絶対王政の崩壊と啓蒙思想
欧米文化論 第12回欧米文化論
http://harlock.web.fc2.com/本日の講義要旨
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イングランドの成功は、親カトリック教国にも 影響を与えた。スペインとポルトガルは
1580年に同君連合を完成させ、海洋帝国競争を 激化させた。フランスはスペイン=ハプスブル グ朝と争い、ルイ
14世が即位すると急速に絶 対君主化していった。
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他方、イングランドでは絶対王政を批判する
啓蒙思想が登場し、市民革命に発展した。
絶対王政国家の興亡
西暦 イングランド スペイン フランス オランダ 備 考
1497
ジョバンニ・ガボッ トカナダ東岸に到 達
イングランドはジェノヴァ人ガボッ トを雇って西回り航路探検。
1503 エンコミンダ制
(1549年まで)
インディアンのキリスト教改宗を 名目とした奴隷制度。
1509 ヘンリー8世即位
(1547年まで)
チューダー朝第2代ヘンリー8世 は元々カトリック。ルネッサンス 派。
1515 フランソワ1世即位
(1547年まで)
ヴァロワ朝第9代フランソワ1世 はミラノ公国へ侵攻。ルネッサン ス派。
1516
カルロス1世(カー ル5世)即位(1556 年まで)
レオナルド・ダ・ヴィ ンチ、フランソワ1 世に招かれる。
カルロス1世はネーデルランド出 身。ハプスブルグ家。
1519
カール5世神聖 ローマ帝国皇帝即 位
1521 イタリア戦争 カール5世は教皇クレメンス7世と
組んで、ミラノを救済。
1527 ローマ略奪
しかし、教皇がフランソワ1世とコ ニャック同盟を結成したために 皇帝軍がローマに侵攻し、教皇 は降伏。
1529
カール5世の叔母 であるキャサリンと の離婚無効
サラゴサ条約
教皇クレメンス7世はカール5世 を恐れ、ヘンリー8世の離婚を認 めず。
1533 上告禁止法
イングランドは帝国であり、教皇 庁から独立した国家であると宣 言。
1534 国王至上法 イングランド国教会の成立。
1542 修道院の解散完了 修道院財産の没収。
1547 エドワード6世即位
(1553年まで) エドワード6世はプロテスタント。
1553 メアリー1世即位
(1558年まで)
メアリー1世はカトリック。フェリペ 2世と結婚。
1556 フェリペ2世即位
(1598年まで)
皇帝はカール5世の弟フェルディ ナント1世が継ぐ。
1558 エリザベス1世即位
(1603年まで)
チューダー朝第5代エリザベス1 世はプロテスタント。
1559 国王至上法再公布
1562 ホーキンズ※ ユグノー戦争 ※奴隷貿易のための航海開始。
1568 独立戦争勃発 ネーデルランド17州はスペインの
統治下にあった。
1571 レパントの海戦
1577 ドレイク世界周航 1580年帰港。
1580
フェリペ2世がポル トガル王を兼ねる
(同君連合成立)
フェリペ2世「日の沈まぬ帝国」を 完成。
1581 ネーデルランド北
部7州が独立宣言
プロテスタント国家ネーデルラン ド連邦共和国成立。
1588 スペイン制海権を失う。
1589 アンリ4世即位
(1610年まで)
ブルボン朝成立。ユグノー出身。
元々プロテスタント。
1593 アンリ4世カトリック
に改宗
1598 ナント勅令 プロテスタント信徒にもカトリック
信徒とほぼ同じ権利を認めた。
1600 東インド会社設立
1601 救貧法 国家主導の救貧事業。
1602 東インド会社設立
1603 ジェームス1世即位 スチュアート朝成立。
アルマダの海戦
海洋帝国競争(その1)
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イングランドはジョバンニ・ガボットが
1497年にカナダ東岸に 到達したものの、スペイン、ポルトガルが圧倒的に優位に立 っていた。
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特に、スペインは植民地に
1503年にエンコミンダ制を導入し、
奴隷による鉱山の開発や農園の経営を行っていた。
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エンコミンダの世襲化が禁止されると、アフリカからの黒人奴 隷が代替し、奴隷貿易が始まった。
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スペインはフェリペ
2世の時代
(1580年の同君連合成立)に
ポルトガルと統合し、「太陽の沈まない帝国」を完成させた。
海洋帝国競争(その2)
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イングランドはエリザベス
1世が即位すると、私拿捕特許状を 与えた海賊(パイレーツ=国家公認海賊)を使ってスペイン 船やポルトガル船、要塞を攻撃した。
•
同時に、ネーデルランド北部
7州の独立を支援したために、フ ェリペ
2世はイングランド征伐を決意した。
• 1588
年アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を撃破し、以
後数度の海戦を経て徐々にスペインの覇権を打破していっ た。
•
イングランドと独立を果たしたオランダは、東インド会社をそ
れぞれ設立した。
絶対君主と啓蒙思想
黄色:絶対君主/王権神授説関連 ピンク:啓蒙思想 水色:市民革命
イギリス フランス 備 考
1598 ジェームス6世、『自由なる君 主国の真の法』を執筆。
スコットランド王であったジェームス 6世が自ら絶対君主であるこを宣 言する論文。
1603 ジェームス6世、イングランド王
(ジェームス1世)を兼ねる。
イングランドとスコットランドは同君 連合王国となる。
1620 フランシス・ベーコン『新機関』
刊行。
イギリス経験哲学の祖。同年トマ ス・ホッブスがフランシス・ベーコン の助手を務める。
1625 チャールズ1世即位(1649年ま で)。
父ジェームス1世と同様に王権神授 説を信奉。
1628 権利の請願。
1637 デカルト『方法序説』刊行。 合理主義哲学の祖。数学者として も活躍。
1641 清教徒革命始まる(1649年ま で)。
1643 ルイ14世即位(1715年まで)。
1649 チャールズ1世公開処刑。イン グランド共和国成立。
オリバー・クロムエルが、初代護国 卿(護民官)に就任。
1651 トマス・ホッブス『リバイヤサ ン』刊行。
啓蒙思想の始まりとされる。王権 神授説に代わる絶対王政の論拠 を提供。
1660 王政復古。チャールズ2世即 位(1685年まで)。
1682 聖職者会議が四箇条宣言採
択。
ローマ教会からの分離を示唆する 宣言。ジャック=ベニーニュ・ボシュ エ 司教が起草。
1685
ジェームス2世(スコットランド 王としてはジェームス7世)即 位(1688年まで)。
ジャック=ベニーニュ・ボシュ エ 『世界史叙説』刊行。
『世界史叙説』は王権神授説を提 唱している。
1688 名誉革命。
ジェームス2世は議会に追放され、
女王メアリー2世と国王オレンジ公 ウィリアム3世が即位。
ジョン・ロック『市民政府二論』
刊行。
社会契約説にもとづいて王権神授 説を否定。権力分立論や政教分離 論も展開。
権利の章典。 イギリスは立憲君主国になる。
1690 ジョン・ロック『人間悟性論』刊 行。
経験主義(=経験の範囲内でしか 認識できない)を展開。
1715 ルイ15世即位(1774年まで)。
1734 ヴォルテール『哲学書簡』 表現の自由、言論の自由を主張。
1748 シャルル=ルイ・ド・モンテス
キュー『法の精神』 三権分立論。
1755 ジャン=ジャック・ルソー『人
間不平等起源論』
自由の制約と不平等の原因が社 会状態(文明)にあることを主張。
1762 ジャン=ジャック・ルソー『社
会契約論』
自由で平等な社会のための契約 が必要と主張。
1774 ルイ16世即位(1792年)まで。
1776 アメリカ独立宣言。
1789 フランス革命始まる。
1689
絶対君主の登場(その1)
•
チューダー朝のヘンリー
8世やエリザベス
1世も 実質的に絶対君主を指向していたが、ステュア ート朝のジェームス
1世が自ら絶対君主である ことを宣言した。
•
ルイ
14世の宮廷説教師ジャック=ベニーニュ・
ボシュエが王権神授説を提唱した(
1685年)。
–
ルイ
14世は幼くして即位したために、当初、摂政や 宰相に支えられていた。
–
しかし、
1661年宰相マザランが死ぬと親政を開始
し、絶対王政国家=絶対君主を指向した。
絶対君主の登場(その2)
•
イギリスでは、ジェームス
1世を継いだチャール ズ
1世が、絶対主義政策を継承したために、議 会は
1628年に権利の誓願を出した。
–
権利の請願とは、
1215年のマグナカルタ(大憲章)
以来続く議会の権限を認めることを請求したもの。
–
チャールズ
1世はこれを一端認めたが、中産階級 が多い議会を長い間開催しなかった。
•
この結果、清教徒革命が勃発し、チャールズ
1世は戦いに負けて処刑された(
1649年)。
イギリスの市民革命と 中産階級の台頭(その1)
•
清教徒革命の結果、戦闘を指揮したクロムエ ルが軍事独裁政権(イングランド共和国)を樹 立した。
–
彼の支持基盤は、ジェントリ(平民の地主層)、ヨ ーマン(農奴から解放された層)、商工業者など であり、カルヴァン派プロテスタント(ピューリタン)
であった。
–
ピューリタンは新興の資本家であり、旧来の貴族
や特権階級と対立した。
イギリスの市民革命と 中産階級の台頭(その2)
•
イングランド共和国はクロムエルの死去後ほ どなく崩壊し、王党派が主流の議会によって チャールズ
1世の孫のチャールズ
2世が即位 された。
–
チャールズ2世は当初、王党派優勢の議会で政 権を運営したが、カトリック復興策を執ったことで 対立した。
– 1681
年以後は議会を開かず、絶対王政を指向し
た。
イギリスの市民革命と 中産階級の台頭(その3)
• 1685
年チャールズ
2世没後、弟のジェームス
2世が即位した。彼はカトリック教徒であった。
–
彼は即位後すぐにカトリック復興策や議会が禁止し た常備軍の設置など絶対王政を指向した。
•
カトリック教による支配が復活することを恐れた 議会はジェームス
2世を追放し、プロテスタント のメアリー
2世を即位させた。
–
議会によるクーデターだが、ほぼ無血革命であった ために名誉革命と呼ばれる。
–
翌年、権利の章典が発布された。
啓蒙思想とは
• 17
世紀後半にイギリスで興り、
18世紀西欧に おいて主流となった思想を指す。
•
イギリスの経験主義(=人は経験の範囲内で しか認識できない)を出発点としているので、
人間の理性はある共通性を持っていると考え る。
–
ルネサンス末期の合理主義哲学(デカルト、ライ
プニッツ、スピノザなど)に対抗。
様々な啓蒙思想(その1)
•
近代哲学の出発点となったのは、ルネ・デカルト『方法 序説』(
1637年)である。
–
大陸合理主義哲学の祖。「我思う、故に我あり。」
–
プラトン主義を復活させたと解釈できる。
•
啓蒙思想は、トマス・ホッブス『リバイヤサン』(
1651年
)を祖とする。
–
イギリス経験主義の流れを汲む。
–
自然状態「万人の万人に対する闘争」
→社会契約によるコ モン・ウェルス(国家)の必要性
→国家の権力は権力者に委 託される。
–
なぜ契約が成立するか?人間の理性は経験によって獲得さ
れる。人々の経験に大差はないので、合意が得られる。
様々な啓蒙思想(その2)
–
ホッブスを批判的に受け継いだのが、ジョン・ロッ ク『市民政府二論』(
1689年)『人間悟性論』(
1690
年)である。
→ホッブスとは自然状態のとら え方が違う(=性善説)。
–
フランスでは、ヴォルテール『哲学書簡』(
1734年
)=表現の自由、言論の自由。
–
モンテスキュー『法の精神』(
1748年)=三権分立 論。
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ルソー『人間不平等起源論』(
1755年)『社会契約
論』(
1762年)=自由・平等。
啓蒙思想の意義
•
啓蒙思想は社会契約にもとづく権力者への 権限の委託を主張した。
–
これは初期においては王権神授説に代わる絶対 王政の論拠となった。
•
しかし、啓蒙思想家が主張したのは、可能な 限り制約の少ない自由と平等な社会の実現 するための国家であった。
–