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委任統治制度と其國際的批判價値

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(1)

委任統治制度と其國際的批判價値

阿部三四

昔てロイドジョウジ氏が大英国の宰相として︑ときめいた時のことである︒一九一八年の一

月︒従承英囲政府の執り来ったる政策亡︑近代的帝国主義とに封して痛烈なる反撃を加へ︑民

族自決主義は蕾猫逸領たる植民地にも適用せらるべく︑翠に欧洲諸国民に而已限局すべきでは

ないと放言したこだがある︒阿弗利加又は南洋部族に此の原則の適用は比較的に薪新なる試み

であと且つそれ白檀に於て既に革命的思想を背有してゐるのである︒にも拘はらす︑氏は更

に一歩を進めて︑此等の地方なり︑部族なりが︑欧洲の資本家若くは政府の便益の翁に︑利用

搾取せらる〜を防止すべきであると附言してゐるのである︒

氏の宣言は︑之を文字通りノに解摩すれば︑奮猫逸箇植民地に対する帝国主義の路地を雄群に

物語るものである︒而して斯の如き賢ロが猫逸缶植民地に射して行はる︑どせば︑猫逸領植民

地以外の他の植民地に封しても︑行はる可きであって︑矛盾なく其の適用を拒否することは不

委任統拍制度ミ其国際的批判的情憶

二 〇

(2)

商 業 主 経 済

O

可能の如うである

o

斯︿の如く考察して見るさ民族自決ご帝図主義ごは永遠に和解し難き仇敵

ではあるまいか︒

ロイド・ジヨクジ兵は何故じ斯の如き驚憶に値する異常のユ一一口鮮を弄したのか︑其の理由は暫

く拾て問は子︑先づ第一に氏の宣一一一一口ご同盟諸国の政策さを比較調照し︑雨者が如何なる程度に

於て相背馳するかを考寂したいご忠ふのである︒戦勝を致想し︑同盟図政府が秘密保約に因

b

︑植民地分割の協定をなしたこ之は事買である︒英偽商図は一九一六年に阿弗利加に於ける

奮濁迩領植民地の併合に閲して覚書を交換してゐる

o

英偽雨図は又一九一五年四月一一六日の伶

敦秘密保約に因り︑伊太利に濁し報償を奥ふるこごを約定してゐる

o

其の報償なるものは阿弗

利加大陸に於ける伊太利植民地の増大を意味してゐたのである︒而かも南阿聯邦は宮濁逸飯南

西阿弗利加の併合を期待し︑白耳義は罷濁逸館東部亜弗利加の分割に奥からんこさを翼望して

ゐたのである

o

極東に於ける答濁逸領植民地に悶しでは︑ 一九一七年二月)英国は山東及赤道

以北に於ける夜間縄逸係諸島に劃する日本政府の要求を支持し︑同時に赤道以南に於ける英図政

府の要望に封し︑日本政府は同一精紳を以て之を取扱ふ旨の了解が成立してゐたのである

o

して仰︑露︑伊の三園は此の取引に濁し︑遺憾なき同立を表明したのである︒斯の如くにして

信濁逸仮植民地は民族自決ざいふが如き高速なる理想に鈎る冶こさなく︑其の搾取的利用に関

(3)

し何等顧慮せらる︑ごころな︿底分せられんざしたのである︒

このこさは単に答濁逸領植民地に限ったこさではなかった︒土耳古も波新も同様に戦争が資

したる︑正蛍なる掠奪物ご思惟せられたのである︒ 一九一五年三月英偽雨閣は露閣に潰し︑

r

ンスタンチノ

1

Y 9

合む土耳古の一部分割芝︑北部波新に於ける自由行動営承認し︑英国は T

波斯に於ける中立地帯を其の勢力範国中に加ヘ︑而して土耳古に於ける英偽雨図の要求は之を

爾後の交渉に譲るべきこごを協約したのである︒ 一九一五年四月二六日︑同腹図は秘密保約に

偽協定及英偽協定は露国に封しジリャ︑ 因り︑伊国に謝しドデカネジア及土耳古分割に関する正蛍なる分前を確認し︑

y

ジヤ及来方波新の図蹟に至る勢力範図を︑英国に 一九一六年の露

お し

メ y ポタミア︑及パレスチンに於げる港湾並にすイプラデゲ‑除く庚大なる勢力範囲を割

嘗てたのである︒而して伊太利に製する正蛍なる分奥は︑

られ︑一宮にアダクヤのみなら子︑ 一九一七年に至り︑明白に区劃せ

ア ナ

η ノヤの南部海岸の全部及ジミ

Y

ナ州に迄及んだので

あ る

以上叙述したるが如き併合的帝国主義の秘密政策に劉し︑前記ロイド・ジヨクジ兵の演説の ︒

一不す如当﹂相反馳する政策の後生︑殊に重要なる委任統治制度の萌芽を見るに至ったのである︒

大戦中に於ける反帝国主義の特色は民族自決さ凶際主義の思想さであったのである

o

此等の雨

委任統治制度さ其図際的批列債依 ニ O 七

(4)

商 業 さ 経 済

O

思想の脱税達に於ける淵源に朔 b ︑研究するは周よ b 本論の目的ではない︒併し乍ら︑反帝図主

義者にぎって︑委任統治の起源を知るこさは強も興味索然たるものではあるまいさ思ふのであ

る︒米国の

y

ツプマシ氏は卒和論者は外交的努力︑武装卒和︑戦争自櫨迄が弱小園領土山一搾取

的利用ケ中心ごして︑回特せる事買を失念してゐる︒図際主義のなすぺきこさは︑事業家が後

進 地

方 に

於 て

事 業

を 経

修 す

る に

静 岡

︑ ・

9

︑本岡政府の援助に侯ぎる可から子さなす帝問主義的理論

の打破に存するのである︒而して本国の援助に依頼するこさが帝図主義の中堀紳経ぞ構成する

所以であり︑而して之を裁断するこ之が五日人の任務であるさ氏は結論してゐるのである

o

氏 は

更に其の方法ごして︑欧洲曾議例へばモロヅコに於けるア Y ゼジラス合議の如きは俊約の可決

さ共に直に解散するこごなく︑時に必要に応じて開合し︑而して一該倹約の賢施を監督する機関

ざして業の存在を縫演すぺく︑而して結局は世界的危機の後生の民ある各地域に一湿の上院さ

して活躍する縫続的合議ケ設置し︑ 一方に於て原住者の集合守して︑下院?構成せしれ

U

可きで

ある︒斯の如︿にして植民地の統治は漸次L国際化せらる﹀に至り︑後活闘に移住する人々も

本因政府よりは却って新制度の保護に信頼するに至るであらう︒果して然 b させば︑最早や其

彪に武力干渉の必要も生色ゴる可く︑競争的決態に在る帝国主義は其の口寛之共の刺戟さケ夫

ム 壮

一 山

で あ

る さ

唱 道

し て

ゐ る

(5)

ウ/オ

Y タア・ワヅプマン兵ご同様の提案?なせる者に︑英闘のぜ・エ

1

・ ホ

プ y

兵 y

が あ

る ︒

氏は有名なる経済亭者であ

b

︑又反帝図主義論者である︒氏はモ甘ヅゴじ於ける図際施政規則

に関するア Y ゼジラザハの決議が解決の方法訟指示したる賂に於て︑ リノグプマジ兵ぎ同様の見解

tf

﹂抱持してゐるのである

o

氏は図際舎議の監理の下に於て︑ 一因は門戸開放を係件ごし︑後進

図に調し干渉を行ひ︑政治的支配訟も敢行し得ぎ説いてゐる

o

此の程の提議は其の確固たる史

的根披を一九

O

六年に於けるモロヅコ山同議に置いてゐるのであって︑其の営時モロツコに闘し

米図困務卿

Y

1

ト広んは偽西雨闘を受任図戸認め︑雨闘におし照合するさころがあったのであ

る︒而して大統領

ylズペ

Y ト氏は明 委任なる字句を使用せりさ移せられてゐる︒併し乍ら

類似の思想は一入入五年の伯林決議室日に存するかも知れない︒蓋し同決議はコンブ涜域を一定

の図際的制限の下に置くさ同時に︑特に門戸開放に闘し規定合設けてゐるからである︒大戦中

ランド

7

氏は植民地さ其の本因さの関係を表示す

1

Y 誌の主筆であったアキタップ・ケア

I

る︑適蛍なる用語ざして︑屡々︑受任及後見なる字句を採用したのである

o

ケ ア

1

氏其他英図の

海外領土問題に興味を有する︑‑ブタンド・ア

1

Y

・ グ

Y

1

プざして知られたる人々が委任統治

制度への穏導者さして︑多少の寄奥さ支獄ごを匁したるこどは明白である︒

植民地の図際管理に関する思想は︑ 一九一七年入月︑英国労働紫の見書に依り︑可な

b

人気

委任成治制度て其閥際的批列低値 二 O

(6)

商 業 さ 経 沼

二 一

O

に投合し︑相蛍の反応を惹起したのである︒率直且つ完全に帝国主義を排携し︑会中央阿弗利

加 1 英︑白︑仰の植民地及

y

y

ア並に宮川仰泡属領守合むーを勝て設定せらる可き図際聯盟の

下に於て︑一公正無私なる委員合の施政に委すぺきこさを主張したのである︒其庭に図際商業に

謝する門戸開放があり︑而して原住者は特に剥奪さ搾取から救済せられねばならぬのである︒

然るに濁立努働議は此の図際管理案を以て賀行不可能なるものさなし︑入月の末︑直接図際管

理に代ふるに︑図際委員舎の監理の下に於て︑各欧洲諸闘に濁して︑植民地の統治守委任する

の計劃守立て︑此の趣旨に基く宣言を一公表したのである

o

其の形式に於て多少の径庭はあるが︑如上の思想は一九一入年二月二五目︑英京倫敦に於て

開催せられたる聯合労働合議の宣一一一日中にも表明せられてゐるのである

o

ぞれは熱帯阿弗利加に

於ける金交戦闘の植民地は︑図際聯践の下に於ける閥際協定に図︑り定められ且つ共の保一障に依

b 維持せらる﹀管理制度の下に置かる︑こさ︑国家主義を管室するさ共に︑均しく経済的自由

思想の鼓吹並に原住者の権利を擁護する結局に充分の考慮ケ桃山ふこ芝生すであったが︑特に此の管

理制度は原住者の希望を顧慮し︑土地所有権に闘し原住者椛利の擁護並に植民地自陸の一服祉を

増進する局に︑ 一切の植民地牧入の提供を要望したものであったのである︒

一 九

一 八

年 ︑

ロイド・ジヨクジ広んが試みたる演説は︑前惑の事買を背景ごして考察すぺきで

(7)

あって︑而かも兵の演説は英国労働裳が其の主義綱領後布後に於て行はれたものである︒賢明

なる成爾斯の政治家は︑同盟諸国が帝国主義的秘密保約の賀行に腐心しつ︑三の

b

さ の

思 想

を 一

掠せんご努力したのであるが︑滑稽にも其の秘密保約なるものは同年の冬に一公表せられ︑氏は

主︿の保約の廃棄さへ試みんさはしなかったのである︒

一九一入年一月八日︑米園大統領クヰ

y y

氏の提案に係る所謂十四原則の内の第五原則は

y

明断を快くの厭はあるが︑其の異撃なる賠に於ては迄に佼るものが在ったのである︒其の第五

原則に付き検討するさき︑何人さ雌直に氏の政策の有する概念的特質ケ後見するに苦しまない

であらう︒其の一は氏の熱烈なる希墜であった卒和解決を掠奪物の食慾なる分配に絡らしめ︑ざ

るこさであり︑其の二は一九一入年以前に於て︑屡々︑氏に依り提唱せられたる︑帝国主義的食

慾及搾取に到する氏の恰惑である︒併し乍ら︑漠然たる第五原則は委任統治制度の特殊的方案

を隔つるこさ如何に遼速なるか含示してゐるのであって︑ 一九一八年夏︑同氏の作成になる規

約第一案は委任統治制皮に関する何等の規定を包合してゐなかったのである︒

敢て謂ふ︒委任統治制度は賞際に於て帝国主義者の秘密保約さ反帝国主義者の抱懐する自由

思想ごの打開策若くは妥協であるさ︒ 主(の妥協の形式は一九一八年二一月︑南阿聯邦のぜ

1

委任統治制度さ並(図際的批剣侭値

(8)

商 業 さ 経 済

一 一

スマヅ将軍がクヰ

yyy 大統領の胸裡に植付けたものださ云はれ︑従って九マツ賂軍が委任統

治制度の創案者ご思惟せらる﹀に至ったのである︒併し乍ら︑其の基礎的思想に至つては︑必

十しもスマツ将軍のみが考案したものではない

u

で あ

る ︒

ジ ・

Y ・

ピ ア

I

氏の如きは一九

入 年

一 月

メ y ポタミアの如き後進地方は図際委任統治制度により一因に委任せらるぺ︿︑而

して原住者を搾取より保護する必要上︑最も殿密なる保障の委任行刷局中に包合せらる可きこご

全力説し︑之さ共に他国の権盆の健窓口に釣し︑擁護の責務に任予ぺきを高調したさ謂はれてゐ

る︒強て類似の形式含求むれば約二十五年前日本に於ては有賀長雄博士の満洲委任統治論があ

γ

b

︑買際問題ごしては英図のすイプラス島に於ける委任統治︑域決図のポスニア︑

Y

ヅ エ

ピナ二州に謝する委任統治がある︒又十数年来植民闘は少くごも理論上︑多くの関係に於て︑

後見人の義務に類似する義務を治下の後活国人民に劉し︑負捨せるこさケ認識してゐたのであ

る︒畢一覧此の黙に閲する深き詮索は無盆の徒事である

o

五 日

人 は

ス マ

ヅ 賂

官 一

・ が

図 際

聯 盟

に 於

げ る

委任統治制度を創案し︑之を明確に主援したものがスマツ将軍なるを知れば足るのである︒

スマツ将軍の起案は従来露閥︑域決図及土耳古に所属せる領土合図際聯盟の様力の下に置

き︑然る後図際聯盟の任命し得る受任問に︑ 一定地域に劃する椛カケ委任せん三するに存した

のである

o

賂軍は名和並に組織を考案したのであるが阿弗利加及太平洋に於ける湾濁逸領植民

(9)

地に謝しては︑委任統治制度を通用するの意固を有せなかったこごは明白なる事買である︒又

何人ご雄将軍に之を期待せざりし如である︒蓋し賂笠・はプア!の帝国主義者ごして極姿なる地

位を占め︑且つ筈濁逸領南西阿弗利加及東部亜弗利加をプア

I

及英闘に併合せしめんこさを企

主 且

し て

ゐ た

か ら

で あ

る ︒

大統領クヰ

yyy

氏は将軍の考案を容認し︑氏の第二規約草案中に委任統治制度に関する僚

項を加へたのである︒今其の大睦を摘記すれば︑従前壊浜国及土耳古に隷属せし人民及領土並

に従前濁逸帝図主権の下に在りし植民地に謝し︑図際聯盟は下記の基本原則に従ひ︑最終日底分

又は絵続的施政の主権に付き遺産保管者さ認められ︑而して此の移轄及監理は一切の岡家の併

合或は特楼を排除するものである o 此等の人民及領土に関し︑共の自決及自定の自治以外に必

要なる一切の権限︑監理或は施政は図際聯盟の濁占的機能であって︑聯盟自ら之を行使するか

或は委任して行ムこさ﹀す

o

図際聯盟は此等の人民及領土の権限︑監理又は施政を︑其の代表

者又は受任図さして指定任命する一園︑或は代理機関に委任するこさは合法的である︒但し出

得水小る限り任命せらる可き代表者又は受任闘は︑自治人民又は領土に依り指名又は承認せらる

︑こどを必要ごする︒受任図又は代理者の行使する権限︑監理又は施政の程度は一切の場合に

於て聯盟に依り特別保

A T

又は契約設を以て明定する︒此の僚令又は契約詮は︑聯盟の監視及監

委任統治制度ミ其図際的批剣債低

一 一

一 一

(10)

商 業 さ 経 沼

二 一

理の完全なる権力を保留し︑且つ斯かる統治を受くる人民におしては受任図又は代理者に濁す

る受任契約違反の救正︑或は受任図又は代理者の鐙一見に付き︑聯盟に向って訴願するの権利ケ

留保せしむるこご

¥A

し︑又受任図又は代理者は一‑切の場合に於て︑此等人民又は領土の経済的

資源の使用及後達に閲し︑門戸開放又は機合均等の政策を採る可きもの芯す︒受任問及代理者

は如何なる場合に於ても︑聯盟の規定せる決定的標準を越えたる陸海軍兵力を組繊維持するこ

さを得歩︑諸帝国の後縫者ごして︑国際聯盟は直接に且つ委任に依るこごなく︑諸帝閥内より

勃興し又は創設せられたる新郷立図に調し︑彼等相互間の関係争‑監視するの権力を有し且つ此

等の国家間の紛議を︑現存秩序及一一般卒和の維持の目的を以て︑調停整備するの義務に任じ且

つ之合履行するこさ

o

筋肉労働に従事する一切の者に濁しては︑↓公平なる時間及人道的なる労

働俊件を設定維持するこさを約し︑並に其の遮商及産業関係の及ぶ一切の図に於て︑同様なる

政策及保障の採用維持せらる ¥A に努力するこさ︒国際聯盟は一切の新興図に調し︑締立図又は

自治図ごして承認を奥ふる前提俊件ざして︑其の裁剣管轄権の下に在る一切の人極的又は図民

的小数民族におし︑治律上及事賃上差別待遇ぞ奥ヘゴるの義務を要求する︒之が一九一九年一

月︑印刷配付せられたものである︒第二草案はスマッ将軍の考案の大部分を特に字句の末節に

至る迄採用したのであるが︑クヰ

yyy

氏は之におし重大なる縫夏を加へ︑露図を除外して約

(11)

逸領植民地を包合せしめたのである︒氏は委任統治制度に訴する聯盟の権力を輩固にし︑薄弱

なる安蛍を排して︑ 一の真正なる制度ケ確立せしめたのである︒此の委任統治制度の思想にし

て各国民の意思に投合せんか︑現在の委任統治制度の有する不確買は勝て除去せらる﹀に至る

で あ

ら う

委任統治制反に関するクキyyyの提案芝︑同盟諸国間に締結せられたる秘密保約ごの聞に

は︑最初は可なり激烈なる抗諮があったのであるが︑其の後巴里の平和舎議に於て妥協が成立

じたのである窓猫逸仮植民地に閲する一年前の宣言を無現し︑媛︑通自在なるロイド・ジヨクジ

氏は一月二三目︑最高曾議に於て先づ反濁の一患を翠げ︑緊切なる欧洲図境問題を討議する以

前に於て︑直に阿弗利加︑近来及太平洋に於ける掠奪植民地の分割すぺきこさを提議したので

あ る

o

之におし仰の宰相クレマン y ク氏伊の外相

y v

‑アーは賛成の怠を表したのであるが︑国

b

クキyyy兵の承諾すべきこごではなかったのである o 翌二四日ロイド・ジヨクジ兵は新

西陥側︑濠洲︑南阿聯邦及加奈陀の各首相に慾滋するに︑英図治自飯が大戦中に占領したる濁逸

植民地の印時併合を要求せんこごを以でしたのである

o

目︑偽︑伊の三園も亦均しく秘密保約

に基き夫れん¥要求するさころが在ったのである︒併し乍ら︑クヰyyン氏の決意には確乎さ

して勤かす可からざるものがあったのである︒氏は︑世界の人々は︑列強は先づ掠奪物仕分配

委任統治制度さ其図際的批剣位佐

二 一

(12)

商 業 主 ー 経 済

一 一

一 六

し而して後図際聯盟を組織したさ非難するに相違ないさ思考したのである︒氏は又誠実に︑新

の如き行動は聯盟の成立ケ不可能ならしめ︑列強ケして武力競争の往時に立還らしかるもので

あるさ思惟したのである︒広州の詩論の力よりは寧ろ氏の輩固なる決心は絡に列強をして一委任統

治の原則ぞ承認せしめ︑加御逸植民地並に土耳古僚を委任統治制度の下に置かしむるに至ったの

で あ

る ︒

大統領クキ

yyy

兵の畢生の大勇猛心は遂に委任統治の原則を確立せしめたのであるが︑同

盟図は其の細目に至つては部分的に之を履行しなかったのである︒聯盟規約第二二伎の如き長

文の規定は或る英図記者の云ふさころに依れば︑主ごしてスマツ将軍及フヰソップ・ケア

1(

ク シ

ド ・

7

1

Y プ

誌 の

主 律

一 ヤ

ヶ 辞

し J

イ ド

J

ジヨクジ氏の秘書ざなりし人)雨兵の作成に係るもの

であるが︑其の熟練にして︑巧妙なる取拾選捧はウノキ

yyy

氏の草案をして殆んざ完腐なき迄

認め得可からぎるものぎし︑実の定義さ注的内容さは焼跡ぞ止め

Y

る迄切捨てられ︑実の渡部は

光彩陸離たる秀麗なる修慌を以で外飾せられたのである︒クキ

y y

y

氏は率直且つ明瞭に換洪

困じ属する領土及濁逸植民地さ記載したるに拘はら歩︑規約第二二僚は極めて娩曲なる修併を

弄 し

A 1 ・次の戦争の結果従前支配したる園の統治を離れたる植民地及領土にして・::::云々さ

記してゐるのである︒

(13)

yyy

広んが聯盟に)最終底分の主権

l

受任問凶ざして園家又は組織睦を任命するの権︑監起

H

棒︑委任統治地域よ b の訴願争直接受理するの権其の他守合むの権

l e T

附奥したるに謝し︑規

約第二二僚第二項は最終の権利又は主権の存在を明白にせ子︑何人に依り︑又は如何なる方法

に於て受任闘が選定せらる可きであるか︑又聯盟の監理権行使の範囲ケ不確買ならしめてゐる

のである︒共の第二項は︑此の主義守骨具現する最善の方法は該人民に讃する後見の任務彦︑先

遊園ごして資源︑経験︑叉は地理的位置に依り︑最も此の責任を引受くるに越し且つ受諒する

ものに委任し.之をして聯盟に代り︑受任図ごして右後見の任務を行はしむるに在りざい V

ふ の

で あ

る ︒

資源並に経験の賂より論究するさきは︑同盟国が受任図ごして充分の資格を有するこさは言

e r

侠ない︑併し乍ら︑地理的位置なる字句ケ挿入したる所以は︑無経験なる英国自治領に芙

の粂てよ b

麹 望

せ る

花 自

制 御

逸 領

植 民

地 を

奥 へ

ん が

忽 に

採 b たる措置に外ならないのである︒

聯盟の任務は依然ざして不明瞭であ b ︑其の結果同盟国自身が白園ケ受任図に任命し︑併令の

場合さ略ぽ同様の権力を享有し得たのである︒

此の関係に於て︑狗逃がぺ

y+

ノイユ僚約第一一九依じ因り其の海外鋲土におする一切の搭利

及椛限を主たる同盟及聯合図の匁に槌楽したるこごが説明し得らる︑のである︒又同様に土耳

委任統治制度さ英図際的批列債依

二 一

(14)

商 一 業 さ 経 済

二 一 八

古僚約第九五僚は主たる同盟闘におし︑

ジ ソ

ア ︑

y ポタミア及バレスチシの図蹟の劃定︑受任

闘の選定及委任統治の僚件を↓公定するこごを承認してゐるのである︒筒設すれば同盟諸国はク

yyy

民んが聯盟じ附奥せんさしたる受任図の任命令 γ 聯盟の掌中より・一等去ったが怨に︑聯盟は

唯斯くして選定せられたる受任図及同盟諸園により作成せられたる傑件を承認するの権限含有

するに︑過ぎなかったのである︒受任図は蛍然図民に依り任命せらる﹀か︑少くさも承認せらる

可きものであるごのクキ

y y

y

兵の僚項は︑規約第二二僚の規定するさころに図れば︑ メ ホ y

タ ミ

ア ︑

ジ η ノア及バレスチジに遁用せられたるに止まるのである︒而して此等諸岡民の希望は

受任図営選定するに蛍って︑第一に考慮す可き重要事項なるに拘はら?︑事質問題ごして図民

の希望は顧慮せらる︑こさなく︑少くさもジソアの場合に於ては不問に附せられたのである︒

ク キ

y y

y

広んは聯盟が出来る丈の短時日間に︑聯盟の後見の下に図務を慮理し得る一政治草

併の建設に努力するこさ及猫立の請願を聴詳し︑而して何時にでも後見より免除せらる︑こさ

に付き︑規定せるに拘はら歩︑規約第二二伎の末項は請願に悶し何等規定するごころなく︑又

委任統治地域に於ける住民が白立

L

得る泡蛍なる時機に達したる場合︑何人が其の濁立を決定

すべき権利を有するのであるか︑聯盟であるか︑蛍該受任図であるか︑此の酔却に関しでも明記

を快いてゐるのでゐる︒

(15)

yyy

案に於りる最も顕著なる縫更は委任統治制度の三分類である

o

其の髭更の目的は 英闘の利盆に存するのであって︑クキ

yyy

案である委任統冶地域に於ける門戸開放が可決せ られたる場合には︑英領南阿︑濠洲及新西蘭が甚だしき窮境に陥るからである

o

濠洲及新西蘭 は赤近以北に於ける宮猫逃飯諸島の委任統治を希望するご共に︑日本移民に濁し門戸を閉鎖せ んごする決意を抱いてゐたのである︒英飯南阿は答猫逸俣市西阿弗利加におする委任統治を切

望し︑而して荒蕪地を通じ磨︑大なる図読に沿ふて関税の障壁を設︿るよりは︑寧ろ南西阿弗利

加ご関税同盟を結ばんざする意図含有してゐたのである︒然るに一英飯南阿は英国商品に調し.

特恵的待遇を奥ふる保護関税を有したるが故仁︑斯の如き特恵関税の委任統治地域に謝する趨 用は門戸開放違反になるからである︒従って規約第二二僚は南西阿弗利加及南太平洋諸島を以 て一固さなし一分類を構成せしめたのである︒現今

C

式委任統統治ごして知らる﹀ものであっ

て受任困領土の構成部分ざして其の図法の下に施政令﹄行ふケ以て最善三思惟せられたものであ

る︒換一一一一目すれば南西阿弗利加及甫太平洋諸島は施設上に於ては併合せられたのであって︑加凋逸

の統治地時代に於ける門戸開放は閉鎖せらる﹀に至ったのである︒而して英保雨図の希望を満

査 足

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委任統治制度さ英図際的批列債値

(16)

商 業 主 経 涛

二 二

O

由を詳奥し︑奴隷の責頁又は武器若くは火酒類の取引の如き弊習や﹄禁止し技に築城又は陸海軍

根挨地の建設及捜一一一日察又は地域防備以外の匁にする土人の軍事殺育舎禁過すぺきこさ佐保障し且

他の聯盟図の通商貿易に濁し均等の機曾を確保するこさを要す三一規定してゐるのである

o

所説

B 式委任統治が之れである︒

喰 A 式委任統治のみがクキ

y y

y

の一切の委任統治が斯くあるぺきこさを希望してゐたもの

である

o

郎ち自立し得る時期に至る迄施政上受任図の助言及援助を受︿るものであって︑受任

図の選定に付ては主ざして蛍該部族の希望を考慮するこさを要するものである︒併し乍ら︑規

約第二二伎は A 式委任統治におし門戸開放の違反又は原住者に謝する搾取に付て︑特殊の保障

を設けてゐないのである︒

期の如く巧妙ではあるが︑↓公正を侠く厭ある方法に依り︑ スマヅ将軍及フヒリップ・ケア

l

氏は大統領クキ

y y

y

の異誠なる図際監理の下に於ける受任制度に調し︑

一 の

が 女

協 方

法 を

按 出

したのである

o

併し乍ら︑其の妥協なるものは哀心的希望に迩︿又英国自治伎の首相蛇に欧洲

外交家の帝闘主義的抱負に迎合したものに過ぎないのである︒委任統治の本質は一九一九年五

月七日所謂三豆頭が B 式委任地域及C式委任地域の仮分配をなしたさきに︑一見らに探聞せられ

た戚があるのである︒英図は濁逸領東部阿弗利加を

ll

其の一部に劃する白耳義の要求は無視せ

(17)

られたのである

l

英領南阿は濁迩飯南西阿弗利加を︑新西蘭は濁逸領サモアシ烏を︑英帝国は

ナク

l

y

燐陵盟島営︑赤道以南に於ける沓制御逸飯諸島は濠洲に︑同以北諸島は日本に︑而して

英偽雨図はト

1

I

ランド又カ

pr

y

Y

に閲しては聯盟に濁し共同推薦をなしたのである︒而

も主︿の領土の分割に関しては一九一六年の秘密協定に依り既に決定してゐたぜいふこさであ

o

又伊太利は一九一五年四月二六日に於ける倫敦倹約第二ニ僚に因り︑英偽雨図が阿弗利加

に於ける猫逸植民地を専有した場合には同国も報償合受くるごの約定全局したのであるが︑該

一三僚の越用に関する委員任命に付て英︑仰︑伊の三園は更に協定を成立せしめたのである

o

之を要するに英偽南国は原則上委任統治制度を採用し︑而して可能の範囲に於て其の秘密保約

の賀行を企固したこさは明白である

o

y

y ンの受任制度に謝する欧洲・帝国主義の巴旦曾議

に於りる論評は結局安協じ依って其の結局を告げ︑之に依って同盟諸国は委任統治制度なる名

目さ形式さの下に於て併合の買質を巌ち待たさ思惟したのである︒

同盟図は自ら受任図たらんさ期待した飯土佐占領し︑又は占領を縫践し而して施政念行った

のであるが︑其の問規約第二二伎の買施に閲して︑幾多の跨踏ご︑不確質ご︑遅滞ごが生じた

のである二九一九年の夏︑同盟国じ依

b

任命せられたる委員が倫敦に合会し︑ B 式及 C 式委任

委任統治制度さ其図際的批列債値

一 ー

一 一

(18)

商 業 さ 経 済

統治の傑項を起草したのであるが︑偽園が原住者軍隊の募集に関して此等の僚項に留保を求め︑

日本も亦同様に留保を要求したごのこさである

o

然るに聯盟理事合は問題を一九二

O

年八月迄

延期し︑共の時白耳義のエム・ ρ イマシス氏は次の如き手絞に関する報告を理事舎に提出し.

共の承認を経たのである︒氏は主たる同盟及聯合図が受任闘を任命する権利を有する賂に付て

は︑何等の疑市誌を抱かなかったのである︒併し乍ら注件上の権原問題 i 恐らく単なる形式に止

まるであらうが︑解決を要する問題である l に悶し︑模原が二重なる診要す ε 思惟したのであ

る︒印ち一ほ主たる同盟及聯合図に依

b

︑他は図際聯盟に依り附奥せらるべきであるさ思考し

たのである︒従って手続上主たる同胞図が受任図を任命して︑之ケ理事舎に通告し理事舎が之

ぞ承認し︑而して後︑委任統治の傑項を決定すぺきものど怨したのである︒併し乍ら︑何人が

委任統治の俊項を起案すべきであるか︑規約第二二伎は聯盟図問に深め合意なき場合︑之を理一

事曾に一任してゐるのである o 理事舎は主たる同盟国が委任統治の起草若くは提案を念すぺき

こさを決定し︑此の手続は履行せられ︑

一 九

O

年十一月十七日.理事合はC式委任統治全承

認したのである︒其の後一九二一年二月︑理事合に於てB式委任統治傑項案が正に決定せられ

んざした時.米岡政府より委任統治に閲する案は理事舎の決定に先だち︑主(の骨子守通知せら

れたき旨の通知に接したのである︒共の理由ざする所は同盟問が委任統治の政治的地位を決定

(19)

するの権は︑戦争の直接の結果ざして取得したものである︒交戦闘の一員ざして戦勝に貢献せ

る米国は戦争の結果に関する討議︑或は講和俊約に規定する委任統治の下に取得する標利に会

加 す

る こ

さ や

‑ 得

ε 信十ごいふにあるのである︒理事舎は米図の抗議を受くる以前.玩にA式委

任統治俊項に付ては延期を決定してゐたのであるが︑B式委任統治保項も亦米関の通牒に基き

延期に決定し︑同時に米図政府に調し︑斯の如き問題を討議する場合には理事舎の合合に出席

ありたき旨の通告を後したのである︒米国は此の劫告を尽け︑委任統治保項を受任各国さの問

に一締結するの方針に出だたのである︒訟に於てか 一九二二年七月十七日にB式委任統治僚項

が︑パレスチン及

ノアにおするA式委任統治僚項が一九二三年九月二十九日に承認せられた

γ η

のでゐる︒併し乍ら︑バレスチンに関する羅府内川法王の抗議︑ ジ

y

アの委任統治に閲する偽伊の

抗争及図境問題等は相官紛糾を惹起したのである︒

Y

ポタミアの委任統治に関しては何等後

表を屯なかったのであるが︑立(の代りに英国が該地方にイラクの阿技比亜王国を建設し︑

二 二

年 一

O

O

目︑該王国三同盟倹約ぞ締結し︑市じて一九二四年九月二七日︑此の方治に

依る委任統治の義務履行に付て︑理事舎の承認や﹂得たのである︒

上越の如き遅滞を生悲しめた所以に付ては︑米図も亦責任を負携しなければならぬ筈である

o

任統治制度さ其図際的批列位低

一 一 一

一 一 一

(20)

商 業 主 経 済

二 二 回

米国は委任統治を引受け︑英の制度に悶奥するの希望ケ有し︑事賀︑巴里に於ける平和委員さ

して活躍したジヨクジ・エ

Y

・ ピ

1

兵は聯盟事務局の委任統治部の部長芯して就任する務定で

あったのである︒然るじ米図上院が委任統治制度の採用に反割し︑聯盟規約の批准&差怒へ︑

米図をして聯盟加入を不可能ならしめたるが絡に︑遂に沙汰止みごなった諜である︒

併し乍ら︑米岡は特殊の物質的利盆︑換一一目すれば石油ご海庭電線の怨に︑委任統治問題に俗

込まる﹀に至ったのである︒石油は買にメ y ポタミア及バレヌチン雨地方に於ける最も重要な

る 問

題 で

あ る

一 九

O

年五月一二日︑米闘は英図のメ y ポタミア地方に於ける石油資源の排

他的濁占計査に濁し︑抗議を提出し︑

一 九

O

年七月二八日︑英偽商図がナシレモ石油協定に

調印せる事買が明瞭になった時︑七月二入目︑米国政府は夏に一一般峻烈なる抗議を致したので

ある︒此の協定に因れば英国政府がメ y ボタミアに於て得る石油の二割五分をカ

V

Y ト・マー

ケ ッ

ト ・

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トで偽図に譲奥するこ芝︑若し石油が私合一肢に依り採掘せられたる場令︑偽図は

l

該舎一肱のストックの二割五分を購入し得るこごになってゐるのである

o

米国政府の致せる抗議

の要旨は斯の如き雨困問の協定は図際紛議の主要なる若干の胸板営︑終来除去せんが魚に︑設

定せられたる委任統治の原則の重大なる違反であるさいふに存したのである︒日疋等の抗議に封

し カ

1

グン卿は︑世界に於けるお判断般の入割以上は米国の監理の下にあるごの事買に願れ

(21)

ば米国政府に依り引用せられたる石油に関する英閣の活動に付き米岡輿論の過敏は甚だ理解し

難しごの辛壊なる回答を奥へ︑而してメ y ポタミアに於ける委任統治の原則に関する米国の主

張は之を理事舎に委したのである︒

石油に関する雨園間の紛議は遂に九月二

O

目︑米固守して同盟誼に聯合闘の一員ざしての穣

利を主張せしなるに至り︑叉事貫図務卿コ Y

I

氏は委任統治に関する諸原案が理事舎を通過

する以前︑米闘をして慎重なる考慮ゃ匁きしむる忽に︑米国に交附せらるぺきこご営姿求した

のである︒思ふにグエ

Y

サイユ俊約第一一九僚に困︑り猫逃が其の海外植民地を主たる同盟及聯

令図のゑにぬ来したるこ芭は事買である

o

従って︑米関は主たる同盟国の一員たるが放に︑米

図の同意なくして之等の植民地を B 式及 C 式委任統治区域ざして︑割蛍てるこさは不可能な筈

であるつ併し乍ら︑同僚約の第二二伎は委任の諸傑件が︑聯盟国か若くは理事舎か︑二者中其

の一に依って決定せらる可きこ芝を規定してゐるのである︒而して米闘は此等二者中の執れの

資格

b d

も保有してぬないのである︒而かも米国はグエ Y ナイユ倹約を批准せ争︑又如何なる調

獄卒和俊約

e T も結結してゐないのである︒米国の無批准は一切の法律関係争複雑ならしめ︑混

乱せしめたのである︒ A 式委任統治

lvy

・ バ レ ス チ

Y B

A メ ポタミヤに閲しては米図は土 y

l

ザシヌ曾議にも正 耳古におして宣戦せ歩︑又セ

1

Y

に於げる謝土平和俊約に調印せ子︑

委任統治制度て英図際的批剣位値 二二五

(22)

商 業 さ 経 法

二 一

一 六

式に奉加するを括経し︑盟・に非公式の会列者ケ波遣するに止めたるが故に︑ 一居事情をして困

難ならしむるに至ったのである︒

きあれ︑世にも無遠慮なる米国政府は此統一すの法律上の困難に拘泥するさころなく︑

一 九

二 一

年 二

月 一

一 一

日 聯

盟 理

事 舎

に 完

全 一

日 を

提 出

し ︑

共 の

主 張

を 固

執 し

メ yポタミアに於ける石油に関

し機曾均等及委任統治請求権の要求を反覆し︑且つ C 式委任統治の下に日本に宛行はれたるヤ

ツプ島に謝し︑新に抗議を提出したのである︒其の理由ざする所は︑ゲエ Y サイユ傑約第一一

九僚は濁逸が其の海外領土に関する一切の様利及権原を主たる同盟及聯人口闘の絡に拘束すさ規

定してゐる︒而して米国は其の一図であり且つ日本政府はグエ Y サイユ倹約或は同僚約締結前

の商議に依って何等の権利ケ得可きものではない︒蓋し米闘は聯盟規約或は本問題に関する如

何なる傑約にも奉加してゐないからである︒米間政府は︑英の後如何なる理由に依り︑米図の同

意な︿して委任統治営奥へんごせるかケ解するこさが出来ない︒聯盟は妄りに令衆園ケ拘束す

るの権力な︿而して聯盟理事合が一九二

O

年二一月になせるヤヅプ島委任統治の是認及共の統

治俊項ケ決定したるこごは︑米国にごりで何等の殺力含有せぎるは明白なる事買である

o

ヤ ヅ

プ島の庭置に関する前大統領ヲキ

yyy

氏の態皮は今年三月三日図務省よ

b

後したる陳述書に

明記せられてゐる︒氏の云ふごころに依れば︑ 一九一九年五月七日の四大同合議決議に因

b .

(23)

ヤヅプ島念日本に割蛍てるこご︑したるはイマン・デグイスよ

b

初めて関知したのである︒

ク キ

yyy

は常時デグ牛久に調し︑予は未だ舎で斯る協定に同怠したるこごなしさ告げたので

ある︒更に最高合議の議事は決定的ではない又決定的さするを得ぎる性質のものであるから︑

ヤヅプ島を日本に割蛍てる決定に謝して合楽園が一個の抗議を提出せ︑ざりしごいって︑合衆図

の権利守放棄したるものごして其の殺カを認む可きではない︒クヰ

yyy

は又予は屡々機合あ

る 毎

に ︑

Y

プ島問題に閲して特殊の主張を提出し.同島は何れの一闘の委任統治地域中に加

ふ可きものではなく︑唯海底線の目的のみに.其の権能を附奥すべきものなりさの意見ぞ固執し

たごレってゐるのである︒ヤヅプ島に関しては米闘は・一本だ嘗て何等の保約を締結したるこさも

なく︑又何人さ雌岡島におする合衆図の権利又は利盆を譲渡し又は放棄せしなるこ之は出来な レ︒此の事買に鑑みて令来園政府は同島に劃する合衆国の権利又は利盆は最高曾議又は図際聯 盟が之に濁して何等かの議決訟なせし以前より存在したるものであるさの理由の下に︑之

e T

棄したるに非ぎるこさ及合衆図はヤヅプ島を日本に割嘗てるこご及日本が委任統治に任十るの

合法なるこさぞ承認するこさ能はざる旨を主張するものである︒又令来図政府は曇の︑通践に明

ヤヅプ島に濁して別に獅占的利盆を追求するものではなく且つ列強に附

確に記述せるが如く︑

奥せるご同様の特椛

h y

有するこご以外何等の特椛をも獲得せんさ欲するものではなレ︒ざいふ

委任統治制度さ巽図際的批列位低 二二七

(24)

商 業 主 経 溌

二二八

のである︒以上は数次交換せられたる日米往復文書中の主要なるもの︑二に付き摘記 P 試みた

のである︒之に濁し日本政府の回答を記述するが順序であるが︑相山首複雑せる問題であるから

煩労?避けて滋には之&省略するこごにする︒併し乍ら︑吾人ごして唯一言すべきは米図の諸

種の抗議が常に米闘の主たる同盟及聯令図の一員なる事を基礎ごして立論せられたるこさであ

る︒五日人さ雄米岡が主たる同盟及聯合闘の一員たりしこさは承認する︑併し乍ら︑米国はお猫卒

和俊約を批準してゐないから︑該倹約は米国に濁しては何等の殺カ子殺生してゐない筈である︒

換言すれば米国は契約の静岡事者に非まるを以て︑契約自憾よ b 生十る利盆を享有するこさを得

一歩を譲って米闘も山町田事者であるさの理由に基き︑制到猪平和俊約の殺力後生が

米岡の批准を保件ごするこご︾なれば︑該倹約よ

b

殺生せる総ての結果は︑米国の車濁講和等

ないのである︒

相到加仰倹約を批准せ.さるこぜが確賢明白になったごきから悉く放カを喪失するこさになるのであ

る︒従って米国に付ては同闘の権利︑義務︑椛カ及責任が全然削除せられたものさして考ふ可

きである︒若し然ら・干させば米図は自己の義務を否認し得可き倹約の下に︑間早に権利のみを享

有し得る特殊の地位に立つこごになるからである

o

平和俊約の末文にも批准寄託の第一回調書

は一方に於て濁逸園︑他方に於て主なる同盟及聯合図中の三園が本係約&批准したる後直に之

を作成すぺし︒本保約は之ケ批准したる締約問問に於ては前記第一回調書の日よ

b

之を貫施

(25)

す︒他の一切の関係に於ては本倹約は各締約図の批准書寄托の日よ

b

該国に劉し之を貫施すさ

規定してゐるのである︒由之観是卒和俊約が米国におし何等の殺カを殺生せ玄るこごは火を路

る よ

b

も明白である︒

米園の抗議に劃する日本政府の癖駁が極めて論理的且つ合法的なりしに関せ子︑結果は之に

反して日本に不利にして米国に有利であったのである︒米国は買に輪以想以外の傍倖を巌も得た

のである︒印ち一九二二年二月)ヤヅプ海底線に於ける米図の利盆は日本さの特別保約に因

h J

︑保一障せらる﹀に至ったのである︒加ふるに又同盟諸園は B 式委任統治案に関しても米固さ

の協議含受諾し︑米国の石油舎一枇は四分の一利権争﹄獲得する約定子確保したのである︒此佐一寸の

問題解決の鍵は要するに治理に存せ歩︑欧洲列強の米国に濁する債務関係にあるを以て︑巳

h u

を得ざる結果さ見るの外ないのである︒かくして偉大なる米図は受任諸図さの諸俊約に因

b

若干の委任統治地域に於て聯盟国さ同等の権利ぞ確保し︑而して米園の既得財産権等重の保障

及委任統治の施政報告書潟本の送達を受くる約束を得たのである︒

A式委任統治はジ

y

ヤ︑メソポタミア及バレラアンに謝するものである︒約六百五十両の人

民は概して阿詑比亜放であって︑阿投比亜竿島︑北阿弗利加及其の他の地方に散在する阿位比亜

委任統治制度さ其図際的批列釘値

ニ ニ

(26)

商 業 さ 経 済

二三

O

放の分数を代表してゐるのである︒併し乍ら︑英偽商図の帝困主義芝︑阿位比亜民族自決さの

葛藤は最も鋭角的なものである︒英米雨図の

γy

ア 及

y ポタミアに於ける一公表の目的は土耳

古の懸制よ

b

此等雨図を解放し︑人民自身の自由撰揮に依る原住者政府@建設を奨廟援助し︑

而して之を承認するに在るのであって︑ 一九一入年一一月七日に於ける英保雨闘の宣言は少︿

さも其の趣旨に基いたものである︒同一の精紳に基き規約第二二僚も︑亦従前土耳古政府に属

したる或る部族は縄立国ごして伎承認を受け得る程皮に達したり︑尤も共の自立し得る時期に

至る迄︑施政上受任図の助言及援助を受くるものごす︒前記受任図の選定に付ては主ざして営

該部族の希 M M Z を考慮するこごを要す︑ さ規定してゐるのである︒

A 式委任統治は明に︑理論上︑阿位比亜図を完全なる郷立闘に導く念に︑考按せられたる車

なる経過的属領であふ

o‑

プバノシを合むジ η ノアに濁する偽図の委任統治は明白に土人権力三の

協定に基く組織法の構成に付て而巳なら子︑叉獅立図さして︑

γy

ア 及

y

ポ タ

ミ ア

の 進

歩 的

泌 氏

遣を援助する免に︑法規伝制定すぺきこさを約定してゐるのである︒英闘はパレスチ Y

に 於

立法行政に関する完全権を有してゐるのであるが︑地方自活を奨廟し︑狛太閣の設立躍に自治

制度の後注を促迩する義務を負携してゐるのである

o

y

ポタミヤに於て英閣は既に阿位比亜

王国を設立し︑而しで聯盟加入に斡旋努力すべき旨

h 1

誓約してゐるのである︒

(27)

A

式委任統治の他の一般的特徴は受任図が其の統治地域の信仰の自由に干渉するこさ︑宗殺

上の理由に基き住民に濁して差別待遇?なすこさ︑向学校を遮じて白岡国語守課するこ芝︑他園

に劃して委任統治地を譲渡するこさ及経済的門戸開放に違反するこさや﹂禁止せられてゐるこご

である︒車にジソアに付てのみ一玄へば原料利用の濁占的特権の附奥︑特権附奥に常り︑他の聯

躍闘に濁して差別待遇ヶ匁す甲}ごぞ禁止せられてゐるのでゐる︒

y

ア は

A 式委任統治中最も重要性骨帯びたるに不拘︑共の施政は最も不成功たるを免れな

い ︒

y

アは大戦の終処せんさする頃︑英軍及阿位比亜軍のカに依り︑士耳古より解放せられ︑

而して英闘の援助に依りプタンス・プエイサ Y は

vy

アの寅際上の支配者ごしての地位を占め︑

仰図外相も亦同殿下が大多数人民の支持を受けっ︑あるの事買を認容したのである︒平和曾議

開催中にクキyyン大統領がジソアに波遣したる調査員某は調査の結果ジ η ノア人民の一般的希

望は抑制立さ︑他の阿投比亜放さの聯合にあるこさ︑ 而して受任図ざして第一候補に米国を︑第

二候補ざして英図に期待せるこさを探知したのである︒然るに偽図は士耳古掠奪物の分前ごし

て ︑

y

アを得んこさや}固執し︑而して一九一九年︑偽凶年隊をジ

y

アに波遣して英国占領軍

に代らしめたのである︒阿技比亜の先見者は一九二

O

年 三

月 ︑

ダマデ刀只に於てジ

y

アの名望

家よりなる合議守開催し︑大に反割の気勢を悲げ︑而してプエイナ Y 殿下をジ η

ノ ア

及 ︒

ρ V

只 チ

委任統治制度さ英国際的批列釘値

一 一

(28)

商 業 さ 経 済

シの王に選定し︑共の兄弟のアプダラーを任命してメ y ポタミアの王たらしめたのである︒併

し乍ら︑偽閣は之が忽に其の志望を鐙更するこさな︿︑叉之に依つで其の蛍初の目的を阻止せ

らる﹀こごはなかったのである︒ ジリノアに於て九高の偽兵を統帥せるゴ

1

1

賂軍は寧ろ強膝

的に偽闘の委任統治を承認せしむる匁に︑

プ エ

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Y

殿下を召喚して強要するごころあ b ︑殿

下は巳むを得予之を承認したるも︑印後其の支持者さ偽軍さの間に戦闘の開始伝見るに至り︑

フエイサ Y 殿下は敗北してジリノアを追放せられ︑菜園の意に依りイラク図(メyポタミア)の園

王ざなったのである︒

此の不運なる出来事は手初めから不利盆を資したのであって︑偽闘の行政官は其の着任さ同

時に︑阿投比亜政府を破壊して新政府を樹立し・原住者の反抗に打克たねばならなかったので

ある︒地方の希望を充足する免にジリアを五車位に分割し︑南方に於て‑プバノシの山山獄地方合

撰張して︑大ラバノ

ye

形成し︑奥ふるに猪立の行政争以てし︑図旗の所有をも承認したので

T

ある︒ダマ只カスの南束︑丘陵地方が

l

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ユざして知られたる殺波の住居地帯

1 l

ジ エ

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スの自治地方を構成するゑに分割せられ︑共の残部地方印ちダマスカス︑

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アレ

y ポ

1

アラヲヰトの三地方が聯邦を組成したのである︒聯邦各園は各自代表合議含有し玉名の代議員

を聯一邦舎議じ詮り︑而して聯邦合議は順次じ聯邦の大統領を選定する権能を有してゐたのであ

(29)

る︒此の制度は偽国外務大臣の任命に係る偽国最高委員の統轄の下に︑偽人官史制度さ相謝し︑

其の支配を受りてゐたのである︒其後一九二五年︑阿詑比亜放が分割を好ま十さの理由に基き

アラヲキトは完全なる自治を享有し︑而して ダマ久カス及ア

ν

ヅポーはジリアに結合せられ︑

聯邦制度は解散の運命に逢着したのずある︒

此の新統治方法が未だ充分に行はれぎる

先 立

ち ︑

ジ η ノア人の叛乱に因

h J

形勢が重大化した

の で

ゐ る

急激なる偽園内閣は最高委員ざしてす‑プイユ終軍を任命したのであるが︑ 其の任

命は決して上乗の策ではなかったのである︒同賂軍の抱懐せる反敬棒援張主義はジリノアに於け

る唯一の偽園仮営怒らしめたのである︒換言すれば少数の耶蘇殺徒さ其の専横なる行匁さは他 の諸国慢の憤怒を購ふに充分であったのである︒叛乱はド

y

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ズ族内に燃え上ったのである︒

ず‑ブ寸ユ・将軍が秩序ケ回復せんさ欲して︑村落を陪ぬき︑ダマスカスを包回したるこぎは︑事態

をして盆々危険に陥らしめたに︑過ぎないのであって︑叛乱はジリノア以外の他の方面に披大せら

る︾に至ったのである︒狼狽せる偽園政府はず‑プイユ賂官?を召喚し憲法々規の革新を誓約し︑

而して占領軍の増員を敢行したのである︒新知事は和解的態度ぞ持して叛徒の銭感子試みたの

で あ

る が

γ

リノアの阿位比亜図家主義者は図民的政府の下に

γ η

ノアの統一ケ要求したのである︒

思ふにジリアの叛乱は一委任統治制度の手酷びしい一の試練であったのである

o

常設統治委員

委任統治制度芝生(図際的批剣伯位

一 一 一

(30)

商 業 主 経 済

二三四

舎は偽闘に謝し特に叛乱に関する報告を要求し︑該報告を慎重に審査するご共に︑偽園代表者の

説明彦聴取したる後︑該報告が委任統治悉員合の期待に反する旨を宣明し︑ナライユ賂宜・がカ戸

ピユ大尉をして︑義にサ一ブイユ賂匠・の先任者がド

Y

1

ズの放長さ協‑議の結果︑作成する自治符

主に関する協定を彼らしめ︑土地所有権及一公共事業に関し︑急激なる革新を企図せしめたるを

批難し︑叛乱の一誘因はド

Y I

九をして強制労働の形式に於て過度なる要求に服従せしめたる

こさであるさ何等潤飾するさころなく︑率直に逃ぺてゐるのである o 此等の批難は偽図の一雑

誌が云へる如くに寧ろ苛酷なる論評であったに相違ない︒併し乍ら︑同雑誌は委員舎を賞揚し︑

偽闘が忠買に委任統治の原則を賀行し︑直翠なる態度を以て委員合及聯盟さ共働すぺきこさを

慾認したのである︒偽図政府は此の精紳に則 b ︑委員合及理事舎を説得する念に︑帝図主義的

支配の答政策を廃棄し︑ ジ η ノアに自治政府を置かんごす意図ある旨を明にしたのである︒

阿投比亜放の岡家主義さ偽闘の帝国主義さの確執はジ

y

アに於ける仰図の委任統治をして︑

他の植民地に比し︑ 一府不成功に終らしめたるさ共に︑柏崎想以上の多額の経費を支出せしめた

一 九

二 五

年 一

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月二一日に至る迄の軍事費二四億六千五百両プランに上り︑

に於ける牧稔は唯僅に其の一小部分の支協に充営するに過ぎ歩︑而して一九一九年より一九二 の

で あ

る ︒

ジ フ

五年一一月五日に至るの問仰閥占領竿の戦死者及死己者数六千六百二二人に達したのである︒

参照

関連したドキュメント

批判している。また,E−Kane(1983)の Scapegoat Theory

〔注〕

Keywords: nationalism, Japanese Spirit, the Russo-Japanese War, Kinoshita Naoe,

Right Copyright © 日本国際政治学会 The Japan Association of International

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政治エリートの戦略的判断とそれを促す女性票の 存在,国際圧力,政治文化・規範との親和性がほ ぼ通説となっている (Krook

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