自衛官募集の変遷と世相の変化について(昭和 49 年~昭和 59 年) 前回昭和 26 年から 49 年にかけて、長門市の広報紙に掲載された「自衛官募集記事」を中心に記 述しました。今回はそれ以降昭和 59 年までの変遷について紹介しましょう。なお一部の画像につ いては編集してありますので、ご了承ください。 旧油谷町広報 昭和 49 年(1974)6 月 1 日号 より 油谷湾で発見された不発弾についての記 事である。他に記事が無かったためか、担当 者の氏名とか詳しく記述してある。 日米戦争中、関門海峡は米軍の機雷により 閉鎖され瀬戸内海沿岸部は爆撃により被害 を受けたが、長門市はそのような被害をうけ ていない。そのため、敗戦後引揚港として仙 崎港が利用された。 長門市には、西から油谷湾、深川湾そして 仙崎湾があるが、油谷湾は戦艦クラスが停泊 できるため、この爆弾は投錨中の帝国海軍の 軍艦を狙ったものかもしれない。 旧油谷町広報 昭和 50 年(1975)3 月 1 日より 町の 1 ヶ所ではなく、3 ヶ所に分けて実施し ていた。神式とあるからには、仏式等で行った 年もあるのだろう。
旧長門市広報 昭和 50 年(1975)5 月 1 日より 練習機の不時着事故が発生した。この事件が原因とな ったのか、長門市広報に自衛隊募集関係の記事がしばら く掲載されなかった。 旧三隅町広報 昭和 50 年(1975)7 月 1 日より 戦没者遺族への特別弔慰金の案内である。戦後 30 年たっても実施されていると驚かれることと思う。実 は平成 27 年にも第 10 回特別弔慰金の案内が行われて いる。詳しくは各市町の窓口で確認して下さい。 旧三隅町広報 平成 50 年(1975)8 月 1 日より 募集内容に「防衛医科大学生」と「一 般曹候補学生」が見える。防衛医科大 学校は自衛官の医官を養成するため昭 和 49 年に開設された。また一般曹候補 学生は昭和 50 年に創設された。
旧長門市広報 昭和 50 年(1975)8 月 1 日より 戦後 30 周年を記念したためか、正午のサイレン吹奏と黙と うの案内がされている。 地域で行われる場合は招魂祭や英霊祭と呼ばれているが、 国が行うものは追悼式とされている。 旧油谷町広報 昭和 51 年(1976)1 月 1 日より 旧軍人に対する恩給支給変更に関する案内である。戦後 30 年を過ぎても、旧軍人に対する恩給 制度は存続していた。現在の自衛官は国家公務員共済組合の年金(昨年 10 月厚生年金との一元化が 実施された)を受給することになっている。自衛官と他の公務員との決定的な違いは、服務の宣誓 で「ことに臨んでは身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に答えることを誓います。」 とあるように職責の重さが違うことであろう。一般の年金制度とは別枠の自衛官の年金を検討して いただきたいものである。 旧長門市広報 昭和 51 年(1976) 7 月 15 日より 小中高生向けの体験航海であ る。短い文章ながら、艦船の種類 や、航海実施場所等をうまく説明 してある。イラストも素晴らしい 出来である。
旧長門市広報 昭和 51 年(1976)10 月 15 日より 戦没者遺族のための合同慰霊祭です。宗教色をなくした ものとなっている。 旧長門市広報 昭和 52 年(1977)1 月 15 日より 長門市の青海島から、掃海艇に「おうみ」と名付けられ た。長門市青海島にある通(かよい)地区の住吉神社で安 全祈願をしたとのことである。 旧海軍の戦艦「長門」に艦内神社が設置されていたが、 艦名が旧長門の国に由来することから住吉神社(下関市)か ら分祀されていた。因みに「長門」は昭和 20 年の敗戦時、 唯一航行可能な戦艦であった。米軍に接収された後、水爆 実験に使用され沈没し、その船体はビキニ環礁の海底に残 されている。 旧油谷町広報 昭和 52 年(1977)5 月 1 日より 2 ヶ所の小学校体育館で行われた。戦没者は 513 柱です。小さな町 (人口約 1 万 2 千人)にとっては、 少ない数ではない。 式には山口県知事が来賓として来られ、山口駐屯 地音楽隊も参加していた。
旧日置町広報 昭和 53 年(1978)7 月 1 日 より 待遇の説明に「初任給+衣食住官給」と詳しい 説明がされている。旧日置町では担当が住民課戸 籍係となっていた。 旧三隅町広報 昭和 53 年(1978)8 月 1 日より 上記と同じ自衛官募集の内容だが、様式が 異なっている。旧三隅町では担当が総務課と であった。 旧油谷町広報 昭和 54 年(1979)3 月 1 日 より こちらも上記と同じような募集案内だが、身分:特別 職国家公務員、有給休暇:年 24 日とより詳しくなってい る。また、1 年も経ず給料が 2000 円近く上がっているの を見ると、良い時代だったのでしょうね。 旧三隅町広報 昭和 54 年(1979)4 月 1 日より 戦後 34 年にして、抑留者等の調査を行って いる。敗戦処理にしては遅すぎる感がある。 個人名・電話番号は個人情報のため不掲載 としている。以下の記事も同様である。
旧日置町広報 昭和 54 年(1979)5 月 1 日 より 日置八幡宮には戦没者の慰霊碑がある。その前で 行われたが、テーブルが設置されているところを見 ると、昼食も準備されたのであろう。出席者が 150 名とは盛大なものだ。当時は遺族の方も多数御存命 であったと思われる。 旧油谷町広報 昭和 54 年(1979)5 月 1 日 より この頃から募集相談員制度が始まった。油谷町で は 4 人の方が委嘱されたようだ。 旧日置町広報 昭和 54 年(1979)8 月 1 日 より 1 年前の募集案内と変わっているのは 試験科目が詳しく記されていることと衣 食住の状況である。
旧油谷町広報 昭和 54 年(1979)8 月 1 日 より 近頃の広報紙では見ることのできない 内容である。 旧油谷町広報 昭和 54 年(1979)8 月 1 日より 今までの募集案内と大きく変わったことは、問合せ 先が萩出張所となったことだ。 旧長門市広報 昭和 54 年(1979)10 月 1 日 抑留経験者が老齢に差し掛かろうとする時期に漸く抑 留者協議会が設立されることになった。 旧 日 置 町 広 報 昭和 55 年(1980)6 月 1 日 より 広 報 誌 を 調 べ る と、防衛庁職員の募 集 案 内 が 少 な い こ とに気がつく。これ は珍しい一例。
旧油谷町広報 昭和 55 年(1980)7 月 1 日より 前期と同じ内容です。当時は自衛官募集の氷河期と言われた時代 だが、事務官等の募集も困難だったのだろうか。 旧油谷町広報 昭和 55 年(1980)7 月 1 日より 旧陸海軍の看護婦実態調査です。この時期は厚生 省の各種調査が行われていたのかもしれない。 先の戦争では旧軍将兵のみならず、陸海軍看護婦 も大変な苦労をされたようである。 旧三隅町広報 昭和 55 年(1980)6 月 1 日より 一昔前の募集案内に比べて随分と簡単になった。昭和 54 年 8 月 の案内では 8 万 5 千円だった給与が 9 万 1 千余りに上がっている。 旧三隅町広報 昭和 55 年(1980)9 月 1 日より 前記から 3 カ月後の募集案内です。この当時2 士の募集は困難を極めていた。
旧日置町広報 昭和 55 年(1980)12 月 1 日より 2 士と自衛隊生徒の募集案内です。2 士についてはよほど人が集まらなかったためか、かなり詳 細な説明が加えられている。 旧日置町広報 昭和 56 年(1981)9 月 1 日 より 写真入りの募集案内である。なかなか洒 落ていますね。体力検定 1 級の徽章をつけ た 1 等陸士だが、このモデルが現職隊員な らばすでに定年退官しているであろう。元 気に暮らしているでしょうか。
旧長門市広報 昭和 56 年(1981)10 月 1 日 旧長門市の自衛官募集である。前述の旧日置町の案内 に比べて簡単なものになっている。市町によって自衛隊 への対応が異なっているのが良く分かる。 旧日置町広報 昭和 57 年(1982)9 月 1 日 旧日置町の自衛官募集案内は、写真入りで工夫されている。これは、広報官の努力によるものか 町役場の自衛隊担当職員のアイデアによるものか良く分からないが、市町へ依頼するにあたっては 注意が必要ですね。文中「食事無料支給」とあるが、筆者の時代は実は無料支給ではなかった。休 暇等で食事を取らなかった場合は「弁当食」と称して、カップヌードルや菓子パンなどを貰ったこ とを覚えている。 旧三隅町広報 昭和 57 年(1982)9 月 1 日より 職員採用試験とあるので、事務官等の募集案内かと思 えば、全て自衛官の募集案内である。役場の人には自衛 官も職員も混同されていたようだ。 旧三隅町広報 昭和 57 年(1982)11 月 1 日 前期と同じ、旧三隅町広報の募集案内である。上記の記事から 2 カ月しか過ぎていない。募集のために奔走する広報官の姿が目 に浮かぶようだ。
旧油谷町広報 昭和 57 年(1982)12 月 1 日より これも昭和 57 年の募集案内である。かなり切迫 した募集環境であると推察する。 旧三隅町広報 昭和 58 年(1983)6 月 10 日より 山口県総合防災訓練が旧三隅町野波瀬港で行われた模様である。陸海自衛隊も参加して、盛大に 実施されたようだ。山口県の総合防災訓練の実施場所は各市町の持ち回りで行われる。平成 27 年 は柳井市で実施され、平成 28 年は萩市で行われる予定である。
旧三隅町広報 昭和 58 年(1983)8 月 1 日より これも、職員採用案内となっているが、中身は自衛官の募集である。 旧長門市広報 昭和 59 年(1984)9 月 15 日より 旧長門市の募集案内は他の町に比べて非常にあっさりと している。旧長門市を含む日本海沿岸各町の役場は自衛隊 に対して非常に好意的であったが、広報誌掲載に関しては 温度差があるようだ。担当の職員とは仲良くしておく必要 がある。 旧長門市広報 昭和 59 年(1984)9 月 15 日より 桜会HPでも紹介した、青海島の高山に残る監視哨の紹介記事である。
旧三隅町広報 昭和 59 年(1984)10 月 1 日より この頃になると、他の文章と体裁を合わせるた めに内容が簡略化されてきたが、最小限の情報が 示されている。 旧油谷町広報 昭和 59 年(1984)9 月 1 日より 旧油谷町は問合せに関して町役場も対応してくれている。各市町の温度差を感じるところだ。