戦後初期における産児調節の普及と 育児費・過剰労働力問題
東 京 近 郊 農 村 調 査 の 検 討 か ら
高 木 雅 史
*
はじめに
本稿の課題は、産児調節が急速に浸透した戦後初期を対象にして、その実態 及び普及要因を、当時の家計における育児費負担と過剰労働力問題との関連に おいて検討することである。
周知のように、日本の合計特殊出生率は、戦後間もなくの第1次ベビーブー ム(1947~49 年)の直後から、「ジェットコースターに乗ったように」1)と称 されるほど急激に低下した。この現象について落合恵美子は、若い夫婦が産む 子どもの数を意図的に半分に減らすことにより起こったとし、この時期は、1 人1人の子どもに十分なお金と手をかけて育てたいと考え、だれもが適齢期に 結婚して2人か3人の子どもをもうけるのが当たり前と考えるようになったと いう「家族の戦後体制」の開始期であったと位置づけている2)。この時期にお ける急激な出生率低下の理由は、避妊による産児調節の普及と人工妊娠中絶の 増加によるものであった。
*福岡大学人文学部准教授
ここ十数年、家族研究及びジェンダー研究に大きなインパクトをもたらした
「近代家族論」の影響のもと、戦後初期における産児調節を対象とした研究も 深まりをみせた3)。「近代家族論」とは、男=公共領域/女=家内領域という 性役割分業・家族成員間の強い情緒的関係・子どもへの強い教育的関心といっ た特徴を有する家族は普遍なものではなく近代の産物であるとするものであり、
戦後初期における産児調節の急速な普及は、まさに近代家族を生み出す行動の あらわれとして着目されたからである。
教育との関わりに焦点づけて産児調節を分析した研究を概観すれば、近代に 限っていえば、第一次世界大戦後の都市部において成立した新中間層の心性と の関わりや戦前の産児制限運動、性教育とのつながりなど、戦前までの時期を 対象とした研究が蓄積されてきている。その一方、管見の限り、戦後初期を取 り扱っているものは小山静子の研究4)があるのみである。小山は、子どもの存 在を「授かるもの」から「作るもの」へと考える価値観の転換について簡潔に まとめ、少産社会における教育問題のなかに産児調節を位置づけている。しか し小山の研究は、人口政策や優生保護法制定に関わる政策文書や啓蒙書、パン フレット等にみられる言説を検討したものであり、実態分析に踏み込んだもの ではない。教育と産児調節との関係性という観点からの研究をさらに進展させ るためには、政策やイデオロギー、心性に関する考察にとどまらず、産児調節 に関する実行状況の実態に迫る分析をおこなう必要がある。このことは産児調 節をめぐって、言説と実態の間に存在したであろうズレを検証するために必要 な基礎作業であるといえる。
「近代家族論」を準拠枠とした研究は、概して〈少産化を担った新中間層の 心性の汎化〉という図式に基づいて、〈子どもの少ない幸福な家族像〉の啓蒙 とその受容がこれまで強調されがちであった5)。そのため、戦前における産児 調節の問題はもともとは「貧乏多産」に苦しむ農村部の救済策として着目され たという経緯があるが、それが戦後初期の産児調節の動向にどのように反映し
ているのかという問題が追求されないままとなっている。また近年、言説だけ でなく日本鋼管や日本国有鉄道といった企業における産児調節の普及活動の実 態に迫る研究もあらわれているが6)、1950 年前後においては第一次産業が就業 人口の約 50%を占めていたにもかかわらず、農村部の実態を検討した研究は 十分に進められていない。よって本稿は、「当時の経済水準においては何人の 子どもが養育可能であったのか」という観点から育児費負担と過剰労働力問題 に着目し、戦後初期における農村部の産児調節の実態に迫りたい。
具体的には、厚生省人口問題研究所が 1951 年8~11 月に実施した東京近郊 5地域(東京都北多摩郡武蔵野市及び千葉県東葛飾郡1町2村・茨城県筑波郡 1村)を対象とした調査を検討する。産児調節の実行状況は地域差が大きいた め、具体的な様相を知るには地域を限定した分析が求められるからである。ま たこの産児調節の実行状況調査と並行して、そのうちの1農村において階層別 に育児費負担及び過剰労働力に関する調査が実施されている。育児費負担や過 剰労働力問題にあらわれる農村部における経済的制約の問題が先行研究におい て十分に取り上げられてこなかった理由には資料的限界が大きかったといえる が、本稿が取り上げる3つの調査資料は、同一地域・同一時期における産児調 節・育児費・過剰労働力問題を検討した希有なものであり、通底する共通の課 題意識に基づいて実施されたものである。なかでも育児費調査は、東京都居住 の公務員世帯の育児費負担も分析されている。このことから本稿は、都市部世 帯と農村部世帯における育児費負担のあり方の相違を踏まえて検討する。
1.東京近郊5地域における産児調節調査
ここで主として検討するのは、「東京近郊市町村の産児調節普及の実状-地 域的性格の分析-」(篠崎信男執筆、『人口問題研究』第8巻第3・4号、厚生 省人口問題研究所、1953 年2月)である(以下、報告①とする)。
調査対象は、東京都北多摩郡武蔵野市及び千葉県東葛飾郡我孫子町・田中村・
富勢村、茨城県筑波郡小張 村の1市1町3村であった
(図1)。武蔵野市は中央線 沿線に位置し戦後に急激に 人口が増加した郊外都市、
我孫子町・田中村・富勢村 は常磐線沿線の農村地帯、
小張村はさらに都心から離 れた純農村である。農家世 帯の特徴と人口に占める割 合をみると、武蔵野市は畑 作中心の農家世帯が 0.3%、
我 孫 子 町 は 25.7% 、 田 中 村 は 蔬 菜 中 心 で 74.3% 、 富勢村は水田と畑作が半々 で 55.4%、小張村は稲作中心で 77.5%であった。都市化した順に並べると、
武蔵野市・我孫子町・田中村・富勢村・小張村となる。武蔵野市以外は妻の年 齢が 15~49 歳の該当夫婦全員が対象とされ、武蔵野市においては人口が多いため 市内各地区より該当夫婦 5.7%が任意抽出されて実施された。調査員約 80 名が 調査票を配付・回収・点検し、不完全なものは再調査された。配付調査票数は 6480 であり、回収票数4658のうち有効票数は 3883(武蔵野市 838・我孫子町 14 27・田中村 756・富勢村 617・小張村 245)であった。
まず地域別避妊実行率をみると、武蔵野市 43.1%、我孫子町 15.3%、田中 村 6.9%、富勢村 12.3%、小張村 3.7%であり、富勢村を除いて農村部ほど低 い7)。この避妊実行者のうち夫の職業別の内訳をみると、基本的に自由業者や 俸給生活者が高く商業者・農業者が低い(表1)。夫の教育程度別では高学歴
図1 調査対象地域地図
者が高い(表2)。表2の最高値と最低値を比較すると、武蔵野市の大学専門 学校卒業者 63.0%、小張村の小学校卒業者 1.3%である。小張村のサンプル数 が少ないこと、農村部においては避妊実行率を回答することへのタブー視が強 く存在したことの影響が考えられるとはいえ、都市部の高学歴者と農村部の低 学歴者では格段の差があったことは看取できよう。
避妊実行者の知識獲得経路は、どの地域も読書(書籍・新聞)からが全体平 均で 47.5%と突出して多く、医師・助産婦から(15.3%)や知人・近親者から
(7.5%)得たという回答を大きく引き離している。
表1 夫の職業別・地域別避妊実行率 地 域 農業者 商工業者 俸 給
生活者 労働者 自由業者 その他 不 明 総 計 武蔵野市 5.3% 27.8% 54.3% 39.3% 73.7% 40.0% 26.9% 43.1%
我孫子町 6.7% 17.1% 21.8% 13.6% 31.0% 4.3% 7.1% 15.3%
田 中 村 5.5% 8.6% 16.4% 5.5% 0.0% 0.0% 8.3% 6.9%
富 勢 村 5.0% 13.7% 27.8% 7.3% 45.4% 15.3% 3.7% 12.3%
小 張 村 3.0% 9.1% 0.0% 0.0% 33.3% 16.7% 0.0% 3.7%
計 5.4% 21.2% 33.7% 15.3% 44.6% 11.1% 10.0% 18.4%
原注:自由業者には芸術家、小説家、著述業、医師、按摩、宗教家等が含まれている。
その他には一般に失業者、臨時仕事、家政婦、恩給生活者等が含まれている。
出典:図1に同じ。
表2 夫の教育程度別避妊実行率 地 域 小学校卒業者 中学校卒業者 大学専門学校
卒 業 者 不 明 総 計
実数 % 実数 % 実数 % 実数 % 実数 %
武蔵野市 61 27.7 100 39.1 177 63.0 23 28.4 361 43.1 我孫子町 72 9.4 48 16.8 88 28.8 10 14.1 218 15.3 田 中 村 29 4.9 14 16.3 6 16.2 3 8.3 52 6.9 富 勢 村 21 4.9 16 18.3 35 44.8 4 16.0 76 12.3 小 張 村 2 1.3 1 1.5 5 27.8 1 14.3 9 3.7 計 185 8.6 176 22.9 311 43.2 41 18.7 716 18.4 出典:図 1 に同じ。
避妊の実行理由は、全体平均で経済的理由 27.1%、母体の健康上 17.6%、
生活の改善 9.8%、その他 4.2%、以上の理由2つ以上 38.8%、不明 2.5%であ る。このうち小張村のみをみると、高い順に経済的理由 44.5%、以上の理由 2つ以上 33.3%、母体の健康上 22.2%であり、経済的に苦しい農村部ほど経 済的理由の割合が高いことがわかる。
避妊開始時の平均現存子ども数が何人であったのかを検討することは、それ 以上子どもはいらないと考えるのかあるいは適当な間隔をおいて持ちたいと考 えるのかという「計画産児」の考え方を分析する参考となる。
表3によれば、この数値は総計で武蔵野市 2.1 人、我孫子町 2.7 人、田中村 2.6 人、富勢村 2.4 人、小張村 1.8 人である。全体平均は 2.3 人となり、この数 値について報告①は、「子供を二人位持たねば実行に入る決断が、つかないの ではなかろうか。即ち半ば受胎調節に対する心理的不安を蔵しつゝ、半ばは生 活に対する考慮から実行に入るという限界子供数の平均値でもあろう」8)と述 べている。
なお小張村では実行者は数名に過ぎないが、その実行者のうち農業者が 1.7 人という最も少ない現存子ども数で避妊を開始している点が注目される。表1 にあったように、小張村の農業者の避妊実行率は 3.0%にすぎなかったことか らうかがい知れるように、一般的には伝統的な純農村地域ほど産児調節の普及
表3 避妊実行開始時の平均現存子ども数 地 域 農業者 商工業者 俸 給
生活者 労働者 自由業者 その他 不 明 総 計 武蔵野市 4.0 人 2.8 人 1.9 人 2.3 人 2.0 人 1.5 人 1.0 人 2.1 人 我孫子市 2.4 人 2.8 人 2.5 人 3.1 人 2.5 人 3.0 人 5.0 人 2.7 人 田 中 村 3.0 人 2.0 人 2.2 人 1.7 人 - - 2.0 人 2.6 人 富 勢 村 3.1 人 3.2 人 2.3 人 1.3 人 1.4 人 0.0 人 4.0 人 2.4 人 小 張 村 1.7 人 2.0 人 - - 2.0 人 2.0 人 - 1.8 人 計 2.7 人 2.8 人 2.1 人 2.5 人 2.0 人 1.8 人 3.0 人 2.3 人 出典:図 1 に同じ。
が遅いといえるからである。しかしこの調査によれば、小張村における不実行 者の大半は調査時点ですでに一定数子どもを産み終わっている夫婦であり、少 ないながらも実行しているのは若い夫婦層であったという。つまり、小張村にお いて避妊は、「極めて若い夫婦層にのみ浸潤し古い夫婦層は全く無関心であ」9)っ たという両極端な傾向を示していたのである。小張村では避妊の実行理由とし て経済的理由が最も高かったことと合わせて考えてみれば、実行者にとっては、
経済的制約の強さから、他の農村部や都市部以上に出産抑制が切実な問題であっ たことがうかがい知れる。
避妊の実行方法は、全体平均でコンドーム法 25.0%、定期禁欲法・避妊薬 各 10.5%であり、それ以外は、器具 2.4%、ペッサリー 2.0%、医師 1.9%、膣 外射精 1.5%、手術(堕胎を含む)1.4%等と少数である。しかし、以上の2つ の併用 16.3%、3つの併用 1.7%であり、コンドーム法を中心とした複数の方 法がとられていたようである。なお、不明が21.9%であったことに注意が必要 である。また報告①によれば、このうち医師の項目は 1949 年くらいからおこ なわれ始めたというヨードチンキの子宮内注入や「テスト掻爬」といった医師 による「一種の堕胎的行為」のことを意味しているという。手術も 1948 年く らいまでは輸卵管結紮を意味するものが多かったが、1951 年にいたると人工 妊娠中絶(堕胎)を避妊行為の1つとして判断して、手術という項目で回答す るようになってきているという10)。母体へのリスクが高い人工妊娠中絶が広ま るなかで、避妊との区別や理解があいまいなまま、出産抑制の手段として併存 するかたちで実行されていた状況がうかがい知れる。
避妊不実行者の理由をみると、全体平均で、無関心 41.3%、子ども数に関 係した理由 25.2%、進んで実行の意志なし 19.0%、嫌厭 5.1%、実行法の無知 又は器具薬品の入手難 4.9%、その他 2.7%、以上の2つ以上の理由 1.4%、不 明 0.4%である。このうち無関心という理由を市町村別にみると、田中村 51.5
%、富勢村 48.7%、小張村 44.6%、我孫子町 35.5%、武蔵野市 23.7%となり、
都市部にくらべて農村部が高い。このデータを踏まえて、避妊実行者と不実行 者の人工妊娠中絶率をみると、武蔵野市(実行者 85.6%・不実行者 21.8%、
以下同順)、我孫子町(38.3%・5.6%)、田中村(34.7%・4.5%)、富勢村(54.4
%・3.1%)、小張村(0.0%・1.4%)であり、小張村を除いて、どの地域も避 妊実行者の方が人工妊娠中絶率が高い。このことは、避妊への無知から人工妊 娠中絶をおこなっているのではなく、避妊の失敗による妊娠への対応として実 行する者が多かったことを示している。
2.富勢村農家及び東京都居住の公務員に対する育児費調査
ここでは1.で検討した地域のうち富勢村について実施された階層別の育児 費調査を検討する。東京都居住の公務員世帯との比較をおこなったこの調査は、
『社会階級別育児費調査報告』(研究資料第 93 号、厚生省人口問題研究所、
1954 年2月 20 日)にまとめられている(以下、報告②とする)。
この報告②は、報告①の調査期間内の 1951 年 11 月に実施されたものである。
富勢村農家及び東京都居住の公務員から抽出された、夫婦と 15 歳未満の子ど もがいる各 40 世帯が対象であった(比較のために若干の無子世帯を追加)。調 査世帯に家計簿を配付し1ヵ月(11 月)の現金及び物品の収支を記入させ、
特に 15 歳未満の支出については、乳児(1歳未満)、未就学(6歳未満)、小 学生(12 歳未満)、新制中学生(15 歳未満)を区分して記入させている。富勢 村農家の場合は階層別比較が必要であるため、調査世帯を5反未満、1町5反 未満、1町5反以上に区分した(5反未満のうち5世帯は世帯主がサラリーマ ンであるため外勤世帯として一括)。なお調査費目中、物品支出については、
富勢村農家世帯に脱漏が多かったため、富勢村農家のデータからは省略し、東 京都居住の公務員世帯のみ現金支出に換算して繰り入れている。純育児費は、
食費・牛乳代・間食代・被服身廻品代・玩具代・保健衛生費・医療費・教育費・
その他(主として小遣い)をさし、育児費総額は、純育児費に大人との共用分
(食費〔主食費・副食費〕・光熱費〔什器費を含む〕・住居費の推計)を加えた ものである。共用分とは、食費・光熱費については大人分も含めた総額を家族 成員の必要熱量の割合(夫 2600 cal、妻 2300 cal、中学生 2450 cal、小学4~
6年生 2060 cal、小学1~3年生 1700 cal、4~6歳 1270 cal、1~3歳 730 cal、乳児 500 cal)によって、住居費については総額を当時の住宅研究で広く 用いられていた成人率(12 歳以下 0.5、12 歳以上 1.0)によって配分した値で ある。
ここで家計費総額(支出額、以下同様)を比較しておくと、富勢村農家 2605 円 45 銭、東京都居住の公務員 5849 円 19 銭となる。この数値には富勢村農家 における主食の自給分が含まれていないが、富勢村農家は東京都居住の公務員 より消費生活の水準が大きく下回っていることはあきらかである。
東京都居住の公務員
東京都居住の公務員の子ども1人当たりの純育児費を年齢グループ別にみる と、合計平均で乳児 2189 円 11 銭(9例)、幼児 1703 円 05 銭(36 例)、児童 1475 円 70 銭(13 例)、生徒 1422 円 00 銭(1例)となる。低年齢の支出が多 く、子どもの成長にともない牛乳代・ 医療費・保健衛生費が低減し、その他
(主として小遣い)が増加することが特徴である。
表4は、東京都居住の公務員の子ども1人当たりの育児費総額を年齢グルー プ別にみたものである。この表の原注にあるように、同時期に労働科学研究所 が算出した都市労働者階層における児童の最低生活費とほぼ同水準の結果が得 られたことがわかる11)。
東京都居住の公務員の子ども1人当たりの純育児費を子ども数別に集計する と、合計平均は1子世帯 2271 円 53 銭(17 例)、2子世帯 1895 円 27 銭(18 例)、 3子世帯 1097 円 55 銭(24 例)となり、子ども数の増加につれて純育児費は 低下する。しかし、この数値には支出を異にするさまざまな年齢の子どもが各々
の層に異なる割合で混入していることから、単純に比較することはできない。
そこで報告②では、次のような操作により純育児費における実支出総額と標準 支出換算総額を算出して比較することで、純育児費の低下の特徴について検証 している。1子世帯を例にとれば、まず 17 例の平均が 2271 円 53 銭であるた め、17 例の合計である3万 8624 円(2272 円×17 例)を実支出総額とする。
次に先の年齢グループ別の子ども1人当たりの純育児費を標準支出と仮定し、
17 例の年齢グループ別内訳(乳児6・幼児 10・児童1)に応じて再計算した 表 4 東京都公務員:子ども1人当たりの育児費総額
(年齢グループ別)
飲 食 物 費 被服身廻品代 教 育 費
食 費 間 食 費
乳 児
(1歳未満) 1303 円 22 銭 272 円 00 銭 166 円 67 銭 幼 児
(1~6歳未満)
963 円 17 銭
(1225 円 00 銭)
361 円 72 銭
(350 円 00 銭)
793 円 03 銭
(491 円 50 銭)
児 童
(6~12 歳未満)
1464 円 03 銭
(1497 円 25 銭)
158 円 81 銭
(300 円 00 銭)
491 円 31 銭
(576 円 25 銭)
591 円 31 銭
(676 円 25 銭)
生 徒
(12~15 歳未満)
2359 円 78 銭
(2073 円 00 銭)
537 円 00 銭
(724 円 50 銭) (846 円 00 銭)
515 円 00 銭
(394 円 00 銭)
住 居 費 光 熱 費 そ の 他 総 額
乳 児
(1歳未満) 101 円 63 銭 125 円 42 銭 547 円 22 銭 2516 円 16 銭 幼 児
(1~6歳未満)
203 円 26 銭 125 円 42 銭
(292 円 00 銭)
332 円 27 銭
(285 円 00 銭)
2724 円 87 銭
(2548 円 50 銭)
児 童
(6~12 歳未満)
308 円 09 銭 125 円 42 銭
(292 円 00 銭)
171 円 92 銭
(369 円 50 銭)
3301 円 10 銭
(3362 円 00 銭)
生 徒
(12~15 歳未満)
497 円 98 銭 250 円 84 銭
(584 円 00 銭)
370 円 00 銭
(628 円 00 銭)
4530 円 60 銭
(4735 円 00 銭)
原注:( )内は労働科学研究所『児童の生活費に関する研究』(厚生大臣官房総務課社会保 障資料 No.13)所載の児童の最低生活費。文化的な最低限度の生活を維持するため に必要な費用を意味している。
補注:( )外のうち幼児及び児童については、総額が各費目の単純合計と合っていないが、
出典のまま作成した。( )内も総額が各費目の単純合計と合っていないが、これは 比較可能なように改算されているためである。
出典:『社会階級別育児費調査報告』研究資料第 93 号、厚生省人口問題研究所、1954 年 2 月 20 日
ものを標準支出換算総額とする。その計算式は、乳児 2189 円 11 銭×6+幼児 1703 円 05 銭×10+児童 1475 円 70 銭×1=3万 1640 円 86 銭となる。例数
(1子世帯では 17 例)の年齢グループ別内訳を勘案した標準支出換算総額より 実支出総額が上回っていれば、標準以上の費用を育児費に充当しているとする わけである。
同様に2子世帯、3子世帯についても計算して実支出総額の標準支出換算総 額に対する割合を算出した表5によれば、2子までは標準以上の費用を育児費 に充当できているが、3子になると 66.7%と急激に低下する。このことは、
3子になると育児費が家計を強く圧迫することを示している。また1戸当たり の家計費総額に占める純育児費の割合を算出すると、1子世帯 17.2%(家計 費総額1万 3679 円 27 銭・純育児費 2353 円 88 銭、 以下同順)、 2子世帯 21.9%(1万 8239 円 90 銭・3998 円 21 銭)、3子世帯 16.8%(1万 9792 円 89 銭・3320 円 65 銭)となり、見かけ上は2子世帯の割合が高い。しかし1戸当 たりの家計費総額に占める育児費総額の割合をみると、1子世帯 19.6%(家 計費総額1万 3679 円 27 銭・育児費総額 2685 円 10 銭、以下同順)、2子世帯 30.8%(1万 8239 円 90 銭・5618 円 63 銭)、3子世帯 45.5%(1万 9792 円 89 銭・8996 円 41 銭)となり、子ども数の増加につれて家計を圧迫している様子 をうかがい知ることができる。
表 5 東京都公務員:純育児費実支出総額の標準支出換算総額 に対する割合(子ども数別)
A.実支出 総 額
子ども1人当 り実支出額
B.標準支出 換算総額
子ども1人当
り標準支出額
A
B
1子世帯 38624 円 00 銭 2272 円 31640 円 86 銭 1361 円 122.1%2子世帯 34114 円 00 銭 1895 円 30458 円 91 銭 1692 円 112.0%
3子世帯 26365 円 00 銭 1098 円 39518 円 12 銭 1646 円 66.7%
補注:一部、出典の数値を補正した。表6・表7も同様。
出典:表 4 に同じ。
富勢村農家
富勢村は、1930 年では人口 3284 人・540 世帯であったが、1945 年に 5011 人・907 世帯、調査年の 1951 年8月当時で 5924 人・1091 世帯というように、
戦後、人口数・世帯数ともに増加した地域である。1951 年の1世帯平均人数 は 5.42 人であった12)。
富勢村の子ども1人当たりの純育児費を年齢グループ別にみると、合計平均 で乳児 283 円 40 銭(5例)、幼児 679 円 24 銭(66 例)、児童 1049 円 64 銭(33 例)、生徒 1550 円 56 銭(9例)となる。東京都居住の公務員世帯と比較する と少額であり、また逆に低年齢の支出が少ない。年齢につれて増加するのは被 服身廻品代であり、生徒ではそれが 1145 円 56 銭と純育児費の大半を占め、牛 乳代や保健衛生費はわずかである。
富勢村の子ども1人当たりの純育児費を子ども数別に集計すると、合計平均 は1子世帯 502 円 40 銭(5例)、2子世帯 1063 円 80 銭(9例)、3子世帯 758 円 72 銭(13 例)、4子以上世帯 984 円 81 銭(7例)となり13)、見かけ上は2 子世帯が最も多い。東京都居住の公務員と同様に、実支出総額と標準支出換算 総額を計算し、実支出総額の標準支出換算総額に対する割合を算出したのが表 6である。
表6によれば、富勢村農家の場合、東京都居住の公務員とは大きく異なり1 表6 富勢村農家:純育児費実支出総額の標準支出換算総額
に対する割合(子ども数別)
A.実支出 総 額
子ども1人当 り実支出額
B.標準支出 換算総額
子ども1人当
り標準支出額
A
B
1子世帯 2512 円 00 銭 502 円 3766 円 60 銭 753 円 32 銭 66.7%2子世帯 19152 円 00 銭 1064 円 18265 円 60 銭 1014 円 75 銭 104.9%
3子世帯 29601 円 00 銭 759 円 31541 円 16 銭 808 円 74 銭 93.8%
4子以上世帯 30535 円 00 銭 985 円 30212 円 80 銭 974 円 61 銭 101.1%
出典:表 4 に同じ。
子世帯が最も低く、2子世帯が 104.9%で最高となり、3子・4子世帯で低減 傾向を示さない。ただし、農家世帯の場合、階層別の格差が育児費負担の程度 を大きく左右する。そこで、階層別の子ども1人当たりの純育児費を算出する と、合計平均で外勤世帯 823 円 70 銭(10 例)、5反未満 659 円 37 銭(37 例)、 1町5反未満 909 円 01 銭(29 例)、1町5反以上 1340 円 48 銭(17 例)とな る。この階層別に基づいて、実支出総額の標準支出換算総額に対する割合を算 出したのが表7である。
表7によれば、5反未満の零細農家の実支出総額の割合が 78.0%と大きく 落ち込んでおり、育児費支出が強く圧迫されていることがわかる。金額でみる と、子ども1人当たりの実支出額で5反未満と1町5反以上では2倍以上の開 きがある。
富勢村農家においては育児費総額は算出されていないので、1戸当たりの家 計費総額に占める純育児費の割合だけしか検討できない。それは、1子世帯 6.1%(家計費総額 8270 円 00 円・純育児費 502 円 40 銭、以下同順)、2子世 帯 22.7%(9379 円 28 銭・2127 円 55 銭)、3子世帯 32.3%(7063 円 34 銭・22 83 円 84 銭)、4子以上世帯 47.7%(9167 円 15 銭・4375 円 72 銭)となる。異 なる割合で混入した階層格差の影響により、金額は一定の傾向を示さないもの の、大人との共用分の換算額を含まない純育児費のみで、3子世帯で家計費総
表7 富勢村農家:純育児費実支出総額の標準支出換算総額 に対する割合(階層別)
A.実支出 総 額
子ども1人当 り実支出額
B.標準支出 換算総額
子ども1人当
り標準支出額
A
B
外勤世帯 8237 円 00 銭 824 円 6371 円 12 銭 637 円 129.3%5 反未満 24497 円 00 銭 659 円 31398 円 96 銭 849 円 78.0%
1町5反未満 26361 円 00 銭 909 円 25489 円 56 銭 879 円 103.4%
1町5反以上 22788 円 00 銭 1340 円 17995 円 56 銭 1059 円 126.6%
出典:表4に同じ。
額の3割強、4子以上世帯で5割弱を占めてしまうのである。報告②では、
「比較的に消費水準の高い外勤世帯と一町五反以上の上層農家の子供数が割合 に少く、一、 二子層により多く混入し(中略)比較的に消費水準の低い五反 未満及び一町五反未満層農家の子供が割合に多く、三、四子層により多く混入 している」14)と分析されている。このことを勘案すれば、特に零細農家にとっ て3子以上の子どもを養育することが、育児費負担の観点からみて困難であっ たことを看て取ることができる。
比較と分析
東京都居住の公務員世帯は、確かに富勢村農家よりも家計費総額が高かった。
しかしこのことは、直接的には子育てに対する経済的余裕があることを意味し ない。家計支出のあり方は生活基盤の構造に規定・制約されており、一定程度 自給が可能な農村と比べて食料調達の費用や住居費がかかるなど、育児費以外 に必要とされる費目が多いことが考慮されなければならないからである。1950 年前後の時期では、農村よりも比較的高学歴者が多かったと考えられる東京都 居住の公務員世帯においても3人目の子どもの存在は1人当たりの育児費支出 を低減させ、生活水準の大幅な低下をもたらすものであった。富勢村農家では、
3人から4人の子どもを有する世帯でも金額のみの見かけ上は育児費支出の低 減はみられなかったが、階層格差が大きく、1町5反以上の裕福な層の支出額 の多さが反映された結果であるといえる。5反未満の農家では育児費は最低限 の支出にとどめられていたにもかかわらず、家計費全体を強く圧迫するもので あった。
このような苦しい経済状況におかれていた農村部に対して、戦前においては 原則として認められていなかった人工妊娠中絶が一部合法化され避妊の普及が 図られたわけであるから、戦後、産児調節が農村部に急速に広まったことは当 然のことであったともいえる。戦後初期において貧しい階層に出産抑制の傾向
が強くみられたことに関しては、同時期の他の調査研究においてもあきらかに されている。厚生省人口問題研究所が 1952 年7月に実施した第二次出産力調 査15)の再集計によれば、戦前からの「貧乏多産」の傾向がみられるものの、下 層(1ヵ月の平均現金支出額が非農林業者夫 40 歳以上で1万円未満・同 40 歳 未満で 8000 円未満、農林業者で 5000 円未満)の出産力は上層(非農林業者夫 40 歳以上で1万 5000 円以上・同 40 歳未満で1万 2000 円以上、農林業者で 7500 円以上)を超えるほどのものではなく、「全般的にみて戦後出産力の抑圧 は下層により強くのしかかって」16)いたという。さらに、最下層(非農林業者 で 6000 円~5000 円未満、農林業者で 3000 円未満)を取り出してみると、「生 存最低限の線をも割る之ら最下層の出産力は再び明白な下降傾向を示している」17)
と分析されている。つまり、出産力低減の程度をみると、最下層に出産抑制の 傾向が顕著にみられたわけである。その理由として、〈少産化を担った新中間 層の心性の汎化〉よりも〈最低限の生活維持のため〉という側面が強かったと いうことは強調される必要がある。農村部においては、都市部よりは普及が遅 かった避妊ではなく、おそらく「ヤミ堕胎」を含む人工妊娠中絶による出産抑 制がおこなわれていたようである。
避妊に関していえば、1.で述べたように、都市部と比較して農村部は無関 心層が多く存在した。しかし純農村地域であった小張村のデータが示していた ように、無関心と回答したのは主として出産期を終えた高年齢層であり、サン プルは少ないまでも若年の夫婦層は、1.7 人(農業者)という少ない現存子ど も数の段階で避妊を開始していた(表3)。このことについて報告①では、「追 いつめられた一般の社会生活は子供を自由に産み、育てるだけの余裕がなく、
調節をせざるを得ない環境にある人々が多いことも事実である。実行者が一番 に経済的理由をあげているのも、この事実を裏書きするものであり、不実行者 の器具薬品が高いといって嘆くのも、その実状を物語るものがあろう。特に農 村において若い夫婦や、零細農家にも、比較的実行率が高いのは彼らの意志に
よって行わざるを得ないまでの家庭経済であることを暗示するものがあろ う」18)と述べられている。
3.富勢村農家に対する過剰労働力調査
戦後間もなくの日本の農村は、シベリア抑留者等を除く約 600 万人が外地か ら帰国するとともに、都市部の破壊により戦時中からの疎開者も地方小都市や 農村部にとどまらざるを得ない状況が続いており、人口増を余儀なくされてい た。一方、複数の子どもに農地分割をすることは経営規模の縮小を招くため、
跡継ぎ以外の子どもは他の職業に就くか、他の農家の婿養子になるというのが 江戸時代以来の慣行であった。しかし戦後初期においては、都市部の就業機会 や軍隊に行くという選択肢の消滅により、跡継ぎ(長男)以外の二・三男が農 村にとどまらざるを得ない状況が深刻化していた19)。『日本農業年鑑』(1955 年 版)は、「自家の農業をつぐこともできず、さりとて特有の技能もなく、また 何時までも農村に留まることを許されず、都市に出るにしても職と住に恵まれ ず、悶々のうちに補助的農業労働者、或は兼業労働者として日を送りつつある 二、三男の問題」20)を同情的に取り上げている。戦後初期における農村部の人 口増と二・三男の就業機会の不足問題は相まって、過剰労働力問題(ないしは 過剰人口問題)と称され、日本の経済のあり方をめぐる最大の問題の1つとなっ ていた。
このような状況のなか、報告②と同日付で、『一近郊農村に於ける過剰労働 力の存在形態-富勢村就業状況調査報告-』(研究資料第 94 号、厚生省人口問 題研究所、1954 年2月 20 日)が刊行された(以下、報告③とする)。報告③ は、富勢村を対象に、「戦後の日本農村に於ける人口過剰時に農業従事者の膨 張による労働力過剰が如何なる形に於て現在存在マ マ収容されているか」21)を究明 することを目的として、報告②に3ヵ月先立つ 1951 年8月に実施された調査 の記録である。
報告③によれば戦後初期の富勢村は、戦時中の疎開者たちが村内にとどまり、
復員引揚者が戻り、離村機会が減少したことにより人口及び世帯数が増加した 地域であった。ただし東京近郊であることから都市への疎開人口の復帰は比較 的早く、1950 年代に入る頃には若干の人口及び世帯数の減少がみられたとい う。1.において、富勢村は水田と畑作が半々であることはすでに述べたが、
耕地面積でみると、5反~1町の層が 37%、1町~1町5反の層が 30%、3 反未満・5反未満・1町5反以上の層がそれぞれ 10%という、中農及び中農 下層が多い地域であった。そして、東京近郊であったにもかかわらず8割以上 が専業農家であった。
この調査では、富勢村のなかでも純農村部である上谷津部落の農家 70 戸に ついて詳しい分析がおこなわれている。その結果、15 歳以上の者 341 人中、
無業者が 11.5%、兼業日数を加えても就業日数が年間 100~200 日の不完全就 業者が 17.9%、100 日に満たない低位就業者が 8.3%いることがあきらかとなっ ている。
さらに、必要労働力が世帯主夫婦及び長男だけで十分なため、1町2反の5 人家族(15 歳以上4人・児童1人)の次男が 1951 年春に新制中学校を卒業後、
「他産業への就業を希望し乍ら、機会がなく停滞している過剰労働力」となっ ている事例や、1町3反の 10 人家族(15 歳以上7人・児童2人・幼児1人)
の長女・次女について年間就業日数が 50 日であり、「少くとも二人の中一人は 過剰であろう。之に新制中学三年在学の長男が卒業後労働力として加わるなら ば、近々二人は過剰となるであろう」という事例などが報告されている22)。
「一町余りの土地に三人の成年労働力の注入は飽和点を超える」23)ことから、耕 地面積が少なくなればなるほど家族構成員の増加は過剰労働力を抱え込むこと になるという実態が存在したという。零細農家では、世帯主自身が低位就業者 にならざるを得ない状況があることも指摘されている。結論としては、「基本 的には農村に於ける伝来的高出生率の結果としての労働力の自然的創出の大で
ある事と、一方に於ける農外雇傭ママの狭少性との矛盾が斯ゝる過剰性を生み出す 原因と見做されねばならない」24)と述べられており、就業機会の拡大を図ると ともに、高出生率による労働力の自然創出を抑制することが、過剰労働力問題 の解決策として求められる状況にあった。
以上のように、農村部からの若年人口を都市部が猛烈な勢いで吸収し始める 高度経済成長以前においては、農村部の貧困状況が過剰労働力問題として顕在 化していたのである。特に、最低限の生活水準を余儀なくされている零細農家、
なかでも若い夫婦層にとっては、経済的制約から多産を継続することは困難で あった。
おわりに
報告①から③の調査が実施された 1951 年8月から 11 月にかけての時期は、
政策的動向からみると産児調節警戒論から推進論への転換点に位置する。戦後 間もなく、政府は産児調節の普及を原則的には容認したが、産児調節を自主的 に採用するのは知的階層であるためその普及は人口の平均的資質を低下させる とする逆淘汰現象や性道徳の退廃を招くことへの恐れなどにより、実際には産 児調節の普及を推進することには消極的であった。その後事態は急転回し、
1949 年5月、「受胎調節」の普及などを求めた「人口問題に関する決議」の衆 議院可決を経て、1951 年 10 月には「受胎調節」の普及推進が閣議決定され、
産児調節が国策化・予算化されるに至るのである。ただし、政府による公式的 な理由説明は母体保護の必要からということであり、この時点では未だ人口抑 制には慎重であった。
報告①から③に通底する課題意識は、この過渡期の政策的動向と軌を一にし ている。つまり、報告①が避妊不実行者よりも実行者の方が人工妊娠中絶率が 高いことを危惧し、報告②が3人以上の子どもを持つことへの経済的な困難さ を指摘し、報告③が過剰労働力の存在を問題視するという構造は、地域・職業・
教育程度毎に避妊の普及度に大きな格差があるなかで人工妊娠中絶が横行して いる状況を危惧し、その主要な理由として経済的制約の存在に眼差しを向ける という観点から調査が企図されているのである。その後、1954 年8月に厚生 省人口問題審議会で採択された「人口の量的調整に関する決議」は「家族計画」
を総合的な人口政策の一環に位置づけた。これを受けて政府は、人口抑制策と しての産児調節の普及を推進していくことになる。さらに、同審議会は、過剰 労働力問題を背景に、増大する人口をいかに養うかという観点から 1955 年 11 月に「人口収容力に関する決議」を採択し、経済の計画化と産業構造の改編、
生産年齢人口の激増に対処するための就業対策の必要性を提言するに至るので ある。以上のような政策的意図の変遷による時期的性格には留意が必要である が、特定の地域を対象に得られた調査データそのものは貴重であり、産児調節 の実態や普及要因を浮かび上がらせている。
報告①からわかるように、戦後初期においては確かに農村よりは都市、農業 者よりは俸給生活者、小学校卒よりは大学専門学校卒の方が産児調節の実行率 が高かった。このことは優生思想とも結びついた「少なく産んで大切に育てる」
という新中間層的な心性が比較的高学歴な都市居住の俸給生活者から浸透して いった結果のようにみえる。この側面は確かに存在したであろう。しかし報告
②からうかがい知れるように、少なくとも 1950 年前後くらいまでは、経済的 制約が農村部における産児調節の浸透に強く影響したことは強調しておく必要 がある。
1950 年前後における経済的制約の意味に関しては、川村邦光の指摘が興味 深い。川村は戦後初期における避妊と人工妊娠中絶の急速な広まりについて、
「少産少子による子供・民族の優良化よりもむしろ、避妊の目標としてあげら れた貧困からの脱却、“豊かな生活”への志向が重要な水路となり、少産少子 はそれに必然的に付随していったのではなかろうか」25)と指摘している。彼の 指摘に従えば、実態としては子どもあるいは民族の優良化をめざして少産化が
進行したというよりは、経済的制約による少産化が一定の規模をもって進行し た後、結果として少なく産まれた子どもへの教育のあり方が事後的に構築され ていったという側面が強調されなければならないといえよう。このことは、報 告③が示すように、当時農村においては過剰労働力への懸念が存在し、それが 産児調節の普及を促進したであろうことからも裏付けられる。1947 年から 49 年の第1次ベビーブームにおいて生まれた大量の子どもたちの将来(新制中学 卒業後)の経済生活への不安が、1950 年代前半には強く存在していた。当時 の家計に占める育児費負担の限界と過剰労働力という言葉であらわされる子ど もの成長後の経済生活への不安という構造のなかで、産児調節は農村部にも急 速に浸透していったのである。
1)落合恵美子『21 世紀家族へ(第3版)』有斐閣、2004 年、53 頁。1949 年では合計 特殊出生率は 4.32・出生数約 270 万人であったが、8年後の 1957 年には 2.04・約 157 万人と底を打つ。その後、高度経済成長が終焉を迎える 1974 年まで、丙午(1966 年)
を除いて合計特殊出生率はおおむね 2.1 前後で安定的に推移した。しかし、1970 年代 半ばくらいから 2.0 を切りはじめ、2005 年で 1.26 まで落ち込むというように今日まで 漸進的に低下が継続してきている。
2)同上、79 頁及び 98~101 頁参照。
3)荻野美穂「『家族計画』への道-敗戦日本の再建と受胎調節-」(『思想』第 925 号、
2001 年 6 月、169~195 頁)、荻野美穂「反転した国策-家族計画運動の展開と帰結-」
(『思想』第 955 号、岩波書店、2003 年 11 月、175~195 頁)、田間泰子『「近代家族」
とボディ・ポリティクス』(世界思想社、2006 年 12 月)。また、産児調節は優生思想 やセクシュアリティの問題とも強くつながっており、特に優生保護法(1948 年)が、
強制断種等に関わる条文を削除した母体保護法(1997 年)に改正されるという政治的 動向との関わりのなかで進められた研究もある。この分野の研究としては、藤目ゆき
「優生保護法体制」(『性の歴史学-公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優生保護 法体制へ-』不二出版、1997 年、343~377 頁)、松原洋子「中絶規制緩和と優生政策
強化-優生保護法再考-」(『思想』第 886 号、岩波書店、1998 年4月、116~136 頁)、
川村邦光「避妊と女の闘い-セクシュアリティの戦後をめぐって-」(『思想』第 886 号、岩波書店、1998 年4月、137~159 頁)などがある。
4)小山静子「少産社会の子ども観-『作るもの』『育てるもの』としての子ども-」
『教育学研究』第 71 巻第4号、2004 年 12 月、19~29 頁。
5)小山は戦後初期に産児調節が普及した要因としての経済的制約の存在を踏まえなが らも、「経済的理由だけから受胎調節の必要性が主張されたわけではなかった。むし ろ少産化を促したより根本的な要因は、子どもが少ない家族こそが幸福な家族である というメッセージの伝播とその浸透ではなかったかと思う」(同上、21 頁)と述べて いる。
6)田間、前掲。同書は各種調査資料に基づき産児調節実行者や推進者たちの意識や実 態、さらに家族計画運動の経緯を詳細に跡づけているという点で、戦後初期における 産児調節に関する研究の現時点での到達点を示している。しかし、他の先行研究と同 様、農村部における経済的状況との関わりについての分析を欠いている。田間は、多 くの人々が子どもは2~3人を理想とする社会現象自体があきらかにされるべき大き な社会学的謎とした上で、本稿の主題と関わる問題として、「『教育費』のためとすれ ば、いつから人々は理想の子ども数を考えるときに『教育費』を考えるようになった のか」(12 頁)という興味深い論点を提出している。しかし、同書ではこの論点は十 分に追求されていない。
7)富勢村の避妊実行率が田中村よりも高い理由については、「都会的感覚を持つた疎 開者」が富勢村に残っており、地理的に我孫子町に近く、田中村より大学専門学校卒 の夫が多いことが挙げられている(「東京近郊市町村の産児調節普及の実状-地域的 性格の分析-」(篠崎信男執筆)『人口問題研究』第8巻第3・4号、厚生省人口問題 研究所、1953 年2月、33~34 頁)。
8)同上、43 頁。
9)同上、39 頁。
10)同上、44~45 頁。
11)『児童の生活費に関する研究』(社会保障資料 No.13、厚生大臣官房総務課、1952 年 1月)では、東京都居住の夫婦または夫婦と子どものみの労働者世帯を対象として実
施された厚生省生計調査の付帯調査(1951 年2~3月)等に基づく各種の分析が詳述 され、最後に児童の最低生活費が算出されている。同資料によれば、「われわれの生計 調査対象であつた勤労者の児童の場合には、実質的にわれわれの算定した最低生活基 準とけたちがいの懸隔はみられなく若干低いという程度であった」(210 頁)と記され ている。このことから児童の最低生活費に近い数値を示した東京都居住の公務員世帯 の数値は、当時の都市労働者層の標準的な育児費をあらわしていると措定できよう。
この点は、『社会階級別育児費調査報告』(研究資料第 93 号、厚生省人口問題研究所、
1954 年 2 月 20 日)においても、調査期間や費目計算の違いはあるものの同時期、物 価水準の変動が少なかったことも勘案して、「我々の調査した公務員世帯の育児費は大 体この最低生活費線を維持していると見てよいであろう」(6頁)と述べられている。
12)『一近郊農村に於ける過剰労働力の存在形態-富勢村就業状況調査報告-』研究資 料第 94 号、厚生省人口問題研究所、1954 年2月 20 日、5 頁。
13)4子以上の内訳は、4子5世帯、5子1世帯、6子1世帯である。
14)前掲『社会階級別育児費調査報告』22 頁。
15)第一次の出産力調査は、1940 年に実施されている。第二次調査は厚生省人口問題研 究所が戦後初めておこなった全国標本調査であり、その後、ほぼ5年ごとに実施され、
今日の「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所)に受け継がれている。
16)本多龍雄「戦後出産力の分析-昭和 27 年出産力調査結果の再集計-」『人口問題研 究』第 62 号、厚生省人口問題研究所、1955 年 12 月、7 頁。
17)同上。
18)前掲「東京近郊市町村の産児調節普及の実状」51 頁。
19)加瀬和俊 『集団就職の時代-高度成長のにない手たち-』青木書店、 1997 年、
11~15 頁参照。
20)『日本農業年鑑』1955 年版、家の光協会、48 頁。
21)前掲『一近郊農村に於ける過剰労働力の存在形態』3頁。
22)同上、25~26 頁。
23)同上、29 頁。
24)同上、41 頁。
25)川村、前掲、143 頁。