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日本語教育の一環としての日本文学教育について

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要旨

日本語の技能(聞く,話す,読む,書く,訳す)の統合的養成を目標とする中国 の大学の日本語教育の中で,日本文学をどのように取り入れ日本語教育に寄与で きるのか。本稿は,この問いへのひとつの解として,日本文学教育を日本語教育 の一環として連結させ,より効果的な日本語教育を実現できるような日本文学の コースデザインとティーチングメソッドを提案し,その試行例を報告する。本提 案は,日本文学の紹介と提示に際し,学習者の学習意欲の維持と自発的学習活動 を育む1つの方策として,学習者が直接関わることのできる学習過程をめざすも のである。

キーワード:総合日本語教育 日本文学教育 多面的な文学教材,学習過程重視

1.はじめに

 日本語教育においては,ここ 10 数年来,世界規模で外国人学習者を対象とす る日本語教育諸問題をめぐって,さまざまな視点から研究されてきた。その中で,

日本語教育に比較して,日本文学教育についての研究はいまだに組織だった議論 が少ないというのが現状であるように思われる。

 日本語教育と日本文学教育はカテゴリーのまったく異なっている領域である。

日本語教育は外国語教育の立場から見れば,まず,聞く,話す,読む,書く,訳 すの機能の統合的養成が要請される実用学であると特徴づけることができる。も ちろん,その技能の養成を果たすためには日本語教育を研究対象とする日本語教 育研究が行わなければならない。また,日本語教育は教材の選択と配列から教授 法に至るまで非常に多角的で,学際的視点も必要であることは論を待たない。

 言語は十分に習得され運用されると,単なる言語的道具でなく,その言語社会

〔実践報告〕

日本語教育の一環としての日本文学教育について

─中国大学生への日本古典文学教育を中心に─

李   光 華

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の思潮や習慣といったさまざまな側面を映し出すものでもある。したがって,完 成された日本語教育は日本文学も含め,総体的に教授されるべきものであると思 われる。言語教育の素材として,文学作品を排除する原理的理由はない。そこで,

必要なのは文学作品を教材としてどう提示するかについての実際的提案である。

この文脈で,日本文学をどのように採用すれば日本語教育に寄与できるのかとい う課題が出てくるのである。荒削りに言えば,日本文学は学問の対象として研究 されることはあっても,日本語教育の射程に組み込み,日本語教育の一環として の取り扱いについては表立った議論はあまりなされていないようである。このよ うな状況と視点にたち,以下は,日本語教育における日本文学教育の可能性を例 証しながら示唆するものである。

2.日本文学研究の傾向と日本文学教育

 中国における日本文学研究は,近現代のほうに偏り,古典文学を敬遠している 傾向がみられる。この傾向は,毎年学会や雑誌等で発表される日本文学研究論文 の分野別の割合に顕著に現れ,近現代文学と古典文学の大よその比は4:1であ る。中国の日本文学研究者の大多数は大学で日本語教育に携わっているので,こ の「薄古厚今」と呼べる研究上の偏り,すなわち古典を軽んじ,近現代を重んじ るという傾向は,日本文学教育にも少なからぬ影響を与えていると思われる。

 そのような影響とみなせる現象として,まず,日本語学習者の古典文学に関す る教養の欠如を挙げることができよう。例えば,日本文学の開講に際して,適性 テストが行われるが,その結果を見ると,大学3年生がもっている日本文学に関 する既知の知識といえば,たいがい中国語訳を通しての川端康成の『伊豆の踊り 子』や村上春樹の『ノルウェーの森』のような近現代作品に留まっている。ここ 2〜3年,東野圭吾や青山七恵の作品が愛読されるようになってはいるものの,

この傾向に変わりはない。総じて,日本古典文学に無関心という傾向が目立つと 言ってよい。この傾向の根底にある要因としては,それは日本古典文学がまだ十 分に中国に紹介されていないこともあると推測されよう。日本古典文学の解釈や 鑑賞は,まだ研究者の仕事にとどまり,欧米文学ほどには,学生も含めた一般の 読者層に浸透してはいないのである。また,研究上においては日本文学に対する 独自の問題意識と包括的視点が十分に構築されていないことも遠因と言えるかも しれない。したがって,中国で日本語教育に関わっている日本文学研究者は,研 究のみならず,研究を通して得られた知見の共有としての日本語文学教育という 双方の視点を視野に入れ,中国での外国語としての日本語学習者に受け入れやす

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い様式で日本文学を日本文学教育に導入することができれば,一層の効果が期待 できよう。

 近年,教育の立場から日本古典文学教育を意識し始め,中国における日本古典 文学者も日本の古典作品を分かりやすく中国読者および学生に紹介しようとする 試みがある。例えば,張龍妹を中心に編集された『日本古典文学入門』(北京外 語教学研究出版社,2006 年 10 月)がある。『日本古典文学入門』は,日本古典文 学研究領域での中堅 11 名の研究者が執筆したもので,その中では中国人学生の 関心を引くような文学作品が掲載され,かつ,学生の日本語の学力レベルに合う ような有益な注釈も付されている。その各章は,総論,作者紹介,現代日本語と 中国語両方の訳が付された作品鑑賞,古典文法の要点,コラムとしての「背景小 知識」で構成されている。「背景小知識」では「摂関政治」,「平安時代の婚姻制 度」,「説話集の編撰と三国意識」,等々のような日本古典文学と日本文化の理解 に不可欠な事項が簡潔に提示されている。「文法要点」には,古典文法の習得に 必須な項目が選択的に解説されている。

 日本古典文学に特化した辞典も,古典の理解に大きな助けとなる。北京日本学 研究センター文学研究室著の『日本古典文学大辞典』(人民文学出版社,2006 年)

が出版された。この辞典は古代から近世(一部明治を含む)を対象とし,作品,

人物,文学ジャンル,専門用語の解説,古典文学基礎知識に関する 1100 項目を 収録している。中国人学生が日本古典文学を勉強するには便利な資料となってい る。

 より幅広い層を対象とした古典入門として,山口仲美著,張龍妹訳の『男と女 の物語−日本古典文学鑑賞』(商務印書館,2004 年 12 月)を挙げることができる。

周知のように『源氏物語』は世界的文学作品ではあるが,1000 年前の作品は現 代人には非常に難解である。中国人学生には,言語上の障壁が高いだけでなく,

400人以上に達する登場人物の名前さえも原作の理解を一層困難にしている。『男 と女の物語』は『源氏物語』の魅力と原典の作者の思索を現代人にも伝えること を目的とし,中国語訳を用い,登場人物の会話に焦点を置くことで,人物関係を 簡潔化して,普段の日常生活からも近づきやすいような物語に仕立て上げてい る。

3.日本語教育の一環としての日本文学教育

 実用志向の日本語教育の中で非技能型の日本文学研究が貢献をすることができ るのかという問いは,日本語教育と日本文学教育とをいかにして効果的に連結さ

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せることができるかにかかっている。この一見すると二律背反する方向をもつ領 域が相互に連環できるならば,その益するところの大であることは自明なのであ るから,座して待つ手はない。ここに,日本文学教育を日本語教育の一環とする プログラムとその運用の必要性がある。

 2000 年に『大学日本語専攻高学年指導要綱』が大連理工大学出版社から出版 された。これは,教育部所属大学外国語専攻教育指導委員会日本語グループによ って編集されたもので,そこでは,「日本文学科目」を日本語専攻の学部生を対 象とする必修科目として規定している。この要綱には,大まかな要求も提示され ている。例えば,「日本文学科目」は,教育を通して,学生の日本文学鑑賞能力 を高めると同時に,学生の視野を広げ,よき素質のある人間を養成することを目 標として掲げている。より実際的な側面では,基本的な文学批評の方法を身に付 け,将来の日本文学研究,指導,または卒業論文の作成のための基礎を養うなど の目標項目が示されている。

 この指導要綱の主旨に沿って,筆者の勤務する北京科技大学の日本文学の授業 のカリキュラムも作成してある。日本文学の学習はその前段としての日本史の流 れを通観した上で展開させる。これは,文学を,社会の史的展開とその時代,思 潮の特徴から独立させてとらえることは不毛であるからである。全体的な史的な 把握ができた上で,文学基本的な形式に沿って,和歌,物語,日記,散文,劇な どを通して作家と作品にアプローチする。その際,日本文学教育を介し同時的に,

日本語学力を向上させるのも大きな狙いである。さらには,「日本語精読」や「日 本社会概況」のような関連科目にも親近感を持たせることで,日本,日本語,日 本人に関するあらゆる関連知識について,興味と問題意識を育み,研究意欲を引 き立てることも狙っている。遠望としては,諸個人が日本文学の学習を通して得 た多様な「知」をもって,これからの人生の幾多の局面に陰に陽に生かされるこ とがある。

 このような指導要綱を運用するに際して,実際的課題も多く見られる。例えば,

日本語専攻の3年生を対象に,小間切れでない日本文学全体像を限られた時間内 で最大限に授業に織り込むことが直近の課題である。中国人の学生に日本文学の 鑑賞力の育成につながる最適解は何を満たしているのか,ということも明らかに する必要がある。こういう問題はコースデザインからティーチングメソッドま で,相関して研究する領域であるだけでなく,有効と思われる試みはすぐにでも 実行に移してみるという類のものであると思われる。

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4.より効率的・効果的な日本古典文学教育へのアプローチ

 日本文学教育は日本語の能力や関連知識についての要求が高く,その意味で は,内容の豊富な学際的な科目であると言えよう。日本語本科生が2年間の基礎 日本語を習得してから,1000 年以上の歴史のある日本文学に直面して,大多数 の学生は戸惑うようになる。日本文学の扉は学生にはどうも重いようである。

 北京科技大学で日本語を専攻している大学3年生を対象にしている必修科目に

「日本文学史および作品鑑賞」がある。この科目は通年授業で,一学期は 16 週,

週1回で,1回の授業が 90 分という。制約された時間内で,大和時代から平成 時代までの古典と近現代文学全体像を提示することに多大な困難が生じる。困難 さは,指導時間数による問題だけではない。学生が日本古典文学を学ぶために前 提とする知識が欠如していることが,指導を一層困難にしている。最も痛感する のは,学生が日本史に関する基本的知識を欠いていることである。

 日本人の学生にはごく当たり前な知識が,中国人の学生にはまったく新奇なも のである。日本史の流れを例にしよう。古代はともかく,明治以後の年号と時代 順すら知らない学生が多い。さらには,古典文学に頻出する朝廷名や政権名もそ のような前提に含まれよう。限られている授業時間内に,日本文学史を分断せず に,網羅的に学生に伝えることは至難ではあるが,目指す到達点である。

 このような難題に囲まれた情況にあっても,筆者は,そこで,「難しいことを 易しく,易しいことを深く,深いことを面白く」を座右の銘として日本文学教育 の目標に到達することを旨とし,以下で概述するような試みを導入した。

 大学の使命は人材の育成にあるから,学生を教育の中核に据えるべきであっ て,授業は教授者の独演会であってはならず,相手あって初めて成立するもので あることは,授業の原点であると思われる。大学新入生は大概 18 歳の若者で,

厳しい大学入試の成績に直面して,仕方のない選択をするケースが少なくない。

一回きりの進路選択に際して,個人の趣味を顧みる余裕はともかく,希望する専 攻を諦め,念願の大学に入学できさえすれば学科も専攻も問わないと考える学生 は少なくない。日本語学科の場合は,成績の関係で振り分けられた理科系志望の 学生が毎年かなり入ってくる。高校でも理科生だったので,文系の知識が乏しく,

ことに日本の歴史や社会に関する知識が不十分なのは予想に難くない。したがっ て,最初に必要なのはモチベーションを高めることで,授業に参加しているとい う成就感を実感させることである。ステップ毎に,成就感を伴えば,次には,文 学が成り立つ要素である言語とその背景にある文化にも興味を持ちうる環境を整

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え,成就感は楽しみにつながる。重要なのは,各段階で,いわゆる最近接領域に ある課題を学習者に見える形で提示し続けることである。

 学生に日本文学を講じる前に,ある程度の日本史をその背景的知識として補わ なければ,十分な学習効果は期待できない。正規の授業で日本史を補習すること も可能ではあるが,それでは,学生のプライドを傷つけることになる危惧もある。

日本文学への好奇心と学習意欲を配慮して,放課後の学生中心の日本史サークル を設けることによって,基礎学力の補完と同時に,学習視野が広げられ,自主的 な学習意欲が高められた。

 2005 年度の受講生を例にしよう。学習の補完手段として,学生参加自由の日 本史研究グループを作り,「金曜の会」と名付け,週末の午後を利用して活動を 行った。日本史の基礎知識を人物と歴史事件に分け,研究テーマ別のリストを作 り,各々の興味によってリストから研究テーマを1つ選ぶ。自分が担当する内容 について,資料を調べ,解読し,発表用のレジュメを用意し,口頭発表する。筆 者がこの会に期待し,かつ求めたのは,学生の自主性と,相手に成果を平易に伝 えようとする意識の2点であり,発表の優劣ではない。自主的学習過程とそれに 根ざした成就感の享受を一義としたのである。

 このサークル活動で,予想外のことも見られた。サブ・カルチャーと見られる ような漫画版の日本史を紹介したところ,日本史の勉強が学生の間で大いに歓迎 されたのである。これは素材の形態の変更にすぎないのではあるが,学生による 受容度が大きかったことは,活字一辺倒の教材へのある種の反動ではなかろうか と思われる。漫画とイラストや挿絵の入っている活字の資料をバランスよく教材 に取り入れることはこれからの課題としておきたい。日本史サークルの活動によ る予想外の影響には,卒業論文の中に「源頼朝の人間像について」をテーマに執 筆する学生が現れたこともある。これは,学生の会に,期待以上の効果があった 例として評価してもよいように思われる。

 学生に覚えてもらいたいものに『小倉百人一首』がある。これは,分量,形態,

内容といった観点からも教材として秀逸であるだけでなく,永遠的な価値のある 秀歌に親しめば,生涯の宝物になると考え,『小倉百人一首』を授業に取り入れ ることを試みた。

 教材として利用する際し,まず『小倉百人一首』を春夏秋冬の順によって分類 する。これは,北京科技大学のキャンパスには四季の移り変わりを代表する樹木 や草花がたくさん植えられているので,教材をより身近な環境への関連性の中に 置いて利用できるとのもくろみである。授業では,季節の変化に合わせ毎週一首

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を選び,学生の自主学習の,言わば「狂言回し」として『小倉百人一首』を用い た。

 学生が自由にグループを組み,与えられた和歌に関する資料を事前に調べ,原 稿にまとめ,クラスで発表したのち,朗読の練習を兼ねて,リード役の学生につ いて歌を覚える。全部は覚えきれないが,和歌との触れ合いによって感じた感性 は残るであろうし,さらには,発表ための資料調査,内容のまとめ,発表内容の 作成,人の前で日本語で話す,という一連の学習活動を通して,日本語を駆使す る能力が練成の一助となったと思われる。

5.朗読できるような日本文学教育教材の開発

5.1.活字の教材

 文学作品を読む際には原典を用いるのが正統な方法であるが,日本語の初期段 階にある中国人の学生の場合には,その方法がまだ一般化しているとは言い難 い。大多数の学生は訳本を使って日本文学に接するというのが現状である。そこ で,入門期の学生には,日本語原文で古典文学作品を読む力が付いていないとい う現状に見合った教材が必要なのである。中国人学生向きの学習用文学教材は,

研究用の文学資料とは異なって,学生の趣味やニーズに対応できるだけでなく,

学習目標にあわせて構成が求められる。

 授業から離れた場で,日本文学作品を読む学生もいるが,それでも中国語訳に よるのがほとんどである。商業出版ブームの中で,渡辺純一や村上春樹の作品が 大量に翻訳されるが,日本古典文学作品の翻訳はなかなか見当たらない。このよ うな傾向にあって,初期段階の学生に日本古典作品への興味を植え付けるには,

訳本による日本文学学習の可能性も排除できないように思われる。良質の訳本な らば,文学教育の一臂の力として用いる事もできるということである。『源氏物 語』はその例である。中国では,『源氏物語』の翻訳が3種類出版されているが,

そのなかで,豊子恺による翻訳が最も評価されている。なぜかというと,豊訳の

『源氏物語』は,1980 年代から出版され,この翻訳の恩恵で,『源氏物語』が多 くの中国人の視野に入るようになり,かなりの読者を獲得し,さらには,日本古 典文学をより身近なものとしたことは翻訳の功績と言える。

 大学で学生が日本文学作品原文に触れる局面は,大まかに言って2つに分けら れる。まず1つは,3〜4年生を対象とする日本語精読のテキストに掲載される 文学作品と内容的に関連のある古典作品である。もう1つは,日本文学の授業に 使われている専用教材に取り上げられている古典作品である。

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 市販されている日本文学関連の教科書は汎用性をねらっているため,大部なも のであることが多く,個々の,特定の目的をもったコースデザインに合致しない ことも多い。この種の既製の汎用教材は,2年間しか日本語学習体験を持ってい ない学生に魅力あるものには映らないことが散見され,そればかりか,その分厚 さからか敬遠されがちである。それゆえ,授業の時間数や学生の日本語学レベル に一致するような日本文学教材を個別的に開発することが,急務であるだけでな く,最適な方図である。

 筆者が北京科技大学で『源氏物語』を講義するときに参考書として提示したも ののなかに,「創価源氏」がある。これは,創価大学の学生であった上田尾さん,

山本さんたちがメンバーとする源氏物語愛好会による学内雑誌である。「創価源 氏」は学生の目から見る『源氏物語』を紹介しており,本大学の学生の間でも人 気を呼んでいた。「創価源氏」の注目すべき特徴は,『源氏物語』のプロットの紹 介だけに留まらず,中心人物の性格も分かりやすい言葉で,しかも学生の豊かな 表現で解読してあることである。さらには,古典文学の重要性のみならず,現代 を生きる我々が,『源氏物語』から何を学ぶか,『源氏物語』から我々の人生につ いてどのような示唆を読み取ることができるのか,等々という真剣な問題にも言 及がある。

 これは,中国の大学3年生の日本語レベルに最適化された新しい日本文学教材 が求められていることを強く提示している。日本の歴史,文化,社会,政治など の必要事項を視野に入れているだけでなく,学生の興味を喚起し,日本文学に積 極的に向かわせるような教材が求められているのである。そのような教材が満た すべき要件には,学生の日本語学レベルや,シラバス,カリキュラムに特化され ていることも含まれる。

5.2.講義プリント作成の試み

 北京科技大学の場合は,日本文学授業で日本文学研究に向くような特殊教材の 使用は避け,日本語5機能の統合養成を主眼とする,読むことのできる日本文学 史に特化した講義プリントの作成を試みた。作成にあたっては,外国人を対象と する日本文学の知識伝達を心がけ,受講生の日本語レベルに配慮し,大学3年の 教材に最適化した日本語表現を織り込まらせるように留意した。日本史の流れに 沿い,社会の動きに絶えず目を向けながら日本文学の世界をたどることで,学生 は日本文学史に触れることに留まらず,その時代に触れ,その文学史の流れに日 本人の営みと思潮とを理解する。史的な軸を縦糸にし,文学史実としての作家や

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作品を横糸として配列することによって,その時代に何が重要視されていたのか を再構築しながら,日本文学の世界とその時代が浮かび上がるように構成した。

 例えば,基礎日本語の段階に触れていない語彙,特に学生が覚えにくい,日本 史に関する人名や地名,作品名や作家名にルビをつけ,朗読しやすいように仕上 げる。

 講義プリントは授業の週数にあわせ,上代,中古,中世と近世,近現代に分け る。第1学期,9月から翌年の1月までは中世までを講義する。第2学期は近世 と近現代の内容を講義する。

 講義プリントの内容は大きく分けると2つになる。時代背景やその時代の文学 史上の特質に関する部分とその時代の作家および作品の鑑賞の部分である。場合 によっては,正史に書かれていない逸話等をいくつか余剰的に付け加えることも ある。また,日本文学についての視野を広げるために自習内容も示唆しておく。

例えば,ネット上の日本文学資源を利用できるように,リンク先についての情報 も掲載する。

 活字の教材のほかに,漫画やアニメに代表される日本のサブ・カルチャーが学 生に与える影響は軽視することはできない。また,日本古典から近代までの作品 朗読や映画化された文学作品,アニメ,漫画など日本文学に関するマルチメディ アの教材の活用によって,視聴覚面から学生にインパクトを与え,短期間に日本 文学への親近感を覚えさせることが多く,それによって原作を求める意欲を湧き 立たせることが期待される。特に漫画とアニメは音声や映像が内容をより近づき やすいものにし,より日常的という意味で平易な日本語が用いられているため に,90 年代生まれの大学生には受け入れやすいのが現状である。一方,マルチ メディアによる補助教材の導入によって,日本文学教材に占める原典の割合がし だいに小さくなり,文学教材という概念が曖昧になってくるという側面は見過ご すことができない。

5.3.多面的な日本文学教材開発への試み

 活字教材が主教材であるとすれば,視聴覚上の教材は副教材としてみなすこと ができる。読むことのできる「日本文学史」活字教材の内容をより定着させる副 教材として,もっと学生に深い印象を与えるために,その内容をパワーポイント にすることも有効である。活字以外の副教材を授業に取り入れることで,作品等 についての種々の情報を提示することもある。インターネット上に公開されてい る青空文庫を利用したり,朗読シリーズの『朗読日本文学大系』(新潮社)を用

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いて作品を紹介したり,さらには,北京日本国際交流基金にあるビデオシリーズ

『日本文学ってこんなに面白い』や映画も授業に取り入れたりする。これがひと つの糸口となり,短期間で日本文学の輪郭をつかむことができるだけでなく,メ ディアからの情報内容と原典との間の異同の照合もまた興味ある授業展開を生む ことがある。

 ついでながら,「日本文学講義」の授業 28 回は録画し,授業に出席できなかっ た学生や学生自習のためのビデオ教材として利用できるように計ってある。

 文学作品について,多様なメディアから情報を得たにせよ,文学作品の読解に おいては原典を対象とし,寄り道を経ながらも最終的に原典に回帰するのは理想 的な学習方法であるが,大学3年生には原作を読むには語学的な未熟さがあるの も現実である。原典を読むには言語的知識に加え背景的知識も必要である。しか し,学生の日本語能力の現実から,原典解釈の前段としての背景的知識はマルチ メディアを活用することにより,文学作品のプロットさえも短時間で把握できる ようになる。もちろん,場合によっては映像化された作品と原典との間にある程 度のギャップがあることもあるが,実際はマルチメディアの導入により,学生の 興味を引くことができるし,更なる学習が可能となり,総じて,よい授業効果を もたらしてくるものと思われる。サブ・カルチャーの教材を導入することによっ て日本文学教育の見直しが必要となることもあろう。ともかく作品鑑賞において は教材開発の余地がまだまだ残っているようである。

 多元的な指導手段は,伝統的なチョーク1本と教材1冊を用いる従来の指導法 を否定し,マルチメディアの使用により授業を覆い尽くすということではない。

それぞれの射程に合わせながらその両者を適宜巧妙に組み合わせることによっ て,より効果的な日本文学の授業が実現できる可能性があるということである。

6.持続できる学習過程重視の日本文学教育

 既に触れたように,筆者が対象としている日本語学科のかなりの学生は,その 第一志願が日本語学科ではない。

 教える側の大学教員はデータによる実績評価の現実に追い込まれ,学ぶ側の学 生は実用主義の教育と就職のプレッシャに直面しなければならない。このような 学習環境で,学生は,入学してからもさまざまな試験に合格することが学習の到 達目標である意識を植え付けられる。目下,中国では日本語専攻の学生を対象に する日本語検定試験は主に2種類ある。1つは,日本国際交流基金と日本国際教 育支援協会が主催する日本語能力試験2級と1級である。もう1つは,中国教育

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部所属の高等学校外国専業教学指導委員会日本語グループ(以下は教指委と略 称)が主催する日本語専攻4級と8級試験がある。また,日本語のほかに大学生 向きの英検4級と6級があるが,ことに英検4級に合格しなければならないよう である。教指委は4級と8級の成績を学生の卒業の判定に用いることも,また,

その成績で学科のランキングをすることもあってはならないと規定している。学 習成果の判断は当該科目の試験合格証書の取得によりなされるが,教育指導成果 は試験の合格率や優秀な学生の比率により判断されるという傾向がある。全国大 学日本語専攻指導綱要には「基礎を厚く,幅は広く,質は高く」と要求している が,残念ながら,現状はこの理想からは程遠い。

 結果だけを重視して,学習および学習指導のプロセスを強調しないとなると,

それは企業式の功利主義的なやり方であろう。学習目的の達成はひとつの長いプ ロセスで,結果だけを重視して,試験合格を目的とする速成クラスのような教授 法を採るなら,言語の背後に隠されている思想的,文化的側面が十分に学生に伝 えられなくなるという危惧もある。初級段階で何よりも大切な学習意欲や研究意 欲は試験に合格すると同時に消え去ってしまいかねない。試験の合格率だけを目 指す学習指導は,ややもすると,持続的学習につながらないということも散見さ れる。中国では「水到れば渠成る」(水到渠成)という諺があるように,試験の 合格率だけを求めるのではなく,学習意欲の涵養とその持続こそが肝要である。

 さて,日本文学の授業の成績評価は中間試験と期末試験と平常点の3種の成績 によって構成される。クラス内のディスカッションへの参加とレポートの提出と 発表は平常点に組み入れ,平常点は中間試験の 40%とし,中間試験は期末試験 の 40%とする,という計算公式で統一されている。したがって,出題に当たり 学生を困らせるような出題はしないように心がけが必要となる。というのは,学 生には試験を通してより一層学習意欲が高まり,日本文学学習により自信がつく ようになってもらいたいからである。「創価源氏」から『源氏物語』の Q & A を まねて,試験に用いたところ(付録①はその内容である),学生が微笑みながら 解答を書いているという思いがけない反応を目にした。これは難しい内容を平易 にかつ面白く転換させることがいかに大切かを示す好例であろう。

7.学生参加可能の日本文学交流活動を

 日本語専攻の大学生は五十音図からスタートし授業のパターンになれてくる と,発音の単純な模倣と練習をしているうちに,問題意識が鈍くる傾向がある。

ここでも問題意識の育成と保持には常に配慮しなければならない。そのための方

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策としては,日本語研究や日本文学研究など学術的に先端の話題を授業で平易な 形で紹介することや前述のような学生同士の相互学習や研究成果についての意見 交換や種々の交流が挙げられよう。この点で創価大学の西田禎元先生のご尽力で 北京科技大学の学生が創価大学の国文学セミナーの学生や大学院生と交流する機 会に恵まれ,それを通して望外の成果をもたらしたことは意義深いものであっ た。

 2006 年夏に北京科技大学で創価大学の西田ゼミの大学院生との座談会が開か れた。学習経験の交流によって北京科技大の大学生は初めて身近に日本の大学院 生とのコミュニケーションができ,それを通して視野が広げられるようになっ た。また,2007 年の夏休みには,「創価源氏」の学生との交流が行われ,『源氏 物語』の貴重な学習資料が交換された。前述のように,「創価源氏」は大学生の 立場から『源氏物語』を研究したもので,その研究の着眼点や方法は北京科技大 の学生にとって受け入れやすく,千年紀を迎えようとしていた『源氏物語』に親 近感を抱く好材料となった。「創価源氏」とした学習成果は北京科技大学の学生 の研究意欲に刺激を与え,2008 年の源氏物語千年紀に際しては,北京科技大に も『源氏物語』サークルが形成され,60 名2クラスの3年生が課外で『源氏物語』

を耽読した。このサークルでは創価大の学生から入手した『大掴源氏物語まろ,

ん?』(小泉吉弘著,幻冬社出版,2002)を援用し,現代日本語訳と中国語訳と を対照させながら 20 代の中国人学生の立場から『源氏物語』を読んでいた。自 分の学習成果をパワーポイントを用いて,その学習成果を披露していた。学期末 には創価大学の西田ゼミの学生と『源氏物語』についての学習成果を交換し,創 価大学西田ゼミと共同で「北京科技大の大学生から見る『源氏物語』─源氏物語 千年紀にあたり」(《源氏物语》问世千年纪念−北科大日语专业学生看《源氏物 语》)合計3万字ほどの学習ノートを編集し,『源氏千歳』という冊子とした。学 生が『源氏物語』と出合った喜びとその学習意欲と成果の一端は,『源氏千歳』

に掲載の「序」(付録②)と「後記」(付録③),さらには「OG からのメッセージ」

(付録④)に見てとれる。

8.結語にかえて

 総合的な日本語教育はいろいろな視点からのアプローチとさまざまな領域との 連携が必要である。日本文学の授業を通して,学生に美しい日本語と日本文学を 肌で実感させ,日本文学への興味と親近感を深めるための日常的試行も肝要であ る。日本語学習意欲の維持を計ることにより,日本全体像についてのより包括的

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な把握ができるようになれば,真の意味での5技能養成が達成したと言えよう。

 筆者が北京科技大学の日本文学教育に携わって得た限られた経験を上で述べて きたが,これからも引き続き外国人学生向きの日本文学教育のために工夫を凝ら し,理想的な日本文学教育の教材や教授法を試みていきたい。

  *本稿は,「日本語日本文学秋季大会」平成 19 年 12 月7日,創価大学での口頭発表に 実践事例を加筆したものである。

付録①

 ☆源氏物語 Q 問& A 答。

 問1,『源氏物語』の作者は誰?

  い,清少納言 ろ,紫式部 は,柳亭種彦  問2,『源氏物語』は全部で何帖?

  い,22 帖 ろ,50 帖 は,54 帖

 問3,『源氏物語』の最後から 10 帖分を何と呼ぶ?

  い,宇治十帖 ろ,小野十帖 は,明石十帖  問4,夕顔の死因は?

  い,心臓病 ろ,盲腸 は,物の怪  問5,『源氏物語』33 帖目の巻名は?

  い,行幸 ろ,藤裏葉 は,柏木  問6,女三宮のペットは?

  い,犬 ろ,猫 は,鳥

 問7,車争いの事件の双方はだれとだれ?

  い,朧月夜と紫の上 ろ,源典侍と末摘花 は,葵上と六条御息所

付録②

 歴史上最初の長編写実小説である『源氏物語』はずっと前から耳に入りましたが,大学 3年に日本文学史の授業を受けてはじめて,本物の『源氏物語』の世界に踏み出しました。

1000 年前に書かれていた物語りですから,きっと難しいと思っていましたが意外に手元に 置きたいほど惹き付けられました。『源氏物語』についてもっともっと知りたいと思って,

興味共通のクラスメートと一緒に源氏サークルを作りました。余暇を利用して,私たちは 興味深く『源氏物語』に関わる資料を調べ,後に各自の担当内容を発表し,みんなの前で 自分の研究成果を発表しました。それを通して『源氏物語』の勉強からもたらしていた喜 びを共に味わうことができました。サークルで我々は論議したり,意見交換したりして,

各視点から『源氏物語』を理解し,視野を広げました。平安時代の歴史に興味を持つ人も いれば,色とりどりの和服に注目した人もいます。無論,いまの私たちが『源氏物語』に 対しての理解はまだまだ浅いですが,どれも自分の目で読んだもの,そして自分の頭で考

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えていたものなので,誇りに思っています。

 『源氏物語』に接してからちょうど1年になります。この実りの多い深秋に,我々の源氏 勉強成果を何らかの形にしたいと思います。我々北京科技大学日本語学部の4年生の学生 全員は李光華先生のご指導の下で,形それぞれの感想文を書きました。大学3年のときか ら1年間を通して日本文学史を学んできた思い出として,心を込めてこの記念冊の編集作 業を取り掛かりました。ちょうど今年は『源氏物語』が世に問う千年紀にあたる年です。

西田先生と李先生のおかげさまで日本の創価大学の皆様との交流ができて,『源氏物語』に ついての中日大学生の考え方および独自な見解を交わす機会に巡り合えることが非常に有 難いと思います。『源氏物語』を通して,中日友好交流を末永く続けていきたいと我々は願 っています

05 期2組 董 美麗

付録③

後記

 数週間にわたり作業をし続け,ようやくこの記念冊を仕上げるようになりました。未熟 でありながら私たち北京科技大学源氏サークルの1年間の学習報告として披露いたします。

編集しているうちに何度も検討しましたが,学習不十分で間違いがいっぱいあるだろうと 思います。お気づきなところがありましたら,ぜひご指摘ください。ここで,感謝の気持 ちを申し上げます。よろしくお願いします。

 最後に,この記念冊の作成に大いに指導してくださった李光華先生に心から感謝の意を 表します。また,4年生の1と2組の皆さんのご協力で,この冊の作成が順調に行うこと ができました。それから,資料を整理し,編集に多大な協力をしてくれた郭琴・董蕊・王 玉環と付爽にも感謝いたします。

 この冊は北京科技大学と日本創価大学の大学生の交流の架け橋となることを願っており ます。

編集リーダー  楊 麗華

付録④

 北京科技大の OG から寄せられたメッセージ

 去年の夏,万里の長城へ御一緒させて頂きました孫彤です。見学旅行では日本のことま たは源氏物語について,西田先生にいろいろ教えて頂き,ありがとうございました。とて も楽しかったです。同級生の友達の崔巧偉,張濤,劉鵬と牛佳靖も北京科技大学で行われ た交流会で創価源氏物語グループの皆様と情報及び感想を交わしました。とてもいい勉強 になりました。

 夏休みの交流をきっかけに,崔などの5人とグループを組み,李光華先生の元で「日本 文学の光と影」というプロジェクトをやり始めました。日本上代から現代までの文学の流 れを整理しながら作家たちの逸話も少し触れて纏めていました。そのほか,「日本文学の光 と影」という文学作品の朗読付き,綺麗な学習用 PPT も仕上げました。その中に,源氏物 語の部分は大いに創価大学の「創価源氏」を参照しながら作成しました。「創価源氏」にい

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ろいろ教えていただき,我々は[創価源氏]からたくさん学びました。おかげで,今年北 京科技大学で開催された大学生科学創新コンクールで私どものプロジェクトは1等賞に当 たり,大学生の間で大きく反響を呼んでいます。

 私は今北京大学の大学院生になり,日本語を勉強し続けています。グループの中の崔は 清華大学で,邢は人民大学で院生として日本語を勉強し続いています。また,北京科技大 学の後輩たちもサークルを作って,精一杯『源氏物語』の勉強で頑張っています。後輩た ちが興味深く源氏物語の漫画も読んでいるそうで,本当に感心しました。

 創価源氏物語グループの皆様,もし機会があれば,ぜひもう一度北京科技大学日本語学 部へお越しください。北京大学にもお越しください。『源氏物語』や日本文学についてもっ と伺いたいですから,よろしくお願いします。

(Li Guanghua,北京科技大学外国語学院副教授)

参照

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