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こぺる No.154(2006)

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(毎月1固25日発行)ISSN曲19-4嗣3

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乙べる刊行会

NO. 154

尼崎だより⑪ 人と居場所と癒し 一一家庭裁判所から少年補導を受託して 中村大蔵 ひろば⑩ ⑩ 友人がアルカイダ? いざとなるとあたふたした私の人権感覚 次 回哲治 私の視点一遺書・軍隊・差別一 安達五男

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尼崎だより⑪ 中村大蔵︵特別養護老人ホ l ム 園 田 苑 ︶

人と居場所と癒し

||家庭裁判所から少年補導を受託して 先ず次の作文を読んでいただきたい。園田苑で四ヶ月 にわたって寝泊まりした少年︵一九才︶の作文である。 僕は中学二年の時から非行に走りました。最初は 友達と好奇心でタバコを吸いました。そして夜中に 遊ぶようになり、バイクを盗むようになりました。 学校も段々と行かなくなり昼間から堂々とバイクも 乗るようになりました。 さらに学校の周りを走り回り先生などを挑発しに 行ったりもしました。さらに非行は深まり自分の中 学の生徒はもちろん他の市の中学校の生徒にまで暴 行、恐喝を何度も繰り返しました。そして中学校二 年の終わり頃とうとう捕まりました。 当時は少年法もまだ厳しくなくバイクの盗みぐら いではその日に家に帰れました。その時もほとんど 反省もなく、むしろ捕まる事がかっこいいとまで思 っていました。その後も中学の間だけで三回捕まり ました。いずれもバイクを盗んだ為に捕まりました。 高校に入学し非行はもっとエスカレートしました。 高校の友達が出来て一緒にシンナーをするようにな りました。高校も入学して半年で辞めました。それ から毎日昼間に寝て夜に遊ぶ生活が続きました。そ の間にさらに無免許運転で三回捕まりシンナーで一 回捕まりました。この時はまだ一回も鑑別所には入 っ て い ま せ ん 。 そしてその頃から単車に興味を持ち出し気がつけ ば地元とその付近で結成した、暴走族の頭をやって いました。毎日のように暴走し祭り事があれば必ず こぺる 1

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全員で参加しました。その内ヤクザとも関わりが出 来て定期的に事務所にまで出入りするようになりま した。さらに覚醒剤にまで手を出し始めました。こ の頃が一番ピ

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クだったと思います。 そして一七歳の時始めて逮捕されました。罪名は 道路交通法違反で朝家に警察が来て、そのまま手錠 を掛けられて連れていかれました。始めての留置場 は本当に心細くて不安で一杯でした。その時は二四 時間で家に帰れました。そしてその二ヶ月後に始め て鑑別所に行きました。罪名は毒物及び劇薬取り締 り 法 違 反 で す 。 始めての鑑別所は留置場以上に孤独でした。鑑別 所 に 入 っ て 一

O

日後、警察が鑑別所に来て再逮捕さ れました。罪名は恐喝罪です。そしてこの時少年院 の話しが出ていたので親に頼み込んで弁護士を付け てもらい何とか少年院には行かずにすみました。こ の時鑑別所には二ヶ月半居ました。 鑑別所を出た後すぐに二度目の高校に行き始めま した。そして高校に行っている間特に悪い事もして いませんでした。そして今年の三月八日、また逮捕 されてしまいました。最初僕は何で自分が逮捕され たのか分かりませんでした。後輩にしばくぞ、と言 っただけで何で逮捕されるのか全く分かりませんで し た 。 しかしそのまま三回目の鑑別所に行ってしまいま した。さすがに三回目となればもう慣れてしまい生 活自体は別に苦ではなかったです。頭の中にあった のは少年院の事だけです。この時の少年院に行く可 能 性 は 一

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でした。そしてもう一度前回の弁護 士にお願いして、何とか出してくださいと頼みまし た 。 そこで始めて園田苑の話しがでました。もし僕が 出れるとしたら試験観察という処分保留の場合しか なく、もしそうなったら園田苑という所に行くかと 言われ、もちろん行くと言いました。しかし苑長が 受け入れてくれなければ、絶対に少年院と言われま し た 。 その後、弁護士、苑長、親のおかげで本当にギリ ギリの所で少年院には行かなかったものの相当厳し い生活だろうなという覚悟で来ました。しかしすぐ にその心配は消えました。 まずここへ来て思ったのが職員の人全員が優しい

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人だなと思いました。ふ?つなら一人ぐらい嫌な顔 をする人がいるものなのに園田苑は一人もいないで す。僕達非行少年にとってはこの事が何よりもうれ し い 事 な の で す 。 色メガネで見られている環境の中で生活していれ ばどうしても気持が素直になれず、殻の中に閉じ込 もったままです。しかしここの人みたいに一般の人 と同じように接してくれれば自然とこちらも素直に な れ て し ま い ま す 。 それにしても園田苑では本当に今までの生活では 経験出来なかった事をたくさん経験させてくれまし た。例えばゴミ拾い。今までの生活ではまず有り得 ませんでした。後ボランティアで手伝うという事、 これも今までではなかった事です。 後もう一つ大事な事を学びました。それは、この 園田苑を見ていて思いました。園田苑は色んな人の 支えがあり成り立っています。・僕も色んな人に支え られていたんだなと心から思うようになりました。 この事は僕にとってかなり大きい収穫となりまし た。常にその事を思っていれば常に感謝していられ るという事は僕にとっては大事な事です。 あまり良い言葉が見つからず下手な文章ですが、 ここで出会った人の事、僕を支えてくれた人達の為 にも今後二度と罪を犯さず真面目に働き一人前にな ったらまたこの園田苑に来ます。今までお世話にな った皆様本当に有り難うございました。 漢字も句読点も原文のままである︵以下引用する作文 は全て原文のまま︶。ただ最初の出だしを一字下げては いるものの、その後は行替えが全くない。 タイトルはで﹂れまでの自分これからの自分﹂と付け ている。読んで分かるように、彼は犯罪を犯し鑑別所を 出てほどなくして園田苑に﹁試験観察﹂として補導委託 された少年であるが、身長も体重も優に二十歳を越えて 見られる。一メートル八

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に 近 い 身 長 と 一

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キログラ ムの体重では、頭を短く刈ると本人も認めるようにレツ キとしたその筋の人物になる。 補導委託とは 補導委託とは﹁家庭裁判所の中間的な処分である試験 観察に付随するものとして行われ﹂﹁家庭裁判所は、試 こべる 3

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験観察に併せて、適当な施設、団体又は個人に補導を委 託する﹂制度であり、﹁少年の補導のために民間の協力 を受けるもので、少年保護制度の社会性を一不すものと言 えましょう。この制度は少年審判において非常に大きい 役割を果たしています﹂﹁その本旨ば、あくまでどのよ うな最終処分︵終局決定︶が適当であるかを見極めるた めに行う中間処分﹂。裁判所からもらった﹃補導受託者 のための手引﹄にはこう書かれている。 私は一度だけ補導受託者と家庭裁判所判事、調査官と の交流懇親会に出席したことがある。補導受託者たちの 組織があるようだが、事務局は家庭裁判所に置かれてい る。入会の誘いを受けたことがあったが、お付き合いす る時間もないのでそのままにしている。 その交流懇親会に参加した感想では、施設や団体より も個人で引き受けている方がはるかに多いようだ。人の よい面倒見のよさそうな﹁篤志家﹂が補導を引き受けて いる。淡路島で酪農を経営している夫婦が、﹁もうワシ ら年いって若いもんの面倒見るのに体がついていかん。 ︵明石︶大橋が出来たんで︵悪いことを一緒にやった仲 間が︶車で迎えに来て、夜中に往復されてもわからん﹂ とこぼしていた。話しぶりからこの夫婦はかなり前から 補導を受託してきたようだ。 元気のありあまる少年少女たちである。補導受託者は 裁判所に毎月提出しなければならない報告書があり、簡 単とは言え数項目を埋めなければならず、彼ら彼女たち の日々をちゃんと﹁観察﹂しておかなければ記入できな い。私のようにズボラをかますことをしない﹁篤志家﹂ にとって、これはなかなかの精神的負担と重労働である。 受託に当たって補導委託費が支払われる。通いの場合 は一日二、六一九円。泊まり込みで一日四、五二六円、 これに事業費加算なるものが付くケ

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スもあるが、各種 学校からの実習委託費と違ってあまり関心を持っていな いので、園田苑が補導受託を開始して一一年目、受託し た人数は三

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人近くにのぼるが、費用の仕組みはいまだ に よ く 理 解 出 来 な い 。 ﹁補導委託費の内訳は、事業費と事務費に分けられま す。事業費は、少年の補導のために直接必要な食料費、 衣料費又は寝具費などの経費であり、事務費は、通信費、 文具費などの経費です。補導委託費は、補導委託先の種 別、定員、所在地によって少年一名あたり一日いくらと いう支給基準額が定められています。また、特定の地域 には、冬期の寒冷地加算があります﹂﹁補導委託費は、

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補導決定によって家庭裁判所から受託者に自動的に支給 されるものではなく、後日受託者からの請求に基づき、 家庭裁判所の審査、決定を経て支給されます﹂︵前掲手 引より︶。だから、一ヶ月遅れで入る最初の補導委託費 までは、少年少女たちへの小遣いや苑外での食費などの 支出はすべてこちらの立替えとなる。 園田苑の場合は、彼ら彼女らは老人と同じものを一緒 に食べ、専用室を与え、風目、寝具っき、洗濯は基本的 に自分でやらせているが、男性の場合、しばしば苑の パ

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トのオパチャンが私にわからぬようにしてやってい るようだ。女性の場合は自分でやるか時に休暇を与えた 時に自宅に持ち帰ってやっている。 専用室といってもわが貧乏老人ホ

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ムにゲストル

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ム などないので、霊安室か職員の仮眠室を提供している。 だから長期の滞在ともなれば夜勤職員の仮眠は空きベッ ドやデイル

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ム、医務室の診察台を使うことになる。そ れでも職員から不平不満が出ないのがわが苑のょいとこ ろだ。話が横道にそれるが、老人ホ

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ムに行政的必要要 件である霊安室は、わがホ

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ムではその用に供したこと がない。死んでなおわびしい離れに移すことは忍びない。 入居者が亡くなるとその直後の夕食時か朝食時に老人み んなに一知らせ、入居に至った経緯やそれからの生活を簡 単に述べ、食事の手を一旦止め職員も含めて黙祷を捧げ る。その頃には仏さんは静養室に移されており、入居者、 職員、ボランティアが線香をあげに行く。入居者にとっ ても動線が短くてすむし、静養室は落ち着いた明るい間 取りになっている。 園田苑での霊安室は、もっぱら長期ボランティアが安 らかに眠る部屋として提供されている。苑では他の部屋 と同じく霊安室にネ

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ムプレートはつけていない。その 霊安室も一昨年からの大改修工事で撤去してしまった。

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君の作文のテ

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マは自分で考えたものだ。私は誰の 場合でも補導委託の最終日に鉛筆と消しゴムと原稿用紙 と時間を与えて作文を書かせ、テーマは自分で選ばせる。 あえて犯した罪について書けとは言わない。

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君の補導委託は、作文にも見られるように私選弁護 士の奮闘で実現した。女性弁護士から電話がありその場 で

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した。私はその罪名によって受託の可否を判断し ない。今までに断ったことは皆無である。同一期間内に 通所は二名、泊まり込みは一名と決めているが、これは 物理的な条件がそうさせている。 弁護士が私から内諾を得て裁判所の調査官、判事を動 こべる 5

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かして委託が実現した。このように弁護料を払って弁護 士が就く場合と、当事者に保護者がいない場合に官費で 就ける場合があるようだが、ここでも親に金があるかな いかでその後が大きく違ってくる。 少年たちはありがとうの言葉に餓えている

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君が両親と弁護士、調査官に連れられて苑にやって 来た。誰の場合も同じだが、ここで逃げ隠れしようもの なら少年院が待っているからおとなしく﹁強制連行﹂さ れる。彼ら彼女たちはだいたいが緊張しているが、全員 といってよいほどこちらの顔を直視しない。いつものこ とながら、﹁私の目を見てしゃべれ。人がしゃべってい る 時 は 相 手 の 目 を 見 て : : : ﹂ か ら 私 と の 出 会 い は 始 ま る 。 私は事前に裁判所や弁護士から非行名と簡単な家族関 係を知らされ説明を受けているが、非行内容については 一応自分の口から伝えるようにさせる。ある少年は つまたこの質問や μ と想いながら、五日間の鑑別所へと 戻ったような気しました。そして、恐ろしい人ゃなあ! と想いながらその日、面接を終えて家に帰りました。そ して、初日何とも言えない用な嫌な気持ちでした﹂。︵翌 日︶﹁電車に乗っている時も J ﹂のまま園田を過ぎて違 う所へ行きたい U とかか帰りたい 4 と 言 、 っ 用 な 事 ば か り を 考 え て い ま し た ﹂ 。 彼 も い や い や な が ら 通 所 と は 吾 一 日 ん 補 導 を 開 始 さ れ た 。 初日は私と一緒に印別所のホッチキス留めをやった。た わいもない会話から彼の心が聞いていくのがわかった。 ﹁四日目は、女性職員の方が H ど う で す か っ − u と話しか けてくれました。午後にも違う女性の職員の方がグいつ もご苦労ですね、本当に助かる、ありがとう。と言って くれました。その言葉は僕にとって本当に最高の言葉で した﹂。﹃尼崎だより③﹄にも記したが彼ら彼女ら﹁非行 少年﹂は、﹁ありがとう﹂という言葉に餓えている。

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君の父は有名ゼネコンの中堅幹部である。乗って来 た車はベンツ。いつものケ

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スと同じように両親は﹁こ の子には困ったものだ﹂と、半、ばあきらめ顔でこちらに 懇願する。少年たちを引き受けるに当たって初日の面談 には、学生なら教師と親同伴、杜会人なら親同伴をお願 いしている。私にこのことを要求する法的権限はない。 だが、少年たちに自分にどれだけの人たちが関わってい るかを知ってほしいとの願いからだ。それでも、同伴を 拒否する教師は少なからずいる。そんな時、﹁それでも

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教師か﹂と私は少し悲しくなる。 補導受託に当たって注意事項が調査官たちから述べら れる。受託先の責任者の指示に従うことをはじめ、いわ ゆるワルの仲間とは会うな、無断外泊はするな、携帯電 話は受託先に預けろなどであるが、アルコールやタバコ については噌好癖があることを知りながらも未成年であ る以上、法曹関係者は口に出せない。代わって私が指示 を出す。タバコは止めといた方がいいが吸いたかったら 職員のいる前で吸え、アルコールは飲みたくなったら私 に 言 え 、 一 緒 に 飲 も う 。 O 君はタバコを補導期間中は止めると言った手前、ト イレの中で吸うハメになった。こちらには分かっていた が最後まで黙っていた。携帯電話は皆な素直に提出する が、だいたい二台持っている者が多いから、取り上げて も意味がない。ボランティアの管理する冷蔵庫からカン ピ

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ルがしばしば無くなり、その嫌疑は私に向けられた が実はある少年の仕業だった。ボランティアが冷蔵庫内 に﹁在庫管理をするため、飲んだら本数を記入してくだ さい﹂と書いた用紙を入れるやピタッと止んだ。かわい い も ん だ 。 チ ュ

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ハイのとても好きな

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︵ 女 性 ︶ さ ん が い た 。 い つものことながら最初の晩には職員何人かと﹁小歓迎 宴﹂を持つ。これからこの人たちが君の相談相手だよと の意を含めて。彼女は苑の女性職員から﹁仕事、何して たん﹂と質問され、あっけらかんと﹁風俗﹂と答えた。 私は裁判所からの事前資料でそのことを知っていたが、 慌ててしまった私の狼狽が今でも思いだして滑稽である。 そのーさんはアルコールが飲みたくなったら、﹁苑長 先生、お食事に行きたいんですが﹂と夕食後しばらくし て事務所にやって来る。さすがにアルコールとは言わな い。未成年だとはじゅうじゅう承知しながらも私も罪を 犯 す こ と に な る 。

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君の日課は泊まり込みの場合誰でも同じように、朝 食前に苑の前の道路へ出てゴミ拾いである。タバコのポ イ捨て清掃が主である。誰もが恥ずかしいとか何んのか んのと言って腰を上げるのが遅い。最初の一週間くらい は私と一緒にやる、そのうち一人でやるようになる。 O 君はこの体験からタバコのポイ捨てを止めることになっ た 。 ーさんの作文は﹃!心に残った事!﹄とのタイトルの もと、入居者との出会いに全ペ

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ジ費やされている。入 居者からチャンづけで呼ばれたこと、歩行器の後ろに回 こぺる 7

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って押してじゃれあう老人が出来たこと、マッサージの 腕をほめられコ屑が、凝ると、私を、捜して﹂いた老人 と の 想 い 出 が 綴 ら れ て い た 。 ーさんに就いた判事と弁護士は酒鬼菩破事件判決の両 者である。弁護土は私に﹁裏切られるかもしれないが、 よろしく頼む﹂と持ち込んできた難ケ

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スだった。ーさ んは小学校五年から高一まで広島の施設に保護されて、 脱走しては捕まることの繰り返しだった。だから弁護士 は、﹁一週間持つかな、一ヶ月持てば御の字だと思って いたのに、なんと三ヶ月もとは﹂と感嘆の声をあげた。 ーさん自身も﹁すぐ︵園田苑を︶脱走する﹂と確信して いた。そんな彼女に﹁なぜ脱走しなかったの﹂と問えば、 すかさず﹁脱走する理由がない﹂とあっけらかんと答え た。いつでもどこからでも出入り出来る園田苑から﹁脱 走する﹂ことなんてたやすいことなのに、彼女にその気 を起こさせなかったものが園田苑にあったのだろう。 老人介護でも同じことが言える。老人の俳佃はしばし ば非難の対象であるが、俳佃の理由はただ単に﹁ここ ︵そこ︶にいるのが嫌だから﹂出ていこうとする。だか ら、止めることはかえって老人のストレスを高め不穏感 情を昂ぶらせ混乱を招いてしまう。園田苑の開設当時が そうだつた。出て行くことを防止するあまり力と力の対 決を招き、お互い疲れるだけだった。居心地のよい住ま い︵生活︶づくりに務めることに勝るものはない。 最終審判の日、私の意見も徴した上で判事は噛んで含 め諭すようにーさんに審判の内容を説明する。いよいよ 言渡し。補導後はほとんどの者が保護観察処分になるに もかかわらず、ーさんには﹁処分なし﹂。珍しいことで ある。彼女の担当調査官が途中で豊岡家裁に転勤になっ たが、この日の審判にメッセージが届けられた。これを 紹 介 し な が ら 判 事 は ﹁ こ れ は ー さ ん へ の 褒 美 と し て : ・ ﹂ とつけ加えた。ーさんは﹁みんなのおかげです﹂とお札 を 述 べ た 。 ﹁最後に何か﹂と促されてーさんは﹁これからは好き でもない人に身体を触られたくありません﹂と答えた。 彼女には恋人がいた。園田苑での補導中でも職員が心配 するも外泊を許し、恋人が苑にやって来ることも認めた。 しかし、審判後その恋人は彼女を避けるようになった。 彼女は女の勘で鋭く感じ自ら深追いをしなかった。﹁ど こ へ 行 く ﹂ と 問 え ば 、 ﹁ ︵ 熊 本 に い る ︶ お か あ さ ん の 所 に 行く﹂と。彼女は幼い頃に実母から虐待を受け義父から は性的虐待を受けていた。そのことを知っている私は

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﹁それでもおかあさんのところに行くの﹂とさらに聞く と、彼女は﹁だって行くところがないもん﹂と答えた。 やっぱりどんなことがあっても母を求める。それでも園 田苑に置いていた私物を一緒に取りに来たのは風俗店の にいちゃん風の若い男だった。 少年たちは老人とかかわりながら癒されゆく 一年を通じて補導受託している期聞が半年以上あると、 ﹁事実は小説よりも奇なり﹂との現実に出会う。

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君 は 生後三ヶ月で施設での生活を始めた。母の面影は験にも 残っていない。園田苑での経過観察開始をきっかけに、 裁判所は母を見つけ出した。一緒に現れた父は実の父で はなかった。お互い﹁カアサン﹂﹁

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﹂と名前を呼 び捨てにするけど、その声はお互いの頭の上を素通りし ている。結局母と子の関係は戻らなかった。

S

君は感想文の代わりにと再利用のメモ用紙に詩を書 いて壁に貼った。﹃人﹄と題して。﹁人と出会い人と触 れ 合 い 人 を 傷 つ け 人 を い や す 人 と 話 し 人 と 笑 う 人をとうしてみつけるだろう﹂。彼は照れながらパク リ じ ゃ な い ぞ と つ け 加 え た 。 審判後、彼は私たちの反対を押し切って、住み込みが 出来るからとパチンコ店に就職したが、すぐさま無断欠 勤でクピになり、今度は自分がパチンコでいかさまをや って逮捕された。笑いながらそのことを話す彼は、今建 築 現 場 で 働 い て い る 。 彼が園田苑にいる時のこと。三宮に遊びに行くからと 小遣い三

000

円を渡した。早々と帰ってきたのでその 訳を尋ねると、﹁野宿していた人がゴミ箱をあさってい たのでやった﹂と言う。最終審判の日、私から事前にそ のことを聞かされていた調査官が同じ質問をした。彼が ﹁自分も昔、よく野宿したから﹂と答えるや女性調査官 の両頬から涙が流れ落ちるのを見た。調査官はあまり自 己感情を露わにしないものである。私はそっと目をそら し た 。 癒されているのは実は私自身

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さんの場合は凄まじいものだった。一七才で一一才 年上の男性と結婚。いわゆる出来ちゃった婚。その時男 性には一一才と六才の連れ子がいた。彼女は幼少の頃か ら実母と養父から暴力、ネグレクトなどの虐待を受けた。 こべる 9

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補導委託書に添付されている﹁身分関係図﹂という家族 関係図は線が入り乱れて、解析するに頭が痛いほどであ る。こんな背景からだけでも事故、事件が起こらない方 が 不 思 議 だ 。 就いた弁護士がこのままでは少年院送致は必至と判断 し、私に強烈なアタックをしてきた。一般的なケ

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ス で は補導受託先を決めるのは裁判所の専決事項である。最 初 の

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君のケ

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スは特異であり、そのために補導委託費 に充当するものを父親が支払った。だから

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さんについ ての試験観察開始は裁判所、実は調査官の心証を害した ようだ。そんなことを露知らぬ私はいつものように簡単 に

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し た 。 やって来た

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さんは取り付く島もなかった。極端な男 性不信感にとらわれていた。お母さん的な年齢の女性職 員を面倒見につけたが、朝から夕方までその女性の横に ぴたつとへばりついて泣く、ばかり。私が近づこうものな らス!と姿をくらます。時々やって来る調査官には、 ﹁私のことなんにもわかつてない﹂と泣きながら語気強 く抗議する。専門の臨床心理士の定期的なカウンセリン グも受けながら、今後どういう展開になるのか私自身と て も 不 安 に な っ た 。 そんな状況を転換させていったのは入居者の老人たち だった。﹁園田苑で生活をしていく自信をくれお年寄り と話せるようになれたのは

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さん︵入居者︶のおかげだ と思います﹂。﹁ここに来てからの私は、一人ではできな いわからない事を聞いている自分。それを素直に受けと めて教えてもらっている自分に驚きました﹂ 0 トイレ誘導、お尻拭き、入浴介助に悪戦苦闘しながら も﹁お年よりのかありがとう d の言葉に励まされてこな せてこれた﹂。﹁ここで幸せを感じる場面に多く出会える ということ﹂を学ぴ、﹁居場所を作ってくれた職員の 方々﹂に感謝する彼女になっていた。 試験観察の最終日、一職員が幹事になって送別会が聞 かれた。洗濯パ

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トのオパチャンも仕事を終えてかけつ け た 。

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君の場合は、ボランティアのオパチャンがケーキ を 焼 い て 来 た 。

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さんへの審判は住居を遠いところに指 定される厳しいものだったが、今はアパレル関係で働い ている。その後園田苑に二度里帰りをして泊まって帰っ た 。 彼ら彼女らの補導を委託されながら、実は私自身が癒 されているのではないかとつくづく感じる。

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ひろば⑩

友人がアルカイダ?

いざとなるとあたふたし

た私の人権感覚

次回哲治︵夜間中学教員︶ 昨年五月二六日にアルカイダの日本の地下組織とされ る八人の外国人が一斉に摘発されたことをご記憶の方も 多いと思う。その時に首謀者とされたイスラム・モハメ ド・ヒム氏はパングラデイシュ出身で埼玉に住む会社社 長。数億ドルを地下銀行からアルカイダに送金とか、横 須賀の米軍基地正門前の事務所から基地内を双眼鏡片手 に監視とか、国内はもちろん、全世界のマスコミで報道 さ れ た 。 実は、ヒムと私たち夫婦は、たった一度きりだが、以 前にソウルで食事をしたことがある。私の次男と

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と い うヒムの従兄弟がソウルの語学院で同級生だったのだ。 そのことが縁で、私たち夫婦と息子の三人が

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と彼の兄 に招待されたインド料理店でヒムと同席した。その時の ヒムの印象は、モ

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レツビジネスマン、アメリカンド リーム日本版︵ジヤパ二

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ズドリーム?︶を地でいく感 じの若者だった。三

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代前半とは思えない自信にあふれ た表情。時給七

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いくらの皿洗いから身をおこし、二 人の幼子には習い事をさせ、日本人の妻は家で家事と子 育てという彼の生き方。私の周りには、日本人でも外国 人でも彼のようなタイプの人は少なく、まあ日本に帰っ ても会うことは、まずないだろうなぁと思いつつ、︿リ ヨウ・インターナショナル﹀と社名が書かれた名刺だけ はとっておいた。今にして思えば、彼の会社はそのころ が絶頂期で、年商何億という大金を稼ぎ出していたのだ から、私の周りにはいないタイプの人だと思ったのは当 然 だ っ た 。 ﹁今日の新聞見た?ヒムって去年、一緒に食事した

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の 従 兄 弟 じ ゃ な い ? ﹂ ちょうど実家に泊まっていたので、新聞片手にあわてて 妻に電話をかけた。その情景は今でもありありと覚えて い る 。 ﹁待って、待って。名刺がある

L

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− − − o ﹂ もらった名刺と、新聞報道の名前とは、社名も含めてピ ツタリと一致するではないか。 こぺる 11

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頭の中を一年前のソウルでの会食の風景がよぎる。確 か に

R

は日本への入国を望んでいた。私たち夫婦が身元 引受人として一緒に総領事館に出向いたのだが

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は 出 なかった。その時に、

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が実際の歳を少し多めにいって いたことがわかる。彼のお兄さんの招待の宴席︵といっ てもお酒はない。イスラム式なので塩入のヨーグルト︶ だったが、従兄弟やら親戚やらが居るわ居るわで一

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人 く ら い 。

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と そ の 見 と 我 々 一 一 一 人 く ら い の 食 事 会 を 勝 手 に 想像していた私たちは少々面食らった。彼らの仕事は古 物商やら通信関係やら繊維関係やら、貿易関係やら:::。 ひっきりなしに電話が入り、ひんぱんに出入りするヒム た ち 。 あれはアルカイダのソウルでの組織だったのか?そ ういえば、ヒムはパングラディシュ、フィリピン、マ レーシア、韓国など東南アジアを股にかけて仕事をして いると言っていた。また、会食したレストランのあるホ テルも米軍施設のすぐ側で、アメリカ人もよく宿泊する と言われている地域だ。 私たち夫婦を不安にした要因はほかにもある。私の連 れ合いは今は現職議員ではないが、地方議員に当選して 間なしに、あのオウム事件が起こった。無会派で、たつ た一人是々非々の立場を貫いていたが、全会派から提出 されたオウム関連の特別決議にただ一人反対したことが ある。新人議員だった私の妻は、地方議会での決議は、 全会一致か、賛成多数で採択されるかで評価に大きな違 いが生じるものらしいということも、この時初めて知っ た。しかし日本が法治国家である以上、麻原といえども 法に則って裁かれるべきだし、オウム真理教の支部も存 在しないこの町で、特別な決議を上げるほどの緊急性も 必要性もないとの判断からだった。古参の保守系議員か ら﹁次回はオウムや﹂と名指しで非難されたらしい。そ れだけに限らず、﹁次回は過激派﹂なんでいうキャン ペーンはしょっちゅうだった。そんな経験からすれば、 アルカイダとの関連?とのレッテルが貼られれば、次 の選挙のダメージになるのではないかと悩むのが当然な ほど、﹁アルカイダ﹂というレッテルは、ムフなお﹁オウ ム﹂や﹁過激派﹂以上のキャンペーン効果があるように 思 え た 。 結局、妻の知り合いの弁護士に相談した。弁護士の、 いずれ公安はヒムとの接触を知るだろうから、あった事 実はこちらから話した方がいいのではとのアドバイスで、 妻は警察に出頭した。取調室で、京都府警本部からの刑

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事も含めて、複数の警察官が立ち会う聴取だったとのこ と 。

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の写真の提出を求められたが即座に拒否をして帰 宅 し た 。 会社の登記簿不実記載容疑という別件で逮捕されたヒ ムは、神奈川県警と警視庁それぞれに二

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日以上拘留さ れて取り調べられたが、アルカイダとの関係は何も立証 されず、四三日後の七月上旬に釈放。その時、社会面の 片隅に数行の記事が出た。 夏を過ぎる頃、思い切って名刺の携帯番号に電話をじ た。真相を知りたかったのと、少しでも疑ったことを謝 りたかったのだ。携帯の番号を変えていないヒムに、彼 は無実だと直感した。ぎこちない二言三言の会話で電話 を切った。この時ヒムは、新たな公安関係者からの接触 かなと思ったそうだ。 その後、もう一度電話をして、上京したら一度会おう との約束を取り付けた。 今年七月上旬に二年ぶりに再会したヒムは、事件後、 転居を余儀なくされた彼のオフィスで私たちを待ってい てくれた。逮捕直後に意識を失い、病院でやっと意識を 取り戻したこと。もし、そのまま死んでいたら、日本の 司法関係者は、一体どのように責任を取ってくれるのか、 と憤りを込めて話すヒム。パングラデイシユに住む彼の 両親は、ショックで失明寸前になったり、倒れたりして いる。彼の国際電話のプリペイドカ

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ド会社は倒産寸前 で、損害は数億円以上に上るとのこと。しかし、長男の 名前である﹁リョウ﹂を社名にしている以上、歯を食い しばってでも会社を再建したい。予備調査もせずに逮捕 した警察、そのリ

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ク情報を鵜呑みにして流したマスコ ミは許せない。自分にではなく、嘘の情報を受け取らざ るを得なかった視聴者や読者にこそ謝罪すべきだなどな ど、本当にどの一言をとっても全く返す言葉もなかった。 大多数の情報の受け手は、小さく報道されたヒムの釈 放の記事すら読まずに、依然として、ヒムはアルカイダ だと思い続けているだろう。注意深く新聞を読んでいる 人 で も 、 ヒ ム が 会 社 に 不 法 滞 在 し た 従 業 員 を 一 雇 一 っ て い た という罪でヒムと彼の会社に合わせて罰金六

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万円の略 式起訴をされたことで、やっぱり彼は犯罪者だと思って 納得しているのかもしれない。だが真相は、実弟がいく らかの仕事を手伝い、小遣い名目でヒムがお金を払って いたとのこと。また、弟は日本女性と結婚し、永住許可 を申請中だった。この事件を機に二人は別れ、弟は失意 のうちに帰国したそうだ。さらに、デユモンというフラ こベる 13

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ンス系アルジェリア人にたった三万円分の国際電話のプ リベイドカ

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ドを売った事実を根拠に、やっぱり彼は立 件されなかったけれども怪しいと思っている人も多いか もしれない。依然として一部の無責任な週刊誌はこのス タンスで記事を書いている。ヒムの会社のプリベイド カ

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ドは、日本の電話会社と提携したきちんとした商品 だが、以前、上野公園などでイラン人が売っていた偽造 テレカと重ねて見てしまう人も多いだろう。 偉そうなことはいえないけれど、正しい情報で他人の ことを判断することは大変だとつくづく感じた。なぜ、 ヒムのことを疑ってしまったのか。えん罪事件について 学んだり、外国人と共に生活している私が:::。いいわ けではないが、たった一度の会食だけで人を判断するの は難しい。会食していたから、偏見や不安が増長される ことだってあるだろう。もし私たちが、ヒムと何の面識 もなかったら、却って警察やマスコミの情報を疑ったか もしれない。得てして人間というものは、利害が絡まな ければ、常識的で客観的な判断が出来るのではないか。 なまじっか面識があったからこそ噂を信じかかったのか もしれない。言い訳ではないが、一定の情報を持ってい るだけでは、それにマスコミなどからの大量の情報が覆 い被せられると、勝手に偏見を強めるだけのような気が す る 。 夫婦でこの八月末にヒムの講演会を関西で企画し、疑 ったことをヒムに詫びた。罪滅ぼしではないけれど、講 演会が終わってから、ヒムが私たちに ﹁︵今回の講演旅行を通して︶日本にも、本当の家族のよ うに自分のことを思っている人がいるような気がした﹂ と言ってくれたので正直ホッとした。 彼を知り、この事件の不当性を考える日本人を一人で も増やしていくために、これからも、努力していきたい と思っている。また、この事件を通して、えん罪事件を なくし、人と人との信頼関係を築くには、どのようにし ていけばよいのかを改めて考えていきたい。さらに、そ れ以上に、ようやく作り上げつつあるヒムとの信頼関係 や友情を、より深く、強い終にしていきたいと切に願っ て い る 。

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ひろば⑩ 安達五男︵武庫川女子大学名誉教授︶

私の視点

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遺書・軍隊・差別| 英雄さんの両親あての遺書 三田市

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村 の

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家には、今も長男英雄さんの遺書が大 切に保存されている。昭和一八︵一九四三︶年四月、英 雄さんは父母、弟妹あてに長文の遺書を書き残していた か ら で あ る 。 両親あての遺書には、二一年間深い慈愛をもって育て て頂いたことへの忘れることのできない感謝を述べたあ と﹁何事にも最後まで負けず頑張り抜くことが

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家の誇 りと心得、自分の欲望を捨て、軍人として与えられた勤 めを果たして参ります。生きて帰ることを期さず、理想 の新天地の創建に参加していきます。今日、貴方達の手 元 よ り 離 れ 、 九 段 の 社 ︵ 靖 国 神 社 ︶ で 待 っ て お り ま す 。 ﹂ と遺書を結んでいる。英雄さんが遺書を書き終えたのは 一 一 一 才 、 昭 和 一 八 年 四 月 七 日 の 夜 お そ く で あ っ た 。 彼 が 自分の生命を捨ててまで求めた理想の新天地には部落差 別などあろう筈がないと信じていた、いや信じたかった に違いない。この余りにも純粋な青年の生死をかけた願 いに対し、日本の軍隊の指導者はどう答えることができ た だ ろ 、 っ か 。 軍隊と部落差別の構造 英雄さんが両親に詰び、生命をかけて守り抜こうとし た﹁正義の軍隊﹂はその歴史の中で部落差別を利用し、 容認する構造をもっていたことは余り知られていない。 大正一︵一九二二年二月、﹁細民部落改善協議会﹂ が東京で聞かれ、協議会出席者の要望事項が集約され、 内務省に提出されている︵﹃氷上郡部落啓発概況﹄其

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、 ﹃ 同 和 教 育 史 兵 庫 県 関 係 史 料 ﹂ 第 二 巻 ︶ 。 そ れ に よ る と 、 ﹁徴兵検査ノ際ニ身元調査ヲ為シ、入管後彼ノ部落︵被 差別部落︶出身ノ故ヲ以テ昇進ヲ得ザルモノ多シ、区別 こぺる 15

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︵ 差 別 よ 女 達 ︶ ヲ 設 ケ ザ ル 様 致 、 ン 度 キ コ ト 。 ﹂ の 一 項 目 が 入っていた。身元調査のねらいの一つが部落出身者の調 査であったことが分る。大正八︵一九一九︶年二月、全 国同情融和大会の席上、衆議院、文部省、陸軍省に出願 陳 情 す る た め 、 一

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名 の 実 行 委 員 が 全 国 か ら 選 ば れ た 。 その中に、奈良市の明治光社長の松井遁博、岡山県の岡 崎熊吉、京都の南梅吉等と共に兵庫県武庫郡︵現神戸 市︶住吉小学校教員細見春吉がいた。細見春吉等は、大 正八年五月、実行委員会で協議し、六項目にわたる請願 書 を ま と め た 。 ﹁ 部 落 民 を 官 公 吏 に 採 用 す る こ と ﹂ ﹁ 教 育 上 に お け る 区 別的待遇を廃止すること﹂﹁部落改善費として最底一

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万円以上支出すること﹂などと一緒に、その第三項目 に﹁軍隊内ニヲケル区別︵差別︶的待遇ヲ廃止スルコ ト﹂があげられ、﹁軍隊ハ陛下ノ軍隊ニシテ国民ノ間ニ 区別アルベキ理由ナキニ関ラズ、部落出身者ハ上等兵以 上ニ容易ニ昇級セシメズ、士官学校以上ノ学校ニ入学セ シメズ︵中略︶陸軍演習行軍ノ際、兵舎ノ割宛テヲ避ク ルガ如キ区別的待遇ヲ絶対ニ撤廃セラレタキコト﹂を明 示 し て い る ︵ 前 掲 書 二 四 六 頁 ︶ 。 細見春吉は兵庫県氷上郡︵現丹波市︶春日部尋常高等 小学校に赴任して間もなく、校区内の部落

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村の児童の 就学状況に関心をよせ、出勤時の行き帰りには必ず

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村 に立ち寄り、不登校の児童を誘い、就学、出席を督励し、 夜学会を聞き学習指導にも努めた人物であった︵八木甫 瑳子﹁融和運動の先駆者細見春吉﹂兵庫県人権啓発協 会 ﹃ 研 究 紀 要 ﹄ 一 一 一 輯 ︶ 。 ︵ 一 九

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二︶年九月二五日、有馬郡本庄村 ︵ 現 三 田 市 ︶ で 歩 兵 三 七 連 隊 の 軍 事 演 習 が 行 わ れ て い る 。 その﹁実施要綱﹂をみると、その宿舎の割あてから当地 明治三五 方の三ヶ村の部落は除外されており、昭和八 一 二 ︶ 年 一 一 月 六 日 の 神 崎 郡

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村 の ﹁ 軍 隊 宿 営 記 録 ﹂ ︵ ﹃ 市 川町史史料﹄︶をみても被差別部落が除外されていた可 能 性 が 認 め ら れ る 。 戦争を指導し、何百万人の死者をつくった人も、戦争 の真実を何一つ知らされず、差別という悪魔の手法によ って生命を奪いとられた人も同じ神になったという論理 ほど歴史の真実を無視した言説はない。歴史の事実を大 事に現在を考え、未来をえがき日本の政治をすすめてこ そ 日 本 の 指 導 者 た り 得 る の で は な い だ ろ う か 。 九

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鴨水記 マ ﹁ ホ l ム ペ l ジ や ﹁ 通 信 ﹄ 、 ﹁ こ ぺ る﹄で先生のご活躍を拝見しておりま す。お元気そうでなによりです。﹃こ ぺる﹄の写真もステキに写ってました ね。若い頃とあまり変わっておられま せんが、おだやかになられた感じがし ま す 。 最近、﹃こぺる﹄は読みやすくなり ましたね。私は中村さんの﹃尼崎だよ りで坂倉さんの﹃四日市から﹄、それ から高田さんの﹁ある光景﹄などが楽 しみです。それぞれの方の思いが短い 文章の中にもよく書き込まれていて。 そ れ は き っ と = 一 人 の 方 が 日 々 生 活 し て いらっしゃる具体的な場面から話題を 提供して下さるからだと思います。 テ l マは結構重いものですが、いつも 素直な気持ちで読むことができます。 山下さんと先生の対談もあって、山 下さんの生き方を興味深く読ませてい た だ き ま し た 。 先 生 が ﹁ 通 信 ﹄ 一 ム ハ 八 号の中で奈良県部落解放研究集会の報 告を書いておられましたね。大変共感 して読ませていただきました。法律や 制度に縛られる部分とはみ出す部分の 問題、有償・無償のこと、人と人との 関係のこと|今、私はシルバー人材セ ンターの子育て支援の手伝いを少しや っています。スタッフが三人。利用し てくれる子どもが今までたったひとり。 十一月からやっと四人に。そういう状 況で何とか一年やってこれましたが、 いろいろな問題を抱えております。そ のことと重なるような気がしました。 そしてもう一つ。常滑弁で﹁しとね る ﹄ と い う 一 言 葉 が あ り ま す 。 こ れ は 子 どもを育てるという意味です。かし と が は H ひ と ヘ H ね る μ は人と人との 間に子どもを寝かせるという意味と、 人と人とのかかわりの中で寝かせられ て子どもは育つという意味があるそう です。興味深く思いました。 話はかわって、先生がホ l ム ペ l ジ の中で書かれていたように、誰もみな たった一回の人生を送り、誰もがいつ か死を迎えるわけです。だからこそ今 を大切にして生きていきたいなと思っ ております。今後も先生のご活躍を陰 ながら応援しております。﹁自分の思 いを自分の言葉で語る人が少なくなっ た﹄というご指摘、自分を振り返って 反省しています﹂︵愛知県常滑市ー さん︶。三十年前、岐阜大教育学部史 学科を卒業した方からのお便りです。 ﹁おだやかな表情になった﹂とのこと。 そらそうやろ。これでもずいぶんと苦 労してきたんやから。アツハツハ。 マこのたび第臼回中日社会功労賞︵中 日新聞社︶をいただきました。﹁中部 9 県内で、豊かな社会づくりに貢献す る人たちをたたえる﹂賞だとか。わた しがこれまでやってきたことがこの賞 の名にあたいするのかどうかよくはわ からない。岐阜に移り住んで三十五年、 ようやく地元に根づきかけてきたかな と思いはじめていた矢先の受賞の知ら せにびっくり。でも大平天国社、東海 郵政局同和対策室、真宗大谷派大垣教 務所をはじめとして行政・企業・学校 関係などの友人たち、そして小中高の 生徒たちとの﹁よく生き合う呼応の関 係﹂への贈り物としてお受けしました。 みなさん、ありがとう! ︵ 藤 田 敬 二 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町73-9 阿件社 Tel. 075 414 8951 Fax. 075 414 8952 E-mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 01010-7-6141 第154号 2006年1月25日発行

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教育の文化史

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佐藤秀夫

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全 四 巻

編集委員 楽 小野雅章 寺崎昌男 逸見勝亮 宮津康人 一 五 四 号 二 OO 六 年 一 月 二 十 五 日 発 行 ︵ 毎 月 一 回 二 十 五 日 発 行 ︶

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TEL 075 414 8951 FAX 075 4148952 刀むこF葱~遁零封$ E−田副l: [email protected]. ne・jp 苧 弓T可

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定価 三 百円 ︵本除ニ八六円 V

参照

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