ア
マ
ラ
ブ
チ
の
塔
と
南
天
鐵
塔
説
栂
尾
群
雲
目 次 一 序 言 ニ ァ マ ラ プ チ 塔 の 位 置 井 に そ の 発 掘 三 ア マ ラ ヴ チ 塔と 駄 那羯 礫 迦 國 の 塔 四 ア マ ラ プ チ 塔 の 様 式 五 ア マ ラ ザ チ 塔 の 創 立 せ ら れ た る 年 代 六 此 の 地 方 に 於 け る 佛 教 の 傳 播 七 龍 種 國 ご 華 嚴 經 入 華 嚴 經 そ 金 剛 頂 經 九 ア マ ラ プ チ 塔 そ 金 剛 界 曼 茶 羅 十 南 天 鐵 塔 説 の 由 來 十 一 南 天 鐵 塔 説 の 成 立 こ そ の 年 代 十 二 結 言 巳 上 ア マ ラ プ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 一ア マ ラ ザ チ の 塔 と 南 天 鐡 塔 説 二 一 、 序 言 普 通 ア マ ラ プ チ の 塔 そ 稱 せ ら れ る も の が 南 天 竺 に あ る 。 此 の 塔 は 大 理 石 よ り 成 り 、 そ の 彫 刻 の 優 秀 な の を 以 て 喧 傳 せ ら れ て 居 る 。 後 に 説 明 す る 通 り に 、 華 嚴 經 入 法 界 品 に 依 る そ 、 文 殊 菩 薩 は 此 の 塔 に 於 い て 善 財 量 子 等 の た め に 普 照 一 切 法 界 經 を 説 い た ご 稱 せ ら れ る 。 ま れ 西 藏 傳 に よ る そ 佛 五 十 入 歳 の 時 、 神 通 を 以 て 此 地 に 來 り 、 シ ャ ン バ ラ の れ め に 秘 密 教 を 説 き 、 之 を 金 前 手 に 附 属 し た そ 云 ふ 、 而 し て 此 の 塔 は 土 に 非 す 石 に 非 す 又 煉 瓦 に 非 す そ 云 つ て 居 る 。 今 日 の 遺 物 よ り 推 考 し て 此 の 塔 の 下 半 が 大 理 石 よ り 成 つ て 居 つ た こ そ は 明 か で あ る が 、 年 月 を 經 て 雨 露 に さ ら さ れ 、 黒 く 光 澤 を 帯 び て 一 見 鐵 の 如 く 見 え た の で 、 之 れ を 鐵 塔 こ す る 傳 説 も 出 來 た も の ら し い 。 こ れ は 古 來 相 傳 の 義 そ し て 、 此 の 鐵 塔 の 鐵 は 黒 鐵 で は な く 、 自 鐵 だ こ 稱 せ ち れ て 居 る の で も 分 る 。 ア マ ラ プ チ の 大 塔 は 研 究 す れ ば す る 程 、 密 教 の 発 達 に 非 常 な 關 係 が あ る 。 巳 下 少 し く 詳 細 に 此 の 塔 の 現 状 並 に そ の 起 源 発 達 を 述 べ て 南 天 鐵 塔 説 に 言 及 し た い ご 思 ふ 。 勿 論 此 の 問 題 に つ き て は 更 に 研 究 考 謹 す べ き 鯨 地 が 多 く あ る の で あ る が 、 兎 に 角 此 に 之 れ を 提 言 し て 識 者 の 批 判 を 仰 ぐ こ ご に す る 。 二 、 ア マ ラ ワ チ 塔 の 位 地 並 に そ の 顎 掘 此 の ア マ ラ プ テ 塔 は キ ス ト ナ 河 の 南 岸 、 ア マ ラ げ チ ご 稱 せ ら れ る 町 の 南 西 角
に 位 す る ( 即 ち 光 の 丘 ) ざ 稱 せ ら る 、 丘 上 に あ る の で あ る 。 丘 の 周 園 は 高 く 中 央 は 凹 み て 恰 も 摺 鉢 状 を な し て 居 る 。 も こ 此 の 所 は 、 娑 羅 の 林 で 謂 ゆ る 季 地 で あ つ た ら し い 。 バ ー ジ ス 氏 の 説 に よ る ご 此 の 塔 は 初 め キ ス ト ナ 河 の 氾 濫 、 即 ち 洪 水 の だ め に 破 壊 さ れ 、 そ の 後 修 繕 せ ら れ た も ら し い 。 然 る に 、 十 四 世 紀 の 初 に 回 教 軍 が ヂ ー り よ り 此 所 に 攻 め 入 り 、 此 の 塔 の 邊 り に 陣 を 布 き 、一三二三 年 此 キ ス ト ナ 河 を 領 し て 居 た 王 を 檎 に し た 此 時 、 此 の 中 央 の 塔 を 破 壊 し た の み で な く 、 他 よ り 土 を 蓮 ぴ 來 つ て 外 壁 欄 楯 を 埋 め れ も の ら し い 。 そ れ が た め に 摺 鉢 状 の 現 欺 を 呈 す る に 至 つ た 。 そ の 後 此 の 地 の 王 が 一 七 七 八 年 に そ の 埋 め ら れ た 財 寳 を 探 す べ く 、 此 の 中 央 塔 の 塔 基 を 発 掘 し た が た い し だ 財 寳 な く 、 眞 珠 ご 若 干 の 舎 利 を 藏 す る 石 鹸 石 の 箱 ご を 発 見 し た に 過 ぎ な か つ た 。 此 の 箱 は 現 今 マ ド ラ ス の 博 物 舘 に 藏 せ ら れ て 居 る り 。 此 の 王 は 此 の 塔 基 を 発 掘 し て 其 處 に 池 を 造 り 、 昔 の 塔 に 用 ひ ら れ て 居 つ た 彫 刻 の あ る 大 理 石 を そ の 池 の 石 確 等 に 利 用 し 、 更 に ま た 己 が 信 す る シ プ 派 の 寺 を 修 繕 す る た め に 此 の 塔 の 大 理 石 を 運 び 去 り 殆 ご 此 の 塔 の 痕 迹 を 認 め 得 ぬ ま で に し た の で あ る 。 然 る に 一 七 九 七 年 に マ ツ ケ ン ヂ ー 大 佐 が 此 の 塔 遊 を 訪 ひ 、 尚 其 處 に 散 在 せ る 大 理 石 を 発 見 し 一 入 一 六 年 に 技 手 を 伴 ひ て 再 び 此 所 を 訪 ひ 、 そ の 散 在 せ る 大 理 石 の 地 位 並 に そ の 塔 迹 の 現 状 を 圖 せ し め た 。 そ の 後 十 四 年 即 ち 一 八 三 〇 年 に マ ス リ プ タ ム 即 ち の 古 物 商 ア マ ラ プ チ の 塔 ピ 南 天 鐵 塔 説 三
ア マ ラ ゾ チ の 塔 ピ 南 天 鐵 塔 説 四 が 此 の 大 塔 の 大 理 石 三 十 程 を 持 ち 去 つ て 之 れ を マ ス リ プ タ ム の 店 頭 に 曝 し 賣 物 に し た 。 後 十 年 、 即 ち 一 八 四 〇 年 に ヱ リ オ ッ ト 氏 が 此 の ア マ ラ プ チ の 塔 跡 を 訪 ひ 、 此 の 丘 の 一 部 分 を 発 掘 し て 大 理 石 九 十 を 得 、 之 を マ ド ラ ス に 逸 つ た 。 此 の 時 よ り 此 塔 の 跡 に あ つ た 大 理 石 の 大 部 分 は 英 京 倫 敦 に 蓮 ば れ 、 あ る 馬 車 小 屋 の 中 に 閑 却 さ れ て 居 た の で あ る 。 そ れ を 一 八 六 七 年 に プ ア ー ガ ツ ソ ン 氏 が 発 見 し 、 之 れ を 材 料 こ し て 樹 龍 崇 拜 な る 大 著 を 発 表 し た 。 此 れ 以 來 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 の 彫 刻 な る も の が 喧 傳 さ れ 、 一 八 七 六 年 に マ ド ラ ス 政 廰 よ り 一 千 ル ー ビ ー の 補 助 金 を 得 て 、 シ ー ウ エ ル 氏 が 一 入 七 七 年 よ り 此 の 塔 迹 の 発 掘 に 着 手 し 、 其 難 事 業 た る ご 經 費 の た め に 一 時 中 断 せ し が 、 一 八 入0 年 バ ッ キ ン ガ ム 公 爵 の 補 助 金 一 千 ル ー ビ ー を 得 て 、 兎 に 角 そ の 発 掘 を 完 成 し た 。 そ の 翌 一 千 入 百 八 十 一 年 十 二 月 バ ー ジ ス 博 士 が 此 の 地 を 視 察 し 、 そ の 発 掘 せ る 大 理 石 の 地 位 並 に 刻 文 に 就 い て 文 書 を 著 し 之 を 刊 行 し た 。 此 等 の 発 掘 せ る 大 理 石 は 現 今 英 京 博 物 舘 、 南 天 マ ド ラ ス 博 物 舘 に 藏 せ ら れ て 居 る 。 ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) 参 照 ( 4 )
三 、 ア マ ラ ヴ チ 塔 と 駄 那 羯 礫 迦 の 塔 ア マ ラ ヴ チ 町 の 西 南 に あ る か ら 、 普通 之 れ を ア マ ラ プ テ の 塔 ご 云 つ て 居 る が 、 し か し カ ソ ニ ン グ ハ ム 氏 の 古 代 印 度 地 誌 ( 五 四 三 頁 ) に よ る ご 、 西 紀 十 二 世 紀 に オ リ ツ サ 王 ス ー リ ヤ デ ー プ が 初 め て 今 の ア マ ラ プ チ の 地 に 町 を 築 い た の で 、 そ れ ま で は た ゴ 娑 羅 林 に 過 ぎ な か つ た 。 從 つ て ア マ ラ ヴ チ の 名 も 古 く は 知 ら れ て 居 ら な か つ た o さ れ ば 此 の 塔 を 古 く は 何 れ も 駄 那 羯 礫 迦 の 大 塔 、 若 く は 駄 那 羯 礫 迦 城 東 の 大 塔 等 ご 云 つ て 居 る 。 駄 那 羯 礫 迦 は 現 今 ダ ラ ーニ コ ッ タ ご 云 ひ 、 謂 ゆ る ア マ ラ プ チ 町 の 西 方 に 位 し た 城 跡 で あ る カ ン ニ ン グ ハ ム 氏 に よ る ご 、 元 來 此 の 駄 那 羯 礫 迦 な る 名 は に 由 來 し た の だ こ 云 ふ 。 即 ち あ る 量 の 會 利 を 有 す る 國 の 義 で 、 昔 こ の 國 の 王 が 釋 迦 佛 の 舎 利 を 得 て 、 そ の だ め に 非 常 に 立 涙 な 制 底 を 建 て た に 基 く ご 云 ふ 。 此 の 傳 説 は 錫 岩 大 島 史 ( 一 二 三 頁 ) に あ る の で 今 そ の 大 意 を 云 ふ ど 、 阿 育 王 は 八 大 靈 塔 中 、 七 塔 の 佛 含 利 を 発 掘 し 、 之 れ を 分 ち て 八 萬 四 千 の 寳 塔 を 建 て た 。 而 も 迦 毘 羅 城 ご 倶 戸 那 掲 羅 城 こ の 間 に あ る 藍 摩 邑 の 塔 の み は 登 掘 し な か つ た 。 然 る に 此 の 藍 摩 邑 の 塔 は 恒 河 の 上 流 に 位 し 、 そ の 岸 に 近 か つ た の で 、 阿 育 王 後 洪 水 の た め に 殿 た れ て そ の 舎 利 筐 が 恒 河 に 流 れ て 居 た 。 そ れ を 龍 種 の 人 が 発 見 し て マ ジ ヱ リ カ 即 ち 河 ご キ ス 卜 ナ 河 こ の 間 に あ る 龍 國 に 持 來 し 、 謂 ゆ る 現 今 の ア ラ プ チ に ア マ ラ ブ チ の 塔 南 天 絨 塔 説 五
ア マ ラ ブ チ の 塔 ミ 南 天 鐵 塔 説 非 常 に 荘 嚴 な る 塔 を 建 て た 。 其 後 錫 掃 王 が 會 利 塔 を 建 立 す る に 當 り 、 此 の 龍 國 か ら 舎 利 を 請 來 せ ん が 爲 に シ ヨ ー ヌ ッ タ ラ ご 云 ふ 信 が 來 た 。 そ し て 此 の 塔 の 荘 嚴 な る を 見 、 彼 を し て ﹁ 錫 淪 全 島 の 富 を 以 て す る も 此 の 塔 の 階 段 の 一 を 作 る に 足 ら す ﹂ ご 歎 せ し め た こ 云 ふ こ ご で あ る 。 此 の ド ロ ー ナ 、 ダ ー ツ が 俗 語 化 し て 、 ド ー ナ カ ダ ー ッ ド ー ナ カ カ ッ タ ご 稱 せ ら れ て 居 だ 。 それ を 正 し き 梵 語 に 還 源 す る に 當 り 等 こ し て 居 る 。 華 嚴 經 入 法 界 品 に あ る福 城 ご 云 ふ の は 現 存 せ る ネ .バ ー ル の 焚 本 に よ る ご 、 と な つ て 居 る 。 之 れ福 を 作 る ご 云 ふ 義 で あ る 。 從 つ て 四 十 華 嚴 に は 之 れ を 福 生 城 ご 譯 し て あ る 。 思 ふ に 實 叉 難 陀 譯 の 八 十 華 嚴 に福 城 ご あ る の は そ の 梵 本 が こ な つ て 居 つ た も の ら し い 。 更 に 覺 賢 の 六 十 華 嚴 に 覺 城 ご あ る の は 恐 ら く は ご あ つ た の で あ ら う 。 何 れ に も せ よ 之 れ が 西 域 記 に 謂 ゆ る 駄 那 羯 礫 迦 國 に 當 る の で 、 そ の 城 東 の 娑 羅 林 大 塔 廟 ご 云 ふ の は 即 ち 現 今 の 謂 ゆ る ア マ ラ ヴ チ の 塔 な る こ ご は 確 實 で あ る 。 宋 高 信 傳 第 三 (致 四 、 七 九 右 ) に あ る 蓮 花 傳 に 依 る ご 、 此 の 中 印 度 の 信に る 蓮 華 が 興 元 元 年 (七 八 四 ) 來 唐 し て 徳 宗 帝 に 謁 し 、 鐘 一 ロ を 請 ひ 得 て 、 之 れ を 南 天 竺 の 賓 軍 國 毘 盧 遮 那 塔 に 安 置 し た こ 云 ふ 。 そ の 寳 軍 國 ご 云 ふ の は 即 ち 此 の 駄 那 羯 礫 迦 の 義 謬 で は 山 若 く ば 丘 の 義 の 外 に 軍 隊 の 義 が あ る か ら で あ る 。 更 に 西 藏 に は
( 九 ) 此 の 國 の 名 を 米 積 ご 譯 し て 居 る 。 こ れ は 此 の 國 名 を と 見 て 謬 し た の で ご は 穀 類 叉 は 米 の 義 、 は 丘 若 く は 堆 積 の 義 な る が 故 で あ る 。 更 に 刻 文 に 依 る ご 、 ご し た も の も あ る 。 西 域 記 に は 此 の ア マ ラ プ チ 塔 に 相 當 す る 記 事 を 缺 い て 居 る 。 そ の 之 れ を 缺 い で 居 る 所 以 は 、. 玄 弉 當 時 の 駄 那 羯 礫 迦 國 の 首 府 は 今 の ペ ジ ユ ワ ダ で 、 そ の ベ ジ ユ フ ダ の 西 十 七 哩 に あ る 古 案 茶 羅 王 朝 當 時 の 首 府 た る ダ ー ラ ニ ・ コ ッ タ に は 行 か な か つ た か ら で あ ら う 。 賢 首 の 探 玄 記 第 十 八 に 依 る ご 日 照 三 藏 ( 六 入 八 年 頃 ) は 此 の 塔 處 に 行 き て 親 し く 禮 拝 し 今 に 於 い て 現 在 す ご 云 つ て 居 る 。 更 に 英 京 博 物 舘 に は キ ス ト ナ 字 母 で 書 い た ア マ ラ プ チ 塔 の 刻 文 が 藏 せ ら れ て 居 る 。 シ ー ヴ ヱ ア 氏 の 説 に よ れ ば 此 の 刻 文 は 八 世 紀 に 属 す る も の だ こ 云 ふ 、 さ れ ば 此 の 塔 は 少 く こ も 八 世 紀 の 末 ま で 存 在 し た こ ご は 事 實 で あ る 。 故 に 玄 弉 當 時 に 此 塔 は 存 在 し た の で 、 た こ へ 玄 弉 の 記 事 が な い か ら ご 云 つ て 此 塔 が 已 に 存 在 し な か つ た 譯 で は な い 。 (1) 2 ) ( 3 ) 大 島 史 一 二 五 頁 、 力 氏 古 代 印 度 地 誌 五 三 二 頁 参 照 。 ( 4 ) ( 5 ) ア マ ラ ヴ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 七
ア マ ラ プ チ の 塔 ピ 南 天 蔵 塔 翫 八 ( 6 ) 天 五 、 十 三 左 参 照 。 ( 7 ) 天 四 . 五 冶 参 照 。 ( 8 ) 天 九 、 二 三 左 ( 9 ) ( 10 ) 力 氏 古 代 印 度 地 誌 、 五 三 一 ー 五 三 二 頁 ( 11 ) 四 、 ア マ ラ ヴ チ 塔 の 様 式 今 、 そ の 登 掘 せ ら れ だ る 結 果 か ら 此 の 塔 の 形 状 を 考 へ る ご 、 三 間 幅 程 の 、 石 で 敷 き 詰 め た 露 壼 の 繞 道 が あ り 、 其 の 繞 道 の 内 ご 外 こ の 雨 側 に 大 理 石 の 欄 楯 が あ つ て 、 そ れ に は 佛 傳 や 本 生 譚 等 が 彫 刻 せ ら れ 、 其 の 四 方 に は ト ー ラ ソ ( 鳥 居 ) 様 の 四 門 が あ つ た 様 で あ る 。 そ の 繞 道 の 中 央 に は こ ん な 形 の 塔 が あ つ た か 其 の 痕 迹 が 残 つ て 居 な い の で 判 然 し た こ ご は 分 ら な い が 、 シ ー ウ ヱ 〃 氏 の 如 き は サ ン チ と 同 形 の 翠 都 婆 が あ つ た こ 云 ひ 、 フ ア ー ガ ッ ソ ン 氏 は 此 の 中 に 三 十 呎 の 圓 塔 ご 井 に 九 層 の 塔 、 一 精 舎 、 一 塔 室 、 一福 舎 、 其 他 木 造 の 家 屋 が あ つ た の だ こ い ふ 。 私 に 考 ふ る に 、 此 の 中 央 に は プ ア ー ガ ツ ソ ン 氏 の 云 ふ 様 に 斯 く 多 く の 建 物 が あ つ た こ も 思 れ な い 、 さ れ ば こ て 全 く サ ン チ ご 同 形 の 翠 都 婆 で も な か つ た ら し い 。 其 の 理 由 は 此 の ア マ ラ プ チ に あ る 刻 文 に は 何 れ も 大 制 底 の 語 を 用 ひ て あ つ て 、 大
翠 都 婆 の 語 を 用 ひ て な い 。 後 世 に な る ご 、 翠 都 婆 も 制 底 も 殆 ご 同 様 の 意 義 に 用 ひ ら れ る け れ こ も 、 初 期 時 代 、 少 く も 西 紀 四 五 世 紀 頃 ま で は 、 全 く 區 別 が あ つ た ら し い 。 制 底 ご 云 ふ の は 謂 ゆ る 塔 室 若 く は 禮 拜 堂 の こ ご で 、 中 央 に 舎 利 を 納 め た 塔 を 建 て 、 其 の 周 園 を 繞 道 す る こ ご の 出 來 る 様 に 建 て た 堂 で あ る 。 此 の ア マ ラ プ チ 塔 の 模 型 は 、 判 然 ご 其 の 塔 趾 の 南 門 に あ つ た こ 稱 せ ら れ る 石 柱 に 刻 せ ら れ て 居 る 。 そ の 石 柱 に は ﹃ 此 の 南 方 に 於 け る 舎 利 を 包 含 せ る 制 底 藏 は 商 人 ク タ 等 の 寄 遙 せ る も の な り ﹄ こ の 文 字 を 有 し 、 そ の 石 柱 の 北 面 に 八 柱 を 以 て 荘 嚴 せ る 圓 形 重 閣 の 禮 拜 堂 、 即 ち 制 底 が 刻 せ ら れ て 居 る の で あ る 。 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 ご 遠 か ら ざ る 時 代 に 開 鑿 せ ら れ た カ ル リ (自 鎚 5 や ナ シ ク の 制 底 即 ち 塔 室 も 略 ぽ 同 様 式 ご 云 つ て 可 い の で あ る 。 更 に 此 の ア ヤ ラ ヴ チ の 塔 が サ ン チ の 如 き 純 翠 郡 婆 で な か つ た こ ご は 、 錫 崙 大 島 史 ( 一 三 一責 ) に 、 龍 國 大 塔 、 即 ち 此 の ア マ ラ プ チ 塔 の こ ご を 記 す る 塲 合 に ﹁ 龍 種 は 貴 重 の 材 料 を 以 て せ る 翠 都 婆 ご 並 に 其 れ を .覆 ふ 殿 堂 を 建 て 、 熱 心 に 之 れ を 崇 拝 し た ﹄ ご 云 っ て 居 る こ こ か ら 推 す も 明 瞭 で あ る 。 更 に 探 玄 記 第 十 入 巻 に 依 る ご 、 西 歴 七 世 紀 の 半 ば 頃 、 日 照 三 藏 が 此 の 塔 を 訪 ふ た 。 そ の 話 に よ る ご 、 ﹃ 此 塔 極 大 東 面 鼓 樂 供 養 西 面 不 聞 ﹄ ご あ る 。 此 の 上 か ら 推 す ざ 此 の 塔 は 東 に 向 い て 居 つ た 様 で あ る 。 ( 1 ) ア マ ラ プ チ の 塔 達 南 天 鐵 塔 説 九
ア マ ラ ゾ チ の 塔 . 南天 鐵 塔 説 一 〇 (2 ) ( 3 ) 絡 謬 照 五 、 ア マ ラ ヴ チ 塔 の 創 立 せ ら れ た る 年 代 ア マ ラ ヴ チ 塔 の 西 門 に 近 き 所 に 、 長 さ 三 呎 七 、 幅 一 呎 十 一 、 厚 さ 入 吋 半 の 板 石 ご 、 更 に 三 吠 の 長 さ ご 二 呎 の 幅 を 有 す る 板 石 こ の 二 が あ る 。 此 の 二 板 石 は 一 大 板 石 の 斷 片 で 、 之 れ を 繼 ぎ 合 せ て 一 板 べ ご 石 に な る の で あ る 。 此 の 板 石 の 厚 さ の 所 に 二 行 の 刻 文 が あ る 。 そ の 刻 文 を 翻 譯 す る ご 。 ﹃ 成 就 あ れ 、 プ シ シ ユ ト ハ ー の 子 陀 る 年 に 二 人 の 家 主 、 即 ち 家 主 プ リ の 子 た る ご ご が そ の 兄 弟 、 姉 妹 井 に 子 供 を 有 せ る 彼 の 妻 ご 共 に 制 多 山 部 派 に 属 す る 世 奪 の 大 制 底 に 依 け る 西 門 に 於 い て 、 韓 法 輪 の 寄 進 を な し だ る 功 徳 に 封 し て ﹄ 。 ご あ る 。 此 の 中 の は ご は 案 達 羅 國 を 建 て た 引 正 王 家 で 有 名 な で 、 此 の 王 の 時 、 國 威 隆 々 こ し て 、 南 は ヂ ッ カ ン 地 方 よ り 、 北 感 ピ ン ド ヤ 山 を 越 ね て 西 印 度 に ま で そ の 領 土 を 振 め て 居 つ た の で あ る 。 西 紀 一 三 〇 年 頃 に 此 の 王 は 死 ん だ こ ご に な つ て 居 る 。 此 の 王 の 子 た る の 時 に は 西 印 度 王 こ の 戦 に 破 れ 、 國 威 稍 や 衰 へ た る も 、 逡 に 西 印 度 王 ご 和 し 、 そ の 西 印 度 王 の 娘 を い れ て 妃 こ し て 居 つ た の
で あ る 。 此 の ア マ ラ ヴ チ の 大 塔 は 王 の 母 た る ザ シ シ ユ ト ヒ ィ の 登 願 に よ つ て 建 て ら れ た の で 、 此 の 事 は 五 世 紀 の 初 ( 即 ち 西 紀 四 二 一 年 頃 ) 北 涼 の 曇 無 識 に 依 つ て 譯 せ ら れ た 大 方 等 無 想 經 第 六 ( 盈 十 左六 一 ) の 文 か ら 證 明 す る こ ご が 出 來 る 。 今 そ の 經 文 を 畢 げ る ご 、 我 涅 槃 已 七 百 年 後 、 南 天 竺 有 二 一 小 國 、 名 日 二 無 明 一 、 彼 國 有 レ 河 、 名 曰 二 黒 闇 一 南 岸 有 レ 城 、 名 日 二 熟 穀 、 其 城 有 王 、 名 日 等 乗 、 其 王 夫 人 、 産 育 一 女 、 名 日 増 長 、 其 形 端 嚴 、 人 所 愛 敬 、護 持 禁 戒 、精 進 不 倦 、 (中 略 ) 爾 時 、 諸 臣 奉 此 女 、 以 繼 二 王 嗣 女 既 承 正 、 威 伏 天 下 、 閻 浮 提 中 所 有 國 土 、 悉 來 承 奉 、 無 拒 違 者 、 女 王 自 在 摧 伏 邪 見 '、 爲 欲 供 養 佛 舎 利 故 、 遍 閻 浮 提 起 七 寳 塔 、 齊 持 雑 彩 上 妙 幡 蓋 梅 檀 妙 香 周 遍 供 養 、 見 有 護 法 持 浄 戒 者 上 供 養 恭 敬 、 有 下 破 戒 殿 二 正 法 者 呵 責 殿 辱 令 滅 無 餘 。 ご 、 無 明 ご は 案 茶 羅 の 梵 語 を 譯 し た も の 、 之 れ 案 茶 は 盲 目 の 義 な る が 故 で あ る 。 黒 闇 ご は 即 ち 今 の キ ス ト ナ の 譯 な る は 申 す ま で も な い 。 更 に 熟 穀 ご は 駄 那 羯 礫 迦 城 の 譯 名 で 西 臓 譯 ご 一 致 す る 。 即 ち 之 を ご し て 譯 し た か ら で あ る 。 等 乗 ご は の 譯 で 玄 弉 の 西 域 記 に は 之 れ を 引 正 王 ご 譯 し て 居 る の で あ る 。 増 長 こ は の 譯 で 此 れ は 増 長 即 ち の 語 か ら 由 來 し た こ 見 た か ら で あ る 。 以 上 の 經 文 に 依 つ て 考 へ る ご 此 の 増 長 は 案 茶 羅 王 國 を 建 て た 正 嫡 の 娘 で 、 ア マ ラ ゾ チ の 塔 と 南 天 鐡 塔 説 一一
ア マ ラ ゾ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 一 二 王 は 他 か ら 入 婿 と し て 迎 へ ら れ た も の ら し い 。 此 の 増 長 妃 の 時 、 南 西 天 竺 を 領 し て 居 つ た の で あ る か ら 、 其 の 勢 力 は 太 し た も の で あ つ た に 違 い な い 。 こ の 勢 力 を 以 て 世 界 中 の 珍 寳 を 集 め 、 波 斯 や 希 臘 の 技 士 等 を も 使 用 し て 此 の 塔 を 造 つ だ の で あ る 。 故 に そ の 塔 の 彫 刻 の 中 に は 希 臘 の 様 式 な ご が 混 じ て 居 る 。 錫 崙 大 島 史 ( 一二三 頁 ) に ﹃ 貴 重 の 材 料 を 以 て せ る 翠 都 婆 ﹄ ご あ る 文 が 此 の 經 文 の ﹁ 起 七 寳 塔 ﹂ に 當 り 、 經 文 の ﹁ 雑 彩 上 妙 幡 蓋 ﹂ ご あ る 上 か ら 華 嚴 經 入 法 界 品 に 此 の 塔 を 荘 嚴 幢 娑 羅 林 中 大 塔 廟 ご 云 へ る 文 を 見 る こ そ の 意 趣 が 明 瞭 に 窺 は れ る 。 經 文 中 に あ る 遍 閻 浮 提 ご は 印 度 中 の 到 る 處 に 七 寳 塔 を 建 て た の で な く 印 度 中 か ら 遍 く 求 め だ 七 寳 で 塔 を 建 て た 意 味 で あ る に 違 い な い 。 謂 ゆ る 起 の 字 は 遍 の 上 に あ る べ き で あ る 。 何 こ な れ ば 此 の 大 塔 を 外 に し て は 増 長 王 妃 の 建 て た こ 云 ふ 塔 は 事 實 の 上 に も 記 録 の 上 に も そ の 痕 迹 が な い か ら で あ る 。 若 し 阿 育 王 の 様 に 印 度 中 に 編 く 塔 を 建 て た こ せ ぱ 、 何 處 か に そ の 痕 が な け れ ば な ら の か ら で あ る 。 之 を 要 す る に 、 以 上 の 経 文 に よ つ て 此 の 大 塔 は 、 西 紀 二 世 紀 の 初 め 、 増 長 妃 に よ つ て 創 立 せ ら れ 其 後 龍 樹 菩 薩 が 此 の 制 底 の 外 廓 に 寺 院 を 建 て 更 に 塀 を 回 ら す 様 に し た の で 、 此 事 は タ ー ラ ナ ー タ 氏 の 印 度 佛 教 史 ( 七 一 頁 )な ざ に 記 す る 通 り で あ る 。 ( 1 ) (2 )
六 、 こ の 地 方 に 於 け る 佛 教 の 傳 播 西 歴 二 世 紀 の 初 、 増 長 妃 の 発 願 に 依 つ て 此 の ア サ ラ ヴ チ の 塔 が 創 立 せ ら れ た の で あ る が 、 事 の 成 る や 、 そ の 成 る の 日 に 成 る に 非 す し て 必 す 由 つ て 來 る 所 あ り で 、 此 の 塔 か 創 立 せ ら る 、 に 至 つ た の も 突 然 に 成 つ た の で は な く 、 業 に 巳 に 佛 教 が 此 の 地 に 傳 播 し て 、 増 長 妃 を し て 深 き 佛 教 信 者 た ら し む る ま で に カ を 有 す る に 至 っ た 結 果 ご 見 な け れ ば な ら ぬ 。 そ れ で 此 の 地 方 に 如 何 に し て 佛 教 が 傳 播 し 來 つ た か の 歴 史 を 一 瞥 す る 必 要 が あ る 。 錫 崙 大 島 史 ( 四 八 頁 ) に よ る ご 阿 育 王 の 時 、 上 座 大 天 が 此 の 地 方 に 派 遣 せ ら れ て 布 教 に 從 事 し だ 。 彼 は 此 の 地 の 人 々 を 集 め 、﹁ 我 は 神 の 使 者 で あ る 、 汝 等 善 く 佛 の 教 を 聞 け よ ﹂ こ て 、 權 威 あ る 豫 言 者 の 態 度 を 以 て 熱 烈 に 教 .化 し た 。 此 の カ に 動 さ れ て 佛 教 信 者 こ な つ た 者 が 六 萬 人 、 出 家 し た 者 が 六 萬 人 以 上 あ つ た こ 云 ふ こ ご で あ る 。 出 家 し だ も の が 六 萬 人 ざ 云 ふ 此 の 錫 崙 大 島 史 の 数 字 は 少 し く 誇 大 に 失 す る や う に 考 へ ら れ る が 、 立 弉 當 時 駄 那 羯 礫 迦 の 首 府 で あ つ た 現 今 の ペ ジ ユ ワ ダ 、 市 の 對 岸 、 支 提 山 に 本 據 を 据 へ 、 キ ス ト ナ 河 の 浩 岸 に 遍 く 佛 教 を 布 き 多 大 の 結 果 を 收 め 得 た こ ご は 、 現 今 此 の 地 方 に 佛 教 の 遺 跡 が 多 く 発 掘 せ ら れ つ 、 あ る に 徴 し て も 明 で あ る 。 た ゾ に 此 の 地 の み な ら す 、 此 の ペ ジ ユ ワ タ か ら キ ス ト ナ 河 に 浩 ふ て 十 七 哩 西 方 に あ る ア マ ラ ヴ チ 、 そ れ か ら 更 に 西 北 三 十 哩 の 地 鮎 に あ る ジ ヤ ガ ヤ ペ ッ ト 等 に 多 く の 佛 教 遺 跡 が あ る ア マ ラ ゲ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 一 三
ア マ ラ ゾ チ の 塔 ピ 南 天 蔵 塔 説 一 四 此 の ジ ヤ ガ ヤ ペ ッ ,ト の 佛 塔 は 、 一 入 入 二 年 三 月 、 .ハ ー ジ ス 氏 に 依 つ て 発 掘 せ ら れ た の で あ る が 、 そ の 塔 の 板 石 に は 西 歴 紀 元 前 二 百 年 か ら 百 七 十 年 に 使 用 せ ら れ だ 孔 雀 王 朝 時 代 の 字 體 で 彫 つ だ 刻 文 が あ る 。 此 れ に 依 つ て 見 る も 、 此 の キ ス ト ナ 河 の 浩 岸 は 大 天 の 布 教 後 間 も な く 、 佛 教 が 非 常 の 勢 力 を 以 て 傳 播 し た こ ご が 分 る 。 更 に 舎 利 弗 問 經 (塞 + 、 十 八 左 ) に 依 る ご 、 孔 雀 王 朝 の 後 を 繼 ぎ 西 紀 前 二 世 紀 の 終 に 位 に 即 い た シ ユ ン ガ 王 朝 の 始 祖 、 弗 沙 蜜 多 羅 は 大 に 佛 敷 を 排 斥 し 、 寺 塔 を 破 壊 し 、 五 百 の 羅 漢 は 難 を 南 山 に 逃 れ た こ 云 ふ か ら 、 恐 く 此 の 地 方 邊 り に 來 た の で あ ら う 。 そ れ が た め に キ ス ト ナ 浩 岸 地 方 に 於 け る 佛 教 が 盆 々 盛 大 に な る ご 共 に 東 山 住 部 こ か 西 山 住 部 こ か 云 ふ 様 な 種 々 の 學 派 も 出 來 た に 違 ひ な い 元 來 此 地 方 に 傳 播 し た 佛 教 は 、 ﹁ 異 部 宗 輪 論 ﹂ 等 に あ る 如 く 、 大 天 を 始 祖 と せ る 大 衆 部 の 系 統 で 、 巳 に 大 乗 教 の 素 質 を 有 し た も の こ 云 つ て 可 い 。 西 藏 の 資 料 を 本 こ し て 書 い た ゾ シ リ ヱ フ 氏 の ﹁ 佛 教 ﹂ ( 二 六 四 頁 ) に よ る ご 、 此 の 地 方 の 大 衆 部 た る 東 山 住 部 、 西 山 住 部 は 巳 に 早 く か ら 大 般 若 經 な 所 有 し 、 且 つ 俗 語 で 書 い た 多 く の 大 乗 經 典 を 所 有 し て 居 つ た こ 云 ふ 。 思 ふ に 西 歴 一 世 紀 頃 に は 已 に 種 々 の 大 乗 經 典 が 此 の 地 方 に 輪 入 せ ら れ た の み で な く 、 多 く の 大 乗 經 典 が こ の 地 方 で 誦 出 せ ら れ て 居 つ た ら し い 。 か の 龍 樹 の 智 度 論 に 引 用 せ ら れ て 居 る 十 萬頌 の 大 雲 經 の 如 き も 早 く か ら 巳 に 此 の 地 方 に 保 存 せ ら れ て 居 た 。 大 方 等 無 想 經 第 六 (六盈 一十 左 ) に よ る ご 、 か の ア マ ラ プ チ 塔 を 建 て た 王 妃 増 長 の 如 き は 二
十 年 間 こ の 大 雲 経 を 受 持 し 讃 誦 し た こ 云 ふ 。 加 之 、 此 の 王 妃 増 長 は 非 常 に 大 乗 教 を 保 護 し 若 し 人 が 大 乗 經 典 を 受 持 す る ご 聞 く ご 、 そ れ を 尊 重 し 讃 歎 し 供 養 し た こ 云 ふ こ ご で あ る 。 南 は デ ッ カ ン よ り 北 は 西 印 度 に 至 る ま で 領 有 し て 居 っ た 引 正 王 家 中 最 も 勢 力 の あ つ た 王 妃 増 長 に 依 っ て 、 斯 く 大 乗 教 が 保 護 せ ら れ た の で あ る か ら 、 他 方 で 容 れ ら れ な か つ た 大 乘 教 徒 も 喜 ん で 此 處 へ 來 た で あ ら う し 、 ま た さ ら で だ に 大 乘 教 に 発 達 せ ん こ す る 素 質 を 有 す る 大 衆 部 の 徒 は 喜 ん で 之 れ を 迎 へ る ご 共 に 自 ら 大 乘 化 し 此 所 に 種 々 の 大 乘 經 典 が 誦 出 せ ら れ た に 違 い な い 。 龍 樹 が 北 方 に 族 行 し て 得 た 大 乗 經 典 よ り も 此 地 方 で 得 ら れ た そ れ が 多 か つ た で あ ら う ご 思 は れ る 。 次 に 説 明 す る 如 く 華 嚴 經 の 如 き も 此 の 地 方 で 出 來 た も の で あ る 。 ( 1 ) 七 、 龍 種 國 と 華 嚴 經 羅 什 譯 の ﹁ 龍 樹 菩 薩 傳 ﹂ に は 、 龍 樹 が 龍 宮 で 大 乗 諸 經 典 を 見 た こ あ る の み で 、 華 嚴 經 を 発 見 し た こ 云 ふ こ ご は 書 い て な い 。 龍 樹 が 龍 宮 か ら 華 嚴 經 を 請 來 し た こ 云 ふ の は 賢 首 の 華 嚴 傳 が 本 で あ る 。 併 し 賢 首 が 斯 か る 説 を 捏 造 し た 譯 で は な く 、 賢 首 は 眞 諦 三 藏 の 説 を 承 け 、 眞 諦 は 印 度 に 流 行 し て 居 つ た 傳 説 を そ の ま 、 傳 へ た も の な る こ ご は 華 嚴 傳 の 記 す る 所 に よ つ て 明 で あ る 。 而 も 此 の 龍 宮 ご は 何 處 に あ る の か 、 ﹁ 正 法 念 經 ﹂ 等 に 依 る ご 龍 は 須 彌 の 北 海 に 住 居 す ご 説 い て 居 る γ マ ラ ブ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 詮 一 五
ア マ ラ チ の ヅ 塔 と 南 天 鐵 塔 説 一 六 而 も こ れ は た 紳 秘 文 學 こ し て の 説 明 で 、 之 れ を 歴 史 的 に 考 へ る ご 、 龍 宮 ご は 即 ち 龍 蛇 を 崇 拝 す る 種 族 の 國 ご 云 ふ に 外 な ら な い 。 こ の 龍 種 族 は 元 來 蒙 古 人 種 の 一 種 で 、 極 め て 古 き 時 代 に 印 度 に 侵 入 し 最 初 、 迦 濕 彌 羅 國 に 居 佳 し て 居 た が 次 第 に 乾 陀 羅 怛 叉 戸 羅 等 に 傳 播 し 、 少 く こ も 歴 山 王 の 印 度 侵 入 以 前 巳 に 西 ゴ ー ト 浩 岸 か ら 南 天 竺 二 膿 に 傳 播 し て 居 つ た も の ら し い 。 此 の 龍 種 國 の 中 で ア マ ラ ヴ チ 塔 の 創 立 に 最 も 勢 力 の あ つ た の は ゴ ダ プ リ 河 ご キ ス ト ナ 河 の 間 に 位 せ る 案 茶 羅 、 駄 那 羯 礫 迦 、 そ れ か ら 龍 樹 の 生 れ た こ 云 ふ 薩 羅 國 一 帯 の 龍 種 で あ る 。 そ れ は 現 今 案 茶 羅 地 方 な ご か ら 龍 を 表 號 こ せ る 貨 幣 が 発 掘 せ ら れ る の を 見 て も 分 る 。 更 に 錫 崙 大 島 史 ( 一二 三 頁 ) に 龍 が 佛 舎 利 を 得 て マ ジ エ リ カ ご 云 ふ 龍 國 に 赴 き 、 其 處 に 荘 .麗 な 塔 を 建 て た こ 云 ふ そ の マ ジ エ リ カ と 云 ふ の は 即 ち 此 の ゴ ダ プ リ 河 ご キ ス ト ナ 河 こ の 間 に あ る 國 を 指 し そ の 佛 塔 ご は ア マ ラ プ チ の 塔 な る こ ご は 已 に 説 明 し た 通 り で あ る 。 錫 崙 大 島 史 ( 一二三 頁 ) に あ る 如 く か の ア マ ラ プ チ 塔 の 創 立 者 た る 王 妃 は 勿 論 、 引 正 王 家 は 元 來 龍 種 族 で あ つ た の で 、 そ れ は 此 の 引 正 王 家 の 一 族 中 に 等 、 非 常 に の 名 の 多 い の を 見 て も 分 る 。 更 に ま た 此 の ア マ ラ プ チ 塔 や ジ ヤ ガ ヤ ペ ッ ト の 塔 の た め に 浄 財 を 投 じ て 、 楯 欄 こ か 石 柱 こ か を 寄 進 し た そ れ 等 の 人 達 の 名 前 が 刻 文 に 残 つ て 居 る が 、 等 の 名 が 多
い 。 此 等 の 事 蹟 か ら 考 へ て も 、 大 天 に よ つ て 阿 育 王 の 時 、 大 衆 部 の 佛 数 が 擬 め ら れ 、 王 妃 増 長 以 來 大 乗 教 が 大 に 榮 へ た ご 想 像 せ ら る 、 案 茶 羅 、 駄 那 羯 礫 迦 等 の 國 は 南 天 竺 に 於 て 最 も 佛 教 に 因 緑 の 深 い 強 勢 の 龍 種 國 で あ つ た の で あ る 。 羅 什 の ﹁ 龍 樹 菩 薩 傳 ﹂ に 大 龍 菩 薩 が 龍 樹 を 龍 宮 に 導 く に 當 り ﹃ 之 れ を 接 し て 海 に 入 る ﹄ ご 云 ひ 、 ﹃ 通 送 し て 南 天 竺 に 出 づ ﹄ 等 ご あ る 文 よ り 推 す に 、 此 の 諸 大 乗 經 特 に 華 嚴 、経 の 保 藏 せ ら れ て 居 つ た 龍 宮 ご ば 南 天 竺 の 海 岸 で な く て は な ら な い ど 共 に 、 そ の 當 時 の 情 勢 よ り 推 す に 之 れ を キ ス ト ナ 河 、 ゴ グ ヴ リ 河 の 近 邊 に 於 け る 東 海 岸 に 求 む る が 至 當 で あ る ご 思 は れ る の で あ る 。 特 に 華 嚴 經 入 法 界 品 に は 、 文 殊 菩 薩 が 祗 園 精 舎 か ら神 通 を 以 て 此 の 駄 那 羯 礫 迦 、 即 ち神 城 に 來 り チ ヤ イ チ ヤ 城 東 の 荘 嚴 瞳 娑 羅 林 中 の 大 塔 、 即 ア マ ラ ヴ チ の 制 底 に 住 し て 此 の 國 の 人 民 を 教 化 し 、 そ の 群 衆 の 中 か ら 善 財 童 子 を 披 擢 し 、 善 財 童 子 は 五 十 五 の 善 智 識 を 訪 ね ん が た め に 、 南 天 趣 二 圓 を 歴 巡 す る こ ご に な つ て 居 る 。 南 天 竺 特 に ア マ ラ ブ チ 塔 が 、 此 の 華 嚴 經 入 法 界 品 の 舞 毫 こ な つ て 居 る 上 か ら 考 へ る も 、 此 の 華 嚴 經 な る も の が 此 の 龍 種 國 で 誦 出 さ れ 、 そ れ が 西 印 度 を 経 て 中 央 亜 細 亜 に 傳 は り 、 干 闔 の 東 南 二 千 除 里 の 遮 狗 迦 國 等 に 保 存 せ ら れ て 居 つ た の で あ る 。 東 晋 安 帝 の 時 ( 三 九 七 -四 一 入 ) 、 盧 山 の 慧 遠 が 其 の 弟 子 法 領 等 を し て 沙 雪 の 険 を 胃 し 、 遠 く 衆 經 を 求 め し め だ o 法 領 途 に 此 の 遽 狗 迦 國 に 華 嚴 經 三 萬 六 千 頚 を 得 、 畳 賢 三 藏 を 伴 ひ 蹄 晋 し て 、 支 那 に 翻 譯 し た の で あ る 。 ア マ ラ ブ チ の 塔 ぐ、 南 天 鐵 塔 説 一 七
ア マ ラ ヴ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 一 八 更 に 注 意 す べ き は 毘 盧 遮 那 の 佛 名 で あ る 。 釋 迦 を 毘 盧 遮 那 ご 呼 ぷ に 至 つ た の は 、 恐 く 華 嚴 經 が 初 め て゛ あ る 。 法 華 經 の 中 に は 毘 盧 遮 那 光 荘 嚴 王 ご 云 ふ 菩 薩 の 名 は あ る が 佛 の 名 は な い 。 更 に 劉 宋 の 元 嘉 年 中 ( 四 二 四 -四 五 二 ) に 曇 無 蜜 多 に 依 つ て 譯 せ ら れ た ﹁ 観 普 賢 菩 薩 行 法 経 ﹂ に ﹃ 繹 迦 牟 尼 名 二 毘 盧 遮 那 遍 一 切 處 一、 其 佛 佳 處 名 常 寂 光 ﹄ (七盈 ニ四 左 ) ご 説 い て あ る 。 併 し 此 の 經 は 華 嚴 經 の 意 趣 を 以 て 法 華 を 釋 し た も の で 、 華 嚴 経 成 立 の 餘 程 後 に 作 ら れ た も の な る こ ご は そ の 内 容 を 一 讃 す れ ば 分 る 。 之 れ を 要 す る に 毘 盧 遮 那 佛 の 名 は 華 嚴 經 に 初 ま つ た も の で あ る 。 そ も 何 故 に 華 巖 經 に 於 い て 佛 を 毘 盧 遮 那 ご 呼 ぷ や う に な つ た か 、 思 ふ に 之 れ は 西 歴 二 世 紀 の 頃 、 キ ス ト ナ 浩 岸 に 弘 ま つ て 來 た 毘 紐 振 の 影 響 で あ ら う 。 免 に 角 、 佛 を 太 陽 に 譬 へ る 様 に な つ た 。 毘 盧 遮 那 の 名 が 佛 を 太 陽 に 比 す る 上 か ら 由 來 し た こ ご は 晴 の 閣 那 堀 多 に よ つ て 譯 せ ら れ た 華 嚴 經 の 所 属 た る ﹁ 佛 華 嚴 入 如 來 徳 智 不 思 議 境 界 經 ﹂ 巻 下 (四天 十十 ニ一 左 ) に 、 曼 殊 戸 利 ま 、 譬 へ ば 日 輪 出 つ る 時 、 其 の 間 、 次 第 に 無 数 倶 致 那 由 多 百 千 の 光 炎 を 放 ち 、 閻 俘 州 中 の 所 有 の 諸 闇 を 除 去 す る も 、 其 日 輪 は 亦 無 分 別 に し て 異 の 分 別 な し 。 然 も 無 功 用 無 分 別 を 以 て の 故 に 此 等 の 事 の 轉 す る が 如 く 、 是 の 如 く 是 の 如 く 、 曼 殊 ロ ノ 利 よ 、 如 來 の 日 輪 出 つ る 時 、 其 の 間 次 第 に 無 数 倶 致 那 由 多 百 千 の 智 炎 を 放 ち 、 諸 見 作 の 闇 を 除 去 す 云 云 。
斯 く の 如 く 佛 を 太 陽 に 比 す る 思 想 は 、 此 の 南 天 竺 の 龍 國 に 興 起 し た こ ご は ア マ ラ プ チ 塔 の 板 石 の 刻 文 中 に 、 ﹃ 人 界 の 主 た る 正 萱 者 の 日 輪 ご か ま だ o ﹃ 世 界 の 日 輪 た る 世 尊 に 敬 禮 す ﹄ 。 と か 云 ふ や う な 語 が 多 い 。 此 等 の 事 實 か ら 考 へ て も 、 釋 迦 牟 尼 佛 を 毘 盧 遮 那 佛 ご 呼 ぷ や う に な つ た 華 嚴 經 が 南 方 龍 種 國 に 於 い て 誦 出 せ ら れ た 事 が 想 像 せ ら れ る の で あ る 。 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 の 如 き も 初 め は 先 佛 の 古 迩 だ こ 云 ふ 様 に な つ て 居 つ た の み で あ る が 、 華 嚴 經 が 訥 出 せ ら れ 此 の 經 が 傳 播 す る ご 共 に 毘 盧 遮 那 佛 の 名 も 喧 傳 さ れ 、 唐 の 般 若 ( 七 八 五 ー 入 一 〇 ) 鐸 の 四 十 華 嚴 に 至 つ て 初 め て 此 の 塔 處 を ぱ 、
亦
是
世
簿
處遮那
、
於
二
往
昔
時
行
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天
五十三
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)
ご 云 ふ 様 に な つ て 來 た 。 そ れ か ら し て 此 の ア マ ラ ヴ チ の 塔 が 毘 盧 遮 那 塔 こ し て 呼 ば れ る や う に な つ た こ ご は 、 前 に も 巳 に 説 明 し た 如 く 、 唐 の 興 元 元 年 ( 七 八 四 ) に 中 印 度 の 釋 蓮 華 な る 者 が 入 唐 し 、 徳 宗 帝 に 謁 し て 鐘 一 ロ を 請 ひ 、 之 れ を 此 の ア マ ラ ヴ チ の 塔 に 安 置 し た と き 、 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 の こ ご を ﹃ 寳 軍 國 の 毘 盧 遮 那 塔 ﹂ ご 呼 ん で 居 る の を 見 て も 明 か に な る の で あ る o ( 一 ) 佛 譯 ( 二 ) ラ プ ソ ン 氏 の 印 度 古 貨 幣 目 録 、 五 三 頁 、 第 八 圖 。 ア マ ラ ゾ チ の 塔 ピ 南 天 鐵 塔 説 一 九ア マ ラ プ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 二 〇 ( 三 ) ( 四 ) 法 華 経 梵 本 、 四 七 〇 頁 。 ( 五 ) ( 六 ) ( 七 ) 同 上 、 五 四 頁 ( 八 ) 宋 高 信 傳 第 三 、 ( 致 四 、 七 九 右 ) 八 、 華 嚴 経 と 金 剛 頂 經 已 上 説 明 し た 華 嚴 經 ご 金 剛 頂 經 の 根 本 だ る 眞 實 擾 經 ご は 最 も 深 密 な 關 係 を 有 し て 居 る 。 今 そ の 關 係 を 一 言 す る ご 、 先 づ そ の 組 織 の 上 に 於 い て 二 者 が 非 常 に 類 似 し た 所 が あ る 。 即 ち 華 嚴 經 は 佛 が 菩 提 道 塲 に 正 畳 を 成 す る ご 共 に 、 そ の 座 を 立 た す し て 、 そ の 近 邊 に あ る 普 光 明 殿 に 説 法 を な し 、 更 に 神 通 の カ を 以 て 切 利 天 、 夜 摩 天 等 に 上 り て 種 々 の 説 法 を な し 、 最 後 に ま た 菩 提 道 場 に 近 き 普 光 明 殿 に 蹄 還 し て 其 庭 に 離 世 間 品 を 説 い た こ ご に な つ て 居 る ( 入 法 界 品 は 後 分 の 別 経 で あ る か ら 暫 く 之 れ を 除 く ) 。 換 言 せ ば 人 界 か ら 出 発 し て 天 上 界 に 行 き 、そ れ か ら 更 に 人 界 に 歸 還 す る こ ご に な つ て 居 る 。 ﹁ 眞 實 樋 經 ﹂ も ま た 之 れ ご 同 じ く 、 佛 が 一 切 如 來 の 加 持 に よ つ て 五 相 観 を 修 し 、 菩 提 遭 塲 に 正 畳 を 成 じ た る 後 、 利 天 に 登 り て 種 々 の 説 法 を な し 、 最 後 に 再 び 菩 提 道 場 に 還 歸 し 、 世 間 に 随 順 し て 其 化 事 を 縛 す る こ ご に な つ て 居 る 。
た ゴ に 此 等 二 經 の 組 織 構 成 が 類 似 し て 居 る の み で な く 、 其 の 思 想 内 容 の 上 に 於 て も 極 め て 好 く 類 似 し 陀 點 が 多 い 。 即 ち 華 嚴 經 は 佛 が 海 印 三 昧 に 入 つ て 已 心 中 の 法 門 を 説 き 、 文 殊 こ か 普 賢 こ か 法 慧 こ か 金 剛 幢 こ か 云 ふ 如 き 毘 盧 遮 那 佛 の 性 能 を 人 格 化 し た る 菩 薩 を 鮎 出 し て 居 る ご 同 時 に 、 眞 實 撮 經 に 於 て も ま た 佛 が 金 剛 三 摩 地 に 入 り て 自 受 法 樂 の た め に 自 内 證 の 法 門 を 説 き 、 毘 盧 遮 那 如 來 の 性 能 に 過 ぎ ざ る 三 十 六 智 、 三 十 六 尊 を 出 生 し 印 現 す る こ ご に な つ て 居 る 。 其 の 他 、 一 毛 孔 よ り 無 量 の 佛 身 佛 土 を 印 現 し 、 ま た 之 れ に 擾 入 す る ご 云 ふ 圓 融 思 想 の 如 き 、 法 界 は 悉 く 佛 の 徳 相 に 過 ぎ ざ る ご 共 に 外 道 の 教 法 は 勿 論 、 悪 魔 妖 紳 ご 稱 せ ら る 、 も の に 至 る ま で 悉 く 之 れ を 撮 取 し て 菩 薩 の 方 便 こ す る 包 容 思 想 の 如 き 、 更 に ま た 大 宇 宙 の 浄 ら か な 浩 動 を 供 養 ご 見 て 香 華 燈 塗 等 を 諸 佛 に 捧 ぐ ご 云 ふ 供 養 思 想 の 如 き 、 二 者 全 く そ の 揆 をー に す ご 言 つ て 可 い の で あ る 。 斯 く 組 織 内 容 の 上 に 於 い て 二 者 が 類 似 し て 居 る の み な ら す 、 二 者 相 承 の 傳 説 が 極 め て 好 く 類 似 し て 居 る 。 即 ち 華 嚴 經 に は 眞 諦 三 臓 ( 六 世 紀 の 後 半 ) の ロ 説 に 本 つ く 龍 宮 相 承 説 が あ り 、 金 剛 頂 經 に は 金 剛 智 三 藏 の ロ 説 に 基 く 鐵 塔 相 承 説 が あ る 。 華 嚴 經 に 上 中 下 の 三 本 が あ つ て 下 本 の み が 此 の 世 界 に 傳 播 し た こ 云 ふ ご 等 し く 、 金 剛 頂 經 に も ま た 三 本 あ つ て 略 本 の み 此 の 土 に あ り ご 云 ふ 。 而 し て 華 嚴 經 を 傅 へ た の が 龍 樹 で あ る ご 等 し く 金 剛 頂 經 を 傳 へ た も の も ま た 龍 樹 で あ る ご 云 ふ o 何 ぞ そ の 似 た る こ ご の 甚 し き や ご 叫 ぱ ざ る を 得 の o ア コ フ .ワ チ の 塔 ミ 南 天 鐵 塔 説 ニ 一
ア マ ラ プ チ の 塔 "﹂ 南 天 鐵 塔 設 ニ ニ 思 ふ に 金 剛 頂 眞 實 擾 經 ば 摸 本 を 華 嚴 經 に 取 り 、 更 に 之 れ を 具 盟 化 し 登 達 せ し め た も の で あ る 。 普 涌 華 嚴 經 を 以 て 金 剛 頂 經 の 淺 略 だ ピ す る 所 以 も 亦 此 所 に あ る 。 此 の 眞 實 撮 經 の 中 に は 四 五 世 紀 頃 に 出 現 し た 無 着 の 大 乗 荘 嚴 經 論 第 三 (暑 四 、 十 入 右 ) 等 に 源 を 発 し だ 大 圓 鏡 智 等 の 四 智 説 が 佛 の 性 能 の 主 要 分 を な し て 居 る 。 此 の 上 か ら 考 へ る ビ 、 此 の 眞 實 撮 經 の 成 立 は 無 著 以 後 に あ り ご 云 つ て 可 い 佛 敷 の 喩 伽 思 想 が 最 も 高 調 に 達 し た 四 五 世 紀 以 後 、 華 嚴 経 を 摸 本 こ し て 此 の 眞 實 擾 經 等 が 南 天 竺 に 成 立 し た る こ ご は 、 彼 の ア マ ラ ヴ チ の 塔 を 建 て だ 龍 種 の 王 妃 増 長 が 大 乗 教 を 保 護 し た る 以 來 、 大 乘 教 が 此 の 龍 種 國 に 榮 へ 、 華 嚴 經 が 此 の 國 に 成 立 し だ る こ ご 、 丼 に 玄 弉 當 時 、 爾 此 の 國 に 大 乗 敷 が 盛 な り し こ ご 、 道 琳 が 玄 護 を 此 所 に 訪 ひ し こ ご 、 南 天 系 の 不空 羅 索 經 が 金 剛 頂 経 に 於 け る 五 部 思 想 の 先 騙 こ な り 居 る こ ご 、 入 世 紀 に 釋 迦 彌 但 羅 が 此 の 龍 種 國 花 る 僑 薩 羅 國 に 於 い て 金 剛 頂 眞 實 撮 經 の 繹 を 作 り た る こ ご 等 の 事 實 に 徴 す る も 明 か で あ る 。 九 、 ア マ ラ ヴ チ 塔 と 金 剛 界 曼 茶 羅 西 藏 傳 に 依 る ご 、 釋 尊 五 十 入 歳 の 時 、 霞 鷲 山 で 大 般 若 経 を 説 き 、 そ れ ご 同 時 に 紳 通 力 を 以 て 南 天 の ア マ ラ ヴ チ 塔 に 來 り 、 そ の 塔 室 中 で 秘 密 經 を 説 い た こ 云 ふ こ ご で あ る 。 そ し て そ の 塔 内 が 直 に 法 性 曼 茶 羅 で 、 こ れ が 金 剛 界 曼 茶 羅 で あ る ご 云 ふ の で あ る 。 新 教 派 の 所 依 の 経 血 ハた る ﹃ 時 輪 根 本 経 ﹂ に 左 の 偶 が あ る 。
霊
鷲
の
峰
に
無
上
大
乗
の
般
若
没
羅
蜜
道
を
ぱ
諸
の
菩
薩
の
ため
に
説
き
次
で
そ
の
時
大
制
底
に
於
け
る
法
界
の
曼
茶
羅
會
中
に
妙
最
勝
第
一
の
儀
軌
を
ば
春
月
の
中
の
日
に
説
き
給
ふ
。
此 の 大 制 底 ご あ る の を 時 輪 經 の 根 本 釋 に 解 釋 し て 、 こ れ は の 塔 の こ ご だ ご 説 明 し て あ る の で あ る 。 日 本 に 傳 つ た 密 教 の 中 に は 、 此 の ア マ ラ プ チ の 塔 内 か 即 ち 金 剛 界 曼 茶 羅 で あ る ご 説 明 し た 經 文 は な い 。 併 し 此 の 金 剛 界 曼 茶 羅 ご 云 ふ は 即 ち 窒 都 婆 塔 内 の こ ご に 過 ぎ な い ご 云 ふ こ ご は 、 不 窒 三 藏 譯 の 分 別 聖 位 維 や 三 十 七 奠 出 生 義 の 中 に 説 明 し て あ る 。 そ の 一ニ の 證 文 を 學 げ る ご 、 聖 位 経 に は 一 、 此 れ 即 ち 毘 盧 遮 那 の 聖 衆 な り 、 使 ち 現 證 窒 都 婆 塔 こ な る 。 (閏 二 、 十 九 右 ) 二 、 光 明 よ り 十 六 菩 薩 及 び 入 方 等 の 内 外 の 大 護 を 流 出 し 、 展 轉 し て 光 を 出 し て 悪 趣 を 照 觸 す 、 以 て 翠 都 婆 の 階 級 こ な り 、 諸 佛 の 翠 都 婆 法 界 宮 殿 を 衛 護 す (閏 二 .ニ 十 二 右 ) 更 に 出 生 義 に は 塔 の 中 方 の 東 の 阿 閾 如 來 こ か 、 塔 の 中 方 の 南 の 寳 生 如 來 ご か 云 ふ 様 に 塔 内 を 以 て 金 剛 界 曼 茶 羅 ご 假 定 し た 上 で 三 十 七 奠 の 地 位 を 定 め て 居 る 。 先 き に 説 明 し た 様 に ﹁ 金 剛 頂 眞 實 憐 經 ﹂ が ﹁ 華 嚴 經 ﹂ ご 同 じ 榛 に 南 天 竺 の 龍 種 國 に 成 立 し 、 そ の ア マ ラ ブ チ の 塔 ミ 南 天 鐵 塔 説 二 三ア マ ラ プ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 二 四 經 中 に 説 け る 金 剛 界 曼 茶 羅 ご は 一 の 法 界 窒 都 婆 塔 に 過 ぎ な い ざ せ ぱ 、 そ の 翠 都 婆 ご は ア マ ラ プ チ の 大 塔 を 指 す も の こ 推 定 す る も 強 ち 無 理 で は な い 。 何 故 か ご な ら ば 南 天 竺 で 古 來 最 も神 聖 な 所 こ し 、 先 佛 の 遊 所 、 毘 盧 遮 那 の 大 塔 こ し て 喧 傳 せ ら れ る も の は 、 此 の ア マ ラ プ チ 塔 の 外 に な い か ら で あ る 而 も 翻 つ て ﹁ 金 剛 頂 眞 實 揚 經 ﹂ を 披 い て 見 る ご 、 此 の ﹁ 眞 實 撮 経 ﹂ は 佛 が 須 彌 頂 の 金 剛 摩 尼 賓 峰 楼 閣 で 説 か れ た も の で あ る 。 從 つ て そ の 憂 茶 羅 會 場 の 如 き も 此 の 須 彌 頂 帝 繹 天 の 寳 楼 閣 で な く て は な ら ぬ o 而 も そ の 帝 釋 天 の 寳 楼 閤 ご は 如 何 な る 形 の 楼 閣 で あ つ だ か 、 少 く こ も 此 の 眞 實 籏 經 の 説 述 者 は 此 の 棲 閣 を 如 何 に 見 て 居 つ た か ご 云 ふ に 、 入 桂 を 以 て 荘 嚴 し た 露 壷 の あ る 制 底 。 ご 見 て 居 つ た こ ご は 、 ﹁ 眞 實 揚 經 ﹂ に あ る 金 剛 界 曼 茶 羅 の 説 文 か ら 見 て 明 な る の み で な く 、 毘 盧 遮 那 如 來 の 三 昧 耶 形 こ し て 三 昧 耶 曼 茶 羅 中 に 畫 い て あ る 摩 尼 寳 峰 の 八 柱 制 底 に 見 る も 明 か で あ る 。 而 も 此 の 八 柱 を 以 て 荘 嚴 し た 制 底 (塔 至 ) は 何 を 模 本 ざ し た か ご 云 ふ に 、 そ れ は ア マ ラ ヴ チ の 制 底 の 外 は な い の で あ る 。 そ の ア マ ラ プ チ の 制 底 が 八 柱 を 以 て 荘 嚴 せ ら れ て 居 つ た こ ご は バ ー ジ ス 氏 の ア マ ラ プ チ 塔 の 記 録 中 に 於 け る 第 十 四 圖 ( ロ 檜 参 照 ) に よ つ て 知 る べ き で あ る 。 之 れ を 要 す る に 金 剛 界 愛 茶 羅 は 、 ア マ ラ プ チ の 大 制 底 を 模 本 こ し て 之 れ を 理 想 化 し 、 之 れ を 改 變 し て 作 つ た 金 剛 摩 尼 賀 峰 櫻 閣 で 、 之 れ が 置 に ア マ ラ ブ チ の 塔 そ の も の で は な い 。 而 も そ の 模 本 こ な り し も の が ア マ ラ ヴ チ 塔 で あ る か ら 、 此 の ア マ ラ プ チ 塔 が そ の ま 、 金 剛 界 曼 茶 羅 で あ る こ の 西 藏 の
傳 説 も 出 來 、 ま だ 之 れ を 本 こ し て 、 不 空 三 藏 譯 の ﹁ 聖 位 経 ﹂ や ﹁ 出 生 義 ﹂ の 説 が 成 立 し た も の 巴 云 つ て 可 い の で あ る 。 精 密 に 云 へ ば 、 ア マ ラ プ チ 塔 は 制 底 即 ち 塔 室 で あ つ て 、 翠 都 婆 で は な い 。 併 し 後 代 に は 此 の 制 底 も 窒 都 婆 も 同 一 の 義 に 用 ひ ら れ る や う に な つ た が た め に 聖 位 經 等 に 混 同 し て 之 れ を 使 用 し て 居 る 。 故 に ﹃ 聖 位 經 ﹄ に 翠 都 婆 ご あ る か ら こ て 、 此 れ が 直 に サ ン チ の 如 き 翠 都 婆 で あ る ご 考 へ て は な ら ぬ 。 之 れ は 塔 室 即 ち 制 底 の こ ご で あ る ご 知 る ぺ き で あ る 。 ( 一 ) 西 藏 傳 印 度 佛 教 歴 輿 上 、 一 八 八 頁 、 二 六 頁 。 ( 二 ) ( 三 ) 丹 珠 爾 北 京 板 儀 軌 部 第 一 套 。 十 、 南 天 鐵 塔 説 の 由 來 此 所 に 於 い て 吾 人 は 、 南 天 鐵 塔 説 な る も の を 考 慮 す る 必 要 が あ る 。 元 來 此 の 南 天 鐵 塔 説 な る も の は 金 剛 智 の ロ 説 を 不 室 が 筆 記 し た こ 云 ふ ﹁ 金 剛 頂 義 訣 ﹂ が 源 で あ る 。 そ れ に 依 る ご 、 そ の 大 経 の 本 は 阿 閣 梨 の 云 く 、 經 爽 廣 長 に し て 床 の 如 し 、 厚 さ 四 五 尺 、 無 量 の 頚 あ り 、 南 天 竺 界 鐵 塔 の 中 に 在 り て 、 佛 滅 度 の 後 敷 百 年 の 間 、 人 能 く 此 の 塔 を 開 く こ ご な し 。 鐵 扉 鐵 錬 を 以 て 之 れ を 封 閉 す 。 其 の 中 天 竺 の 佛 法 漸 く 衰 ふ る 時 、 大 徳 あ り て 先 づ 大 毘 盧 含 那 の 眞 言 を 誦 持 す 、 毘 盧 遮 那 佛 其 の 身 を 現 じ 、 及 び 多 身 を 現 す る こ ご を 得 て 、 虚 塞 の 中 に 於 い て 此 の 注 門 及 び 文 字 章 句 を 説 ア マ ラ ブ チ の 塔 こ 南 天 鐵 塔 説 二 五
ア マ ラ ブ チ の 塔 ミ 南 天 鐵 塔 説 二 六 き 次 第 に 鳥 さ し め 訖 い て 即 ち 滅 す 。 即 ち ﹁ 毘 盧 遮 那 念 諦 法 要 ﹂ 一 巻 是 れ 也 。 時 に こ の 大 徳 、 持 誦 成 就 し て 此 の 塔 を 開 か ん こ ご を 願 つ て 、 七 日 の 中 に 於 て 達 塔 念 誦 し 、 白 芥 子 七 粒 を 以 て 此 の 塔 を 打 つ に 門 乃 ち 開 く 。 塔 内 の 諸 神 一 時 に 踊 怒 し て 入 る こ ご を 得 せ し め す 。 唯 塔 内 に 香 燈 光 明 一 丈 二 丈 名 花 寳 蓋 中 に 満 ち 、 懸 列 せ る を 見 る 。 叉 讃 の 聲 の 此 の 經 王 を 讃 す る を 聞 く 。 時 に 此 の 大 徳 、 心 を 至 し て 幟 悔 し 、 大 誓 願 を 発 し て 然 し て 後 に 、此の塔中に入を得入り巳つて其塔尋いで閉 づ 。 多 日 を 經 て 此 の 經 王 の 廣 本 一 遍 を 讃 す 食 項 の 如 し ご お も へ り 。 諸 佛 菩 薩 の 指 授 を 得 て 、 記 持 し て 忘 れ ざ る に 堪 へ た る 所 な り 。 便 ち 塔 を 出 で し め 、 塔 門 還 た 閉 つ る こ ご 故 の 如 し 。 爾 時 に 記 持 す る 所 の 法 を 書 篤 す る に 百 千 頌 あ り 、 此 の 経 を ﹁ 金 剛 頂 經 ﹂ ご 名 く る も の な り 。 菩 薩 大 藏 塔 内 の 廣 本 は 世 に 絶 え て 無 き 所 な り 。 塔 内 の 燈 光 明 等今に至るまで滅せず 。 此 の ﹁ 義 訣 ﹂ の 文 に は 唯 大 徳 ご .あ る の み で 、 龍 樹 菩 薩 ご は 云 つ て 居 な い 。 然 る を 之 れ を 龍 樹 菩 薩 だ こ し た の は 弘 法 大 師 の 付 法 傳 が 初 め て い 、 大 師 は ﹁ 榜 伽 經 ﹂ の 懸 記 等 を 本 こ し て 之 れ を 龍 樹 ご 定 め た の で あ る 。 更 に 注 意 す べ き こ ご は ﹁ 義 訣 ﹂ に は ﹃ 此 の 塔 内 に 入 る こ ご を 得 、 入 り 巳 つ て 其 塔 尋 い で 閉 づ ﹂ 。 ご あ る の み で 、 其 塔 が 如 何 な る 形 で あ つ た か を 記 し て な い 。 然 る に 大 師 の 付 法 傳 に は 、 ﹃ 入 り 已 て 其 の 塔 尋 い で 閉 づ 、 其 の 内 を 観 れ ば 即 ち 法 界 宮 殿 毘 盧 遮 那 現 謹 翠 都 婆 是 れ な り ﹄
ご あ る 。 思 ふ に 此 れ は 大 師 が た 猫 断 で 斯 く 書 か れ た の で な く 、 此 は 金 剛 智 三 藏 以 來 、 ロ 傳 で 傳 へ ら れ た 旨 趣 に 依 つ て 書 か れ た も の で あ る ご 考 へ る 外 、 仕 方 が な い 。 何 こ な れ ば 此 の 鐵 塔 が 諸 佛 菩 薩 の 曼 茶 羅 道 塲 な る こ ご は ﹃ 諸 佛 菩 薩 の 指 授 を 得 て ﹄ 等 ご あ る 義 訣 の 文 よ り 推 す も 明 か で あ る 。 大 師 の 語 を 籍 り て 云 へ ば 是 れ が 即 ち 法 界 宮 殿 で あ る 。 換 言 せ ぱ 金 剛 界 曼 茶 羅 の 會 塲 で あ る 。 然 る に 此 の 金 剛 界 曼 茶 羅 を 以 て 毘 盧 遮 那 翠 都 婆 こ せ る こ ご は 已 に 引 用 せ る が 如 く 、 不 室 譯 の ﹁ 分 別 聖 位 経 し 等 に 明 示 し て あ る か ら で あ る 。 然 る に こ の 南 天 竺 に 於 け る 毘 盧 遮 那 塔 ご は ア マ ラ ヴ チ 塔 に 外 な ら 漁 の で 、 四 十 華 嚴 經 に 於 て は 、 此 の 塔 を 読 明 し て 、 ﹃ 世 尊 毘 盧 遮 那 、 於 二 往 昔 時 行 菩 薩 行 、 能 捨 二 無 量 難 捨 一之 處 ﹄ と 云 ひ 現 に 唐 の 徳 宗 皇 帝 の 時 、 來 唐 し だ 撞 華 の 如 き は 巳 に 一 言 せ る 如 く 、 此 の 塔 を 寳 軍 國 、 即 ち 駄 那 羯 礫 迦 國 の 毘 盧 遮 那 塔 ご 云 つ て 居 る か ら で あ る 。 併 し ア マ ラ ヴ チ の 塔 は 大 理 石 の 所 造 で あ つ て 、 鐵 塔 で は な い 、 之 れ を 鐵 塔 ご 云 ふ 所 以 如 何 ご 云 ふ に 、 此 の 大 理 石 が 敷 百 年 間 雨 露 に 曝 さ れ 黒 色 を 帯 ぴ 、 恰 も 鐵 色 に な つ て 居 つ た も の ら し い 。 從 つ て へ こ 西 藏 傳 に は 此 の 塔 を 説 明 し て 、 ﹃ 塔 の 自 體 は 現 今 も 見 得 る 如 く 、 土 に 非 す 石 に 非 す 、 又 煉 兀 に 非 す ﹄ ア マ ラ げ チ の 塔 ピ 南 天 鐵 塔 説 二 七
ア マ ラ ゾ チ の 塔 ミ 南 天 鐵 塔 説 二 八 ご 云 ひ 、 我 國 に 於 て も 、 ま た 古 來 相 傳 の 義 こ し て ﹁ 決 疑 抄 し 等 に 掲 げ る 所 の 説 に よ る ご 、 此 の 鐵 塔 の 鐵 は 世 間 普 通 の 黒 鐵 で は な く 、 自 鐵 だ こ 云 つ て 居 る 。 之 れ に 依 つ て 之 を 見 れ ば 、 此 の 鐵 塔 は 即 ち ア マ ラ プ チ の 大 理 石 の 塔 な る こ ご が 分 る 。 斯 く ア マ ラ プ チ の 塔 を 以 て 、 鐵 塔 こ し 、 毘 盧 遮 那 塔 こ し 、 法 界 宮 殿 こ し 、 金 剛 界 曼 茶 羅 こ す る に 至 つ セ 巴 共 に 、 ﹁ 眞 實 撮 經 ﹂ を 説 け る 須 彌 頂 の 帝 釋 宮 ご 云 ふ も 實 は 此 の 塔 の こ ご に 外 な ら な い こ の 信 仰 か ら 、 此 の 塔 の 在 る 所 を ア マ ラ プ チ ご 稱 す る 様 に な つ た ら し い 。 ア マ ラ ブ テ ご は 不 死 城 ご 云 ふ こ ざ で 、 即 ち 帝 釋 天 の 城 の 名 で あ る こ ご は 、 ビ シ ユ ヌ 、 ブ ラ ー ナ 等 に 説 明 し て あ る 通 り で あ る 。 併 し 、 そ れ は 一 部 密 教 徒 の 間 に 稱 せ ら れ た 位 の こ ご で 一 般 に は 未 だ そ の 名 は 知 ら れ て 居 ら な か つ た 。 そ れ が 西 歴 十 二 世 紀 頃 、 オ ジ ッ サ の 王 、 ス ー リ ヤ デ ー プ が 此 の 塔 の 邊 り に 町 を 建 て 、 之 れ を ア マ ラ プ チ ご 稱 す る 様 に な つ て 、 此 の ア マ ヲ ヴ チ の 地 が 一 般 に 知 ら れ る 様 に な つ だ の で あ る ご 、 斯 く 解 釋 す べ き で あ る 。 之 れ に 由 つ て 之 れ を 考 へ る ご 、 南 天 鐵 塔 説 な る も の は 、 ア マ ラ プ チ の 近 邊 に 成 立 し 擬 金 剛 頂 經 が 此 の 塔 の 中 に 保 存 せ ら れ て 居 っ た 歴 吏 的 事 實 を 潤 色 し て 斯 か る 傳 説 が 出 來 た も の だ こ す る 外 は な い の で あ る 。 ( 一 ) 河 口 氏 . 西 藏 傳 印 度 佛 教 歴 史 上 . 二 六 二 頁 。
( 二 ) 覺 禅 鈔 七, 二 三 三 六 頁 。 ( 三 ) . 十 一 、 南 天 鐵 塔 説 の 成 立 と そ の 年 代 此 の ア マ ラ プ チ 塔 の 中 に 金 剛 頂 經 が 保 存 せ ら れ て 居 つ た こ 云 ふ 歴 史 的 事 實 を 、 如 何 に 潤 色 し て 此 の 南 天 鐵 塔 説 が 出 來 た か ご 云 ふ に 、 先 づ 第一 に は 華 嚴 経 の 三 本 説 に 材 料 を 得 、 次 に 其 の 潤 色 に 與 つ て 最 も 力 あ る も の は 、 彼 の ﹁ 西 域 記 ﹂ 第 十 に 記 載 せ る 清 辮 が 阿 素 羅 宮 を 開 い た こ い ふ 傳 説 で あ る 。 今 ﹁ 西 域 記 ﹂ に 依 つ て 其 の 傳 説 を 學 げ る ど 。 城 南 遠 か ら す し て 大 な る 山 巖 あ り 。 婆 毘 吠 伽 唐 に 清 辮 ご 云 ふ ) 論 師 、 阿 素 羅 宮 に 住 し て 慈 氏 菩 薩 の 成 佛 を 待 つ 處 む り 。 論 師 、 雅 量 弘 遠 、 至 徳 深 遽 に し て 、 外 に は 俗 怯 の 服 を 示 し 、 に は 龍 樹 の 學 を 弘 む 。 静 に し て 思 ふ て 曰 く 、 慈 氏 の 成 佛 に 非 ざ れ ば 誰 か 我 が 疑 を 決 せ ん ご 観 自 在 菩 薩 像 の 前 に 於 て 、 随 心 陀 羅 尼 を 誦 じ 、 粒 を 絶 つ て 水 を 飲 み 、 特 に 三 歳 を 歴 た り 。 観 自 在 菩 薩 乃 ち 妙 色 身 を 現 じ て 、 論 師 に 謂 て 曰 く 、 何 の 志 す 所 そ や 、 封 へ て 曰 く 、 願 く は 此 の 身 を 留 め て 慈 氏 を 見 ん こ ご を 待 た ん ご 、 観 自 在 菩 薩 の 曰 く 、 入 命 は 危 脆 、 世 間 は 浮 幻 な り 。 宜 し く 勝 善 を 修 し て 観 史 多 天 に 生 せ ん こ ご を 願 ふ べ し ご 。 論 師 の 曰 く 、 志 を ぱ 奪 ふ ぺ か ら す 、 心 を ぱ 裁 す ぺ か ら す ご 、 菩 薩 の 曰 く 、 若 し 然 ら ば 、 宜 し く 駄 那 羯 礫 迦 國 の 城 南 の 山 巖 に あ る 執 金 剛 神 の 所 ア マ ラ ゾ チ の 塔 ピ 南 天 鐵 塔 説 二 九
ア マ ラ ブ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 三 〇 に 往 て 、 至 誠 に 執 金 剛 陀 羅 尼 を 誦 せ ば 當 に 此 の 願 を 蓬 ぐ べ し ご 。 論 師 是 に 於 て 、 往 て 而 し て 誦 じ 三 歳 の 後 、神 乃 ち 謂 て 曰 く 、 伊 れ 何 の 願 ふ 所 あ つ て 此 の 如 く 勤 働 す る 。 論 師 の 曰 く 、 願 く は 此 の 身 を 留 め て 慈 氏 を 見 ん こ ご を 待 た ん 、 観 自 在 菩 薩 指 し 遣 は し て 來 り 請 は し む o 我 願 を 成 せ ん も の は 其 れ 神 に あ ら ん か ご 、 神 乃 ち 秘 方 を 授 け て 之 れ に 謂 て 曰 く 、 此 の 巖 石 の 内 に 阿 素 洛 宮 あ り 、 如 法 に 行 請 せ ば 壁 當 に 開 か ん 、 開 か ば 即 ち 中 に 入 つ て 以 て 見 る こ ご を 待 つ ぺ し ご 、 論 師 の 曰 く 、 幽 居 に し て 観 る こ ご な し 、 証 ぞ 佛 の 興 り 玉 ふ を 知 ら ん ご 、 執 金 剛 の 曰 く 、 慈 氏 の 出 世 を ば 我 當 に 相 報 す べ し ざ 、 論 師 命 を 受 け て 專 精 誦 持 し 、 復 三 威 を 歴 る も 初 め は 異 相 な し 、芥子を呪 し て 以 て 石 巖 の 壁 を 撃 つ 。 豁 に し て 洞 開 け り 。 ・⋮ ⋮ ⋮ 從 容 こ し て 入 る 。 入 り 巳 つ て 石 壁 還 た 合 す 云 。 此 の 清 辮 の 傳 説 に 観 自 在 菩 薩 が 身 を 現 じ て 阿 素 羅 宮 の 所 宮 の 所 在 を 指 示 し た に 封 し 、 鐵 塔 説 で は 毘 盧 遮 那 佛 が 現 は れ て 念 誦 法 要 を 授 け た こ 云 ふ 。 そ の 奠 名 に 異 り は あ る が 話 の 結 構 が 全 く 同 一 で あ る 。 更 に 二 者 共 に 執 金 剛 神 が 侍 衛 た る こ ご 、 白 芥 子 を 呪 し て 戸 を 開 く 形 式 の 同 一 な る こ ご 、 入 り 己 つ て 石 壁 ま た 合 す ご 云 ふ こ ご ま で 同 一 な る こ ご 等 よ り 見 る も 、 如 何 に 此 の 南 天 鐵 塔 説 が 彼 の 清 辮 の 阿 素 羅 宮 の 傳 説 に 負 ふ 所 あ る か を 知 る べ き で あ る 。 元 來 此 の 南 天 鐵 塔 説 は 、 西 歴 入 世 紀 に 金 剛 智 三 藏 が 傳 へ た の が 最 初 で 、 之 れ 以 前 に は 、 誰一 人 こ し て 之 れ を ロ に し 、 之 を 筆 に し だ 者 は な か つ た の で あ る 。 さ れ ば 此 の 傳 説 が 生 起 し た 年 代 は 、 西 紀 七
世 紀 の 末 、 若 く は 入 世 紀 の 初 な る こ ご が 分 る 。 而 も 西 紀 第 六 世 紀 即 ち 眞 諦 三 藏 當 時 に 於 て 、 巳 に 龍 宮 相 承 に 於 け る 華 嚴 經 の 三 本 説 が あ り 、 第 七 世 紀 即 ち 玄 癸 三 藏 の 印 度 族 行 當 時 に 、 清 辮 が 白 芥 子 を 呪 じ て 阿 素 羅 宮 を 開 い た こ 云 ふ 傳 説 が あ つ て 、 此 の 二 傳 説 が 同 一 境 地 た る 龍 種 國 に 行 は れ て 居 つ た の で あ る か ら 、 そ の 後 に 榮 え た 密 教 徒 が 以 上 の 二 傅 説 を 撮 受 し て 、 ア マ ラ ヴ チ 塔 に 金 剛 頂 經 を 登 見 し た こ 云 ふ 事 實 を 潤 色 す る 資 料 こ し た の は 自 然 て あ る 。 斯 く し て 出 來 た 南 天 鐵 塔 説 を 、 更 に 轄 用 し て 、 如 來 が ﹁ 秘 密 時 輪 經 ﹂ を 此 の 塔 中 に 説 い だ こ か 、 シ ヤ ン パ ラ 王 、 月 賢 が 此 の 塔 中 に 時 輪 經 を 威 見 し た こ か 云 ふ 模 な 西 藏 の 傳 説 が 出 來 た も の で あ る 。 十 二 、 結 言 已 上 説 明 し た 要 所 を 條 書 に す る ご 左 の 通 り で あ る 。 一 、 近 代 に 於 て ア マ ラ ヴ チ 塔 が 喧 傳 せ ら 惹 、 に 至 つ 陀 の は 、 一 千 七 百 九 十 七 年 以 來 の こ ご な る こ ご 二 、 ア マ ラ プ チ の 塔 は ず ン チ の 如 き 箪 都 婆 に 非 す し て 制 底 な る こ ご 。 三 、 此 の ア マ ラ ヴ チ の 塔 か 華 嚴 經 入 法 界 品 に 於 け る 福 城 東 娑 羅 林 中 大 塔 廟 處 に し て 、 且 っ 蓮 華 傳 に 謂 ゆ る 賓 軍 國 毘 盧 遮 那 塔 な る こ ご 。 四 、 ア マ ラ ヴ チ の 塔 は 西 歴 二 世 紀 、 西 南 爾 印 度 に 領 地 を 擴 げ た る 引 正 王 家 め 全 盛 時 代 に 於 て 、 王 妃 増 長 に 依 つ て 創 建 せ ら れ た る も の な る こ ご 。 ア マ ラ ゾ チ の 塔 南 天 鐵 塔 説 三一
ア マ ラ ブ チ の 塔 と 南 天 鐵 塔 説 三 二 五 、 中 剛 度 に 於 け る 佛 教 徒 の 移 住 ご 、 王 妃 壇 長 が 大 乗 を 保 護 し た る カ ご に 依 り 、 此 の ア マ ラ ヴ チ の 塔 を 中 心 こ し て 大 乘 数 が キ ス ト ナ 沿 岸 に 榮 ね た る こ ご 。 六 、 華 嚴 經 の 如 き も 橋 薩 羅 國 よ り 印 度 の 東 海 岸 に 損 が り し 龍 種 國 に 於 て 成 立 し た る も の な る こ ご 。 七 、 金 剛 頂 経 の 根 本 た る ﹁ 眞 實 振 経 ﹂ は 、 華 嚴 経 を 模 本 こ し 、 四 五 世 紀 の 後 、 龍 種 國 に 於 い て 成 立 し た る も の な る こ ご 。 八 、 金 剛 界 曼 茶 羅 は そ の 模 本 を ア マ ラ ヴ チ 塔 に 取 り し こ ご 。 九 、 南 天 鐵 塔 ご 云 ふ も 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 に 外 な ら ざ る こ ご 。 十 、 此 の 塔 が 即 ち 初 利 天 の 金 剛 界 曼 荼 羅 會 塲 な り こ の 思 想 よ リ ァ マ ラ ヴ チ の 名 は 起 り た る こ ご 。 十 一 、 金 剛 頂 經 が 此 の ア マ ラ ヴ チ 塔 の 中 に 保 存 せ ら れ た り こ の 歴 史 的 事 實 を 潤 色 し て 南 天 鐵 塔 説 は 成 立 し た る も の な る こ ご 。 十 二 、 如 何 に そ れ が 潤 色 せ ら れ だ か ご 云 ふ に 華 嚴 經 の 三 本 説 、 特 に 清 辮 が 阿 素 羅 宮 を 開 い た こ 云 ふ 傳 説 に 負 へ る こ ご 。 十 三 、 此 の 南 天 鐵 塔 説 が 生 起 せ し 年 代 は 、 七 世 紀 の 末 若 く は 八 世 紀 の 初 に し て 、 西 藏 の ア マ ラ ヴ チ 塔 に 關 す る 傳 説 は 更 に 之 れ を 輔 詑 し た る も の な る こ と 。 ( 完 )
ア マ ラ ヴ チ 制 底 の 模 型