資本の再生産過程, 競争および資本蓄積率
著者 谷村 智輝
雑誌名 經濟學論叢
巻 64
号 3
ページ 857‑880
発行年 2013‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013756
【論 説】
資本の再生産過程,競争および資本蓄積率
谷 村 智 輝
1 は じ め に
2008年,欧州の金融危機を契機として生起した世界同時不況とその後の先 進資本主義経済の閉塞的状況は,資本主義経済が市場均衡化のための自動調 節機構ではないことをわれわれに再認識させる大きな契機となった.また,
1990年代以降,先進諸国では失業率の上昇傾向や,非正規雇用の増大傾向,
非正規雇用と正規雇用とのコンフリクトの増大がみられたが,これらは,資 本主義経済下で経済主体の再生産が停滞的であることをあらわしてもいる.
資本−賃労働という階級間のコンフリクトという問題とは異なって,雇用労 働者の再生産が資本の再生産に規定されることこそが現代資本主義にとって 大きな問題であることを示唆しているように思われる.
ところで,景気の浮沈や恐慌(Crisis)が資本主義に内在的であること,雇 用労働者を含めて経済主体がこうした変化のなかで再生産される,そればか りか資本の再生産過程と雇用労働者の再生産過程自体が経済の変化を生み出 すこと,したがって資本主義はダイナミクスであるということ,これらは,
主流新古典派経済学と比較してのMarx派の著しい特徴であり,資本主義の 分析にあたってすぐれた点であるとわれわれは考える1).
いうまでもなく,恐慌 ・ 産業循環が資本主義経済に内在的であるというこ
1) 近年の資本主義の沈滞を契機として,異端の経済学(Heterodox Economics)の研究が進展し ている.これらの一連のモデル化でも,Marxの資本蓄積論と恐慌論とが,諸学派の基礎に置か れていることも注目できる.この点について,Goldstein & Hillard ed. (2009)を参照.
とのカギは,資本蓄積と補填による資本の再生産過程にある.また,恐慌は,
「資本主義的生産の現実の運動,競争と信用によってはじめて解明しうる」と いわれるように,競争が恐慌分析の重要な契機であることは,恐慌・産業循 環論研究の常識である.再生産における競争―利潤率や資本蓄積率をめぐっ ての競争―が,資本の成長と価値増殖の現実的な動因となるわけである.
また,信用が資本の再生産過程を駆り立てる一方,資本蓄積率や利潤率自体 を制約もする.金融は資本蓄積を促進するが,利子率は金融商品の価格であ り金融の費用であるから,利潤率を制約するためである.こうした一般的関 係を指摘することは容易であるが,その一方で,経済の変化をもたらす資本 の競争・再生産の具体的な内容や具体的諸契機についてコンセンサスがある わけではないし,研究が進展しているともいえない.研究史をたどると,均 衡蓄積軌道の恐慌 ・ 産業循環論への適用をめぐる一連の論争のなかで,こう した研究が進むと同時に,再生産表式(論)の構造的特質が検討された.これ には,1970年代の先進諸国経済のスタグフレーションという背景があった.
しかし,その後,競争と再生産の理論研究がすすんでいるとは言いがたい.
その理由は様々あるだろうが,とくに,『資本論』の「競争」は,「原則がた だ無原則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫徹される生産様式」と して,市場均衡化をもたらす競争に主眼があることに起因していると考えら れる.いわゆる「資本一般」説において,商品の配分が問題となるため,競 争も均衡を生み出す力に主眼がある.『経済学批判要綱』でも,「競争とは多 数の資本相互の交互作用として現われ実現される資本の内的本性・資本の本 質的な規定」とされ,資本の本質規定の実現からとらえられている.とはい え,この説明は競争がいったい何をめぐる競争であり,どのような契機から どう展開されるのか明らかではない.しかし,その一方で,Marx派の恐慌 ・ 産業循環理解には,上述したように,再生産における利潤率や資本蓄積率の 動態という重要な問題意識がある.これは,主流新古典派経済学の対抗理論
としてHeterodox Economicsの範疇にある他の理論,たとえば「金融不安定
性論」などとは大いに異なる点であり十分評価されてよい(Mosely, 2008). 本稿の主たるテーマは,資本の再生産過程において資本蓄積率のもつ意味 を明確にするとともに部門間での資本蓄積率の動態を検討する.とくに資本 蓄積率の同調性に着目する.これによって産業循環の変動がもたらされると 考えられるが,この点は従来の研究で問題にされてきたとは言い難い.
まず,再生産表式との関わりのなかで,再生産と競争の関係を検討する.
そのさい,山内(2011,2012)を手がかりにしたい.山内(2011,2012)は,「均 等蓄積率」を設定している.山内説に拠れば,蓄積率の均等化は競争による.
また,再生産表式論の動的進行の帰結として,資本主義の停滞傾向を導出し ている.そのうえで,恐慌分析における再生産表式論の有効性を論難すると ともに,恐慌論議の再検討の必要性を主張している.恐慌論における再生産 表式論の意義と体系への位置づけは古くからの争点であり,またかねて筆者 の考えを述べてきたところでもある2).結論として,恐慌論における再生産表 式の有効性について,筆者は山内説に賛同する.しかし,その理由は,再生 産表式論の構造的特質に起因する.資本蓄積率は,再生産表式の展開に影響 を与えるとはいえ,それは外在的なものであり,競争の契機ではない.山内 説の問題点は,再生産表式論の構造の理解に関わると同時に,資本主義にお ける競争の作用の理解にあるとわれわれは考える.
ところで資本蓄積率が競争の契機となることを明らかにするためには,何 らかの投資行動なり投資関数なりを設定する必要があるが,それだけではな く,競争主体を設定し,因果関係を明確にしながら,再生産論を組み立てね ばならない.そこで,再生産表式論に替わるものとして,「資本の再生産過程」
モデルを利用する.大野(2003,2010)の「資本の再生産過程」モデルでは,
Marx派の理論体系―あるいは経済学一般というべき―が「商品による商 品の生産」ととらえられ,その代替的モデルとして展開されている.
2) 谷村(1996),(2002)を参照.
2 再生産表式と資本蓄積率
本章では,山内(2011,2012)3)を検討することによって,再生産表式の構 造について具体的に検討する.山内(2012)は,再生産表式論の前提となって きた資本財生産部門(部門Ⅰ)の資本蓄積率決定の先行性・主導性を批判した うえで,両部門に均等な資本蓄積率=「均等蓄積率」を提示している.そし て,均等蓄積率を充たす再生産の進行を検討して,つぎの諸点を主張してい る.①資本蓄積の進行は唯一値の均等蓄積率で遂行される,②均等蓄積率で の蓄積は需給一致を保って拡大再生産が順調に行われる,③表式からは長期 的蓄積率の逓減傾向を導出することができる,④表式では「生産と消費の矛盾」
といった不均衡は導出できない,それゆえに恐慌論議の再検討が必要である.
われわれが,山内(2012)を取り上げる理由は,つぎの点にある.第一に,
均等蓄積率が競争の結果として捉えられていること,第二に,資本蓄積率が 体系に内生的に決まるといいながら恐慌の論理に資本蓄積率が果たす役割を 否定していること,換言すれば,恐慌・産業循環論における資本蓄積率の動4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4
態分析の意義4 4 4 4 4 4
について批判的であること,第三に,山内(2012)は資本主義の 停滞傾向を導出しているが,現代の先進資本主義の停滞傾向がしばしば指摘 されることとの関連からである.カギは,均等蓄積率の理解とりわけその成 立の論証過程にある.なお,先に述べたように,均等蓄積率は社会の二大部 門で蓄積率が等しいということである4).
ここで簡単に山内説の骨子を振り返っておきたい.山内(2012)の特徴は,
再生産表式論の枠組みを前提に,いわゆる部門間均衡条件を出発点に均等蓄 積率を導出し,均等蓄積率が充たされる場合の再生産表式の年々の展開を追 求していることにある.再生産表式論の諸前提の要点を挙げると,①封鎖体 系,②資本家と労働者の二階級モデル,③価値どおりの交換,需給一致,④
3) 以下では,主に山内(2012)を取り上げる.
4) これと似た概念として,「均衡蓄積率」があるが,こちらは社会の余剰生産手段を過不足なく
吸収する需給均衡を意味するものである(富塚1975を参照).
商業や信用,資本の回転と固定資本問題の捨象,⑤十分な媒介的貨幣準備の 存在,⑥資本の部門間移動の禁止,である.
山内(2012)は,再生産表式論の代表的な見解をフォローし,とくに髙須賀
(1968)の検討を契機として均等蓄積率の存在に着眼する.再生産表式は,部 門Ⅰの蓄積率に従属的に部門Ⅱの蓄積率が決定されているが,これはドクマ であるという.確かに,Marxの場合,部門Ⅰの蓄積率が先決され,部門Ⅱが 残る生産手段を過不足なく利用するように部門Ⅱの蓄積率が決まるが,こう した処理をする理由をMarxは述べていない.この点については,先行研究 が批判してきたところであり,山内説の指摘に異論はない5).従来,両部門の 蓄積率の決定関係が特異であり,その強い収斂性が問題にされた6).重要なこ とは,蓄積率が決まって余剰生産手段の生産量と消費量が決まるのであって 逆ではないということにある.しかし,山内説では,余剰生産手段の配分によっ て,資本蓄積率が均等化するというのである.
再生産表式の枠組みでは,2階級,2部門(資本財生産部門(部門Ⅰ),消費財 生産部門(部門Ⅱ)),3価値構成(商品価値総量(X)=不変資本(C)+可変資本(V)
+剰余価値(M),また,剰余価値は追加不変資本,追加可変資本,資本家消費から成る.
Mi=Mci+Mvi+Mki,i=Ⅰ,Ⅱ),単位期間において,生産力一定(剰余価値率(M/V), 資本構成(C/V)が一定)の場合,部門間均衡条件は,
VⅠ+MvⅠ+MkⅠ=CⅡ+McⅡ
である.これを前提とすると,余剰生産手段(R)は,
R=(VⅠ+MⅠ)−CⅡ
である.資本の蓄積率あるいはまた成長率は,この余剰生産手段量に依存す ることになる.
追加不変資本(Mci)に注目し,蓄積率(f),資本構成(k)とすると,
Mci=M・i f・i ki /(ki+1)
5) 八尾(1998)の研究を参照.
6) この点は,Morishima (1973)参照.また,松尾(1996),宮澤(2004)をあわせて参照.
である.したがって,
R=MⅠ・fⅠ・kⅠ(k/ Ⅰ+1)+MⅡ・fⅡ・kⅡ /(kⅡ+1)
である.ここで,資本蓄積率が両部門で等しい場合の蓄積率(fⅠ=fⅡ=f)が,「均 等蓄積率」である.
山内説は,均等蓄積率の意味を,つぎのように整理している.
① 均等蓄積率は,拡大再生産の部門間均衡条件(需給均衡)の条件を満たして いる.
② 余剰生産手段が存在する限り,存在する唯一値であり,余剰生産手段を使 い切る最高の数値である.
③ 均等蓄積率は,余剰生産手段量,両部門の剰余価値量,両部門の資本構成 によって規定される.したがって,成長率や部門構成とは関係がない.
④ 均等蓄積率は表式の経済規模により内的に導出された数値であり,その後 の経済を主導していく唯一の数値である.
⑤均等蓄積率ではない同等蓄積率を導入する場合,何らかの無理を生じる.
以上の議論は,再生産表式論の枠組みにおいて展開された.われわれもまず,
一連の命題の当否を,再生産表式論の枠組みに着目して検討しよう.
まず,均等蓄積率が両部門の需給均衡を充たしていることは自明である.
つぎに,均等蓄積率は,部門間均衡条件と余剰生産手段の需給均衡を充たす 種々の可能性の内の1つである.各部門の成長率(α)は,各部門の利潤率(r)
×資本蓄積率(f)7)と一般に書けることから,
R=CⅠ・αⅠ+CⅡ・αⅡ R=CⅠ・rⅠ・fⅠ+CⅡ・rⅡ・fⅡ
ここで,生産力水準が一定であれば,成長率は資本蓄積率に比例する.とい うのも,資本構成と剰余価値率が一定であるとき,利潤率はパラメータに過 ぎないからである.したがって,両部門の資本蓄積率の関係は相反関係にある.
換言すれば,右辺が左辺を規定しているのではない.すなわち,両者は因果
7) 山内(2012)もこの関係を明記している.
関係にあるのでは決してない.余剰生産手段の絶対的な総量と配分のあり方 によって蓄積率が規定されているのである.というのも,余剰手段の絶対量は,
各年度で生産が終わった時点で所与であり,その過不足ない配分を再生産の 条件とするから,結局,資本蓄積率(また成長率)の大きさを決めるのは,部 門間での余剰生産手段の配分関係である.決定関係としては,〈余剰生産手段 の配分〉→〈資本蓄積率〉→〈成長率〉→〈新たな余剰生産手段量〉→〈余剰生 産手段の配分〉である.
また,資本蓄積率が両部門のあいだで相反的になることは,再生産表式論 では,両部門に代替的な資本財を充用することを意味している8).社会の二大 部門の間で,代替性のある資本財の全体を配分する.そこでカギを握るのが,
資本蓄積率なのである.したがって,配分条件を満たす場合,互いの資本蓄 積率は相関的(相互制約的)である.このような特殊な資本財の想定の妥当性は,
分析課題に拠ることから,それ自体ただちに否定されないにしても,例えば,
恐慌 ・ 産業循環の分析にとっては,問題となろう.この点については後述する.
山内(2012)の問題意識の1つは,再生産表式の部門Ⅰの資本蓄積率の先決 性に対する論難であった.これに対して,再生産表式論では,資本蓄積率が 配分関係に従属するのである.そして,形式的には,余剰生産手段を過不足 なく吸収する資本蓄積率の組み合わせは無数にある.これまでの研究が明ら かにしてきたように,再生産表式において,部門間均衡条件をみたしたうえで,
1つの自由度を残す9).それゆえ,外的な条件を加えることによって体系を閉 じざるを得ない.山内説は,均等蓄積率を導入して,変数を1つ減らしてい ることになる.均等蓄積率は体系を閉じる1つの方法であり,蓄積率の相互 規定関係から言って,蓄積率の均等は確かに唯一値である10).言い換えれば,
両部門の蓄積率が等しいケースを見いだすことができるが,これは均等発展 成長率を見いだすことと同じである.しかし,均等蓄積率が再生産表式から
8) この点については,海野(1994)を参照.
9) 髙須賀(1969),浅利(1978),松尾(1996)を参照のこと.
10) 「最高値である」ということについては,その論旨が必ずしも明確ではないと思われる.
内在的に導出されたわけでは決してない.
再生産表式の特徴であり問題点となるのは,余剰生産手段とその配分の規 定要因である.それは,従来の研究が明らかにしてきたように,社会的にみ れば部門構成と資本財部門の大きさに基づいている.そして,その配分を決 めるのは,両部門の資本蓄積率の相関関係である.ここでは,資本蓄積率そ れ自体の決定関係は,とくに重要な論点とならない.しかし現実には,資本 蓄積率が決まって資本財需要が決まり,資本の成長率が決まる.その背景に あるのは言うまでもなく利潤率なのであるが,再生産表式において利潤率は ほとんど問題にならない.これは,『資本論』の体系的な構成に起因するとい う意見もあろうが,利潤率自体が問題にならない以上,利潤率の動態に規定 される資本蓄積率の決定やその動態は決して問題にならないのである.この ような配分論は,前期の生産量が今期の生産量を決めるということにほかな らない.これは,大野(2007)が「結果を前提に措定する」として批判し,松 尾(1996)が再生産表式が「セイ法則」であるということを意味していると言っ てよい.われわれは,前期の生産から独立して資本蓄積率が決定される問題 に迫らねばならない.それは資本による資本蓄積率の決定という問題である.
その際,再生産表式においては,パラメータの役割しか果たしていなかった 利潤率が再生産過程の論理に導入される必要がある.
つぎに,山内説が,停滞を引き出せる再生産表式上の構造は何であるのか について問題にしたい.山内説では,均等利潤率の成立を前提に,資本構成 が高度化する場合の再生産の進行を検討している.そこで,資本構成が高度 化しない場合,毎年均等利潤率が持続する「均衡蓄積率」になる.つぎに,
資本構成が高度化する場合は,均等利潤率が逓減していく.資本主義的蓄積 の一般的法則として資本構成の高度化が常態であるから,均等利潤率は低下 し,やがて単純再生産に陥ると言うことが山内説の結論である.この点につ いて山内説の構造から言えば,均等利潤率が成立するときに,資本構成の高 い方の部門の成長率が小さくなるのは自明である.部門Ⅰの資本構成が大き
ければ,部門Ⅰの成長率(αⅠ)<部門Ⅱの成長率(αⅡ)である.そこで,余 剰生産手段量が低減することをもって,均等蓄積率の停滞傾向を導出する.
ここでも,均等利潤率の成立根拠が問題になる.
これまでのことから,結局,山内説で,資本蓄積率の均等化が,いかに論 証されているかということが問題になる.これについて,均等蓄積率を成立 させる諸力は,資本の「競争」であるという.具体的には,
「平等主義者資本のもとでは,生産力の向上はどの部門にも平等に行き渡り,すべ ての部門で社会的平均労働力の価値を支払う.法定労働日のもと,剰余価値率は どの部門でも等しくなる.資本はその無政府的な生産と競争により,その有機的 構成の違いにかかわらず均等利潤率を成立させる」.(山内,2012, 12―13ページ)
と述べられている.
みられるように,資本の平等性が根拠となっている.ここで,資本の平等 性は,余剰生産手段と労働力商品の分配に関する平等性である.そして,資 本構成の相違のもとでの利潤率の均等化である.しかし,余剰生産手段の獲 得をめぐる競争の具体的な展開は決して明らかではない.問題は,均等成長 率がもたらされるメカニズムがあるかどうか,均等蓄積率が成立するかどう かである.
この点に関して,利潤率を均等化させる競争については,一般的利潤率を 形成させる異部門間競争が想起される.これは,周知のように,利潤率の高 低にしたがって,資本が部門移動し,需給関係が変化し,価格メカニズムで 利潤率が均等化されるということである.一般的利潤率は,競争の行き着い た先に成立するものであると考えられる.また,再生産表式の前提から剰余 価値は自部門の資本に転化される面で問題が残る.しかし,いま直接の課題は,
資本蓄積率の均等化である.競争のどのような作用が余剰生産手段を社会的 に配分するのかそのメカニズムは決して明らかではない.
これまでわれわれは,再生産表式論の特質を振り返って確認し,①均等蓄 積率が,再生産表式の時間的進行における特殊な1ケースであること,②蓄
積率の均等は,再生産表式の特殊な蓄積率の扱いの延長線上にあること,つ まり,均等蓄積率は均衡成長をもたらすとしても,資本蓄積率はあくまでも 配分に従属するのであって,決して再生産表式それ自体において,資本蓄積 率が均等化するメカニズムを明らかにすることはできないということを論じ た.
再生産表式のもたらす商品の配分は,恐慌の結果としてあらわれるという べきである.それゆえに,再生産表式には内在的に資本蓄積率の均等をもた らすメカニズムはないと言わざるを得ない.資本蓄積率の決定問題は,配分 論とは異なる次元の問題になる.したがって,再生産過程において競争の契 機として資本蓄積率が位置づけられ,その作用が検討される必要がある.
3 資本の再生産過程と競争
平均化の法則の解明に替わって,資本蓄積率それ自体を問題にしなければ ならない.この点について,ただちに『資本論』における資本蓄積論が想起 されるが,資本蓄積率の決定は直接取り上げられてはいない.資本蓄積論で は,資本関係の再生産が主たる課題である.この問題は,再生産の規定因と くに資本の行動指標である利潤率の動態をめぐる議論を前提にしなければ展 開できない.また,価値通りの交換では無く,価格での交換論が必要になる.
そこで,競争の主体が措定されるとともに「主体の再生産」に関する基礎理 論が明らかにされ,つぎに競争の契機がそうした再生産の基礎理論に即して 措定されている必要がある.
ところで,「再生産」とは,一般的に,生産が繰り返されること,過去の生 産物によって有用物が繰り返し生産されることを意味するものと理解される.
そして,こうした生産の繰り返しを歴史的社会的関係からみれば,生産の様 式が再生産の様式と同じであって,資本主義的生産は資本主義的再生産であ るというわけである.資本主義的生産が支配的な社会では,商品の生産と再 生産となり,生産された商品が消費されることで社会が成り立ち,社会を構
成する諸個人もまた再生産される.こうして,経済主体の再生産を捉える場 合も,商品生産と流通によって捉えられる.
この点について馬淵(2012)は再生産を「生命の再生産」ととらえようと 試みるが,その場合でも再生産は,「財やサービスの生産をつうじて行われる 生命の産出の絶えざる営み」と規定され,「人間の生命が社会的に媒介される 有様を描く」ことに課題を見いだす.媒介するのは商品の生産 ・ 流通である.
したがって,「ものの生産と生命の生産とは相即している」と理解されている.
これは端的に,「生命の社会的−資本主義的生産」と呼ばれてもいる.最も重 要な点は,資本主義をどう捉えるかという点であるが,「資本主義は,ものの 生産がどのように遂行されるかに注目して説明される」とし,資本主義がも のの生産についての社会関係の独特な形態であるとしている.そして,過去 の労働の生産物である資本に生命を吹き込むのが雇用労働者であると言う.
馬淵説では,資本が生命と捉えられているという特徴があるにしても,資本 は物的資産である.ここには,「労働力を売るほかない労働者という存在が資 本主義の不可分の構成要素である」という再生産の主体の規程はあるかもし れないが,資本の再生産,主体としての資本は登場しない.それであれば,
そもそも労働者は誰に(何に)よって雇用されるのか,なぜ雇用されるのか,
雇用−被雇用の関係は明らかにされないといわねばならない.これに対して,
資本と雇用労働者とが経済主体として措定されるとき,両者が価値増殖と雇 用という相互の再生産でつながっていることを明らかにすることができる.
「自己の存在を持続させること」,「絶えざる更新による自己の維持」11)をする 主体としての資本(また雇用労働者も)が措定される必要があろう.馬淵(2012)
は,「人間の生命現象の理解は,自然的,生物学的地平においては完結しえず,
むしろ社会という地平を要請すること」を主張している一方で,資本の規定 が欠如している.また,ここで社会という地平が要請されるとするのは,商 品生産ではなくて,資本の再生産に不可欠なものとしての資本と雇用労働者
11) この点について,富森(2008)を参照.
の関係からである.なお,後述のように,社会の形成は,再生産の連関によっ てなされる.付言するならば,現代資本主義をグローバル資本主義としてと らえる場合,グローバルな再生産は,たんなるグローバルな有用物の生産と 供給ではなく,主体である資本と雇用労働者のグローバルな再生産の連関で あるととらえることができよう.
以上のような資本主義と再生産の理解に対して,大野(2003,2010)で提示 されている「資本の再生産過程モデル」は,商品による商品の生産モデルと 対比されるべき,資本みずからが自己を再生産するモデルとしてそれ自身を 位置づけるとともに,資本主義とは何かと言えば,「自他の果実〔=商品〕を 交換して自分を再生産する原理」,「資本の再生産の原理」であるとこれを規 定している.ここに見られるのは,商品の分配関係から構成される資本主義 という資本主義像を批判して,自分自身が主体的に価値増殖する運動として 資本主義をとらえている.それゆえに,資本の価値増殖力こそが,資本の再 生産力であると規定している.
つぎに,価値増殖の根拠を与えるのが,労働者の雇用である.ここで価値は,
「労働による取得」からとらえられることで,「生産」(使用価値の生産)と区別 されている.雇用労働者は,安く買って高く売る根拠を与える.そして,そ れであるがゆえに価値増殖を目的とする資本は,労働者を雇用するといわれ る.価値増殖の観点から,雇用に値する貨幣賃金が規定される一方,雇用労 働者自身,貨幣賃金によって自己を再生産する.したがって,雇用労働者にとっ て再生産と貨幣賃金の大きさとが関連づけられる.資本が転売の差益を生み 出し価値増殖を自立的にとげる過程において,労働者の雇用と再生産が関連 づけられている.こうしたことから,経済主体の再生産過程の連関から資本 主義をとらえていると理解できる.これは,経済主体間の関係をモノとモノ との関係において捉えるMarxや経済学一般に対する批判ともなっている.
以上の理解において,商品生産と価値増殖とが峻別される.したがって,
大野説では,特別剰余価値の理論が鋭く批判されることになる.というのも,
価格低下のための生産力の発展という論理は,労働の節約である.言い換え ると,社会の総労働の商品量への配分の論理に対する批判である.これとは 対照的に,価値を生み出し高く売る根拠を与えることこそが,再生産をすす め競争に生き残ることにもなるということである12).
こうした論理を競争の観点からとらえれば,自己増殖し成長する競争の展 開において,労働の節約の面での競争は,生産力によって商品生産量を増大 させ,その結果,配分される単位あたり労働量が低下し価値が低下する競争,
ただ生産物を安くすることで他者を排除する競争であり,その意味で「淘汰」
による生存競争であろうが,価値増殖を遂げる競争は,他の競争者に先んじ ての文字どおりの価値増殖をめぐる競争として,「模倣」と「進化」の過程で あるととらえることができるとわれわれは考える.それは結果的に生存競争 となるにしてもいわば差異化をつうじた生存競争の展開である.
ここで生産技術,物的資本と雇用労働者の間の関係が必然的に問題になる.
これは資本の構成比率であり,再生産関係=産業比率ととらえられている13). この点は,再生産表式論では部門比率の問題として従来検討されて来た.大 野(2010)でも述べられているが,資本構成において独占力が規定できる.こ のようなことから,価値増殖と資本構成とが関連づけられ,資本構成におう じた産業概念が提示される.資本の再生産過程の分析では,資本の構成比率が,
産業編成を決めるという点にまで展開されている.この点は,後述の投資の 連動性にも関わる.
つぎに,資本の再生産過程では,再生産力としての利潤率が独立変数と位置 づけられる.これに対して,資本の再生産関係が従属変数である.生命循環は,
再生産関数として表現される.再生産関数は資本成長率が資本蓄積率と利潤率 によって規定される関係g=frとして表現される.本稿の競争論との関連から 特に重要な点は,再生産関数が2期間の分析であることが明示されている点で
12) 付言すれば,現代の日本の産業は様々な面で価格低下競争の隘路に迷い込んでいる現状から,
このような再生産と価値増殖の理解は示唆的であると思われる.
13) 「再生産関係」はこれとは異なる側面を持っている.
ある.
まず,第1期で価値増殖する.これが利潤率を表す.すなわち,K→Xに おいて,X/K=1+rである.今期に獲得した利潤を次期に資本に転化するこ とが「資本蓄積」にほかならない.したがって,資本は,資本蓄積によって 成長し,Kt+1 /Kt=1+gとなる.そして,事業の成長率はg=frであり,これ を「基本方程式」と呼んでいる.
ここでわれわれは,つぎのような論点を指摘できる.第一に,資本蓄積は,
上述のように,利潤の資本への転化である.ところで,蓄積率は,通常,(Mc
+Mv)/Mと表現される.これは,いずれも今期の剰余価値であり,実現が完 了したときに事後的に成立するものである.したがって,「蓄積率概念におい て資本の蓄積衝動をあらわすとはいえない.」(浅利,1981).つまり,資本に よる蓄積率の決定自体が問題にできない構造となっているということである.
このような資本蓄積率の処理は,山内説にもあてはまる.一般的に理解され ている資本蓄積率は,今期の生産と今期の分配との関係から成り立っている 点に注意されねばならない.これに対して,2期間で再生産過程を捉えるこ とで,利潤率と資本蓄積率の要因を区別される点が重要である.
第二に,資本の事業活動をめぐる競争としては,利潤率を高める競争と資 本蓄積の競争とに峻別される.このとき,期間が明示されることによって,
今期の利潤率を高める競争と次期の資本蓄積率をめぐる競争とが区別できる のである.そして,これらはいずれも市場競争とは異なる.大野説で明示さ れているように,「産業での競争」ということである.
第三に,資本の競争と言うとき,何をめぐって競争しているかと言うこと である.これは,明確に再生産をめぐる競争として,事業成長を求める「生 存競争」と理解することができる.なぜなら,再生産が停止されると言うこ とは,利潤率,資本蓄積率のいずれかあるいは両方がゼロになることを意味 する.それは,ゴーイング ・ コンサーンとしての資本の事業の死滅を,すな わち「資本破壊」を意味するものである.このようなことから,競争は,一
般に理解されるような利潤最大化や,産出量の増大,市場シェアの獲得といっ たこととは異なるといえる.
ところで,産業の位置づけに関連して,市場との関連を大野説はつぎのよ うにとらえている.すなわち,「資本の事業=産業が市場を包摂し,産業に優 位がある」.「そして,市場で成立する価格は資本を再生産する価格でなけれ ばならない.資本の産業利潤率で資本を再生産する価格がマークアップとし て設定される」.とはいえ,「市場の需給関係で成立する市場価格を排除する のではない.市場での需給関係が資本主義に包摂され,資本の再生産の果実 として商品が供給され,資本の再生産のために需要される」,「市場価格が資 本主義を支配しないで,資本主義が市場を包摂する」(大野,2010).これは,
再生産論において,産業編成を規定するのは,資本構成,産業比率であると いうことである.再生産の需要充足が,資本財産業と雇用労働者の再生産の ための賃金財産業を要請する.それらが再生産関係を措定するというのであ る.
これに対して,需給均衡価格とそれに基づいた再生産の進行が,再生産表 式の順調な進行の条件だった.この点の理解のカギは,やはり2期間の把握 にかかっていると言ってよいだろう.資本の価値増殖と蓄積は,時間の経過 をともなう「異時空間」の過程であり,これは利潤率にあらわれる.これに 対して市場均衡は「同時空間」での問題となる.
現実的に言っても,産業で競争する資本は,産業の特殊的利潤率を前提に,
自己の資本構成を自己の技術としそれに基づいて再生産を展開している.設 備投資には不確実性がともなうし,埋没費用も発生する.それゆえにこそ,
生存競争が展開されるのである.不確実性や不可逆性から,資本移動が制約 される.そして,そうした競争の展開が資本蓄積の同調性をもたらす.そし て結果的に資本過剰をもたらす.もし,資本が自由に移動するのであれば,
商品過剰も資本過剰もあり得ないことになろう.というのも,資本移動がそ れら過剰を清算することができるからである.
ところで,以上のような産業内競争は,産業循環とどのように結びついて いるのだろうか.産業内競争が資本の技術をしたがって資本構成をめぐって 行われ,それが産業比率と産業編成を結果させる.そうした関連の中で,資 本の競争・再生産過程が,社会的な産業循環を帰結させると言ってよいだろ う.この点に関連して,大野説では,産業循環において,資本蓄積には同調 性(Synchronize)があると指摘されている.かかる事態は,山内説の均等利潤 率と異なるものであるのはこれまでの市場均衡批判から明らかだが,蓄積率 の動態を検討するにあたって検討課題となる.
あらためて言えば,山内説では,分配論から資本蓄積率の均等が導出され たのであった.また,競争による展開は,余剰生産手段の分配について,い わば兄弟的競争が想定されていたということもできる.大野説は分配論を厳 しく批判しているから,両者は著しくコントラストをなす.また,均等利潤 率の分析が,恐慌分析を排除しているのに対して,産業循環論での資本蓄積 の同調性を主張されており,対称的であるともいえる.われわれは,この点 についてつぎに論じよう.問題は,蓄積率の動向を左右する競争の在り方で ある.そして,産業編成をつうじた他の産業との関連である.以下では,資 本蓄積の同調性(Synchronicity)の可能性について仮説的に検討したい.
4 競争と資本蓄積率:資本蓄積の同調性をめぐって
資本蓄積の同調性については,これまでほとんど問題にされてこなかった.
しかし,現実的には,同一産業の資本蓄積は同調的になると同時に社会的に も波及して大きな変動をもたらす.こうした動きをもたらす競争の作用がある とすればどのようなものであるのかが問題となる.
ところで,産業での競争が展開される場合,為替レートや,利子率,再生 産に必要な原材料価格,他の競争企業の原価,雇用労働者の貨幣賃金の分布 などについて,現状をふまえかつ先行きを予想しながら,再生産のための需 要を計画する.また,自己の費用価格の低下,資本構成の変化をはかる.い
いかえれば,同種産業の資本は他のライバル資本の状況,この産業の平均的 な費用状況,価格状況を知っていると見なしてよい.そうしたなかで,当該 産業のグローバルな分布状況も決まってくるし,為替レートや利子率と言っ た社会的な(あるいは市場的な)要因も決まってくると考えることができる.
われわれは,部門内競争と部門間競争という区別ではなくて,産業内競争と 社会的編成というかたちで競争の展開を検討しよう.資本蓄積の同調性につ いて,好況期(不況期)には,資本蓄積が全般的に旺盛になる(衰減する)と いうことに過ぎないならば,とくに論証を要する問題ではない.そもそも,
好況(不況)とは諸資本の資本蓄積が活発な(減退している)状況を指している のであるからなおさらである.資本の再生産過程において再生産の産業編成 にかかわるかぎり,資本蓄積の同調性をもたらす競争のメカニズムが,再生 産過程にあるはずである.
まず,同一産業部門内の競争について利潤率を高める競争の展開を概観し ておきたい.これは主体的に自己の利潤率を高める競争として,新技術導入 の競争の展開である.利潤率を高める競争は,費用逓減的(Cost-Cutting)競争 である.
一般的に言って,しばしば資本蓄積は利潤率の関数として捉えられるが,
この面での競争は低下した利潤率において資本蓄積を開始させる役割を果た す.労働者の置き換えによる超過利潤の獲得が志向される.この面での競争は,
Crotty (1993)が指摘しているように,生死を賭けた競争の展開と言える14).産 業の成長は不確実であるから,それゆえに,他者の模倣を強制する作用が強 く働くと言える.新技術の開発・導入による超過利潤の獲得は技術独占によ るため非均衡化の側面を持つ一方で,生き残り競争として模倣が強制される ことから,生産技術が一般化し利潤率の均等化をもたらす競争でもある.こ うして利潤率を高める新技術導入競争は,産業内の資本蓄積を拡大させ,高
14) 大野説では,このような超過利潤が,労働者雇用によらないために,利潤の根拠をもたない.
それゆえ,虚偽的なものであると指摘している.
まった利潤と共に,資本成長率も高まる.新技術は一般に生産性にも優れて いるため,産出量も拡大すると考えられよう.ところで,もし,当該部門へ の参入・退出に制限が無ければ,価格メカニズムが働いて過剰な資本は退出 を余儀なくされるだろう.しかし,上述のように,資本の再生産過程は産業 で行われ,資本構成が産業を特徴づける.また,ある産業で事業をしている 資本は,埋没費用の存在から資本蓄積は不可逆的である.これらのことから,
超過利潤がゼロになるまで,各資本の資本蓄積が進むと考えられる.また,
その結果として,過当競争で資本の過剰が生じた場合,参入退出の価格メカ ニズムによっては解消されないと考えられよう.新技術が産業に一般化する ことによって,特別利潤は消滅する.資本の減少によって利潤も減少するこ とで利潤率も低下することになる.この点に関して,貨幣賃金自体を減少さ せる方法もある.これは雇用労働量の再生産量の切りつめであり,再生産の 危機である.と同時に価格増殖の危機でもある.付言すれば,Crotty (1993)は,
1990年代以降のアメリカの資本蓄積動向を概観し,競争の激化とともに利潤 率の低下と費用低減的な資本蓄積戦略がすすめられ,これにともなって雇用 労働者の再生産が脅かされていることを指摘している15).そして,「ネオ・リ ベラリズム・パラドクス」論を提示している.
Crotty (2008)によれば,「ネオ・リベラリズム・パラドクス」は,資本主義 の変容をあらわしている.まず,現代をひとまずグローバル資本主義ととら えたうでつぎのような特徴を指摘している.第一に,競争の強度が劇的に増 大している.第二に,利潤率が停滞している,第三に,経済成長率が低下し ている.さらに,われわれは利子率の停滞をも付け加えることができる16). これらに応じて企業の生存競争のための戦略が変化してきている.すなわち,
15) Crotty (1993)は,「競争的競争」(Coerced Competition)「協調的競争」(Coreralive Competition)
に分けて競争を概念化している.前者が利潤率を高めようとする競争であり,後者が規模を拡大 する競争である.また,前者を「資本深化」(Capital deepening)と規定している.なお,不確実 性の処理や短期 ・ 長期といった期間の取り扱いについては,さらに検討を要する.
16) Crottyの見解では,むしろ利子率の高騰が指摘されている.
労働者雇用の悪化,能力増強投資の減衰,研究開発費の圧縮,費用削減的投資,
労働コストを節約させるような投資の増大,そのための負債性資金調達の増 大である.
さて,新技術導入競争は,諸資本の生存競争であった.それは自己を拡張 し成長する競争であり,したがって,利潤率を高めることでより高い資本成 長率を実現する競争である.同一産業で他者に先んじて成長し,他者はそれ に追随せざるを得ない.結果として,再生産の需要が拡大して,他の部門に 波及する.資本財産業と賃金財産業に対する需要が他の産業の再生産を可能 にさせる.
前章3で資本の再生産過程モデルの特質を整理した際に,利潤率と資本蓄 積率が,期間分析に基づいて競争・再生産過程の2つの主要な契機となるこ とを述べた.そこで,資本蓄積率の決定が問題になる.このことは,利潤率 を高める競争とは明確に区別される.すなわち,資本蓄積率の決定に際しては,
利潤率はひとまず一定としておくのが適切な抽象であろう.利潤率を高める 競争の結果として好況期において内部資金が潤沢にあることが資本蓄積を促 進させる.手元にある蓄積基金の豊富さが投資の誘因となる.資本蓄積率を 高める競争が展開される.これは規模拡大競争として生産量の増大をもたら すことになろう.
つぎに,資本蓄積の同調性(synchronize)について異なる部門でのそれを検 討しよう.これは,再生産の需要の充足関係に規定される.言うまでもなく 資本の再生産のための需要が充足されなければ,新たな再生産過程は開始で きない.仮に,蓄積需要が充足されない場合は,需要計画を下方修正して,
再生産の需要に見合う蓄積率が現実化することになる.なぜなら,このモデ ルでは,蓄積需要の過不足は数量調整によるからである.ここでの問題は,
計画蓄積率の実現の問題,蓄積需要の充足の制約の問題であると言うことだ.
つまり,蓄積率の自己決定がアクチュアルになるかどうかである.ポテンシャ ルな蓄積率の決定が別に問題にされなければならない.そこで,資本蓄積の
ための需要の充足をひとまず前提すれば,資本蓄積率の同調性あるいは連動 性はどのように説明出来るだろうか.
まず,同一部門内では,産業の特殊的利潤率を指標に競争が展開される.
これによって,資本財需要と賃金財需要が拡大する.また,新技術導入が「新 結合」に基づくとすれば,再生産の需要関連が質量ともに変化する.また,
ある産業の利潤率を高める技術が他部門の利潤率を高める場合は,再生産が 拡大する.それにつづく資本蓄積率をめぐる競争は,規模拡大として市場競 争の側面を持つ.したがって,資本蓄積行動が相互に等しくなると考えるこ とができる.ここで,資本の部門間移動の制限が重要な要因となることは言 うまでもない.というのも,部門間競争が許容されれば,当該産業への参入・
退出行動から資本の大きさが価格メカニズムで調整される.したがって,過 剰や過少は清算されることになる.
つぎに,産業編成の面では,自己の資本蓄積や利潤の増大が他者の資本蓄 積や利潤の増大に帰結する場合が考えられる.それは蓄積需要の数量調節モ デルとも符合する.他者の蓄積需要の実現は,他者の再生産を可能にさせる と同時に,自己の再生産の成長をもたらす.これは,他の産業の企業行動に 関する情報の問題があるとは言え,市場での配分競争とは異質のものである.
また,情報については,市場価格がシグナルとなる.これは,決して産業活 動が市場価格に支配されていると言うのではない.むしろ,再生産のための 需要の充足が原因になって,市場価格の変動がもたらされる.産業編成を通 じた産業間の補完性が,社会の他の産業に資本蓄積を同調させることが考え られる.
以上のような関係は,グローバルな産業編成の地平で,産業循環のグロー バルな展開を検討するのに一定の示唆を与える.それについては,今後の課 題とするほかはない.
5 お わ り に
われわれは,山内(2011)をとりあげとくにその均等利潤率概念を検討した.
それによって,再生産表式における資本蓄積率の位置づけについて確認した.
要点は,再生産表式が余剰手段の配分問題に焦点があるから,資本蓄積率は 配分を調整する役割を果たしているに過ぎない.したがって,再生産表式か ら内在的に蓄積率の均等化を導くことは困難である.そこで,競争の吟味が 必要であるが,余剰生産手段を資本が分け合う競争を資本の競争過程から明 らかにすることはできない.
ところで競争論にとっては,まず競争の主体としての資本の措定が必要で ある.そのためわれわれは,資本の再生産過程モデルに依拠した.それによっ て,利潤率をめぐる競争と,資本蓄積の競争とが峻別された.そのさい期間 への着目が重要であった.
つぎに,資本の再生産過程モデルでは,部門内で競争する資本のみならず 部門間でも資本蓄積率の同調性が示唆されている.この点を検討することが,
本稿の1つの課題となった.それはあくまでも仮説に過ぎないが,そのカギは,
資本間の競争と産業編成の理解にある.再生産のための需要の充足は,需要者,
供給者相互の再生産を開始させ,進展させる.
さて,資本の再生産過程モデルは,資本の再生産過程の要請から,資本財 と賃金財の2部門モデルである.それに対して,使用価値視点で他部門分析 することに対しては批判的であった.資本の再生産過程が,産業を編成する ことから,資本の再生産過程に機械設備と雇用労働者したがって賃金財産業 が措定される必要がある.しかし,資本の再生産過程で超過利潤の取得,商 品生産のために多様な資本財が必要であり,また,労働者の雇用は転売の差 益根拠として価値を高めることにあるかぎり,雇用労働者の価値創造を規定 する様々な部門が考えられることも事実である.また,こうすることで,グロー バルに広がる現代の産業編成に焦点を当てることが可能になると思われる.
今後の研究課題として,グローバル資本主義の産業循環を直接検討するこ とをあげておきたい.
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(たにむら ともき・同志社大学経済学部)
The Doshisha University Economic Review Vol.64 No.3 Abstract
Tomoki TANIMURA, Competition and Rate of Accumulation in the Reproduction Process of Capital
In the Schema of Reproduction, the rate of accumulation is considered a factor that coordinates with the distribution of the surplus means of production.
An analysis of competition among capital can prove the synchronization of capital accumulation. It is important to clarify an association between competition and industrial formation, with respect to the rate of capital accumulation.