• 検索結果がありません。

スポーツと地域文化

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "スポーツと地域文化"

Copied!
50
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

スポーツと地域文化

―ザンビアにおけるプロサッカーの事例から―

筑波大学社会・国際学群国際総合学類 卒業論文

氏 名:森下仁道 学籍番号:

201510412

指導教員:関根久雄

2020

1

(2)

目次

第 1 章 序論 ... 1

1. 研究の背景と目的

………

1

2. 研究方法

………

..

……

3

3. 調査地の概況

………

..

3

第2章 ザンビア共和国について ... 6

1. ザンビアの歴史

………6

(1)独立前

………..…6

(2)独立後

………

..

………

8

(3)ザンビアと中国

………

..

9

2. ザンビアの宗教

………

14

(1)ザンビアの宗教の概況

………

14

(2)アフリカの伝統宗教

………

.16

第3章 ザンビアのサッカー ... 19

1.アフリカにおけるサッカーの歴史

………

19

2.アフリカのプロサッカーの現状

………

17

(1)「U-20 サッカーアフリカカップ」決勝、ザンビア対セネガル、2017 年 3 月 12 日)

………

18

(2)「ルワンダプレミアリーグ」、ムクラ対レイヨン・スポーツ、2016 年 12 月 16

………

19

3.ザンビアサッカーの概況

………23

(1)事例 1

………

25

(2)事例 2

………

25

4.Zambia Super League について

………

26

(3)

第 4 章 事例 ... 27

1.フィールドの紹介

………

.. 27

2. 宗教観に関する事例

………

29

3.人種観に関する事例

………

34

(1)ザンビア人と「白人」

………

34

(2)ザンビア人と「中国人」

………

35

(3)ザンビア人と「アジア人」

………

..37

第5章 結論 ... 38

1.考察

………38

2.課題と今後の展望

………

39

参考文献 ... 43

注 ... 46

Summary ... 48

謝辞 ... 49

(4)

図目次

1

ザンビアの地図 5

2 ザンビアの宗教比(2010) 13

3 試合中に投げ込まれたもの 19

4 FW

カマラが何らかの物体を刺している様子 20

5 チケットを購入せずにサッカーの試合を観戦するザンビア人サポーター 21

6 練習前の儀式 22

7 試合開始前の儀式 23

8 2019

8

月以前と以降のザンビアサッカーの構図

24

9 FC MUZA

のメンバー

28

10 「聖なる油」を試合前にかけあう様子 31

11 「恥と罪悪感の自己制御機能モデル」 38

表目次

1 中国の対アフリカ直接投資 11

2 2019

年移行シーズングループ別順位表

26

3 FC MUZA 2019

年シーズン結果

28

(5)

1

章 序論

1.

研究の背景と目的

2001

年から

2015

年の間、国内総生産

GDP

の成長率が最も高かった上位

10

カ国中 に、アフリカの国が半分以上も占める驚きのニュースが世界中に報道された。(1)アフ リカは貧困地域、経済援助対象地域から一転し、世界経済発展を牽引しうる地域にな る可能性を示したのである。

2013

6

月横浜で開催された第

5

回目アフリカ開発会 議(TICAD)(2)で「援助から投資へ」と謳われたのはこのような状況を反映してのこと である。

しかしこの急成長は、「資源開発や関連のインフラ投資を反映したものであっ て、資源開発を支えた中国やインドからの投資にかげりが出るとたちまちのうちに失 速した」[上田、島田 2017]。2015年以降、サブサハラ諸国の成長率は新興国全体の それを下回っており (3)、脆弱性を孕む成長であった。

成長率が低下したとはいえ、アフリカに今後も経済成長の期待がかかっているこ とには変わりない。現在アフリカ大陸の人口は約

12

5600

万人(2018年)であり、こ れが国際連合の推計では

2050

年には

25

億万人に倍増し、世界の

4

人に1人はアフリ カ人になるという。この凄まじい人口増加が経済に与えるインパクトは計り知れな い。

当然、開発による課題も多く存在する。これまでにないスピードで進められる開 発政策は、アフリカ諸国で所得格差増大や土地問題を引き起こしている。これらの課 題に対する対応を誤ると、政治的混乱や紛争が起き、直接世界経済に影響を与えるこ とになる[上田、島田 2017]。

それを未然に防ぐためにも開発計画の段階で開発対象地域の文化的背景を十分に 理解することが重要である[植竹 2016:27]。現地の住民の視点を取り入れ、現地の文 化を統合した開発を進めることが開発による摩擦を抑える解決策となりうる。

そこで本研究では、社会を映す鏡ともいわれるスポーツに映し出されている、現 地社会の文化について調査した。

Vidacs(2006)

によると、アフリカにおけるスポーツ 分野の研究蓄積は他地域に比べて乏しい。その中でも開発に関する研究が多く、プロ

(6)

スポーツの実態を選手の視点から明らかにしている研究は管見の限りではほとんど確 認されない。

筆者は

2019

1

月から同年

5

月、南部アフリカ、ザンビア共和国(以下ザンビ ア)のプロサッカーリーグ「Zambia Super League」に所属するサッカーチーム「FC

Maestro United Zambia」(以下 FC MUZA)と 1

シーズンのプロ契約を締結し、ザン

ビアでプロサッカー選手として活動した。アフリカサッカー連盟(CAF)が集計してい るアフリカ国内リーグのランキングにおいて「Zambia Super League」は

56

リーグの 中で8位(2019年)に位置している。また国際サッカー連盟(FIFA)が発表する

FIFA

ンキングにおいてザンビア代表チームは

81

位(2018年)に位置しており、当国はアフ リカの中では「サッカー先進国」と分類できる。

実際に当リーグでプレーしている多くの選手が「ザンビアはアフリカで最もレベ ルが高く、環境が整っている国の一つであり、多くのアフリカ人選手がザンビアへの 移籍を望んでいる」と述べている。しかし、当リーグで契約を結んでいるアフリカ大 陸外の国籍の選手、言い換えると「非黒人選手」は

2019

6

月時点で筆者を合わせ

2

人しかおらず、過去に所属していた選手も数名しか存在しない。

筆者は当リーグに所属している

FC MUZA

で史上初かつ唯一の「非黒人選手」とし てサッカーをすることを通して、ザンビアの文化を体験した。「中国人みたい」

「Mzungu(≒白人)」と肌の色や人種を理由に不当な扱いを受けたり、「

Juju(≒呪

術)」という超自然的な力を行使する現地の伝統宗教を目の当たりにした。欧米諸国 のプロサッカーリーグでは確認することができない、ザンビアサッカー特有の実態を 目の当たりにし、カルチャーショックを受けた。その中でも印象に残ったエピソード を整理すると「宗教観」と「人種観」の2つのキーワードに分類できる。筆者はこれ らの事象を引き起こしている要因はザンビアの歴史的・政治的な背景以外に、ザンビ ア人とプロサッカーを通してつながり、同じ釜の飯を食べることで、共通して存在す る感情があると感じた。

そこで本稿は、第2章でザンビアの基本的な情報を入植の歴史と宗教の観点から 整理し、第3章でザンビアのプロサッカーリーグについての実態をアフリカにおける スポーツの伝来の歴史的背景からまとめる。第4章ではフィールドワークで得られた データを事例として提示し、最後に第5章でそこに影響を与えている要因について歴

(7)

史的・政治的背景より考察し、ザンビア人の文化的な価値観を筆者が体験したエピソ ードから感情に注目しながら明らかにする。

本研究は、研究蓄積の乏しいザンビアのプロサッカーの実態を明らかにし、ザン ビア文化の一端を示すことを目的とする。そして今後ますます進むアフリカ、とりわ けザンビアの国際開発を推し進めていく上で現地に根差す文化理解の一助となれば幸 いである。

2.

研究方法

本研究は文献調査とフィールドワークを用いてデータの収集を行った。文献調査 ではアフリカとりわけザンビアの歴史、宗教やスポーツに関する理論的研究や事例な どの先行研究をまとめ、本研究の文脈に沿ってレビューした。

またフィールドワークでは、ザンビアトップリーグ「

Zambian Super League」に所属

する「FC Maestro United Zambia(FC MUZA)」を対象事例として実施した。滞在 は、サッカー選手という立場で行った。「FC MUZA」内部とチームが位置するザン ビアを主なフィールドとして、チームメイト、スタッフ、サッカー関係者へのインタ ビューや参与観察などを実施した。なお、話が現地語で行われた場合は、チームメイ トに英語で通訳をしてもらって解釈した。

3.

調査地の概況

ザンビアは、1964年に英国から独立した、アフリカ南部に位置する共和国であ る。

ザンビアは南緯

8°から 18°、東経 22°から 34°に位置し、北にコンゴ民主共和

国、北東にタンザニア、東にマラウイ、南にモザンビーク、ジンバブエ、ボツワナと ナミビア、そして西にアンゴラと隣接している。面積は

752.61

千平方キロメートル で日本の約

2

倍、人口は

1,735

万人(The World Bank Group 2018)で日本の約

10

分の

1

である。したがって、人口密度は日本の約

20

分の

1

である。ザンビアは中央州

(Central)、カッパーベルト州(

Copperbelt)、東部州(Eastern)、ルアプラ州

(Luapula)、ルサカ州(Lusaka)、北部州(Northern)、北西州(North-Western)、

南部州(Southern)、西部州(Western)、ムチンガ州(Muchinga)の

10

つの州

(Province)から構成されており、最大の都市は首都のルサカである(図 1)。

(8)

2010

年のザンビア国勢調査によるとザンビア国内で最も多い上位3つの民族

(Ethnicity)

はベンバ系

(Bemba) 21.0%

、トンガ系

(Tonga)13.6%

、チェワ系

(Chewa) 7.4%

であり、この他にも

70

以上の部族が存在する。これに対応して言語は、 ベンバ語

(Chibemba)41%、トンガ語(Chitonga)14.5%、ニャンジャ語(Chinyanja)23.3%が主要の部

族語(Tribe language)とされ、言語もその他多数存在する(4)。英語が公用語とされてい るが、ある程度の教育を受けた者しか英語を使うことができないのが現状である。宗 教は、主としてキリスト教であるが、その他の伝統宗教も多数存在する。ザンビア経 済の主力は鉱業であり、世界第

7

位の産出量があり総輸出額の約

74.3%(2013

年)を占 める銅の輸出に頼る典型的な単一輸出経済である(5)。特に銅山の密集する北部地域は カッパーベルト州と名付けられ、現在最もザンビアで都市化が進んでいる地域であ る。

筆者が現地調査を主におこなったのは、ザンビア南部(Southern Province)のマザブ カ(Mazabuka)においてである。マザブカは南緯

15°49

から

15°53、東経 27°42

から

27°47

に位置し、海抜

1000m

以上の高原面を主体とする。首都ルサカからリビング

ストン行きの鉄道の間にある、ザンビア南部に位置する町である。2019

7

1

時点で人口

194,653

人(City Population Website集計)を擁し、アフリカでも有数のサト ウキビ農業で町が栄えている。住民によると、古来トンガ族がマゴエ川を渡って移住 したことから、町の名前にもなっている「マザブカ」は「川を渡る」を意味するトン ガ語の"Twazabuka" または"Kuzabuka"に由来するという。

(9)

筆者が現地調査を主におこなったのは、ザンビア南部(Southern Province)のマザ ブカ(Mazabuka)においてである。マザブカは首都ルサカからリビングストン行きの 鉄道の間にある、ザンビア南部に位置する町である。調査地は南緯 15°49 から 15°

53、東経 27°42 から 27°47 に位置し、海抜 1000m 以上の高原面を主体とする。

2019 年 7 月 1 日時点で人口 194,653 人(City Population Website 集計)を擁し、アフ リカでも有数のサトウキビ農業で町が栄えている。古来トンガ族がマゴエ川を渡って 移住したことから、町の名前にもなっている「マザブカ」は「川を渡る」を意味する トンガ語の"Twazabuka" または"Kuzabuka"に由来するという。

調査対象は 2019 年 6 月まで Zambia Super League に所属していた FC MUZA であ る。

現地調査は参与観察を中心に 2018 年 12 月から 2019 年 5 月にかけて6ヶ月間おこ なった。

図 1 ザンビアの地図 出所:外務省ホームページより

(10)

第2章 ザンビア共和国について

本章ではザンビアの歴史と宗教の観点から理解を深める。まずザンビアの入植の 歴史を独立前、独立後の枠組みから整理し、現代のザンビア政治の実態を主に中国と の関係性に着目しながら理解する。次にザンビアの宗教について歴史的背景から概観 し、その中でもアフリカ特有の伝統宗教についてまとめることでアフリカ、とりわけ ザンビア人の宗教観について知見を深める。

1.

ザンビアの歴史 (1)独立前

8〜12 世紀ころバントゥー語系住民が北から南に移住し、原住民ブッシュマンを追 い出して農耕、牧畜を始めた。1000 年ころにはトンガ・イラ文化がザンベジ川渓谷 沿いに栄えた。17 世紀にはコンゴ地方からロジ族、南方からベンバ族が来住し、そ れぞれ中央集権的な王国を建設した。

1798 年にこの土地に進出していたポルトガルは、1830 年代から大西洋岸のアンゴ ラ植民地とインド洋岸のモザンビークを結ぶことを目指して、内陸のザンビアへの探 検を本格化させ、多くの探検家がこの地を訪れた。19 世紀半ばにはイギリスもこの 地への関心を深め、1855 年にこの地を訪れた探検家にして宣教師でもあったデイビ ッド・リビングストン(David Livingstone)が、「モーシ・オワ・トゥーニャ(Mosi- oa-Tunya)」の滝をヨーロッパ人として初めて発見し、当時のイギリスのヴィクトリ ア女王の名に因んで「ヴィクトリアの滝(Victoria Falls)」と名付けた(6)

19 世紀末 C. ローズのイギリス南アフリカ会社は南アフリカからさらに北方への 進出を企て、リンポポ川以北のマタベレランド、マショナランド、マニカランドを手 に入れ、南ローデシア (現在のジンバブウェ)をつくった。つづいて 1890 年にザン ベジ川上流域のロジ王国のレワニカ王から鉱山採掘権を入手し、さらに北方のベンバ 族を強敵ンゴニ族から守るという名目で 1899 年にはほぼ現在のザンビア (北ローデ シア)全域を手に入れた。アフリカ分割に関して衝突していたポルトガルに対して 1890 年に最後通告を出し、現在のザンビアとジンバブエとマラウイに相当する地域

(11)

に展開していたポルトガル軍を撤収させ、該当地域の植民地化を決定的なものとした [金七 2003:190]。しかし会社の関心は鉱産資源の多い南ローデシアに集中し、北ロ ーデシアへの白人の入植は遅れた。

1898 年 6 月 25 日に初のヨーロッパ人移民があった後、1900 年にバロツェラン ド・北西ローデシア立法審議会が開かれ、この地はイギリスの保護領となったが、在 地のレワニカ王はその後も一定の権力を保ち、レワニカ王は 1906 年にバロツェラン ドの奴隷制を廃止した[星 1988:108]。その後 20 世紀初頭には、ツェツェ蠅が多 く、農業に適していなかったこの北ローデシアの地へのヨーロッパ人の入植は進ま ず、鉄道も建設されなかった[林、星 1988:123-124]。

1920 年代の初め、会社の独占的支配に対する白人入植者の反感が高まり、住民投 票の結果、24 年会社の南・北ローデシア支配は終わり、北ローデシアはイギリスの 植民地省が統治する直轄植民地となった。1920 年代末、北ローデシア中部の現ザイ ールとの国境沿いのコッパー·ベルトで銅の富鉱が発見され、ローン・セレクショ ン・トラスト社 (RST. アメリカ系)とアングロ・アメリカン社 (AAC,南アフリカ連 邦·イギリス系)が開発に乗り出した。

北ローデシアの銅経済は 1929 年の世界恐慌勃発と 1931 年 11 月の銅価格の暴落を 乗り切り、その経済的な好調は南ローデシアに居住していた白人入植者の目をこの地 に向けることになった[林、星 1988:155-157]。

イギリス領ニヤサランド(現在のマラウィ)のアフリカ人労働力と合わせて 3 植民地 で連邦を結成することを図り、イギリスとアフリカ人の反対を押し切って 1953 年に ローデシア・ニャサランド連邦を結成し連邦初代首相にはハギンスが就任した [林、

星 1988:197-200]。 白人の利益を優先する連邦結成にアフリカ人は反対し、H.ンク ンブラがアフリカ人民族評議会(ANC)を結成、カウンダもこれに参加した。

急進的なカウンダは 1958 年脱党し新党をつくったが、非合法化され投獄され た。1959 年釈放されたカウンダは統一民族独立党(UNIP)の党首となり、連邦反対と 独立を要求してイギリス政府と交渉した。1956 年に第二代連邦首相に就任したロ イ・ウェレンスキーの統治を経てローデシア・ニヤサランド連邦では葉タバコ生産や カリバ水力発電ダムの電力による工業化が急速に進んだが、連邦の経済政策が白人入 植者の集中していた南ローデシアを優先する方針を連邦の経済政策が白人入植者の集 中していた南ローデシアを優先する方針を取ったために黒人民族主義者の反発を招い

(12)

て 1963 年末ローデシア・ニヤサランド連邦は崩壊し、翌 1964 年 7 月にニヤサラン ドはバンダ首相の下でマラウイとして独立を達成、北ローデシアも在地のロヅィ族の 王ムワナウイナ 3 世によるバロツェランドの分離独立運動を制した北ローデシア植 民地政府首相のケネス・カウンダと統一民族独立党により、北ローデシアは 1964 年 10 月 24 日イギリスから独立してザンビア共和国となった。

(2)独立後

独立後直後に国際連合に加盟したザンビアは、国連の経済制裁決議に従ってアパ ルトヘイトを敷いていた南アフリカ共和国との経済関係を断ち、さらに 1965 年にロ ーデシアがイアン・スミス首相の下で一方的独立宣言を行うと、ローデシアの封鎖に も加わった[林、星 1988:200]。

両国に大きく経済的に依存していたザンビア経済は大打撃を受け、さらに内陸国 であったザンビアはそれまで行っていたローデシア鉄道を用いた銅輸出への道を絶た れた。1969 年 8 月にカウンダ政権は外資系銅企業の国有化政策を進め、1970 年 7 月 にはタンザニア、中華人民共和国の援助でローデシアを経由しない銅輸出のためのタ ンザン鉄道の建設が調印された。また、1970 年 2 月にカウンダは国内の部族主義を 克服するため、統一民族独立党による一党制を樹立した[林、星 1988:233,235]。

1973 年にカウンダはローデシアとの国境を完全に封鎖し、さらに銅企業の国有化 政策を推進した。外交面でカウンダはポルトガルからの独立を目指すモザンビーク解 放戦線(FRELIMO)やアンゴラ国民解放戦線(FNLA)を支援しており、1974 年 4 月 25 日にポルトガルでカーネーション革命が勃発し、エスタード・ノーヴォ体制が 崩壊すると、9 月に FRELIMO とポルトガル新政府を仲介してルサカ合意を実現させ た。

ザンビアは独立以来一貫して銅に依存した経済構造を有しており、政府主導での 農業部門の拡大による経済の多角化が唱えられながらも小農の形成は進まなかった。

このような経済構造が災いして、1970 年代後半の銅価格低迷はザンビアの経済に大 打撃を与え、1980 年代のザンビアは経済的に低迷し続けた[小倉 1995:63-78]。1982

年、Zambia Consolidated Copper Mines Limited(ZCCM)に統合されたものの、国

民は銅価格の低下に起因するザンビア経済の凋落に不満を爆発させ、1986 年 12 月に は暴動が発生する。さらに 1989 年にはカウンダの与党統一民族独立党一党制に対し

(13)

て公然と複数政党制を要求する声が挙がり、1990 年 6 月の暴動を経て同 1990 年 7 月 20 日には複数政党制民主主義運動(MMD)が結成された。1991 年に複数政党制 を導入した選挙で与党 UNIP はフレデリック・チルバ率いる複数政党制民主主義運 動(MMD)に敗れ、カウンダ政権は終焉した[小倉 1995:129-143]。

新たに就任したチルバ大統領は経済の自由化を進め、ZCCM を 1997 年から 2000 年にかけて 8 つの事業へ段階的に民営化するなどの改革を行ったが経済は好転せ ず、汚職が恒常化しクーデターが試みられるなど政治は不安定化した。2002 年に MMD からレヴィー・ムワナワサが大統領に就任した。その後ムワナワサ大統領は任 期中の 2008 年に死去し、その後の大統領選で MMD のルピヤ・バンダ大統領代行が 当選した(7)。2011 年の大統領選には当時の現職のバンダ大統領代行を破ったマイケ ル・サタ候補が当選し、政権交代が起きたものの、サタ大統領もまた任期中の 2014 年 10 月 28 日にロンドンで死去した。副大統領で白人のガイ・スコットが暫定大統 領に就任した(8)ち、与党・愛国戦線のエドガー・ルングが、選挙を経て 2015 年 1 月 25 日に第 6 代大統領に就任した。

(3)ザンビアと中国

現代のアフリカとりわけ、ザンビアの経済的成長は中国なしには語れないであろ う。

世界の国々を経済成長率でみると近年の成長上位国はアフリカに集中している。

ハーバード大学経済複雑性指標(Harvard Atlas of Economic Complexity)の 2024 年ま での年率成長予測によると、成長予測の筆頭はインドの 7%であるが、それ以外の上 位国 10 カ国中 7 カ国をアフリカが占めている。また African Economic Outlook に よる 2006 年から 2014 年の平均年間 GDP 成長率でもアフリカが上位 10 カ国中 4 カ 国を占めており、ザンビアは双方の指標で世界トップ 10 入りしている。この経済成 長の大きな要因に新興国、とりわけ中国の経済成長による資源需要の急増と、それと 連動して対中資源供給国となったアフリカ各国との貿易投資が拡大している点にある [吉田 2017:121]。

世界の対アフリカ投資は OECD 諸国、つまり先進国からの投資が大半を占めてき たが、2010 年ごろから新興国のブラジル、中国、インド、南アフリカ、そしてマレ ーシア、いわゆる MBICS 諸国の投資量が急増し、次第に新興国による投資が OECD

(14)

諸国をしのぐようになっている[Chen, Dollar, Tang 2015]。中でも中国による対アフ リカ投資の存在感は大きい。表 1 から見てもわかるように、対ザンビア直接投資は 1980 年より中国のアフリカ投資では非常に重要な地位を占め、アフリカで最大の投 資受け入れ国の一つである。さらに 2006 年 11 月の第 3 回中国アフリカ協力フォー ラム(FOCAC)北京サミットで中国の胡錦濤・前主席はザンビアを含む5箇所の中 国アフリカ経済貿易協力区(中ア協力特区)を設置することを発表した[吉田 2017:125]。

多大な経済的な恩恵を受けている現状があるにも関わらず、ザンビアでは特に 2005 年以降反中感情が高まっている。

1998 年、中国の建設会社によって国有鉱山会社 ZCCM の保有するチャンビシ銅鉱 山は買収され、その後、労働条件の悪化が労使問題化し、特に 2005 年、51 人が死亡 した鉱山作業所事故への対応の不手際と、翌年、雇用条件の改善を要求するザンビア 人労働者グループに警官が発砲したことをきっかけに反中感情が拡大、国内各地の銅 製錬所や中国系企業の職場を中心に反中運動が拡大した[吉田 2010:50]。

このような反中感情に政治的に対応する形で 2006 年 9 月のザンビア大統領選挙で は野党愛国戦線のマイケル・サタ候補が、中国企業によるザンビア投資のあり方を選 挙キャペーンでとりあげ支持を集めた。サタ党首は中国企業による投資はザンビア人 の利益に繋がらないとして対中国断交を公約に掲げたのである[小倉 1995:192]。

中国アフリカ、とりわけザンビア間の経済関係は 2000 年代に入り急成長したが、

2010 年以後中国経済の減速により、明らかにアフリカの資源需要は減少しており、

投資意欲は低下している[吉田 2017:129]。そのため両国の関係性がいかに展開する か今後さらに注視する必要がある。

(15)

2.

ザンビアの宗教

(1)ザンビアの宗教の概況

1996 年の憲法改正は、ザンビアをキリスト教国家と宣言すると同時に、宗教と慣 行の自由を規定した。 すべての宗教団体は、法律で政府によって登録されることが 義務付けられており、すべての申請は、差別なく登録および承認される。 ザンビア 人の大半はローマカトリック教徒またはプロテスタントのクリスチャンだが、他のキ リスト教の宗派や伝統的な宗教的慣行もこの国では一般的である(表 2)。その中でザ ンビアにおける主要な宗教グループは 4 つに分けて考えられる。

「世界地誌 アフリカ

2017」より引用

表 1中国の対アフリカ直接投資

(16)

まずプロテスタントのキリスト教である。プロテスタント主義は、19 世紀のザン ビアの開拓以来、ザンビア人の考え方の中心にある。キリスト教はアフリカの他の地 域も探検していたヨーロッパのプロテスタントの宣教師によって 19 世紀半ばにザン ビアにもたらされた[Blaikie 1880]。中央アフリカを探検したデイビッド・リビング ストンがザンビアのニアミコロ(Niamikolo)やバンウェウル湖(Lake Bangweulu)周辺 でいくつかの宣教所を設立したことがキリスト教の普及のきっかけとなったとされて いる。 今日、プロテスタントのクリスチャンが人口の 75%以上を占めている。ザン ビアのプロテスタント教会には、長老派教会(Presbyterian Church)、メソジスト教会 (Methodist Church)、英国国教会(the Anglican Church)、福音派教会(the

Evangelical Church)などがある。 これらのプロテスタント教会は、現在も医療サー ビスの提供や教育活動など、全国での宣教活動を続けている。

次に、ローマカトリックキリスト教である。ローマカトリック教徒はザンビアで 最大の単一宗派であり、人口の 20%がこの宗教グループに属す。ザンビアのローマ カトリック教会は、ローマの教皇が率いる世界的なカトリック教会の一部であり、カ トリック教会もザンビアで最も影響力のある宗派である。最初のカトリック宣教団体 は 1885 年にキリスト教に非常に敵対的だったベンバ族の間で設立された。ザンビア はいくつかのカトリック教区に分かれており、それぞれにカトリックの病院と学校が 全国に広がっている。3 つ目にアニミズム・アフリカ伝統(民俗)宗教である。アフリ カの伝統的な宗教は、現地では最も古い宗教であり、霊、創造者、死者、祖先、神聖 な場所、そして魔術に対する信仰に焦点を当てている。「特殊な能力を持った治療師 や占い師は、アフリカにイスラム教やキリスト教が入ってくる遥か以前から」[ホー キー 2010:283]アフリカ大陸に存在していた。ザンビアのアニミズムとアフリカの 民俗宗教の遵守は、人口の 3%と推定されている。キリスト教の布教の過程で「彼ら (伝統宗教)を敵視したが、いっぽうでは普及のために彼らの手口を取り入れることも あった」[ホーキー 2010:283]のだ。例えば西洋医学を「対抗呪術」として利用する ことで、現地の伝統的な「特殊な能力を持った治療師」が治癒できなかった病気や怪 我を完治させ、キリストの教えとともに西洋文化の正当性を説いていったのだ。結果 としてザンビアでのキリスト教の普及に伴い、伝統的な宗教的信念は首都圏を中心に 徐々に衰退している。

(17)

最後にイスラムや無神論を唱える少数派である。イスラム教は 18 世紀にアラブの 貿易商人を通じてザンビアに到着した。この国のイスラム教徒は人口の 1%未満であ り、ザンビア中央部の鉄道沿いで主に生活している。ザンビア人の 1%は、宗教を持 たないか、国内のどの宗教も信じていない(9)

(2)アフリカの伝統宗教

ザンビアの伝統宗教について詳細に記述できるほどの文献や情報が収集できなか ったため、少し広義ではあるが「アフリカの伝統宗教」についてまとめる。

「世界のなかでもアフリカは迷信が盛んだ。未来を見通して神のお告げを述べる 神官たちの存在も、各国の民族文化に根づいている。雨や日照り、勝利や敗北の前兆 を見抜いて、運命を左右することができる聖なる人々が信仰を集めている。」 [ホー キー 2010:283]

アフリカの文化的な大きな特徴として上記でホーキーが示したような信仰がアフ リカ全土の民族文化に散見できることがあげられる。

アフリカには西洋の宗教がもたらせられる前より多種多様な伝統宗教が存在して おり、米山によるとアフリカは「伝統的に①祖先神、②自然神、③至高神の信仰があ

75 20

3 2

プロテスタント カトリック

アニミズム・伝統宗教 その他

図 2 ザンビアの宗教比(2010) ([The World Factbook 2010] より筆者作成)

(18)

り、その世界観と結びついてそれぞれの祭祀、儀礼を発達させてきた」[米山 1989:

199-200]。中でも呪術を広く信じ、邪術を用いる者が存在すると信じられている。

アフリカでは呪術は豊作や雨をもたらし、病気の治療、災害の回避などを可能にする と信じられており、専門家として呪術師(魔術師、witch doctor)が活躍している。

呪術とは、「日常的な技術的手段やコミュニケーション、神々への祈願以外の方 法によって、人間や世界に働きかけて一定の変化を生じさせることを目的とする行 為」[阿部 1989:200]をいう。呪詛や祝福も呪術の一種とし、呪術の基盤にあるのは 神秘的な力の観念であり、呪術は、神秘的な力を発動させ操作する方法である[阿部 1989:200]。アフリカの世界観においては「力の思想」が重要な位置を占めているこ ととも関連して、呪術はきわめて発達しており、生活の中で重要な役割を果たしてい る。

アフリカの諸民族は呪術を、社会のために正当に用いられるもの(白魔術、白呪 術、White magic)と常に邪悪な目的のために反社会的な仕方で用いられるもの(黒魔 術、黒呪術、邪術、witchcraft、Black magic)とに区分する。良い呪術師が行うこと は、病気、治療、盗難や事故などの予防、宣誓のための薬を調合すること、そのほか 戦勝、就職、逃げた妻を連れ戻すこと、なくなったものを取り戻したり盗人を金縛り にしたりすることなど、ほとんど生活全般にわたっている[阿部 1989:200]。

一方、邪悪な呪術師(黒魔術師、妖術師、witch)が行うことは、正当化されない理 由によって他人を不幸にし、滅ぼすことである。心身の病気にしたり、事故にあわせ たり、殺したり、家畜や穀物に害を与えたり、家庭に不和を持ち込んだり、さまざま なやり方がある[阿部 1989:200]。そのため、病や死や事故などの災厄は邪悪な呪術 のせいとみなされ、原因究明や防御の措置が講じられる。人々は対抗呪術として邪悪 な呪術から身を守るために、さらには積極的に多産を実現したり、異性の心を射とめ たり、就職したり、昇進したり、敵に危害を加えたりするためにも、金銭等を払って 呪術師の助力を求める。

さらに呪術の特徴を阿部は次のようにまとめる。

呪術の基本は、言葉(発語=呪文)と行為と呪物の組合せからなっている。動植物の 一部(動物の毛皮、鳥の羽根骨、くちばし、爪など、植物の根、樹皮、木の実など)や 鉱物などを、粉にしたり灰にしたりして呪薬として用いる。あるいは、角や皮袋に入

(19)

れたり束ねたりして呪具、護符などとして用いる。呪薬は、服用したり、皮膚につけ た切傷にすり込んだり、地面につけた溝に埋めたりする。呪物は身に着けたり家屋や 生垣のどこかに差し込んだり、部屋に安置したりする。邪悪な呪術師の場合にはさら に、蛇やコウモリなど動物や、墓場から掘り出した人間の死体などを用いる。また、

相手の毛髪や爪、足跡の土、身に着けていたもの、相手の似像などを攻撃する。呪薬 や呪物のなかには固有名詞をもつ霊力を宿しているものもある。そのようなケースで は呪物と精霊の区別をつけることが困難になる。また呪薬や呪物が呪術師にさまざま な超常的な能力を与える場合もある。その例としては、火の上をやけどしないで歩い たり、刺の上にけがしないで寝ることができる能力、隠されたものを見つけたり未来 を予知したりする能力、野生動物に変身したり野生動物や死霊を使役したりする能力 などがある[阿部 1989]。

アフリカ特有の伝統宗教、とりわけ呪術は現在でもアフリカ各国で存在してい る。実際、梅屋や佐々木も事例を紹介している。佐々木は西アフリカのカメルーンで エジャガム族には「ンジョム」という「妖術をかけてきた相手や泥棒、犯罪を犯した 者(いずれも相手は不明)に対し、呪力によって間接的に害を与えたり、それらから 自分の身を守るなど、いわば災因に働きかけるもの」[佐々木 1995:39]があり、西洋 医学が解決できない妖術に対抗する力が信じられているという。

また、梅屋は「ウガンダ東部のアドラ民族の間でも、ほかのアフリカ諸社会と同 じく、病や不幸の原因にはしばしば死霊や悪霊、呪詛、何らかの祟りが関与している と考えられている」[梅屋 2012:70]という。その対処法は上記で示したような、霊の 専門家である施術師や薬草師に頼るしかない場合もあり、超自然的で神秘的な観念が 存在するという。

以上、本章ではザンビアの独立前後の歴史と政治を概観し、ザンビアの宗教およ びアフリカ特有の伝統宗教について整理した。

(20)

第3章 ザンビアのサッカー

本章ではまずアフリカにサッカーが伝来した歴史とアフリカ諸国のプロサッカー リーグに共通する特徴を先行事例を交えながら紹介する。次にザンビアのプロサッカ ーリーグの実態について明らかにする。

1.アフリカにおけるサッカーの歴史

ミシガン大学でアフリカの歴史研究をしている

Alegi

によると、サッカーが初めて アフリカにもたらされたのは

19

世紀半ばのことである。サッカーはヨーロッパ、と りわけイギリスの帝国主義とともにまず南アフリカにもたらされたが、当初はイギリ ス人の兵士、貿易商人や宣教師によってプレーされていたのだ。アフリカ大陸で行わ れた記録に残っている最初の試合は、サッカーの公式ルールが体系化される

1

年前の

1862

年に南アフリカで彼らが行なったものである(10)

サハラ以南の植民地支配を受けた地域に西洋スポーツが伝播されたのは

19

世紀後 半から

20

世紀初頭のことである。西洋スポーツ、とりわけサッカーの伝播の担い手 となったのがキリスト教の伝道団体・宣教師、ヨーロッパ・スタイルの学校教育、軍 隊、クラブ組織である。その中でも宣教師は大きな役割を果たした。伝道団体は現地 の人びとに対してキリスト教信仰を広めるだけでなく基礎的な教育をほどこすことが 多かった。また、本国で伝道団体や宗派(イギリスでいえば主に非国教系プロテスタ ント)の活動に関心を寄せた者が、植民地にわたって行政官や教育者になることもあ った。そうした教育には、いわゆる「読み書きそろばん」だけではなく、スポーツを 通じて身体を鍛えたり、規律遵守、チームワーク、自己犠牲などを教え込んだりする ことも含まれていた。さらにイギリスからは、パブリックスクールとその卒業生の主 要な進学先である大学(オックスフォードやケンブリッジ)で育まれた「アスレティ シズム」ないし「筋肉的キリスト教」という理念がアフリカにも持ち込まれたこと で、現地により急速に西洋スポーツが広まり、受け入れられた(11)

アフリカ人は特にサッカーに引き付けられ、自分たちのサッカークラブを組織し 始める。この当時組織されたチームが後の各国のサッカー協会の原型となる。実際、

(21)

ザンビアサッカー協会の原型は

1929

年にスタートしたとされている。その後、イギ リスのサッカー戦術を導入したり、選手たちはサッカーを通して収入源を確保するな どして、サッカーはアフリカで急速に実用化され始める。現地人によるサッカーに関 わる集会の場が反植民地主義を説教する機会として使用されることを恐れたヨーロッ パ人は独立したチームの活動を制限する(12)。政治的および経済的に弱い立場にあ り、様々な制限を受けながらも

1957

年にアフリカサッカー連盟(CAF)が設立(13)

1960

年代に多くのアフリカ諸国の独立が実現したことでアフリカにおけるクラブサ ッカーが拡大した。多くのアフリカ国内リーグがアフリカサッカー連盟に登録し、現 在では

56

のサッカー協会が加盟している(14)

アフリカサッカー連盟が主催する代表的な国際大会としては、1957年より開催さ れているナショナルチームによるサッカーの大陸選手権大会「アフリカネイションズ カップ」や

1964

年より開催されているアフリカ各国の国内リーグで優勝したクラブ がアフリカのクラブ間で競い合う「CAFチャンピオンズリーグ」などがある。

2.アフリカのプロサッカーの現状

Garcia

はヨーロッパ諸国、日本やアメリカなどのプロサッカーリーグに所属する選

手たちと比較すると、アフリカプロサッカーリーグの選手は「劣悪な労働環境の中を 生きている」[Garcia 2018]と述べ、アフリカのサッカーの現状を以下のようにまとめ る。

国際プロサッカー選手会(FIFPro)が

2016

年に

54

カ国の選手の労働組合に対して 行った調査によると、年間

72

万ドル(62万ユーロ)以上の報酬を得るエリートの類 に含まれるサッカー選手は、世界のサッカー労働者の

2%である。その大部分の選手

はヨーロッパやペルシャ湾岸地域、中国で活躍している。一方で、

21

%の選手の月給

300

ドル(

260

ユーロ)以下である。このような貧しい労働者の多くはアフリカの クラブに所属しているが、これらのクラブの給与額は世界で最も低い。世界規模では 調査を受けた選手の

41%が直近 2

シーズン中の給料の遅配に言及しているが、アフ リカでのその割合は

55%にのぼる[Garcia 2018]。

実際、筆者がプレーしていた

FC MUZA

でもほとんどのローカルの選手は月の基 本給が 100 ドルの契約で、筆者含め退団までの 3 か月分の給料は未だ受け取ってい ない。また同リーグに所属する Lusaka Dynamos では、給料の遅配が原因でコンゴ人

(22)

選手らが練習をボイコット、さらには国際サッカー連盟(FIFA)に訴えたことで同ク ラブは 2019 年シーズンのリーグ戦の勝ち点を 6 点引かれる処分が下された。このよ うな給与の遅配のほかにも、契約金の不払いやケガと医療に対する責任回避といった ことは、アフリカの選手にとっては日常茶飯事である。「アフリカのサハラ砂漠以南 では、インフラの面でも組織の面でもプロフェッショナリズムが発達していません」

FIFPro

のアフリカ支部の事務局長であるステファン・ビュルシュカルテ氏は断言

する。[Garcia 2018]

アフリカプロサッカーリーグの文化的側面にも大きな特徴がある。それは宗教 との密接な関係である。第2章でアフリカ特有の伝統宗教、とりわけ呪術について記 述したが、アフリカでは「サッカーと呪術的実践とは切り離せない

というよりも、

非常に密接に絡み合っている」[梅屋 2017: 87]。民族誌的事実としていくつかの 事例を紹介する。

(1)「U-20 サッカーアフリカカップ」決勝、ザンビア対セネガル、2017 年 3 月 12 日)

2017年3月12日の「U-20サッカーアフリカカップ」決勝でザンビアとセ ネガルが対戦したときのことである。セネガルのストライカー、イブラヒマ・ヌディ アエがソックスから何か(テレビ解説者によるとサッカーの神にまつわるもの)を取り 出し、ザンビアが守っているゴールに投げ込んだ(図

3)。これに対してザンビアチー

ムは激高。セネガルのムガベ大統領も愛顧するジュジュ(jujuではないかと言われ たが、試合はザンビアが勝利。試合後、ジョセフ・コトヘッドコーチは、「私は呪術 を信じていません。もしジュジュが存在するのなら、セネガルが勝利していたことで しょう」。とコメントしている(15)

(23)

(2)「ルワンダプレミアリーグ」、ムクラ対レイヨン・スポーツ、2016 年 12 月 16 日

2016

12

16

日、ルワンダプレミアリーグ、ムクラ(Mukura)対レイヨン・

スポーツ(Rayon Sports)戦。1点を追うレイヨン・スポーツの

FW

カマラが、相手 ゴール左ポスト根元付近に何らかの物体を突き刺す(図

4)。これを見た相手GKはカ

マラが呪術を使ったと考え、激高する。ムクラは複数人でカマラを激しく追い回し、

主審は同FWにイエローカードを提示した。しかし、直後にヘディングでカマラの同 点ゴールが生まれる。

試合後、ルワンダサッカー協会より呪術を使ったとみなされた選手は

10

万ルワ ンダ・フラン(約

14,300

円)の罰金、所属クラブについては、290万ルワンダ・フ

ラン(約

414,000

円)の罰金という処遇が決定する。同協会のケイランガ副会長は

「厳密に言うと、協会として魔法そのものに対する罰則はない。なぜなら世界のどこ においても魔法が試合に影響を及ぼしたという証拠はないからだ。ただ、そのような

(魔法をかけたとされる)行為が相手チームとの暴力的ないさかいを引き起こすた め、罰則を設けることにした」と説明している。

ルワンダのニュースサイト、ニュータイムズ(The New Times)の記者は「呪術 など個人的には信じない」という立場を取りつつも、「このような出来事は、アフリ カやルワンダのサッカー界において珍しいことではない。私はこの

10

年ほどの分析

3

試合中に投げ込まれたもの

(YouTube

より抜粋)

(24)

から、スキルや練習よりも呪術の方が素晴らしい試合を作り得る、と信じているコー チや選手もいると確信している」と書いている。

ホーキーはこのような「アフリカのサッカーには呪物崇拝や魔除けの儀式、イ スラム教の聖者崇拝や薬草の使用、その他もろもろの迷信にまつわるエピソードが昔 から山ほどあった」[ホーキー 2010:282]と述べ、「聖なる人々」すなわち、呪術師は いまでもアフリカのサッカー界で重宝されているのである。

3.ザンビアサッカーの概況

ザンビアにサッカーがもたらされたのは 20 世紀初頭のことである。イギリス人に よって南部リビングストンで最初に導入され、その人気は瞬く間に広がった。しかし 非ヨーロッパ人による参加を厳しく制限され、ザンビア人はサッカーの機会を求めて 政府が植民地の他の地域よりも恵まれたスポーツ施設を労働者に提供していたカッパ ーベルト鉱山の町へ集まった。その結果、ザンビアの才能あるアスリートのほとんど はカッパーベルト地域で育ち、ザンビア二大ビッグクラブとされている Zesco United と Nkana がカッパーベルト地域周辺で設立された。サッカーは現在ではザン ビアの国技とされており、重要な国際試合が行われているときは国民全員が観戦する

4 FW

カマラが何らかの物体を刺している様子

(YouTube

より抜粋)

(25)

ため商業施設は営業を停止するほどの人気ぶりである(16)(図 5)。1929 年に設立され たザンビアサッカー協会 Football Association of Zambia (通称 FAZ)は1964 年に国際 サッカー連盟 FIFA に加盟し、現在ではアフリカ有数の「サッカー先進国」である。

ザンビア代表チームは 2012 年のアフリカネイションズカップで優勝を経験、2018 年時点でザンビアは FIFA ランキング 81 位に位置しており、アフリカサッカー連盟 に加入している国の中ではザンビアのナショナルチームは 17 位である。

一方で過去 5 年間のクラブの国際大会の成績を集計したランキングではザンビア

のリーグは 7 位である。これはザンビアの国内リーグに能力の高い選手と資本が集 まっている証拠であり、実際に当リーグでプレーしている多くの選手が「ザンビアは アフリカで最もレベルの高く、環境が整っている国の一つであり、多くのアフリカ人 選手がザンビアへの移籍を望んでいる」と言及している。なお、ザンビアの代表チー ムと国内リーグの管轄をしている母体はザンビアサッカー協会Football Association of Zambia (通称 FAZ) である。

ここでザンビアのサッカー文化を事例を交えながら紹介したい。ザンビアのサッ カーにも上記で示したようなアフリカ特有の呪術は存在し、伝統宗教との関わりがあ るが、キリスト教との密接な関係もある。このことはサッカーのあらゆる場面で観察 することができる。

図 5 チケットを購入せずにサッカーの試合を観戦するザンビア人サポーター

(2019

年 筆者撮影)

(26)

(1)事例 1

練習の開始前、終了後はコーチングスタッフ含めチーム全員で手をつなぎ円陣 を組む(図6)。目を閉じ30秒から

1分間ほどそれぞれが神に対するお祈りを口に

し、最後に

”Amen.”

と発することで終わる。この行為はアウェイゲームなどで長 距離のバス移動をする前や食事をチームとしてとる前にも行われる。

(2)事例2

公式戦の前日、選抜メンバーの18人はチームが指定した宿泊施設に前泊する。

夕食後には必ずバイブルスタディ(bible study)がチームの選手間で行われる。バイ ブルスタディとは聖書に書かれてある文脈について議論し信仰を深めることで、

チームがあらかじめ招待している場合は牧師が説教をする。

FC MUZA

は経済的な 理由でほとんどの場合は選手が代わり代わりに司会役を担当していた。45分から

1時間のバイブルスタディを終えた後、神に祈りを捧げる歌を皆で歌いながら踊

る儀式が15分から30分ほど続く。手をたたいてリズムをとるものがいれば、甲高

6 練習前の儀式

(

筆者提供

)

(27)

い声で合いの手を入れたり、大きな音で口笛を鳴らすものもいる。腰を振った り、腕を上げたり、ステップを踏んだりと各々が自由な形で踊り、場は一瞬にし てディスコ化する。最後に改めて神に対してのお祈りを各々が口にぶつぶつと呟 き、そろって

”Amen.”

と発することで儀式が終了する。この儀式は、例えば試合 会場に向かうバスの中や試合開始直前のロッカールーム内などといったほかの場 面でも行われ、神に祈りを捧げることで選手がそれぞれ士気を上げ、チームの一 体感を高める働きがある(図7)。なおザンビア代表チームの専属牧師によると、こ のような儀式はFC MUZAだけでなく、ザンビアのトップリーグに所属しているす べてのクラブさらにはザンビア代表チームでも行われており、ザンビアサッカー 文化の大きな特徴として捉えることができる。

4.Zambia Super Leagueについて

「Zambia Super League」は、1962 年に創設されたザンビアのサッカーにおける最 高位のリーグである。かつてはコンコラ銅山がスポンサードしており、このスポンサ ー名を冠してコンコラ銅山プレミアリーグ(Konkola Copper Mines Premier

League)とも呼ばれていた。現在は南アフリカ共和国はヨハネスブルグに本拠を持 つ携帯電話会社の MTN グループがスポンサードしており、スポンサー名に運営を行

7 試合開始前の儀式

(2019

年 筆者撮影)

(28)

うザンビアサッカー協会の略称である FAZ を繋げて MTN/FAZ Super Division とも 呼ばれる。

2019 年 6 月までは 20 チームのトップリーグの下に Division1(2 部リーグ)のプロ リーグ、Division 2(3 部リーグ)以降のアマチュアリーグで構成されている(図 8)。

ザンビアのみならずアフリカのほとんどの国内サッカーリーグは 2018 年までは 3 月始まり 11 月終わりのシーズンカレンダーを採用していた。しかしアフリカサッカ ー連盟の意向により、ザンビアサッカー協会は 2019 年の新シーズンからザンビアの 国内リーグのシーズンを欧州リーグのシーズン(8 月始まり 5 月終わり)を採用するこ とを 2018 年のシーズン終盤に表明した。また同時に、National League を 2 部リー

~2019/6

Super League Division 1 Division 2 Division 3 Super Amateur A,B

Amateur A,B

Professional League

2019/8~

Super League National League

Division 1 Division 2 Division 3 Super Amateur A,B

Amateur A,B

Professional League

8 2019

8

月以前と以降のザンビアサッカーの構図

(筆者の聞き取りに基づく)

(29)

グとして新設することで国内リーグの再構築を図ると発表した。そのためトップリー グは 2019 年 1 月から 6 月を移行シーズン(Transitional season)として設定し、計 20 チームがグループ A とグループ B に分かれ、それぞれのグループで Home and Away のリーグ戦方式をとった。2019 年の移行シーズンの各グループの順位は表 2 の通り である。

(30)

2 2019

年移行シーズングループ別順位表

(

ザンビアサッカー協会

HP

より抜粋

)

(31)

第 4 章 事例

1.フィールドの紹介

本論の調査対象である FC MUZA は弁護士の Keith Mweemba が中心となり、2007 年に首都ルサカにおいて”Manchester United Zambia Academy”として設立されたの が始まりである。Keith がフルスポンサーとなり、設立当初はサッカーアカデミーと して活動していた。2017 年に財政破綻していた Division1(ザンビア2部リーグ)の サッカークラブを買収し、同年ルサカからマザブカにクラブの拠点を移した。クラブ の拠点を移動した理由として、「私の出身地であるマザブカでサッカーを通した人格 形成と地域貢献がしたい」と Keith は述べていたが、クラブ関係者は「トップリーグ への昇格がルサカの中央エリアより、マザブカの南部エリアの方が競争率が低いか ら」と述べていた。2018 年シーズンにおいて FC MUZA は Division1 優勝プレーオ フを制し、クラブ史上初めて Zambia Super League(ザンビア1部リーグ)へ昇格し た。トップチーム以外にも Division2(ザンビア3部リーグ)に所属する 2 軍、17 歳 以下、10 歳以下と女子チームのカテゴリーを有する。筆者が加入した 2019 年シーズ ンからクラブのネーミングライセンスの問題で”Maestro United Zambia”に名前を変 更している。シーズン中は選手計 45 人、監督 1 人、アシスタントコーチ5人、マネ ージャー3 人、ドライバー1人と幹部6人がトップチームを構成していた(図)。選手 8人(日本1人、カメルーン2人、ナイジェリア1人、コンゴ 3 人、ガーナ1人)

以外は全員ザンビア国籍である。

なお、筆者が所属していた 2019 年の移行シーズンにおいて FC MUZA はグループ B でシーズンを通して 18 試合行い、2 勝 10 敗 6 分、グループ 10 位で終わり、2 部 リーグへの降格が決定した。以下の表が全試合の FC MUZA の対戦相手および試合 結果である。

(32)

3 FC MUZA 2019

年シーズン結果

日程 対戦相手 スコア 勝敗

1 1

27

Power Dynamos 0-2

×

2 2

2

Buildcon 1-1

3 2

9

Green Eagles 0-1

×

4 2

16

Nkwazi 0-1

×

5 3

21

Nkana 1-1

6 3

3

Circuit City 1-2

×

7 3

9

Lumwana Radiants 0-4

×

8 3

16

NAPSA Stars 1-0

9 3

27

Forest Rangers 0-0

10 3

30

Power Dynamos 0-1

×

11 4

6

Buildcon 0-1

×

12 4

13

Green Eagles 0-1

×

13 4

20

Nkwazi 0-1

×

14 4

27

Nkana 1-2

×

15 5

4

Circuit City 0-0

16 5

11

Lumwana Radiants 1-1

17 5

18

NAPSA Stars 0-0

18 5

26

Forest Rangers 2-1

([ザンビアサッカー協会 HP]より筆者作成)

図 9

FC MUZA

のメンバー

(2019

年 筆者撮影)

図  1  ザンビアの地図  出所:外務省ホームページより
図 3  試合中に投げ込まれたもの  (YouTube より抜粋)
図 7  試合開始前の儀式  (2019 年  筆者撮影)
図   8 2019 年 8 月以前と以降のザンビアサッカーの構図 (筆者の聞き取りに基づく)
+4

参照

関連したドキュメント

高齢者における「健康寿命」延伸は喫緊の課 題である. 高齢者に おける自立した生活の実現には運動器の健康 維持は極めて重要であり ,

たい事柄であり、道路や上・下水道の整備も 同様に進められてきたところである。 この「ラスト1マイル」を「ファースト1

有名なデイヴィッド・リーン監督が1970年代に制作した映画「ライアンの

留学して数年たったころ、ある授業で日本から来たばかりの日本人留学生に出 会いました。とある必修クラスの課題について話をしているときでした。課題の 論文について、私が何気に“It’s

の場で, I 普及所のほうからこういった話が来ているが,やりたい農家は

聞き取り調査によると、中野は昭和 30 年(

2002年に開催されたサッカーワールドカップでは、10の開催自治体や出場国が利用したキャン

キーで3 0分くらし、かかって行ったのですが、もしよけれ ば来られる時は歩くスキーでも持ってきてください。う ちの長女が小学校 1 年の時自分の力で学校まで