ルシアン・エルヴェ論
ール・コルビジェの作品から見る建築写真の変遷ー
理工学研究科(修士課程)建設工学専攻 me11011 井手野下 貴弘 指導教員 赤堀忍 2012 年度 芝浦工業大学大学院 修士論文梗概
0 序章・本研究に関して
0−1 研究背景
ルシアン・エルヴェという名前を聞いた事があるだろうか。
彼は 1910 年にハンガリーで生まれた写真家である。後に運命 的な出会いを果たし、コルビジェの作品の多くを撮影し後世に 残すのである。もともと一昔前のヨーロッパの写真家は知名度 が低いのだが、その中でも建築写真家となるとあまり関心をも たれないというのが現状である。
われわれが普段建築を学ぶ上で目にする建築物は、雑誌やイ ンターネットなどの違いはあれど大半は写真なのである。実際 にその場に行ったことのない建築のイメージは写真によって構 成されている。実際に建築を訪れてイメージと違うと思うこと があるのはこのことによるものである。他にもあるのだろうが、
特に建築という分野ではこの写真によって構成されるイメージ は他の分野に比べて大きい。建築家のイメージや印象となるも のはその建築家の思考や方法などもあるだろうが作品によるも のが大半を占めるからである。ル・コルビジェはこのイメージ を重要視している建築家の一人である。そんなコルビジェの作 り上げた世界観を生み出した影にはルシアン・エルヴェの存在 が大きく影響している。生前コルビジェはルシアン・エルヴェ のことを『建築家の魂をもった写真家』と高く評価しており、
コルビジェの建築を建てた本人もが想像し得ない画を写真に収 めるのである。残念な事にルシアン・エルヴェは日本ではまだ 知名度が低く、彼を扱う論文や記事がほとんどない。そこでル シアン・エルヴェについて経歴や作品などを社会背景などを織 り交ぜながら、写真に関してどのような思考を持っていたのか、
コルビジェと出会ってどのような変化が起きたのかなどを中心 に研究を進めていく。
0−2 本論の構成
本研究は第1章でルシアン・エルヴェの生涯について主に翻 訳により、各章ごとに簡潔にまとめるというこうせいになって いる。ここで用いられる文章は “Lucien Herve: Building Images ” という本から抜粋している。そこから細かくルシアン・
エルヴェの生涯や写真に関する思考、コルビジェとの関わりな どを読み解いていくことが目的である。
次に第2章 ルシアン・エルヴェ関連年表である。これも主に
“Lucien Herve: Building Images ” を中心にまとめてある。同時 に世界で起きた社会的事象も比較できるようにしてある。
これにより、エルヴェの生涯で起きたことを整理し、当時の事 柄をイメージしやすくするのと同時に、社会的事象の影響など があったのかということも考察するのが目的である。
第 3 章 写真の解析である。この章は、ル・コルビジェの作品 と他の著名建築家の作品の2部に分けて考察する。主に、ルシ アン・エルヴェの写真と他の写真家が撮った写真を建物ごと、
または建築家ごとに見ることによりルシアン・エルヴェの作品 の特徴を比較解析していくことが目的である。
最後にすべてを総括してルシアン・エルヴェについてまとめ る。
1 ルシアン・エルヴェの生涯
1−1 幼少期からデザイナー時代まで
1910 年にハンガリーでラズロ・エルカンとして生まれる。
幼少期からピアノやグレコローマンレスリング、水泳など様々 な習い事をする。大学生になる時には、経済学を学びにウィー ンに行ったのだが、絵画の虜になりたびたび美術館を訪れるよ うになる。20 歳の時には、銀行員になるのだが上司に逆らい退 職させられ、ブラックリストに入り、再就職が出来なくなる。
その後、大学で経済学を学び、積極的に社会運動に参加する。
22 歳の時、シャネルやランヴァンなどの高級婦人服ブランドの ファッションデザイナーとして活躍する。24 歳の時には、バレー ボールの公式戦でフランスのチームとしてドイツのチームを下 す。フランスの共産主義者団体に加入する。ファッション業界 に対するストライキを組織し、ファッションデザイナーを解雇 される。1937 年にフランスの市民権を得る。
1−2 カメラマンの始まり
ハンガリー人の写真家ミクロス・ミュラーと共にマリアンヌ マガジンでルポタージュ写真を撮り始める。主にミュラーが写 真を撮り、エルヴェが文章を書いていた。29 歳の時、ミュラー がいなくなり、便宜上ミュラーの名前を使いエルヴェが写真を 撮るようになる。主に社会的な問題を取り扱うが、ファッショ ンについても書く。同時期に陸軍のカメラマンとしても活躍す る。30 歳の時にダンケルクの戦いで、ドイツ勢力によって身柄 を拘束される。監禁されている間に、絵を描き始める。31 歳の 時に開放されてグレノーブルでフランスのレジスタンスのグ ループに入り、そこでルシアン・エルヴェと名乗り始める。パ リで絵画の展覧会をする。
2012 年度 芝浦工業大学大学院 修士論文梗概
それから数年、戦争の捕虜や国外追放者を助ける極秘組織に加 わり隠れて生活する。35 歳の時に再び絵を書き始め、37 歳で インテリアデザイナーとして映画の舞台やポスターのデザイン をする。この頃から絵を書いて展示会を行うことを続け、再び 雑誌で文化や芸術の記事のルポライターを始める。
1−3 ル・コルビジェとの出会い
その中で、芸術雑誌の編集長でファッションデザイナーでも ある神父マリー・ライアンの助言を受け、ル・コルビジェのマ ルセイユのユニテ・ダビタシオンの写真を撮りに行く。その日 に撮った 650 枚の写真をコルビジェに送り、気に入られたエル ヴェはそれからたびたびコルビジェの作品を撮ったり、現場ま で帯同するようになる。40 歳から 45 歳までの間に世界的に有 名な建築家の作品の撮影をする。
1−4 カメラマンとしての功績
功績が認められ、フランスの大学で写真考古学の教鞭をとる。
53 歳の時に回顧展を始める。55 歳の時に、多発性硬化症の症 状が現れ始める。この頃にル・コルビジェが亡くなる。56 歳に なり病気のこともあり活動が制限され、コラージュ写真を始め る。1940 年台後半から始めてきた研究は写真という形に還元 される。64 歳の時に病気が悪化するのだが、回顧展があったた めに芸術家の命を失うことはなかった。75 歳の時にラトゥ博物 館へ写真を提供した最初の一人として、アリエ市の勲章を受け 取る。
2 ルシアン・エルヴェ関連年表
別紙参照。ルシアン・エルヴェの生涯をまとめた年表に同時 期に世界で起きた社会的事象を載せることで感覚的にエルヴェ の年齢や人間関係などをわかりやすくするのと同時に社会的事 象の影響を受けたかなど考察することが目的である。
3 写真の解析
3−1 解析方法
対象はル・コルビジェの作品 11 点と 9 人の著名な建築家を 取り上げる。各作品においてルシアン・エルヴェとその他の写 真家が撮った写真を比較対象にする。ここでルシアン・エルヴェ との比較に具体的な写真家を固定しないのは相手の写真家の思 考、作風などでデータが偏るのを防ぐためである。
写真の解析方法は、それぞれの写真家の撮った写真を同数並 べ、それぞれの写真について、撮られた年代、構図、白黒かカ ラーか、人物の有無、煽っているかなどを目認で行う。同じ被 写体、同じ場所の写真があればそれらも比較する。この比較に よって最終的にルシアン・エルヴェの写真に対する思考を見出 すことが目的である。
3−2 ル・コルビジェの作品より
11 の作品を比較する。この 11 作品はルシアン・エルヴェの 公式ホームページに上げられているものより選出する。
3−3 その他の著名建築家の作品より
アントニオ・ガウディ、オーギュスト・ペレ、ヴァルター・
グロピウス、ピエール・ジャンヌレ、アルヴァ・アアルト、ジャ ン・プルーヴェ、シャルロット・ペリアン、オスカー・ニーマ イヤー、ジャン・ヌーベル の9人の建築写真を比較する。こ の9人もルシアン・エルヴェの公式ホームページに上げられて いる写真で比較可能な人物を選定してある。
4 総括
ここでルシアン・エルヴェについての写真論などを考察する。
ルポタージュ写真やスナップ写真では主体は撮る人にあるが、
建築写真では主体は建築家と写真家の両方にある。ということ に触れたり、実際現代の建築家が写真家と協力しているものの 事例などを挙げる。青木淳と鈴木理策など。
5 参考文献