法華経法師功徳品における法師の体系︵上︶
伊
藤 H而
王
叡
る︶を摘出すると︑左の如くである︑
日 問題の所在
ここでは法華経法師功徳品第十九における法師の体系の諸要素と
構造を追求することによって菩薩行の基本構造の特徴を究明しよう.︑
サンスクリット原典とチベット訳は全同する︒シナ訳も大同する
が︑什訳妙法華は達意的であり︑しかも多少の出入異同がある︒
なおここでは経の要文を摘出するに際しては︑煩雑を回避するた
めに︑サンスクリット原文はその私訳のみを示して省略し︑シナ訳
は妙法華を︑それも僧俗に馴染みぶかい訓読として国訳l切経のを
摘示してみよう︐J原文テキストの頁行数は注記する︒チベット訳は
文章中に必要に応じて重要用語のみ摘出する︒
口 要文の摘出と分析
先ず要文︵サンクスリット原文からの私訳と妙法華の国訳におけ
法華経法師功徳品における法師の体系⌒上︶︵伊藤︶
長〈行﹀
川 そのとき世尊は常精進︵11常に不断に勤修する︶菩薩摩詞薩に
告げられた.
④およそ善男子ありてこの法門を受持し読諦し説示︵△解説︶
し書写するとしよう.二㊤その善男子もしくは善女人は八百の眼
の功徳を千二百の耳の功徳を八百の鼻の功徳を千二百の舌の功
あつま 徳を得るであろう︒八百の身の功徳を千二百の意の功徳を得る ヘユ であろう︑これらこの多百の功徳によって六根の聚りは清
浄・極清浄となるのであろう︒︵爾の時に仏︑常精進菩薩摩詞薩に 告 げ たまはく︑若し善男子・善女人︑是の法華経を受持し︑若しは読
み︑若しは諦し︑若しは解説し︑若しは書写せば︑是の人は当に八百
法華文化研究︵第.一十.二号︶
の眼の功徳・千二百の.耳の功徳二八百の鼻の功徳・千二百の舌の功
徳・八百の身の功徳・千二百の意の功徳を得べし.︑是の功徳を以て六 根を荘厳して皆清浄ならしめん︐︒︶
i か れはかくの如く清浄なる眼根をもって父母所生の肉眼によ
って内外あり山・森・林のある三千大千世界を下には阿鼻大地
獄より始めて上には有頂に至るまでその一切を見るであろう︒
ぺりこ 生来の肉眼によってそこに受生したところの一切の衆生を見る であろう︒またかれらの業の異熟を知るであろう︒︵﹃是の善男 子・善女人は父母所生の清浄の肉眼をもつて︑三千大千世界の内外の 所有る山・林・河・海を見ること︑下阿鼻地獄に至り︑上有頂に至ら
ん一︑亦其の中の一切衆牛.を見︑及び業の因縁・果報の生処悉く知ら
ん⊂﹄︶
ヨ
重〈頒﹀
山 この経を衆会の中で畏れることなく説示し怯じることなく 顕
説するかの人の諸功徳をわれよりなんじは聴聞せよ︒︵若
し大衆の中に於て 無所畏の心を以て 是の法華経を説くものあら ば︑汝其の功徳を聴け︶
②
か れ の 限 に
はすべて八百の功徳が輝く︑それ故にかれの眼
は離垢であり清浄であり無濁である.︶︵是の人は八百の功徳あ 二
る 殊勝の眼を得ん 是を以て荘厳するが故に 其の目甚だ清浄な
らん︶
③
か れは父母所生のその肉眼によって山・森・林をもつこの 世界を見る︒︵父母所生の眼をもつて 悉く三千界の⁝⁝井に諸余 の山・林 大海・江河・水を見ること︶
⑤
下には無間より上には有頂に至るまで︑かの勇者は一切を 見る︑かれの肉眼はかくの如くである.︑︵下阿鼻地獄に至り 上有頂天に至るまで 其の中の諸の衆生 一切皆悉く見ん︶
@
か れにはいまだ天眼はなく生じてもいないけれども︑かれ の肉眼の対境はかくの如きものである︒へ未だ天眼を得ずと難
も肉眼の如くならん︒﹂
ハキ
長〈行∨
圃 ⁝その善男子・善女人にしてこの法門を顕説し他者をして聴
聞せしめるものは︑かの千二百の耳の功徳を具足するであろう︒
三千世界において阿鼻大地獄より有頂に至るまで内外より種々
の音声が発生する︵であろう︶︒すなわち⁝⁝人の音声や非人
の音声⁝比丘の音声︑声聞の音声︑独覚の音声︑菩薩の音声︑
如来の音声が発生するであろう︒およそ音声にして三千大千世
界において内外より発生するかぎり︑それら音声をその生来の
清 浄なる.耳根によって聴聞するのである︑しかもかれはいまだ
天.見を発得していないけれども︑それぞれの衆生の音声を知覚
し思惟し分別する そしてその生来の耳根によってそれぞれの
衆生の音声を聴聞するとき︑かれの耳根はそれら︐切の音声に
よって破壊⌒11支配︶されない⁝⁝︵⁝若し善男r・孟⁚女人此の
経を受持し若しは読み若しは涌し︑若しは解説し若しは川写せんに︑
干..︑白の︑μの功徳を得ん 是の沽浄の.耳を以xJ︑ ・.千大世界のド阿鼻
地 獄に至り︑ヒ有頂に至るまで︑其の中の内外の種々の所有る語....口の
音声たる⁝⁝比丘声・比丘尼声・声門声・け支仏声・苔薩声・仏声を
聞かん.︑︑要を以て之を....口は︑・...τ大千世界の中の一切内外の所有る諸
の声︑gだ天.耳を得ずと難も︑父母.所生の清浄の常の.耳を以て皆悉く
聞き知らん︑︑是の如く種々の音声を分別すとも而も.耳根を壊らじ︑三
A重 頒三
V 一
の
か れ の 生得の耳根は械濁なくして清浄であり︑それによっ てこの世界において残りなく種々の音声を聞く︑︑︵父母所宇の
.到清浄にして濁稜なく此の七75の.揖を以て 11千世界の声を聞か
ん︶
⑨ 意悦・美妙なる歌を聞くも︑かの堅固︵△賢明︶なるもの はそれに執着しない⁝⁝︵⁝⁝清浄好歌の声之を聴くも︑しかも
法華経法師功徳品における法師の体系︵上︶へ伊藤︶ ロナじ
著まざらん.︑︶
n 地 獄
において苦を受けるもののあげる痛みの声︑また食物
︵なきこと︶による苫によって遍迫される餓鬼のあげる声を
も︵聞v︶c地獄の衆の爪痛種種の楚毒の声餓鬼の飢渇に逼め
られて 飲食を求索する声︶
聡 海中に住む阿修羅のはなつ各々の声をも︑かの法師はここ
に住しながら一切の音声を聞くも破壊されない.︑︵諸の阿修羅 等 人海の辺に居在Lて 自ら共に....口語する時 大音声を出すをも 是の如き説法者は此の間に安住して 遥かに是の衆の声を聞き 耳 根を壊らじ︶
曲 畜生道にて互いに呼びあうことをなすものたちの鳴き声を
種々多様の⁚け声をも︑かれはこの世に居ながら聞く..︵+万
世界の中の 禽獣の鳴いて相呼ばふ 其の説法の人 此に於て悉く
之を聞かん︶
⑮
梵
(天︶界に住む諸天︑有頂︵11色究克︶や光音の諸天︑
相互に出す音声を︑すべて残りなく︑かれは聞く.︑︵其の諸の 梵天上 光音及び遍浄 乃至有頂天の二.︐口語の音声 法師此に住して 悉く皆プ㌻せ聞くことを得ん︶
刊
ここに善逝の教において出家してここに謝涌をなす諸比丘
が
衆会に法を説くところのかれらの声をもかれは常に聞く︒
a切の比丘衆 及び諸の比丘尼ありて 若しは経典を読調し 若
三
法華丈化研究︹第...工.一号一 しは他人の為に説かんに 法師此に住して 悉く皆之を聞くことを
得ん︶
帰 この世界において諸菩薩が相互︵のため︶に謝訥をなし諸 法について結集をなすとき︑かれらの種々の声をかれは聞く.︑
︵復諸の芹薩あつて 経法を読︑汕し 若しは他人の為に説き 選集
して其の義を解せんに 是の如き諸の音声 悉くエo之を開くことを
得ん︶
囎 この経を受持するこの菩薩は調御されるべき人々の調御者 である仏世尊が衆会の中で説く最上の法︑それを同時に聞く.︑
︵諸仏大聖尊の 衆生を教化したまふ者 諸の大会の中に於て 微
妙の法を演説したまふに此の法華を持たん者は 悉く皆之を聞vこ
とを得ん︶
⑲
阿
鼻を究童とし上は有頂に至るまで一切の三千の国土にお
い て内外より衆生は多くの声を出す︒︵三千大千界の 内外の 諸の音声 下阿鼻地獄に至り 上有頂天に至るまで︶
⑳ その一切衆生の声を聞くけれども︑かれの耳は破壊されな
いo根は明利にして隅から隅まで知るが︑かれの耳根は生得
めホ
のものにすぎない.︑︵皆其の音声を聞くも耳根を壊らじ其の 耳聰利なるが故に 悉く能く分別して知らん︶
四
いまだ天︵耳を得ること︶のために精勤をなさず︑その耳
は生得のものとしてあるも︑畏れることなくこの経を受持す るならば︑かれの功徳はかくの如vである︒︵是の法華を持た 四
ん者は 未だ天.耳を得ずと難も 但所生の.耳を用ふるに 功徳巳に
是の如くならん︶
コ ゆ
〈長行﹀
W ⁝この法門を受持し顕説し調舗して書写するとき︑この菩薩
か 詞薩は八百の功徳を具足し清浄となる︒かれはその清浄なる鼻 根によって三千大世界の内外にあるところの種々の香を感知す
る︒すなわち⁝⁝それらの書を嗅ぐ︒また水生の諸花の種々の
香を嗅ぐ.︑すなわち青蓮・紅蓮・睡︵‖黄︶蓮・白蓮の香を嗅
ぐ︒⁝⁝かれは一処に住して一切を嗅ぐのである︒またかれは
諸衆生の種々の香を嗅ぐ︒⁝⁝またかれは畜生道の種々なる生
類
の身香︵11体臭︶を嗅ぐ︒男女の身香を嗅ぎ童男童女の身香
を嗅ぐ︒⁝⁝かれは存在する香を知覚して︑しかもそれらの香
によって抑止されることもなく迷惑されることもない︒かれは
またここに住して諸天の香をも嗅ぐ︒⁝⁝かれは天子の身をも
嗅ぐ︑⁝⁝かくして有頂に受生せる衆生の身香にいたるまでを
⁝⁝を嗅ぐ︐かvしてかれは一切の天衆の身香を嗅ぐ︒声聞・
独覚・菩薩・如来の身香を嗅ぎ如来座の香をも嗅ぐ︒そしてか
の如来応供正等覚者の住する処を知る︒しかもかれの鼻根はそ
れら種々の香によって障擬されず損悩されず破壊されない︒そ
して若し欲するならば︑それぞれの香を他者のために解説し︑
しかもかれの憶念は損悩されはしない︒︵若し善男r.善女人あ
つて︑是の経を受持し︑若しは読み若しは諦し︑若しは解説し若しは 書 写 せば︑八百の鼻の功徳を成就せん︒是の清浄の鼻根を以て︑三千
か大世界の︑上下内外の種種の諸の香を聞がん︐⁝⁝赤蓮華香・青蓮華
香・白蓮香⁝⁝是の経を持たん者は︑此間に住し︑悉く能く分別せん︒
わきま
又 復 衆 生 の香⁝男の香・女の香・童子の香・童女の香⁝を別へ知らん︒
あやま⁝所有る諸の香︑悉く皆聞ぐことを得て分別して錯らじ︒是の経を持
たん者は︑此に住せりと難も︑亦天上諸天の香を聞がん⁝⁝又諸天の
身の香を聞がん︒⁝⁝是の如く展転して乃ち梵天に至り上有頂に至る
諸天の身の香︑亦皆之を聞ぎ︑井に諸天の焼く所の香を聞がん︒及び
声聞の香・辟支仏の香・菩薩の香・諸仏の身の香︑亦皆遥かに聞ぎて やぶ其の所在を知らん︒此の香を聞ぐと難も鼻根に於て壊らず錯らじ︒若
し分別して他人の為に説かんと欲せば憶念して謬らじ﹄︶
ニこ
重〈頒﹀
02 か れ か の鼻根は清浄であり︑かれはこの一切の世界にある︑
芳香にせよ悪臭にせよ︑多くの種々の香を嗅ぐ︒︵是の人は鼻
かんは
は清浄にして 此の世界の中に於て 若しは香しき若しは臭き物
法華経法師功徳品における法師の体系︵上︶ ︵伊藤︶
種 種悉く聞ぎ知らん︶
04 か れ は 遠くに住して男女や童男童女︵など︶諸衆生の香を 知り︑香によってかれらの住処を知る︒︵及び衆生の香 男子 女人の香を知らん 説法者は遠く住するも 香を聞いて所在を知ら
ん︶
㈱ この最上の経を受持するところの堅固なるかれは鼻︵根︶
の力によってかれらが住せるか坐せるか臥せるかを︑遊戯や
神道力をも一切を知る︒︵諸天の若しは行坐 遊戯及び 神変す せんだん るをも 是の法華を持つものは 香を聞いで悉く能く知らん︶
00 諸山の谷間に花咲ける多くの栴檀あり︑またそこに住せる 諸衆生をも︑賢者は香によって一切を識別する︒︵諸山の深く
さ か
険しき処に 栴檀樹の華敷き 衆生中に在る者を 香を聞ぎて皆能
V知らん︶
おもい
66 か れは諸人の多くの意趣を識別し︑また意趣の香を嗅ぐ︒
欲染せる︵言9︒言穎︶︑瞳圭心せる︵°・9巴芦△悪意ある︶︑覆蔵 せる︵官冨ひ言△偽善ある︶︑寂静なる心の香︵ぽ亘ぼ゜・巨冨嘗
sems kyi dri︶をも嗅ぐのである︒︵香を聞ぐ力を以つての故に
男女の念う所と 染欲・痴・志の心とを知り 亦善を修する者をも
知らん︶
45 か れ は 光 音 天 に 諸 天 子 が 死
没し新しい受生にいたれるを知
る︒この経を受持するかの菩薩の鼻根はかくの如vである︒
五
法華文化研究︵第.一十三号︶
︵光恒旦遍浄天 乃ち有頂に至るまで 初生及び退没香を聞いで悉く
能く知らん︶
聰 およそ比丘ありて善逝の教において勤修し住し経行し解
説・調訥を楽しむとき︑その比丘すべてを︑かの菩薩は知る
︵諸の比丘衆等の法に於て常に精進し 若しは坐し若しは経法を読
.諦し︶
師 およそ時那の子たる声聞ありて常に樹下に住︵△坐禅︶す
るとき︑かしこにはなにがしの比丘ありと︑そのすべてを賢
者は香によって知る︒︵或は林樹の下にあり 専精にして坐禅す る 持経者は香を聞いで 悉く其の所在を知らん︶
48 およそ菩薩ありて念あり禅をなし常に解説・調諦を楽しみ 衆会の中で法を顕説するとき︑かれらをかの菩薩は香によっ て知る︒︵菩薩の 志堅固にして 坐禅し若しは経を読み 或は人 の為に説法する 香を聞いで悉く能く知らん︶
劇 およそ︵世聞を︶利益し悲懲ある大牟尼・善逝がどこの方
処であろうと︑声聞衆の中で囲続せられて法を顕説するとき︑
その世主を︑かれは香によって知る︒︵在々方の世尊の 一切 に恭敬せられつつ 衆を懲みて説法したまふを香を 聞いで悉く知
らん︶ ニころ
$ およそ衆生ありてその法を聞き聞いて意歓喜せるとき︑
そこにある時那の衆会すべてを︑菩薩はここに住して知る.︑ ︵衆生の仏前にあつて 経を聞いて皆歓喜し 法の如く修行する 六
香を聞いで悉く能く知らん︶
臼
かれの鼻︵根︶の力はかくの如くである.︒かれには天の鼻
︵根︶はいまだ無いけれども︑それはかの無漏なる天鼻に先
行する︒︵未だ菩薩の 無漏法より生ぜる鼻を得ずと難も 而も是
の持経者は 先づ此の鼻の相を得ん︶
長A
行9
V 一
L7 さらにまた常精進よ︑かの善男子・善女人にして︑この法門
を受持し説示︵△解説︶し顕説し書写するものは︑かの千二百
の 舌 の 功 徳を具足する舌根を得るのであろう..⁝⁝⁝およそ不
可意︵‖不快︶な味があって︑それらがその舌根に置かれるな
ら天の味を出すであろう︒またかれが衆会の中に行きて法を演
説
するなら︑それによって︑その︵衆会の︶諸衆生は諸根が喜
悦し満足し最勝に満足し歓喜を生ずるであろう一.かれの甘美で
微
妙にして可意なる音声にして甚深なるもので心に触れ愛楽さ
れるべきものが発するであろう︒それによってそのかの衆生は
満足し心喜をもつであろう︒かれがかれらに法を説示︵△解説︶
するならば︑かれらはかれの廿美で微妙にして可意なる音響を
聞いて︑諸天さえも現見し敬礼し近侍し聞法するために︵かれ
に︶往詣するべきであると考えるであろう︒⁝⁝かれらはかれ
に 恭 敬をなし尊重・承事・供養・尊敬・崇拝をなすであろう.︑
⁝⁝これほどまでにかの法師は如来によって説かれた如く如実
にけ美なる法を説くであろう︑その他の婆羅門・居上・国内の
人民︵11市民と村人︶と寿命の尽きるまで常にかの法師に随侍
するであろう.一如来の声聞たちも⁝⁝独覚たちも⁝⁝諸仏世尊
もまたかれに現見しようと欲するであろう.︑かの善男子・善女
人はいずれの方処に遊行しようとも︑その方処において如来の
面前で法を説示するであろう︒そして仏の諸法を容れる器なる
ものとなるであろう︒かくの如くかれの可意にして甚深なる法
音は発するであろう︒︵﹃復次に常精進よ︑若し善男子.善女人の是
の 経を受持し︑若しは読み︑若しは詞し︑若しは解説し︑若しは書写 せ んに︑千二百の舌の功徳を得ん︑⁝⁝若しは不美︑及び諸の苦渋物︑
こ其の舌根に在かば皆変じて上味と成ること︑天の甘露の如くにして美
からざる者なけん︑若し舌根を以て大衆の中に於て演説する所あらん
に︑深妙の声を出して能く其の心に人れて皆歓喜し快楽せしめん.︑
⁝⁝⁝法を聴かんが為の故に皆来つて親近し恭敬供養せん..⁝⁝⁝是
の菩薩善く説法するを以ての故に婆羅門・居士・国内の人民︑其の
形寿を尽くすまで随侍し供養せん.又諸の声聞・砕支仏・菩薩・諸仏
は 常 に楽つて之を見たまはん︒是の人の所在の方面には︑諸仏皆其の 処 に向つて法を説きたまはんに︑悉く能く︐切の仏法を受持し︑又能
法華経法師功徳品における法師の体系︵上︶︵伊藤︶ く深妙の法音を出さん..﹄︶爺
9・
舳
か れ
の舌根は殊勝なるものであり決して劣れる味を味わう
ことはないであろう︒置かれるや直ちに天のものとなり天味 を具える︒︵是の人の舌根は浄くして 終に悪味を受けじ 其の食 轍する所あるは 悉く皆甘露とならん︶
2 かれは⁝⁝衆会の中で常に愛楽されるべき甚深なる音声を 宣布する︒︵深浄の妙声を以て 大衆に於て法を説かん︶
64 およそ多憶那由他の辟言喩をもってかれの説ける法を聞くと ころのものは︑そこにおいて最上の歓喜を生じかれに無量の 供養をなすのであろう︒︵諸の因縁喩を以て 衆生の心を引導せ ん に 聞く者皆歓喜して 諸の上供養を設けん︶
臼 天・龍・阿修羅・密 天は常時にかれに現見することを願
い尊重して法を聞く︒かれにはこれら一切の功徳がある︒
︵諸天61夜叉 及び阿修羅等 皆恭敬の心を以て 共に来つて法を
聴
かん︶
口
地 上
の主なる転輪王たちは供養のためにかれに往詣し王
子・夫人と共に合掌して常時にかれの法を聞く︒︵大小の転輪 王 及び千子・春属は 合掌し恭敬の心をもつて 常に来つて法を
七
法華文化研究︵第二十.二号︶
聴受せん︶
60
およそ世間を利益し悲懸ある諸仏は声聞と共にかれの音声
を聞知し顔貌を示現して︵△顔貌を現見するために︶守護をな
し︑かれが法を説くのに満足する︑︵諸仏及び弟子其の説法
の音を聞いて 常に人︐心じて守護し 或時は為に身を現じたまはん︶
食
VL行f,
巾⁝⁝かの菩薩摩詞薩はこの法門を受持し読諦し顕説し説示
(△
解説︶し書写するとき︑八百の身の功徳を得るであろう︒か
れの身は清浄・極清浄なるもの︑瑠璃の如く極清浄なる肌色を ねかもてるもの︑諸衆生が喜って現見しようとするものとなるであ
ろう︒かれはその極清浄なる身体において一切の三千大世界を
示現︵△現見︶するであろう︵合ピ5︸・昌11¢コ芦9︶︒およそ三千
大世界に衆生ありてあるいは死没し受生する︑あるいは劣れる
勝
れる︑あるいは好色なる醜色なる︑あるいは善趣における悪
趣
におけるところのもの︑また衆生ありて⁝⁝諸の山王に住す
るところのもの︑また衆生ありて下は阿鼻より上は有頂にいた
るまで住するところのもの︑一切のかれらを自己の身体におい
て 現見︵△示現︶するであろう︒この三千大世界に住するとこ
ろのあらゆる声聞や独覚や菩薩や如来を︑またかの諸如来が説 八
示するところの法を︑そしてかの諸如来に親近するところの諸
衆生を︑かれら一切の衆生が身体を得るのを︑自己の身体にお
い
て示現︵現見︶するのであろう︒それは何故か︒かくの如V
それは︵かれの︶身体が極清浄だからである︒︵⁝若し善男子・
善女人あつて是の経を受持し︑若しは読み若しは調し︑若しは解説
し︑若しは書写せんに︑八百の身の功徳を得︑清浄の身浄瑠璃の如V
にして︑衆生の見んと喜ふ所なるを得ん.︑其の身浄きが故に︑三千大
千世界の衆生の生ずる時・死する時・上下好醜・善処・悪処に生ず
る︑悉く中に於て現ぜん︐⁝⁝諸の山王︑及び其の中の衆生悉く中に
於 て 現 ぜん.下阿鼻地獄に至り上有頂及び衆生︑悉く中に於て現ぜん︒
若しは声聞辟支仏・菩薩・諸仏の説法は︑皆︑身中に於て其の色像
を現ぜん︒︶
ハロ
〈重煩﹀
臼 この勝妙なる経を受持するなら︑その人の身体は極清浄と
なり︑清浄なること瑠璃より成れるものの如vであり︑諸衆
ねが
生が常に現見しようと喜う.︑︵若し法華経を持たば 其の身甚だ 清浄なること 彼の浄瑠璃の如v 衆生︑皆︑見んと喜はん︶
舩
鏡 の表面に色像を見るへ△が現れる︶如く︑かれの身にこ
の 世間が見られ︵△示現す︶る︒かれは自ら見るが︑他の衆
生は︵見ることは︶ない.︑その極清浄の身体はかくの如vで ある︒︵又浄明なる鏡に悉く諸の色像を見るが如く菩薩浄身に
マニロ
於て 皆︑世の中所有を見るに 唯︑独自ら明了にして 余人の 見ざる所ならん︶
㈱ この世界に存在する諸衆生︑人・天・阿修羅.密迩天︑地
獄・餓鬼・畜生道におけるものは︑︵かれらの︶色像がかれ
︵法師︶の身︵の中で︶に現見︵△示現︶XU.︵r︿P︒ ︵sanid;Syate = so
sor snafi ba︶︵三千世界の中の 一切の諸の群萌天.人.阿修羅
.地獄・鬼・畜生是の如き諸の色像は 皆︑身中に於て現われん︶
舳 有頂にいたるまで⁝⁝は︑かれの中にすべからく現見︵示
現︶される︒︵⁝⁝乃ち有頂に至る⁝⁝とは 皆身中に於て現ぜん︶
口 またかれは身体の中に声聞を伴なう諸仏と他の仏子を現見
︵△示現︶する︒菩薩にしてひとりで住むところのもの︑衆会
の中に法を顕説するところのものをも︵現見する︶︒︵諸仏及
び声聞 仏.仁菩薩等の 若しは独︑若しは衆にあつて説法するを
悉く皆現ぜん︶
$
か れ の身の清浄なることはかくの如くであり︑それにはこ
の
l切の世界が現見︵△示現︶される︑かれはいまだ天の
︵身︶を得てはいないけれども︑かの生来の身の︵功徳︶は
かvの如くであろう.︵未だ無漏法性の妙身を得ずと難も清
浄の常の体を以て 一切を中に於て現ぜん.︑︶
法華経法師功徳品における法師の体系︵ヒ︶ e藤︶ ロ
長〈行﹀
団 ⁝⁝菩薩摩詞薩が︵△にして︶如来の滅︵U般浬葉の︶後にこ
の法門を受持し説示︵△解説︶し顕説し書写し読諦するとき︵△
ものは︶︑かの千二百の作意の功徳︵∋①目路閂午碧宕‖萱ξ=as
ξ三︵邑9︶を1ーパ足し︵かれの︶意根は極清浄となるであろう.
か
れはその極清浄なる意根によってたとえ︵△乃至︶一掲だけ でも聞くなら︑その︵掲の︶多くの義︵△意味︶を知るであろ う︒かれはそれ︵掲︶を随覚して︑それ故に︵︷曽︹まぎ昌‖
de bi
ph yir︶ 1箇月間も法を説示するであろう︒四箇月間も一年 間も法を説示するが︑それ︵法︶については憶念して忘失する ことがないであろう︒およそ如何なる通俗的な世間の言説︵△
事業︶や経書や亘三﹇︵△密呪︶なるところのものでも︑それら
一切を︑かれは法の理趣に相応︵△会入︶せしめるであろう..
また三千大千世界において如何に多くの衆生が六趣に受生して
輪 廻しようとも︑一切のかれら衆生の心の所行・所動を知るで
あろう︒︵すなわち心の︶動揺せる所と作念せる所と戯論せる
所を知り思択するであろう︒いまだ聖なる智を得ていないけれ
ども︑かれの意根はかくの如V極清浄となるであろう︒それぞ
れ の法・辞︵△法の釈名︶を思惟して法を説示するも︑その場合︑
一切は真実なるものを︑かれは説示するであろう︒その場合︑
九
法華文化研究︹第二十三号︶
一切は如来の所説を︑一切は過去の時那によって経の︵法︶門
にニルデーシャされたものを︑かれは説くのである︒︵復次に常
精進よ︑若し善男子・善女人︑如来の滅後に︑是の経を受持し︑若し
は読み︑若しは諦し︑若しは解説し︑若しは書写せんに︑千二百の意
の 功徳を得ん︒是の清浄の意根を以て乃至一偶・ 句を聞くに︑無量
さレ 無辺の義に通達せんtt是の義を解り已つて︑能く一句二掲を演説す
ること︑一月・四月・乃至一歳に至らんに︑諸の所説の法は︑其の義
趣に随つて︑皆実相と相違背せじ︑若し俗間の経書・治世の語言・資 生 の業等を説かんも︑皆正法に順ぜんt/三千大千世界の六趣の衆生の 心 の行ずる所︑心の動作する所︑心の戯論する所︑皆悉く之を知らんe
未だ無漏の智慧を得ずと難も︑而も其の意根の清浄なること此の如く
ならん︒是の人の思惟し箒量り言説する所あらば︑皆是れ仏法にして
真実ならざることなく︑亦是れ先仏の経の中の所説ならん︑︶
︵n︶
重〈頒﹀
翻
か れ の 意根は清浄となり明浄にして清浄であり横濁がない.︑
か れ はそれによって劣れるものと勝れたるもの︑そして中ほ どの種々の法を知る︒︵是の人は意清浄に 明利にして稜濁なく 此 の 妙なる意根を以て 上中下の法を知り︶
68
堅固なるものは一掲を聞いてもそこにそれの多くの義を知 一〇
る︒四箇月間でも一年間でも︑かれは常に適正なる真実を説
く︒︵乃至一掲を聞くに 無量の義に通達せん 次第に法の如く説 Vこと 月四月より歳に至らん︶
劇 また世界の内外に住むところの諸衆生︑天・人・阿修羅・
密 跡天︑龍や︑畜生道にあるものたち︑︵是の世界の内外の
一切の諸の衆生の 若しは天・龍及び人 夜叉鬼神等︶
四
六 趣に住む諸衆生︑かれらに所念︵11思惟するところ︶があ るならば︑賢者はそれを一刹那にすべて識別する︒この経を 受持するものの福利はこれらである︒︵其の六趣の中に在るも の 所念の若.干の種 法華を持つの報は 一時に皆悉く知らん︶
⑪ 百 の 福 徳 の相ある仏がこの一切の世間に法を説くところの ものを︑かれは摂持する︒︵+方無数の仏 百福荘厳の相あつて 衆 生 の為に説法したまふ 悉く聞いて能く受持せん︶
四
か
れは多くの最上の法を思惟し常時に多くを説く︒しかも
か れには決して愚痴はない︒経を受持するものの権利はこれ らである︒︵無量の義を思惟し説法すること亦無量にして終始
あゆま
忘 れ 錯らざるは 法華を持つを以ての故なり︶
閲
か れは一切の法について相続・不相続と異相︵‖差異性︶
を識別し︑義と釈名︵11辞︶を知り︑それを知る如くに説く︑
︵悉く諸法の相を知り 義に随つて次第に識り 名字と語言を達し
て
知れる所の如く演説せん︶
閲
過去の世間の軌範師によって長夜にわたってここに説かれ
たところの経を︑その法を︑かれは衆会の中に畏れなく常時
に 説く♪︵此の人の所説あるは 皆是れ先仏の法にして 此の法を 演ぶるを以ての故に 衆に於て畏る・所なけん︶
ff: この経を受持し読諦するもの︑かれの意根はかくの如くで
ある.︑かれはいまだ無着の智を得てはいないが︑これはそれ
︵無着の智︶に先行するものである︒︵法華経を持つ者は 意根
浄きこと斯の若くにして 末だ無漏を得ずと難も 先づ是の如き相
あらん︶
附 善逝のこの経を受持するものは︑軌範師の地に住するもの
となり︑一切の衆生に法を説くけれども︑億の釈名︵‖辞︶
に善巧なるものとなる︵△かれは一切の衆生に法を説いて軌範師 の 地に住するものとなり︑善逝のこの経を受持して億の釈名に$z巧 なるものとなる︶︒︵是の人此の経を持てば 稀有の地に安住して
一切衆生のために歓喜せられ 愛敬せられん 能く千万種の 善巧
の 語言を以て 分別して演説するは 法華経を持つが故なり.︑︶
4 3 ワ 1
WT・r P° 3UO︐l. 1−︑8: Pkこ15lb4−7. pt訳=. ○頁.
WT;p° 3OO︐ l. 9−S°14; Ik.. 151b8−152a2. fi訳=二︐頁.
WT.︐ p. 30こl°16−p. 301︐ l. 7; Pk°︑ 152b2−6.
WT.︐ p° 301︐ t°8−p. 3e2︐ t. 2i Pk.︐ 152b7.
WT.︐ p. :302︐︑°8−p. 304︐ t. 20i Pk.︐152ひ7N153a3°国訳=二二頁︒
法華経法師功徳品における法師の体系︵上︶C伊藤︶
(6︶
へ7︶
(s︸
(9二
cE︶
c
1︶
「12︸
⌒B︶ WTも゜315︐=ω〜℃. 316°︑∴三穿二m︒︒①︒︒⊥5︒b6°国訳=二六頁.. WT°.p. :314︐ L 9−p. 315︐ ﹇. 12; Pk;一口OC︹六﹈〜㏄国訳..二五1⊥ハ百ハ. wI.. p. :sl:3︐ i. 19p°:s14︐ l.7:Pk°︐ 157b4〜158a3国訳二二五頁ミ Wr°も゜:S12︐ L 10 −− p. :l13︐へ゜18; Pk.︐ IS7a4−157ひ4°国訳=二五頁︐ WI︐t︐ p. :SIO・ L Z4 −p. :i12︐ l. 8; Ik.︐ 154a4−157a4. E訳=二四ー五頁し WT° p :so6i 11−−p. 30㏄︐ t. 141 Pk.︑l54b4 fu 155a㏄.国訳=三二頁⊃ WT°︑p・ :さ4︐ L 21.−p. 306︐︑. 9i I︾k°言Wb:s〜154a3. wt訳一三ニー一三貝..
NN1.︐ p. :S16︐ l. 5−p°:SIZ︑ふ野弄゜lr︸㏄b7−− 15Cja8. N訳一︑二六ーヒ頁︑.
jTl
法 師 の 受 持し説示するもの
説是如来寿命長遠・随真所説意趣・仏寿の無量 先 ず法師功徳品︵ー彗已巴召゜・畏勘迫︶において︵法師の受持し説示
ヘ へ
する対象となる︶経ないし法とは如何なるものであろうか..
それは経としては長行の川・刷∴山・閨・団にrこの法門を
合昌△言﹁ヨ午召﹁怠る目是法華経︑此経︑是経︶﹂とあり︑重煩の川・
咽
・
⑳
・
口
・
⑳
・
四
・
冊に﹇この経を︵吾ヨφ旨田是法華経︑imu satra 此法華︑satrarp法華経゜・碧﹁台二己法華︑imu satram此経︑法華経︶﹂︑28に rこの最上の経を︵仇o︷日コニユ3;註⑭写昌是法華︶L︑仙に﹁この勝妙な
る経を︵satra ... idam udara日法華経︶﹂とあるc
品第十に見える﹁このJil siv ︵idani dharma−paryayam是法華経︶﹂イコ ユ 「この±5V Ei﹀d ︵idarp dharma−paryayam︶﹂とは直接的には前品の随喜功徳
11
法華文化研究︵第二十二㎡ゲ︶
ールr妙法蓮華と名ける法門J ︵Saddhamia−purpdarikan;ama dharnia−
ペりこParyilYEIII﹈有経名法華︶Lというのを承けているから︑広義には法華経
(Saddharma−pur.iqarika−satra︶ UJ指称する.︑
またそれは間接的には前品のそれを介して前前品の分別功徳品第
十七に四度ほど見える﹁如来寿量の説示の法門︵︹註益Φq讐︑蝕さ叩 ヨ
pr
amai.ia−nirdeSa−dharnia−paryAya︶﹂というのを承けているから︑狭義に
は説一亘疋如来寿命長遠・の如来寿量品を指称すると見ることができる︑
しかもそれは法としては重煩の晒・嶋・㎝・噺・69・情にある如
くl般的に単に﹁: ︵dharnia︶﹂と称されるが︑⑱・圃には﹁最上
の±/5i﹀e︶ ︵dharma4i...agram微妙法︑agra−dhamitin無量義︶﹂と見える︒
最上なる法︵亮﹁午△言∋邑とは総じてはSaddharma ︵正法︑妙法︶
であり︑別しては﹁如来寿量の説示の法門﹂において説示される
Qn
①己△﹇﹈旬σ富宅缶︵随宜所説意趣︶たる﹁如来寿量﹂を︑ことには﹁如
来の不可思議なる寿命︵剖已﹁a津き︶﹂・﹁寿命無量︵ぜ目己二︑曙⊆叩 へ
▽巨﹀暑巴﹂・﹁常住不滅︵竺合切己宮訟言目三﹁く量︶﹂を指称すると見るこ
とができよう︒︵如来寿命の︶無量義というシナ訳語はそのことを
示 唆している︒﹁最上︵≦緩言︶にして勝妙︵ζ合﹁巴なる経︵ω口冨︶﹂
と自称する所以はこのような︵随宜所説︶意趣を含意するからであ
ろう= なお長行㎞の末尾に法師の説くところのものがpUrva−jina−satra−
pa yar
ya−nirdi$taといわれている点が注意される.︒このコンパウンド
[tg sfion gyi rgyal bas mdo sdebi mam grafis bstan pa ︵efi︶︿ S時那によ
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ
っ て 説示された経の門︶とチベット訳され︑妙法華に先仏経中所説︑
正法華に往占最勝経巻とシナ訳されている..このコンパウンドで問
題なのは︑−sUtra−paryaya−nirdi$taという成語であろう︒
形 式論理学上の分析を加えると︑一往切口冨は上位概く.心であり
pa
ryayaは下位概念であると見ることができよう︒今品と前品ない
し法華経全体との文脈関係よりすると︑satraはSaddharma−
purpdarika nama s口traを予想し︑paryaya﹇tS tathagatAyu$−pramai︶a−
nirdeSa−dharma−pary2yaを指称すると見るべきである︒したがって
satra−paryaya−nirdista g k;象内容は︑︷告冨ひq讐︑母5己冨∋呂①であると 推 定することができるであろう.︑かvしてこのコンパウンドの意味
するところは﹁過去の時那によって︵妙法蓮華︶経の︵中の如来寿 ニルデ ノヤ
量
の説示の法︶門に説示されたもの︵如来の不可思議なる寿命11寿
命無量︶﹂と解釈するべきであろう/︸それは全文によると︑すべか
9−v ︵現今の︶如来の所説︵§ゴ碧g亨・9⑭斎一︑号Oω言ぽq冷⑦q︒℃窃σqsufis
pa妙法華に欠くも正法華に如来所詔︶であり真実なるもの︵え−ひゴO亘
ya
fi dag pa真実︑至誠︶である.︑如来の所説として真実なるものは︑
経
(中の法︶門︵誓季言﹁葛言の所説としては随宜所説意趣として のllll, ︵ == Saddhainia︶か仏寿無量︵11㏄邑ユぎ∋③︶かであるが︑ここ では如来寿量品・分別功徳品との位置関係よりして仏寿無量と見る
べきだからである︑
らり stitraはSaddharma−purpdarlka nama satraを指称してその゜︒烏己富− ニこ しかしながら−satra−paryayaを相違釈︵△<昌△e㏄︶と見るならば︑
bha
$ya
であるo書毫ぎ①110乃註穿昌∋①を意味するにいたり︑paryaya
t9 tathagatfiyu$−pramana−nirdeSa−dharma−paryayaを指称してapari: ごしmitayu$−pramArpa = Saddharmaを意味するにいたる︑と理解するこ
とができるであろう︒
したがって−コ巨哲①の対象内容は⑭①目穿轡亘訂望㏄としての︵一乗
ないし︶寿命無量すなわちo︒註△ぎ日国であると推定されうる︒
なお重頒の閲に﹁過去の世間の軌範師によって昼夜にわたってこ
ヘ へこに説かれたところの経を︑そのBJ︐be ︵yani bhasitarp bhot iha dirgha−
ratrarp parvehi lokacariyehi sOtram︐ tani dharma〜皆是先仏法 以演︑二此法一
故︶﹂云々とある︒74で云う経とは妙法蓮華経であり︑法とは⑱最
上 のJ ︵dhamia ... agra微妙法︶‖°力註α冨ヨ田のことであり︑如来寿 量 の
説示の法門にニルデーシャされたものである仏寿無量であると
見られよう︒
要するに今品において法師の受持し説示する経とは︑広義には法
華経であり︑狭義には説是如来寿命長遠の如来寿量︵を説示する︶
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ て品︵‖法門︶であり︑法とは随宜所説意趣である仏寿の無量である︑
と知られる︒
(1︶WT.︐ p. 295︐ l. 21. eliWL九四七a︑.
法華経法師功徳品における法師の体系
(上︶ ︵伊藤︶
(﹈︶ WT°︐ p. 292︐ L 2.正蔵︑四六btt
c ec ︶ 拙論﹁しo乞△#●∋巷たるtathagattiyu$−pramin.︶a ︵ vileiKb量︶の真義をめくって ︵ヒご︵﹁法革文化研究﹄第十∴勺所:f ︶参照..
へー﹁拙論.法華経u弓台乙訂−ひ冨留㏄再考﹂︵﹃仏教文化史論集1﹄所収︶の十︑分別
功徳品第十ヒにおけるSb.を参照︒
(5﹂ 拙論﹁華厳思想と法華思想﹂︵中村瑞隆編﹃法華経の思想と基盤﹄所収︶の
二の2法華経の経題を参照.︑
(6︶ 拙論﹁ひ註△言∋告たるSanidla−bhasyaをめぐって﹂︵﹃法華文化研究﹄第八号
所収︶参照
(7︶誌︵3︶前掲論文参照︑
四 法師の体系の構成 その一
ヘ へ
法師とは長行の団や重煩の⑬に法師︵dharn一albh◎naka︶とあるが︑
妙法華の壌には説法者とも訳される︒
それは重類の⑱・45・鱒・60に菩薩と換言され︑倒に勇者︵<lra︶
とも称され︑長行の川⑤・③・馴によると︑善男子︵巨亨o葺邑・
善女人︵竺含巨呉︶とも称される︒重頒のゆ・08・68に︵最上の経を
受持するところの︶堅固︵△賢明︶なるもの︵穿司邑とある︒また
重頒のβ0・47・四には賢者︵く芭とあり︑妙法華の㈲には持経者と
訳されているが︑いずれも形容句はr︵一刹那に︶一切を識別する
(s
arvan ... vijanati or janati︐ eka−ksatpe sarvi ... vijanate︶Lとある︒
よって法師とは最上の経を受持する堅固なるもので↓切を識別し
1 .l
法華文化研究︹第.一十ll!号﹀
て法を説く善男子・善女人なる菩薩であると知られよう.︑
これは法師品のそれと一致する︐
ヘ ヘ ヘ ヘ へ
菩薩行としての法師の所行は如何というに︑先ず総相として︑川
旦(
「善男子ありてこの法門をVIXit ︵V dh;︐ 1︶dsin pa︶・読諦︵べ≦○▲司ぶ klog pa︶ ・説示︵△解﹁宗▲吉゜ston pa︶ ・書写ミ安互コぬ窪えコひ巴す
る﹂とあり︑その六根に対配される別相として︑杣に﹁善男子・善
女人にしてこの法門を顕説し他者をして聴聞せしめるとき︵〜
saipprakASayamanah paresarp cE;飴一富□≦養﹈雪塁゜yafi dag par bstan c.ifi gshan
da
g l
a yath dag par bSad na︶﹂︑加に﹁菩薩摩詞薩にして⁝受持・顕説
p(ra−v﹁ kaS−aya︐ rab tu ston pa︶・ $1$ ︵sviidhyfiya︐ kha ton byed︶・S1I写す
る﹂︑Eに﹁受持・説示∴顕説︵言午へτ宏−逐︹三﹁一きご骨各己▽巴・書写
V(−likh︐ yi ger bdrir bjug pa︶する﹂︑回に﹁⁝受持・読訥・顕説・説
示・書写するとき︵へ=吉−∋Sき︑さ有﹁ひ緩コ三﹂︑㎞に﹁〜受持・説
示・顕説・書写・読諦する﹂とある.︑
これらは妙法華ではいずれも﹁若善男子善女人.︑:⁝三手持是法
華経︵△此経︑是経︶︑﹁若読若訥若解説若書写﹂とシナ訳されている︒
法師の所行が受持・読︵諦︶・︵調︶請・解説︵△説示・顕説︶・書写の
五種として整斉され統合されたのである.一すなわち受持は!dhr−
aya︑読︵諦︶はV−くac.−aya︑︵楓︶諦﹇te svAdhyaya︑解説は説示︵へ宗−
‥〔吉︶・顕説︵O﹁m〒へ9瓜ーミ巴︑書写は︷ likhに対応している1︶
ヘ ヘ ヘ へ
しからば法師の所行︵いわゆる五種法師行︶の中︑最も本質的な
四
行目は何か︒ ヘ へ
重頒には︑咽・45に﹁この経を受持する︵目=・自﹇蚕ユ冨日言持・・此
法華・者︶﹂︑㎜・閲に﹁この経を受持する︵穿芦9≦急︷日ヨ巨持−法
華一︶﹂︑四にrこの最上の経を受持する︵合曽還2°・旨日∋吾召く㏄﹁†
ひ僻9ヨ持−是法華一*︶﹂︑㈹にr善逝のこの経を受持する︵iniu dhara:
ya
nto sugatasya satram持・法華経・︶︑㎜に﹁この勝妙なる経を受持する
(satra dhareti idaip udhram持.法華経こ﹂︑剖に﹁畏れることなくこの経
を受持する︵⑩口§目゜:△冨日言Φ富曽註o持..是法華一者︶﹂︑閥に﹇この
経を受持し読諦するもの︵合曽mけ≦切口﹇日ヨく曽婁一︷蕊持..法華経・者︶L︑
⑪にr仏が−⁝・・その説くところのものを︑かれは摂持する︵9合冨
... yaロi ... so bhasati gr.hyate tat ︷⁝⁝説法悉聞能受持︶Lとあって︑
ことに受持ミユ耳べ.|grah︶が強調されている︒
また長行の /2に﹇これほどまでにかの法師は如来によって説かれ
ヘ ヘ ヘ へた如く如来に廿美なる法を説く−︐ −S N︐r ︵tallくan madhuram sa dharma−
bharpako dharmani bha$i⑭yate yatha−bhtitani yoth6ktani tathAgatena︐ −H de bshin
gSegs pas ji skad gsufis pa bshin du yafi dagji lta bshin sfian palji chos hchad do
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ
以・是菩薩善説・﹂法故︶L︑重頒の川に﹁この経を衆会の中で畏れること ヘ ヘ へ
ヘ へ お ヘ へなく説示し怯じることなく︵11不怯弱にして︶顕説する︵目昌㏄口冨
bhaseta parsag.u ca viSaradah︐ anolinab prakaSeya於一大衆中一以..無所畏心﹁
説.是法華経こ﹂︑⑱にrおよそ菩薩ありて念あり禅をなし常に解
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ説・調調を楽しみ衆会の中で法を顕説する︵〜苫﹁総誓△ぎヨ図目︒エ