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著者 長岡 政憲

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(1)

「ラパチーニの娘」 のmortalとimmortalについて

著者 長岡 政憲

journal or

publication title

英語英文学研究

volume 7

page range 41‑54

year 2001‑09

出版者 東京家政大学文学部英語英文学科

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009631/

(2)

「ラパチー二の娘」のmOrtalとimmOrtalについて

長 岡 政 憲

はじめに

RappacciniもDaughter はホーソーンの難解な作品の中でも特に代表的 な程その解釈が困難と思われる。毒の花の エデンの園 の中で、精神的に未 熟な医学生のジョバンニと、毒の庭園の中だけでしか生きることを許されず、

毒された体ながら心の純粋なビアトリーチェとの愛の破綻が浮き彫りになっ ている。ラパチー二博士の医学に対する野望と人間性、バリオー二教授のラ パチー二に対する歪んだ敵対意識、ジョバンニとビアトリーチェの二人が、

操られたアダムとイヴとして出会いの場となるラパチー二の庭園で見られる、

自然と人工、美と醜、肉体と精神、生と死、毒と心の罪、さらにmortalとim−

mortal等の対比が見られるいくっかのテーマが考えられよう。

 ナポリの青年ジョバンニがパドバ大学の医学生として下宿した古い貴族の 邸は、薄暗くずっと昔に途絶えた家族の紋章が入り口にかけてある。青年は この家の先祖の住民がかってダンテの地獄篇の中の永遠の苦しみを味わった 人ではないかと思い巡らす。その苦しみをimmortal agonies(1)としてホー ソーンは重苦しい印象を与え、ジョバンニがこれから生活する下宿での精神 生活を暗示していると思われる。ジョバンニの高い部屋の窓から眺め下ろす

ラパチー二博士の庭園は奇妙な草花、特に華麗ではあるが毒々しい人工的な 花園である。その毒の豪華な花と姉妹のようなラパチー二の娘、ビアトリー チェとジョバンニとの交わりなき関わりでジョバンニは毒された体となる。

 毒の庭園をエデンの園として舞台にしているラパチー二博士、毒を養分と して生きているビアトリーチェの精神世界、理性と感情のアンバランスなジョ

(3)

バンニ、ジョバンニを背後で操るバリオー二教授。この小論では毒の庭園を 舞台に四人の人間像を捉えながら、mortalとimmortalの様相に焦点を絞り、

聖書的な解釈を加えながらホーソーンの視点を探ることにしたい。

 顔立ちの良いジョバンニは下宿先の邸のリザベタ老婦人から好感を持たれ、

陰気な自分の部屋の窓からラパチー二博士の庭園を見下ろすが、それは古い 植物園で、かっての裕福な家族の憩いの庭であったと思われる。庭の真中に ある噴水の大理石の残骸は優れた彫刻が施されていたが、ひどく壊れて元の 形が想像できないぐらいである。しかし湧き上がる水は、昔から変わりなく 日光に輝き、勢いよく音を立てジョバンニの高い部屋の窓まで聞こえてくる のである。ホーソーンはこの噴水の大理石の残骸と、昔から変わらない泉水 の勢いを対比させ、そこに住んでいた何代前かの人間達の命の停い移り変わ りと、昔から湧き出る水の永遠性をこの庭園でまず印象づけている。形のあ る物質、つまり人間の肉体の有限性と、時を越えて流れる泉水の永遠性を提 示しているようである。水の永遠性とは、聖書的な捉え方をすると、イエス がサマリアの女に語りかけた井戸の水の言及で、_,but the water that I shall give him shall be in him a well of water springing up into ever−

1asting life.(2)と語りかけた水、っまり朽ちない永遠の魂の世界をホーソー ンはこのテキストで、

 Alittle gurgling sound ascended to the young man s window,

and made him as if the fountain were an immortal spirit that sung unceasingly and without heeding the vicissitudes around it,

while one century inbodied it in marble and another scattered the perishable garniture on the soi1。(3)

と表現しており、泉水が永遠を象徴していると考えられよう。まして大理石 は壊れても形のある残骸として地上に残るが、人間の肉体は土に帰り骨しか

(4)

残らないのである。

 この泉水の水によってこの小さな池の周りに様々な華麗な花が手入れ良く 栽培されており、池の側にある大理石の鉢には宝石のような豪華な輝きの、

沢山の紫色の花をっけた潅木があった。しかしホーソーンは自然の太陽の光 が無くても十分にこの庭を照らす輝きがあるとして、この花の美しさは人工 的なものであると暗示している。また植物の中には、 _some crept ser−

pent−like along the ground or climbed on high, using whatever means of ascent was offered them,(4)とあり、この庭にはエデンの園にいる蛇を 思わせる蔓が地面を這い、庭園の神の象徴としてのベルッムナスの像に巻き っいているのである。蔓とは巻きっいた木を利用して手段を選ばず自ら高く 上ってゆき支配するのである。この毒の花園のそのような蛇を思わせる蔓と

はどんな存在なのであろうか。

 この庭園の主であるラパチー二は背が高いが青白く病的な医学博士であり、

白髪混じりで知性と教養は高いが、愛情などは見られず、栽培している毒の 花々を手袋とマスクをっけて身を守りながら丹念に調べている。その様子は,

:for the manもdemeanor was that of one walking among malignant in−

fluences, such as savage beasts, or deadly snakes, or evil spirits,(5)と

ホーソーンは述べているように、毒の花々を栽培しながらそれらには親しみ など全く抱いていない。庭の手入れ作業はエデンの園では、 the unfallen parents of the race (6)っまりアダムとイヴに働く素朴な喜びを与えていた だろうとしている。この庭は the Eden of the present world 「現代世界 のエデン」(7)なのかと作者は読者に問いかけている。ではラパチー二博士は こに庭の植物を栽培しているアダムであるのか。するとイヴは娘のビアトリー チェなのか。ラパチー二自身、後にジョバンニとビアトリーチェをこの庭園 のアダムとイヴであるとしている。創世記のエデンの園のアダムとイヴをそ のままこの作品の登場人物に当てはめるのは無理がある。っまりホーソーン の「現代版エデンの園」であり、ラパチー二博士は禁断の実を食べて科学知 識を得て堕落し、園から追放された筈のアダムが、自らの手で毒の花のエデ

(5)

ンの園を造り上げていると思われる。このエデンの園は善なるもの、食べて 良いものは何も無く、毒の危険に満ちており、安住できない世界である。そ の庭園の池の噴水の側の紫色の豪華で、最も危険な毒性の花の手入れをビア

トリーチェに任せるため、ラパチー二は娘を呼び寄せる。ビアトリーチェの 若くて豊艶な美しさは確かに階上から見ているジョバンニの感覚をこの上な

く盲目的にさせる。彼女は身をかがめ、豪華で最も危険な花を自分の妹のよ うにいとおしんで両腕で抱くように手入れをしながら、毒の放っ香りを生命 の息のように吸い込んでいるのである。ジョバンニはこのとき、毒の花とビ アトリーチェの同質の毒の危険性を認識するよりも、彼女の美しさ、言葉や 仕草の愛らしさと優しさに彼の眼差しも心も奪われたのである。その夜彼は 豪華な花とビアトリーチェの夢を見るが、彼の想像の中に彼女の美しさと愛 らしい声が支配することになる。しかしジョバンニは日暮れ時に見た光景と 夢を、現実の朝の日光の下で理性的に合理的に知ろうとする。

 さてジョバンニは彼の父の古い友人で陽気なバリオー二教授に表敬訪問し、

ラパチー二博士の話を持ち出す。バリオー二教授は医学会でラパチー二博士 に対し、ライバル意識が強く、ラパチー二の学問、研究には敬意を表すが、

彼の医学の実験研究は、自分の医学知識の蓄積のためなら人間の命をも犠牲 にする冷徹で恐ろしい学者だとする。それに対しジョバンニは And yet,

worshipful professor, is it a noble spirit? Are there many men capa−

ble of so spiritual a love of science? (8)と答えている。ジョバンニも医 者の科学知識の開発のみを偏重しているラパチー二博士とほぼ同じ価値観で あり、spirit, spiritua1とした語が、ラパチー二の徹底した知識欲とその名 声を褒め称えているだけであって、ホーソーンが後で述べるビアトリーチェ my spirit is Godもcreature, (9)の天上的なものとはっきり区別してお かなければならないのである。

 ジョバンニは自分の下宿に戻り、バリオー二教授と飲んだワインのために ほろ酔いになりながら壁に隠れるようにして窓を見下ろす。自分の身を隠し エデンの園 を覗くことは何を意味するのであろうか。創世記3章のエ

(6)

デンの園の記事では、蛇の誘惑に唆されたイヴから禁断の実を食べたアダム は裸であることを知った故に、神の目から隠れ身を隠す。つまり堕罪後のア ダムの姿であり、盗み見という良からぬ行為であり、 Wakefield という作 品で、夫が隠れて自宅の妻を長年にわたり盗み見て自らの生活を滅ぼしたよ うに、隠れた卑劣な思いの眼差しではビアトリーチェの地上的な美しさは捕 らえても、彼女の天上的な美は理解できないのではないか。っまり、mortaI な視野では彼女の内的なimmortalな世界を見分けるのは不可能であろう。

ジョバンニはエデンの園の「偽りのアダム」でしか成り得ないのである。

 庭の中央にある紫色の宝石のような花は水面に輝き、古い彫刻の入り口か ら現れたビアトリーチェの美しさは日光に輝き、彼の眼も心も捕えられたの は彼女の顔の、 simplicity and sweetness (10)であった。この花の美しさと ビアトリーチェの美しさは、前者が宝石の輝きであり、後者が彼女の内面の 輝きであるが、ジョバンニの眼には同じ表面的な輝きの美しさとして映るの である。ここでジョバンニは奇妙な光景を目にする。ビアトリーチェがその 豪華な花を摘んで胸にっけようとした時、たまたまその下を這っていたとか げの頭に折れた茎の水滴がかかると、たちまちとかげは死んでしまった。ま た更に花の香りに引き寄せられた美しい昆虫は、ビアトリーチェの吐く息に よって空中から落ちて死んでしまう。この衝撃で彼はビアトリーチェに気づ かれ、彼は花屋で買ってきた花束を彼女に投げて言葉を交わす。彼女が空中 の昆虫を見上げた眼差しは、 with childish delight (11)であり、上方のジョ バンニを見上げた声も with a mirthful expression half childish and half woihan−like. (12)であり、ビアトリーチェの精神的純粋性をホーソーン は印象づけている。イエスが弟子たちに、「幼児の如くならずば、天国に入 るを得じ。」(13)と語った幼児の天上的なビアトリーチェの特質を表現してはい ないだろうか。しかしジョバンニは三度恐ろしい光景を見せられる。彼の投 げた花束はビアトリーチェの手の中でたちまち萎み始めたのである。このよ うに彼女の恐ろしい毒性を知りながら、ジョバンニはこの下宿から去ること もせず、彼女の豊艶な美しさの虜になってしまう。この引力をホーソーンは、

(7)

the influence of unintelligible power (14)としており、辰巳慧氏は、「人 間の心の中にあって働きかけてくるどうしても避けることの出来ない運命の 力」(15)、すなわち原罪であるとしている。これはジョバンニという若い男の 本能的な肉欲の熱情であり、聖書的には原罪ということになろう。彼女に対 する愛情でもなく、恐怖でもなく、 awild offspring of both love and horror (16)であり、ホーソーンは、

 旦一,be they dark or bright! It is

the lurid intermixture of the two that produces the旦幽旦g blaze of the infernal regions(17)(筆者下線)

としてマタイ伝の山上の垂訓の文体のまま、ジョバンニのloveとhorrorの 二っの感情は地獄の炎となるものだとして皮肉っている。

 「ラパチー二の娘」の後半、mortalとimmorta1を顕わす諸相に言及しな がら考察していく。リザベタ老婦人の怪しい計らいで庭園に入り込んだジョ バンニは、グッドマンブラウンが邪悪な夜の森に入り込む時に躊躇いがあっ たように、いくっかの疑念が浮かんだのは確かであった。彼は自分の熱情に 押され、彼女の東洋的な美に浴したいという思いに胸を躍らせる。この庭園 の様々な植物の華やかさは、fierce, passionate, unnatura1, wildそしてun−

earthly(18)といった形奮詞が続くのであり、様々な植物が姦通のような人工 的交配によって産み出されたもので、神の創造の自然な植物ではない。っま

り、 the monstrous offspring of man s depraved fancy, glowing with only an evil mockery of beauty (19)であり、堕落した人工の偽りのエデン の園である。この奇怪な毒の庭園の造り主であるラパチー二博士は偽りの神 の存在、あるいは悪魔という存在になるかも知れない。

 この Eden of poisonous, flowers (20)で、天使のように愛らしく美しい ビアトリーチェと語らうことが出来たジョバンニは彼女との応答で、

(8)

_Believe nothing of me save what you see with your own eyes.

And must I believe all that I have seen with my own eyes?

... aid me believe nothing save what comes from your own lips? (21)

として彼は現実を見る科学者の卵としての立場を放棄している。ジョバンニ は医学生でありながら現実否定とその場限りの好都合な不誠実さを露呈して しまう。彼はビアトリーチェの毒性に対する疑念を、豊艶な彼女に接するこ とで自分の頭から何とか消し去ろうとするのである。彼女の transparent sou1 (22)を見っめていると、疑念と恐怖が無くなると思いたいのである。こ れは彼の情緒的また理性的欠陥と言えよう。

 二人は庭園で陽気に語り合っているとき、ジョバンニがあの紫色の美しい 花を摘もうとした。毒性の強い花に触れさせまいとし、ビアトリーチェはとっ

さに彼の腕を掴んで制止した。翌朝ジョバンニは自分の手首に痛みを感じ、

紫色の癒が出来ているのを知るが、それはビアトリーチェの接触によるもの だとは考えない。こうして何度も毒々しい草花の中での二人の出会いが続い てゆき、お互いに愛は語るが、口づけも抱擁も無いままであった。彼がその 限界を越えようとすると、彼女の悲しげな表情が彼を拒絶するため、彼の恐 怖の疑念は怪物の如く彼の心の洞窟から湧き上がるのである。

 かなりの月日が経過し、これまで避けていたバリオー二教授が心配してジョ バンニの下宿にやって来る。ジョバンニの部屋には花が無いのに花の香りに 気づき、彼はジョバンニがビアトリーチェの毒に感染していることを知り、

ジョバンニがすでにラパチー二博士の実験材料となっており、実験の結果は 死であると断言する。そこでその死の世界から解放するために強力な解毒剤 の水薬の小瓶をジョバンニに手渡す。バリオー二教授はジョバンニとビアト

リーチェの毒された命を救うことが動機であるというよりも、解毒剤でラパ チー二博士の手中にある毒性を消し取る威力を知りたかったのであろう。ジョ バンニはビアトリーチェの天使的な純粋さは認識しながらも、彼女の持っ毒

(9)

性に対する疑念から彼の精神は暗闇の中に留まり、最初の高揚した精神の高 さから落ち込み、それ故ビアトリーチェの the pure whiteness of Beatriceも image (23)を汚す思いの中にいる。彼はビアトリーチェの毒性の肉体の特質 にはそれに相当する魂の奇怪さが宿っているのではないかと思い巡らし、も う一度新鮮な花束をビアトリーチェに手渡し、目の前で彼女の本質を確かめ たいと彼は考える。彼女の monstrosity of soul (24)を見極めようとする 彼の魂こそ暗く、醜く、monstrousで邪悪なものではないだろうか。彼は花 屋へ急いで新鮮な花束を買い、自分の部屋の鏡に自分の姿を映し、元気な自 分の顔を確認した後、花に眼を移した瞬間、恐怖の戦懐が身を覆う。手に持っ ていた花が萎れ始めたのである。 然自失となり、天井からぶらさがってい る動きの活発な蜘蛛に、心から avenomous feeling (25)で自分の息を深く 長く吹きかけ、その蜘蛛を殺したその時、下の方でビアトリーチェが彼を呼 んでいた。ジョバンニの頭の中は、

She is the only being whom my breath may not slay!Would that it might!

 _Amoment ago his wrath and despair had been so fierce that he could have desired nothing so as to wither her by a glance!26)

とホーソーンが述べているように、ジョバンニにはこの時ビアトリーチェに 対し殺意が起きており、純粋で透き通るようなビアトリーチェの眼に彼の心 の邪悪さが映ってしまう。その瞬間、

 Beatrice, with a quick spiritual sense, immediately felt that there was a gull of blackness between them which neither he

nor she could pass.(27)

として、ふたりは決して交わらないearthlyとheavenly,っまりmortalと

(10)

immortalの別の世界の住民であることをビアトリーチェは悟ってしまう。

ビアトリーチェが毒の花に対しても我が妹のように愛する人間的な愛を彼は 持ち合わせてはいない。彼はビアトリーチェによって毒された体になった運 命を恨み、悪意と憎悪の怒りを彼女にぶちまける。

  Accursed one! ... Yes, poisonous thing! ... Thou hast blasted

me!Thou hast filled my veins with poison!Thou hast made me as hateful, as ugly, as loathsome and deadly ≠モ窒?≠狽浮窒?@as

thyself−a worldもwonder of hideous monstrosity!(28)

あまりの耐え難い誹諺攻撃に、ビアトリーチェは天を仰ぎ祈りかけると、

Thou,−dost thou pray? ... Thy very prayers, as they come from thy lips, taint the atmospher with death...Let us sign cross in the air! It will be scattering curses abroad ill the likeness of holy symbols! (29)

と言ったジョバンニの邪悪な言葉は聞くに堪えないものであり、ビアトリー チェの崇める神への冒涜である。彼女は彼の毒々しい言葉に悲しみのあまり、

自分を踏みっけ、殺してもいい。そんな冒涜の言葉を浴びせられるならと彼 女は死をも恐れず覚悟することになる。ホーソーンは、

 O,weak, and selfish, and unworthy spirit, that could dream of an earthly union and earthly hapPiness as possible, after such deep love had been so bitterly wronged as was Beatriceもlove by Giovanni s blighting words! No, no;there could be no such hope. She must pass heavily, with that broken heart, across the borders of Time−she must bathe her hurts in some fount of

(11)

paradise, and forget her grief in the li ht of immortality, and there be well.(30)(筆者下線)

として、これからジョバンニが差し出す解毒剤による結果に対して、ホーソー ンは明確にmorta1な世界とimmortalな世界の越えられない淵を暗示して いる。思い直したジョバンニはバリオー二教授が預けた解毒剤の水薬をビア トリーチェと一緒に飲もうと提案する。その時ビアトリーチェは自分が先ず 飲むから結果を待っように彼を諭す。その時、父親ラパチー二博士が二人の 側に来るが、長年毒によって養われてきた彼女の生命は、解毒剤の強力な効 果で途絶え死を迎える。Samuel Chase Coaleはビアトリーチェの死につい

て、

 Knowing that he has become so poisonous as she, Beatrice would rather commit suicide thaロparticipate in his death, a

self_sacrifice that relates perfectly to her selfless nature.(31)

として、ビアトリーチェの自己犠牲による死の先取りを指摘している。確か にビアトリーチェには何の迷いもなく、解毒剤が自分の生命を絶っかも知れ ないことを知っていたかの如く落ち着いていた。これは父親ラパチー二によっ て毒々しい怪物のような肉体に運命づけられた、彼女の父親の怪物のような 野望に対する拒否であり、ジョバンニに対しては、美しいビアトリーチェの 姿に目がくらんだ結果の毒の感染であり、その毒の感染による彼の激しい憎 悪の心への別離である。ビアトリーチェは死を前に、

...Farewell, Giovanni! Thy words of hatred are like lead within my heart;but they, too, will fall away as I ascend. Oh, was there not, from the first, more poison in thy nature than in mine? (32)

(12)

として、何の恨みもなく昇天していく心境をジョバンニに告げながら、実は ジョバンニの心に、毒の感染以前の状態で毒々しい心の罪が最初から潜んで いたことを言い残したのである。これは The Ministe廊Black Veil でフー パー牧師が死ぬ直前まで顔に黒いヴェールをかけたまま、見守っている他の 牧師たちの、ヴェールを外して来世へ行ってほしいという懇願を聞かず、皆 さんのどの顔にも黒いヴェールが掛かっている、と言って罪の普遍性を強調

したホーソーンの宗教観が見られるのである。

 Samuel Chase Coaleは最後に、

 And her suicide also suggests her own revenge agaillst Giovanniもfaithlessness, her purity responsible in a way for her own martyr 一 producing death.(33)

と結んでいるが、彼女の死は自殺行為ではなく、またジョバンニへの復讐で もなく、純粋で汚れを知らない、幼子のようなビアトリーチェの魂が、恐ろ しい邪悪な言葉を発したジョバンニの心との決別であり、毒の庭園の主であ る父親ラパチー二との別離であり、毒も死もない清らかな永遠の天国への旅 立ちの先取り、と考えられるのである。

おわりに

 ビアトリーチェの死を前に登場人物が勢揃いするのは、いかにも劇の幕切 れに相応しい。ビアトリーチェの死の別れの言葉にジョバンニもラパチー二 博士も応えるように用意されてはいない。しかしバリオー二教授は最後に、

Rappaccini!Rappaccini!and is this the upshot of your experiment! (34)

と勝ち誇ったように言ったバリオー二教授自身も、最後に怪物の姿を顕した のである。ラパチー二博士は自分の医学のために娘の生活存在全てと命も犠 牲にする怪物である。ビアトリーチェの美しさへの浅薄な愛と、彼女の毒に

(13)

対する恐怖心の熱病のような熱情で、愛から邪悪な憎悪に豹変するジョバン ニも怪物である。つまりこの エデンの園 には三人の怪物がいることになる。

ジョバンニがビアトリーチェに、 Accursed one! (35)と吐き捨てた言葉は、

ビアトリーチェが邪悪な毒のエデンの園の主である父親、ラパチー二博士に よって背負わされ、呪われた運命である。ジョバンニが毒に感染した絶望感 で、 Accursed!accursed! (36)と自らに吐いた言葉は、ジョバンニ自身が己の 欲望に唆され、ビアトリーチェが彼の腕を掴んで制止しなければ彼は毒の花 に触れたであろう。これはビアトリーチェの豊艶な美に引き寄せられ、恐怖 を理性的に判断出来ないジョバンニの自前の脆さの運命であろう。それはホー ソーンに言わせれば、ジョバンニの心は毒に犯され続ける、苦悶のmorta1 な世界で終わる魂である。morta1な肉体で毒の体に呪われながら、その心は immortalであり、その呪われた世界から離脱して毒と罪の全くない、 im−

morta1な世界へ昇るビアトリーチェを印象づけたのであり、この作品はまさ にアレゴリカルではあるが、二っの交わらない世界を読者に提示した感が強 く残るのである。

(14)

      注

(1)Nathaniel Hawthrone, Mosses from an Old Manse, ed. William   Charvat and Others, Ohio State University Press,1974), X, p.93.以

  下このテキストをMO.Mとする。

(2)John.4:14.(Authorized King James Versionによる。)

(3) ノレZO」4∠ pp.94−95,

(4) Ibid., P.95,

(5) Jbid., P.96,

(6) lbid., P.96.

(7) ノbid., P.96.

(8) Jbid., p.100.

(g) lbid., p.125.

(10) lbid., p.102.

(11) lbid., p.103.

(12)ノbid., p.104.

(13)マタイ伝18章3節(文語訳聖書による。)

(14) ./レズ0ノ匠,p.104.

(15)辰巳 慧 「ラパチー二の娘」 (晃洋書房、1983)p.108.

(16) ノLZO.ノレズ, p.105,

(17) lbid., p.105.

(18) lbid., p.110.

(19)乃ノ冨,p.110.

(20) Jbid., p.115.

(21) lbid., pp.111−112.

(22)ノbid., p.112.

(23) ノbid., p.120.

(24) Jbid., p.120.

(25) lbiヒd,, p.122.

(15)

(26) thid., p.122,

(27) lbid., pp.122−123.

(28) 乃ノ泓,p.124,

(29) ノ1うノ泓,p.124.       冒

(30) lbid., p.126.

(31)Samuel Chase Coale, Mesme.〃厨ηand Ha wthorne(The University of    Alabama Press,1998), p.61.

(32) ノレf, 0.ノレズ,p。127.

(33)Ssmuel Chase Coale, Mesmenlsm and Hawthorne(The University of    Alabama Press,1998), p.61.

(34) ノレ哲OM, p.128,

(35) 1乃ノ冠,p.124.

(36) lbid., p.122.

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