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Dickensの小説におけるsnobberyについて : David Copperfield, Bleak house, Little dorrit, Great expectationsを中心として

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(1)

Dickensの小説におけるsnobberyについて : David Copperfield, Bleak house, Little dorrit, Great expectationsを中心として

著者 浜田 公一

雑誌名 主流

号 33

ページ 33‑50

発行年 1972‑02‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016742

(2)

D i c k e n s の小説における s n o b b e r y について (David C O l

p e r f i e l d

B l e a k  House

, 

L i t t l e  D o r r i t

, 

G r e a t  E x p e c t α t i o n sを中心として〉

浜 田 公

(1) 

33 

一般的にいって従来 Dickensの小説は「社会批判J又は「政治批判」

を目的とする9 という受取り方がなされてきた.しかし,あらゆる小説が そうであるように,社会又は政治といえども「人間」を描くことによって 間接的に批判され,論じられねばならぬ, という小説の世界がもっ必須条 件は Dickensの場合も例外ではない.むしろ復の場合, I社会ム「政治j

よりも「人間」自身により関心を示した,という仮説が可能である.個人 としての人間の欲望,欠点,弱点を観察し9 そういう人間の集合体として の「社会」又は「政治jの問題を考える, という立場を Dickensはとっ

"(¥ 、7こ.

Dickensが小説の中でsnobberyの問題をとりあげ,数多くの snobsを 描いたのも同様に,個人の moralityの追求,人間の欲望又は弱点の観察 のためであった.

The critique of snobbery is  so fu ,1lso convincing and so sympa‑

thetic because Dickens has  woven the  snobbery  so  skilfully  and  even unobtrusively with the  sexual  passion.  . . . (Pip's)  snobbery  hdits  root in his  desire;  and all  the irony of  the book turns on  the fact that both the money and the gir1 derive from Magwitch. . . .  The sexual element in snobbery is  one which social criticsndhis

(3)

torians have not always emphasised enough. 

Humphry Houseのζの論評の中には, Dickensの小説には snobbery が巧妙に描れている,としながらも,それは社会的,歴史的観点からみら れるべき問題でなし個人の欲望, とりわけ,金銭と sexの二つに原因 があるp という特徴が指摘されている.

以下の小論はこのような意味をもっ Dickensの snobberyについて9

具体的に snobsがどのようにあっかわれているか,そこから Dickensの 人間観3 人生観はどのようなものであったか,を推論するのが目的である.

Dickensのsnobberyを考える場合の特徴の第ーは snobberyを純粋に 個人的な,しかも,それが色々な事情のために達成できない願望(いいか えると gentlemanとか ladyの身分への渇望) としてあっかわれる場合 じ snobberyを一つの社会階級(社会集団)全体の象徴的な意志p 姿勢 としてあっかう場合とがあることである.かりに前者を個人的 snobとよ び,後者を集団的 snobとよぶ. この個人的 snobと集団的snobの根本 的なちがいは前者はある個人が紳士になりたいという欲求にかられフ達せ られない目的への frustrtionになやまされる姿が追求されるのに対して歩 後者はつねに自分の属する階級3 機構の中で安住,自足しているのである,

たとえばGreatExpectαtionsのPipの場合,彼は既成の紳土階級に属 していない.物語はこの社会的孤児が Estellaを見た瞬間から「紳士」を 意識しはじめる所から出発する .Little DorritのBlandoisも又3 社会か ら疎外された人間であり,彼が物語の中で示すのは,つねに自分が紳士で あるという虚像への執念にほかならない.いいかえると,個人的 snobは つねに集団的 snobに参加することを憧慢するのである.

第二の特徴は俗物的欲求の伝播性(感染性)の問題である. snobbery  が人間の欲求, とりわけ金銭とか sexへの欲求とすると, 他人の充足し た状態をうらやむ心理は当然である. たとえば GreatExpectationsでは Magwitchは Compeysonの紳士的風貌,態度に誘発され Pipを紳士に

(4)

Dickensの小説における snobberyについて 35  仕立てることを念願する. 同様に Pipは MissHavishamの神秘的な生 活環境 Estellaの貴婦人らしい素振りに接し鍛冶屋の徒弟の身分をはじ るようになる .Little DorritのBlandoisは犯罪者であり,彼からみれば 正常な社会全体が自分を迫害する特権階級である.そういう社会への羨望,

反逆が彼の紳士になる念願をかりたてるのである.Dicknsの小説の中の 多数のsnobsはこのようにお互に誘発され9 感染しあう特徴をもっている.

ζこで Dickensの小説によくでてくる探偵とか弁護士の意味を考えた い.たとえば Bleak Houseの Tulkinghornがいる.彼は小説の中で准 男爵夫人 LadyDedlockから道路掃除人夫Joにいたるまで万遍なく接し ている.あらゆる階級の人物に関係がある. いいかえると Tulkinghorn  は社会階級の壁をのりこえて自由に人間を観察する立場にある. このこと はGreatEゆectationsの弁護士Jaggersについても同じである.Dickens  の小説にでてくる探偵,弁護士は技巧的にみて小説の推理的興味をつなぐ だけでなし 俗物たちの活躍する小説の舞台を冷静に観察し,反映する

「鏡」の意味をもっているといえる.

以上は Dickensの小説の snobsの内面的特質と,それにともなう伝播 的性質をみたのであるが次に Dickens自身が snobsに対してとった態度 の観点から分類してみたい.

一つには Dickensが作中人物が snobであることについて同情的又は

感傷的になっている立場である. たとえば David

C O J

. p

erfieldの David, 又,前述の GreatExpectationsの Pipの場合がこれである.

Within a single yerall this was changed.  Now, it  was al1 coarse  and common, and 1 would not have had Miss Havisham and Estella  see it  on any account. 

How much of  my ungracious  condition  of mind may have been  my own fault, how much Miss Hvisham's,how much my sister's,  is  now of  no moment to me or to any one.  The chngewas made 

(5)

in me; the thing was done. W el1 or i1l done

, 

excusably or inexcusa‑ bly, it  was done. 

これは PipがEstellaをみたのちの心の変化である.自分が鍛冶屋の徒 弟であることを恥じることについて彼は弁解し,ともかくも事実は事実だ といっている. ここには Dickensの立場からみて自分の少年時代のsnob‑ beryに対しての弁護と感傷がみられるのである .David Copperfieldの Davidが倉庫の空瓶あらいをしている時も3

A chi1d of excel1ent abilities, 乱ndwith strong powers of observa‑ tion quick eager,delicte,and soon  hurt  bodily  or  mentally it se 18wonderful to  me that nobody should have made any sign in  my behal

f. 

といって自からの立場を弁護している.Dickensには以上のように少年の 野心・俗物的意識について寛大かつ感傷的な一面がある. この額向はとく に GreatExpectations, DaidCOppeJブi'eldのような回想形式の一人称小 説の中でいちじるしい.

次には作者が冷静な客観的立場にたって作中人物が snobであることを 批判し,瑚笑的に語る;場合である.

1 am a cosmopolitan  gentleman.  1 own no particular  country.  M y  father was Swiss‑Canton de Vaud.  My mothe1'  was Frnch by blood, Eng1ish by birth.  1 myself was bom in  Belgium.  1 am  a citizen  of the world.' 

His theatrical air

, 

as he stood with one  arm on his  hip

, 

within  the folds of his cloak, togtherwith his  manner of disregarding his  com panion and addrssingthe opposite wal1 insted

seemed to inti‑ mate that he was 1'ehearsing fo1' the Presidentwhoseexamination  he was shortly to undergo . . . . 

これは犯罪者 Blandoisが監獄の中で同房のものに自己紹介していると

(6)

37  Dickensの小説iこおげる snobberyについて

自分を紳士だと主張する夜の姿はi乍者によって戯 画的iこ誇張されている一種の道{じである.

Dω1d Copperjieldでの Uriah日間pはまずしい誌律事務所の徒弟で 言葉である.

きの態宣ヲ

してその法律事務所をのっとろうとして あり 同時:こま Agnesと

されているのと同じ意味 Blandoisが氾罪者であって社会から

いる.

そこへの参加を欲求する で UriuhHepもまた上流社会から疎外され9

snobである.

吋ミ,7h11¥^'乱Sq1it ayoung bo),ァsaid  U rUlh, 'I got to know what  1 ate  umble pie vvith an appetite.  um"blE'l1E'SS diよaτld1 tooItoit. 

1 iotopped  at  th色 立mble poi ofmy 1arning and88.y8 1 Hold hard ! " vVhen yo0redto teach mLatin,1 k立己主γbetter.μPople likτoh abcv‑youf saァョおther, 山kep yourself  dO¥¥

ヤ号ry umble to  the  pres色立tmoment, l'vfst Coppεrneld, but I've 

got u little  power ) , 

の言葉である. '‑

これ1三uriahHeepが目

それをかく すたわの方l更としての彼の姿勢である.Dickensまよ二ういう UriahHep の外面的卑屈さがむしろf史が俗物で2うることを暗示するものとしてラはじ めから設を設酉的,逆説的にあっかう

ζc). (h)onbleness 'というのは自分が野心をもづており,

をもっていたのである.

Dickεnsのすべてのj¥説についてタいわ浄る BildiIgsrO'rnαnの定義を 少なくとも蔀述したよう

L.~ヘ 1,ゾーν p

 /0;)

あてはめることは自らかに

のような回想形式の一人 に D'id COtterfield GreatEtectatlOns

称小説においては作者は主人公たちの未熟な人間性からくる snobberyに それからの脱却,成長の過程をかたろうとしていることは

DIz'idく70pper命ldについて,

否定できない.J. H. Mi1lerも 同 でおりラ

(7)

38 

a novel of memory

, 

a Bildungsroman recollecting from the point  of view of a later time the slow formation of an identity  through  many experiencsand sufferings

とのべている.

Daω:d Copperfield (1850)と GreatExpectations (1861)のあいだに は約10年のひらきがあり ,Bildungsromanとして Dickensの人間の成長,

善への変化を示す点は同じとしても,人間肯定の仕方に幾分のズレがある ことも事実である.Davidの場合, 物語の最終段階において 1had ad‑ vanced in  fame and fortune, my domestic joy wsperfect, 1 had been 

mrriedten happy y rsf という結末はそれなりに色々な示唆をふくん でいる.一つには「人生における成功とは名声,金,家庭をえること」と いう一種の dogmaである. ヴイクトリア朝前半における,いわゆる「家 柄,財産ョ教育j という紳士としてのレッテルのない人間の成功とは勤勉,

努力と最終的に金をえることであった.

この dogmaがたとえば GeorgeOrwellのようにあらたな snobを発 生するのでないか9 という不安につながるのは,この小説のかかれた時代 を無視した意見である.Dickensが俗物的紳士=金銭的欲望というように 金銭,名声を否定したのは, た と え ば 調 刺 的 に か か れ た Magwitchが

1$ 

「ルピーでかこんだダイヤ9 ζれこそ紳士用だ!Jとさけぶ GreatExjec‑ tationsのかかれたヴィクトリア朝後半である.少くとも DavidC01per‑ jieldの時代には家柄も格式もない個人にとって金銭はまじめな意味で必

要であった.上の Davidの世間的成功のよろこびがsnobbishでなく市井 の一個人の卒直な感情の披涯であることを理解しようとすれば,たとえば 同じ小説の中に,まずしい漁師の娘 LittleEm'lyと自分の息子Steerforth の結婚を拒絶する Mrs.  Steerforthの言葉, Such a marriage would 

l

irretrievably blight my son's career, and ruin his prospects.'という階 級的偏見をみれば明白である.古い格式と偏見にまもられたこういう閉鎖

(8)

Dickensの小説における snobberyについて 39  的階級が存在するかぎり,格式,家柄もない個人は家庭,名声,財産を欲 求し,それを得てよろこぶのは当然である Dickensの DavidCopper fieldにおける人間肯定と同情とは以上のような時代的背景をみてみると

理解できるのである.

Great Expectationsの時代になると Davidの場合の名声,金,家庭は すべて否定されている.そのことは終末部の

Within a month 1 had quitted England, and within  two months  1 was clerk to  Clarriker and Co. . . . W e  were not in a grand way  of business

, 

but we had a good nme

and worked for our profits .  によって示されている. 10年の経過は昔の Davidの成功への純粋な喜び の代りに Joe,Biddyのもとをさり, expectationsの夢にやぶれ, Estel1a  への欲求をたたれた一事務員 Pipの悔恨の生活が示される. このことは 一つには以前の Davidについての成功=金銭および家庭,という dogma

の否定である.あきらかに Dickensは Pipにおいて人間の成長とは何か,

という壁につきあたっている .Great EXJ'ectationsには主人公の努力フ 苦労は存在してもそれに対応する指向性と理想的結末はないのである.

「近代化Jという漠然とした意味の語が使用されタしばしば個人の生活 (家庭〉の破壊,名声というものの虚しさ,女性像の質的変化,具体的に は聖女 Agnesから sexualな美女 Estellaへの変化, などが包括的に暗 示される Davidの無条件的人生肯定から Pipの悔恨的,懐疑的人生論 への変遷もまた乙の「近代化」への推移によるといえるだろう.いずれに しても Dickensはこの二つのBildungsromanにおいて前者では積極的に,

後者では幾分懐疑的ではあっても,ともかくも人間とその成長を肯定しよ うとつとめたことは否定できない.

(3) 

Dickensの噸笑的 snobsはその外観が誇張されていると前述した.

(9)

40 

Dickensの外観描写はよく論議されるようにその人物の内面p 心の象徴で ある. したがって Dickensの場合,彼の描写方法は設のその人物への批 判, 判断そのものである. しかし注意すべきは噺笑的 snobsについては Dickensは二種類の批判ョ判断をしていることである.すでに例としてあ げたBlandois,U riah Heepはラその時にもふれたが社会への反逆(Blan‑ dois)と屈辱的階級劣等感 (UriahHeep)のために噌笑されているのであ

る.Blandoisが 'Suchare the humiliations that society  has  infl.icted 

l

upon me . . . . But society shall pay for it.'と絶叫するのも UriahHeep  が W e"Vvas to know our place

, 

and abase ourselves before  our  bet‑

J$ 

ters.'とへり下るのも結局は社会又は階級問題である.この二人の snobs は彼等の社会又は上層階級への反抗のむなしさ (Dickensからみての)を 背景としての道化である. しかし,たとえばここに BleakHouseのMr

11) 

Turveydropがいる. この人物は自分が「行犠作法のお手本」として妻や 子供の労働の犠牲において,みずからは上流社会に出入して無為徒食して いる mめである.この人物はその外観が精密に描写されている.

He was a fat old gentleman with a false complexion

, 

false teeth

, 

false whiskers

, 

and a wig.  He had a fur collar

, 

and hεhad a pad‑ ded breast to his coat, which only wanted a star  or  a broad  blue  ribbon to be complete.  He was pinched in

, 

and swelled  out

, 

and  got up

, 

and strapped downasmuch as he could possibly bear. . . .  He had a cane, he hd an eye‑glass, he had a snuιbox, he had  rings

, 

he had wristbands

, 

he had evrythingbut any touch  of  na‑ ture; he was not like youth, he was not like age, he was not like 

1

anything in the world but a model of  Deportment.

外国描写が Dickensのその人物への批判を示す好例である. この人物 は全身装身具でつつまれている. しかも前半部の false'という語の使用 は彼が全体として「歎繍」であることを示している. これは9 この俗物が

(10)

Dickensの小説における snobberyについて 41  肉親の労働によって紳士ぶっていることへの Dickensの非難ョ 日朝笑で;l0 る.しかし,この Mr.TurvydropがBlandois,Uriah Heepとことな るのは社会的多階級的問題を直接的には背負っていないことである.この 人物には社会への反抗もへりくだりもない.おそらくは彼は紳土とは「ス テザキム「鼻眼鏡J,1"嘆ぎ煙草入れ」などをもちプラブラしているものラ という先入観があり3 ただ無為,無目的に生きているだけである.さきの Blandois, Uriah Heepが 反 抗 絶 叫 , 怒 り , 不j誌をぶちまけているのに Mr. Turveydropには上の引用文があるだけで平穏無目的である.

Dickensの噌笑的 snobsが外にむかつて積極的に意志表示する時はそ の人物の内面的腐敗, 堕落は表現されない. 人物自身の描写が dramatic で外向きである. Mr. Turveydropの場合の一種の staticな描写, 濃密 な装身具の羅列はこの人物が内面的には半ば腐改した死人にひとしくヲ腐 敗を陰蔽せんがための装身具であることを示すのである,falsピ と い う 語がそういう腐敗を語払 「体比締めつけフふくらませp 伸ばし,しば

1$

りつけて」とか「若者らしくもなし老人らしくもなく」などはラいずれ もこの人物が生きた人間でないことを暗示している. こういう腐敗ヲ死人,

という暗示は彼がもっている, いつわりの紳士への妄想への Dickensの 一種の倫理的批判ラ判断と考えてよいのである.

Blandois, U riah Heepの場合は Mr.Turveydrop iごみられる内向的腐 敗ヲ堕落の徴候はない.彼らはある意味では健康に物語の中で活揮してい るのである. それは彼らに対する Dickensの批判9 判断が社会的又は階 級的問題;ことどまり,個人の内面的倫理性にまでおよばないためといえる.

Dickensの瑚笑的 snobsが単なる「潮笑ふ 「調刺」から道義的傾向を おびた grotsquerieBの世界へ移行するのは以上のように staticな描写 のつみかさねによる内面追求がなされる時である.

Great Expectatio5の MissHavishamはM Turveyd1'Opをさらに 一歩すすめた人物である.恋人にすてられたこの老女は結婚衣裳9 披露宴

(11)

42

を現在にいたるまで温存している.

Anるpergneor centre‑piece  of  some kind  was in the middle of  (table司)cloth; it  was so  heavil'y overhung with cobwebs  that  its  form  was  quite  undistinguishable;  and, as  1 looked  along  the  yellowxpanseout of which 1 remember its  seeming to grow

, 

like 

a black fungus, 1 sw speckled‑legged spiders  with  blotchy  bodies  Tunning home to  it, and running out  from it, as  if  some circum‑ stance of the greatest public importance hdjust transpired in  the  spider community. 

1 heard the mice too, rattling  bhind the panels, as if the same  occurrence were important to  their  interests.  But the  blackbeetles  took no noti'ce01 the agitation

, 

and groped  about  the  hearth  in  a  ponderous  elderly  way, as  if  they  were shortsighted and hard of 

22) 

hearing, ldnot on terms with one another.  (my italics) 

この描写では人物自身の内面的腐敗,堕落が彼女の環境の中に具体的事 実として提出されている.たとえば「くもの巣がたるむほどかかっている

23)

飾り台J, 又「ぶちのある足としみだらけの胴体をした,何匹かのくも」

がおり,さらに「油虫」もはっている.Wi1liam F. Axtonによると Dick‑

2$

ensの,grotesquerie 'は「不均衡な比較Jからくる repugnance'であ るという. くさった披露宴2 くも,治虫などがそれである.

H朝笑的 snobsによる上述のような第二番目の Dickensの批判・判断と

2

は小説中の人物が「自然の摂理」に背離しているζとへの彼の道義的批判 である.Mr. Turveydropは老齢をかくし装身具で紳士になろうとしたこ との歎瞬 MissHavishamは過去の恨みへの復讐のために時間の流れを 人為的にとどめようとしたこと,いずれも「人聞の老化J,

r

時間の必然的 流れ」という自然の摂理への挑戦であり, Dickensはそζに単なる朝笑の 対象以上に「倫理的罪の傾向」をかぎつけたのである.

(12)

Dickensの小説における snobberyについて 43 

(生)

Dickensの小説は従来あまり 'sin'の角度から論じられたことはない.

Julian Moynahanが TheHero's Guilt:  The Case of Great Expec‑

t

αtions," (Essays in  Criticism January, 1960)なる論文の中で (Pipめ

28) 

sin of  snobbish  ingratitude  toward  Joe  and Biddy'L、って Pipの sinこふれている. しかし Pipの Joeや Biddyに対する忘思が sinで あるかどうかは疑わしい sinとは一種の道義的責任を意味し,何らかの 形で第三者に物的ラ精神的危害をあたえることである. Pipは Joeや Biddyをうらぎりはしたが JoeとBiddyは具体的な損害はうけていない.

Pipの彼等に対しとった行動は志患ではあっても罪ではないのである.前 章において Mr.TurveydropとMissHavishamを罪的傾向の人物とし たのは絞らの外観の偽善的歎瞬性の背後に Mr.Turveydropの場合は妻 や息子を犠牲にしての怠惰,無為徒食があり MissHvishamについて は自分の復讐心のために Pipや Estellaを利用したことのためである.

いず、れの場合も被害者が存在する.

snobberyとslnをむすびつける場合, snobberyを前述したように人間 の本能的欲求(金銭3 X に対する欲求〕とみなしp その欲求は伝播性9

感染性が強いということを条件としなければならない.

Da'1H.d CojうIうゲfieldの Jumes Steerforth は Mr. Turveydrop やMiss  Havishamと同じ意味の snobではない.一つには DickensはSteerforth

(以下このように略す〕を外観を誇張して道化的に描写してはいない.

Steerforthが語られるのは主として彼自身の言葉によってである.次に彼 は紳士階級への参加を欲求していない.むしろそこからの離脱を願ってい る.

It would be better to  be  this  poor  Peggotty, or  his  lout  of  a  nephew. . . than to be mysεH, twenty times richer and twenty times 

(13)

44  Dickensの小説における snobberyについて

wiser, and be the torment to myself that 1 have been, in this  Dev

29) 

il's bark of a boat, within the last  half‑hour!' 

3

富および知性において勝っていても「自分で自分が苦しくてたまらん」

と Sterforthはし、っている. ζ1  wish  with  al1  my soul  1 hd ben better guided! 'とも告白している. 父親がなく母親の階級的偏見のも

とで育った彼は常に自分が俗物でないかと不安におもっている. しかし Steerforthについて重要なのは被が自分の育った家庭環境の俗物性以上に,

自分の中の腐敗p 堕落に気ずいていることである.Miss Dartl e は授がむ かし犯した女性である. (He)has false,corrupt heart, and is  a trai‑

321 

tor.'と彼女はいうが, この女性と同居している彼が恐れるのは, 家庭環 境の腐敗が自分自身の人間的堕落をもたらしている9 という強迫観念であ

33) 

る.'1 am heavy  company  for  myslf,sometims.''1  hve beεn a 

3

nightmare to  myself....'という言葉が彼の強迫観念を示している.

前述したように snobberyが単に社会的3 階級的問題にとどまるかぎり 罪的傾向は示さない.それはBlandoisや UriahHeepが社会又は潜級に 対し反抗し彼等の姿勢が社会に対する反逆児又は陰謀家として誤刺され戯 画されていることでも明らかである. しかし Steerforthのように家庭環 境が個人の内面を腐敗させ,そのことを自覚している場合は調刺フ鼓画の

つみぴと

対象というより seriousな罪人としての心理が強調されてくるのである.

この環境の俗物性が個人の内面にまで影響してくる作用が前述した snob‑ beryの伝播性,感染性の本来の意味である.

'There's  a pretty wide separation between (the Peggottys)  and  us,'  said Steerforth, with indifference. 'They are not to be expected  to  be as sensitiv巴 丘swe are.  Their deliccyis  not to  b shocked,

3Q 

or hurt very easily.' 

説 明rforthは DavidとPeggotty一家を訪問したときに上のように漁 師の一族を評した. ここには自分の堕落を知りながらも,階級的差別意識

(14)

Dickensの小説における snobberyについて 45  からぬけだせない Steerforthの考え方が示されている.

Sterfortbが漁師の娘(孤児)Little Em'lyを誘惑したことを snobbery にもとづく罪的行為とする理由は,一つには上流階級の男性が下層階級の 純真な少女を上に引用したような蔑視的立場ーから欲望の対象にしたためで ある.Humphry Houseはこのような上流対下層の sex関係を thesocial 

3

position of the sexS と表現している. 次にラ Steerforthは無意識の内 に LittleEm'lyが元来もっていた lady'になりたいという憧'漂を利用 して彼女を誘惑したという事実である.

Little  Em'lyは両親を海でうしない Mr.Peggottyにやしなわれてい る孤児である.彼女にとって「海」とは両親のねむる墓場であり,その意、

3

味で疲女は「海」を愛した. (She) was very prtialto the sea.しかし同 時に彼女にとって「海」とは両親をうばった恐ろしい存在でもある.'Ah! 

but (the sea is)  cru1.. . . 1 have s己記n it  t巴旦ra boat  as  big  as  our 

38) 

house al1  to  piecsfともいっている.Little  Em'lyは「海」に対して一 種の ambivalenceをもっていたといえる.彼女が lady'になりたいとい うのは個人的欲求というより,自分のまず、しい境遇,めぐまれない漁師た ちを救おうとする一種の使命感からであった.

Y ou would like to be a lady?'  1 (Dvid)said;  Emily looked at  me, and laughed and nodded  yes.' 

1 should like  it  very much.  W e  would all be gentlefolks togeth

er, then....  W e  wouldn't  mind then, when there  come stormy  weather. ‑Not for  our  own sakes

, 

1 mean.  W e  would for  the  poor fishermen's, to  be sure, and we'd belp 'em with money when 

39) 

they come to  any hurt.' 

彼女のもっている lady'の概念は「物質的富」ということである.又,

彼女の使命感はまずしい少女の幾分感傷的な「憧標」の傾向がつよい.

Steerforthの LittleEm'ly.:に対する道義的責任は以上のような不遇な少

(15)

46 

女の純粋な憧慢を利用した点にある.彼は自分の腐敗,堕落を自覚しなが らもそれを制御しきれなかったのである. 彼は LittleEm'lyを誘惑する 直前に,

'1  believe  1 have  been confounding  myse1f  with  the  bad  boy  who  didn't care

, "  

and became food for lions‑a  grander kind  of  going to  the  dog, 1 suppose.  What old women call  the  horrors,  have been creeping over me from head to foot.  1 have been ajid

40) 

of myself'  (my italics) 

え じ き 41)  お ぞ け

といっている

r

ライオンの餌食になるJ,

r

怖気が9 頭のてっぺんから足

4$  43) 

の爪先までくるJ,

r

自分がこわかった」等の言葉はみずからの罪のおそろ しさを物語っているのである.

(5) 

この小論のはじめに Dickensはすべての問題を moralityの立場でみて いるフとのべた.今まで考えてきたsnobberyの問題も同様で彼にとって は俗物たちを小説中で列挙し瑚笑することが目的ではない.彼の小説中の snobsは描写して放置されているのでなく一定の解訳による結末があたえ

られている.

snobbryとはそれが同情的なものであれ瑚笑的なものであれp minds  which  have  shut  themselves  off from ordinary lif and

4

everyday aection,turned in upon themselves .,and hegun to corrupt  という性質のものである.要は自己を外界から遮断し孤立化し,そのため に肉体的,精神的に腐敗作用をおこすζとである. しかし Dickensは Pip, Blandois, Uriah Hep,Miss Hvish乱立1,Steerforthたちの人間的腐 敗に対して処断する9 罰するという態度をとらず9 彼らの snobberyを

「許す」というあっかいをしているのである.

Blandois, Uriah Heepという社会問題を直接背負った snobsに対して

(16)

Dickensの小説における snobberyについて 47  Dickensは小説の背後で彼らに同情し,ゆるしている. 前 述 し た よ う に Blandois, U riah Heepは道化的戯画による俗物である. しかし何故に彼 らのような反抗児,陰謀家が出現するのか,彼らは実は「社会」という大 きな存在の犠牲者でないか,という作者の問いかけが LittleDorrit, Da‑

vid Coppeポeldの一貫した底流としてあるのである.

つみ

Miss Havisham, Steerforthを罪人と規定した.しかし9 罪に対する罰 という倫理観における原因,結果的関係をこれらの人物はもたない.Miss  Havishamは焼死し, Steerforthは嵐の中で溺死している. しかしこれら の事件はむしろ Dickensが彼らを「許している」ことを示す事件であっ て9 処断ではない.これらの事件の中で, た と え ば MissHavishamは Pipのまえにひざまず、き前非を悔い Tkethe penci1 and write  under  my name, 1 forgive her.円,といっている.Dickensはこの時代錯誤的

, grotesquerie 'に対して Pipと同じ立場に立って 1forgive her.'とい っているのである .David Copperfieldの巻末の ζTempest'の章は外観 的には Steerforthが LittleEm'lyにおかした過失への償いを意味する.

そのことは LittleEm'lyが撞慢した「海Jが「憤怒の総力にでも駆られ

4'o

たように」あれくるいゴtspurpose was to  undermine the earth.'であ ったことでも分かる.Steerforthの罪に対して「海」という神が怒ってい るのである. しかし, それ以上に Davidは CDickensは〉 ζの 罪 人 へ '1 was going distracted

, 

when his action brought an old remembrance  to my mind of a once dear friend.といっている.Dickensは根本的に はすべての人間に対して「許し」の立場をとっている3 といえるのである.

Dickensが snobsを噌笑又は処罰しきれない理由は一つには彼は個人 的な俗物思性は大きな社会という集団的 snobの犠牲者とみるからである.

Steerforthが LittleEm'lyをおかしたのも彼の家庭環境のため, という 前提で考えていた.今一つの根本的理由は十九世紀(とくに前半〉という 時代的制約である.小説の作者が人物を客観的に追求すること,破滅にお

(17)

48 

いこむことを十九世紀には避ける傾向があった,と推察される.小説の最 後において人物に死をあたえること,かならずしも罰でない.死は問題の 回避,感傷ともいえる.俗物根性とは罰されるより改善され,ゆるされる べきもの, という Dickensdogmaには人間肯定と同時に十九世紀的 感傷があったともいえるのである.

1)  Humphry House, All in  Due  Time, (London:  Oxford  University  Press,  1955)  p. 207. 

2)  Harvy PterSuclsmithDickensの小説中の sympathy'の問題をrhet oncの面から検討している.

Harvey Peter Sucksmith, The Narrative ArtザCharlesDickens, (Oxford  University Press, 1970), pp.  119140. 

3)  CharlsDickens, Great Ex)ectations,TheNew Oxford IlIustrated Dick ens" (London: Oxford University Press, 1960), p.  100. 

4)  David Coppeポeld,p. 154.  5)  Little Dorrit, p.  9. 

Da.vid

ppeeld

p. 575. 

従来 Bildungsromanについては以下のような定義がなされている.

a) thprocessof growing up '‑Barbara  HardyChang of Heart  in  Dickens' Novels," Dickens, A Collection of CriticalEssays, ed.  Martin Price  (Englewood Cliffs, N. J. 1967), p.  41. 

b)  'the nov1of  adolescence'一小池滋, w英語青年Jl (東京:研究社,1968)p. 503. 

8)  J. H. Miller, Charles Dickens, The World of his Novel, (Harvard Univer sity  Press, 1958), p.  152. 

9)  David Copperfield, p. 866. 

10)暗言語, w小説の世紀.Jl (東京:開拓社, 1968), p. 123 

11)  George OrwellCharles Dickens,"  Critical  Essays, (London:  Secker 

Warburg, 1954), p.  57. 

12)  山西英一訳, w大いなる遺産』下巻, (東京:新潮社, 1968), p. 128.  13)  David Copp町長eld,p. 469 

14>  Great Expectations, pp. 455456. 

(18)

Dickensの小説における snobberyについて 49  15)  Little Dorrit, p.  132. 

16)  David Copperfield p.  575. 

京誌窓雄噌噌護愛:共訳「荒涼館J

W世界文学大系,デイケンズズね~J]服京:筑摩書房鼠,捌)

p.128. 

18)  Bleak House, p.  190.  19)  i荒涼館Jp.  128.  20)  Ibid., p.  128. 

2U  William F.  Axton, Circle  of Fire, (Lxington: University  of  Kentucky  Press, 1966), p.  188. 

22)  Great Exρectations, p.  78.  23)  W大いなる遺産』上巻, p.138.  2,p  Ibid., p.  138. 

25)  William F.  Axton, Cirdeof Fire, p.  167.  26)  Ibid., p.  166. 

27)  Ibid., p.  173. 

28)  Essay in  Criticism, (January, 1960), p.  60.  29)  David 

c o

eポeld,p.  322. 

30)  中野好夫訳, Wデイヴィッド・コパフィールド』は(東京:新潮社,1967)p.173.  3U David COjρerfield,p.  322. 

32)  Ibid., p. 471.  33)  Ibid., p.  322.  3争 Ibid.,p.  322.  35)  Ibid., p.  294. 

36)  Humphry HousThe Dickens  World, (London:  Oxford University Press,  1960), p.  161. 

37)  Da7'id Coppeポeld,p.  668.  38)  Ibid., p. 34. 

39)  Ibid., p. 35.  40)  Ibid., p.  322 

4U  If'デイヴィッド・コパフィールド』伺, p.174. 

42)  Ibid., p.  174.  43)  Ibid., p.  174. 

4争K.J. Fielding, Charles DicensA Critical  Introduction, (London:  Long‑

mans, 1958), p.  174. 

45)  Lionel TrillingBlandoisについて以下のようにのべている.

(19)

50 

He is  the natural genius against whom the philistine world closes  its  dull  ranks . Society has made him what he is;  hdoesin his own person only  what society dosin its  cooperate form. . .(Introduction to Little Dorrit)  46)  Great Expectations, p.  382. 

『デイヴィッド・コパフィールド』帥, p.226. 

48)  David Copper.fieZd, p. 788.  49)  lbid., p. 794. 

参照

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