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横浜健民少年団に関する史的考察(1950~1962) ―スポーツ少年団の先駆形態に着目して― 利用統計を見る

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(1)

横浜健民少年団に関する史的考察(1950∼1962) ―

スポーツ少年団の先駆形態に着目して―

著者

坂中 勇亮

著者別名

SAKANAKA Yusuke

雑誌名

東洋大学大学院紀要

52

ページ

273-288

発行年

2015

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00008731/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

要旨

本研究では、我が国で初めて設立された健民少年団である「横浜健民少年団」に着目し、 当健民少年団設立に至る経緯やその活動理念及び運営形態等を明らかにし、さらには、その 後の歴史的展開を論究することを目的とした。 本研究の結果として以下の3点が明らかになった。 1.‌‌1950年に横浜市の体育施策の一環として実施された「子供の遊び場運動」がきっかけと なり、その後の同市における「健民運動」の展開、「健民会の設立」という経緯を経て、 1953年3月に「横浜健民少年団」が設立された。 2.‌‌「横浜健民少年団」における活動の特色は、都市で生活する子供たちに自然活動のような 都市では体験できない活動を経験させたことや、各都市との交歓活動を通じて健民少年 団の活動を普及させたことであった。さらに、当団は設立時より組織編成や指導者制度 が構築されており、活動の推進に行政が積極的に携わった。 3.‌‌「横浜健民少年団」は各都市との交歓活動を通じ健民少年運動を普及させ、1954年3月に 「日本健民少年団」が設立された。「日本健民少年団」の設立により、健民少年運動の規 模が拡大し各都市に健民少年団が誕生した。また、1954年8月には「日本健民少年団」の 代表者が西ドイツへ派遣され、西ドイツにおける地域スポーツ政策を学ぶ機会を得た。 キーワード:スポーツ少年団、横浜健民少年団、子供の遊び場 目次 Ⅰ はじめに Ⅱ 「子供の遊び場運動」と「健民会」の設立 Ⅱ―1 「子供の遊び場運動」の興隆

横浜健民少年団に関する史的考察(1950~1962)

―スポーツ少年団の先駆形態に着目して―

福祉社会デザイン研究科ヒューマンデザイン専攻博士前期課程修了

坂中 勇亮

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― 274 ― Ⅱ―2 「健民会」の設立 Ⅲ 「横浜健民少年団」の設立 Ⅲ―1 「横浜健民少年団」の設立とその活動理念 Ⅲ―2 「横浜健民少年団」における活動の実際 Ⅲ―3 「横浜健民少年団」の運営形態 Ⅳ 「横浜健民少年団」から「日本健民少年団」への発展 Ⅳ―1 「日本健民少年団」の設立と活動実態 Ⅳ―2 「日本健民少年団」の設立が健民少年団運動に与えた影響 Ⅴ おわりに

Ⅰ はじめに

近年、子どもの体力低下や、積極的に運動をする子どもとしない子どもの二極化が大きな 社会問題となっている。我が国ではこれまで地域における子どもたちのスポーツ環境として、 学校部活動と共に大きな貢献注1)を果たしてきたのが日本スポーツ少年団(以下、「スポーツ少 年団」と略す)であった。 スポーツ少年団は、1962年に日本体育協会創設50周年の記念事業という位置づけのもと、 理念として「一人でも多くの青少年にスポーツの歓びを提供する」、「スポーツを通して青少 年のこころとからだを育てる」、活動の指針として「スポーツによる青少年の健全育成」を 掲げ、22団753名で創設された1)。その後、「育成計画」注2)に基づき日本各地に普及していき、 1974年には団員数が100万人を超えた。近年は団員数が減少傾向にあるが、平成26年度は 741,797名が登録している。2) スポーツ少年団の普及を担ってきた日本スポーツ少年団によると、スポーツ少年団は創設 以来、広く社会に受け入れられ順調に発展してきた。その結果、子どもたちのスポーツ環境 を提供するだけでなく、指導者をはじめとした多くの大人たちが活動に関わることで地域ス ポーツに携わる人々を増やし、地域におけるスポーツコミュニティの形成に大きな影響を与 えてきた。さらに、スポーツ活動だけでなく国内外の交流活動や地域への奉仕活動等の提供、 団員の中から指導者を育成するシステムの構築などをとおして、地域スポーツにおける人材 育成という点においても大きな役割を果たしてきた3) しかしながら、スポーツ少年団は設立から半世紀が経過し社会状況が変化する中でいくつ かの課題を抱えるようになり、2009年に策定された「スポーツ少年団の将来像」では、団員 や指導者の登録数の減少、一部指導者による勝利至上主義偏重の進行、地域社会からの認知 度の低迷などが課題として挙げられた。4) 2012年に策定された「スポーツ基本計画」注3)においては、学校と地域における子どもた ちのスポーツ環境を充実させるために、スポーツ少年団活動を推進させることが明記されて

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いる5)。また2009年には新たに活動理念として、「スポーツで人々をつなぎ、地域づくりに貢 献する」が加わり、これまで以上に幅広い年代の子どもたちを活動の主体として考え、総合 型地域スポーツクラブへの発展も視野に入れた取り組みの必要性が謳われた6)。以上のよう に、スポーツ少年団の活動は、今、大きな曲がり角に差し掛かっている。将来へ向けてスポ ーツ少年団はその方向性を模索する時期であるといえよう。スポーツ少年団が抱えている課 題等を解決するための一助として、日本におけるスポーツ少年団活動の原点に立ち返るのも 一つの方法ではないであろうか。 スポーツ少年団は1962年に創設されているが、それ以前にも我が国には多くの青少年団体 が存在していた。その中で、スポーツ少年団の設立に大きな影響を与えた団体が健民少年団 であった。1993年に日本スポーツ少年団が発行した『日本スポーツ少年団30年史』において は、健民少年団とスポーツ少年団が類似した考えによって誕生しており、健民少年団がスポ ーツ少年団より先行して存在していたことは注目すべき点であると記されている。また、先 行して組織化されていた健民少年団がスポーツ少年団として登録されたことが、創設期にお けるスポーツ少年団数が増加した要因の一つであったと述べられている7) 以上のようにスポーツ少年団は、先行して設立されていた健民少年団に大きな影響を受け ながら創設され、子どもたちのスポーツ環境を提供することで日本各地に普及していった。 その結果、我が国の地域におけるスポーツコミュニティの形成や地域スポーツにおける人材 育成という面において大きな役割を果たしてきた。 スポーツ少年団に関するこれまでの研究は多岐に渡り行われているが、主な研究として① 活動実態に関する研究8)9)10)11)、②団員の体力・怪我に関する研究12)13)14)15)、③指導者・保護 者に関する研究16)17)18)19)、④他組織との関係に関する研究20)21)22)に大別することができる。 しかしながら、スポーツ少年団の設立に大きな影響を与えた健民少年団に関する研究はほと んど行われていない。 健民少年団に関する唯一の研究として、安倍の研究を挙げることができる。安倍はスポー ツ少年団の結成過程に関する研究において、スポーツ少年団結成の前史として健民少年団の 活動を取り上げている。同研究では、横浜市における子どもの遊び場を増やす運動がきっか けとなり市内に健民少年団が設立され、その後、全国の各都市でも健民少年団が設立された ために、日本健民少年団が組織化されたと指摘している。23)しかしながら、同研究では、ス ポーツ少年団の結成過程を明らかにすることを目的としているために、健民少年団の詳細な 設立過程や活動実態については明らかにされていない。 また、1964年に日本スポーツ少年団本部が実施した調査では、スポーツ少年団の活動に類 似した社会教育団体を整理し、スポーツ少年団の活動内容や設立状況についての報告がなさ れた。この中で健民少年団の活動について、「都市の少年の健全な育成のために、自然活 動・交歓活動・地域活動を行う少年運動である」と説明した上で、健民少年団がスポーツ少

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― 276 ― 年団の成立過程において影響を与えており、スポーツ少年団の先進的役割であったことが指 摘されている24)。さらに、先述したように『日本スポーツ少年団30年史』においても、先行 して組織化されていた健民少年団がスポーツ少年団の設立に影響を与えたことが述べられて いる。 先行研究の検討からも、健民少年団がスポーツ少年団の設立に影響を与えたことは明らか であるが、健民少年団の実像にせまる詳細な歴史的研究はこれまで行われていない。だから こそ、日本において初めて設立された健民少年団である横浜健民少年団に着目することは意 義があると考える。 そこで本研究では、日本において初めて設立された健民少年団である「横浜健民少年団」 に着目して、当健民少年団設立に至る経緯や、その活動理念や運営形態等を明らかにし、さ らには、その後の歴史的展開を論究することを目的とする。なお本研究では、「横浜健民少 年団」を設立するきっかけとなった横浜市の施策である「子供の遊び場運動」が開始された 1950年から、我が国でスポーツ少年団が設立された1962年までを研究の対象とする。

Ⅱ 「子供の遊び場運動」と「健民会」の設立

Ⅱ―1 「子供の遊び場運動」の興隆 終戦後、復興を目指す横浜市では、子供たちを社会悪から守り、健やかに育てることが喫 緊の課題となり、当時の横浜市体育課が体育施策の一環として「子供の遊び場運動」を展開 した。横浜市は当運動の理念を、「都市の子供に一番與えたいものは遊び場である。道路で 遊ぶ子供の危險防止というよりも遊び場を持たぬ子供の不健全な育ち方が恐ろしいのである。 子供は遊びによって育つものであるから子供の時代の遊びが子供の一生を方向づけると言え る」と説明している25) 具体的な内容としては、都市計画による児童公園とは別に、街の中に30坪~50坪の土地を 住民に提供してもらい、そこに横浜市がブランコや滑り台などの遊具を設置するというもの であった。1950年6月、最初の遊び場が当時の磯子区磯子町に設置された26)。最初の遊び場 が設立された後、市内各地に遊び場が設立され、1953年までに105箇所の遊び場が設置され た27) さらに、1951年に横浜市健民課より発行された『横濱健民‌第26号』には、当時の横浜市 の子どもたちが、遊び場と遊び道具を失い狭い道路で遊んでいるにも関わらず親達は顧みも しないと述べた上で、遊び場の必要性を指摘している。さらに、遊び場での指導の必要性に ついて「大人が与えたものを子供が必ずしも喜んで遊ぶとは限らない。それより子供達の遊 びの中に飛び込んで行つて彼等が悪いことゝも知らずに悪い風に染まるのを止め、遊びを良 いものに導き、そうして子供達と接触している中に生活指導することができる。」と記され ている。28)

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「子供の遊び場運動」は、戦争によって遊ぶ場所を失い、劣悪な環境下での生活を強いら れた子供たちに、元気に遊ぶ場所を提供した。さらに遊び場では、子どもたちに対して地域 の大人から生活指導がなされた。このように地域の大人たちによる生活指導がなされたこと で、「子供の遊び場運動」は子どもたちを地域社会で健やかに育てるという面において、大 きな役割を果たしたと考えられる。 その後、遊び場が設立されるに連れ、子供たちの保護者を中心に新しく設立された遊び場 を適切に管理して守ろうという運動が起こった。その結果、遊び場を適切に管理する組織と して、「子供の遊び場管理委員会」が誕生した29)。「子供の遊び場管理委員会」は、保護者を 中心とした有志により構成され、遊び場の管理や遊び場の利用方法についての指導が行われ た。その後、「子供の遊び場管理委員会」では子供たちの健康を守るためには、親たちの健 康意識が高められる必要があると考えるようになり、全市民を対象とした「健民運動」が展 開されることとなった30) Ⅱ―2 「健民会」の設立 横浜市は、「健民運動」を展開するにあたり、都市での生活が健康を害することが多い上 に、健康問題に関しての考慮がなされておらず、個人で健康になるための活動を継続するこ とが難しい為に、社会的な運動として「健民運動」を実施すると述べている。そして、「健 民運動」を推進する母体として、地域住民により自主的に結成された「健民会」の設立を求 めた。同市は「健民会」の設立を推進するにあたり、その必要性について以下のように述べ ている。 「この健民運動を横浜市で実践するためには地域の自主性に基づく組織を作り、健民推進 の母体としての健民会が必要になる。これは地域住民の健康福祉のための共同体の建設で、 スポーツやレクリエーション、日常生活様式等を住民の身体的、精神的、地域的な特性に応 じて健康を確保するために行う営みを居住地を単位として社会的に展開する協力方式であ る。」31) 「健民会」においては、地域住民が健康になるためにスポーツ・レクリエーション活動を 中心に次の①~⑮が実施された。①地域住民の健康のための日常行事(ラジオ体操会、その 他の体操会、早起き会)、②地域の健康・体育施設の建設(子供の遊び場設置、体育館・運動 場の建設)、③野外運動の実践、④旅行のための組織、⑤スポーツ行事・運動会の開催、⑥ 健民協議会の開催、⑦地域の健康管理(春秋衛生検査・身体検査の実施、健康バッチの制定、 健康相談日の設定)、⑧休日のプログラム、⑨家庭健康の啓蒙(生活改善)、⑩健康家庭の表 彰、⑪健民生活実践者の表彰、⑫健民手帳の取扱、⑬地域の美化・清潔奉仕、⑭季節による 健康活動、⑮そのほか健康行事。32) さらに、「健民会」を組織化する上では、地域の実情に即し、「子供の遊び場管理委員会」

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― 278 ― や婦人団体、青年団、子供会などの既存団体を活用して設立することが求められ、「健民会」 を設立するための条件として、地域住民(50~100戸で構成)により自主的に組織化される ことや会費を徴収することなどが定められた33) 以上のように、1950年に横浜市の体育施策における一環として開始された「子供の遊び場 運動」により、市内各地に子供の遊び場が設立され、子供たちを健やかに育てるという理念 のもと、新設された遊び場では保護者や地域の大人たちによる生活指導が実施された。しか しながら、「子供の遊び場運動」を実施する中で、子供たちを健やかに育てるためには、大 人たちの健康意識を啓発する必要があるという考えに至り、子供から大人までの全市民を健 康にすることを目的として、健民運動が展開されるようになった。さらに、健民運動を推進 するために、横浜市内に「健民会」が次々と設立された。

Ⅲ「横浜健民少年団」の設立

Ⅲ―1 「横浜健民少年団」の設立とその活動理念 横浜市内に「健民会」が設立されるに連れ、「健民会」における青少年育成の重要性や意 義が指摘されるようになる。『横濱体育29号』においては、「健民活動に於ける少年指導の意 義」という見出しのもと、「‌(前略)‌…健民会が少年の健民問題を主要な課題として取り上げ、 これを中心に発展しているのは一つの特性と言えるので本市における健民活動の理解と推進 のためには少年の健民が根本的な要因をなすと言える…(後略)」と述べられている34)。また 1952年3月8日、9日に「健民会」に所属する子供たちを対象として開催された第1回健民少年 訓練会の報告が掲載されている。記事の内容によると、第1回健民少年訓練会には、115名が 参加し、体力テスト(平衝力、懸垂、持久力等)、レクリエーション活動(合唱、踊り、教 育評論家による講演等)、班別行動(団体生活についての指導、科学訓練、技能訓練等)な どが実施された35) 「健民会」における青少年活動の機運が高まる中、1953年3月、横浜市の各地区の「健民 会」から推薦された少年少女約1,200名が、当時の神奈川県相模原町との交歓活動を実施し た。そして、この交歓活動の開催と同時に「横浜健民少年団」が正式に設立された36) 横浜市は、「横浜健民少年団」を市内各所に設立させるために、『健民少年の手引』を発行 した。同書では、「横浜健民少年団」における活動の原点である健民少年運動について以下 のような説明がなされている。 「都市の中で生活する少年達にとって、身体も精神も共に健全に育つために最も必要なも のは自然的な生活でありますが、自然の中で生活し自然に親しむ活動は日常生活の中では 仲々得られません。健民少年運動は、都市の青少年にこの自然的な生活を与え併せて環境を 異にする各種地域の生活を体験して見聞を広め社会的経験を深め健康で創造力豊かな少年を 育成しようとするもので、健民少年団はこの活動を勧めるために編成する地域的な少年の組

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織であります。これに必要な活動や指導が出来るように全市的に組織活動をすゝめるのが横 浜市の健民少年運動であります。」37) この説明より、「横浜健民少年団」の活動理念は、横浜市の子供たちに都市部とは異なる 自然の多い環境での生活を通し、社会的経験を深めて、心身ともに健康に育てることである と考えられる。また同書には、「横浜健民少年団」の活動目標として、次のように記されて いる。「①野外活動により新鮮な大気と日光を受けて元気に愉快な活動をする。②自然の美 しさや崇高さに触れた生活をし、又自然や動植物に親しみ自然の中で生活して自然に融け合 う。③自然の中で衣・食・住等の簡易で原始的な生活を体験する。④自然の中で体力を養 う。⑤自然の中で色々と条件の違つた生活の工夫をし技術を身につける。⑥集団生活に慣れ 自主的な態度を養う。⑦日本の国土を広く知り国を愛する心を養う。⑧交歓や集団生活で社 会的な教訓を身につける。⑨各地域の少年と生活を共にし、親交を深める。」38) Ⅲ―2 「横浜健民少年団」における活動の実際 「横浜健民少年団」の活動内容としては、環境が異なる地域の青少年と交歓を行う交歓活 動、自然に親しむことを目的とした自然活動、地域の単位組織において日常生活に即応して 行われる地域活動が実施された39)。特に交歓活動と自然活動は、「横浜健民少年団」の特徴 的な活動であった。 交歓活動は、「横浜健民少年団」が1953年3月に神奈川県相模原町を訪問したことで開始さ れ、同年7月には1300名の団員が京都市を訪問、8月には相模原町から500名、柏崎市から40 名、京都市から1300名の団員が横浜市に来訪している40)。その後も各都市との交歓活動は実 施され、健民少年団の活動を全国展開する一因にもなった。 1953年7月に京都市を訪問した際の活動内容については、参加団員用のパンフレットであ る『横浜健民少年團遍歷交歓活動(京都)のために』に記載されている。同書によると、京都 市との交歓活動は1953年7月22日から7月25日にわたって、約1300名の参加者のもと実施さ れ、京都市までの移動は列車を利用し、横浜市から京都市までの道中に東海道沿線の豊橋 市、名古屋市、岐阜市、米原の各都市において交歓活動を実施している。主な行程として は、7月22日の7時25分に横浜駅を出発し、同日17時すぎに京都駅に到着した。その後、18時 30分から京都市街を行進して市役所前にて交歓会が実施された。7月23日は終日京都市内を 見学し、7月24日は午前中に祇園祭を見学して午後から各学校との交歓活動を実施した後、 18時に京都駅に集合し列車にて横浜へ移動し、翌日、横浜駅に到着している41) 自然活動は、自然に親しむことを目的とした活動であり、一泊または日帰りの短期間もし くは、休暇を利用した長期間で実施された。具体的な内容としては、山間生活を中心とする 訓練(キャンプ、行軍、生活訓練、体育的訓練)や、海浜でのキャンプ生活などが、毎月、実 施された。

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― 280 ― 『横濱健民42号』には、1953年11月7日、8日に開催されたキャンプ訓練会についての記載 がなされている。この訓練は神奈川区三ツ沢の豊顯寺一帯を会場として、1,118名参加のも と実施され、初日はキャンプファイヤーや行軍を実施し、2日目は班別活動、団体訓練、グ ライダー訓練等が実施された。さらに訓練会の実施目的が、「健民少年団活動の目的である 自然的、原始的生活を行い、楽しい体験を得ると共に生活の方法や技術を学び、集団生活や 活動の自主的運営を経験する。又健民少年団活動を一層活潑に行うために、団活動の中心に なる班長により、模範的な施設と適切なプログラム運営によるキャンプを行い、班長の資質 の向上を図る。」と記されている42)。この他にも、『横濱健民45号』には、1954年2月21日に 開催された健民少年冬期自然活動についての記載がなされている。この冬期自然活動は、都 市において経験することが難しい雪や氷の中での活動を通し、新たな技術や知識の習得と集 団行動を訓練することを目的として、団員544名、指導者48名、本部17名の参加者のもと、 山梨県籠坂峠を会場に実施されている43) Ⅲ―3 「横浜健民少年団」の運営形態 「横浜健民少年団」の活動は、横浜市教育委員会健康教育課を本部として展開され、設立 の条件として、横浜市在住の11歳~15歳までの少年少女5名以上を掲げ、市内各所に健民少 年団が設立された。設立された健民少年団では、班、隊、管、団という組織編成がなされ、 班は日常の活動を行う組織であり5名~10名で構成され、隊は指導者により統率された組織 であり50名~100名で構成され、管は横浜市内の各区を単位として構成され、団は横浜市全 域より構成された。 7 『横濱健民 42 号』には、1953 年 11 月 7 日、8 日に開催されたキャンプ訓練会について の記載がなされている。この訓練は神奈川区三ツ沢の豊顯寺一帯を会場として、1,118 名参 加のもと実施され、初日はキャンプファイヤーや行軍を実施し、2 日目は班別活動、団体訓 練、グライダー訓練等が実施された。さらに訓練会の実施目的が、「健民少年団活動の目的 である自然的、原始的生活を行い、楽しい体験を得ると共に生活の方法や技術を学び、集 団生活や活動の自主的運営を経験する。又健民少年団活動を一層活潑に行うために、団活 動の中心になる班長により、模範的な施設と適切なプログラム運営によるキャンプを行い、 班長の資質の向上を図る。」と記されている42)。この他にも、『横濱健民 45 号』には、1954 年 2 月 21 日に開催された健民少年冬期自然活動についての記載がなされている。この冬期 自然活動は、都市において経験することが難しい雪や氷の中での活動を通し、新たな技術 や知識の習得と集団行動を訓練することを目的として、団員 544 名、指導者 48 名、本部 17 名の参加者のもと、山梨県籠坂峠を会場に実施されている43) Ⅲ―3 「横浜健民少年団」の運営形態 「横浜健民少年団」の活動は、横浜市教育委員会健康教育課を本部として展開され、設 立の条件として、横浜市在住の 11 歳~15 歳までの少年少女 5 名以上を掲げ、市内各所に健 民少年団が設立された。設立された健民少年団では、班、隊、管、団という組織編成がな され、班は日常の活動を行う組織であり 5 名~10 名で構成され、隊は指導者により統率さ れた組織であり 50 名~100 名で構成され、管は横浜市内の各区を単位として構成され、団 は横浜市全域より構成された。 ※各班が市内各所に設立された健民少年団であり、班・隊・管を統括する団が横浜健民少年団である 図 1 横浜健民少年団組織図 (横浜市教育委員会健康教育課(1953)『健民少年の手引』より作成) 「横浜健民少年団」では設立時より、指導者制度が構築されており、3 年間の訓練期間内 に毎年 12 回の自然活動と 6 回の交歓活動への参加及び地域活動の実績により、初級、中級、 上級と進級し、訓練期間が終了すると健民少年団の幹部として、指導することが可能であ った44) 1954 年 2 月 27 日、28 日には、健民少年団活動に携わる指導者の育成と指導力向上を目 的として、40 名の受講者のもと健民少年指導者講習会が開催された。講師に教育評論家や 大学教員等を招き、戸外遊戯、演劇、音楽、キャンプ生活の指導等についての講義や実技 団 管 管 隊 隊 隊 隊 隊 隊 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 班 「横浜健民少年団」では設立時より、指導者制度が構築されており、3年間の訓練期間内に 毎年12回の自然活動と6回の交歓活動への参加及び地域活動の実績により、初級、中級、上

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級と進級し、訓練期間が終了すると健民少年団の幹部として、指導することが可能であった44) 1954年2月27日、28日には、健民少年団活動に携わる指導者の育成と指導力向上を目的と して、40名の受講者のもと健民少年指導者講習会が開催された。講師に教育評論家や大学教 員等を招き、戸外遊戯、演劇、音楽、キャンプ生活の指導等についての講義や実技指導が実 施された45) 「横浜健民少年団」は、少人数の団員で組織化することが可能な上に、しっかりとした組 織編成がなされ、指導者を育成するシステムも構築されていたこともあり、1953年12月まで に横浜市内72地区において設立され、団員数が約4,000名となるまでに拡大した46)。また、「横 浜健民少年団」は健民少年団活動の全国展開を目指していたこともあり、各都市との交歓活 動を通じた健民少年団活動の普及、さらには当時の横浜市長であった平沼亮三が、全国都市 体育研究協議会や全国市長会において、「横浜健民少年団」の成果を発表して各都市におけ る健民少年団の設立を求めるなど、健民少年団活動の全国展開を積極的に行った47)48) 以上のように、「横浜健民少年団」は横浜市が設立した「健民会」における青少年活動を 実施する組織として設立された。その活動理念や活動内容から、「横浜健民少年団」の特徴 として、都市で生活する子供たちを自然の中での活動のように都市では体験できない経験を 通じて育成することや、他都市との交歓活動を通じて健民少年団の活動を各都市に普及させ たこと、さらには、設立当初より組織編成や指導者制度の体制が構築されていたことや市長 をはじめ行政が活動の推進に積極的に携わったことが挙げられる。

Ⅳ 「横浜健民少年団」から「日本健民少年団」への展開

Ⅳ―1 「日本健民少年団」の設立と活動実態 1953年に設立された「横浜健民少年団」の活動は、各都市との交歓活動や、平沼横浜市長 の尽力により、全国の各都市へと発信され、各地に健民少年団が設立された。その結果、全 国規模の健民少年団組織の設立を求める機運が高まり、1954年3月27日から29日にかけて、 横浜市において第一回全国都市健民少年交歓大会が開催され「日本健民少年団」が設立され た49)50) 第一回全国都市健民少年交歓大会は、全国都市体育研究協議会主催のもと、青少年の健全 な育成を目的として、全国25都市より推薦された団員445名、指導者71名及び横浜市健民少 年団の団員1,500名が参加して開催された。この大会では、各都市の健民少年団員たちの交 歓会や自然訓練会、指導者会議等が実施された。さらに大会期間中に、各都市の指導者参加 のもと全國都市体育研究協議会常任員会が実施され、議題の一つに、「全国健民少年運動の 展開について」が取り上げられ、健民少年運動の全国展開についての検討がなされた51) 「日本健民少年団」は、「横浜健民少年団」を基に設立された為に、活動理念や運営形態に 関して「横浜健民少年団」から大きな影響を受けている。「日本健民少年団」の活動理念は

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― 282 ― 次のように記されている。「①身体的に最適な発育状態すなわち調和的な発達をはかる。各 種の機能を高める。②精神的に誠実の心を育てる。自由の精神を育てる。創造力を育てる。 ③社会的に、社会性を育てる。組織能力を育てる。寛容の徳を育てる。」52) また、「日本健民少年団」は、小学校5年生から中学3年生を団員の対象とし、具体的な事 業内容として次の①から⑤が実施された。「①団体行動の個人動作・集団動作。②基本技術 として保健衛生・読図計測・工作通信・結縄・野外炊事・野営・観察研究・リング・ゲーム 社交。③体育活動はスポーツ精神の涵養と実技訓練。野外活動はハイキング・キャンプ・サ イクリング・山登り・スキーなど。④交歓活動は他都市を訪問し原則として民家に宿泊、そ の土地の歴史的なものに接し、人情にあふれ、産業を見せてもらう。⑤社会的活動として地 域社会と直結した奉仕活動。」53) さらに、活動における指導は、「日本健民少年団」の活動に協力する成人、父兄あるいは 地域自治体の推薦により教育委員会から委嘱された人が担い、活動に関わる経費は各団によ って賄われた54) Ⅳ―2 「日本健民少年団」の設立が健民少年団運動に与えた影響 1954年に「日本健民少年団」が設立されたことで、我が国における健民少年団運動は推進 され、1963年までに33都市において健民少年団が設立され、団員数が20,702名にまで拡大し た55)。健民少年団運動が各都市に普及するのに伴い、全国都市健民少年交歓大会も各都市で 開催されるようになり、1960年には神戸市、1961年には豊橋市で開催された。1962年には 「横浜健民少年団」の設立10周年を記念して、箱根町の小涌園にて第7回全国都市健民少年交 歓大会が開催された56) さらに「日本健民少年団」の代表者が1954年8月7日から9月3日にかけて、国際的な交歓活 動の実施と、日本が抱えていた青少年問題の解決策を得ることを目的として西ドイツへ派遣 された。参加者は、当時の八幡市長であった守田隆道を団長とした12名であり、参加者の中 には、全国各地の健民少年団員8名も含まれていた。当時の西ドイツは1950年にドイツスポ ーツ少年団が設立されるなど、日本より敗戦からの復興が進展していた57) 参加者の一人が記した日記によると、この派遣事業では、ドイツスポーツ少年団の団員や スポーツ関係者との交歓活動、スポーツ施設(地域スポーツクラブや学校スポーツ施設)の視 察、現地で開催されていたスポーツ大会の観戦等が行われている。また、西ドイツへの派遣 を通し、スポーツクラブの運営方法注4)など西ドイツにおけるスポーツ政策について見聞し た様子が記されている58) 以上のように、「横浜健民少年団」が各都市との交歓活動を実施したことで、健民少年運 動が全国各都市へと普及し、全国都市健民少年交歓大会の開催をきっかけとして全国規模の 組織である「日本健民少団」が設立された。「日本健民少年団」が設立されたことで、健民

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少年運動の活動規模はさらに拡大し全国の各都市に健民少年団が誕生した。また、「日本健 民少年団」が設立されたことで、健民少年団員や関係者の西ドイツ派遣が実現したことで、 西ドイツにおける地域スポーツ政策を学ぶ機会を得たと考えられる。

おわりに

本研究では、日本において初めて設立された健民少年団である「横浜健民少年団」に着目 して、設立経緯や活動内容等を明らかにした上で、「横浜健民少年団」から「日本健民少年 団」への発展に関する歴史的展開を論究してきた。研究結果として以下の3点が明らかにな った。 1.‌‌1950年に横浜市の体育施策の一環として実施された「子供の遊び場運動」がきっかけと なり、その後の同市における「健民運動」の展開、「健民会の設立」という経緯を経て、 1953年3月に「横浜健民少年団」が設立された。 2.‌‌「横浜健民少年団」における活動の特色は、都市で生活する子供たちに自然活動のように 都市では体験できない活動を経験させたことや、各都市との交歓活動を通じて健民少年 団の活動を普及させたことであった。さらに、当団は設立時より組織編成や指導者制度 が構築されており、活動の推進に行政が積極的に携わった。 3.‌‌「横浜健民少年団」は各都市との交歓活動を通じ健民少年運動を普及させ、1954年3月に 「日本健民少年団」が設立された。「日本健民少年団」の設立により、健民少年運動の規 模が拡大し各都市に健民少年団が誕生した。また、1954年8月には「日本健民少年団」の 代表者が西ドイツへ派遣され、西ドイツにおける地域スポーツ政策を学ぶ機会を得た。 本研究での結果を踏まえた上で、転換期に差し掛かっているスポーツ少年団活動の今後の 方向性について検討したい。「子供の遊び場運動」が「横浜健民少年団」活動の起源であっ たことより、「横浜健民少年団」活動は、横浜市民が抱える課題に応える事業であった故に、 普及し発展できたと考えられる。現在、スポーツ少年団の活動は規模が縮小しているだけに、 「横浜健民少年団」のように、社会的課題に応える事業を実施することができれば、再度、 活動も拡大するのではないか。また、「横浜健民少年団」の活動は、自然活動や交歓活動と いった独自の事業を実施したことで活動を発展させてきただけに、スポーツ少年団活動にお いても、既存の事業を見直し特色ある独自の事業を実施することが必要であると考える。 今後の研究課題としては、今回の研究で明らかになったスポーツ少年団活動の原点でもあ る「横浜健民少年団」の活動に関する歴史的展開を踏まえた上で、スポーツ少年団が設立さ れるまでの歴史的変遷に着目し、スポーツ少年団の設立に健民少年団の活動が与えた影響を 明らかにする必要がある。さらに、現在のスポーツ少年団が抱える課題を解決する方策を提 示し、スポーツ少年団が進むべき方向性を検討していきたい。

(13)

― 284 ―

<注>

注1)‌日本スポーツ少年団の活動が果たしてきた役割として、子どもたちへのスポーツ環境の 提供、地域におけるスポーツコミュニティ(団員、指導者、保護者など)の形成、地域ス ポーツ指導者の人材育成システムの構築などを挙げることができる。 注2)‌「育成計画」とは、日本スポーツ少年団本部がスポーツ少年団活動を育成する為に、全 国の各スポーツ少年団に発信してきた活動目標のことである。1964年に第1次育成計画 を開始して以来、第9次育成計画(2012~2016年)まで実施されている。第9次育成計画で は、活動の充実、指導者、リーダーの養成および指導体制の整備強化、組織の整備強化 を施策として掲げている。 注3)‌「スポーツ振興基本計画」とは、2011年にスポーツ振興法が全面改定されスポーツ基本 法が施行されたことに伴い2012年に策定された計画である。具体的に取り組むべき7つ の課題として、①子どものスポーツ機会の充実、②ライフステージに応じたスポーツ活 動の推進、③住民が主体的に参画する地域のスポーツ環境の整備、④国際競技力の向上 に向けた人材の養成やスポーツ環境の整備、⑤オリンピック・パラリンピック等の国際 競技大会の招致・開催等を通じた国際貢献・交流の推進、⑥スポーツ界の透明性、公平・ 公正性の向上、⑦スポーツ界の好循環の創出が記されている。 注4)‌当時の西ドイツにおけるスポーツクラブは、体育協会や各種目の競技団体と提携して事 業に取組み、スポーツクラブで活動する各種目の試合による収入やスポーツくじの活用 などにより、運営されていた。

<引用・参考文献>

1)‌ 日本スポーツ少年団(2009)『スポーツ少年団の将来像』pp2 2)‌ 公益財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団(2015)『ガイドブック「スポーツ少年 団とは」』pp42 3)‌ 日本スポーツ少年団(2009)『スポーツ少年団の将来像』pp2-3 4)‌ 日本スポーツ少年団(2009)『スポーツ少年団の将来像』pp2-6 5)‌ 文部科学省(2012)『スポーツ基本計画』 6)‌ 日本スポーツ少年団(2009)『スポーツ少年団の将来像』 7)‌ 財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団(1993)『日本スポーツ少年団30年史』 pp61-63 8)‌ 葛西忠、松坂弘康(1969)「スポーツ少年団の実態に関する一考察」『学園論集』pp51-81 9)‌ 内山治樹(1989)「ミニバスケットボール・スポーツ少年団員の活動実態に関する調査 研究―浦和市の事例から―」『埼玉大学紀要教育学部(教育科学)』38(2)‌pp93-106

(14)

10)‌ 森田宏(1999)「スポーツ少年団活動の現状と課題(Ⅰ)―旭川市東光スポーツ少年団の 諸活動を事例として―」『北海道教育大学生涯学習教育研究センター紀要』第2号‌pp49-57 11)‌ 公益財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団(2014)『全国市区町村スポーツ少年団 実態調査報告書』 12)‌ 石榑清司、八木純子(1996)「大津市スポーツ少年団員におけるケガの発生要因につい ての疫学的研究」『滋賀大学教育学部紀要(人文科学・社会科学)』第46巻pp39-48 13)‌ 佐々木茂喜、佐川正人、古川昇(1997)「スポーツ少年団員の運動能力の検討」『北海道 教育大学紀要(第二部C)』第48巻第1号pp79-92 14)‌ 久世早苗、渡邊義行(1999)「スポーツ少年団での活動が児童の体格・体力に及ぼす影 響―小学校6年間の縦断的観察結果から―」『岐阜大学教育学部研究報告(自然科学)』第 23巻第2号pp31-38 15)‌ 伊藤静夫、森丘保典、青野博、安住文子(2008)「スポーツ少年団活動における運動量」‌ 『体育の科学』第58巻9号pp626-631 16)‌ 金崎良三(1973)「スポーツ少年団指導者に関する社会学的研究」『九州大学体育学研 究』第5巻第1号pp1-8 17)‌ 藤原誠・堺賢治(1989)「スポ-ツ少年団の指導者に関する研究」『愛媛大学教養部紀要』 第22巻2号pp67-76 18)‌ 上杉正幸(1991)「スポーツ少年団に関する保護者の意識分析―保護者のスポ-ツ推薦入 学願望の分析について―」『香川大学教育学部研究報告』第1部pp191-202 19)‌ 水上博司、高橋義雄、山口晶永、山下則之(2000)「スポーツスクールに子どもを通わ せる保護者の期待に関する研究―名古屋グランパスエイトと明和町スポーツ少年団の比 較―」『スポーツ産業学研究』第10巻1号pp59-73 20)‌ 水上博司(2005)「スポーツ少年団と中学校運動部活動の関係」『体育の科学』第55巻1 号pp15-19 21)‌藤田雅文、前川勝秀(2009)「総合型地域スポーツクラブとスポーツ少年団の連携に関す る研究」『鳴門教育大学研究紀要』第24巻pp184-190 22)‌ 桑野裕文(2012)「総合型地域スポーツクラブとスポーツ少年団の現状と未来」『九州情 報大学研究論集』第14巻pp15-24 23)‌ 安倍大輔(2007)「スポーツ少年団の結成過程とその理念の形成」『埼玉スポーツ科学』 第2巻pp26-38 24)‌財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団本部(1964)『日本スポーツ少年団実態調査研 究』pp21 25)‌ 横浜市教育委員会事務局体育課(1989)『横浜スポーツ百年の歩み』pp236

(15)

― 286 ― 26)27)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『健民少年教育理論の基礎的研究』pp10 28)‌ 横浜市役所健民課(1951)『横濱健民‌第26号』pp8 29)30)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『健民少年教育理論の基礎的研究』pp11 31)32)33) 横浜市役所健民課(1951)『横濱健民‌第25号』pp1-2 34)‌ 横浜市役所健民課(1952)『横濱健民‌第29号』pp1 35)‌ 横浜市役所健民課(1952)『横濱健民‌第29号』pp1-2 36)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『健民少年教育理論の基礎的研究』pp12-13 37)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1953)『健民少年の手引』pp1 38)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1953)『健民少年の手引』pp1-2 39)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1953)『健民少年の手引』pp2-7 40)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『健民少年教育理論の基礎的研究』pp13 41)‌ 横浜健民少年團本部(1953)『横浜健民少年團遍歷交歓活動(京都)のために』 42)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1952)『横濱健民‌第42号』pp3-4 43)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1952)『横濱健民第45号』pp1-2 44)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1953)『健民少年の手引』pp10-11 45)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1952)『横濱健民第45号』pp2 46)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『健民少年教育理論の基礎的研究』pp13 47)‌ 全国都市体育研究協議会(1956)『立ち上がるドイツ青少年』pp3 48)‌ 岡邦行(2013)『大島鎌吉の東京オリンピック』pp122-123 49)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『横濱健民‌第46号』pp3 50)‌ 安倍大輔(2007)「スポーツ少年団の結成過程とその理念の形成」『埼玉スポーツ科学』 第2巻pp29 51)‌ 横浜市教育委員会健康教育課(1954)『横濱健民第46号』pp3-4 52)‌53)‌54) 財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団本部(1964)『日本スポーツ少年団実 態調査研究』pp15-16 55)‌ 財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団本部(1964)『日本スポーツ少年団実態調査 研究』pp15 56)‌ 横浜市健民少年団(1980)『横浜市健民少年団創立30周年記念誌』pp33-34 57)‌ 全国都市体育研究協議会(1956)『立ち上がるドイツ青少年』pp3,pp314 58)‌ 全国都市体育研究協議会(1956)『立ち上がるドイツ青少年』pp164-168

(16)

Key word:‌the‌Junior‌Sports‌Club,‌Yokohama‌Kenmin‌Shonen‌Dan,‌Children’ s‌Playground

Summary

This‌study‌focuses‌on‌the‌Yokohama‌Kenmin‌Shonen‌Dan;‌the‌first‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌ established‌in‌Japan,‌clarifies‌the‌circumstances‌that‌led‌to‌its‌establishment,‌the‌principles‌ behind‌its‌activities,‌and‌the‌modes‌of‌operation‌with‌the‌purpose‌of‌presenting‌an‌exhaustive‌ discussion‌of‌the‌subsequent‌historical‌development‌of‌the‌organization. Results‌of‌the‌present‌study‌revealed‌the‌following‌three‌points. 1.‌‌With‌the‌“Movement‌to‌Promote‌Playing‌Grounds‌for‌Children”‌implemented‌as‌part‌of‌ the‌physical‌education‌measures‌in‌Yokohama‌in‌1950‌acting‌as‌the‌motivating‌factor,‌ the‌subsequent‌development‌of‌Kenmin‌Undo‌in‌Yokohama,‌and‌the‌formation‌of‌the‌ Kenmin‌Kai‌led‌to‌the‌establishment‌of‌the‌Yokohama‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌in‌March‌ 1953.

2.‌‌Unique‌ characteristics‌ of‌ the‌ Yokohama‌ Kenmin‌ Shonen‌ Dan‌ included,‌ providing‌ children‌ living‌ in‌ cities‌ with‌ opportunities‌ to‌ experience‌ activities‌ such‌ as‌ nature‌ activities,‌something‌which‌they‌do‌not‌have‌the‌chance‌to‌experience‌in‌cities,‌and‌also‌ promoting‌activities‌of‌the‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌through‌exchange‌activities‌with‌other‌ cities.‌In‌addition,‌since‌its‌foundation‌an‌organizational‌structure‌and‌leadership‌system‌ was‌built‌by‌the‌association‌and‌the‌government‌also‌came‌to‌be‌actively‌involved‌in‌ promoting‌the‌activities.

3.‌‌The‌ Yokohama‌ Kenmin‌ Shonen‌ Dan‌ promoted‌ the‌ Kenmin‌ Shonen‌ Undo‌ through‌ exchange‌activities‌with‌each‌city‌and‌in‌March‌1954‌the‌Nihon‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌ was‌established.‌With‌the‌establishment‌of‌the‌Nihon‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌the‌Kenmin‌ Shonen‌Undo‌expanded‌leading‌to‌the‌establishment‌of‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌in‌every‌

A Historical Study of Yokohama Kenmin Shonen Dan

(1950~1962): Focusing on the Precursor of

Junior Sports Clubs

(17)

― 288 ―

city.‌Furthermore,‌in‌August‌1954,‌representatives‌of‌Nihon‌Kenmin‌Shonen‌Dan‌were‌ dispatched‌ to‌ West‌ Germany‌ where‌ they‌ got‌ the‌ opportunity‌ to‌ study‌ local‌ sports‌ policies.

参照

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