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メランヒトンとアグリコラ -カテキズムをめぐって-

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メランヒトンとアグリコラ

-カテキズムをめぐって-

菱 刈 晃 夫

はじめに

 言うまでもなく信仰義認論はルター神学の要諦である。行いによるのではなく キリストへの信仰のみによって(sola fide)人間は救われる。いわゆる善行(bona opera)によって人は能動的に救いを得る―獲得する―のではなく、信仰によっ て人には受動的に恩恵によって救いが与えられる―賦与される―との受動的義

(iustitia passiva)の認識、すなわち信仰義認論がルター神学の基本である1。  こうしたルター神学の根本精神を 21 歳の若さでヴィッテンベルク大学教授と して招聘されたメランヒトン(Philipp Melanchthon, 1497-1560)は受け継ぎ、

ドイツの教師(Praeceptor Germaniae)として教育制度の具体的な改革に次々 と着手していった2。ここで重要なのは信仰義認に至る過程での律法(lex)の役 割である。それは罪の赦しと共に悔い改めを前提とした信仰の生成のみならず、

いわゆる道徳教育の基礎となる道徳哲学(倫理学)、および自然哲学(自然学)

における法や法則、あわせて同じく法(νòμος, lex, Gesetz)の理解とも深く広 く通底している3。まずは信仰義認のプロセスにおいて、律法と福音とがダイナ ミックに作用し合い、悔い改めと罪の赦しを伴う不断の再生への道が拓かれるこ とや、さらに自由学芸や倫理学、自然学を含めた教育全般との有機的連関につい ては、すでに明らかにした4

 しかるに、そうしたルター神学と宗教改革運動に惹かれてヴィッテンベルクへ とやってきたアグリコラ(Johann Agricola, 1492/94/95-1566)は、当初ルター

(Martin Luther, 1483-1546)やメランヒトンと極めて親しい関係にあったにもか かわらず、信仰義認における律法の役割を軽視して罪の赦しを説く福音のみで足 りるとし、ひいては律法を無用とまで主張する反律法主義(Antinomismus)へ と傾斜していく5。まずメランヒトンとのあいだで生じた反律法論争は、1527 年 には一応の和解は見るものの、次にルターとのあいだで再発する6。そこで律法 が信仰の生成―いうなればキリスト教教育―において果たす役割の違いがもっと も鮮明に浮き彫りとなるのが、両者の青少年向け教材としてのカテキズム(教理 問答書)である7

 本稿では、1527 年から 28 年頃のメランヒトンと日本では未だ取り上げられた ことのないアグリコラのカテキズムの内容比較を通じて律法理解の相違を明確に し8、その背景にある神学思想の一部分を解明したい。総じて、宗教と道徳の教

(2)

育にとって重要な契機となる律法(法)と福音(愛)、換言すれば規律と愛、罰 と赦しの関係は、両者のあいだでどのように理解されていたのであろうか。しか しその前に、アグリコラという人物、および彼とルターやメランヒトンとの関係、

さらに 1527 年に至るまでの歴史的かつ社会的な状況を、簡単に確認しておこう。

1 節 アグリコラとルター、メランヒトン、そして当時の状況

 アグリコラは 1492 年もしくは 94 年頃、ルターと同じくアイスレーベンに 生まれた9。本名は Johann Schneider あるいは Schnitter であるが、Philipp Schwartzerdt が本名であるメランヒトン―本人は通常メラントンと短く名乗っ ていた―と同様10、当時はギリシア語化やラテン語化された名称が用いられるこ とが普通であり、ラテン語名アグリコラもまた、さらに出生地に因んでイスレ ビウス(Islebius)あるいはアイスイスレビウス(Eisislebius)あるいはマギス ター・アイスレーベン(Magister Eisleben)といわれたり、後に険悪な関係に陥っ たルターからはグリッケル(Grickel)と嘲弄的に呼ばれたりしていた11。アグリ コラの伝記の詳細については別稿に譲らざるをえないが12、1527 年に至るまでの キャリアの概略を押さえておこう13

 ルターと同じく典型的な中世後期の雰囲気の中に育ったアグリコラは、やがて ブラウンシュヴァイクのフランチェスコ会派が経営するラテン語学校マルティ ネウム(Martineum)―今日も現存するギムナジウム―に通うことになり14、そ の後ライプツィヒに赴く。そこでおそらくまた学校に通い、1509 年か 10 年以 前にライプツィヒ大学で学び始める。後に彼は少年時代におびえた良心(ein erschrockenes Gewissen)をもっていて、そのため非常に畏縮させられていた とほのめかしているが、優柔不断のまま修道士にはならなかった。が、これもル ターと同じく明らかに中世後期の裁きの神(die Richtergott-Theologie)に深く 把捉されていた。ロッゲが述べるように「この経験がキリストを信じる者にとっ ての、後の律法の廃止(abrogatio legis (Aufhebung des Gesetzes))にどこま で影響を及ぼしたかは、おそらく確実には確かめられない」15が、しかし極めて 興味深いトピックではある。裁きの神の神学に驚愕し畏縮した良心が、律法を廃 棄し、福音のみによる罪の赦しで足りるとする反律法主義へと向かったのは、な ぜか。

 1512 年に学芸学士となった後には、1514 年に再びブラウンシュヴァイクにて ラテン語学校教師となる。そこでルターの宗教改革思想に対してオープンであっ たフランチェスコ会士の影響からも、アグリコラはルター神学に触れ、1515 年 もしくは 16 年に、当時としてはまだ新しいヴィッテンベルク大学で学び、すぐ に同郷人ルターとの知己を得ることになる。ルターとアグリコラそしてメランヒ トンは仲良く家族ぐるみの付き合いをしている16

(3)

 最初は学芸学部で、次に神学部で学び、とくにルターの説教により心を捉えら れた。文献学的な知識や技能はメランヒトンから学び、大変親しい間柄となっ た。1518 年には学芸修士の学位を得ている。二人とも 1519 年には同時に神学学 士(Baccalaureus der Theologie)となり、二人とも 1520 年に結婚している17。 そして同じく 1519 年にはライプツィヒ討論での記録者としてルターに同行し、

1520 年 12 月 10 日には破門脅迫大勅書の焚書にも立ち会った18。1521 年から 23 年までは医学も学び、1523 年から 24 年までの冬学期、学芸学部長を務めた19。 紆余曲折の末ルターは彼を神学の道へと導き、マギスター・アイスレーベンすな わちアグリコラは神学部で聖書解釈学を講じ、聖書解釈者として高く評価された。

また市の教会でのカテケート(Katechet)つまり教理問答者として、ルターが ヴァルトブルクにいて不在の際にも、1521 年の初めより子どもの教育に尽力し ていた20。メランヒトンはアグリコラのことを「私たちの市の教理問答者」(urbis nostrae catechetes)と呼んでいる21。このようにアグリコラは早くから子ども の宗教教育に携わっていたのである。

 1525 年アグリコラは故郷アイスレーベンに設立されたラテン語学校―今日の ギムナジウム―の校長となるために当地へと移る。これはルターによる一連の 教育改革の結果である22。たとえば 1526 年ニュルンベルクにも同様の学校が設 立され、市当局はメランヒトンを望んだが、代わりにその生涯変わらぬ親友で あるカメラリウス(Joachim Camerarius, 1500-1574)がメランヒトンの推薦に よって着任した23。ルターとメランヒトンは 1525 年 5 月にアグリコラに同行し てアイスレーベンへと赴いている。だが、この前後よりメランヒトンとアグリ コラのあいだには亀裂が入り始める。この辺りの詳細も紙幅を改めざるをえな いが24、1525 年 12 月 20 日付の手紙でメランヒトンは、自らの健康上の理由で ヴィッテンベルク大学での神学部でのポストを降りることになるので、それをア グリコラに引き継いでほしいと記している。その後も返事がないことを悔やむも のの、当人からはまだしばらくのあいだアイスレーベンに留まるとの返事を得 る。その後もさまざまな行き違いがある中、律法をめぐる見解の大きな相違は、

二人のカテキズムの中で明確になっていく。対立はメランヒトンが起草した『ザ クセン領内教会巡察指導書』(Unterricht der Visitatorn an die Pfarhern ym Kurfurstenthum zu Sachssen)の草稿(Articuli Visitatorum)をめぐって先鋭 化するが、1527 年 11 月 26 日から 28 日までトルガウにて、ルターの仲介の下、

メランヒトン、アグリコラ、そしてヴィッテンベルク市の教会牧師をしていたブー ゲンハーゲン(Johannes Bugenhagen, 1485-1558)25が話し合うことで一応の和 解を見出した26。この約して『巡察指導書』は 1528 年にルターの序文を付して 発行された。そもそも国内の巡察や『巡察指導書』が必要となる背景には、当時 ののっぴきならない歴史的かつ社会的な状況が深く絡んでいた。ポイントだけ押

(4)

さえておこう。

 メランヒトンの語るところによれば 1517 年 10 月 31 日にヴィッテンベル クの城教会の門に「95 箇条の提題」(贖宥の効力を明らかにするための討論 Disputatio pro declaratione virtutis indulgentiarum)が掲示されて以来、宗教 改革の火蓋が切って落とされることになるのは周知の通りである。その冒頭が重 要である。

1. わたしたちの主にして教師であるイエス・キリストが、「悔い改めなさい

……」〔マタ 4,17〕と言うとき、彼は信仰する者の全生涯が悔い改めであ ることを望んだ27

(1. Dominus et magister noster Jesus Christus dicendo : Penitentiam agite etc. Omnem vitam fidelium penitentiam esse voluit.)28

後にカトリック教会を全面的に敵に回すことなど当時のルターは全く想定もして いなかった。が、ここで彼は信仰する者すなわちキリスト教的人間の全生涯が「悔 い改め」(paenitentia)であり、それは元ギリシア語のメタノイアつまり「心の 転換」であること、つまり「これまでの生き方を全面的に放棄し、全く他なる心 をもつこと、古いアダムに死してキリストに生きることを意味すると述べた」29 のである。従来の教会制度からすれば、①「痛悔」(contritio)、②「告白」(confessio)、

③「償罪」(satisfactio)、そして「贖宥」(indulgentia, Ablass)によって人は罪 の赦しを得るとされていたが、いずれも形骸化していた。ルターは極めて真摯に、

キリストへの、とくにその十字架への信仰を通じて、人間は生涯にわたり死に至 るまで、悔い改めと罪の赦しを経て「義人であると同時に罪人」(simul iustus et peccator)としての再生が続けられなければならないと説くようになる。こ れは信仰の生成、換言するならルターに始まるキリスト教教育の本質にとって、

極めて重要な核心的認識である。つまり全生涯にわたる再生を基本とするキリス ト教的人間観の提示であり、すでにまとめたようにメランヒトンは30、これを人 間学にまで深化させ拡大したのであった。

 さて、あらためて大切なのは上にあげたような行いではなく「信仰のみ」であ る。だが、これは民衆には短絡的に受け取られやすく、社会的・市民的な道徳や 倫理の次元で、まるで善行や道徳や倫理が不必要であるかのような混乱をもたら すことにもなった。ベイントンによれば「道徳の分野では、多くのものが、彼の 宗教先取は危険であると感じた。ことに、正しい行為は神になんらの要求をする 権利も与えない、という彼の主張は、善行の最も有力な動機を断ち切るものだと 信じられた」31のである。

 宗教改革の勃発からドイツ史において目まぐるしい事件が次々に起きるが32

(5)

本稿に関連する限りで重要なことに触れておこう。ルターがヴァルトブルク城 に匿われて不在のあいだ、1521 年から 22 年にわたりヴィッテンベルクでは「ツ ヴィッカウの予言者たち」やルターとも同僚であったカールシュタット(Andreas Bodenstein von Karlstadt, 1486-1541)らによって、ミサの廃止や聖像破壊を伴 う過激な騒擾事件が発生していた。いわゆる熱狂者(Schwärmer)つまり「聖 書の根本に立たず、霊によって直接捕らえられていると思い込んでいる」33とさ れる心霊主義者(Spiritualist)との戦いは、(これもかつてルターの下で学んだ)

ミュンツァー(Thomas Müntzer, 1489-1525)を中心とする 1525 年の農民戦争 へと繋がり、原理主義的な宗教改革の波はさまざまな形で伝播していった34。国 内も荒廃し、教会や学校も含めて制度的な再建を実行していくためにも、まずは 領内の現実の状況を正しく把握する必要があり、巡察が求められた35。その成果 が 1528 年の『巡察指導書』である36

 いずれもルターに特有のアクセントや逆説的な言い回し、とりわけ信仰「のみ」

によっての捉え方により、実際には道徳的・倫理的な次元での行いが疎かとなり がちな一方で、教会や学校の制度は不完全なままであった。そこでギリシア・ロー マの古典的教養を豊かに備えた人文主義者メランヒトンは、宗教改革者であると 同時にキリスト教的倫理学者としても、さらにドイツの教師としても、法による 支配や秩序を現実世界に回復させる必要性を痛感していた。そこで親友でもあ り、共にカテキズムを通じて子どもの教育にも携わるアグリコラであったが、し かし律法をめぐる見解の相違や、さらに悔い改めよりもむしろ罪の赦しを先行さ せる反律法的な思想は、やがて教理問答書にも明らかになっていく。悔い改めと 罪の赦しがワンセットとなった結果として本来「義人であると同時に罪人」とい うルター的な「再生」の人間観から出発しつつも、なぜこのような違いへと至る のか37。次に、両者のカテキズムの内容に分け入ってみよう。

2 節 カテキズムの相違

 メランヒトンのカテキズムの構造と内容については、すでに取り上げたことが ある38。本稿ではとくに 1527 年の『すべてのキリスト教的生がまとめられてい るフィリップ・メランヒトンの言葉と、おそらく 1529 年に付加された若干の部分』

(Philipp Melanchthons Sprüche, darin das ganze christliche Leben gefasst ist, und einige 1529(?) ihnen beigefügte Stücke)をテクストとして詳しく見てい きたい39。ここにアグリコラとの相違が鮮明化されているからである。目次は以 下の通り。

1. 悔い改めと神の驚愕させられる怒りへの畏怖とキリスト教的生の始まり について

(6)

2. 信仰について

3. 十字架と信仰の訓練と祈りについて

4. 暮らしの心配あるいは同様の世の心配事の中で信仰を訓練することにつ いて

5. 善行、当局への服従、隣人愛、貞操について 6. 結婚生活について

これに付加された部分が続く。

1. フィリップ・メランヒトン、この世の正しさとキリスト教的な正しさの 違い40

2. 夜、そして朝の祈り 3. 導入を伴った詩編 127

4. ロッテルダムのエラスムスによる勧告のドイツ語訳

 問題は本体部分である。この作品は最初から子どもの教育用に編まれたものと は言い難く、次に見るアグリコラのものと比べても、問答式のいかにもカテキズ ムらしいカテキズムの形態はとってはいない。しかし説教により聖書からの言葉 に子どもたちを慣れ親しめるようにというルターの教え通りに、聖書からの精選 された聖句が集められていて、それに対してメランヒトンの考えも付け加えられ ていることから、まさに日頃の教授用には―教師用の手引書として―最適のカテ キズムに準じるテキストであったといえよう41

 まず 1. 悔い改めと神の驚愕させられる怒りへの畏怖とキリスト教的生の始ま りについて(Von Busse vnd furcht des erschreklichen zorns gottes vnd dem anfang Christlichs lebens)の冒頭で、こう述べられる。

キリスト教的生の始まりとは、神の怒りを前にして、私たちの罪に心から真 剣に驚愕することである。ゆえにキリストもまたその説教を次のように始め たのである。

マタイによる福音書 4 章

その時から、イエスは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って、宣べ 伝え始められた42

こうしてマタ 4,17、ルカ 12,44、ルカ 12,47f、ヨハ 5,27ff、マタ 25,31-46、詩 111,10、箴 28,14、イザ 66,2、ミカ 6,9、詩 145,19、詩 51,19 と、聖書の中からの 言葉が続く。いずれも「聖書のみ」を基本原理の一つとするルター神学からすれ

(7)

ば、子どもを幼い内から聖書の言葉に慣れ親しませることはキリスト教教育の中 心であった。この精神を受け継ぐメランヒトンのカテキズムの冒頭が「悔い改め」

(Buße)から開始されているのは、先の「95 箇条の提題」の始まりと同じである。

paenitentia すなわち「悔い改め」がキリスト者の生の始まりにある、とメラン ヒトンもルター神学を忠実に受容している。

 次に 2. 信仰について(Vom Glauben)には、こう続く。

畏怖のないところに、信仰もありえない。というのも信仰とは驚愕した心を 慰めるものだから。それは確かな拠り所であり、神はキリストのゆえに罪を 赦したのである。信仰は肉的な安全でも神の怒りの軽視でもなく、そうした 不安の中での真の慰めであり、罪の認識から来るものである。ゆえに私たち が考え出した〔でっちあげた〕のは、単なる画餅であって、真の畏敬なしに は、私たちを粗野で野蛮な生へと導いていってしまうものなのである。

 しかし神の前でただ私たちを義とする〔正しい者とする〕のは、信仰である。

そこで驚愕した心は、すべて私たちの功績はわずかなものであり、〔私たちが〕

神を夢想しているのを認識する。そしてキリストを見つめ、罪がキリストを 通じて取り除かれたのを確認し、そしてようやく平安に至る。このことを次 に続く言葉が戒めて〔教えて〕いる43

こうしてヨハ 3,14ff、ヨハ 3,16-18、マタ 11,28、ヨハ 11,25f、ロマ 3,28、エフェ 2,8f、

一ヨハ 2,1f、ヘブ 4,15f、イザ 53,4、イザ 53,6、イザ 53,11、ヨハ 1,29 と、聖書の 中からの言葉が続く。メランヒトンがここで強調するのも、まず「驚愕した心」

(das erschroken hertz)であり、次に「神の怒り」(zorn gottis)を介した神へ の畏怖(furcht)である。それは「罪の認識」(erkantnus der sunden)からも たらされる。これあるがゆえに人間は不安に陥れられるが、だからこそキリスト による信仰が真に生かされ、私たちは信仰によって生かされることになる。つま り慰めと平安が与えられることになる。

 次に 3. 十字架と信仰の訓練と祈りについて(Von Creutz vnd vbung des Glaubens vnd Gebett)には、こう続く。

今や心が信仰を通じて慰められ、神の前に義となり正しい者とされた者には、

試練の中での信仰の訓練が続かなければならない。というのもキリストが十 字架にかけられたように、同じく神は、すべてのキリスト者もまた自身の十 字架を担い、その苦悩において満足するように望んでいるからである。神は その中で〔苦悩において〕自らの助けを示し、どれほど私たちは神にとって 愛おしくあり、どれほど固く神は私たちのことを守り、どれほど近く神は私

(8)

たちの傍にいるかを、私たちは感じることができるのである。ゆえに神は私 たちが祈るのを促している。というのも私たちの窮乏を真剣に神に申し述べ、

神からの助けを待つのは、祈りだから。ゆえに信仰は祈りを通じて訓練され る。このすべてを次に続く言葉が戒め〔教え〕ている44

こうしてマタ 16,24f、ルカ 6,25、マタ 5,4、ヤコ 1,2、ヤコ 1,12、一コリ 11,32、

詩 34,20、箴 3,11f、マタ 7,7、ルカ 18,1、一テモ 2,8 と、聖書の中からの言葉が続く。

ここには、いかにもメランヒトンらしい考えが表れている。それは「試練にお ける信仰の訓練」(vbung des glaubens yn anfechtung)という表現である。人 間はみな各自の十字架すなわち苦悩を担い、その独自の試練の中でこそおのおの の信仰は訓練される。それは祈り(gebet)を通じてなされる。メランヒトンは 信仰を一度に完成されて与えられるものとしてではなく、人間の全生涯にわたっ て訓練され、成長していくものと捉えている。すなわち信仰は試練と祈りを通じ て形成されていくのである。これこそルターにおける神による教育(Erziehung Gottes)のメランヒトン的受容といえよう。信仰はすでにあるものではなく、つ ねに訓練されて形成され、そして成長していく。信仰とは進行形としてあるもの。

そして一連の聖句の後にメランヒトンはさらにテキストを続け、「ゆえにパウロ は、人は疑うことなく祈るべきであり、待つべきであり、すべての善きものを神 から望むべきである」45と、繰り返し祈りの重要性を強調している。

 次に 4. 暮らしの心配あるいは同様の世の心配事の中で信仰を訓練すること について(Von vbung des glaubens In sorg der narung odder dergleychen zeytlichs anligens)には、こう続く。

私たちはまた、神がこの世的〔時間的〕な財産をも与え、食べ物あるいは健 康が欠けている場合には、私たちはその中で信仰を訓練することを学んでい るということを知るべきである。つまり私たちはそうしたもの〔苦悩〕をた だ〔一人で〕辛抱して担うのではなく、神に呼びかけ、望み、そして神から 待ち望むのである。そうすれば神は養ってくれるであろうし、この世的な必 要なものを与えてくれるであろうし、私たちの仕事に幸運を与えてくれるで あろう。というのも神は働くことを求めているからである。そして私たちが 自分たちの仕事において幸福であり、神はそれを助けていることを私たちは 知るべきであり、神はそのことを望んでいる。これを次の言葉が教えてい る46

こうしてマタ 6,25f、マタ 6,30、マタ 10,29ff、申 8,3、詩 104,27f、箴 10,22、詩 37,25、箴 28,27、二コリ 9,10 と、聖書の中からの言葉が続く。この世に生きる中

(9)

で不可避の苦悩においてこそ信仰が訓練されることを、ここでもメランヒトンは 繰り返し、祈りつつ働く(arbeyt)ことを神は求めている、と説いている。

 次に 5. 善行、当局への服従、隣人愛、貞操について(Von guten wercken, Gehorsam gegen der Oberkeyt, von Lieb des nehisten, von keuscheyt)には、

こう続く。

パウロは、こう述べる。信仰とはその生命であり、また力であり、愛を示す。

さて愛のあらゆるものの中でも最高のものは、当局に従うことである。なぜ なら神がこれを据えたのであり、私たちはこれを畏れ、そのために敬うこと を望んでいる。そしてまた、幸福で平和な統治を神が与えてくれるよう、こ れに願い出るように示した。神はこれを保ち、これに従わない者、当局に反 抗を企てる者に、裁きを与えないことはない。しかし残念なことに当局の多 くが統治を乱されている。というわけで私たちは統治当局を望んでいる47

こうしてロマ 13,1、ロマ 13,2、ロマ 13,5、一テモ 2,1f、エレ 29,7、ロマ 13,9、一 ヨハ 3,17、ロマ 12,19f、一コリ 6,13,18、ルカ 21,34ff、一コリ 10,7 と、聖書の中か らの言葉が続く。ここには歴史上議論を呼ぶところであるが、1 節で見たように 農民戦争等の政情不安定な中で、ルターと共にこの世の権力や統治の重要性と必 要性とを説かざるをえなかった姿が如実に表れている。

 最後に 6. 結婚生活について(Von Eelichem leben)には、こう続く。

私たちは神の言葉なしに行いや職業を遂行すべきではない。そうではなくそ うした行いや職業を神の言葉からのみ遂行すべきである。というのも私たち は神に気に入られることを担うのだと知るからである。パウロがロマ 14,23 で教えているように、信仰に基づいていないことはすべて罪である。ゆえに 私たちは、神が結婚という状態を定め、それに多くの心労や仕事を置いたこ とを、私たちは真摯に知るべきである。男には妻と子どもを扶養することが 命じられている。妻には子どもを産むことの中で辛苦と不安が課せられてい て、子どもを育てるにも大きな心配と苦労がある。今や嫌なことや不幸が起 こるとき、私たちはただ、神が私たちにそうしたものを課し、自分たちの苦 悩を負うことが神の気に入られると知るべきであるのみならず、しかし大き な慰めもあることを知らなければならない。また神はそうしたすべての問題 において助けを示してくれるのである。苦悩しよう。その中で私たちの不幸 について祈り、私たちの信仰を強固なものとするように。ゆえに私たちはつ ねに次の言葉について覚えておくべきである。それは私たちに、神が助けと 共に家庭を守り、正しい家計と家長であることを、教えている48

(10)

こうして創 2,18、箴 18,22、箴 5,18,19、一コリ 7,8,9、エフェ 5,22、エフェ 5,28、

一コリ 7,29、一テモ 2,15 と、聖書の中からの言葉が続く。ここにはつねに信仰 と共に、信仰から行いや職業が遂行されるべきことが確認され、とりわけ結婚生 活に伴う苦悩もまた神から受け取り、これを信仰の訓練の機会にすべきことが語 られている。

 以上のようにメランヒトンのテクストは、「悔い改め」と罪の認識から始まり、

順に現実生活へと降り来たり、そこでのさまざまな試練がまた信仰の訓練へと回 帰し、実生活と信仰とが絶えずスパイラルに関わり合って、信仰がつねに進化あ るいは深化し、もしくは成長し形成されていく動態をダイナミックに捉えている。

悔い改めと罪の認識の契機となるものは、むろん十戒を基本とする律法すなわち 神の法である49。また当時の時代的・社会的状況も踏まえ、当局による管理やこ れへの服従など、現世的な倫理や道徳への目配りも欠いていない。メランヒトン は、信仰が独り歩きするのではなく、これが現実の社会秩序とうまく調和するこ とを、このカテキズム的テクストの中で強調しているといえよう。その基盤は結 婚による家庭生活にある。比するにアグリコラの場合は、どうであろうか。

 1525 年に故郷アイスレーベンのラテン語学校長として着任したアグリコラは、

1527 年に『敬虔の基礎集成―神の言葉と教えにおけるキリスト教的な子どもの 教育―』(Elementa pietatis congesta : Christliche Kinderzucht in Gottes Wort und Lehre)を著している50。この学校でのカリキュラムについてもすでに取り 上げたことがある51。略してこの『子どもの教育』はラテン語学校でも使用され るように、ラテン語とドイツ語の対訳として構成されている。目次の概略は以下 の通り。

  1. 十戒、導入、なぜ神は律法を与えたのか   2. 父なる神

  3. 信仰

  4. 聖なる三位一体について何をキリスト教的に保つべきか   5. キリストの苦しみを用いることについて

  6. 主の晩餐について

  7. 結婚という状態について、その中でもとくに、結婚に含まれることを、

    神に対してどのように保つべきか、どうして神はこの状態を保たれるの     か、結婚状態における正しい振る舞いについて

  8. 悔い改めについて

アグリコラのカテキズムをここで詳細に見る余裕はなく、これも稿を改めざるを

(11)

えないが、メランヒトンとのコントラストとして際立つポイントのみ押さえてお こう。

 まずアグリコラもメランヒトンと同様に罪の認識に至るための律法の役割を認 めてはいる。

というのもパウロがいうように、律法は私たちに罪を示し、そのうえ各自の 魂を次へと駆り立てる。つまり自分自身の罪の認識の大きさによる絶望へと。

自分たちがよいと思うことをしよう、自分にあるものは正しい、そのすべて が無であり無駄なことであると、このとき見なさざるをえなくなるのであ る52

そして、こう続く。

〔人間の〕自然本性は、肉であり血である。それは自分にとって気に入るも のを求め愛するが、再度、それは自分にとって痛みとなり反するものに対し ては、敵対し憎悪するようになる。ゆえに律法とは、ドイツ人が言うように、

犬を打つ棍棒のようなものだ。それはあまりに激しいものというよりもむし ろ、ささやかな馴致に留まる53

ウェンガートによれば、このような形で律法を理解するカテキズムは他には見ら れないという。メランヒトンのように律法が「悔い改め」を経た信仰へと有効に 機能することに否定的であり、せいぜい律法は「犬を打つ棍棒」(Knüttel bey dem hunde)のようなものとなる。つまり、ただ見せかけとして人間の自然本 性を和らげたかのようにはするが、その本質は変わらないままである。これを変 えるのは律法ではなく福音による信仰であるが、しかしアグリコラによれば、こ れは人知を超えて人間には理解しがたい。

信仰という言葉は、この使徒信条のすべてが人間の自然本性にとっては異質 なものであり、奇異で、理解するには不可能なものであることを示している。

というのも人が信じなければならないことが、あらゆる人間の力を、すべて の人間の理性を、知識や理解を、超越しているからである。人は何も見えず、

何も捉えることもなく、ただそれを信じるのみである54

信仰によってのみ人間は変えられていくが、しかしこの信仰は人間の理性や理解 すなわち知的能力を遥かに超えて、ただ信じるのみである。ウェンガートによれ ば、ルターやもちろんメランヒトンには、伝統的な十戒、使徒信条、主の祈りと

(12)

段階的に進む中に、ある種の知識や知的な作用が内在している。だがアグリコラ の場合、信仰へと至るプロセスにおいて知的な認識の要素は全く排除されること になる。律法は人間という「犬を打つ棍棒」としては有効であるが、これが直接 的に人間の本性の変化に作用する信仰を準備するというわけではない。信仰は、

ただキリストによる福音を「信じる」ことによってのみ、与えられるのである。

ゆえにアグリコラにおいて「信仰は罪の認識に先立っている」55のであり、『子 どもの教育』の中でも「悔い改め」は全体の末尾に置かれている。

悔い改めについて

1. 何かに悔いている者は、すでに罪から解き放たれている。悔い改めとは 新しい心であり、〔今までとは〕異なる思考である。このとき、かつて不 貞節な欲望をもっていた者は、今やそれと敵対する者となる。エフェ5〔4,28〕

にあるように。盗みを働く者は、もう盗んではなりません。要するに、も う二度としない、というのが最高の悔い改めである。

2. 施しも、行いによっても、断食によっても、私たちの気に入ることによっ ても、新しい心と〔これまでと〕異なる思考は与えられない。そうではな く天へと昇った後の、キリストの純粋な恵みからもたらされる聖霊が、こ れを作り出すのである56

 ウェンガートによれば、アグリコラは「悔い改め」を教会による伝統的なサク ラメントからは完全に切り離し、あくまでも福音信仰による心の新たな内的変 容と、それに伴う新しい思考のみにウエイトを置いているという57。確かにアグ リコラもまた「犬を打つ棍棒」として律法が外的に―ルターのいう政治的市民 的用法(usus civilis, politicus)として―完全に無用だと述べているわけではな いが、しかしキリスト者の信仰を準備するという点―神学的用法(usus verus, theologicus, sanctus)―においては、ルターやメランヒトンとは異なるアプロー チをとっている。ここでの律法の役割は小さく、むしろキリストによる罪の赦し としての福音が「悔い改め」を引き起こし、新しい心と思考をもたらすと理解さ れている。何かに悔いるということはだれにでも起こりうることである。ゆえに メランヒトンのように律法による驚愕や疚しい良心から悔い改めるというのでは なく、すでに少しでも何かを悔いたところから与えられる神の愛の約束より、真 の悔い改めと、新しい心そして思考がもたらされることになる。つまり福音を信 じる者は、すべて赦されるのである。

 このようにメランヒトンとアグリコラでは、律法が信仰の生成―キリスト教教 育―において果たす役割の違いが明確である。メランヒトンにとって律法は市民 的かつ政治的すなわち道徳的かつ倫理的にも、さらに神学的にも極めて重要であ

(13)

る。ところがアグリコラにとって律法は市民的な政治的な用法に限られ、神学的 には軽視されることになる。むしろ福音のみが中心的役割を果たし、福音が信仰 への準備を果たすようになっている。この相違は後に(1537-40 年)ルターとの あいだで繰り広げられる反律法論争でも、ますます鮮明になっている。ちなみに ルターがあげているアグリコラのテーゼを引証しておこう。

1. 律法は神の言葉と呼ばれる価値がない。

2. あなたが娼婦でも、悪党であっても、姦淫の者であっても、その他の罪 人であっても、信じるならば、あなたは救いの途上にある。

3. あなたが極悪の罪のただ中にとどまっていても、信じるならば、あなた は救いのただ中にいる。

1. 十戒は〔市民的用法のゆえに〕市役所に関係しており、説教壇には関係 がない。

2. モーセと付き合う者はすべて悪魔のところに行き、モーセと一緒に絞首 台にかけられる。

3. わたしたちは律法の説教によって人々を福音へと準備すべきではない。

神がそれを準備すべきであって、それは神のわざである58

メランヒトンとの相違は、とくに律法が市役所に関係するだけだ(Decalogus gehort auff das Ratthaus, nicht auff den Predigstuel)59という点に際立って いる。メランヒトンへの攻撃が含まれる 130 の問答からなる 1528 年に出版さ れ た ア グ リ コ ラ の カ テ キ ズ ム(Hundertdreissig gemeine Fragstücke, ihre Bearbeitungen und Erweiterungen)にも60、すでにこの点はクリアーである。

ここでは詳しく取り上げる紙幅はないが、一点だけ引用しておこう。

  114. モーセの律法をキリスト者に強いるべきか ?

答え。キリスト者は神が求めるすべてのことを、喜びと愛から行う。なぜ ならキリスト者はキリストによる自発的な霊を通じて封印されているがゆ えに、律法がこれを強いるべきではない。というのも正しい者〔義人〕に 律法は与えられていないのであり、そのうえ、福音が強制と規則となるや いなや、福音はもう一度も強いたりはしないのである〔自由意志によって 神が求めるすべのことを喜びと愛から行うようになるのだ〕。

アグリコラの場合、客観的に見ると、いったん福音を信じて信仰を得たと思うキ リスト者に作用するのは、あくまでも福音のみであって、現世的〔市役所的〕な

(14)

律法ではない。信仰の生成や神学的次元において、もはや律法の役割は終えられ てしまっているのである。

 では、あらためてメランヒトンの律法理解とはどのようなものかを明らかにし た上で、アグリコラとの違いに着目しながら、教育における律法(法)と福音(愛)、

規律と愛、罰と赦しの関係について、最後にまとめておきたい。

3 節 メランヒトンの律法理解

 アグリコラ的な律法理解が安易に一般民衆に広げられると、いったいどういう ことになるのか。アグリコラ自身は初期のルター神学を真摯に受容した上で神学 的根拠に基づいて61、こうした神学レヴェルにおける反律法主義を展開すること になるが、いったん罪の赦しだけが(無学な)民衆―普通の人々―に容易に説か れるようになると、どうなるのか62。ドイツの教師たるメランヒトン、あるいは 宗教改革者的倫理学者としてのメランヒトンとアグリコラとの対立の一因は、こ の点にあるといえよう。草稿を巡ってルターたちと話し合いがなされ、その結果 として成立した『巡察指導書』では、まず「教理について」(Von der Lere)か ら始まり、信仰に至るためには「悔い改め」と「罪の赦し」の両方が説かれるべ きであり、すぐに「十戒について」(Von den zehen geboten)が続いて、律法 の神学的用法が説かれることになる。

しかし今では多くの者が罪の赦しについてだけは語るが、悔い改めについて はなにも語らないか、わずかしか語らない。悔い改めなしには罪の赦しはな いのだが、悔い改めなしには、罪の赦しも理解され得ない。悔い改めなしに 罪の赦しを説教するならば、人々は、罪の赦しを既に得てしまったのだと思 い込み、それによって安心して、恐れのない者になってしまうが、これは、

以前にあったすべての誤りよりも大きな誤りであり、罪である。(中略)し かし、悔い改めも律法も、信仰一般の一部であることに注目すべきである。

なぜなら、人はまずもって、脅し、命じ、恐れさすなどする神がおられるこ とを信じなければならないからである。そうしたことを普通の人々に対して は、悔い改め、戒め、律法、畏れという名のもとで信仰の一部として示すべ きである63

「 悔 い 改 め な し に 罪 の 赦 し を 説 教 す る 」(man die vergebung der sunden predigt on busse)ことが大きな問題とされている。すると、もうある人々はす でにキリスト者として安心し恐れのない者(sicher vnd forchtlos)になってし まうという。思い込みの信仰によって人は厚顔無恥となり、何をしてもその罪は 赦されるのだ、と勘違いしてしまう。そうした信仰は、かえって現実の道徳的・

(15)

倫理的秩序を破壊し、社会全体を不安定に陥れてしまう。巡察を介して、メラン ヒトンらはこうした状況を目の当たりにしていた。ゆえに必然的に十戒の重要性 が次に説かれることになる。

悔い改めもしくは悔いと痛み、及び信仰、この二つがキリスト教的生活の第 一(、第二)の部分である。これによって我々は罪の赦しを得、神の前で義 とされるのであって、これら二つは成長し、増加すべきである。

 キリスト教的生活の第三の部分は、よい行いをすることである。貞潔、隣 人愛、隣人を助けること、偽らず、欺かず、盗まず、打ち殺さず、恨みを抱 かず、自分の力で報復しないことなどである。

 それだから、この点でも再び、十戒は熱心に説教されるべきである。ここ によい行いはみな含まれているからである64

「悔い改め」と信仰は、キリスト者の生全体を通じて「成長し増加する」(wachssen vnd zunemen)65べきであるという表現には、すでに見たメランヒトンの教育 的発想もしくは思想が顕著に示されているといえよう。それに善き行い(gute werck)が続くが、これらの相互動態的な構造については既述した。

 このようにルターおよびメランヒトンは、律法と福音とをつねにワンセットと して捉えている。とくにルターの場合には、神学者として、この両者のあいだの 実存的瞬間の緊張度が非連続的な連続として極度に高まっている。が、メランヒ トンの場合には、加えて倫理学者もしくは人文学者として、これが成長とか増加 とか、あるいは形成とか、どちらかといえば段階的かつ連続的に、教育的かつ上 昇的に継続していくものと捉えられているといえよう。教育者としてのメランヒ トンならではの個性が見出される点でもある。宗教改革運動によって図らずも荒 廃した社会秩序やもろもろの制度を立て直すためにも、これは必要不可欠なスタ ンスであったといえる。それは彼の律法理解にも示されている。最晩年 1559 年 の最終版『ロキ』(Loci praecipui theologici)から、メランヒトンが到達した完 成形について要点だけ押さえておきたい。アグリコラとの対立の過程における律 法理解の内容変遷については、稿を改めて論じることにしよう。

「神の律法について」(De Lege divina)より。

神の律法とは神から伝えられた教えであり、私たちがどのようにあってはな らないか、何をしなければならないか、何をやめなければならないのかを指 示している66

メランヒトンによれば、まず神の法〔律法〕と人間の法とのあいだには大きな隔

(16)

たりがある。

ここで最初に、人間の法と神の法〔律法〕とのあいだには、巨大で無限の違 いがあることを警告しておかなければならない67

神の法は人間の法とは異なり、人間の内面にも外面にも全面的に及ぶが、人間の 法は現世的な社会的・市民的なものにのみ関わる。アグリコラが律法の内面的効 力を軽視したのとは違っている。ちなみにメランヒトンによる法の区分は、以下 のようになっている。

まず法の種類を列挙しよう。神の律法(Lex divina)、自然の法(Lex naturae)、人間の法(Leges humanae)である。神の律法はある時代に神か ら伝えられたもので、モーセと福音書の至るところに書かれている。自然法 は、後に述べるように、神に関する自然の知識(notitia naturalis de Deo)、

そして私たちの生き方を制御することに関する(de morum gubernatione)

知識、もしくは高潔なものと醜悪なものとの区別(discrimine honestorum et turpium)についての知識である。これは数の知識〔観念〕が人間の精神 に神の力によって植え付けられているのと同じように、人類の中に神の力に よって植え付けられている。したがって、これは神の律法と部分的に一致す るが、それは後に明らかにするように、道徳と呼ばれている。ゆえに最初に 神の律法の種類が区別されなければならない。

法には三種類ある68。神の法〔律法〕、自然法、人間の法である。自然法につ いてもいろいろとあるが69、その一部は律法とも通底していて、それが道徳

(moralis)といわれる。人間の法は、それぞれの時代や国や社会において人間に よって随意に取り決められる法である。律法と自然法、そして道徳法は互いに共 通する部分をもっている。

しかし律法には他の部分があり、それは道徳法と呼ばれている。これは永遠 なる神の意図(sententia)であり規則(regula)であり、時間によって変 えられることは決してない。つねに永遠に神はこの考えを欲している。つま り被造物が神を愛し畏れること、理性的な被造物が敬虔であることを。しか し道徳法には精神における神の認識や、神への心の服従や、正しさや、貞潔 や、真実や、節度といった人間への徳について命じているものもある。し かし道徳法の優れたものは、同時に神の驚くべき考えによって一つの小さな 板のなかで表現されている。それは十戒(Decalogus)と呼ばれている。し

(17)

たがって道徳法を表したいと望むとき、十戒と名づけるのは普通のことであ り、それは巧みに言葉の争い(λογομαχìα)なく理解されなければならな い。かくして道徳法は存在し、後にそれらについて述べるように、それは十 戒の中に保持されている。そして十戒の要点の繰り返しや説明は、預言者や 使徒の書の至るところで読むことができる。これは神の精神による永遠の規 則(aeternae regulae mentis divinae)なので、モーセよりも前でさえ、教 会のなかでつねに響き渡っている。そして、これからもつねに止まり続け、

すべての異邦人にも及んでいるのである70

メランヒトンが律法と言うとき、それはキリスト者のみならず全人類にわたる道 徳法をも含意していることが、ここからも読み取れるであろう。そこで重要なの は、律法の用法である。これについてメランヒトンは明確にしている。律法の用 法には三種類ある。

ゆえに次のような問いが生じる。律法の用法〔用途(usus Legis)〕とは何 か。もし、律法による行い(Legis opera)が罪の贖いに役立たないとしたら。

あるいは律法によって私たちは義とされないとしたら。ここで私たちは律法 の務め(Legis officia)には三つあること、あるいは三種類の用法があるこ とを知らなければならない。

 第一は教育的(paedagogicus)もしくは政治的(politicus)な用法である。

というのも、神はすべての人間が規律(disciplina)によって強制され、再 生していない者でも、外的な過失を犯さないように望んでいるからである71

第一は、ルターのいう政治的市民的用法と同様である。第二は、これもルターの いう神学的用法と同様である。

これは律法のもう一つの神的用法(alius usus Legis divinae)であり、とり わけ罪を明らかに示し、糾弾し、こうした堕落した本性にあるすべての人間 をひどく恐れさせ、そして断罪するものである。というのも律法とは、全人 類における罪を断罪する、神による永遠の裁きであり、人間に明示されてい るからである72

この神的用法の無価値をアグリコラは説いたのであった。そこで第三の用法がメ ランヒトンによって主張され強調されることになる。それが再生した者における 律法の第三用法である。これをもってメランヒトンにおける律法の教育的用法と 呼ぶ場合もある73

(18)

第三に、再生した者における(in renatis)律法の用法について探究しよう。

ところで信仰によって再生させられ義とされた者は律法から自由となって いるが、これはここで言っておかなくてはならない。というのも彼らは律 法から解き放たれて〔自由に〕なっている。つまり、その呪いや断罪あるい は神の怒りから。これらは律法のなかに置かれてあるものである。すなわ ち、もし彼らが信仰を保ち、神の子への信頼によって罪と戦い、罪の狂乱に 打ち勝てれば。それにもかかわらず、やはり律法は教えられなければならな い。これは残る罪を指示し、それによって罪と悔い改めの認識は大きくな り、同時にキリストに関する福音は響き渡り、信仰も成長することになる(ut crescat fides)。同じく、したがって律法は再生した者にも差し出されなけ ればならないが、それは確たる行いを教えるためであり、その中で神は私た ちが服従の訓練(exercere obedientiam)をすることを欲している。という のも神は私たちが自分たちの考慮によって行いや儀式を考案することを望ん ではおらず、私たちが神の言葉によって支配されることを望んでいるからで ある。(中略) たとえ私たちが律法から自由であり、すなわち断罪から解放 されているにしても、神の子ゆえの信仰によって正しいものであるにしても、

それにもかかわらず服従するために律法は残るのである74

ここでもメランヒトンは信仰の成長(crescere)について語るように、彼におい て信仰は決して福音のみで満ち足りて完成されてしまうものではなく、ルターと 同じくつねに律法と同時にあって、その両者によりキリスト者の全生涯にわたっ て成長し形成されていくはずのもの、と捉えられていたのである。そのためにも 律法は必須の役割を担っていた。ゆえにアグリコラのような律法無用論には、と うてい与することはできなかったのである。

おわりに

 宗教と道徳の教育にとって重要な契機となる律法(法)と福音(愛)、換言す れば規律と愛、罰と赦しの関係について、メランヒトンとアグリコラによるカテ キズムをめぐる対立は、さまざまな問題を浮き彫りにしてくれる。

 まずメランヒトンとアグリコラでは律法理解が異なっている。メランヒトンに おいて律法には三つの用法があったが、アグリコラにおいては第一の政治的市民 的用法としてのみ価値を有するとされる。「悔い改め」は福音とキリストを想起 すれば足りるのであり、ここに聖霊も来るとの見解である75。それに対してメラ ンヒトンは、そうしたキリスト者の生成のプロセスにおいて、段階的かつ継続的 に「法」の果たす役割や用法を教育的に捉えていて、「悔い改め」がいきなり福

(19)

音やキリストや「罪の赦し」から始まるとは想定していない。そもそも「罪の認 識」のないところに、どうして罪の赦しや福音やキリストが来ることができるの か。キリスト教による宗教教育は、人間の心や魂の再内奥に働きかける人間の意 図的作用であるが、ここでメランヒトンは第一に律法の使用が有効であることを 繰り返し説き続けている。それは何もキリスト者に限らず、すべての人間と共通 する道徳法をも包含するがゆえに、道徳教育とも自然な形でリンクしている。こ の点でメランヒトンは、あくまでも倫理学者であり、かつ神学者でもあったとい えよう。そして、むろん教育者でもあった。信仰の訓練(vbung, exercere)や 成長(wachssen, crescere)という観点にこそメランヒトンのカテキズムの最大 の特徴が見出される。

 ところがアグリコラの場合には、まずは自身の体験に基づく信仰のみがベース となっていて、すでに福音のみによる神の赦しからスタートしてしまっている。

宗教改革期初期のルター神学との出会いが彼に福音神学を奥深く刻印したが、そ れをアグリコラはあくまでも神学者として、結果このような形で受容し発展させ ていった。その詳細な過程について本稿では触れられなかったが76、自身の純粋 な経験に基づいて―ある意味素直に―そこから律法を無用であると説くとなる と、必ずしもアグリコラと同様の体験を経ていない人々にとっては、安易な「罪 の赦し」へと直結せざるをえない事態が容易に想定されよう。事実、そうした現 状を顧みて巡察が行われ、『巡察指導書』がまとめられることになった。本稿で 見る限り、アグリコラにはメランヒトンのような教育的視点は見当たらない。キ リストによる福音の再発見はルター神学においても重要なポイントではあるが、

しかしそれはつねに律法と一体にして説かれなければならない。また子どもや庶 民には訓練し成長するものとして教育的に働きかけなければならない。それほど 人間は罪深いということである。この世に生きる限り、どこまでも肉として留ま るのである。再生した者における律法の教育的用法についてメランヒトンが晩年 に至っても語るのは、人間が死に至るまで信仰という点においては、罪人であり 肉であるがゆえにこそ祈りを通じて成長するし、また成長しなければならない存 在であるという、深い自覚と認識に立っているからだといえよう。この点がアグ リコラには希薄である。教育者・メランヒトンと神学者・アグリコラとの隔たり は大きい。

 畢竟するに、子どもや大人も含めた人間教育において、律法(法)と福音(愛)

はつねに一体であり、この両者が共に必要である。規律だけで愛のない、逆に愛 だけで規律のない指導は、二つとも人間や社会を腐敗させる。真の愛、福音とは、

あくまでも法、律法を伴っていて、規律という厳しさに裏づけられているといえ よう。蛇足ながら、メランヒトンとアグリコラによるカテキズムをめぐる対立は、

現代の私たちや教育にとっても、さまざまな示唆を与えてくれるだろう77

(20)

<註>

1 

Cf. Lohse, Bernhard : Luthers Theologie in ihrer historischen Entwicklung und in ihrem systematischen Zusammenhang. Göttingen 1995. S.274-283.

2 ユング『メランヒトンとその時代―ドイツの教師の生涯―』菱刈晃夫訳、知泉書館、

2012 年、参照。なおメランヒトンについては、これまで以下の一連の拙著で扱ってき ている。菱刈晃夫『ルターとメランヒトンの教育思想研究序説』溪水社、2001 年。同

『近代教育思想の源流―スピリチュアリティと教育―』成文堂、2005 年。同『からだで 感じるモラリティ―情念の教育思想史―』成文堂、2011 年。同『習慣の教育学―思想・

歴史・実践―』知泉書館、2013 年。同『メランヒトンの人間学と教育思想―研究と翻 訳―』成文堂、2018 年。

3 拙著前掲『メランヒトンの人間学と教育思想』、39 頁以下、参照。

4 とくに拙著前掲『ルターとメランヒトンの教育思想研究序説』、175 頁以下、同『メラ ンヒトンの人間学と教育思想』、18 頁以下、参照。

5 Cf. Leppin, Volker / Schneider-Ludorff, Gury (Hg.) : Das Luther-Lexikon.

Regensburg 2014. S.44-45, 67-68.

6 その後も反律法論争は続くが、一連の論争の経緯や概略についてはディンゲルによる 以下の導入を参照されたい。Dingel, Irene (Hg.) : Der Antinomistische Streit (1556- 1571). Göttingen 2016. S.3-15. Cf. Lohse, op.cit., S.195-203. ルターとの具体的なやり取 りや討論の邦訳としては、以下を参照。『ルター著作集 1-10』ルター著作集委員会編、

聖文舎、1980 年、303-369 頁。

7 メランヒトンのカテキズムについては、すでに一度取り上げている。拙著前掲『近代 教育思想の源流』、165-184 頁。

8 日本における本格的なアグリコラ研究は管見の限り未だ皆無である。1977 年改訂新版 第 4 版『キリスト教大事典』教文館、16 頁、での記事が唯一まとまったものといえる。

しかるに祖国ドイツおよびアメリカでは以下注 9 参照。ちなみに『キリスト教大事典』

の新版が準備中であり筆者もそれに携わっているところである。

9 アグリコラ研究の古典としては、Kawerau, Gustav : Johann Agricola von Eisleben.

Ein Beitrag zur Reformationsgeschichte. Berlin 1881. があげられる。コンパクトには Dingel, op.cit., S.44f. さらに詳しくは、Dingel, Irene / Kohnle, Armin (Hg.) : Philipp Melanchthon. Lehrer Deutschlands, Reformator Europas. Leipzig 2011. S.18ff. そ の他、本稿で参照した目ぼしい文献は以下の通り。Kawerau, Gustav : Agricola, Johann. In : Realenzyklopädie für protestantische Theologie und Kirche (RE). 3.

Auflage. Band 1. Leipzig 1896. S. 249–253. Bautz, Friedrich Wilhelm : Johannes Agricola. In : Biographisch-Bibliographisches Kirchenlexikon (BBKL). Band 1.

Hamm 1975. 2.unveränderte Auflage. Hamm 1990. S.57–59. Hammann, Gustav :

(21)

Agricola, Johann. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 1. Berlin 1953. S.

100 f. Rogge, Joachim : Johann Agricolas Lutherverständnis unter besonderer Berücksichtigung des Antinomismus (= Theologische Arbeiten. Band 14). Berlin 1960 (zugleich: Habilitationsschrift. Berlin 1959). Rogge, Joachim : Johann Agricola.

In : Theologische Realenzyklopädie (TRE). Band 2. Berlin 1978. S.110-118.

10

 

ユング前掲書、13 頁、参照。

11

 

その後のアグリコラに対するルターの否定的見解については、 『卓上語録』植田兼義訳、

教文館、2003 年、154-157 頁、参照。

12

 

反律法論争を含めたアグリコラの研究として本稿でも参照した目ぼしいものは以下の 通 り。Hammann, Gustav : Nomismus und Antinomismus innerhalb der Wittenberger Theologie von 1524-1530. Bonn 1952. Rogge, op.cit. Johann Agricolas Lutherverständnis.

Hausammann, Susi : Buße als Umkehr und Erneuerung von Menschen und Gesellschaft. Zürich 1974. Kjeldgaard-Pedersen, Steffen : Gesetz, Evangelium und Busse.

Theologiegeschichtliche Studien zum Verhältnis zwischen dem jungen Johann Agricola (Eisleben) und Martin Luther. Leiden 1983. Wengert, Timothy J. : Law and Gospel. Philip Melanchthon’s Debate with John Agricola of Eisleben over Poenitentia. Grand Rapids 1997. Wengert, Timothy J. : Gesetz und Buße. Philipp Melanchthons erster Streit mit Johannes Agricola. In : Frank, Günter (Hg.) : Der Theologe Melanchthon. Stuttgart 2000.

S.375-392.

13

 

以下の記述では注 9 に掲げた文献を主に参照した。

14

 

現存する Martino-Katharineum Braunschweig の HP 参照。https://mk-braunschweig.

de/willkommen/(2019 年 8 月 5 日閲覧)。

15

 

Rogge, op. cit. Johann Agricola, S.111.

16

 

Cf. Rogge, ibid. , Kjeldgaard-Pedersen, op. cit., S.9. , Wengart, op.cit. Law and Gospel, pp.23-24.

17

 

アグリコラは 9 月に、メランヒトンは 11 月に。ちなみにルターの結婚は 1525 年である。

18

 

ユング『宗教改革を生きた人々―神学者から芸術家まで―』菱刈晃夫・木村あすか訳、

知泉書館、2017 年、44 頁、参照。

19

 

Kawerau, op.cit. Johann Agricola von Eisleben, S.33.

20

 

Kjeldgaard-Pedersen, op. cit., S.14. Kawerau, ibid., S.31.

21

 

Kawerau, ibid.

22

 

拙著前掲『習慣の教育学』、130 頁以下、参照。

23

 

アイスレーベンとニュルンベルクの学校のカリキュラムについては、以下を参照。

Hartfelder, Karl : Melanchthoniana Paedagogica. Eine Ergänzung zu dem Werken

Melanchthons im Corpus Reformatorum. Leipzig 1892. S.1-10. すでに拙著前掲『ル

ターとメランヒトンの教育思想研究序説』、230-234 頁でも解説しているので参照。カ

(22)

メラリウスについては、拙著前掲『メランヒトンの人間学と教育思想』、103-108 頁、

参照。

24

 

Cf. Wengert, op. cit. Law and Gospel, pp.23-25. 注 9 や 12 であげた文献を含めてアグ リコラ研究の今後の課題としたい。

25

 

ブーゲンハーゲンについては、拙著前掲『メランヒトンの人間学と教育思想』、134-144 頁、参照。

26

 

さしあたり Cf. Wengert, op. cit. Law and Gospel, pp.103-138. Scheible, Heinz : Melanchthon.

Vermittler der Reformation. Eine Biographie. München 2016. S.98-101. Bauer, Joachim / Michel, Stefan (Hg.) : Der 》Unterricht der Visitatoren《 und die Durchsetzung der Reformation in Kurschsen. Leipzig 2017. S.198-204.

27

 

『ルター神学討論集』金子晴勇訳、教文館、2010 年、83 頁。

28

 

Clemen, Otto (Hg.) : Luthers Werke in Auswahl. Band 1. Berlin 1966. S.3.

29

 

金子訳前掲書、77 頁。

30

 

拙著前掲『メランヒトンの人間学と教育思想』、参照。

31

 

ベイントン『我ここに立つ―マルティン・ルターの生涯―』青山一浪・岸千年訳、聖文舎、

1954 年、292 頁。

32

 

さしあたり、シュトゥッペリッヒ『ドイツ宗教改革史研究』森田安一訳、ヨルダン 社、1984 年、Cf. Kaufmann, Thomas : Geschichte der Reformation in Deutschland.

Berlin 2016.

33

 

シュトゥッペリッヒ同上書、76 頁。

34

 

同上書、76 頁以下、参照。

35

 

中村賢二郎ほか編訳『原典宗教改革史』ヨルダン社、1976 年、112-117 頁、参照。

36

 

メランヒトンを中心にした巡察に対しザクセン選帝侯ヨハンは「それぞれの地の牧 師、説教師、副牧師、学校教師が説教、教理、司牧に関していかほどかの能力を持つ か、また彼らの品行がいかようであるか、彼らが今後これらのことをどの程度なしう るか、を調べるべし」(同上書、114 頁)とする。シュトゥッペリッヒ前掲書、90-94 頁、シュトゥッペリッヒ『メランヒトン―宗教改革とフマニスムス―』倉塚平訳、聖 文 舎、1971 年、86-89 頁、 参 照。Cf. Maurer, Wilhelm : Der junge Melanchthon zwischen Humanismus und Reformation. Band 2. Der Theologe. Göttingen 1969.

S.470-481. Brecht, Martin : Martin Luther. Band 2. Ordnung und Abgrenzung der Reformation 1521-1532. Stuttgart 1986. S.253-266. Bauer / Michel (Hg.), op. cit. 『巡察 書』の抄訳は『宗教改革著作集 15』徳善義和ほか訳、教文館、1998 年、21-47 頁。

37

 

Cf. Richter, Matthias : Gesetz und Heil. Eine Untersuchung zur Vorgeschichte und zum Verlauf des sogenannten Zweiten Antinomischen Streits. Göttingen 1996.

38

 

拙著前掲『近代教育思想の源流』、165-184 頁、参照。

39

 

Cohrs, Ferdinand (Hg.) : Die Evangelichen Katechismusversuche vor Luthers

(23)

Enchiridion. Band. 2. Berlin 1900. S.243-259. Stupperich, Robert : Der unbekannte Melanchthon. Wirken und Denken des Praeceptor Germaniae in neuer Sicht.

Stuttgart 1961. S.141-145.

40

 

この箇所はすでに別に訳出した。拙著前掲『メランヒトンの人間学と教育思想』、151- 161 頁。

41

 

Cf. Cohrs, ibid., S.230.

42

 

Ibid., S.243. 聖書からの引用は、日本聖書協会共同訳(2018 年)による。略語もこれに よる。

43

 

Ibid., S.245.

44

 

Ibid., S.247.

45

 

Ibid., S.249.

46

 

Ibid.

47

 

Ibid., S.251.

48

 

Ibid., S.252.

49

 

詳しくは、拙著前掲『近代教育思想の源流』、174-175 頁、拙著前掲『ルターとメラン ヒトンの教育思想研究序説』、175-186 頁、参照。

50

 

Cohrs, op.cit., S.16-83.

51

 

拙著前掲『ルターとメランヒトンの教育思想研究序説』、232 - 234 頁、参照。

52

 

Cohrs, op.cit., S.20.

53

 

Ibid., S.20-21.

54

 

Ibid., S.45.

55

 

Wengart, op.cit. Law and Gospel, p.73.

56

 

Cohrs, op.cit., S.83.

57

 

Cf. Wengart, op.cit. Law and Gospel, p.74.

58

 

前掲『ルター神学討論集』、267-268 頁。原典は WA 39. 344-345. WA とは Martin Luthers Werke. Kritische Gesamtausgabe. Weimar 1883-1993. WAの略号の後、巻数、

頁が続く。

59

 

WA39. 345.

60

 

Cohrs, op.cit., S.273-311. 項目 114. は、S. 293。

61

 

Cf. Koch, Ernst: ,,Deutschlands Prophet, Seher und Vater‘‘ Johann Agricola und Martin Luther. Von den Enttäuchungen einer Freundschaft. In: Luther und Seine Freunde. Wittenberg 1998. S.58f.

62

 

ブラシュケは次のように指摘している。「素朴な教会の信者とりわけ農村における信者

にとっても、宗教改革の遂行は多くの難題をもたらした。そこでは先ず第一に、人に

福音を理解させることが実際に出来る牧師が、余りにも少なすぎたのである」 (ブラシュ

ケ『ルター時代のザクセン―宗教改革の社会・経済・文化史―』寺尾誠訳、ヨルダン

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