時代と創造 其の1
著者 長岡 宏
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 20
ページ 53‑62
発行年 1970‑03‑31
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00007750
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時代と創造其の1
Period and Creation Vo1.1
長 岡
宏Hiroshi NAGAOKA
(昭秘4年10月14H)
序
すべての芸術品は.その時代の子供である。然も又,しばしぱ我kの磁情の慈母磁あるo 文化の各時代は,再び繰り返す事の出来ない,独得の芸術の傾向を生み出ずもので迩る。
カンディγ済キー{t}
創造論が盛んである。創造と云う言葉の何と巷に氾濫している事か。芸術作贔の特性たる創 造が,現在程,拡大解釈されている時もないのではないか。芸術に於る美術のジャンルでは,
それが貢じて発明〔発見との区別さえっかぬ迄 即ち・新アイディア(idea)の競争にさえ,
やって来てしまった昨今の世界の美術界。当然,この情報化時代とか呼ばれる現状のもとで は,必然的成り行きとは云え,作家として考えなければならない問題点は,ここにある。確か に現代の文明は,各個人の才能が狐立してばらぱちに位置したところで成』り立っている。それ は近世来の個人主義の行きつくところではあったろうが,個人め放慾と独走とによる頽廃力;約 束されているまうなものである。従って芸術一般にも,もはや我々の共通の価値規準や尺漬を もって語る事は不可能k近い。
聯の撒の歴史は・踏端熱.鞠 卒直の精輪頃ぬかれた芸術難よって築力・れて
来た・しかし彼らlei・彼らの生暁営ん civ・た鞭の鵠騨景に適し泣法旦か静1作を成し得なかったようだ。現実かち浮遊を望む芸術であ?た擾合でも尚、そこには,抜き差しなら
ぱ生活の手触籾剛と鞭酷軌従って学問・岬力㍉.いか曙展しようとも燗
の本能と直感力でしが近づく事の出来ない,この芸術の領域は各時代が持つ人間の精神的態情 を表わしている事になる。しからば,今抵我々が持っ筈である芸術はいかに創造されるべぎ
カirここ鵠者は融蝋罐か幽だ儒と・、それ捲酬た櫟・社会との関係に於て・
この鯛の鰯幽ってみる遵翫於礪の酷は・あく齪作xeして酷嘩gttと
の噛み合わせで考える。
1,呪衛
「芸術に於て重要なのは形体ではなくして}形づくるととなのだ」と,抽象画蒙パウFl,. .タ レー②は云っている。 己れで,クレpぱ完成したフォルム』(form)よりも制作者の創ると表
・う行為そのもの記いかに童視していたかを端的に表わしているoこの事は;r既成め業術史の 概念を正面から打ち破る視点を我タに提供してくれる・筆者もこの視点に立って・先づそ磯
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も顕著な例として,形づくることの発生の場,原始時代を考えてみる。すると我々はクレーの 言葉のいかに暗示的であるかに気がつく。何故なら形体は原初の時代からそこにあった訳では 決してなく,たまたま燗が形づくるlig力に恵まれてい℃それらをはぐくみ清てた訳だか
ら。では何故形づくったのか,形づくる必然性があったのかq
我々に最古の美術品として知られているものは,今から約15,000年前の旧石器時代の最後の 段階に於てつくられた。これらの中で最も極立った作品は洞窟の岩の表面に線刻,彩色又は彫 刻された動物の像である。北スペインの大西洋に臨む町サンタンデ・レの西方・約24k・・の1澗に あるアルタミラ(Altamira)洞窟画(図Dは,その一例で・それらの何と生き生きとして 真に迫った,鋭い観察や確実な刀強い 輪郭や,フォルムに量感と丸みを与え る陰影の微妙な扱い方に驚くばかりで・
ある。これらの絵画の創造,決定は単 なる個人の感受性や表現技術の問題で はなく,農業や牧畜のやり方を知らな い原始狩猟採拾民の社会経済生活その ものにあったとみなければならない。
彼らの生活は常に自然の中にあって,
それとの厳しい対決であった。そこで は狩猟と云う動物相手の活動が,最も
・・傷つ;た冨瓢腰ラ.i;i灘鷹総
観実批の間醐徹区別が出来ぬ程,醐・素朴越性を持ち(「原始人は実胴な醐
と芸術的な活動とを,はっきり分けることが出来なかった」H・リー一ド(3))生き生きと描かれ.
た動物に生きた動物を慈じた。このよヲな彼らの狩猟生活と呪術的心性との相互作用の結果と.
して,この美術は創造された.旧石器人により洞窟の奥に・彼らがより多くの狩猟を願望して 描かれた,これらの絵はいかに写実的に見えても,それは写実主義に由来するものではなく,
印象に忠実であろうとする意図に導かれた結果の記憶画である。即ち旧石器時代の美術はいか なる場合にも後世のリアリズム(reali・m)美術と同覗することは出来なU・・この時代の美 術は,その独立性,素朴なリアリズムの点でそれを生硫旧礁蹴一「入類の幼年期」一と 同じようた決して再び紗返すこと酬来ないもめである・ア・レタミ識画でさらeこ重要縛
は珍くの動物酷石の塊や突起した部分牲かして描かれてい碍だ・その恒・完成した
慧㌶勺灘㌶譲㌶膓罐蕊繋:㌶㌘‡欝
にさら1ご近く_致したものとして仕上げる事が出来おこれは明らかに我々蹴が持つシギ
,v.Vアリズム(Su・reali・m…1)に於確示・連想の賭方法と合致する・s又・欄が自ら 描き刻んだ像に,人間曄仕噺りを捧げ,逆に支配されるプ・セスは・この形体がその当初
からある瞭を荷っていた麺でありt・・死購西雄エジプト芸術・抑こt「kる帷のキリ
別教芸術でも同様の蛎の昧る点となる訳であるQ一手テ・.フ(m・tif)・}恒ぽス・野牛,驕け妬麟撚・醐ま剛線綱酬上に彩色を城た彩刻醗ラ
樺である。 一 … 、∵, 1.1∴?.1tJ ・ ・ ご∵・ : ㌻二}
時代と創造其の1
55一方・ 旧石器時代の丸彫り彫刻やレリーフ(relief)では人間=女性像が主要なモティフと
奪㌫㌶㌶㌶㌶蕊rらが早く誕生したか眺かで岬㌧噺に
この時代のいわゆるヴィナス(venus)と云えば,
W皿endorf)」(図2> と云う程有名なこの像は,
ヴィンの西北70Lonに位置するヴィレン下ルフに於て そこの洞窟から発見された。これは一見して明らか なよラに,至っ,て小さく我々の手の平に入ってしま
うような,女性の小裸像である。
こめ像ぽ,現在,尚,部分的に残る痕跡から想定 すると,当初は全身赤く彩色されr亡いたと思われ,
その特色は,顔面や両腕の表出が省略又は簡略化さ れているのに対し,女性的な部分が著じるしく誇張 して表現されている事である。作者は,このために は全体のバランス(balance)が崩れたり,それ以 外の細部を黙殺することを少しも意に介さなかっ た。 t ・ ・ −t ・
即ち,多分; その豊満な肉体とすこぶる誇張され た性的特徴の普遍的な表現は, 恐らく子孫あるいは 猟獣の繁殖を祈願する呪術に関したものである事は,
ほとんど疑いないc
「ヴィレンドルフのヴ身ナス(Venus of
i「
綱鹸∴絃1
・2.ヴィレン1,t7vフのヴィナス 1
.BC15,000rlO.000年頃石高さ11.1cm ウィン自然科学博物館
一・:アのように人間は古くから自分の肉体の一部を分離可能な形で表わした訳で,そこには何が 重要なのがと云う直観的な選択が働いでいる。だから原始時代の彫刻は洞窟画が記憶にたよ占 て人間の環境の一部文は生活体験の二部を形象化したのど向じように1人間存在のあり方を象 徴化じたものだと云える。従って形づくる行為(創造)は既にi5,000年もの昔から人間の内面 を外部化する過程を示している訳である。その後,これに「美」と云う観念が伴って芸術の流 れは複雑多岐な変遷をたどる事になる。
2.、永遠 , 、、 4−_ 一 tl. . . . 一 、
機械文明の極度の発達に伴って,自己を,人間性を喪失しつつある現代人が,不安の中から 生命の根源をみつめようとする時,古代エジプトの美術は,よりデ層,我々の身近かに感じら れる。・それは自然ぺの帰俵と云う. 人間と1蒔代を超越した性めためなのか6エジプト美術にと らて,自然=風土的条件,この事情がもし違ったものであったら,当然,違った芸術が生まれ こcし1ただろう。空から見るこの国は,:砂文砿その上を黒くうねり続ける線一ナイル河だけで ある,古代エジプトに於て,ナイル河の氾濫により毎年新らたにされる沃土のお陰で,彼らの 生活ぽ支えられた。 t+ φい ・ ・一一t 一…
ゴ即ち,農耕生活の間始である。自然を相手の経済生活,これは必然的に天文学;幾何学,科 学, 技術の発展を促しだ。「ロゼッタの石(5)」 の解読により・古代土ジプトの歴史は解明され だ。rしがし Fナ>1/・ メ・ル王の化粧板《G)」(Palet也of Iζing Nar㎡er)カ〈突鷲・エジプト美術 作品として,我々に提示される時,未だ,その全てが解明された訳ではなV連を知る。 3,℃0δ 年以上に渡る,ゆるぎない王国の存続は,膨大な量の美術作品を我々に残し,まさに,その数
56 畏 岡 宏
ギゼ「▲
サッカラ
カルナク ルクソール
デ ルタ
● アブシンベル
ス エ
ズ
とスケールの大きさは我々の常識を越えた驚きである。
古代エジプトの美術に形を与え,進路方向を指示し,発達を 促進したものは自然の外には.宗教と王権とである。これらは 相互に極めて緊密に結びついて,その性格を決定する。
我々がエジプト美術を見て行く時,そこには動物の頭をした 人閲や,鳥に守られた王や,又は動物そのものの多くの彫像,
絵画を見い出す。その独自の寄異な素材や形態は,ある時には 我々に異質な縁遠さを感じさせるかも知れない。しかし,よく 眺めて行くと,そこにはエジプト人のひたむきな願いや,熱心 な信仰がかくされている事を発見する。鷹の形で表わされるホ ルス神や,オシリス(Osi4s・死界の神)の前で審判を受ける.
死者の魂の絵は,エジプト人の宗教的な意味や態度が理解され なくては,より深く味わう事は出来ないものである。極端に云 えぱ,エジプト美術はその歴史を通じて宗教美術として発展し
た。
エジプト人の宗教生活の基本をなし,大きな特徴となってい るのは,彼らの「死後についての観念」である。恐らく古代エ ジプト人程,「永遠」と云う言葉を好んだ民族はないであろ う。 「大陽の如く永遠に」 「永遠永却に」 「永遠の生命,健 康,富」といった言葉は繰り返し墓内に刻まれた。死んでから 人閲はどうなるか。死についての信仰は彼らの生活の中心でも あった。古代エジプト人にとって,人間が死滅してしまう事は あり得なかった。いわゆる「霊魂の不滅」を信じていた。
人間はカー(霊)又はパー(精霊)とセト(肉体)からでき
・ていて,息を引きとるのはセトの変化であって,カーは永遠に 生き続ける。
従って,人が死んだ場合,カー・が困らないように住み続けら れる,身体を保存する必然があり→(ミイラ),又,死後の世 界での生活のため色々な物を準備しなければならない。遺体と 共に,生前通りの身の廻り品を副葬し,墓室の壁には供物を描 き,宴会の情景を写し,多くの従者を描いたりした。ミイラを丁寧に肖像の描かれた棺に納、
め,これを二重,三重と重ね,その上,尚,肖像を彫り供えたeしかし我々がこの墳墓に表わ れているようなエジプト人の死の観念について考える場合,注意しなければならないのは,そ の対象は単に王と王をめぐる貴族階級の人々をいっているに過ぎず,一般大衆の場合は推測す る外ないのである。
制作者たる人々は,芸術が他の目的のための手段であることが極端な迄,強調された時代 故,画家も彫刻家も個人としては,決して表面に出ることのない匿名の職人であり,この状況 は最後迄続くのである。かくて,3,000年に及ぶエジプト文明の歴史は最たる激動もなく,か なり連続した発展を示す訳であるが,古代人は,これを31の王朝に分け,歴史家はこの王朝を 7っの時代にまとめている雷
時代と創造其の1
57エジプ模術で恥撒的なの腱築にある。それらの持つ,石造による巨大さである。
そしてその特色は,特に現代の傾向に対応する。即ち,単純性の感覚である。一辺250mの 喜角形を稜で合わせて併置する勇気を持った時代が外にあるだろうか。巨大な創造物と結びっ
いた大胆さ,及び詩情。物理的構造そのものがひとつの完成された美学を表現する。空,岩,
砂だけの縁どる滑かな石材の織物が示す雄弁さ,冗漫な装飾の欠如。古代エジプト建築は大き な面と単純な形,基礎幾何学の基本要素の対比によって表現される。
「階段ピラミッド(ジェセル王のピ 『 t tJ 一 一 一… ← 』…
ラミッド)」Step Pyramid of King Djeser(図3)と呼ばれる,エジプト 最古の石造建築は6段の巨大なプラッ トフォーム状一マスタパ(8)(mastada)
一の石積みで第一段目の高さll.4m,
全体としては約61mの細石造りのもの である。永久的な建築に石材が使われ 始め蹴は第3王朝以後であり,石材 使用は王家の特権となった。元来マス タバの変形と考えられるこのピラミッ
ド(pyramid)は多くの石造建築物の 犬集合体で,王の死後の色々の祭式が 行なえるように設計された。ピラミッ
羅諜轟議蕪難藻墾壕
3.階段ピラミット サッカt−・一ラ
第3王朝(BC2750年頃)
ドの北側に接して葬祭殿南側に祭壇のあるセド祭(王の治世を祝う30年祭)に用いられた大 広場,西に上エジプトの,東に下エジプトの擬礼拝堂のあるセド祭の広場,小寺院,墓所等が ある。全長160mを越す,その周囲には高さ約10mの周壁がめぐらされ,この周壁は,その内 側にあるすべての建物と同様に芯の部分は煉瓦のような形に切った,荒い割石で造られ,表面 は白い美しい右灰岩の切り石で仕上げられている。これはジェセル王の宰相イムホテプ(lm hotep)によって考案,設計され,完成きれたのであるが,インホテプは既に日乾煉瓦づくり の建造物に顕著な技術を示していた。従って,階段ピラミットの石材の大きさは煉瓦の規模で 切断された。
このピラミットは最初の形から暫時拡大の形で,現在の大きさになる訳だが,イムホラプの 情熱は,常に革新的であり,経験を発展させることの才能をたきつけた。こうして今に見られ るピラミット複合体を造り上げたのである。日乾煉瓦で造られる建築技術を石造りに採用する 時,その発展した形や意匠は,その本来の機能を失いつつも,かえって新らしい「表現」とな って役立つよう工夫されている。先の周壁の表面には深い縦の溝がえぐられて,単純なうちに も高貴で力強い表現を持っているし,又,壁の上部には浅い矩形の穴が刻まれて,白い切り石 壁に効果的な陰影を生みだしている。インホテプは歴史に名前の記録されている最初の美術家 であるが,彼の創造した形体は,それだけで充分エジプト建築の古典にもなり得たのであっ た。一方,この時代,このような複合的墳墓形式,雄大な石造建築を押し進めた背景には「永 遠の住居」の信仰と.同時に,確実に充実して来た王国の権力と富が横たわっていたことを見逃 がすわけに行かない。「その目的とするところは,ただ大きな目標として役立つこと(9)」だっ たごとも つの事情ではあろうが。 、
「ギゼーの第一ピラミジド(ク7王のピラミット)」Pyramid of King Khufu.(図4・5)
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58 長s 岡 宏
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4.クフ王のピラミット ギゼー 第4王朝(BC2650年頃)
善
は,・約230m四方,高さ1377π(現在そ の頂部9.3mは紛朱)に及ぶ最大のピ ラミ・y.トである。これは単に大きV>ば かりでなく,工事の正確さ,複雑な内 部の構成ゾ形の美しさ等の点に於ても 抜群である。元g:kその表面にナィノレQ 対岸から切り出された白色の石灰岩が 績まれ,それらの石は完全に密着して 斜面全体がでつの平面を成すようにみ がき揚げられていた。元来ピラミ.ッ トは王の遺体を葬るき所の一麺の構築.
であるが,エジプト人の死者崇拝の思 想の発展から見るとi死者の来世に於 る永遠の生に対する祈りのための,礼 拝が現世の人々の最も重要な,なすぺきことであるから,死者のために葬祭殿が必然に墓所と 共に重要な意味をもってくるのであって,人Rは日夜,定まった方式によって,そこで礼拝を 欠いてはならないことになっている。tうした施設は,ピラミットにとって必須のもので階段 ピラミット同様,ここでも形式の差二そあれ設置されるのである。そうしてナイル河岸近くの 前拝殿の入口には自然石を刻んだ巨大なスフ・ンクス(Sphinx)(図5)像力s立つのであるPピ
ラミ・トに㍗・てH・v 一一ドは「古代 エジプト芸術の永遠の象徴である。し かし,美的価値にっいて疑問があると 私は思5,。ピラミッ1:は単なる幾何学 的形態に過ぎない。その印象的な大き
さと,砂漠の平面との対照と輝やかし
じ・大陽の下につぐり出す明確なア久セ {{嬬鋤
ン確よっ百すばちし滞をしてV @璽
簾鷺㌶㌶㌶:慧 識戴蕊瞬鱗鞠謙鱒、
鮒こ芸術的なもの雛云蜘 1)J・一 ≡、工鑑纏二簸籔
と述べている。我々の持つ近代迄の芸 5.:大ネラ元ジカら後方ク フ王のビラ ミッ1ジ:
術観を元に,それと接する場合には・ ギゼニ1:第4王朝てB℃26do年頃) 高き19.1 8a7t その余りにも合理的なる故,質的なも
のが云々されるにしても,:その後の現代美術の発展進路をたどる:とき・我タは・現代美術ρエ
・コー,レ(ec。le)「プライマリー・ス.トラクチ・ 一『(pr∫mary St・uctu・e)(il)」.「環境芸術
(Environment(12)」 そして人間の存在の根源を探る1「ア三ス・・アr−一ト(耳arth art)」・と・・1三
れらはピラミットのもつイメージとある面で・共通なる芸術的基盤を認めない訳には行かな
いo −・L. 一 .: ・L▲・ 一
テベ地方らアメン神はテト喉が鰍を統一すると共に国家神の地雌上った・新王国
到来と共に,おびただしい量の富がエジプトに集中し始め,王(ファラオ.Pharaoh)たちは この富を使い,帝国の守護神アメンのために神殿を増・改築するbiこうして中門と中庭が幾つ時代と創造其の1
59も続き,様々な時代(第18王朝から第 25王朝迄のもの)の建築活動が複雑に 統「もなく組み合わさっている雄大な
.「アメン神殿」Temple of Amon
(図6)が生まれたのである。厚い壁 で外部から遮断された宏大な神殿の内 部はパピルス,睡蓮等に起因する柱頭 をいただく,大円柱の並列又は群立に よつて超人間的な荘厳さを現出させ た。中でも「多柱広間」 (且ypostyle Ha11)は,高さ23m,柱頭の円周15m の巨大な中央列の円柱をはじめとして 134本の大円柱が立ち並び,影を含む レリe−一一フと濃い彩色とでおおわれた。
議撫蕊麟贈
6.アメン神殿 カルナック 第18王朝〜第25王朝
この円柱の林は強裂そのものの印象を与えるものである。
轟 輔
噸
7.アブ・シンベル大神殿 一アブ・シンペノレ 第|9王朝F(BC1200年頃),t
アスワンの上流,約280㎞の」也点,
ナイル河西岸には,ラムセス2世によ ってつくられた「アブ・シンベルの大 神殿」Great Temple at Abu§imbe1
(図7)がある。河岸の砂岩層の斜面を 切り開いて造り出された,この大岩窟 神殿(但し現在はダムによる水没のた めすぐ近.〈の丘¢)上に,移転された)
は,入り口から内陳の奥迄約55mに及 び,ピュロ叱.(pylpn)(IDの形を模し た正面は幅p{387n,高さ約23?nあり,
約2q7πに達するラムセ斉2世の座像が 四体並ぶ。神殿内部は大広間があり・1、
ζオ領よ四嘩斑埠?2列ltこ雌 紬こは絢0ηLの主の遮癬‖られている・その外大小の纒力1作跡そ鯛部嘩面や
天井の至る処にラムセス2世の栄光をたたえる様々¢〜レリーフカs施:してあ;ピ華麗そのものの 美事さである。要するに巨大さ,石造,・直線(面)性と云う特色を合わせ持?エジプ:卜建築 は,ひたすら大きな巨塊を求め,・永久に変わることのない石材でパ最も単純な爽雑物のない閲 快な形式を創造していったところに,確実な存在としての芸術的意図が伺がわれる。
エジ7e. b彫刻の場合,やはり石によるものが圧倒的に多し・。エジプト彫刻はs・その3.000年 樋じて,ほeんど大きな変化はなく,伝統的なer*が守り勧られた・エジフこ臓刻は早く から,来世信仰と結びついて,カア像の制作を通じて発達を見た。7tれetは何よりも故人の魂 カーが迷わずに宿ることが肝要で,このため肖像彫刻が故人の面かげを如実に写していること が要求された。又注文主である王や高官は素人限にも肖像が実物をほうふっさせなければ納得 しなかったに違いない。エジプト彫刻に於るリアリズムは+rこのよ:5な宗教!的な事情と無縁で
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はなかったと考えられる。しかし又,これらの肖像彫刻がカー像であると嶋ψ,まさにその事 のために,そのリアリズムには限界があった。
モデルは瞬時の姿よりも永遠の相でとらえねばならぬと云う制約である。彫刻家による様々 の試みの後に永遠の生にふさわしい型力sすべての主要な彫刻に与えられることCこなつ奮・齪 を少し踏みだした直立不動の姿勢や正座像等。フロンタリティ(frontality)一正面性一にも とついた,一見,直方体を思わせるような型が永遠の世界にふさわしい様式として定められ た。顔面の細部の凹凸,表情の動きなども,出来る限り省略された。眼は通常より,やふ占方 に向けられ,永遠の世界へのあこがれが表わされている。こりような型,あるいは様式が生ま れた陰には,ピラミットその他の建造物との関係,そ桓の安置された場所の条件,さらには材 料,道具等の物質的な事情もあったには相違ないが,一度,それが「神秘なる王」によって最 Y良のものとして是認されると際限なく踏襲されることになる。ちなみにカイロ博物館に見られ る無数の彫1象の顔面の大半は何と・たった一形式窒容貌なのだ。このようにして・エジプト彫 刻では写実主義よりも,むしろ観念による理想主義的な作風が主流をなす事になる。
写実主義の精神と技術はもっぱら,この理想主義の枠内で鍛練される事になる。
カイロ博物館の至宝であり,世界に残る古代エジプト彫刻中での傑作である「ラボテプとノ フレト」Seated Statues of Prince Rahotep and his Wife Nofret(図8)について見よ う。古王国時代のエジプト彫刻は,ひ
と口に云えば,写実的表現を理想とし ていた。これは前述の理由によるが,
こうした事情から,先∂彫像には肖似 と生命感とが求められた。ラホテプと ノフレトの像も,このような理想のも とに造られた。この2人像は生々しい 彩色のおかげでまるで実物そのものの 姿を呈している。その上,個性的な頭 部の彫り,石英や水晶などで象眼を施 された精巧な眼などが両像にこよなき 生気を与えている。ラホテプは,顔面 の彫りと絵の具によるその彩色とは細 かに合致させられ,胸,腹部の表現,
8.王子ラホテプとその妃 ノフレト
第4王朝(BC2650年頃)高さ120cm カイロ博物館 四肢と筋肉の表わし方は正確でリアルである6ノフレトは胸や腕のふくらみが,薄物の衣の上 によく表わされており,・大きな,しかし矩いかつちをつけ,これをしめている白い紐には赤,
緑,黒の絵の具を用いて花が描かれ,これらは,その表情をも含めて女性のリアリティーを一:一一・
層盛り上げている。
一方,時は下るが,ファラオ像の典型,アブ・シンペル神殿の「ラムセス2世像」King Ramses l(図7、を見る場合,端然と正面を向き,脚をそろえ,手を膝に置いた王者の姿 は,スフィンクス(図5)以来のエジプト正面性の姿を守り抜き,正に観念にたより切った理 想主義の姿が如実に見い出される。
さてもう一つの著しい特徴は,彼らの生んだ絵画の描写方法にある。古代エジプトの絵画は 神殿や,王・王族や高官の墳墓を飾った。巨大で単調な外見をもつ建築や,複雑な構造をした
時.代と創造其の1
61地添墓室の内部に限りない豊麗な世界を作り出したのは,レリーフと壁画であり,それらの部 屋や廊下の天井・壁を画面で,おおうことによってエジプトの画家は,その芸術心を満足さ せ・同時に宗教的責務をはたしたのである。そして,この場合のレリーフは平板な彫りであ り,必ず彩色され,彫塑的よりも,より絵画的性格を強く示している。これらは明折で,独得 な強さと高度を持つ様式を創造し展間させ,エジプト絵画の存在を強く我々に認識させるので あるが・その数の膨大さは,逆に外面的な観念による概念画におち入らざるを得なかった歴史 をも示している。
ここでは壁画の質的全盛期,第18王 朝のものを例にとる。先づ英国博物館 に飾られている「庭園」(図9)。新 王国初期の墳墓の壁画には池を中心と した,庭の図が幾つか発見されている が,この場合も,池に泳ぐ動物や魚こ とにその池の周囲にある立木をいかに 表わすかは,エジプト画家の特質を最 も端的に示すものである。と云うのは 対象をそれの最も広い面で表現するの が彼らの根本原理(後述)であったか らである。池の周囲にある水草はi長
9.庭園tテーベ出土
鏑8王朝期博擁 辺部のものは同一方向に・上方に向っ
ているが,短辺部のものは左右に横倒しに描かれている。その外側の樹木にしても。我々の常識観には何と奇異な庭園か。
又,・「プドgの収獲の図」(図10)はナクトの墳墓壁画(Wa11 Paintti g in the Tomb of
の墳墓は二室からなり,比較的小規模 のものであるが,美しい壁画がよく保 存され,当時の絵画の代表的作例を提 供している。墓室の壁面は横に幾段か に仕切られ饗宴,収獲,t耕作等,様々 なモチーフが描かれてt:農民の生活を
素朴であるが,,生き生きと表現してい 臨§
る。これら横長の画面は,右から左へ
と続いていく一種の物語絵の形式をと一t
@ぷ
っている・ 10.ブドウ収獲の図(ナ外墳墓壁画)
そして 「鷹神ホルスと楽人」(図lD テ_べ 第18王朝 これは葬式用の櫃の外側に描かれたも
ので走りがき手法故,線が非常に素直に画家の熟練の手腕を示している。椅子に座る鷹神ホノレ スは,頭上に太陽をいただき,それには王家の象徴であるコブラ蛇がついている。その前でハ ニプを奏でる楽人は神官であろう。頭を丸めている。絵の最上部には天があリデその両端を二 本の笏(王権を示す)が地との間を支え,天のすぐ下にある大きな限は,×陽神ラ・・の眼で永
62 長 岡 宏
遠を意味している。
例に見る如く,古代エジプト絵画は,その特異性 のため我々に異和感を生ぜしめかねないが,しか し,この特異性はエジプト画家の幼稚さや,未熟さ によるものではなく(この型体の宰まれる以前の作 例はないが,しかし,象形文字に由来することは明 らかである)鋭い芸術的才能と,この表現の独自な 様式化と強力な慣性によるものであり・そのため時 代を越えた「美」を示すのである。そして我々はエ ジプト的表現を,より深く理解する手だてとして,・
その様式化の原理をとらえる必要に迫られる。先づ 第1に,フロンタリテ(14)(正面性)で,これは,人 間の動作の表現が非常に単純に統一され,45度の方 角,つまり斜めから見えるものも全部,正面か真横 に表現してしまう。このため,描かれたものは,図 11.鷹神ホルスと楽人 .式的な感じが濃厚になる。第2は・シミュルタニッ 第18王朝 ノY一プル博物箇 ク(同存性)で・時間や空間CC?違いから・同存し得 ないものを・一・?の画面に同時に表わす行き方である。エジプト絵画は実に自由自在に,この表 現を様式化して行くt.醐の雛を図式的に一つの画面の中で上から下え・又eま水諏同伴さ
:㌫竃鑓嘉二芸㌫鑓凝:遼㌘豊㌶鑓;蕊鴛を覆
なかった。.しかも, 画中での強弱関係は,・そのものの大小でそれを表わす。
以上総じてエジプ、鹸画の雌は.彼ら 己の感覚によらずい自己の観念力ζ葭実ζする 形姿に於て,即ち観念表象としてしか対称を表現しなかったのである。以下次号
(写真は筆者撮影)
注(1)Wassily Kandinsky(1866−−1944)ロシア・画家
..(2)P・ul・Klee(1879−1940)スイス・.画家
謬繊墓熱鑑鑑㍑5;巨合理的な蹴や超翻蹴追求し・芸術鋤緬を
、5)企
f瓢響㍑内容が3雷体でかかれていて,これ撚工/ プト文綱の糸・声
(6㌔』籠劉㌶、これはエジ升統繊の起原をシリーフ紐し (Nその麺・緬に示じ
(7)て撃奄Q議1驚 )(第1王朝〜第2王朝),古王国2778−2263(3〜6),,中王国2160−1580(11〜14), 第2中間1730−−158p.(15 一 17)
新王国1580 一一1085(1 8〜20),末}胡1085−341(21〜31) r , ,
・(8)ぜラミ。ト以前のエジ升の王・醐の墳墓・石造又は煉瓦盗 (9)H・W・Jansop rHISTORY. gF ART」P・381964
(IO)H・リード「芸術の意味」P71・72 1958 .. 、、
閲
i.1・一・ ェ全く対称になる.INIや1睦多鋤力・しても左翻衡は汐ミしてく抗ない」