『摧邪輪』巻下
(日
本思
想大
系巻
十五
『鎌倉
旧
仏
教
』
岩
波
書
店刊
)
於
二一向専修宗
選
択集中
一摧
レ邪輪巻下
*
36 5 上 一向 専修宗 選 択集 の 中 に於 いて 邪を 摧 く 輪 巻下第五
門決之余
。〈
〈此 巻 破 二群賊 喩 ヽ 一 忸 尽 二雑問答 一〉
第五 門に決する の 余 。 〈此 の巻は群賊 の 喩 を 破 し て 、 并に雑問答を尽 す 。〉専修人問曰、如
二汝所
一 レ言者、念
仏衆生摂取不捨文、不
レ限
二称名
ヽ 一 専 修 人の 問うて 曰 く、 汝が 言 う 所 の 如き 、念 仏 衆 生摂取不 取の 文、 称名 に限ら ず ば 、 観 仏 等を 修する修
二観仏等
一行者、可
レ得
二其摂取
一乎。答。
爾也。何以得
レ知。以
二観
行者 、 其 の 摂 取 を 得 べ き や 。 答 う 。 爾か な り 。 何 を 以 て 知 るこ とを 得。観 仏 等 是 れ 念 仏を 以て の 故 に 、仏等是念
仏
一故、
是
以
念仏宗、盛引
二観仏等文
ヽ 一証
二成念
仏義
一又群
是を以 て 念 仏 宗、盛んに観仏等の文 を 引 きて、念仏 の 義 を 証成 せり 。又『群 疑 論 』に 、 観 仏等 を以 て甚疑論、以
二観仏等
一為
二甚深
念仏
ヽ 一浅行既為
二所摂
ヽ 一豈除
二深行
一乎。
深 の 念 仏 と為す、 浅行既に所 摂 と為す、豈に 深 行 を除 かんや。又若 し 所 摂は 称 名 に 限 る と 言わば、 称名又若
言
三所摂限
二称名
一者、称名行既純熟、得
二根本
三昧
一位、
口称
行
の行既に純熟し て 、根本 の三昧を得る位 に し て 、口称の行 を 中 止 す べ からず。此の定位にお い て 、 摂 取可
二中止
一於
二此定位
ヽ 一可
レ不
レ蒙
二摂取
一乎。
夫深
位菩薩、
尚受
二仏
を 蒙 む る べか ら ざ るや 。 夫 れ深 位 の 菩 薩 、 尚 お仏加を受けて 、 専ら定 位 に在り。念仏 の家、 何 ぞ散位に加
ヽ 一専在
二定位
一念仏
家何限
二散位
ヽ 一可
レ除
二定位
一乎。若
爾
者、
唯不
限り て 、 定位 を除くべきや。 若 し爾 れば 、唯、念 仏 の 行純熟 せ ざるにし かず、 何 を以 ての故に 、若し 純 レ如
三念仏行
不
二純熟
一者、何以故、苦純熟者
、
必
可
三発
二得三昧
一若
熟するは、 必 ず三昧を発得すべし 。 若し 三 昧 を発得 す る 位 な ら ば 、 称名 の行 を中 止す べし 。若 し称 名中発
二得三昧
一位、称
名
行
可
二中止
一若称名中止位、
不
レ可
レ蒙
二弥陀
光
止の位なら ば 、 弥 陀の光 明 摂 取 を 蒙 るべからざ る が故なり 。 若 し爾りと云わば 、 是の処 あ る こ となけん 。明摂
取
一故也。若云
レ爾者
、
無
レ有
二是処
一問曰、弥陀光明、
唯
無
二称名行
者
一是故観経云、
光
明
遍
照
二十万
問 う て 曰 く、弥陀の光 明、唯 、 称名の行者を 照す。 是 の故に『観経 』に 云く、 「 光 明 遍 く 十方世 界 を世界
ヽ 一念仏
衆生摂取
不
レ捨。善導疏曰、問曰、備修
二衆行
一但能廻向、
照 ら し た まうに、念仏の衆生 を 摂取し て 捨てたま わず」と 。善 導 の 『 疏 』に 曰く 、 「 問う て曰く 、 備 さ皆得
二往生
一何以
仏光
普照
、唯
摂
二念仏者
ヽ 一有
二何意
一也。
答曰、此
に衆行 を 修し てただ廻 向す れば 、 皆 往生 を 得 。何 を以 て仏 光 普 く照 すに 、唯 、 念 仏者 を 摂 する は、 何 の有
二三義
一明
二親縁
一衆生起
レ行、口常称
レ仏、仏即聞
レ之、
身常
礼
二 意ある や 。敬仏
ヽ 一仏
○ 〔観経 疏 定善義「 即」 あり〕見
レ之、
心常
念
レ仏、
仏即
知
レ之。
答 え て 曰 く、 此 れ に三 義 あ り。 一には親 縁を 明す。衆生行 を起こ し て 、 口に 常 に 仏を称すれば、仏 即衆生憶
二念仏
一者、仏亦憶
二念衆生
一彼此三業不
二相捨離
一故、名
二親
ち之を 聞 き た まう 。 身 に 常 に 仏 を礼 敬 す れ ば 、仏 ( 『 観経疏』 定 善義「即」あり)之 を 見たまう。 心に縁
一也。二明
二近縁
一衆生願
レ見
レ仏、仏即応
レ念現
在
二目前
一故、名
二*
36 5 下 常に仏を念ず れば 、仏即 ち 之を 知りたまう 。 衆生 仏 を 憶 念 す れ ば、仏 亦 衆生 を憶念 し たま う 。 彼此 の 三近縁
一也。三明
二増上縁
一衆生称
念
、即除
二多劫
罪
一命欲
レ終時
、
仏
業相 捨離せ ず、故に 親縁と名 く る なり。 二 に は 近縁 を明す 。 衆 生 仏 を 見 た てま つ ら んと 願 ず れ ば 、 仏 即与
二聖衆
一自来迎接。諸邪業繋、無
二能礙者
一故、名
二増上縁
一也。自
ち 念 に応じ 現 じ て 目 の 前 に ま し ま す 。故 に 近 縁 と 名く るなり。三 に は増上縁 を 明 す。 衆生称 念 す れ ば 、余衆行、
雖
レ名
二是善
ヽ 一苦比
二念仏
一者、
全非
二比挍
一也
云云。又
観念
即 ち 多劫 の 罪 を除く 。 命終 らんと 欲 する時、 仏 聖 衆 と 自 ら 来 り て迎 接し たま う 。 諸 邪 業 繋 、 能 く礙 う る法門
、指
二此文
一云、
如
二前身相等光
ヽ 一一一遍照
二十方
世界
ヽ 一但有
下 者 な し 。 故に増長 縁と名くる なり。自余 の 衆行、是 れ善 と名 く と 雖 も 、 若 し 念 仏に比ぶ れば 、 全 く比 挍専
二念阿弥陀仏
一衆生
ヽ 上彼仏心光常照
二是人
ヽ 一摂護不
レ捨。惣不
レ論
三 にあら ざ るな り 」 と 云 云 。 又『観念法 門 』に、此 の文を指し て 云く、 「 前の身相 等の光の如 き は、一一照
二摂余雑
業
行
者
一 文。此
両処
解釈
忸
経文
、如
レ指
二掌中
一又善
導
に遍 く 十 方世 界を 照らす に 、唯 、阿 弥 陀 仏を 専 念 する衆 生 あり て 、 彼 の 仏 心 の光常 に 是の 人を 照ら し て 摧 邪輪 巻下摧 邪輪 巻下
処処解釈、専以
二称名
一為
二念仏
一爾者
非
下弥陀
光明唯照
二触称
名行
摂護し て 捨 て たま わず 。惣じ て 余 の 雑業の行 者を 照 摂 す る ことを論 ぜず 」と 。文 。 此 の両 処の 解釈并 び者
一不
上 レ及
レ余乎、如何。
に 経 文 、 掌中 を指 すが如し 。 又 善導の処 処の解釈、専 ら 称 名 を 以 て 念 仏 と 為 す 。 爾 れ ば弥 陀の 光明 ただ 称名 の行者 を 照触 して 余 に 及ば ざ る に あ ら ず や 。 いか ん 。答。如
二前説
ヽ 一念仏
有
二浅深
一其深
念者、
非
二必称
名
一若夫為
二念
答う 。前説 の 如し、念仏 に 浅 深 あり 。其 の 深 念は 、必 ずし も 称 名 に あ ら ず 。 若し 夫 れ 念 仏 を 為 す 者 、仏
一者、念仏衆生文、何簡
二深念人
一乎。善導解釈、又以
二観仏等
一 念仏 衆生の 文 に、何ぞ 深 念 の 人 を 簡 ばんや。 善導の解釈、又 観 仏等 を以 て 念 仏と為す こと、 前 の釈に成為
二念仏
ヽ 一如
二前釈成
一就
レ中依
二善導
解釈
ヽ 一弥陀
身光
照
二十万
世界衆
ぜる が 如 し 。 中 に 就 い て善 導の解 釈 に 依 ら ば 、弥 陀 の 身 光 の 十 方 世 界 の 衆生 を照 すな り 。 即 ち 『 疏 』 に生
一也。即疏云
二仏光普
照
一者、
仏光者
、
身光也
、
普照者、十方世界
「仏 光 普 照 」 と云 うは、仏 光 は 身光な り 、 普 照 は 、十 方 世 界 の 衆生 、 身 光照 触 を 蒙 む る 故 に、 普照 と云衆生
蒙
二身光照触
一故、云
二普照
一也。次疏文云
二唯摂
念仏者
一者、指
二 うなり。 次に『疏 』の 文に「 唯 摂念 仏者 」 と 云うは、 心 光 摂取 を指す な り。是の 故に『観念法 門 』 に云心光摂取
一也。是故観念法門云、
又
如
二第九真身観
説
云
一弥陀
仏金
く 、 「又第九 真身観の説 に 云うが如 し。 弥陀仏 の 金色身 毫 ( 『 観 念 法門 』 「 相 」 あり)光 明遍く十方衆生色身
毫
○ 〔観 念法 門「 相」 あり 〕光明遍照
二十方衆
生
ヽ 一身毛孔光亦遍
を照 し た まう に、身毛 孔光亦遍く衆生 を 照し たま う 、 円 光 亦 遍 く衆 生 を 照 ら し た ま う 、 八 万 四 千 の 相 好照
二衆生
ヽ 一円光亦遍
照
二衆生
ヽ 一八万四千相好等
光
亦遍照
二衆生
一 云云。
等の光亦 遍く衆生 を照 し た ま う 」と云 云 。 〈 此 の 次に 汝 が 引く 所 の 文に 来 る 〉解し て 曰く、 阿 弥 陀 仏に 〈此 次 汝 所 レ引文来。 〉解曰、阿弥陀仏
有
二二光
一一身光、二心光也。
二 光 あり。 一 に身 光 、 二 に 心光 なり 。〈 常途 に身 光 智 光 と 曰 う 〉身 光遍 く 十 方世 界の 衆生 を 照 す に 、今 、 〈常 途 曰 二身光 智光 一〉身光
遍照
二十方世界
衆生
ヽ 一今所
レ出文、四処有
二 出す 所の 文、四処 に 「 遍 照 衆生」の 句あり 。 汝が出す 所の 此の 次の 文に又 云 く 、 「前の身 相等の 光 の如遍照衆生句
一汝所
レ出此次文又
云
、
如
二前身相等光
ヽ 一一一遍照
二十
し 、 一一 に遍 く 十 方 世 界を 照した ま う に 、 但 阿 弥 陀仏を 専 念する 衆 生 あ り て 、彼の仏 の 心光 常 に 是の 人方世
界
ヽ 一但有
下専
二念阿弥陀仏
一衆生
ヽ 上彼仏心光常照
二是人
ヽ 一摂護不
を照し て 、 摂 護し て捨 てたま わ ず、惣 じ て 余 の雑 業 の 行 者 を照 摂す る こ とを論 ぜ ず 」 と云 云 。 此 の 文 に レ捨、
惣不
レ論
三照
二摂余
雑業
行者
一 云云。此文亦云
三一一
遍照
二十万
*
366 上 亦「一一に 遍 く十方世界 を 照し たまう」と云 う。前に准 じ て具さに 十方 世界 の衆 生と云 う べきなり 。前世界
一准
レ前具
可
レ云
二十方
世界
衆
生
一也。
忸
二前四句
一為
二五句
一於
二 の四句 と 并べ て 五 句と為す。其の中にお い て 、心 光は 専 念 の人 を 照 摂し、 雑 業 を 摂 せ ず 。 此 の 釈に 准 ず其中
ヽ 一心光照
二摂専
念人
ヽ 一不
レ摂
二雑業
一准
二此釈
ヽ 一専念
人蒙
二身心
二
るに、専念の人は身 心 二 光 を 蒙むり 、 雑業の人は唯、身 光の 照 触 を蒙むるな り 。 是 の故に前 の 経 文 に 、光照触
ヽ 一雑業人唯蒙身光
照
触
一也。
是故
前
経
文、具
可
レ云
下光明遍
具さに 「 光明遍く 十方世 界 の衆生 を 照らしたまうに 念 仏 の 衆生 を摂取し て捨てたま わ ず」と云 うべ きな照
二十方
世界衆
生
一念仏
衆生摂取
不
上 レ捨也。即観念法門云
二如前身相
り 。 即 ち 『 観 念法 門 』 に 「 如前身相 等 光 一一 遍照 十方世界 」と云う は 、 「 光 明 遍 照 十 方 世 界 」 の句 を釈等光一一遍照十方
世
界
一者、釈
二光明
遍照
十方
世界
句
一也。
次文
云
二 するなり。即 ち 『 経』 の意に云く 、 光明 遍 く 十方世界 の衆 生 を 照 ら し た まう に 、 其の中 に おい て 、 念 仏但有専念阿弥陀仏衆生彼仏心光常照是人摂護
不
捨
一者、釈
二念仏
衆
の衆生 を 摂取 し て 捨 て ず 。 〈為 言〉是の故に 遍照 の義 は寛し、専念雑業に 通 ず る 故に 。摂取の 義 は 狭 し 、生摂
取
不
捨句
一也
。
即
経
意
云、光明遍
照
二十方世界
衆
生
ヽ 一於
二其中
ヽ 一 唯、専念 に限る故に。摂取は、所得の法に 約 し て 之を 言 わ ば、証 得 の義なり。是の故 に 或 る師 、 『 双 観念仏
衆生摂取
不
レ捨。
〈為言 〉是故遍照義寛、通
二専念雑業
一故。
摂
取
経 』 「我 当修行 摂 取 」 の文 を釈し て 云く、 「 未 だ 説法 を聞 かざる 時 に、 地 前 の 位 に住 する 故 に 、 我 当 修 行義狭、
唯
限
二専念
一故。摂取者、約
二所得法
一言
レ之者、
証
得
義
也。是
摂取 等 と 言 え り 。 法を 聞き 已りて 、 五劫 思 惟 して 地上 に登 る故に 、 我已 摂 取 等と 言う なり。 其 の修行の故或師釈
二双観経我当修行摂取
文
一云、未
レ聞
二説法
一時、住
二地前
位
一 心浄し、自然に仏土 浄 き が 故に、摂取等と 言 う な り」と。 文 。故、言
二我当修行摂取等
一聞
レ法已、五劫思惟登
二地上
一故、言
二我
已摂
取等
一也。
其修
行心
浄、
自
然
仏
土
浄
故
、
言
二摂取等
一也。
文。
良以念仏
衆生蒙
二如来摂取
一者、依
三此念仏行摂
二取仏境
一故也。
良に以 て 念 仏 の衆生 、 如来 の摂取 を 蒙 む る は 、此 の念 仏 の 行 、 仏 境 を 摂 取 す るに 依る が故 な り 。 謂 く謂念仏行者、摂
二取仏境
ヽ 一置
二於己
心
一如
二彼甚深
念
仏三昧
ヽ 一其業用
念仏 の 行 者 、 仏 境 を 摂 取 し て 、 己 心 に置 け り 。 彼 の甚深 の 念仏三 昧 の如く 、 其の 業用 は不可思 議不可思摧 邪輪 巻下
不可思議不可思議。謂諸根毛孔
容
二無量仏
刹
ヽ 一四大
微塵
現
二三世
仏
議なり 。 謂 く 諸根毛 孔 に無量の仏 刹 を容る、 四大 微 塵 に 三 世 の 仏 事 を現 ず。 善 導 の『 疏』 に出 す所 の 功事
一善導疏所
レ出功徳雲比丘説
二念仏
三
昧
一中云、住
一
切
法微細念
徳 雲 比丘 、念仏 三 昧を 説 く 中に云く 、 「 住一切 法 微細念 仏 門 、 一毛孔 に おい て 不 可説諸仏 の 出 興を見 た仏門、於
二一毛
孔
一見
二不可説諸仏出興
ヽ 一咸至
二其所
一而承事
故
、住
てまつる、咸 く其の所に至 り て 承 事 す る 故に 、住刹 那 際 荘 厳念 仏 門 、一 念中 に お い て 、一 切 刹に皆 諸 仏刹那
際荘
厳念
仏門
、
於
二一念
中
ヽ 一見
下一切刹
皆
有
二諸仏
ヽ 一成
二等正覚
一 まし まし、 等 正覚 を 成 じ神 変 を 現じ たま う を 見た てま つる 故 に 」等 と云 云 。 且 く 此 の 事 は 置 き て而 も 之現
中神変
上故等
云云。且置
二此事
一而不
レ論
レ之。彼称名念仏亦随分摂
二 を 論 ぜ ず 。彼 の称名念仏 も 亦随分に仏 境 を 摂取す 。 謂く 執取 相 計 の 名 字 相 心 、 名字 (仁 本 ・ 活本 「 字 」取仏境
一謂執
取相計名
字相心
、
計
二著名字
〔仁 品・括本なし〕相
一生。
なし)の相 に 計著し て 生 ず 。謂く 先 ず仏名を聞 き て名字 に 計 著 し 、 次に 仏体 を執 り て 執 取 の相 を 生 ず 。 ○謂先聞
二仏名
一計
二著名字
ヽ 一次執
二仏体
一生
二執取
相
一二相相応生
二甚
*
36 6 下 二 相 相い 応じて 甚 深 の 愛敬 を 生 ず 。 遍 計 分別 心 、 如 来 の実 徳を 縁ぜずと 雖も、勝 福田 を 縁 じて 甚 深 の 信深愛
敬
一遍計
分別
心、
雖
レ不
レ縁
二如来実徳
ヽ 一縁
二勝福田
一生
二甚深信
解 を 生ず。 此 の信 解力 は如来の 悲願を印持 し て 、 己 の 心中に 置 き、愛敬の 念 徹到 する故 に 、任 運 に 如来解
一此信解力印
二持如来悲願
ヽ 一置
二己心中
ヽ 一愛敬念徹
到故
、任
運
与
二 の 悲 願と相応して 互に捨 離 せざ る故 に 、 「摂取 不 捨」と 云 うなり。 善導が「衆 生 念仏仏還 念」と云うが如来悲願
一相応互不
二捨離
一故、云
二摂取
不捨
一也。如
三善導
云
二衆生
如き は、 即ちこ の 義 な り 。 造 立 堂 舎 等の 善 根 、 初 心の 行人 其の 心 、 土木に 向 い転 じて 、如 来の 身 心 に親念仏仏
還
念
一者、
即此
義也
。造立堂
舎
等
善
根
、
初
心
行
人
其
心
向
二土
縁せ ざるが 故 に、 能所 摂取 の義な し 、此 れ善 導の称 名 宗 に 依 り て一 往述 ぶ 。 余 善 摂取 の 義 なし 。他 師 は木
一転、
不
三親
二縁如来身心
一故、無
二能所摂取
義
ヽ 一此依
二善導称
名
宗
一 此の 文 を 釈 す に、未 だ 必ず し も 此の如 く ならず。文に臨み て見るべ きなり。即 ち 善 導 の出すと ころの三一往
述。
余善
無
二摂取義
一他師
釈
二此文
ヽ 一未
二必如
一 レ此、臨
レ文可
レ見
義、倶に皆 衆 生先ず 仏 を 念 持せり 。 是 の 故に 仏亦衆生を摂取 し たまう。身光の照触大悲 遍 き故に、 諸の也。即善導所
レ出三義、倶皆衆
生
先
念
二持仏
一是故仏亦摂
二取衆
生
一 衆生に 遍 ず、 心光 の摂取、衆生 感ずる ことなく ば 至らざるなり 。身光之
照
触
大
悲遍
故、遍
二諸衆生
ヽ 一心光之
摂
取、衆生無
レ感不
レ至也。
爰有
二一人
一作
二因論
生論
一曰、
若余
善無
二摂取
義
一者、我欲
レ不
レ修
爰 に 一人あり て 、 因論生論 を作し て 曰く、 「 若 し 余善に 摂 取の 義なく ば 、我 れ之 を修せざらんと欲す、 レ之、如何
。答
。善導約
下行
二称名
一時、
念仏
心易
レ生、修
二余善
一時、
いか ん。 答 う 。 善 導 は 称名を行ず る 時 、 念仏 心 生 じ 易 し、 余善 を 修 する時、念仏 心生じ難き 一 類に約 し念仏
心難
レ生一
類
ヽ 上作
二此説
一然世
間
亦
有
二一類
ヽ 一欲
レ称
二名字
一睡眠
て、此 の 説 を 作す 。然 るに 世間に 亦 一 類 あり 、 名 字 を 称 せ んと 欲 す るに 睡 眠 忽 ち 起 こ り 、 余 行 を修 せ ん忽起、欲
レ修
二余善
一念心自住。有
二此一類
ヽ 一致
二信心
一修
二余善
ヽ 一廻
二 と欲 する に念 心自ず か ら 住 す。 此の 一類あらば 、 信心 を致 すに余善 を 修 し、 此 の 善根を廻し て 往 生 浄土此善根
一求
二往生浄土
一此心即是名
二念仏
心
一弥陀
心光摂
二取之
一是
を求 む。 此の心即 ち 是 れ 念 仏心と名く 。 弥陀の 心 光、之 を 摂取したまう 。 是 の故に 念 仏 の 善 根 、種 種 無故念
仏善根
、
種
類
無辺
。四
十八願
、
唯
云
二乃至
十念
ヽ 一不
レ云
二名字
一 辺なり。四 十 八願、唯 、乃至十念 と 云い て 、 名字と 云 わ ず 。善 導 の 十声 と釈 す る は、 且 く 称名 門に 約 し善導
釈
二十声
一者、且約
二称名門
一也。余
師
釈
二此十念文
一異説云云。
て な り。 余師 此の十 念 を 釈 するに 異 説あり」 と 云 云。必 ず し も 称名 を指 すにあ ら ざるなり。 若 し一理 に非
三必指
二称名
一也。
若順
二一理
一者、
何
必
漏
二於十
念願
一乎。若
不
レ漏
二 順 ぜ ば 、 何ぞ 必 ず 十念 の 願 に漏 れんや。若し 十念の願に 漏 れず ば、 何ぞ 必 ず 善 導 の 遺 訓に違 せ んや 。 諸十念願
一者、何
必
違
二善導遺
訓
一乎。
諸釈互守
二一理
ヽ 一各相
成終
無
レ違
釈 互 に一 理を 守 る 、 各 の 相 い成 じて 終 に 違 な き 故 なり。 若 し然ら ず ば 、 甘露の門にあらず。 若 し 初 心の故也。若不
レ然者、非
二甘露門
一也。若初心人依
レ守
二有縁
一行
一暫依
二 人、有縁の 一 行を守 る に依りて 暫く 一 師 に依附 す るは 、諸 師皆世 尊 の 使 い と 為す 。 善 導 に 何ぞ 之を 咎め附一
師
一者、
諸師
皆為
二世尊
使
一善導
何
咎
レ之乎
。
如
二善導
疏
云
ヽ 一各
んや。 善 導の 『疏 』に云うが如 し、 「 各 の所楽 に 随い て疾く解脱を 得よ 」 と 、 〈 略 鈔 〉即ち是 れ諸 行 を 相随
二所楽
一疾得
二解脱
ヽ 一 〈略紗〉即是相
二成諸行
一也。更莫
下得
二一片
一忘
中 い成ず る なり。更 に 一 片を 得 て 三隅を忘 るる こ と なかれと するなら くの み。三隅
上而已。
*
36 7 上問。此事実然。若
爾者、我依
二善導
解釈
ヽ 一執
二称名
一行
ヽ 一入
二一念
問 う 。 此 の事 、実 に然 なり 。 若 し 爾 れ ば 、我れ 善 導 の 解釈 に依り て 、称 名 一 行を執り て 、 一念 仏門 に仏門
一汝何破
レ之
乎
。答。如
二先約而言
一我全不
レ非
二称名
義
ヽ 一不
入る。汝 何 ぞ 之を破すや。摧 邪輪 巻下 レ
破
二善導
釈
一但正
所
レ破者
、汝之
撥
菩提心
等
邪過也
。
傍
所
レ破者
、
答 う 。 先 に約 して 言 う が如 し。 我れ 全く 称名 の義を 非 と せ ず、善導の釈を破せず。 但 し正しく破する汝依
下挙
二善導
釈
一弊
中佗師義
ヽ 上称名
一類有
二憑拠
一佗門行
人
失
二所帰
一 所は、 汝 の 撥 菩 提 心 等の邪過 なり。傍らに破する 所 は 、 汝が 善 導 の 釈 を挙 げ て 他師 の義 を弊す る に 依 り依
レ之顕
二念仏
実
義
ヽ 一興
二隆往
生要
行
一也。是又不
レ仮
二他門
一即往生
て 、 称名の 一 類に憑拠あり 。 他門の 行 人所 帰 を 失 う 。之に依り て 念仏の実義 を 顕わ し て 、 往 生 の 要行 を宗有
二盛談
一如
三彼云
二十地菩
薩
念仏為
一 レ行等者、
〈正文 在 二安楽集下巻 一 興隆するな り 。是 れ 又 他門を仮 らず。即 ち往生 宗 に 盛 談あ り 。 彼に 「十 地 の 菩 薩 は 念 仏 を 行と 為す 」 と 大意 浄土門諸師皆共同 。 〉十地所修福
徳
、以
レ不
レ離
二念仏
念法
乃至
念具
云う等の 如き は 、 〈正文『安 楽 集 』 下巻 にあり。 大 意 浄土門の 諸師皆共に同じ〉十地 所修の 福 徳 、 念 仏足一切種智等心
一故、
此中
以
二初一念
一為
二念仏
一此雖
レ出
二能念
自
利
・ 念 法乃至念具足 一切種智等の 心 を 離れざ る を 以 ての故に、此の中 に初一念 を以 て 念 仏と 為す 。 此 れ能行
ヽ 一所修福
徳
布施愛語利益同事等諸
行無辺
。
此
等
皆
以
レ不
レ離
二念
念 自 利の 行を 出すと 雖 も 、 所修 の 福 徳 ・ 布施 ・ 愛 語・利益・同事等の諸 行、無辺 なり。 此 れ 等 皆念仏を仏
一故、
名
二念仏
善根
ヽ 一以
レ不
レ離
二念法
一故、
名
二念法善根
ヽ 一以
レ不
離れ ざ る を 以 て の 故 に 、 念 仏 の 善根 と名 く 、 念 法 を離れざ るを以 て の 故 に 、 念法の善根 と名く、 念同 行 レ離
二念同
行菩薩
一故、名
二念諸同行菩薩善
根
ヽ 一乃至名
二念具
足一
切
菩薩を離れざるを以ての故に 、 念諸同行菩薩 の 善 根と名く 、 乃 至念具足一切種 智 善 根 と名く。 具さに 『 華種智
善根
一具如
二華厳
説
一十地論
第
三、摂為
二四念
一中、以
二念三宝
一 厳経 』の 説の如し 。 『 十地論』の第三に、 摂 し て 四念 と為 す中 に 、 念 三 宝 を 以 て 上念 と名 く 。 今 、 言う名
二上念
一今所
レ言
者
、其中念仏善也。此中無辺諸行、皆得
二念仏
所 は 、 其の中の 念仏善なり。 此の中の 無辺の諸 行、皆 念 仏等の名 を得。此の義は地上に 限るべからず、等名
一此義唯不
レ可
レ限
二地上
ヽ 一地前諸
位
皆
以
可
レ同也。
依
二此理
一而
地前 諸 位 皆以 て同 じ か る べ きな り 。 此 の 理に 依り て之 を 言 う に 、 若 し 人 あ り て呪 詛 毒 心 を 懐 き て、 他人言
レ之、
若
有
レ人懐
二呪詛
毒心
ヽ 一為
三悩
二乱他
人
一称
二仏名
一此可
レ不
に悩 乱 を 為 し て 仏 名 を 称 す 。 此 れ 弥 陀の 心 光 の 摂 取を 蒙む ら ざ るべ し。 此れ 諸経 所説の 念 仏 心 に あ らざ レ蒙
二弥陀
心光摂取
一此非
二諸経
所説
念仏
心
一故。苦復有
レ人、深
厭
二 るが故に。若し復 人 あ り て 、 深 く生死を厭い浄土を欣求し て、一愽食を以 て 仏像に 供 する 等 、 是 れ を念生死
一欣
二求浄
土
ヽ 一以
二一搏食
一供
二仏像
一等、是
名
二念仏
衆生
一弥陀
仏衆 生と名 く 。 弥 陀の 心光、之を 摂 取すべ し 。 諸 経所 説の 念仏の 善 の故に。之に依りて 善 導の 出す所の心光可
三摂
二取之
一諸経
所
説
念仏善故
。
依
レ之善
導所
レ出三
義、倶皆
三 義 、倶に皆 衆生先ず仏を摂 取 す 。 是の 故 に 仏亦 衆生を摂取したまう。身光の照 触の大悲 遍き故 に 、 諸衆生先摂
二取仏
一是故仏亦摂
二取衆
生
一身光之
照
触
大
悲遍
故、
遍
二 の衆生 に 遍ず。心 光の 摂取、 衆 生 の 感な く ば 至 ら ず。此 れ 四 道 理 の 中 に 、 是 れ法 爾 道 理 な り、 亦 是 れ作諸衆
生
一心光
之
摂
取
、
衆生
無
レ感不
レ至。此四道理中、是法爾道理、
用は、道理の所顕なり 。 縁 起 道 理は 作 者 なき故に、 諸 法 の 業用は是 の如 き の 故に、 無 辺の 浄 業 の 弥 陀 の亦是作
用
、
道
理所
顕
也
。
縁
起
道
理
無
二作者
一故、諸法業用如
レ是故、
*
36 7 下 身光 土 を 成 ず るが 如 し 。 念 仏 の 浄業は心 光摂取を 蒙る べ き が故に、 更 に 弥 陀 如来 に 偏 頗の過あるに あ ら如
三無辺
浄業成
二弥陀
之身光土
一念仏浄
業
可
レ豪
二心光摂取
一故、更
ざる な り 。非
三弥陀如
来
有
二偏頗過
一也。
何者今所
レ言
心
光者、
荘
厳論
云、
能取
及
所
取、
此二
唯心光。
貪光
何 者 か今、言う所の心 光は、 『 荘 厳 論』 に云 く 、 「 能 取 お よ び 所取 、此 の 二 は唯 、 心 光な り。 貪 光 お よ及信
光二
光無
二二体
一瑜伽論
出
二三種光明
一中、云
二法光
明
一者、謂如
び信光の二光は二の体な し 」 と 。 『瑜伽論』に 三種の 光 明 を 出す中 に 、 「 法 光 明と云 う は、 謂く一 其 の所 レ有
下一随
二其所
受所
思所
触
一観
二察諸法
ヽ 一或復修
中習随念仏等
上准
受所思 所 触に随い て 諸 法 を 観察し、或い は復随念仏 等 を修習する こ とあ る が 如し 」と。此 れ に 准じ て之 レ此而言
レ之、心光義多種。貪等是煩悩光也。信等是
善
法光也
。
観
を言わば 、心 光の義多 種な り。 貪等は是れ 煩 悩の 光なり 。 信等は是 れ善法の 光なり 。 観察 の諸 法 は 是 れ察諸法是智
光
也。修
念
仏
等
是
念
光也。准知今所
レ言心
光
者
、是
慈
智 光 なり。修 念 仏 等 は 是れ 念光 なり。 准 知 す る に 今 、 言う所の 心光は 、 是れ 慈悲なり。 慈 に三 種 あ り、悲也。
慈
有
二三種
ヽ 一一衆生縁、二法縁、三無縁。今所
レ言是無縁慈
一 衆 生縁 、 二 法 縁 、 三 無 縁 なり 。 今 、言 う 所 は 是 れ 無 縁の 慈なり 。 是の 故に天台 の 『 観経疏 』に云く 、也
。
是
故
天台観
経
疏云、念仏衆生摂取
不
捨者、若為
二仏慈悲
一所
レ護、
「念仏衆生 摂 取不 捨は、 若 し 仏 の慈 悲 の 為に 護 ら る れ ば、 終 に 離苦 を得 て 、 永 く 安 楽 を得 と。 『 論 』 に終得
二離苦
ヽ 一永得
二安楽
一論云、譬如
二魚子母
若
不
レ念
レ子則爛壊
ヽ 一 云く、 譬 え ば 魚子 の母若し子 を 念ぜざれ ば子則 ち 爛壊 す る が ご とし 、衆 生 も 亦爾 な り 。仏 若し 念じ たま衆生亦爾。仏若
不
レ念、善根則壊。今明
二無縁慈
一者、諸仏所被謂心
わずば 、 善根則 ち 壊す。今、無縁の慈 を 明かすは 、 諸 仏 の 所 被 謂く心 、 有無に 住 せ ず 、 三 世に依 ら ず、摧 邪輪 巻下
不
レ住
二有無
ヽ 一不
レ依
二三世
ヽ 一知
二縁不
実
ヽ 一以
二衆生
不
一 レ知故
、実
相智
慧
縁 不 実を 知る 、 衆 生知 らざ るを 以 て の 故 に 、 実 相 の智 慧、衆生を し て 之 を 得 しめん 、 是 れ を 無 縁と為す令
二衆生得
一 レ之、
是
為
二無縁
一也。
文。此三種大慈、与
二平等性智
一相
なり」 と 。 文 。 此 の三種の大慈、平 等性智と相 応 す。 『仏地論 』 第五に、 此の大慈の 所 縁 を 出す。 評 家応。
仏地
論第
五、
出
二此大
慈所
縁
一評家
云、
如
レ是説
者亦縁
二有情
ヽ 一 の 云 く 、 「 是 の如き 説 は 亦 有情を 縁 ず る に、但 無 分別平 等 の 行 相な り。 一切仮 立 有情 性平 等を 了知す る但無分別平等行相。
了
二知一切仮立
有
情
性
平等
一故、縁生
等
法
性平
が故に、縁生 等法 性平 等の故 に 、無我真 如性平等の 故 に、 平 等 智と 名く 。此の 智 相 応 し て 所縁 の境 に 就等故、無我真如性
平等故、
名
二平等智
一此智相応就
二所縁境
ヽ 一得
い て 、三 慈を 具するこ とを 得。 但無 分別平 等 行の故に 説きて 無 縁 と 名く」 と 。 文 。 『 十地論』第 五 に、 レ具
二三慈
一但無
分別平
等
行
故
、説
名
二無縁
一 文。十
地論
第五
、名
二 衆 生 念・ 法念・ 無 念と名 け 、無念の 義を釈 し て 云 く 、 「無念は 二 種 あり 。 一 に は 自相の無 念、法無 我 を衆生念法念無念
ヽ 一釈
二無念義
一云、無念者有
二二種
一一自相
無
念
、
観ず 、 世 間の 中の最、経の如く 法界は世間の最なる故に、二に は遍至無 尽 観 、 経 の如く究竟虚 空界 の故観
二法無
我
ヽ 一世間中最
、如
レ経法界世間最
故、二遍至無尽
観
、如
レ経
に、 一切 世 間 に普 く 行 ず る が 故 に、 経の 如 く 遍 く 一切世間を覆う 行 な る が故 に」と 。 〈已 上 〉 『探玄記 』究竟
虚空
界
故
、一切世
界普
行故
、如
レ経遍
覆一切世間行故。
〈己上〉 第十三 に 、 『 十地 論』の 文 を 釈 し て 云 く 、 「 初めに当 体 無 念 、 二に 分 斉 無尽」と 。 文 。 当 に知るべし、 如探玄記
第十三、釈
二十地論
文
一云、初当体無念
、
二分斉無尽
。
文。当
*
36 8 上 来の 大慈 、当体 無 念なり。遍計 の 情 を離 る、謂く 〈 深 義なり 。〉分斉無尽なり。 周遍せざ る と こ ろ な し。 レ知
如
来大慈
、
当体無念
。離
二遍計情
ヽ 一謂
〈深義 也 。 〉分斉無尽。無
下 〈広義なり。 〉然りと雖も衆 生 極浄にし て如来の功徳を 念 持する を 、名け て 念 仏 と曰う 。 如来 の無縁の不
二周遍
一処
上 〈広義也。 〉雖
レ然衆生極
浄念
二持如来功
徳
ヽ 一名曰
二念仏
一 慈、衆 生 の浄念に 応ず る を 、 名 け て 摂取 と為す。 猶 お 彼 の 法 慧 菩薩 の 菩 薩無 量 方 便 三 昧に 入る 時、 一切如来
無縁
慈、
応
二衆生浄
念
ヽ 一名為
二摂取
一猶如
下彼法慧菩薩入
二菩薩
如来は無礙智・ 無 住智 等 の 十智を与 うるが如し 。 『 経 』に 其の所由を説 きて 云く 、 「 彼の三昧力の 法は是無量
方便三昧
一時、一
切
如来
与
中無礙智無
住智等十智
上経説
二其所
の 如 き 故 に 、 此 れ 亦説 き て 云 う べし 。何 の故 か如来 の 心 光 は 応 に浄 念な る べ き や 。 彼 の 念 力の 法 は 是 の由
一云、彼三昧力法如
レ是故、此亦可
二説云
一何故如来心光応
二浄念
一 如き 故 に 、 其 れ 明 月 に 心 な く 、 水 清 き に 影 現 わ れ 、水 濁る に影昏き が猶 し。 何を 以て の故に、 法是の如耶。彼
念
力法
如
レ是故
、其
猶
二明月無
レ心、
水清影現、水濁影昏
一何
き故に 、 此 れ 亦是 の 如 く衆生 の 念 心 の水 清 く ば、 如 来 の 心 光 影 現 す 」と 、 感 応 の 義此 れ に 准 じ て知 る べ以故、法如
レ是故、此亦如
レ是衆
生念
心
水
清
、
如
来
心
光
影
現
、感
応
し 。 当 に 知るべし 、身光の一 切 を 照 すは 、此 の大 悲の 力に依る なり 。 摂 取 の 有 無 を論ずる に、 如来 の大義准
レ此可
レ知。当
レ知身
光照
二一切
一者、
依
二此大
悲力
一也。依
レ論
二 慈遍 か ざ る と 謂 う に は あ ら ざ る なり 。 譬 え ば 説 き て 日 光遍 く 天 下を 照 す に 有 目の 衆 生 を 摂 取 し て 捨 て ず摂取有無
ヽ 一非
レ謂
二如来大慈不
一 レ遍也。誓如
下説云
中日光遍
照
二天下
一 と云う が 如 き は、 有目無目の衆生、日光 の照触を 得 る は、弥 陀 の身 光遍く 十 方衆 生 を 照 す が如し 。 有 目有目衆生摂取不
上 レ捨者、有目無目衆生、得
二日光
照蝕
一者、如
三弥陀
の人は念仏の心あるが如 し 。日輪の其 の 体を 示す は、弥 陀 の 摂 取を垂 れ るが 如し。無目 の 人 は 念 仏 の心身光遍照
二十方衆
生
一有目
人如
レ有
二念仏
心
一日輪示
二其体
一者、
如
三 な き が 如 し 。 日 輪 の此 の人 の為に 自 体 を 示さ ざる は 、 弥 陀 の 心 光 の 摂取 を蒙 む ら ざる が 如 し 。 無 目 の 人弥陀
垂
二摂取
一無目人如
レ無
二念仏
心
一日輪為
二此人
一不
レ示
二自体
一者、
の為に 、 日輪体を失 わ ず、念 心 な き 衆 生 の為に、 無縁 の大慈 は 止ま ず、 見 ・ 不 見 は 唯 、 眼 目の 有 無 に任如
レ不
レ蒙
二弥陀
心光
摂取
一為
二無目
人
ヽ 一日輪
不
レ失
レ体、
為
下無
二念心
一 せ り 。日輪の 過にあら ず 、 摂・不 摂 は亦念心 の有無 に 依る 。 弥 陀 の 過に あら ざるな り 。是の 故 に万 境 を衆生
ヽ 上無縁
大慈不
レ止、
見不見唯任
二眼目
有
無
一非
二日輪過
ヽ 一摂不
摂
歴 て 念心 あ る は、 是 れ を 念 仏 と 名く。摂取を 得る こと、 掌 の中 を指すが 如し 。其 れ念心 あ る善 根は、 各赤依
二念心有無
ヽ 一非
二弥陀過
一也。是故歴
二万境
一有
二念心
一者、是名
二 の根機 に 符せり 、 一門を 執 するなかれ。 是の故に 諸師の此の文 を釈すに、未だ心(仁 本 ・ 活本「心 」の念仏
一得
二摂取
ヽ 一如
レ指
二掌中
一其有
二念心
一善根
者、
各符
二根機
ヽ 一偏
字「 必」 )善 導に同じからず。一 往 相違に 似 ると雖も、始終差異な し 。 往復 旋り還り て 、 一念仏門に入莫
レ執
二一門
一是故諸師釈
二此文
ヽ 一未
三心
〔仁 本・活本「 必 」 〕同
二善導
一 る。上 に 出 す 所の十地の念仏等の義 、 念 仏宗に引用せら れ て、即 ち 此の義を 成 ず る な り。 ○一往
雖
レ似
二相違
ヽ 一始終
無
二差異
一往復旋還、
入
二一念
仏門
一上所
レ出
十地
念仏等義、
念
仏
宗
所
二引用
ヽ 一即成
二此義
一也。
問。若如
レ所
レ信者、念仏善通
二多善
一為
レ体。然者何故前所
レ引善
問 う 。 若 し言 う所 の 如 く な ら ば 、 念 仏の 善 は 多 善 に通ず る を体 と為 す。然れ ば 何 が 故 ぞ前 に引 く所の摧 邪輪 巻下