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H.ジェイムズ The Wings of the Dove の悲劇性

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H.ジェイムズ The Wings of the Dove の悲劇性

著者 谷本 泰子

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 30

号 1

ページ 139‑153

発行年 1981‑11‑25

その他のタイトル On The Wings of the Dove as a Tragedy

URL http://hdl.handle.net/10105/2400

(2)

奈良教育大学紀要 第30巻 弟1号(人文・社会)昭和56年 Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 30, No. 1 (cult. & soc.) 1981

H.ジェイムズ The WingsoftheDoveの悲劇性

谷  本  泰  子 (奈良教育大学英米文学教室)

(昭和56年4月24日受理)

1悲劇としてのThe Wings of the Dove

ヘンリー・ジェイムズ後期三部作の一つ The Wings of the Dove (1902)は、若くして死ん だ従妹のミニー・テンプル(MinnyTemple)をモデルにした作品であり、ジェイムズ文学のさま ざまな特徴が微妙に隔合してユニ‑クな仕界を作りあげている忘れがたい名作である0 ‑見単純 な人物構成と筋の展開を示しながら、多様な読み方が可能である。純粋な悲劇・高尚なメロドラ マ・国際小説・社交小説・おとぎ話・神話等々の名称を与えることができるだろう。もう少し詳 しく説明すれば、次のようないく通りかの解釈が可能である。

① 余命いくぱくもない若い娘が「生きよう」と決意し、残されたわずかな時間の中でできる 限り人生の果実をもぎとろうとするが、その試みに挫折して死んでゆく。その肉体的崩壊と 魂の試練を措いている。

② ヨーロッパに出てきた病気の無垢なアメr)カ娘が、ヨーロッパ文明の裏にひそむ悪によっ て傷つけられ、肉体的・精神的な死に直面するが、相手を許すという最高の美徳を示して死 んでゆく。

③ 清らかな魂を持った少女が愛する青年と友人に裏切られるが、青年を許して遺産を残して 死んでゆく。彼女の精神的・天上的な愛が肉体的・世俗的愛に打ちかって最後の勝利を収める。

④ ニューヨ‑ク ーf[)ンセスと呼ばれる女主人公の死は、古き艮きアメリカの死を意味して いる。巨額な富そのものが自由と無垢な状態を保証するものでありえた古き艮きアメリカの 終蔦を意味している。

⑤ ロンドンの社交界の弱肉強食の世界を描いた社交小説であり、悲劇というよりもむしろ喜 劇的と思われる要素が強い。

ここにあげたいく通りかのテーマが交錯・融合して、 The Wings of the Dove の世界を構成し ているわけである。近年の研究者たちはそれぞれの視点から新たな問題を掘りおこして、テキス トを分析したり他の参考文献をかかげながら、各自のThe Wings of the Dove論を展開してい る。この作品がさまざまな解釈を受け入れるだけの深さと多様性を持ったすぐれた小説であるこ とを示す証拠であろう。

本稿では高度に専門的な特殊な問題は避けて、より一般的なテーマにそってThe Wings of the Doveを論じることにする。筆者は先にあげた五通りの解釈の中では(彰の解釈にもっとも深く共 感しているので、その解釈を中心テ‑マとして、 The Wings of the Dove の悲劇性という観点 から論じていく。作者がニューヨーク版への序文でも言明しているように、この作品が女主人公 の「魂の試練」を描いた小説であることに異論をはさむ者はいないだろう。 「悲劇」であるとい

うのも一般的な解釈ではあるが、この点については異論も出ているので、先ずこの問題から検討

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してみよう。

JacquesBarzunはH.ジェイムズをメロドラマ作家と呼び、悲劇とメロドラマの差を次のよ うに定義している。

Tragedy‑traditionallyimpliesaheroicfallundertheblowofafatedevil.What dowemakeoftheplays,andoftheevenmorenumerousnovelsandtales,which lackamagnanimousheroaswellasasenseofoverridingfate?Tragedycanonlybe asubclassundermelodramathehighestjustastheplaysoftheninetieswere thelowestandcheapest.(1)

Barzunの意見によれば、TheWingsoftheDoveの女主人公ミリ‑は悲劇の主人公としての

「人間的大きさ」を欠いている。それゆえ運命に直面した時の彼女の苦悩と死は「英雄的崩壊」

でない、ということになる。同じような意見として、F.O.Matthiessenは、「彼女の受動的な 苦悩は、悲劇の主役よりも相手役にふさわしいものである。オセロよりもデスデモーナの苦悩に 近い」(2)と言っている。

一方、TheWingsoftheDoveの喜劇性を指摘する研究者もいる。ConstanceRourkeは、

愛する人たちの裏切りを知った上で寛大な愛を失なわなかったミリ‑の行為は、悲劇ではなく喜 劇に属するものだと言い、両者の差を次のように定義している。

Incomedyreconcilementwithlifecomesatthepointwhentothetragicsenseonly

aninalienabledi仔erenceordissensionwithlifeappears.Recognitionisessentialfor theplayofaprofoundcomedy;barriersmustbedown;perhapsdefeatmustlieatits base.YettheoutcomeinthesenovelswasinaseJlsethetraditionaloutcome,fortri‑

umphwascomprisedinit,‥‥(3)

TheWingsoftheDoveの結末は「人生との調和と勝利」がもたらされているので、喜劇的で あって悲劇ではない、というのである。もう一つの意見として、ロンドン社交界におけるミリー の立場、特にミリー・ケイト・デンシャーの三角関係におけるミリ‑の立場を、「喜劇的である」

と考える研究者もいる(4)

「喜劇」「悲劇」「メロドラマ」等の用語は文学を論じる際一般によく用いられる。ある作品が そのいずれに属するかという問題は、その作品のどの点を強調するかによって研究者たちの認識 が少しずつ異なってくる。筆者はここにあげたいくつかの意見に基本的に異論があるわけでは ない。しかしながら、この作品のメロドラマ的要素・喜劇的要素を考慮に入れた上で、なおかつ TheWingeoftheDoveは「純粋な悲劇」と呼ぶのが一番ふさわしいというのが筆者の立場

であり、その立場に立って本稿を展開していく。本稿を通して筆者の立場の論拠を明らかにした いTheWingsoftheDoveには三人の主要人物が登場する.主人公のミリーと彼女の友人ケ

イト、それにケイトの恋人デンシャーである。そしてミリーの「生への願望と挫折」が中心テ‑

マである。本稿ではミリ‑とケイトの立場から作品の悲劇性をさぐるという方法をとることにす る。二人の娘にはさまれた青年デンシャーは、ある意味ではこの小説の核をなす人物であるが、

デンシヤーに関しては機会があれば別稿でとりあげて論じたいと考えている。

2ミリーの悲劇‑魂の試練

ギリシャ悲劇やシェイクスピア悲劇においてひき起こされる苦悩(舞台の上での殺人、拷問、

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H.ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 141

傷害などのような破壊的もしくは苦痛を与える性質の行為)を「行動の悲劇」と呼ぶなら、The WingsoftheDoveにみられる苦悩は「魂の悲劇」と名づけていいだろう。愛し愛されることで 生命を満たそうとしていた少女ミリーの魂が、苛酷な試練を受ける。恋人と思い友と信じていた 人たちの裏切りによって。この魂の悲劇に緊迫感と感動を与えるのは、近づいているミリーの死 と、それにもかかわらず、いやそれゆえにこそ、「生」を味わい尽そうとする彼女の自由な真剣 なひたむきな姿勢である。大まかに言えば、ミリーの悲劇は、無垢なアメリカ娘がケイトに代表 されるヨーロッパ的な悪に傷つけられたことより生じたものである。新大陸と旧大陸の対立、ア メリカ人が文明社会の裏にひそむ悪の犠牲になる。こういうパターンを持つ作品はジェイムズに は多いThePortraitofaLady(1881)と並んでTheWingsoftheDoveは正にその代表的

なものだと言える。しかし、イザベルにおけると同様、ミリーにおいても彼女の悲劇の真の原因 は、外的なものよりも彼女の存在そのものに見出せるのではないだろうか?メロドラマの場合と は異なり、真の悲劇においては苦悩の直接・間接の原因は主人公と深い関わり合いを持っている。

よくなされる方法であるが、ミリーについて述べる前に、H.ジェイムズの従妹のミニー・テ ンプルについて触れておきたい。24歳の若さで結核で死んだミニーは、ジェイムズ兄弟の青春の シンボルのような娘であり、またアメリカ人の宿命とも言える側面を持った少女であった。病気 のため一度もアメリカを去ることのなかったミr)‑もイギリスへの憧れは強かった。H.ジェイ ムズは自伝で次のように述べている。

‑ofclearoldEnglishstockonherfather'sside,hersenseforwhatwasEnglishin life‑soweusedtosimplifywasanintimatepartoflife,littlechanceasitenjoyed forhappyveri丘cation.(5)

父方の家系が古いイギリスの一族であったミリーは、「異郷のイギリスに一種の所有権を持って いると思っていた」という(6)

。イギリスに対するこういう気持は、当時のすべてのアメリカ人に

多かれ少なかれ共通したものであったろう。まだ文化的に成熟しきっていないアメリカ社会の母 体であるヨーロッパ社会に対する親近感と憧れ、より完成されたものを求めての魂の放浪は、H.

ジェイムズ自身の問題でもあった。

ミニーとイギリスの関係について、H.ジェイムズは兄(WilliamJames)に宛てた手紙(1870 年3月29目付)で次のようにも語っている。

ShewasabreathingprotestagainstEnglishgrossness,Englishcompromisesandcon‑

ventions‑aplantofpureAmericangrowth.Norethelesstho'Ihadadreamoftell‑

ingherofEnglandandofherimmenselyenjoyingmystories.<7)

「イギリスの低俗さ、イギリスの妥協と因襲に身を持って抗議しているような‑純粋にアメ リカ育ちの植物のような娘」ミニー、そのミニーがH.ジェイムズの語るイギリスの話に喜んで 耳を傾ける。そういう場面をジェイムズは夢みていたという。イギリス滞在中にミニーの死の知 らせに接してジェイムズが兄に宛てて書いた手紙の中のこのミニー像は、TheWingsofthe Doveの女主人公ミリーの姿と重なり合う。

「ニューヨーク・プリンセス」とストリンガム夫人が名づけたミリーが、夫人をせかせるよう にしてヨ‑ロッパに旅立った理由は何だったろうか?親兄弟を病で次々と失ない、莫大な財産 の最後の相続人としてニューヨーク社交界で女主人役をつとめていたミリーは、ボストン人の女 流作家ストリンガム夫人をお供に選び、落ちつかない様子でヨーロッパに向う。アルプスの目の くらむ崖の上に静かに腰をおろして地上の王国を見おろしていたミリーの心に、「人生」はどの

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ようなものとして映ったのだろうか?彼女がヨーロッパに求めていたのは「人々」 (thepeople) であった。彼女はそのためにはイギリスが一番いいと思う。この場合、ミリーにとって「人々」

とは特定の個人を意味しているのではない。ロンドンにやってきたミリーは、ストリンガム夫人 の昔の友人ローダー夫人の催す晩餐会の主賓として、 「人生」の渦にまきこまれ、これまで体験 したことのない興奮を覚える。特にローダー夫人の姪のケイトに強く心を引かれる。新しい冒険 の中でミリーの心に一瞬不安と恐怖が横切るが、自分の運命は「高速力で生きる」ことだと思い、

人生の奔流に身を任す。

ミリーがケイトに強く引きつけられ、二人の友情の可能性を信じたのは、ケイトの中にリアル な生命力を見出したからだ。第一段階では、 The Portrait ofa Ladyのマール夫人やオズモン

ドがイザベルに対して行なったように、ケイトがミリーに民をしかけたのではない。またミリ‑

は新しい友人たちをただ盲目的に賞賛しているのではない。イギリス人が非常に「リアル」であ る反面、心の動きをそのまま外に出さないことに気づく。その中で自分は「容易な」 (easy)存在 であることに満足している。ケイトはわずかではあるが、他のすばらしい要素に加えて「残忍 さ」を持っている。しかし、その中にかえって「野性的な美しさ」と「奇妙な優美さ」があると ミリーは考え、これはイギリス人特有の性質だろうと想像する。ミリーは自己に対しても周囲の 人たちに対しても道徳的な規制はしない。今のミリーは道徳よりももっと直接的な「生きる実 感」を求めている。このようなミリーを、ディジー・ミラー("DaisyMiller"1878)に代表され

:蝣!蝣ォ増

るアメリカ娘のように、 「無邪気」という言其だけで言い表わすのは不十分である。 ミl)‑は十 分に危険を予知していた。しかし、アメリカ人特有のイギリス‑の憧れとミリーの個人的な「人 生」 ‑の渇望ゆえに、彼女はあえてこの世界を選択したのだ。

ミリーは自分の病気がただならぬことを感じ、医師のルーク卿を訪問しようと心に決めた際、

ケイトに同行を頼んだ。ケイトは二人の共通の知人デンシャーのことをまったく口にしない。そ のことにこだわらざるを得なかったミリーは、こだわっていないふりをしようとしてケイトに助 力を求めたのだ。ミリーは彼女に「あなたはわたしを助けてくださるわね。わたしはあなたをこ んなに信じているんですもの」と言うが、心の中では次のように考えていた。

She (Milly) had wanted to prove to herself that she didn't horribly blame her (Kate)

for any reserve; and what better proof could there be than this quite special con6‑

dence? If she desired to show Kate that she rearlly believed the latter liked her, how would she show it than by asking her for help?t8)

ミリーはケイトの友情を信じているのだと自分にも納得させ、ケイトにもそれを示そうとする。

屈折した心の動きを「無邪気なアメリカ娘」という外見にくるんで、ミリ‑の方から積極的にケ イトとの信頼関係を作りあげていこうししている。

ミリ‑のこういう態度はルーク医師との関係、ついでデンシヤーとの関係においても見られるO

「あなたの今なすべきことは生きようとすることだけです。意志と選択で人生を生きていくこと だけを考えるのです」という医師の言葉をミリーは明るく受けとめ、これまでにもまして敢然と それを実行しようとする。しかし、ロンドンの貧しい通りを一人で歩きながら、死ぬかもしれな いからこそ、 「生きなさい、あなたにはそれができるのです」と言われたのだろうかと不安を感 じないではいられない。 「生きよう」という意志が肉体的な死を救うものではないことを、ミリ ーは百も承知している. 「生きようとすれば生きられる」(One can live if onewill.)よりも「生

きられるなら生きようとするだろう」(One will live if one can.)と弱気になりかけるが、すべて

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H.ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 143

をル‑ク医師にゆだねたという安心感と、医師の勧めた「偉大な冒険というすばらしい考え」を 両手に持ち、武装した兵士のようにロンドンの貧しい通りをつき進んで行く。

ミリ‑の美しい冒険は、デンシヤーを愛し、彼の愛を求めようとする形をとってあらわれる.

ミリーは最初からケイトとデンシヤーは以前からの知り合いであり、デンシヤーはケイトに恋を していることは知っていた。沈黙を保つケイトの様子から、二人が深い関係にあることを確信し ていたはずだ。しかし、国立美術館で思いがけず二人の恋人たちに出会った後、彼らの奇妙な沈 黙についてミリーは、 「デンシヤーはケイトに恋しているが、ケイトはただ気の毒に思い親切に

しているだけだ。それですべて説明がつく」と判断する。ケイトもデンシャーを愛しているのな ら、このすばらしい青年男女の間に彼女の入りこむ余地はない。それではミリ‑は困る。 「デン シヤーが何をしょうがすまいが、やっぱり彼のことが好き。それに変りはない」という気持を前 提にしてミリーは状況を判断し、あまりためらわずに「ケイトの方は愛していない」という間違 った判断をくだした。この点にケイトはつけこみ、後の悲劇をひき起こすことになるのだが、つ けこまれる要素がミリ‑の側にあったのだ。 「人生の冒険」に向って進んでいるミリ‑は、自ら のイルージョンを作り、それを通して現実を見ていたのだ。

その後、周囲の状況もミリーとデンシヤーの接近を促すことになる。デンシヤーの態度は終始 一貫して、 「アメリカで親切にしてくれたこのニュ‑∃‑ク娘に親切にするのは当り前のこと。

こんな少女を傷つけることはできない」というのであった。ミリーは恋をしている。しかし、デ ンシャ‑はただミリーを気の毒に思って親切にしているだけだ。彼女はその事実に頓着していな いようにふるまう。デンシヤーは「ケイトが僕を好きじゃないから、あなたは僕が好きだという なら、それは大間違いですよ。ケイトは僕のことをひどく好いているんだから」と叫びたい衝動 にかられる。彼は奇妙な立場に立たされるが、あえてミリーのイルージョンを打ち破らず、二人 のニューヨークでの親交を基盤にして、親切にミリーに接している。デンシャ‑との会見後、彼 女はストリンガム夫人に「わたしは生きています。ええ、生きていますとも・/」と言う。

このように自分の願望に対して実に率直にふるまう反面、ミリーは強いプライドを持っていた。

デンシャーを追いかけている様子は見せたくない。デンシャーとの関係をあまり個人的なものに して彼を困らせたくない。病のために涙を流しているのを人には見せたくない。特に自分が心を 引かれている人たちには‑‑‑このプライドが彼女を孤独にさせ、彼女の勇気ある自由な行動を淋

しいものにしている。後の彼女の悲劇により大きな悲哀を与えることになる。

一度ミリーはマーク卿にケイトとデンシャーの関係を匂わされるが、彼の方が間違っている、

と彼女は言い切る。ケイトはデンシャーを愛していないと自分にはっきり言った。その言葉に自 分は絶対の信頼を置くのだ、と言い切る。ケイトの言葉に固執することだけが、今のミリーのと るべき道であった。裏ではケイトの目ろみが徐々に進行していく。ケイトの言いつけ通りベニス に残り、ミリーの許に毎日通うデンシャーと彼女の関係は、当然より個人的なものになる。デン シャーはとまどいながらも今までの態度を続けていくだけだが、ミリーの側からすれば、自分の 恋人をかたわらに置いておくという深い喜びを感じる。ケイトの筋書通りに事は運行している。

しかし、デンシヤーのいつわらぬ感想は次の通りである。

Milly herself did everything‑so far as at least he was concerned‑Milly herself, and Milly's hospitality, and Milly's manner, and still more than anything else, Millys ima‑

gination, Mrs. Stringham and Sir Luke indeed a little aiding.(9>

ミリーとデンシャ‑の関係はミリーが作りあげたものであり、彼女の想像力を除けば無に等しい。

(7)

「生きようと思えば生きられる」と健気に言っているミリーに相づちを打ちながら、裏をかえせ ば、死をじっと見つめ、それに自ら気づいていないふりをするミリーの姿はこの上なく痛ましい、

とデンシャーは思う。この少女の生命が今や自分の手中にあるような気がして、ただ彼女に親切 にすることだけが必要なのだ、と彼は思う。

ミリ‑のこのイルージョンの中での幸福は三週間で終る。もう一人の金目当ての男マーク卿の 真実暴露によりケイトとデンシヤーの裏切りを知る。 「壁を向いてしまった」ミリー。 「魂の悲劇」

のクライマックスを読者はストリンガム夫人の言葉を通して知らされる。イル‑ジョンの階段を

‑歩一歩登ってきたミリーの魂は、一瞬のうちに突きおとされてしまう0 「愚者の天国」から醜 悪な現実の世界に。今まであえて考えまいとしていた肉体的な死がミリーに迫ってくる。死を背 おった少女が亡びる前に人生の果実をもぎとろうとした。そのために想像力で寛世を美しく変え ようとしたが、それは無理なことだった。本人としてもその無理を予感していただろう。しかし、

限られた状況下ではその予感に目をつぶり、勇敢に人生の美しい冒険へとつき進んでいくよりは か道はなかったのだろう。起こるペくして破局は起こったのである。

Matthiesen はミリーの苦悩を「オセロよりもデスデモチ‑の苦悩に近い」と言っているが (140ページ参照)、W. F. Wright はミリーの存在が果した積極的な役割を次のように説明して いる。

Though Milly has not been active, even in encouraging Densher's love, her very exist‑

ence has influenced and after her death, is to continue to influence, not only the action of Kate and Densher, but their very being.<10)

作者自身は序文の中で次のように解説している。

If her impulse to wrest from her shrinking hour still as much of the fruit of life as possible, if this longing can take effect only by the aid of others, their participation becomes their drama too‑that of their promoting her illuson, under her importunity, for reasons, for interests and advantage, from motives and points of view, of their own.111'

他の人々がミリーのドラマを作りあげたというより、ミリーのドラマが周囲に広がっていき、そ れぞれの動機を持つ人々を引きこんだのだ、と作者は言っている。たしかに裏切りによる苦悩が この小説の内容であるが、ミリーを単に被害者だと考えるのは、作品の意図するところではない と思う。

The Wings of the Doveはミリーに対する挽歌にすぎないのか、それとも「英雄的」とか

「偉大な」という形容詞をつけるにふさわしい悲劇なのだろうか?作者は序文で「生きる行為」

を描いたと言っているが、実際には女主人公は死にかけているではないか、と否定的に見ること もできるだろう.しかし、作者はミリーの死を文学作品の中で「生」の問題に高めているのだと 思う。実際には病のため最初から死にかけているミリーを、全く自由な人間のように描写し、自 分の意志によって何でもできる(生きることさえも)というイルージョンの中で彼女を行動させ ている。読者がこのミリーの「生」をどこまで共有しうるかによって、この作品に対する評価が 異なってくる。

ギルバート・マレーは、 「もし芸術が死から十分な芸術的価値と美をひさだそうとするならば、

死に立ちむかい直面するだけではなく、死のあらゆる恐怖にとりつかれつゝ、しかしその本拠に まで踏み込んで、何らかの意味において死を征服しなければならぬのである」(12)と述べている。

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H・ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 145

ミリーがイルージョンの中で「生きる」というのは、皮肉な見方をすれば、死を恐れ、現実を直 視するのを恐れている逃避的な態度だとも言える(もちろん作者はそういう見方はしていないが)0

しかし、ミリーは「壁に顔を向けてしまった」瞬間から、一人で黙ってじっと死を見つめ始める。

ミリーが真に偉大な悲劇の主人公になりうるのは、真実を認識した後、死と直面しながら、裏 切りによってひき起こされた魂の崩壊から立ちなおる過程を通してである。その過程について小 説では異体的な場面はまったく描かれておらず、デンシャーの回想とモード叔母の印象を通して 暗示されているだけである。しかし、ミリーの苦悩の深さと、その中で示した崇高さは、次の引 用文の中に十二分に示されている。

Milly had held with passion to her dream of a future, and she was separated from it, not shrieking indeed, but grimly, awfully silent, as one might imagine some noble young victim of the scaffold, in the French Revolution, separated, in the prison‑

cell, from some object clutched for resistance‥….And it was the front so presented

that had been, in Milly, heroic; presented with the highest heroism, Aunt Maud by this time knew, on the occasion of his taking leave of her. He had let her know,

absolutely for girl's glory, how he had been received on that occation with a positive effect‑since she was indeed so perfectly the princess that Mrs. Stringham always called

her‑of princely state.cl3)

最後の別れの場面ではじめて、デンシャーはミリーが偉大なプリンセスと呼ばれるにふさわしい 少女であることを認識し、深い感動を覚えたのである。

裏切りを知った上でデンシャーを許し彼に遺産を贈るというミリーの最後の行為は、これまで の彼女の生き方に積極的な意味を与えるだけではなく、この世に残っている二人の恋人たちの上 に決定的な影響を及ぼす。そして救済のない悲劇は、ミリ‑の上ではなくケイトの上にふりかか る。これもまた、ケイト自らが招いた結果である。彼女は真の悲劇の主人公になり得ないかもし れないが、かなりの点まで読者の同情を引きうる副主人公である。次にケイトの側からこの作品 の悲劇性を眺めてみよう。

3 ケイトの悲劇‑救済のない悲劇

The Wings of the Doveはミリーの物語であるO ケイトやデンシヤーのドラマもミリ‑とい う大きな船の沈没によりひき起こされたものだ、と作者は序文で述べている。この小説の構成を 問題にする際も、ミリーの物語としてバランスがとれているか否かが云々される。作者自身C・

Jones夫人宛の手紙(1902年10月23日付)で、 「この小説は中心が中央になく、終り近くにあ る。この本は体に対して頭が大きすぎる」(14)と語っている。この点についてMatthiessen は、

いや、それどころかケイトやデンシヤーを通して間接的にミリーを表わすことこそ、この小説の テーマにLさわしい手法であり、作者の自己批判は当っていない、と述べている(15)。作者自身、

あるいは多くの読者も、頭でっかちを多少気にしながらも、ミリ‑の悲劇としてのThe Wings of the Doveの文学的価値を高く評価している。

ここで筆者は少し見方を変えて、ケイトの描写が多すぎるという点についての妥当性を検討す るかわりに、できあがった作品を通して、ケイト自身を分析してみたい。ミリーを間接的に描写 する立役者としてだけではなく、個人としてのケイトに着眼することにより、 The Wingsofthe

(9)

Doveの悲劇性を立体的に眺めてみよう。重要なテーマが二つになり焦点がぼやけてしまう恐れ もあるが、二つの悲劇が緊密にからみ合い一つのドラマを構成しているので、立体的に検討する ことにより、 The Wings of the Doveの悲劇性がより明確になると思う。

まず、作品の第‑部・第二部を通して、ケイトの姿が読者に伝えられる。ミリーの登場以荊で あり、ケイトを措写する作者の筆は、主人公に対すると同様に丁寧で公平である。ケイトと父ク ロイ氏の会話を通して、彼女が置かれた環境がいかなるものか、読者は強く印象づけられる。「ね え、お前、かわいい娘や」 (my dear girl; my sweet child)と話しかける父のロから出てくる 利己的で恥知らずな言葉。空しいと知りながら、ケイトは娘として精一ばいの親愛の情を示そう と、微笑を失なわないまま応持していく。 「少女の疲れた微笑は、それがあたかも小さな奇怪な 実体でもあるかのように、父の言葉を見つめていた」という文章の中に、ケイトのやりきれない 気持が表われている。つづいてケイトは姉のマリアンを訪れて話し合う。そこで彼女が姉から要 求されたのは、貧しい男と結婚などせず、お金が入る道を選ぶように、ということであった。父

も姉も、ただケイトが金持の叔母の許に行って、そこから経済的援助をひき出すことだけを要求 している。しかしケイトは単なる環境の犠牲者ではない。当時の彼女の心境は次のように記され ている。 「彼女はここ数週間彼女を襲った不安と緊張を喜んでいたと言ってもいいくらいだ。母 の死、父の雲がくれ、姉の不幸など・‑‑」ケイトは弱気にはならない。不幸に対して挑戦的であ

るとも言える。

一方ケイトは非常な果実主義者でもある。卑俗だと認めている環境との妥協をなしとげているO

「叔母は破廉知で不道徳な人だ」と言いながらも、周囲の求めに応じて、いや多分に自らの意志 で叔母の許で暮らすことになる。叔母のお金はケイト自身にとっても大きなカである。そして、

「恋人のデンシャーとは結婚しないこと」という条件などにはしぼられずに彼と逢引を続ける.

お金とデンシャーの両方をわが物にする自信があるかのようにふるまう。ケイトの置かれている 環境があまりにも卑俗的なので、それに比べると、若い恋人たちの緊密な関係は読者の目には新 鮮で好ましいものとして写る。しかし、彼女の道徳意識の欠如は否定できない。 「彼女は自分を 美徳を装う偽善者とは思っていなかった。なぜなら自分のことはあきらめていたから」という文 章は、場合によっては不道徳なことをなし得る立場に自らを置いているケイトの心境を表わして

いる。こういう道徳的な欠陥がケイトの魅力を損なうかと言えば、そうではない。愛と栄光の二 つを手に入れることを夢みているケイトの姿は十分に読者の共感をさそう。

デンシヤーにはお金がないという決定的な欠陥にもかかわらず、ケイトは彼との結婚をためら ったことはない。しかし、障害を二人で乗りこえていこうというのではなく、待てば状況は都合 よく変化するだろうし、また、知恵と忍耐を持って叔母に対してうまく立ちまわろうとしている。

ケイトは残酷な言葉をロにする際も美しさを失なわない。恋するデンシヤーの欲目であるという より、彼女にはそれが可能なのだ。こういう点が後の悲劇へとつながるのだが、彼女は自分の内 部に存在する悪の危険性に気づいていなかったか、気づいていたとしても見くびっていた。真の 道徳意識を欠いているという点で、ケイトはH.ジェイムズの小説の主人公にはなり得ない人間 である。しかし、単なるメロドラマの敵役以上の要素を与えられており、彼女の美点と共存して いる悪、そのために後にひき起こされる自己破滅は、読者の心に強烈な印象を与える。 (批評家 や読者の中にも、 ミリー以上にケイトに強く引かれている者も少なくない。)ミリ‑がアメリカ 娘の代表であるのに対して、ケイトは旧大陸人だ。幼い頃からヨーロッパ各地の都市に暮らした 経験があり、そして今は、ロンドン娘の典型である。彼女は社会の代表であると同時に、ユニー

(10)

H.ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 ien

クな個人でもある。自分の内部に存在する悪を自分の意志でコントロールしていこうとする自信 ありげな生き方は、彼女の個性のスケールの大きさを示すものである.

物語の前半では、父と姉の不幸な重荷を背おっていることとは無関係に、ケイトがランカスタ ー・ゲイトの集りの中でいかに光栄ある地位についているかが描かれている。アメリカから来た ミリーは、ケイトの美しく卓越した個性に強烈な印象を受ける。ミリ‑は彼女に友情を求め、 「生 きたい」という願望を実現するために助力を乞う。ケイトもミリーの友情に応じようとする。し かし、ミリーのような少女と相対した場合、彼女は二人の異質性に気づかずにはいられない.偽 善者でも偽悪者でもないケイトは、一度率直にミリ‑に自分たち(ロンドン社交界の人間たち)

の持つ危険性について警告する。

You can do anything‑you can do, I mean, lots that we can't. You're an outsider, independent and standing by yourself : You re not hideously relative to tiers and tiers of others We are of no use to you. You'd be of use to us. My honest advice to you would be to drop us while you can.(16)

「わたしたちは何の役にも立たないでしょうから、今のうちにわたしたちを見捨てなさい」とケ イトに言われても、ミリーはケイトに対する評価を変えようとせず、 「鳩」の役割に甘んじて、

相変らず無防備な態度で接している(17)。やがてケイトはミリーのゆるぎない信頼と友情をかち 得たと確信する。ミリーの友情にもましてケイトのかち得た栄光は、デンシャ‑の賛美と恋であ る。彼女も彼の恋に十分に反応する。二人がこんなに愛し合っているから、美しい未来のために、

自分たちはできるだけのことをしなければならない、というのがケイトの理論である。

美しい友情と恋愛を基盤にケイトの企みが芽はえ始める。自分たちの未来のためにミリーのお 金を使おうというのだO一時的にミリーとデンシャーを結びつけるという非常手段を用いて。皮

肉なことに、目下のところ、この計画の持つ悪魔的な要素は、デンシヤーとケイトの関係をより 緊密にするのに役立っている。ケイトのロから恋している女性とは思われないような妥算的で利 己的な言葉がとび出しても、デンシヤーは彼女の自由な行為を信じることの喜びに感動する。ケ イトは彼に向って、自分たちの関係を破綻なく保っておくためにモード叔母さんに取り入ってお きなさい、と言う。ついで、 「ミリーはあなたに恋している。彼女もまたいい助けになるでしょ う。だからミリーにも近づいておきなさい。それに今では彼女はわたしのことを最愛の友と思っ ているので、それも利用しましょう」と言う。二人は公園や美術館でしか個人的な交際ができな い.恋するデンシャーには中途半ばな状態が耐えがたいものになる。彼がケイトに自分の部屋に 来ないかと最初に誘ったのは、彼女が彼にミリーの所に行くように示唆した時である。その時は ケイトにじっと呪まれて、彼は自分の提案をすぐ引っこめる。しかし、ケイトの計画と、二人の 肉体的結合の可能性は平行して進んでゆく。ケイトははっきり計画の内容を告げないまま、とま どっているデンシヤーを自分の思い通りの行動へ導いてゆく。当時のデンシャーにとって、ケイ

トは唯一絶対の卓越した女性だった。彼は次のように叫ぶ.

All women but you are stupid. How can I look at another? You're different and differenトand then you're different ‑ ‑..The women one meets‑what are they but

books one has already read? You're a whole library of the unknown, the uncut.(18)

お金はなくともケイトとデンシャーはこの段階では人生の本質的な豊かさの中で結ばれている。

その喜びの中にいるデンシャーを脅えさせるような提案を、ケイトは会うたびに持ち出している。

この状態をこわさないで欲しいと懇願する彼に美しくはは笑みながら、 「ただミリーに親切にし

(11)

てあげればいいのよ。あとは彼女にまかせておきなさい」とケイトは言う。それに対し、結局デ ンシヤーは「君の言う通りにする」と答えるよりはかないのである。ある時ケイトは、病気が悪 くて夕食に出て来られないミリーと自分たちを比較して、自分たちにはミリーの持つ「偉大なす はらしい美質」 (the great genial good)が欠けている、と嘆き、一方ミリーの方は二人の持つ この上ない健康やお互いに対する美しい愛情などを欠いている、と考える。 「偉大なすばらしい 美質」とは、ここではもっぱらミリーの財産を指している。二人はこの点では欠けているが、そ の他の点ではわれ目のない完壁な状態だ、とケイトは思う。彼女の目ろんでいる計画は、彼女の 望み通り「偉大なすばらしい美質」をもたらすかわりに、今は完蟹な状態にある二人の関係に致 命的なひびを割らせることになる、と彼女は考えなかったのだろうか? ここでケイトに欠けて いるのは、本当はお金ではなく、ミリーの持つあの清らかな魂ではないだろうか? もちろん、

ケイトはそのようなことには思いも及ばない。そこに彼女の悲劇がある。

ケイトのダイアポリカルな要素とまれに見る勇気が余すところなく示され、筆者にはもっとも 悲劇的と思われる場面は、ミリーの夜会の時である。彼女の豪華な真珠の首飾りをデンシャ‑と 一緒に賞賛した後、ケイトは言う。 「わたしたちは彼女のために一番いいことをしているのだわ。

彼女を生きたいという気にならせているのよ。今夜、彼女はきっとそう思ってるわ。すばらしい ことなのよ、美しいことなのよ」と。これが彼女の言い訳である。自分たちのしていることはミ リ‑のためにもなっている、というのである。そして、デンシャーの質問に答える会話を通して ケイトの意図が明確になる。ミリーは死にかけているから、デンシヤーは彼女と結婚し、お金を 自分のものにし、それから自由になってケイトと結ばれる‑何の悪事を働くのでもなく、「自然 にお金が手に入り、自然にわたしたちは自由になる」とケイトは言う。僕を愛しているのに、よ くそんなことが言えるね、と言うデンシャーに向って、ケイトは「わたしもしたいわけじゃない のよ。でもありがたいことに、わたしはいやなことでもできる人間よ」と言う。作者はケイトの この言葉の中に「英雄的なひびき」があったと述べている。デンシャーは少しためらってから、

もう一度ケイトに「ぼくの部屋に来るように。それを条件に君の言う通りにしよう」と言い、彼 女も「行くわ」と同意する。ミリーとデンシャーを結婚させる計画の最終的な合意と、二人の恋 人たちの肉体的結合の約束が同時に成立したのである。一方はケイトの提案で、一方はデンシャ

ーの要求で一一

ケイトたちがロンドンに帰った後、ケイトの命を受けたデンシヤーはベニスに三週間滞在しミ リ‑の許に通うO ケイトに忠実であるためには、できるだけ心の中から彼女を閉め出しておくの が彼の任務であった。ところが、再びイギリスに帰ったデンシヤーには変化が起こりかけている。

ロンドンについても、しばらくの問はケイトに連絡しない。以前、彼がアメリカから帰った時、

停車場で抱き合った二人とは何という相違であろう。しかし、その後久々に会ったケイトは、相 変らず、いや以前にもまして美しい。今度こそ本当に死にかけているミリーの話をデンシャーか ら聞いて、ケイトがひき出した結論は、 「わたしたちは成功したのよ。ミリーはただであなたを 愛することなどないわ」ということであった。ケイトの推論は正しい。しかし、肝心の二人の気 持の間に少しずつくいちがいが出てくる。これまでなら二人の気持に隙間があっても、デンシャ ーを自分の方に引っぼってくるのはケイトにはたやすいことだった。しかし、裏切りが暴露され た後、一皮だけのミ))‑との会見の間に、デンシャーに何か変化が起きたのである。口では言い 表わせないほど美しく神聖な何かが‑‑・

ミリーは死んだ。クリスマスプレゼントとしてデンシヤーに遺産を残して。ケイトの計画は美

(12)

H.ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 149

しく完全に成功したのである。デンシャーがミリーからの最後の手紙を封も切らずにケイトに渡 したのは、彼女の姉マリアンのみすぼらしい応接間においてである。ケイトは「開けなくても大 金だということはわかっているわ。わたしはミリーを信じるわ」と言い、手紙を暖炉の火の中に 放りこんでしまう。

ミリーとストリンガム夫人はいなくなり、ケイトとデンシヤーとモード叔母の生活が再び始ま った。周囲の人たちは彼をケイトの恋人として承認したことになり、彼女も、ものやわらかな今 までにもましてすばらしい恋人としてふるまう。二人でロンドンを歩きまわりながら、デンシャ ーは次のような感想を抱く。

It was her talent for life again : which found in her a difference for the different time.

She didn't give their tradition up : she but made of it something new. Frankly, more‑

over, she had never been more agreeable, nor, in a way‑to put prosaically‑better companion.'19'

(and)

What person she would be if they had been rich‑with what a genius for the so‑called

great house, what a grace for the so‑called great position?(20>

ちがった時にちがった表われ方をするケイトの「生活の才能」に、デンシャーは改めて強い印象 を受ける。立派な家や立派な地位があれば、彼女はどんなにかすばらしい才能を示すだろう、と デンシヤーは思う。ケイトの態度の変化も、これまでの流儀の継続であり、彼が非難するような 新しい要素が加わったわけではない。しかし、デンシヤーの心の奥深い所で変化が起きてしまっ

ている。目の前で燃された手紙が、あたかも底知れぬ深海に投げこまれた真珠のように思い出さ れる。それに不満を言える立場にいないことを知りながら、 「あわれなケイトに好きなことをさ せたのは自分だ」と、その時の状況を回想する。彼がケイトに「あわれな」 (poor)という形容 詞を用いたのはこれが初めてである。今までケイトの存在は美しく崇高なものとして、彼のかた わらにそびえていた。デンシヤーは最初からミリ‑のことを(背丈はケイトと同じぐらいだが)、

「あわれな小さなアメリカ娘」と考えていたが、彼女が裏切りを聞かされた時何も言わずにじっ と耐えていた様子をストリンガム夫人から聞かされ、夫人とともに「彼女は立派だ」と感嘆する。

そして別れの場面ではミリーを「プリンセス」だと感じる。デンシャーにとって、ケイトとミリ ーの立場が徐々に入れかわってきたのである。

これまでデンシヤーはケイトと向い合った時は、いつも彼女に指導権を渡してきた。彼自身の 意見を述べた後でも、より確信に満ちたケイトの主張にいつも同調していた。しかし、最後にデ ンシャーははっきり自己を主張する。いつものようにケイトに決定権を与えるかのように、 「君 の助力を得てミリーの遺産の権利を放棄したいから、同意して欲しい」と言う。ケイトはデンシ ャーがミリーのお金を二人の将来のために決して使うまいと決心しているのを知る。それは彼ら の努力が水の泡になってしまうことを意味するばかりではなく、デンシャーが死んだミリーに恋 してしまい、ケイトとは別の世界に住んでいることを意味している。生きていた時はそうではな かったが、死後彼女の思い出にデンシヤーは恋してしまったのだ。 「鳩の糞はわたしたちをおお ってしまった」とケイトは言う。鳩の翼のイメ‑ジは、これまでもっぱらミリーの無垢な状態と、

彼女のケイトたちを庇護する役割を表わすものとして用いられてきた。そしてミリーは最後まで その役割に甘んじ、裏切りを知った後も慈悲深い鳩であろうとした。しかし、鳩の翼は予期して いたのとは異なった力を示す。デンシャーとケイトは糞におおわれ、その影響からのがれること

(13)

はできない。ミリーの意図は何であれ、結果的には二人の仲を裂いてしまう。

ミリ‑の財産を受けとらずに二人が結婚することをケイトは拒否する。お金かデンシャ‑かと 言われて、彼を斥けたというよりは、お金のあるなしにかかわらず、自分たちはもう元の二人で はないことをはっきり認識したのである。ミリーの思い出に恋しているデンシヤーにはケイトは 無用なのだO彼は最後に「一時間以内に結婚しよう」と提案するが、彼女は「わたしたちは再び もう元のようにはなれないでしょう.′」と言って出て行く。お金を手に入れようとしたために支 払った代価が何であったか、ケイトは思い知らされたのである。ケイトが普通の敵役をはるかに こえた人物であるという筆者の考えの根拠は、特にこの最後の状況認識が、一般に悲劇の主人公 と呼ばれる人物のそれに劣らず強いものだと考えたからである.ミリーの影響を直接受けたのは デンシヤーだが、彼の変化をより鋭く見ぬいたのはケイトの方である。彼女はその事実を自分に 対しても彼に対してもごまかさない。もと栄光の座にあったケイトは、自分の掘った穴に自ら落

ちこんだことを認識するや否や、その事実を受け入れ、さっと身を退けていった。そのケイトの 姿は、壁に顔を向けてしまったミリーと同様に、 「悲劇的である」と言ってもいいと思う。

作者が作品発表の8年前に書いたノートには、ケイトはデンシャーがさし出す財産を受けとっ てマーク卿と結婚する、という構想がしるされている。完成した作品からそういう成行きを予想 するのは困難である。新しい認識の中で彼女がいかなる人生を送るか、 The Wings of the Dove は何も語っていないO ケイトなら、モード叔母の司る社交界で「生活の才能」を発揮して、外見 的には第二、第三の栄光をかちとることはできるかもしれない。しかし、ミリーやデンシヤーか ら与えられた情熱的な賛美と愛を再び手に入れることはないであろう。ケイトの生命力あふれる リアルな輝きは、愛の挫折によって永遠に失なわれてしまったのである。ミt)‑の場合とは異な り、ケイトの悲劇には内面的な救済は何も与えられていない The Wings of the Doveの結末 では、ケイトのたどった運命を通して、ミリーの無言の悲しげな勝利が描かれている。二人の娘 の運命が緊密にからみあって、一つの悲劇の結末として、まとまりのあるすぐれた効果を生み出

している。

(1) F. W. Dupee ed., The Question of Henry James (Octagon Books, New York, 1973), p. 256.

(2) F. O. Matthiessen, Henry James, The Majar Phase (Oxford University Press, New York, 1963), p. 79.

(8) The Question of Henry James, p. 154.

(4) John Good ed., The Air of Reality, New Essays on Henry James (Methuen & Co Ltd, London, 1972), p.273.

(5) Henry James, Autobiography (W. H. Allen, New York, 1956), p. 520.

(6) Leon Edel ed. Henry James Letters, Vol. I (Harvard University Press, Cambridge, 1975), p. 228.

(7) Ibid., p. 228.

(8) Henry James, The Wings of the Dove (The Modern Library, New York, 1937), Vol. I, p. 251.

(9) Ibid., Vol. I, p. 261.

W. F. Wright, The Madness of Art, A Study of Henry James (University of Nebraska Press, Lincoln, 1962),p. 226.

00 The Wings of the Dove, p. ix.

09 呉茂‑訳『ギリシャローマ古典劇集』 (筑摩書房 昭和34年) p. 405.

09 The Wings of the Dove, Vol. I, pp. 370‑371.

(14)

H.ジェイムズThe Wings of the Doveの悲劇性 151

(10 Percy Lubbock ed., The Letters of Henry James, Vol. I (Charles Scribners Sons, New York, 1920), p. 403.

(lEj) Henry James, The Major Phase, p. 55.

(l⑳ The Wings of the Dove, Vol. I, p. 307.

(1乃 ミリーの役割(鳩・プリンセスなど)については、別稿で詳しく論じたいと思っている。

09 The Wings of the Dove, Vol. II, p. 68.

(19) Ibid., Vol. II, p. 427.

卵Ibid., Vol. II, p. 428.

(15)

On The Wings of the Dove as a Tragedy

Yasuko Tanimoto

Department of English Literature, Nara University of Education (Received April 24, 1981)

The Wings of the Dove is a novel which accepts various kinds of interpretations ac‑

cording to the readers'points of view. My main interest in this novel is Milly's very natural and human desire to Hlive" and to love, and also her very natural and human dread of death and loss of love. Though there are melodramatic and comic tendencies in this novel, I think this novel is most suitably called a pure tragedy, describing Milly's physical collapse through illness and the ordeal of her consciousness through loss of love.

Two beautiful and healthy lovers, Kate and Densher are involved in Milly's fate, and at

the end of the novel, they also experience sense of loss, losing their love for each other.

I analyze The Wings of the Dove from Milly's and Kate's points of views, and show

how they are tragical in their own ways.

Millys beautiful adventures and success in the London society are mostly based on her illusion. Milly is aware of dangerous elements in the society, but in her limited time and circumstance, there is no alternative for her but to remain among Aunt Maud's company, playing the part of a innocent dove. In the same way, Milly subtly guesses the make‑

believe of the great doctor's advice for her, "You can live, if you will." But she pretends that she believes in his words and rushes into the adventure "to live". She may also know from the beginning that Kate and Densher are real lovers, but she makes her self‑

deceptive theory that Densher is not loved by Kate so that Milly herself can love Densher.

The climax of the ordeal of her consciousness comes when she turns her face to the wall knowing that Kate and Densher have been engaged all the while. Her ordeal is not caused only by the betrayal of her friends; she knows that her illusion of love is merciless‑

ly destroyed by severe reality. But she gets over her suffering, and when she dies she presents Densher with her money for the sake of her true love for him. Milly's generous and beautiful act brings tragedy over Kate.

Though Kate is the anti‑heroine and the rival of Milly, her eminence as a character is very clear. She occupies a predominant place in her relationship both with Milly and Densher. Milly is deeply impressed by her great beauty and her eminence, and seeks for her friendship. Densher is her passionate lover, and admires her "talent for life". Den‑

sher cannotbut obey Kates order to be Milly's lover for the moment. She is very con一

石dent of the success of their "game" to get dying Milly's fortune through Densher to

secure their future. Kate succeeds in so far as Milly leaves Densher her money. But after Millys death, Kates relationship with Densher changes. Densher is in love with dead Milly and needs no one else. Kate's talent for life is defeated by Milly's passionate

(16)

153

desire "to live" through the fulfillment of love. Once Kate realizes her own defeat, she retreats from Densher s presence. Kate s fall from eminence to defeat, and her keen recog‑

nition of it are fairly called tragical.

The Wings of the Dove is a tragedy composed of Milly desire "to live", the ordeal of her consciousness in face of severe reality, and her sad triumph after death over Kate's eminence and her talent for life.

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