岡田先生、志村先生、布川先生のこと (岡田万嗣志 村欣一布川玲子十菱駿武教授退職記念号)
著者名(日) 金子 大
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 71
ページ 3‑6
発行年 2013‑03‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000503/
岡 田 先 生
︑ 志 村 先 生 ︑ 布 川 先 生 の こ と
法学 科長
金 子 大
二〇 一二 年三 月を もっ て定 年退 職さ れた 岡田 万嗣 先生
︑志 村欣 一先 生︑ およ び布 川玲 子先 生と は︑ 私自 身約 二〇 年の 同僚 とし ての つき 合い があ った が︑ その 一端 を紹 介さ せて いた だき たい
︒ 岡田 先生
︑お よび 志村 先生 は︑ 退職 時に は法 学部 法学 科所 属で あっ たが
︑私 が着 任し た頃 は一 般教 育部 の所 属で あっ た︒ 当該 部署 は︑ 本学 の場 合従 来の 一般 教養 科目 担当 者か ら成 る学 部横 断的 な一 種の 会議 体で あっ たも のの
︑ 九〇 年代 中葉 に発 展的 に解 消し
︑そ の所 属教 員は 各学 部に 分属 する こと とな った
︒し かし 私に とっ ては この お二 人 の先 生と のつ き合 いは
︑同 学科 の同 僚と なる 以前 から あっ た︒ とい うの も︑ 私が 本学 に専 任教 員と して 着任 する 前 何年 間か 非常 勤教 員と して 出講 して おり
︑そ の頃 から のお つき 合い であ る︒ とい って も酒 の席 を共 にす ると いう か たち が主 であ った
︒す でに 本学 から 転出 した 別の 教員 を介 して
︑そ の頃 は金 曜日 の夜
︑ま ずは 焼き 鳥屋 から 飲み 会 が始 まっ た︒ そん な中 で︑ お二 人は つね に明 るく
︑つ ねに 陽気 で周 囲を 和ま せ︑ また 同時 に気 も遣 って いた
︒岡 田先 生は 甲高 い快 活な 笑い 声を 響か せな がら しか し気 配り をつ ねに 忘れ ず︑ 話も おも しろ く飲 み会 の主 役た る位 置づ けで もあ り つつ
︑他 方で テー ブル の上 を整 理し たり
︑周 りの 人に お酌 をし たり と︑ 大活 躍だ った こと を思 い出 す︒ 志村 先生 は
いつ もニ コニ コし なが ら議 論を する とい う印 象が あっ た︒ その 指摘 は的 を射 たも のが 多か った よう に記 憶し てい る︒ こう した 飲み 会の 経験 の中 から
︑私 自身 得た もの も多 かっ たよ うに 思う
︒し かも 参加 者が お二 人の よう に一 般教 育 部だ った り︑ 他学 部だ った りと いう のは
︑こ ちら 側と して も分 野違 いの 話を 聞く こと によ り大 学を 全体 的に 見る こ との でき る素 地を 養え たよ うに も思 え︑ また 実際 他学 部の 人と 話を する とい う方 が気 が楽 であ ると いう こと もあ っ たか もし れな い︒ この よう な飲 み会 の話 で︑ 岡田 先生 は父 親が 第二 次大 戦中 ルソ ン島
︵比 島︶ で戦 死し
︑母 親一 人で 育て られ たと のこ と︵ 陸軍 将校 だっ た私 の伯 父が
︑満 州の 吉林 省か ら南 方に 引抜 かれ て転 戦し
︑ル ソン 島で 終戦 を迎 えて 復員 し たこ とと 対蹠 的だ った ため に憶 えて いた
︶︑ 本学 に着 任す る前 に一 時的 に小 学校 の先 生を して いた とい うこ とを 記 憶し てい る︒ そし てこ の小 学校 での 経験 が後 の大 学に おけ る学 生指 導に もか なり の影 響を 及ぼ して いる とい うこ と を伺 った よう に思 う︒ 岡田 先生 は︑ 一見 厳し く怖 い先 生で ある とい う印 象が 強い が︑ しか し実 際は 学生 にと ても 慕 われ てい た︒ ソフ トボ ール 部を 中心 に学 生指 導を し︑ さら には 体育 関連 の講 義等 を担 当さ れて いた が︑ いつ も学 生 を温 かく 見守 って 指導 する とい うこ とで はな かっ たか
︒そ して この こと は先 の小 学校 での 経験 が強 く関 連し てい る ので はな いか と思 った
︒先 生が 学生 に非 常に 慕わ れて いる こと は︑ 最終 講義 に参 加さ せて いた だき
︑そ の様 子を 拝 見し て垣 間見 るこ とが でき たよ うに 思う
︒岡 田先 生か らは また
︑草 創期 にお ける 本学 の受 験生 募集 に関 する 苦労 話 も伺 った
︒大 学を とり 捲く 環境 に著 しく 厳し いも のが ある 昨今
︑こ うし た話 はわ れわ れと して 服膺 すべ きで あろ う︒ 志村 先生 は本 郷区
︵現 文京 区︶ 駒込 千駄 木町 の出 身だ とい うこ と︑ かつ て大 学受 験の 際に 浪人 を経 験し たと いう 話を 伺っ た記 憶が ある
︵同 様の 話は 最終 講義 でも 紹介 され てい た︶
︒浪 人と して 意気 銷沈 しな がら 図書 館へ 行く た
─ 4 ─
めに ある 小学 校の 前を 通り かか った とき
︵年 齢か ら察 すれ ば昭 和三
〇年 代後 半と 思わ れる
︶︑ 門の 中か ら子 ども の 元気 な明 るい 声が 響い てき たこ と︑ それ が原 動力 にな って 元気 が湧 き︑ この よう な明 るい 子ど もの 声を 存続 させ る には どう した らい いの かと いう 問題 意識 の下 に︑ 教育 学に 携わ るこ とに なっ たと
︑細 かい 部分 で精 確で ない かも し れな いが
︑こ のよ うに 記憶 して いる
︒そ して 本学 にお いて は教 職課 程の 取り まと め役 とし て︑ 教員 志望 の学 生の 指 導に 精励 され てき た︒ そし てそ のよ うな 学生 から の信 望は つね に厚 いも のが あっ た︒ こう して みる と︑ 岡田 先生 およ び志 村先 生の 共通 点を 敢え て探 れば
︑子 ども に関 わる 体験 があ るの では ない か︑ そし てそ れが いわ ゆる 原体 験の よう なか たち で人 生に 少な から ぬ影 響を 及ぼ して きた ので はな いか
︑と 拝察 され る︒ お二 人と も学 生に 対す る眼 差し は優 しか った よう に思 う︒ 布川 先生 は︑ どの よう な問 題に も真 摯に 向き 合い
︑つ ねに 批判 の精 神を 絶や さな かっ た︒ 私が 本学 に着 任し て間 もな くの 頃︑ 会話 の中 で私 の出 身大 学が その 批判 の対 象と なっ た記 憶が ある が︑ それ は法 学部 にお ける 教育 はい わ ゆる 実定 法の 解釈 論の みで は不 十分 であ ると いう 本人 の基 本的 見識 の現 れだ った と拝 察さ れる
︒ 布川 先生 は法 哲学 の専 攻で ある
︒法 哲学 の存 在意 義は
﹁社 会の 規範 秩序 たる 法の 根本 的な 特性
・理 念や 法学 の認 識論 的基 礎の 哲学 的反 省に より
︑実 定法 を批 判的 に吟 味す る﹂ こと と考 えら れる
︵日 本学 術会 議報 告︑
﹁大 学教 育 の分 野別 質保 証の ため の教 育課 程編 成上 の参 照基 準│ 法学 分野
﹂︑ 二〇 一二 年一 一月 三〇 日付
︑一 四頁
︶︒ 布川 先生 はこ の方 法論 を︑ あら ゆる 方面 に適 用し てい たの では なか った か︒ 自身 の学 問分 野︑ 社会 の諸 問題
︑そ して 所属 す る学 部学 科の 運営
︑こ うし た周 囲の あら ゆる 事柄 が︑ 本人 にと って 哲学 的思 惟に 基づ く批 判の 対象 だっ たの であ る︒ その 意味 でそ の態 度は 一貫 して いた
︒教 授会 の席 上で も︑ 問題 を見 出し たな らば 鋭い 批判 が遠 慮な く加 えら れた
︒
こう した 一貫 した 態度 は在 任中 私の 知る かぎ りで 変化 する こと はな かっ たの であ り︑ 著し い敬 意に 値す るも のと 思 われ る︒ 以上
︑三 人の 先生 に対 する 私の 印象 を思 いつ くま まに 綴っ てみ た︒ 三人 の多 年の 勤務 に対 する 深謝 の意 を表 する とと もに
︑今 後の ご活 躍と ご健 勝を お祈 りし つつ
︑ご 挨拶 と代 えさ せて いた だき たい
︒
─ 6 ─