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「権威主義体制」と政党政治 : -比較論的一考察- 利用統計を見る

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(1)

「権威主義体制」と政党政治 :

-比較論的一考察-著者名(日)

木暮 正義

雑誌名

東洋法学

39

2

ページ

85-150

発行年

1996-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000507/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

(2)

﹁権威主義体制﹂と政党政治

     −比較論的一考察

東洋法学

伍)四(三)口←う 目  次 問題提起 ﹁権威主義体制﹂と政党 一党制政治と﹁民主的移行﹂ 一党制政治と﹁民主的移行﹂ 結びと展望

O 問題提起

(2)(1) 発展途上国の政治分析は、現在、﹁経験的民主政治理論﹂︵①目且ユ8一8日oR讐8浮8曙︶ のジャンルに新しい理論的地平を開拓しつつあるといえよう。 として比較政治学

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「綴主義体鋤と政覚政治       ︵−︶  一九六〇年代の初期から軍事クーデターのラッシュ︵跨Φ轟筈9Bま鼠蔓8后︶を経験して以来、長期にわ たって発展途上国を支配してきた﹁権威主義体制﹂︵雲90葺巽一碧お讐日①︶から﹁民主主義体制﹂あるいは ﹁ニュi・デモクラシー﹂への移行と基盤強化︵8窃亀3江9︶の比較論的分析がこれである。  かつて、ラテン・アメリカのユニークな有機体的伝統に注目して、﹁秩序と絶対主義が維持されなければ、ラ        ︵2V テン・アメリカではアナーキーか野蛮で非文明的支配が出現する恐れがある﹂と述べたホワード・﹂・ウィアル ダ︵頃○≦弩αい≦一費呈︶も、近著﹃比較政治学序説﹄︵冒R&琴江9800ヨ冨冨江奉勺○痒一8︶の中で﹁民主化 の波﹂ー南ヨーロッパや東アジアと並んでラテン・アメリカの﹁民主的移行﹂︵8BOR讐8qきω獣9︶の現実を        ︵3︶ 指摘してー﹁民主主義は勝利した。これに代る存続可能な政治的選択肢は存在しない﹂とさえ述べているほどであ る。そして、ラテン・アメリカ政治を宿命的にまで緊縛してきた民主主義とシーザー主義の悪循環からの解放を確認        ︵4︶ し、民主的進歩のための大戦略の必要性を主張している。さらに、ノートルダム大学のJ・S・バレンツェラ︵い ω。く巴の目器芭は、﹁権威主義体制﹂から﹁民主主義体制﹂への移行後の環境における民主的基盤強化の問題にも 注目して、﹁一九七〇年代から一九八O年代を通じて、次々にニュi・デモクラシーが権威主義支配にとって代 り新しい体制が幼児期を脱するにつれて、社会科学者の関心は権威主義支配からの移行分析から民主的基盤強化 の分析に移った。⋮⋮現在の関心は、移行後の政治制度の民主化の程度とその長期的展望、たとえばこの制度は 権威主義支配の新しい局面に屈服するのかあるいは安定し強化されるのかの問題に集中している﹂とその視座の    ︵5︶ 新しい展開について強調しているほどである。

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東洋法学

 こうして、比較政治学の新しい理論的フロンティアーを開拓しつつある﹁経験的民主政治理論﹂は、﹁もう一 つの市民革命﹂として西欧型近代化をモデルとした﹁政治発展論﹂を源流としながら、﹁行動科学革命﹂以後の 新しい理論的特徴を示している。  その理論的特徴は、第一に、﹁経験的民主政治理論﹂は、﹁政治発展論﹂の進化論的パラダイムあるいは﹁伝 統﹂と﹁近代﹂の二分法︵跨①霞&庄9−目&R巳昌ε冨ユ蔓︶に対して、発展途上国の土着の諸制度に注目して これを近代化の逆機能として認識するのでなく、逆に近代化のフィルターや識別装置︵≦陣毒o≦Φお︶と認識する        ︵6︶ 非西欧中心主義発展理論︵9器跨ぎ8旨ユo些8曙亀8<巴8ヨ①耳︶なのである。この﹁経験的民主政治理論﹂ が追求するのは、ホーム・メイドの民主主義の経験的可能性なのである。第二に、﹁経験的民主政治理論﹂は、 かつてシモア・M・リップセット︵ω塁ヨoお罫=冨9の﹁民主主義の社会的要件﹂︵ω○ヨΦω09巴勾8岳簿8 9U①ヨ8轟昌︶やK・ドイッチュ ︵囚UΦ9ω魯︶の﹁社会的動員と政治発展﹂︵ω09巴竃oげ旨困賦窪きα 男○一往8一U①<Φ一8筥o暮︶が、専ら社会経済システムの従属変数として民主主義の数量分析を行うのに対して、

政治体制を含め政治制度の民主化への効果分析を重視している。なぜなら、新制度主義︵9①器≦

営豊ε鉱9巴一ωB︶の観点からは、﹁政治的民主主義は、社会経済条件のみならず政治制度のデザインにも依存す ︵7︶ る﹂からである。そして、第三に、﹁経験的民主政治理論﹂は、﹁権威主義体制﹂から﹁民主主義体制﹂にいたる 過程論的分析を導入する。リップセットとドイッチュの﹁政治発展論﹂は、﹁民主的移行﹂や基盤強化の政治過 程を分析視界の外におくことによって、政治過程の重要なアクタif軍部・政党、利益集団や選挙民、そして、

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「緻主義体勧と政党政治 政治指導者が遂行する政治的役割の機能分析を等閑視する理論的欠陥を共有していた。  以上の比較政治学の理論的現況を前提に、本稿では、現在でもなお理論的検討が閑却されている発展途上国の 政党政治、とくに一党制政治を対象に﹁民主的移行﹂における構造機能分析を検討課題に設定する。  従来まで、発展途上国の政党政治は、一党制あるいはヘゲモニー政党制が中心であり、独裁的な﹁権威主義体 制﹂の疑似正当性の外被であり未熟な議会政治の悪しき遺産として、前近代的なパトロン“クライアント関係や ペルソナリスモの支配する組織的前近代性と非民主性のため、制度化された議会政治と競合政党制を柱とする ﹁民主主義体制﹂の政党政治の研究から疑置されざるをえなかった。しかし、全体主義的一党制政治が破局的分 裂を示して﹁民主主義体制﹂への移行や基盤強化に失敗し低迷している旧ソ連や東欧諸国と比較すると、民主化 の﹁第三の波﹂︵90跨一巳類麩①︶のうねりの中で﹁権威主義体制﹂の一党制あるいはヘゲモニー政党制のもと で戦略的相互作用として展開される﹁民主的移行﹂の政治過程は、﹁自由の隙間﹂を拡大しながら一党優位政党        ︵8︶ 制を中軸に競合政党制にいたる﹁前方への逃走﹂︵甘箒窪蝉轟導︶に成功してA・プルジウォルスキー︵︸       ︵9︶ 甲器奢oお匹︶の自己維持的民主主義︵ωo願雲馨巴巳轟8目oR8侵︶にいたる可能性も否定しえない。  本稿では、﹁権威主義体制﹂の一党制政治の構造的特徴に注目しながらトルコの﹁共和人民党﹂、メキシコの ﹁制度的革命党﹂および台湾の﹁国民党﹂の政治機能を﹁民主的移行﹂の政治過程において検討して、理論的精 錬をへつつある﹁経験的民主政治理論﹂へのささやかな比較論的貢献を意図したものである。

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庚洋滋学

   注

︵1︶ =9い薫一鋤鼠辞↓詳b鳴ミoミ亀妹魯肉ミoミ織o§きト匙職§>ミ恥蕊ミ、唄蹄ミ建ヤ、ミ賊織含貸ミ9¢、ミ焼曼”=o一ヨΦω帥  蜜Φ一①おZ①名肖o詩四且8且OP一8。も.圏 ︵2︶匡、いゑ寓量..O。8一琶8“↓o≦山こ鋤竃o血Φ一〇胤ω8芭O富躍Φき血勺o一置8一UΦ<Φ一8ヨo暮..﹂昌甲い  巧巽留。&‘ぎ騨駐“ミ∼象織匙Oぎ鑓鳴きト蕊き﹄ミミミw≦Φωけω<一Φ名即Φωω﹂零藤.一8Nも、G 。一刈。 ︵3︶=.いぎ巽αP㌧戴博ミ§§§&9§ミ§ミき§8る§q襲“ミ等。§酔≦毬塁。﹃けげ汐げ一諄一凝O。こ  O巴罵O﹃巳辞一〇〇ω︸PO o“・ ︵4︶缶﹂。≦寅量↓薄b§8ミ欝肉ミミ§§ミ壽§﹄ミ豊ミ、零魯§態§qの﹄ミq。¢評N§も●葵一るω。

 まド

︵5︶いω’く巴窪Nロ①圷.、U。ヨoR毘。Oo拐o臣畳o巳昌℃oωけ−曽きω往9巴ωΦ鼠p鵬”Z蝕oP零・8ωωも&評亀ぎけ−  ぎ磯OO昌&識o昌.、営①α‘げ矯ψ冨9 0冒毛費ぎ鵬Φけ巴一N鴇ミ。りきb鳴ミミミ織らO◎虜ミ幾o職o§%目書≧鳴ミ留ミ淘毎§鳴蔦ミミ  b恥ミミミ98きOo§ミ貸職ミ、ミ魯§職ミヤご巳<Rω陣蔓9Zo霞ΦU鋤目Φ℃冨ωρ日象卑昌黛一8ρマ竃● ︵6︶=﹂、名醇量︸..↓・≦蝉邑9 DZ99ぎ89鼠。↓冨oH図9UΦく①一8BΦ旨”≧けR<四牙ΦOo昌8冨8ω守o箏け訂  ↓霞鼠奢oユα..v営Φα‘薯=﹂・薯一胃量≧§bきq誉虜き9ミ暦ミ§ミ諄§塗お<一ω8①αこ名①ω鼠象牢。ωρ  レ8ど℃マ置刈∼匹o o9  ウィルアルダは、この政治発展理論の特徴について﹁われわれは、本質的に西欧社会科学の前提を総体的に再検討し なければならないし、また、発展現象に対するイスラム型社会科学やラテン・アメリカ型社会科学を受容し、しかも、 発展過程における特殊な側面と普遍的な発展パターンに合致する側面との間で新しい均衡を獲得する心構えでなければ ならない﹂︵一四八頁︶と述べている。 ︵7︶い①9巽魯即い型9ωΦP、.↓訂Z睾ごω蜂亀99 。=ωヨ”9窓巳N呂o轟一評9aω冒勺o目叶8巴ご8..”目書︾  ミ恥註ミミ、ミ帖融らミのq暗§題肉鳴竃鳴ミ<o一。刈o o︵p9ω︾ωΦ讐o]BびΦぴ一〇〇 〇“yPおo o。

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「綴主菱体勧と政堂政治  ︵8︶ρ○、Uo目Φ=曽且即○ω9巨箒さ↓ミ蓑§虜︾。ミ>ミ誉ミ§註§肉ミ軸§ミ§ミO§§§誤息◎ミ   q§幾討きb鳴§8ミら暗勲↓げΦ匂oげpω=o℃匹屋d良くRω一蔓℃﹃①ωρω巴鉱ヨoお曽昌αUo昌αoP一〇〇 。9P一〇 。、  ︵9︶︾汐N霧○お軍、.日富9ヨΦωo︷早讐ω症9.、﹂づω・鋸巴づ薯毘轟9巴一Φ俳富ミ。・きb§8ミ誉9誘匙§識§   P一。㎝。    口 ﹁権威主義体制﹂と政党  一九六四年にJ・リンス︵旨¢目︶がスペインを対象に、民主主義対全体主義の伝統的な二分法に対して ﹁権威主義体制﹂を理論化して以来、﹁権威主義体制﹂なる概念は、各種の理論的彫琢をへながら発展途上国を認 識する比較政治学の基本的な分析用具となった。  しかし、この概念は、政治学固有の概念としてより、専ら経済学的視座による生産力志向の分析用具として使 用される傾向も併存していた。しかも、奇妙なことに比較政治学の相対立する二つの理論領域1﹁政治発展論﹂ と﹁従属理論﹂︵8冨巳窪身跨8蔓︶でも生産力志向の共通の分析用具として使用される傾向さえ示している のである。たとえば、発展途上国における低開発の発展という事実に直面して近代化の挫折を経験して﹁政治秩 序アプローチ﹂︵B一置o巴oこ震8胃8魯︶を採択した﹁政治発展論﹂は、東西冷戦の激化を背景にナショナリ       ︵−︶ スティックで廉直なモダナイザーとしての﹁軍部﹂の役割拡大を積極的に承認した。一九六九年のアメリカ上院       ︵2︶ 外交委員会に提出された﹁ロックフェラー報告書﹂の軍事政権に対する修正主義的見解が示すように、発展途上 国における合理的軍隊の存在こそ、近代化の挫折の救済者あるいは制度建設者として経済発展に必要な存在とし

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東洋法学

て認識された。この時期における﹁政治秩序アプローチ﹂の理論的指導者としてルシアン・W・パイ︵■琴一き ≦9勺岩︶は、発展途上国における政治的多元主義や議会主義の導入が、政治的非効率、浪費および買収などに よる政治的不安定性を醸成し経済発展の阻害要因となる事実を指摘して、経済発展推進システムとして﹁権威主        ︵3V 義体制﹂の有効性を主張したのであった。  しかし、政治的安定性を前提とする生産力志向は、﹁政治発展論﹂のみならずネオ・マルクス主義的な﹁従属 理論﹂にも観取される。たとえば、﹁協調的従属発展﹂︵霧ω09讐88需且Φ旨α①<巴8日の筥︶を主張するフェ ルナンド・H・カルドソ︵男①露碧α甲9巳80︶も、第二次世界大戦後に世界資本主義体制に編入された発展          ︵4︶   C 途上国の﹁新しい従属﹂における経済発展の政治的保障を﹁権威主義体制﹂に求めて、政治参加を排除し市民社 会の安定を維持する立場から政治体制のコーポラティズム的再編︵一蝉議○おき凶鋸戯98∈○声房9号ω議臓目① oO浮β器︶の必然性を認識している。そして、国際市場の創出、経済成長の促進、国内市場の強化、大衆消費の 抑制および資本の蓄積と集中を経済発展の中心課題とする認識を示している。﹁新しい従属﹂における﹁権威主 義体制﹂の役割は、﹁従属国家︵一8B器α99鼠暮ω︶における産業資本主義的生産様式への移行を保障しうる のは、軍事的あるいは文民的権威主義体制である。この政治体制の存続には、その経済的社会的成功のみならず        ︵5︶ 反対勢力の行動様式や実力の程度にも依存しているのである﹂と述べている。  これと並んで、G・オドンネル︵ρQu9器εの﹁官僚的権威主義体制﹂︵び摸$目声膏窪爵o葺貰一㊤昌 お讐BΦ︶も、﹁従属理論﹂の文脈を前提に理論を展開している。オドンネルは、従属資本主義国家における輸入

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「蔽主妻体働と政党政治 代替工業化の深化段階︵9Φ号8一轟肩08誘︶で噴出する人民セクターの配分的社会政策や人権問題に関する       ︵6︶ 要求を支配連合の脅威として認識する。そして、人民セクターの政治的活性化に対して従属資本主義の発展を目        ︵7︶ 途に政治的抑圧の役割を遂行する軍ー民寡頭制連合ー﹁官僚的権威主義体制﹂の必然性を指摘した。  こうして、﹁政治発展論﹂と﹁従属理論﹂は、相対立するイデオロギi的理論的志向性を有しながら、専ら ﹁権威主義体制﹂の経済効果−出力分析を重視することにより、逆に入力分析をブラック・ボックス化する理       ︵氾︶ 論的弱点を露呈している。このことは、﹁権威主義体制﹂が下からの脅威に対する上からの再組織を目的に大統        ︵9︶ 領シーザー主義︵虞霞8旨巨08ω胃δ日︶の政治的抑圧システムとして入力過程の従属化を制度化した破行的 政治発展の理論的反映である。しかし、競争なき参加の﹁権威主義体制﹂であれ、入力装置としての政党は政治 アリーナに存在し機能している。﹁政治発展論﹂の出力主義バイアスのため、政党は政治過程のマージナルなア クターと既置されながら、軍”民寡頭制連合の正当性調達の支配装置として、また、人民セクターの潜在的ある いは明示的な抵抗の入力装置として機能している事実は否定しえないところである。そこでここでは、﹁権威主 義体制﹂において疑置され等閑視されてきた政党の構造と機能について比較論的検討を加えることによってその 現在的位相を追求してみよう。  周知のように、M・ウィーナー︵竃。≦oぎ段︶と﹂・ラパロンバラ︵いU巷巴自富轟︶、政治発展に与える政 党の衝撃効果について、ω 政治参加の促進、⑭ 政治権力や政府に対する正当性の付与、㈹ 国民統合、ω 社会的コンフリクトの処理、㈲ 政治的支持の開発と強化の政治的社会化︵冒一注8尻8巨冒讐一9︶を列挙して

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 ︵−o︶ いる。いうまでもなく、政党が遂行するこれらの政治機能は、﹁民主主義体制﹂では順機能的に作用する。すな わち、大統領制であれ議員内閣制であれ、﹁民主主義体制﹂では主権的な市民社会を基盤に複数政党の競合選挙 による国民代表の選出を基軸に、利益集団リベラリズム型あるいはネオ・コーポラティズム型の利益媒介構造を 制度化しつつ、参加型政治文化に饗導されながら多元的な政治的アクターの要求入力を政策出力にリンケージす るダイナミックな多元主義が支配的である。とくに、政治アリーナで選挙政党システムと、議会政党システムの 複合組織として作動する政党は、市場型組織として多様な要求入力に対応して政治的イッシューをめぐる紛争処 理機能を遂行するから、その効率的な作動は﹁民主主義体制﹂の持続と発展に必須の機能要件である。かつて、        ︵11︶ S・ノイマン︵ω。Z窪日9目︶は﹁政党は現代政治の生命線である﹂と述べたが、G・ライプホルツ︵Φ 一①凶浮o一N︶も指摘するように、合法化した政党国家︵α角冨旨位9ω蜜豊こそ人民投票的民主主義の合理的現象        ︵12︶ 型態に外ならないのである。  これに対して、﹁権威主義体制﹂では、政治的抑圧システムとしてのシーザー主義的大統領とこれに従属する 縮小議会が経済発展の環境整備を志向するから、競争なき参加による政党政治とテクノクラティックな政府主導 行政による非政治主義が支配する傾向を示す。しかし、﹁権威主義体制﹂の経済発展推進システムが有効に作動 し、経済発展が近代化セクターの限定的な境界をこえて伝統セクターに波及するにつれて、新しい社会的経済的 不平等が社会的に浸透するから、不安定化する移行社会の統合と紛争処理のため官製のデコンプレッション装置 −構造的抑圧の機能的開放装置として政党政治が制度化される。すなわち、市民社会の自立的な下位集団の選

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「綴主義体創ンと政堂政治 別的抑圧を含む競合性の低い政治アリーナを前提に、議会多数を形成し軍”民寡頭制に奉仕する政権政党と半野 党︵ω①ヨ一6薯8鑑自︶としての野党は、国家資源の占有と配分を通じて国家コーポラティズムや共同体的なパ トロンーータライアント関係を基軸に、市民社会の受動的支持を動員する入力装置として機能する。この意味にお        ︵13︶ いて、﹁権威主義体制﹂の入力過程は、限定的多元主義と限定的寛容性が支配的である。  より具体的に、シラキューズ大学のロナルド・H・マクドナルド︵菊9巴α甲竃oUo壼芭とJ・マーク・ル ール︵い霞巽屏勾9一︶のラテン・アメリカの政党に関する分析を前提にその構造と機能を概観してみよう。  マクドナルドとルールによれば、第一の特徴は、ラテン・アメリカの政党は、組織内の政策決定やリクルート に関してエリート主義が支配的である。一九三〇年の軍事クーデターで政権を掌握したドミニカのR・トルヒー ヨ︵罰↓Hε旨○︶大統領は、カリスマ的支配より政治制度i﹁ドミニカ党︵勺費江3UO昌巳8︶﹂による独裁 政治を選好してこのエリート主義の原型を構築したといわれる。政党組織における集権的エリート主義は、大衆 政党化したメキシコの﹁制度的革命党︵勺巽江3園①<○冨99巽一〇冒豊ε90轟一︶﹂や比例代表制による二党制政        ︵14︶ 治であるウルガイの﹁コロラド党︵OO一〇声aω︶﹂と﹁ブランコ党︵国き8ω︶﹂にもみられる共通の特徴である。 第二の特徴は、しばしば国民統合に優越しこれと共存する地域主義︵お讐o轟房日︶である。地域政党の存在は ラテン・アメリカのみならずアジアやその他の地域での政党政治の特徴であるが、チリの﹁キリスト教民主党 ︵評岳aU①BOR魯餌O冨賦碧o︶という国民政党も存在する。しかし、注目すべき点は、地域主義と中央集権 制の共存であろう。コロンビアの﹁保守党﹂と﹁自由党﹂は、前者が農業セクターを後者が商業セクターを代表

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菓洋法学

       ︵15︶ して交互に大統領を選出する共存の好例である。第三の特徴は、政党の過渡主義︵qきω庄9巴一ω日︶である。ラ テン・アメリカの社会変動に対応して生起する政党のリアラインメント現象である。マクドナルドとルールによ れば、エル・サルバドル、ホンジュラス、パナマおよびペルーを支配してきた伝統的なエリート政党からマルク       ︵16︶ ス主義的な大衆政党でさえリアラインメントを免れえない。第四の特徴は、政党構造を貫徹するペルソナリスモ ︵需お9巴一ω目○︶である。このペルソナリスモは、フランス第五共和制のド・ゴール大統領の事例のように、必 ずしもラテン・アメリカに固有の特徴ではない。しかし、アルゼンチンのペロン大統領と﹁ペロン党﹂、 ︵勺RO巳ω蜜ω︶グアテマラのマリオ・メンデス・モンテネグロ ︵家舘δ竃98ω困o旨9紹ぺo︶と﹁革命党﹂ ︵勺巽江3勾零oξ98畦一〇︶およびウルガイのホセ・バトル︵冒絃ω魯臣︶の﹁コロラド党﹂など、政治思想や 政治制度への忠誠より卓越した政治指導者への忠誠を政党組織化の原点とする傾向は、とくにラテン・アメリカ の政党政治に支配的な現象である。いうまでもなく、ラテン・アメリカのペルソナリスモは、伝統的なカウディ リョ支配に遡及するが、この政治文化が政党のパトロン”クライアント関係を基軸に政治指導者に投射されるか ら、イデオロギーや政策綱領による理念集団としての政党の組織化は強い動員力をもたない。それ故、ペルソナ リスモの支配する政党は、政治指導者の分身でありパトロンークライアント関係の変動ー政治指導者の死亡、       ︵17︶ 隠退あるいは失脚により組織的に解体する傾向が強い。第五の特徴は、ファクショナリズムである。ラテン・ア メリカの政党は、強力な政治指導者をめぐる派閥政治が支配的であり、アルゼンチンの﹁ペロン党﹂でさえ派閥 が存在していた。また社会主義政党の分裂もカストロ派や中国派などのファクショナリズムに起因する。ラテ

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「綴主妻体創ンど政党政治 ン・アメリカのファクショナリズムは、都市セクターの利益代表と農業セクターの利益代表が伝統的な寡頭制支 配の政党の中での競合から発生するが、ファクショナリズムにより分裂した政党は、便宜結婚により派閥連合を 形成しポーク・バレル政治に参入するが長続きしない。政府任命職を含むパトロネージュの配分や政府免許の獲       ︵18︶ 得をめぐって対立が発生するからである。派閥連合の利益は明白であるが政党の統合は常に困難に直面する。最 後に、第六の特徴は、政党組織の脆弱性である。カウディリョ支配の時代には、ウルガイの政党のようにパトロ ネージに執着する政党活動家のクラブ型地方組織が存在したが、現在のラテン・アメリカでは大部分の政党は有 権者人口の密集する首都や大都市中心に分布している。この政党が全能力を発揮するのは、議会政党システムと してより選挙政党システム  都市中心の選挙マシーンとしてであるがその活動は効率的ではない。政党が持続 的組織化に成功するのは、パトロネージュの占有を通じてクライアントに配分するスポイルズが保障される場合 であり、野党の場合でも既得権益としての政府任命職への配分チャンスによって組織維持の可能性を有する。政 党組織の脆弱性は、政治アリーナにおける政党機能の発展を抑制するから、その結果、強力な官製の政権政党が       ︵㎎︶ 包括的に政党機能を遂行する肢行的な政党政治が出現せざるをえないのてある。  こうして、ラテン・アメリカの政党に代表される発達途上国の政党は、エリート主義、地域主義、過渡主義、 ペルソナリスモ、ファクショナリズムおよび組織脆弱性の特徴を個性差をもって存在しながら、グレン・C・デ ィーリー︵Ω窪ρU窪毫のいう一元的民主主義︵冨o艮ω蔚8ヨ8鍔身︶の政治アリーナの中で多元主義       ︵20︶ ーアナーキーの連続線上に展開している。この場合、アーネスト・A・ダフ︵国箏oωけ︾U鼠︷︶の制度化政党

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︵ぎω洋旨δ轟誌こ唇一置8一も貰蔓︶の理論枠は、組織構造としての政党の全体性を理解する基準を提供している。 ダフの制度化基準は、ω 政党の長期的存続、㈲ 政党内部からの政治指導者のリクルート、⑥ 政党指導者の        ︵21V 人的構成の変化に関係なく政党組織の存続を意味する。ダフは、最も制度化の高い政党として一九二九年以来メ キシコ大統領を輩出してきた政権政党としての﹁制度的革命党﹂をあげ、他方の最も制度化の低い政党としてペ ルーのF・ベラウンデ・テリi︵男㊥色餌⋮号↓R昌︶が創設したペルソナリスモの強い﹁人民行動党﹂ ︵磨8δ⇒勺8包巽︶を指摘している。そして、この対極軸の中間にベネズエラのホワイト・カラi、労働者およ び農民階級に基盤をもつ﹁民主行動党﹂︵︾8一9UΦBoR8芭や都市ブルジョア階級とカソリック教会を基盤        ︵22︶ にもつ﹁キリスト教民主党﹂などを配置している。しかし、政党構造の二側面!議会政党システムと選挙政党 システムの個別的な機能的必要性によってその制度化の差異が存在する。この制度化政党における議会政党シス テムと選挙政党システムの組織化の程度の差異こそ、政治アリーナにおける軍ー民寡頭制と市民社会の抑圧と抵 抗の均衡関係による機能的必要性から生じているのである。たとえば、﹁権威主義体制﹂の主要な利益集約機能 は、専ら軍部や官僚集団などの制度型利益集団と並んで基幹生産セクターの結社型利益集団によって排他的に遂 行され人民セクターの利益表出機能と直接的に連動しないから、議会政党システムの構造と機能の分化と制度化 は低位に止まらざるをえない。  これに対して、権威主義的選挙における選挙政党システムとして機能する政党は、政治アリーナに政策パッケ ージを提供し政権政党を志向して政党競合を展開する﹁民主主義体制﹂の政党とは異なり、選挙マシーンとして

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「綴主妻体鋤と政党政治 政治的支持の累積的動員に機能が集中する。選挙政党システムとして政党が遂行する動員機能は、制度型利益集 団としての行政官僚集団の権威的動員活動を補完して遂行される。選挙は、軍“民寡頭制の正当性調達装置だか らである。しかし、発展途上国の選挙は、﹁民主主義体制﹂の選挙と異なる固有の意味を有する。東南アジア研 究のジェームス・c・スコット︵冒目80ω8εによれば、第一に、選挙はクライアントに政治的資源を提 供し。バトロンとの交渉的地位の改善をもたらし、第二に、選挙は村落社会から中央政府にいたるパトロンHクラ イアント関係の垂直的統合を促進し、第三に、選挙は新規のパトロンークライアント関係の創出とともに古いパ トロン“クライアント関係をも政治化し、第四に、選挙は地方社会におけるパトロン旺クライアント関係の存続          ︵23︶ に貢献するといわれる。選挙政党システムとしての政党は、市民社会をネット化するパトロン“クライアント関 係を基軸とする日常的非日常的な互酬関係のチャネルに自己展開するアド・ホクの投票連合として機能する。こ の意味において、議会政党システムと選挙政党システムを有機的に結合するのは制度化された政党組織よりも、 パトロン“クライアント関係を基軸とするエリート主義的なファクショナリズムー共同体的な寡頭制支配の社       ︵24︶ 会構造であろう。  しかし、﹁権威主義体制﹂の政党は、常に、体制維持の順機能の遂行に終始しているわけではない。むしろ、 一九七〇年代以後の民主化の﹁第三の波﹂の中で、自己否定的な民主化の主体1ー権威主義的モダナイザーとし て機能するパラドックスを示している。  従来まで、﹁権威主義体制﹂の大衆動員の手段として機能してきた一党制政治が、市民社会の発展を背景に出

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現する反対派を容認しつつそれとの戦略的相互作用を通じて、﹁前方への逃走﹂を志向して統制された﹁上から の民主化﹂を実現する事例である。旧ソ連の﹁共産党﹂は、﹁ペレストロイカ﹂と﹁グラスノスチ﹂を同時進行 させることにより統制された﹁上からの民主化﹂の実現に失敗した。また、アメリカの﹁南部一党制﹂は、パト ロネイジュとファクショナリズムに埋没し、﹁パワi・シフト﹂による停滞的南部の社会経済的変動を媒介に競 合政党制に移行した。これに対して、トルコの﹁共和人民党﹂を古典的なモデルとすれば、メキシコの﹁制度的 革命党﹂や台湾の﹁国民党﹂による﹁民主的移行﹂は統制された﹁上からの民主化﹂のブリリアントな事例であ ろう。  次章以下で、この権威主義的モダナイザーとしての一党制政治の展開について比較論的に検討してみよう。

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   注 ︵1︶U’ρQ一WユΦP、.竃08旨凶N呂oPO益①眞きα↓箒卑○巴○昌o団餌UΦ簿oR呂o置$”︾ヨ。ユ。き℃oま。巴   o りo一Φ⇒oρ一80−H零O、.︸↓ぎ\◎ミ\§匙蝋bミ乳愚ミ鳴ミGり§§舞<○一Q o︵poト一三ざ一〇認yOPω㎝o o∼G 。㎝O︸ωOω●    オブライエンは、この論文の中で﹁低開発の経済﹂に連動する﹁低開発の政治﹂に直面して﹁政治発展論﹂が民   主主義の展望から政治秩序への展望に分析視座を転換したと主張している。そして、権威主義による政治的安定性   の問題について﹁秩序という概念は、政治的不安定性と低開発の症候群としての無秩序との対極軸にあると認識さ   れた。⋮⋮低開発の世界に出没する怪物がいるとすれば、それはしばしばT・ホッブスの怪物であり、共通の社会   的価値や政治制度によって制約されない万人の万人に対する斗争︵名巽9毘濃巴おけ聾︶の悪夢のビジョンに外   ならない﹂︵三六三頁︶と述べて、﹁政治秩序アプローチ﹂の思想的背景を明らかにしている。

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π綴主義倣創ンと政覚政治 ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶  い即一・<Φ一だ..冨ま富曙60巨轟8α勾畠旨Φω蝉呂勺o一一賦8一U①<Φ一8BΦ算59置ε①。団ω・ヨΦ園。<一ω一g一ω叶 ≦霧、、ぽΦα●︸ξ琴勺o冒R蝉且いωけ①一pぎ§ミ津ミN愚ミ鳴ミきOミ鑓帖鑓の鼠轟、﹄ミ﹄ミ嘗詠駄ミミ箋ミー 韓赴も弊↓げΦ一Φ×営ひQ8昌ゆoo厨︾三曽ωo o鋤魯蕊Φ辞ρ這刈どもやH①㎝∼一①o 。リ  ロベルは、﹁ロックフェラi報告﹂における軍事政権に対する修正主義的見解について、ω ﹁軍部﹂の進歩的志 向性、⑭ ﹁軍部﹂の有する近代化への熟練と能力、③ 秩序ある変化に対する﹁軍部﹂の貢献、㈲ 共産主義に 対する防壁としての﹁軍部﹂、㈲ 現実的な政治的オプションとしての﹁軍部﹂の五項目に要約している。  貯薫、勺賓ρ﹄魯象尉駄、ミ趣ミNbミ魁愚ミ鳴ミ層臣注ρω8妻昌鋤⇒αOO‘ωoω8P一8ρ℃P認∼刈o 。﹂No 。口o 。卜  U。ρQωユΦP蕊帖卸もω9●  オブライエンは、﹁政治秩序アプローチ﹂の理論的指導者としてのパイを、東西冷戦の激化を背景に﹁軍部﹂に よる政治的安定性の追求を容認したとして﹁反乱鎮圧の始祖﹂と極めて厳しい評価をしている。  ↓。Uoωωき8ω︸、.↓げΦω霞8εおo︷U8Φ注Φ目<.、一﹄§ミ§野§◎ミらざ黒§”<・一①。︵目。ρζ婁一零。︶も℃。 NG QO∼Nω“9  ドス・サントスは、経済的従属を﹁植民地的従属﹂﹁金融・工業的従属﹂および﹁新しい従属﹂に分類している。  ﹁新しい従属﹂とは、低開発の国内市場に連動する産業セタターへの多国籍企業の投資を通じて、世界資本主義 のネットワ!クに編入された周辺資本主義国家の経済関係を意味する。この﹁新しい従属﹂の下で発展途上国の経 済は、① 工業セクターが必要な輸入材を購入する外貨需要をみたすため伝統的な輸出セクターに依存するから、 後進的生産関係と伝統的寡頭制支配が存続し、③ 輸出原材料の低価格と輸入工業製品の高価格のため慢性的な国 際収支の不均衡と国民生活の窮乏化をもたらし、⑥ 帝国主義センターの大企業が有する産業技術の革新能力や技 術独占による強蓄積に制約されざるをえないと、規定している。  コ甲9&・ω・①叶国9寂一一Φけけ9b愚鳴ミ§8職b駄ミN愚§ミ§﹄§忌ミト§ミ蓉轟&一ε巽︾・ζo声p即Φωω① C巳<Φ邑$冒①ωα①写きoΦ口雪o 。も●嵩刈。

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︵6︶ ︵7︶ ︵8︶ ︵9︶ ︵10︶ ︵11︶ ︵12︶ ︵13︶  O.O、UO巨Φ拝.、肉亀o鼠曾ω8跨①評gΦ簑ωo胤O冨轟Φ冒9①︼Wξ①きR蝕o−>⊆島o葺貰一きωけゆ8、、︶9織§ ﹄ミ鳴試ミ§肉8ミ§︾肉軸竃鳴ミ<○一図貰︵昌o●ど一雪o oyOP①∼O■  オドンネルは、この﹁脅威仮説﹂を﹁脅威レベルが大きくなるほど、官僚的権威主義体制の導入に先行する階級 斗争の分極化と顕在化も増大する﹂︵七頁︶と定式化している。  ρQUo昌昌Φ一どヒuミ\ミミミ職q﹄ミぎ試醤試“ミのミ﹄>硲鳴ミきP﹄もqq−﹄も認ヤきOo§ミ蕊帖ミ、塁魯鳴亀母魯q鋤房畳びくい 寓。○巳さd巳<o邑昌○︷9ま○旨ご牢①ωω﹂WΦ詩一ΦざH。。 。。 。もPω一∼G 。ω。  藝ρω巨葺﹄ミ壽ミ母ミ蔚蔦のミ“ミ味ミO蕊蔚駄導恥﹄蒔鳴ミ帆ミ、ミ駐qミ肉8ミミドω富鼠○益C巳くΦ邑蔓即①ωρ O巴崖o同三僧HOQ Q曾P㎝・  勺℃旨ρ、.甲ΦωこΦ呂巴○器ω畳ωヨ営9§︾導Φ旨讐ζ旨げ・﹃園$一ξ..u9§辱ミ§ミ、ミ織β<。一。︵昌oる” ︾鷺芦一〇ミy℃唱﹄o o一∼ωO斜●  匡●ミ①ぎR餌昌αいい鋤O巴oBび曽声w..Oo昌o一仁ω一〇β一↓げΦHヨも8けo団勺巽賦Φω○⇒勺o一凶二〇巴UΦ︿巴o℃ヨΦ導..言Φα4σ< い一巷巴o目訂声曽民琴譲Φ一器さ、ミ職ミN、ミ織8“ミき§偽ミbミ織愚ミ§ひギ冒ωけ曾¢巳くRω一昌甲Φωω︶Z①妻 ︸RωΦざ一。①ρ窓﹂。。∼蕊ω。  ψZΦqB蝉ロPミo駄箋ミ㌔ミ賊織ミN、ミ識跨、﹄特辱ミ§鳶むO◎§辱ミ匙、賊ミ、ミ蕊参↓げod良<o﹃ω一蔓90圧o曽閃o脳おωρ =一ぎ○一ρ這㎝ρマ一。  ρ一Φ一喜o貫盟ミ鳶ミもこ黛鳴ミ鳴駄ミミミ鳴ミ§b軸ミ簿ミ職“ω‘卑≦Φ津Φ旨Φ>亀一諾ρくΦ二囲ρコ寓臼一Φぴ 内四二霞=びρ一〇①凶ω9旨∼OQ o”一合∼置9  一﹂.=目”、.○署oω置88きα目αRき︾暮ぎ葺曽鼠き国①鵬ぎ①”↓冨9ω①o暁9巴p、、ぎΦ血こ薯零U魯一 寒嘔ミ8“ミe醤終融奉肖巴①d巳<Φ邑畠甲oωρ20薫=Φm<Φp一。刈ωもマ一。 。。 。∼H。 。P一。一∼H。ド  リンスは、この論文の中で﹁民主主義体制﹂の野党と﹁権威主義体制﹂の野党を区別している。リンスは、﹁民 主主義体制﹂の野党を立憲的野党︵8房蜂葺一9巴○署8置§︶と反逆的野党︵&巴2巴o署oω置3︶に分類し、

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π擁威主義微創ンと政党政治 ︵14︶ ︵15︶ ︵16︶ ︵17︶ ︵18︶ ︵19︶ ︵20︶ ︵21︶ ﹁権威主義体制﹂の野党を体制内野党︵○署8三8三浮営浮Φωく馨ΦB︶と体制外野党︵○署oω置80暮ωこΦ浮Φ ω窃冨B︶に分類している。そして、この体制内野党を﹁半野党﹂︵ωΦ巨o署8置8︶と呼んでいる。リンスによれ ば、この﹁半野党﹂は、﹁支配集団内部で優越的地位や代表的地位を確保していないが、基本的に権威主義体制に 挑戦することなく権力への参加を求めている集団﹂︵一九一頁︶と規定される。  勾・甲寓oUg巴α曽&︸●零園仁貫、ミ愚、ミ織8“ミ史恥ミ§きト“織§鉢ミミミ”ミ8呂Φヨωき牢磐9ω。○俸 一〇ロαoPHOO oP℃℃●S  菊=。匡。U2巴ρ、ミ曼砕§ミGり隣ミ史鳴ミ§きト“織ミ﹄§豊ミ︾ζ四詩富ヨ評げ一一ω匡轟Ooヨ冨昌M一。刈一も。 。●  園●=・ζoUo旨巴α四ロα一﹂≦。勾仁巨嵐窯鉢”℃モ’  園.=﹂≦oUop巴9き幾こPo o甲  勾9=。竃OUOP巴α四昌αい]≦。園皿巨鼠騒卸PO O。  勾。国●竃oOo昌巴ρ尋裁こづもO∼一〇  勾’=●目oUo昌巴α節昌αいζ.幻q匡︸愚幾4Po o  園.国﹂≦oUOp巴9愚幾こOPHO∼一P  菊、頃。蜜oUO⇒巴α餌昌α旨●]≦・男皿匡鼠窯鼻”Po o.  園.=﹂≦oUo昌巴ρき幾‘℃P旨∼一ω。  勾●=。ζoUo旨巴α曽昌α].。冒。園qげどき匙こPo o●  国●=。題oUo旨巴9き裁こもや一し o∼一伊  ρOU①巴ざ.、↓訂↓轟昏一〇p9寓o巳ωけ一。UΦeOR餌身営鍔試昌︾ヨ包8、、堕営Φαこξ=﹂。ミ一鋤包9、ミ職8 “ミqり。9匙Gミミ題きト&き﹄§ミミらミN“豊G。織§味︾ミき。虜西≦Φω呂o毒︶Oo一〇轟αo蝉且9日耳置閃①博一8ρ 署.㎝∼9  中>。∪亀赫卜§導犠ミ、ミ骨き罫織§﹄ミ鳴註ミ”≦①ω葺①ヨωき律きo一ωoo四且8且Op一。・ 。㎝も﹄“。

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︵22︶ 国■>。U鼠剛嵐黛卸もマ謡∼困 ︵23︶匂●ρω8貫.、評霞9圓。一凶Φ耳℃o匿。ω曽且勺o一一什一8一〇訂轟①嘗ωo仁跨8ω什︾器..︸﹄ミミ魯§ぎ§ミの魯§鳴  肉鳴註恥ミ︿○=図<一︵pO一﹂≦費o戸一〇認︶︸P一〇〇。 ︵24︶2●因●Z一魯巴ωoP、.↓訂霊。江9巴霞・αΦ一餌且↓冨ωε身・胤℃o一庄。ω.、︶9ミ辱ミ§ミぎ§ミN駿ミ駐”くo一㎝  ︵昌Oω︶090びΦさ一〇認︶一唱●ωON

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   日 一党制政治と﹁民主的移行﹂ω  ﹃発展途上国の政治学﹄︵悶o一置89↓冨U零巴8冒磯Z簿δ諺︶の著者、フレッド・R・フォン・デア・メー デン︵牢8零<8αR寓Φ区窪︶は、政党制を競合型、半競合型および非競合型に類型化して、このうち半競 合型のインド、メキシコ、韓国およびマレイシャなど一党支配国家︵o器も霞昌3巨e耳馨讐①︶と並んでセネ ガル、タンザニア、チャドおよび台湾などを一党制国家︵○器も費蔓ω雷旦に分類した。前者は、反対党の中 央や地方の議会への進出が政権政党により容認されるが、後者では、反対党の存在は容認されず政権政党の国家        ︵−︶ 支配による決定的な一党制政治の場合である。  これに対して、J・ラパロンバラ︵9U8巴○ヨ富声︶とM・ウイーナi︵竃・≦Φ冒角︶は、メーデンと同じ 時期の発展途上国を対象に競合型と非競合型の政党制の分類を継承している。ラパロンバラとウイーナーによれ ば、競合型政党制には、アングロ・アメリカ諸国、北欧諸国、ラテン・アメリカ諸国と並んでアジアではインド、 マレーシャ、セイロン、フィリッピンおよびナイジェリアなどが分類されるが、伝統的な二党制・多党制の分析

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「緻主義体創ンと政堂政治 的有効性には消極的で、政治発展の立場から、①ヘゲモニi”イデオロギー型、②ヘゲモニー”プラグマチック 型、③回転目イデオロギー型︵什霞ぎく雫こ8一〇笹8一︶、④回転ープラグマティック型に分類している。  ラパロンバラとウイーナーによれば、ヘゲモニi・システムには、一党型としてニューディール期やフェアデ ィール期の民主党、戦後日本の自由民主党と並んで独立後インドの国民会議派が分類され、連立型として第二次 大戦後の旧西ドイツとイタリアが分類される。これに対して、回転システムには、カナダの自由党、フランス第 四共和制およびイギリスの二党制が分類されるが、イタリアのキリスト教民主党は常に連立政権の中心に位置す ることによって回転ドライブを抑制していると規定している。そこで、第二の次元としてのイデオロギー”プラ グマティック型の競合型政党制が問題になる。政党がイデオロギー的で回転型の場合、社会は分極的で政策パフ ォマンスは低下し政権政党は政策的に不作為を志向する。ヘゲモニーーイデオロギー型の場合、イデオロギーの 内容によるがその社会経済的な変動志向にもかかわらず必ずしも大きな変動が生じないのは、このイデオロギi 政党のヘゲモニー的地位に関係するからである。イタリアのキリスト教民主党やインドの国民会議派がこれに当 たる。プラグマティック政党は、ヘゲモニi的である場合に活動は緩慢であるが、回転型の場合には敏速な変化 をみせる。前者の例は一九世紀末から二〇世紀初頭におけるアメリカ共和党のポピュリスト運動への対応、後者        ︵2︶ の例はニューディール期における民主党の先例のない選挙勝利と政策的対応に明らかである。  ところで、非競合型政党制としての一党制は、イデオロギi的であれプラグマティックであれ、本質的にヘゲ モニー的であり回転型ではない。ラパロンバラとウイーナーは、一党制を﹁一党制権威主義﹂︵o器も巽q

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雲島o降巽一碧︶、﹁一党制多元主義﹂︵o希も舘姶巳霞呂ω目︶および﹁一党制全体主義﹂︵○器も巽蔓8$洋胃冨ロ︶ に分類している。ここで問題になるのは、一党制の分類と並んで政治発展に影響する独立の制度的勢力︵碧 営8需巳窪二房鼻暮一〇轟=98︶としての一党制の機能である。  このうちコ党制全体主義﹂では、国家は共産党あるいは全体主義政党の政治的動員の手段であり既存社会の 再編のため、全体主義エリートが積極的に利用する。、旧ソ連、中国、旧北ベトナム、北朝鮮、東欧諸国およびナ チス・ドイツとファシスト・イタリアなどがこれに属する。政権政党としての共産党やナチス党は、全体主義的       ︵3︶ 統合の政党であり個人生活のすべての局面を統制している。  しかし、﹁前衛党モデル﹂としての旧ソ連共産党の事例で明らかなように、この一党制国家の政治発展は、前 衛党主導の﹁上からの革命﹂としての﹁ペレストロイカ﹂1﹁民主的移行﹂の政治過程を提唱しながらこれを主 体的に統制する能力のみならず社会経済システムヘの影響力を喪失し主体的に競合型の政党政治を促進すること はなかった。﹄党制権威主義﹂には、スペインのファランジ党を筆頭にマリ、ガーナ、ギネアおよび旧南ベト ナムなどペルソナリスモの強い一枚岩的でイデオロギー志向の非全体主義政党が属する。政権政党は地位防衛的 で市民社会の要求入力には抑圧的であり、全体主義政党が有する計画的統制力を欠如するから経済領域のみなら        ︵4︶ ず政治発展を促進する制度的能力も欠如するといわれる。  これに対して、﹄党制多元主義﹂は、一党支配の疑似権威主義システムとして、組織的には多元的でイデオ ロギi的にはプラグマチックで包括型統合の特徴を示している。ラパロンバラとウイーナーは、この﹁一党制多

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π綴主妻倣鋤と攻党政治 元主義﹂にメキシコの﹁制度的革命党﹂︵悶費江3寄<9&9弩δ冒馨一ε氏9巴︶のほかセネガル、アイボリー コースト、シエラレオーネやヵメルーンなどを分類している。政権政党は、国家や党への直接参加を強調するこ とによって、組織的には一枚岩的で下位集団を完全に吸収するといわれる。しかし、現実には政権政党のリーダ ーは、プラグマティックで余りイデオロギーに固執しないから、統制された多元主義のもとで下位集団との緩やか な関係を維持する。この意味において、﹁一党制多元主義﹂は、急激な社会経済システムの近代化の手段として は不適当であるが、その一党制ファクショナリズムは下位集団間の利害対立を調整することによって、伝統的価 値を持続し伝統エリートの利害問題を処理することにより経済発展と政治発展の有効な制度的勢力たりうると指     ︵5︶ 摘している。けれども、この段階に続く一九六〇年代以後の﹁近代化の挫折﹂の中でラパロンバラとウイーナー は、コ党制全体主義﹂や﹄党制権威主義﹂に対して﹄党制多元主義﹂が政治発展を促進する独立の制度的       ︵6︶ 勢力と認識するに止まりこの政治発展の具体的な分析を提示しなかった。しかし、現実の﹁民主的移行﹂の政治 過程は、ミッチェル・A・セリグソン︵竃津畠巴︾●ω①一蒔ω9︶やサムエル・P・ハンチントン︵ω鋤目⊆〇一型        ︵7︶ =⋮江鑛8ロ︶のいう経済的移行ゾーンヘの参入を前提に国家装置と政治的資源を独占する軍事政権と自立的な 市民社会を基盤に出現する反軍的文民勢力を基軸とする二つの陣営における﹁自由化﹂と﹁民主化﹂をめぐる戦 略的相互作用として展開してきた。権威主義的過去からの政治的離脱を求めて一九七〇年代のスペイン、ポルト ガルおよびギリシャの民主化、一九八○年代のラテン・アメリカの民主化に続いてこれと重複して東アジアにも 民主化の波は波及した。この権威主義的過去からの離脱と民主主義的未来への移行ゲームにあたって、一党制国

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家における﹁前衛党モデル﹂は有効に機能しなかった。政治社会学的アプローチのリップセットが最近の論文で 指摘するように経済発展としての﹁ペレストロイヵ﹂︵冨おω嘗o一惹︶に政治発展としての﹁グラスノスチ﹂        ︵8︶ ︵範器目8が先行することによって政権政党としての共産党の移行ゲームにおける指導力は発揮されなかった。 さらに、東ヨーロッパ、とくに旧東ドイツにおける市民革命的な﹁民主的移行﹂は、﹁前衛党モデル﹂による経 済発展と政治発展の戦略的ミスマッチの特徴を明らかにするものであった。また、アメリカの二党制ポリアーキ ーに寄生する﹁南部一党制モデル﹂でも、都市化と工業化による階層分化が民主党に対する﹁満場一致﹂の支持 の崩壊に導き﹁政治的骨董品﹂の二党制的再編がもたらされたのであって、二党制南部での移行ゲームにおける 主体的な民主党の改革能力は発揮されなかった。  これに対して、1・ウォーラースタイン︵H≦毘角ω措εも指摘するように植民地独立闘争や国民的統合の       ︵9︶ 過程から反対党の解散を含む国民国家の正当性を獲得した一党制は、国家と政党の等式化あるいは国家に対する 政党の優越を前提に﹁民主的移行﹂を主体的に統制しうるヘゲモニー能力のある﹁一党制多元主義﹂として出現 する。この古典的なパターンがトルコの﹁共和人民党﹂でありこれと並んでメキシコの﹁制度的革命党﹂および 台湾の﹁国民党﹂が、一党制国家の政権政党として社会経済システムの変動のみならず政治システムの変動をも 統制しうるヘゲモニー能力を有して、﹁前衛党モデル﹂や﹁南部一党制モデル﹂と異なる発展能力を示している。 そこで、これら一党制国家の﹁民主的移行﹂にあたって、この政権政党が遂行する政治機能について、本章で古 典的なトルコの﹁共和人民党﹂︵勾8号膏碧勺8覧①.ω悶胃蔓︶の事例を概観した後、次章で焦点をメキシコの

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π綴主義体勧と政党政治 ﹁制度的革命党﹂と台湾の﹁国民党﹂の事例を検討し﹁前方への遁走﹂として展開される一党制国家の﹁民主的 移行﹂の特徴について検討してみよう。  周知のように、D・A・ラストウ︵U●>。勾拐8≦︶とR・E・ウォードによって日本と並んで﹁防衛的近代        ︵−o︶ 化﹂︵88諾貯①目aR巳鋸賦8︶のパラレルな歴史的事例として指摘されたトルコは、政・軍分離を前提とする エリート主義的でプラグマティックな包括政党としての﹁共和人民党﹂による一党支配のケマル体制︵囚①目巴一ωけ 勾詔言Φ︶の世俗主義、共和主義、ナショナリズム、ポピュリズム、革命主義およびエタティズムの近代化路線を 展開してきた。しかし、一党制国家としてのケマル体制の権威主義は、この体制が第一次世界大戦後の基本的民主 化の時代に形成されたため、自由民主主義を理想としながら反革命に対してケマル体制を擁護する一時的な措置と       ︵11︶ 認識されていたので、二〇世紀に出現した全体主義や他の権威主義と異なる民主的志向性を内在していた。  しかも、第二次世界大戦における﹁民主主義体制﹂の世界史的勝利という国際環境は、旧ソビエト圏の脅威に 晒されていたトルコに西欧圏との友好関係の樹立を促すと同時に、国内の経済発展は商業や工業セクターの拡大 による社会構造の変動1﹁共和人民党﹂のエタティズム路線に吸収されない自由主義経済志向の中間階級が出        ︵12︶ 現し、これを積極的に党内に吸収しようとするプラグマティックな﹁共和人民党﹂の弾力的な対応があった。  一九三八年にケマル・アタチュルク︵内①e巴>什葺霞屏︶の後を継いで﹁共和人民党﹂の党首になったイスメ ット・イネニュ ︵Hω目簿目α壼︶は、秘密投票による国民議会の直接選挙の実施と憲法が保証する市民的自由の 回復を求めた。こうして、一九四六年一月、﹁共和人民党﹂の不満分子が﹁民主党﹂︵U①匿oR魯8勺巽蔓︶を設

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  表3・1 トルコ議会選挙における得票率と議席率(1950∼1977) %        麟鹿        1950   1954   1957   1961   1965   1969   1973   1977  、       53.3   56.6   47.7   34.8   52.9   46.5   29.8   36.9 民王党=正義党(83.8)(93.0)(69.5)(35.1)(53.3)(56.9)(33.1)(42.0)        39.8  34.8  40.8  36.7  28.7  27.4  33.3  41.4 共和人民党  (14.2)(5.7)(29.2)(38.4)(29.8)(31.8)(41。1)(47.3)         3.0   4.7   7.2  14.0   6.3   3.2   1.0   一 国民党 (0.2)(0.9)(0.7)(12.0)(6.9)(1.3)

一 一

        一    一    3.8   一    一    一    一    一

自由党 

_ _

(0.7)

一 一 一 一 一

        一     一     一    13.7    3.7    2.2    一     一 新トルコ党  _  _  _ (14.4)(4.2)(1.3) 一  一         一    一    一    一    3.0   2.7   −    0.1 トルコ労働党  _   _   _   _  (3.3)(0.4) 一  一    _       一    一    一    一    2.2   3.0   3.4   6.4 国国民行動党   _   _   _   _  (2.4)(0.2)(0.7)(3.6)         一    一     一    一    一    2.8   1.1   0.4

統一党 

_ _ _ _ 一 (1.8)(0.2) 一

  一        一    一    一    一    一    6.6   5.3   1.9 共和信頼党       的。、イりn、イ(ワ、 4㊦4  9の9幻 ぴ翫 軌一 10 10 4のーの3ω9① 翫創105210      11 0幻8鋤6㊧ 鼠0 。2.L63 一一 2の 2. 乞 一一 ︻一 一一

民主党  _ _ _ _ _ _

(i6:6)(6:誉)        一    一    一    一    一    一   11.8   8.6 国家救済党   _   _   _   _   一   一  (10.7) (5.3) Source E Ozbudun,“Turkey.Crises,Interruptions,and Reequilibrations”,in ed.,       by L。Dlamond,J J Linz,and S M.Llpset,P㈱oo名鰐z%P粥oJゆ%g       Co襯醒6s,vol III Asia,Lynne Rlenner Publishers,Colorad and London,       1989,p.200.パーレン内の数字は議席率。 立し、同年の移行選挙で﹁民主 党﹂は国民議会の四六五議席の うち六五議席を獲得し競合政党 制への展望が開かれた。ついで、 一九四七年七月一二日、イネニ ュは強硬派の首相、R・ペケル ︵罰勺魯R︶と野党党首、C・ バヤール︵○ω曽閲霞︶との数 回にわたる会談の後、野党承認 の宣言を発表したが、この宣言 は政府と野党の穏健派の同盟に よる政府と野党の強硬派の孤立 化と次期選挙の自由化を約束す る政治協定︵B9ともいわれ、 ﹁自由の隙間﹂がさらに拡大し た。イネニュは、一九五〇年五

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ヂ甑主妻体勧と政堂政治 月一四日に実施した自由選挙の結果も受容するよう﹁共和人民党﹂を指導したのみならず、表3・1に明らかな ように、﹁民主党﹂の五三・三%の得票率と八三・八%の議席率による地滑り的勝利にともなう﹁共和人民党﹂ の三九・八%の得票率と一四・二%の議席率による野党への転落をも積極的に肯定した。しかしこの間、イネニ ュは、共産党の政治参加を慎重に排除する措置を堅持することによって、この民主化が上からのII権威的に統        ︵13︶ 制された民主化である事実を明白に示している。  ﹁民主党﹂は、一九五四年と一九五七年と二度の選挙勝利により、一〇年間政権を掌握したが、その支持基盤 は都市リベラルと保守的宗教者、商業的中間階級と都市貧困層、近代的な地方住民など社会経済的のみならず文 化的に異質的な政治連合であり、これに対して、﹁共和人民党﹂は、官僚集団、大土地所有者や農民層などの政 治連合であった。自由主義経済を主張する﹁民主党﹂連合の絆はエタティズムの指導集団としての官僚集団に対 する反発であり、政権政党としての﹁民主党﹂の出現は﹁中心﹂に対する﹁周辺﹂の政治的勝利であったといわ  ︵14︶ れる。しかし、﹁民主党﹂政権による最初の民主政治の実験は、この﹁中心﹂と﹁周辺﹂の対立を激化すること によって、一党制国家におけるエリート・コンセンサス時代の終焉と民主的基盤強化の失敗をもたらしたのであ った。E・エズブドン︵中O豊び&§︶によれば、その理由は第一に、官僚集団の独占的支配により政府の腐敗 をまねいた﹁共和人民党﹂への非難であり、第二に、政治的反対派を反逆者と認識するオスマン・トルコ以来の 政治文化的伝統であり、第三に、民意の独占を自認する﹁民主党﹂の政治的パトロネージュに対して公共利益を 正当性理由に抵抗する官僚集団との対立であり、さらに、ケマルの世俗主義を軽視する政府への不満が官僚集団

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のみならず将校集団にまで拡大したのであった。そして、最後に、輸入代替工業化政策と農業近代化政策を柱に 外資導入とインフレ財政に依存してきた﹁民主党﹂の経済政策の失敗である。一九五〇年代を通じて所得格差が 拡大し、インフレは都市居住のサラリーマン階級の生活を直撃した。その結果、学生の抗議運動が高揚し警備部 隊との衝突による国内不安に直面して、C・グルゼル将軍︵ρO貸ω①一︶中心とする中堅将校による軍事クーデ ターが一九六〇年五月二七日に勃発し﹁トルコ大国民議会﹂︵↓貫匹筈O轟巳Z簿一9巴>ωωΦ目巨く︶は一年間活       ︵15︶ 動を禁止された。  こうして、イネニュによって慎重に開始された上からの競合政党制への移行は、﹁循環的挫折﹂︵身o一旨巴 ぼ8犀αo類昌︶の最初のステップを経験した。  しかし、グルゼル将軍を議長とする﹁国家統合委員会﹂︵Z蝕9巴d巳昌○○目巨洋8︶は、議会権限の制限 を前提に違憲立法審査権、行政裁判所としての国家評議会、司法部の独立、上院の設置と並んで広範な市民的自

由を許容する憲法を制定して一九六一年の議会選挙とともに兵営に復帰して、A・パールマッター︵︾

       ︵16︶ 勺9ヨ暮什R︶の主張する﹁アービトレータi型軍隊﹂︵9Φ胃獣霞簿自碧ヨく︶の特徴を示している。  こうして、制定された一九六一年憲法は、六〇年代後半には議席率五三・三%の﹁正義党﹂︵甘ωけ一8勺巽蔓︶ 中心の安定政権を出現したが、共和国建設以来の最も民主的な憲法が提供する政治的自由によって急進的な国家 社会主義と保守的なケマル主義のイデオロギー的対立を含む国家エリート間の政治的分裂が全面化した。これに 対して、﹁共和人民党﹂は、保守と急進の間で動揺しながら一九六五年以後急進化した。しかも、トルコ政治特

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「綴主義偽勧ど政党政治 有の厳しい政党投票と議員の政党同一化を基盤とする政党間の対立は友敵関係による分裂型政治文化として作用       ︵17︶ し議会外でも容易に政治暴力やテロ活動を促進したのであった。その結果、保守的な﹁正義党﹂政権の選挙勝利 に不満を抱いて急進的社会改革を主張する将校団と文民官僚集団を主力とするクーデターが一九七一年に発生し、 ﹁共和人民党﹂のN・エリム︵Z.卑首︶によるテクノクラット中心の新政権が誕生した。  この新政権の課題は、戒厳令によって政治暴力を禁止して行政権を強化し社会改革を実現することにあったが、 議会多数を形成する﹁正義党﹂の反対と四〇〇〇人以上の急進的将校団の軍部からの追放のため、農地改革を含 む社会改革の達成に失敗したといわれる。しかし、一九七一年のクーデターは﹁半クーデター﹂︵四冨斥8唇︶と して間接的軍事支配の形式をとりながら、一九六一年憲法の自由主義的な条項の修正と並んで軍部の政策決定に おける役割の増大をもたらしたが、より根本的な問題として軍部と進歩的な国家エリート、特に﹁共和人民党﹂ と知識人階級との伝統的な政治同盟の終焉をもたらしたことである。第一の理由は、B・エチェヴィット︵甲 国8<εの率いる﹁共和人民党﹂のイデオロギーがケマル主義からの逸脱と﹁軍部﹂が認定する社会民主主義へ 傾斜し、第二の理由は、軍事的左翼集団の増大する活動と﹁軍部﹂がトルコの独立と領域的統合への脅威と考えてい るクルド分離主義者との連合の成立である。こうして、伝統的な政治同盟の解体の後、﹁軍部﹂は、議会の保守        ︵18︶ 勢力と妥協することなく政治エリートから独立して国家主義的な後見的立場を堅持した。しかし、この政治同盟 の解体と﹁軍部﹂の自立は、一九七一年以後の修正憲法下の政党政治の安定を意味しない。一九六九年選挙から 特徴的になった多党化の傾向は、一九七三年選挙で五六・九%の議席率を有してきた﹁正義党﹂の三三二%の

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議席率への転落と並んで﹁共和人民党﹂も三三・三%の議席率の微増に止まり、さらにイスラム的価値体系を信 奉する﹁国家救済党﹂︵乞蝕自巴ω巴く呂9勺巽蔓︶やナショナリズムと反共イデオロギーを掲げる﹁民族主義 行動党﹂︵2毘o冨一禦︾99評﹃昌︶が出現し、これに対応して左翼過激主義集団も登場して一九六五年以来の 一党優位政党制は解体し不安定なS・デミレル︵ω’UΦ巨8一︶連立政権に移行した。  しかし、一九七〇年代後半の左右過激主義の激突、サボタージュ、誘拐、銀行襲撃、工場占拠や爆弾テロによ る五〇〇〇人以上の死傷者をもたらした政治暴力とテロ活動の頻発は、戒厳令によって収拾しえない危機的状況 を現出しこれに石油危機がさらに拍車をかけ一九八O年には内戦状態に陥ったといわれる。ことに、戒厳令によ る事態収拾が不可能になったのは、左右過激主義の警察権力への浸透と政治紛争の軍事化による国家権力の腐食 であった。イデオロギi的で暴力的な政治的分極勢力の主体は﹁民族主義行動党﹂と左翼過激主義集団であるが、 イスラム原理主義的な﹁国家救済党﹂の積極的な活動は世俗主義的なケマル主義を基盤とする共和国体制の正当 性をも著しく傷つけた。しかも、大連立内閣の形成や少数党内閣の断行をも決定しえない二つの主要政党 ー﹁共和人民党﹂と﹁正義党﹂の無能と無気力に加えてデミレルとエチェヴィトの党派心に基づく敵撫心が、 二つの過激政党に過大なバーゲンカを与えパトロネージュとネポティズムを助長するのみならず、共和国内外に 生起する緊急の経済問題やキプロス危機への対応にあたって政策決定のインモビリズムをも招来せざるをえなか った。さらに、共和国大統領選出にあたって六カ月にわたる議会決定のデットロック状態の存続は、政党政治の みならず﹁トルコ大国民議会﹂における議会政治の破産としてK・エヴレン︵︻国霞窪︶将軍の﹁国家安全評議会﹂

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π綴主義体創ンと政党政治        ︵19︶ ︵]Z簿一9巴ω9霞一蔓Oo⋮9︶による一九八○年九月二一日の軍事介入を招いたのであった。  しかし、この﹁国家安全評議会﹂体制は、長期間の権力の掌握による市民社会の規制と政治構造の再構成計画 を有する点において先行する二つの軍事支配と異なる特徴を示している。たとえば、クーデターの直後に二人の 政党指導者ーエチェヴィトとデミレルは兵営に軟禁され両党とも解散され、既成の政治家は一〇年間政治活動 や公職への就任を禁止された。問題は政治構造の再建である。一九八二年に有権者の九一・三七%に達するルソ ー的承認をえて制定された憲法は、強い大統領制の採用と政治的多元主義への不信を柱とするケマル主義的な民        ︵20︶ 主政治の再均衡の特徴を示している。すなわち、一九八二年憲法は議会に対する内閣の政治的責任を制度化して 議院内閣制を採用しながら、これとは独立に大統領に上級の裁判所判事の任命権を与え、憲法修正案を国民投票 にかけ議会制定法に対する違憲訴訟を提起する権限と並んで総選挙請求権を大統領に付与して、フランス第五共 和国憲法の﹁半大統領制﹂︵一Φω議短旨①ωΦ目一−鷺㊥。。箆9賦Φ一︶に似た強い大統領制を設定し、また、国立大学の自 治権の否定を含む市民権の制限を設け、議会の再審権を留保しながら緊急事態における法令制定権と並んで現行        ︵21︶ 法の修正権を閣僚評議会に付与するなど行政権を強化して政治的安定性の確保に努めた。  これと並んで、オスマン・トルコの政治的伝統に由来する政治的多元主義に対する不信は、エヴレン大統領が 政治活動から私的団体を排除して政治活動を専ら政党にのみ限定した演説のみならず、﹁国家安全評議会﹂が制 定した政党法と特徴的な選挙制度に顕著に現れている。  ﹁国家安全評議会﹂が採用した選挙制度はドント式の比例代表制であるが、一九七〇年代の分裂型の多党化と

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議会の不均衡を回避するため全有効投票の一〇%という高い戸口基準を設定し、さらに、二人から六人の選挙区 ごとに定員数で有効投票を割った商を選挙区基準︵8口鴇9窪身什ぼ①ωげo一α︶と規定し、二つの基準を充足した 場合にのみ議員資格を獲得できる選挙法を制定して大政党中心の安定した政党政治の創出を図った。さらに、こ の選挙法の暫定条項は、﹁国家安全評議会﹂に信頼できる後継政党を選別するため新政党の設立メンバーに対す る拒否権を付与して、来るべき政党政治の基本的枠組みを設定したのであった。こうして一九八三年二月六日 に実施された総選挙で、﹁祖国党﹂︵冨o島R勺摸蔓︶は有効投票の四五・二%を獲得して二二一議席、﹁人民党﹂ は有効投票の三〇・五%を獲得して二七議席、﹁民族民主党﹂︵Z慧9匙磐uo目OR善o勺費昌︶は有効投票の 二三・三%得票七一議席を獲得した。この選挙結果は、有権者の大多数が﹁国家安全評議会﹂の意図した制度工 学的枠組みの中で分裂型政治の急速な正常化と文民化を希望していると解釈することができよう。  こうして、一九二三年から一九四六年まで継続したポピュリスト型の﹁共和人民党﹂の一党支配に続いてイネ ニュ大統領のもとで一九五〇年の最初の多党制選挙を経由して多党制の時代に入ると、﹁良き社会と政治体﹂ ︵讐&ω09①蔓碧αも急蔓︶に関するエリート・コンセンサスが急速に崩れ、世俗的近代国民国家を志向するケ マル主義的政策における力点の党派的移動と共に政治発展における﹁循環的挫折﹂が生じ市民社会の成熟の遅れ を補完する軍部による後見的な再均衡が展開したのであった。しかし、一九八O年代は、T・オザル︵↓’ ON匙首相の開放政策によって急速に市民社会が成熟してきた。いうまでもなく、市民社会成熟の第一の条件 はエタティズムの伝統からの離脱である。オザル首相の経済自由化政策は輸入代替工業化段階から輸出志向型経

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π綴主妻体勧∼政堂疲治 済への経済発展を促進し、一九八七年には﹁ヨーロッパ共同体﹂への加入を申請した。この私的経済の成長は、 国家エリートによる後見的家父長的指導の後退とこれを求める政治競合のゼロ・サム・ゲームの価値の低下を招

来したのであった。ラストウはこのケマル主義に対する経済的合理主義の優越を﹁オザルの自由革命﹂

       ︵23︶ ︵σN巴、ω一一げR巴お<oピ江自︶と呼んでいるほどである。市民社会成熟の第二の条件は、ケマル以来の世俗的近代 国民国家の支柱として堅持してきた中央集権体制の修正i地方政府の強化である。一九八○年以後の公的資金 配分の増大、中央政府の監督権限の縮小および地方政府の権限と責任の増大は民主的政治文化の公的な社会化過 程であり、中央と地方の権力の分有は地方政府の中央政府への抑制機能を強化した。そして、市民社会成熟の第 三の条件は、私的経済の成長に伴う私的団体の増殖である。一九八二年憲法は、多党制政治のもとで私的団体の 増殖による過剰政治化がもたらした分極的政治闘争の弊害に鑑み脱政治化の規制措置を講じ、これと並んで導入 した比例代表制は公共利益志向のトルコ政治に利益代表の容認に基づく多元主義制度の定着を促進するものであ った。こうして、ラストゥのトルコにおける多元主義の深化に関する楽観的見解を修正して、エズブドンが、社 会経済的発展に破行的に先行する政治発展をした少数の国家の一つと指摘したトルコの政党政治は、ケマル主義 に基づく民主政治の再均衡過程をビルト・インしながら市民社会の成熟による多元主義の定着の可能性を増大し         ︵24︶ つつあるといえよう。

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