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三浦郡葉山町における戦没者の記録

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Academic year: 2021

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(1)

浦郡葉山町における戦没者の記録

問。8己。・。﹃仔⑫壽﹃O。且巨国飴∨飴目㌣目2見邑2苧⑯巨

‖国﹂巨

はじめに

0

葉山町役場所蔵の戦没者に関する記録 ②戦没者を表象した記念碑等 ③ 戦没者の墓標 お わりに [ 論 文 要旨]   三浦郡葉山町という]行政区を範囲として、戦没者がどのように記録され、そこらどのような戦没者の実態が浮かび上がってくるかということを探った。平成 十四・十五年度に国立歴史民俗博物館が実施した﹁戦争体験の記録と語りに関する資 料調査﹂で、筆者は葉山町における戦争体験の記憶と語りについて調査した。今回は 戦 没者の記録について、町役場文書・碑表・墓標等を対象に、葉山町全体の中で捉え ようとしたものである。  葉山町役場文書については、町役場が軍事行政に携わっていた頃からの﹁葉山町戦者名簿﹂や、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく遺族年金・弔慰金の請求にかか わる﹁戦残者整理名簿﹂、恩給復活にともなう軍歴申立の資料と思われる﹁戦没者履 歴簿﹂、扶助料請求者が記されている﹁戦争殉難者名簿﹂など戦後の遺族援護にかか わる資料があり、遺族や援護の状況とともに、戦没者がどのように記録されているの かをうかがうことができる。   戦 死 者を表象する施設については、その形態から招魂碑等の碑表、神社形式、塔形 式 の 三 つに分けられた。また表象する対象や建立者から、町が建立した﹁葉山町慰霊 塔﹂、旧村ごとに地区団体が建てた碑表類、個々の寺社が建てた碑表や社殿形式の慰 霊施設が存在し、例えば光徳寺の英霊碑の六名は、遺族の供養の他に地区の招魂碑や、 更には葉山町慰霊塔にも刻まれるなど、四層の重層した慰霊・供養の体系を認めるこ とができた。これに県レベルの﹁神奈川県戦没者慰霊堂﹂と、国レベルの靖国神社を 加えると、六層の体系となることに注目した。   戦 没 者 の 墓 標 からは、戦没者の実態とともに、遺族がどのように死を受け止め、慰霊・ 供 養したのかを知ることができる。二百名の墓標データを分析し、﹁葉山町戦残者名簿﹂ 等と照合することで、相互にデータを補完するとともに、行政文書の記録と墓標の記 録の違いを見ることができた。

(2)

国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 は

じめに

1、調査研究の対象と契機  ここに、神奈川県三浦郡葉山町における﹁戦没者の記録﹂として、調 査 の 対象としたのは次の諸資料である。以下特にことわらない限り、﹁戦 没者﹂と表記した場合は、戦死・戦傷死・戦病死を含むものとする。①葉山町役場文書がそのように表記していることと符合させるためであ り、戦災死者は対象としていない。     ① 戦 没者を記録した葉山町役場文書︵遺族台帳・戦没者履歴簿など     の簿冊︶     ② 戦 没者を表象した記念碑等︵招魂碑・忠魂碑・慰霊塔など︶     ③ 戦 没者を慰霊・供養した墓標  これらは、それぞれの目的のもとに記録されたものであり、①は行政 事 務 の 処 理 のため、②は戦没者の慰霊・供養や顕彰、平和への祈念など、 建 立者の意図によって異なる。③は遺族が戦没者の慰霊・供養のために 刻み建立したものである。戦没者を記録した体験記等については、今回 は 調 査 の対象としていないが、葉山町には遺族会が発行した戦没者の記 録 がある。﹃遺族会二十五年のあゆみ﹄︹葉山町遺族会、一九七一年︺、﹃葉 山町遺族会会員名簿﹄︹二〇〇三年作成、他年度のものもある︺や﹁はや ま町遺族会通信﹂等であり、これらは本文で適宜引用する。この他に、 編集されたものではないが、戦没者の記録として遺族宅に残された戦死 資料もあり、今回は根岸房良氏の戦死資料を調査した。これについても、 本文で適宜引用する。   戦 没者の記憶や語りに関する調査は、遺族の聞き取り調査を行ってき た。特に葉山町の小峰ミサさんについて、国立歴史民俗博物館が平成 十四・十五年度に﹁戦争と神社祭祀をめぐる資料調査﹂というテーマで 実 施した資料調査に、筆者が資料調査委員として委嘱され、聞き取り調を実施した。その調査の結果は、既に﹃戦争体験の記録と語りに関す る資料調査2﹄︹国立歴史民俗博物館資料調査報告書14、二〇〇四年︺で報 告済みである。小峰さんの夫は、軍属として戦地に出張し、昭和十九 ( 一 九 四四︶年二月六日にマーシャル諸島で戦死した。平成十四年五月降何度か聞き取りを続け、小峰さんの記憶を裏付ける記録の調査を行 う中で、小峰さんの夫の戦死を葉山町全体のなかで捉えてみようとした のが、今回の調査の契機である。 2、調査研究の概要とねらい   葉山町の戦没者については、葉山町が昭和四十︵一九六五︶年十月 に葉山町堀内二一四五の葉山町役場前専有地に﹁慰霊塔﹂を建設し、そ の 塔舎内壁の名板に戦没者四三一柱の氏名を刻んだことが、特筆すべき 公的な記録である。その他、前掲の葉山町遺族会が作成した﹃遺族会十五年のあゆみ﹄に、戦没者の氏名・階級・位勲功・戦没年月日・戦 没 場 所等が載せられている。これらにより、戦没者に関するおおよその 数的情報は得られるものの、実態を示す資料とは言いがたい。  そこで今回は、平成十五年七月∼八月に墓標調査を実施した。寺院墓 地・共同墓地の悉皆調査をめざし、二〇〇名︵一八四基︶の墓標データ を得た。葉山町役場文書は、同年八月∼九月に葉山町役場で所蔵する資 料 のうち、﹁葉山町戦残者名簿﹂・﹁戦没者履歴簿﹂・﹁戦残者整理名簿﹂・﹁戦 争殉難者名簿﹂・﹁將校名簿﹂の五点を、特別に閲覧許可を得て調査した。 戦争記念碑については、国立歴史民俗博物館が平成十二・十三年度に﹁近 現 代における戦争記念物﹂というテーマで実施した﹁非文献資料の基礎 的研究﹂の研究会に、筆者も参加して調査した成果に基づくもので、そ の調査結果は既に﹃﹁非文献資料の基礎的研究﹂報告書 近現代の戦争 466

(3)

坂井久能 [三浦郡葉山町における戦没者の記録] に関する記念碑﹄︹国立歴史民俗博物館、二〇〇三年︺で報告済みである。 今回は墓標調査のなかで再調査を実施した。   これらの調査のねらいは、第一に、軍事行政や遺族援護事務を担当し た役場が戦没者をどのように記録し、そこからどのような戦没者の実態 が 浮 か び 上 が っ てくるのかを探ること、第二に、戦没者を表象する記念 碑等を通して、地域が戦争及び戦没者をどのように受けとめどのように 表象していったのかを探ること、第三に、戦没者の墓標を通して、遺族 が 戦没者をどのように受けとめ、どのように慰霊・供養したのかを探る ことである。 3、三浦郡葉山町の概要   三浦郡葉山町は、三浦半島の西北部に位置し、北は逗子市、東・南は 横須賀市に接し、西は相模湾に面している。東部の畠山︵二〇五・ニメー トル︶から二子山︵二〇七・九メートル︶へ連なる山々を分水嶺として、 森戸川・下山川などが西流して低地を形成し、相模湾に注いでいる。東 西約七キロメートル、南北約四キロメートル、面積は一七〇・〇六平方 キロメートル。人口は約三万人である。明治二十二︵一八八九︶年の町 村制実施により、木占庭・上山口・ド山口・一色・堀内・長柄の六村が 合併して葉山村となり、大正十四︵一九二五︶年に町制を施行し、現在       ユ  に至っている。旧⊥ハ村は葉山町の大字として、現在でも町内の⊥ハつの地 区を形成している。  葉山町は、太平洋戦争中に艦載機が爆弾を投下して木古庭で一名死亡       ︵2︶ し、漁業中に機銃掃射を受けて二名死亡するという被害はあったが、大 きな空襲被害はなかったことで、道路や町並などに戦前期の景観を比較 的よく残している。また葉山町の近代史は一面で保養の町として歩み、 その象徴的な存在が﹁葉山御用邸﹂であった。御用邸の他にも、有栖川 宮︵高松宮︶・北白川宮・東伏見宮・秩父宮などの宮家別邸や、政界・財界・ 文化人・軍人など多くの名士の別荘や居宅が設けら、昭和九年には別荘        ︵3︶ の 数 が 四 三 二 戸 に 及 ん だという。戦後の葉山は、海水浴やヨットなどマ リンスポーツの町として、また平成六︵一九九四︶年に﹁21世紀の緑陰 滞在型の国際交流拠点﹂として湘南国際村がオープンし、御用邸と併せ葉山町の象徴的な存在となっている。葉山町を調査地とした理由は、ヒ記のように小峰ミサさんの聞き取り 調査との関連であるが、その他に、一つには葉山町は右のように空襲被 害があまりなく、鉄道網からはずれており、他地域に比して開発があま り進んでいないことから、景観や歴史資料の残存状況がよいと思われた こと、戸日等が昭和戦前期から激変していない地域と思われたことであ る。二つ目は戦没者の墓標悉皆調査をめざす上で、行政区域として適度 の広さと判断したことによるものである。

山町役場所蔵の戦没者に関する記録

1、戦没者に関する簿冊の概要とその記録  葉山町役場には、昭和戦前期から戦後の昭和二〇年代頃までの戦没者 に関する次の資料︵簿冊︶が所蔵されている。以下これらについての概 要を述べるとともに、戦没 者 がどのように記録されてるのかを探る。なお、こ の 他に﹁將校名簿﹂︹﹁自昭 和二十一年七月施行 將校名 簿 葉山町役場﹂の表題があ る簿冊︺を調査したが、戦 没者の記録ではないので割

麗婆増

纏.

戦没者履歴簿

(4)

国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 愛する。

ω

「 戦 没者履歴簿﹂

ω

「 戦 残 者 整 理名簿﹂

「 戦 争 殉難者名簿﹂

ω

「 葉山町戦破者名簿﹂ ( 遺 族台帳︶ (1︶戦没者履歴簿  白厚紙の表紙に縦書き墨筆で﹁戦没者履歴簿 葉山町役場﹂と記され て いる。黒綴紐で右綴じ、タテニ七・三センチ×ヨコ一九・三センチであ る。本文は、ざら紙にガリ版刷りしたB5判タテの右端に﹁切取線﹂が あり、全て切取線で切り取られた状態で綴じられている。元の用紙はB 4判ヨコの大きさであったと思われる。書式は左のようになっている。 右に﹁履歴書﹂の表題があり、空欄八行に、それぞれの履歴が記載され て いる。ここに納められた履歴書は二四四名分あり、いろは順に綴じ、 検 索しやすいように﹁い﹂﹁ろ﹂﹁は﹂などのラベルが左上に貼られている。 履   戦歴   薯   階  氏級書 生名 年   月   日 年 月 日 ( 空欄は八行ある︶ 入隊応召、進級、退職、死亡、死亡場所等年月日順に記入する 入隊から死亡迄なるべく詳しく記して下さい、書き切れぬ場合は他の用紙を用ひること 死 亡 の 場所・年月日を記す程度のものが多く、その間の記載は少ない。 特に昭和十九・二十年の頃のものは、音信もなく記すべき材料が少なかっ たためであろう。   履 歴 書には、役場担当者のものと思われる書き込みがある。﹁軍属に つき不要﹂、﹁兄弟にて請求権なし﹂、﹁遺族兄弟のみにて請求できない﹂ などは、軍属や、遺族が兄弟の場合には請求権がないということであ る。また、﹁扶助料請求者 妻△ムチヨ 昭和二十九年一月五日﹂︵姓を 伏せた︶というように、戦没者の妻が扶助料請求者であることを明記し た、右の書式によらない履歴書もある。また、右の書式とは別に、右に 「 ( 23 号 書式︶ 履歴書︵扶助料関係用︶﹂と記す活字印刷されたB4判横用紙を使用した事例も二件ある。これらのことから、この履歴書は、 昭和二十八年入月一日に法律第一五五号﹁恩給法の一部を改正する法律﹂ として公布、即日施行されて復活した軍人恩給に係わる、扶助料請求の ための軍歴申立の資料であったと思われる。  戦没者履歴は二四四名分あり、戦没年・戦没場所を一覧したものが表 1である。﹁葉山町戦殼者名簿﹂からも同じような一覧表を作成したが (表7︶、戦没者履歴簿は昭和八年から始まり、軍属を対象としていない ことが異なっている。﹁葉山町戦残者名簿﹂に登載していない戦没者を 五十二名載せていることは、同名簿を補完する資料として貴重である。 また、遺族が記録した戦没者の記録としてはおそらく最初のまとまった ものであり、行政文書として行政側が記録した遺族台帳との違いも注目 すべきことである。それについては後述する。   履 歴書は、戦没者の軍歴を遺族が記したもので、記載欄の末尾に﹁入 隊 から死亡迄なるべく詳しく記して下さい﹂とある。入隊応召年月日と 468

(5)

[三浦郡葉山町における戦没者の記録]・一・坂井久能 表1 「戦没者履歴簿」にみる戦没年と戦没場所 昭和一≡一≡  8≡≡一≡一一 12■●一”≡ 13−=≡≡■≡ 14 ≡≡≡一一一 15−←≡←一一 16−一■≡≡= 17,,},,, 18−一一一一一 19−一一一一一 20−一一一一一 終戦前  20−一一一一一 終戦後 21−一一一一一 22−一一一一一 23−一一一一一 24−一一一一一 合計 内地 陸軍一一一一 海軍  1−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  1−一一一一一 一一一一一一  2  1−一一一一一 一一一一一一  1−一一一一一  1−一一一一一  1  1−一一一一一  2  1−一一一一一  1  2−一一一一一  1−一一一一一 一一一一一一  1−一一一一一 陸軍一一一  海軍 一︸!.6 17 本邦周辺海面 陸軍一甲一一 海軍 一,一一一一 ,一一⇔≡一 一一一一一← 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  2 一一一一一一 一一一一一一  1 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 一旦一3 3 硫黄島 陸軍一一一一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一ラ  1−一一一一一  1 一一一一一一 一一一一一一 一一一一A一 一一一’一一 一一一A−← 陸軍一一一≡ 海軍

⊥1

2 父島 陸軍一≡≡一 海軍 一一一一百一 一香一“’≡ ■一一一一一 一一一一一≡ ■一一一≡≡ 一■一一一一 ≡≡≡一一一 一一一一一一 ≡≡≡一,←  1 ,参一一一一 一≡■■一一 ≡一一一一一 一一,一一一 ,一一一一A 一}一一一一 陸軍一一一一 海軍

0 1 沖縄 陸軍一一一一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  8−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一 一 海軍 一旦一〇 8 ソ連 陸軍一一一一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  5−一一一一一  1−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 .三一〇 6 朝鮮 陸軍一一一一 海軍一⇒一一 軍属 一一一一≡≡ 一一一一一一 ≡≡≡一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一≡ 一一一一一一 ■一一一≡≡ 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一≡≡一一一 一一一一一一 一一一一≡≡ 一一一一一一 ≡一≡一≡≡ 一一一一一一  1≡≡一一一一 一一一一一一  1−≡一一一一 一一一一一一  1 ≡■一≡一≡ 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一’ 一≡一一一合 S−一一一一 ≡一一一一一 一一一一一← 陸軍一←一一 海軍一’一一 軍属 一2. ’∫’ 3 満州 陸軍一一←一 海軍 一≡≡一一一 一一一≡一一  1≡≡≡≡≡≡ ≡≡≡≡■一 一一一■≡≡ ■一一一一≡ 一一■一一一 一一≡≡≡≡ 一’一一一一  1−一A≡≡≡  3−一一一一一  7−一≡’一一 一●一←一} 一一一,一甲 一,一,一≡ 陸軍牛一一一 海軍 一!2.0 12 中国 陸軍一一一一 海軍 一一一一一一  2−一一一一一  2−一一一一一  1−一一一一一  3−一一一一一  4−一一一一一  2−一一一一一 一一一一一一  8−一一一一一  8−一一一一一  6−一一一一一  5−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 .︷1−0 41 仏印 陸軍≡≡≡一 海軍 ≡≡≡梧一一 ←←一一’一 s−A−一一 一一一一一一 一一一一’一 一一一一←一 一一一一←一 一一一一香一 ≡一一一一÷ 〔一一会A一  1−一一一←← 一A香←一一 一一A−一一 一≡一←一一 一s−s−一 陸軍一一一≡ 海軍

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1 マレー 陸軍一一 一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  2−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 .2−0 2 タイ 陸軍一P−一 海軍 一一≡≡≡≡ w.≡■“一一 一一’一一一 一一’一一一 “←一一A一 一一一一一一 一一一一一≠ 一A−←一一 ’一≡≡一一 ≡一’←一一 一一一一←一  1−−s香A一 ’”A−一 会一≡“一一 一一一“≡’ 陸軍≡≡≡一 海軍

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1 ビルマ 陸軍一舗←一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  1 −一一一一一  2−一一一一一  7−一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 一!nO 10 インド 陸軍一一一一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  1 −一一一一一 一一一一一, 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 一⊥−0 1 東シナ海 陸軍一一 一 海軍 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一  1−一一一一一  2−一一一一一  1 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍 一3−1 4 ブイリピン 陸軍≡≡一← 海軍一一一≡ 軍属 一一一一一一 ≡一一一一一 一一一一一一 一会S−≡一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一曽●一一 一一一一一一 ’一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 12 −一一一一一  1 −一一一一一 48−一一一一一  6−一一一一一  1  1 −一一一一一  1 −一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 陸軍一一一一 海軍一一 一 軍属 一〇!一 一8.1 70

(6)

国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 昭和 8 12 13 14 15 16 17 18 19 20 20 21 22 23 24 一一≡≡ 一≡一,“一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 ’一一一一一 一一一一一一 一≡≡一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 方一“←一一 合計 終戦前 終戦後 陸軍 1 12 8 1 陸軍 22 ニユーギニア 一一AA 一一一一一一 一一P−一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一A一 一一一一一一 一一≡一 ≡一≡≡ 22 海軍 海軍 0 陸軍 4 陸軍 4 マリアナ群島 一一一一 P,,一一一 一一一’一一 P−一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一}一一一一 一一A−一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一}一一、 ←一参■≡≡ ≡梧一≡ 一’一一 8 海軍 4 海軍 4 陸軍 陸軍 0

トラック島 一一←一 一s−一ラー 一香←一一一 一香≡一一一 一一≡一一一 一“一一一A 一A“香一’ S−一一一“ 一一一一一≡ ●←一一㌻÷ 梧一“一香一 一一一一一百 ■一■一一■ 一一≡A−一 ≡一一会香← 一A←A−一 一一一一 一一一一 2

海軍 1 1 海軍 2 陸軍 陸軍 0 メレヨン島 一 一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一 一一一一 1 海軍 1 海軍 1 陸軍 陸軍 0 中部太平洋 一’一’ 一≡一一一一 一’一A〔一 一’≡一≡≡ 一一■一一一 一一一一≡≡ 一一’梧一台 一一一’曽■ 一’一一一≡ ’〔会百●一 ≡一≡一“一 一一一一一一 輪≡一一一■ 一一≡⇔≡一 ≡≡一輪’一 一一A−一一 一一一  一一一一 2 海軍 2 海軍 2 陸軍 陸軍 0 南洋群島 一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一≡≡ 一一一一 一≡一一 2 海軍 1 1 海軍 2 陸軍 1 陸軍 1 ブラウン島 一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一’一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一 一一一一 1 海軍 海軍 0 陸軍 1 陸軍 1 マーシャル群島 一≡一一 一一一■一一 一一≡■一一 一一‥一一一 一,一≡=■ 合≡一一一一 一一一一≡一 ≡一一一一一 ≡一≡一一一 一一一≡一一 一一一≡一一 一一≡一一一 一■一一一一 一一一一,A 一一一一一一 一一≡≡≡一 ≡≡一≡ ≡一一一 1 海軍 海軍 陸軍 1 陸軍 1 ソロモン群島 一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一 一一一一 2 海軍 1 海軍 1 陸軍 1 陸軍 1 ガダルカナル 一一一一 一一一一一一 A−一一一一 一一一一一一 ⇒一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一A−一 旛’“≡一一 ←一一一一一 一一一一一一 一一一一 一一一一 3 海軍 2 海軍 2 陸軍 陸軍 0

≡≡∼百 一≡≡一一一 一一会一一÷ 香●会一一■ 一一一一一一 一一香’一一 香ラー≠一A 一’一一〔A ←一一一S← ラーSA“一 梧一一会一÷ 一’”一’ ≡一一≡㌻一 ≡合一一≡■ 一一一一一一 一一香“≡一 A”一 ←一一’

ラバウル 海軍 海軍 0 2 一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一 一一一一 軍属 1 1 軍属 2 陸軍 1 陸軍 1 その他の外南洋 一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一A一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一香一香一 一一一一一一 一一一一一一 一一一  一一一一 3 海軍 1 1 海軍 2 陸軍 1 陸軍 1

南方 一一一一 一一一■一≡ ≡’百A−一 一一一≡一一 一一““−w 一一A’A一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一香一 一一一一’一 ’一一一一← 一一A−’一 舗≡≡≡≡≡ 一≡一一一一 一一一一一一 一●÷≡一一 “一 一 一’一一 4

海軍 1 2 海軍 3

陸軍 1 2 2 陸軍 5

場所記載なし 一A←一 一P−一一, 一一一一一, 一一}一一一 ←一一一’一 一一一≡←一 ≡≡一一一一 一一≡一≡一 一一■一一一 一≡≡一丙≡ 一一一一” 一一≡一’一 一一一一一一 一一一一一一 一一一AP一 A一一一←一 ←一一一 A−−A 8

海軍 1 1 1 海軍 3 場所・年月記載 陸軍 陸軍 1 一一 一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一←一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一 一 一一 1 なし 海軍 海軍 0 陸軍 1 2 3 2 3 5 6 3 46 88 16 20 2 0 1 陸軍 199

一一,一 一}一“一A 一一,■一= “一一一一一 一一一,一一 ≡一≡≡≡一 ≡÷一一会A 一一≡一←一 一一“一一一 一㌻■一≡≡ ≡一一一’一 一一≡≡≡一 一一一一一一 一一一一一一 一,一,≡一 一参一一一一 一一≡一 A−●一

合 計 海軍 0 0 0 0 2 0 3 7 11 15 2 0 0 1 0 海軍 41 244

一一≡一 台一一一輪■ ’←一’一← 一一㌻’一一 一“’一⇒一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一一一一 一一一SA一 〔一一一≡≡ ≡一一一一一 一一一一,一 一一一一丙一 ≡≡㌻≡≡梧 姪■一一’A 一’一’ 一一“一

軍属 1 1 1 1 軍属 4

(7)

坂井久能 [三浦郡葉山町における戦没者の記録] (2︶戦争殉難者名簿  白厚紙の表紙に縦書き墨筆で﹁戦宇殉難者名簿 葉山町役場﹂と記す。 黒綴紐の右綴じ、タテニ六センチ×ヨコ一八・五センチである。本文は、 B4判横の﹁海軍﹂縦罫紙を 袋 綴じにして使用し、ペン書 きで地区別にまとめた戦没者 及び遺族の名簿である。書式 は左の通りで、 一ページに 十二∼十三名を載せ、上部に 通し番号が付けられている。し番号を地区別にまとめる と次のようになる。   ・木古庭地区 ・上山口地区 ・下山口地区 ・一色第一地区∼第五地区 ・堀内第一地区∼第十地区 ・長柄地区し番号1∼15し番号16∼60         通し番号61∼10     つリ  ロひ

通し番号0∼6

    1    1          通

し番号6∼2

    ユ   ヨ 通し番号23∼67     つO  り0 3名追加 2名追加 8名追加 25名追加 27名追加 7名追加 戦孚殉難者名簿 2 1 木 住 〃 古 庭 ◇ △ 所 ◇ △ 木 占 陸 陸 階 長 伍 級 庭 〃 昭 地 19年4月22 和20年7月10 死亡年月口 区 口 日 ○○◇◇ ○ ○ △ △ 戦没者 ○︵﹁︶ ○○ ’、]△ ◇ ◇ 族

続柄 .扶提 助出 料者関 係  ﹁戦争殉難者名簿﹂は、戦没者遺族の転居等による移動で削除が多く みられるが、昭和二十九年八月の死亡削除が通し番号で記載されている ことから、昭和二十九年八月以前に名簿を作成したことがわかる。﹁扶 助料関係提出者﹂が名簿に記されているので、前年八月の軍人恩給復活 による、扶助料申請のために作成された名簿と思われる。  ﹁続柄﹂欄の欄外に﹁・扶助料関係提出者﹂とあり、続柄に﹁・﹂を 付した者と付していない者がいるので、﹁・﹂印は扶助料申請者を示す ものと思われる。これをもとに、追加された人たちを除いた三六七名を 集計すると次のようになる。但し、この資料は加除訂正が多くあり、台 帳として書き加えていったものと思われるので、続柄も当初のもので集 計した。  ・印のあるもの︵扶助料提出者である遺族︶二六二名    父八五名 母六六名  妻七六名 長男五名長女六名次女一名    続柄記載なし︵男︶=名  続柄記載なし︵女︶=一名  ・印のないもの︵扶助料提出者でない遺族︶一〇五名      父一八名母一二名  妻一四名 元妻一名内妻一名妻の夫一名      

長男四名長女一名 養子一名孫一名 兄一二名兄の妻二名

     弟 八名妻の弟一名姉三名  甥七名  叔父三名縁故者二名       続柄記載なし︵男︶七名  続柄記載なし︵女︶六名   扶助料は、妻が第一順位で給付を受けることになっているが、扶助料 を申請している妻は申請者全体の二卜九%に過ぎない︵続柄の記載がな い女性が別に十二名いる︶。父母が最も多いのは、戦没者が妻帯者でな い若い兵士が多かったためであろう。妻が扶助料の提出者になっていな い のは十四名である。内訳は、夫が軍属であることから扶助料に該当し なかったと思われる者六名、﹁転出﹂とあり削除されている者二名、﹁婚 姻に依り遺族なし﹂とあり再婚により要件を失った者一名、﹁住民登録 無し﹂とあるが遺族台帳に妻として載せている者、及び﹁養女となり遺 族 でなくなる﹂とあるが遺族台帳に妻として乗せている者が各一名おり、 何かしらの理由で離籍したと思われる。理由の記載がなく不明は三名で、 うち一名は兄妻と同一人名で記され、兄と再婚したのかもしれない。﹁.兀 妻﹂を含め、離籍により扶助料請求者の資格を失った妻の実態の一端を

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国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 伺うことができる。 (3︶戦没者整理名簿  白厚紙の表紙に横書き墨筆で﹁戦 残者整理名簿 葉山町役場﹂と記す。 紙 紐 で 上 綴じ、タテ↓九・五センチ × ヨコニ七・三センチである。本文 は、B4判横の﹁海軍﹂縦罫紙を袋 綴じにしてヨコに使用し、ペン書き で 地区別にまとめた戦没者名簿であ る。その書式は次のようになってい る。 者整理名簿 鼻 司ロ聯耳 台 誕挫巨 汁 吉 濠じ♪じ 詳 ヨ 在誹 ○ ○じ﹀ 舞 訣 ○ ○ ◇ ◇ 巌 詩 < 》還署 〉 :㌣ ぽ 荏 ヌ 已 紗 令 蛍 丑 記 恒 己 糞 田 蒙 ・受声 謬 t. 記 ≡  呈旨 記  涛ご 江  木古庭地区から長柄地区まで地区ごとに表を作成し、遺族に﹁町番号﹂ の 通し番号を付けている。町番号は欠番がみられ、追加の記載も多く、 町番号が付せられていない追加分もある。地区ごとの掲載状況は次の表 2の通りで、合計四〇七名の戦没者遺族が載せられている。  この﹁戦残者整理名簿﹂は、作成年月日や目的を直接に記していないが、 名簿中に﹁該当セズ﹂﹁該当なし﹂など該当者でないことで抹消されて いる事例が三十例以上あり、﹁在郷死亡者︵平症死ごで﹁非該当﹂とい う記載があることから、戦病死でないと該当しないことがわかる。﹁千 葉で手続﹂﹁金沢区六浦町にて請求﹂﹁本籍にて弟請求﹂﹁東京にて弔慰 金請求済﹂などとあることから、また右の書式にも﹁年金﹂﹁弔慰﹂の 表2 「戦残者整理名簿」掲載者数と町番号 合 長 1司1同・同1同・  同・同1同1同‘同‘堀 同・同1同1同・一 下 上’. 木 柄 1  :  :  1     :  l  l  l   :内 ‘ ‘ 1 ’色‘    ‘       〔    ‘ 山 lll 占 区 計 地 第1第・第1第・  第1第1第・第1第1第 第1第・第・第・第 「| 1| 名 区 十1九1八:ヒ1 六:五1四1ば ’:一 地1地1地1地・ 地1地1地1地・地・地 1[1四‘三‘二‘−  1    ‘         ‘    ‘ 地1地1地・地・地 地区 地区 地区 区1区:区1区1 区1区1区1区1区:区 区,区1区‘区‘区  1    1         1    1 238 239 ,23312261210‘2202061193‘179‘169‘1481130 115‘1061101‘89185 48 13 1 町 ∼ : ∼ 1 ∼ 1 ∼ 1∼  ∼ 1 ∼ 1 ∼ 1 ∼ 1 ∼ 1 ∼

llll∼lll∼

∼ ∼ ∼ 番 267 ‘238‘2311219・225209・2051189‘178‘1571145 126・1131105198187 84 47 12 号’ ‘         I         I         ‘       ‘         ‘         ‘         ‘       1 「    1    ‘    1 169 241240 323 146‘286)324t232‘   311‘197‘185‘172‘1651321 129‘275‘881 ‘301 273 297 268 追 欠 ・ : 1・1・1  ・1・:欠:欠1・1・   ,     ‘     1     ‘ . ・ ・ 加 賛312 1581   1341・329・   3171198‘番 ‘ 番 ‘166 1281’l l l’1  」欠:’: ’:’1’ 159]      ‘   ‘2841   333‘番:‘325‘1641305a47 274 ・300 298 ・299 269 ・314 分の町  .315 .318 .  .  1    ‘ ・  ‘    12791 13321 1 .  1    ‘ .  1    1  ・ 338  恒270 ・271 董’フ 319 . 102iii288i i326i331i3Z・i3ぞ2i 2801 ‘1MI ’   1    ‘    ‘    1 ・   「    ‘    l    l 272 . 320 ・330 ・ 295 .297 . 292 . 108iiil27i il9・i324i298il46i       ・       ● I     I     I     f ‘    I    I    , ‘    l    I    ‘ 342 293 ‘    ‘    1    ‘ ‘    |    1    ‘ ・ 1     ‘     1  °  I      l  ・  ‘     }     l      l 1    ‘    I    l 295 I    l    l    I I     l     I     I . ‘        ‘        ‘        ‘       ‘       ‘        ‘        1         ‘ 1    ‘    I    I 240 1981   1   1277‘      t   l   ‘   1    ‘ l    l    l    ‘ .   ‘        ‘        ‘        1       ‘       1        ‘        1         ‘ 1    ‘    I    I 7 ←  一  一 一  一  十  一  一  十  一  一  十  一  一  十  一 ≡ 一 一  一  十  一  一  ■  一  一  十  一  一  ●  一  一  一  十  一  一      I l ‘   I l l    4 ‘ 7 1 1 ‘ 5 ‘ l l 3 コー↑苫一↑㌃一↑ラ≡↑コ≡ 一’9 ≡−3 ≡一 ≡一一 な番 ‘        I        I        ‘       〔       I        l        |         1 l    I    l    I し旦’﹂ ‘        1        ■        1       ‘       1        ‘        」         ‘ 1    ‘    l    I 407 46    13‘ 8 ‘ 8 ’23 ‘    18126115 ‘22 { 20 ‘22     1        ‘        l        l       l       l        l        ‘         ‘≡一一,一▲一一占一一’一_▲_一_一,凸_一▲,_凸一,占一一一▲_一       175 2316‘1611217  1    ‘    l    l_  _  占  _  _  ‥  _  一  一  _  _  ▲  _  _        74 50 47 15 A掲 計繋 欄があることから、昭和二十七年四月二十五日に成立し、同三十日に法 律第一二七号として公布された﹁戦傷病者戦没者遺族等援護法﹂による 「 遺 族年金﹂﹁弔慰金﹂にかかわる名簿であることがわかる。同法によると、 「遺族年金﹂は、軍人軍属が公務上の負傷、疾病により死亡した場合そ の遺族に支給され、遺族の範囲は⑦配偶者︵事実婚を含む︶、②卜八歳 472

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坂井久能 [三浦郡葉山町における戦三’賭の記録] 未満の子、③六十歳以上の父母、④十八未満の孫、⑤六十歳以上の祖父 母 であった。﹁弔慰金﹂は、昭和十六年十二月八日以後の在職期間内に︵太 平洋戦争による︶公務上の負傷、疾病により死亡した軍人軍属の遺族ま た は準軍属の遺族に支給され、遺族の範囲は①配偶者︵事実婚を含む︶、 ②子、③父母、④孫、⑤祖父母、⑥兄弟姉妹などであり、子・孫や祖父 母 の年齢制限がないことと、兄弟姉妹まで範囲に含まれることが遺族年        ︵4︶ 金と異なり、両者を併せ受けることができた。そこで、本﹁戦破者整理名簿﹂を見ると、﹁説明会﹂欄にチェックが入っ て いるのは、﹁戦傷病者戦没者遺族等援護法﹂︵以下﹁援護法﹂と記す︶ の 公布により、葉山町役場が主催して遺族を集め、同法の趣旨と今後の 手続きを説明したものと思われ、その説明会出席者に対してチェックを 入 れたものであろう。﹁年金用紙﹂欄と﹁弔慰用紙﹂欄に﹁刀﹂﹁η﹂な どと記入されているのは、同法による﹁遺族年金請求書﹂・﹁弔慰金請求書﹂ の 用 紙を配布した日付であろう。堀内第一∼第三地区の﹁溺﹂に始まり、        6 木古庭・上山口地区の﹁η﹂まで、ほぼ地区でまとまった日付が記載さ れ て いる。⑳を除いているのは、昭和二十七年六月二十九日が日曜日で      6 あるため、役所の仕事として説明会を休んだのであろう。同日を除く六 月二十六日から七月一日まで連日、地区ごとに遺族に対する説明会を開 催し、請求書用紙を配布したようである。コ戸籍﹂欄に﹁スミ﹂﹁手済﹂﹁交 付済﹂とあるのは、遺族年金・弔慰金ともに請求に必要な書類として戸 籍 謄 本または戸籍抄本があったからであり、﹁手済﹂は交付手続きが済 ん だこと、﹁交付済﹂は謄本または抄本の交付が済んだことを示すものあろう。﹁請求/弔・年﹂欄は、弔慰金・遺族年金の請求書が提出さ れ た日付を示すものと思われる。一番右の欄は欄見出しがないが、﹁脳﹂ の記載が二五七件、﹁腿﹂が三三件、﹁悲﹂÷28・10・8﹂各一件であり、        4 全 て 数 字 の 右にチェックの印﹁﹀﹂が入っている。この欄の記載は、す ぐ左の﹁請求/弔・年﹂欄に記載がある者とほぼ一致している傾向があ ることから、町役場で弔慰金・遺族年金の請求書提出状況を整理し、県 知事へ提出した日ではなかろうか。昭和二十七年八月十四日にまとめて 提出し、これに漏れた者は九月八日に三三名分を提出したものと思われ る。請求書は、請求者←住所地の市区町村長←都道府県知事←死没者除        ︵5︶ 籍当時の本籍地都道府県知事←厚生大臣という提出経路になっていた。  このようなことから、﹁戦残者整理名簿﹂は﹁援護法﹂による遺族年金・ 弔慰金請求のため、昭和二十七年八月頃に町役場が作成した戦没者遺族 名簿と判断される。同名簿による弔慰金・遺族年金の請求状況を一覧表 で 示すと表3の通りである。 表3 「戦襲者整理名簿」による    弔慰金・遺族年金請求者数 合 計 長柄 地区 堀内地区

亘地区

山晃区山量区 木古庭地区 地区名 407 46 175 74 50 47 15 △掲

暑薯

293 27 131 53 34 35 13 請 弔求 慰者 金 250 21 115 54 26 24 10 請 遺 求 族 者 年

 金

216 16 100 46 23 21 10 両方請求 77 11 31 7 11 14 3 の 弔 み 慰 請 金求 34 5 15 8 3 3 0 の 年

謹金

 ﹁戦残者整理名簿﹂の掲載者は追加掲載を含めて四〇七名であるが、 弔慰金あるいは遺族年金を請求した人の合計は三二七名である。この数 字は、後掲の遺族台帳が三六九名であることから、遺族数としてはそれ より多く、請求者数は少ないことになる。もとより移動の激しい時期で あったことや、﹁援護法﹂は軍人の場合に期間を一切問わず日清・日露 戦争でも対象になったが、軍属の場合は昭和十二年七月七日以降に対象       ︵6︶ を限定していることなど、遺族台帳との違いもあったためであろう。

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国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 (4︶葉山町戦没者名簿︵遺族台帳︶  B5判縦︵タテ26㎝× ヨコー8㎝︶黒クロス張り 綴 込表紙の中央に縦長の 紙を貼り、﹁︵戊辰、日清、 日露、支那、大東亜各戦 役関係︶葉山町戦残者名 簿﹂と墨書し、右に黒綴 紐 二本で二箇所綴じてい る。表紙の次に、B4判横 葉山町戦殼者名簿                       ﹁海軍﹂赤縦罫紙を袋綴じにした、﹁遺家族者﹂ の表題があるペン書きの名簿が五枚ある。名簿には、﹁住所﹂﹁遺族者氏 名﹂﹁備考﹂の欄を設け、備考は末尾の二人に﹁24・2・3﹂の記載が あるのみである。地区別に遺族者氏名を記し、掲載数は次の通りである。     木古庭 一四名 上山口 二八名 下山口 二八名  

 一 色 五二名堀内一〇五名長柄 二七名︵合計二五四名︶

後述のように、本戦没者名簿に載せる戦没者の総数は三六九名である ことから、この二五四名の遺族者氏名は何時の時点のものか明記されて いないが、末尾の遺族者氏名のドに鉛筆で﹁52﹂と書かれていることか       2 ら、﹁24・2・3﹂︵昭和二十四年二月三日︶に二人が遺族として追加さ れる以前にこの名簿一覧が作成され、その時点で二五二名であったこと、 昭和二十四年二月に二五四名となったことがわかる。  本文をなす遺族台帳は、ざら紙にガリ版刷りしたB4判横の用紙を袋 綴じにしてある。台帳は三八七名分あるが、そのうち﹁生死不明﹂者が﹁戦 死﹂者として書き換えられたことで、その一五名分が斜線抹消されて残っ て いるので重複している。また﹁生還者﹂が斜線抹消されて三名分残っ て いるので、台帳に載せられた戦没者の数は三六九名である。   戦 没者の死亡年月口は、昭和十二年十月一日の中国江蘇省での﹁戦死﹂ から、昭和二十二年三月五口のソ連カザック共和国タンケント収容所で の 「 戦病死﹂までであり、日中戦争・太平洋戦争の戦没者に限られている。 表 紙 に 「 (辰、日清、日露、支那、大東亜各戦役関係︶葉山町戦残者名簿﹂ とある戊辰・日清・日露戦役については、﹁海軍﹂罫紙を使用した二枚 の 紙 に 「 戊申、日清、日露戦死者名簿﹂として十九名を一覧表形式で記し綴じているのみで、個別の台帳は存在しない。個々の台帳の右上に表題があり、﹁支那事変大束亜戦争戦残者遺族墓 帳﹂﹁大東亜戦箏死残者遺族台帳﹂﹁大東亜戦争戦残者遺族台帳﹂﹁戦残 者遺族台帳﹂﹁生死不明者墓帳﹂などと記されている。台帳の種類とし ては遺族台帳と生死不明者台帳からなり、生死不明者台帳は同一の書式 であるが、遺族台帳は書式がさまざまである。遺族台帳を掲載事項によっ て 分類すると、六種類に分けられる。それを仮に書式1∼6とし、それ ぞ れ の書式と掲載事項を比較した対照表を表4に掲げた。掲載事項の違いは作成年代の違いとみられるので、それぞれの書式の 記 載 人 数とともに、公葬と英霊帰還の記載数を表5に掲げた。  ︿書式1>は、日中戦争以降の戦没者の公葬について細かに記載して あり、軍事援護が鄭重におこなわれていた時代をうかがわせる、最古の 書 式 であろう。但し、公葬場所が﹁葉山國民学校﹂と印刷されているので、 勅令第一四八号﹁国民学校令﹂によって昭和十六年四月一日以降小学校 を国民学校と称した、それ以降の作成ということになる。︿書式2>は、﹁大 東亜戦争死没者行賞賜金﹂欄が加わっている。同行賞は、支那事変死没 者行賞に続いて昭和十七年九月二十⊥ハ日に裁定され、同年十月に第一回 死 没者論功行賞が上奏されているので、それ以降の作成ということにな る。但し、書式1で公葬場所を﹁葉山國民学校﹂と印刷されていたのが 無くなっていることから、後述のように公葬場所が葉山国民学校で行わなくなる昭和二十年四月以降の状況を反映している書式と思われる。 〈 書式3>と︿書式4>は、記載事項に違いが少ない。ともに︿書式1> 474

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凶 鋸 水秣蝉⋮⋮[騒m鵬e湘鰹翁㎏bねU一宙ヨ酬論撰川] 表4「葉山町戦残者名簿」の書式対照表(1) 書式1 書式2 書式3 記號 記號 戦残者 官等級位勲功氏名生年月日 戦残者 官等級位勲功氏名生年月日 戦残者 官等勲位勲功氏名生年月日 戦残場所 戦残場所 戦残場所 戦残年月日(戦死・戦病死・戦傷死・死亡) 戦残年月日(戦死・戦病死・戦傷死・死亡) 戦残年月日(戦死・戦傷病死) 入営癒召年月日(入営・鷹召) 入管団鷹召年月日(入管・慮召) 入営慮召年月日(入営・麿召) 原隊又ハ鎮守府名 原隊又ハ鎮守府名 大東亜戦宇死残者遺族台帳 原隊又ハ鎮守府名 入管団慮召前 住居地 支那変大東亜戦争戦残者遺族憂帳 入管団懸召前 住居地 入管団慮召前 住居地 支 那事変大東亜戦争戟残者遺族憂帳 職業 職業 職業 年月収 年月収 年月収 遺族 本籍地 遺族 本籍地 遺族 本籍地 現住地 現住所 現住所 戦残者トノ績柄 戦残者トノ績柄 戦残者トノ績柄 氏名 氏名 氏名 生年月日 生年月日 生年月日 職業又ハ学校名 職業又ハ学校名 職業又ハ学校名 備考 備考 備考 行賞金名 金額 賜與年月日 請求書提出年月日 虞理状況 行賞金名 金額 賜與年月日 請求書提出年月日 庭理状況 行賞金名 金額 賜与年月日 請求書提出年月日 虞理状況 特別賜金 特別賜金 特別賜金 扶助料 扶助料 扶助料 金鶏勲章年金 金鶏勲章・年金 金鶏勲章年金 大東亜戦季死没者行賞賜金 生計 資産 生計 資産 生計 資産 負債 負債 負債 入収年月額 入収年月額 入収年月額 支出年月額 支出年月額 支出年月額 生活程度(上中下) 生活程度(上中下) 生活程度(上中下) 援護 授職補導 援護 授職補導 援護 授職補導 育英 育英 育英 種別 年月日 金額 種別 年月日 金額 種別 年月日 金額 部隊葬年月日 部隊葬年月日 部隊葬年月日 靖國神社合祀年月日 靖國神社合祀年月日 靖國神社合祀年月日 御府献納烏眞進達年月日 御府献納烏眞進達年月日 御府献納篤眞進達年月日 祭棄料傳達年月日 祭棄料傳達年月日 祭楽料傳達年月日 陸軍大臣代理慰問年月日 陸軍大臣代理慰問年月日 陸軍大臣代理慰問年月日 初盆香花料交付年月日 初盆香花料交付年月日 初盆香花料交付年月日 皇后陛下御下賜品伝達年月日 皇后陛下御下賜品伝達年月日 皇后陛下御下賜品伝達年月日 肖像画交付年月日 肖像画交付年月日 肖像画交付年月日 三長官供物料 三長官供物料 三長官供物料 公葬年月日 場所 葉山國民学校 公葬年月日 公葬年月日 場所 金額 摘要 金額 摘要 金額 摘要 秩父宮 秩父宮 秩父宮 北白川宮 北白川宮 北白川宮 高松宮 高松宮 高松宮 東伏見宮 東伏見宮 東伏見宮 軍人援護會 軍人援護会 軍人援護会神奈川県支部 〃神奈川縣支部 〃神奈川縣支部 日本赤十字社 日本赤十字社 聯合分會 聯合分会 葉山町分會 葉山町 葉山町 三井別荘 三井別荘 銃後奉公會 銃後奉公会 銃後奉公会 婦人會 婦人会 神奈川縣知事 神奈川縣知事 神奈川縣知事

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口 N ←廿◎DOON 澱ト寸↑搬 胆 庸 ぱ臨鎧巷世箪眠田幽問圃 書式4 表4 「葉山町戦殼者名簿」の書式対照表(2) 書式5 書式6 戦残者 官等級位勲功氏名生年月日 戦残者 官等級位勲功氏名生年月日 戦残者 戦残者官等氏名生年月日 戦残場所 戦残場所 戦残場所 戦殼年月日(戦死・戦   ) 戦残年月日(戦死・戦病死) 戦残者遺族台帳 戦残年月日(戦死・戦病死) 入営磨召年月日 入管慮召年月日(入螢・磨召) 原隊又ハ鎮守府名 大 東 亜 戦 争 戦残者遺族台帳 原隊又ハ鎮守府名 原隊又ハ鎮守府名 入管団慮召前 住居地 入菅団懸召前 住居地 入営団懸召年月日 支 那 事変大東亜戦争戦残者遺族墓帳 職業 職業 公報発令年月日 年月収 年月収 英露帰還年月日 遺族 本籍地 遺族 本籍地 遺族 本籍地 現住地 現住所 現住所 戦残者トノ績柄 戦残者トノ績柄 戦残者トノ績柄 氏名 氏名 氏名 生年月日 生年月日 生年月日 職業又ハ学校名 職業又ハ学校名 職業又ハ学校名 備考 備考 備考 行賞金名 金額 賜与年月日 請求書提出年月日 虚理状況 行賞金名 金額 賜與年月日 請求書提出年月日 虚理状況 記事 特別賜金 特別賜金 扶助料 扶助料 金鶏勲章年金 金鶏勲章ノ年金 大東亜戦争死没者行賞賜金 生計 資産 生計 資産 負債 負債 入収年月額 入収年月額 支出年月額 支出年月額 生活程度 生活程度 援護 授職補導 援護 授職補導 育英 育英 種別 年月日 金額 種別 年月日 金額 部隊葬年月日 部隊葬年月日 靖國神社合祀年月日 靖國神社合祀年月日 御府献納烏眞進達年月日 御府献納鳥眞進達年月日 祭棄料傳達年月日 祭棄料傳達年月日 陸軍大臣代理慰問年月日 陸軍大臣代理慰問年月日 初盆香花料交付年月日 初盆香花料交付年月日 皇后陛下御下賜品伝達年月日 肖像画交付年月日 三長官供物料 公葬年月日 場所 金額 摘要 秩父宮 北白川宮 高松宮 東伏見宮 軍人援護會 〃神奈川縣支部 葉山町分會 銃後奉公會 神奈川縣知事 *英≡霊帰還1ま、 21.6∼25.5 *英霊帰還は、21.9∼23.3 *英霊帰還は、22.7∼26.6 ゆ ト 寸

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坂井久能 [三浦郡葉山町における戦没者の記録] 表5「葉山町戦殼者名簿」各書式ごとの公葬・英霊帰還の記載数 計 6 5 4 3 2 1 書式 370 75 57 45 51 37 105 人 数 英1公霊1葬1771104 英1公霊・葬6610 英1公霊1葬4312 英1公 諺i麹 英1公霊・葬2614 英1公 警i琵 英1公聾i藁 記 載 数 16: :1 :ハ :﹂ :1 11: 15: 13 16 : :1 :‖ :1 :‘ :1 16: 14 18: :1 :1 :1 :1 :1 18: 15 14 : :1 :1 :1 :1 :1 14: 16 13: :1 :1 :1 :1 :1 13: 17 110 : :1 :1 :1 :1 :1 110: 18   116 11   :11 1‘ :1 :1 :1 116 : 19 131 : :1 :1 :1 :1 113: 118: 20   114 581 :1   12 231   1271   14211   1241   1431 21年   :821   :361   :191   :191   :5 1   :21   :11 22年   :291   :241   :11   :41 :1 :1 :1 23   :7 1   :5 1 :‘   :21 :1 :‘ :‘ 以24 降年 * 「 公葬﹂については、実施年月を記載していない事例もあり、合計数は合わない。 「人数﹂は各書式を使用した枚数でもある。但し他府県の台帳二例は除き、生還者三名は加えた。 〈書式2>と大きく違う点は、公葬の摘要欄に記載があった日本赤十字 社’聯合分会∴二井別荘・婦人会の記載が無くなっていることである。 〈式3>は、表題を﹁大東亜戦宇死残者遺族台帳﹂とし、﹁大東亜戦争 死 没 者行賞賜金﹂が無くなっているが、︿書式4>は、その点で︿書式 2>をそのまま踏襲しているので、書式としては︿書式4>の方が古い ように思える。しかし、英霊帰還の記載は︿書式3>は昭和二十二年で 終 わ っ て おり、公報については殆ど記さないが、︿書式4>は公報交付 年月日を備考に相当する末尾の空欄に殆ど記しており、英霊帰還の記載 は昭和二十四年にまで及んでいる。︿書式4>の方が戦後長く使用した 書式といえる。︿書式5>は、公葬の欄が消えたことが大きな特色である。          後述のように、戦没者の公葬が禁止されたのは昭和二十一年          十一月であることからそれ以降で、まだ﹁金鶏勲章ノ年金﹂          欄があり記載されていることから、同年金が廃止された昭和           二十二年五月までの期間の作成と思われる。           ︿書式6>は、行賞金・生計・援護・靖國神社合祀・祭棄料・          陸軍大臣代理慰問等の欄が無くなり、かわって﹁公報発令年          月日﹂と﹁英霊帰還年月日﹂が欄に加わり、従前と比べて極           め て簡略な記載となっている。最も新しい書式であろう。             以 上 の 結 果 から、遺族台帳は書式1←書式2←書式3・書           式4←書式5←書式6のように変遷しているものと推定され          る。但し戦後の物資不足の中ではこの区分は必ずしも明確で          なかったようで、在庫のある用紙を使用したと思われるよう          な、それぞれの書式の使用の幅や重なりの状況が見られる。             以 上 の 書 式とは別に、他府県の台帳も二件綴じられている。         一件は﹁深川逼銃後奉公會﹂が作成した﹁戦残者遺族豪帳﹂で、         ﹁肖像﹂欄に写真を載せ活字印刷されたものである。﹁實地調          査﹂の欄に﹁昭和十五年九月十二日 本喜帳調製且調査未了 事項﹂として調査員﹁中島﹂の押印があるので、その時台帳に記載した ものと思われる。もう一件は、﹁爲﹂印が押され﹁韓出﹂の記載がある﹁戦 残者遺族毫帳﹂である。昭和十七年に戦病死した遺族に﹁府弔慰金支沸 済﹂とあるので、東京府︵昭和十入年七月に東京都︶から﹁韓出﹂して 葉山を現住所としたのかもしれない。書帳欄外右下に﹁昭和二十年 月  日作成﹂とガリ版印刷されている。このような遺族台帳作成の根拠について、東京市の銃後奉公会設置に          ︵7︶ か か わる次の史料がある。     厚 登第二、五一三號  施行 昭和十四年十一月七日           銃 後 奉 公會虚務會計二関スル件依命通牒

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国立歴史民俗博物館研究報告  第147集2008年12月 嚢二訓令甲第百九十三号拉厚登第二、〇四六号依命通牒ヲ以テ指示 致候標記奉公會虞務會計取扱方東京府學務部長通牒二基キ別紙ノ通 決定候條御了知相成度候也 別紙 ⊥ ノ、   銃後奉公會庭務會計取扱方二関スル件 銃後奉公會ヲ設立シタルトキハ左記事項ヲ具シ市長二届出ヅベ シ  ︵中略︶ 銃後奉公會ニハ遺族、傷痩軍人及家族台帳︵様式第三号、第四 号及第五号︶ヲ備付ケ区域内遺族、傷疲軍人及現役又ハ雁召軍 人家族二付洩レナク調査整備シ置クベシ︵下略︶   右 の文書に続いて﹁戦残者遺族台帳﹂﹁傷痩軍人台帳﹂﹁軍人家族豪帳﹂ などの﹁別記様式﹂が添付され、﹁戦残者遺族台帳﹂として下掲の資料 が載せられている。  東京市の史料から、戦没者遺族台帳は銃後奉公会が備え付けておく台 帳 であること、そこに示された台帳の書式は葉山町のものと近似してい ること、などがわかる。﹁葉山町戦残者名簿﹂に綴じられた﹁戦残者遺 族台帳﹂は、葉山町銃後奉公会の台帳として葉山町役場に常置され、戦 残 者遺族の援護にあたる基本台帳として使用されたものであったといえ る。葉山町銃後奉公会の結成については、関係資料を見いだし得なかっ たが、昭和十五年八月には神奈川県内の全市町村で銃後奉公会が結成さ      ︵8︶ れ て いるので、それ以前ということになる。遺族台帳もいつ作成を開始 したのか不明であるが、既述のように最古の書式に公葬場所を﹁葉山國 民 學校﹂とあるので、昭和十六年四月以降ということになり、日中戦争降の戦没者をさかのぼって記載し作成したものである。作成後も記載 東京市の「載残者遺族台帳」

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478

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坂井久能 [三浦郡葉山町における戦没者の記録ユ 内容に変更や追加があればその都度記入してきた台帳である。個々の台 帳の殆どに﹁成井﹂の印が押されており、戦中戦後に役場吏員であった 成井氏の印である。成井氏からの聞き取りはできなかったが、ご子息を 通してうかがったところでは、昭和十四年から三十三年間葉山町役場に 勤務し、終戦時には聯隊区司令部の指示で兵に関係する資料を焼いたと のことである。 3、﹁葉山町戦残者名簿﹂からみた葉山町の戦没者の実態ーさまざま   な兵士の死 (1︶戦没者の数  葉山町の戦没者について、その全てを把握することはむずかしい。資 料 がなく、また本籍・現住所の移動等によりその都度変動するからであ る。昭和四〇年の県の調査によると、葉山町の戦没者は八四四名︵陸軍        ︵9︶ 六 九 三名・海軍一五一名︶で、戦没地別の人数は次の通りである。    満州三六 ソ連地区三五 朝鮮十七 北方地区十五    中国一五七 比島七五 仏印・タイ・ビルマ五六     ニ ューギニヤ方面一六二 南洋諸島二〇八  台湾九    

沖縄十一硫黄島十七内地三十地域不明十六

  昭 和 四 〇年に葉山町が建立した葉山町慰霊塔の名板に刻まれた戦没者 は 四三一柱である。ここで取りあげる葉山町役場所蔵の﹁葉山町戦獲 者名簿﹂は、昭和十二年から戦後までの戦没者及び遺族の台帳であり、 三 六 九名載せている。台帳には、転出者・転入者を含む葉山町に本籍・ 現住所がある戦没者を載せており、日中・太平洋戦争期の戦没者をほぼ 網羅しているものとみられる。但し、既述のように﹁戦没者履歴簿﹂に は 遺 族台帳に登載されていない戦没者が戦前三十四名・戦後十八名、合 計 五 十 二名に及び、特に終戦前後の戦没者で台帳に漏れている事例が多 い。この数を加えると戦没者は四二一名となる。  なお、既述のように﹁葉山町戦残者名簿﹂には、﹁戊申、日清、日露 戦 死 者名簿﹂が綴じられている。十九名の﹁戦争別﹂﹁現住所﹂﹁戦死者 氏名﹂﹁遺族氏名﹂﹁戦死者トノ績柄﹂を一覧表にして載せており、個別 の台帳はない。戦争別の内訳は、﹁戊申﹂一名、﹁日清﹂二名、﹁日露﹂ 十四名、﹁明治四十一年韓国ニテ戦死﹂一名、﹁連合戦争﹂一名である。﹁連 合 戦争﹂の戦死者は、大正五︵一九一六︶年十二月に亡くなった憲兵上 等兵で、第一次世界大戦の戦没者である。これら十九名の戦没者は葉山 町慰霊塔の名板に刻まれており、同名板の戦没者数は戊辰戦争以降とい うことになる。但し、﹁戊申、日清、日露戦死者名簿﹂に﹁戊申﹂戦争 として記されている一名は、仙元山の招魂碑に西南之役での戦死と刻ま れ て いるので、名簿の誤記と思われる。戊辰戦争の戦没者は確認できな い。同招魂碑には、名簿にない西南之役戦死者がもう一名刻まれている ので、西南戦争戦死者二名が記録で確認できた最も古い戦没者である。 (2︶戦没地   「 葉山町戦残者名簿﹂から、年別の戦没地を]覧表に示すと次表の通 りである。︵表6︶   戦 没 地 の 合 計 数 で は フィリピンが一番多く、次いで中国と太平洋地域 である。特にブイリッピンは、殆ど戦死であり、昭和十九年と二十年の 終 戦前に集中している。これは、本県の徴集・召集兵が第四十九聯隊︵甲 府︶や第一聯隊︵東京︶など、第一師団隷下の聯隊に入営することが多 く、その第一師団がフィリピンのレイテ島・セブ島でほぼ壊滅状態となっ たこととかかわるであろう。第一師団は、昭和十九年七月に南方転出の 動員下令により、同年十月のレイテ沖海戦で日本海軍が完敗して連合艦 隊が事実上壊滅したレイテ島に十一月上陸し、米軍との激しい戦闘で全 滅に近い状態となり、セブ島に転進して、終戦を迎えたのである。また、

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