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ふたつの朝鮮研究会をめぐって

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Academic year: 2021

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ふたつの朝鮮研究会をめぐって (和光大学総合文化 研究所十年誌 : 1995‑2005) (総合文化研究所の十 年に思うこと)

著者 李 進煕, 松枝 到

雑誌名 東西南北

2006

ページ 348‑350

発行年 2006‑01‑31

URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003367/

(2)

 1989年4月、私たちは朝鮮研究会を立ちあげ、1992年まで活動を続けた。

なぜ1992年までであったかというと、それは次のような理由からであった。

 1992年とは、欧米人にとっては、コロンブスの新大陸発見から500年の 記念すべき年であり、南北アメリカ大陸に住む先住民にとっては、侵略 の開始されたおぞましき年から500年経ったことを意味していた。……日 本のマスコミも、欧米人と並んで、コロンブスの事業を偲んだのである。

/そのマスコミが、豊臣秀吉の朝鮮侵略をどれほど扱ったのであろうか。

1992年とは、豊臣秀吉が大軍をあげて朝鮮に侵略を開始してからちょう ど400年という「記念すべき年」でもあったのである。……しかし、予想 通り、マスコミは、ごく一部を除いて、この「400年記念」の方は無視し た。

 これは朝鮮研究会が発行した唯一の冊子『朝鮮研究』(1993年刊)の巻頭に ある「はじめに」から引用したものである。この「ごく一部の」マスコミと は、この問題に関係の深い NHK 大阪と NHK 佐賀であったという。執筆者 名はなく、ただ和光大学朝鮮研究会の名しかあがっていないが、おそらくは 三橋修教授の手になるものではなかったか。

 したがって、この研究会のテーマは「豊臣秀吉と朝鮮――文禄・慶長の役 をめぐって」というものとなった。まず最初に手をつけたのは、柳成龍『懲   録』(朴鐘鳴訳注、平凡社)を精読することだった。またここから触発され た各メンバーが、それぞれの立場からテーマを設定し、報告を重ねた。先の 報告書の目次から拾えば、「戦後歴史教科書における秀吉研究」(篠原睦治)

「ビジネス書に見る秀吉」(三橋修)「韓国での壬辰倭乱四〇〇周年」(金光玉、

一橋大学大学院)などがあったろうか。また「『吉野甚五左衛門覚書』を読む」

(松枝到)などのテキスト紹介や、朝鮮正史『李朝実録』の関係部分を原文で

348 ―――

十年誌総合文化研究所の十年に思うこと

ふたつの朝鮮研究会をめぐって

李 進 煕 和光大学名誉教授 松枝 到 所員・表現学部教授

(3)

――― 349 摘出してみたりしたが、専門家集団というわけではないので、これにはあま り歯が立たなかった。しかし、ここでは相当量の文献資料を収集し、教科書 やビジネス書はもとより、古今の秀吉の伝記類などを集めたが、その中には 子供用のまんが秀吉伝まで含まれ、いまも研究室に残っている。この戦争に 関する専門の研究書を収集したことはいうまでもない。またここでは、本学 の梅根記念図書館に設置されている「朝鮮資料」がおおいに役立ったことも 記しておかなければならない。

 ここで、この朝鮮資料について記しておけば、1983年頃、図書館を新しく 建設することになり、宮川寅雄教授が「梅根記念図書館構想委員長」となっ たのが設置のきっかけだった。宮川教授の構想は、図書館の中心は建物や設 備ではなくて、中身と心の触れ合いであること、そしてそのなかに朝鮮コー ナーを置くことだった。宮川教授は『アジア研究』第2号(1985年)に掲載 された「梅根悟と西順蔵のアジア観について」のなかで、

 梅根図書館に朝鮮コーナーができております。……この文庫ができた ことは、梅根さんの朝鮮問題の関心ということが働いて下敷きとなって いると共に、また西さんの朝鮮の問題が結実しているように思えるので す。そういう意味ではこのコーナーを育てていくことが、梅根、西両氏 にたいするわれわれの友情であると思います。

と書いている。

 朝鮮コーナーを充実させるために尽力したのは、当時図書館長だった杉山 康彦教授で、後援会を発足させ(85年7月)、図書や資料の寄贈活動がはじま った。そうして父兄のひとりだった裴仁鳳氏が『李朝実録』全56巻、『朝鮮史』

全37巻、『朝鮮総督府官報』全30巻をはじめ、貴重な図書、資料を寄贈してく れた。また姜徳相氏を通して、アメリカに渡ったある在日朝鮮人研究者の図 書が一括寄贈されるなど、朝鮮コーナーへの関心が高まった。しかし大学内 部での軋轢などのため、寄贈運動は中断せざるをえなくなった。

 だが、2005年秋、韓国文化研究振興財団が業務を終えるとともに、当時こ の財団の常務理事を務めていた李進煕が、同財団所蔵の学術図書3,000冊あま りを寄贈することとなった。そのなかには、同財団発行の『青丘学術論集』

全25巻のほか、日本では入手しにくい韓国における各大学刊行の紀要や出版 社刊行の貴重な図書が含まれている。これらの図書・資料は現在も梅根記念 図書館で見ることができる。

(4)

 1990年の春になって、京都の秀吉廟といわゆる耳塚、方広寺など、また佐 賀に残る名護屋城(ここから秀吉の軍が出港した)および有田・伊万里の関 係する史跡をフィールドワークした。1990年度には、ルイス・フロイスの文 献を調べたり、滋賀の雨森芳州記念館を調査したりした。またこの問題に関 する有数の研究者である北島万次氏(埼玉大学教授・当時)をお招きし、お 話を伺い、記録した。このように活動を続け、1992年をめどにして、最終的 に報告書をまとめ、それをもって研究会を閉じたわけである。

 この研究会の活動と同様の趣旨から活動を続けていたグループは学外にも あり、大阪人権歴史資料館は「倭乱――豊臣秀吉の朝鮮侵略から400年」とい う特別展示を開催し、この研究グループとも関係の深い季刊誌『青丘』は、

「文禄の役から四百年」という特集号を組んでいる。こうした活動記録は、主 に前記の報告書によっているが、この400年という時期を銘記すべく、多少の いらだちをもっておこなわれた研究会であった。

 さてそれから何年かたち、ふたたび朝鮮研究会ができることになった。こ ちらの「もうひとつの」朝鮮研究会は、2000年度に和光大学総合文化研究所 年報『東西南北』の別冊1として『地域社会における在日朝鮮人と GHQ』を 刊行している。参加メンバーは「資料編」にもあるが、名のみあげておく。

李  娘(中央大学助教授・当時)、岩城正夫、笹本征男(啓明会学院講師・当 時)、篠原睦治、針生一郎、松枝到、三橋修、ユ・ヒョヂョン、李進煕、ロバ ート・リケット。なお、この報告書のなかのリケット論文の一部と李  娘論 文は、先にも触れた韓国文化研究振興財団の助成金を受けた研究プロジェク ト「占領下に於ける対在日朝鮮人管理政策形成過程の研究、その2」とまた ぐかたちで執筆され、そちらは同財団の発行する『青丘学術論集』第13集

(1998年)に掲載されている。

 こういう次第で、研究所のできる以前と設立以後とに重なるように、ふた つの朝鮮研究会が存在していたのである。その主題は異なるものの、こうし た流れは和光大学ならのものではなかったか。しかし最初の研究会の『朝鮮 研究』は、もはや入手しがたいので、いささかその活動内容に触れて記した。

後者については、本誌別冊をご覧いただきたい。

(イ・ジンヒ/まつえだ いたる)

350 ―――

参照

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