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Sherlock Holmes をめぐる冒険

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Academic year: 2021

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 Conan Doyle にとって the University of Edinburgh Medical School で学んでいたときの Dr  Joseph Bell との出会いが名探偵の代名詞と言っていい Sherlock Holmes を生み出す大きな契 機となったことはよく知られている。作家の自伝というものを果たしてどこまで額面通りに 受け取れるか疑問ではあるが、ひとまず参照するのが礼儀というものだろう。それによれば、

最初の Holmes 作品を執筆するに至る経緯は以下のようなことであるらしい。

I felt now that I was capable of something fresher and crisper and more workmanlike. 

Gaboriau had rather attracted me by the neat dovetailing of his plots, and Poes mas- terful detective, M. Dupin, had from boyhood been one of my heroes. But could I bring  an addition of my own? I thought of my old teacher Joe Bell, of his eagle face, of his  curious  ways,  of  his  eerie  trick  of  spotting  details.  If  he  were  a  detective  he  would  surely  reduce  this  fascinating  but  unorganized  business  to  something  nearer  to  an  exact science. I would try if I could get this effect. It was surely possible in real life, so  why should I not make it plausible in fiction? It is all very well to say that a man is  clever,  but  the  reader  wants  to  see  examples  of  it—such  examples  as  Bell  gave  us  every day in the wards. The idea amused me. What should I call the fellow? I still pos- sess the leaf of a notebook with various alternative names. One rebelled against the  elementary art which gives some inkling of character in the name, and creates Mr. 

Sharps or Mr. Ferrets. First it was Sherringford Holmes; then it was Sherlock Holmes. 

He could not tell his own exploits, so he must have a commonplace comrade as a foil—

an educated man of action who could both join in the exploits and narrate them. A  drab, quiet name for this unostentatious man. Watson would do. And so I had my pup- pets and wrote my Study in Scarlet.   (Doyle [1924] 74-5. 下線筆者)

探偵として Émile Gaboriau による M. Lecoq や Edgar Allan Poe の M. Dupin がお気に入り だった Doyle は、こうした先輩たちに連なる優れた探偵を自ら創造できないかと考えたとき

Sherlock Holmes をめぐる冒険

高 橋 和 久

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に、恩師の Joseph Bell を思い出し、彼ならば探偵術を「厳密な科学」にもっと近づけるだろ うという着想から A Study in Scarlet が生まれたという。また Dr Bell の離れ業を紹介した部 分で、「後年創作に向かったとき、博士の手法を敷衍して利用したことに何の不思議もない。

わたしは犯罪者の手落ちではなく、本人自身の優秀な能力によって事件を解決する科学探偵

(a scientific detective)を造型しようとしたのだ」(ibid. 26)とも述懐している。何かの平仄 を合わせるための出来すぎた話のようにも聞こえるが、すべてが後知恵の産物というわけで もないのは、Holmes 誕生後間もない時期の雑誌記事でも Doyle が同様の発言をしているこ とからも明らかであり、また Holmes 短編の掲載が始まる前の The Strand Magazine 1891年 3月号に寄稿した短編が A Voice of Science と題されていることにも Doyle の科学に対す る期待が一応は窺える。ともあれ Doyle は探偵という仕事を「厳密な科学」に近いものとし て考えていたらしいこと、そして、名探偵は「手柄を自ら語ることはできない」からその「引 き立て役」として「平凡な人間を相棒」に配置し、その「衒いのない人物」に「冴えない、

地味な名前」を与えて、語り手として設定したということ、さらにこの2人の主要人物を「自 分が好きに操る人形(puppets)」と呼んでいることが何となく記憶に残るだろうか。

 まず Holmes も Watson も作者 Doyle の意のままに造型されるという点に注目したい。当 然ながら、目立たない引き立て役である Watson とは違って、引き立てられる Holmes の人 物造型についてはこれまでいくつもの矛盾が指摘されていて、作者の恣意性が取り沙汰され ているが、作中人物が作者の「操り人形」であるとすれば、無理もないことと納得せざるを 得ない。納得した上でこの名探偵の造型を少しだけ追ってみると、上で触れた雑誌記事のな かで、長編2冊を上梓した後の Doyle は「シャーロックは徹頭徹尾、非人間的(inhuman)

で、人の心というものがないが、見事なまでの論理的知性を備えている」(Blathwayt,  50)

と語っているのが目につく。そしてこの作者の意図はかなりあからさまな形で実現されてい るように見える。No. 221B Baker Street で Holmes と暮らすことになった Watson は、同居 人の「仕事」が何であるか、「自分なりに推理」しようと、Holmes の示す知識のばらつきが どのようなものか、交わした会話から得られた情報を書き留める。その結果生まれた一覧表 はことさらに読者の目を引くような頁レイアウトで次のように再現される。

SHERLOCK HOLMES―his limits 1 Knowledge of Literature.―Nil.

2 Philosophy.―Nil.

3 Astronomy.―Nil.

4 Politics.―Feeble.

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5  Botany.―Variable. Well up in belladonna, opium, and poisons generally. Knows  nothing of practical gardening.

6  Geology.―Practical, but limited. Tells at a glance different soils from each other. 

After  walks  has  shown  me  splashes  upon  his  trousers,  and  told  me  by  their  colour and consistence in what part of London he had received them.

7  Chemistry.―Profound.

8  Anatomy.―Accurate, but unsystematic.

9  Knowledge of Sensational Literature.―Immense. He appears to know every detail  of every horror perpetrated in the century.

10 Plays the violin well.

11 Is an expert singlestick player, boxer, and swordsman.

12 Has a good practical knowledge of British law.  (Doyle [1888] 16)

 文学や哲学の知識がゼロとは随分な断定のように思えるが、実は Holmes がどのような人 間かを説明するのは Watson が最初ではない。露骨に Mr Sherlock Holmes と題された第1 章で、かつて Watson の手術助手/手当係だった Stamford は、住まいを探している彼の共同 下宿人の候補者として Holmes の名前を出したものの途中から腰が引けてしまい、もし Holmes に何か問題があるのなら「はっきり言ってくれ」と Watson に迫られる。そのときの彼の返 答が当然 Holmes について何かを語っている。

It is not easy to express the inexpressible, he answered with a laugh. Holmes is a  little too scientific for my tastes―it approaches to cold-bloodedness. I could imagine his  giving a friend a little pinch of the latest vegetable alkaloid, not out of malevolence, you  understand, but simply out of a spirit of inquiry in order to have an accurate idea of  the effects. To do him justice, I think that he would take it himself with the same read- iness. He appears to have a passion for definite and exact knowledge.

(ibid. 8. 下線筆者)

 これが Watson に、つまりは読者に、初めて提示される Holmes 像である。Holmes は「冷 淡/冷酷」なほど「科学的」で、「揺るぎない正確な知識」を得るためなら他人にも自分にも 毒薬をも盛りかねない人間である、というのが読者に与えられる最初の情報ということにな る。Watson の一覧表はこの Stamford の情報に影響されていた可能性がある。例えばその第

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5項目に見られるベラドンナはここで言及される「植物性アルカロイド」の典型的なもので ある。駆け足で触れたこうした記述、描写から、また第2章が The Science of Deduction と題されていることも相俟って、Holmes は人間としての心情や感情とは縁遠く、すべてを 厳密な科学的思考で割り切ろうとする人物、少なくとも科学的であることを支配的な傾向と して持つ人物として読者の脳裏に焼き付けられる。Holmes に対する Watson の「君は探偵術 を今後も例を見ないほど厳密な科学(an exact science)に近づけたのだ」(ibid. 36)という 発言もまた、その人物像を鮮明化するだろう。もちろんこうした特異な科学探偵としての Holmes 像は、人間はそう簡単に、もしくは厳密に割り切れない感情、揺れる心を持ってい るという通念が地となっているからこそ明確な図柄となる。

 しかし、容易に気づくことだが、Holmes を名探偵の代名詞にしたのはここで確認したよ うな科学的な探偵ぶりだけであるはずがない。Doyle と同じく医師でもあった Austin  Free- man の Dr John Evelyn Thorndyke や Arthur B. Reeve の生みだした the American Sherlock  Holmes と呼ばれたりもする Professor Craig Kennedy といった探偵は、その科学的知識や最 新の科学機器の使用によって犯罪を解明するけれども、ともに Holmes と同じだけの地位名 声を獲得したとは言い難い。本格物の探偵小説では所謂フェア ・ プレイが重視されることを 前提にして言うと、Dr  Thorndyke のような探偵は「読者の知らない特殊な知識を隠し持っ て」いて、だから自分の発見した事実を嬉々として読者に明かすことができる(Sayers, 97-8)

わけだが、それは欺瞞的ではないにしても、興醒めのフェア ・ プレイになりかねない(ただ し Freeman の名誉のために言っておけば、彼がその危険を承知していて、語りに工夫を凝 らしていることは認めるべきであろう)。主に1910年代に活躍した Professor Kennedy に至っ ては、当時珍しかった血量計/肢体容積計(plethysmograph)や盗聴器(detectaphone)や 聴光器(optophone)などを駆使して事件を解決する。現代でもそうした最新の科学捜査を 売り物にする犯罪小説やドラマはあるようだが、そうしたストーリーは最新の科学技術の宣 伝にはなっても、探偵術や推理の魅力からは程遠い。Holmes の一特性を見るには Dr Thorn- dyke の得意分野である指紋がいい例になる。Holmes も指紋にまったく無関心というわけで はないが、おそらく指紋が最も重要な役割を果たす The Norwood Builder では、指紋を捜 査の基本にした Inspector  Lestrade が間違える―当然ながら間違えないのは Holmes―

という筋運びになっていて、そこには指紋に代表される新たな科学的捜査法を盲信してはい けないという月並みな科学探偵やどこかの科捜研の女を驚かせるようなメッセージが見え隠 れする。

 換言すれば Holmes がどれほど「科学探偵」としていわゆる科学捜査なるものを実践して いるかということである。Holmes は何度も Watson や読者の前に科学/化学実験に没頭する

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姿を垣間見せるが、そうした実験や彼の専門的な科学知識が事件の解決に直結する例はほと んどないと言える。「Doyle は実際的な科学者としての Holmes を読者に印象づけようとして いるが、描かれる実験場面は極めて作為的であり……しかもどれ一つとして物語の筋に必要 なものではなく……Doyle の主たる関心は実験が表面上生み出す劇的な効果の可能性にある」

(Ousby, 152)という指摘や、Holmes の推理は「紛いもので、本物と見せかけているだけ」

(Shepherd, 20)という指摘を思い出してもいい。最初の長編でまず実験に精を出す姿で登場 し、衣服などについた染みの正体を明らかにする「シャーロック ・ ホームズ試薬(the Sher- lock Holmes test)」なるものについて自慢げに語っていた Holmes(Doyle [1888] 10)なの だが、この試薬が以後まったく利用された形跡のないことは何やら暗示的ではあるまいか。

それほど優れた試薬なら、それを最大限利用するのが「科学探偵」としての当然の、或いは 正しい振舞いというものだろう。その意味で、次作の冒頭近くで交わされる Holmes と Watson の会話が興味深い。

 I glanced over it, said he. Honestly, I cannot congratulate you upon it. Detection is,  or ought to be, an exact science, and should be treated in the same cold and unemo- tional manner. You have attempted to tinge it with romanticism, which produces much  the same effect as if you worked a love-story or an elopement into the fifth proposition  of Euclid.

 But the romance was there, I remonstrated. I could not tamper with the facts. Some facts should be suppressed, or at least a just sense of proportion should be  observed in treating them. The only point in the case which deserved mention was the  curious analytical reasoning from effects to causes, by which I succeeded in unraveling 

it.   (Doyle [1890] 5. 下線筆者)

 Holmes が「おめでとうとは言えない」と難癖をつけているのは言うまでもなく A Study in Scarlet のことであり、Holmes の活躍を記録する Watson の語りに対する探偵本人のこう した批判的口吻は以後もたびたび聞かれ、新たな事件の前置きとして過去の事件について二 人が語り合い、そこで Holmes が Watson の語り口を批判するというのは Holmes ものの一つ の定型ですらあるのだが、この箇所はその原型と言っていい。「恋愛ものや駆け落ち」と対比 される「ユークリッドの第5定理」が代表する「厳密な科学」こそが探偵術の本質であり、

またそうあるべきであって、それは「冷静に、感情に流されることなく」遂行されなければ ならないという主張は、Stamford の形容した「冷淡/冷酷」なほど「科学的」な Holmes に

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いかにも似つかわしい。「結果から原因を導き出す分析的な推理だけが話題とするに足る」と いう主張も「非人間的」な分だけ「見事なまでの論理的知性を備えている」探偵の造型を目 指したという作者の発言に呼応している、ように見える。つまりここでの Holmes の主張が 彼の「科学探偵」としての側面を強化していることは確かである。しかし Watson の語りに 対する彼の批判が明らかにするのはそれだけではない。Holmes に言わせれば Watson は記述 に「ロマンティックな色づけを試みている」のであり、自分の行った事件解明を正しく記述 しようとすれば、ある種の事実は「抑圧しなければならない」のである。言うまでもなく、

Holmes の評判は Watson の筆によって高められた。それならば、Holmes がどれほど嫌おう とも、Watson によるロマンティックな色づけが、別の言い方をすれば、「平凡な相棒」に よって厳密な科学性を稀薄化された語りが Holmes の大衆的な人気を支えたということにな る。おそらく事件解決に「ホームズ試薬」を躊躇いなく頻用するような本物の科学探偵であ れば、現在 Holmes の享受している人気が彼のものになることはなかっただろう。Watson は まさしく Holmes の見事な「引き立て役」なのである。

 引き立て役としての Watson の活躍が顕著になるのは創刊間もない The Strand Magazine の第2巻、1891年7月号から連載の始まった短編においてであると言えるかもしれない。1940 年代からすでに Doyle は「短編の方が巧みである」(Haycraft, 55)という評価が定着してい て、実際 Holmes 人気が高まるのは短編連載以降だったのだから。そしてこの雑誌を見ると、

Watson の語りの功績とは別に、稀薄化された、或いは俗化したとでも言うべき科学性が当 時の読者に対して持っていた魅力の一端が多少とも明らかになるかもしれない。図1,2は いずれも同誌第2巻(7月~12月号)合本の末尾に収録された広告の頁である。

 注目したいのは歯磨きや石鹸の宣伝ばかりでなく、裁縫学校の宣伝にも scientific なる形容 詞が使われていることである。このとき scientific という語は本来の意味とは別に、俗耳に魅 力的に響く用語として独り歩きしていたのではないかと感じさせられる。安易な連想は禁物 だが、日本でもかつて「文化住宅」といった表現における「文化」が新しい素敵なものを連 想させたように、「科学石鹸」「科学歯磨き」「科学裁縫協会」といった宣伝文句がこのように 多用されていることを考えると、「科学」という響きが何か新しく好ましいものを連想させた という可能性が浮かび上がってくる。OED はこの語の語義説明として「単に伝統的な規則や 経験に培われた巧みさとは対照的なものとしての科学に基づく」及び「(漠然と)組織的な、

秩序立った」といった記述を与えている。この文脈で「科学探偵」の意味作用を想像すれば、

Doyle や Watson がどれほど「厳密」を主張しようとも、一般読者に訴えかけるのは元々の 意味からかなり自由になった「科学」という語が持つ魅力的な響きだったのではあるまいか。

Holmes の推理法、探偵術がどれほど厳密な科学性から逸脱していようとも、むしろそれだ

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からこそ、専門的知識を振りかざす真正に近い科学探偵の及ばぬ大衆的人気を獲得したのだ と言えるのではなかろうか。

 Doyle はそうした一般読者の新しさへの嗜好、時代の流行を殊のほか敏感に察知していた のかもしれない。コダックや小型タイプライターの宣伝が載っているこの広告頁を見ている と、短編連載の最初の作品 A Scandal in Bohemia(1891年7月号掲載)では写真が、9月 号掲載の三作目ではタイプライターが重要な役割を果たしている点に何らかの時代性を看取 してもあながち間違いではないような気がする。40頁近くに及ぶこの広告欄には写真撮影術 の無料講習の宣伝もあり、また1890年代には Remington を初めとするタイプライターが盛ん に宣伝されていたという事実もある。さらに以下に引用するこの三作目冒頭での Holmes の 発言は当時の人々の関心を見事に映し出しているように思われる。

 My dear fellow, said Sherlock Holmes as we sat on either side of the fire in his  lodgings at Baker Street, life is infinitely stranger than anything which the mind of 

図1 図2

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man could invent. We would not dare to conceive the things which are really mere  commonplaces of existence. If we could fly out of that window hand in hand, hover  over this great city, gently remove the roofs, and peep in at the queer things which  are going on, the strange coincidences, the plannings, the cross-purposes, the wonder- ful  chains  of  events,  working  through  generations,  and  leading  to  the  most  outré  results, it would make all fiction with its conventionalities and foreseen conclusions most  stale and unprofitable.   (Doyle [1892] 30. 下線筆者)

Holmes と Watson が空を飛んで、眼下の「大都市」を見下ろす図である。Holmes は、「上空 に留まって」家々の「屋根を外して覗き込む」と、屋内では「奇妙な出来事が進行中」であ るであることが看て取れると言う。「不可思議な偶然の一致、いろいろな企み、行き違い、驚 くべき出来事の連鎖が何世代にもわたって進行し、しまいにはとんでもなく奇っ怪な結果を 生んで」いるのだから、「常套に堕してお決まりの結末に終わる小説など、この上なく陳腐で 無意味なものとなってしまう」というわけだが、注目したいのはここで想定されている俯瞰 的視点である。ドラえもんとのび太ではない二人にタケコプターが用意されるはずもない。

「上空に留まって」俯瞰を可能にするものとして唯一考えられるのはおそらく気球だろう。こ こで気球を連想するのは、一見して考えられるほど強弁ではない。The Strand Magazine 1891 年11月号には、Holmes の五つ目の「冒険」に当たる The Five Orange Pips の後に London  from Aloft という記事が続いているが、これは気球で London 及びその近郊の上空を飛び、

眼下の光景を「コダックのカメラ」(492)で撮影した写真を含む空中散歩の記録である。気 球そのものの歴史は古く、Great Expectations(1861)の Pip も気球が Miss Havisham の庭に 配置されているという話を捏造していたほどだが、この地上を見下ろす経験に興奮した記事 は、Holmes の想像する空中旅行が雑誌の読者にとって、Pip の話に驚く Joe たちよりもはる かに身近な関心事となっていることを示しているだろう。「科学探偵」Holmes は読者の関心 や期待を裏切らない探偵だったということである。

 上の引用から窺えるのはそれだけに留まらない。人々の日々の生活を高みから見下ろすと いう Holmes の視点そのものがこの探偵の特質と魅力とを内包しているのではないかという ことである。ここで彼の提示する視点は、Holmes は「大気(air)」であり Don  Quixote で あって、Watson は「大地(earth)」や Sancho Panza になぞらえられるという指摘(Lehman,  68)のまたとない例証になる。のび太はドラえもんの用意するタケコプターがなければ空を 飛べないのだから。「6ペンスで1シリングの価値」を標榜したこの廉価な月刊誌は、ロンド ンを東西に走る大通り The Strand を西から、つまり Charing Cross(駅)側から眺め、遠く

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金融オフィス街のシティを望む構図を表紙(図3参照)に掲げて、そこへ通勤する―そし て少なくとも表面上はおそらく善良な家庭人でもある―ホワイトカラーの購買意欲を刺激 し、家に持ち帰ることのできる雑誌として駅の売店に並べられ、実購買部数を増やした。

Holmes 人気はそうした体裁を重んじる中産階級を中心とした購読者の意識が、貴族階級へ の嫌悪や軽蔑を時にあからさまに示すこの探偵像に深く感応した結果に違いない。空を飛べ ない常識人 Watson の仲間である読者は、空を飛べる存在に憧れずにはいられないのである。

 憧れずにはいられない読者の意識とは大雑把に言えば、Victoria 朝における「大衆政治」

や「集団の圧力」に囲まれたなかで個人としての無力感から生まれる一種の「英雄崇拝」で あり、換言すれば「超然として、自己主張を躊躇わず、凡庸な日常に苛立ちを覚える」よう な強い「個人性」への憧れである(Knight, 80)ということになろうか。「陰鬱で索漠とした 無意味なこの世」は「救いがたいほど散文的で俗っぽい」と語る Holmes(Doyle [1890] 11)

―これに類する発言は枚挙に暇がない―は、読者の不安や不満を掬い取りながら、しか し地上に繋ぎ止められ、俗事に汲々とする一般読者とははっきり一線を劃す孤独性を湛えて いる。そこに「天才のために残された孤独な高峰に立つ男」の「ロマンティックな憂鬱」を 見出す読解(Porter  156)は、上記の引用

最後の「陳腐で無意味(stale and unprofit- able)」というフレーズによって補強される だろう。それは「この世の営みすべてが何 とも退屈で、陳腐で、単調で、無意味に

(weary, stale, flat, and unprofitable)思え る」というデンマークの王子(Hamlet, I. ii: 

133-4)の言葉を響かせるからである。高み に上った視点が含意するものとは、そうし た読者の英雄崇拝に応えるような浮世離れ した、どこか孤独性すら漂わせる存在とし ての Holmes に他なるまい。実のところ、

彼の体現する科学性とは浮世の俗事からの 距離、超俗性を保証する一要素ではなかろ うか。短編で新たな「冒険」を記録するに 当たって、Watson は「彼はこの世で類を 見ないほど完璧に推理し観察する機械であ

る」(Doyle [1892] 5)と machine という語 図3

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を使って、改めて Holmes という人間を規定する。この言い回しは Doyle が語っていた Holmes の「非人間な(inhuman)」側面を強調していると読めることは間違いないが、同時に、常人 の理解を超えた存在としての名探偵像をも暗示しているのではなかろうか。そう言えば inhu- man には「超人的な」という意味もあったことにこの辺りで思い至るべきだろう。

 それならば、Watson が最初に作った Holmes という人物の特徴を記した一覧表をここで見 直してみるのも無駄ではないかもしれない。先に Holmes の「科学性」を裏づけるものとし て読んだこの一覧は、実のところ、別の意味作用を持っていたのではなかったか。Holmes は ベラドンナやアヘンを初めとする毒物に詳しく、また恐ろしい犯罪の詳細を熟知するほど衝 撃的な事件の文献に精通しており、しかもバイオリンを巧みに演奏する腕を持ちながら、同 時に棒術、ボクシング、剣術の達人である人間と記されていたわけで、読者としてはどのよ うな人物像を思い描けばいいのか、途方に暮れる。これは Holmes が Watson や読者の抱い ている常識の枠の外の存在、つまり超人という名の非人間であると述べられているに等しい だろう。事実 Watson は、Holmes の職業を「推理」しようと途中までこのリストを書きかけ たものの、このような人間の従事する仕事が何であるのか見当がつかずに、結局燃やしてし まったのだった。Watson のこの振舞いによって、読者は燃えた一覧表の煙に巻かれてしま うと言うべきか。というのも、もしこの一覧を残していれば、Watson はそれに修正を加え て、多少とも輪郭のある、或いは常識人に理解できる一貫性を帯びた Holmes 像を提示でき たかもしれないからである。だがそれは彼の任ではない。この一覧に文学の素養は皆無と記 された Holmes が、後に Flaubert による George  Sand 宛の手紙を引用する(Doyle [1892] 

74)という驚くべき知識を披歴しても、Watson は一向に驚いた風がない。極め付きは Thomas  Carlyle についてのエピソード。最初それは何者だと「何とも天真爛漫に」尋ねて(Doyle 

[1888] 15)、無知をさらけ出したかに見える Holmes なのだが、次作では「カーライル経由 で」ドイツのロマン派文学まで読んでいる(Doyle [1890] 58)ことを明らかしている。しか しここでも Watson は自ら描き出す人物像の齟齬にまったく気づいていないかのようである。

こうした Holmes 像に見られる齟齬は、それを無頓着に報告する Watson とあわせて、作者 の「操り人形」であるこの二人の宿命だと言ってしまえばそれまでだが、そう言ってしまう とこの二人組を愛する読者としては礼を失することになる。しかも Carlyle のエピソードに 至ってはあまりに落差が大きくて、逆に Holmes による無知の演技、偽装の可能性を疑いた くもなる。Holmes が一貫して「驚くべき変装能力」(Doyle [1892] 16)と「無数の変装手 段」(Doyle [1905] 135)の持主であることを忘れるべきではないだろう。つまるところ、彼 は一貫したアイデンティティを見出そうとする視線を一貫して戸惑わせ、混乱させるのであ る。上記の引用で始まる短編が A Case of Identity という風変りなタイトルを持っている

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のが何とも示唆的である。「人違い(a case of mistaken identity)」をもじったこのタイトル は、Watson の一覧表のたどった運命が雄弁に物語っているように、アイデンティティその ものが「問題(case)」であることを明らかにしてしまっている。Holmes 像の抱えた矛盾と 見えるものは、常識の枠内でしか人間を捉えられず、また捉えようとしない、より具体的に 言えば、人は誰もが固有のアイデンティティを持っていると盲信している、或いは信じたがっ ている Watson 及び読者の視野の限界が生み出した錯覚ということになる。Stamford による 最初の Holmes 紹介―彼は「表現できない存在(the inexpressible)」である―は Watson と読者に対する実に的確な警告だった。Stamford はそうした存在を表現することは「難し い」と語っていたわけだが、それは事実上不可能であるというべきだろう。Watson や読者 に明確な輪郭を描かせないこと、それがまさに Holmes の超人性を証明している。

 ただしこのどこか漠然とした超人性は常識的に理解される人間性と対立するというより、

それを包摂しているものであることはひとまず確認しておかなくてはならない。Watson に

「答は出たか」と問われ、「ああ、そっちの話か。てっきり取り組んでいた塩の実験結果のこ とかと思ったよ」と答えて(Doyle [1892] 43)友人と読者の期待を裏切る Holmes であって みれば、依頼された事件の謎解きと趣味で夢中になっている実験とを等価値のものと看做し ているという超俗的かもしれないが非人間的な(擬似)科学探偵ぶりを印象づけることにな るので、依頼者からの「あなたにとっては知的パズルにすぎないかもしれないが、わたしに とっては死活に関わる問題なんです……わたしを弄ぶのは止めてください」という非難めい た発言を招き寄せることになるのも当然かもしれない。しかしこの後に続く

 The  big  Rugby  three-quarter  was  trembling  all  over.  Holmes  put  his  hand  sooth- ingly upon his arm.

 I fear that there is pain for you, Mr. Ferguson, whatever the solution may be, said  he. I would spare you all I can. I cannot say more for the instant, but before I leave this  house I hope I may have something definite.   (Doyle [1927] 81)

という記述には Holmes の別の面が顔を出していると言うべきだろう。相手を宥め(sooth- ingly)、相手の痛み(pain  for  you)も想像できる人間的な探偵の姿がここにはある。Yeats の表現を借りれば Grey Truth の従僕となっていたかに見える Holmes が、「全力で相手の ために尽くす(I would spare you all I can)」実は human truth の追求者であったことを、

この短編 The Sussex Vampire の結末は明らかにしている。しかもこうした Holmes とい う一見科学的な探偵像、人物像の輪郭をさらに曖昧にするような人間探偵の側面は、それに

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対応するかのようにどこか曖昧な事件解決を促す、つまり解釈のコードは閉じられるが行動 のコードが閉じられない―事件の謎は解かれたが、犯人は市民社会が一般に期待し、規定 する罰を受けない―という感覚を促すとすれば、名探偵 Holmes のもたらす解決には存外 この種のものが多いことに気づかされる。その最も露骨な例として Charles  Augusts  Mil- verton を挙げることができるだろう。復讐を動機とする殺人を目撃した Holmes と Watson は犯人の痕跡を消して現場を逃走し、翌日知り合いの警部から助力を求められると、Holmes は次のように述べる。

 Well, I am afraid I cant help you, Lestrade, said Holmes. The fact is that I knew  this fellow Milverton, that I considered him one of the most dangerous men in London,  and that I think there are certain crimes which the law cannot touch, and which there- fore, to some extent, justify private revenge. No, its no use arguing. I have made up  my mind. My sympathies are with the criminals rather than with the victim, and I will  not handle this case.   (Doyle [1905] 174. 下線筆者)

もちろんこの作品を読み進んでくれば、終わり近くの Holmes のこの発言はそれなりの妥当 性と必然性を持って響くことは確かであり、人間味の溢れる言葉であると言ってもいい。し かし文脈から外して考えると、「法が触れることのできない犯罪」の存在を認め、「私的復讐」

を容認し、「被害者よりも犯人への共感」を公言する人間は一般に通用している社会規範から 大きく逸脱している存在だろう。たしかに Holmes には「探偵は社会の外側に位置する人間 であるという考え方の萌芽」が見られる(Evans 48)ことは明らかだが、それに留まらず、

この発言には潜在的な犯罪者性とまでは呼ばずとも反社会性への傾きが窺えるのではないか。

「復讐とは甘美なもの(Revenge is sweet)」が危険な格言であることは言うまでもない。す でに触れた A Case of Identity の最後で、犯人に「自分は法を犯してはおらず、犯してい るのはあなたの方だ」と嘯かれた Holmes が、暴力に訴える身振りによって相手を遁走させ て、「あいつはとんでも悪党だ」と言うとき(Doyle [1892] 47)、読者がこの格言をかすかに 思い出すだけですむのは、暴力沙汰にならずにすんだだけではなく、この発言が笑いを伴っ ていることによって、そこに湿った怨念が淀まないよう仕組まれているからである。このよ うに社会規範に従って、もしくは縛られて生きている(と思い込んでいる)読者は Holmes に危険を感じないまま縦横無尽、天衣無縫なその言動を称えつつ楽しむわけだが、それはす でに確認した輪郭の曖昧な Holmes の超人性(と時折それに重ね着される人間味)に支えら れている。それだからこそ彼は、警察とは微妙な距離を保ちながら、社会規範より上位の判

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断基準―例えば「合法か違法か(right or wrong)」ではなく「善か悪か(good or evil)」

―に従って行動することが許されることにもなる。しかしこの引用に窺われる社会規範か らの逸脱性は看過できない彼の特質であるように思われる。部屋には「化学薬品と一緒に犯 罪ゆかりの品々」を並べている(Doyle [1893] 113)Holmes が「警察の敵ではなく味方であ るのはありがたい」という刑事の言葉(ibid.  209)には、その言葉とは逆の可能性が仄見え るように思えるし、実際 Holmes はつまらぬ犯罪を「軽蔑」するあまり、自分なら「もっと 価値のある」犯罪が可能だと仄めかしさえする(Doyle [1917] 38)。

 同時に気になるのは、Holmes には良識ある一般読者には容易に同調、同意できないコカ イン常用という厄介な性癖が付与されている点である。たしかに Holmes の時代におけるコ カインの位置づけは現在とは違い、その常用癖は常人離れした人物像に陰翳を付与するため の仕掛けであることは間違いない。それにしても Holmes のコカイン常用はそれだけに留ま らない意味を帯びているのではないか。というのも、The Sign of the Four の冒頭で中産階 級的良識の持主である読者を代表する Watson に身体に悪いと忠告された Holmes は、謎と いう刺激があればこんな「人工的な刺激」は要らない(4)と反論するばかりか、事件解決 後、自分は妻を、警察は名誉を得たが、「君には何が残ったか」と Watson に問われると、

「ぼくにはまだコカインの瓶があるさ」と答え、「そして彼はその白い手を瓶の方に伸ばすの だった」(119)と記される。しかもこれが作品を閉じる最後の一文である。この作品はコカ インで始まりコカインで終わると言えようか。実際この結末の Holmes の宣言に呼応するか のように、結婚した Watson が221B Baker Street を出ていた間の名探偵の様子は、「コカイ ンと野心の間を行ったり来たりしていた」(Doyle [1892] 5)と、新たな「冒険」の冒頭でわ ざわざ報告されるほどである。しかも Watson はその後も繰り返し Holmes のコカイン依存 への懸念を表明し、結局「何年もかけて徐々にその熱狂的な薬物嗜好(that drug mania)を 止めさせる」ことに成功したようだが、それでも「その悪鬼は死んだのではなく眠っている だけだと分かっている」(Doyle [1905] 243)と注記するのを忘れない。このように見てくる と、Holmes とコカインには換喩的関係が成立しているとまで言えそうである。それならば 超人的名探偵 Holmes の常人離れには、どこか良識ある市民が眉を顰めるばかりか、もしか すると不安にも感じる反社会性が潜んでいるということにはならないだろうか。

 Holmes のオペラ好き、或いはストラディヴァリウスへの愛着についても同様のことが言 えるように思われる。たしかに芸術への傾斜、さらには芸術家肌という色味が添えられるこ とで、この名探偵の人物像に奥行が増すという効果が生まれているけれども、芸術家という のはしばしば社会通念から逸脱した特異性を売りものにするのではないか。ここで念頭に置 いているのは Doyle の同時代人 Oscar Wilde である。そしてこの連想はそれほど突飛でもな

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い。Doyle は1889年、「唯美主義の闘士として当時すでに有名だった」 Wilde とともに編集者 と会食をして「輝かしい夕べ」を過ごし(Doyle [1924] 78)、この会食の結果、アメリカの 雑誌 Lippincotts Monthly Magazine 1890年2月号に The Sign of the Four が、同7月号に The Picture of Dorian Gray が掲載されることになるのだった。Wilde の身に纏った特異性 が彼を社交界の寵児とする一方、ヴィクトリア朝社会に潜むダブル ・ スタンダードを鋭く衝 くその言動は常識的、市民的モラルから逸脱する反社会性を帯びていたことは言うまでもな い。ある評者は「気力を失い、バイオリンを弾いてはコカインに走る知識人は……ドリアン ・ グレイのサークルの一員であったとしてもおかしくない」と述べている(qtd in Rzepka 131)

ほどである。Doyle は Wilde の書簡に言及し、彼が The Sign of the Four に「身に余る称讃 の言葉」をくれたと述べた後、「新聞は美的教養のない俗物ども(Philistines)に向けて助平 連中によって書かれているとしか自分には思えません。連中が一体どう読んだら『ドリアン グレイの肖像』をモラルに反するなどと言えるのか、わたしの理解を超えています。わたし の抱えた難題は、人が生来持ち合わせているモラルよりもあくまで芸術的、劇的効果の方を 重視するということでした」(ibid. 80)という一節を引用している。陳腐な犯罪を毛嫌いし、

「自分ならもっと価値のある」犯罪が可能だと豪語する Holmes にもこうした通俗モラルを軽 蔑する芸術家気質の反映が読み取れると思われるが、こう述べた Wilde はこの自作中で Lord  Henry に「外観で判断しないのは浅薄な人間だけだ。世界の謎は目に見えるものであって、

目に見えないものではない」(22)と語らせているが、これは人の服装や窓ガラスの表面に映 る像から推理を展開する Holmes に通底する認識であると言えるだろう。

 詳細に及ぶ余裕はないが、ヴィクトリア朝時代には「世間の目」が強まることで「プライ ヴァシーの意義が変わり、秘密保持が現実にも想像上も必要になった」(Welsh  vi)のであ り、秘密保持を願う人間にとって外から内を覗き込もうとする視線は避けるべき危険なもの となる。たしかにこの状況は現代にまで続いているようで、我々は厚さに差はあれ誰もが仮 面を被っている、つまり隠すべき自己があると思い込んで変装、偽装をしているので、居酒 屋で表層の観察から深層にある(と想定される)真実を探り当ててしまう名探偵が隣に座る と、まず例外なく不安になる。Lord Henry を生み出した作者はその主張を敷衍するかのよう に、別の人物の仮面を被って「人が本人として話すときは本人ではない。仮面を被せてやる と真実を語るだろう」(Wilde [1891] 185)といかにもこの作者らしく逆説めいた箴言を披歴 しているが、これは名探偵にとって逆説とはなるまい。隠したいという欲求と隠れたものを 明らかにしたいという欲求のせめぎあうかくれんぼがヴィクトリア朝後期において尖鋭化し たときに Holmes は生まれ、歓迎されたことになる。The Strand Magazine の歴史をたどっ た研究によれば「この雑誌は中産階級の趣味、偏見および知的限界を忠実に映し出した」(qtd 

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in Clarke 74)のであり、良識を備えた(と自認する)中産階級の読者は、Holmes に自分を 仮託することはできなくとも Watson に自らを重ねることによって、名探偵の視点を共有す ることができた。先の引用に従えば、のび太よろしく Holmes に連れられて Watson ととも に空の高みから下界で展開される「奇妙な出来事」を「覗き見する(peep  in)」という欲求 を満たすことができたのである。中産階級の「知的限界」は当然、広くこの雑誌のイデオロ ギーに反映されているが、その些末な一端を敢えて指摘すれば、読者が「覗き見」の欲望を 満たしながら「覗き見」される危険や不安を感じない、もしくはそれに無自覚でいられると いうところに窺われる。しかしながら仮面を被り、変装や偽装に磨きをかけている読者もま た、本来そうした危険や不安から自由ではあり得ないはずである。

 この点で注目すべきエピソードがある。名探偵の宿敵 Professor Moriarty に関するもので、

Holmes は教授の保持する高価な絵を契機として彼の犯罪者性を疑うことになるわけだが、

少し寄り道をすると、シャーロッキアンの間では教授のモデルとして Adam Worth という窃 盗犯の元締めがよく取り沙汰されている。このドイツ生まれのユダヤ系アメリカ人が、背が 低かったせいもあってか、Scotland Yard 犯罪特捜部の Robert Anderson によって「犯罪界 のナポレオン(Napoleon of the crime)」と呼ばれていて、この同じフレーズが The Final  Problem において Holmes によって教授を形容するのに用いられている(Doyle [1893] 252)

のがその大きな理由だが、さらに Worth が盗んだ肖像画―Thomas Gainsborough の Geor- giana, Duchess of Devonshire―を売らずに保持したまま逮捕され、刑期を終えると、その 絵を盗んだ画廊相手に交渉し、見事25,000ドルで買い戻させたという事実も影響しているら しい。盗んだ絵を処分せずに自分で持っているというのが両者に共通しているというわけで ある。Worth の逮捕が1892年10月、裁判が93年3月で、The Final Problem は The Strand Magazine の1893年12月号に掲載されている。本稿冒頭で触れたように同誌の1891年3月号に 短編を載せていた Doyle がこの盗難事件のことを知っていたことはまず間違いなくて、同年 4月号の記事には、盗難事件によって「この絵が Gainsborough の最高傑作と看做されるよ うになったのではないか」(341)という皮肉な評言が見られ、また同年9月号掲載の A Case  of Identity では、依頼人の女性の帽子の被り方について Watson が「なまめかしいデヴォン シャー侯爵夫人のように」(Doyle [1892] 32)と形容しているのは、この肖像画への言及で あると考えられる。こうして Worth モデル説は一定の説得力を持つのだが、彼が殺人をも厭 わない Moriarty とは人物像として齟齬をきたすのも事実であり、モデルとして考えるならば むしろ G. K. Chesterton の生んだ Father Brown の相棒となる大泥棒 Flambeau の方が適切 かもしれない。ナポレオンという固有名詞が比喩的に使われる例はそれほど稀ではないよう に思われるし、この大泥棒が最初に「この犯罪界の大立者(this colossus of crime)」(Ches-

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terton 16)と呼ばれているのも、気にしようとすれば気になるので。

 寄り道の度が過ぎたようだが、こうした経緯から注目したいのは、実は他にも候補がいる Moriarty のモデル問題ではなく、彼の保持しているのが Jean Baptiste Greuze 作の高価な絵 であるということである。Holmes が教授の書斎を訪れことのある Inspector  MacDonald に そのときの様子を尋ねたときの二人の遣り取り。

 Well, it was evening; but I mind that the lamp was turned on my face. It would be. Did you happen to observe a picture over the professors head? I dont miss much, Mr. Holmes. Maybe I learned that from you. Yes, I saw the pic- ture―a young woman with her head on her hands, keeking at you sideways. That painting was by Jean Baptiste Greuze.

 The inspector endeavoured to look interested.  (Doyle [1914] 16. 下線筆者)

 Greuze 作の少女像はかなりの数に上るが、その多くが特徴的な帽子やきらびやかな衣装を 強調した Thomas Gainsborough の有名な Georgiana, Duchess of Devonshire とは対照的に、

若い女性の顔を前景化した構図になっているので、当然、後者に比べて対象の表情が見るも のに強く訴えかけることになる。そこで否応なく気になるのが keeking というあまり見慣れ ない語で、これはスコットランド英語で「こっそり覗き見る、盗み見る」ことを意味する。

警部がスコットランド出身であることを反映する語彙と言うべきだが、これは英語を母語と していても読者によっては少し理解しにくい語なのかもしれない。というのも後の版では、

とくにアメリカ版では keeking が peeping に置き換わっていて、現在でもそうした版が流通 しているからである。(因みに OED は keek の語義を To peep; to look privily, as through a  narrow aperture, or round a corner と説明している。)具体的にどの版でこの変更がなされ たか特定できていないが、変更の事実そのものが、keeking を選択したのは作者の極めて意 識的な判断であることを物語っているのではなかろうか。問題は警部が「顔を両手の上に乗 せた若い女」を描いたものだと説明する絵が何であるかということだが、これについてはす でに特定されているようで、Greuze 作の「腕を組んだ少女」と題される絵だということに なっている。図4がそれである。

 もしこれが当該の絵であるとすれば、若い女が「横目でこちらを盗み見ている」という記 述について Oxford 版が「巧みな描写である」(ibid.  181)と注記しているのは、どうにも納 得しがたい。この少女の目の表情は同じ画家の手になる他の少女像とも多分に共通する特徴 を持っているように思えるが、この目を含めてそうした視線に「覗き見、盗み見(keeking/

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peeping at)」の要素を感じ取るのは聊か奇 妙な反応であると言えるのではないか。も ちろん何を感ずるかは相当程度主観的なも のであり、何であれ奇妙だと容易に断定は できないが、本稿の筆者は、例えば漱石の

『三四郎』の美学の教師が主人公に Greuze の描く女の表情はどれもヴォラプチュアス だと説明していたことに、ここでの警部の 感想以上の共感を覚える。つまるところ指 摘したいのは、警部の反応はどこか奇妙に 思えるだけに何かを示唆しているのではな いかということである。探偵/刑事(detec- tive)はもっぱら keeking/peeping  at の主 体であって対象ではない。しかしこの警部 の反応に明らかなように、Moriarty の部屋 では立場の逆転が起こりうる。ということ は、状況によっては覗き見、盗み見をする

側がいつ何時、見られる側に転位するかもしれないという危険性があるということに他なら ない。この視線に不安を感じ、危険を察知するということは、定義上「覗き見」に支えられ る探偵行為(detection)が実は定義上、市民社会のモラルに反する犯罪性を内在させている ことを浮き彫りにする。Holmes に連れられて呑気に覗き見をすることに快感を覚えていた 読者に、警部の感じた不安は、覗き見る立場に安住はできないのだからいい気になってはい けない、と忠告を与えてくれているようである。もちろんこの不安は超人 Holmes のもので はない。だが、それ以上にもちろんのことだが、「知的限界」を抱えた読者は超人ではないと 改めて強調しておこう。いや、読者にとっての理想の英雄である Holmes でさえ、転位の可 能性と無縁ではない。探偵として自らの正体を隠すために変装を駆使する彼は、最初の「冒 険」で「あの女性(the woman)」に変装によって裏をかかれるという経験をしたとき、探偵 行為の持つ二重性に逢着したと言えるのではないか。だがその問題を追究するには、別稿が 用意されなければならない。ここでは「欺こうとすると欺かれる(deceiver deceived)」とい う中産階級のモラルにいかにも合致しそうな微温的教訓を確認して擱筆するのが「知的限界」

を突破できない身のほどをわきまえた振舞いということになる。

図4

https://materialofonebeing.tumblr.com/

post/154569336473/la-catharsis-jean-baptiste- greuze-jeune-fille より

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*本稿は2018年9月29日、立正大学英文学会で行ったかなり野放図な講演を何とか整形しようと 試みたものである。

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Some Adventures around Sherlock Holmes

Kazuhisa Takahashi

 Needless to say, Sherlock Holmes is one of the best-known detectives in fiction. He has  long been a standard model for other detective fiction writers to copy in characterizing  their  heroes.  His  creator,  Arthur  Conan  Doyle,  famously  declares  in  his  autobiography  about the birth of Holmes that although he had been interested in previous sensational nov- els of adventure, he tried to create a new type of detective, who could solve on his own  merits rather than through the blunders of the criminal. In Doyle’s pronounced view the  new method to be employed by the detective should be based on ‘an exact science’. Appar- ently Doyle’s design is effectively executed in stories by the protagonist’s somewhat odd  behaviour and the narrator’s comments on it. But then it can be argued that the scientific  knowledge Holmes exhibits does not directly contribute to the solution of the problems he  deals with. In the late Victorian era, the word ‘scientific’ seems to apply to anything desir- able and innovating, as is well illustrated in advertisement pages in various magazines in  the  period;  Holmes’s  indulgence  in  scientific  experiments,  therefore,  together  with  his  attachment to the Stradivarius or his cocaine addiction, seems to be a theatrical gesture for  establishing  himself  as  a  social  outsider  deviated  from  the  ‘respectable’  and  restricting  norms of Victorian society. It is this deviation that Holmes achieves tremendous popularity  when  he  appears  in  The Strand Magazine,  whose  middle-class  readers,  because  of  their  feeling of being restricted, adore and admire his freedom as a hero’s privilege which they  are  never  awarded.  In  fact  Dr  Watson,  as  a  puppet  of  Doyle’s,  endeavours  to  present  Holmes not as an ordinary, more or less fathomable person but rather as an ‘inhuman’ or  superhuman existence that common readers cannot easily define or demarcate. This privi- lege enables Holmes to maintain a kind of dignified aloofness, which gives a good opportu- nity  to  peep  at  various  interesting  and/or  criminal  things  which  are  going  on  among  common people, and the reader of Holmes stories enjoyed the act of peeping when reading  them,  since  it  is  justified  by  the  hero.  The  act  of  peeping,  which  provides  the  basis  for 

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detection is not usually allowable by moral norms accepted in a healthy society, however: 

not unlike Victorians who entertained a growing idea of privacy and elaborated the art of  disguise, we, putting on many masks, love peeping at others but do not like being peeping  at. This implies that detection contains a kind of criminality in itself. Detectives in the sto- ries, Holmes included, are, though the ‘cases’ are rare, seized by an uneasy sense of being  peeped at or outwitted by the target they try to detect, giving irresponsible optimist read- ers a piece of useful and valuable advice: beware, you are not such a clever deceiver as you  think.

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