田
大 こ 合 基
礎教 育 研 究 紀 l R ;
特集
外 国事 情
6
7‑ 7 5( 1 9 9 5 )
文化衝 撃 か ら文化衝 突‑
立 花 希 ‑
CultureShockorCultureClashチ KiichiTACHIBANA
I.異文化 との 出会 い
1980
年
8月か ら
1983年
7月 までの
3年間, イスラエル政府給 費留学生 として テルアヴ ィヴ 大学 に留学 した。故国 を離れ,別 の伝統,文化 を もった社会 で生活す るようにな ると, 当然の こ となが ら 日本や イスラエ ルの文化 につ いて しば しば 思いをめ ぐらす よ うになった。本稿 では, イスラエ ルで遭遇 した出来事や意外 に思 った事柄 につ いて具体 的に述べ なが ら, イスラエル と 日本 の文化 の相違点や類似点 につ いて考察 し, さ らに,望 ましい と思 われ る異文化交流の在 り 方 を探 ってみたい と思 う。しか しなが ら,予めお断 わ りを しておか なければな らない こ とが
2つ あ る。1つ は,社会学者や 人類学者は様 々 を民族 の 文 化や伝統 につ いて システマ テ ィックな調査 や研究 を行 うが,私 はその よ うな調査 をす るため に留学 したのではないので,体系化 された成 果 を得 てい るわけではない とい うこ とであ る。 しか し,哲学や倫理学 では異文化理解や評価 の 問題 につ いて, それが 「 相対主義」 の問題 として今 日盛 んに論議 されてお り,私 自身 もその問 題 に関心 を もっているの で,その よ うな視 点か らの議論 にな るであろ う
.2つ 目は,私 の体験 し たこ とが, もしかす ると欧米諸 国や他 の諸地域 で も見 られ るこ とであって, イス ラエル文化 に 特有 の こ とではないか もしれ ない とい うこ とであ る
1)0
ⅠⅠ.
イスラエル文化 の一般的特徴
具体 的 な話 をす る前にイスラエルあ るいは イス ラエル人につ いての一般 的特徴 を挙 げてお き
た い 。
( 1 ) イスラエル文化の多様性
「 文化」 を大雑把 に定義 す る と, あ る特定 の集 団に よって後天的,歴史的に形成 され,共有 され る生活様 式の総体 であ る とい うこ とにな る と思 われ るが,先 ず指摘 しておか なければな ら ないこ とは, イス ラエルが複合的 で多様 な文化 を もつ社会 だ とい うこ とであ る。普通 イス ラエ ル といえば,ユ ダヤ民族 国家 である とみ なされが ちだが,必ず しもそ うではない。 ア ラブ人 も 住 んでい る し, また少数 であるが,様 々 な宗派の キ リス ト教徒 も住 んでお り, それ ぞれが独特 の文化,生活様式 をもって暮 らしてい る。 因みに イス ラエルの公用語 は‑ プ ライ語 とア ラビア 語 であ り,道路標識 な どには さらに英語が書かれ てい る。
( 2) ユ ダヤ人の多様性
ユ ダヤ人に話 を限定 して も, その文化 は多様 であ る。 日本 人は 「日本 人 とは何 か」 と盛んに
問 い, 日本人論 の本がベ ス ト セ ラー になった りす るが, もしかす る とユ ダヤ人の方が もっ と 盛 んに議論す るか もしれない。 「 ユ ダヤ人 とは何 か」とい う問題 が最 高裁 で争 われた りす る位 だ か らであ る。イス ラエルは文字通 り全世 界に離散 していたユ ダヤ人が集 まって出来 た国である。
出身国の相違 に よって 自らが身につけて きた文化 があ ま りに も異 なってお り
,「 ユ ダヤ人」とし ての共通点 を見つけ ることが非常 に困難 ( 不可能 ?) であ る。例 えば,東欧のユ ダヤ人 とイエ メンのユ ダヤ人では,服装 も違 っている2 ) 。また人種 も多種 多様 である。東洋系 のユ ダヤ人 もい れば, 白人 も黒人 もい る。私 に向か って 「お まえはユ ダヤ人か」 と聞かれ るこ とが しば しばあ った。 日本 人の場合,青 い 目の金髪 の人間に対 して 「お まえは 日本人か」 と聞 くこ とがあ るど ろ うか。
共通点 として 「 ユ ダヤ教
」3)が挙 げ られ るか もしれ ないが, これが また曲者 である。伝統的 な ハ ラ‑‑ ( ユ ダヤ教 の宗教 法規) に よるユ ダヤ人の定義 に よれば,「ユ ダヤ教 に回宗 した者 と, 母親 がユ ダヤ教徒 ( 人)の子供 がユ ダヤ教徒 ( 人)」であ る。純粋 を信仰上 の動機 か らユ ダヤ教 徒 に回宗 した者 は当然,敬度 なユ ダヤ教徒 といって よいであろ うが,母親が た また まユ ダヤ人 であったため に,ユ ダヤ教徒 とみな され る人々は どうであろ うか。ユ ダヤ教 に対 して否定的で あ った り,無関心 であった りす るユ ダヤ人が イスラエルには少 なか らず いる。 とい うよ りむ し ろ,伝統的 な教 えや戒律 を厳格 に守 って生活 してい るユ ダヤ人は全体 の
20パー セン トに満 たな
ダ テ
イ ヒ ロ
い。 イス ラエルでは,ユ ダヤ人 を 「 宗教 的ユ ダヤ人」 と 「 世俗的 ・非宗教的ユ ダヤ人」 に分類 す るこ とが しば しば行 われ るが4 ) ,後者の方が圧倒的 多数 であるo彼 らは 「 ユ ダヤ教徒」なのだ ろ うか
5' .また,イス ラエルで生 まれ育 った二代 目,三代 目の中には「 私 はユ ダヤ人ではな くて, イス ラエル人だ」 と主張す る人 もい るo Lたが って,ユ ダヤ教 はイスラエルの文化 の ご く一部 に過 ぎない といえるか もしれ ない。要す るに, イス ラエルの文化 は多様 の一言 につ きる。 その よ うなわけで, これか ら私 が述べ るこ とは, ご く限 られたほんの一面にす ぎず,過度 の一般化 と過度 の単純化 で しか ないのであ る。
ⅠⅠⅠ.
エ ピソー ド
( 1 ) 床 屋 で
出発前 に床屋 に行 く暇のなか った
6鬼 は,イス ラエルに着 いて間 もな く,床屋 に行 き,そこで 最初 の 「カルチ ャー ・シ ョック」 を受 けた。床屋 には椅 子 とその前に大 きな鏡 がある。少 し古 めか しい感 じではあ るが, 中のつ くりは 日本 と変 わ りが ない。問題 は床屋 さんの散髪 の仕 方で あ る。 といって も髪形 の ことではない。 日本 では,私 の知 る限 り,客 は椅 子に座 った ら, ただ ●●●●●●●●●■
じっ としていれば よい. 眠 くなれば,居 眠 りを して もか まわないo床屋 さんの方があ ちこち動
き回って,散髪す る。‑サ ミの角度 の関係 で,首 を曲げ られ た り, 回 され た りす るこ ともあ る
こ とはあ るが, それは 「必要最小 限」 にお さえ られているはずであ る。 ところが, イス ラエル
では,椅子 に座 って散髪が始 まると,椅 子は回 され る,体 は傾 け させ られ る,首は乱暴 に曲げ
られた り, 回 された りしなが ら,散髪 され るのであ る。居眠 りす るどころではない。床屋 さん
の方 も少 しは動 くが, どうも客 を動かす こ とに よって‑サ ミの角度 を調節 し, 自分 の方 は動か
ないです ます工夫 を しているよ うであ る。 この違 いにびっ くりした。床屋 さんは立 ち仕事 で,
一 日何 人 もの客 の散髪 をす るので, とて も疲 れ る。客 はその時だけ ち ょっ と大変 を思 い をすれ
ば よい。 目的 は きちん と散髪す るこ とだか ら, それ さえ うま く成 し遂 げれば よい。最小 限の労
力で同 じ仕事 を行 うや り方のほ うが効率 的で,合理 的 であ る。床屋 さんの内心 は この よ うな も
のであろ うか。 「お客様 は神様 です」 とい う言葉 は, 日本 だけで通用す るものであった。
後 日, この こ とをイス ラエルの友人に話 した ところ
,「その時,文句 を言 えば,良か った じゃ ないか。 言 うこ とを聞いて くれ ないか もしれ ないが, もしか した ら,や り方 を改めて くれ るか もしれ ない。 だけ ど,何 も言わなか った ら,彼 にはわか りっこない よ。彼 は当 り前の こ とをし ているだけ なのだか ら」 と言われて しまった。二度 び っ くり。文句 を言 うなんて こ とに思 い も よらなか った し
,「当 り前の こ と」の内容 が同 じ人間なのに,違 っている とい うこ とに気付 きも しなか ったか らである。私 を含め, ここの登場 人物 につ いていろいろい うべ きこ とが あろ うか と思 うが,少 な くとも, それ ぞれの考 えや感 じ方が相違 してい るこ とは確 かであろ う。人間は その違 い を認め合 った うえで, お互 いの理解 を深め よ うと努 力す るが, そのため に「口があ る」
とい うこ とを思 い知 らされたのであ る。 しか し, その後 も何度 も床屋 に行 ったが,私 は とうと う一度 も文句 を言 うこ とはで きなか った。
さて, 現在 の時点において, この体験 をどう考 えた らよいのだろ うか。 イスラエル人のお客 は, イス ラエル人の床屋 と日本人の床屋 の どち らのや り方 を気に入 るであろ うか。 おそ ら く, 後者 であ ろ う。仮 に 日本式床屋が イスラエルに進 出 した とした ら,きっ と人気 がで るであろ う。
イスラエ ルの床屋 もそのや り方 を採用す るよ うになるか もしれ ない。先 に, イスラエルの床屋 のや り方 は 「 効率 的」 で 「 合理的」 であ る と述べ たが,床屋 の労力 を軽減す るこ とが 目的 であ る とした ら, そ うなのであ って,無条件 に成立す るわけ ではない。お客 の人気 を得 て,商売 を 繁盛 させ るこ とが 目的 な らば, 日本式の方が 「 合理 的」であ る。す なわ ち
,「 合理性」の一つの 側面 にお いては,合理性 は 目的依 存的であ るとい うこ とがわか る
7)0
では,客 の方 は どうであろ うか。私 は とうとう言 い出せ なか ったが,快適 さを追求す る とか, 床屋 のや り方 を客のため にな るよ うに改善 す る とか とい うこ とが 目的であるな らば,や は り言
うべ きであった。何 も言わなければ,何 も変わ らず,現状維持 ( s t at usquo) で しか ないか らで あ る。 日本 の床屋 を知 ってい るイスラエル人が いた ら, イスラエル人の床屋 におそ ら く文句 を い うであ ろ う。や は り, 言葉 を用 い,議論す る とい うこ とは合理 的 なこ となのである。
( 2) アガ シのア ドバ イス
私 の指導教 官 であ るアガシ と初めて会 った時,今後 の研究 な どにつ いて話 を したが, それ以 外 で とて も印象に残 った こ とが 1つ ある。 それ は,異邦人であ る私が イス ラエル社会 で どの よ うに振 る舞 った らいいだろ うか とい う問 いに対す る彼 のア ドバ イスの こ とであ る。彼 は次の よ うに答 えた。「 先ず 自分 のや りたいよ うにや りな さい。他 の人々が何 も言 わず,問題が生 じなけ れば, その まま続け なさい。 しか し, もし誰かが何 か言 った ら, その人や その他 の人たち と話 し合 って, 問題 が どこにあるのか を見極 め, その解決策 を探 しなさい」と。 その時はなるほ ど, 合理 的 なや り方 だ と納得 したのだが
,「 言 うは易 く,行 うは難 し」で, この方針通 り実行す るこ
とは私 に とって至難の技 であった。他 人 を気 にせ ず, 自分 の したいよ うに先ず実行す るとい う こ と自体 が,特 に当初 は, で きなか ったのである。 また,仮 にそれが で きた とした ら, イス ラ エル人が い ろいろ と批判 して くるこ とは 目に見 えている。 それに対抗 して議論す る力 をもっ こ ともそ う容 易 なこ とではない。 こ うい うわけで,私 は どう行動 して よいかわか らな くなって し まったのであ る。
さて, 日本 に来 た留学生 に対 して, 日本 人だ った ら, アガ ン と同様 のア ドバ イスをす るであ ろ うか。私 は実際 に留学生 に対 してア ドバ イスを した経験 はないが,私 だ った ら次の よ うにい うだろ う。「 初めはで きるだけお とな しくしていて,様 々な面 で,他 の人たちが どの よ うに振 る
‑ 69‑
舞 うか をよ く観察 し,それ を真似 しなさい
8)。そ して,次第に慣れて きた ら,少 しずつ 自分 のカ ラー を出す よ うに しなさい」 と。 この方針 に従 って,留学生が 日本 で行動 した ら, 日本 人はお そ ら くその留学生 を快 く受 け容 れ るのではなか ろ うか。他方, その留学生がアガ シのア ドバ イ スに従 って 日本 で行動 した ら,初 めの うちは, まだ 日本 に来 たばか りだか らと大 目に見 られ る か もしれ ないが, そのや り方がず っ と続けば,受 け容 れ られ るどころか,嫌 われて しまうにち がいないo直接,周 りの人が その留学生 に注意 をした り, その行動 を批判 した りす るこ とも考 えに くい。 ただ眉 をひそめ るだけ であろ う。 ところが逆 に, イス ラエルで私 のア ドバ イスに従 って行動 した ら, いて もいな くて もいい人間 とみなされ, しまいには無視 されて しまうであろ う。一見す ると, イスラエルではアガ ンのア ドバ イスに従 うこ とが合理 的 で, 日本 では私 のア ドバ イスに従 うこ とが合理 的であ るようにみ えるO‑例 を挙 げ よ う。 日本 では友達 と食事 に行 くと,一人が選 んだ メニュー を,他 の人 も倣 って注文す るこ とが 多い。 ところが, イス ラエル ではそれぞれが 自分 の食べ たい もの を注文す るo留学 当初,私 は友達 と同 じメニュー を注文 し ていたが,次第にわ ざと違 うメニュー を注文す るようになった。 同 じ注文 をす る と怪訝 な顔 を され るが,違 う注文 をす ると得心 して くれ るか らであ るo他 方, 日本 では同 じ注文 をす る方が 無難 であろ う。値段 の差 な どに も気 を遣 う必要 が ないか らであ る。 とす る と,合理性 の規準 と い うのは異な る社会 に よって相互 に異な る ものであ り, したが って,共約不可能
(incommen‑surable)
で,相対的であ るとい う,相対主義
(relativism)の主張 になるのであろ うか9 ) 。 そ う ではない。
私 が イス ラエルにおいて, わ ざと別 の注文 をした とい うのは一見合理 的に見えるが,実 はそ うではない。 ただの猿真似 に過 ぎない し, 自分 の欲求 に忠実 で もない。無理 を してい るだけで ある。他方, 日本 の よ うに同 じ注文 をす る とい うこ とが, 日本 だけで通用す る合理性 で しか な い とい うわけではない。時間的余裕 が な く, あ る時間 までに食べ なければ な らない場合 には, イスラエルで も皆が同 じ注文 をす る方が合理的 であろ う。先の
2つの合理性 の規準 を比較 して, この ような反省,考察 が可能 である とい うこ と自体が,共約可能性 を示 している といえ る。 さ らに, 目的や条件 を明確 に してい く作業 を通 じて, よ り合理的 な行動 のあ り方や その規準 を探 ってい くこ とが可能 であ る。 また, 目的や条件 を明確化 す るこ とに よって,合理性 を限定化, 相対化す る として も, よ り合理 的 とい う方 向 (
direction)があ りうるのであって, どんな規準 で もか まわない
(anythinggoes)とい うこ とを意味す る相対主義 とは違 っている。 これは私 の 造語 であるが,相対化 主義
(relativizationism)と相対主義
(relativism)は異な る主張 である
。相対主義 は絶対主義 の否定 であるが,相対化主義 は理念 としての絶対的規準 ( 真理,善,正義 な ど) を想定 してい るか らであ る。例 えば, アガ シにア ドバ イスを受 けた とき, 日本の事情 な どを説明 し, それにつ いて論 ず るこ とに よって, さらに良い, よ り合理 的 な指針 を兄 いだす こ とがで きたか もしれ ないのである。
( 3) 友人宅で
少数 だが, テルアヴィヴ大学 で勉 強 してい るア ラブ人学生がい るO残念 なが ら, ア ラブ人の 方がユ ダヤ人 よ り貧 しいのが実情 で, 当然,学生 もその例外 ではな く, ア ラブ人の学生 は一 人 ではアパー トを借 りる余裕 はな く,友達何 人かでアパー トを借 りて生活 している (もちろん, ユ ダヤ人の中に も苦学生 はい るけれ ども)。 私 はア ラブ人の学生 の家 には 2 度 しか行 った こ とが ないが,ユ ダヤ人の家 に行 った とき とは まった く異 なる接待 の仕方 を 受 けたので, それ を対比 的に述べ たい と思 う。
ユ ダヤ人の家 では,「自分 の家の よ うに どうぞ」とい う言葉が最大の歓待 の言葉 の よ うであ り,
これは文字通 りに受 け取 って よい らしい。書棚 か ら本 を勝手 に取 り出 して読 んで もいい し,袷 蔵 庫か らジュー ス を出 して飲 んで もいい。 自分 の家 ではそ うす るだ ろ うか らであ る. あ る時 な ど, あ るユ ダヤ人の友達 は 「自分 の家の よ うに どうぞ」と言 った後 で
,「眠たいか らち ょっ と渡 る」 と言 った き り, 自分 の部屋 に入 って,雇 て しまった こ とがあった。 自分 の家 に いる ときの よ うに何 を して もよい と言われて も, そ う簡単にで きるものではない。 どうした らよいかわか らず,書棚 か ら面 白そ うな本 を取 り出 して,読み なが ら彼の起 きるの を待つ しか なか った。 し ば ら くして起 きて きた彼 に,先 の言葉 を本 当に文字通 りに受 け取 るべ きだ った と言われて しま った。彼 に言わせ れば,つ まらなければ帰 って もよか ったのだそ うだ。彼が 「 遊 びに来 い」 と 言 ったに もかか わ らずである。
ところが, アラブ人の学生 は違 っていた。彼 らはいろいろ と世話 を して くれ る。家に着 いた らす ぐ, 「の どが渇 いていないか」と聞 く。「うん, まあ」と唆味 に答 えて も
,「 何 が飲み たいの かo コー ヒーか ジュー スか」 と聞 いて くる (この点 では, 多 くの 日本人の ように相手 の噂好 に かかわ らず,紅茶 な ら紅茶 を出す とい うの とは違 ってい る)。 ここまで言われたのでは と , 「ジ
ュー ス」 とい うと
,「じゃ‑, ち ょっ と買 って くる」 とい う。 「それ な ら, コー ヒー でいい」 と い って も
,「ち ょっ と待 ってろ。す ぐ買 って くるか ら」 とな る。 「これが したいか, あれが した いか」とか
,「これ をしよ うか, あれ をしよ うか」とい う具合 に世話 をして くれ る。私 を放 って お いて凄 て しまったユ ダヤ人の学生 とは大違 いであ る。 アラブ人の学生 の応得 の仕方 は まるで 日本 人の家 に遊 びに行 った ときの よ うであ る。 あ るいは, それ以上 の もてな しぶ りか もしれな い。 しか しなが ら, この相違 は, ア ラブ人 とユ ダヤ人の相違 とい うよ り,都市 と農村 の相違‑
‑ ア ラブ人学生 は農村 出身者が 多い‑ であるか, あ るいは現代 っ子 と昔 なが らの しきた りを 受 け継 いでいる青年 との相違 であ るか もしれない。
この違 いにつ いて も, それぞれのや り方 を簡単 に相対化す るこ とがで きるだろ うし,合理 的 な振 る舞 い方 を兄 いだす こともで きるだろ う。 しか し, ここでは具体 的 な検討 は割愛す るこ と に したい。
ⅠⅤ.
文化衝撃か ら文化衝突へ
ひ とは 自分 の慣れ親 しんだ社会 の文化 ( 生活様 式,行動規範, 人間観,価値観 な どを含 む) とは, 多かれ少 なかれ異なった文化 に接触す ると,感情的衝撃や認知的不一致 を体験す る。 そ の結果, ひ どい場合 には心身症 の状態 ( 孤独感,劣等感,欝状 態 な ど) に陥 った りす る。 これ を 「カルチ ャー ・シ ョック ( 文化衝撃)
」10)とい うO そ こか ら逃 れ るための極端 な方法 は, 自文化 を全面的に肯定 し,異文化 を全面的に否定す る道‑ この場合 には,異文化社会 に留 まる限 り は 自己閉鎖的にな らざるをえない‑ と, その逆 に, 自文化 を全面的に否定 し,異文化 を全面 的 に肯定す る道‑ この場合 には, 自己否定 あるいは 自己の再教育 とな る‑ であ る。振 り返 る と,私 は どちらか とい うと,後者の道 を選 んで しまい, 日本の伝統,文化 を軽蔑 し,否定す る一方,異文化 に迎合 して しまう傾 向があ った。しか し,脱却す る方法 は この どち らで もな く, またその両極端 の中間で もな く, 第
3の道があ りそ うである。 それは,異文化 との接触,体 験 を 「カルチ ャー ・シ ョック ( 文化衝撃)」 として とい うよ りむ しろ 「カルチャー ・クラッシュ ( 文 化衝 突)」 としてみ る見方 であ る1 1 ) 0
この見方 はポパーの思想 に よって啓発 され たこ とに よるO ポパー は論文 「フ レーム ワー クと い う神話
」12)の中で,合理 的で実 りある討論が成立す るためには,その参加者が基本的 な仮定 に 関す るあ る共通の フ レームワー クを共有 しなければな らず, したが って, フレー ムワー クを異
‑ 71‑
にす る討論 は不可能 であ る。す なわ ち, フレー ムワー ク内の討論 は可能 だが, フレームワー ク 間の討論 は不可能 である とい う見解 を 「フレーム ワー クとい う神話」 と名付 け, それ を批判 し た。 さらにフ レー ムワー ク間の討論 は困難 である として も, それが成功すれば,非常 に実 り豊 か な討論 になるこ とを主張 したが, その文脈 の中で,次の ように述べ てい る
。もし討論 の参加 者が世 界の異 なった地域 に育 ち, 異 なった言語 を話す場合,合理的 な討論 は明 らかに極 めて困難 にな るに違 いか ‑ o Lか し, こ ういった困難は しば しば乗 り越 え得 る こ とを私 は今 まで経験 して きた。 ‑乗 り越 え らるべ き大 きな障害があ る とすればそれは一般 に,西洋思想の教化 の結果 である場合 が常 であ った。私 の経験 では,悪 し く西洋化 された学 校や大学 におけ る独 断的 で無批判 な教育, そ して特 に西洋 の くだ くだ しい用語や西洋の イデ オ ロギー な どの訓練 は,合理 的 な討論 に とっては, いか なる文化的,言語的 ギャップ に もま して重大 な障害 であった。‑‑・ この私 の経験 は次 の こ とを私 に示唆 した。文化衝 突は, もし 衝突 してい る文化 の一方が 自らを普遍的 に優越 した もの とみなす時, その価値 の幾分 か を失
う。 そ して,他 方の文化 に よって もそれが認め られて しま う場合,一層 その価値 を失 う, と い うこ とであ る。 こ ういった事態は文化衝 突の もつ重要 な価値 を破壊す るのである。
私 たちはカルチャー ・シ ョックを体験す るが,誰 しも‑ 文化的に劣位 と思 っている者 だけ が体験す るのではな く,文化的 に優位 と思 ってい る者 も‑ が体験す るの であ る。文化があ ら ゆ る点 で普遍的に他 を庄倒 して優越 してい る社会 な どもまた存在 しない。 このお そ ら く事実 と 思われ るこ とか ら出発すれば,極端 な
2つの道が成立 しないこ とは明 らか であろ う。 自文化 と 異文化 をどち らも絶対化せ ずに相対化 し, さらに議論や批判的検討 を通 じて, よ り良 き文化 を 築 き上 げ よ うと努力す ることに よって,ポパー の主張す るように
,「フレー ムワー クとい う障害 を突破す るこ とは困難 ではあって も, われわれに とって極 めて価値 の高い ものであ り, われわ れの知 的地平 を拡張す るばか りではな く,多大の喜 び ももた らして くれ るのであ る」1 3 ) 。す なわ ち, カルチャー ・シ ョックを否定的に捉 えず, それ をバ ネに
,「 文化衝 突」 として捉 え返す こ と によって,文化創造 に参加す る とい う喜 び を手 にす るこ とがで きるか もしれ ないのであ る1 4 ) 。私 たちは,個 人の レベ ルにおいて も,社会 の レベ ルにお いて も,相互 に異 な ってい るか らこそ, 創造や発展 に寄与 で きる可能性 があ る。 しか も,社会的 にはその機 は熟 している。 この こ とに 少 し触 れ るこ とに よって,結 び としたい。
Ⅴ.
文化の選択か ら文化の創造 へ
かつ て西洋社会 は,宗教 とい う観点か ら学 問,教育,芸術,音楽,文学,経済,政治,法, 道徳 な どが統合 され た一枚岩の キ リス ト教社会 であった. 日本 で も戦前には 「お国のため」 と い う大義名分 の下 に, あ らゆ る人間の社会 的,精神 的営 みが統制 され,制約 されていた時代 が あったO ところが今 日,世 界のほ とん どの社会 は多様 な文化,生活様式 を抱 え込んでお り, し か も国際的 な情報網 の発達 に よ り,他 国の文化 を知 り, それ を吸収す るこ とに よって, それに 拍車がかか ってい る。これ まで
,「 文化」とい うと歴史的に築 かれて きた 1 つ の伝統 と結 びつ き, それ を個 人が受 け継 ぎ, 身につ け るべ き文化,す なわち,歴史的,社会的に個 人が作 られてい
くとい う文化 の側面が強調 されて きたDところが,1つの社会が 多様 な文化 を抱 える社会 に生 ま れ,育 って きた私 たちには 「 文化 の選択」 とい う可能性が生 じている。個 々人が様 々な文化 生活様 式か ら自分 に合 う生活様 式 を選択 で きるようになった し, しか も現実 に しているのであ
‑ 72‑
るO す なわ ち, 主体 が社会 か ら個 人に移 り,文化 に よって個 人が作 られ る‑ もちろん, この 側面 も強 力に残 ってい るが‑ とい うよ り,個 人が文化 を主体 的 に選 び とるこ とが で きるよ う にな ってい る。例 えば,‑ プ ライ大学 の教授 で,正統派 のユ ダヤ教徒 で もあ るが, 日本 の着物 とお茶 が気 に入 って,安 息 日にな る と当然仕事 は しないが,和服 を着 て, お茶 をたて て飲 むの を常 としてい る人が い る。 これ な ど 「 文化 の選択」 のいい例 で あろ う
0さ らに今 後 は,既 成 の 多様 な文化や生活様 式の 中か ら選択す るばか りではな く,文化 を作 る とい う創造 的 な活動 に個 々人が 多少 な りとも参加 し, 貢献 で きるよ うにな るのではな いだ ろ う か。 しか も, それ は遠 い将来 の こ とではないか もしれ ない。個 々人の人権 の尊重,社会参加 や 政 治参加 の拡 大,教 育 の向上,精神 的豊 さへ の希 求 な どに よって,世 界の 多 くの国で その可能 性 が高 ま りつつ あ るか らであ る。世 界 の文化 は 多様化 してい るが,個 々人が 多様 な文化 を選択 し, さ らには創造 に貢献 で きるよ うに な りつつ あ る とい う点 で
,「 世 界 は一つ」とい う方 向に向 か って い る ともい え るのではなか ろ うか。
証
1 ) この 危惧 が可能性 では な く,か な り事 実 であ る とい うこ とは,金 沢大学 の私 の友 人の留学体 験 記 を読 め ば判 明 して しま う。 彼 の留 学 先 は イ ン ドで あ ったが, 私 と同 じ様 な体 験 を彼 も して い るの で あ るO 島岩著 『イ ン
ド :心 と文 化 の オ クター ブ』 明イ J 一 書 店
,1994年
c2)
同 じユ ダヤ 人であ りなが ら, イス ラエ ル では ア シュケナー ジ系 ( 東欧 出身 のユ ダヤ 人) とス フ ァ ラ ド系 ( 中 近 東, ア フ リカ出 身)の不 和 が深刻 であ るが, その こ とをイス ラエ ル 人 は否定 しま う とす る。 あ る進 歩的ユ ダヤ 人 女性 (イスラェ ル共産党 員)に この不 和 につ いて質 問 した こ とが あ った。 彼女 は両 者 の間 で結婚 す る 割 合 が最 近 増加 Lて い るこ とを理 由 に,それが 改善 されつつ あ る と答 えたoLか し,その際 に彼女 は
"mixed marriage"とい う言葉 を用 いたの で あ った
/3)宗教 としての 「 ユ ダヤ教 」の側 面 につ いての概 説 は, 拙稿
,「 ユ ダヤ教 」 , 井 門富二夫他 著
,『 世 界 「 宗教 」総 覧』,新 人物往 来社
,1994年
,338‑343頁。
4)宗 教 的 か ど うか を判 断す る 目安 は, キパー ( 小 さな丸 い帽 子)を頭 にかぶ って い るか ど うか に あ るが, 私 の 数 少 ない宗教 的ユ ダヤ 人 ( 私 の友 人 の大 半 は非宗 教 的ユ ダヤ 人だ った)の 中に は
,マ ク ドナ ル ドの‑ ンバ ー ガー ( これ は コー シャー 〔 適正 食 品〕で は な い) を食べ る とき, その キパ‑ を脱 ぐ者 が いたO この よ うな人 物 も宗教 的 ユ ダヤ 人の 中に含 まれ て い るの で あ る。他 方,キパ ー をか ぶ らな い者 の 中に も豚 肉 を決 して食べ た こ との な い者 もい た。一 部 の キプ ツでは豚 肉 を生産 ,販売 してお り, イス ラエ ル で も豚 肉 を購 入す るこ と が で きるO私 は奮 発 して豚 肉 を買 い, それ で カ レー ライス を作 り,友 人 を食事 に招待 した こ とが あ るOその 中 に この二 人 も含 まれ て い た。本 当は いけ ない こ となの だ ろ うが,牛 肉 で作 った カ レー だ と欺 い てか れ らに 食べ させ た。 二 人 と も 「お い しい, お い しい」 とい って食べ た後 で, 私 は豚 肉 であ るこ とを白状 したe マ ク ドナ ル ドの ‑ ンバー ガー を食べ る宗教 的 (?)ユ ダヤ 人 の方 は少 し怒 っただけ で あ ったが, も う一 人 のユ ダ ヤ 人は, トイ レに駆 け込 ん で喝 吐 したの で あ った。彼 に は悪 い こ とを したが,豚 肉 を食べ な い とい うこ とが,
̲ ' 3 ‑ 1 理 的 な レベ ルに まで達 して い たの であ ろ うO とこ ろが 中に は, 日本 人 はエ ビが好 きだか ら とい って,港 町 ヤ ソ7 オのエ ビ料理 に招 待 して くれ たユ ダヤ 人 もい たの であ る
oLか し,その彼 も結婚 式 の際 に は ラ ビを呼 ん で, 宗 教 的 な伝 統儀 式 に則 って結婚 したの で あ る。
5)
‑ ラ‑一 に よれ ば, 形 武上
,「 ユ ダヤ 人」なの だが, 実 質 的 に も, 非 宗教 的 ・ 世 俗 的 なユ ダヤ 人 も, 一部 の例 外 を除 いて は
,「 ユ ダヤ 人」とい え るか も しれ な いO それ は 『 聖 書 』が 多か れ少 なか れ, 彼 らに影 響 を与 えて い るか らで あ る 。 『 聖 書』とい う とど う して も 「 宗教 書
」,「 信 仰 の書」として のみ考 え られ て しまいが ちで あ るが,歴 史,思 想, その他 の文 化 の書 で もあ り,後者 の点 で影響 が あ るか らで あ る。 しか し, この点 の考察 につ いて は
,別 の機 会 に譲 りた い。
6) ほ とん ど連 日の送別 会 で飲 まされ たため であ ったが, イス ラエ ル で生 活 して, つ くづ く日本 が 「 酒文 化」で
あ るこ とを実 感す る。中には ア ル コー ル 中毒 の 人 もい るで あ ろ うが,一般 に イ スラエ ル人 はお酒 をあ ま り飲
まな い。私 が留学 して いた 当時
,「パ ブ」が 次 第 に増 えて きて,学生 の 間 で はパ ブ でデー トをす る とい うのが
流行 りつつあったが, それ で も
1人 ビール
1本 (といって も日本の小瓶位 のボ トル)で
,2,3時間ねぼって 話 をす るとい うものである。他 方,私が寮の同室の友人 ( イギ リス人)と飲みに行 くと
,1人 で
4,5本 は飲 んで しまう。そ して酒が入 る とよ うや く話が弾ん で くる とい う具合 である。
日本 を離れ る前に散髪 しなか ったこ とで,私 は気が答めたのだが,この感情 も日本的 なのか もしれ ないO 外国人は,故国 を離れ る前に散髪 しなか ったこ とを気 にかけ るであろ うか0
7) この主張は,合理性が 目的達成のための手段 としての合理性 で しか ない とか,目的 自体 の選択 につ いては合 理性 を問 うことはで きない とか とい うラジカルな主張 を意味す るものではない。例 えば,私が ピアニス トに なる とい う目的 を設定 した として,それ を実現す ることが逆立 ち して も不可能 であ るこ とが判明 した ら,ど アニス トになるとい う目的 を追求す るこ とをやめ るであろ うOその 日的設定 自体が非合理 だか らであ るOこ の ような例 だけか らで も, 目的 自体 につ いて合理性 を論ず るこ とが可能 なことがわか るであろ う0 8) 日本 では「 真似 をす るとうま くい く」とい うのはか な り確 かの よ うであ るが, これ を実践 したこ とに よって,
恐 ろ しい体験 を した ことがある。イスラエルか ら日本に帰国す る際,イギ リス経由に もかかわ らず,運賃が 安 いので南 回 りで帰 ることに したo私の乗 った飛行機 は,何 かの事情で,予定の コー スにはなか った ドバ イ に一時着陸す るこ とになった。機 内のアナ ウンスが入 り,一旦空港 を出て市内のホテルで昼食 をと り,それ か らまた機 内に戻 って くる とい うこ とであった。乗客が ぞろぞろ と降 りだ した。私 もよ うや く後 ろの方につ いて歩 き出 した。運良 くドバ イ市内 も見物 で きるか もしれ ない と思 いなが ら,パ スポー トコン トロー ルでパ スポー トを見せ た ところ , 「あなたは外には出 られ ない」と言われ,パ スポー トを取 り上 げ られた うえ,銃 を もった制服 C 7 )男によって別室に連れていかれ たの であ るo私 には何 か起 こったのか皆 目見 当がつか なか っ た。私 と同 じような措置 を受けた人々がすでに数 人ほ どいた。かれ らも荘然 としているよ うであったが,お 互 いに話 してい るうちになるほ どと思 える共通点が見つか った。それは全員が イスラエルに入国 したことが あった とい うことであ るOこれか らどうな るのだろ うか と私 たちは不安 になったが,幸運 なこ とに‑ その 時は幸運 な どとは全然思わなか ったが,後 日,最悪 の場合 には刑務所行 きもあ るとお どか された とき,背筋 がぞっ とした ことを覚 えている‑ それ以上の こ とは何 もされず,私 たちはそこで出 された昼 食 を食べ なが らしば ら く待つだけであったO誰 も水 には 口をつけなか ったOその後,パ スポー トも返 して くれたが,その 時 , 「 何 の関係 もないあなたたちにこのよ うな待遇 を して申 し訳 なか ったが,今 ア ラブの国々が イスラエル と 戦争状態にあ るこ とは ご存 じで しょう」と言われて しまったO機 内に戻 ると,ず っ と機 内に残 っていた とい う家族がいた。果 た して,かれ らはユ ダヤ人であったoかれ らは初めか ら希望 して残 ったそ うであるOアナ ウンスの通 りに皆の真似 をしてついて行 った私 た ち‑ 私 だけ ではなか った といって も何 に もな らないが
‑ と違 い,この家族 は状況 を的確 に判断 し,適切 な行動 を とったのであった。過度 な一般化 であ るが , 「自 分 の運命は 自分 で決め る」 とい うこ とに 日本人はあ ま り慣れていないよ うである。
9)科学理論 につ いて も共約不可能性が主張 された りす るが,その主張お よびそれに対す る批判につ いては,吹 の文献 を参照 されたい。
I.Lakatos,A.Musgrave eds.,Criticism and the Grou)th of Knowledg
e,
CambridgeUniversityPress,London,1970.I
.ラカ トシュ
,A.マ スグレー ヴ編 『 批判 と知識の成長』,蘇 博監訳,木鐸社
,1985年0
10)
「カルチャー ・シ ョック」 とい う用語 はカラー ボ ・オバー グ博士 (
K.Oberg)の造語 の ようであ るが , 「カ ルチャー ショック」の克服法につ いては, 中国滞在 の折, 自らが苦労 の末,克服 した カナ ダ人女性 の興 味深 い論文があ る。 ジェー ン ・エ ドマ ンズ , 「カルチャー ・シ ョックを乗 り越 えるには」
,『 週 間時事』,時事通信 社
,3月
5・12日号
,1988年
,60‑65頁o
ll)
「 文化衝 突」 とい うとサ ミュエル ・‑ ンテン トンの 「 文 明の衝 突
(theclashofcivilizations)」 を思 い浮か べ るか もしれ ないO‑ ンテ ン トンの主張す るよ うに,衝 突は対立,不和,血生臭 い戦 闘,破壊 的戦争 な ど暴 力的悪 に結 びつ くこ ともあ るが,必ずそ うなるとい うわけではないO実 り豊か で,生 を充実 させ るよ うな発 展 を生み出す可能性 もあ るのであ り, ここでい う 「 文化衝 突」とい うのは後者の側面の ことである。 あるい は前者 を回避す る手段 としてのそれであ るO い うなれば , 「 剣に よる戦 い」ではな く「言葉 に よる戦 い」であ る。 この点 をポパー は強調 している。註 1 2の論文参照。SamuelP.Hunt i ngt on,TheCl as h ofCi vi l i za‑
t i ons? ,Fo7 1 e l ' gn Ajr ai y s ,Summer ,1 993,pp.22‑ 49.サ ミュエル ・‑ ンテ ン トン 「 文 明の衝突 ?」, 『中央公 論』, 中央公論社,1 993年 8月号,349‑7 4頁0
1 2)K. R.Popper ,TheMyt h oft heFr amewor k
,Eugene Fr eeman ed. ,TheAb di c at i on o f Phi l o s o ph y. l Phi l os o ph yandt hePubl i cGood,O
penCourt,LaSalle,illinoi s ,1976,pp,231 48.この論文の改訂版が,同 名の タイ トルで最近 出版 され
たポ
パーの著書に再収録されたoKarlR.Popper ,TheMyt h o f t heFr . ame‑
‑ 74‑
work:ZndejTenceofscienceandy.ationali
t
y,Routledge,London,1994,pp.33‑64.小林博 司訳 , 「 準拠枠 と い う神 話
」,『 思想
』,662号
,1979年
,109‑133頁。以下 の引用 は,最新 版 に よるo また, ポパー は「 文化衝 突 につ いて」とい うその ものずば りの タイ トルの論文 も書 いて い るが, その 中で,彼 は,推測 的 な歴 史的仮 説 であ る と断わ った うえで,西洋文 明の基礎 とな った古代 ギ リシャ文 明や ,近 い ところでは,科学,哲学, 文学,芸術, 音楽 等 の分 野 で創造 的所産 を遺 した世紀末 ウィー ンの文化 な どが, 多様 な異 なった 「 文化 の衝
OfA BetterWorld,Routledge,London,1992,pp.117‑26.
13)Zbid.
,p.
61.傍点 は引用老0
14)