南洋群島の司法制度沿革史・序説(一)―南洋庁法 院をめぐる人々を中心に―
著者 西田 真之
雑誌名 明治学院大学法学研究 = Meiji Gakuin law journal
巻 110
ページ 267‑294
発行年 2021‑01‑25
その他のタイトル The Historical Footprints in the Judicial System of the South Seas Islands under the Japanese Mandate(1)
URL http://hdl.handle.net/10723/00004045
南洋群島の司法制度沿革史・序説(一)
―南洋庁法院をめぐる人々を中心に―
西 田 真 之
序
本稿は,近代法史における特殊な法領域としての南洋群島に焦点をあて,南 洋群島における司法の実態の一端を見るために,南洋庁法院の判事及び検事た ちの基本情報や活動の実態についての整理を試みるものである。
筆者は,偶然にも『ポナペ本島ニ於ケル旧慣(民法親族編ニ関スルモノ)』と 題する謄写版の資料を入手した(資料 1 を参照)⎝₁⎠。発行年や発行目的などの具 体的な情報が記されてはいないものの,冒頭に「本書ハ南洋庁法院判事柳田太 郎ノ調査シタルモノナリ」と記されている点や,資料の中で記されている旧慣 調査の記録からすると,若干の異同はあるが,南洋群島において行われた旧慣 調査の報告書として刊行された『南洋群島々民旧慣調査報告書』(南洋庁,1939 年)との関連性があるものと見られる。
1890 年に大日本帝国憲法の施行された当時に日本の領土の範囲にあった地 域(本州・四国・九州・北海道・沖縄・小笠原その他の島嶼)は内地と称されたのに 対し,新たに領土や租借地,委任統治地域として領有した地域(朝鮮・台湾・
樺太・関東州・南洋群島)は外地と称された⎝₂⎠。近代法史分野での外地に関連す る研究は近年積極的になされているが,その研究蓄積の状況を見ると,台湾や 朝鮮半島,満洲を対象とする研究に比して,南洋群島における司法制度史に焦
点をあてた研究は少ない印象は否めない⎝₃⎠。これには,南洋群島について記し た資料が戦時中の動乱期の過程で散逸したり,さらには戦災の影響により多く の資料が焼失したことにより,資料が断片的にしか残されていないことが主な 理由として挙げられよう⎝₄⎠。
そこで,本稿では国立公文書館や外務省外交史料館にて所蔵されている資料 群や,当時発行された新聞の情報,また公開されているアーカイブなどの資料 に基づき,南洋庁法院に判事や検事として関わった人々の断片的な記録を繋ぎ
(資料 1 『ポナペ本島ニ於ケル旧慣(民法親族編ニ関スルモノ)』)
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ながら,南洋群島における司法の実態や旧慣調査の状況を探る端緒となるべく,
基本情報の整理を行う。
尚,本稿においては原則として新字体の漢字を使用し,適宜句読点を附すこ ととする。年号は西洋暦で統一して記すが,必要に応じて元号も併せて使用す る。また,地名については現代の表記と異なるものもあるが,混乱を避けるた めに基本的には当時の文献の表記を用いる。
一 南洋群島における司法制度の沿革
いわゆる南洋群島とは,現在のミクロネシア連邦,マーシャル諸島,パラオ 共和国,北マリアナ諸島に跨る海洋地域において構成される島々を指す。まず は,この地域における近代史を簡単に見ておこう⎝₅⎠。
この地域は 19 世紀後半にスペインの支配下に置かれていたが,アメリカ=
スペイン戦争に敗れたスペインが財政難のため,1899 年にマリアナ諸島・カ ロリン諸島・マーシャル諸島をドイツに売却したことにより,スペインに代わ りドイツによる統治を受けることとなった。1914 年に第一次世界大戦が勃発 すると,日本はドイツに宣戦布告,南洋群島に日本海軍が進出し,現在のミク ロネシア連邦のチューク⎝₆⎠に臨時南洋群島防備隊の司令部が設置され,日本海 軍による軍政が行われた。当初はこの地域を一時的に占領する方針であったが,
南洋群島を永久の支配地とする目的から,1918 年に統治形態を軍政から民政 へと移行することとなる。その後,第一次世界大戦で敗戦したドイツの旧支配 下に置かれていた地域について,1919 年 5 月のパリ講和会議にて,赤道以北 の旧ドイツ領は日本の委任統治領となることに決定した。この際,採られたの がC式委任統治の方式,すなわち「人口ノ稀薄,面積ノ狭小,文明ノ中心ヨ リ遠キコト又ハ受任国領土ト隣接セルコト其ノ他ノ事情ニ因リ受任国領土ノ構 成部分トシテ其ノ国法ノ下ニ施政ヲ行フヲ以テ最善トス」(国際連盟規約第 22 条
第 6 項)⎝₇⎠というものであった。
1922 年 4 月に軍政から民政への移管が完了し,南洋群島の統治本部となる 南洋庁の本庁がパラオのコロール島に設けられ,支庁としてサイパン・パラオ・
ヤップ・トラック・ポナペ・ヤルートの 6 支庁が置かれた(資料 2 を参照)。
司法制度に関しては,まずは軍政期の 1915 年に全 16 条より成る南洋群島刑 事民事裁判令(臨南防第 452 号)が次のように定められた⎝₉⎠。
第 1 条
本令ハ占領地内ニ居住スル人民ノ刑事及民事ニ之ヲ適用ス。但シ,軍罰処分会 議ノ権限ニ属スルモノハ此ノ限ニ在ラス。
第 2 条
(資料 2 南洋群島地図(8))
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第一審裁判庁ハ民政区軍政庁及其ノ分遣庁ニ之ヲ設ケ,第二審裁判庁ハ防備隊 司令部ニ之ヲ設ク。
第 3 条
裁判官ハ第一審庁ニ於テハ,各民政区守備隊長及民政事務官又ハ分遣セル部隊 長ヲ以テ之ニ充テ,第二審庁ニ於テハ防備隊参謀長参謀一名及民政顧問一名ヲ 以テ之ニ充ツ。
第 4 条
審理及裁判言渡ニハ書記ノ立会ヲ例トス。書記ハ裁判官ノ命ヲ承ケ服務ス。
第 5 条
書記ハ,防備隊司令官又ハ各民政区守備隊長若ハ分遣セル部隊長其ノ部下中ヨ リ之ヲ命ス。
第 6 条
裁判庁ノ審理ハ,書面又ハ口頭トス。
第 7 条
安寧秩序ヲ紊シ,善良ノ風俗ヲ害シ,又ハ生命身体ノ自由名誉財産ニ対シ侵害 ヲ加ヘタル者ハ,地方ノ法規慣習及帝国刑事法規ヲ参酌シテ之ヲ処分ス。
第 8 条
裁判官ハ事実審明ノ為,必要ナル処分ヲ為スコトヲ得。
第 9 条
裁判官審理ヲ終リタルトキハ,判決ヲ為スヘシ。
第 10 条
死刑又ハ三年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シタル第一審裁判庁ノ判決ニ対シ,被告 人ハ三月以内ニ第二審裁判庁ノ覆審ヲ求ムルコトヲ得。
覆審ノ請求ハ,原審庁ニ之ヲ為スヘシ。
第 11 条
死刑ノ判決ハ司令官ノ認可ヲ受クルニ非サレハ,之ヲ宣告スルコトヲ得ス。
第 12 条
民事ノ裁判ハ,地方ノ法規慣習及帝国民事法規ヲ参酌シテ之ヲ行フ。
第 13 条
裁判官ハ裁判ノ為,必要ナル証拠調其ノ他ノ処分ヲ為スコトヲ得。
第 14 条
裁判官ハ判決ニ先チ和解ヲ試ムヘシ。
和解成立シタルトキハ,裁判官ハ書記ヲシテ和解調書ヲ作成セシム。
前項ノ和解ハ,判決ト同一ノ効力ヲ有ス。
第 15 条
判決ニ対シテハ,当事者ハ十日以内ニ第二審裁判庁ノ覆審ヲ求ムルコトヲ得。
覆審ノ請求ハ原審庁ニ之ヲ為スヘシ。
第 16 条
判決ハ執行吏之ヲ執行ス。
執行吏ハ,第五条ニ定メタル諸官部下中ヨリ之ヲ命ス。
旧ドイツ占領下においては三審制が採られ,第一審では島民から裁判官に任 用されていたが⎝₁₀⎠,1915 年に南洋群島刑事民事裁判令が制定されたことによ り,南洋群島における司法制度が変容することとなった。まず二審制となり(第 2 条),さらに裁判官は第一審が各民政区守備隊長及び民政事務官,又は分遣部 隊長,第二審が防備隊参謀長参謀 1 名及び民政顧問 1 名が務めることとなり(第 3 条),その裁判官は,刑事においては内地の刑事法規と併せて地方の法規慣習 を,民事においても内地の民事法規と併せて地方の法規慣習を参酌すること(第 7 条・第 12 条),そして民事の場合は判決に先立ち和解を試みることが規定され ていた(第 14 条)⎝₁₁⎠。
その後,南洋庁が開設された 1922 年には,南洋群島刑事民事裁判令が廃止 され,新たに全 12 条より成る南洋群島裁判令(勅令第 133 号)が次の通り制定
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された⎝₁₂⎠。
第 1 条
南洋庁法院ハ南洋庁長官ニ直属シ,南洋群島ニ於ケル民事刑事ノ裁判ヲ掌ル。
第 2 条
南洋庁法院ヲ分チテ,地方法院及高等法院トス。
第 3 条
地方法院ハ民事刑事ニ付,第一審ノ裁判ヲ為ス。
第 4 条
高等法院ハ終審トシテ,地方法院ノ裁判ニ対スル上訴ニ付,覆審ヲ為ス。
第 5 条
各法院ヲ通シテ判事専任四人ヲ置ク。奏任トス。
第 6 条
各法院ニ院長ヲ置ク。上級判事ヲ以テ之ニ充ツ。
院長ハ院内ノ行政事務ヲ掌理ス。
高等法院ノ院長ハ,地方法院ノ行政事務ヲ監督ス。
第 7 条
地方法院ハ,判事単独ニテ審理裁判ス。
第 8 条
高等法院ハ,判事三人ノ合議ヲ以テ審理裁判シ,上級判事ヲ其ノ裁判長トス。
第 9 条
各法院ニ検事局ヲ附置ス。
各検事局ヲ通シテ検事専任一人ヲ置ク。奏任トス。
第 10 条
検事ハ司法警察官ヲ指揮監督シ,刑事訴追ヲ為シ,其ノ裁判ニ執行ヲ指揮監督ス。
地方法院検事局ニ於テハ南洋庁警部ヲシテ,検事ノ職務ヲ執ラシムルコトヲ得。
第 11 条
南洋庁支庁長及南洋庁警視ハ,司法警察官トシテ犯罪捜査ニ付,地方法院検事 ト同一ノ権ヲ有ス。
南洋庁警部及警部補ハ,検事ノ補佐トシテ其ノ指揮ヲ承ケ,司法警察官トシテ 犯罪ヲ捜査スヘシ。
第 12 条
法院及検事局ヲ通シテ書記専任四人ヲ置ク。判任トス。民事刑事ノ審理ニ関ス ル準備ヲ為シ,調書ヲ作リ,及一切ノ訴訟記録ヲ整理保存ス。
書記ハ前項ノ外,上官ノ指揮ヲ承ケ,法院ニ於ケル諸般ノ事務ニ従事ス。
この法令の制定に伴い南洋庁法院が設置され,南洋群島における裁判機関が 整備されることとなった。また,1922 年の「南洋庁ノ判事及検事任用ノ件」(勅 令第 118 号)にて「南洋庁ノ判事及検事ハ,裁判所構成法ニ依リ判事又ハ検事 タル資格ヲ有スル者ノ中ヨリ之ヲ任用ス。」と規定された。
南洋庁法院は,コロール島・サイパン島・ポナペ島の各地に設置された地方 法院と,パラオ諸島のコロール島に設置された高等法院の 2 審制となっていた。
各地方法院では,サイパン地方法院がサイパン支庁管内を,パラオ地方法院が パラオ支庁管内・ヤップ支庁管内を,ポナペ地方法院がポナペ支庁管内・トラッ ク支庁管内・ヤルート支庁管内を管轄していた⎝₁₃⎠。南洋庁法院の判事には,
1923 年 3 月 1 日付で,石川音次・奥津一郎・柳田太郎・松野祐裔,検事には 江崎政行が任用されることとなった⎝₁₄⎠。その後記録が確認出来る 1944 年まで に南洋庁法院に任用された判事・検事は,表 1 及び表 2 のような変遷を辿って いる⎝₁₅⎠。
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表 1 南洋庁高等法院
年月日 院長 判事(※ 1) 判事(兼任)(※ 2) 検事
1922 年 7 月 1 日現在 松野祐裔(※ 3)
10 月 1 日現在
柳田太郎
奥津一郎
石川音次
江崎政行 1923 年 7 月 1 日現在
松野祐裔 1924 年 7 月 1 日現在
1925 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 11 月 1 日現在 1926 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1927 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1928 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在
牧野三好 11 月 1 日現在
1929 年 1 月 1 日現在 8 月 1 日現在 1930 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1931 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1932 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 11 月 1 日現在
谷井辰蔵 1933 年 1 月 1 日現在
7 月 1 日現在 8 月 1 日現在 1934 年 1 月 1 日現在 8 月 1 日現在
石川音次
桑原龍興 11 月 1 日現在
1935 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1936 年 1 月 1 日現在 内山秀吉 7 月 1 日現在 1937 年 1 月 1 日現在
奥野彦六郎
安部恕
7 月 1 日現在 大野璋五
1938 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1939 年 1 月 20 日現在 高橋静一 7 月 1 日現在
1940 年 8 月 15 日現在2 月 1 日現在 中村武
1941 年 8 月 15 日現在
中村武 大森戒三
10 月 1 日現在 10 月 15 日現在 1942 年 7 月 1 日現在
吉永廣衛 1943 年 1 月 1 日現在
7 月 1 日現在
10 月 1 日現在 中村恭三
1944 年 1 月 1 日現在
※ 1 判事は当初専任 4 名の体制であったが(南洋群島裁判令第 5 条),1924 年に判事専任 3 名へと改められた(勅令第 467 号)。
※ 2 高等法院では判事 3 名の合議体による審理が行われていたが(南洋群島裁判令第 8 条),南洋群島全体で任用されていた判 事が 3 名であったため,必然的に原審の判事が覆審にも参加することとなっていた。そこで,1933 年より東京区裁判所判事 1 名が南洋庁高等法院の判事を兼任し,高等法院を開く際には兼任判事 1 名と,原審を担当した判事以外の 2 名との合議体 が構成されることとなった。事件が少なかったため,高等法院は毎年夏期に兼任判事と専任判事がコロール島に集まり,数 週間継続的に開かれていた。大山彦一「南洋群島の社会構造と其統制」『関西大学学報』第 142 号,1936 年,4 頁。中川善之 助「南洋群島の裁判」『法律時報』第 10 巻第 12 号,1938 年,27 頁。
※ 3 『職員録』(大正 11 年)及び『職員録追録』(大正 11 年 9 月号)では,高等法院の判事として松野祐裔の氏名のみが記載さ れている。
表 2 南洋庁地方法院
※ 4 検事は当初専任 1 名の体制であったが(南洋群島裁判令第 9 条第 2 項),1931 年に検事専任 2 名へと改められた(勅令第 127 号)。パラオ地方法院とポナペ地方法院の検事は兼任となっていた。
※ 5 『職員録追録』(大正 12 年 2 月号)では,地方法院の判事及び検事の氏名のみが記載されている。
年月日 パラオ地方法院 サイパン地方法院 ポナペ地方法院
院長 検事(※ 4) 院長 検事(※ 4) 院長 検事(※ 4)
1922 年 10 月 1 日現在 法院判事:石川音次・奥津一郎・柳田太郎、検事:江崎政行(※ 5)
1923 年 7 月 1 日現在 石川音次
江崎政行
奥津一郎
江崎政行 柳田太郎
江崎政行 1924 年 7 月 1 日現在
1925 年 1 月 1 日現在
松野祐裔 7 月 1 日現在
11 月 1 日現在 1926 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1927 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1928 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在
牧野三好 11 月 1 日現在
1929 年 1 月 1 日現在 8 月 1 日現在 1930 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1931 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1932 年 1 月 1 日現在
吉永廣衛 7 月 1 日現在
柳田太郎
牧野三好 11 月 1 日現在
1933 年
1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 8 月 1 日現在 1934 年 1 月 1 日現在 8 月 1 日現在
石川音次 11 月 1 日現在
1935 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1936 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1937 年 1 月 1 日現在
奥野彦六郎 7 月 1 日現在
1938 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 1939 年 1 月 20 日現在 7 月 1 日現在 1940 年 2 月 1 日現在 8 月 15 日現在 1941 年 8 月 15 日現在
中村武 大森戒三
10 月 1 日現在 10 月 15 日現在 1942 年 7 月 1 日現在
吉永廣衛 吉永廣衛
1943 年 1 月 1 日現在 7 月 1 日現在 内田保次 10 月 1 日現在 1944 年 1 月 1 日現在
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二 南洋庁法院判事・検事の略歴
1922 年の南洋群島裁判令(勅令第 133 号)に基づき,南洋群島に各法院が設 置されたが,南洋庁の判事及び検事は,「南洋庁ノ判事及検事任用ノ件」(勅令 第 118 号)により,内地の裁判所構成法の判事・検事の資格を有するものが任 用されることとなった。そこで,次に南洋庁法院に任用された判事及び検事の 経歴について,以下五十音順に簡単に紹介してゆく⎝₁₆⎠。
尚,本稿では先行研究や人名辞典を基に,筆者の調査の成果を加えたものを 整理した上で紹介している。情報を補完する上で国立公文書館の資料や新聞記 事などを用いたが,文献が散逸していることから未詳な部分も多いため,詳細 な情報をお持ちの方がおられれば,ご教示頂きたい。
〇安倍恕はかる
安倍恕は,1893 年 8 月 4 日に愛媛県にて生まれた。1918 年 7 月に東京帝国 大学法学部法律学科を卒業後,同年 8 月に司法官試補となり,1920 年 3 月に 東京地方裁判所予備判事,同年 4 月に横浜地方裁判所判事,同年 9 月に東京地 方裁判所判事,1925 年 7 月に京都区裁判所判事,1928 年 9 月に東京区裁判所 判事,1929 年 1 月に東京地方裁判所部長,1930 年 2 月に長崎控訴院判事,
1933 年 12 月に福岡地方裁判所判事,1934 年 9 月に東京区裁判所判事に任じら れた。
『職員録』(印刷局)によると,安倍は 1937 年 1 月 1 日時点で南洋庁高等法院 の兼任判事となっている。その後,1940 年 9 月に東京控訴院部長,1943 年 4 月に東京民事地方裁判所上級部長,1946 年 2 月に横浜地方裁判所所長,1947 年 9 月に福岡高等裁判所長官,1952 年 9 月に大阪高等裁判所長官,1955 年 6 月に東京高等裁判所長官,1958 年 9 月に司法研修所所長となり,1962 年 9 月
に退職している⎝₁₇⎠。1982 年 1 月 6 日に亡くなった。
〇石川音次
石川音次は,1880 年 10 月 12 日に生まれた⎝₁₈⎠。1909 年 7 月に東京帝国大学 法科大学を卒業後,司法官試補となり,1912 年 4 月に甲府地方裁判所予備判事,
1913 年 6 月に長崎地方裁判所判事,1916 年 7 月に浦和地方裁判所判事,1917 年 3 月に東京地方裁判所判事,1919 年 5 月に宇都宮地方裁判所判事,1920 年 10 月に浦和地方裁判所判事に任じられた。
南洋庁法院の設置の際,同高等法院判事及びパラオ地方法院院長に任用され たが,1924 年 12 月付けで休職が命ぜられ⎝₁₉⎠,1925 年 5 月付けで依願退官と なっている⎝₂₀⎠。その後,司法省の委嘱によりドイツへ労働裁判制度運用実況調 査のために渡航,1926 年 3 月に帰国した後,同年 5 月には東京にて弁護士事 務所を開設している⎝₂₁⎠。石川は,1934 年 2 月に松野祐裔の後任として南洋庁 高等法院長兼パラオ地方法院長に任用された。この際,南洋庁法院判事であっ た柳田太郎を高等法院長に推薦する声も上がったようであるが,柳田がこれを 希望しなかったこともあり,人選上の都合で石川を推す外なかった旨が記され ている⎝₂₂⎠。石川は 1940 年まで任に当たっている⎝₂₃⎠。
石川の南洋庁法院に関する著作としては「南洋群島の犯罪と司法機関」(『学 徒至誠会派遣団研究報告 昭和十年度 第四篇南洋講演集』(学徒至誠会,1936 年)), 講演記録としては『南洋群島に於ける島民を対象とする司法警察に就いて』(南 洋経済研究所,1944 年)がある。
〇内田保次
内田保次は,1892 年 5 月 11 日に佐賀県にて生まれた。1917 年 7 月に東京帝 国大学法科大学を卒業後,1919 年 9 月に弁護士名簿登録,1923 年 8 月に横浜 裁判所予備検事,1924 年 1 月に横浜区裁判所検事,1925 年 11 月に台湾総督府
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法院検察官・台南地方法院検察官⎝₂₄⎠,1927 年 11 月に台北地方法院新竹支部検 察官⎝₂₅⎠,1929 年 8 月に高松区裁判所検事,1932 年 1 月明石区裁判所検事,
1933 年 6 月神戸地方裁判所検事,1935 年 9 月に岸和田区裁判所検事,1937 年 12 月に洲本区裁判所検事,1941 年に奈良地方裁判所検事に任じられた。
1942 年 8 月 17 日付けでの南洋庁法院検事への転官承諾書が残されてお り⎝₂₆⎠,同年 9 月 4 日付けでサイパン地方法院検事となった。1944 年 4 月より 海軍省より中部太平洋方面艦隊事務を嘱託され,1944 年 7 月 9 日にサイパン 島にて戦死している⎝₂₇⎠。
〇内山秀吉
内山秀吉は,1885 年 9 月 11 日に東京にて生まれた。1916 年 7 月に日本大学 法学部を卒業後,1918 年 12 月に弁護士試験及第,判検事登用第 1 回試験及第,
司法官試補となり,1920 年 8 月に東京地方裁判所予備判事,同年 10 月に宇都 宮地方裁判所判事,1921 年 7 月に東京区裁判所判事に任じられた。
内山は,1935 年 6 月に桑原龍興の後任として南洋庁高等法院の兼任判事と なっている⎝₂₈⎠。その後,1936 年 12 月に千葉区裁判所監督判事となった。
〇江崎政行
江崎政行は,1879 年 10 月 20 日に東京にて生まれた。1908 年 7 月に東京帝 国大学法科大学を卒業後,翌 1909 年 7 月に司法官試補となり,1912 年 4 月に 盛岡地方裁判所予備検事,1913 年 6 月に福島区裁判所検事,1914 年 12 月に秋 田区裁判所検事に任じられた。『職員録』によると,名古屋区裁判所検事(1917 年 5 月 1 日時点),熊谷区裁判所検事(1919 年 5 月 1 日時点),水戸区裁判所検事(1920 年 7 月 1 日時点)を経ている。1921 年からは,帝国自動車保護協会の法律顧問 として従事していた⎝₂₉⎠。
1922 年に南洋庁法院検事となり,1941 年まで高等法院兼地方法院検事を務
めていた。1931 年まではパラオ・サイパン・ポナペの地方院検事であったが,
1932 年からはパラオ及びポナペの地方法院検事となり,サイパン地方法院検 事には吉永廣衛が任じられていた。これは,1931 年の勅令第 127 号に基づき,
各検事局の検事は専任 2 名へと改められたことによるものと思われる。1941 年に検事を退職,1943 年 7 月 1 日に亡くなった⎝₃₀⎠。
〇大野璋五
大野璋五は,1895 年 5 月 13 日に新潟県にて生まれた。1919 年 7 月に東京帝 国大学法科大学を卒業後,1920 年 10 月に司法官試補となり,1922 年 6 月に東 京地方裁判所予備判事,同年 7 月に東京地方裁判所判事,1931 年 11 月に東京 控訴院判事,1933 年 3 月に東京地方裁判所部長,1935 年 5 月に東京民事地方 裁判所部長,同年 12 月に東京区裁判所判事に任じられた⎝₃₁⎠。
大野は,1937 年 1 月に安倍恕の後任として南洋庁高等法院の兼任判事となっ ている⎝₃₂⎠。その後,同年 5 月に東京民事地方裁判所部長,1939 年 7 月に東京 控訴院判事,1946 年に大審院判事,1951 年に東京地方裁判所長,1956 年に広 島高等裁判所長官,1958 年に東京高等裁判所長官を務めた。1960 年に退官後 は高千穂商科大学学長となり,1985 年 7 月 16 日に亡くなった⎝₃₃⎠。
〇大森戒三
大森戒三は,1892 年 10 月 15 日に広島県にて生まれた。1920 年 12 月に日本 大学専門部法律科を卒業後,1923 年 12 月に高等試験司法科に合格,1924 年 3 月に司法官試補となり,1925 年 11 月に横浜地方裁判所予備判事,1926 年 12 月に釧路地方裁判所網走支部判事,1928 年 1 月に岩内区裁判所判事,1930 年 5 月に七尾区裁判所判事,同年 12 月に富山地方裁判所判事⎝₃₄⎠,1932 年 12 月に 高岡区裁判所判事,1935 年 1 月に福井地方裁判所判事に任じられた。
その後,1941 年 7 月に福井地方裁判所判事から南洋庁法院判事へと転官し,
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ポナペ地方法院長となった⎝₃₅⎠。戦時下にあっても現地で民事・刑事に関する事 件の処理にあたっていた模様であるが,1944 年 10 月 16 日に病気のため,パ ラオで亡くなった⎝₃₆⎠。
〇奥津一郎
奥津一郎は,1889 年 11 月 20 日に神奈川県にて生まれた。1911 年 7 月に法 政大学専門部法科を卒業後⎝₃₇⎠,1916 年 12 月に判検事登用第 1 回試験及第,司 法官試補となり,1918 年 7 月に横浜地方裁判所予備判事,同年 9 月に新潟地 方裁判所判事,1919 年 12 月に長野地方裁判所判事,1920 年 12 月に千葉区裁 判所判事,1922 年 2 月に水戸区裁判所判事に任じられた。
1922 年に南洋庁高等法院判事として任用され⎝₃₈⎠,1923 年から 1928 年までは サイパン地方法院長の職も兼ねている。1928 年 2 月に病気危篤となったよう であるが⎝₃₉⎠,その後の経歴については不明である。
〇奥野彦六郎
奥野彦六郎は,1895 年 9 月 11 日に岐阜県にて生まれた。1921 年 4 月に東京 帝国大学法学部を卒業後,同年 5 月に司法官試補となり,1923 年 3 月東京地 方裁判所予備判事,同年 5 月に富山地方裁判所判事,1925 年 12 月に那覇地方 裁判所判事,1928 年 5 月に佐賀区裁判所判事,1932 年 12 月に新田区裁判所判 事,1933 年 12 月に宇都宮区裁判所判事に任じられた。
1936 年 10 月 22 日付けでの南洋庁法院判事への転官承諾書が残されてい る⎝₄₀⎠。その後,1941 年まではポナペ地方法院長の職に就いていた。1941 年に 退職し,1955 年 8 月 30 日に亡くなった⎝₄₁⎠。
奥野が南洋庁法院判事在職中に著したものとしては,「随筆 マーシヤル點々 記」(『南洋群島』第 4 巻第 6 号,1938 年),「群島東部に於ける民族,法律,家系 等の問題に就いて」(『学徒至誠会派遣団研究報告 昭和十三年度 南洋篇・研究報告
講演集』(学徒至誠会,1939 年))⎝₄₂⎠がある。また,在職時の調査結果に基づき書 き記したものとしては,戦後に刊行された「ミクロネシアにおける『同生地族』
の形成」(『民族学研究』第 14 巻第 3 号,1950 年)がある。
〇桑原龍興
桑原龍興は,1883 年 5 月 4 日に山梨県にて生まれた。陸軍歩兵少尉を経て,
1920 年 7 月に京都帝国大学法学部を卒業後⎝₄₃⎠,同年 9 月に司法官試補となり,
1923 年 6 月に東京地方裁判所予備判事,同年 8 月に横浜地方裁判所予備判 事⎝₄₄⎠,1924 年 1 月に横浜地方裁判所判事,1925 年 5 月に横浜区裁判所判事,
同年 7 月に東京区裁判所判事に任じられた。
桑原は,1934 年 2 月に谷井辰蔵の後任として南洋庁高等法院の兼任判事と なっている⎝₄₅⎠。その後,1935 年 12 月に東京控訴院判事,1937 年 12 月に浦和 地方裁判所判事,1938 年 5 月に札幌控訴院判事に任用された後,『職員録』に よると東京区裁判所判事(1941 年 8 月 15 日時点)となった。大審院判事に補せ られ,1945 年 11 月に判事を退職した後⎝₄₆⎠,弁護士となり,富士急行取締役な どを歴任し,1965 年 1 月 17 日に亡くなった⎝₄₇⎠。
〇高橋静一
高橋静一は,1892 年 1 月に生まれた⎝₄₈⎠。1919 年 6 月に中央大学法律科を卒 業後,1920 年 12 月に判検事登用第 1 回試験及第,司法官試補となり,1922 年 8 月に東京地方裁判所予備判事,1923 年 5 月に新潟地方裁判所判事,1925 年 7 月に東京区裁判所判事,1933 年 3 月に東京控訴院判事,1935 年 4 月に東京地 方裁判所部長,同年 5 月に東京民事地方裁判所部長,1937 年 12 月に東京区裁 判所判事に任じられた。
高橋は,1938 年 6 月に大野璋五の後任として南洋庁高等法院の兼任判事と なっている⎝₄₉⎠。その後,1939 年 12 月に東京府地代家賃審査委員,1946 年 11
282
月に家事審判制度調査会委員,1948 年 1 月に簡易裁判所判事推薦委員会委員 を委嘱された。1948 年 6 月に八王子家事審判所長となり,同年 10 月に家庭裁 判所設立準備委員会委員を委嘱された。1956 年 4 月より東洋大学法学部教授 に着任したが,1959 年 10 月 4 日に亡くなった⎝₅₀⎠。
高橋が南洋庁法院の兼任判事として,1938 年 7 月 12 日に船中にて「南洋群 島の司法事務に就いて」と題する講演を行ったことが記されている(『学徒至誠 会派遣団研究報告 昭和十三年度 南洋篇・研究報告講演集』(学徒至誠会,1939 年))。
〇谷井辰蔵
谷井辰蔵は,1881 年 1 月 13 日に大分県にて生まれた。1905 年 7 月に日本大 学専門部法律科を卒業後⎝₅₁⎠,1918 年 12 月に判検事登用第 1 回試験及第,司法 官試補となり,1920 年 8 月に東京地方裁判所予備判事,同年 10 月に千葉地方 裁判所判事,1921 年 9 月に東京地方裁判所判事に任じられた。
谷井は,1932 年 7 月に南洋庁高等法院の兼任判事となっている。1932 年以 降,南洋庁高等法院の判事の内 1 名は内地の判事が兼任することになったが,
この点について谷井の兼任理由として,「目下南洋庁法院判事ノ定員三名ニシ テ,第二審ノ場合ニハ前審ニ関与シタル判事ヲ含マサレハ構成シ得サル現状ニ アルヲ以テ,此ノ際同人ヲ兼任セシメ,敍上ノ缺ヲ補ムトスルモノナリ。」と 記されている⎝₅₂⎠。その後,1935 年 5 月に東京民事地方裁判所判事,同年 12 月 に東京控訴院判事となった。1938 年 2 月に判事を退職した⎝₅₃⎠。
〇中村恭三
中村恭三は,1889 年 10 月 27 日に東京にて生まれた。1915 年 7 月に東京帝 国大学法科大学を卒業後,1919 年 8 月に司法官試補となり,1921 年 7 月に千 葉地方裁判所予備判事,1922 年 1 月に松山地方裁判所西条支部判事,1924 年 8 月に長野地方裁判所判事,1926 年 12 月に熊谷区裁判所判事,1931 年 9 月に
前橋地方裁判所判事,1937 年 10 月に東京区裁判所判事に任じられた。
中村は,1943 年 8 月に南洋庁高等法院の兼任判事となっている。『南洋庁職 員録』(南洋庁長官官房秘書課)にて,1943 年 10 月 1 日時点では南洋庁高等法院 判事として名前が記されているが,1944 年 1 月 1 日時点の状況を記している
『司法部職員録』(法曹会)では,名前が記されていないので,中村の任用期間 は短期だった模様である。兼任判事となった理由については,「司法事務連絡 ノ為,曩ニ判事中村武ニ南洋庁法院判事ヲ兼任セシメ居リタルガ,同人南洋庁 ニ転任シ欠員中ノ処,今般パラオ高等法院ニ於テ控訴審開廷セラルルニ際シ,
之ガ立会判事トシテ出席セシムル為,南洋庁法院判事ヲ兼任セシムル要アルニ 依ル。」と記されている⎝₅₄⎠。1946 年 2 月 24 日に亡くなった⎝₅₅⎠。
〇中村武
中村武は,1892 年 6 月 8 日に千葉県にて生まれた。1917 年 7 月に中央大学 法律科を卒業後,1918 年 12 月に判検事登用第 1 回試験及第,司法官試補とな り,1920 年 10 月に東京地方裁判所予備判事,1921 年 3 月に東京地方裁判所判 事に任じられた。同年 9 月には退職,ドイツの親族相続に関する司法事務実況 調査の嘱託を受け,11 月にはライプツィッヒ大学に入学している⎝₅₆⎠。1924 年 12 月に東京地方裁判所判事,1928 年 10 月に東京区裁判所判事に任じられ,
1932 年 9 月にドイツの労働委員会制度に関する取調嘱託を受けた。
中村は,1939 年 12 月に高橋静一の後任として南洋庁高等法院の兼任判事と なっている⎝₅₇⎠。1941 年 7 月には南洋庁高等法院の専任判事となり⎝₅₈⎠,南洋庁 高等法院長の職にあたり,1941 年より 1944 年まではパラオ地方法院長の職を 兼ねている。1944 年 9 月には病気のため退職願が出されているが,これは同 年 7 月に石段より転落して肋膜炎を起こし,治療を要するとの診断がパラオ医 院より下ったためと見られる⎝₅₉⎠。
その後,1944 年 9 月に退官し弁護士登録,1946 年 4 月には復員庁嘱託とし 284
て軍事法廷における日本人戦犯弁護などの任に当たり,1948 年 4 月からは中 央大学で,1964 年 4 月からは東洋大学で教壇に立っていた。1988 年 4 月 19 日 に亡くなった⎝₆₀⎠。
〇牧野三好
牧野三好は,『職員録』によると,1922 年に司法官試補となった記録が残さ れているが,詳細な経歴については不明である。今市区裁判所判事(1927 年 7 月 1 日時点)から南洋庁法院判事へと転官し⎝₆₁⎠,1928 年から 1932 年まではサ イパン地方法院長の職を⎝₆₂⎠,1932 年から 1936 年まではポナペ地方法院長の職 を兼ねている。その後,1936 年 10 月 22 日付けで依願退職の願出が出されて いるが⎝₆₃⎠,満洲国司法部法院審判官斉斉哈爾地方法院次長に任用されたことに 伴うものだったと思われる⎝₆₄⎠。
〇松野祐すけ裔すえ
松野祐裔は,1879 年 4 月 13 日に秋田県にて生まれた。1905 年 7 月に京都帝 国大学法科大学を卒業後⎝₆₅⎠,同年 8 月に司法官試補となり,1908 年 5 月に東 京地方裁判所判事に任じられた。1909 年 9 月には清国政府の招聘を受け,山 東省法政学堂に教習として聘用契約を締結し⎝₆₆⎠,その後数回に亘り雇用契約を 延長している⎝₆₇⎠。この当時,松野は山東省済南府の日本人会代表として,天津 の日本総領事宛に郵便局開設の請願書を送付している⎝₆₈⎠。
その後,1915 年 8 月に大阪区裁判所判事,1917 年 3 月に大阪地方裁判所判 事に任じられ,1920 年 7 月に司法省参事官民事局兼務となった⎝₆₉⎠。
1922 年 5 月に南洋庁高等法院判事,そして 1923 年より 1933 年まで高等法 院長の職にあたった。また,1924 年 12 月からはパラオ地方法院長も兼ねてい る⎝₇₀⎠。松野は 1922 年 6 月 7 日に南洋庁に向けて出発したが,その際見送りの 人々に対し,「何分南洋は初めてですからね,行って見なきゃ一切わからない,
高等法院の設立と共に特別な法令も布かれたが,しかし,到着の上は十分社会 状態を視察しておきたいと思ひます。」と語ったという⎝₇₁⎠。南洋に関する松野 の論稿としては「委任統治南洋諸島事情」(『地学雑誌』第 45 巻第 8 号,1933 年)
がある。
帰国後,1933 年 11 月に釧路地方裁判所長⎝₇₂⎠,1935 年 9 月に秋田地方裁判所 長に任じられた⎝₇₃⎠。松野は 1940 年 4 月に判事を退職,退職にあたり 3,000 円 の賞与が与えられている⎝₇₄⎠。
〇柳田太郎
柳田太郎は,1888 年 12 月 29 日に兵庫県にて生まれた。1917 年 7 月に東京 帝国大学法科大学を卒業後,同年 8 月に司法官試補となり,1920 年 6 月に宇 都宮地方裁判所予備判事,同年 9 月に新潟地方裁判所判事,1921 年 10 月に樺 太地方裁判所判事に任じられた⎝₇₅⎠。
1922 年 8 月に南洋庁高等法院判事に任用され⎝₇₆⎠,1923 年から 1932 年までは ポナペ地方院長の職を,1932 年から 1944 年まではサイパン地方法院長の職を 兼ねている。
〇吉永廣衛
吉永廣衛は,1928 年から 1930 年まで台南地方法院検察局検察官に任用され ている記録があるが⎝₇₇⎠,詳細な経歴については不明である。1931 年 5 月 15 日 付けでの南洋庁法院検事への転官承諾書が残されており⎝₇₈⎠,1932 年から 1942 年までサイパン地方院検事の職にあった。『職員録』によると,南洋庁高等法 院検事(1942 年 7 月 1 日時点)であった当時,パラオ・サイパン・ポナペの地方 法院検事を兼任している。その後 1943 年 1 月 1 日時点では,パラオとポナペ の地方法院検事には吉永が,サイパン地方法院検事には内田保次が任じられて いた。
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1944 年 8 月 13 日付けで動脈硬化の診断を受け,同年 9 月 2 日に病気による 辞職願が出されている⎝₇₉⎠。
その後,1957 年 10 月には延岡簡易裁判所判事を務めていたことが記録され ている⎝₈₀⎠。
〇鷲山半之助
鷲山半之助は,1893 年 9 月 20 日に東京にて生まれた。1919 年 7 月に東京帝 国大学法学部法律科卒業後,1920 年 9 月に司法官試補となり,1922 年 6 月に 東京地方裁判所予備検事,同年 7 月に安濃津区裁判所検事,1924 年 3 月に金 沢区裁判所検事,1925 年 11 月に甲府区裁判所検事,1926 年 9 月に土浦区裁判 所検事,1928 年 6 月に東京区裁判所検事,1930 年 12 月に千葉区裁判所検事,
1933 年 7 月横浜区裁判所検事,1936 年 7 月に東京刑事地方裁判所検事,1937 年 2 月に新潟区裁判所検事,1938 年 7 月に水戸区裁判所検事に任じられた。『職 員録』によると,鷲山はその後足利区裁判所検事(1940 年 8 月 15 日時点・1941 年 8 月 15 日時点)を務めていたことが確認出来る。
その後,『職員録』の南洋庁関係者には鷲山の名前が出てこないが,1942 年 5 月 19 日に南洋庁法院検事だった鷲山が病気により危篤となり,翌日死亡し た旨が記録されていることから⎝₈₁⎠,南洋庁での任用期間は短かったものと思わ れる。
以上,南洋庁法院に任用されたことが確認出来る,判事及び検事の情報を中 心に紹介した。こうした判事及び検事たちが南洋庁法院で従事していた活動に ついては,章を改めて見てゆくことにする。
註
( 1 ) 「ポナペ」とは,現在のミクロネシア連邦にある島であり,現在は「ポンペイ島」
或いは「ポーンペイ島」と表記されることが多い。本稿では,原文の「ポナペ」
という表記を用いることとする。
( 2 ) 山崎丹照『外地統治機構の研究』高山書院,1943 年,1-2 頁。清宮四郎『外地 法序説』有斐閣,1944 年,3 頁。
( 3 ) 南洋群島の司法制度史に焦点をあてた主要先行研究として,片木晴彦「日本の 委任統治下におけるミクロネシアの法制度」畑博行編『南太平洋諸国の法と社会』
有信堂,1992 年,151-163 頁,及び,永田憲史「南洋群島の刑事司法制度」『関西 大学法学論集』第 61 巻第 4 号,2011 年,1-19 頁,が挙げられる。また近年の研 究には,小野博司「海軍占領期南洋群島の法概論」『神戸法学雑誌』第 68 巻第 3 号,
2018 年,37-101 頁, が あ る。 英 文 の も の で は,The Northern Mariana Islands
Judiciary: A Historical Overview, Northern Marianas Judiciary Historical Society,
2011.がある。さらに,南洋群島も含めた外地と称された裁判所の判例の比較分析を試みたも のとして,七戸克彦「旧・外地裁判所判例の今日的意義・序論―活きている台湾 高等法院・関東高等法院・朝鮮高等法院判決」『法政研究』第 79 巻第 3 号,2012 年,195-273 頁,がある。
( 4 ) 終戦直後,軍の命令により多くの書類や公文書が焼却されたという。徳見光三
「ポナペ島の思い出」『思い出の南洋群島』南洋群島協会,1965 年,186-188 頁。
( 5 ) 通史的なものとして,須藤健一「ミクロネシア史」山本真鳥編『オセアニア史』
山川出版,2000 年,314-349 頁を,また日本との関係性に焦点をあてたものとし て,石森大知・丹羽典生編著『太平洋諸島の歴史を知るための 60 章―日本との かかわり』明石書店,2019 年,を参照されたい。
その他,日本語文献としては,高岡熊雄『ドイツ内南洋統治史論』日本学術振 興会,1954 年,等松春夫『日本帝国と委任統治 南洋群島をめぐる国際政治 1914-1947』名古屋大学出版会,2011 年,等がある。外国語文献としては,Mark
R. Peattie, NanʼYo: The Rise and Fall of the Japanese in Micronesia, 1885-1945, University of Hawaii Press, 1988 ., Lin Poyer, Suzanne Falgout, Laurence Marshall Carucci, The Typhoon of War: Micronesian Experiences of the Pacific War, University of Hawaiʼi Press, 2001., Dirk H.R. Spennemann, Edge of empire: The German Colonial Period in the Mariana Islands 1899-1914, Retro/spect, 2007.
等がある。( 6 ) かつては「トラック」と表記されていた。以下,当時の表記であった「トラック」
を用いることとする。
( 7 ) 橋本保『日本の南洋群島』[第3版]協立社,1936 年,248 頁。
( 8 ) 当該地図は,外務省条約局法規課編『委任統治領南洋群島 前編』(「外地法制誌」
第五部)外務省条約局法規課,1962 年内に所収されている。尚,本書及び本書の 288
後編(1963 年刊行)は,外務省編『外地法制誌』第 10 巻・第 11 巻,文生書院,
1990 年,に復刻版として収録されている。
( 9 ) 『臨時南洋群島防備隊公報』第 31 号,1915 年。
尚,南洋群島における軍政期の司法制度やその実態については,前掲(註 3)小 野「海軍占領期南洋群島の法概論」にて詳細に論じられている。
また,我部政明「日本のミクロネシア占領と南進(一)・(二・完)―軍政期(一九一四 年から一九二二年)を中心として―」『法学研究』第 55 巻第 7 号・第 8 号,1982 年,
70-89 頁・67-87 頁,及び,今泉裕美子「南洋群島委任統治政策の形成」大江志 乃夫他編『近代日本と植民地 4 統合と支配の論理』岩波書店,1993 年,51-81 頁,も併せて参照されたい。
(10) 第一審の裁判所はヤップ・ヤルート・サイパンの 3 カ所に設けられ,第二審の 裁判所はヤップに置かれた。1907 年にはサイパンの裁判所は廃止となり,ヤップ の裁判所に管轄が併合された。前掲(註 8)『委任統治領南洋群島 前編』129 頁。
(11) 南洋群島刑事民事裁判令は 1919 年に改正され(南洋群島民政令第 3 号),裁判官 は第一審が各民政署長,第二審が防備隊民政部事務官 2 名が務めることとなった。
『臨時南洋群島防備隊民政部公報』大正 8 年第 1 号,1919 年。淺見登郎『日本植 民地統治論』[再版]巖松堂書店,1929 年,217 頁。
(12) 法令については,前掲(註 8)『委任統治領南洋群島』の他,南洋庁編『南洋庁 法令類聚』帝国地方行政学会,1928 年,及び今泉裕美子監修・辻原万規彦編『南 洋庁公報』ゆまに書房,2009 年,も併せて参照した。
(13) 1923 年に定められた「南洋庁法院ノ名称,位置及管轄区域」(南洋庁令第 1 号)
に基づく。
尚,1943 年 11 月には 6 支庁が廃止され,3 支庁に統合された。これに伴い,
サイパン支庁管内は南洋庁北部支庁管内に,パラオ支庁管内・ヤップ支庁管内は 南洋庁西部支庁管内に,ポナペ支庁管内・トラック支庁管内・ヤルート支庁管内 は南洋庁東部支庁管内に,各管轄内の名称が改められた。「南洋庁法院ノ名称位 置及管轄区域改正」(南洋庁令第 54 号)『南洋庁公報』号外,1943 年。
(14) 「南洋庁法院判事石川音次外四名補職ノ件」『大正十二年 任免 巻二十』。
(15) 表 1 及び表 2 は,『職員録』(印刷局),『職員録追録』(印刷局),『司法部職員録』
(法曹会)及び『南洋庁職員録』(南洋庁長官官房秘書課)を参考に作成した。
(16) 判事・検事の経歴については,帝国法曹大観編『帝国法曹大観』(帝国法曹大観,
1915 年),帝国法曹大観編『帝国法曹大観 改訂・増補』(帝国法曹大観,1922 年), 帝国法曹大観編『帝国法曹大観 改訂三版』(帝国法曹大観,1929 年),大日本法曹 大観編纂会編『大日本法曹大観』(国民社,1936 年),大日本司法大観編纂所編『大 日本司法大観』(大日本司法大觀編纂所,1940 年)を基本資料として用いた。尚,こ
れらの書籍は『日本法曹界人物事典 第 1 巻―第 5 巻 司法篇』(ゆまに書房,
1995 年),として復刻版が刊行されている。
また上記の書籍と併せて,前掲(註 15)『職員録』も適宜参照した。
(17) 安倍の経歴については,野村正男『法窓風雲録 あの人この人訪問記』(下巻), 朝日新聞社,1966 年,189-202 頁,も参照した。
(18) 前掲(註 16)『帝国法曹大観』では,石川県金沢市の生まれとなっているが,国 立公文書館に所蔵されている「南洋庁法院判事石川音次外一名職務並俸給下賜ノ 件」(『大正十一年 任免 巻四十三』)内の履歴書の写しによると,原籍地が石川県 金沢市となっており,出生地は千葉県となっている。
(19) 「南洋法院判事石川音次休職ノ件」『大正十三年 任免 巻六十五』。
(20) 「朝鮮総督府専売局属竹下克明外八名任免並官等陞叙ノ件 台湾総督府医学専 門学校教授川口武男官等陞叙並免官,関東庁高等女学校教諭兼同庁中学校教諭伊 藤滋雄免官,南洋庁法院判事石川音次免官,判事今泉源吉外一名免官」『大正 十四年 任免 巻二十一』。
(21) 「判事石川音次奏任文官俸給制限外下賜ノ件」『昭和九年 公文雑纂 巻 三十五』。『朝日新聞』1926 年 5 月 1 日。
(22) 前掲(註 21)「判事石川音次奏任文官俸給制限外下賜ノ件」。
(23) 1941 年 4 月 9 日に入港した郵船南洋航路近江丸に,石川が乗船して帰国してい る旨が報道されている。「南洋から近江丸」『朝日新聞』1941 年 4 月 10 日。
(24) 「検事内田保次外三名任免ノ件 大阪府技手久木宣外二名任免」『大正十四年 任免 巻四十八』。台湾総督府編『台湾総督府及所属官署職員録』台湾時報,
1926 年・1927 年,88 頁・92 頁。
(25) 前掲(註 24)『台湾総督府及所属官署職員録』1928 年・1929 年,93 頁・96 頁。
(26) 「検事内田保次外二名南洋庁法院検事等任免ノ件 拓務事務官黒部潔免官,台 湾公立実業学校教諭鈴木譲免官」『昭和十七年 任免 巻一六三』。
(27) 「故南洋庁法院検事内田保次位階追陞ノ件」『昭和二十年 叙位 臨時叙位 巻 三十二』。「南洋庁法院検事内田保次外一名官等陞叙ノ件」『昭和二十年 任免 巻二百四十二』。「南洋庁法院検事内田保次日附変更の件」『昭和二十二年 叙位 巻十三』。「南洋庁法院検事内田保次官等陞叙日附変更の件」『昭和二十二年 任免 巻八』。
(28) 「判事内山秀吉外二名任免ノ件 営林局技師兼林業試験場技師杉浦庸一免本官 専任林業試験場技師」『昭和十年 任免 巻四十五』。
(29) 江崎政行「出発に際しての挨拶」『自動車及交通運輸』第 5 巻第 8 号,1922 年,
34 頁。
その当時の江崎の著作として,「自動車事故被害者の無法なる要求に就いて―
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本邦自動車事故今後増加の虞れなきか―」『自動車及交通運輸』第 4 巻第 7 号,
1921 年,40-42 頁,及び「「自動車事故」に就て」『自動車及交通運輸』第 4 巻第 10 号,1921 年,42-45 頁,がある。
(30) 『朝日新聞』1943 年 7 月 3 日。
尚,江崎の経歴については,校友調査会編『帝国大学出身名鑑』[再版]校友 調査会,1934 年,エ之部 4-5 頁,にも掲載されている。
(31) 大野の経歴については,前掲(註 30)『帝国大学出身名鑑』オ之部 76 頁,及び帝 国大学学友会編『帝国大学大観』帝国大学学友会,1939 年,学士名鑑 141 頁,に も掲載されている。
(32) 「逓信局技手内山八郎外三名任免ノ件 判事大野璋五外一名南洋庁法院判官兼 任免,台湾総督府交通局技手池田雄之進任官」『昭和十二年 任免 巻三』。
(33) 『朝日新聞』1958 年 7 月 23 日・1985 年 7 月 17 日。『読売新聞』1967 年 4 月 29 日・1985 年 7 月 17 日。
(34) 大森が富山地方裁判所判事を務めていた時期に,富山県下における地主と小作 に関する調査研究の成果をまとめた,『加賀藩の農政一般と富山県下に於ける特 殊小作慣行』(名古屋控訴院,1932 年)が刊行されている。
(35) 「判事大森戒三外二名南洋庁法院判事等任免ノ件 南洋庁法院判事奥野彦六郎 任官」『昭和十六年 任免 巻百二十五』。
(36) 「鳥取農林専門学校長岡村精次外十四名任免官等陞叙並職務ノ件 大使館参事 官西村熊雄任官並職務,判事寺島祐一官等陞叙,行政裁判所評定官堀五之介官等 陞叙,特命全権公使柳井恒夫任官,南洋庁法院判事大森戒三官等陞叙」『昭和 十九年 任免 巻二百六十一』。「故南洋庁法院判事大森戒三位階追陛の件」『昭 和十九年 叙位臨時叙位 巻四十八』。
(37) 卒業名簿にも奥津の名前が確認出来る。法政大学校友名鑑刊行会編『法政大学 校友名鑑』法政大学校友名鑑刊行会,1941 年,107 頁。
(38) 「海軍法務官試補高頼治外二名任官ノ件 判事奥津一郎外一名任官」『大正十一 年 任免 巻四十四』。
尚,南洋庁法院判事に任用されるに当たり,奥津の詳細な履歴書の写しが残さ れている。前掲(註 18)「南洋庁法院判事石川音次外一名職務並俸給下賜ノ件」。
(39) 「南洋庁法院判官奥津一郎叙位ノ件」『昭和三年 叙位 巻三』。「南洋庁法院判 事奥津一郎官等陞叙ノ件」及び「南洋庁法院判事奥津一郎俸給ノ件」『昭和三年 任免 巻五』。
(40) 「朝鮮総督府平安南道技手大場俊雄外五名任免ノ件 台湾総督府庁技手宮之原 好友外一名任免,南洋庁法院判事牧野三好外一名任免」『昭和十一年 任免 巻 九十八』。
(41) 奥野彦六郎『沖縄の人事法制史』至言社,1977 年。
尚,奥野が那覇地方裁判所判事を務めていた際の様子を記したものとして,島 袋全章「沖縄法制史研究の権威―奥野彦六郎氏を偲ぶ―」『沖縄文化』第 29 巻第 1・2 合併号,1994 年,212-219 頁,がある。
(42) 同稿は,1938 年 7 月 17 日の船中にて行われた講演集の記録と思われる。
(43) 卒業名簿にも桑原の名前が確認出来る。京都帝国大学編『京都帝国大学卒業生 名簿』京都帝国大学,1936 年,28 頁。
(44) 桑原が 1923 年 9 月 1 日に発生した関東大震災にて,横浜地方裁判所での被災 状況を記録したものが残されている。桑原龍興「遭難記」横浜地方裁判所編『横 浜地方裁判所震災略記』横浜地方裁判所,1935 年,91-93 頁。
(45) 「判事陸軍歩兵少尉桑原竜興外四名任免ノ件 農林技師千代間光二任官,北海 道帝国大学助教授沢田平十郎任官,朝鮮公立実業学校教諭前田潔任官」『昭和九 年 任免 巻七』。
(46) 「中山広吉外二十八名逓信院技師等任免並官等陞叙ノ件 海軍中将三戸寿外一 名任免,桐原葆見外十八名教育研修所員等任免並官等陞叙,九州帝国大学教授盛 永俊太郎兼任,地方鉱山局技師三井経光任官,判事桑原竜興官等陞叙,地方技師 松井佳一官等陞叙並免官,海技専門学院長苔口良治官等陞叙,国立結核療養所医 官兼熊本医科大学助教授本郷孝久任官」『昭和二十年 任免 巻二百二十一』。「元 逓信院技師山田守外九名特旨叙位の件 元関東信越地方副総監本間正外一名,退 職判事桑原竜興,元営林局技師平岡保外一名,元鉄道監星野茂樹外三名」『昭和 二十年 臨時叙位 巻二十九』。
(47) 『毎日新聞』1965 年 1 月 18 日。
(48) 高橋の出生年月日及び出生地につき,前掲(註 16)『帝国法曹大観』では,1892 年 1 月 2 日東京生まれとなっているが,「故高橋静一先生略歴」(『東洋大学』第 4 巻第 2 号,1961 年)によると,1892 年 1 月 2 日静岡県に生まれたことになっている。
一方,国立公文書館に所蔵されている履歴書の写しによると,本籍地が東京,
出生地が静岡県静岡市となっている。但し,こちらでは出生年月日が 1892 年 1 月 6 日となっている。「元判事高橋静一外五名叙位及び特旨叙位について」『昭和 三十四年 内閣人事公文 叙位一七 一〇月,一一月 第十七巻』。
(49) 「陸軍航空兵少佐下山俊作外八名航空局航空官等任免ノ件 台湾公立実業学校 教諭飯島新太郎外四名任免,農林技師西垣喜代次兼任,判事高橋静一外一名南洋 庁法院判事任免」『昭和十三年 任免 巻六十八』。
(50) 『朝日新聞』1959 年 10 月 5 日。
(51) 日本大学校友会会員名簿にも谷井の名前が確認出来る。『日本大学校友会々員 名簿』日本大学校友会,1919 年,154 頁。
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(52) 「判事谷井辰蔵兼任ノ件」『昭和七年 任免 巻六十六』。
(53) 「退職判事谷井辰蔵外一名叙位ノ件 元商工技師平野久保」『昭和十三年 叙位 巻九』。
(54) 「商工技手萩原俊郎外十六名任官並更任ノ件 領事勝野康助任官,関東局属関 東局警部下地精俊外一名任免,判事中村恭三兼任」『昭和十八年 任免 巻 一七六』。
(55) 「故判事中村恭三外一名位階追陞ノ件」『昭和二十一年 叙位 臨時叙位 巻 一〇』。
(56) ライプツィッヒ大学では,労働法学者の
Erwin Jacobi
に師事した。石井保雄『わ が国労働法学の史的展開』信山社,2018 年,47 頁。尚,ライプツィッヒ大学への留学時代に,中村が書き記した手紙が『法学新報』
に転載されている。「独逸法学界近況」『法学新報』第 32 巻第 8 号,1922 年,
140-148 頁。
(57) 「台湾総督府翻訳官越村長次外五名官等陞叙並任免ノ件 朝鮮総督府獣疫血清 製造所技師今井信実免官,判事中村武外一名南洋庁法院判事任免」『昭和十四年 任免 巻百九十六』。
(58) 前掲(註 35)「判事大森戒三外二名南洋庁法院判事等任免ノ件 南洋庁法院判事 奥野彦六郎任官」。
(59) 「地方鉱山局技師千葉福寿外十二名軍需省軍需監理官等任免ノ件 奥田直一外 一名大東亜省調査官等任官,南洋庁法院判事中村武外二名免官」『昭和十九年 任免 巻二百三』。
(60) 中村の経歴については,横井芳弘他編『彩光 中村武先生の思い出』酒井書店,
1991 年,305-306 頁,も参照した。
(61) 「判事陸軍歩兵伍長牧野三好任官ノ件」『昭和三年 任免 巻二十七』。
(62) 「南洋庁法院判事牧野三好俸給並補職ノ件」『昭和三年 任免 巻二十七』。
(63) 前掲(註 40)「朝鮮総督府平安南道技手大場俊雄外五名任免ノ件 台湾総督府庁 技手宮之原好友外一名任免,南洋庁法院判事牧野三好外一名任免」。
(64) 「満洲国司法部関係職員ニ現職者割愛方ノ件」『昭和十一年 陸満密綴 第十二 号』。
『満洲国官吏録』(国務院総務庁人事処)にも,康徳 4 年(1937 年)4 月 1 日時点で 牧野が満洲国司法部法院審判官斉斉哈爾地方法院次長の役職にあったことが記さ れている。
(65) 卒業名簿にも松野の名前が確認出来る。前掲(註 43)『京都帝国大学卒業生名簿』
3 頁。
(66) 宣統 3 年 7 月 30 日(明治 44 年(1911 年)9 月 23 日)までの期限での雇用契約を
締結していた。当時の月俸は銀 350 元であった。外務省政務局第一課編纂『清国 傭聘本邦人名表』1910 年,19 頁。
尚,松野が清国へと渡る模様は当時の新聞でも報道されている。「松野判事渡清」
『朝日新聞』1909 年 10 月 16 日。
(67) 「清国政府応聘中ノ判事松野祐裔応聘継続締約ノ件」『明治四十四年 公文雑纂 司法省・文部省・農商務省 巻十五』。「支那政府応聘中ノ判事松野祐裔応聘継 続締約ノ件」『大正三年 公文雑纂 司法省・文部省 巻十五』。
(68) 「済南府ニ帝国郵便事務開始ニ関スル件」『清国ニ帝国郵便局開設関係雑件 第 二ノ一巻』。
(69) 松野の経歴については,木村清吉編『房総人物名鑑』出版社不明,1912 年,39 頁,及び前掲(註 30)『帝国大学出身名鑑』マ之部 55 頁,にも掲載されている。
(70) 「南洋庁法院判事松野祐裔補職ノ件」『大正十三 任免 巻七十』。
(71) 「初めての南洋へ 新しい高等法院長として赴任 昨夕出発の松野氏抱負を語 る」『朝日新聞』1922 年 6 月 8 日。
(72) 「南洋庁法院判事松野祐裔任官ノ件」『昭和八年 任免 巻八十七』。
(73) この頃の業績として,『仏国民事訴訟法改正草案』(司法省調査課,1936 年)が出 版されている。当該著作は 1933 年 6 月 7 日フランス弁護士協会により採択され た,フランス民事訴訟法の改正草案の翻訳である。『仏国民事訴訟法改正草案』(司 法資料第 209 号)司法省調査課,1936 年。
(74) 「判事松野祐裔賞与ノ件」『昭和十五年 公文雑纂 巻一〇』。
(75) 柳田の経歴については,前掲(註 30)『帝国大学出身名鑑』ヤ之部 27 頁,にも 掲載されている。
(76) 「南洋庁法院判事柳田太郎職務ノ件」『大正十一年 任免 巻三十七』。
(77) 前掲(註 24)『台湾総督府及所属官署職員録』1928 年・1929 年・1930 年,98 頁・
102 頁・145 頁。
(78) 「外務書記生中野了義外六名任免ノ件 台湾総督府法院検察官陸軍歩兵少尉吉 永広衛任官,朝鮮総督府水原高等農林学校助教授兼朝鮮総督府林業試験場技師山 林暹外四名任官」『昭和六年 任免 巻四十六』。
(79) 前掲(註 59)「地方鉱山局技師千葉福寿外十二名軍需省軍需監理官等任免ノ件 奥田直一外一名大東亜省調査官等任官,南洋庁法院判事中村武外二名免官」。
(80) 「簡易裁判所判事吉永廣衛外十一名判事等に兼ねて命免の件」『昭和三十二年 内閣人事公文 任免 四等級以上四 第十四巻』。
(81) 「南洋庁法院検事鷲山半之助任官ノ件」『昭和十七年 任免 巻九十七』。「故検 事鷲山半之助位階追陞ノ件」『昭和十七年 叙位 巻四三』。
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