醤 体(
六 号は無い)
で あ る。
ギ
ャンブ
ル の来 崎 か ら3
年
弱の こ の成果
は、
美 華 書 館では おこな わ れて いない活字
サイ ズの整 備と書 体 を 追 加した もの であっ た。 『教 会 新 報
』 と 『余 談』 の 見 本で共通 す
る文 字
は 「 天」一
字 だ けであっ た が、
比較
し て み る と結
構∴
NII-Electronic Library Service
の特 徴 か ら 同 じ 書 体に見 え た。
た だいず
れ もコピー
資 料であっ た た め 拡 大 して重 ね あ わせ て異 同 を 判 断 する ことは避 け た。
こ の二 つ の見本
の活 字 書体
が同
じ もの である のな ら、本木 昌造
主 宰の新 街 活 版 所の活 字 は 美 華 書 館の活 字の完 全 な 複 製 とい うこ と が 証 明でき る は ずであ る。
これ 以 前 に 『余 談 』 とほ ぼ 同 じ活 字 見 本の 「崎 陽 新 塾 製 造 活 字 目 録」 が 掲 載 さ れてい る 明 治5
年11
月 刊 の 『新 聞 雑 誌』 第66
号 附 録 を 偶 然 入 手 していた。
『教 会新
報』原 本 か らの直接
の 拡 大 は不 可 能であるた め、一
号 か ら六 号 活 字 を 使っ て美 華 書 館 が 印 刷 し た 書 籍の中か ら 「天 下 太 平 國 家 安 全 」 を 探 し、
両 者 を 拡 大 し 重 ね あ わ せて異 同 を 見 た が、48
字のう ち1
字 を 除 き す べ て同 じ も のであっ た。
崎 陽 新 塾の活 字 は 各 サ イ ズ8
字 という 少 ないサンプ ルでは あるが、
美 華 書 館の活 字 と まっ た く同 じも の であ ること を 示 していた。
これ は 崎 陽 新 塾の活 字 は 美 華 書 館 か ら買っ た ものをそのま ま 組 んでいるのか、
あ るいは 美 華 書 館 の活 字 をギ
ャンブ
ル に 教 わっ た 電 胎 法で複 製 し た ものかの ど ち ら かで あ る。
つま り 日本の最 初 期の活 字 書 体 は 本 木 昌 造が創 製 した もの では ない こと が 証 明でき たこと に な る。
崎 陽 新 塾の活 字 見 本のすべ て を 使 用 頻 度 に 合 わせた1
フ ォン ト と して美 華書
館 から購 入 した 可 能性
は 排 除で き ない。
複 製 目 的であ れ ば ふつ う は 文 字 数 字ず
つを 購 入 してそ れ を も と に して 電 胎 法で母 型 を作 って いく が、
美 華 書 館 が その意 図 を わ かっ て いな が ら 本 木 に 販 売 す る か ど う か。
本 木 は 私 塾で細 々 と 印 刷 業 務 を す るっ も りでは な く、
工業 製 品 と して販 売 す ること で日 本 の 近 代 を 切 り 開こうとしてい た はず
であ る。
この 間 の事
情 は今
後の 資 料 発 掘と研 究に待つほかない。
5 .
既存 研
究
の疑
問点
(
4
)
一
鯨
尺 号数
制
は 正 しいの かこれ まで活
字
サ イズ
としての号 数 制 は 本 木 昌 造の創 設として 定 説 と なっ ていた。
活 字 の 号数
表 記 は 『教 会新 報』
の 「美 華 書 館 告 臼」 に 見えるのが 最 初で あ る。
そこ ではもっ とも 大 きい活 字 を 「第一
号 」 と し、
もっ と も 小 さい も の を 「六 号」 と 表 記 し ている。
ではこれ が 活 字 サ イ ズ を 示 して いるも のかと考 え ると 疑 問 が わいて く る。
こ の 「号 」 はNa
と同 じで中
国 語で 「一
番 目」 とか 「二番 目」 とい う順 番 を 示 す 語で、
美 華 書 館で は別 に サ イズ
の呼称
と して使っ
て いる わ けで は ないよ うで あ る。 『ミ ッショ ン プ レス・
イン・
チ ャイナ』 に掲 載されて い る美華 書 館
の漢 字 活字
のサ イズ
は欧文 表
記であ
る。
Double
Pica………
広告
で は第
一
号tt・
…
(
24
ポ
イント)
Doubfie
Small
Pica
…・
・
ttt
一
二 号・
・
…・
(
22
ポイ ン ト)Two
−
line
Brevler
…t・
・
…
三号
・
・
…・
(
16
ポ イン ト)Three
−
line
Diamond…・
・
・
…
四 号……
(
13
・5
ポ
イン ト)
Small
Pica………
五 号……
(
11
ポ
イン ト)
Brevier
・
…一 ・
六 号・
t…・
(
8
ポイ ン ト)
『教 会
新
報 』は読
者 対象
が 中国
人であるか ら、
意識
的 に 「号」 に置 き換
え て使
っ て い て も、
そ れがす ぐ に活
字サ イズの呼称
と は いえ ないだろう。 た だ 「何 番
目の大
き さの活 字
で」 と長
く慣
用 さ れて い る うちに、
活 字 サイズの呼 称 とし て定 着 する こ と は あ り え ない ことでは ない。
ギャン ブ ル か ら活 字 サ イ ズ につ い てどのよ う な 指 導 を 受 け た カ・
は 不 明であ る が、
本 木 昌 造 はこ の 「号 」 を 自 身 が 製 造 す る 活 字のサ イズ
の呼称
として使
っ ている。
つ ま り 『余談
』や 『新
聞 雑 誌s の活 字 広 告 は、一
号の上 に 初 号 を 設 け、
美 華 書 館 活 字で は 六 号 と さ れていた ものを 七 号 に 下 げて、
新
しい六 号 サ イ ズ を そ こにいれ ることで全 体の大 き さの段 階 (シリー
ズ)
を 滑 ら か に し よ う とい う 意 図 が 見 え る。一
号の上 に 新 しいサ イ ズの活 字 を 作ろう と す れ ば、
本 来 は 数 字 表 記 が わ か り や すい のだ がそれ はでき ない。
初 号 とい う名
称 は 苦肉
の策
か も し れ ないが、
本
木 は 号 を 活 字 サ イ ズの名 称 と していること が わ かる。
こ の号 数 サ イ
ズ
が 鯨 尺で作 ら れていること を 最 初 に 論 証 し た のが 三谷 幸 吉で あ る。
本 木 昌 造 が 使い は じ め た 号 数 サ イ ズ は、
そ の設 定 根 拠 が 明 示 さ れ ず 各 活 字メー
カー
を 混 乱 さ せ たの では ないか。
こ の疑 問 に 明 快 な 答 え を 出 したのが 三 谷であっ た。
三 谷 は 『本 木 昌 造 平 野富
二詳 伝 』 の編 者 注(
同書
54
頁 )で、
本 木 自 筆 稿 本の種 字 彫 刻の項 に あ る 「凡二 分 五 厘 角 」 「長 さ 七 分 八 厘s を 最 初 曲 尺 サ イ ズで二号 と 考 え た が、
「ところが、
其 後 活 字の種 類 を 殖 す 関 係 上、
各 其 階 級 を 曲 尺 五 厘 に す れば
大 き く過ぎ
る か ら 夫 れ を 鯨 尺二 厘 五 毛 とせ ら れて、
左の 如 く制 定 し たので あ る。
其 立 證 すべ き ものとしては、
諏 訪 神社
に 在る 三号 楷 書(
和 様 と称 せしもの)の活 字の大 き さは 十 本に て鯨 尺一
寸 五 分 四 号 活 字 は十 本 に て
鯨
尺一
寸二分 五 厘 五 毛 編 者 所 蔵の 二 号、一
号 中 館 種 字 は 五 本 にて鯨 尺一
寸一
分二厘 五 毛 そ れ を 各 活 字 に 現は せ ば初
号 活字鯨
尺 四 分 曲 尺 五 分口
万ロ
石ロ
写 ロ 万ロ
写ロ
写ロ
写一
一
一
三 四 五 六 七 二 分五厘 二 分一
分五厘一
分
二厘 五毛
一
分
六 厘五毛 五 厘 三分一
二 五 二分
五厘一
分八 七 五一
分
五六
二五一
分
二 五 九 厘三五 六 厘二 五され ば
本木
昌造 先
生 が活 字
の高
さ は西洋 (
外
国)
の活
字の高
さ に倣
はれ た が、
大
き さは 日本
の物
差に依
ら れ たの であつ て、
外国
の活 字の大 き さ に 倣つ て、
五 号 活 字 をス モー
ルパイ カ とパ諦
衛
:
:
∴
嘘
NII-Electronic Library Service
イカの 中 間 等と言ふ永い永い (原 文は 「くの字 点 」) 間の歴 史 は 誤伝
であっ た と 云 ふこ とが 判 然 し たの である。
(編 者 は 此 研究
のた め に 費 や せ し時 間、
労 力、
苦
心 は 到底
他 人 の窺
ひ知
るこ と の出 来 ない こ とで あつた。
今 茲に 之 を発 表 す るこ と を得たの は、
本 木
昌造 先 生
の加 護
と、
編者
の苦 心
の結
晶 で あ るこ と承知
あ り た し)
。
」長い引 用であ る が
、
これが鯨
尺 号数 制 論
の発 端であっ た。
本木 創製
とす る 号数 制
の根 拠
が 不 明 なと き にあっ て、
こ の鮮
やか な 論 証は印 刷 業 界に衝 撃をあた えると同 時に、
日 本 人の優 越 性 をくす
ぐっ た か も しれ な
い。
この新 説
にた
いす る 反論
があ
っ た と し て も、
鮮 や か さ に か き消
さ れ、
以降 検
証 さ れ るこ とな く 号 数サイズの定 説 と して生 きの び、
近 代 活 字の鼻 祖として の本 木 昌造神 格 化
を 助 長 して いくこ とに な る。ギ
ャンブ
ル か ら活 字 製 法の講 習を受け た明 治2
年か ら本 木 昌造
が 死去
した 明治
8
年
までの6
年
間に、
本 木 が
臼本 独 自
の鯨
尺 で活字
サ イズを整備
し た とい う 三谷の説は、
初 期の印 刷物
を わず
かで も 測定
す れば
、
そのよ う なことが あ り得
ない ということ が すぐわかっ た はず
である。
美 華 書館
の各
サ イズで印刷
された書籍
か ら一
字
あた りの角 寸 法
を割
り出
し、
そ の う えで日本
の明 治初 年
の 印 刷 物 か ら 同 じ よ う に 測 定 し た角
寸 法 を 比較
す れば
、
両者
の関 係は一
目 瞭然
であ る。
特 に三谷の いう 「 二号、一
号 中 間種 字」
に注 目 して いれば
、
これ が美華 書 館
のDouble
Pica
で あ り、
崎 陽 新 塾の 活 字 見 本 中の一
号であるこ と はす ぐにわか っ たはず
であ る。 三谷の いう一
号 は後 年
の整 備
され た 大 きさ の一
号で あっ て、
明 治5
年当
時の一
号では ない。
ま た 三谷が示し た鯨
尺で各
号の角 寸 法
を算 出
す ると、
印 刷物
からの実 測値
と乖離
し て し ま う。
美 華 書 館
と崎
陽新
塾の活
字は各
サ イズの測 定 角 寸法
が 同じ であるから、
美華 書 館
も ま た鯨
尺 を 長さ の基 本単 位
と して いる という奇 妙 な
ものにな
る。
もっと広 げ
れば ギ
ャ ンブ
ル が印刷
を修 業
し た フィ ラ デ ル フ ィ ア で も鯨
尺が基 本単 位
に なり
、
鯨
尺は世
界標 準
の名
に恥
じない こ と にな る。 同 時期
の弘道
軒 清 朝体
は た し か に曲
尺で作
っ て お り、
わが 国の独自性
を示そ うという意 図
は 理解
できるが、
西欧
の近代 的
な技 術
の習得
を急
ぐ本 木昌造に とっ て、
美華書 館
か ら導
入 し た イン チ 寸法で で き て い る鋳 造 用 鋳 型 な ど を わ ざ わ ざ鯨
尺 に作
り替
えて稼働
さ せる だろうか。
長 崎 製 鉄 所の工 作 機 械 を 使 え ば、
鯨 尺の鋳 型 を 切 り出
すこ とは 可能
であっ た か も しれ ないが、
加
工せず
そ の ま ま 使 えばそ の 日 か ら稼
働で き る の で あ る。
では 美 華 書 館の
活
字 サ イ ズ は なにを も とに して い る のか とい う 疑 問がわいて く る。
わ た く し はアメ リ カンポ イン ト制 定 以 前 の サ イズ、
つ まりア メ リ カ に輸
入 さ れ使
わ れて いた 活 字 あ るい は鋳 造 鋳 型の 規格
と し て の、
フー
ルニ エ あ る い は デ ィ ドー
の サ イ ズ と 考 えて い る。
そ れ は鋳 造会 社
で大 き さ にい くぷん かの違46
デ ザ イ ン 掌 研 究 特集号spacLai
issue
ofjapanese
socjeVtorthe
seience
ot
desrgn
Vol
.
17−
2No
.
662010 いを生 じて はいたで あろう が、
原 型は北 米 長 老 会 が 美 華 書 館 に 送 付 し たアメ リ カの活 字 会 社のものと 想 像 すること ができる。
こ の稿では そ の 後 の 定 説 と なっ た 鯨 尺 号 数 制への批 判 に 終 始 して い るが、
しか し三谷 幸 吉 は 本 木 昌 造へ の極 端 す ぎ る 敬 慕の情 が
あっ た と して も、
長い時 間 を か け た 研 究 の 結 果 鯨 尺 号 数 制 説を提 案し た の で あっ て、
その貴 任 を 賣 めて いる わ けでは な い。 む し ろ 責 め ら れ るべ き は 三 谷 以降
の 研 究 者の怠 漫であ る。
活
字 書
体 史 研 究 は、
〔
1
} 基 本
文献
の収集
と検
討活 字 その ものあるいは当 時の 印 刷 物の調 査
・
分 析 の二方 向が 必
要であ る。
この二 つ は た がいに 不 即 不 離の関 係 に あ る。
現 在 までの 研 究 は(
2
)
の 視 点 が 欠 けていた。
三 谷 の 劇 的 な 説 も、
第一
次 資 料 と して の 活 字 ま た は 印 刷 物の調 査・
分 析 を 怠っ て いな け れ ば、
もっ と早い時 期 に その誤 り が 正 さ れ、
正 確 な 研 究が進んで い たに違いない。
6 .
既存 研 究
の疑 問 点
一
美
華
書
館
の漢 字 活 字
の出 自
美 華 書館
の前 身
で あ る 北 米 長 老 会 印 刷 所 がマ カ オ に 開 設 さ れた の は1844
年1
月である。
中 国へ の文書
伝 道 活 動を 目 的に 設 立 さ れ、
寧 波
をへ て上 海
に移 転
し美華 書 館
を名
乗っ たのは1860
年
12
月。
『教 会新
報 』 に 掲 載 さ れて いる6
サ イズ
の 活 字 書 体が完 備 さ れ たの は1868
年であっ た。
開 設 か ら24
年 間 にこ のすべてを自
館で整備
し たとした ら、
いつ誰 が 開 発 し た の か と い う 疑 問が おこる。
美 華 書 館の活 字 書 体につ い て日 本で は じ め て論 述
し た のは 川 田久
長で、
雑
誌 『季
刊プ リン ト1
』(
印 刷 出 版 研 究 所、
1962
年 )に掲 載の 「邦 文 活 字 小 史 」 は、
外 国 人が 開 発 し た漢 字活 字
につ い て書
か れ た唯
一
のもの で ある。
川田 は こ の
論 考
を ロ バー
ト・
モ リ ソ ン 『英 華 字 典 』 の彫 刻 活字
か ら は じ め、
ロ ン ドン伝 道会
のサ ミュ エル・
ダ
イアー
が開 発 した丁hree
−
line
Diamond
(
13
・5
ポ
イン ト)
、
北 米 長 老 会 の リチ ャ
ー
ド・
コー
ル が持 参 し たTWo
−
line
Brevier
(16
ポ イン ト)な どに
続
い て、
ギ
ャ ンブ
ル の 業 績 に 話 を 進 めてい る。
欧 文 の 文 献に よっ た外 国 人 に よる漢 字 活 字の製 作 につ いて、
短いけ れ ど 示唆
に富
ん で いる。 文章
は こ のあと幕末
の日 本の活 字 印 刷 物 の 話か ら、
本 木 系の活 字、
印 刷 局の活 字と進 み、
築 地 活 版・
秀 英舍
の活 字
、
楷 書 体 活 字
な どに論
を進
めて い る。論 考
はA4
変
形 版12
頁にす ぎ ないが、
膨 大 な活 字 資 料を蒐 集 し て い た川田 久 長 の 研 究の全 体 像 が 理 解でき る優
れ た もの である。 し か しこ の 文 章が活 字 書 体 史 研 究 に あ た え た 影 響 につ い ては残 念
な がら わ か らない。 ただこれ 以降
の研 究 論 文 な ど に は 川 田 の指 摘 が 生 きて い る様
子はなく、
本 木
昌 造以前
の 金属 活字
の歴 史 と して重 要 視 さ れてはいない。
わ た く し に とっ て こ の論 考
の 衝 撃は大きく、
漢 字 活 字は中 国・
日本の専 売では な く、
欧 米 人 の アジアへ の布 教活 動
と大航 海
時 代 以降
の東
洋 学・
日 本 学の進 _ ._1
_NII-Electronic Library Service
展 が 開 発 を 促 した とい う 視 点 を あたえて く れ た。
川 田 久 長 はこ の論 考 を よ り詳
説 する こと は な かっ た し、
蒐 集した 資 料 も死後 散 逸 し た よ うであ る。
そのた め わ た く し はヨー
ロッパ に お け る 漢 字 活 字の資 料 を 収 集 す る 作 業 か ら 始 めるこ と に なっ た が、
思 う よ う に集
ま る わ けでは な く、
ま た ヨー
ロッパでも 漢 字 活 字 の 研 究 は 未 開の分 野ということが わかっ た だ けであ る。
し か し
、
とぼ
しい資 料 か ら わ かっ たこと は、
美 華書
館の漢 字 活 字のラ イン アッ プ は、
フラン ス人・
イギ
リス人・
ドイ ツ 人・
アメリ力人の努 力
の成
果が集 積
さ れ た もので、
本 木 昌 造 はそ の 成 果を複 製 し た にす ぎ ないが、
現 在に続 く 活 字 書 体とくに基 本書体
と して の明朝 体
の整備
・
改 良
は、
この複 製
か ら は じ まっ て いるこ とを 忘 れ て は な ら ない と思 う。
たと えばSmall
Pica
(11
ポ イン ト、
五 号 ) を 例に とれ ば、
美 華書 館
の印刷 物
か ら抽 出
し たサンプル漢 字
と、
崎
陽新 塾
・
平 野 活 版・
初 期築
地活 版の それを拡 大 して重 ねあわせ て異 同をみ ると、
ほと ん どが 同 じであ
る が、
日本
ではいくつ かの文 字
は 早 い時期
に改
刻 がお こ な わ れ、
やが て改
刻が 全体
に お よ んで い く ことが 見て とれる。 サンプル とした216
字
は構 造
で分 類
し たう え で、
日中
の数種
の使
用頻度
調査
で500
位
以内
に入 り、
彫 師
の造 形 感 覚
によっ て布 字
に変 化
がで ると 思わ
れる漢 字
を選
んだ。
改刻
のポ
イン トは書 体
デザ
インを本 業
として いる わ た く し に も充 分 納 得
がいくも の であっ た。漢 字
は複 製
で き た が 日本 文
を組
むに は両 仮 名
が 不 可欠
であ
る。
しかし美華
書館
に は 『和英
語林 集
成 』 を組
んだSmal
[Pica
の片 仮 名
し か な く、
日本
側で新
た に作
らね ば な ら な かっ た。本
来仮 名
とく に平
仮 名は文 字固有の大 き さ を 持つ 自由
奔 放 な 字 形 であ る が、
それ を漢
字 と同
じ大
き さの正方 形
に布 字 す
る こと は 困 難 がつ き まとっ たに違いない。
彫 師 達は それ を乗
り越え て変化
あ る 書体
を 生みだ し、
いま に続
く字 形 に 定着
さ せ たのは明治
20
年代
であろ う。書 体 史研 究
では、
日本 文
の60
パー
セン ト を 占め る仮 名 書体
の 歴史 的 分 析 と 分 類はおろ そかにさ れて い た が、
近年仮 名 書体
の分類
の重要 性
が認 識
さ れるよう にな りすこ し ずつ では あるが 研 究 が 進 んで い る。
しかし こ の分 野の研 究 成果
は も う少 し先
に なるだ ろ う。
の開 発と背 景」 で、
古 く か らヨー
ロ ッパでは 漢 字活
字 が開 発
さ れて いたこ とを 豊富
な 図版
を 駆使
し て証 明し て い る。
中
国の 四 大発 明
の一
つ である羅 針
盤 が大 航海 時代
の幕
を開
ぎ、 ヨー
ロッ パ人 に 東 洋へ の関 心 と 興 味 をうな がし、
や がて東 洋 学 を 確 立 す ること に な る。
そ れ は ア ジア の各 言語
の開 発 につな がっ て い く。
そ して18
世 紀 末の博 愛 主 義 運 動 に 動 か さ れ た 布 教 活 動 も、
膨 大 な 人 口 を 有 す るアジアを めざ
す。
漢 字 活 字 が 開 発 さ れてい くのは、
現
地 語で聖書
や ト ラ ク トを印刷
す る 必要
に 迫 ら れ た結
果でも ある。
同 じ四大 発 明の一
つである活 版 印 刷 術 がそれ を 支 え たこ とはい う まで も ない。
鈴 木 氏 は 最 終章
でギャ ン ブ ル が 中 国 人学者
を2
年
間 雇い漢 字使
用 頻度
調 査 を おこなっ たこと を 記 し、
そ の 意 味 は 漢 字の総 体 を 限 定 す ることでア ルファベ ッ トの よ う な 閉 じ ら れ た 文 字 体 系として認 識 し、
運 用の レベ ルで支 障 を き た さぬ こ とを 可 能 に し た と 結 論づけて いる。
鈴 木 氏 の 論 考 の視 点はこれまで の活 字 史 研 究 にはな かっ たものであ る。
わ た く し は 「明
朝
体、
日本
への伝 播
と改刻」
で、
美
華書
館 か ら導 入された明 朝 体が日 本で その ように改 刻されて い っ たの か。 ま た鯨
尺 号数
制の 問 題 点 を 指摘
し、
それ が 間 違い であるこ とをた どた ど しくはある が論 証 して いる。
府 川 充
男氏
は 「和 文 鋳 造 活 字
の 「傍 流」 」
で、
幕末
明 治 初 期 の明朝 体
以 外の活 字 書 体 につ い て分 析・
解 説 を おこなっ てい る。
こ のよ うな ま とまっ た記 述 は 日 本で 初 めての こ とで、
府 川氏
の調査
の精 密
さが 理解
でき る論考
であ る。氏
は 国 立 国 会 図書
館、
国立公 文書館
、
東京
大 学 法 学部新
聞 雑誌
文 庫、
印 刷 図 書 館 をはじめ とし て各大 学
の特殊 文 庫他
の資 料
の ほ と ん どに眼を通 し て い る。
そ の時代
の 印刷物
を唯
一
信 頼
で き る資 料と み なす 調 査手
法 は気
の遠 く なるよ う な行 為
だ が、
み ごとにや り終
え一
大 資 料 集 『聚珍 録 』(
三省 堂、
2004
年 )
と し て結
実し て い る。
7 .
和 文
書
体
史
研 究
の進 展
と今
後
いま まで み てき た よ う にこれ まで の和 文 書 体 史 研 究 は その出 発 点 に おいて多 くの 問 題 を 持っ ていた。
そ れ ら を 研 究 デー
マと して解 明 す ることで、
矢 作 勝 美 氏の 『明 朝 活 字 』 を 最 後に停 滞 して いた書 体 史
研究
に新
しい方 向性
をあ
た えたのが 『本
と活 字
の 歴史
事典
』〔
柏 書房、
2000
年 )
であっ た。
本 書は6
編の論 文で構
成 さ れてい る が、
そのう ちの3
編 が 近 代 活 字 につ いて の 論 考である。
鈴 木
広
光 氏 は 「 ヨー
ロッ パ人
に よる漢 字 活 字
の開 発
一
そ図6 『本と活 字の歴史 事 典 』 柏 書 房
、
2000
年謙
驚
:
∵欝:
:
∴
撤
新 しい活 字 史 研 究は氏に よっ て展 開さ れて き た とい っ てもい い 過
ぎ
ることは ない。
わ た くしや新
進気 鋭
の研究者
も、
氏の熱 意
と努 力
に後 押
しさ れて いるの であ る。実 証 的 手 法の採 用は
ギ
ャンブ
ル が伝え た蝋 型 電 胎 法の技 術 再 現 に も か か わっ て く る。
蝋 型
電胎 法
は 昭和
40
年代 後 半
に 可動
を終え た ま ま そ の技 術の記 録は な され ずに い た。
職 人の物故
、
機 材
の廃 棄
な どが重
な り書 籍
の中
だ けの技 術
であっ たが、
株
式会 社
モ リ サ ワ の熱 意
と努力
で再 現実
験 がお こ なわ れ、
復
元に成
功
した。 長崎諏 訪神 社 所 蔵
の木 彫 種 字調
査 と復
元 記録
は 『日本
の 近代 活 字本 木
昌 造と そ の 周 辺』(
近代
印刷
活字
分か保 存 会
、
2003
年 )
に収 録
され
てお り貴 重 資 料
になっ て い る。
『
本
と活 字
の歴史 事 典
』の編集
で感
じ た 研究 者
不 足 も、
こ こ数
年で若 く先 鋭 的な研 究者
が育
っ て い る こ と を実 感
し た の が 『活 字 印 刷
の文 化 史
』(
勉 誠 出 版
、
2009
年 )
の制 作
であっ た。本 書
は キ リ シ タ ン版か ら 近代
活 字ま で の論
文10
編
を収録
し て い る。 そのな かで近 代活 字 研 究
の論 考
は6
本
で、
そ の大
き な特
徴
は 日本
・
中 国・
韓
国の 研究 者 が参
加し て漢 字・
仮 名
書 体の開発 状 況
を論 究
して い る ことである。府 川
氏 達 と 『印刷
史研 究
』 を創 刊
し た とき、
そ の目 的は菓アジア の研 究 者 が集
まっ て印 刷 史研
究 を 進 める こと、
過 去の研 究 方 法 や 結 果 に頼
ら ず 新 しい成果
を 生みだそ うとい うもの であっ た。 そ の意図
は同書
である程
度
達 成でき た と思わ れる。若
い中 国
人研
究者 孫 明
遠 氏の 「二〇世
紀 前半
に お ける中国
人 による 「倣 宋
体」 と 「楷
書 体」 の開 発」 は、
中国 の印 刷 史 研 究 に新
しい視 点
と 成果
を も た ら した という 意 味で重 要 な 論 考 とい える。
「中国 の発 明で ある活 字の歴 史は中 国 人 が 書 く 」 とい う 張 秀 民先
生の生 涯 を か け た 努 力 が 多 くの研 究 者 を 生 んで いる が、
近 代 活 字の研 究 は 何 歩 雲 先 生の論 考 「中 国 活 字 小 史 」 (初 載 は 『中 国 印 刷 年ljSD
再 録 『活 字 印 刷 源 流 』 印 刷工業 出 版 社、
一
九 九 〇年 )
を最
後 に新
しい論 考 は書
か れて いない。
この論 考の主 要 部 分 を し める上 海で の宋 朝 体 と楷 書 体の開 発 史 は 長 く 「定 説 」 として引 用 さ れて き た が、
孫 氏は上 海 図 書 館、
上 海市 档案 館
、
活 字
関係
の企業
など
で資 料
を渉猟
し、
かっ多
くの関係
者へ の インタ ビュー
に よっ て見事
に 書 き換
えている。 国 際 都 市上海に おける一
九二〇 年代
か ら 三〇 年 代、
欧 米の潮 流を導 入 し た商業
デザ
イ ンが 展開
され
るなか、
中
国人
によっ て独 自
の美
意 識と感 性で開 発 され て い く宋 朝 体と楷 書 体の多 様さを発掘し た 労 作であ る。
そ して多 く の 中 国 人 が 印 刷 事 業 に参
入 す ること で、
欧 米 人に よ る こ の分 野で の独 占状 態を崩 壊さ せ、
印 刷 技 術面
で も自
立し て い く様
子を描
い て い る。中
国は良
い研究者
を得 た とい えるだろう。
この と き 開 発 さ れ た 宋 朝 体 と揩 書 体の一
部 は、
昭 和IO
年 初 頭 日 本 人の手に よっ て密か に持ち出され、
無 断で複 製され 活 字 見 本 帳に自社
独 自の書 体
と して掲 載
さ れ続
け た。48
デ ザ イン字研 究 特集 号speclal IssUe Ofjapanese seOPety fOr the ScEenCe Of deS/gn
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