校長講話の構成に関する取り組みとその予察的研究
伊 藤 裕 康
1.はじめに 高橋(2001,20)は、校長着任と同時に、即、脳裏をよぎったことは校長講話だったそうである。 「校長の講話やあいさつは、常に、学校を代表して心を言葉に表すものである」(長谷川1991,11) と言われるだけに、校長講話は疎かには出来ない。校長講話で悩む学校長は少なくないだろう。そ のことは、校長講話集といった例話集の類が巷にあふれていることからも推察できる。 ところで、校長講話を、本稿では次のように定義したい。まず、校長講話の場面を、椋本・八尾 坂(2001,34)のように、「整列、着席等の体系を整えている聞き手と向かい合って、予定に従って 行った話」(長谷川1991,12)とは捉えない。なぜなら、予定に従わず、突如子どもたちに講話を することもありうるし、後述するように講話の対象が子どもたちだけとは限らない場合もある。校 長講話の場面を先のように捉えると、漏れ落ちる校長講話があると考えるからである。そこで、校 長講話を「校長が学校改善を図っていくにあたって、校長の教育的信念やビジョンなどによって表 される価値を具現化し、積極的な学校文化を形成していくために児童・生徒や教員、あるいは保護 者といった組織構成員に対して行う話」(瀬戸口2003,127)として捉えることとする。 さて、校長講話を実際どう構成するかについて、ヒントや心がけ程度のことはあっても、校長講 話の構成1)そのものについて述べたものは少ない。校長講話に関わる研究自体も必ずしも多くはな い。本稿は、校長講話の構成に関わる諸問題とその実際を体験論的に述べていく。筆者が経験した のは国立大学附属学校の学校長であるが、公立学校での校長講話の構成にも資するように心がけ た。 2.学校長としての講話の役割 (1)附属学校長としての講話 1)附属学校長にとっての講話の意味 校長講話にあまり力をかけるべきではないという、次のような考え方がある。 「校長は講話で勝負する」と言われる。しかし、自分が生徒の時の経験から考えてみても、校長の講話が生 徒の記憶に残ることはほとんど期待できない。「校長は、朝礼の構話作成に時間をかけるべきではない。」と の一文を見付けた時は、ほっとしたことを覚えている。そうは言っても、私自身が、話をしたり、文を書い たりすることが苦手なこともあって、自分なりには時間をかけた(長谷川2007,45)。 教育学部国立大学法人下の教育大学や教育学部の附属学校長は大学教授の併任がほとんどである。附属学 校長は附属学校に四六時中いるわけにはいかない。附属学校には副校長がおり、通常の校長業務の 多くを代行する。通常の学校長とは違う学校運営が求められるのが、附属学校長であると言えよ う。 「校長は、朝礼の構話作成に時間をかけるべきではない。」という考えは、恐らく校長講話に力 をさくよりも、校長としての他の仕事に力を注いだ方が生産的であるということであろう。だが、 「校長は、朝礼の構話作成に時間をかけるべきではない。」という見解は、こと附属学校長には当て はまらない。大学教員と附属学校長を兼務することから、附属学校にいることが少なく、通常の学 校長に比べて子どもとの接触が少ないのが附属学校長である。その附属学校長が、全校生徒に語り かけられる唯一の機会が校長講話である。ならば、校長講話の構成にやはり力を注ぎたいものであ る。 公立学校の学校長も、担任と比べれば、子どもとのふれあいは極めて少ない。さらに、校長講話 は、「校長にとって唯一の授業」2)と言われる。それ故、「校長は講話で勝負する」3)とまで言われる。 著名な実践家で名校長としても有名な江口(1985,5)は、校長講話の重要性を次のように述べる。 さて、私が今一つ授業(江口は校長となっても毎年授業を飛び込みで行っていた。引用者補足)だと思い、 最も力を入れて来たのが、毎週月曜日に行われる全校朝会である。 月曜日の全校朝会、それは校長が子どもを直接、全体的に指導しうる唯一の機会である。そして、それは 一週間のスタート台でもある。子どもと教師が、新しい週の一日目を迎える時に、校長が子ども達に何を語 りかけるか、これこそ正に校長の力量の問われるところであろう。 江口は、「子どもたちに『生き方の指針』を与え、一人ひとりの子どもに、夢と希望を抱かせ、そ の意欲をかきたてて、“君たちならどう生きるか” を問いかけるものであろう」“校長でなければ出 来ない話” に心がけ、かなりの勢力を講話作成に費やしている。また、「朝礼の構話作成に時間を かけるべきではない」との一文を見付けほっとした長谷川も、話や文を書くのが苦手なので講話作 成に時間をかけただけでなく、その重要性を認識して時間をかけたようである。なぜなら、氏は、 「教室やグランド・体育館での生徒の活動の様子を見て回ったり、新聞や本を読んだりして、生徒 の頑張りや気に入った表現を見付けると、それを書き留めておいて、話のネタにする」(長谷川 2007,45)ことをしているからである。「自分が生徒の時の経験から考えてみても、校長の講話が 生徒の記憶に残ることはほとんど期待できない。」と思えても、校長講話に力をさくより、校長と しての他の仕事に力を注いだ方が生産的であると思えても、公立学校の校長と言えども、校長講話 の構成に努めたい。 2)生徒の記憶に残らない校長講話について 校長講話が生徒の記憶に残らないことについて考えてみたい4)。日本における対話の無さを考察 する中島(1997,64-65)は、次のように述べている5)。 小学校以来いや幼稚園以来、われわれが校長(園長)先生の①抽象的訓示を毎週浴びて育ってきた。「みんな と仲良くすること」「精一杯努力すること」「思いやりをもつこと」ウンヌンカンヌン。マイクを通じて何百 人の生徒に向けて話す紋切型の言葉をエンエンと聞かされてきた。読者の中に、アアあのときの校長の言葉 は心に焼きついて離れない、アアあの言葉によって自分は目からウロコが落ちた、というような体験をした 人が何人いようか?そういう特異な体験も皆無ではなかろうが、大多数はほとんどすべて忘れているのでは ないか。
われわれの耳には、こうした②「暴力的に無意味な」言葉の洪水に慣らされてしまった。疑問を感じなくなっ てしまった。子供のときばかりではない。さらに、大学の入学式や卒業式、企業の入社式や記念式典、結婚 式や葬式等々ドコでもココでも③定式化した挨拶の洪水。④むやみに丁寧で、内容がまったくなく、そしてー いちばん犯罪的なことであるが―⑤本当の意味では自分が信じてもいないお説教なのであるから、互いに区別 がつかずスベテ忘れてしまうのももっともなのだ。(下線及び番号は引用者) 中島によれば、校長講話が生徒の記憶に残らないのは、講話が抽象的訓辞の洪水だったり、「暴 力的に無意味な」言葉の洪水だったり、定式化した挨拶の洪水だったり、内容がまったくなく自分 が信じてもいないお説教だったりすることによる。本来、校長が行う「授業」としての校長講話は、 「学習指導要領も教科書もないため、校長の教育観や経営哲学、信念や識見、人柄が色濃く反映す る」(元兼 1997,132)。抽象的訓辞の洪水、「暴力的に無意味な」言葉の洪水、定式化した挨拶の 洪水、内容がまったくなく自分が信じてもいないお説教である講話は、校長の教育観や経営哲学、 信念や識見、人柄が色濃く反映されたものとは言えない。 筆者は、2014年度の卒業生に手渡した『校長講話集 イートン校の四季 2012年度~2014年度』 の「はじめに」で次のように述べた。 私は、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院と長きにわたり学校教育を受けてきました。しかし、そ の間の校長先生や学長先生のお話しを何一つ覚えていません。1週間前の昼食は何でしたと問われれば思い 出せませんが、食べ物は確実に私の血や肉になっています。同様に、校長先生や学長先生のお話は覚えてい なくても、私の考え方を形作る血や肉になっているはずです。私の話を覚えていなくても、私の話も皆さん の考え方を形作る一助になっていると思いたいです。しかし、少しは皆さんに覚えていてほしい。覚えても らえるような素晴らしい話をしたかとなると、心もとない限りではありますが…。そこで、私の存在証明と して、また皆さんのご卒業に際して私なりにできることとして、校長講話をまとめることにしました。 校長講話が生徒の記憶にあまり残らないのは確かである。だが、記憶に残らないからと、校長講 話が抽象的訓辞の洪水、「暴力的に無意味な」言葉の洪水、定式化した挨拶の洪水、内容がまった くなく自分が信じてもいないお説教ばかりと言えるか。「1週間前の昼食は何でしたと問われれば 思い出せませんが、食べ物は確実に私の血や肉になっています。同様に、校長先生や学長先生のお 話は覚えていなくても、私の考え方を形作る血や肉になっているはずです。」ということはないの か。授業でさえどれほど記憶に残るのか。印象に残る授業でないと覚えていないだろう。ほとんど 授業を覚えてないと言って、授業が無駄とはならない。校長の「授業」である校長講話も同じでは ないか。 確認したいことは、校長が行う「授業」としての校長講話だから、内容がまったくなく自分が信 じてもいないお説教等のように、借り物の考え6)によりかかって講釈を垂れないことである。校長 講話は、校長の教育観や経営哲学、信念や識見、人柄が色濃く反映された、校長が生身で子どもに 語りかける授業なのである。また、子どもにとって意味のある話を具体的に語ること、決まり切っ たように話さないことが大切である。「洪水」の言葉が示すように、子どもに一方的に話さないこ とも肝要である。筆者は、一人の子どもにでも講話が心に残ってくれれば有り難いと思って臨ん だ。 (2)校長講話とその役割 元兼(1997,132)は、先行文献から校長講話のメタファーとして、①「校長にとって唯一の授業」、 ②「校長にとって随一ママの授業」、③「校長の授業」、④「校長の公開授業」、⑤「研究授業」、⑥「全
校生徒への授業」、⑦「(独語でなく)対話」、⑧「校長の学校経営の言語的表現」、⑨「校長の学校経 営の肉体的表現」を挙げている。これらのメタファーから、校長講話は、学校経営の一環であり、 校長が生身で全校生徒に語りかける授業であると言えよう。 さらに、元兼(1997,132)は、「児童・生徒の意欲(モラール)を高めるもの」であるとともに、「校 長と教職員と全校児童・生徒との直接対話」である点を校長講話の意義とする。椋本・八尾坂(2001, 41)は、「校長講話は、生徒を中心にしながらも、内容的に参列している人々にも感銘を与え、そ れによって、教職員の意識変革=学校の組織文化を変えるような営みなっていくことが望まれる。」 と述べる。また、「講話は校長が文化的リーダーシップを発揮するための重要な場面」(元兼1997, 129)と言われる。「生徒のみならず、教職員も校長の講話に耳を傾ける。その講話の内容がどうで あるか、価値ある話であるかどうか、暗黙の評価を受けている」(高橋2001,22)が故に、十二分 に準備をして臨みめたい。 校長講話を通して教職員から暗黙の評価を受ける点は、附属学校長の方が厳しいかもしれない。 附属学校の教職員には、大学から来た校長がどこまでやるか、どこまで真剣に附属学校に関わろう としているかと関心を持っている。特に赴任当初は、この傾向が強く見られるのではないかと思 う。また、地域教育の先導校である附属学校は、地域の教育の指導者を養成する場でもある。附属 学校長は、このことも頭の片隅に入れ、将来の地域教育のリーダーを嘱望される教職員に役立つ講 話にも努めたい。公立学校の校長も附属学校長ほどではないにしても、後進の育成の観点からこの 点も重要である。さらに、自身が担任をしていた時、毎日の話の準備に苦しんだことを思い返し、 高橋(2001,29-30)のように、学級担任へ話題の情報提供をする面もある。この点を心がければ、 担任による「再話」7)もしやすくなり、校長と担任との連携による語りでの教育となろう。 3.校長講話の構成の仕方について (1)校長講話の構成過程 江口(1985,26-28)は、校長講話は、a.「子どもたちに『生き方の指針』を与え、一人ひとりの子 どもに、夢と希望を抱かせ、その意欲をかきたて、“君ならどう生きるか” を、問いかけるもの」と する(アルファベトは引用者補足、以後同様)。そのために、b.「年度の見通しをたて、『この話は 欠くことは出来ないな』というものを、一応想定」する。次に、c.その年の目玉になるシリーズ物 を考える。さらに、d.大まかにジャンルと視点を定めておく8)。以上は、個々の講話の主題を決 める前提段階の話である。これらを踏まえ、江口(1985,29)は、e.主題を決め、F.主題にそっ た資料を集め、G.集めた資料を精選し、H.話のすじをできるだけドラマチックに仕上げ、I.何 回も手入れをしつつ、語りかけ、訴える調子に修正する。最も日頃気を配るのが資料集めだとし、 「これは是非、全校生徒に聞かせてやりたいなあ」と思った物は、切り抜いたり、コピーにとった り、メモをとったりして保存しておく。そして、どんな話題をいつ話すかというタイミングが大切 だと述べる。 長嶋(2000,11-14)は、校長講話の目的は、「学校教育目標達成のためのPDS9)」とし、「子ども の学校教育目標にかかわるような言動のよさ」を話の中心にすえた。それ故、日頃から子どもと一 緒にいることに心がけ、子どもの言動の良さの発見に努めた。高橋(2001)は、年間を通しての講 話は大きなテーマの基での実施が肝要と考え、「生きる力の育成」を共通テーマにした。これは、 生徒の「生きる力の育成」を目ざした教育課程を完全実施する中に校長講話を位置づけるものであ る。校長講話の事例研究から、瀬戸口(2003,128)は、校長講話の作成過程を次の4点にまとめた (番号は引用者)。1.前段階として、学校設置者の教育施設や校訓、生徒や地域の実態、校長自身 の教育的信念など、様々な要因を総合した上で教育目標を策定する。2.策定した教育目標をアプ
ローチするためのビジョンを描く。3.ビジョンに基づいて講話に込める価値を定める。4.講話 を計画する。 以上、先行実践・研究から見た校長講話の作成過程と筆者の体験を踏まえ、校長講話の構成過程 を次のように大まかにまとめた。 ① 学校設置者の教育施設や校訓、生徒や地域の実態、校長自身の教育的信念など、様々な要因を 総合した上で学校長なりの教育目標を策定する。 ② 策定した教育目標を踏まえ、一年間の校長講話を貫くテーマを決める。 ③ テーマに迫る大まかにジャンルととりあげたい講話の視点を定め、年間の見通しを持つ。 ④ テーマにそった資料を日頃から集めておく。 ⑤ どんな話題をいつ話したらよいかタイミングをはかり、集めた資料を基にしながら話のすじを できるだけストーリー的にドラマチックに仕上げる。 ⑥ 作成した校長講話に何回も手を入れ、子どもの心に訴えかけられる分かりやすい話に修正す る。 ⑦ 校長講話をしている中で、子どもたちの反応を踏まえて臨機応変に修正していく。 ⑧ 実際に語った校長講話を記憶が鮮明な内に記録しておき、後日に活かす。 若干付言しておく。①では、校長自身の教育的信念を反映したいと思うであろうが、まずそれを 押さえたい。学校を代表して語る校長講話なので、①の様々な要素、特にその学校の使命と役割 を明確にした上で、校長自身の教育的信念と折り合いをつけ、教育目標を決めたい。先行実践で は、校長講話では年間の見通しをもつ大切さが言われる。だが、新任校長の場合、特に附属学校長 の場合、まずはその学校の流れを知るのに時間がかかる。そんな時、①の教育目標に照らし、②の ように年間を貫くテーマを決めておけば、大まかな方向性はつこう。さらに、③をすることで校長 講話の偏りや過不足が分かりやすくなり、途中での軌道修正がしやすくなる。④の資料収集をする 場合、教育目標実現の点から見た集団としての子どもの良さと、個々の子どもの良さに気づくこと が大切である。そのために、校長は最前線に立つ10)など子どもと過ごすことに努めたい。だが、こ の④が、附属校長にはつらいことである。子どもと過ごしたくても、大学との兼務のため物理的に 難しく、後述するように工夫を凝らすことが必要となる。⑦は、次のことに留意した。子どもの顔 を見れば、講話が子どもの心に響いているかどうかは分かるので、子どもの反応には殊の外留意し た。難しそうな顔をしていれば、より具体例で語ったり、言葉を言い換えたりした。子どもの心に 響く講話なのかは、教職員の様子も参考になる。担任教員は、子どものことをよく理解しているか らである。⑧のように記録しておけば、後に見返して同じジャンルの話が多いとか、子どもに語り かけておくべきことが抜落ちているとか、この点は大切なので何回も語らなくてはと、様々なこと が分かって来る。年間見通して講話を構想できなくても、講話を語りながらの修正していく資料と なる。 (2)校長講話の構成で心がけていること 今まで述べて来た留意点に加え、筆者は以下のことを校長講話の構成で心がけた。 ① 生徒ばかりでなく教職員や父母等も対象とすること(長谷川1991,38;元兼1997,130;椋本・ 八尾坂2001,41)。 ② 大切なことは繰り返し話すこと(長谷川1991,39)。 ③ タイミングを考えて話すこと(江口1985,27;次山1998,13)。 ④ 短時間でまとまりのある話をすること。 ⑤ 担任教師に「再話」されるような話となるように心がけること(元兼1997,128)。 ⑥ 視覚に訴えたり、問いかけたりすること(高橋2001,22;次山1998,川村2006)11)。
⑦ 子どもたちを鼓舞する応援メッセージになること(江口1985,26;長嶋2000、12;高橋2007, 45-46)。 ⑧ 学校の文化を反映したものとなっていること。 ⑨ 物語りとして成立していること。 ①と関わり、長谷川(2007,46)は、「講話をするとき、私の心構えは、生徒に向けた形式をとっ てはいるが、実は、教職員に向けた部分がかなり多い。校長の思いを踏まえながら、実際に生徒を 指導するのは、教職員だからである。」と述べる。元兼(1997,130)は、「校長講話の対象には児童・ 生徒ばかりでなく教職員や父母なども含まれており、校長はこのことを常に意識しておかなければ ならない。だが、あくまでその中心は児童・生徒であり、あまり戦略的になりすぎてもいけない。」 と述べる。生徒対象の講話であっても、教職員も聞いている。教職員の心を動かすような講話であ れば、⑤の担任教師の「再話」にも繋がっていく。また、講話を聞いた生徒が保護者に話を伝える こともある。生徒の背後には保護者がいる。そこで、筆者は、元兼が述べたことを基本姿勢にし、 教職員も大いに視野に入れ、保護者や地域の方々も射程に入れて講話を考えた。 ②の繰り返し話すことは、なにも校長だけ行うことはない。⑤の担任教師の「再話」も、校長講 話の繰り返しである。筆者は、生徒にはこれだけは心に残して欲しいと思ったことは繰り返し語る ようにした。例えば、校訓や命に関わること、始業式や入学式で述べた生徒への要望等々である。 学校の1年間にはリズムがあり、その時その時校長講話で取り上げたい事項がある。さらに、学校 では様々なことが起こる。学校で生起する様々なことを適切に校長講話で取り上げたい。③のタイ ミングを考えて話すことは大切である。 長い講話は嫌われる。④は殊の外大切である。そのため、必ず事前に講話を作成し、何度も修正 して可能な限り「縮言」するように心がけている。 筆者は、⑤の担任教師の「再話」があることが、校長講話の出来映えをはかるめやすと考えてい る。筆者から教職員に「再話」を求めたことはなかった。校長講話が意味のあるものとなれば、自 ずと担任教師の「再話」が始まると考えるからである。 ⑥の視覚に訴えたり、問いかけたりすることは、全校生徒を対象とする校長講話では困難な点が 多いが、可能な限り心がけている。 江口のように「子どもたちに『生き方の指針』を与え、一人ひとりの子どもに、夢と希望を抱か せ、その意欲をかきたてて、“君たちならどう生きるか” を問いかけるもの」と言う考えが、⑦であ る。そのために、「『誰でも簡単にはできない、しかし、やれば誰でもできる』『やさしそうで難し い。しかし、難しそうでやさしい』このようなことが朝会の中心となる。」(長嶋2000,12)。さら に、「『~するな。』という否定的な表現は避け、「~してほしい。」という肯定的な表現をする」(高 橋2007,45-46)ような、講話の語りが肯定的なトーンになるように心がけたい。 ⑨については、次のようなことを考えている。中野(1985,277-278)は、江口を次のように評す る。 そもそも教師は、自他に納得のいる実践の事実、あるいは、その手応えをひとりじめにしていては惜しい ようなよろこびを創り出さなくてはならない。しかも、そうした事実に対しては、集団の中で検討されなが ら主体的に評価を加えていかなければならない。そうでないかぎり、“実践から学ぶ” とうことはできないの だ。江口先生は、このような教育の論理を大切にされてきたのだ。だから、先生の話されることや書かれる ことは、平凡な事実の羅列ではなく、ある種の “ドラマ” になっている。ちょうど彫刻家がありきたりの材料 と思われるものからすぐれた作品をしあげていくときのような構想力と構成力とを江口先生は身につけてお られるし、それをつねにきたえておられるように思われる。
筆者は、ここで中野が江口にあると指摘している「構想力と構成力」の一つになるであろう「教師 のナラティブ的能力」12)が、とりわけ校長講話の構成では必要ではないかと考えている。 4.校長講話の取り組みの実際 (1)校長講話の構成の実際 ① 儀式的行事での校長講話の実際 ア 入学式での講話の実際(校長職2年目の式辞、2013/4/10)13) 入学式と卒業式の式辞は、縦書きとした。横書きで紹介する際、漢数字はアラビア数字に変え、 伏せ字をするなど修正をした以外、原文のままである。下線及び番号は引用の際に付した。 新入生の皆さん、ご入学おめでとう。皆さんを本校生徒としてお迎えできることをうれしく思います。希 望と不安を胸に入学されたであろう皆さんに、①中学校生活で大切と思うことと本校がどんな所かを、まずお 話しします。 ①-1中学校時代は、自分が得意とすることややりたいことを発見することが大切です。子どもから大人にな る途上にあるのが中学校時代です。大人になるため自分は何が得意か、本当は何をしたいか、自分自身を理 解するために毎日の中学校生活があります。これが小学校時代との大きな違いです。 自分自身を理解するにはどうすればよいでしょう?それは何事も自ら一生懸命取り組むことです。勉強に 部活動に、友達関係に一生懸命取り組むことです。先生から教わるだけでは何が得意か分かりません。自分 から取り組むことで、分かることと分からないこと、できることとできないことが本当に分かります。本当 に分かったことは自分のものになり忘れません。先生から教わって身につけたことは忘れることがあります。 一生懸命取り組んだことは思い出となり、いい加減に行ったことの多くは忘れ去られます。 ①-2本校では、皆さんの得意、興味、学習スタイル等に着目した学習を進め、自分を探る場があります。教 科学習である共通学習を踏まえ、1年生から3年生まで合同で学ぶシャトル学習や CANがあります。徐々に 生徒の皆さんが主体となるシャトル学習。CANは、既存の研究グループに皆さんが選んで加わり、共に学ん でいきます。2・3年生と交わる学習により、新入生の皆さんの不安がさらなる希望とやる気にかわるでしょ う。自分の得意とすることややりたいことも発見できるでしょう。②2・3年生の皆さん、新入生の不安が皆 さんの優しさでやる気に変わり、希望がふくらむよう力を貸してください。 さて、新入生の皆さん、③今日はCが最初に来る三つの単語を紹介します。宣誓文の裏面に三つの単語が書 いてあります。後から見てください。 一つ目はキャン、「できる」です。象使いの象、なぜあんなに大きな象が逃げ出さないのでしょうか?子象 だった頃、象は鎖を引きちぎろうと何度もトライしました。しかし、子象の力ではとても鎖を切ることがで きません。象の成長にともない、より太い鎖とより太い杭で象を繋ぎます。象は前より大きくなってもやは り鎖を切ることができません。立派な象となった今では、こんな鎖簡単に引きちぎる力があります。しかし、 引きちぎって逃げようとしません。なぜでしょう?象は引きちぎられないと諦め、試すこともしないからで す。皆さんも「できない」と思ったら絶対に出来ません。やらない前から「できない」と思わず、「できるんだ」 と思う方が未来の扉は開かれます。 二つ目はチャレンジ、「挑戦」です。これは校長室の書棚にあった『杉田秀夫論文集』です。彼は何者でしょ う。校長室に本があったこと、本の編集・発行が海洋架橋調査会であることが手がかりです。④杉田秀夫は(間 をおく)瀬戸大橋の土台を築いた人です。延べ900万人が携わり、10年の歳月を費やした瀬戸大橋が1988(昭 和63)年に開通しました。今年は開通25周年に当たります。明治時代からあった本州と四国に橋を架ける願 いが、修学旅行生等を含め168名が亡くなる、1955(昭和30)年5月の連絡船紫雲丸の衝突事故で強まりまし た。24歳の誕生日の前日に起きたこの事故に衝撃を受けた杉田は、「船の悲劇を無くすためにいつか、本州と
四国を結ぶ橋を建設してみせる」と誓ったそうです。事故から15年後の1970(昭和45)年、本州と四国を橋で 結ぶ計画がスタートし、1978(昭和53)年から工事が着工しました。責任者となった杉田に、乗り越えなけれ ばならない様々な問題が起きます。計画がスタートして2年後、オイルショックの不景気で、工事が無期限 延期になりました。無期限延期にめげず杉田は、いつか工事が始まるという知らせを待ちながら海底の調査 をします。まず、巨大な橋を支える強固な土台作りを考えました。長さ55メートル、重さ2万トンのビルの ような柱を海中に建てるのです。巨大な土台ですから、堅固な岩盤の上に置かなければいけません。しかし、 海底の岩盤は風化で脆くなっています。岩盤をダイナマイトで爆破し、風化岩層を砕いて取る必要がありま す。海底のダイナマイト爆破では、魚への影響を不安視する地元漁師が反対の声を挙げました。杉田は漁場 に与える影響が少ない爆破方法を考え出しました。さらに、漁師たちへ5年にわたり通算500回の説明会を行 いました。説明会に一度も欠席しなかった杉田は、いつしか漁師たちと酒を酌み交わす仲になっていました。 さらに、妻が胃ガンで倒れました。建設現場から仕事が終わると病院に行き、妻が痛いという患部をさすり、 病室で休みました。朝は病院から家に帰り、3人の娘の朝食を作ってから建設現場へという日々でした。部 下たちは、そのことを杉田の妻が亡くなるまで知りませんでした。杉田さんのことから、問題が起きてもあ きらめずに挑戦する大切さ、素晴らしさを感じ取りたいと思います。 三つ目のCはチャンス、好機です。チャンスは偶然巡ってきます。その時直ちに反応して行動しないと、 チャンスを生かせません。チャンスの神様は前髪しかありません。後から気がついてチャンスの神様の髪を 掴もうとしても、後髪はないから掴めません。チャンスが来た時、チャンスだと気づける力やチャンスを掴 みとろうとする意欲、掴みとる力を日頃からつけなければなりません。⑤今後の中学校生活で、チャンスの神 様が何回か来るでしょう。友達から「○○君はこの役に向いているよ」と言われた時、出来ると思ってその言 葉を捉えるか、いや私なんかそんな力はないと思うかです。キャン出来ると思って、チャレンジ挑戦するう ち、やって来たチャンスを掴むのです。 以上、三つのCを紹介しました。⑥実は、紹介したいCがまだ二つあります。一つは、始業式で2・3年生 に話しました。そのCを、後で2・3年生は新入生にやさしく教えてあげてください。 さて、三つのCは仲間と励みあってこそ上手く回ります。⑦附属○○小学校の卒業式の答辞で、○○さんは 「友達は喜びを2倍にし、悲しみを1/2にしました」と述べました。これは古代ローマの政治家で哲学者のキ ケロの言葉に由来します。1/3の人が附属小学校外から進学し、新しい友が増えました。新しい友の「新友」 から親しい友の「親友」へと絆を深め、喜びを倍にし悲しみを半ばにし、三つのCに努めてください。 保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。今後3年間、皆様のご期待にこたえるべく、私ども教 職員一同、誠心誠意全力を尽くし教育にあたる所存です。学校と家庭が一つになってこそ教育の成果は期待 できます。ご協力とご支援を賜りますようお願い申し上げます。 最後になりましたが、ご臨席を賜りました香川大学教育学部副学部長○○○様、松韻会会長14)○○○○様 をはじめとしたご来賓の皆様に心から厚くお礼申し上げますとともに、本年度も引き続きご指導を賜ります ようお願い申し上げ、入学式の式辞といたします。 一読して時候の挨拶がないのが分かろう。校長就任1年目の入学式だけは時候の挨拶をした。筆 者は、子どもの頃に式に参加するたび、時候の挨拶をなぜするのか、つまらないと思っていた。入 学式の際、参加者の様子を見ると、時候の挨拶を、子どもがいや参加者の多くがあまり聞いてなさ そうだった。それ故以後は省略したが、どこからも不満の声はあがらず、無くてもよさそうであ る。 ①は、小学生から中学生になる節目の式が入学式である。そこで、中学生がどのような時であ り、入学した学校がどのような場所かを初めに示した。②のように、新入生に向けての話だけでな く、在校生への話も必ず挿入した。入学式も卒業式も、入学者や卒業者だけが当事者でなく、参加
者全員が当事者、全員で作るのが式だと考えるからである。その方が、暖かく迎え入れた、送り出 したと感じられるのではないか。また、毎年⑥のように、始業式で入学生と2・3年生とが早い時 期に交わるよう布石を打った。始業式と連動することで、在校生もしっかり聞く入学式となると考 えた。 毎年入学式の宣誓で入学生が声に出して読むため、宣誓文を配布している。③のように、後から 思い出すよすがとなると思い、宣誓文の裏に講話で語る英単語を記した。④のように、タイムリー な話題、特に地域に関わる話題は極力講話化した。⑤のように、具体的なイメージがもてるよう に、予想できる中学校生活に落としこんで語るように心がけた。⑦のように、入学してくる小学校 の卒業式に列席すれば、活用できそうなことはメモしておき、入学式の式辞で活かしていた。 イ 始業式での講話の実際(校長職4年目「再び本校の校風である『自由と規律』とは」、2015/4/6) 紹介する際、伏せ字にした以外、原文のままである。下線及び番号は引用の際に付した。 学年が一つあがりましたので、少し難しいことを話します。少し難しいと聞いて嫌だなという顔をした人 がいますね。でも、①顔晴って聞いて②1年生に伝えて下さい。1年生には、2・3年生から教えてもらうよう に入学式で言いますからね。 2011年にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%が、大学卒業後、つまり2026年には現在存在しな い職業に就くという、ニユーヨーク市立大学大学院センター教授キャッシー・ビットソン氏の予測がありま す。このように社会の変化は早いのです。そんな社会で求められる力は何でしょうか。おそらく、卒業式で お話しした、3+5=●、●+●=8、●+●=○の三つの式の●+●=○という考え方、ゴールも、それ を実現する実現方法も自分で考え、実行する力ではないかと思います。 キャリア・ポートレート コンサルティング代表の村山昇氏は、3+5=●は自力で立つことのできる自 立レベル、●+●=8はある程度は自分で方向づけできる半自律レベル、この律は自分を律するの律、●+ ●=○は自分で方向づけができる自律レベルとしています15)。立つ方の「自立」は、self-standing(訳すと自力 で立つことのできる)であり、他に依存しないで自分でやっていける、主に経済的自立、技能的自立として います。律する方の「自律」は、self-directing(訳すと自分で方向付けできる)とし、自力で立った後は、自分 が決める方向に進んでいけることとしています。さらに、自律の “律” は、規範やルールのことであり、自律 は、自らの価値観を持って、組織全体の価値観との折り合いをつけながら、目的と手段をつくり出し進んで いけて、他にもはたらきかけることができることだそうです。以上のことから、今後は自律した人が求めら れると言えます。そして、③自律の「律」は本校の校風である「自由と規律」の「律」です。 自律が大切なのは、社会が自律した人を求めているからだけではありません。皆さんは後何年生きたいで すか。私は100年は生きたいですが。今後何十年と続く一度っきりの皆さんの人生。それが、自分以外の人・ もの・ことからの命令・目標によって働かされる人生か、自分の見出した意味・目的によって生きる人生か、 皆さんはどちらの人生がいいですか。私なら、自分の見出した意味・目的によって生きる人生ですね。皆さ んの多くもそう言うと思います。 ここで、④3年生が1年生だった2013年度修了式で話した「自由と規律」を簡単に復習します。自由の自は 自分、由は由ることであり、自由とは自分により頼むことでした。自分で考え、自分で判断しより良く行動 することです。だから、自分勝手な判断は、周りの者に受けいれられず、より良い社会を築いていくことに 繋がらず、「自分に由る」ことにはなりません。このことから、自由を行使するにはそれなりの責任が求めら れ、自由と規律がセットになっていました。さらに、自分勝手な判断はえてして自分のことだけ考え、人を 憂うことがなくなりがちになります。皆さんは本当に優秀な人となり、本校の校風「自由と規律」をより確か なものにして下さいと話しました。 ③本校の校風「自由と規律」を縮めて一言で言えば、自律です。すると、「自由と規律」を全うするには、自
律することが必要となります。そこで、村山氏の自立の、主に経済的自立、技能的自立の部分をはずします。 なぜなら、中学生にはこれはまだ無理だからです。さらに、村山氏のように「他に依存しないで、自分でやっ ていける」とするのでなく、他と上手に依存しながら自分でやっていけると自立を捉え直します。⑤なぜなら、 いつも言うように、自分でつくったもの以外は脱ぎなさいと言われれば皆素っ裸になります。人は他に依存 しないわけがないからです。附属坂中生は、まず他と上手に依存しつつ、他から与えられた目標の達成に向 けて自分でやっていく自立をし、次にある程度自分で方向付けができる半自律をし、最後は、自らの価値観 を持ち、クラスや学年団、異学年の小グループ等の組織全体の価値観と合わせることに努めながら、目的と 手段をつくり出し進む自律へと高めてほしい。これは大変難しいです。しかし、平成26年度香川大学教育学 部附属○○小学校研究発表会の案内に、育みたい資質・能力として「夢や憧れをもち、自律的に学び続ける力」 がありますから、中学生の皆さんがめざして顔晴れないことはないでしょう。 今言ったことを学習に当て嵌めれば、学びの意味はどこからか降ってくるものではなく、自分が意志を 持って、目の前の勉強の中からつくり出すものであるということです。⑥本校では、自らの価値観を持って、 組織全体の価値観との整合性を図りながら、目的と手段をつくり出し進んでいく力を培う学習があります。 普段からめざしている「ものがたり」のある授業だったり、シャトルやCANです。さらに、本校なら部活動 もそのような学習になってほしいと思います。本校での様々な学習を通して、「自由と規律」をより確かなも のにして下さい。それが、⑦卒業生から託された伝統を継承していくことです。②まずは、本校の校風である 「自由と規律」を新1年生に伝える努力をして下さい。 筆者は「頑張る」でなく、当て字の「顔晴る」を使う。「頑張る」は頑に張ると書く。肩肘張って頑 張りすぎると我が我がとなり、他人の話も聞かない頑なになりかねない。肯定的な明るいトーンで 語るため、顔が晴れ晴れする「顔晴る」を、折にふれなぜこう書くのかの理由を含めて語ったのが ①である。始業式から年度が始まると考え、②のように始業式で入学生と2・3年生とが早い時期 に交わるよう布石を打ち、始業式と連動させて、入学式での在校生の聞く姿勢づくりもねらった。 ③と⑦は、校訓の「自由と規律」を違った切り口から語ったものである。大切なことは繰り返し語 るべきだが、少しずつ角度を変えて語りたい。④は、校訓の「自由と規律」に関わり、1・2年生は 最高学年の3年生に語ったことの共有、3年生は復習である。⑤で、筆者が常々大切と思う、他の 人と依存しながら生きることの大切さにふれた。これだけは大切と考えることは、折にふれ繰り返 し語った。⑥は、校訓の「自由と規律」を学習や生活場面で意味づけるとどうなるか示した。 ウ 卒業式での校長講話の実際(校長職1年目の卒業式式辞、2013/3/15) 平成24年度、香川大学教育学部附属○○中学校第65回卒業証書授与式の挙行にあたり、坂出市長様代理水 道局○○○○様、○○市教育委員会教育委員長○○○○様、松韻会会長14)○○○○様、近隣の高等学校の校 長先生をはじめ大勢のご来賓の方々、並びに香川大学教育研究評議会評議員○○○○様のご臨席を賜りまし た。心から厚くお礼申し上げます。 ①卒業生の皆さんは、1年時の○○先生のビデオを見ながらの生命誕生の授業で、命の誕生は大変で奇跡的 なことを学びました。②鎌倉時代まで遡ると当時の人口が七百万人程度なのに、皆さん一人一人の関係者だけ で1億3421万人ほどの人がいないと、皆さんが存在しないことを全校集会で話しました。皆さんは皆繋がっ ています。皆さんに至るまで実に多くの命のリレーがありました。③一昨年3月11日、多くの人が突然自分の 意志と関係なく命を絶たれました。皆さんと同じ年齢の人もいました。この3月3日は、父親が命とひきか えに9歳の娘を守るという涙する事件がありました。卒業をむかえられたのは、皆さんの努力があってのこ とですが、多くの人との関わりと運にも恵まれてのことです。とりわけ、皆さんのご家族は今日まで皆さん の命と生活を守り育てて下さいました。だから皆さんに言います。②卒業おめでとう。多くの人々との関わり
のある皆さんの心と体を、どうか大切にして下さい。 卒業生の皆さんの3年間の学年通信を読みますと、「暖かい心で仲間と過ごす毎日を、礼を正して過ごす毎 日を、様々な人やもの・ことに感謝の思いを持ち心を尽くす毎日を大切に」という「暖・礼・尽の心」で、皆 さんが努めてくれたことが分かります。新友から親友となり、暖かい心で仲間と過ごす学年団となった1年 生。①運動会前日のボランティアの水ぬきでつながることの大切さが分かったり、「はるふぶき」の上演後、 いよいよリーダーとなる自覚を強めた2年生。シャトルや CANでの学びの成果を発信する等、見事な実績を 残した3年生。送別芸能祭で上級生から頼まれた伝統の継承を見事にはたしました。卒業生の皆さん、より 良い学校になるよう努めてくれてありがとう。④気持ちよい挨拶をありがとう。 卒業式を英語でコメンスメントとも言います。始まり、次の出発という意味です。卒業という新しい出発 に際し、三つのことをお話しいたします。 ①1年時の言葉、「根っこがガッシで我慢すればおがる」。皆さんも、大人となるための根っこをしっかり 養って下さい。では、根っこはどこにはりますか?砂の中ですか?砂は根をのばすには楽ですが、風ですぐ 倒れてしまいます。まさしく砂上の楼閣です。根を張るのは大変ですが、やはり固い大地がよいでしょう。 簡単には抜けません。では、固ければよいでしょうか?栄養がなければ木は育ちません。見かけの楽しさに 走らず、困難なことに挑戦して下さい。それが皆さんを育てる栄養分です。「根っこがガッシで我慢すればお がる」を胸に刻み、人生の土台作りをして下さい。 ①3000匹の蟻がお互い離れないよう繋がり一塊のボールとなりナイル川を流れていく、2年時の「アリの ボール」の話を覚えていますか。水面上の1/3の1000匹の蟻を、残り2000匹が下で支えています。たっぷり 息を吸い込んだ1000匹の蟻、次は水面下になりそれまで下にいた蟻が浮かび上がるように支えます。そうし ながら流されて岸につき、そこで蟻のボールは崩れ、蟻たちは歩き始めます。もし3000の蟻が自分だけ楽を して水面上に出ようとしたら…。①その結果は、1年で学んだ葡萄酒が水になった話の通りです。⑤環境問題 や原発問題等から分かるように、我々は、現代世代が将来世代の利益や要求を充たす能力を損なわない範囲 内で環境を利用し、要求を満たすという持続可能な社会を実現しないとたち行かなくなる時代にいます。未 来は皆さんの双肩にかかっています。自分の得だけ考えず、志を高くベストを尽くして下さい。 ⑥3年最後の全校集会で「成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。大切なのは続ける勇気だ」とい うチャーチルの言葉を紹介しました。⑦失敗は致命的ではないことを皆さんは証明しました。2年での失敗を 繰りかえさまいと臨んだ修学旅行。私は、福岡市博物館で皆さんの立ち振る舞いの素晴らしさから見知らぬ ご婦人に「今頃珍しい生徒さん達ですね」とほめられました。失敗は致命的ではありません。成功は決定的で もありませんから、上手くいったら慢心せず次に備えて下さい。皆さんはこれからきっと多くの失敗をする でしょう。失敗した時、「成功とは、意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」というチャーチ ルの言葉を思い出し、歩んで下さい。 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。今まで本校の教育活動に寄 せられましたご理解とご支援に深く感謝申し上げます。卒業生の前途を祝し、一層の成長を心から祈念いた しまして本日の式辞といたします。 例文集の卒業式式辞の卒業生の活躍をたたえる文章は、卒業生の活躍する具体的な姿が思い浮か ばす、言葉で適当にまとめている印象をしばしばもった。初めての卒業式の式辞を考える際、当 然、卒業生の1・2年生時のことが分からない。幸い、精力的に学年便りを発行する学年主任が1 年時から持ち上がった学年で、卒業生の姿を詳細に記した学年便りが学年ごとにあった。筆者はそ れを全て読み込み、取り上げたい子どもの姿をピックアップし、その当時の様子を担任等から聞き 取りした上で、式辞を構成した。卒業生の活躍した具体的な姿から3年間を振り返る姿勢は、以後 の式辞構成でも継続した。毎年、卒業文集のゲラを読んで卒業生自身が捉える中学生生活を探った
り、学年便りを読み込んだり、担任に聞き取りをするなどした。さらに、②や⑥のように、全校集 会で語った心にとめてもらいたいことも、毎年必ず式辞で他の事例と関連づけてふれた。 ①は、各年度の学年便りからピックアップである。「1年時の○○先生のビデオを見ながらの生 命誕生の授業で、命の誕生は大変で奇跡的なことを学びました。」と語りかけたとたん、多くの卒 業生の聞く姿勢が変った。「なぜ、この校長先生、1年生のことを知っているの」と言いたげな顔 で、筆者をまじまじと見ていた。「根っこがガッシで我慢すればおがる」は、卒業生が1年時の送 別芸能祭16)で披露した言葉である。卒業生はこれを合い言葉に顔晴った。3年間を振り返って語る うち、泣き出す卒業生も出て、式辞が心に響いていると感じられた。筆者は、命を預かり育み、社 会や家庭へお返しするのが学校と思っており、特に大切にするのが②の命の大切さである。命の大 切さは、③のようにタイムリーな話題を講話化し、校長として卒業生へのほぼ最後の講話17)である 卒業式式辞で毎年必ず語った。挨拶が本当に良くできる学校で、④は卒業生を労う校長としての心 からの声である。⑤のように、2年時の「アリのボール」の学びと1年時の葡萄酒が水になった話 の学びとを繋げ、筆者が早くから取り組む ESDにふれた。⑥の3年最後の全校集会でのチャーチ ルの言葉にふれた後、⑦の2年時の野外活動での失敗を想起させ、⑧の修学旅行中のエピソードを 紹介し、再び別のチャーチルの言葉を引用し、チャーチルの言葉に込めた思いを心にとめさせよう とした。 エ 修了式での講話の実際(校長1年目「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり(北村西望)」 2013/03/19) 送別芸能祭では、2年生の劇も1年生の劇も大変立派なものに仕上がっていました。①-1長年本校の送別 芸能祭を見てこられた○○先生も「よくやっている」とほめておられました。卒業生の心に、そして一生懸命 やった皆さんの心にも残る送別芸能祭だったと思います。また、先日行われた平成24年度第65回卒業式では、 送られる卒業生の態度も素晴らしかったですが、在校生の皆さんの参加態度も素晴らしかったです。①-2昨年 まで校長先生をされていた○○先生が皆さんの合唱をほめておられました。2年生の皆さんは知っています ね。○○先生が音楽が専門ということを。皆さんの合唱が素晴らしかったことがよく分かると思います。こ のように気持ちよく卒業生を送り出してくれた在校生の皆さん、ありがとう。 さて、②ここに、卒業生が私にくれた通知表があります。学習の記録欄には、朝礼、研究、その他がありま す。時間の関係もありますから朝礼だけ紹介します。評価はA~Cまであり、評定は5段階です。③「『今日は、 何の日か分かりますか?』から始まる」という項目は+Aです。「話のオチを創る上手さ」という項目はAです。 ④『「どこから見つけてくるの?」話のレパートリー』という項目は Sです。評定は5になっています。だいぶ 甘くつけてくれたと思います。しかし、細かく見ると、私の朝礼での話は、「話のオチを創る上手さ」という 項目が一番弱く、『「どこから見つけてくるの?」話のレパートリー』という項目が一番良いようです。どこか ら見つけてくるのか分らないが様々な話があって良ろしい。でも、話にオチがもう少しあればなおよろしい というところでしょうか。⑤この後、皆さんも通知表を先生からいただくことと思います。通知表を見て今後 どうしたらよいか反省して下さい。⑥-1中には、通知表を見て思ったように成果があがらないことを悩む人も いるかもしれません。そこで、今日は皆さんに「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」という俳句を贈り ます。 「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」。これは、彫刻家で、元日展会長の北村西望(1884~1987年)の 句です。⑥-2国会議事堂内の板垣退助像を作った彫刻家として名高い北村は、苦労の連続でした。ライバルた ちは次々と賞を受賞し、自分は8年間も賞をとれず彫刻をやめようと思ったこともあったそうです。やがて、 北村は文化勲章や紺綬褒章を受章し、文化功労者としても顕彰されました。彫刻をやめようと思ったことも ある北村ですが、彼の功績を称え、日本彫刻会の展覧会では、最優秀作品が「北村西望賞」となっています。
⑥-3その北村が10mもある像の頂上に足下にいた蝸牛が上がっているのを見て感動し、自分の半生を思いあ わせて作ったのが「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」の句です。句を読んだ北村は「私は天才ではな い。他人が5年でやることを10年かけてでもやる。いい仕事をするために長生きするんです。」と語っていま した。実際、彼は、昭和62年3月4日102歳で亡くなる日まで現役で創作に励んでいました。 いくら遅い歩みであっても、歩み続けさえすれば蝸牛が10mもある像の頂上に達したように成果もあらわ れてきます。⑦努力してもなかなか結果が出ない時、この句に込められた意味を胸に、蝸牛のように歩みは遅 くとも努力を続け着実に自分を高めていき、良き3年生、2年生になっていって下さい。 ところで、「一年の計は(間をおく)元旦にあり」ですね。では、⑧-1学校の一年の計はいつですか?(生徒 会会長の○○君を指名する。生徒会長から「今」という声が出る。すごい、そうですね。思い立ったら吉日。 私が思っている以上の意見が出ました。(○○先生がよく「いつやるんですか?今でしょ」ってやってますね。 コマーシャルでもやってます。)。私が考えた学校の一年の計は、「春休みにあり」です。○○君一応それでよ いことにして下さい。⑨新入生を優しく迎えられるよう、新入生から優しくしっかりした先輩として尊敬され るよう、準備してきて下さい。新年度、そんな成長した皆さんに会えることを心から楽しみにしています。 ⑩私の話はこれで、終わりません(生徒たちざわめく)。さて、⑪-1蝸牛が上った像とは何の像だったでしょ うか?(予想が出ないので)では、ヒントをあげます。2年生の人なら分かって欲しい、これがヒントです。 予想できた人(挙手まばら)。では、次のヒント、2年生の皆さんは3年生に進級したら、すぐに行きますね …。⑧-22年生の皆さん、予想はありませんか?○○君から「記念像」との声。どこの記念像ですか?長崎。そ うですね。⑥-4ある像とは修学旅行で訪れる長崎の平和記念像です。長崎の平和記念像も北村西望が制作した ものです。では、⑪長崎の平和記念像は北村西望が何歳の時に制作したものでしょうか。これは分りません ね。では、2年生の皆さん、調べておいて下さい。私の話は(間をおく)、これで終わります。 修了式は、その年度を快く終えること、少しでも次の年度、次の学年にスムースに移行できるよ うに誘いをすることを心がけた。その年度を快く終えるにあたり、ただ言葉で「素晴らしかった」 と言っても、子どもはそんなに得心しない。①のように、学校をよく知る学校外の人やその道の専 門家が「素晴らしかった」と言っていたと間接にほめた方が効果的であろう。②の卒業生から渡さ れた私の通知表の披露は、⑤の講話の直後に担任から子どもたちに渡される通知表の活かし方につ なげようとしたものである。③のように「今日は、何の日か分かりますか?」から講話を始めるこ とがしばしばあった。特に校長職1年目は多かった。今日は何の日という定番の構成方法を持った ことで、講話の構成で困った際は、今日は何があった日かと調べ、語りたいこととつなげて語るこ とで責めを果たせたように思う。④は、子どもたちだけでなく周囲からもよく尋ねられた。日頃か ら話材収集に心がけ、すぐ使えなくてもこれはと思うものをストックした。話材収集で役立ったの が、インターネットであった。ただ、ネット上には信憑性の疑わしいものもあり、批判的に活用す ることが大切である。通知表が渡される子どもの中には、努力を続けても成果が出ない、それどこ ろか努力しても成績が下がってしまった者さえいるかもしれない。そこで、⑥-1のくさることな く継続して努力することの大切さが分かる北村西望の俳句を取り上げた。だが、取り上げた理由は 他にもある。⑥-2や⑥-3のように、北村自身が挫折し、それでもあきらめず努力をして成功し た人だからである。さらに、⑥-4のように、来年度、新3年生が4月早々に修学旅行で出かける 長崎の平和記念公園の平和記念像の制作者が北村西望であり、紹介した句はその記念像の頭に蝸牛 が上っているのを見て作句したものだからである。⑦は、努力してもなかなか結果が出ない時、蝸 牛のように歩みは遅くとも努力を続け着実に自分を高めていき、良き3年生、2年生になってほし いという、この講話で次年度にスムースに移行できるよう誘う一つ目のメッセージである。⑧-1 や⑧-2のように、講話は授業であると考え、問いかけて子どもに応えてもらうことも時に試みた。
⑨は春休み中の過ごし方への喚起であり、講話で次年度にスムースに移行できるよう誘う二つ目の ことである。⑩のような出方は、既に二つのことを述べたので、少しおやっとさせて集中力を途切 れさせないようにしたこと、卒業生から「話のオチを創る上手さ」の項目がAだったので、オチに はなってないがそれを意識したことからである。⑪は、2年生が新3年生となっていく修学旅行へ の布石である。 ② 年中行事と関わり、子どもの様子を取り入れた講話の実際(校長職4年目の全校集会) 「し・ぬ・な・よ」!(2015/7/17) 七夕を前に、校内では七夕飾りが飾られました。皆さんの七夕飾りを見て、ほのぼのとしました。少し経 ちましたが、①今日は皆さんの七夕飾りの願いに答えながら、お話しします。 ②-11年生の願いに「宿題・テストが世界からすべてなくなりますように」がありました。では、かわりに答 えましょう。おそらくこの願いは聞き届けられません。なぜなら、試練が人を育てるからです。宿題・テス トは、試練です。③私は、3月の卒業式で次のように話しました。 ④「生きていく中で、本当に難が無く過ごしていけば、無難な人生ではあります。しかし、難が有るから こそ、人のありがたみや、やり遂げた感動や、生きていく糧が生まれてくるのだと思います。難が有った 時、自分だけでは解決できず、人に手助けしてもらって解決していけたら、自然に『有難う』って言えます ね。」と話しました。三つ目として、皆さんに、「艱難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生 む」18)という言葉を贈ります。皆さんの将来には多くの困難があるはずです。投げ出したい厳しい状況に置 かれもしましょう。そんな時こそ、じっと耐え、苦しみの中でも挑戦し力をつけておくのです。暗雲が晴 れる日がきっと来ます。苦しみの中で自らを奮い立たせやり抜いたことが自信となり、自分の財産、将来 への力となります。苦しみの中で培われた力は、誰に奪われるものでもありません。 試練は大人になる練習中の皆さんを育てる糧です。これは、大人でも同じことです。我々は成長すべき存 在でしょうから、試練は無くならないでしょう。以上、⑤-1試練の「し」の話でした。 ②-23年生の願いに「チョコレートをたくさん食べられますように、それで太りませんように」がありました。 チョコレートが欲しくなるのには幾つか仮説があります。ほんのわずか大麻に似た化学物質があってチョコ レート中毒症(習慣性)を起こさせるとか、含まれる少量のトリプトファンが体内でセレトニンに変化し、脳 内で感じる幸福感と関係しているとか言われます19)。糖分さえ気をつければチョコレートのカカオポリフェ ノールは体に大変良いそうです。私もチョコレートは好きなので気持ちは分かりますから、私が、「それでも 太りませんように」をかなえてあげましょう。たくさん食べても太らないのは簡単です。食べた以上に、カ ロリーを消費すればよいのです。つまり、「ぬかるな」、油断するなです。長い夏休み、食べては寝、寝ては 食べをしていれば、太ります。是非日頃取り組めなかったことに挑戦し、エネルギーを使って下さい。例え ば、苦手克服等のチャレンジもいいですね。やり始めた当初は、やりたいことも明確でやる気もあり頑張れ ます。やがて、なかなか成果が出ず、いつ目標が達成できるかと思う時が来ます。この時が一番苦しい。こ こで投げたら得るものは少ない。6月29日放送のテレビ「しくじり先生 俺みたいになるな!!」で、Mr.マ リックさんは、誰にも超能力が一つあると言いました。それは(間をあける)、初心です。くじけそうになっ たら、取り組み始めた時の気持ちを思いだし、顔晴り続けて欲しい。以上、⑤-2「ぬかるな」の「ぬ」の話でし た。 ②-32年生の願いに「天才になり、今の幸せが続きますように」がありました。では、私が天才になることを かなえてあげましょう。天才になるのは簡単です。ポイントは二つ。一つは、人の見ていないところで、二 つ目は、無茶苦茶努力することです。いいですか、けっして人前で努力してはいけません。たったこれだけ、
簡単でしょ。これは、つまり、「怠けるな」なんです。怠けずこつこつと人知れず取り組めば、天才になれま す。皆さん、この夏休み、人知れずこつこつ取り組んで、天才の素をつくりましょう。以上、⑤-3「怠けるな」 の「な」の話でした。 ②-42年生の願いに「あんまり病気になりませんように」がありました。これは、私ではかなえられませんが、 素晴らしい願いです。トルストイ民話「人にはどれほどの土地が必要か」は、土地を必要以上欲しいと欲張っ て死んでしまい、墓地だけの土地を手に入れた男の話です。人の欲が、環境破壊や戦争、経済破綻を生んで います。「あんまり病気になりませんように」は、足るを知る考えがあります。また、この願いから「一病息 災」が浮かびました。この言葉は、病気がないより、一つぐらい持病がある方が日頃から健康に気を配り、 かえって長生きするという意味です。人間、欲張らない、ほどほどがよいこともあります。いくら体によく ても、チョコレートの食べ過ぎは気をつけましょう。以上、⑤-4「欲張らない」の「よ」の話でした。 ⑥以上、「し・ぬ・な・よ」です。夏休みが終わったら、この場に必ず元気で出席して下さい。自ら命を絶 つこと、絶対いけません。人は生きるために生まれてきました。死ぬために生まれてきていません。昨年も 一昨年も言いましたが、順番を守らず親より先に死ぬこと、最大の親不孝です。⑦7月11日に、大分県宇佐市 で友達と川遊びをしていた中学3年生が溺死しました。12日には、友人と川遊びをしていた福岡県の高校1 年生が溺死しました。溺れたらあわててしまいますが、落ち着きましょう。⑧人は水より軽く、体の2%は必 ず浮きます。口と鼻を水の上に出して救助を待ちましょう。ほとんどの靴は水より軽いので、靴をはいてい れば脱がないようにしましょう。溺れた時の合い言葉は「ウイテマテ」です。⑨自転車に乗ったら必ずヘルメッ トをしましょう。熱中症にも気をつけ、適度に水分と塩分をとり、規則正しい生活をしましょう。夏休み後、 この場で一段と逞しくなった皆さんと会えることを楽しみにしています。 子どもの七夕飾りの願い文を見ていて、これに応えたいと思った。そこで、①の子どもの願いに 答える形式で、夏休みをむかえるに当たっての講話を構成した。2学期制の学校なので、3学期 制ならば、この講話が1学期日の終業式の講話にあたる。②-1、②-2、②-3、②-4のように、 学年が偏らず、かつ筆者が夏休みをむかえるに当たって一番言いたい「しぬなよ」につなげられる 願いを取り出し、⑤-1、⑤-2、⑤-3、⑤-4と答えていった。心にとめて欲しいと語っても多 くは忘れ去られる。そこで、大切なことは、③のように4ヶ月前の卒業式の式辞も引いて繰り返し 語っている。さらに、卒業式の式辞の④の部分は、夏休み明けの全校集会での講話を引いている。 ⑥の「し・ぬ・な・よ」は、校長からの宿題として課したり、手を変え品を変え毎年言い続けている。 さらに、⑦のように最近の出来事を引き、夏休み中に多い水の事故への注意を喚起し、⑧のように 具体的な対処方法を述べた。⑨は細かいようであるが、命に関わることなので毎年夏になると言い 続けている。 ③ とっさに対応して構成した講話の実際(校長職1年目の全校集会及び3年生激励会) 脱皮できない蛇は滅びる①(2013/01/08) 明けましておめでとうございます。①今年はへび年ですね。蛇と言えば、何を思い出しますか(少し間を置 く)?。今日は脱皮の話です。有名な哲学者ニーチェは言いました。脱皮できない蛇は滅びる、と。実際、 蛇が上手く脱皮できないと体が弱くなったり、上手く脱げてないところから体が腐ったりするそうです。①こ れを私たちにあてはめれば、今までの考えに固執し新たな考えを受けつけない、今までのことにこだわり新 しいことに挑戦しない、と言えるでしょうか。新しいことは何が起こるか分からない、怖いですよね。今ま で通りが安心です。でも、脱皮しそこなった蛇のように、自分の殻を破れないと進歩はありません。自分の 殻を破った人を、「あの人は一皮むけて、大きくなった」とか言います。今年は、脱皮して新しい自分になる ことを目標の一つにしてみて下さい。