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九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository 野村吉三郎 非常時と我が国防 三輪, 宗弘九州大学附属図書館付設記録資料館産業経済資料部門 : 教授 出版情報 :

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

野村吉三郎「非常時と我が国防」

三輪, 宗弘

九州大学附属図書館付設記録資料館産業経済資料部門 : 教授

http://hdl.handle.net/2324/1434345

出版情報:石炭研究資料叢書. 35, pp.134-145, 2014. 九州大学石炭研究資料センター

バージョン:

権利関係:

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読の価値はあるだろう。 「非常時と我が国防」は昭和九年十一月十日、 東京市九段軍人会館に於て行われた講演である。 「 軍 備 の 目 的 」 は「 外 敵 が あ つ た 場 合 に 国 家 を 泰 山 の 安 き に 置 く と い ふ の が 主 な る 目 的 」 で あ り、 「 国 に は 政 策 が あ り 国 が ど ん ど ん 振 興 して行くには其政策を支持する力」を持つ必要がある。具体的な海軍 の 果 た す 役 割 に は、 極 東 や 東 ア ジ ア で「 日 本 は 東 洋 の 平 和 を 維 持 す る。 」「東洋平和の安定勢力に成るスタビライジング・ファクターに成 る」べきであると説く。 「 イ ギ リ ス の 態 度 」 は「 東 洋 に 於 て 日 本 が 勝 手 に や る と い ふ 事 を 欲 しない」と指摘して、野村自身の上海出征時の経験から外交官も軍人 も「日本が揚子江、上海方面に於て勝手気儘をやられては困る」とい う考え方であったとし、アメリカの主張は「門戸開放、機会均等」で あ っ て、 「 日 本 が 東 洋 に 覇 権 を 握 つ て 勝 手 に や る と い ふ こ と は 欲 し な い。 東洋の安定勢力といふことをば一部では認容」 する傾向はあるが、 「 覇 権 を 握 つ て 勝 手 」 に や ら れ て は 困 る と い う 考 え 方 が 根 底 に 流 れ て いる、と喝破する。英米両国に対する野村の鋭い観察である。 「 二、 華 府、 倫 敦 条 約 の 経 緯 」 の 中 で「 軍 備 の 問 題 」 に 言 及 し て、 ワシントン条約は締結してから十三年経過したが、主力艦、航空母艦 の制限を五、 五、 三にするという軍縮条約であった。 日本国内では 「六 割、 七 割 で 随 分 議 論 」 を し た が、 意 見 が 集 約 で き ず、 「 東 洋 に 於 け る 根 拠 地 の 現 状 維 持 」 と 結 び 付 け て「 承 認 し た 」 と い う 経 緯 が あ っ た。 要するにフイリツピン、グワム、アリユーシヤン方面にアメリカが根 拠 地 の 現 状 維 持 を 約 し、 「 イ ギ リ ス は 香 港 を 現 状 維 持 に し て 置 く、 日 本は澎湖島、台湾、奄美大島、琉球、小笠原島、千島を現状維持」と い う 防 備 の 条 項 を 認 め 合 い、 な ん と か 妥 結 に た ど り 着 い た の で あ る。

 

 

 

 

国立国会図書館で「野村吉三郎」と入力して検索したところ、野村 吉三郎の講演がヒットした。一読したところ、野村吉三郎の時局認識 や国際情勢のとらえ方がよくわかり、興味深い内容であった。当事者 の生きた時代の考え方に制約されている面もあるが、今日に通じる幅 の広い見方も展開されており、軍事にどのように向き合うのかを考え る上においても活字にする価値があると判断した。財団法人中央教化 団 体 聯 合 会『 国 民 更 生 叢 書 一 四   非 常 時 と 我 が 国 防 』( 国 会 図 書 館・ 請 求 記 号   YD5 -H - 特 241 -817 、 昭 和 一 〇 年 ) に 載 っ て い る「 非 常 時 と我が国防」という講演である。なお野村海軍大将の略歴は引き続き 紹介する 『非常時と我が国民の覚悟』 の本文中に掲載されているので、 参照されたい。 野村吉三郎関係資料に関しては小生の筆による『近現代日本人物史 料 情 報 辞 典 』( 吉 川 弘 文 館、 二 〇 〇 四 年、 三 一 九 -二 一 頁 )、 『 近 現 代 日 本 人 物 史 料 情 報 辞 典   4』 ( 吉 川 弘 文 館、 二 〇 一 一 年、 三 二 七 -二 九頁)を手に取られたい。 軍縮条約が廃棄されようとしていく中で、いわゆる海軍軍縮条約を 推進した条約派である野村吉三郎が無条約時代の「昭和十年十一年危 機」が叫ばれる中でどのように国際情勢をとらえ、対処せんとしたの か、 知 る こ と が で き る。 中 国 の 軍 事 的 な 台 頭 が 問 題 に な っ て い る 今、 野村ならばどのようにとらえ対処するのか、思いめぐらすだけでも一

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野村は「日本は自分の直ぐ側の根拠地をば制限した。これは宜しくな い、さうして彼等は遠い植民地を制限をして居るに過ぎないといふ議 論 も あ 」 っ た が、 軍 事 的 に 観 れ ば、 「 英 又 は 米 は 日 本 の 近 所 の 根 拠 地 を制限して」 、「東洋の一角に於ては日本のみが立派な根拠地」を有す る こ と に な っ た と 肯 定 的 に 評 価 し た。 「 彼 等 が 東 洋 に 兵 を 動 か す に 不 便 を 感 ず る 」 の で あ る か ら、 「 軍 事 上 か ら 言 へ ば 其 当 時 は 相 当 利 益 が あつた」と日本の有利さを指摘する。日本国内で議論が噴出したこと は、 「 こ れ が 今 は 色 々 な 議 論 も せ ら れ ま す け れ ど も、 其 時 は 国 際 の 平 和にも貢献し、負担軽減の目的を幾分か達したと認められたのであり ま す。 」 と 述 べ て い る こ と か ら 窺 え よ う。 主 力 艦 の 建 造 中 止、 十 年 間 のホリデーの約束によって、海軍費は五億円から三億円にまで下がっ たという財政負担の軽減にも言及する。 五・五・三というハンディーを克服するために日本海軍は「補助艦 即 ち 巡 洋 艦、 駆 逐 艦、 潜 水 艦 を 建 造 し、 其 不 足 を 補 つ て 国 防 の 方 針 」 を建てたものの、八年後補助艦を制限する目的で開催された倫敦会議 でロンドン条約が締結された。 日 本 政 府 の 三 大 原 則 は、 「 補 助 艦 全 体 が 七 割、 そ れ か ら し て 八 吋 の 大 砲 を 積 ん で 居 る 巡 洋 艦 は 七 割、 さ う し て 潜 水 艦 は 自 主 的

所 要 量及ち自分で有つて居る量、 即ち七萬八千噸」 という主張であったが、 条約の内容は「大体に於て七割の目的は達したが、八吋巡洋艦は先づ 六割」 、「潜水艦は五萬二千噸で、英米両国と均等、然し日本は所望量 より二萬数千噸減つて」いたため、国内で「色々の議論もあり、不平 もあつた」が軍事参議院、枢密院の「御諮詢を経て、本条約は御批准 に な つ た 」 の で あ っ た。 海 軍 は「 航 空 兵 力 の 充 実 制 限 外 艦 艇 の 充 実、 或は内容の充実其他色々の整備充実をして、国防の不備なる点を」補 おうとしたのであった。締結されたものの、ロンドン条約は「明後年 末迄の暫定的のものであつて、 明後年 (昭和十一年) 末を以て消える」 ような条約であったと述べ、短期間しか存在しないとの見方を野村は 示している。 「 三、 条 約 破 棄 は 当 然 の 権 利 」 で は、 ワ シ ン ト ン 条 約 も 明 後 年( 昭 和 十 一 年 ) ま で 効 力 は あ る が、 「 二 年 前 予 告 を 為 し て、 さ う し て 廃 棄 を 為 し 得 る。 」 何 れ の 国 も「 廃 棄 通 告 を 発 す る 権 利 を 条 約 上 当 然 有 つ て居る」と述べ、一三年経過した今日では廃棄も已むをえないと野村 が考えていることがわかる。軍縮推進派の野村にしてこのような考え 方を持っているのであるから、いわゆる艦隊派とされる将校はどのよ うな認識を持っていたのであろうか。朝野の強硬論に呼応して、両条 約に対する噴飯に溢れていたであろう。 独 仏 の 勢 力 拡 張 に 直 面 す る イ ギ リ ス は、 「 華 府 条 約 其 も の ゝ 組 立 て に は 先 づ 反 対 」 し な い だ ろ う が、 「 倫 敦 条 約 の 巡 洋 艦 五 十 隻 で は イ ギ リスの国防を全うする事は出来ない」という反対論が強いということ が指摘されている。日英関係、英米関係に関する野村の鋭い洞察によ れ ば、 「 過 去 の 此 英 米 の 関 係 を 考 へ て 観 ま す と い ふ と、 必 ず し も 楽 観 を 許 さ ぬ 」 と 判 断 を 下 し、 「 歴 史 的 に 観 た な ら ば、 イ ギ リ ス は 日 英 同 盟を英米親善に乗り替へた歴史」があると指摘する。大正二年の加藤 高 明 と サ ー・ エ ド ワ ー ド・ グ レ ー 外 相 が 話 し た 折、 日 英 同 盟 に 関 し て、英米間での戦争は想起してはならないことで「日英同盟はどうし て も ア メ リ カ を 除 外 し な け れ ば な ら ぬ と い ふ 話 」 が あ り、 「 日 英 同 盟 に第三次改訂の際に仲裁条項が入つて、仲裁条約を結んで居る国は除 外 す る 」 と い う こ と が 盛 り 込 ま れ た と い う こ と を 明 ら か に し て い る。 野村は加藤高明から直接この話を聞いているが、面白い指摘である。

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ワ シ ン ト ン 会 議 の 時 の 英 国 の 態 度 も「 仲 裁 的 態 度 」 で あ り、 「 我 国 に対しては成可く円満解決を計るが所詮米国の主張に共鳴して、其主 張 を 受 諾 せ し め ん と す る 態 度 」 で あ っ た と 回 顧 し、 「 五・ 五・ 三 の 比 率に防備条項を結び著けて解決する」という点には、バルフオア卿は 「非常に尽力」したが、 「矢張り日本の主張の七割を支持するといふ点 は一つもなくして、どうにかして六割を納得せしめ、其代りに防備事 項あたりで世話する」という態度であったと冷徹に分析する。ワシン トン会議で 「日英同盟が四国条約に代つて、 日英同盟は終りを告げた」 の で あ っ た。 「 イ ギ リ ス は 頻 り に 日 本 に 接 近 す る と い ふ 風 に 観 て 居 る 人もありますが、然しながらそれが果して日本と一緒になつてアメリ カに衝り、さうして日本の主張を通すといふやうな事になるのかそこ は甚だ疑問でありまして、楽観を許さんであらう」と野村は英米関係 を踏まえたうえで、希望的かつ楽観的な憶測を排している。野村が疑 問符を付けた楽観論そのものが日本的で面白いと私は思った。自国に 都 合 の よ い よ う な 楽 観 論 は 今 後 も 我 が 国 で は 繰 り 返 さ れ る で あ ろ う。 ア メ リ カ は ワ シ ン ト ン( 華 府 )、 ロ ン ド ン( 倫 敦 ) の 両 条 約 を 支 持 し て い る 以 上、 「 日 本 と の 妥 協 は 却 々 容 易 な ら ざ る も の あ り と 私 は 観 て 居 り ま す。 」 と 分 析 し て い る。 国 際 情 勢 や こ れ ま で の 経 験 に 裏 打 ち さ れた野村の的確な判断能力が随所に行間から読み取れる。 フ イ リ ツ ピ ン、 グ ワ ム の 軍 港 拡 張 は、 「 華 府 条 約 の 根 拠 地 制 限 以 来 さういふ説はすつかり消えてしまひまして、政府の施設としては、大 体布哇の真珠港を前哨として設備を全うしつゝあるといふやうな傾向 で あ り ま す。 」「 フ イ リ ツ ピ ン に も 独 立 を 許 さ う と い ふ や う な 気 運 が ルーズヴエルトの民主党政府になつて一層濃厚になつて居るやうに思 い ま す。 」 と 述 べ て い る。 こ こ の 件 は 他 の 講 演 で も 登 場 す る の で、 本 文を堪能して頂きたい。 元寇の襲来に備えていた北條時宗が円覚寺の開祖の祖先禅師に教え を乞ふた時の助言 「 莫 3 レ妄想 3 3 」を示しながら、 「日本の主張を守り」な がら、 「妄想する事なく進んで行くより外に途はない」と結んでいる。 妄想つまりイデオロギーやスローガンや思い込みにとらわれてはいけ ないということであろう。独善は言うまでもないが、一つの発想や一 つの見方に囚われてはいけないのであるが、実際には難しいことであ ろう。 「 五、 国 民 の 非 常 時 に 対 す る 覚 悟 」 で は「 軍 人 は 一 刻 も 戦 争 を 忘 れ てはなりませんが、 国民も亦戦ひを忘れては国が危ふい」 と指摘する。 司馬法の 「 天下雖 3 3 3 レ安忘 3 3 レ 3戦必危 3 3 3 」 を引用しながら 「神経過敏なり興奮 し過ぎると往々判断力を失ふ事がある。此非常時局に対して余り焦燥

苛 立 た し い 態 度 を 採 つ て 行 く の は ど う か と 考 へ て 居 り ま す。 」 と 指摘する。野村の戦争観を示している。中国の古典からも野村は多く を学んでいる。それは一時的な世論や潮流に流されない、深い知見と 教養を野村に与えている。 軍縮条約締結時、条約の締結に全力を尽くし、日米開戦時には駐米 大使として開戦を避けるべく奮闘し、敗戦後は再軍備に力を注ぎ、自 衛隊を軍として位置づけるべく憲法第九条の廃棄に取り組んだ野村の 哲学が「天下雖安忘戦必危」に凝縮されている。 「 国 民 の 感 情 が 激 し て 来 る と い ふ と 茲 に 軍 備 を 拡 張 」 競 争 に 入 っ た ことは、 「欧州大戦前の歴史」から学べることは、 「こつちが激して来 れば、向ふも激して来て、さうして軍備に向つて来るといふことは当 然 で あ り ま す。 」 と 指 摘 す る。 国 民 は「 落 付 い た る 態 度、 冷 静 な る 態 度を以て行つて、さうして国内で民心を作興せしめるといふことは極

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めて必要でありますが、それが遣り方がまづければ直ぐ外国を刺戟す る と い ふ 事 も 能 く 考 へ ね ば な ら ぬ で あ ら う と 思 ひ ま す。 」 と 国 家 間 相 互に及ぼす影響も指摘する。野村が海外勤務の武官を務めた経験がこ の あ た り に 凝 縮 さ れ て い る。 冷 静 さ と バ ラ ン ス を 野 村 は 堅 持 し て い る。 脱線するが、尖閣問題、防空識別圏問題、中国軍の軍事的な拡張に どのように対峙していくのか、野村の軍事哲学は今も輝いている。野 村ならば、中国人民解放軍の軍事的な膨張をどのように論評するであ ろうか。また靖国神社参拝が政治的シンボルになり、総理の参拝が国 際的な一大センセーショナルに報道される現状を踏まえ、野村は総理 の靖国参拝を肯定するのだろうか、それともここは控えろと言うので あろうか。沖縄に米軍基地が集中する現実をどのように解決していく のだろうか。 連盟脱退の時の詔勅には「固ヨリ東亜ニ偏シテ友邦ノ誼ヲ疎カニス ルモノニアラス愈信ヲ国際ニ篤クシ大義ヲ宇内ニ顕揚スルハ夙夜朕カ 念 ト ス ル 所 ナ リ 」 を 引 く あ た り に、 野 村 の 野 村 た る 所 以 が あ る。 「 落 付いたる態度を以て、政府と言はず、国民と言はず、列国との関係を 始終考慮して行くといふことは、これは国民、政府共に努めねばなら ぬ事と思ひます。国家の大局から申せば、戦はずして目的を達すると いふのが、上策でありまして『百戦百勝善の善なるものに非らず、戦 は ず し て 人 之 兵 を 屈 す 善 の 善 な る も の な り 』」 と、 野 村 の 戦 争 哲 学 が 披 露 さ れ て い る。 「 列 国 と の 関 係 を 始 終 考 慮 し て 行 く 」 と い う こ と の 大切さが説かれている。 「六、 外交工作も亦必要」においては、 孫子に「 上兵伐 3 3 3 レ 3 」にも言 及し、 「戦さをする上手の上兵は、敵の謀を打つ」にあるとして、 「日 英同盟を結んで、敵国をロシア一国に限つて、さうしてロシアの与国 が戦争に参加できないやうにして居つた」という事例を挙げて説明し ている。反対にドイツの政略には「世界を相手にして戦さをするやう になつた。ドイツは陸海軍は非常に精鋭であり、国民に於ても文化は 非常に向上して居つたが、国家の政策として色々の失敗を重ねて遂に あ ゝ い ふ や う な 結 果 に な つ た と 思 ひ ま す。 ド イ ツ 国 民 は 偉 い 国 民 で、 将来は必ず発展する国民だと思ひますが、然しあゝいふまづい事をや らなんだら、今日既にヨーロッパで第一番になつて居たと思ふのであ り ま す。 」 と 野 村 の ド イ ツ に 対 す る 考 え 方 が 示 さ れ て い る。 野 村 が ド イツに対して距離を取ったのは、第一次世界大戦のドイツへの考察か ら生まれたものであったのであろう。大島浩駐独大使はドイツは負け ないという前提で日独同盟を推進したが、野村は第一次世界大戦のド イツの敗戦をしっかりと観察していた。 以上解題まで。 例言 本篇は昭和九年十一月十日、東京市九段軍人会館に於て開催せる財 団法人中央教化団体連合会、東京府教化団体連合会、東京府、東京市 の四者共同主催による国民精神作興大講演会に際してなされたる軍事 参議官、海軍大将野村吉三郎氏の講演を速記し特にその校閲を得て之 を公刊せるものである。

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一、我国の立場と英米の態度   一   二、華府、倫敦条約の経緯   二   三、条約破棄は当然の権利   五   四、海軍として非常時に対する覚悟   一〇   五、国民の非常時に対する覚悟   一一   六、外交工作も亦必要   一四   七、自己の時局に対する認識   一五  

非常時と我が国防

 

 

 

吉三郎

一、我国の立場と英米の態度

私は山川先生が会長を為されて居る時分に青山の日本青年会館に出 まして講演をしたことがございます。現会長斎藤子爵閣下には私は嘗 てから始終お世話になつて居つて、海軍大臣をなされて居つた時分に 秘書官をして居つたこともございまして、今日此処で此教化団体の催 し に 出 て 講 演 す る こ と は、 私 と し て は 欣 快 と す る と こ ろ で ご ざ い ま す。 今日は主として海軍の軍備のことを申上げようと思ふ。軍備の目的 は申す迄もなく、外敵があつた場合に国家を泰山の安きに置くといふ のが主なる目的であります。同時に国には政策があり国がどんどん振 軍事参議官 海   軍   大   将 興して行くには其政策を支持する力といふものを有つて居らねばなら ぬ。海軍と致しましては、日本は東洋の平和を維持する。最近に於て は具体的に東洋平和の安定勢力に成るスタビライジング・フアクター に成ると、斯う声明して居るのでありまして、此政策を支持せねばな らん事と考へるのであります。 斯ういふ政策は世界各国は之れを認めて居るかと申せば、未だ必ず しもさういふやうな情勢になつて居らんやうに思ふのであります。イ ギリスの態度ははつきりと申せませんが、必ずしも東洋に於て日本が 勝手にやるといふ事を欲しないといふことは、これは明かであらうと 思ふのであります。私が上海に出征して居る折にも色々イギリスと関 係事項がありましたが、要するに外交関係の人も軍人も、日本が揚子 江、上海方面に於て勝手気儘をやられては困るといふ頭を有つて居つ たのであります。又、アメリカは御承知の如く門戸開放、機会均等と いふことを多年唱へて居るのでありまして、日本が東洋に覇権を握つ て勝手にやるといふことは欲しない。東洋の安定勢力といふことをば 一部では認容するやうな傾向はありますけれども、日本が東洋で覇権 を握つて勝手にやつて呉れちや困るといふやうな気分が十分にあると 思ひます。日本の此国策を遂行し外交をやつて行く背後には兵力がな くちやならぬ。彼の意向と我の意向とが衝突して居る折に、漸次、我 意識を推進する力がなくちやならぬ、其ために軍備が必要である。我 海軍は、元来東洋で何か問題が起つた折に一国を相手に国防を全うし 得るといふことをば原則として居るのであります。これに要する兵力 量の問題は色々変つては居りまするが、然しながら大体軍備の標準と しては、東洋に起り得べき事態に対して一番強い一国に対して国防を 全うし得るのを標準として居るのであります。軍備は要するに相対的

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のものであつて、彼の兵力が増せば我も増さねばならぬといふことに なります。

二、華府、倫敦条約の経緯

此の軍備の問題を論ずるのにはどうしても現在の華府条約、倫敦条 約に遡らねばならぬのでありますが、華府条約はもう既に締結してか ら十三年になつて居るのであります。 主力艦、 航空母艦の制限を致し、 これが大体御承知の通り、五、五、三となつて居ります。然しながら これは其当時英米両国が有つて居る主力艦が、大体彼は日本に比し五 に対する三となつて居ると斯う算定して居つたのであります。日本の 方では、我は七割を有つて居るといつて、六割、七割で随分議論をし まして解決せず、遂に東洋に於ける根拠地の現状維持といふことをば 結び著けて、さうして承認した訳であります。防備の制限は各位御承 知の通りでありますが、要するにフイリツピン、グワム、アリユーシ ヤン、あゝいふ方面にアメリカが根拠地の現状維持を約し、イギリス は香港を現状維持にして置く、 其代り日本は澎湖島、 台湾、 奄美大島、 琉球、小笠原島、千島を現状維持にするといふのでありまして、此防 備の条項に就きましては、之れを政治的に観る人は色々と論議しまし て日本は自分の直ぐ側の根拠地をば制限した。これは宜しくない、さ うして彼等は遠い植民地を制限をして居るに過ぎないといふ議論もあ りましたが、然しながら之れを軍事的に観れば、要するに英又は米は 日本の近所の根拠地を制限して、さうして東洋の一角に於ては日本の みが立派な根拠地を有つて居る、それだからして彼等が東洋に兵を動 かすに不便を感ずるといふのでありまして、軍事上から言へば其当時 は相当利益があつたのであります。故に之れを結び著けて、先づ七割 の主張を六割に譲つて、さうして話が纏つて華府条約が出来て居るの であります。これが今は色々な議論もせられますけれども、其時は国 際の平和にも貢献し、負担軽減の目的を幾分か達したと認められたの であります。負担軽減はどれ程であつたかといへば、主力艦の建造中 止、十年間のホリデーを約束して居りまして、当時日本の海軍費は五 億 円 に 達 し て 居 り ま し た。 さ う し て 漸 増

漸 次 増 え る や う な 情 勢 になつて居つたのでありますが、条約を結んで後はまあ三億円以下に 下つて居つてそれが数年続いたのでありまして、要するに負担は若干 軽減したといふことは謂へると思ふのであります。主力艦、航空母艦 六割で、国防上不足を感ずる点は補助艦即ち巡洋艦、駆逐艦、潜水艦 を 建 造 し、 其 不 足 を 補 つ て 国 防 の 方 針 を 樹 て ゝ 居 つ た の で あ り ま す。 それからして八年ばかり経つて倫敦会議がありまして、倫敦条約が出 来たんであります。 其当時日本政府の方針と致しましては、倫敦会議は補助艦を制限す る目的で集つた会議でありまして、其三大原則といふのは、補助艦全 体が七割、それからして八吋の大砲を積んで居る巡洋艦は七割、さう し て 潜 水 艦 は 自 主 的

所 要 量 及 ち 自 分 で 有 つ て 居 る 量、 即 ち 七 萬 八千噸といふのが主張であつたのであります。さうして出来た条約は 大体に於て七割の目的は達したが、八吋巡洋艦は先づ六割、アメリカ は条約の有効期間内に未完成のものが二つありますが然しながら大体 は六割であります。それからして潜水艦は五萬二千噸で、英米両国と 均等、然し日本は所望量より二萬数千噸減つて居るのであります。故 に此条約に就ては国内に色々の議論もあり、不平もあつたのでありま すが、暫定的のものであり、軍事参議院、枢密院の御諮詢を経て、本

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条約は御批准になつたのであります。海軍と致しましては此条約に就 ては不備とする点をば航空兵力の充実制限外艦艇の充実、或は内容の 充実其他色々の整備充実をして、国防の不備なる点を補はうとして爾 来やつて来たのであります。此倫敦条約は明後年末迄の暫定的のもの であつて、明後年(昭和十一年)末を以て消えるやうになつて居りま す。

三、条約破棄は当然の権利

華 府 条 約 も 明 後 年( 昭 和 十 一 年 ) 一 つ ぱ い 迄 は 兎 に 角 有 効 で あ る。 之れを廃めようといふのには、二年前予告を為して、さうして廃棄を 為し得る。何れの国も其通告を為さざる場合には条約は何時迄も継続 する、日本は条約の続くのを不利と認むる場合には廃棄通告を発する 権利を条約上当然有つて居るのであります。要するに華府会議以来十 三年経過して居つて、内外の環境が変化して来た。さうして之れを廃 棄せねやならんといふのは恰度青年が大きくなつて、古い着物を 著 ママ れ なくなつた又時代にも合はぬといふやうな状況だと観て然るべしだと 思ひます。今やつて居る予備会議は、これは大体新聞が其模様を伝へ て居るやうに思ふのでありますが、日本がどういふ方針で臨んで居る か、要するに大体華府条約の比率主義を廃して、さうして総噸数主義 で行かう、新規蒔き直しといふやうな形であります。五・五・三の如 き 比 率 を 廃 し て さ う し て 最 大 限 界 を 決 め て、 総 噸 数 で 制 限 し て 行 か う、 それからして成可く各国は攻撃的性質のもの、 これをば減らさう、 さうして此最高の限界を成可く低くして軍備拡張にならないやうにし よう、其結果要するに英とか、米とかいふやうな高度の軍備国は多く の犠牲を払らうといふのが当然であるといふやうな態度を採つて居る のであります。 イギリスはこれに対してどういふ風だかと申せば、大体イギリスは 華府条約の中には其内容に改正せねばならん点があることは認めて居 るやうであります。例へば主力艦を小さくするといふやうなことは考 へて居る、或は航空母艦を小さくするといふやうなことも考へて居る らしいですが、華府条約其ものゝ組立てには先づ反対をして居らない やうだと想像をして居ります。倫敦条約の方はこれは屢々新聞にも出 て居りますが大体反対で、倫敦条約の巡洋艦五十隻ではイギリスの国 防を全うする事は出来ない、因つてこれを増やさうといふ意向が非常 に強いやうに思はれます。アメリカはワシントン条約、倫敦条約を支 持しようといふ傾向であります。此三国は大体斯ういふ状況であつて 今折衝中でありまして、前途どうなるか、其結論を今日予言するには 時期が未だ尚早であると思ふのであります。然し此会議で一時停噸す る事はあつても結局何時かは、早晩日本の主張を容認する時代が到来 するであらうと思ふのであります。要するに日本の主張が通るのは時 期の問題であらう。今度は停頓することがあつても必ずや何ヶ年の後 には日本の主張は彼等の認めるところとなるであらうと、斯う考へら れます。 イギリスは却々老練なる国でありまして、折衝の衝に当つて居る外 交官も却々円熟して居るので、非常に上手に仲裁をして居るやうに観 えますが、然し過去の此英米の関係を考へて観ますといふと、必ずし も楽観を許さぬように思ふのであります。所謂、 血は水よりも濃 3 3 3 3 3 3 3 し 3 で ありまして之れを歴史的に観たならば、イギリスは日英同盟を英米親 善に乗り替へた歴史を有つて居るのであります。加藤高明伯がイギリ

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スを去つて帰へられる時分に、これは大正二年頃でありませうが外相 のサー・エドワード・グレーが日英同盟に関して言はれるのには、イ ギリスとしてはアメリカとの戦争はどうしても考ふべからざることで あつて、日英同盟はどうしてもアメリカを除外しなければならぬとい ふ話があつたさうでありまして、其結果日英同盟に第三次改訂の際に 仲 裁 条 項 が 入 つ て、 仲 裁 条 約 を 結 ん で 居 る 国 は 除 外 す る と い ふ の は、 要 す る に ア メ リ カ を 除 外 し た の で あ り ま し て、 ワ シ ン ト ン 会 議 の 時 も、大体イギリスは仲裁的態度を採りましたが、我国に対しては成可 く円満解決を計るが所詮米国の主張に共鳴して、其主張を受諾せしめ んとする態度であります。五・五・三の比率に防備条項を結び著けて 解決するのには、バルフオア卿の如きは非常に尽力されましたが、矢 張り日本の主張の七割を支持するといふ点は一つもなくして、どうに かして六割を納得せしめ、其代りに防備事項あたりで世話するといふ やうな程度であります。さうしてワシントン会議の時に日英同盟が四 国条約に代つて、日英同盟は終りを告げたのであります。近頃イギリ スは頻りに日本に接近するといふ風に観て居る人もありますが、然し ながらそれが果して日本と一緒になつてアメリカに衝り、さうして日 本の主張を通すといふやうな事になるのかそこは甚だ疑問でありまし て、楽観を許さんであらうと思ひます。然し手を替へ品を替へ、名を 与へてさうして従来の実を取るといふやうな策を辛抱強く繰り返すの ではないかと、過去の歴史から観て想像致すのであります。 ア メ リ カ の 方 は ど う か と 申 せ ば、 こ れ は 先 程 も 申 上 げ ま し た や う に、華府、倫敦の両条約を支持して居るのでありまして、日本との妥 協は却々容易ならざるものありと私は観て居ります。然しアメリカは 華府条約締結以来東洋に対しましては、軍事上積極的でない、或は漸 次退却しつゝありとも謂へるかと思ふのであります。一時はフイリツ ピンに大きな根拠地を拵へるとか、グワムをば地中海のモルタのやう な大きな軍港にするとかいふやうな説は随分あつたのであります。然 しながら華府条約の根拠地制限以来さういふ説はもうすつかり消えて しまひまして、政府の施設としては、大体布哇の真珠港を前哨として 設備を全うしつゝあるといふやうな傾向であります。さうして御承知 の如くフイリツピンにも独立を許さうといふやうな気運がルーズヴエ ルトの民主党政府になつて一層濃厚になつて居るやうに思います。十 年後には陸軍も大体引上げる、海軍の根拠地もそれから二年経つて考 へて見るといふやうな事になつて居りまして、フイリツピン辺に従来 大きな根拠地を拵へようといつて居つたのが大分気分が変つて居るの であります。然しこれは民主党政府なるが故に殊にさういふ風であつ て、又共和党にでもなれば事情の変化に依つてどうなるか、これは十 年の将来は却々予測は許されぬのであつて、唯今はさうだと申すだけ であります。さうして大体五・五・三の比率を標準として行かうとす ることは、これは変らぬのでありまして五・五・五といふやうな事に なれば極東の覇権が日本に帰してしまふ、さうしてアメリカが従来極 東に於ける地位といふものはサレンダーするんだといふ風に思つて居 るが如くに認められるのであります。 これに対して日本は旗幟鮮明で先程申したやうな主義の下に邁進を して居るのでありますが、恰度今折衝をして居る状況を観て見まする といふと、此際吾々は先づ元寇の時北條時宗が円覚寺の開祖の祖先禅 師 に 色 々 と 教 を 乞 ふ た 折 に、 莫 3   3 レ 想 3 3 と い ふ 教 を 受 け た と い ふ こ と を 聞いて居りますが、先づ日本の主張を守り、敢て妄想する事なく進ん で行くより外に途はないと思つて居ります。今度日本の主張は承認せ

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らるゝに至らずとも、日本の国力がどし〳〵向上して居る現状に鑑み るときは、早晩これが世界に承認せらるゝといふことはもう明らかな 事と思ふのであります。

四、海軍として非常時に対する覚悟

海 軍 と し て 非 常 時 に 対 す る 覚 悟

こ れ は 私 個 人 の 考 で あ り ま し て、海軍の代表意見で決してないのでありますから其点は御承知を願 ひたいのでありますが、今日は非常時であるからどうしても海軍とし ては自強の政策を採りさうして敵の来らざる事を頼むことなく、自分 の 待 マ マ つある の兵力を充実して行かなければならぬことは、これは申す 迄もないことであります。軍備に於きまして実力と言へば、物と人と がありますが、物を充実すると共に人間を養ふといふことは極めて必 要な事であります。海軍の各部隊は此頃海上は無論の事、凡ゆる部隊 に於て血塗ろの猛訓練をやつて居りますが、要するに此人を養ふ事に 努力を致して居るのであります。艦艇の充実になりますと、これは金 を要します。私は茲数年の海軍費といふものは、今の位は費るものと 見て居るのであります。第一条約が出来ようが出来まいが、条約の有 無に拘らずに、主力艦のホリデイといふのが止んで、さうして代換建 造 の 時 期 が も う 始 つ て 来 る と い ふ こ と は こ れ は 必 至 の 勢 ひ で あ り ま す。条約に據つて明後年迄は代換建造が出来ませんが昭和十二年から 代換建造が始まる。十年、十一年は条約が効力を有つて居つてホリデ イでありますが、十二年から条約があつてもなくつても代換建造が始 まるであらうと想像を致します。 航空兵力、これは日本の航空機も此頃は却々進歩致しまして、海軍 に於ても随分猛烈な訓練をやり、さうして本年に於きましては訓練の 間に将兵四十数名を喪つたやうな有様でありまして、随つて長足の進 歩は致して居ります。犠牲も大きいですが長足の進歩を致して居りま す。然しながら、航空機は何んと言ふても日本は最初立ち遅れて居る の で あ り ま し て、 今 日 の 現 状 で 決 し て 満 足 は 出 来 な い の で あ り ま す。 今日保守的、消極的の考へは絶対に此航空兵力に関しては許されぬの でありまして、否々大いに積極的に進歩的にやつて行かねばならぬ状 況であると私は観て居ります。 其の外補助艦と申しますのは巡洋艦、 潜水艦、 駆逐艦でありますが、 これも相当補充して行かねばならぬのでありませうし、海軍の予算は 茲数年は今位費るんぢやないかと想像致して居るのであります。

五、国民の非常時に対する覚悟

然し此海軍費が費るといふのも、これは国民が今日の非常時をば認 識する程度の如何の問題でありまして、今日の時局をば準軍国時と考 へて、此非常時に対する意識が国民の間に強ければ海軍費の少々の多 いのはこれは大問題でないであらうと思ふ。戦争の費用に較べて見れ ば洵に微々たるものでありまして、戦争に於きましては一日に一億円 も使かう国があつて、欧州大戦の間には一日に四千萬弗の金を使つた 国もある。イギリスと雖も矢張り一日に三千萬円、四千萬円程度は使 つて居つた。今日、日本が国力を賭して戦さをする場合は、一日に二 千萬円位は当然要るのだと思ふ。これを三百六十五日にして見ると七 十 億 位 の 金 は 大 ざ つ ぱ に 見 て も

欧 州 大 戦 の 経 過 を 観 て 見 る と い ふと必ず要るものと思ふ。それだからして戦争の費用に比すれば瑣々

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たるものであつて、今日の時局をば、非常時の準軍国と観れば、要す るに少しの金は大いした問題ぢやない。勿論、海軍の者も、金は国民 の膏血であるからして徹底的に無駄を排除して一銭と雖も、これは国 民の膏血といふ事を考へ効果的に使はねばならぬことは無論でありま すけれども、国民の方でも此今日の非常時に対しては相当の備へをし て置くといふことは、戦争の危険を遠ざけるといふことであらうと思 ふのであります。軍人は一刻も戦争を忘れてはなりませんが、国民も 亦戦ひを忘れては国が危ふいのであります。司馬法に「 天下雖 3 3 3   3 レ安忘 3 3   3 レ 戦必危 3 3 3 」といふ事を言ふて居りますが、これは至言だと思ひます。然 しあまり神経過敏なり興奮し過ぎると往々判断力を失ふ事がある。此 非 常 時 局 に 対 し て 余 り 焦 燥

苛 立 た し い 態 度 を 採 つ て 行 く の は ど うかと考へて居ります。彼我国民の感情が激して来るといふと茲に軍 備を拡張するといふことは、これは最近の歴史が明かに証明して居る と思ふのであります。欧州大戦前の歴史を観て見れば其消息は明瞭で ありまして、こつちが激して来れば、向ふも激して来て、さうして軍 備に向つて来るといふことは当然であります。これは国民として矢張 り落付いたる態度、冷静なる態度を以て行つて、さうして国内で民心 を作興せしめるといふことは極めて必要でありますが、それが遣り方 がまづければ直ぐ外国を刺戟するといふ事も能く考へねばならぬであ らうと思ひます。 連盟脱退の時の詔勅には「固ヨリ東亜に偏シテ友邦ノ誼ヲ疎カニス ルモノニアラス愈信ヲ国際ニ篤クシ大義ヲ宇内ニ顕揚スルハ夙夜朕カ 念トスル所ナリ」斯う仰せになつて居りまして、落付いたる態度を以 て、政府と言はず、国民と言はず、列国との関係を始終考慮して行く と い ふ こ と は、 こ れ は 国 民、 政 府 共 に 努 め ね ば な ら ぬ 事 と 思 ひ ま す。 国家の大局から申せば、戦はずして目的を達するといふのが、上策で ありまして「百戦百勝善の善なるものに非らず、戦はずして人之兵を 屈す善の善なるものなり」と、昔から言ふて居るのであります。已む を得ず戦さになれば最少の犠牲で目的を達するやうに環境が出来て居 ら な け れ ば な ら ぬ。 「 善 く 戦 ふ も の は 勝 ち 易 き に 勝 つ な り、 故 に 善 戦 者の勝つや、智名もなく、勇功もなし」といふやうな事が出て居りま す。能く戦ふものはつまり勝ち易きに勝つのであります。

六、外交工作も亦必要

これから斯ういふ点に就て外交工作などゝいふことを言ふと弱いや うに聞えるかも知れませんが、これも決して軽視してはならないもの であつて、外務省は固より国民もそれを考へて居らねばならぬ事だと 思 つ て 居 り ま す。 孫 子 に「 上 兵 伐 3 3 3   3 レ 3 」 と い ふ こ と を 書 い て 居 り ま す が、 戦 さ を す る 上 手 の 上 兵 は、 敵 の 謀 を 打 つ と い ふ こ と が あ り ま す。 日露戦争前に日英同盟を結んで、敵国をロシア一国に限つて、さうし て ロ シ ア の 与 国 が 戦 争 に 参 加 で き な い や う に し て 居 つ た と い ふ こ と は、これは矢張り私は明治の其当時の外交の責任者が却々偉かつたん で あ ら う、 こ れ は 明 治 聖 代 の 非 常 に 傑 出 し た 点 だ と 考 へ て 居 り ま す。 日英同盟に因りロシア一国に敵を限つたといふことは日露戦争に於て 或は数隻の軍艦よりも価値があつたのであらうと思ふ。これに比較し て欧州大戦の間にドイツの方でやつたことは、遂に世界を相手にして 戦 さ を す る や う に な つ た。 斯 う い ふ や う な 不 利 な 情 勢 に な つ て 居 る。 三国同盟即ち独、墺、伊三国中の伊国は、始には中立的態度であつた が、遂にはアンタントの方についた。これは已むを得なかつたのであ

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りませう。然しながらドイツとしてイタリーを自分の方に引入れるの に随分苦心したのであつたが、それも成功しなかつた。是等の点に於 ては、ドイツは陸海軍は非常に精鋭であり、国民に於ても文化は非常 に向上して居つたが、国家の政策として色々の失敗を重ねて遂にあゝ いふやうな結果になつたと思ひます。ドイツ国民は偉い国民で、将来 は必ず発展する国民だと思ひますが、然しあゝいふまづい事をやらな んだら、今日既にヨーロッパで第一番になつて居たと思ふのでありま す。少く共若干年間ドイツの発展はそれがために遅れたと謂ひ得ると 思ひます。

七、自己の時局に対する認識

以上国防の見地から申上げましたが、更に国民の一人として、此私 はどういう風に時局を観て居るか、軍人として或は少し自分の領分を 越えて居るかは知りませぬが茲で一言附け加へることを許して戴きた い。 我国は今は恰度天の試練を受けつゝある秋だと思ひます。然しなが ら、日本は今日は日清戦争日露戦争の当時よりは余程偉らくなつて居 つて、名実共に強国でありますし、国民も大国民である。それだから して道を誤らずんば如何なる難局でも突破し得る資格を有つて居ると 思 ふ の で あ り ま す。 世 界 は 今 日 到 る 処 混 乱 状 態 で あ り ま し て、 ヨ ー ロッパ然り、アメリカも経済上相当混乱して居つて、或る人の如きは 没 落 す る ん ぢ や な い か と さ へ 言 ふ 人 が あ る 位 で あ り ま す。 然 し な が ら、日本は色々と心配すれば限りはありませんが、先づ国内は能く平 和を保ち国運は益々向上して居ると謂ひ得ると思ひます。其上日本は 地理的に極東に偏在して此の方面に卓立して居つて、欧米の諸国が極 東問題に干渉せんとするにも、長鞭馬腹に及び難き感があるのであり まして、 所謂、 日本は天の時も得て居れば、 地の利も得て居り、 此上、 人の和を得たならば三拍子揃ふのでありまして、世間で能く謂はれる 昭和の大業も達し得るんだと思ふのであります。 上下交々利を征れば 3 3 3 3 3 3 3 3 3 国が危うし 3 3 3 3 3 といふことをば、我等は子供の時から孟子によつて習つて 居りましたが、今日は実に其通りでありまして、各階級共存共栄、寧 ろ 自 分 を 犠 牲 に す る と 言 へ ば 大 き い か も 知 れ ん が、 自 己 を 後 に す る、 後にし得なくとも自己と共に社会全般の事を考へて、さうして共存共 栄君国に尽すべき秋だと思ひます。文と言はず武と言はず、官民共に 其分を尽さねばならぬ事と考へて居ります。 政治が清く正しく行はれ、政治が腐敗することなく、さうして国民 が徳を重んずる間は、其国はさう乱れるものでない、斯ういふ点に於 て欠くる所があるが故に国が乱れるのであります。古代の羅馬、或は 中世の西班牙の如き衰滅を辿るに至るのであります。今日のヨーロッ パ諸国も、或る国はさういふやうな状況であらうと思ひます。是等の 点を考へて見まするといふと、此教化国体の諸賢は大いに此国民の精 神を作興するに於て努力し甲斐のあるものだと思ふのであります。国 民に徳が重んぜられ、道徳が行はれ、信義の思想が強い国家は内は乱 れない、さうして外に対しては国際上の信義を守つて進むと言へば内 外共に軌道に載つて居るのでありまして、所謂自ら顧みて直くんば千 萬人と雖も吾行かん、といふ意気が自然に生れて来ると思ふのであり ます。今日の時局は成程重大でありませうけれども、国内に対し又外 国 に 対 し て 斯 う い ふ 態 度 を 取 つ て 自 ら 助 け て 行 く 以 上、 必 ず 神 様 も、 天もお助け下さるのであつて、天佑、神助は求めずして自ら至るので

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あらうと思ふのであります。国民の先覚者はどうか国家の将来に対し て確乎たる信念を持つて、落付いてさうして国民を善導して下さるよ うに私等は希望して止まないのであります。 東郷元帥の戦さに於ける赫々たる武勲は皆人の熟知するところであ りますが、日露戦争の間に恐らく東郷元帥が一番心配せられたと思ふ 点は、旅順封鎖の間に、三十七年の五月ですが、其一週間の間に艦が 数隻沈没したことがあります。 それは水雷艇が沈没し、 宮古が沈没し、 引続き当時僅か六つの戦艦しか有つて居らなんだのに其内初瀬、八島 の二隻が沈没して六つが四つに減つたのであります。それからして吉 野が春日に突かれて沈没した、それから龍田が座礁した。これが殆ど 一週間に起つて居る。其当時さういふやうな災禍相踵いで起つたもの でありますからして当時の艦隊の気分といふものは、非常に憂ひに危 まれて居つた。所が斯ういふ難局に当つても元帥は神色自若として居 られた。神色自若として居られて、さうして艦長共が元帥の顔を見に 来 る 伺 候 に 来 る と い ふ と、 如 何 に も 従 容 自 若 と し て 居 る も の だ か ら、 其精神が部下に映つて、非常に全艦隊を落付かしめた。私は嘗て元帥 に其当時の心境をお尋ねしたのでありますが元帥は尚ほ俺れの方は優 勢であつて決してこれが為めに彼我の勢力が顛倒をするんぢやないか ら、 十 分 の 自 信 を 有 つ て 居 つ た と い ふ こ と を 言 は れ て 居 つ た で す が、 さういふ難局でも主将が落付いて居れば、全軍が自然に落付くのであ りまして、日本国民も今日は非常時であるが、然しながら、国民の指 導者、先覚者が落付いて待つあるの実力を整へ、さうして自信力を以 て此時局に衝るといふ落付きを見せまして国民の臨めば、国家は此非 常時を克服することは決して難しい事ではなくして、さうして克服し 得て、帝国は益々発展し向上するんだと信ずるのであります。 此点は少しく私軍人として言ひ過ぎてゐるかも知れませんが、折角 此 処 へ 講 演 の 機 会 を 与 へ ら れ ま し た の で 一 言 申 添 へ た 次 第 で あ り ま す。 (完)

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