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比文創立十周年記念文集

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

比文創立十周年記念文集

https://doi.org/10.15017/18001

出版情報:2004-02. 九州大学大学院比較社会文化学府・研究院 バージョン:

権利関係:

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比文創立十周年にあたって

高  田 和  夫

 今年度︑比文は創立十周年を迎えました︒比文創設に幾らかは関与し︑さらにこの間︑その

運営に責任ある立場にあった者として︑正直に言って︑よくこれまで続けてくることが出来た

という想いが先に立ちます︒幸いなことに︑客観的にみて比文は社会的にも学内的にも一定の

存在感を示すようになってきたと思われますが︑そうなるには教職員や院生など関係者各位の

比文に対する愛情と共感があったからこそであり︑この場を借りて改めて厚くお礼を申し上げ

たいと思います︒

 比文十周年を記念して何か行事を催し過ぎ去った時を顧み将来に夢を見るのは︑それなりに

有意味であろうと考え︑すでに若干の企画を実施してきたのですが︑ここに記念文集を発刊し

て︑各方面から貴重なご意見や励ましの言葉などを頂けることになったのは誠にありがたいこ

とであり︑心より感謝いたしております︒学内の関係教官諸氏︑現役の教官やOB教官︑比文

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を修了した先輩諸兄姉︑現役の院生諸君など立場はいろいろですが︑明文のあり方にたいして

変わらぬ関心を等しく抱いてくださっている人たちです︒そこで︑この文集にはこれら七こ名

ほどの方々の文章を氏名五〇音順に並べました︒この記念文集がこれからの証文の歩みに何ら

かの幸いを与えてくれるであろうことを私は強く信じています︒

 様々なご厚意に恵まれたからこそ比文はこれまでやってくることが出来たのですが︑改めて

現状を顧みると積極的に評価できるところがある一方で︑残念ながら不足する箇所が目立つこ

とも確かでありましょう︒折角の機会を与えられましたので︑ここではそれらの一端に触れて

みたいと思います︒十年という節目に反省を試みて︑将来の糧にしたいのです︒そのために︑

創立五年の段階で実施した﹁外部評価﹂を手掛かりとして活用しましょう︵﹃比較社会文化研

究科一九九四・六〜一九九九・六−平成一一年度外部評価報告書﹄二〇〇〇年二月︑詩文

外部評価委員会︶︒それからすでに五年が経っているわけですから︑当然︑そこで指摘を受け

た諸問題にこの間︑私たちはどのように対応してきたかといったことがまず論点となるであり

ましょう︒さらに︑独法化を目前にして︑今年︑策定された﹃中期目標・中期計両﹄は︑比文

の将来を見通そうとする際に︑今後は必ず引用し準拠することがもとめられるものですから︑

それにも必要な限り触れたいと思います︒

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一︑総合的所見

 早速ですが︑﹃外部評価書﹄の﹇総合的所見﹂につぎのような文言があります︒一創設以来の

研究科の努力とその成果は︑研究科の理念と目的に照らして︑十分な水準に達しているといえ

る︒また研究科の問題点や弱点を組織全体で理解し合い︑それらを克服する努力を絶えず続け

る姿勢には感銘を与えるものがある︒特に学生からのヒアリングの結果から読みとれる研究科

への信頼のあつさは草創期の新組織の新鮮さをよくあらわしているものといえる︒﹂

 第一の文章は︑恐らく︑外部評価をされた先生方がとりあえず■合格点﹂あるいは﹁単位認

定﹂をくださったものとして読んでよいでありましょう︒当日︑外部評価の現場に立ち会った

一人として︑率直に言って︑それはありがたいことでありました︒教育研究など日頃の活動が

﹇研究科︵院︶の理念と目的﹂とどのような関係にあるかは絶えず気に掛けながら進むことが

求められているのは今も変わらないはずですが︑この点で﹁初心を忘れる﹂ようなことに陥っ

てはいないか︑機会のあるたびに立ち止まり︑確認する必要があるでありましょう︒創設期の

新鮮な気持ちは日々に薄らぎ︑惰性に流されるのが世の常であるからです︒

 第二の文章にあるように︑私たちは問題点や弱点を克服する努力を続けてきているのだろう

か︒例えば︑独法化といった大きな企ての前に︑それへの対応を言い訳にして︑そうしたこと

を怠ってきたのではないかという反省の声もありうるのではないかと思います︒最後の文章の

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ように︑いまも学生諸君は比文に対して厚い信頼を寄せてくれているのだろうか︑必ずしもそ

うではないといえる事例がむしろ増加しているといった危惧もありましょう︒確かに︑表向き

は︑COEに採択されるなど﹁うまくいっている﹂面もありますが︑その一方では︑油断をし

て︑マンネリや無為︑惰性や手抜きに流されることも現にありうるのではないでしょうか︒

 全体として︑草創期の新鮮さが失われた分︑その代償を支払うべき時期に副文はすでに突入

していると考えたほうがよいであろうと私は思っています︒

 ﹁総合的所見﹂には﹇比較社会文化研究という新しい研究領域そのものに関する研究科とし

ての自問自答を示す議論や研究プロジェクトが希薄であることは惜しまれる﹂という指摘があ

ります︵﹁研究体制・研究活動﹂を総括する項でも同様に繰り返し言及されている点です︶︒こ

れは痛いところを衝かれた話です︒初代研究科長であった志垣嘉夫先生から伺った限りでいえ

ば︑この大学院の名称自体は取りあえず﹇仮の﹂ものとしてあったのですが︑それが文部省と

の交渉過程を経てそのまま取り残されることになった経緯があるからです︒したがって︑これ

また私の知る限り︑名称をめぐってそれほど議論を重ねたことはなく︑多くの﹁専門家﹂を包

括しうるようなものとしてまず考えられ︑積極的に﹁新しい研究領域﹂を切り開こうとして張

り切ってそれを選定した訳では必ずしもないのです︒こうしたことをわざわざ記念文集に書く

のは野暮なことかもしれませんが︑やはり︑一言︑﹁言い訳﹂だけはして置きたい︒

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 しかしながら︑たとえそうした事情があったにせよ︑一旦︑それを看板に掲げた以上︑﹁総

合的所見﹂におけるがごとき反応や評価を受けるのは︑当然の話です︒このことは︑看板自体

を塗り替えない限り︑今後も変わりようがありません︵看板を塗り替えるということは︑学内

的に組織再編などを行って比文組織を発展的に解消するという意味ですが︑キャンパス移転や

COEとの関連などからその可能性を頭から全否定できる人はいないでありましょう︶︒この

ことは比文関係者が一致して覚悟すべき最大級の案件であったはずなのですが︑どうもこの点

での理解と認識が依然として大変に遅れていることは認めざるを得ないでありましょう︒院長・

学府長の立場にあるものが︑このような感想を悠長に述べることは責任放棄として叱責され︑

首になっても半ば当然の所業であります︒そうしたことは十分に分かっていたつもりですが︑

この間︑努力が足りなかったことは率直に認めなくてはなりません︒﹃中期目標・中期計画﹄

の中に︑﹁比較社会文化学﹂の確立をめざす学際的共同研究プロジェクトに院長裁量経費やR

A経費を優先的に配分することを検討する一項を入れたのは︑遅蒔きながら︑こうした事態に

対応しようとするものです︒

二︑理念と目的

 ﹃外部評価書﹄は研究科の理念と目的に関して︑それらを﹁二一世紀の人類の課題の一つを

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先取りしたものといえ︑五年前の先見性を高く評価したい﹂と述べています︒これは明らかに

過分なお褒めの言葉です︒誤解を恐れずに言えば︑日々︑研究教育活動をする者にとり︑理念

と﹈的といったものは絶えず視野に入っている訳ではないでありましょう︒日常は非常に具体

的で多数の案件をもたらして目の前にこれ見よがしに積みしげ︑しかも冷酷にそれらに対する

待ったなしの対応を迫りますから︑半ば自動的に時間のほとんどをそれらに取られて︑よほど

意識的にならない限り理念と目的に目配せし︑それらの実現を考慮することなどはしないのが

通例であろうと思われます︒それだからこそ︑十周年などという切れ目を選んで︑このような

文集を作ることにそれなりの意義があると考えられます︒

 ﹃外部評価書﹄はこの分野で二つだけ注文を出しています.︑一つは︑比文側がグローバリゼー

ションはむしろ地域や民族が共生する契機ともなりうるとしたことに対して︑現実を直視し深

刻化する.方の対立抗争を掘りドげ解決策を提起する実践的な研究にも配慮すべきであるとい

う尤もな指摘です︒しかし︑実際にはすでに多くの教官や院生はそうした実践的な関心持って

課題を設定し︑関連資料の収集と分析︑仮説の組み立て︑実地検証といったf続きを踏む仕事

をしているように私には思われます︒例えば︑私の知る︑環境NGOを研究テーマにする院生

の場合︑自らNGO会議に参加した体験を研究に生かそうとしており︑その問題意識は極めて

実際的で︑対立抗争の局面を通すことで初めて見えてくる協力協調の局面を析出し︑その実現

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に努めるという姿勢は喰いに評価できるものであります︒無論︑理念のみが一人歩きすること

︵それはひとつには教条主義として現れます︶は厳に慎まなくてはならないことであり︑その

ために︑意識して比文は現場主義︑実証主義を前面に押し出し︑機会あるたびに内外関係者と

の交流に力を使ってきたのです︒このことは︑今後も確実に継承されるべき事柄でありましょ

う︒ 別のひとつは︑価総合﹂﹁学際﹂といった理念そのものにまつわるキーワードを方法論的に掘

り下げることを求めるものです︒確かに︑この指摘も貴重です︒正直に顧みて︑私たちはそれ

らをただ看板のように掲げることでなにか免罪符を得ることができたかのような錯覚を抱いた

ことが時々︑あったかもしれません︒私自身︑それを完全に否定することは出来ない︒考えよ

うによっては︑こうした範疇はまさしく理念的には措定しえたとしても︑現実にはありえない

事柄であるかもしれない︒つまり︑旧総合﹂にしろ︑﹁学際﹂にしろ︑それらは事態のある変化

ないしは一時的局面を示して︑安定性に欠けるむきがあることは否定しえない︒したがって︑

こうしたものは制度として扱うには不向きであるといった議論も大いにありうるでしょう︒何

かに向けて︑アピールする時には便利に使える用語ですが︑その必要が認められないときには

■死んでしまう﹂ような運命を背負わされているかもしれません︒いずれにせよ︑これらは比

文の看板にとってとても大切なものであるのは恐らく今後も変わりようがないでしょうから︑

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やはり︑何かの折に︵例えば︑近い将来にありえる学府制度の再編の時などに︶改めて取り上

げて検討するのにょいテーマとなるでしょう︒そうしたことのためには何か非日常的な契機が

必要なことはこの場合も例外ではありえません︒

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三︑大学院の組織構成

 ﹃外部評価書﹄は﹁当該専攻に設置されている理由がわかりにくい講座もあり︑再検討が求

められる﹂と端的に指摘しています︒確かに︑これも痛いところを衝いています︒﹃外部評価

書﹄は指摘しませんでしたが︑そもそも︑日本社会文化専攻︑国際社会文化専攻といった二分

法︵二専攻制︶も多分に問題を孕んでいます︒﹁総合﹂的に︑帽学際﹂的に︑真理を追究しよう

とする際に︑そうした区分はむしろそれを邪魔する場合があるでありましょう︒本来︑色々な

胴専門﹂を持つことで渡世しょうとする八○人ほどの学府教官たちを何らかのグルーピングし

ないことには誓文は始まらなかったのですから︑その結果として半ば当然のように無理な仕分

け︵講座編成︶がなされたのでしょう︒こうしたことは﹁再検討﹂を﹁求められ﹂て︑敢えて

それに従ったとしても︑問題解決はほとんど不可能であると予見される類の事柄であります︒

つまり︑再編成はまた新たな問題︵無理な仕分け︶を生み出すに相違ないということです︒

 ひとつの解決策としてありうるのは︑教官を講座に貼り付けないこと︵講座制度をなくすこ

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と︶です︒しかし︑現状では規則上︑それは出来ない相談です︒最後の切り札︵?︶として︑

現在の教官には辞職してもらって︑理念に合致する教官を新たに公募することも考えられます︒

しかし︑恐らくそうしたとしても︑問題は発生するはずです︒理念はあくまで理念であって︑

抽象度は高く︑その一方で︑教官たちの﹁専門﹂は個別具体的なのですから︑その間には容易

に齪齪が生じうるのです︒

 したがって︑いかなる﹁専門﹂を持つにしろ︑個々の教官が長文の理念に沿うようにその精

神を汲んで﹁専門﹂を運営する︑展開するしかないということになります︒これが現実的で追

求すべき事柄なのです︒例えば︑﹁比文の哲学﹂や﹁比文の日本史学﹂をつくり上げることです︒

そうした個々の営みの先に﹁比較社会文化学﹂を展望できるような気がしています︒

 この間︑学府・研究院制度が導入され︑それにともなって部門聖なるものもつくられました

が︑現状を見れば︑来年度に予定される外部評価の折に︑これも﹁わかりにくい﹂といった同

様なご指摘を受けることになるでありましょう︒専攻・部門・講座の三重構成の相関論は果て

しなく不毛な議論を誘発する恐れが多分にあります︒しかしながら︑今の大学院制度からして︑

こうした三層構造から比文だけが自由になることはありえないのですから︑どうしても歯切れ

が悪い話にならざるをえないのですが︑私たちは機会をとらえて︵例えば︑COEが求める制

度改革など︶︑たとえ徒労に終わるかもしれない危険と覚悟をもって︑少しでも﹁分かりやす

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い﹂︵部外者に対して説明できる︶ものにする宿題を抱えています︒﹃中期目標・中期計画﹄は︑

期間中に︑■第三専攻設置の可能性を含め︑現行の二専攻体制について抜本的な見直しを行う﹂

ことをうたっています︒

四︑管理運営︑意思決定システム

 ﹃外部評価書﹄ は︑当然のように︑制度的に相違がある基幹講座と協力講座が教育研究にお

いて整合性を保つことを求めています︒双方の間で教育研究に﹁温度差﹂があってはならない

ということです︒全体を見渡せば︑私は基本的にこのことはこれまでよく遵守されてきたと思

いますが︵個々のレベルに差別や区別︑そして格差があるのは︑この際︑無視しなくてはなら

ない話です︒そうしたことはいかなる組織においても生起します︶︑改めて述べるまでもなく︑

この整合性を担保する主体は他でもない一人ひとりの教官です︒教育面では︑何よりも︷総合

演習﹂の拡充がそれに資する手段のひとつであると考えられ︑これはそれなりの効果をすでに

発揮していますが︑現状では研究局面で相当な工夫が求められています︒

 ﹃外部評価書﹄は︑さらに︑連携講座にたいして﹁より良い運営を模索すべきだ﹂と忠告し

ています︒この間︑連携講座のひとつが代わり︑現状では︑従来からの﹁︵財︶自然環境研究セ

ンター﹂と新規の■︵財︶国際通信経済研究所﹂の二機関に提携相手になっていただいておりま

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す︒ともに本拠地は東京ですから︑連携の先生方には飛行機で通うご足労をかけておりますが︑

熱心に院生指導をしていただき誠にありがたいことと感謝しております︒悪文として将来的に

連携講座を増設する意向を抱いています︒そのことはこの度の﹃中期目標・中期計画﹄にも明

記しました︒それは﹁自然環境研究センター﹂との関係を一層︑充実強化することもうたって

います︒﹁より良い運営﹂には準文書のお世話いただく教官と連携先との具体的あるいは個人

的な関係のあり方が強く作用すると私は認識しております︒この点で︑先生方のご理解をいた

だきたいと思っています︒連携講座には社会にたいして比文が差し向けたアンテナのような役

割を果たしてほしいと願っております︒連携先の企画などにも比文院生・教官が積極的に参加

するなどしてほしいのです︒私たちは今後もそうした関係を大切に育てていきたいと強く念じ

ております︒

 さらに︑外部評価の先生方は︑﹁意思決定システム及び会議運営の合理化による研究時間の

確保の意識的追求﹂を勧めてくださいました︒このお心遣いは随分と有り難いことではありま

したが︑おそらくこの間︑独法化準備あるいはCOE申請などで会議等に使う時間がますます

増えたのではないかと危惧されます︒特に︑最近はアンケートの類が異様に増加しています︒

同じような内容についてあるいは違う事項について︑その頻度が高くなり︑教官サイドは回答

することに全くもって嫌気がさしています︒ 率直に言って︑ 情報公開という大義名分のもと︑

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何でもかんでも一から十まで返事をしなくてはならないのは苦痛以外の何ものでもありません︒

また︑公開される情報量が増えさえずれば︑その結果として何か良いことが生まれるであろう

と考えるのは単なる幻想に過ぎないでしょう︒この際︑ついでに言えば︑現行の大学職員名簿

ですが︑いつまであのようなものを作り続けるのでしょうか︒極言すれば︑それは研究室に暴

力的に侵入してくる電話によるマンション販売や投資商品のセールスに役立つだけのものです︒

 話が少しずれたようです︒トに言う﹁合理化﹂を一部の者にすべて任せてしまい︑他の者は

その間に自分の研究をするといった■分業﹂によって実現を図るのには︑私は反対です︒しか

し︑このことは現に比文に限らず部局単位で起こり兼ねないことですし︑来年度からの独法化

では全学的にも組織的に起こる恐れが多分にあるでしょう︒おそらく︑能率や効率といったこ

とを大義名分として︑そうしたことがますます求められるかもしれません︒意思決定にたいす

る構成員の民主的な参画を捨てるようなことは︑たとえ︑研究時間が減ったとしても︵後から

振り返れば︑そのために﹁失った﹂時間はとてもよい勉強時間になっていることが多いはずな

のです︶厳に避けるべきであります︒民主主義的な手続きは時間を要するものです︒合理化︑

能率︑効率などという謳い文句は比較的に快く響くものでしょうが︑そうした表向きの体裁や

見せ掛けに誤魔化されてはならないということです︒

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五︑予算・施設・図書等

 これらのことに関して︑比感のように新規につくられた組織をそれ相当な歴史を有する既存

の組織と比較することに格別な意味があるとは思えません︒比翼がそれらの点で劣るのは半ば

当然ですから︑わざわざコメントするまでもないでしょう︒ここでは︑そうしたことを再確認

する必要はなく︑同じひとつの大学にあるのならば︑分け隔てのない共同利用を実現すること

に努力し意を尽くすべきでありましょう︒図書利用などはその良い例ですが︑ここでは話が細

かくなりすぎますから言及を差し控えますが︑これはさらに改善する余地があります︒おそら

く︑図書の理想的な利用形態は︵実質的に︶一箇所で集中管理する方式でありましょう︒これ

はキャンパス移転で期待されることのひとつでしょう︒

 さて︑毎年︑比文院生自治会執行部諸君︵学府長として比量に院生自治会が存在するのを嬉

しく思っています︒学内にこうした自治会はとても少ない︒学府長と自治会執行部は定期的に

協議することを取決めています︶を悩ましているものに机問題があります︒院生たちの自由に

使える机が絶対的な不足状態にあり︑その分け方をめぐり絶えず問題が生じているようです

(一蜉w当局﹂はこの問題には原則︑不介入の立場ですが︑学府長として︑最近︑休学者に対し

て机を与えるのは論外であり︑万一︑そうしたケースがあるとすれば︑即刻︑改善すべきこと

だけは伝えました︶︒貧弱な設備しか提供できないことは院生諸君にたいし申し訳ない限りで 13

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す︒また︑情報調査室にあるパソコンは置き場所が狭くて台数が限られていますから︑これま

た不便をかけています︒妻戸で本部から分離したキャンパス︑少ない予算︑近い将来に予定さ

れる移転といった事柄が問題の主要因を構成すると思われ︑これは自由裁量の余地が前以て極

度に狭められている扱いにくい事項に該当します︒近い将来のキャンパス移転は案件のいくつ

かに解決をもたらすはずですし︑そうしないことには何のための移転騒動か分かりません︒上

にあげた三大要.因のうち二つは確実に無くなるのですから︑比文にとりこれは絶好のチャンス

です︒しかしながら︑関係者はそれまで十年近く現状に甘んずることを覚悟しなくてはなりま

せん︒机問題などは部分的な改善改良くらいしか望めないでありましょう︒残念ながら︑今は

このように言うことしかできません︒

 院生の机問題は大学における院生の﹁居場所﹂︑つまり︑﹁所属﹂問題と密接なものです︒こ

れは単に机の有る無しに還元することはできない複合的な性格を有するとみたほうがよいであ

りましょう︒妙文の院生は﹁講座﹂に属さない代わりに︑現実にはどこに属しているのでしょ

うか︵表向きは﹁専攻﹂になっていますが︑それがあくまでも形式上の話であって︑いかほど

の内実を有するかは改めて百うまでもないことです︶︒人はどこかに帰属することで︑初めて

安心立命を得るでありましょう︒院生もその例外では決してありません︒机があるから大学に

来る気になれるといった話は聞き捨てにすることは出来ない︒﹁講座﹂の溜まり場にくれば︑助

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手や先輩院生がいて︑逐一︑教官に尋ねることが揮られるようなことを細部に渡り教示してく

れるといった恩恵に浴することは比文の院生にはありえないのです︒その代わりとなるものと

して大学サイドは何をどのように提供すべきなのかは絶えず考え︑出来るところがら実行に移

すべき院生教育上︑最大級の案件であるはずですが︑ここでは問題の所在を指摘するに止めて

おきます︒

六︑教育活動

 前項で触れたような事情があるにもかかわらず︑﹃外部評価書﹄はこの分野でも概して高い

評価を下してくれています︒それも﹃越境する文化・共振する世界﹄﹃クロスオーバー﹄の比

文広報二連にたいする言及からそれが始まっているのはとても特徴的なことです︒近年︑前者

は毎年改正号を出すように改善しましたし︑後者のほうも興味深い記事を満載して順調に定期

刊行されているのはご承知の通りです︒これら二誌は大事に育てていかなくてはならないと思

いますが︑私見を述べさせていただけば︑特に後者はもう少し︑良い意味で論争的な記事があっ

た方がよろしい︵例えば︑そこでは比較社会文化学構築︑組織再編︑全学教育︑二一世紀プロ

グラム︑総合演習などのテーマを設定して︑リレー連載することもありえましょう︶︒それは

比文の当面する諸問題の︑いわば︷掲示板﹂の役割も果たしてほしいと思っているのですが︑

IS

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いかがでしょうか︒そのために︑編集部にはご苦労ですが︑発行頻度を増すことを是非とも検

討していただきたいのです︒

 さらに︑﹃外部評価書﹄は誓文が個別入試を実施していることを歓迎し︑この﹁新システム

の成果﹂がますます発展するよう期待しています︒ここ二︑三年︑個別入試の合格者は一五人

ほどでしたが︑どうやら今年は二︑三人に激減するようです︵この文集が発刊される時点では

その数は確定していますから︑今︑このように書くことは許されるでしょう︶︒これはどうし

たことでしょうか︒たまたま︑今年度限りの現象であるかもしれませんが︑そうではなくて

用新システム︵個別入試︶﹂が内包していた構造的欠陥がついに露呈したためであるかもしれま

せんから︑慎重に見守る必要があります︒出来ることならば︑入試は一回だけ行って優秀な学

生に入ってもらうのが理想でしょうが︑筆記試験と二〇分ほどの面接だけで資質や適性を見極

め︑合否の決定をするのは正直に言ってなかなか難しいです︒また︑多様な背景をもった﹇面

白い﹂人材を発掘することも大切です︒そこで︑指導を望む教師と志願者とのあいだで何回か

にわたる応答︵メールや面談︶を行い︑教師と学生が互いに適性を判断し理解したうえで︑合

否を決定するのが﹁個別入試﹂の趣旨であります︒ビジネス・スクールやロー・スクールの設

置がアメリカの制度を真似ているように︑個別入試もアメリカの大学院の選抜方法を参考にし

たものです︒■定員確保︵修士五〇人︶﹂のためにも個別入試が案出された側面があったと思い

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ます︵博士四〇人については個別入試はしていません︶︒差し当たり︑そのやり方に工夫を凝

らす必要があるようです︒広報活動を活発化するだけでなく︑そのあり方も見直す必要がある

ようです︒私の見る限り︑現状では一人の教官の判断に依存しすぎています︒第三者教官によ

る客観的で実質的な判定を制度化しなくてはならないでしょう︒

 闘学生たちの国内外での活発なフィールドワーク︑ユニークな指導教官団制度は学際的で実

証的な教育プログラムの柱ともなっている﹂とする高い評価もいただきました︒最近は︑CO

E予算で国外フィールドワークをする機会に恵まれる院生が何人かいますし︑昨年度から院長

裁量経費を使って院生の学会報告支援︵旅費などの支給︶が始まりましたから︑幾分かは院生

諸君は一動きやすく﹂はなってきただろうと考えます︒こうした面でのサービスを積み上げて

いくことは今後もしなくてはならないと思っております︒

 比文に特徴的な指導教官団制度はこの場合も好評なのですが︑それはひとまず表向きの話と

して聞かなくてはならないでしょう︒問題はその理念が十分に実現されている訳では必ずしも

ないことにあります︒私自身の反省もこめて︑幾つかの問題点に触れることにします︒院生に

よっては実質的に従来型の指導教官一人体制︵この場合︑いわゆる﹁世話人教官﹂がそれに該

当するのは通例である︶である人が多数いるでありましょう︒彼︵女︶にとり残りの二人の教

官は形式的な名前だけの﹁指導教官﹂でしかない︒また︑指導教官たちがその院生の指導を巡っ

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て意見交換する機会が少ないこともある︒場合によっては︑指導教官たちの仲が悪くて院生が

教官の顔色をたえず窺っていなくてはならないこともありうる︒指導教官ごとに異なる指導方

針を指示されたとしたら︑院生はどう対応したらよいのだろうか︒

 総合演習が集団的指導を行うのに都合が良い場であるにも拘らず︑指導教官団がそれに出揃

うことがないケースがある︵場合によっては︑コ人の教官で総合演習を行う﹂︵7一︶ようなこ

ともある︶︒総合演習が分裂して増える傾向が認められるが︑それは﹁専門﹂に即した分解で

あったり︑教官同十が仲が悪くなったためであることが多いようである︒

 教育活動で認められる問題点に触れることを続けると︑教官側が学位審査に権限を持つから

院生との関係は一方的で不均衡であるが︑このことに対する自覚に欠ける教官がいれば︑﹁ア

カハラ︵アカデミック・ハラスメント︶﹂が起きる可能性は大きくなる︒しかし︑教官によっ

ては︑指導に熱心なあまり︑ぞんざいな話しぶりをして︑﹁アカハラ﹂や﹁セクハラ︵セクシャ

ル・ハラスメント︶﹂を訴えられる場合もあり得る︒この場合︑当該教官は随分と貧乏くじを

引くことになり︑教育的情熱を一気に喪失して︑貝のように口を閉ざすようになれば︑それは

学府全体にとり大きな損失となる︒これには教官と学生とのいわば人間的な︵あるいは多面的

な︶関係を﹇ダサイ﹂ものとして斥けるような社会的風潮がもたらす反動といった側面があるこ

とは否定しえない︵例えば︑毎週のゼミの後に定例的にコンパをしているところはどのくらい

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あるのだろうか︒別にそこまでしなくてもよいだろうが︑教室の延長のようにそこで■激しい

︵滅茶苦茶な︶議論﹂がなされたことを私自身の体験として懐かしく思い出す︶︒

 学位や就職など利益誘導型の教育を意識的に行って院生の関心を引くようなことをする教官

がいたとしたら︑そのゼミはおべっか使いに長けた者たちの集合体になり︑教育の場に相応し

くない︑本筋から大きく逸脱するものになるであろう︒しかしながら︑その.方で︑そうした

事柄に全く意を介することなしに︑ひたすら真理の発見に精を出そうとする教官に対して︑別

の意味でサービス精神の発揮を求めるのが昨今の大学における流行りであるかもしれない︒繰

り返しになるが︑比文では院生が講座に属することはないから︑いわゆる講座制の弊害からは

免れているが︑私たちはその代わりに何らかのものを支払っていると考えておくのがよい︒差

し当たり︑指導教官団制度がもつ本来の機能を十分に発揮し活性化することによって︑そうし

た代償支払いを少しでも減じるように努めなくてはならないでありましょう︒

 私自身はいまだ院生たちから直接に聞いたことはないが︑演習ばかりでなく︑講義ものがあっ

たほうがよいという話です︒その理由は想像する以外にないのですが︑演習は自分でかなり準

備しないとならないが︑講義は出て話を聞くだけだから楽であるといった﹁実利的な﹂側面が

あることは無視しえないとしても︑院生たちの間には基礎的学力不足があってそれを講義で補

いたいとする深刻な切羽詰った事情が伏在しているかもしれません︒そうだとすれば︑これは

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無視しえない事柄になりかねません︒この外部評価の折に学生からのヒアリングも行われたの

ですが︑そこでは入門ゼミと専門ゼミの二種類の開講を望む声が紹介されています︒これなど

も同じような事情を暗示しているのではないか︒いまさら引き合いに出すまでもないことです

が︑私の院生時代は教官から全く放置されていましたし︑そうなることで得られる﹁自由﹂を

得難いものであるとも思っていました︒教官から指図されずに好きな本を読める貴重な時間を

過ごしたものです︒今やそんな感じではないのだということかもしれません︒

 こんなことを書くのは︑何とも今更の感がありますが︑この問題は学位授与とも深く関係し

ているようにも思われます︒今︑この大学では博十課程三年次在学者数の七割に相当する数の

博士学位を毎年出すことが全学的に求められています︒それを達せない場合は︑年度予算配分

でペナルティーを受けますが︑無論のことに︵︶︑例年︑比文はペナルティーです︒近年の

博士学位授与者数は一〇人余りで︑一︑○人に届いていません︒求められているのは︑端的に言っ

て︑良かれ悪しかれ︑学位取得のための流れ作業的なシステムです︒おそらく︑学問的な性格

も多分に作用してのことでしょうが︑いわゆる理系ではかなりの程度これは確立しているよう

ですが︑文系の方は元来が学位などどうでもよかったこともあって︑うまく進んでいません︒

つい最近まで︑職人的といった形容がなされるような世界に住んでいた教官にとり ︵私自身

は最後までそうした世界に住み着かざるをえないでしょう︶流れ作業的システムなどは縁遠い

(22)

ものでしょうが︑その方向に努力していくことが求められています︒そのために比文は学位論

文提出資格制度を設定するなどかなりの工夫を凝らしてきています︒

 ﹃外部評価書﹄をめぐって︑随分と取り留めのない話をしてきました︒この調子ならば︑ま

だまだ書くことがありそうですが︑さすがにもう終わらなくてはなりません︒最後に︑前回の

外部評価ではほとんど取り上げることがなかった留学生をめぐる問題の一端に触れたいと思い

ます︒現在の立文院生総数は約三〇〇人ですが︑その内︑留学生は約一〇〇人で三分の一を占

めます︒これは九大にある一六の大学院︵学府︶のうち比率で一位︑絶対数で二位です︒留学

生がこのように多いことは全ての比文関係者が日ごろから認識すべき事柄です︒日本語教育︑

日本文学など︑比比には多くの留学生を引き付ける分野がいくつかありますし︑恐らく全体と

しては比文が外に向って開かれた印象を与える組織になってきていることが作用した結果であ

ろうと思えます︒このこと自体は比文にとり大いに結構なことであります︒国際的に活躍する

人材の養成を大きな目標のひとつとしている比文にとり︑身近に留学生が多数いて国際的な感

覚を磨くのに日常的に好都合な環境があるのはありがたいことです︒しかしながら︑﹃中期目

標・中期計画﹄でも触れましたが︑留学生は留学生でそれぞれが固有の問題や課題をかかえて

いますから︑大学側として少しでもその解決や改善のためになることをしなくてはならない︒

箱崎にある留学生センターとの連携強化は当然のことですし︑私は比文に独自に留学生相談室

(23)

を設けたいと強く希望しています︵そのために︑留学生担当教官を配置したい︶︒関係各位の

ご理解とご協力を御願いする次第です︒

      ︵たかだ かずおけ大学院比較社会文化研究院長・学府長︶

(24)

九州大学比較社会文化学府の一〇周年で思う

有  吉 泰  徳

 .九九四年四月に発足した比較社会文化研究科は文系と理系の総合的な大学院として出発しました︒

一期生六〇余名の老若男女が修十課程に入学以来やがて一〇年になります︒

 大学を出たばかりの若者︑社会人から入学した中高年者︑それに中国や韓国からの留学生がそれぞ

れの専攻に進み︑研究を深めました︒二年後の九六年からは︑博士課程も始まり︑博士課程への進学

と入学が始まりました︒博士論文が認められ博士になった人も︑今では一〇〇名評になったのではな

いでしょうか︒

 教室は︑文系はバラックの臨時の建物︑理系は東の研究棟に分かれました︒私について哨︐口えば︑経

済学の福留教授・ド山教授・山崎助教授︵後に教授︶のゼミに出ていましたが︑それ以外に︑憲法の

横田教授︑科学史の古岡教授の講義やゼミにも出席したことが︑忘れられない思い出になりました︒

 福留ゼミでは︑資本論の研究は勿論ですが︑日本経済の﹁いわゆる失われた一〇年﹂の過程での日

本の金融危機や九七年のタイ・韓国・インドネシアの通貨金融危機などの現状分析もやりました︒

(25)

 修士論文は﹇マレーシアの工業化と日本﹂をテーマにして︑資料を集めるために︑マレーシア・シ

ンガポール・タイに足を運び日系企業の工場を見学しました︒東南アジアでの工業化は徐々に進んで

いる現状ですが︑地元の中小企業の技術力が未熟で︑今後の基礎技術の向上が課題だと思いました︒

 また下山教授の紹介で︑横浜国立大学の大崎平八郎名誉教授の主催するロシアツアー︵ロシア科学

アカデミーとの学術交流︶に参加しました︒九四年・九六年の二度に亘るロシア・中央アジアの旅行

は︑エリチンの故郷エカテリンブルクの訪問やタジキスタンを除く中央アジア四読響訪問など︑普通

のツアーでは得られない収穫の多い旅でした︒

 留学生の皆さんと近隣の雲仙や有田への小旅行をしたり︑沈さんの案内で釜山・温州を旅したこと

も思い出します︒また︑ハングルを韓国の留学生に教えて貰い︑現在まで曲がりなりに続けています︒

 ところで︑個人を離れて︑二〇〇一年に当大学院の﹁東アジア研究﹂が文部科学省の研究課題とし

てみとめられたと思いますが︑その成果は期待大なるものがあります︒当大学院は九州福岡の地︑東

アジアの玄関口に位置し︑幸い中国・韓国・東南アジアからの留学生の受け入れも多く︑東アジア研

究をやりやすい条件に恵まれています︒院生の皆さんや先生方の研究が一層進展することを期待して

やみません..

       ︵ありよし やすのり⊥期生︑日本社会文化専攻︶

ユ4

(26)

﹇X﹂を求めて

李在錫

図書館︑書店︑インターネット︑人々  私が均X﹂を求めて冒険に出た場所︒

 ある対象の性質や内実を見極めるには︑普段の表面的で変動可能なものからではなく︑固定された

形象や結果をもって検討しなくてはならないと考えるのが普通である︒﹁比較社会文化学府﹂という

機構が表面化している﹂結果﹂なり﹁成果﹂の一つが︑﹃比較社会文化研究﹄であろう︒眼の前に︑

その第一四号がある︒実にバラエティーに富んだ十八編の論文が掲載されている︒言語学から社会学︑

小説研究︑いわゆる︵大衆という概念をいかに捉えようと︶大衆文化論︑政治学︑地域学などを包括

した研究の数々がずらりと並んでおり︑学際的な研究を志向する学府のモットーに沿った形だともい

える︒ そこで︑まず︑私は学際的な研究という言葉について︑それを自明なものではなく︑いったん括弧

でくくってみよう︒学問の交流を遂行すること︑つまりは︑一定の固着された︵それにも長い時間と

ユ∫

(27)

精力が費やされたはず︶それぞれの学問の風土や気質を︑少なくとも別の角度から照明してみること︑

ひいては積極的な受容と消化を通して︑それぞれを一層豊かなものにしようとする活動を一学際的な

研究﹂というのだと私は判断する︒当たり前のことを︑当たり前ではないように述べているようだが︑

再び︑私は一つの疑問︑あるいは問題を抱えるようになったことを述べなければならない︒知能の低

い人間の発したものとして無視されても仕方はあるまいが︑自分にとっては︑さぞ悩ましいものであ

る︵あるいは︑あった︶︒

 いうなれば︑学問分野の交差というのが︑むしろ︑各々の独自性をもち︑その中から成熟してゆく

学問の領域を曖昧にさせているのではないだろうか︑という愚問である︒川端康成のある掌編のなか

で︑向こうの芝生が綺麗にみえるので場所を移ってみたものの︑そこもなお以前の芝生と変わらなかっ

たという教訓めいた物語︒

 たとえば︑一つのフィクションとしての小説テクストを対象に︑小説として︵作家論であれ︑作品

論であれ︑レトリックであれ︶研究をする︐方と︑ある裁断の道具︵それは宗教でも︑歴史でもあり

うる︶をもって小説を虚構テクストではなくほぼ現実テクストとみなすもう一方がある場合︑学問の

対象としての小説テクストが二つの学問を構成させることになる..問題は︑二つの区別されるべきも

のが曖昧に混同を起こし︑一つのものであるかのように意識され︑最終的には.一つでもなく一つでも

ない奇怪なものを産出する可能性である︒もちろん︑それにもいい意味での可能性はある︒二つの領

域が消滅し︵または︑縮小され︶︑︵進化論的に︶別の一つを生み出し︑それこそ先行の二つの抱える

限界と問題を解消し︑未来を開いてくれる希望である︒同じことをしていながら︑名前だけ違ってい

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(28)

たものを実質的に統合できるのかもしれない︒しかし︑統合される前の二つはアイデンティティ混乱

の状態であり︑お互いに侵入され︑侵入しつつある︒歴史から観た小説と︑文学から観た小説に何ら

相違点がない状況となるのだ︒

 やたらと原論的になるが︑■学際的﹂という言葉には二つの側面があって︑それがうまく作動すれ

ば﹁何らかの﹂学問領域を創造でき︑あるいは個別的な領域を充実させるけれども︑間違えばそれぞ

れの学問領域に混乱と錯綜をもたらすという憂慮がある︒また原則的な陳述とならざるを得ないが︑

個別性︵特殊性︶と一般性︵普遍性︶の狭間でいかに均衡をとり︑いかに挑戦してゆくかに﹁比較社

会文化学府﹂の過去十年目これからの時間が反省と計画の素材があるだろう︒反省せずに︑いつまで

も隠しておくことなら︑過去は現在の役には立たないのだ︒積極的に反省すること︑それだけでも大

きな進歩なのである︒

 多様な学問の交流︵学際的な研究︶を志向するようになったのは︑いうまでもなく︑研究の現状に

対する打開策だったのだが︑そこから投げられた方向性という球が︑交差する知的な活動ではなく︑

孤立されたものたちがあるだけなのに︑まるで交差しているように装っているのなら︑再考の必要も

あるだろう︒そのような偽善を脱げ捨て︑投げる前の球を思い起こし︑それから投げた球の効用︵成

果︶を点検し︑再び投げ続けるべきか︑投げるのを止めるべきかを決める時期であるかもしれない︒

もし︑成果というものが投げる前のそれと何ら変わらないものだとすれば︑もう投げることは中止す

べきである︒跳ね返された球を凝視するチャンスを持つのが周期であって︑十周年は好期でもある︒

自閉的な学問の領域性を相互に開くこと︑それは︑認識の枠を拡張できるというメリットがあると同

27

(29)

時に︑領域性構築のために必要だった努力と効用を曖昧にする両面性を抱えているのを強く意識すべ

きなのだ︒

 伝統が生まれることは︑それによって自分自身の前に﹁大〜﹂などの詰まらない接頭語をつけなが

ら自惚れるのではなく︑もっと大きな自省を持つということだと思っている︒それに便乗して︑私も

大いに反省しよう︒言うまでもなく︑﹁比較社会文化学府﹂十ケ年はおめでたきことであり︑大いに

祝っていいはずである︒

 二〇〇〇年度︑博士後期課程入学記念写真には︑先生たちを始めとし︑僕のように﹁ぼ一つと﹂し

ている嶋田君がいて︑﹁フィクションとしての小説﹂にこだわる私は︑政治哲学の話なども︵ほとん

ど日常の雑談がほとんどだが︶乞うている︒嶋田君と共謀して︑噛比較社会文化学府十周年﹂にあや

かろうとしたまでである︒最後に︑私たちの学府には︵私を含めて︶留学生が多く︑彼︵彼女︶らが

研究に専念できる環境になれることを願ってやまない︒

28

小説︑演劇︑映画︑別名は文字言語と身体言語・映像︑洋語一私が﹁X﹂だと判断した場所︒みん

なの﹁X﹂は︑それから比文の剛X﹂は? それぞれ

思えてならない︒ ︑時にはみんなで﹁X﹂を求めている最中だと

︵い ぜそく日本社会文化専攻・博士後期課程在学︶

(30)

昌 訓

 今から︑○年前の.九九四年四月に矢文の第一期生として人賛したのがつい昨日の事のように感じ

られるが︑映画﹁ニュー・シネマ・パラダイス﹂の古い映写機が回っているように︑振り返ってみる

と思い出が走.馬燈のように駆けめぐる⁝と︑..口っても︑そんなに占くはないか︒

 それはともかく︑私が九大生であることを強く意識したのは︑卒業後のことである︒斯文を卒業し

た後︑故郷の韓国に戻ったのは四年前の二︵︐︶⊃︵.︶年三月である.︑韓国の大学は三月に新学期が始まる︒

就いた当初は︑新しい仕事や職場などの生活環境の変化で大変ではあったが︑徐々に安定を取り戻し

た頃︑思いもよらない所から連絡が来た︒

 それは︑釜山にある日本国総領事館からのf紙で︑日本留学OBのパーティにぜひ参席してくれと

のことであった︒また︑九大のOBからの連絡もあり︑川注することにしたのだが︑その時同封され

ていた九大OBの名簿をみると︑現在釜山東亜大学校︵学生数約一万八千人︶の総長を務めていらっ

しゃる崔在龍︵九大数学科出身︶先生を始め︑多くの著名人の名が含まれていることに驚いた.︑

ユ9

私 と 比 文

E

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今から

. 0

年前の.九九四年同月に比文の第一期午として入学したのがつい昨日の事のように感じ られるが︑映耐﹁ニュ!・シネマ・パラダイス﹂の古い映写機が削っているように︑振り返ってみる

と思い出が本馬熔のように駆けめぐる・:と﹀けっても︑そんなに山くはないか︒

それはともかく︑私が九大生であることを強く意識したのは︑卒業後のことである

c比文を卒業し

た後︑故郷の韓国に一戻ったのは四年前の二

( l ) ( )

二年二一月であるこ韓国の大学は三月に新学期が始まる︒

就いた当初は︑新しい仕事や職場などの生活環境の変化で大変ではあったが︑徐々に安定を取り戻し た頃︑思いもよらない所から連絡が来た

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しゃる崖在龍(九大数学科出身)先生を始め︑多くの著名人の名が含まれていることに驚いた己

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(31)

 それをみていると︑日本での留学生活を思い出し︑苦しいながらもやっと九大を卒業できたことの

実感が沸いてきた.︑そして︑九大のOB会に参加し胸が一杯になったところで︑あるOBから﹁九大

のどこの出身か﹂と聞かれ︑﹁比較社会文化です﹂と答えたら︑﹇何ぞれ?﹂といわれた時は正直ちょっ

と落ち込んでしまった︒

 あれから時が経つにつれ︑少しずつ比文が紹介されるようになり︑現在は多くの人に知られている

が︑当時はまだ連文にとっても私にとっても翼を広げ始めた頃であった︒比文の特色である学際的研

究は︑当時新しい大学院のシステムとして注目を集めたが︑現在では多くの大学院が同じようなシス

テムを採用している︒韓国でも議論が始まり︑私が勤めていた大学でも私に新しい大学院のカリキュ

ラムを検討してほしいとの依頼もあった.︑

 このように私が比文で学んだ経験が韓国の大学で活かせる機会は多かったのだが︑韓国に戻ってか

ら何よりも困ったことは︑私の授業中にも︑またどこかの依頼で委員会に参加した時にも︑多くの人々

から﹁最近日本の経済はどうか?﹂とか︻これからの日本の政治はどうなる?﹂とか﹇日本と北朝鮮

はうまくいくと思うか?﹂などの質問をされる事であった︒

 別に︑私が霞ヶ関で働いていた訳でもないのに︑日本の事情を聞く人が多かったのである︒悩んだ

末︑そのような時はいつも口癖のように始める言葉がある︒それは︑一私の経験からみますと⁝﹂と

いうものである.︑つまり︑あくまでも﹁私の経験からみた私見であって本当にそう︵なる︶かは知り

ません﹂という意昧である︒

 なぜそういうふうに言うのかというと︑とてもデリケートな質問に対して私がみたことのない︑経

30

(32)

験したことがない事柄に対して﹇知りません﹂と正直に答えるだけではすまない場合がある︒例えば

一あなたは日本人が好きですか?﹂の質問に対して︑もし一好きです﹂あるいは■嫌いです﹂と答え

たら日本人全部がそのようにみえてしまい︑質問した人は岡あ! 日本人はみんな良い︵悪い︶人ばか

りだな﹂のような誤解を招く可能性が高い︒そこで﹁私の経験からではみんないい人ばかりでしたよ﹂

と答えると︑相手は︷そうですが? よかったですね﹂と会話をスムーズに進めることができるので

ある.. 実際に︑私の留学期間は六年と日本の生活が長いように思われるが︑生活領域が大学と自分の部屋

が主であるため︑﹁日本人﹂若しくは﹇日本社会﹂を語れるほど日本と接触していたかどうかは疑問

である..︵しかし︑恩師先生でいらっしゃる宮川先生を始め︑多くの方々にめぐり会い︑その中から

有意義な経験が得られたことは事実であり︑そのことは︑私の財産となっている︶︒

 実は韓国では︑今でも根強い反日感情があり︑少しでも日本に対する賞賛のようなことをいうと︑

すぐ周りの人々から﹁親日派﹂というようなことを反感をもって言われ︑せっかくのいい話も全部否

定されてしまうのである︒﹁え? 今時?﹂と思えるかも知れないが︑本当の話である︒だからこそ︑

﹇私の経験からみますと⁝﹂と始めることで︑﹁自分が経験した日本﹂をありのままに語る必要があり︑

願わくばその話から日本に対するイメージが少しでも良い方に変わっていけば︑とも思っている︒

 勿論︑私にとって﹁留学中に経験した日本﹂11■比文での留学生活﹂である︒このことは私が死ん

でもそのような事実は変えることができないことであろうし︑変わってもいけない︒今でも私は﹁比

文での留学生活﹂を基にして︑どこかで日本を語っている︒そう考えると︑﹁比文での留学生活﹂は

31

(33)

いかに大事だったのかが分かる︒しかし︑一方では後悔も一杯なのである︒韓国でこれほど日本のこ

とを気にする人が多いということをずっと前に知っていたならば︑より色んな日本社会や日本文化を

体験していただろうに︑と思うのである︒

 特に︑私の専門が観光ということもあって︑日本での留学時代に︑より色んな日本の観光地にいけ

ばよかったなとしみじみ思う︒九州に住んでいたので九州地域はある程度回ったが︑九州以外はあま

り行かなかったのである︒貧乏な留学生だったこともあるが︑少し無理してでも行けばよかったなと

後になって後悔した︒

 現在比文に留学中の後輩たちに﹁私の経験から﹂言いたいことは︑少し無理をしてでも多くの日本

の地域を訪ね︑色んな日本人にあってほしいのである︒それが後になると︑全部君たちの大事な財産

になると私はそう確信する︒この世の中で自分が経験したことを全て口には表現できないだろうけれ

ど︑自分が納得すればいいような気がする︒だから︑自分の大事な財産として目の前の失敗や成功を

問わずに何事もチャレンジしてほしい︒私の留学生活は﹁隠文﹂が私に残してくれた財産であるのと

同様︑後輩諸君が日本で経験したことはすべて貴重な財産なのである︒

 現在︑私は.再び縁があり︑長崎に移って住んでいる︒今はいつまで日本にいられるかが分らないた

め︑留学時代にはできなかった︑色んな日本での経験を試みている︒毎週水曜日には日本の茶道をな

らい︑週末はヨットに乗りながら色々な地域・人と出会っている︒また︑最近は日韓にまつわる秘史

を発掘し︑一冊の本にするため︑さまざまな資料も集めている︒いつ終えられるかは分らないが︑コ

ツコツとやっている内にできるだろうと考えているところである︒

3ユ

(34)

 最後に︑﹁私と誓文﹂の未来に関して述べながら︑私のつまらない話の終わりにしたい︒私が思う

に︑決して﹁私と比文﹂は過去のことではない︒一私と比文﹂は現在進行形であり︑これから益々緊

密な関係になるだろうと思う︒今も当時の恩師との交流は続いている︵連絡があるたびに今でも緊張

するが︶︒また︑その後も先生のもとで韓国からの留学生が研究を行い︑また入学を希望する人も多

く︑色んな所で頑張っているのである︒彼らには勿論先生もさることながら︑先輩の存在も重要な気

がする︒やはり︑もっとも身近なところでの見本は先輩だからである︒それを考えると︑色文のOB

である私も︑彼らの模範にならなければならないし︑また︑引っ張っていかないといけないような気

がする︒そうすれば︑伝統になり︑やがて歴史になるのではないかと思う︒無文創設一〇周年という

一つの節目にあたり︑私も身の引き締まる思いを改めて感じた次第である︒末筆ながら︑長崎国際大

学の教え子の入学した比文の益々の発展を感謝と共にお祈り申し上げます︒

       ︵い ちゃんふん・.期生︑長崎国際大学専任講師︶

33

(35)

34

いつでも使える図書館が欲しい

石  川

 私は昨年の四月から比較社会文化研究院に赴任したばかりなので︑この学府が発足してから十周年

といわれても︑なんだかピンとこない︒とりあえず毎日︑研究室に通い︑授業をこなし︑大学院生の

指導をし︑思い出したように自分の研究をしているが︑ときどき﹇学府﹂と﹁研究院﹂の関係がゴチャ

ゴチャになってしまうほど自分の所属している︿場﹀に対する認識が甘い︒だから︑ここでは︑文学

を研究する学徒のひとりとして︑この︿場﹀で感じていること︑﹇もしそうなったら嬉しいんだけど⁝﹂

といった程度の要望を書かせていただき︑それを書くなかで︑自分と比較社会文化研究院・学府とい

うく場Vとの絆を確かめてみたいと思う.︑

     *

 文学研究をするとき︑何より大切なのはテキストあるいは資料として用いる図書や雑誌である︒本

当はすべて自分で買って︑自分の自宅にズラッと並べることができたらいいのだろうが︑実際には資

料の対象があまりにも膨大なため︑図書館に頼ったり研究費で購入したりすることになる︒そうした

(36)

資料を縦覧しながら仕事をするため︑結果として︑研究室にとじこもる時間が長くなる︒夜はちゃん

と自宅に戻れといわれても︑本の山をかかえて行ったり来たりするのは困難だから︑論文をまとめる

ときなどは︑仕方なく︑夜中まで研究室に居残ったり土日に出勤したりするようになる︒

 ところが︑最近はキャンパス内での窃盗や事件などが相次いだこともあり︑入校規制が行われるよ

うになってきた︒教職員の場合は身分証明さえすれば入れるが︑院生などは深夜から早朝まで完全に

追い出されるらしい︒ガードマンの方たちもピリピリした様fで警備をしている︒いま︑巷では犯罪

防止のために監視カメラを設置する店舗や商店街が増えていて︑それが事件の解決に一役かったりす

ることもあるらしいが︑なんだか︑そういう管理体制が大学のなかにも導入され︑事件を未然に防ぐ

という正しさのもとに行われる規制と監視が︑大学という︿場﹀のなかに生きる人間たちに過剰な抑

圧を加えているように思えてならない︒もちろん︑だからといって燗大学はもっと自由であるべきだ﹂

とか︑そんなことを言いたいわけではない︒私が嫌なのは︑世の趨勢がそうだからという理由のもと

に︑﹁正しさ﹂の質が問われないまま自分たちの環境が窮屈になっていくことである︒簡単にいって

しまえば︑角を矯めて牛を殺すことだってあるんじゃないかと思っているわけである︒

 そこで提案したいのは︑せめて大学院生については深夜でもキャンパス内に入れるようにし︑それ

と同時に︑図書館を二十四時間使えるようにして︑そこで勉強したり資料を調査したりできるように

するというものだ︒

 いっけんすると突拍子もないことのように思えるかもしれないが︑図書館の二十四時間開放という

のは全国の公共図書館や大学図書館の一部で実際に行われているもので︑私が一昨年まで勤務してい

3S

(37)

た山口大学でも一九九九年からそのシステムが導入されていた︒だから︑私は自分でもその利便性を

体験しているし︑それを導入するために莫大なr算が必要になるわけではないことも知っている︒ま

た︑こうしたシステムの導入は︑現在︑図書館での業務に携わっていた方たちにこれまで以トの負担

を強いるものと受けとられかねないが︑普段から図書館を利用させてもらって︑他大学への資料請求

や図書・雑誌の貸借に関して︑迷惑ばかりかけている私の立場からいっても︑そんな横暴なことを要

求するつもりはさらさらない︵つい最近も︑古い雑誌に付箋を貼ってしまい︑ご迷惑をおかけしまし

た.︑すみません︶.︑むしろ︑こうした新しい取り組みをすることで︑図書館という空間の利用に関し

ての理解が深まり︑その可能性を拡げるなかで︑早算︑設備︑人員などに関してこれまで以上のヶア

がなされるようになるのではないかとさえ期待しているほどである︒⁝そういう狙いのもとに︑以下︑

私の願望を述べさせていただく︒

     *

 山U大学が導入したのは︑﹁山口大学附属図書館本館自動入退館システム﹂といい︑先述したよう

に一九九九年から始動している︒山口大学の図書館には医学部分館と工学部分館があるが︑若﹁のシ

ステムの違いはあるものの︑本館とほぼ同じ時期に始動したようである︒対象は教職員と大学院生で︑

利用にあたってはガイダンスの受講を義務付け︑名前を登録したのちに﹁特別利用キ!﹂︵磁気シー

ルを貼ったプラスチック︶を貸し出すようになっている︵なぜ学部生はだめなのかという問題もある

が︑資料の利用頻度︑夜間利用の切実さ︑図書利用に関するモラルなどの面で︑大学院生と学部生と

では大きな隔たりがあるだろうから︑こうした線引きに関してはいたしかたないと考える︒ちなみに︑

36

(38)

キーを紛失した場合は五〇〇円を出して新しいキーを購入するようになっていた︶︒本館の場合︑約

二〇〇名がこれに登録し︑月平均の利用は一五〇名ほどだという︒利用者は︑入り口に設置されたパ

ネルにキーをさし込んで自動チェックを受ける︒そのとき︑同時にコンピュータには利用者の名前が

登録される︒したがって︑複数で同時に利用する場合でも︑ひとりひとり別々にキーを差し込むよう

に指導されていた︒たしか︑入り口には赤外線が通っており︑もしひとつのキーで複数の人間が入ろ

うとすると︑すぐに警備室に連絡が行くようになっていたと思う︒言うまでもなく︑図書館内は無人

である︒照明はごく一部の非常灯などを除いて︑すべて利用者が点灯・消灯を行い︑空調設備は利用

できないようになっている︒カウンターなど昼間の開館時に事務の方たちが使うスペースはすべて閉

鎖し︑利用者は自動貸し出し装置︵正式名称がわかりません︶を操作して決められた冊数の図書・雑

誌を借り出す︒もちろん︑その装置を通さずに図書館を退出しようとしても自動ドアは開かないので︑

図書の無断借用や窃盗はできない︒図書の検索をするためのOPACは機能しており︑有料コピー機

も電源は入っている︒書庫や読書室の利用に関しても︑当然のことながら利用者の責任において現状

復帰が求められる︒館内での飲食はいうまでもなく厳禁︒AV機器やコンピュータ設備がある部屋に

関しては施錠を行い︑入室はできないようにしておく︒窓も勝手に開けたり閉めたりできないように

し︑器械警備体制をとる︒ルールに違反した場合は登録を取り消し︑特別利用ができないようにする︒

誰が何時何分に入館し︑どのような図書・雑誌を借り︑何時何分に退等したかをすべてコンピュータ

に記録する⁝︒この特別利用は︑こうしたルールを徹底し︑それを自覚的に守ってもらうことで︑館

内施設の損壊や図書・雑誌の紛失が避けられるようになっている︒今回︑この文章を書くにあたって

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参照

関連したドキュメント

清水 悦郎 国立大学法人東京海洋大学 学術研究院海洋電子機械工学部門 教授 鶴指 眞志 長崎県立大学 地域創造学部実践経済学科 講師 クロサカタツヤ 株式会社企 代表取締役.

Facsimile-edition of the Latin Charters prior to the ninth century, part XV, France III, Dietikon/ Zürich, 1986.. eds., Chartae

<第2次> 2022年 2月 8 日(火)~ 2月 15日(火)

を体現する世界市民の育成」の下、国連・国際機関職員、外交官、国際 NGO 職員等、

話題提供者: 河﨑佳子 神戸大学大学院 人間発達環境学研究科 話題提供者: 酒井邦嘉# 東京大学大学院 総合文化研究科 話題提供者: 武居渡 金沢大学

社会学文献講読・文献研究(英) A・B 社会心理学文献講義/研究(英) A・B 文化人類学・民俗学文献講義/研究(英)

向井 康夫 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 牧野 渡 : 東北大学大学院 生命科学研究科 助教 占部 城太郎 :

関西学院大学社会学部は、1960 年にそれまでの文学部社会学科、社会事業学科が文学部 から独立して創設された。2009 年は創設 50