長崎大学教育学部人文科学研究報告 第五十二号 一二〜三三︵一九九六︶
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説
︱小小説創作状況のスケッチ﹂
渡
邊
晴
夫
Ling Dingnian : Developing Short Stories
︱A Sketch of Short Story Writing
Haruo WATANABE
本稿は︑中国の小小説作家凌鼎年の﹁方興未英的小小説 ハ小
説創作活動掃描﹂という評論の翻訳である︒この評論は︑一九九四
年十二月二十七日一二十九日シンガポール国立大学で開催された首
届世界華文微粉小説研討會で発表された︒帰国後妻鼎年は大巾に手
を入れた改訂稿を筆者宛に送ってくれた︒中国の小小説︵微細小説︶
について未知の情報を豊富に含んだ評論なので︑機会を見て紹介し
たいと考えていた︒十月の中国旅行の際に上海で凌鼎年と会い︑さ
らに改訂整理された同評論を掲載した﹃天津文学﹄七月号を贈られ
た︒以前に訳してあったものを同誌のテキストとつき合せて整理し︑
発表することにした︒ ︹翻訳︺発展のさなかにある小小説
i小小説創作状況のスケッチ
海外でこう予測した人がある︒即ち︑二十︸世紀の文壇ぼ小小説
が流行する世紀となるだろう︑と︒この言葉が偏頗であるか武断に
過ぎるかはともかくとして︑小小説という形式が今まさに台頭中で︑
ますます多くの読者に歓迎されていることは︑誰にも否定できない
事実である︒
忌忍なく言えば︑現在の文壇で純文学はおしなべて景気がよくな
いが︑小小説︵微型小説とも言う︶はひとり気を吐き︑盛んな生命
力を示している︒たとえば河南省鄭州市の﹃小小説選刊﹄は︑一九
渡 邊 晴 夫一三
九四年に発行部数が二十万部の大台を突破した︒九五年に月刊から
半月刊になってからも︑予約購読数は減らず︑一冊の雑誌が二冊に
ふえたのと同じになっている︒現在毎月の発行部数はほぼ四〇万部
で︑全国の純文学雑誌の首位を占めている︒しかも発行部数は上昇
の傾向を示していて︑その展望は人を鼓舞するものがある︒たとえ
ば江西省南昌市の﹃微型小説選刊﹄は︑九四年に双月刊を月刊にし
てからも︑予約購読数は下落せず︑九五年には一入万部余りの発行
部数に達している︒天津の急激﹃小説月報﹄は以前は短篇と中篇だ
け選んで載せていたが︑九三年から微型小説の欄を設け︑コン
クールの際は微型小説も対象範囲に入れている︒九三年末に創刊さ
れた﹃中国文学﹄︵中国語版︶は︑最初から小小説作品の欄を設
けたが︑どうやら一つの欄として定まったようである︒﹃新華文摘﹄
のような大型の総合的ダイジェスト雑誌も︑小小説のためにその場
を提供している︒販路の広い﹃読者﹄も︑しばしば内外の小小説の
名作︑佳作を載せている︒ここ数年の文壇を見わたすと︑各種の文
学形式の作品募集の中で︑最も盛んなのは小小説︵微型小説︶のそ
れである︒作品募集の頻繁さ︑コンクール参加人数の多さ︑コンクー
ルへの参加範囲の広さ︑どの点から見ても他の文学形式は比べもの
にならない︒これらのすべてが明らかにしているのは︑小小説とい
う形式は今︑日の当っている形式で︑大きな読者層をもち︑力強い
生命力を示していて︑ますます人々に重視され︑親しまれようとし
ているということである︒﹃小小説選刊﹄︑﹃二型小説選刊﹄︑﹃小説界﹄
﹃天津文学﹄︑中国微型小説学会︑金陵微型小説学会によって見出さ
れ︑育てられ︑もり立てられ︑紹介されて︑数多くの小小説作家が
次第に成長しており︑独自の小小説作家群が形成されはじめている︑ と言うことが出来るだろう︒世界の注目を集めている︒ この作家群は世界の中国語による小小
﹇︑小小説創作の歴史的回顧
小小説という形式がさかんになったのは︑この十年来のことであ
るが︑歴史をさかのぼればこの形式は実は昔から存在した︒最も古
い源は﹃山海経﹄までたどることができ︑以後の先秦の寓言︑六朝
の志怪小説︑唐宋の仏教文学︑明清の筆記小説などすべての中に小
小説の姿がある︒少し具体的に言えば︑晋の干宝の﹃捜神記﹄︑南朝
劉蝋燭の﹃世説新語﹄などはすべて小小説の佳作であり︑﹃戦国
策﹄︑﹃荘子﹄︑﹃孟子﹄︑﹃呂氏春秋﹄等の著作の中にさえ雛型がある︒
例えば﹁守株待免﹂︑﹁刻舟求剣﹂︑﹁抜苗助長﹂︑﹁杯弓蛇影﹂︑﹁掩耳盗
鈴﹂などのような多くの成語故事は︑すでに小小説の基本的要素を
そなえており︑これに名づけて古代の小小説としてもよい︑と考え
る︒罪代の蒲松齢の﹃柳斎志異﹄になれば︑かなり明確になる︒あ
の柳箸の話には人物︑ストーリーがあり︑短くひき締っていて︑話
はぴたりと決まり︑読めば味わいがあって︑笑いを誘う︒ただ昔は
玉門の名称を与える者はなく︑形式を分類して性質を明らかにする
者もなく︑ましてやこの形式を專ら提唱する者もなかったので︑自
ずから生じ自ずから成長したに過ぎなかった︒
二十世紀のはじめ︑呉研人︑包天笑などが小小説を書いた︒民国
初年には周痩鴫︑憧鉄樵などの作家も小小説を書いたが︑作品は多
くはない︒当時の新聞雑誌に散見されるが︑まだ三門の選集も出版
されていない︒
範囲を拡げて見ると︑近代の中国の小小説は日本の影響を受けて
いる︒かつて日本の川端康成などが小小説を書くことを提唱した︒
とくに一九三〇年代には日本の左翼作家小林多喜二︑徳永直などは 壁小説を書くことを提唱した︒この影響を受けて︑わが中国では
これを田頭小説︵壁小説︶と呼んだ︒培頭小説であるから︑当然
長さは比較的短く︑宣伝的傾向を帯びていた︒当時︑丁玲︑孫翠等
がこの類の小説を書いた︒
もし早い時期の新聞雑誌を見る機会があれば︑五・四以後魯
迅︑郭沫若︑面詰叔︑郁達夫︑泳平等の著名な作家がいずれも千字
足らずの精短小説を書いているのを発見できるだろう︒左筆の時期︑
茅盾︑老舎︑沈従文︑戚克家︑葉紫︑鞘堂慈︑斬上等はみな小小
的短篇︵短い短篇︶︑培頭小説を書いた︒公平に見て︑当時小小
説という形式に類似した作品が現れた︑としか言えないであろう︒
当時一つの新しい形式が芽生え︑出現しているのに気づいた作家も
編集者もいなかったし︑この形式をもっぱら研究する理論家もいな
かったようである︒
小小説を一つの形式と見なして提唱したのは︑﹃天津文学﹄の前身
の雑誌﹃新港﹄である︑と認めなくてはなるまい︒五〇年代に文学
月刊﹃新港﹄は積極的に小小説を提唱した︒それを証明する文献が
ある︒即ち老年は﹁陸墨小小説﹂︵﹁小小説をたくさん書こう﹂︶を書
き︑茅盾は=鳴驚人的小小説﹂︵﹁現れてたちまち名を轟かせた小小
説﹂︶などの文章を書いて︑小小説を十分肯定し称揚して︑多くの人々
に新しい時代のために大いに小小説を創作することを呼びかけた︒
一代の大文学者巴金も当時みずかち筆をとって小小説を書いている︒
このような雰囲気の中で数多くの小小説が現れた︒万国儒︑申躍中 など一群の作家がひとしきりもてはやされ︑文壇もしばらくの間小小説によって賑わったが︑歴史的な原因と作品そのもののもつ理る種の限界によって︑歴史と文壇に認められる有名な作家︑有名な作品を生み出すことが出来ず︑文壇に連鎖的反応をひき起すには至らなかった︒これはもちろん残念なことだったが︑客観的に見て︑究局的には後の小小説の台頭のための種をまいた︑と言えるだろう︒ 小小説にとって六〇年代︑七〇年代は結氷期にあたり︑真の盛況は入○年代から始まる︒ 時期によって区分すれば︑小小説の真の台頭は八○年代から始まった︑と考えられる︒ 一九入一年上海の﹃小説界﹄が最初に微型小説という名称を決め︑微型小説という欄を開設したが︑これは当時の大型雑誌においては︑全国で最初のことだった︒ 一九入二年十月︑鄭州の﹃百花園﹄は文革後全国ではじめての小小説作品特集号を編集発行して︑全国でかなり早い時期に小小説を唱導した文学雑誌の一つとなった︒ 一九入四年﹃中国微型小説選刊﹄が江西省南昌市で創刊された︵後
﹃微型小説選出﹄と改題︶︒
一九八五年﹃小小説選刊﹄が河南省鄭州市で創刊された︒この時
から中国大陸で﹃小小説選刊﹄︑﹃百花園﹄を陣地とするもう一つの中
心が形成された︒
一九入五年︑中国新聞出版社は十巻本の﹃一九八四年中国小説年
鑑﹄を出版した︒この十巻本を読んだ人は多くないかもしれないが︑
小小説の発展の歴史では︑特別の意義をもつものである︒許世傑の
選と編集になる微型小説がはじめて独立した形式と見なされて︑一
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説一小小説創作状況のスケッチ﹂
二三
渡 邊 晴 夫二四
巻にまとめられた︒即ち︑文壇でその時から微型小説は︑おのずか
ら一つの形式を成す文学の新しい形式であると承認されたのである︒
一つの形式の台頭と発展は︑ふつう客観的歴史的条件のほかに︑
さらに提唱する人︵即ち組織者︶とたくさんの実践者︵即ち作家︶
が︑そのために力をつくし︑甘んじて礎となることが必要である︒
十数年前︑どれだけの人が︑小小説が発展して今日のように盛ん
な状況を迎えることを予測しえただろうか︒小小説が一歩一歩進ん
できた道を振り返る時︑﹃小小説選刊﹄︑﹃微型小説選刊﹄︑﹃百花園小
小説世界﹄︑﹃小説界﹄︑﹃天津文学﹄等の雑誌とその編集者たちの唱導
の功労に感謝しなければならない︒また︑小小説の創作活動に熱心
な多数の組織者が︑全国と海外に散在している創作者と研究者を集
めて︑微型小説学会を成立させたことにも感謝しなければならない︒
正に多数の新聞雑誌の編集者と学会の構成貝の共同の努力があって︑
はじめて小小説の創作を八○年代から活発にし︑ますます多くの読
者のこの形式に対する愛好をかちとり︑創作界もこの文学の最年
小者︵何霊の言葉︶に注目せざるを得なくなり︑次第にこれを認
め︑受け入れ︑小小説をして長︑中︑短篇とともに小説の四大家族
の中に並列させるようになったのである︒
二︑小小説作家群
小小説という形式がわずか十年のうちにこのような規模にまで発
展できたのは︑多数の著名な老作家曲言︑林斤瀾︑注曾和︑王国︑
従維煕︑高悪声など︑中青年の著名作家傭偉才︑改心武︑蒋子龍︑
謳容︑買平凹︑史鉄生︑梁曉声︑陳建功︑劉震雲︑鄭万隆︑何立偉︑ 航鷹︑葉文玲︑陳国凱︑萢小忌︑畢淑敏などは︑量に多少はあるが︑相前後して小小説を書いた︒もちろんこういう人たちは︑飛び入りというか︑たまたま書いてみたに過ぎないが︑客観的に小小説の地位を高めるのに︑無視できない役割を果し︑小小説のために無形の後援をして︑小小説の知名度を拡げたのである︒ 中国大陸で今出版されている各種の小小説︵紅型小説︶のアンソ
ロジー︑及び各新聞雑誌に発表される小小説作品の統計と分析をも
とにして︑その名前の出る比率が比較的高く各新聞雑誌に転載され
たり︑選ばれたりして載る作品が比較的多く︑その作品がしばしば
賞をとり評価されている小小説の作者は二百名余りになる︒これら
の作家はほとんどみな業余作家であるが︑彼らは中国大陸の今の小
小説文壇の基本的な勢力となっている︒小小説の創作を愛好する業
余の作者と文学青年に至っては︑おそらく千︑万の単位で数えなけ
ればならないだろう︒
現在の中国大陸の小小説作家群の構成を見ると︑一定の実績があ
り︑名をあげ一家を成しているのは︑四十歳前後の︑働き盛りで︑
創作の盛期に入っている一群の中青年であり︑多くが省の作家協会
の会員である︒一定の知名度をもつ人に︑許行︑白小面︑生出清︑
劉国芳︑孫方友︑王奎山︑刑可︑呉金良︑沙電農︑沈祖連︑張記書︑
司玉笙︑謝志強︑曹徳権︑郡宝健︑文牧︑修祥明︑聖柄発︑縢剛︑
凌鼎年などがいる︒
その職業について言えば︑これらの作家の多くは︑文芸雑誌︑新
聞の副刊︑放送局︑テレビ局の編集者及び文意︑文化局︑群藝館︑
文化館などで文化的仕事にたずさわる職員であり︑そのほかにかな
りの数の教師︑役所や会社︑企業の書記︑秘書係がいる︒工場鉱山
及び農村の投稿者の大部分は︑小小説の愛好者である︒
性別で言うと︑一定の知名度のある女性の小小説作家は︑郭所︑
徐平︑王麗捧︑鹿穎潔︑張子影︑何蔚蔀︑馬月霞などのわずか数人
に過ぎない︒小小説文壇はほとんど男性が主導する世界であり︑現
今の中国大陸の文壇の女性優位︑男性不振の状況と鮮明な対比をな
している︒ところが台湾では小小説を書いて有名になった女性作家
は男性作家より多く︑海峡の両岸でのこの違いは︑興味深い現象で
ある︒ 近年︑小小説文壇に一群の新人が登場した︒︑例えば汝栄興︑鄭洪
傑︑中江︑徐習習︑陳武︑劉平︑掃墨︑展望︑城雷︑馬宝山︑脚立
新などは︑なかなか素晴らしいものをもっており︑新しい世代が古
い世代にとってかわる喜ぶべき状況をつくり出している︒
今日の小小説作家の中で長春の許行はみなに尊重されている老作
家である︒許老はかつて吉林省作家協会の副主席をつとめ︑詩集二
冊︑短篇小説集二冊を出版したことがある︒ここ数年︑小小説とい
う形式に関心をもち︑その力量には並々ならぬものがある︒その作
品﹁立正﹂︵﹁気をつけ﹂︶︑﹁二面条﹂︵﹁麺を打つ﹂︶などは︑たいへん
好評を博した︒その後は止まるところを知らず︑小小説文壇の代表
的な作家となっている︒すでに相ついで﹃野政塊﹄︑﹃苦渋的黄昏﹄︑
﹃情書曲﹄︑﹃癖馬小小説選評﹄などの小小呼集を出版し︑小小説文壇
の不老の松となっている︒藩陽の白小事は小小説文壇で最も早く名
をあげた作家で︑小小説と言えば白書票の名を思い出す筈である︒
彼は以前小小説創作の通信講座を担当したことがあり︑小小説創作
に対する熱意は高いものがあった︒この二年彼は他の形式の作品を
多く書くようになり︑小小説を書くことが少くなっているが︑彼の 小小説作品のレベルは比較的高く︑依然として評論界の注目を集めている︒小小説文壇で江蘇省太倉の置型年は︑出発はもっとも早い方ではなく︑入撰年頃から小小説の創作を主とするようになった︒この数年で二百万字余りの作品を発表し︑﹃盛年軽一次﹄︑﹃秘密﹄︑﹃水森森﹄等六冊の個人の選集を出版している︒その小小説作品は︑国内のコンクールで数十回賞をうけているほか︑アメリカ︑オーストラリア︑シンガポール︑マレ⁝シア︑タイ︑フィリピン︑インドネシア︑日本︑香港︑台湾等の国及び地域の刊行物にも次々に発表され︑海外でも一定の知名度をもっている︒小小説の文壇で最も意欲的な作家の一人である︒江西省撫州の劉国芳は名実相伴う小小説の專笹戸で︑全国各地の新聞雑誌を開けば︑大新聞︑大雑誌︑小新聞︑小雑誌を問わず︑ほとんど全てに劉国芳の小小説作品が載ったことがあり︑小小説作家の中のライティング・マシーンと言えるだろう︒彼もまた小小説作家としての自信を強くもち︑身心を創作に投入している作家である︒知りえたところによると︑彼の二冊目の小小説集の﹃黒瑚蝶﹄も近く出版されるとのことである︒江蘇省泰州の生曉清は︑﹃生曉清精興小説集﹄︑﹃二型小説佳篇賞析﹄︑﹃今夜零点地震﹄︑﹃幽黙小説選﹄等を出版しており︑小小説作家で理論的基礎のすぐれた︑比較的早く名をあげた作家である︒さまざまな原因から二年ほど鳴りをひそめていたが︑最近また再び世に出て︑小小説に再度とりくみはじめた︒河北省郡郡市の張記書は︑﹃怪夢﹄︑﹃酔夢﹄︑﹃春夢﹄︑を出版し︑﹃吊出﹄を編集して以後︑さらに小小説の編集者になることをめざして︑徒手空拳︑裸一貫から﹃小小説月報﹄を創刊した︒少からぬ小小説の佳作を世に送り︑また少からぬ小小
説の新人︑彼の言うところの第二代目の小小説作家を押し出した︒
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説 小小説創作状況のスケッチ﹂
霊
渡 邊 晴 夫二六
河南省の孫方友は中︑短篇小説を創作すると同時に︑小小説の創作
にも心を配っている︒その陳州シリーズの伝奇ものは︑非常に読者
に人気がある︒その作品は質においてすぐれ︑しばしば賞を獲得し
ている︒北京の呉金良は新聞社に移って副刊を編集するようになっ
て以後︑編集の余暇に愛する小小説を忘れず︑しばしば佳作を発表
している︒広西の嵩置の沈祖連は事業に乗り出て以後も︑金もうけ
と創作のどちらも支障を来たさずにやってのけ︑その三盆口小小
説シリーズの続篇を時々発表している︒彼は﹃蜜月第三天﹄︑﹃紛紅
色的信箋﹄︑﹃遜舞者﹄を出版した後︑さらに小小説選集を出そうとし
ている︒南京の蓄電農はその独特のユーモアによって小小説作家た
ちの中で別の一派をなしている︒漸江省余挑の謝志強は︑やる気十
分で︑後から来たものが上座に坐る勢いを示しており︑その作品は
数の上でも質の上でも人に期待させるものがある︒四川省自貢の曹
徳権はかくれた素質をもつ︑実力派の作家で︑その作品は味わえば
味うほど味が出るところがあり︑かつて続けて三度﹃小小説選刊﹄
の賞を得たが︑なかなか容易なことではない︒河南の王奎山はその
豊かな生活の基盤によって生活の原生の状態を描き︑その作品は堅
実で奥ゆきがある︒編集者の評価の高い作家である︒江蘇省江都の
縢剛はかつて北京大学の作家教室で学んだことがあり︑彼の思考法︑
価値観などは人と異っていて︑その作品は荒唐︑怪異な内容︑ブラッ
ク・ユーモア︑魔術的創作手法等々によって︑はっきりとした個人
的刻印を打たれている⁝⁝
現在の状況を見ると︑各省市の小小説の創作の発展はひどく不均
衡であり︑江蘇︑四川︑河南の小小説作家と小小説の業余愛好者は
比較的多い︒とくに江蘇省は基本的に一つの小小説作家群を形成し ており︑小小説集を出版している者だけでも︑凌鼎年︑生母清︑沙電農︑胡永其︑干畢生︑属土輝︑勝剛︑鄭洪傑︑徐全軍︑勇武︑張文宝︑劉放︑劉慶宝︑李波︑碧水︑萢継平︑楊祥玉︑葛玉董︑徐光燦︑羅平︑趙立源︑李柏蝦など二十数人にのぼる︒ 比較して言うと︑チベット︑青海などの省市の小小説創作の力はかなり弱く︑現在国内で出版されている各種の小小説選集にはチベットの小小説作品はごく僅かしか収められていない︒ どうもわからないのは︑北京︑天津︑上海等のいくつかの大都市は︑その他の文学形式の創作では人材がひしめいているのに︑ただ小小説の作家︑書き手が多くないことである︒実績のある小小説作家の多数は︑中小都市に居住している︒この現象は偶然なのか︑それとも必然性をもつものなのだろうか︒検討に値いすることである︒
三︑小小説の作品募集と世界華文微型小説大コンクール
八十年代以来中国大陸の新聞雑誌の各種の文学作品の募集は盛ん
であり︑長篇︑中篇︑短篇の募集︑散文︑詩歌︑雑文の募集がある
が︑各種の作品募集の中で︑小小説のそれはその最たるものである︒
一募集回数が多く︑コンクール参加人数も多く︑発表される応募
作品も多い︒地方的な︑地域的な小小説の作品募集は︑ほとんど毎
月のようにある︒規模と影響の比較的大きなものに上海の﹃小説界﹄
が︑入三年からおこなった第一回︑第二回の全国微型小説大コンクー
ルがある︒豊州の﹃百花園﹄︑﹃小小説選刊﹄は︑一九九一年以来つづ
けて四回の全国小小説作品募集大コンクールをおこなっている︒湖
北の﹃当代作家﹄も全国小小説大コンクールを四回実施している︒
一九八七年南京の﹃青春﹄は第一一中国営型紀実文腫大コンクール
をおこない︑王蒙等著名作家が作品募集に参加し︑受賞した︒﹃天津
文学﹄︑﹃青年作家﹄︑﹃西湖﹄︑﹃文学港﹄︑﹃蜀南文学﹄︑﹃厚作﹄︑﹃工人
日報﹄︑﹃中国青年報﹄︑﹃農民日報﹄﹃文学報﹄︑﹃解放日報﹄︑﹃北京晩
報﹄﹃新華日報﹄等の影響力をもつ多くの大新聞︑大雑誌が小小説コ
ンクールを挙行し︑多数のすぐれた作品を送り出し︑一群の小小説
作家を育てた︒
現在︑﹃悪習小説選刊﹄は︑一九九五年一月から年末まで第一回全
国微型小説募集大コンクールを行っている︒江蘇省の﹃新華日報﹄
も︑今双気負微型小説作品募集を挙行中である︒金陵微型小説
学会は﹃南京日報﹄と共同して一九九四年十二月から一九九五年五
月まで康吉爾杯昼型小説作品募集を行った︒河北省の﹃上州日
報﹄は亜龍杯全国小小説大コンクールを︑済南の﹃当代小説﹄
は小小説の賞のある作品募集を︑山東省の﹃文学世界﹄は宏祥杯
全国微型小説大コンクールを挙行中である︒
これまでの小小説作品募集の中で︑一九九三年五月一日から縛っ
た春蘭・世界華文微型小説大コンクール︑は建国以来規模の最も
大きな文学作品の募集活動であった︒この募集は︑中国微型小説学
会が呼びかけ︑シンガポール作家協会︑荷比声︵オランダ・ベルギー・
ルクセンブルグ︶華文作家協会︑香港作家聯合会及び春蘭︵集団︶
公司とともに主催した︒内外から共催者として参加した新聞雑誌は
非常に多数であった︒中国は﹃小説界﹄︑﹃萌芽﹄︑﹃文屡報﹄︑﹃解放日
報﹄︑﹃新民晩報﹄︑﹃労働報﹄︑﹃文学報﹄︑﹃上海僑報﹄︑﹃調質日報﹄︑
﹃人民警察﹄︑﹃芒種﹄︑﹃二型小説三崩﹄︑﹃小小説選刊﹄︑﹃百花園﹄︑﹃小
小説月報﹄︑﹃北京晩報﹄︑﹃野草﹄︑﹃羊城晩報﹄︑﹃福州晩報﹄︑﹃春城晩
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説一小小説創作状況のスケッチ﹂ 報﹄︑﹃海口重報﹄︑﹃南風晩報﹄︑﹃呼和浩特苦報﹄︑﹃新華日報﹄︑﹃洛陽日報﹄︑﹃鎭江日報﹄︑と上海文藝出版社などがあり︑海外はシンガポールの﹃聯合早報﹄︑﹃微型小説季刊﹄︑タイの﹃新中原報﹄︑アメリカの﹃中外三盆﹄等の数十の新聞雑誌があった︒この大コンクールは権威ある組織委員会を組織し︑徳が高く声望のある文壇の先輩聾心︑夏征農︑施二三︑薫乾などが顧問となり︑著名な老作家何塞がコンクール組織委員会主任となった︒また︑桐露︑江曾培︑凌巡見︑注曾誤︑孫顯︑女手文︵シンガポール︶︑司馬攻︵タイ︶などの著名作家が選者を担当した︒この作品募集は一年の時間をかけ︑シンガポール︑
マレーシア︑タイ︑香港︑マカオ︑台湾︑フィリピン︑インドネシ
ア︑ブルネイ︑オランダ︑ベルギー︑アメリカ等畳数の国と地域の
数万篇の作品を受けとった︒中国の﹃洛陽日報﹄だけでも一万二千
篇余りの作品を受けとり︑二百四十篇を掲載した︒このコンクール
で内外の参加新聞雑誌は︑合計二千篇余りの作品を選んで発表した︒
第一次の審査員が各国の新聞雑誌から送られてきた三百篇の受賞候
補作品から四十一篇の優秀作品を選び出し︑八人の最終審馴者に採
点︑評定がゆだねられた︒
一等は三点︑二等は二点︑三等は一点とした︒事前に決められた
規定によれば︑八名の審査委員の採点合計が十八点をこえて︑はじ
めて一等を受賞する資格を得ることが出来︑そうでなければ規準を
下げてまで数を満たすべきでない︑となっていた︒四十一篇の作品
で購入点をこえた作品は一篇もなかったため︑このコンクールの一
等賞は空席とし︑最終的にベルギーの章平︑シンガポールの連秀︑
中国の書芸生︑張焔鐸︑修西明︑沙葉新︑凌鼎年︑周鋭︑香港の杜
毅など九人の作家を二等賞に選び︑言行︑呉金良︑徐慧券︑王明義
二七
渡 邊 晴 夫
二八
とタイの陳大壷︑マレーシアの李国主など一四人が三等賞を獲得し
た︒ほかに中国の顧工︑韓石山︑白小易︑沈祖連︑謝志強︑劉連群︑
衰柄発︑林身開︑劉国芳︑汝栄興︑斐立新︑戴濤︑アメリカの王楡︑
オランダの池蓮子︑香港の酪賓路︑オーストラリアの愈力工︑マレー
シアの国︾肖事相OZO︑シンガポールの張揮︑南子︑彰躍建︑タイの
黎毅︑曾心︑曉雲︑詩寸など九十四人が奨励賞を得た︒審査後︑一
九九四年九月二十入日に上海の満山賓館で授賞大会とニュース発表
会がおこなわれた︒上海市の文学界︑新聞界︑出版界の関係指導者
と有名人士夏征農陳折︑卒園などとシンガポール作家協会照準孟
文博士とその夫人陳華淑︑オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ華
人創作学会会長林泪女史︑及び受賞者代表沙葉新など百貫余りがこ
の会に出席した︒このコンクールの規模の大きさ︑範囲の広さ︑参
加人数の多さは︑内外で広口な注目を集め︑世界各国の華文十型小
説の共通理解をはかること︑各国の華文微型小説の繁栄を促進する
ことに対して︑きわめて大きな働きをし︑その意義は大きい︒
四︑小小説作家会議︑研討会と作品討論会
中国の古代に﹁物は類を以ってあつまり︑人は群によって分れる﹂
という言葉があり︑現代になって﹁文人は分散しているのがよく︑
集まるのはよくない﹂という言葉があるが︑どう言うにせよ︑一つ
の形式の形成︑発展には︑何といっても交流︑切磋が必要である︒
最も早く︑また影響を与えた小小説の作家会議と研討会は︑多分
九〇年五月に︑﹃小小説離檀﹄︑﹃百花園﹄が中国河南省の大別山の温
泉で開いた第一回全国小小説作家会議及び理論研討会であろう︒ その時︑王保民︑楊弓敏︑李国主︑金鋭などの編集者は各地の数多くの作者の中から創作の潜在的素質をもち養成の見込みのある二十名の業余作者を選び出して︑一堂に集め︑会議を開き︑あわせて小小説に対する研究討論をおこなった︒王愚民は会に於て中国の新時期の第一代目の小小説作家たちを養成する構想を提案し︑参会者の賛同を得た︒この会議はその後の小小説の発展にきわめて大きな影響を与えた︒後に中国新時期の第一代の小小説作家という名誉を与えられた二十名の業余作者は︑その後の数年間にいずれも小小説の文壇で大いに腕を揮い︑本当に中国大陸の今日の小小説創作の中堅となった︒この二十名は近年あまり書いていない者を除き︑大部分の作家は創作をつづけ︑すぐれた作品を引きつづき書いて︑それぞれの創作の実績をもって小小説繁栄のために尽力している︒ 一九九二年五月︑凌鼎年がよびかけて︑江蘇省作家協会︑蘇州市作家協会の名義で︑江蘇省小小説創作研六会が開かれた︒著名な作家高曉声︑萢小青と省作家協会の人たち︑及び﹃小説界﹄︑﹃百花園﹄︑﹃小小説選刊﹄の編集者などが︑この研討会に参加した︒参加した小小説作家は︑凌鼎年︑生曉清︑沙脚註︑胡永其︑勝剛︑画伯生︑喩耀輝︑鄭洪傑︑張国志︑劉牧︑孫栄昌など十数名であった︒この会議は江蘇省の小小説作家群の形成を促進するのに一定の積極的意義をもった︒ 一九九三年九月末十月始めに郭迅︑凌宝島︑徐習軍が計画して︑金陵微量小説学会の名義で連運行に於いて連運港区秋作家会議を開いた︒凌換新教授及び全国十五の省の五十八名の作家︑業余作者がこの会議に参加した︒会議では凌換新教授︑三鼎年︑年記書が
それぞれ講演した︒全員が小小説の創作について歓談した︒
一九九五年一月目鄭州小小説学会が正式に成立し︑鄭州嵩山賓館
に於いて小小説理論研討会が開かれ︑﹃百花園﹄の刑可︑聖運義︑金
鋭︑﹃小小説選刊﹄の楊曉敏︑郭所︑王大凡︑﹃春風﹄の史佳麗︑﹃東
海﹄の飽文清︑﹃文学報﹄の徐春捧と小小説の有名作家︑興行︑孫方
友︑野里山︑生曉清︑劉国芳︑週期権︑墨白︑司玉総︑凌鼎年など
二十数名が研討会に参加した︒会議で小小説作家はすぐれた作品意
識をもつべきだという点について共通理解に達した︒
入十年代以来︑各地で作家作品討論会を開くことが︑次第に多く
なり︑長篇︑中篇︑短篇小説︑散文︑雑文︑詩歌︑報告文学︑紀実
文学などのさまざまな形式の作品討論会はすべて存在する︒比べて
みると︑小小説作品の討論会は稀である︒最も早い小小説作家作品
討論会は一九九〇年九月に太倉無文聯︑大倉市文才︑太倉市文藝理
論研究会が共同で開いた凌鼎年小小説作品討論会で︑﹃文学
報﹄︑﹃蘇州日報﹄などで報道された︒
一九九〇年十一月︑広西文聯と﹃小小説選刊﹄が共同で沈祖連
小小説創作研討会を開き︑﹃文藝報﹄︑﹃文学報﹄等で報道された︒
一九九二年八月︑吉林省作家協会︑﹃百花園﹄︑﹃小小説影画﹄と四
平申文聯などが共同で愚行小小説作品研討会を開き︑﹃文藝
報﹄︑﹃文学報﹄などが報道した︒
一九九四年五月︑江西省翠玉地区文聯は劉国芳小小説作品討論
会を開いた︒﹃江西日報﹄が報道した︒
一九九四年七月︑四川省奥歯市の二型小説学会は王孝謙墨型小
説作品討論会を開催し︑自魚市委員会宣伝部︑団委員会︑市文聯︑
﹃自尊日報﹄︑自貢放送局︑﹃雲南文学﹄︑﹃富順礼﹄などの関係方面の
指導者︑編集者と作家︑業余作者数十名が討論会に参加した︒
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説 小小説創作状況のスケッチ﹂ 一九九四年十月︑山東省の﹃青島文学﹄︑青島市現代文化研究会と
﹃小小筆下刊﹄は︑青島市で共同して泣訴明小小説創作討論会を
開催し︑﹃小小説選刊﹄︑﹃文学報﹄などが報道した︒
このほかに︑成都微型小説学会は︑楊東球と土平の微細小説作品
討論会を相ついで開催した︒爆口市は符浩勇小小説作品討論会を開
いた︒
五︑小小説の名称と字数の制限
小小説という形式は短く引き締っていて︑紙面に割りつけしやす
いので︑編集者と読者の双方に歓迎されている︒大部分の新聞が多
かれ少かれ小小説作品を載せており︑本当に百花斉放︑百家争鳴の
状態が出現している︒これはよいことと言うべきだが︑少し混乱も
出ている︒まず形式の名称の問題である︒完全な統計ではないが︑
小小説︑墨型小説︑精短小説︑袖珍小説︑極短篇︑一分鐘小説︑五
分鐘小説︑一袋姻小説︑弓袋小説︑迷祢小説︑焦点小説︑瞳孔小説︑
瞬間小説︑馬指小説︑背信息小説︑雄鳥短︑超微型︑一句話小説︑
掌上小説︑掌中小説︑掌篇小説︑微篇小説︑花辺小説︑千字小説︑
百字小説︑等々と︑いうとりどりである︒名分が正しくなければ︑
言葉にも堂々したところがない︑と懸る読者が指摘しているが︑い
まだに統︸するのが難しい︒しかし︑ここ数年の発展︑変化を経て︑
次第に比較的影響力のある二つの名称が形成されている︒一つは小
小説であり︑一つは微型小説である︒小小説という名称は︑欧米の
呼び方で︑英語から直訳されたもので︑老舎︑真昼などの大家が認
めている︒また︑鄭州の﹃小小説選刊﹄は︑発行部数が多く︑影響
二九
渡 邊 晴 夫三〇
力も大きく︑すでにかなりの読者を擁している︒しかし︑一部の人
たちは微型小説と呼ぶよう極力主張している︒九二年に上海で
成立した全国的な性質をもつ団体も︑中国線型小説学会といい︑た
いへん正統的な響きがある︒また各地で相ついで成立したか︑成立
しようとしている団体の多くが微型小説学会と呼ばれている︒將来
統一されて一つの名称となるのか︑それとも二つの呼び方が並存す
るのか︑どうやらこれはどちらかの呼び方にすればすむわけでもな
く︑行政的な手段で解決してよいものでもなく︑ただその発展に任
せるしかないようである︒現在の時点では北方の新聞雑誌は小小説
と呼ぶものが多く︑南方のそれは微意小説と呼ぶかたむきがある︒
小小説の字数の問題については︑角倉培を中心とする墨型小説派は︑
異型小説はふつう一千字を超えず︑多くて一千二百字と主張してい
る︒﹃小小説選刊﹄︑﹃百花園﹄は︑二千五百字以内の作品はすべて小
小説の範時に入れてよいと認めている︒九五年一月鄭州で開かれた
﹃小小説選刊﹄創刊十周年紀念の会合で︑編集長楊曉敏は各地の新聞
雑誌が作品を選んで発表している状況にもとづいて字数の制限を少
し修正して︑小小説の字数は一千五百字位が妥当である︑と認めた︒
これは九四年末シンガポールで開かれた忍事世界華文微型小説掃討
会での討論の結果と一致している︒各国の研究者と微型小説作家も
一千五百字というおおよその制限に賛成している︒
六︑小小説の個性
﹁文は人なり﹂という言葉は︑通常作家の個性と作品の個性が合致
していることを指す︒小小説は三篇︑五篇書いただけでは︑何か個 性を見出すのは難しいかもしれないが︑数十篇︑数百篇をまとめて読むと︑ふつう個性を発見できるものである︒たとえは孫方友の陳州シリーズは︑その特徴は珍しい人物珍らしい事件にあり︑作品の主人公が伝奇的色あいを帯びているか︑作品のストーリーそのものが伝奇的色合いをもっている︒つねに読者の見たことも聞いたこともない人物と事件で︑読者を引きつける力は極めて強い︑近年意欲十分な曹無権の少なからぬ作品も伝奇という同じ種類に属し︑作品の読ませる力はたいへん強い︒沈祖連の三盆ロシリーズは︑平凡な人物ありふれた出来事という範囲に入る︒書かれているのはすべて町のあちらこちらにいる︑向う三軒両隣の庶民である︒この種類の小小説は︑珍しい人珍しい事件のストーリーが波瀾に富んでいるのと異るが︑その題材が生活と現実に密着しているため︑読者に
一種の親近感︑自分と同じという感じを抱かせる︒凌華年の古い寺
町の恋愛シリーズは︑文化的含蓄をもつ小説と評論家に認められて
いる︒この種の小説には一定の文化的基礎がなければならず︑模倣
するのは容易ではない︒生曉清の作品はかなり強い思弁的傾向を帯
びており︑さしあたり哲理小説と呼ぶが︑興味津津たるものがある︒
沙電農の作品はユーモアを忘れない︒彼の文章はこっけい味があり︑
軽やかである︒彼はまた現代の小小説作家の中でもっとも形式の変
化に重きをおく一人で︑つねに他と違った構想でその題材を処理す
る︒近年頭角をあらわした謝必中もユーモアの名手である︒この種
のユーモアを帯びた小小説は︑読者に比較的人気があるが︑処理の
仕方が当を得ないと︑ユーモア小話の類に堕しかねない︒劉連群の
演劇生活を題材とした小小説も︑独自の風格を備えている︒舞台の
生活に不案内な作者は︑この題材を書く気があってもうまく書くの
は難しい︒小小説創作の中で︑現代派の手法で書いているのが縢剛
である︒彼の作品はしばしば題材も︑創作の手法も現代派である︒
彼の作品は他の小小説作家の作品と容易に見分けがっく︒王奎山の
筆は農村の生活を描くことが多いが︑特徴は生活のにおいが強く︑
郷土色豊かなところにある︒白小言は情緒を描く小説の名手で︑彼
は人物の一瞬の感情の変化をとらえるのが巧みである︒もし鋭敏な
観察力がなければ︑いい題材が目の前をさっと通りすぎてしまう可
能性もある︒劉国芳は現代の小小説作家の中で恋愛の題材を最も多
く書いている一人である︒彼の作品の主要人物はたいてい一人の男
と︼人の女︑或いは老人と若者である︒常用する手法は対話で︑彼
の文はなかなか流暢ですがすがしい︒彼の題材︑彼の創作手法の関
係からか︑劉国芳の小小説を模倣する文学青年が一番多い︒今どの
小小説作家が都市を題材とした書き手かを言うのは︑まだ難しいが︑
都市に題材をとった小小説は流行をリードする傾向を示している︒
七︑小小説創作の問題と展望
小小説創作の発展の傾向はひきつづきよくなることが予想される
が︑これは疑うべくもないことである︒しかし︑十年余りの発展を
経て︑小小説という形式はすでに自らの一定の形式を形成しはじめ
ているが︑また多少の問題と足らない点も少からず現れており︑小
小説文壇が気づき︑注意するよう促さざるを得なくなっている︒
文学史を見ると︑一つの形式の繁栄は︑何人かの代表的な作家の
出現を必要としている︒しかし︑小小説作家の中で全国に鳴りひび
き︑海外でも知名度をもつ者は︑極めて稀と言ってよい︒今︑全国 に或る程度知られ︑また身心のすべてを創作に投入し︑小小説の創作を神聖な仕事と見なしているのは︑許行︑劉国芳︑刑可︑筆記書︑謝志強︑六徳権︑沈祖連︑凌盛年などのわずか数人にすぎない︒ 十数年来︑この若い創作者たちは︑厳しい試練の中苦しみに耐えて成長し︑分化し︑大きくなっている︒たとえば叢る少数の作家は心変りして︑中篇︑短篇を書くことを主とするようになり︑着る作家は商売に乗り出したり︑半ば別の仕事に精を出すようになり︑或
いは文壇のアルバイト族の仲間入りをして︑その他の形式を書いて
金もうけをするようになった︒一方︑多数の新人が輩出し︑しかも
これらの小小説創作の気鋭の新人は出発点は高く︑意欲十分で︑い
ずれも溌らつとした生気をもっていて︑小小説文壇に新しい血液を
注入している︒
小小説には大きな大衆的基盤がある︒これはもちろんよいことだ
が︑この形式が短いものであるため︑文学青年の中には︑小小説は
誰でも何篇かは書くことが出来るので︑文学の扉を叩くためのレン
ガと考えている者もある︒小小説を書く人々は︑労働者︑農民︑兵
士︑学生︑商人のそれぞれの階層に拡がり︑天津︑南京︑上海︑北
京の四大都市に広がっているが︑この雑多な創作湿たちの水準はば
らばらでそろっていない︒毎回の小小説︵髪型小説︶の作品募集の
際に︑しばしば全国の各省市のさまざまな職業から大量の原稿が寄
せられるが︑その中の少からぬものが︑習作としかいえないもので
あり︑しかも題材の重複︑手法の類似が非常に多い︒また︑小ばな
し︑ニュース︑小品文︑ユーモア︑コント︑ミニ・ルポのような多
くの作品も︑編集者によって小小説︵微型小説︶と名づけられて発
表されていることも︑小小説という形式の特徴を客観的にあいまい
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説−小小説創作状況のスケッチ﹂
三
渡 邊 晴 夫=三
にしている︒その原因をつきつめると︑小小説という形式の特徴に
ついてまだ十分に理解されていないのかもしれない︒小小説は小説
より小の字が一つ多いが︑結局のところ小説であり︑小説の主
要な任務はやはり人物を描くことである︒小小説の紙幅は限られて
いるので︑一群の︑或いは数人の人物を描くことは出来ず︑ふつう
一人ないし二人の人物を描く︒人物に特色のない描写は禁物である︒
小小説は一千字以内でストーリーを終らせ︑人物を活写するので︑
必然的に多くの描写手法を用いることはできない︒従って叙述する
技量は極めて重要である︒或る意味では︑叙述は言葉次第である︒
言葉次第というのは︑一つは言葉の特徴を指し︑もう一つは言葉の
簡潔さを指す︒
小小説は文学の一形式であり︑ニュースの文章とは異る︒ニュー
スの文章は︑時間︑場所︑人︑事件︑結果等々をはっきり書くこと
が求められ︑はっきりと明瞭に述べれば述べるほどよい︒もし小小
説もこのような書き方をしたら︑あまりにむき出しで︑芸術的な味
わいを失ってしまう︒小小説のねらいが隠されていればいるほど︑
空白はそれだけ大きくなり︑読者が再創造する余地がそれだけ大き
くなるのである︒
小小説は結末の芸術であるという人がいるため︑多くの人が競っ
て0・ヘンリー式のある結末を真似ようとする︒情理にかなった︑
意外な結末は︑もちろんすぐれた一つの手法に違いないが︑争っ
てこれを真似て︑十人一色︑十人が同じ調子では︑小小説に何の味
わいがあるだろうか︒
技巧をあまり考慮しないで︑人物に気を配り︑ストーリーをあま
り考慮しないで︑内に秘める内容に気を配る︒どう発表するかをあ まり考慮しないで︑芸術的手順に気を配る︒模倣を少くして︑新しいものを創り出すことを多くする︒こうすることで︑創作するに当って比較的高いスタートラインに立つ助けとなるかもしれない︒ 今小小説の作品は少くないが︑すぐれた作品は多くない︒小小説作家はすぐれた作品意識を確立しなければならないが︑これはすでに共通認識となっている︒しかし︑発表することを焦って︑書きはじめる時にまずこの雑誌はどのような作品を求めているかに気を配り︑雑誌の好みにいちずに仰合し︑読者の好みに仰合して︑その結果自分の創作の個性を喪失してしまった人もいる︒時事に見合ったものを書き︑或いは軽い調子の痛くも痒くもないものを書くと︑活字になりやすいかもしれないが︑真の作家はこの誘惑を受け入れるべきではない︒ 小小説作品の類似と重複は︑依然としてよく見かける︑多発する欠点である︒もしふだんから注意して素材を集め︑感ずる所があってはじめて書くようにすれば︑このような欠点を犯さないか︑少くすることができるだろう︒坐って書く時になって︑はじめて題材を考え︑無理やり作って書いたりすると︑他の人か自分のものと重複することを免れにくいだろう︒ もちろん︑全体の状況を見れば︑小小説の発展の趨勢は︑人を大いに励ますものがある︒広西民族出版社は︑﹃中国当代小小説作品大系﹄を編集出版しようとしているが︑各省に一巻をあて︑精装にすることは︑すでに九五年の出版計画に入っている︒これは大きな企画で︑現代の小小説創作に対する総括と概観となるだろう︒ 金陵微型小説学会は︑蟹江省の寧波テレビ局と協力して︑テレビ
劇﹃漫記人間﹄計百集を撮影しようとしているが︑すべて小小説作
品を改編したものである︒
ほかにも多くの出版社が︑名の出た小小説作家のために個人の選
集︑或いは小小説作品の選集を出版する予定になっている︒
数年前︑小小説文壇には老作家話劇のほかに中国作家協会の会員
は一人もいなかったが︑今では郵開善︑生曉清︑曹乃謙︑原点年︑
胡爾朴など多くの中国作家協会会員を擁している︒これもまた別の
側面から小小説の作家が成熟に向って進みはじめたことを説明する
ものである︒
或る哲人はこう述べている︒即ち︑経済的な基盤に変化が生じた 後に︑上部構造は必然的にそれにともなって変化を生ずる︑と︒中
国大陸における改革開放の深化にともなって︑経済的基盤にはすで
に疑いもなく重大な変化が生じている︒これは必然的に上部構造に
影響を与え︑必然的に文学に反映する︒換言すれば︑文学は現代の
生活のリズムと相符合するものでなければならないし︑これは人間
の意志によって変化するものではない︒短く引き締った小小説形式
はますます読者に歓迎されるであろうし︑この形式の発展︑繁栄は
歴史の必然となるだろう︒小小説の中国の文壇︑そして世界の文壇
での台頭という文学現象は︑文学史に墨痕あざやかな一筆を残すで
あろう︒ 訳注①評論等で壁小説を提唱した人に︑小林多喜二︑窪川鶴二郎︑江ロ漢︑橋 本英吉などがいる︒徳永直は何篇か壁小説を書いてはいるが︑壁小説に関 する評論は書いていない筈である︒②原文は物言類聚︑人以群分︒類は友を呼ぶという意味の成語で︑﹁易 経・繋辞村上﹂の方以類聚︑物価璽分︑吉凶生 ︑という言葉がもとになつ ている︒③原文は文如其人︵文はその人の如し︶︒蘇転﹁答張文潜心﹂の其爲人呪願 人知之︑其文如其爲人という言葉がもとになっている︒④カール・マルクス﹃経済学批判﹄の序言にある言葉︒
一九九五年十月三十日
凌鼎年﹁発展のさなかにある小小説i小小説創作状況のスケッチ﹂三三