中国社会変動における村落と家族 : 大躍進から文 革期の人口激動
著者 涌井 秀行
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
号 11
ページ 3‑12
発行年 2008‑12
URL http://hdl.handle.net/10723/514
中国社会変動における村落と家族―大躍進から文革期の人口激動
涌 井 秀 行
==2004年度予備研究の活動==
2004年8月31日〜2004年9月7日 涌井秀行の調査地点特定のための調査 中国(重慶・宜晶・武漢・上海)の地帯構成と格差
中国経済の「経済発展」の後光に隠れて見えづらくはなっているが、全人口の75%・9億4000 万 人を擁する農村部の現物経済、小商品経済の大海原がある。中国には内陸部・中間・沿海に格差が広 がっているのであるが、この予備調査の目的は格差を検証しつつ、現地調査地点の特定と書籍の収集、
中国側カウンター・パートナーを見つけることである。
予備研究会
2005年3月23日午後1:00〜5:00 本館91会議室 報告Ⅰ:張保法先生:河南省の経済発展
報告Ⅱ:孫振海先生:1959-61年における中国人口変動
==2005年度の活動==
(1)「中国社会変動における村落と家族――大躍進から文革期の人口激動」
兼2005年度 国際学部付属研究所第1回フォーラム(2005年6月1日・8号館2階会議室)報告内容 は『国際学部付属研究所年報』9号2006年3月に掲載
第1報告:竹内啓「統計的アプローチによる中国近・現代史研究」
第2報告:涌井秀行「1958年から1962年の「大躍進」期・「調整期」の飢饉について」
(2)05年度付属研プロジェクト「中国社会変動における村落と家族」中国出張報告 10月29日(土)
東京・成田空港〜北京空港〜新鄭空港――鄭州市(以下地名・人名は中国簡体字の日本語表記)
10月30日(日)
鄭州駅〜信陽〜光山県城関鎮 光山県寨河鎮張囲孜村 鄭福眞宅
鄭福眞 鄭福禄 馬秀英ら村人の聞取りの様子
本プロジェクトの最終報告書は、竹内啓・孫占坤・涌井秀行『中国社会変動における村落と 家族』(明治学院大学国際学部付属研究所、2007年3月)としてまとめられている。
孫振海さんの友人の紹介
地縁・血縁があっても聞き取りは非常に難しい。実際翌日(10月31日)の聞取りは「村内」で葬 式があるので村の中を歩かないことを条件に、屋内での聞取りに限定された。被聞取り者が質問内容 を十分理解できない場合がある。若い人が、質問の意味を説明する場面にしばしば出くわす。
10月31日(月)午前中2時間ほどの聞取り。
以上の聞き取り調査のまとめは以下のとおりである。
2005年10月30・31日実施の農村調査インタビュー記録
場 所:河南省光山県寨河鎮張囲孜村 訪問日時:2005年10月30〜31日
訪 問 者:涌井秀行、孫占坤、孫振海、平山恵 質問場所:同村 鄭福眞宅
1. 鄭福眞
4人の子供(41、40、37、34歳)
1940年生 満65歳 1959年(18歳)人民解放軍入隊 1962年結婚(同年除隊?)
飢餓期に村に居ない。
2. 冯秀英 77歳女性
紹介者および紹介者との関係:
このinformantは0.5km先の村から7歳ぐらいの時に童養媳(トンヤンシ:口減らしのような
奉公?そのままその家の嫁になることも多い?)として夫の父母に買(貰)われた。
10人の子供を生んだが、3人目の男の子を1歳ちょっとで亡くした。
子供は①郑传英 58F、②郑传龙 54M、③(死亡)、④郑传虎 50M、⑤郑传华 48M、⑥郑传兵
42M、⑦郑传和41M、⑧郑传连40F、⑨郑传玲38F、⑩郑传荣36F
数字は十二支の聞き取りから導出した2005年の満年齢 Fは女性、Mは男性
<1959年当時3歳だった第5子とまだ生まれていなかった第6子に5年の間隔があることに 注目!>
1959年当時、7人家族、つまり本人と夫、夫の末弟(夫は7人兄弟の2番目)と4人の子供で ある。
父 母
鄭福眞 鄭福眞の弟 夫(鄭福眞の兄) 冯秀英(本人)
(5番目) (7番目) (2番目)
①郑传英 ②郑传龙 ③死亡 ④郑传虎 ⑤郑传华 ⑥郑传兵 ⑦郑传和 ⑧郑传连 ⑨郑传玲 ⑩郑传荣
57F 54M 50M 48M 42M 41M 40F 38F 36F
1948年 1951年 1955年 1957年 1963年 1964年
3. 鄭福禄
村で死亡した6人(下記参照)の中の郑绪宽の1人息子
父 母
(60年1月死亡)
姉(鄭福英) 本人 弟
姉は4k先の嫁ぎ先の村(呉寨)で家族3人(夫、子供3歳位、本人)
本人は1958年人民解放軍に入隊、62年帰省。飢餓ピーク時には村に居ない。電報で父(郑绪宽) の死亡を知る。弟(現在56歳、当時13歳)は現在信陽市近郊の化学工場に勤務。
グループインタビュー
この村では 1959 年が飢えのピークだった? <61 年は本当に飢えてなかったのか?あるいは 59 年が飢餓のピークとすると58年の作柄も問題となる>
1959年1960年1961年共に平年作で、60、61年は前年より良。
1958 年から鍋などの回収があり、各家庭に調理器具がなく、人民公社の食堂(台所?)で生産小隊 ごとに食事を作るようになった。共産党幹部は、「打倒白旗挿紅旗」といって食料を規定どおり納め ない家の前に白旗を立て、暴力的に食糧を徴発した。共産党書記(王永章・当時 47 歳)と共産党青 年(同盟)書記(張継軍・当時37歳)が先頭にたって暴力的な収奪をおこなった。
食事の配給量は属性による点数方式が取られた。
男10点、未婚の女8点、既婚の女6点、高校生6点?、中学生4点、小学生1、2点を満点とする労 働で決められた?<誰が判定したの? 判定詐欺はあったか?>
1959 年当時、人民公社からの給食(米と野草を混ぜおかゆのように?)槐樹(エンジュ)の花、
樹の皮を粉にして野草と混ぜ(おかゆのようにして?)食べた。糠があればいいほうであった。畑か ら収穫前の作物を「盗み」その場で食べた。盗んだものが共産党幹部に見つかった場合は暴力を振る われるので、その場で食べた、残ったものは地中に埋めるなどして隠した。人民公社の倉庫からは、
少なかったようであったが、盗むこともあった。
この生産小体の人口は約 70 人で、その内 6 名が餓死した。生産大体幹部で餓死した人はいない。
(幹部の名前:共産党書記 王永章40歳代、共青団書記 張循軍?30歳代)
死亡した人は6名(马天成、马天芝、马天胜、郑绪明、郑绪照、郑绪宽)
informantの家から1km先に住んでいた马天成、马天芝、马天胜
馬三兄弟は20代、それぞれ10数日間隔で死亡した。2人の嫁は死亡直前に村を出た。残りの嫁も死 亡後村を出た。馬兄弟の父親は竹編んで現金収入があり、食堂の知人から食べ物を得ていた。<子供を ほっとく親はいないので、馬兄弟を亡くしてから竹編んで生計を立てたということではないか?>こ
のとき三兄弟の母はすでに死亡していた。
〔なぜ馬兄弟は死亡したかという質問に対して〕
「老実」(おとなし過ぎるという意<詳細調べる>)であった。つまり盗めばよかった。
また「 」(“どじ” “あほ” “要領が悪い”)であった。したたかさがなかったということ。
注記
えんじゅ【槐】エンジユ マメ科の落葉高木。中国原産。幹の高さ約 10〜15 メートル。樹皮は淡 黒褐色で割れ目がある。夏に黄白色の蝶形花をつけ、のち連珠状の莢(さや)を生ずる。材は建築・
器具用。花の黄色色素はルチンで高血圧の薬。また乾燥して止血薬とし、果実は痔薬。黄藤。槐樹。
10月31日午後 鄭州市に移動。
11月01日(火)
回郭鎮(孫の故郷)で孫さんの父上に村の中を案内してもらい、1960 年当時の村の様子を聞取り。
ここでの聞き取りは、孫さんが回郭鎮(第8 生産小隊40世帯・178人)の「餓死時代」の父の聞 取りに基づき、村の歴史として06年3月の研究会で報告予定(孫父に来日を依頼するか否か後日決 定――孫は今年から来年にかけての冬休み期間に本格的な聞取り調査を予定――)
11月02日(水)鄭州〜北京移動
11月03日(木)中国社会科学院・人口問題研究所との打合せ
(イ)シンポジュームについて
a.日時場所 2006年3月13日(月)午前9:30〜午後5:00 白金校舎 20〜30人規模のシンポジューム
(ロ)委託聞取り・アンケート調査の打ち合わせ
中国社会変動における村落と家族聞き取り調査項目・調査表基本設計 (01) 被聞き取り者の名前
(02) 住所:同一村落 (03) 年齢(生年月日)
(04) 性別
(05) 同居家族(世帯構成)
(06) 職業(主たる収入を得ている職業):農村の場合の分類として適切か
1 農林漁業 2 会社 団体の従業員 3 会社 団体の管理職
4 商工サービス自営業 5 専業主婦 6 年金・恩給生活者
7 無職 8 その他( )
(07) 配偶者、家族の職業
(08) 学歴(あなたが最後に行った学校)
(081) あなたはあなたの子供をどの学校まで進学させたいですか。(○は1つ)
1 小学校 2 中学校 3 高等学校 4 大学・大学院
(082) 現在のあなたの収入で、あなたの子供はどの学校まで進学できますか。(○は1つ)
1 小学校 2 中学校 3 高等学校 4 大学・大学院
(09) 住居(所有関係、間取り図、広さ)
(a) 所有関係
1 一戸建ての持ち家 2 賃貸アパート
3 国営・郷鎮企業のアパート 4 その他( ) (b) 間取り図・広さ
(c) いつ誰が建てたか。
(d) いつから誰が住み始めたか。
(10) 経歴について(個人史)
(a) 祖父 Aどこから来たのか Bどこかにいったことがあるか Cここにいた (b) 父 Aどこから来たのか Bどこかにいったことがあるか Cここにいた (c) 本人 Aどこから来たのか Bどこかにいったことがあるか Cここにいた
(d) 子供 B今どこにいるのか Cどこかにいったことがあるか 図・家系樹
模造紙のような大きな紙に、聞き取りながら記入する。
(11) 現在の出稼ぎについて
(a) 本人は出稼ぎに行ったことがありますか。
どこに、 どれくらい どのくらい稼ぎましたか いくら送金しましたか。
(b) 家族で出稼ぎに行っている人はいますか。
誰が
どこに、 どれくらい どのくらい稼ぎましたか いくら送金しましたか。
誰が
どこに、 どれくらい どのくらい稼ぎましたか いくら送金しましたか。
(12) あなたの最近1年間の収入はどのくらいですか? ( )元
(13) あなたのご家族で、あなた以外の最近1年間の収入はどのくらいですか? ( )元
(14) あなたの家族の内何人が出稼ぎに行っていますか? ( )人
(15) 出稼ぎ先はどちらですか? ( )
(16) 出稼ぎ日数はどのくらいですか? ( )日
(17) 出稼ぎによる収入はおよそいくらですか? ( )
(18) 出稼ぎの送金はありますか。
(19) 出稼ぎの送金は1年間でどのくらいですか。 ( )元
農業について
(20) 耕地面積はどのくらいですか。 ( )ムー
(21) どのような作物を1年間(春・秋)に収穫しますか。
(22) 1949年新中国成立以前、あるいは「耕者有田」となる前、この土地は誰のものでしたか。
(村の歴史年表を作る)
(23) あなたが手に入れた土地は誰のものでしたか。
(24) あなたが手に入れた土地の面積はどのくらいですか。
(25) あなたが土地を手に入れた時、地主はどうしましたか。
(26) 他の村人はその時どうしましたか。
注:「精算闘争」(反封建闘争)(信陽東北東 117Km)張荘(ジャン・チャン)の記述『翻身』によ れば対地主土地没収闘争=農民による人民裁判=精算闘争は1946年1月から1ヶ月間ほど続 いた。この地主財産の没収・再配分をおこなう唯一の「合法」組織は「晋冀豫辺区政府」(シ ン・キ・ロ・ヨ・ヘン・ク)政府(山西・河北・山東・河南)にまたがる解放区政府によって 認められていた組織であった。
(27) 分配された土地であなたは何を、どれくらい耕作しましたか。
(28) 合作社・初級人民公社ができ、あなたがこの土地を手放した時のことについて。
(a) 合作社・人民公社にその土地を貸したのですか。無償で譲渡したのですか。
(b) 「大躍進」のあなたの提供した農地は誰れ(達)によって耕作されましたか。
→村の土地所有の変遷・階層別所有状況のデータを作る
(29) その後この土地の耕作状況はどうでしたか。(質問を練る)
(30) 人民公社の時に、かつて手にいれたあなたのこの土地を耕したのは誰ですか。
(31)「大躍進」の時、この土地を誰が耕していましたか。
<食生活を支えた素材>
(32)「大躍進」の時、あなたはどんなものを食べて暮らしていましたか。
上の図で記憶を呼び覚ましながら聞く。
(33)「大躍進」の時、あなたの家族で死んだ人はいましたか。(家系樹に記入)
(34) 他の家族で死んだ人を知っていますか。
(35) その時のことではっきりと覚えていることがありますか。
(3)明治学院大学付属研究所プロジェクト
「中国社会変動における村落と家族」国際シンポジューム a.日時場所 2006年3月13日(月)午前9:30〜午後6:00
明治学院大学白金校舎 本館91会議室 b.中国側御挨拶 日本側御挨拶(09:30〜09:45)
c.報告1:王 躍生(wang yue sheng)中国社会科学院人口所研究員 (09:45〜10:45)
華北農民家庭人口の生存条件分析―1930-90年代河北南部磁県を事例に
報告2:張 翼(zhang yi)中国社会科学院人口所研究員 (10:50〜11:45)
中国村落社会の人口変遷と養老問題
報告1と2に関する討論 (11:45〜12:15)
---昼食・休憩--- (12:15〜13:15)
報告3:孫 占坤 明治学院大学 (13:15〜14:15)
民衆から見る「飢餓」のケース・スタディー―河南省のある村落の事例
報告4:平山 恵 明治学院大学 (14:15〜15:15)
社会調査方法論「episode taking」について―中国農民の声を聞くとは 報告3と4に関する討論 (15:15〜15:45)
---お茶・休憩--- (15:45〜16:00)
総括討論 (16:00〜17:45)
d.閉会の挨拶 (17:45〜18:00)
==2006年度の活動==
中国側の都合により、現地調査はできないことになった。また、その代替案として、中国の別の研 究者に別の方法で調査を依頼した。その調査とは帰省する学生たちに夏休みの宿題として、祖父母か らの聞き取り(エイピソード・トーキング)調査をしてもらうことであった。
「私の家族史から見た中国社会主義」
=祖父・祖母に聞く=
(1) 土地改革の時の思い出
わが家はどんな家だったのか。どんな暮らしをしていたのだろうか。何人家族だったのだろうか。
農業以外の仕事もしていたのだろうか。土地改革はどんな風に、実施されたのだろうか。その時は どんな気持ちだったのだろうか。
(2) 人民公社ができた時の思い出
人民公社はどんなふうにして出来ていったのだろうか。祖父や祖母はどうかかわったのか。他の 村人はどんな様子だったのか。人民公社の共同食堂で、食事した時の様子など聞いてみよう。食事 は十分だったのだろうか。どんなものを食べていたのだろうか。
(3) 「3年自然災害」時期の思い出
この時家族はどんな様子だったのだろうか。他の村人はどうだったのだろうか。
=父・母に聞く=
(1) 1978年「生産農家責任制」が実施された時の思い出
わたしの家はどうしたのだろうか。その時の様子やおもい出を父・母に聞いてみよう。
=あなたに聞きます=
(1) あなたにとって「改革・開放」とはなんですか。
この提案=「聞き取り調査」も実現できなかった。
==2007年度の活動==
シンポジュウムなどの論文を、書籍にまとめる活動をした。
以上の「成果」は、竹内啓・孫占坤・涌井秀行『中国社会変動における村落と家族』(明治学院大 学国際学部付属研究所、2007年3月)にまとめられている。
※本報告書は国際学部付属研究所共同研究「中国社会変動における村落と家族」の最終報告書である。