著者 岩城 晴貞
雑誌名 国立民族学博物館調査報告
巻 16
ページ 29‑55
発行年 2000‑10‑27
URL http://doi.org/10.15021/00002174
第1章
デザイナーからみた民博の展示技法
岩城 晴貞
1.民博事始め
国立民族学博:物館は、私個人として因縁浅からぬものがある。1970年民放連によ る「さよなら万博」に毎日放送のデザイナーの代表として参加し、持場がスイス館 広場であった。1973年4月に国立民族学研究博物館(仮称)の創設準備室が設置さ れ、翌年国立民族学博物館が創設されたが、その建物が建てられたのはスイス館の 隣接地であった。
私が民博の展示プランニングに本格的に係わったのは1975年である。しかし、設 立計画資料としてのパンフレット (『国立民族学研究博物館く仮称〉設立計画』)
(写真1)の制作を(株)トータルメディア開発研究所・研究開発本部で受けたのは 72年であった。従って、株式会社トータルメディアと民博との係わりは1972年から
ということになる。
当時、「民族学」とはそもそも何んそや? 創設準備室長の梅樟忠夫とは何者 か? 本格的に取り組む国立の博:物館のデザイン、設計とはどんなものか? 今だ から白状するが全く未知の世界であった。仲間のスタッフも大同小異であったであ ろう。無責任きわまりない話である。
時代は1973年のオイルショックの煽りで物価が急 上昇、トイレットパーパーの買い占め騒動、74年現 在の読売ジャイアンツの長島茂雄現役引退、,75年暴 走族の出現、沖縄海洋博開催、76年ジャンボ宝くじ 発売、ロッキード事件、ベトナム戦争終結と続く。
この状況の中で博物館市場はどうであったろうか?
1951(昭和26)年に博:物館法が施行され、地域社会
における文化財の教育的価値の進展が見られ、また 明治loO周年記念に向けて60年代より博物館建設ブー
ムが始動した。そして高度成長期の建設ラッシュと 写真l r国立民族学研究博物館〈仮称〉設立計画」
29
続く。その主な例として大阪市立博物館、京都府立総合資料館、長崎県立美術博物 館、北海道開拓記念館、青森県二郷土館、東北歴史資料館等々があげられる。
しかし、民博は国立であっても従来の文化庁所轄ではなく文部省・学術国際局の 所轄であり、大学共i司利川機関として位置づけられている。また、その対象が従来 の日本の地域文化ではなく、世界の民族文化とする全く新しいスタイルの研究博物 館である。前述した 未知の世界 という思いは決してオーバーなものではなく、
大変なプロジェクトに参画する不安と期待で血がさわいだ興奮を今でも鮮明に憶え ている。梅丘忠夫先生の『文明の生態史観』はもとより文化人類学、民族学、民俗 学、博物館学の入門編、あげくはレビー・ストロースの構造主義に目は通したもの の『論語』読みの『論語』知らずで、ただただ研究者に必死で食らいつき、プラン ニングに遭進していた。
一方、プロジェクトの推進体制は、全く半端でない本気の構造が館長以下しっか りと組まれていた。各委員会には超一流のメンバーが委員長、委員、専門委員とし て配置され、相互に連携を取る仕組みで推進フローが示されている(図1)。このよ
うな背景で私は民博の展示プロジェクトに係わり、その後も引き続き1979年3月
「東アジア(日本、文化)展示の拡充く日本の祭りと芸能、くらしと工芸、船と漁 具〉、「新着資料コーナー展示」の開設。1979年11月「中央・北アジア、東アジア
(アイヌ文化)展示」。1983年11月「中央・北アジア、東アジア(中国地域の文化、
朝鮮半島の文化)展示」。1990年9月特別展「海を渡った明治の民具一モース・コレ クション展」と約7年間現場の展示プランナー、デザイナーとして係わらせていた だいた。それによって四半世紀をミュージアム三昧に過ごし、様々な勉強をさせて いただいたことはもとより、素晴らしい研究者・専門家・技術スタッフ等にめぐり 会えたことは誰にもまして幸運といわねばならない。
2.建築と展示
建築のコンセプト
まず、民博の展示デザイン業務の当初に戻る。われわれ展示スタッフが始動する 時には建築の基本設計が仕上がっていた。その為まず建築の基本思想、建築プラン の説明を聴かねばならない。ワークキング第一歩の勉強会である。
展示設計助言者
館 長
方 針 指 示
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管理部長
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図1 展示企画、運営組織フローチャート
①ラティスの構造
ラティスとは「格子」を意味し、民博では1250mmのモデュールのグリッドシス テムである。このシステムのもとに平面プラン、立面プランが設計され、単純かつ 明解な、そして柔軟性のある構成が可能となっている。黒川紀章氏はこのラティス の思想をこう言っている。「日本の建築が伝統的に持っているのはラティスの構造 だとおもうんですよ。ラティスというのは、どこが頭でどこが尻尾ということがな い。どこが枝でどこが幹かということもない。すべての線が同じ価値で存在してい るわけですね。つねに部分が全体になりうるという性格をもっている。しかも全体 がちゃんと構造をもっている。」(『民博誕生』梅悼忠夫編より)
②利休ねずみ
黒川氏はアルミパネルの色のこだわりとして「利休ねずみ」という。ここでも言 葉を拝借しよう。「利休ねずみというのは、『長闇堂の記』という著書があって、長 子堂は利休の弟子の茶人ですが、利休の一種の[伝書ですね。その中で利休が好ん だ色のことをかいている。そして墨染布子色という色を、利休ねずみとよんで世の 中でもてはやすようになったという記述がある。その利休ねずみという色は、たが いにあい矛盾する要素、たとえば赤と緑といった、はげしく対立する色を相殺して、
ダイナミックな平衡状態にした色です。ですから利休ねずみにはグリーンがかった もの、紫がかったもの、いろいろな種類の利休ねずみがある。その原型を「素ねず み」といいます。」「利休ねずみは、ただ色をいうだけでなく、じつはさまざまな、
矛盾するかにみえる要素の平衡的共有状態をいうのです。ラティスと同じことなん です。」(『民博誕生』梅悼忠夫編より)
たかが建築の壁体の色、ただのねずみ色と一笑に付するべきものでないことが理 解できる。デザインにはこの思い入れ、思想が全体に浸透しその質を決めていくこ
とになる。
③回遊式建築
「全体を回遊式にした。この回遊式というのがまた梅雨人類学と相通ずる考え方 です。つまり回遊ということは、視点が多いということですね。ヨーロッパは遠近 法なんです。一点で全体を見る。」「日本の絵巻物がそうでしょう。視点が移動する。
庭園計画がそうでしょう。回遊式庭園で視点がうごく。」(『民博誕生』梅鉢忠夫編
より)
以上、建築のコンセプトとして3本の柱が出された。「展示」というものは、建築 という容器(うつわ)の中に情報を語るくもの〉を主役としてどう空間編集するか の見せ方である。ここに「建築と展示」の一体的思想を貫かねばならない。
展示コンセプト
展示とは一?梅悼先生に登場していただこう。「展示とは物をならべるだけのも のではないということが基本的にある。展示とは人になにごとかの思想をわからせ るということである。」「展示学は一種の編集学、あるいは編集技術論だとわたしは おもうんですね。いかにすればひとつのことがらを公衆に理解させることができる か。そのアレンジメントの学問ですね。」(『民博誕生』梅樟忠夫編より)
展示は正にくもの〉を媒体として何らかのメッセージを伝えるコミュニケーショ ン技術である。それ故、〈もの〉がもつ意味、そして構成するシナリオを十分理解 せずして展示は成り立たない。同時にこれらのくもの〉を取り巻く床、壁、天 井、〈もの〉を取り付ける装置としての展示具、演出具、そしてより演出的に意図 する場合の照明、音響、映像等のいろいろなメディアの総合的技術に他ならない。
その上来句者にはわかり易く、美しくプレゼンテーションしなければならない。
①展示の三段階進化論の第三段階=構造展示
展示の三段階進化論は梅悼先生の考えである。まず最初の段階を宝物展示とし一 品ずつ感心・して鑑賞するスタイルで、各個バラバラに一つずつをショーケースに展 示する段階。尤もこれは展示というより陳列といった方が正解かも知れない。
第二段階を生態的展示とし、背景その他全部再現して、生けるが如きの展示に進 化する。これを体系的に展開したものをジオラマ・システムと呼んでいる。
第三段階目は構造展示であり、梅悼先生の言葉を拝借して説明しよう。「(前略)
できるだけ状況的でない展示をやりたい。ものとものとの構造的・機能的関連がわ かる、というようなものがやれないかという夢があったんですよ。これが第三段階 だと思うんですよ。」「わたしはこの博物館の仕事に取り掛かるにあたって考えたの は、イマジネーションの世界を作りたい、ということだった。ひとつひとつのもの が刺激源なんだ。その刺激を受けて、頭の中、心の中で人間の歴史、あるいは地球 上にさまざまな状況のもとに生きている人間の生活が、イマジネーションとしてで てくる。いろんなことを空想してもらえばいい。」(『民博誕生』梅樟忠夫編より)
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このような考えのもと梅悼先生は民博の展示にこの第三段階の構造展示を選択し
た。
②大阪万博の実例のもとに露出展示の決断
1970年大阪万博。建築、展示、催事、テクノロジーとどれをとっても刺激は大き く、興奮の連続であった。巨大な太陽の塔、内部は過去・地下展示、現在・地上展 示、未来・空中展示と分けられ、中でも地下展示のく根源の世界〉では岡本太郎氏
写真2 大阪万博 過去・地下展示「心の森」露出展示
決断で民博の展示に採用された。先の万博での世界民族資料調査収集団の団長でも あった梅樟先生の思いの継承でもあろう。ただ今度は博物館という容器(うつわ)
での展示であり、各民族の生活文化財として位置づけだれたくもの〉たちである。
さらにこれらの資料は国有財産であるともいえた。
当然の如く、ここに資料(文化財)の破壊、盗難といった問題が浮かび上がる。
結論的には梅樟先生が人間を性善説で捉え、来館者を信じることで露出展示が断行
された。
露出展示はくもの〉と直接対峙するという素晴らしいコミュニケーション手段で ある。直接くもの〉が語る迫力は言うまでもない。その上資料に触れることも可能 であり、触覚という感覚も導入した展示ともいえる。開館直後、視覚障害者、身体 障害者が招待された。その時の展示場の風景はわたしにとって予想だにしない光景 であり、驚愕の思いが鮮烈に残っている。
③グリッドシステムを展示の基本システムに
ある日、展示企画の専門委員でありブレーンでもあった粟津潔氏が碁盤の目状の システム展開らしきものを書き込んだ2〜3枚の紙を持ってこられた。展示の基本シ ステムはこの「グリッドシステム」でいこうということであった。これは先の建築 の作品をいかんなく発揮し、太古の 幻想的大パノラマ展示、そして世界 の民族資料を惜しげもなく露出展示 っで大々的に展開したく心の森〉
(写真2)は印象深い。ガラスケー ス等のバリヤーなしでの露出展示の すごさを改めて認識させられた。
この露出展示の手法が梅樟先生の
の「ラティスの構造」を受け、またドイツのベルリン・ダーレム博物館の展示シス テムを参考にしたものである(図2)。
グリッドシステムはシステマティックな展示可変装置として組み替えが自由で展 示構成を幾何学的に処理しやすく、誠に柔軟性のきいたシステムといえる。
展示においても部分が全体となり、全体が構造を持つという結果になっている。
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図2 ベルリン・ダーレム博物館の展示システム(C、D)
*スケッチは故幡野豊治郎氏(当時トータルメディア開発研究所開発研究部長)
④展示資料をひきたてる黒衣の展示装置
民族資料は形状、色彩、素材等誠に多種多様である。そしてこれらの資料が主役 であり、来館者にキッチリ対峙し、語りかけねばならない。その点でいうなれば正 に展示装置は演劇における舞台装置であり、決して役者を食っていけない。そのた め展示装置(展示具)は主張しない無機質な黒のグリッドパネル、展示のない上部 は建築意匠と同質のアルミパネルと決定する。あくまでも展示資料を主役とし、展 示装置は黒衣に徹する思想を貫いたものであった。ここでいう黒衣とは文楽(人形 浄瑠璃)のそれである。
この黒衣の展示装置はガラクタとも言える民族資料を見事に一つの見られる対象 物として豹変させている。現地で
の活きた道具(資料)とはまた別 の存在価値を主張させる効果は想 像以上に大きい。たとえば西アジ ア展示の展示台に置かれた牛車に はその最たるものがある。使い古 された車には牛糞や土らしきもの がこびりつき、普段なら誰も見向 きもしない代物といえるだろう。
それが見事に民族資料として鎮座 ましているのである(写真3)。
写真3 西アジア展示の牛車
総合プロデューサーとしての梅悼忠夫の存在
ミュージアム設計において優秀な建築家、優秀な展示(アート)ディレクターが いれば良いというものではない。前述から察せられるように梅悼忠夫初代館長を抜
きにしては語れない。館長の民族学の思想、ミュージアムの思想をベースにして、
黒川紀章氏の建築コンセプト、ラティスの構造、利休ねずみ、回遊式建築等が産ま れたといっても過言ではない。
また、展示に至っては館長自らがコンセプトを提示し、展示技術へとブレークダ ウンする一貫性がすべてを質の高いプランニングへと導いたと言える。梅割先生も 言っている。「アートディレクターがおったら展示ができるというものではない。
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アートに先立って、展示には理念というものがいるんですね。あるいは、それぞれ の展示コンセプトというか、シナリオというか、展示内容を概念としてしっかり組 み立てる仕事がいるんですね。」「研究と展示の…貫性ということをやかましくいっ ている。実際、今度の展示も、教官全員が出動して、各プロジェクトごとにトータ ルメディアの人と組んでチームを作っておこなった。」(『民博誕生』梅悼忠夫編よ
り)
幸せなことに、梅悼忠夫初代館長のもとに78年(昭和58年)1月「国立民族学博:
物館における建築と展示の統一」で第19回毎日芸術賞を受賞することになった。
このように博物館の計画において館長すなわち総合プロデューサーの存在の意味 は大きい。民博が誕生したその後、各行政等の博物館計画に影響を与えたことは間 違いない。しかし、現実の博物館づくりにおいて計画段階よりいまだに館長候補が 決まっているケースはほとんど皆無と言っていい。新聞でも常にその必要性が問わ れているが、たとえそれらしき人物が決まっていてもコンセプトを決めたり、プラ ンニングに参画することは全くない。大抵は推進責任者の事務官がイニシアティブ を取り、力ある学芸員ですら業務として処理されてしまう。事務官は常に上部の管 理職にお伺いを立てなければならないので最終的には知事、市長等といった首長に ジャッジを仰ぐ結果となる。それらの人物はプランニングをやっている現場のスタ ッフからは全く見えない存在であり、博物館づくりの張本人が実質的な総合プロデ ューサーにはなりえないのである。さらに担当事務官は日本の役人の典型的な仕組
写真4 オセアニア展示
みで平均3年毎に部署が変わる。最近のひどい所ではコンセプトからシナリオ、運 営方針までを展示業者につくらせることところが多くなってきている。私個人とし てはコンセプトからやりたい方であり、嫌いな仕事ではない。しかしこれでは当の 博物館がどんな目的で、どのような性格の施設でどういつだ人たちに利用してもら いたいのか、皆目見えないままのプランニングである。無責任極まりない話である。
20数年前の民博における梅悼館長は全く例外的な人物であったのか、今、本気で 考えなければ博物館をつくる意味がない。
建築が先か、展示が先か
最近の博物館づくりにおいて建築(竪物)が先か、展示(中身)が先かの問い合 わせが多い。民博の場合は館長自ら展示コンセプトをたて前述の如くの展示企画、
運営組織フローチャートに従い相互間を調整し、うまく行った例としてあげられる。
しかし、一般論として見た場合はどうであろうか。わたし自身は迷うことなく中 身から検討すべき問題と考える。まず建築、展示以前に博物館の性格づけを明確に する必要がある。性格づけとは、どんな博物館をつくりたいのか、ということであ り、研究主体の博物館、地域密着型の博物館、アミューズメント性の強い博物館 等々といろいろなバリエーションが考えられる。その性格づけによって館の諸施設 の機能分担にプライオリティが決まり、配置計画が検討されなければならない。ま た性格づけを決めるにあたり、該当する人材がいるのか、収蔵資料が十分あるのか、
連携すべき他施設があるのかどうかでも左右する。
また近年展示施設の概念が拡大視され、展示室以外に体験学習室、映像シアター、
情報センター、場合によればミュージアムショップ、交流の場といったサービス機 能の施設すら展示計画の範囲に入れることが多い。それ故、展示機能の諸施設の連 携、空間規模、空間仕様がソフトとの関連で建築計画、設計の与条件となる。特に 先端情報技術の導入はその設備が建築のインフラ計画を大きく左右する。
以上からいえるのは展示側から建築への与条件づくりが先行されなければならな いということである。これは構想から基本計画の段階である。この後建築の基本設 計がひかれる。その間展示側の業務は待ちではなく多くの業務がある。展示資料の チェック、収集が必要ならば収集計画、研究者、学芸員との展示構成、シナリオの 作成、空間イメージのエスキース案等、建築には見られない数多くの業務である。
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建築の基本設計が出来たとこ ろでソフトプランニングから 展示基本設計に入る。その後 両者の実施設計を詰める段階 で詳細仕様、特に設備関係を 確認し、ズレがないようしな ければならない(写真5)。
写真5建築1紬から展示を考える、自熱する会議。隔 整理すれば、展示先行で建
築への与条件を作成し、建築基本設計のドローイングが始まる。建築の平面図、展 開図ができた段階で展示基本設計が始まる。しかし今だにこの辺の行程の組み方が 整理されていない。まだまだ建築主導型で展示への理解は少ない。われわれの力不 足も一方で反省しなければならない。
3.展示プランニングの実践
能書きを言う前に実物資料を見ろ!!
展示プランナー、デザイナーはまず研究者の意見、地域文化、資料等についての 基本的な知識を教授してもらうために、事前に理解しうるだけの基礎勉強をしなけ ればならない。実はこれが曲者で、未知のものを知るがため、にわか勉強であれ俄 然面白くなり、のめり込んでいく。従って展示構成、展示シナリオはイメージの中 で理屈をこね、展示ストーリーづくりに花が咲く (図3)。
そこで川添登委員の一喝。「君たちは実物資料を見たんかね1資料も見ないで何 を言つとるか。計測、スケッチ、撮影をやってしっかり資料を把握しなさい1!」
早速調査班を組んで、大阪に飛んでもらう。厳冬の折り、ただ広い倉庫は冷えび えとし、スタッフは手袋の先を切って計測、スケッチの実施にとりかかる。
今から考えれば、資料見ずして本当のイマジネーションも出ないし、まずプラン ニングにリアリティがない。展示プランニングにおいて、資料カードの整備は大変 重要な要素である。そして、本来資料カードは研究者がつくっておくべきものであ る。形状(写真)、サイズは当然ながら資料の名称(現地名)、出所、使用目的、採 集日等も必要になる。展示のネームプレート、解説プレート作成の根拠となり、作 業の効率化が図られる(写真6)。
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図3 展示設計、製作スタッフ組織図(1975年当初、後変更)
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写真6 資料カード(例) 上:山見鬼の面、下:実盛人形
しかし、昨今の博物館づくりでは、収蔵資料がなくても堂々と計画が進められる。
プランニングの根拠がないだけに何とも不安であるが、一方で自由な展示構成、展 示シナリオを作ることができる。この場合、収集計画がたてられ、資料が集まって くる段階で改めてプランニングの手戻りが余儀なくさせられる。やはり本末転倒と いわねばならない。
±0.5mmの精度を要求した展示具開発
展示具(展示資料を取り付ける基礎となる壁面、ステージ、ケース等)は、前述 のグリッドシステムに基づき、パネルの取り替え、資料の展示替えを可能とする可 変システムである。
中でも展示資料が取り付けられるベースとなるパネルは、CP(サイトプラズマ
(細胞状)パネルの略称)と命名し、32mm角の立方体の集合面をもつアルミニウム 合金の押出型板(壁面用:552×552、ステージ用:592×592)として開発されたも のである。このCPが取り付けられるフレームとの誤差は、±0.5mmの精度が要求
されるという代物で、それ故、演長話(展示資料を直接取り付ける支持具)の取り
付けにおいても特定の工具を使い、簡単な作業とはならない難点があり、コスト高 でもある。
しかし、シンプルでシステマティックな可変パネルは、毅然たるものがあり、民 博の格調を決定づけている。正に展示資料が壁体より浮び上がり、個としての存在 を主張しつつ、構成群のメッセージをいかんなく発揮している。この展示具システ
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写真7 CPパネルと演示具
ムは構造展示の思想を反映させた、画期的なデザインではないだろうか(写真7)。
展示の美学
展示には流れとメリハリが必要と考える。これはソフトにおける展示シナリオ、
ハードにおける空間構成にあてはまる。展示シナリオは、来館者に対してのメッセ ージを混乱させてはならない。美術館と違い、所詮博物館で個々の情報を認識する ことは難しい。しかし、来館する以上、何かを自分のものとして持ち帰ってもらい たい。この大きなつかみみたいなものが、流れといっていい。
一方、空間においても同じことがいえる。流れとは、言い換えれば美しさに他な らない。あらゆる装備、展示資料のたたずまいが居心地良く納まっていなければな らない。その中での来館者は当然のごとくゆとりを感じ、美しさを享受することが できる。展示資料はもともと形状、素材、色彩等全くバラバラで存在する。デザイ ナーには、このバラバラのものを、いろいろ組み合わせて意味を伝え、美しいレイ アウトでの流れを作ることが要求される。
但し、展示シナリオにおいても、空間においてもだらだらと流れていればいいと いうものではない。規模が大きければ尚のことであり、空間の性格にもよるがやは 43
り観覧におけるリアリズム、刺激といったメリハリが必要である。
1979年の東アジア(日本、文化)展示の拡充に伴う「祭りと芸能」は、成功した 事例として自負している。空間全体を祭りの広場と想定し、個々のステージはその まま祭りの舞台に見立て、展示設計の基本ルールよりも倍の面積を、同じく騒騒も 上部空間を活用し、エネルギーと華やかさを展示資料群で生きつかせた。私は、基 本的に博物館の資料展示で 物量は質を凌駕する と思っている。ギリシアの国立 考古博物館の2階でのさまざまな壷の群展示を思い出す。
しかしこれとても、研究者とのカンカンガクガクの議論なくしては生まれない。
研究者が主張する意味的構成からのメッセージ、デザイナーはそれらをどのような 姿でプレゼンテーションするか。そしてくもの〉と来館者との問でどのようにコミ ュニケーションを図るか、極めて難しい課題である。梅悼先生がいう所の「研究と 展示の一貫性」はここにある。(図4〜6、写真8〜11)
群としてメッセージを発する展示 写真9 帽子、写真10 秤
写真8 東アジア(日本、文化)「祭りと芸能」
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図6 アフリカ展示のデザイン変更
写真11 アフリカ展示(完成)
4.クソリアリズムに徹した 生活再現民家模型
総合プロデューサー梅悼忠夫の一刀両断
生活再現民家模型とは、現存する対象民家をある日時を厳密に規定し、その時点 の現況をそっくりそのまま、環境条件を含めて再現する模型である。
一般に民家模型となると復元模型を指すが、民博においては 復元 か 現状保 存 かで、大激論が闘わされたと聴く。この時も、総合プロデューサーである梅悼 先生がただ一人、何十年かたてば民族学の貴重な資料となると、調査の時点を模型 化すべきであると主張された。その典型的なものが富山の合掌造りである。合掌造 りは養蚕農家の代表的なものであるが、当時は民宿を経営している姿になっていた。
しかし梅悼館長曰く「民宿でけっこう。」まさに鶴の一声である(図7)。
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図7 合掌づくり 模型制作図面より
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映画美術を駆使したクソリアリズム
同時にこの民家模型は、縮尺1/10である。普通住宅建築の図面は1/100で、特別 な詳細図でも1/20である。
縮尺1/10で、現状そのままを調査、製作することは並大抵のことではないし、建 物だけを調査すればいいというものではない。民家を含む敷地を対象に、民族学的 視点から生活再現を目的としている。建物まわりの民具はもとより、樹木や作物、
雑草にいたるまで、実測し、スケッチし、図面をかきおこしていくのである。屋根 の葺き方、縄の結び方等の技術をも克明に調べ.ヒげなければならない。1/10ゆえ、
材質感、肌ざわり、経年効果といったようなものまで写し取る必要がある。全くご まかしはきかないのである。(写真12〜13、図8〜9)
完成模型
写真12 朝鮮半島の文化・斉州島の民家調査より(1983年)
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写真13 調査作業風景(1983年)
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図9 調査時の図面(1983年)
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写真14 情量再構成展示(深川江戸資料館)
写真15 映像と原寸大模型の組み合わせ 展劇手法(窟宮歴史博物館)
製作においても、この徹底さは変わることがない。この徹底したクソリアリズム によりはじめて、その民家模型に生活の息吹を感じさせることができるのである。
これら調査側の図面を起こすにしても、模型を製作する側にしても、極めて芸術的 な要素を要求される。
これは映画美術の技術によく似ている。美術ロケハン、大道具製作である。柱、
壁等に貼り残した紙障、小舞竹、粘土の露出した土蔵の壁、手垢のついた把手まわ り、ふとした所に置かれてある植木鉢等々と生活感のかおりはこんな所から滲み出 てくるのである。
当時、トータルメディア開発研究所のスタッフの幹部数名は映画美術出身であり、
実は私もその端くれの一人であった。
5. これからの展示と新技術
展示技術の開発は、時代による新技術(マルチメディア、インターネット、3D 映像、バーチャル等)の導入もさることながら、映画、TV、舞台等他ジャンルの 美術技術の応用開発も考えられる。民博の後、原寸大模型の情景再構築展示(台東 区・下町風俗資料館、江東区・江戸深川資料館等)(写真14)、空間と時間を表現す べく映像と原寸大模型を組み合わせた下平手法(新潟県・世界石油の里博物館のク
リマシアター、三重県・斎宮歴史博物館の映像シアター等)(写真15)などの新し い技術が生まれた。
今後もこれからのコミュニケーションのあり方の中から新しい組み合わせの手 法、新技術の開発、そして導入を積極的に図る所存である。
参考文献 梅悼忠夫 1978
三遠恵子 1993
『民博誕生』中公新書
『レイテェル・カーソン その生涯』 かもがわブックレット57
55