印 度 學 佛 教 學 研 究 第 五 十 三 巻 第 二 号 平 成 十 七 年 三 月 一一 二
聖
一
派
の
入
宋
・
入
元
僧
に
つ
い
て
︱
円
爾
の
東
福
寺
僧
団
と
宋
元
の
禅
宗︱
佐
藤
秀
.
孝
京 都 の 慧 日 山 東 福 寺 は 鎌 倉 中 期 に 関 白 の 九 条 道 家 ( 一 一 九 三 -一 二 五 二 ) が 開 基 と な り 、 円 爾 ( 辮 円 、 聖 一 国 師 、 一 二 〇 ニ ︱ 一 二 八 ○ ) を 開 山 に 請 し て 創 建 さ れ た 京 都 五 山 の 名 刹 で あ る 。 聖 一 派 と は そ の 円 爾 を 派 祖 と す る 臨 済 宗 破 庵 派 の 門 流 で あ り 、 円 爾 は 明 庵 栄 西 (千 光 法 師 、 一 四 一︱二 五 ) や 永 平 道 元 ( 仏 法 房 、 一 二 〇 〇︱ 一二 五 三 ) に 遅 れ て 入 宋 し 、 臨 済 宗 楊 岐 派 の 中 の 破 庵 派 に 属 す る 無 準 師 範 (仏 鑑 禅 師 、 一 七 七 1 一 二 四 九 ) に 参 じ 、 印 可 証 明 を 得 て 帰 国 し て い る 。 博 多 の 承 天 寺 な ど で 活 躍 し た 後 、 円 爾 は 上 洛 し て 東 福 寺 を 中 心 に 活 動 し 、 密 教 や 天 台 な ど 諸 宗 を 兼 ね 修 め る 兼 修 禅 の 立 場 を 唱 導 し て 公 家 社 会 に 禅 を 普 及 す る 端 緒 を 開 い て お り 、 京 都 に お け る 禅 宗 の 展 開 に 大 き な 足 跡 を 残 し た 点 は 重 要 で あ る 。 本 稿 で は 、 円 爾 と そ の 門 流 の 聖 一 派 の 禅 者 た ち が 入 宋 な い し 入 元 を 通 し て 求 め た 宋 元 の 禅 宗 と は 何 か 、 そ の 特 徴 な ど に つ い て 考 察 を 試 み る こ と に し た い 。 と り わ け 、 円 爾 に 関 し て は 同 時 代 の 道 元 と 比 較 し て 論 ず る と 、 そ の 立 場 が よ り 鮮 明 と な ろ う 。 た だ 、 問 題 な の は ほ と ん ど 同 じ 時 代 を 生 き た は ず の 道 元 と 円 爾 が 、 な ぜ か 史 料 上 ま っ た く 接 触 が 見 ら れ な い こ と で あ っ て 、 き わ め て 不 可 解 な 消 息 と い っ て よ い 。 は じ め に 円 爾 の 入 宋 ま で の 過 程 と 、 在 宋 中 の 消 息 に つ い て 簡 略 に 触 れ て お き た い 。 円 爾 に 関 す る 伝 記 史 料 と し て は 、 法 嗣 の 鉄 牛 円 心 ( 一 一 五 四︱ 一 三 二 六 ) が 生 前 に 円 爾 か ら 依 頼 を 受 け て 編 纂 し 、 遠 孫 の 岐 陽 方 秀 ( 不 二 道 人 、 一 三 六 一︱ 一 四 二 四 ) が 校 訂 し た ﹃ 東 福 開 山 聖 一 国 師 年 譜 ﹄ が も っ と も 詳 し く 、 こ れ に 法 孫 の 虎 関 師 錬 (海 蔵 和 尚 、 一 二 七 八︱ 一 三 四 六 ) が 著 わ し た ﹃元 亨 釈 書 ﹄ 巻 七 ﹁釈 弁 円 ﹂ の 章 を 加 味 し て お き た い 。 ま た 語 録 と し て ﹃ 聖 一 国 師 語 録 ﹄ 一 巻 が 存 す る が 、 収 録 さ れ る 分 量 が き わ め て 限 ら れ て い る 点 で 利 用 度 が 低 い 。 円 爾 は 駿 河 (静 岡 県 ) の 出 身 で 、 郷 里 の 久 能 山 で 仏 門 に 投 じ 、 近 江 (滋 賀 県 ) の 三 井 寺 (園 城 寺 ) で 得 度 し 、 東 大 寺 の 戒 壇 で 受 戒 し て い る 。 天 台 そ の 他 の 教 学 を 究 め て 後 、 栄 朝 (釈 円 房 、 一 一 六 五︱ 一 二 四 七 ) や 退 耕 行 勇 (荘 厳 房 、 一一 六 三︱一 二 四 こ な ど 栄 西 門 下 の 人 々 に 学 ん で 入 宋 の 志 し を 抱 き 、 嘉 禎 元 年 (南 宋 の 端 平 二 年 、 一 二 三 五 ) に 三 四 歳 で よ う や く 入 宋 渡 航 を 果 た し て い る 。 明 州 ( 浙 江 省 ) 慶 元 府 に 到 着 し た 円 爾 は 府 城 の 景 福 律 寺 に 赴 い た 後 、 一 旦 は 栄 西 や 道 元 と 同 じ よ う に勤 県 東 六 〇 里 の 天 童 山 景 徳 禅 寺 に 上 山 し 、 虎 丘 派 の 癡 絶 道 沖 ( 一 六 九︱ 一 二 五 〇 ) に 参 禅 し て い る が 、 ま も な く 杭 州 (浙 江 省 ) 臨 安 府 に 旅 立 っ て い る 。 杭 州 で は 銭 塘 県 西 北 の 上 天 竺 寺 に お い て 天 台 宗 の 栢 庭 善 月 (光 遠 、 一 四 九︱ 一 二 四 一 ) に 参 じ て 教 学 を 参 究 し 、 経 典 の 注 釈 疏 抄 や 天 台 宗 の 相 承 図 な ど を 授 け ら れ て い る 。 さ ら に こ の 間 、 県 内 の 南 屏 山 浄 慈 報 恩 光 孝 禅 寺 で 大 慧 派 の 笑 翁 妙 堪 ( 一 七 七︱ 一 二 四 八 ) に 参 じ 、 北 山 景 徳 霊 隠 禅 寺 で 破 庵 派 の 石 田 法 薫 ( 一 七 一︱ 一 二 四 五 ) に 学 ん で 禅 旨 を 深 め た が 、 霊 隠 寺 で 知 客 を 勤 め て い た 退 耕 徳 寧 ( ?︱ 一 二 六 九 ) よ り 天 下 の 甘 靈 門 は 無 準 師 範 で あ る と 勧 め ら れ 、 杭 州 余 杭 県 の 径 山 興 聖 万 寿 禅 寺 に 上 山 し て 師 範 の 門 を 叩 い て い る 。 当 時 、 径 山 は 紹 定 六 年 ( 一 二 三 三 ) に 起 こ っ た 火 災 ま も な い 時 期 で 、 師 範 は 住 持 と し て 伽 藍 復 興 に 尽 力 し て い た が 、 会 下 に 到 っ た 円 爾 を 一 見 し て 器 重 し 、 一 〇 日 あ ま り で 侍 者 位 に 据 え て い る 。 そ の 後 、 円 爾 は 無 準 門 下 の 鐸 々 た る 高 弟 た ち と 積 極 的 な 交 友 を な し て お り 、 と く に 後 に 天 童 山 に 住 持 す る こ と に な る 西 巌 了 慧 ( 一 九 八︱ 一 二 六 二 ) ・ 別 山 祖 智 (智 聖 一 派 の 入 宋 ・ 入 元 僧 に つ い て (佐 藤 ) 天 王 、 一 二 〇 〇︱ 一 二 六 〇 ) ・ 簡 翁 居 敬 ・ 環 渓 惟 一 ( 一二 〇 ニ︱ 一 二 八 一 ) ら が お り 、 日 本 僧 と 密 接 な 関 わ り を 持 つ こ と に な る 断 橋 妙 倫 (松 山 子 、 一 二 〇 一︱ 一 二 六 一 ) や 希 叟 紹 曇 が お り 、 後 に 来 日 し た 兀 庵 普 寧 ( 一 九 七︱ 一 二 七 六 ) も 含 ま れ て い る が 、 彼 ら と 道 交 を 結 ん で 互 い に 切 磋 琢 磨 す る 日 々 を 共 有 し 得 た こ と は 、 そ の 後 の 円 爾 の 活 動 に 大 き な 収 穫 を 与 え て い る 。 や が て 円 爾 は 師 範 の 印 可 証 明 を 得 る こ と に な る が 、 残 念 な が ら ﹃ 東 福 開 山 聖 一 国 師 年 譜 ﹄ や ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に お い て も 師 範 の も と で 円 爾 が 如 何 な る 悟 道 の 機 縁 を 持 っ た の か は 伝 え ら れ て い な い 。 嘉 熈 元 年 ( 一二 三 二 七 ) 一 〇 月 に 師 範 は 円 爾 に 法 語 を 与 え 、 そ の 崇 高 な 志 し を 善 財 童 子 に 準 え て お り 、 嘉 熈 二 年 ( 一 三 二 八 ) 中 夏 に は 自 賛 の 頂 相 を 付 与 し て い る 。 東 福 寺 に 所 蔵 さ れ る こ の と き の 師 範 の 頂 相 (国 宝 ) は き わ め て 写 実 的 で あ っ て 、 気 品 に 満 ち た 独 特 の 風 貌 を 見 事 に 描 き 出 し て い る 点 で 、 日 本 に 伝 存 す る 数 種 の 師 範 の 肖 像 画 の 中 で も 絶 品 と 評 さ れ て い る 。 嘉 熈 三 年 ( 一 二三 九 ) 八 月 に 円 爾 は 本 師 の 平 生 出 処 の あ ら ま し を 知 り た く て 、 侍 者 の 徳 如 に 師 範 の 行 状 を 記 し て ほ し い 旨 を 告 げ て い る 。 こ の と き 円 爾 の 要 請 に 応 じ て 徳 如 が 撰 し た の が 、 東 福 寺 に 所 蔵 さ れ る ﹁ 大 宋 国 臨 安 府 径 山 興 聖 万 寿 禅 寺 住 持 特 賜 仏 鑑 禅 師 行 状 ﹂ で あ り 、 師 範 の 生 前 に 書 か れ た 伝 記 史 料 と し て 貴 重 で あ る 。 淳 祐 元 年 ( 一 二 四 一 ) 三 月 に 師 範 は 円 爾 と 方 庵 智 圻 の 二 侍 一一 三
聖 一 派 の 入 宋 ・ 入 元 僧 に つ い て (佐 藤 ) 一一 四 者 を 召 し て 化 導 の と き が 至 っ た こ と を 告 げ て い る が 、 と く に 円 爾 に 対 し て は ﹁汝 、 早 く 本 土 に 帰 り 、 祖 道 を 提 唱 せ よ ﹂ と 激 励 し 、 自 筆 の 宗 派 図 を 付 与 し て い る 。 こ こ に い う 宗 派 図 と は 伝 法 の 証 し と し て の 血 脈 に 当 た る も の で あ り 、 道 元 の い う 嗣 書 に 相 当 し よ う 。 さ ら に 師 範 は 伝 法 の 信 と し て 法 祖 の 密 庵 咸 傑 ( 一 一一 八︱ 一 一 八 六 ) よ り 相 伝 し た 袈 裟 (伝 法 衣 ) と 竹 箆 を 授 け 、 併 せ て ﹁勅 賜 万 年 崇 福 禅 寺 ﹂ の 八 字 を 書 き 与 え て ﹁鑈 、 必 ず 帝 王 の 師 と 為 ら ん 、 疑 う こ と 勿 か れ ﹂ と 告 げ て い る 。 師 範 が ﹁勅 賜 ﹂ の 二 字 を 添 え た の は 、 日 本 に 帰 国 し て 後 、 円 爾 の 活 動 が 教 律 か ら の 批 判 な ど に 対 し て 無 難 に 進 め ら れ る こ と を 願 っ て の こ と で あ り 、 師 と し て の 機 転 の 利 い た 配 慮 を 窺 う こ と が で き る 。 古 写 本 ﹃ 建 衡 記 ﹄ に よ れ ば 、 道 元 の 師 で あ る 長 翁 如 浄 ( 一一 六 ニ︱ 一 二 二 七 ) は 天 童 山 を 辞 し て 帰 国 す る 道 元 に 対 し 、 帰 朝 有 ら ば 、 国 王 大 臣 に 近 づ く こ と 莫 か れ 。 聚 洛 城 邑 に 住 す べ し 。 雲 集 の 閑 人 を 要 せ ず 、 虚 の 多 き は 実 の 少 き に は 如 か ず 。 真 箇 の 道 人 を 撰 取 し て 以 て 伴 と 為 せ 。 若 し 一 箇 半 箇 を 接 得 す る こ と あ ら ば 、 仏 祖 の 恵 命 を 嗣 続 し 、 古 仏 の 家 風 を 起 す 者 な り 。 と い う 遺 誠 を な し た と 伝 え ら れ る 。 そ の 後 、 道 元 は こ の 如 浄 の 訓 戒 を 守 る か た ち で 深 山 幽 谷 に 入 っ て 越 前 (福 井 県 ) の 吉 祥 山 永 平 寺 を 拠 点 と し 、 曹 洞 宗 は 中 央 権 力 と 一 定 の 距 離 を 置 く か た ち で 地 方 展 開 に 乗 り 出 し て い る 。 こ れ に 対 し て 、 径 山 の 師 範 の 場 合 は 円 爾 が い ず れ 国 王 大 臣 の 師 と な る こ と を 見 定 め て い る の で あ っ て 、 円 爾 は 師 範 の 意 を 受 け て 日 本 に て 朝 廷 ・ 幕 府 に 接 近 し て い く 立 場 を 貫 い て お り 、 国 家 権 力 の 外 護 を 積 極 的 に 取 り 付 け る こ と で 、 布 教 接 化 が よ り 円 滑 に な さ れ る こ と を 目 指 し て い る 。 師 範 は 自 ら が 径 山 と い う 禅 宗 五 山 第 一 の 名 刹 に 久 し く 住 持 し 、 南 宋 の 皇 帝 や 官 僚 士 大 夫 ら の 外 護 を 得 て 仏 法 を 挙 揚 し た の と 同 じ よ う に 、 円 爾 に 対 し て 禅 の 新 天 地 と も い う べ き 日 本 社 会 で 活 躍 す る 上 で 必 要 不 可 欠 な 要 素 と し て 国 家 と の 関 わ り を 求 め て い る 。 円 爾 の 帰 国 に 臨 ん で 、 師 範 は 楊 岐 派 の 祖 で あ る 楊 岐 方 会 (九 九 二︱ 一 〇 四 九 ) か ら 代 々 相 伝 さ れ た 伝 法 衣 を 付 与 し 、 併 せ て 禅 道 修 行 の 用 心 を 説 く ﹃ 仏 法 大 明 録 ﹄ 二 〇 巻 を 授 け て い る 。 ま た 希 叟 紹 曇 ら 無 準 下 の 友 人 二 〇 余 人 が 日 本 に 帰 る 円 爾 に 対 し て 餞 別 の 偈 頌 を 書 し た と さ れ る が 、 残 念 な が ら そ の 偈 頌 集 の 全 文 は 伝 え ら れ て い な い 。 師 範 の 高 弟 の 中 で 絶 岸 可 湘 ( 一 二 〇 六︱ 一 二 九 〇 ) と 雪 巌 祖 欽 (?︱ 一 二 八 七 ) の 二 人 は 行 在 所 ま で 円 爾 を 見 送 り 、 互 い に 涙 を 揮 っ て 別 れ を 惜 し ん だ と 伝 え ら れ る 。 円 爾 は か な り 社 交 的 な 人 で あ っ た も の と 見 ら れ 、 人 々 か ら 信 頼 を 得 て そ の 人 脈 を 大 切 に し 、 積 極 的 に こ れ を 活 用 し て い く 立 場 が 窺 わ れ る 。 円 爾 と 同 時 期 に 入 宋 し て 径 山 の 師 範 に 参 学 し た 神 子 栄 尊 ( 口 光 、 一 九 五︱ 一 二 七 二 ) と 随 乗 房 湛 慧 な ど は 、 帰 国 す る と 円 爾 の 法 嗣 と し て 活 動 し て い る 。
と こ ろ で 、 卍 山 本 ﹃ 永 平 広 録 ﹄ に よ れ ば 、 道 元 は 深 草 の 興 聖 宝 林 寺 に 開 堂 出 世 し た 際 に 上 堂 し て 、 等 閑 見 二 天 童 先 師 当 下 認 得 眼 横 鼻 直 不 被 人 隔 便 乃 空 手 還 郷 、 所 以 一 毫 無 仏 法 と 語 っ て お り 、 眼 横 鼻 直 な る 事 実 を 認 得 し 、 無 一 物 で 日 本 に 帰 っ て き た こ と を 力 説 し て い る 。 も ち ろ ん 、 道 元 と い え ど 多 く の 禅 籍 や 仏 書 を 南 宋 よ り 将 来 し て い る こ と は ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ や ﹃ 永 平 広 録 ﹄ の 引 用 典 籍 か ら も 十 分 に 察 せ ら れ る 。 円 爾 の 場 合 、 正 和 五 年 ( 一 三 一 六 ) に 俗 甥 で 法 嗣 の 奇 山 円 然 (?︱ 一 三 二 六 ) が 記 し た ﹃ 東 福 寺 普 門 院 常 住 目 録 ﹄ ﹃ 円 爾 遺 物 具 足 目 録 ﹄ や 、 文 和 年 間 に 法 孫 の 大 道 一 以 ( 一二 九 二︱ 一 三 七 〇 ) が 編 集 し た ﹃ 普 門 院 経 論 章 疏 語 録 儒 書 等 目 録 ﹄ (単 に ﹃ 普 門 院 蔵 書 目 録 ﹄ ﹃ 文 和 目 録 ﹄ と も ) に よ っ て 、 禅 宗 の 燈 史 ・ 語 録 ・ 詩 文 集 は も ち ろ ん の こ と 、 経 論 や 天 台 章 疏 さ ら に 儒 教 の 典 籍 な ど 、 実 に 数 一 〇 〇 〇 巻 に 及 ぶ 内 外 典 の 宋 版 な ど を 将 来 し て い る の で あ っ て 、 新 儒 教 や 中 国 の 文 物 に も 広 く 関 心 を 寄 せ て い た 消 息 が 知 ら れ る 。 円 爾 は 中 国 仏 教 (禅 宗 ) の 権 威 を も っ て 日 本 仏 教 (顕 密 勢 力 ) と 対 峙 し 、 日 本 仏 教 の 伝 統 と 中 国 仏 教 の 威 厳 を 両 立 さ せ る 発 想 が 存 し た の で あ ろ う 。 明 州 定 海 県 を 三 艘 で 船 出 し た 中 で 同 行 し た 二 船 が 沈 没 し 、 円 爾 の 乗 り 合 わ せ た 一 船 の み が 難 を 逃 れ 、 高 麗 国 を 経 由 し て 博 多 に 辿 り 着 い て い る 。 円 爾 と と も に 彼 が 将 来 し た 書 籍 は 辛 う じ て 聖 一 派 の 入 宋 ・ 入 元 僧 に つ い て (佐 藤 ) 残 っ た わ け で あ り 、 希 有 な る 因 縁 に 恵 ま れ た こ と に な ろ う 。 帰 国 し て 後 も 円 爾 は 師 の 師 範 が 健 在 の 間 、 遠 く 大 海 を 隔 て て 頻 繁 に 書 簡 の や り 取 り を な し て い る 。 そ の 際 に 円 爾 は 能 上 人 ・ 豪 上 人 ・ 印 上 人 な ど 有 能 な 門 人 を 使 者 と し て 遣 わ し 、 彼 ら を 径 山 の 師 範 の も と で 実 地 に 参 禅 学 道 さ せ て い る 。 円 爾 と し て は 師 範 と の 間 で 密 接 な 交 流 を 持 つ こ と で 、 本 師 と の 細 や か な 道 交 を 深 め る と と も に 、 南 宋 禅 林 の 風 規 を 門 人 ら に 肌 で 知 っ て も ら い た か っ た の で あ ろ う 。 ま た 円 爾 は 湛 慧 に 招 か れ て 太 宰 府 の 横 岳 山 崇 福 寺 の 開 山 と な っ て い る が 、 入 院 開 堂 す る に 際 し て 、 額 や 碑 の 揮 毫 を 師 範 に 依 頼 す る 書 簡 を 送 っ て お り 、 こ れ に 応 じ た 師 範 が 自 ら 書 し た 大 字 が 東 福 寺 そ の 他 に 現 存 し て い る 。 さ ら に 栄 尊 も 肥 前 の 水 上 山 興 聖 万 寿 寺 を 開 い て 円 爾 を 開 山 に 拝 請 し て い る が 、 円 爾 は 礼 を 尽 く し て 栄 尊 を 開 山 と し 、 自 ら 第 二 世 と な っ て い る 。 淳 祐 二 年 ( 一 二 四 二 ) 二 月 に 径 山 の 大 伽 藍 が 再 び 火 災 で 焼 失 す る と 、 円 爾 は 師 範 か ら の 知 ら せ を 受 け て 、 直 ち に 博 多 商 人 の 謝 国 明 に 依 頼 し て 良 材 一 〇 〇 〇 枚 を 径 山 に 贈 り 届 け て い る 。 円 爾 か ら は 師 範 に 材 木 な ど の 財 施 が な さ れ 、 師 範 か ら は 円 爾 に 墨 蹟 そ の 他 の 法 施 が 齎 さ れ て お り 、 南 宋 禅 者 が 仏 道 達 成 の 証 し に な る も の を 付 与 す る と 、 日 本 僧 が 財 力 を も っ て そ の 恩 義 に 報 い る と い う 発 想 で あ る 。 日 本 僧 が 財 力 を 持 っ て 入 宋 し て い る 例 は 、 栄 西 や 明 全 ・ 道 元 ら の 場 合 に も 見 ら れ る が 、 一 五
聖 一 派 の 入 宋 ・ 入 元 僧 に つ い て (佐 藤 ) 一一 六 円 爾 に お い て は そ れ が 帰 国 後 の 消 息 と し て も よ り 顕 著 に 窺 え る 。 そ の 背 景 と し て は 円 爾 が 謝 国 明 ら 博 多 の 商 人 た ち の 助 力 を 十 分 に 受 け て い た 点 が 大 き い で あ ろ う 。 ま も な く 円 爾 は 太 宰 府 の 崇 福 寺 か ら 京 都 の 東 福 寺 へ と 拠 点 を 移 し て い る が 、 師 範 も 東 福 寺 に お け る 円 爾 の 新 た な 活 動 に 期 待 を 寄 せ た 書 簡 を 残 し て い る 。 淳 祐 九 年 ( 一 二 四 九 ) 三 月 に 師 範 が 示 寂 す る と 、 径 山 の 首 座 で あ っ た 剣 門 妙 深 は 直 ち に 東 福 寺 の 円 爾 の も と に 書 簡 を 送 っ て 師 範 の 計 報 を 伝 え て い る 。 ま た 示 寂 し て 二 年 後 に 刊 行 さ れ た 師 範 の ﹃ 仏 鑑 禅 師 語 録 ﹄ も 、 開 版 直 後 に 同 門 の 人 々 よ り 日 本 の 円 爾 の も と に 送 り 届 け ら れ た も の ら し く 、 東 福 寺 に は 宋 版 の 語 録 が 所 蔵 さ れ て い る 。 さ ら に ﹃ 聖 一 国 師 年 譜 ﹄ の 建 長 七 年 ( 一 二 五 五 ) の 条 や ﹃ 西 巌 和 尚 語 録 ﹄ 巻 末 ﹁ 日 本 丞 相 藤 原 公 捨 経 記 ﹂ に よ れ ば 、 円 爾 の 勧 め で 関 白 の 一 条 実 経 ( 一 二 二 三︱ 一 二 八 四 ) が 師 範 の 塔 頭 で あ る 径 山 の 万 年 正 続 院 に ﹃ 法 華 経 ﹄ な ど 四 経 三 二 巻 の 写 経 を 奉 納 し て お り 、 天 童 山 の 住 持 で あ っ た 西 巌 了 慧 が 石 碑 の 文 を 記 し て い る 。 了 慧 は こ の 捨 経 記 の 中 で 円 爾 と の 道 交 を 語 っ て い る が 、 別 に 南 宋 の 宝 祐 三 年 ( 一 二 五 五 ) 三 月 二 五 日 に 円 爾 に 対 し て も 書 簡 を 送 っ て お り 、 全 文 が ﹃ 聖 一 国 師 語 録 ﹄ の 末 尾 に 載 せ ら れ て い る 。 東 福 寺 僧 団 の 成 立 に よ り 、 京 都 の 地 に 雑 多 な 性 格 を 持 つ 僧 侶 を 抱 え た 大 集 団 が 形 成 さ れ て い く こ と に な る 。 円 爾 の 門 下 に は 、 純 禅 を 志 向 す る 禅 僧 は も ち ろ ん の こ と 、 密 教 僧 や 天 台 僧 ・ 律 僧 な ど も 多 く 参 学 し て お り 、 き わ め て 多 彩 な 顔 ぶ れ が 集 ま っ て い た 。 円 爾 は 道 元 の よ う に 純 一 の 口 六 管 打 坐 を 強 調 し て 顕 密 仏 教 と 対 峙 す る の で は な く 、 こ れ と 融 合 し た 兼 修 禅 の 立 場 を 採 用 し て お り 、 そ う し た 全 て を 受 け 入 れ る 寛 容 さ 、 包 容 力 の 広 さ が 初 期 の 東 福 寺 僧 団 を 支 え て い た わ け で あ る 。 弘 安 三 年 ( 一二 八 ○ ) 六 月 一 日 に 記 さ れ た ﹁ 東 福 寺 壁 書 ﹂ ( 東 福 寺 条 々 事 ) に よ る と 、 東 福 寺 の 住 持 は 他 派 を 交 え ず 、 円 爾 の 一 派 の み で 維 持 す べ き こ と が 示 さ れ て い る 。 こ れ は お そ ら く 東 福 寺 僧 団 の 雑 多 な 顔 ぶ れ を 一 つ の 門 派 と し て 結 束 を は か る 上 で 必 要 な 手 段 で あ っ た も の と 見 ら れ る 。 他 の 多 く の 京 都 ・ 鎌 倉 の 禅 林 は 十 方 住 持 制 を 敷 い て 有 能 な 人 材 を 十 方 か ら 招 聘 し て 住 持 に 据 え る や り 方 を 採 用 し て い た た め 、 宋 元 か ら の 渡 来 僧 の 入 寺 が 相 継 ぎ 、 純 中 国 叢 林 的 な 雰 囲 気 の 中 で 禅 寺 が 機 能 し て い る 。 と こ ろ が 、 東 福 寺 の 場 合 、 円 爾 の 門 流 の み で 住 持 が 維 持 さ れ て い く こ と に な る と 、 当 然 、 中 国 禅 宗 の 影 響 は し だ い に 薄 れ る 傾 向 を 免 れ な い 。 そ の 欠 を 補 う た め 円 爾 は 門 下 の 有 能 な 人 材 を 次 々 に 中 国 叢 林 に 留 学 さ せ 、 無 準 下 の か つ て の 同 参 た ち の も と に 送 り 込 ん で い る 。 ﹃ 聖 一 国 師 年 譜 ﹄ そ の 他 に よ る と 、 円 爾 の 嗣 法 門 人 や 参 学 門 人 で か な り の 禅 者 が 入 宋 渡 海 の 経 験 を 有 し て い る こ と が 知 ら れ 、 と く に 初 期 の 重 要 な 高 弟 と し て 、 東 山 湛 照 ( 慈 一 房 ・
宝 覚 禪 師 、 一 二 三 一 -一 二 九 一 ) な ど を 除 い て 、 無 関 普 門 ( 普 門 房 ・ 玄 悟 ・ 大 明 国 師 、 一 二 一 ニ︱ 一 二 九 一 ) ・ 白 雲 慧 暁 (道 願 房 ・ 仏 照 禅 師 、 一 二 二 八︱ 一 二 九 七 ) ・ 山 叟 慧 雲 ( 道 空 房 ・ 仏 智 禅 師 、 一 二 三 ニ︱ 一 三 〇 一 ) ・ 蔵 山 順 空 (無 量 房 ・ 円 鑑 禅 師 、 一 二 三 三︱ 一 三 〇 八 ) ・ 無 外 爾 然 (応 通 禅 師 ) ・ 直 翁 智 侃 (正 智 房 ・ 仏 印 禅 師 、 一 二 四 五︱ 一 三 二 二 ) と い っ た 人 々 が 相 継 い で 入 宋 し て お り 、 東 洲 至 道 の ご と き は 入 元 し て 大 都 (北 京 ) の 大 覚 禅 寺 の 開 山 に な っ て い る 。 東 福 寺 世 代 で は と く に 開 山 円 爾 よ り 第 一 〇 世 智 侃 ま で に 円 爾 ・ 普 門 ・ 慧 暁 ・ 慧 雲 ・ 順 空 ・ 智 侃 と い う 六 人 の 禅 者 が 入 宋 経 験 者 で 占 め ら れ て い る 。 普 門 と 慧 雲 は 師 範 の 高 弟 で あ る 断 橋 妙 倫 に 参 じ て 印 可 を 受 け て 帰 国 し て い る が 、 と も に 開 堂 に 臨 ん で 円 爾 に 嗣 承 香 を 姓 い て お り 、 慧 暁 も 師 範 の 高 弟 で あ る 希 叟 紹 曇 に 参 じ て 印 可 を 得 な が ら 円 爾 に 嗣 承 香 を 姓 い て い る 。 ま た 順 空 は 在 宋 中 に 無 準 下 の 西 巌 了 慧 ら 多 く の 禅 者 を 歴 参 し 、 松 源 派 の 石 林 行 鞏 ( 一 二 二 〇︱ 一 二 八 ○ ) の も と で 契 悟 し て い る が 、 帰 国 後 は や は り 円 爾 の 法 嗣 と し て 活 動 し て い る 。 智 侃 は も と も と 松 源 派 ( 大 覚 派 祖 ) の 蘭 渓 道 隆 (大 覚 禅 師 、 一 二 一 三︱ 一 二 七 八 ) の 門 人 で あ っ た が 、 在 宋 中 の 行 動 か ら 帰 国 後 に 道 隆 と の 間 で 不 和 を 生 じ 、 東 福 寺 の 円 爾 を 頼 っ て 法 嗣 と な っ て い る 。 こ う し た 傾 向 は 円 爾 の 法 孫 に お い て も 窺 わ れ 、 玉 山 玄 提 (仏 智 大 通 禅 師 、 一 二 六 二 ?︱ 一 三 五 〇 ) は 入 元 し て 曹 洞 宗 宏 智 聖 一 派 の 入 宋 ・ 入 元 僧 に つ い て (佐 藤 ) 派 の 直 翁 可 挙 (静 慧 禅 師 、 一 二 一 一︱ ? ) の 印 可 を 得 な が ら 、 帰 国 後 は 受 業 師 の 無 関 普 門 に 嗣 承 香 を住 い て い る 。 ま た 古 源 郡 元 ( 如 幻 道 人 ・ 物 外 子 、 一 二 九 五︱ 一 三 六 四 ) も 入 元 し て 嵩 山 少 林 寺 で 北 地 曹 洞 宗 の 息 庵 義 譲 ( 一 二 八 四︱ 一 三 西 ○ ) の 信 認 を 受 け た が 、 帰 国 し て 後 は 聖 一 派 に 帰 し て 双 峰 宗 源 ( 一 二 六 三 ︱ 一 三 三 五 ) に 嗣 承 香 を 住 い て い る 。 ま た 友 山 士 偲 (友 雲 士 思 、 一 三 〇 一︱ 一 三 七 〇 ) も 在 元 中 に 松 源 派 の 月 江 正 印 (松 月 翁 ・ 仏 心 普 鑑 禅 師 、 一 六 七︱ ? ) や 南 楚 師 説 (師 悦 ) ら に 参 じ 、 師 説 の も と で 契 悟 し て い る が 、 帰 国 後 は や は り 受 業 師 の 南 山 士 雲 ( 一 二 五 四 ∼ 一 三 三 五 ) に 嗣 承 香 を 姓 い て い る 。 東 伝 正 祖 は 入 元 し て 大 慧 派 の 笑 隠 大 訴 (蒲 室 ・ 広 智 全 悟 大 禅 師 、 一 二 八 四︱ 一 三 四 四 ) や 東 陽 徳 輝 (?︱ 一 二 五 五 ) に 参 じ 、 大 訴 の 法 嗣 と も さ れ る が 、 帰 国 後 は 直 翁 智 侃 に 嗣 承 香 を 住 い て い る 。 こ の よ う に 聖 一 派 の 禅 僧 た ち は 印 可 嗣 法 と 開 堂 拈 香 を 別 の も の と し て 考 え て い た よ う で あ り 、 門 派 意 識 が 濃 厚 で 、 他 派 へ の 転 派 が 容 易 で な く 、 中 国 禅 林 で 自 由 な 参 学 を な し な が ら 、 日 本 に 帰 る と 東 福 寺 僧 団 に 戻 り 、 聖 一 派 の 枠 組 み の 中 で 活 動 せ ざ る を 得 な か っ た 例 が 多 く 、 日 本 禅 宗 で 師 弟 関 係 が 固 定 化 す る 因 由 と な っ た と も い え る 。 (註 略 ) ︿キ ー ワ ー ド ﹀ 円 爾 、 無 準 師 範 、 聖 一 派 、 東 福 寺 、 径 山 (駒 澤 大 学 教 授 ) 一 一 七