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人と人の繋がり 堀内瀬菜 私は 小学生の時には少年野球 中学生 高校生の時にはバスケットボールをしていました 野球は男の子の中に混じってしていました すごく下手くそだったけど チームメートは良いやつばかりでした そのために 辛い練習もあったけど最後まで辞めずに頑張ることができました バスケットボール

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Academic year: 2021

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心のやすらぎ

岡野 一昭

なぜ、人々はスポーツに熱狂するのだろうか。わたしは、最近あらゆるスポーツでブームが起きて いると感じる。記憶に新しいのは「史上最強の敗者」と言われたラグビーワールドカップの日本代表 の活躍。野球の侍ジャパンなどである。しかし、それ以前にもテニスの錦織選手やフィギュアスケー トの羽生選手も人気になったと思う。   わたしがスポーツに本格的にのめりこんだと感じたのは小学校5年生のころ。地元のプロバスケッ トボールチームの試合を観戦した時である。初めて観戦した時はそのチームは勝利できなかったが、 その後も何度か観戦するようになった。その年、そのチームは準優勝でシーズンを終えた。これが きっかけでわたしは、これまでやってこなかった運動をするようになり、中学校ではバスケットボー ルを始めた。部活動ではわたしはそれほど上手くはなかったが、ただただやっているだけで楽しかっ た。その後、引退した後でも使っていたバッシュを大切にとっておいたり、自分でバスケットボール を買ったりした。 今思い返してみると、わたしがバスケットボールに夢中になったのは、地元のチームが強かったか らではないと思う。確かに勝利の方が敗北したときよりも喜びは大きいし、観客も盛り上がると思 う。しかし、わたしが魅かれたのは選手が勝利を目指して全力でプレイするその姿だった。よく、練 習は嘘をつかないという言葉を聞くがまさにその通りだと思う。ラグビー日本代表も選手たちが世界 一キツイ練習と思う練習を乗り越えたからこそ強豪国に勝利することができたのだと思う。また、選 手たちが素晴らしいプレイを披露したときも観客は大いに盛り上がるが、それも選手の勝利への執念 そのものであると思う。 勝てば嬉しく、負ければ悔しい。どの人にも大抵当てはまることだと思うが、その感情は選手だけ のものではない。応援する側の人も感じるものである。別に実際やっているわけでもないのに熱くな る。会場全体が一体となってその雰囲気を味わうことができる。それが、スポーツの1番の良さだと 思う。スポーツには様々な種類があるがどのスポーツでもその良さは変わらない。だから、わたしは ずっとスポーツが好きであり続けたいと思う。

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人と人の繋がり

堀内 瀬菜

私は、小学生の時には少年野球、中学生・高校生の時にはバスケットボールをしていました。野球 は男の子の中に混じってしていました。すごく下手くそだったけど、チームメートは良いやつばかり でした。そのために、辛い練習もあったけど最後まで辞めずに頑張ることができました。バスケット ボールは、中学の時に先生同士に交友があった T 中と合宿を一緒に行くことがありました。もちろ ん、大会になって当たれば敵同士ですが、一緒にしんどい練習をした仲間です。合宿を終えた今で も、その子たちとは友達でたまに会ったりすることもあります。高校の時の仲間は今でもよく遊びま す。このように、私はスポーツというものを通して繋がれることの大切さをたくさん学びました。 そんな中で私はとても感動した出来事があります。先日開催されたラグビーワールドカップでのこ とです。今では一躍有名となった日本ラグビーですが、以前は全くと言っていいほど注目されていま せんでした。 4 年前に屈辱の敗北を味わって死ぬ気でかけあがってきたと選手の一人が語っていました。世界一 厳しい練習と称した練習をやり切ってきた日本ラグビーの選手たちの活躍は夜中であろうとテレビに 目が釘付けになるほど素晴らしいものでした。私には、ラグビーの詳しい知識は分からないですが、 テレビの横に出てくるルールを見ながら一生懸命応援していました。その大会中の中で日本 vs サモ アの試合がありました。結果は、日本はサモアに勝利しました。そこで素敵なことが起こりました。 サモアが選ぶMVP に日本の五郎丸選手が選ばれたのです。ただすごいというのではなく、自分た ちが試合に負けても相手の選手を称えられるサモアの選手にも心を打たれました。 一つのスポーツで人と人はこんなに繋がることができます。もちろん、スポーツだけではありませ ん。共通の趣味、例えば同じアイドルグループが好きや囲碁や将棋など何でもいいです。そういった ところからでも人と人は繋がることができるのです。

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冬の楽しみ

すみや

谷 祥

しょう 僕にはある夢があります。それは「モーグル」を生で見てみることです。何かのスポーツを見て胸 が熱くなる、興奮するという体験は誰にでもあると思います。僕にとってはそれが 「 モーグル 」 なの です。 モーグルというのはスキー種目のうちフリースタイルというものに分類され、コブのある斜面を滑 り、スピード・ターン・エア(ジャンプ)の3つで得点を競うというスポーツです。日本では上村愛 子選手が有名で話題にもなりました。 僕がモーグルを初めてじっくり見たのはソチオリンピックでした。最初は、これまでのオリンピッ クで1つずつ順位を上げてきて次こそは 3 位以内に入るのではないかといわれていた上村選手を気 にしながら何となく見ていただけなのですが、徐々に選手の動きに目を奪われていきました。僕も小 さい頃から毎年十数回は行くほどよくスキーはしていたので、選手の滑っているコースがどれほどす ごいものなのかはよく分かったし、そこをいとも簡単そうに滑って行く選手を見ていると感嘆の声を 上げるしかありませんでした。 中でも一番目を引かれたのはカナダのジャスティン・デュフォー・ラポイント選手です。この選手 は三姉妹の末っ子で、何と3人ともこのモーグルでオリンピックに参加していました。このジャス ティン選手のターンにとても目を引かれました。何となく滑りが自分に似ているのもあり、滑り方の せいではあるのですが、とても膝を上下に動かし頑張っているように見えるのです。年も当時 19 歳 ととても若く親近感が湧き、滑り終わった後には茶目っ気たっぷりのパフォーマンスなどもして、そ れが滑りととてもギャップがあり、どんどん惹かれていきました。 そんなことを思っている間にデュフォー・ラポイント姉妹は3人とも決勝まで進み、何とかメダル を取らないものかと手に汗握りながら見ていました。ソチの会場はコブが大きく雪が固いとアナウン サーが言っていたのを聞き、コブの一つ一つをターンしていくのがスローモーションのように見えて きました。エアもミスがなくゴールラインを越した時は思わず叫びそうになりました。そのあとに 滑った金メダル大本命の選手がエアの着地で失敗してしまい、結果はジャスティン選手が史上最年少 の金メダリストになりました。勝利の嬉しさでポーズを決めていたり、銀メダルに入った次女のクロ エ選手と抱き合ったり手をつないでいるのを見て、自分のことのように嬉しくなりました。 それからはネットで動画などを見ることがあります。ですが、一度あの興奮を実際にこの目で確認 したいという思いが強くあります。モーグルのワールドカップというのもあるそうなのですが、でき ればオリンピックで見てみたいという気持ちが強く、次の平昌オリンピックに行こうかなと密かに企 んでいるところです。(開催自体が危ぶまれているというニュースもありますが.....) まあ何かの機会がありましたら是非モーグルを見たり体験したりしてみてください。少しでも共感 してくれるところがあるのなら幸いです。

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姿なきものに魅せられて

津田谷 あゆみ

わたしは妖怪にとても興味があります。最初に興味を持ったのは中学生の頃で、江戸時代の怪談話 を現代語に訳した本を読んだのがきっかけでした。その怪談話は筆者が実際に友人や知り合いなどか ら聞いた話が載せられているので当然事実として書かれています。それを読んで、妖怪は現代にはい ないけれど昔は存在したのではないかと考え、その根拠となる事実を見つけたくて妖怪について調べ るようになりました。高校生になり、妖怪について知るにつれ、妖怪は想像上の存在であると結論づ けましたが、それで興味がなくなったかといえばそうではありません。実際には存在しない、姿なき ものであるからこそ妖怪の起源に興味を持つようになったのです。 妖怪には近世以降に創作されたものも多くいますが、たとえば、古くから知られている妖怪には河 童や木こだま霊等がいます。特に木霊はすでに平安時代頃に人々に知られていたといわれています。また、 よく「お化け」として描かれる唐からかさ傘お化けや提灯お化けなどは長く人に使われた器物に宿る付つくもがみ喪神だ と思われますが、それらが登場するのは鎌倉時代頃だそうです。そこからわたしが考えたことは、古 くから存在する妖怪には何かしらの神が神格を失ったものという性質があるのではないかということ です。古くから日本にある自然崇拝や八やおよろず百万の神々といった思想から生まれた様々な神に対する信仰 心が薄れたり、自然が恩恵をもたらし人々の生活を支えるだけでなく、人々にとって脅威となること でどこか恐ろしい存在となったのではないでしょうか。 更にメジャーな妖怪である河童についてもう少し語ると、河童はずっと川にいるとは限らず、季節 によって山と川の間を往き来したり田植えを手伝ったりするような伝承もあります。また、河童が文 献に登場するのは戦国時代頃であり、それはバテレン追放令等で日本にいた外国人宣教師たちが落ち ぶれた頃でもあります。彼らは宗教上の理由で頭頂部の髪を剃っており、落ちぶれて河原に住み着い た彼らの姿が河童の姿の元となったという説もあるのです。わたしは、古くから語られる妖怪の起源 は零落した神々だろうと考えているのですが、河童の他にも鬼等は時の権力に抵抗していた人々だと いう説があったりと妖怪の成り立ちは一概には言えないのです。 たしかに妖怪は実際には存在しないし、そんな姿のないようなもののことを調べて詳しくなっても 実生活には何の役にも立ちません。しかし姿はなくともたしかに人々の心に存在し続けてきたものた ちのことを考えるととてもわくわくします。それだけでなく、彼らの起源を考えることは、かつてか らの日本人の思想や時代の流れの中で 落ちぶれた者たちの歴史を知ることに もつながり、ひいてはそれが心を豊か にすることにもつながっていくような 気がするのです。

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郷を望む

伊藤 博明

地元山口を離れてひとり大阪に、それも奈良寄りの山の上にふんぞり返っている大学に通い半年と 少しが経った。望郷の念は積もるばかりである。 この夏に三週間ほど帰省した。通いなれた通学路やいきつけのお店、久々に会う人達に触れて、は じめて「故郷」という概念を実感した気がした。そんな地元にはたくさんの思い出深い場所があるの だが、中でも地元の市立図書館が素晴らしい。前衛芸術の発信基地みたいなものと合体しているから 文化的にすごくパワーを持っている場所だと思う。「ちゃんと」そこを訪れたことがなかったので、 高校三年生の夏、自宅のインターネットが壊れたこともきっかけに(図書館では情報検索室という場 所でパソコンが無料で使える。しかもインターネットが普通に繋がっている。SNS の書き込みや動 画の視聴、フワーオ!なものは閲覧できないけれど。)本気で訪れてみることにした。こんなに刺激 的な場所がこんなド田舎にもあったんだと気付けてよかった。 市立図書館には情報芸術センターYCAM という建物が併設してある。ここでは様々なカルチャー に関わる催しが日々行われている。坂本龍一も演奏に来たりしているくらいだ。今年の夏に帰省した 際は「爆音映画祭」というイベントに行った。映画を音楽ライヴで使用するような本格的なスピー カーや機材を用いて観るという、東京をはじめとして全国で催されているエキサイティングなイベン トである。思えば僕の地元のライヴハウスにはしばしばヘンなミュージシャンも訪れる。芸術に関し ては何か不思議な引力があるのだろうか。 大学受験が終わってからは友人と談笑したり本を読みに行ったりと何かと入り浸る事が多かった。 地元を離れてみてその価値の大きさを改めて認識できた。やはり望郷の念は積もるばかりである。

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マイ ホームタウン

栗本 慧

私は6月から大阪教育大学の学生寮に住んでいる。寮での一人暮らしへの憧れ、そして寮から眺め た山の景観の良さが大学の志望理由だったからだ。現在も変わらず寮生活をエンジョイしている。 しかし、ふとたまに寂しくなったりして故郷の京都に帰る。一人暮らしがいくら楽しいといって も、やはり哀愁をなくすことはできない。この三連休も実家に帰って過ごした。 私の実家があるところはすこし田舎で、公園や森が多くある。大阪教育大学にも木はたくさんある が、昔たくさん遊んだこともあり全然違う心地よい雰囲気が伝わってくる。 実家の近くには何人かの旧友の家がある。小学生のころからの友達が多く、今でも実家に帰るたびに 集まり久しぶりに遊び、思い出話に花を咲かせる。 また、なんといっても家族の存在が近くにあることが一番の安らぎである。両親や兄弟とは電話でし か普段会話できないので、温かみが薄れてしまっていた。だが家に帰ると感謝の念が溢れ、言い表せ ないほど幸せな気持ちになる。学校での出来事を土産話としてよく話すが、1時間以上話しつづけて 止めることができない。 私にとって一番安らぎを感じることができる瞬間は、供述した通り「故郷に戻って多くの温かさを 感じる」時である。また、これは将来教員となって一人暮らしをする時にも感じるであろうと思う。

参照

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