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松 浦 理 英 子 『 親 指 P の 修 業 時 代 』 論

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松浦理英子 『親指 P の修業時代』 論 ─ その多様なセクシュアリティを読み解く ─ 小   宮   千   穂

一、はじめに

  日 本 近 現 代 文 学 史 に お い て セ ク シ ュ ア ル ・ マ イ ノ リ テ ィ ( L G B T

) は、 太 い と は 言 い に く い も の の 一 本 の 水 脈 を 形 づ くっている。その一部を挙げるなら、三島由紀夫の男性同性愛を 描いた自伝的小説「仮面の告 白

」や、谷崎潤一郎の女性同性愛を 描いた「 卍

」などである。吉行淳之介の「寝台の 舟

」には、男性 の肉体を持ちながらも自らは自分の性を女性とみなし、なおかつ 男 性 を 愛 す る と い う 人 物 が 登 場 し た。 女 性 作 家 で は、 田 村 俊 子 の「あきら め

」、 「春の 晩

」や吉屋信子の「花物 語

」等で、女性同 士の強い絆が描かれた。このように、セクシュアリティの問題は 様々な作家が異なる立場から、また多様な表現によって描いては きたものの、時代的な限界もあって「性自認」 、「性的指向」が中 心テーマとして設定されているものは少なかった。それゆえ、性 別 や 性 意 識 に あ い ま い な 部 分 も 多 く、 登 場 人 物 の セ ク シ ュ ア リ ティを明確に判断することは困難であり、読者に想像の余地を残 していた。   しかし、状況は少しずつ変化してきている。たとえば、村上春 樹 の「 ノ ル ウ ェ イ の 森

」 に は 明 確 に レ ズ ビ ア ン と 称 さ れ る 少 女 が、 「 海 辺 の カ フ カ

」 に は ト ラ ン ス ジ ェ ン ダ ー で ゲ イ の 男 性 が 登 場する。女性作家では江國香織が「きらきらひか る

注注

」で同性愛者 の夫と暮らす妻を描き、中山可穂は「サグラダ・ファミリア   聖 家 族

注注

」、 『花伽 藍

注注

』等、女性同士の恋愛をテーマとした作品を数多 く発表している。また、川上弘美も「琺 瑯

注注

」で、女性同士のあい まいな性的関係を描いている。

  近年、用語や概念が整備されてくるのだが、それもあって登場 人物のセクシュアリティもはっきり定義されるようになり、複雑 なセクシュアリティを描く作品も増えてきている。それが、現在

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の文学状況である。

  ところで、セクシュアリティという言葉からすぐにイメージさ れるのは、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーといった、い わゆるセクシュアル・マイノリティのことではないだろうか。し かし、セクシュアリティとは、そのような狭い概念ではない。性 というものの多様性をさまざまな側面から捉えようとする発想で あり、すべての人の、その人らしい性のあり方を考える時に用い る こ と の で き る 概 念 な の で あ る。 そ し て、 そ れ ら の 多 様 な セ ク シュアリティは差異と連続性をもったグラデーションとして存在 するのではないかと論者は考えている。こうした見地から、日本 近現代文学におけるセクシュアリティの描かれ方を追求したのが 本論である。

  まず、本論に先立って、松浦理恵子の「親指Pの修業時 代

注注

」を 扱う理由と意義について述べておきたい。

  松浦理英子はデビュー以来「性」をテーマに描いてきた作家で ある。その中でも一番の話題作であり、ベストセラーにもなった 作品が「親指Pの修業時代」である。これは女子大生の真野一実 の右足の親指が突然ペニスになるという異色の設定が評判になっ た 作 品 で、 一 九 九 三 年 に 第 七 回 三 島 由 紀 夫 賞 候 補 に 挙 げ ら れ た。 また、一九九四年、松浦理恵子はこの作品によって第三十三回女 流文学賞を受賞している。   「

親 指 P の 修 業 時 代 」 で は、 こ れ ま で 文 学 化 さ れ る こ と の な かったセクシュアリティのユニークなあり方が想像力豊かに描か れている。その特徴として、次の二点を指摘したい。

  一点目は、主人公である一実のセクシュアリティの揺らぎと再 編である。従来の性規範を無邪気に受容していた一実は、親指P の出現や性の規範内に収まらない登場人物と接するうちに、自身 の固定化されたセクシュアリティ観について疑問を抱くようにな る。また、そこから新しい性意識も芽生えてゆく。

  二点目は、主人公をとりまく周辺人物にも様々なセクシュアリ テ ィ の 持 ち 主 が お り、 そ れ が 丁 寧 に 描 か れ て い る と い う 点 で あ る。彩沢遥子の一実に向けられた女性同士の恋愛感情や、性行為 を「仲良くなる」ための行為ととらえ、相手の性別を問わずに交 わろうとする犬童春志の開かれた性意識、性別適合手術を受けた が 完 全 な 女 性 器 は あ え て 持 と う と し な い

MtF

注注

の 綾 瀬 政 美 の あ り 方、一実と水尾映子の同性愛関係等がこれに該当する。このほか に、ペニスに余分な突起がある須和繁樹、他者の体液に触れると 身体中に湿疹が現れる桜井亜依子、ヴァギナの中に歯がある木野 田幸江、射精の瞬間に眼球が飛び出る田辺庸平、シャム双生児で 自身のペニスが機能しない児玉保など、性的指向や性自認がマイ

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ノリティには区分されないものの、性的部位に一般的ではない特 徴を持つ人物も多数登場し、読者のセクシュアリティ観に大きく 揺さぶりをかけてくる。本論では、彼らのことも広義のセクシュ アル・マイノリティとして捉え、論の対象としたい。

  日 本 近 現 代 文 学 に も セ ク シ ュ ア ル・ マ イ ノ リ テ ィ が 登 場 す る 作 品 が あ る こ と は 先 述 し た 通 り で あ る。 し か し、 「 親 指 P の 修 業 時 代 」 ほ ど セ ク シ ュ ア ル・ マ イ ノ リ テ ィ の 登 場 人 物 が 多 く 登 場 し、かつ、それぞれの登場人物の多様な性のあり方が「マジョリ ティ」という捉え方をも揺るがす力を持っている作品は、本作唯 一と言っても過言ではあるまい。

現されているかを明らかにすることが、本論の目的である。 現するためにセクシュアリティや人間関係がどのように構築・表 いるジェンダー的抑圧について考えながら、そうしたテーマを実 持つ登場人物が社会や他者から、さらには自身からさえも受けて   「 親 指 P の 修 業 時 代 」 を 対 象 と し、 様 々 な セ ク シ ュ ア リ テ ィ を

二、セクシュアリティをめぐる言葉

  ここでセクシュアリティの社会史について触れておきたい。こ れは、 「親指Pの修業時代」が書かれた一九九一年と現在とでは、 セクシュアリティという概念にも社会における扱われ方にも大き な違いが見られるためである。したがって、社会史においてセク シ ュ ア リ テ ィ が ど の よ う に 扱 わ れ て き た か を 見 て い く こ と に よ り、 「 親 指 P の 修 業 時 代 」 の 先 見 性 を 知 る こ と が で き る は ず で あ る。   同性愛自体が障害として考えられるべきではないという考え方 が『 D S M 』( 精 神 障 害 判 断 基 準 ) で 採 択 さ れ た の は、 一 九 九 〇 年のことである。その後一九九三年にWHO(世界保健機関)が 「 同 性 愛 は い か な る 意 味 で も 治 療 の 対 象 と な ら な い 」 と 宣 言 し、 日本でも一九九四年には厚生労働省がWHOの見解を踏襲するこ とを決定した。また、性同一性障害者のうち特定の要件を満たす 者が、戸籍上の性別記載を変更することができる「性同一性障害 者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が日本で施行されたの は、 二 〇 〇 三 年 の こ と で あ る。 こ れ ら の 歴 史 を 考 え る と、 「 親 指 Pの修業時代」が書かれた時期(一九九一年〜九三年)と、セク シュアル・マイノリティの抱える問題が可視化し始めた時期はほ ぼ重なっていると言ってよいだろう。   現 在 で は、 セ ク シ ュ ア リ テ ィ は、 そ の 人 を 支 え る 文 化 や 歴 史 の ほ か、 そ の 人 を 取 り 巻 く さ ま ざ ま な 関 係 や 人 格 ま で を も 包 括 し た、 〈 性 〉 を 核 と し た 個 人 に 関 わ る す べ て の 事 象 を 表 し て い

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る。 具 体 的 に 二 〇 〇 六 年 に W H O が 提 唱 し た 定 義 で は、 「 生 涯 を 通 じ て 人 間 の 存 在 に お い て 中 心 的 な 事 柄 で あ り セ ッ ク ス( 性 別 / 性 交 )、 ジ ェ ン ダ ー・ ア イ デ ン テ ィ テ ィ、 性 別 役 割、 性 的 指 向、 エ ロ テ ィ シ ズ ム、 快 楽、 親 密 さ、 生 殖 を 包 含 す る 」 と さ れ る。 一 九 六 四 年 に セ ク シ ュ ア リ テ ィ と い う 言 葉 が 誕 生 し た 後、 一九九九年の「性の権利宣言」や二〇〇六年にWHOが提唱した 定義等により、年代を経るにつれ、言葉の定義する内容はより具 体的かつ細分化してきていることがわかる。このことから、セク シュアリティの多様性が徐々にだが一般社会においても認められ るようになってきたことが見て取れる。

  また、セクシュアリティは、大きく三つの要素― 「生物学的性」 「 性 自 認 」「 性 的 指 向 」 ― か ら 捉 え る こ と が で き る。 ①「 生 物 学 的 性」とは生まれ持った身体の性別を、②「性自認」とは自分の精 神的性別を、③「性的指向」とはどの性に恋愛感情や性的欲求を 抱くかを示す。この三要素について、もう少し詳しく述べたい。 【性を構成する三要 素

注注

①身体の性

  生 物 学 的 な 性(

sex

) と い わ れ る 部 分。 男 性、 女 性 の 他 に イ ン ターセックス(疾患名は性分化疾患)がある。インターセックス は自然界においては一般的に見られることであり、百人に一人の 割合で形体的に何らかの「異常」があり、二千人に一人の割合で その子供の性が決定できないようなケースがあるとされている。

②心の性

  性自認(

gender identity

)といわれる部分。性自認とは、自分 は男性である、女性であるという自己認識のことで、一般的には 身体の性と一致している。身体の性と心の性が一致せず、違和感 を感じる状態をトランスジェンダー(疾患名は性同一性障害)と いう。性自認は必ずしも男女に二分できるものではなく、 「男性」 「 女 性 」「 ど ち ら で も な い( 無 性 )」「 ど ち ら で も あ る( 両 性 )」「 時 により変化する(不定性) 」などさまざまである。

③性的欲望の対象

  性 的 指 向 (

sexual orientation

) は 性 欲 や 恋 愛 の 方 向 を 示 す 概 念 である。性的指向が異性に向けられる場合は異性愛者(ヘテロセ ク シ ュ ア ル )、 同 性 に 向 け ら れ る 場 合 は 同 性 愛 者( ホ モ セ ク シ ュ ア ル )、 男 女 両 方 に 向 け ら れ る 場 合 は 両 性 愛 者( バ イ セ ク シ ュ ア ル)と表現される。この他にも、いかなる他者も恋愛や性愛の対 象とならない無性愛者(アセクシュアル)や性別に関わらず恋愛 感情や性的欲求を抱く全性愛者(パンセクシュアル)といった性 的指向も存在している。

  ここまで、セクシュアリティをめぐる言葉について述べてきた

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が、 こ の 他 に も 性 自 認 や 性 的 指 向 は マ ジ ョ リ テ ィ に 属 す る も の の、 異 性 装 を 好 む ト ラ ン ス ヴ ェ ス タ イ ト と い っ た 人 々 も 存 在 す る。セクシュアリティとは実に、個人個人によって多様なあらわ れ方をするものなのである。

三、複数との恋愛、性的関係

関係性を築いているのかを明らかにしたい。 は、彼らがそれぞれどのような行動をとり、どのように他者との 係を持つ晴彦、チサト、春志という人物たちが登場する。本節で   「 親 指 P の 修 業 時 代 」 に は 複 数 の 相 手 と 同 時 期 に 恋 愛・ 性 的 関   岩合晴彦は、自身の性的指向を性別では規定していない。しか し、性的な関係を持つ相手に対して「強烈な憎しみ」を抱いてい ることを告白している。

「 一 夫 一 婦 制 に は そ れ な り の 合 理 性 が あ る と は 思 う け ど さ。 俺 が 世 界 で い ち ば ん い い 男 っ て い う 自 信 が 持 て る な ら 女 に 堂々と他の男とは寝るなって言えるけれど、俺よりいい男が 世 の 中 に は ご ま ん と い る と わ か っ て た ら さ、 浮 気 は す る な、 俺で我慢しろとは言えないよ。 」   晴彦は性的関係を持つ相手に対して一対一の関係を望むことが 出来ない。その根本には、自分自身への不信感があると考えられ る。 晴 彦 は「 本 当 は 人 を 信 じ た く て た ま ら な い 」、 つ ま り、 心 の 深い部分で他者と信頼関係を結びたいと考えている。にも関わら ず、彼が他者との関係を破綻させかねないような暴力や、性器結 合に類する身体接触にこだわるのは、そうした行為が愛情や恋愛 という目に見えない不確かなものを彼なりに確かなものとして感 じるための唯一の手段だったからである。そして、相手を憎しみ つつも絶えずさまざまな他者と性的な関係を結び続けるのは、そ の関係のあることが、彼にとっては自分の男性としての優位性を 保持し、傷ついた自己愛を回復させてくれるものだったからであ る。晴彦が他者へ抱く「強烈な憎しみ」の根源は、他者への不信 感 で あ る と 同 時 に、 自 分 自 身 へ の 不 信 感 で も あ っ た の で は な い か。   江口チサトは「男性」から性的に「遊ぶ」という目的以外で興 味を持たれにくく、性的な接触だけを求められているかのように 見える人物である。だとすると、彼女は相手の性的な部分=「男 性器」の欲求だけを満たす部分的な存在としてしか認められてい ないと言うことになろう。しかし、チサトは、外見で評価される

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こ と や、 性 的 欲 望 の 対 象 と さ れ る こ と を、 自 分 に 対 す る「 男 性 」 からの全体的な評価と受け取り、自己のあり方を肯定しようとし ているようだ。チサトが盲目の春志に対してさえも自身の顔を触 ら せ、 「 美 人 」 で あ る こ と を 確 認 し よ う と す る こ と か ら も、 他 者 からの評価によって、自分の価値を見出そうとしている様が読み 取れる。

  犬童春志は盲目の青年作曲家である。そのため、視覚が支配す る性に関する文化規範の影響を受けてはおらず、性行為を「仲良 くなる」ための自然な身体接触と捉えている。また、彼は相手の 性別もにもこだわりを持たない。

  春志の話は衝撃的だった。性欲など持ち合わせていないの で は な い か と 思 わ せ る と こ ろ の あ る 春 志 が 実 は 経 験 が 豊 か だったとか、彼が男とも性行為をするとかいった点はまあい い。衝撃的なのは、少なからぬ人々が持続的な愛情もなしに ま だ 少 年 の 春 志 の 身 体 を 弄 ん だ ら し い こ と、 春 志 の 方 は 弄 ばれたとは夢にも思わず仲よくなれたと喜んでいたらしいこ と、その結果春志は人と仲よくするイコール性行為を行うこ とと素朴に信じるようになったことである。   春志は先述したように性行為を他者と「仲よくなる」ためのご く自然な行為と理解しているため、性行為を断ることはその相手 の人格を否定することにも繋がると考えている。彼は最終的に眼 が見えるようになるのだが、そのことの意味は何か。自身の裸体 や性行為を他者から見られた時でさえ恥ずかしいという気持ちを 理解できなかった彼が、個人意識に目覚めると共に、性に対する 考えや感じ方が個人個人で異なるという視点を得たということで あろう。   本作において、複数の登場人物たちの性に関わる特徴的なあり 方が表出されてゆくにしたがって、性というものが単にその人の あり方だけの問題ではなく、他者との関係をどう捉えるかという 関係観にまで影響を及ぼすものだということが明らかになってゆ くのである。

四、セクシュアリティの自己決定

強い自己決定をしている綾瀬政美について考察していく。 が登場するが、この節では特に自身のセクシュアリティについて   「 親 指 P の 修 業 時 代 」 に は 多 く の セ ク シ ュ ア ル・ マ イ ノ リ テ ィ

  綾瀬政美は〈フラワー・ショー〉という性の見世物一座のメン

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バ ー で あ り、

MtF

で あ る。 女 性 を 自 認 す る 政 美 は、 一 実 と 出 会 う ま で 男 性 の み を 好 き で あ る か の よ う な 演 技( 異 性 愛 者 の ふ り ) をせざるをえなかった人物である。なぜなら、異性愛社会におい て周囲から一方的に押し付けられてきた性規範を受容し、それに のっとった性別役割を生きざるを得なかったからである。

  だが、政美は一実と接点が増えるにつれ「女として女を愛した い」ことや、性別適合手術をしたものの自身は完全な女性ではな いことなどを語るようになってゆく。

  し か し、 「 女 と し て 女 を 愛 し た い 」 に も 関 わ ら ず、 政 美 は 自 身 の容姿や服装を一目で女性と分かるように見せようとはしていな い。初対面の一実が政美に対して持った印象も「長い髪を真紅の ブレザーの肩に豊かに垂らし、ブレザーと同色の口紅をつけてい る」が「骨格や顔のつくりの大まかさから男と一眼で察せられ」 、 「 ス カ ー ト を 穿 い て い る で も な い し、 彼 自 身 は 自 分 を 女 に 見 せ た がっているのかどうか」というものである。また、政美は膣は成 形するがクリトリスは作らず、性器の面でも一般的な女性とは異 なる特徴をあえて保ち続けている。これらのことから、政美が考 えている「女」というものが容姿や身体上の女性ジェンダーだけ を意味しているのではないことが分かる。政美は男女双方の特徴 を持つ身体のあり方を示すことによって、既成の「異性愛者・女 性」の枠組みに収まりきらない独自のセクシュアリティが存在す る こ と を 主 張 し て い た の だ と 考 え ら れ る。 〈 フ ラ ワ ー・ シ ョ ー〉 の見世物の中で自身の性器を他者に曝す政美は、性器が個人の性 を固定し、ひいては性別役割という社会的枠組みを強固にしてゆ くということを強く意識していたのではないか。性器によって自 分という存在が二分法のどちらか一方として規定されるというこ と、それが政美にとっては苦しみであったのだと考えられる。政 美は自身のペニスを切り取り、あえて不完全な女性器のままで生 きることで、性器が表す性別から自由な存在として自身を表現し ようとした。それによって、従来の男根中心主義を批判している のだと言えよう。

五、 と「

  本節では親指Pを得た前後の一実の変化に着目しつつ、一実が どのようなセクシュアリティを持つ人物として書かれているかを 正夫、春志、映子、遥子との関わりにおいて考察する。最終的に は人間関係を築くにあたって相手を取捨選択することの無かった 一実が、選ばれた相手との「特別な関係」について考えていくよ うになる過程を明らかにしたい。

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  小 宮 正 夫 は 一 実 の 婚 約 者 で あ っ た。 「 男 に 好 意 を 抱 い て 恋 人 に なったら結婚して死ぬまでともに過ごすのが自然だ」と語ってい た一実にとって、正夫は自身の人生に欠かすことのできない生涯 のパートナーであった。

  そんな二人の関係は、遥子が亡くなり、一実に親指Pが出現し たことにより変化する。一実は正夫との関係を継続することに疑 問を抱くようになるのである。また、同時に親指Pの出現は正夫 の残酷さを浮き彫りにしていく。その残酷さとは、正夫が男性優 位的、男根中心主義 的

注注

な思想を持ち、一実のことを個人ではなく 「女性」としてしか好んでいなかったということである。

  正夫は親指Pを持つ一実を罵倒し、復縁した後は親指Pに対し 他の男性へ向けるのに近い対抗心を抱くようになる。これは、女 性である一実が男性である正夫と対等、あるいはそれ以上の立場 になることを危惧していることの表れである。正夫が、ペニスを 「 無 様 」「 醜 い 」「 不 愉 快 」「 汚 い 」 と い う ネ ガ テ ィ ブ な 言 葉 で 語 り ながら、それを一実の口に含ませることに違和感を持っていない ことの残酷さに、一実は気付いてゆく。正夫の「汚い物なのに口 に含んでもらえるから、愛されていると感じる」 、「女は本当に男 を好きじゃなければ口に含んだりしない」という言葉は、汚い物 を女に受容させることで歓びを感じるという男性優位的思考を潜 在させている。   正夫が親指Pを切り落とそうとしたことをきっかけに、ついに 一実と正夫の関係は修復不可能なものとなる。そして正夫から逃 げた先で、春志が一実を助け親指Pを受容した時、正夫は益々遠 い存在になっていく。   犬童春志は、正夫の次に一実の婚約者となる人物である。春志 は正夫の住むアパートの隣家の別棟に住んでいるので、一実と春 志は以前からお互いを音楽や声で聞き知っており、一実はあまり 警戒心を持たずに春志の部屋へと招き入れられるのである。   盲目の春志は、情報収集に聴覚や触覚を多く用いる。特に聴覚 は、作曲家である春志にとって重要な役割を持つ。

「 女 の 人 の 声 を 聞 く と 耳 を く す ぐ ら れ る み た い で、 と っ て も 気持ちがいいんだけど、君の声は特別いいな。耳の中が綿飴 で い っ ぱ い に な る よ う な 気 が し て、 ず っ と 聞 い て い た く な る。 」

  ここで着目したいのは、春志は一実の声によって特別「気持ち が い い 」 状 態 に な る こ と が で き る と い う こ と だ。 先 述 の よ う に、 春志にとって聴覚は五感の中でも最も重要な感覚である。春志は

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一実の姿を見る事は出来ないが、初対面の時からその最重要感覚 を通じて一実の声に惹かれ、好意を持っていたのである。

  春志が一実の声を比喩的に述べるシーンがもう一箇所ある。

「 気 に 入 っ た。 ミ ン ト・ シ ャ ー ベ ッ ト み た い な 声 だ っ た。 もっといろんな声が出せるんだろうね。聞いてみたいな。 」

  一実の声を「綿飴」や「ミント・シャーベット」のようなお菓 子に例えることからも、春志が一実に対して甘く可愛らしい印象 を持っていることが分かる。また、一実のほうも春志の声を「変 声 期 前 の 少 年 の よ う な 甘 く て 優 し い 声 」 と 語 っ て い る。 春 志 の 「 心 地 い い 声 」 に「 何 や ら 耳 が く す ぐ っ た く な っ て 」 く る 一 実 の 様子からは、春志が一実に抱くのと似た好意がうかがえる。

  性別を問わず誰とでも無邪気に性行為を行う春志に動揺する一 実だが、二人がより深い関係を築くうえで重要な役割を果たした のは親指Pであった。正夫とのパートナー関係を破綻させていっ た親指Pだが、春志は勃起したそれを躊躇なく口に含む。

たった一度の春志の親指ペニスへのフェラチオによって、正 夫と分かち合った愉しみはすべて取るに足らないものとしか 感じられなくなってしまった。

  親指Pを自身の体の大切な部分として認識するようになった一 実にとって、親指Pを受容・肯定されることは自身を肯定される ことと同じ意味を持つ。

  春志に特別な感情を抱くまで人間関係を取捨選択することがな か っ た 一 実 だ が、 初 め て 誰 か を 特 別 な 存 在 と し て 選 ぶ こ と に な り、その恐怖を覚える。それは、選ぶためには何かを捨てなけれ ばならず、また、お互いが選んだ特別な相手であっても、関係が 永続するとは限らないと思い至るからである。そして、一実はか つて彼女の好意の示し方に満足しなかった遥子や正夫が求めてい たものが、まさにその「特別な関係」であったと気付くようにな る。

  一 実 が、 「 特 別 な 関 係 」 が 取 捨 選 択 か ら 成 り 立 つ こ と に 気 づ く ことは、この作品において重要な意味を持つ。それは、一実の性 的アイデンティティである親指Pをもたらしたと推測される遥子 が、 「 選 ぶ こ と を と て も 大 切 に し て い た 」 こ と と 関 連 し て い る。 だが、このことについては後述したい。

  さて、一実はもう一方で水尾映子と同性愛関係を結び、そのこ と を 通 し て 初 め て、 自 ら の 性 的 指 向 に 同 性 も 含 ま れ る こ と を 知

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る。また、一実は親指Pが出来た当初、親指Pを他者に挿入する 事に強い抵抗感を抱いていた。その抵抗感をも崩すこととなった 映子は、性的指向に限らず一実の身体性に関する価値観にも大き な影響を与えた人物だと言えるだろう。

  一 実 は 春 志 と 婚 約 し た 後 に、 〈 フ ラ ワ ー・ シ ョ ー〉 に 関 わ る よ うになる。そこで出会うのが映子である。映子には 当初 保という パートナーがいた。保は自身のペニスの大部分が体に埋もれてお り、思うように性器結合ができないために、映子は彼から八つ当 たりをされることがあった。そのような保と映子のいびつな関係 のあり方を目の当たりにしつつ、一実は二人と徐々に親しくなっ てゆく。

  一実にとって転機となったのは、春志、映子、保と共に入った 露天風呂での出来事である。一実は保にうながされる形で親指P を 委 ね、 後 か ら 風 呂 に 入 っ て き た 映 子 に も 親 指 P を 触 れ ら れ る。 その際、親指Pを通して一実は快感を得る。一実はその快感を必 死で忘れようとするが叶わず、後に自慰を行った際に浮かんだの も映子による親指Pへの愛撫のイメージだった。

私は同性愛の素質はなかったはずだ。それなのに、どうして 同性の手に快楽のイメージを託したのだろう。映子の姿を思 い浮かべてみる。映子の裸体も見馴れているから思い浮かべ るのはたやすい。けれども、淡々とした印象しかない。安心 した。私は決して映子に性的関心を抱いていないのだ。とこ ろが、映子の手を思い浮かべてみたら、たちまち胸と右足の 先に酔心地が甦った。私は映子の手に欲情するのだろうか。

  この引用からは、この時点では一実が同性愛を倒錯的だと考え ていることがうかがえる。映子の裸体に性的関心を抱いていない 自身に安心するのは、異性愛以外を正常とは認めないという同性 愛嫌悪(ホモフォビア)が一実に内在しているからである。

  一実が同性愛への抵抗感を失っていくのは、まず映子による愛 撫 で 得 た 快 感、 次 に 夢 の 中 で 映 子 と 性 行 為 を 行 っ た 以 降 で あ る。 一実は映子と結びつく内に、自身のセクシュアリティを、自身で 新たに規定できるようになっていく。これは、セクシュアリティ やジェンダーにおいて既成の女性像を無批判に受容してきた一実 にとって、大きな変化である。

  自身の同性愛への可能性を自覚した頃、一実と春志は別れるこ と に な る。 「 特 別 な 関 係 」 に な っ た と 考 え て い た 春 志 か ら も 捨 て ら れ た 時、 一 実 は イ ン ポ テ ン ツ と な り、 〈 フ ラ ワ ー・ シ ョ ー〉 に 居場所を求めてゆく。しかし、ショーに出るためには親指Pの勃

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起能力が必要であり、親指Pを復調させるために保と映子が親指 Pに触れる。その結果、やはり映子からの接触のみに親指Pが強 く反応することが明らかになり、一実は「無闇に気持ちのよい存 在」としての映子を意識するようになる。二人は惹かれ合い、春 志や保を置いて駆け落ちする。

  一実はこうして同性愛嫌悪を払拭したことで、性行為における 性別役割からも自由になっていく。しかし、性器結合を性行為の 最終目標に据える映子と、接吻や抱き合うといった全身的な接触 に 重 き を 置 く 一 実 と で は、 性 行 為 に 求 め る も の が 異 な っ て お り、 二人の性的関係は次第に破綻していく。そして、二人は友人関係 へと落ち着いてゆくこととなる。

  彩 沢 遥 子 は 一 実 に と っ て 親 友 だ っ た 女 性 で あ る 。 遥 子 は 恋 愛 供 給 会 社 〈

LOVERSHIP

〉 を 立 ち 上 げ る 際 、「 簿 記 が で き る わ け で も な い し 、 何 の 役 に も た た な い 」 と 言 う 一 実 を あ え て 片 腕 とし て 雇 い 、 事 業 を 成 功 さ せ る 。 二 人 の 共 通 の 知 人 M は そ ん な二 人 の関 わ り を 、「 遥 子 の 一 実 へ の 思 い 入 れ と 一 実 の 無 垢 な 感 受 性 に よ っ て 成 り 立 つ 仲 」 だ と 称 す 。 こ こ で の 「 無 垢 な 感 受 性 」 と は 、 作 中 で は 特 に 、 他 者 や 社 会 か ら 与 え ら れ る ジ ェ ン ダ ーや セ クシ ュ ア リティ の 規 範 に 対 し て 全 く 疑 問 を 抱 い て い な い こ と を 表 す 。「 遥 子 の 一 実 へ の 思 い 入 れ と 一 実 の 無 垢 な 感 受 性 に よ っ て 成 り 立 つ 仲 」 と い う 表 現 は 、 一 実 が 遥 子 に 対 し て 特 別 な 思 い 入 れ を 抱 い て い な い と い う こ と を 示 す 。

  し た が っ て、 「 何 で も 話 を 聞 い て く れ る 誰 よ り も 気 心 の 知 れ た 親友」であるはずの遥子ですら、実は、一実が 「特別な関係」を 結ぶ相手として積極的に選んだ他者というわけ ではないのだ。そ れに対し、遥子は「選ばないでいる余裕がない」と語るほど選び 取ることを強く意識する人物である。そして、その遥子が与えら れ た 環 境 に 従 う の み の 一 実 を「 鈍 感 だ 」「 馬 鹿 だ 」 と 遠 慮 な く 罵 りながらも、自殺した自身の遺体の第一発見者に仕立てることか らは、遥子の一実に対する強い執着がうかがえる。派手好みの遥 子が薄化粧をし、普段身に着けないような清楚な白いドレス姿で 亡くなっていたことには、一実に深く自分の印象を残したい、一 実 に こ そ 自 分 の こ と を 理 解 し て も ら い た い と い う と い う 切 実 な 想 い が 表 れ て い る。 遥 子 の 四 十 九 日 の 翌 日 に 出 現 す る 親 指 P は、 「 身 体 に 刻 み 込 む 」 ほ ど 一 実 に 自 分 の 影 響 を 与 え た か っ た 遥 子 か らの贈り物であると言えよう。

  そして一実は、遥子が自殺した後にようやく彼女が「かけがえ のない友達」だったと強く意識するようになるのである。

  以 上 ま で で 一 実 が 正 夫、 春 志、 映 子 と 関 わ る 中 で、 「 特 別 な 関 係」について思いを馳せ、セクシュアリティも変化していく過程

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を考察してきた。親指Pの出現によって既成の性の規範から解放 されてからの一実は、作中の至る所で遥子に思いを馳せる。そし て、遥子が自身に恋愛感情を抱いていた可能性を肯定できるよう になってゆくのである。

  作品のエピローグで、一実と遥子の共通の友人であるMは、一 実に向かって遥子と親指Pを用いた性器結合をすることが可能か どうかを問いかける。すると一実は次のように答える。

「 で き ま せ ん。 同 性 愛 を 経 験 し た か ら と 言 っ て、 同 性 な ら 誰 とでも付き合えるようになったんじゃないんです。遥子とは めぐり合わせが悪くて、性的な好意を向けることができずに 終わりました。凄く口惜しいけど、その事実は変えられませ んよ。冷酷だと思いますか?」

  人を選ぶことのなかった一実が特定の人物との性交渉を「でき ません」と断言することは、一実が今後人間関係を取捨選択して ゆ く だ ろ う こ と を 示 唆 し て い る。 関 係 と は 個 別 的 な も の な の だ。 そして、人間関係で悩むことの多かった一実が「真野一実」とい う名前の通り「真実」の「特別な関係性」を築くまで、親指Pを 抱えた「修業」は続くことになるだろう。   真実の「特別な関係性」とは、必ずしも一対一の恋愛関係を指 すわけではない。既成の枠組みに囚われず、自らの意志と判断と で自己決定し、相手に求める関係性と、その基準も自らの力で築 きあげてゆくもののことを指すのだ。親指 Pは、一実にとって 自 分らしく生きていくという自己実現の萌芽だったのである。

六、おわりに

  このテクストは、親指Pを抱えた「修業」を通じて、一実が自 分自身や他者と向かい合ってゆく過程を描いたものである。

  日本近現代文学におけるセクシュアル・マイノリティ表象を捉 えたり、セクシュアリティの現状、言葉の定義を明らかにする中 で、論者は「セクシュアル・マイノリティ」とは一体誰を指すの かという疑問を持った。セクシュアリティは目に見えない。それ ゆえ、一見セクシュアル・マジョリティと見える人物も、ある場 面や状況においてはマイノリティとなり得る。反対に、セクシュ アル・マイノリティと定義されていたとしても、人間関係や環境 によってはマジョリティになることもある。様々な要素によって 構成されている私達をただ単に数の大小で判断することは意味を なさない。セクシュアル・マイノリティとマジョリティという考

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え方もまた、男女二分法と同様にセクシュアリティを両端に区別 してしまい、本来多様なはずの性のグラデーションを色褪せさせ てしまうだろう。

  セクシュアリティについて考えることは単に恋愛や性愛の問題 を扱うことに限らず、その人物の生き方や思考、人間関係の築き 方、自己認識や性的装いとその意味までをも解き明かしていくこ とに繋がる。性のあり方はその人そのものに深く結びついている のである。

  二〇一五年の調 査

注注

で、日本には人口比的に約七.六パーセント の セ ク シ ュ ア ル・ マ イ ノ リ テ ィ が 存 在 す る こ と が 明 ら か に な っ た。様々な調査やメディアによって可視化が進みつつあり、今後 日本文学においてもより身近なテーマとしてセクシュアリティが 取り上げられていくのではないだろうか。

  今回研究対象として取り上げた「親指Pの修業時代」は、 〈性〉 そのものの多様性を表現しながら、読者の〈性〉に関する規範に 揺さぶりをかけており、その意味で文学的にも社会的にも大きな 意味を持った作品なのである。

注 もある。 略である。セクシュアル・マイノリティの総称として使われること バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(性別違和)の LGBT注 とは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、

注  注 『仮面の告白』(河出書房一九四九年七月)

注  注 「改造」(改造社一九二八年三月)

注  注 「文學界」(文藝春秋一九五八年五月)

注  注 「大阪朝日新聞」(大阪朝日新聞社一九一一年一月)

注  注 春の晩』(新潮社一九一五年三月)

注  注 「少女画報」(東京社一九一六年七月)

注  注 『ノルウェイの森上・下』(講談社一九九九年四月)

注  注 『海辺のカフカ上・下』(新潮社二〇〇二年九月)

注 注0 「るるぶ」(新潮社一九九〇年一月)

注 注注  「サグラダ・ファミリア聖家族」(朝日新聞社一九九八年六月)

注 十一月、二〇〇一年十二月)。 二〇〇〇年十一月、二〇〇一年四月、二〇〇一年八月、二〇〇一年  愛関係や女性同性愛者が描かれている。初出は「小説新潮」(新潮社 雨」の五つの短編が収録されており、いずれも女性同士の恋愛、性 注注単行本の『花伽藍』には「鶴」「七夕」「花伽藍」「偽アマント」「燦 注 注注 「本」(講談社二〇〇三年十一月)

注注 「文藝」(河出書房新社一九九一年春季号〜一九九三年冬季号)

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注 注 性自認は女性であること。 注注MtFMale to Femaleは「」の略で、生まれ持った生物学的性は男性、

注  明石書店二〇〇六年十二月) ジョー・イーディ『セクシュアリティ基本用語事典』(金城克哉【訳】 二〇一四年九月)  だろう?―からだの性・こころの性・好きになる性』(合同出版 LGBT薬師実芳、笹原千奈未、古堂達也、小川奈津己『ってなん  女性学事典』(岩波書店二〇〇二年六月) 井上輝子、上野千鶴子、江原由美子、大沢真理、加納美紀代『岩波 月)  宮淑子『セクシュアリティ・スタディース』(新水社二〇一〇年十 注注【性を構成する三要素】を解釈するために以下の四作品を参考にした。 注 権力の象徴として特権が与えられるシステム。 源に据え、その考えを推し進めること。男根がセクシュアリティや イデオロギー・社会において男性的なものを権力や意味、価値の根  明石書店二〇〇六年十二月)によると男根中心主義とは、文化・ 注注ジョー・イーディ『セクシュアリティ基本用語事典』(金城克哉【訳】

release/注0注注/0注注注-00注0注注.html) 注注LGBT注0注注http://www.dentsu.co.jp/news/電通総研調査(

(こみや   ちほ   二〇一五年日文卒)

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