3.11 から 2 年が過ぎようとしている。
いまだその余波の中に取り残され、かつ ての日常を回復できず苦闘している人々 の姿が日々伝えられる。社会は、その衝 撃の大きさに進むべき次の方向を見いだ せず混乱が続いている。メディアは「自 信と誇り」を回復させるためにか、「すば らしい日本」、「本当はすごい日本人」を 謳った番組をしばしば流すのだが、いた ずらな懐古に感じることが多い。
さて、『21 世紀への挑戦』と名うった シリーズの第 5 巻『地域・生活・国家』
は、3.11 以前に企画が開始され出版に至っ たものだが、3.11 を経験し、この社会が 進むべき方向を暗闇で手探りする者には、
行く手に見えるかすかな光の導きのよう に感じられる。
「絆」という言葉が、大震災以降折に触 れて用いられてきた。本書は、過去半世 紀、この社会にどのような絆(社会的靭 帯)があったのか、どのような絆が可能 であるのか、今いかなる絆が求められて いるのか、その答えを垣間見せてくれる。
以下稚拙ながら紹介をしたい。
命を守った自治:第 1 章「自治体にお ける健康・医療行政の可能性」に取り上 げられるのは、沢内村の自治の記録であ る。沢内村は、東北の厳しい自然環境と 医療環境の劣悪さから 1950 年代になっ ても「赤ちゃんがコロコロと死んでいく」
村であり、「医療負担で家族に迷惑をか けたくない」ゆえに老人たちの自殺が頻 発する村であった。そんな村が、深沢晟 雄村長のリーダーシップのもとで、病院 を開設し、老人医療の無料化、乳児検診 の無料化を進め、乳幼児死亡ゼロを 1962 年に達成したこと、早期予防医療の充実 により、老人一人あたり医療費も全国の 半額程度を記録したことは広く知られる ところである。
このような成果を生み出すためには、
国・県の意向に抵抗しつつ医療制度を作 るだけではなく、それに先だって村ぐる みの意識の変革が必要であった。村長を 始め村の職員は、村民に耳を傾けること を第一に、話しを聞いて回った。その上で、
集落ごとの徹底した話し合いと討議によ る意志決定で進められたという。
【書評 2】
水島 司・和田 清美 編
『(21 世紀への挑戦 5)地域・生活・国家』
(日本経済評論社、2012 年)
都 築 耕 生
著者の日野秀逸は、沢内村のこの実践 を「生命行政」と呼び、「世界で最も進ん でいる分権機構と評価された(イタリア の)地区民評議会より 10 年以上も早い時 期に、生命・生活の分野で分権の徹底を 沢内村はやっていた」と評価する。ここ には一寒村の住民たちの救済の物語には とどまらないものがある。
沢内村の自治にはいまだ学ぶべきこと が多いと感じると同時に、これこそ 21 世 紀にも誇れる記録であると思うる。「われ われの社会には、健康と医療のために、
村民の自治に基づきこのような「絆」を 生み出した村があるのだ」と。
「異者」との出会いがもたらす可能性:
2 章「「障害と開発」と地域社会の戦略」
で久野研二は、「障害の社会的モデル」の 視座にたつことを提案する。つまり障害 とは、個々人の機能的欠損ではなく、「障 害者と障害者に対する態度および環境に よる障壁との間の相互作用であって、障 害者が他の者と平等に社会に完全かつ効 果的に参加することを妨げるものによっ て生ずる」とするのである。久野が扱う のは、開発途上国での障害である。開発 の目的が国家経済中心から社会と個人の 発展へと移る中で、障害へのアプローチ として始められた CBR「地域社会に根 ざしたリハビリテーション Community- Based Rehabilitation(CBR)」の可能性 について、アマルティア・センのケイパ ビリティ・アプローチと社会関係資本の
視点から検討し、本来の地域開発を志向 する CBR として、「統合・包摂指向型」
CBR、並びに「エンパワメント・エイジェ ンシー指向型」CBR に可能性を見いだし ている。
久野は、障害者を念頭にしつつ「異(者)
との出会いは既存の知や共同性が挑戦さ れる行為であり、それは共同性の解体と 再構築、すなわち地域社会の発展・開発
(Development)のきっかけともなる」と いう。
この「異者による共同性の解体と再構 築」の可能性は、4 章の「外国人への言 語支援と地域資源」で魯ゼウォンが扱う 夜間中学にも見いだすことが出来よう。
日本は国の政策として外国人への言語 支援を行っていない。生きるために日本 語を学ぶ必要のある外国人(当初は在日 韓国・朝鮮人)は、「夜間中学」(中学校 夜間学級)で日本語学習をしてきた。奈 良県では、大阪府が府内の夜間中学へ「越 境入学」を認めない方針を出したことか ら設立運動が起こり、70 年代末から三校 が設立され、さらに 80 年代半ばからは自 主夜間中学として三校が設立された。在 籍者は、当初、在日韓国朝鮮人が中心で あったが、次第に中国帰還者、さらに、
アジア系、あるいは南米系のニューカマー と呼ばれる人々が増えている。特に、自 主夜間中学は、国籍が多様である。
魯によれば夜間中学は、単なる教育組 織の存在以上のものである。ネットワー クを形成しさまざまな交流を学校間で実
現する一方、自主夜間中学と奈良県教育 委員会の間のパイプ役も果たしている。
また、中国にルーツを持つ子の母国語教 育のために、留学生などから適任者を見 つけるのに一役買っている。保証人バン クのような外国人支援組織にもリンクし ているという。まさに、「異者」のための 生活支援センターの機能を果たしている のだ。
さて、魯は「奈良県の在日韓国朝鮮人 への言語支援は夜間中学という地域資源 に規定されている」という。この「地域 資源」には、二つの含みがあるように感 じられる。
一つは、魯も言うように、財政的にも 時には法的にも基盤が心もとない「地域0 0 0 0 0 0 0 0 00 0 の資源0 0 0」に日本語教育を放置してきた日 本政府への抗議である。
だがもう一つ、この「地域資源」には、
地域の人々が生み出してきた地域に根差0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 した誇るべき資源0 0 0 0 0 0 0 0という意味があろう。
夜間中学は、ルーツをたどれば部落解放 運動の反差別の精神を受け継ぐ人々の活 動にたどり着くという。久野の言う、さ まざまな「異」なるものと地域が出会い、
それが契機となって生まれたのが今の夜 間中学という存在であり、それは地域が 生み出してきた「開発・発展」の姿である。
このような運動の蓄積こそが再び未来へ の資源になるのではないかと予感する。
前後するが、もう一つの教育について の論考、3 章の『教育の拡大と国家役割 の縮小』では、外国人への日本語教育の
ように国家政策の不在ではなく、その政 策の行方が問われている。教育の高学歴 化が進行し、その受け皿として大都市部 を中心に私立大学が増加した。高等教育 は主に家計支出の増大によって賄われ、
戦後一貫して増え続け現時に至っている。
本論は、高等教育への接近機会が家計の 経済力に左右されるようになった中での、
地方国公立大学の役割を評価する。地方 国公立大学に進学機会を得た層には、家 計の経済力の影響がさほど見られないか らである。また、その卒業者に比較的良 好な雇用環境へのルートを提供している からである。地方国立大学が縮小される ような方向に進むことは、大都市部と地 方との格差が教育面から拡大する可能性 があると警告する。教育の中央集権的制 度からの脱却と国家により担われてきた 教育資源の再配分とを区別するべきであ るという苅谷剛彦らの警告は貴重である。
環境問題への視座の転換:第 5 章「生 活の環境問題とエコロジー」で、進士 五十八は、公害問題が発生する以前、生 活環境問題は、「安全性、利便性、快適 性など人間を中心においた広義の健康な 環境づくり」がテーマであったという。
60 年代に公害問題が発生し、それに取り 組むには、分析的個別科学的方法で要素 還元型の取り組みをせざるをえなかった。
しかし、本来の生活環境問題を検討する には、トータルに精神的側面まで含めな ければならないとする。公害防止からア
メニティの実現へと目標が変化し、社会 のサステイナビリティを実現するために、
生物多様性、生活多様性、景観多様性を 目指すことを提言している。
一方、第 6 章「環境と開発」で古川彰 は、「環境化」という切り口で、現在も流 通する環境についての言説を鋭く批判す る。「環境化」とは、「もともと環境とは 異質な次元で論じられてきた事象・現象 を環境(とりわけ地球環境保護)という 枠組みの中に包摂して位置づけ解釈し対 応を同定する傾向」を指す。「環境保護」
が社会の規範となった現在、「環境とい うラベルだけが独り歩きし,問題をすり 替え人々の暮らしの多様性を奪っている」
と警告する。
例えば、環境保護と開発援助を理由に、
ネパールのある森林は、シェルパたちが適 切に維持管理をしていたにもかかわらず、
彼らから奪われていった。三全総、四全 総にも、環境化の事例が見いだされる。
それと対照的な事例を、著者は矢作川 方式に見ている。矢作川方式とは、河川 流域の開発をおこなうには矢作川沿岸水 質対策保全協議会のアセスメントを要件 とするという方式である。同協議会には、
流域市町村、漁協、水利組合などが集ま る。詳細は省くが、ここでは環境化の言 説ではなく、「相対的に行政から自律し独 立し」、「自らの必要と便宜にしたがって」
論議が重ねられる。古川は、そこにリゾー ム型の共同性を見いだし、孤立した個人 でもなく、実体的なコミュニティでもな
い、コミュナールな関係性が生まれてい ると評価する。
第 7 章「戦後住宅事情と二一世紀の居 住政策の課題」で三宅醇の扱う住居も、
われわれの重要な環境である。ここでは、
日本の人口構成と人口移動そして経済変 動などマクロな社会変動との関連で住宅 政策がいかに展開されたかが手際よく纏 められている。その政策の経過が、現在 に至るまでのさまざまな住環境問題、社 会問題、生活問題にいかに直結している かが明瞭に描き出されている。
三宅は、近年の少子高齢化、老人介護 問題を考えると、コミュニティの再建を 視野に入れた解決策が必須で、高齢者施 設団地化とミックス団地化が現実的な選 択であると提案する。
コミュニティの行方:第 8 章「コミュ ニティ形成・まちづくりの系譜と現代的 位相」で、和田清美は、日本の半世紀に 渡るコミュニティ形成・まちづくりは、
非日常的運動から日常的活動へと定着し てきた一方、政府のコミュニティ政策は 1990 年代後半から後退をしてきたとい う。しかし、近年再び新しいコミュニティ 政策が画策されていることに注意を喚起 する。
世田谷区の地域活動調査の結果をみる とその「まちづくり・地域活動」の水準 の高さは印象的である。例えば、「持続 的発展の可能な夢あるまちづくりを行っ て循環型社会の創出を活動目標」にかか
げる団体は、その理念にしたがって、「再 開発計画を提案・・・水とふれあう遊歩 道をつくる活動、環境教育への取り組み、
地産地消・有機農業の推進・・・さらに はベトナムに「ゼロエミッション交流セ ンター」の建設の提案、専門学校の設立 等・・・環境から教育にいたるさまざま な活動を展開している」のである。
これは決して例外的な事例ではない。
和田の目に映るのは「表れてくる様々な 問題に対して、住民自らが主体的に取り 組み,活動している」住民の姿であり、「住 民活動リーダーの能力はきわめて高」く、
「自発的な住民・市民活動は、グローバル 化という世界的な規模での社会変動への 主体的対応を実現している」と高く評価 する。
その一方、先に触れた政府のコミュニ ティに関する新しい政策は「新しい公共 空間」「地域協同体」などの語句で提言さ れるのだが、そこに読み取れるのは、結 局地域への公共サービスを安価に提供す る方策作りであるのだ。「住民の自発的意 志に基づく「地域」への参加と自治の目 的が、公共サービスの提案に矮小化され て」いると和田が批判するのは、当然で
あろう。
沢内村の住民自治による健康・医療行 政から半世紀。ここに、再び住民の自治 と行政の相克が形を変えながら見いださ れると言うべきか。
おわりに:長年それぞれの分野で活躍 してきた専門家が執筆している本書のい くつかの章には、それぞれ研究者の立場 から、大観的な歴史が簡潔にまとめられ ており、理解を助ける。21 世紀の今、わ れわれはどこにいるのか、これからどこ に向かうのか。門外漢にも分かるように 編集されている。
筆致は様々ながら、なによりも本書に 書かれた事実そのものが、読む者を励ま してくれる。営々とした人々の生活と努 力に勇気づけられる。歴史への反省と発 想の転換を迫る新しい視座が、同じ過ち を繰り返さぬよう警鐘を鳴らし知恵を授 けてくれる。
本書の内容は、3.11 を生き延びている。
特に若い世代に一読を勧めたい。編者水 島司が言うように「ここに、今、共に、在る」
ためにも。