トナカイ遊牧民トゥバ族のスキーと狩猟
は じめに スキーは,狩 猟や採集 ・移動の手段 として使 われていたスキー (古代スキー) と,ス カ ンジナ ビア半島で古代 スキーか ら発展 したスポーツとしてのスキー (近代 スキー)に 分け られる。 近代 スキーの始 ま りについて,ノ ルウェー ・オスロ郊外,ホ ルメンコー レン の丘 にあるスキー博物館 の館長であった故ヤ コブ ・ボーゲ氏十こよれば,960年 ノルウェーの詩人グツ トルム ・シン ドレは 「スキーは高貴な生 まれの戦士の教 育 にふ さわ しいスポーッだ」 と述べ,王 も首領 もスキーを練習 したことを書 き 記 している。氏 はこの記述 を近代 スキーの始 ま りを示す最 も古い もの としてい る。 これが正 しい とするならば,近 代スキーの歴史は約 1千 年 となる。 我が国にスポーツとしての近代 スキーは,20世 紀 は じめに外 国人によって伝 えられたが,そ れ以前 に,雪 国の子 どもたちには 「すべ り遊び」の道具があ り, その歴史は,か な り古い と考 えるが,そ の考古学的な証拠 となるものは,ま だ 見つかっていない。 菅江真澄 (1754∼1829年)は,紀 行文あ 中に 「立 ちソリ」すなわちスキーをス ケ ッチ している。その横 に 「子 どもは,こ れに乗 って雪の斜面 を滑 る」 と書か れている。1784年秋田で書かれたこのスケ ッチが筆者の知る限 り, 日本の記述 として最 も古い ものである。 この様 な 「雪すべ り」が各地で盛 んに行 われたに もかかわ らず,現 代 のスキーに発展することはなかったる 日本では 「遊 びで始 まって遊 びで終 った」 といえる。 日本の古代スキーの痕跡 は,ま だ見つかって 1 ) 」a k o b V a a g e 「S k i e s n e s V e r d e n 」オスロ 1 9 7 9 , 2 ) 菅江真澄著,内 田武志,宮本常一編訳「菅江真澄遊覧記」平凡社 1965,第1 巻 P 1 0 1 夫 唯 下 松い ないが,狩 猟民 であ つた こ とか ら,今 後 の考古学 的発見 に期待 出来 るか もし れ ない。 I 古 代 スキー史の概 略 ぃ暑兵所号魯者昴審岳猪猛苫室捻言元ど東傍 安岳二│こ曾号警結発登景品畳苫岳 遡 ることがで きる。 しか し,古 代 スキーはもっと古 く,雪 国に住む人類の歴史 とともにあつた と思われる。なぜ なら,雪 深い ところや湿地帯で狩 堤rす るた めには,弓 矢 と同 じくスキーが必要であったと考 えられるからである。古代の スキーが発見 されたおお まかな分布 は,ス カンジナビア半島か らユーラシア大 陸 を通 り,ア メリカ ・アラスカ州 までの亜北極帯である。その南限は,緯 度で はな く温度 と降水量 に関係する七度の等温線である。この等温線が十分 な積雪 量 を示す。七度の等温線 は,南 スカンジナビア (オスロあた り)か ら北 アジア を南方 に下 りなが ら東 に走 り,朝 鮮半島 (北緯約四〇度あた り)に 出る。 この 地域の先達者の研究報告 は,ス キーの型 ・材質 ・使用の目的 ・使っていた民族 名 な どの記述が主で,ス キー と狩猟法 ・作 り方 ・操作 ・狩猟 と経済などについ て,詳 しく踏み込 んだ ものはなかつた。 また,ほ とんどの文献は現在使 われて いない と報告 し,現 在 も使 っている民族がいると記述 した ものは少 ない。 中野理│ま,ヘ ロ トドスが書いた 「歴史」あ 中に,ア ルタイ地方 に住 む民族が 山羊足で雪 中を走 つた とい う記述があ り,こ れをスキーに関する最古の文献で ある としている。 また,中 野 は中国の神話・伝説 [山海経]の 中の釘霊之国の 3)Gutorm Qessing「北の山々の絵」オス ロ 1936,北西 ロシアOnegas湖・Zalavrouga湖の岩石
刻画
JakOb Vaage「Skiesnes Verden」オス ロ 1979,
4)ス エ ーデ ン,ソ ビエ ト ・プス コフ(モスクワ北西880キロ)で出上 した木のスキーなど 5)松 下唯夫 「日本 と諸外 国の文化的交流」大阪外 国語大学 1985'1986,北ユ ーラシアのスキー と日本 6)中 野 理「スキーの黎明」四季社 1957,P17∼18 7)ヘ ロ ドトスの記事 は,ス キ タイの商人 ・ギ リシアの商人か らの伝 聞 に もとづいた と考 え られている。その商人のルー トは毛皮街道 といわれ,北 道・南道 ともにアル タイ地方 まで 届 いている と推測 されている(力B藤・前 島 共編 シルクロー ド事典 美蓉書房 1975)
ところ 「その民,膝 より以下毛あ り,馬 蹄 に して,よ く走 る」 をスキーである と解釈 している。 しか し,い ずれ もこれがスキーを言い表 した もの と断定する のは難 しい。雪靴 ・カンジキのことをいっているのか もしれない。 「中国大百科全書」体育編あ スキーの項 には,次 の ように記載 されている。北 史の第九四巻 に中国の北方 についての記述がある 「気候 は最 も寒 く雪が深 くて 埋 もれて しまう,地 面には積雪が多 く,穴 や くぼみに落ちるのを恐れ,木 に騎っ て行 く」 とあ り,中 国では,こ の北史の中に書かれているものが最 も古い もの としているようである。 しか し,こ れ も 「木 に騎 つて行 く」 と書かれているよ うに,ま た,言 語が未分化の時代 を考 えると,カ ンジキもしくは権 か もしれな い。古代 スキーについての記述 は,唐 の時代 (7世 紀∼10世紀)か ら14世紀 ま での古文書 に多 く出て くるが,い ずれ も短文でスキーのことを詳 しく伝 えるも のはなかったが,ア ブ ・ハ ミ ドの旅行記 「心の贈 り物」9キこは,商 人 とクロテ ン の毛皮の取引,ス キーの長 さ,幅 ,型 ,締 具の位置,締 具の種類 と方法,ス トッ クの型 ・材質,ス キー とス トックの操作法が詳 しく記述 されている。これは, 1162年モスール (MOsul・ イラク)で 書かれ,左 横 の余 白にスキーのスケ ッ チ もある。 この旅行記は,信 憑性が高 く,古 代スキーの様子 を詳 しく伝 えるも の として,筆 者の知 るか ぎり最古の ものである。 また,フ ィンラン ドの叙事詩 カレワラに登場するスキーの英雄 レンミンカイ ネンは,シ ベ リアタイガに住 む狩人がモデルになっている。 このことか ら,ス キーの原点は,シ ベ リアの タイガ地帯 にあると推測で きる。この生活手段 とし て活躍 したスキーが,長 い歴史 を経て,約 1千 年前ノルウェーにおいて,ス ポー ツヘ,ま た800年前,戦 争の道具 として使われ始め,ス キーが広 まっていった告 8)「中国大百科全書 ・体育編」中国大百科全書 出版社 1982, 9)ABU・ HAMIDiS(1080∼ 1170)は,三 度 自分の旅行 について書いた。1120年バ クダー ドで 「西方 よ り不思議 なことのア ンソロジー」と1162年モスール (イラク)で「心 の贈 り物」を書い た。心の贈 り物のなかの,ユ ーラシアを扱 った原典の一部 にスキーのことが記 されていた
Cesar Dubler,MIadrid 1953;ARABER VIKINGAR VARINGAR,Stig Wikander 1978, P83
松 下唯夫 「アブ ・ハ ミ ド旅行記 にみるスキーの信憑性 について」日本体育学会 第3 8 回大会 号 1 9 8 7 , P 7 2
︲ ︲ 山内隆教授退官記念論文集 (第329号 ) ト ウ バ 関 係 地 図 カザフスタン 縮尺 2 , 1 5 0 万 分の 1 工 先 行調査 と調査地域 今 日まで古代 スキーの原型 をとどめている 「毛皮スキー」 について,シ ベ リ ア ・モ ンゴルの文献 を調べてみた。スキーを使 っている民族が,生 活 をしてい くために, どのような関わ りをもっているのか,詳 細 な報告は見当 らなかった。 また,最 近の文献 には,ス キーは雪上スクーター (スノーモービル)に 変わ り, 現在あ ま り使 われていない とあつた。スキーの文献は,多 くはロシア人の研究 者の もので,ツ ン ドラや森林 に住む,エ ヴェンキ,ナ ナイ,ハ ンテイ,マ ンシ, コリヤークなど,ほ とんどの少数民族 を対象 にしている。 しか し,東 サヤ ン山 脈 の南側,エ エセイ川源流 に住 むロシアの トゥバ民族 とモ ンゴル国に住 む トゥ バ (ッァータンと呼ぶ)の 毛皮スキーについて,詳 しく調査がなされていない 事がわかった。
トウバ族 は,現 在のロシア連邦 ・トゥバ 自治共和国 とモ ンゴル国にわかれて トナカイ遊牧 と狩猟で暮 している。 もともと トゥバの人たちは, トナカイとと もに季節 によって自由に移動 していたが,モ ンゴル人民共和国が成立 (1924年) 後,国 境線 を引かれて しまい移動が出来な くなって しまった。国境線が引かれ た とき, どち らの国に所属するか選択肢が与 えられ,1994年 現在モ ンゴル北西 部 に29家族160人が暮 している。 モ ンゴルの民族学者 S・ バ ダムハ タン(c.БAДAМ XATAH)は ,1959年 と 1960年に,モ ンゴル北西部 ツァガンノール郡の山岳地帯 をフィール ド調査 し, 1 1 ) そ の報 告 書 が あ る。 氏 の報告 によれば,ス キー (ЦAHA, ト ウワ族 はハークxAA「 とい う)は 冬 に使 う。 これは,ラ シ ド ・ア ド・デ ィンの書いた13∼14世紀のチ ァネ(ЧAH Э)と同 じもので,長 さ160∼ 180cm,幅 15∼16cmの 白樺 の木 を切 り,平 らに し て先の方 を曲げる。底 (滑走面)に 馬 または,カ モシカの皮 を張 り,毛 足のあ る面 を外 に出 し,真 ん中に 「心臓」 と呼ばれる違 った色の皮 を縫い付 ける。前 へ進みやす く,後 へ滑 らないようにするため,毛 並みを後方に向けて作 る。冬 期,狩 りをするためにスキーを使 つていた と老人たちは話 していた。また,今 , スキーをあまり使わないか ら,ス キーをつけて行 くことが出来る人はいな くなっ てい る。 ウラー ンウール郡 のサ ンダク (cAHД A「 )エレクゼ ド(DPЭFЭД)た ちにスキーがあるけれ ども彼 らはあま り使 わない と語 っている。 とスキーのこ 1 2 ) とについて,数 行 だけ記述 している。 またその後,こ の地 を調査 したキャロライン・ハ ンフリーの報告 もある。キャ ロラインは,バ ダムハ タンのように,奥 地の森林 に住み, トナカイ遊牧 と狩猟 で暮す トゥバ族のフィール ド調査 は していない。 また,ス キーの記述はな く, モ ンゴル政府の定住化政策で出来たゴルバ ンサイハ ン(「yPBAHCAЙ XAH)村
11)c.aД aMxaTaH「 xoBcFЛ ИЙ ЦAATAH APД LIH AX Б AЙ ДЛЫH ToЙ М 」yЛaaH 6aaTap
1 2 ) 同 上 , P 3 4
1 3 ) キ ヤ ロ ラ イ ン ・ハ ンフ リー 「世界 の民 族 。第 1 4 巻, シ ベ リア ・モ ンゴル」平 凡社 1 9 7 9 , P 7 4-74
で聞 き取 り調査 しただけである。バ ダムハ タンが記述 しているように,も うス キーは使 われていないのであろうか。筆者は,モ ンゴルの都市部か ら トゥバ族 の居住地へ行 くには,ア クセスが非常 に悪いこと。山深い タイガの森で遊牧す る特殊性か ら,ロ シアやモ ンゴルの近代文明の影響 をあまり受けていないので はないか と考 えていた。 1989年夏の予備調査 で,そ の人たちは数千年前 とあま り変 らない暮 しを続け ている とい う情報 と, トウバの毛皮スキー (片方)が ,ウ ランバー トル市のス ポーツ宮殿 にあつた必 のスキーは,前 方の反 り上がった部分が高 く,雪 深い と ころで使 っていたことを示 していた。文明の影響 を受けない間に急いで調査 を す る必要があつた。 また,調 査の報告がない同 じトナカイ遊牧民のロシア・トゥバについて も, 急いで調査 をす る必要があつた。 Ⅲ調査の概略 1991年夏から,モ ンゴル国北西部フブスグル県ツアガーンノール郡 (LIA「AAH HyyP cyМ )に住 む トゥバ族 を調査 した。 ここは,ロ シアの国境 に近 く,エ エセイナll(モンゴル名 シシク ド川)の 最上流部で三千 メー トル級の山々に囲ま れたタイガ地帯である。山深い森で トナカイ遊牧 と狩猟で暮 している トゥバ族 の居留地 までのアクセスは,フ ブスグル県の中心都市ムル ン市か ら,ゴ ルバ ン サ イハ ン村 まで約260km,峠 の一部 を除いて道 らしき道はな く,湿 地や河川が 多い。 さらに,川 には橋が↓手とん どな く,雨 で増水 した ら2∼ 3日 は渡 るのを 待 たなければならない。腰 まで浸かる深い川で も渡 ることが出来 るジープ車か 大型 トラックが必要である。冬期 は,川 や沼地が凍 るので容易 に行 けるが,気 温がマ イナス35度か ら40度まで下が るので難 しい。 ゴルバ ンサ イハ ン村か ら奥 地 までは馬 を使 う。エニセイ川の北東部へ は馬で 3日 。南西部へ は馬で 2日 か かる。いずれ も,夏 営地は標高 2千 ∼2500メー トルの高原湿地帯にある。この 地域の調査 はモ ンゴル人の民族学者バ ダムハ タンが入村 しただけで,外 国人に は33年間,立 ち入 りを許可 しなかった。幸いにモ ンゴル政府機関,モ ンゴル・
トナカイ遊牧民 トウバ族のスキーと狩猟 7 オ リンピック委員会,ス キー連盟の援助で調査が実現 した。 ロシア側の調査地は,イ ルクーックから週 1便 の飛行機に乗 り,首 都のキジー ル (KL13Ы江)ま で行 き,そ こか ら, トージャの中心地 トーラ ・ヘム (T00pa― xeM)ま でエエセイ川源流 に向かって高速 カーター船で10時間,冬 は川が凍る のでヘ リコプターで 1時 間,そ れ以外の交通手段 はない。東サヤン山脈の南側 の トージャ地域の人口はお よそ 6千 人,そ の内の 3分 の 1が トーラ ・ヘムに住 んでいる。残 りの人びとの内約30家族が トナカイ遊牧民である。 2つ の交通手 段,自 動車 と トラクターに乗 り,最 初 の宿営地 アザス湖 (A3aC)に 着 く。そ こか ら トナカイ遊牧民の夏営地 まで,馬 に乗 り約250キロメー トル,片 道 7日 間の道程 である。 タイガの森 は,苔 に隠 された大 きな穴,馬 の腹 まで入る湿地 ・泥沼,倒 木,岐 ,ブ ユ,突 然現われる深い川 と雨など,容 易に人を通 して く れない。森 を過 ぎると高原湿地帯 に入 り,そ の上は,寒 冷な,そ して トナカイ ・パニ ックになる恐れのない虫 (蚊 ・ブユ)の いない,雪 が積 もっている一歩 手前の高い山々に, トナカイ遊牧民の夏営地がある。そこはウデゲ ンといい, バ ラン (БapaH)一 家が住んでいる。 [モンゴル側調査] 調査 は,1989年 夏 に予備調査 をし,1991年 か ら1998年冬 まで (95年は除 く) 7回 行 った。 1回 の調査 には平均25日間を要 した。1991年には,文 部省 「海外 学術調査費」 を受けた。 [ロシア側調査] 調査 は,1993年 夏か ら1995年夏,1996年 冬 に合計 3回 行 った。 1回 の調査 に は平均35日間を要 した。 Ⅳ ト ナカイ遊牧民 トウバ族の暮 し モ ンゴル ・トゥバ族の ことをッァータンという。周辺のグルハ ト,ハ ルハ族 な どの人たちが,彼 らのことをッァーブガ(ЦAAБ y「A・ トナカイ)を飼養す る人 たち,ま た 「トナカイの肉を食べ る人たち」 とい う意味でツァータンと 呼んでいる。 この名称 は,蔑 視用語でツァータンの人たちは不快感 を示す。キ
ンゴルの トナ カイ遊牧民 トウバ族 の人 口は,1994年 現在約800人 ,内 454人 は村 に住 み,160人 は森 の 中で トナ カイ遊牧 と狩猟 で暮 してい る。残 りの人 た ちは 他 の郡部 に住 んでい る。160人 の内,12家 族 50人 はエ ニセ イ川の北東部 に住 み, 17家族 110人 は南西部 に住 んでい る。
調査 の ガ イ ドを して くれ た ム ンフバ ツ ト(HAЦ A「 МOHXБ AT 1932年 生 れ)は ,私 たちは、ウイグル語 を話 す ウイグル系 の トウバ族 であ る。 ト ウバ族 と い う呼 び名 は総称 で,オ ラ ト(yPAT)バ ル クシ (БAЛ 「ILl)サヤ ン(cAttH)
ドゥ ドゥ ド(ДoД OД )ヘ ム シク (xЭМIIIИ「)グ ル ガ ラール (ДAPFAttAAP) な ど,ウ イグル系 の人 たちの こ とをい う,と 説 明 して くれた。 エニセイ川上流 (モンゴルではシシクド川)の 北東部に住む人のことを, トゥ バの人たちは 「東の森のウイグル人たち」 と呼んでいる。同様に南西部の人た ちを 「西の森のウイグル人たち」呼ぶ。1994年現在, トナカイは総数約1200頭 飼育されている。彼 らは, 1家 族に40頭の トナカイがいれば生活が出来るとい つo ロ シア ・トゥバ 自治共和 国, トー ジ ヤ地 区の トウバ族 の人 口は,約 6000人, そ の約 3分 の 1が 中心 地 トー ラ ・ヘ ム (T00pa一XeM)に 住 んでい る。残 りの人 び との うちの約30所帯が トナ カイ遊牧 を してい る ら しい。正確 なこ とは,役 所 で もつ か んで い ない。 ト ナ カ イ遊 牧 民 の主 な氏 族 は,バ ラ ン (БapaH)ア ク (AK)コ ル (KOЛ )で 結婚す る とき夫が姓 を変 えるこ ともあ る。我 々が訪 れ た ビク トル ・バ ラ ン (БapaH BИKTOp)が その例 であ る。 トナ カイ遊 牧 と狩猟 で暮 してい るロシア側 とモ ンゴル側 の人 たちは,ほ とん ど生活様 式 に差異 は見 られ ない。 もともと国境線 を引かれ る まで一緒 に暮 して い て,遠 い親戚縁 者が両 国 に居 る とい う。 しか し,モ ンゴル側 は伝統 的 な円錐 形住 居 に住 んでい るが ,ロ シア側 は, ト ウバ の大統領 か ら贈 られ たテン トで暮 して思諸そ しか し,時 が経 ってテ ン トが使 い古 されて しまった時,再 び円錐形 住 居 に戻 る と思 われ る。 トゥバ の 人 た ち の住 居 は ,森 の生 活 に合 っ た 円錐 形 住 居 ウル ツ (yPЦ , AЛAXy O「 )というものであるウルツは,丸 太の木 (だいたいカラマツの生
木 ,長 さ 5∼ 6メ ー トル)を 使 う。小 さい ウル ッは,丸 太 19本∼21本 を円錐 形 (底辺 の直径 約 6m)に 組 み合 わ る。大 きい ウル ッには28本∼32本 を使 う。 最 初 に,先 が二股 にな った 中心 の木 (ゴルの木)を用 意 し、これ をウル ツの西北 の位置 に立 て,他 の木 を左 と右へ と丸 く置 きなが らゴルの木 に寄 り掛 かせ る。 また,二 股の木のかわ りに 3本 の木の先 を くくり,そ れに他の木 を寄 り掛かせ る方法 もある。円錐形 に組み合 わされた木 に,昔 はシベ リア松 (「AЩ yyP)の 樹皮 を剥 ぎ取 り,そ れを小 さ く四角 に切 った ものを張 りつけていたが,19世 紀 頃ロシア人 とブ リヤー ト人か ら,布 を買い初めてか ら布 を使 うようになった。 布 は,巾 l m20cmで長 さの合計が40mく`らいの ものを使 う。布 を巻いた後,風 で飛ばされないように 7∼ 8本 の木で押 さえる。冬季マイナス40度になっても, 薄い布の中で暮す。 また,寝 る前 にス トーブの火は消 され,地 面に敷かれた毛 皮 の中に潜 るように して眠る。ウルツの入 り回は南 にあ り,入 って左側 には ト ナカイの鞍,皮 紐,服 ・靴など,狩 りの時に使 う道具 を入れた袋,鉄 砲がある。 正面 に神棚,時 計 回 りに見 ると,そ の並 びには子 どもたちの袋 (服 ・靴など) 子 どもの鞍,丸 太 を くりぬいた揺 りかご (吊り下げてある)女 性が使 う道具, 女性の服 ・靴,食 料袋,お 茶の入れ物,炊 事用具 (やかん ・杓子 ・水入れ ・小 臼など)が ある。ほとんどの物は,丸 太 とブルースの間に挟んで吊 してあった。 中央 には,ス トーブまたは五徳 (燃料 は木)が ある。お客様が座 る位置,主 人 の場所,子 ども,女 性が座 る所は決め られている。冬 に使 う狩猟の道具 (毛皮 スキー)は ,狩 場 に置いてある。スキーは他人に見つからないような所の大 き な木 に,ぶ ら下げて置 くだけである。 食事 は,モ ンゴル,ロ シアともに,肉 ・パ ン ・乳製品 ・魚 ・お茶で,小 麦粉 ・お茶 ・塩は自給することは出来ないので毛皮 ・角 ・肉などと物々交換で手に 入れる。 [移動 と年間スケジュール] ツン ドラ地帯 に住 む トナカイ遊牧民 は,草 や苔,ま た,害 虫の少ない寒冷地 を求めて,時 には 1千 キロ近 く移動するが,そ れに比べて,モ ンゴル,ロ シア の トゥバ族 は,夏 は標高の高い所 に,冬 は標高の低い森に移動する。移動の回
数は,そ の年の気候 によつて違 うが,だ いたい 6回 か ら10回移動する。移動す る距離 ・範囲は,国 境線 を引かれた関係 もあって,モ ンゴルは半径約50キロ, 1回 の移動距離 は20キロぐらいである。ロシア (トージヤの人たち)は ,半 径 約150キロ, 1回 の移動距離 は,家 畜の頭数 にもよるが20∼30キロ ぐらいであ る。モ ンゴルでは,他 人に家畜の世話 を依頼することはないが,ロ シアでは, 寒 さの厳 しい冬季 は,村 か ら100キロ く`らいの所 に移動 して来て, 3家 族の ト ナカイをまとめて 1家 族が飼育す る。他 の 2家 族 は,村 に行 って休養す る。飼 育 は 1カ 月,休 養は 2カ 月の交代制である。 9月 ∼11月は じめ 1才 トナカイの去勢, トナカイの交尾 11月∼ 2月 中 旬 狩 りをす る (獲物の種類 によっては 1年 を通 して) 特別 な仕事 はない 自然 に落 ちた角拾い トナカイの出産 ( 5 月 1 5 日∼ 6 月 1 0 日頃まで) 乳製品を作 る, 6 月 中旬∼ 7 月 トナカイの角切 り 特別 な仕事 はない *搾 乳 6月 ∼ 7月 , 1日 2∼ 4回 搾乳, 1頭 につ き 1回 約200g 8月 ∼ 9月 , 1日 1∼ 2回 搾乳, 1頭 につ き 1回 約100g V ト ゥバ族の狩猟 と毛皮スキー 狩 りによ く出かける人は,飼 養 トナカイが少 ない森の人 と,村 に住 む狩 り専 門の人たちである。その人たちは, 1年 中狩 りをして,生 計 を立てている。主 な獣 は,ク ロテン ・マヌルネコ ・クマ ・リス ・シカ・カワウソ ・ヘラジカ ・ト ナカイ ・イノシシ ・ノロジカ ・川魚である。 ビーバーは現在保護 されている。 本寸に住 むモ ンゴル ・トゥバ,サ ンジー ン ・ソ ドフ (c・coД①B 1939年生れ) の 狩場 は,ゴ ルバ ンサイハ ン村の西北150kmのジャムッ山にある。そこには, 冬 になって川 と上が凍 らない と行 くことが出来 ない。毎年10月20日に犬 と トナ カイを連れて出かける。狩 は 2カ 月間続 け,村 には12月に帰 って来る。村 に10 日ほ ど滞在 し,狩 の準備が出来た ら, 2回 目の狩 りに出発 し, 3月 のは じめま 2 月 3 月 ∼ 4 月 5 月 6 月 ∼ 7 月 8 月
で戻 らない。 1日 の平均気温マイナス30∼40度の中で狩猟 をしている。眠るの は小屋ではな くほ とんど野外である。雪の上 に,生 木の枝 を敷 きつめ,そ の上 で焚火 をして食事す る。食事が終 った ら火 を消 し,そ の上 に毛皮 を敷 き,毛 皮 を被 って寝 る。焚火の余熱があって暖かい と話す。服装 は,必 ず綿入れの物 を 着 る。毛皮 の服 は汗 を吸い取 ることが出来ず,汗 が凍 って しまい命が危 ない。 食料 の肉は, トナカイ 3頭 分 を持 って行 く。 2頭 は自分の食用 に, 1頭 は大が 食べ る。銃 は背中に担 ぎ,歩 いた り,ス キーや トナカイに乗 った りして行 く, 毛皮のスキーは,雪 の深い ときに使 うが 「毛皮スキーは,音 が しないので獲物 に近づ くことが出来 る。毛皮スキーのない狩 りは考 えられない」 とソ ドフはい う。毛皮スキーが現在 も使われている,大 きな理由であることを確認できた。 [主な狩猟獣 と期間 ・値段]1994年現在 「モンゴルの狩人ソ ドフ氏場合」 *モ ンゴルのサラリーマンの平均給料約12000トゥグルク (クロテン1匹 の毛 ▲ クロテ ン ( Бy ЛA ) オオヤマ ネ コ (ЩИЛyyc) アナグマ (HoxoЙ 3ЭЭX) リス (xЭ PЭМ ) シカ (By「 A) クマ (臥 AB「 AЙ ) ▲ヘ ラジカ (xAH/1「 AЙ ) トナ カイ (Ц AA「 OPOOC) イノシシ (「AXAЙ ) ノロジカ (БoP「 oPOOC) ▲ カワウソ (ycHЫ БyЛ「A) (狩 猟 期 間 ) (毛 皮 一枚 の値段 ) 10月20日∼ 2月 15日 1万 ∼ 2万 トウグルク 1 0 月2 0 日∼ 2 月 末 2万 ∼ 2万 皮で 1 カ 月暮す ことが出来 る) ▲ 印の獣 は現在猟 を禁 じられているが,奥 地 で官憲が入れないため,伝 統の狩猟 は密かに行 われている。
[クロテンの狩猟」
々 9 月 ∼翌年 4 月 9 月 1 5 日∼1 0 月2 0 日 9 月 ∼翌年 4 月 々 々 1 万 ∼ 2 万 5 千 1 0 0 ∼ 1 5 0 1 万 ∼ 2 万 5 千 々 々 々 々 々 9 月 2 0 日∼1 1 月2 0 日 々 8 月 1 日∼ 3 月 1 日 々この地方のクロテンの狩猟 は,10月 ∼12月まで民猟,12月 ∼ 2月 15日まで銃 を使 う。クロテ ンの毛は10月20日∼ 2月 15日までが一番良い。それ以後は,交 尾 が始 ま り毛が痛 むので良 くない。民猟 は、ザ ンガ (3AH「 A)と い う仕掛け で足 を掴 み,首 を木で押 さえ,右 手で心臓 を強 く握 って殺す,す く`に解体 して 毛皮 と肉に分ける。クロテンがいる所 は,岩 が多いのでスキーは近 くに置いて 行 き,待 ち伏せて銃で打つ,も しくは民 を仕掛ける。牝のクロテンは捕 らない ことに している。見分ける方法は,雪 の上についた足跡 を見る。雄は遠い所ヘ 出かけ,歩 幅が大 きい。それに比べ て牝 は,自 分の穴の近 くしか動かない。ま た,歩 幅は小 さいのです く`判 る。クロテ ンは, 1つ の山に 1匹 住 んでお り,12 月20日か ら2月 15日まで約 2ヵ 月間だけ穴で生活する。その他 はブラブラして いる。 2月 中頃,交 尾するとす く`別れて しまい, 5月 頃, 2匹 の子 どもを生む。 子 どもは大 きくなると母親の穴か ら出て行 って しまう。クロテ ンは 1年 に 2回 出産す るので,大 きな山ひとつにつ き,捕 るのを3匹 以内にすると,毎 年一定 の数が捕れる。 クロテ ンは,警 戒心の強い動物で,他 の動物や人間に穴 を見つ け られない ように,工 夫 して足跡 を付 ける。 しか し,狩 人には簡単 に見つけら れて しまう。 また,人 間が穴 に近づ くと,す く`に穴 をかえて別 な所へ行 って し まう。クロテンの鳴 き声は,大 が怒 った時に出す声 「ウー,ウ ー」 に似ている。 クロテ ンの餌 は,果 物 (ЖИМc)木 の実 (cAМ AP)ネ ズ ミ ・小 さなウサギ等 を食べ る。サ ンジー ン ・ソ ドフのノー トか らクロテン捕獲数を年度別 (1972年 ∼1993年)に 見 ると,22年 間で529匹捕獲,年 平均24匹である。年度毎に見て も,毎 年平均値 に近い捕獲数である。氏がい う動物 を絶や さない工夫 を長年続 けている結果である。現在,モ ンゴル政府 は,ヘ ラジカ ・クロテン ・カヮウソ 猟 を禁止 しているが,保 護 に自信 をもっているソ ドフには届かない。 [毛皮スキー] モ ンゴル ・トゥバ族の人たちが, 1年 間に移動する範囲は直径50kmぐらいで, 他 国の トナカイ遊牧民 に比べてエ リアが狭いのが特徴的である。 ここは,標 高 2千 mか ら2千 5百 mの 高原湿地帯で,積 雪量 も多 く,冬 期はマイナス30度か ら50度になる。高原湿地帯のまわ りの山々は, 2千 8百 mか ら3千 m級 で低い
潅木 とガレキの山である。高原か ら少 し下ると,タ イガの森が広がる。ここに 暮 している人たちのスキーは,近 くにある材料で,地 形 ・積雪量 ・雪質 ・狩猟 の方法 に合わせて作 られている。この様 な狭いエ リアで,ほ とんどの人たちは, よ く知 り合 つた関係 にあるのに,ス キーの作 り方はそれぞれ違 っていた。 [スキー台]の 作 り方 (ソ ドフの場合)木 部の材料は,シ ベ リア松 (「AЦ yyP) で, 3月 の終 り頃の木は水分 を多 く含んでいて,柔 らか く曲げやすいので切 り, ノコギ リで板状 にカ ッ トす る。スキーの前方部分 (トップ)を 曲げる方法はス 図2) ケ ッチの ように固定 して,夏 まで乾燥 させ る。その後,形 を整 え,秋 に 毛皮 を張 る。他 に木枠 を組 んで曲げる方法,お 湯 に浸 けて出げる方法などがあ り, 近 くに住 んでいなが ら,そ れぞれ違 っていた。 また,後 方 も少 し曲げる。これ は,坂 を登 るとき,ス キーが後方 にずれて,雪 の中に沈み込 まない様 にするた めである。 [締め具]足 の固定の仕方は, 4つ の穴 をあけ,皮 紐で結ぶ告 また,足 を乗せ る部分 に皮 を張 り付 けてあるのは,そ こに雪が付かないようにするためである。 いずれ も,睡 は上が り固定 されていない。 [滑走面]毛 皮 はオオジカ ・ウマ ・トナカイ等の足の歴の部分 を使 う。ロシア は,馬 の毛皮が手 に入 らないので トナカイの毛皮 を使 う。これを幾つか継 ぎ足 して滑走面全体 に張 る。毛並みは後方に向けて張る。これは,前 に進みやす く, 坂 な どで後へ滑 らない ようにするためである。また,物 事 にこだわる人は,右 足 の毛 は右のスキーに張 り付 け,左 足の毛は左のスキーに張 り付 ける。 また, 図4) 滑走面 に三角形の部分があ り,ズ ル フ (心臓 3yPx)と 呼 ばれている。 この 部分 の毛皮 は,毛 足の短い色の違 った ものを使 う。これは,現 代のスキーの溝 にあた り,真 っす ぐ進めるように工夫 された物である。ズルフのない物 もあったと [ス トック]ス トツク (杖)は 1本 で,川 岸 に沢 山生 えている白いブルガス (БyP「AC)を 使 う。 この木は,軽 くて丈夫である。また,握 る部分 (グリッ プ)は ,木 の節や枝の部分 を利用 して,握 りやす くしてあった。 [靴]ス キーのために特別 に作 った靴でな くて も,滑 ることがで きるが,非 常 に寒い所 なので彼 らは,雄 カモシカの毛皮 を使 って靴 を作 る。雄 カモシカの毛
皮 は,皮 が厚 く丈夫で,暖 かい。皮紐 も,雄 カモシカの皮で作 ることが多い。 [毛皮スキーと狩猟] デ ンズェン ・サ ンジ (ДЭH3ЭH CAHX 1932年 生れ) の場合 スキーは,シ ベ リア松 (「AЩ yyP)の 木で作 り,オ オジカの毛皮 を張 った。 オオジカの毛皮が一番滑 りやす く,長 さは 2m,巾 22cmのスキーを使 う。大 き い動物,オ オジカやクマを捕 るときは, 2∼ 3人 チームを組んで狩 りをする。 1人 で狩 りをする時 もあるが,事 故の時は困るのでそうした。彼 らの狩 りは, トナカイに乗 って行 き,食 料 はソリに積み トナカイに引かせる。途中, トナカ イを置いて,さ らにスキーで遠 くへ行 って狩 りをする。一度の狩 りに10日から 20日 ぐらいかけ,片 道100kmく`らい先 まで行 く。獲物 は,雪 が多い ときは,オ オジカ ・イノシシ ・クマ ・クロテン ・リス等 を捕る。クマは,大 に穴 を探 させ, スキーで近づいて銃で打つ。狩 りの時は,全 て野営する。 一番楽 しい狩 りは,雪 深い山麓や谷で休んでいるオオジカを捕る時である。 オオジカに気づかれない ように,風 下 または横風 を受けなが ら,ス キーで山を 登 り,山 の頂上か ら滑 り降 りて,オ オジカに近づ き銃で仕留める。昔はナイフ を使 っていた。斜面 を滑 り降 りる時,直 滑降は両足 (両スキー)を 肩幅ほど広 げて安定 させ る。獲物が左へ逃げた ら,左 足 を少 し前 に出 し,両 膝 を軽 く曲げ なが ら左ヘ ター ンをす る。右 ター ンはその逆 をすると また,止 まって銃 を構え る時,体 を安定 させ るために,右 手で引 き金 を引 く人は,左 のスキーを前方ヘ 持 ち上げ,右 のスキーの上 に重ねるようにクロス させ る。 獲物が捕れた次の 日は,休 みに して肉を食べ,皆 でスキーを楽 しむ。丘の上 か ら誰が一番早 く滑 り降 りるか。林の中,木 の間を誰が一番上手に滑るか。ス トック無 しで誰が一番上手 に滑 るか競争 した。狩 りに行かない日も,近 くの丘 に登 ってスキーを楽 しみなが ら練習 をした。練習は,丸 くした木の玉 を,上 か ら転が して,後 か らそれを追いかけて銃で撃った。 写真4 ) ロシア ・トゥバのスキーは トナカイの毛皮 を使 っているが,そ の他,長 さ ・ 幅 な どは, ほ とんど同 じである。馬の毛皮 は, 3∼ 5年 く`らい保つが, トナカ イの毛皮 は 1 年 しか保 たないので,毎 年張 り替える。
Ⅵ ま とめ 生活手段 として使 っていたスキーについて,1980年 か らフィール ド調査 して いる。は じめは 「スキーは伝播 ・変容 して世界 に広 まった」 と考えていたが, 最初の調査地 ノルウェー,ス エーデンの資料館 ・倉庫 を見て,そ の考えが間違っ ていることに気づいた。特 に,ス トックホッムの博物館の倉庫 には,お びただ しい量の古代スキーがあった。バスケ ッ ト・コー トぐらいの広 さの所 に見易 く, 整理 されてあ り,そ れを 2日 間調べ たが,類 似 した共通点は,締 め具の四つ穴 (皮紐 を通す穴)だ けで,他 に見い出す ことはで きなかった。その後,ロ シア 連邦のエベ ンキ族 ・ブリヤー ト族,モ ンゴル,韓 国などのスキーをフィール ド 調査 したが共通点はない。 日本の民族学博物館 にある中国,カ ムチャッカ半島, アラス カ州のスキー も同様であった。 古代 スキーの伝播 ・変容 について,私 な りの結論 は得ている。前述の,西 の 森 に暮す人たちは,ス キーの作 り方 にも3つ の方法があ り,ま た型 も少 しづつ 違 っていたように,ス キーは,そ の地方 にある材料で,狩 りの方法 ・地形 ・積 雪量 ・雪質 ・樹木の植生等 に合 った ものを,そ れぞれ工夫 して作 っていた,と いえる。 紙面 の関係 で 「トナカイ遊牧の歴史 と現在」 「春 ・夏 ・秋 。冬営地の暮 し」 「トゥバの人 たちの衣 ・食」 「シャーマニズム と狩猟」 を記述す ることが出来 なかった。 また,ロ シアの トゥバ調査 はまだ終 っていないので,別 の機会 に報 告 したい。 この フィール ド調査 には,多 くの方々に助け られ,協 力 していただ いた。キジル市 にある トゥバ民族 ・歴史 ・言語 。文学研究所,モ ンゴル ・オリ ンピック委員会,モ ンゴル ・スキー運盟,通 訳のエ ンフバ ット,バ トトルガ, 高島なお き氏,画 家のツェグ ミ ド, トヤ, トゥムルバー トル,の 方々に感謝 を 致 します。
参考図書 B.A.ト ゥゴル クフ著 「トナカイに乗 った狩人たち」刀水書房 1981, 葛野浩昭著 「トナカイの社会誌」河合出版 1990, 村上正三訳 「モ ンゴル秘史」1,東洋文庫 1987, E.エバ ンス=プ リチ ャー ド著 「世界の民族」平凡社 1979, メ ンヒェン ・ヘル フェン著、田中克彦訳 「トウバ紀行」岩波書店 1996, 図 1 モ ンゴル ・トゥバ族の毛皮スキー (モンゴル・スキー連盟所蔵) 図 2 ス キーの作 り方の例 (モンゴル・トゥバ)
図 3 締 め具の例 ( モンゴル・トゥバ)
図 4 モ ンゴル・トゥバ族のスキー 「例 1」 (現在,日 本スキー博物館 に展示中)
図 5 モ ンゴル・トゥバ族のスキー 「例 2」 (現在,日 本スキー博物館 に展示中) 写真 1 ロ シア・トウバ族 の テ ン トとスキー 写真 2 モ ンゴル・トゥバ族の 住宅 ウルツ
写真 3 モ ンゴル ・トゥバ族のスキー滑走,テ レマーク技術
写真 4 ロ シア・トゥバ族のスキー と自装束 (現在 ,日 本スキー博物館 に展示 中)