論 説
ア ジ ア . 太 平 洋 地 域 の 経 済 ・ 通 貨 協 力
島 崎 久 彌
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もくじ
一はじめに
二東南アジア諸国連合(ASEAN)
ωASEANの軌跡
@政治・経済協力
㈲通貨・金融協力
三小地域的協力機構の台頭
ω南アジア地域協力連合
㈲ACUと準備基金案
の南⁝太平洋フォーラム
四アジアの奇跡と成長の...角地帯
ω直接投資の増大とその影響
@華南経済圏
9JSR成長の三角地帯レ
五むすび
一はじめに
第二次世界大戦後の発展途上地域における経済開発にと・て︑救世主的な役割を期待されたのは︑戦後の灰儘の中
から不死鳥の如くに・ヨ占ッパの嚢国を復興させるための原動力ともな・た地域的経済統A口の展開であ.た.地
域統合の観点からみると・アジア・李洋旭腱は世界の途上地域の中でも最も後発的な地域であり︑,フ一アン.アメリ
カやアフリカにおける地域経済統合の進展と対比する場合︑アジアの経験は︑その度A口において︑地域的統A口とい.つ
よりも・地域的協力の名称に相応しいものですらあった.しかしなかり皮肉な甲﹂とは︑一フ一アン.アメリカやアフリカ
の地域的・小地域的な経済統合の多丞一九八・年袋迎えるとともに︑事実上難状態に陥.たのに対して︑経
済統合の進展において・磐劣後していた南アジアや太平洋上の島喚国家において︑逆に小地域的な経済協力の胎動
がみられるに至ったことである・それだけで奄︑アジアにおける地域的経済男に先鞭をつけたAsEAN(︾.,︑9
薯婆.に霧霧一固⁝量の加盟国は・長年のアジア的篶か・り脱却し︑古同度成長を記録するとともに︑中国
の沿岸部やマレ幸島と多島海地域においては︑成長の三角地帯(︒皇;冨コ・︑一.)として知りれる新しい経済協力
の枠組みが形成され・東南アジアの各地に︑スピル・オ人する勢いを示すに至っている.一般に}しれまでのアジ
ア・太平洋地域における経済舅の退嬰性は・篁に植民地時代の葎として︑域内の経済的補完性が欠如し︑経済︑
貿易・塞保障などの分野において・欧米の先進国に︑依然として従属せざるをえないような︑政治︑経篇吐迫に謀
因するものとみられている・第二はヲジアは;なりLのス〒ガンとは逆に︑宗教的︑民族的にも︑複雑であり
53ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力
政治体制も異なるとともに︑経済の発屡階的にも︑較差がみられたためである・加えて冷戦馨下のアジア.太平洋地域は︑不幸にも東西両勢の代理戦争の舞台となり︑あるいはそれの最前線ともなったのである・従ってアジアにおける経済男の進展には︑外生的な要因が︑大きな影響を齋すに至ったのであり・ASEANが生誕し・福田ド
クトリンによって︑日本のアジア政策が積極的に鯖されるに至ったのも︑ベトナム戦争の終結と・それに伴うアメリカの経済的︑畢的勢力の後退を天契機とするものであった︒また最近のASEANや成長の三角地帯における目ざましい経済の擢も︑;にはべよムのカンボジア撤退と︑東西間における冷戦欝の解消によるものであっ
た︒
所謂アジアの奇跡なるものを生み出す茜となったのは︑日本やアジアN畳概および葉グループによる直接投資の盛行であり︑その背景としては︑上述の政治的諸茜のほかにも︑円高やN査藷通貨の急騰と・賃金・地価の上昇︑あるいは釜口規制の強化などの経済的︑社会的蓼因を指摘することが可能である・最近におけるアジアの経済的繁栄は︑覆に民間のイニシア一アィブに基2市場原理の塵と目されているが・その背景としては・同時
に国際情勢の変化や︑日本の援助政策︑およびアジアの国々における経編放政策の展開を無視することができない
のである︒
元八︒年代の半以降︑急激に増大した直接投資の流れは︑受入国の経護長を袈させただけでなく・それまで欠如していた経済的補完関係を修復するワしとによ.て︑域内貿易の比重喬上させ・統合をインフォ←ル的な形で促進する反面︑それまでの矛盾を襯する}﹂とにもなった︒なんとなれば︑それらの撰投資の多くは・日本あるいはアジアN‑Esの低付加価値産業を︑生産コストの安い東南アジアの国々に︑‑・午とただけのものにしか過ぎなかったのであり︑受入国の経済成長と︑技術移転に伴う華讐の高度化が進展するにつれて・東南アジアにお
けるそれらの生産拠点も・やがてはアジアN‑Es‑ASEANー中国︑あるいはインド.シナ︑インドなど︑
周辺地域への移転を迫られることになったのである.第二はそれ・りの直接馨が︑主としてアメリカ市場へのアクセ
スを最終的な目標とする箆聖基地の襲以を目的とするものであ・たため︑呆やアジアN‑Esの対米出超が︑
やがてはASEANと中国を含めたアジア地域全体の対米不均衡へと増幅されるに至った}しとである.い.つなればア
ジアの奇跡なるものは二九六・年代以降︑日本が推進してきた輸出指向型の経済成長路攣︑地域的な規模におい
て拡大しただけのものであり・それの馨は︑欧米︑とりわけアーカの市場の留と政策の如何に︑かかっている
といっても︑差支えがないのである︒
しかしながら時代は・いまや地域義への傾斜を強め︑多角義のプロンタ差して臼他ともに任じて差アメリ
カさえも・NAFTAを形成し・さらにはE→を挺子として︑事実上壊死状態にある一フ'アン・アメリカの経済統A口
を再編するとともに・これをNAFTAに包囁する構えを示している.同じく東南アジアにおいても︑一九九︒年に
マレ←アのマハティール首相は・東アジア経済圏(EAEG︑舅喜国⁝巨︒︒.︒¢℃.)の設立懲を提唱したが︑
それはオ支トリァ・ニュージ←ンドと︑アメ男︑カナダを排除して︑アジアの国々だけで独自の経済圏を創
設しようとするものであった・響するまでもな〜あ構想も︑;にはNAFTAに対抗しよ.つとするためのもの
であったが・アメリカの報復を恐れる日本や︑その他のASEAN加盟国は︑ブロック化を理由として︑▼しれに反対
した・その結果EAEGは冗九一笙○月のASEAN経済閣僚会議で︑東アジア経済協議会(EAEC︑国.︑け︾︑一.
国8量量量と改称され・五九三年七月のASEAN外相会議により︑APECの羅騰として︑位置づけ
られることになった・そのようにしてAPEC(事℃き国ー・喜︒§・.鋤・︒口)は︑マハ}アィール懲の対案とし
ての役割りを担うことになったが・それはアジア・太平洋地域における市場機会を確保し︑それの開放を求あるたあ
ア ジ ァ ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力 55
の髪の場としては︑有効であるとしても︑今後とも生起することが予想される日本やアジアN‑Es・あるいはASEANとアメリカとの間における貿易摩擦問題を解決するための枠組みとしては・多くを期待することができない
よ.つに田心われる.業的な対処案としては︑アジア・太平洋の国々が︑これまでの垂直的な域内の分業体製超克して︑EUと同じよ.つに︑水平的な補完性蓬成することが必要であり︑そのためには・企業の利潤潔に基つく即物
的な市場原理に委ねるだけでは楚て︑EU高じように長期的な統合のヴィジョンと・豊かな懲力に支えられた効果的な意田心決定の仕組みと︑それの実施を保証するための制度的な薦が霧とされる・マハティール首相の講するAsEAN自由貿易地域懲は︑それの笙歩であり︑わが国としても・これまでの対米従属的な外山父政策や・国益優先の援助政策を見直すキ一ともに︑アジア・太平洋畿の経済統合について・長期的なヴィジョンを確立することが急務である︒
鑛 鱗 騰 藁 蝦 灘 繋 譲
二 東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合
ω A S E A N の 軌 跡
アジア.太平洋地域における経済統A口の後発性を示すものは︑他の開発途上磯に比べて・経済統合の始動が・時
期的に遅れただけでな‑︑統A口の求心力もきわめてゆるやかなものに止っていたことである・ちなみにアジァ太平
ロへ
洋地域における小地域的経傷力の先駆套し︑ASEANの前身ともなったASA(︾.・,︒︒一の︒︒コ︒hω︒¢甘げ国,︒︑↓﹀.一.,
フィリピン・タイ・マレーによって結成され・充六三年にインドネシアが参加した)が発足したのは︑冗六一年の}﹂とで
あった・ASAは・蓮・中国およびインド・シナから︑SE叙硯(⁝三ー﹀器︒・=①︒・<Φ∪ΦhΦコ︒Φ↓噌Φp酔ざζ鋤コ=国
ぎ巳の分身として・敵視されたが︑充六三年には︑はや‑もマレーシア連邦の創設を契機として発生したセフワ
ク・サバの帰属をめぐる加盟国相互の抗争によって︑自壊せざるをえなかった︒それに先立って︑インドネシアとフィ
リピンとマレーは・マフィリンド(響三一豊を創設するため︑マニラにおいて会攣開いたが︑それかり三か月後
にマレ←ア連邦が結成されたため︑上述のように︑この籍は︑出鼻をくじかれる}﹂とになった.さ.りにインドネ
シアのスカルノ大統程・マレ←アに対するゲ!フ活動を開始し︑一九六七年までそれが持続されたほか︑一九六
五年には・インドネシアにおいてクLアタふ発生し︑べ}ム撃も激化の一途を辿ったため︑漸くムロ頭し始めた
地域的協力の気運も︑頓座せざるをえなかった︒
しかしながら冗六七年の八月には︑上述のζ喜誓を拡大する芳︑インドネシアとシンガポんを︑AS
Aに参加させることによって・これ覆活しようとする動きが盛り上り︑タイのイニシア﹁アィブの下訴)陽の躍み
るに至ったのが・ASEANである・ASEANはアジア・太平洋地域における薪しい地域義の開始﹂産口げる
試みとみられており・それの羅となったのは︑一九六五年にインドネシアとマレーシアの紛争が収束を示す反面︑
インド.シナとインドネシアにおける共産主義が︑タイに飛火する危険性が懸魯れたためであった︒そのよ.つな状
況において・地域的経済協力の展開は︑域内の経済成長と発展を促進する}︑とによ.て︑共産義の防波堤となる▼︑
とが期待されるに至ったのである・ASEANの創設に当.て︑それの基礎とな.たのは︑一九六七年八月のバン
コック盲三書婁.6Φ§§)であり︑域内の政治的な安定と塞保障を覆するとともに︑経済成長の促進と︑
ア ジ ア ・太 平洋 地 域 の経 済 ・通 貨 協 力 57
社会的進歩および文化的発展をはかる▼﹂とが︑その目的として掲げられた︒しかしながらそこにおいては・正式な経済協力の青写真や︑グ一フンド.デザインが明示されていた訳ではなく︑憲章や霧機構も想定されていなかった・この点においてASEANは︑他の途上地域における経済統合とは類を異にし︑バンコック宣言も・敢えて統A二号
αq.餌鉱︒昌)という言葉を忌避するとともに︑協力(Oo8Φ鎚識雪)という公式用語を採用し(妃︒
ASEANは︑タイ︑マレーシア︑シンガポール︑インドネシア︑フィリピンの五か国によって創設された(一九八
四年には︑ブルネイが︑兀九五年の七月にはベトナムが参加した︒充九六年の七月には・外相理事会が・一フオスとカンボジアの
加盟申蓼受理するときに︑︑︑︑ヤンマ些オブギづとして承認した︒)が︑最初の約δ年間は・フンボル的な存在に
止り︑定期的に協議を行い︑コンセンサスを作り上げてい是めの枠組以外には︑何らの進展もみられなかつ(蛇L・
ASEANが︑新しい局面を迎.凡る▼﹂とになったのは︑一九七六年二月のバリ島における篁回サミットの開催で
あり︑ASEAN友抵日葺口(︒Φ6㎞塁圃ー噛﹀・.舅︒88a)が発表されたことである︒そこにおいては・基幹商品・
貿易︑観光︑工業の発展︑金融︑国際了ケティングの分野における地域的協力が謳われるとともに・同時に締結された↓.Φ餌信︒;ヨξm瓢含︒︒︒︒段§によ・て︑平和的関係︑内政不霧︑紛争の平和的解決の原則が確認された︒また﹀‑q村ΦΦヨΦコ一︒昌子Φ国・︒垂ωぎ婁・;Φ﹀ω望Z・⁝壽量は︑その前文において・中央管理馨の必
要性を認めたが︑それは超国家的な機関の創撃目的とするものではなく︑ASEANの事務局は閣僚理事会と常任
委員会に繕し︑独自の意思決定撃もたなか匙(そのよ・つな霧局の蘂性が認識されるまでには・一九九二年のサミッ
トをまたなければな・りなかった)︒友好虚口言の背景となったのは︑一九七五年にベトナム戦争が終結し︑アメリカの東南
アジアにおける影響力が後退する反面︑インド.シナの共産化と︑それの拡散に対する危惧感が再燃したためであっ
た︒ポスト.ベトナム戦争の東南アジアにおける政治的︑畢的な空白を壇するような形で・ASEANの地域的
協力機構としてのアイデンティが高揚するとともに︑急激に増大するソ﹂とにな.たのは︑呆の援助能力に対する期
待であり・コ九七葦頃から日本は︑冗五︒塞独立回復後︑始めてアジア.太平洋地域の目覚ましい立役者と
なつ(混L・事実一九七六年のバリ・サ⁝ットは︑日本の東南アジア政策にとって︑文字通りの転機となったのであり︑
それを印象づけるものは・冗七七年のマ言における福田ドクトリンの発表であった︒そ}﹂においては︑日本の軍
事力を否定し・﹁心と心の理解﹂(惹ぎ団婁¢§垂量・・)に基づいて︑相互の信頼を強化するとともに︑日本が
ASEANの8琶婁最として︑ASEANの経済的発展に︑積極的な役割を果たす方針が閲明された︒なお福
田ドクトリンの背景としては・上述のよ・つな諸茜のほかに︑次のようないくつかの事由を指摘する}﹂とが可能であ(罷が・その第は五七四年に田宵相がアジアを歴訪した際に遭遇した激しい反日運動の纂であ.た︒第二はア
ジア開銀(ADB・喜葛①<§ヨΦ・藪邑の本店誘致工作に失敗した}﹂とであり︑第三はロッ十ド汚職に基因す
る日本の政局の混迷を打開するためであった︒第四は呆における工場最の不足と釜口︑および賃金の上昇に伴.
て︑日本企業の海外移転が急務とされるに至ったことである︒
福田首相は・岸信介時代の賠償外交以来︑東南アジアとのコネクシ・ンを保持してきたが︑就任早々︑ベトナム戦
争後のASEANにおける日本の役割について︑秘策をめぐ・りした︒その結果︑ASEANを︑日本の輸出市場と︑
対日原材料の供給地として位置づけるそれまでの援助政策は修正され︑公平な域内分業体制の確立が︑対アジア政策
の目的として掲げられた・福碍相は︑エヲーック・アニマルの汚名を返上するため︑﹁︑心と︑心の理解﹂と文化交流
を重視するとともに・ASEANの工業化を促進するため︑具体的な計画の裏づけを条件とする}﹂となく︑5億ド
ルをASEANの工業化計画に︑投入する方針を明らかにした︒それに対してフィリピンの・ムロ外相は︑ASEA
Nの対日輸出品に対する特恵関税の適用︑基幹商品の輸出所得安定(・メ協定の・︒↓﹀切国×)︑工業化計画に対する金融
幽」 園「1田旧占聞 羽1瑚 匹 凶繭
59ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力
支援︑経済開発の護に対する日本のコ︑・・ットメζを要求した︒しかしながら援助の増加については・呆の大蔵
膜反対し︑国翻場の開放については︑通産省と篠省が消極的であ.たため︑呆の選択は限られたものになら
ざるをえなかったが︑呆政府は︑上述の三原則とともに︑次のような方針を決定した︒①ASEANの工業化計画
に︑δ億ドルを支出する▼﹂と︑②五か簡に︑日本の・DAを倍増すること︑③恒常的なASEANとの貿易・観
光展を︑東京で開催する▼﹂と︑④STABEXの実施について︑共同で検討すること・⑤ASEAN文化基金を創設
するワ︑と︑⑥ASEANの原産地規則を導入する麺.貿易面の対応については・具体性を欠いてい奈・階ドクトリンは日本の外交史上まれにみる成功を験︑ワシζンもこれに対して・歓迎の意を表明した・福田ドクトリン以降も︑日本は日中友好条約の調印︑②ASEANとインド・シナの共生︑③南北問題への穰的な取りくみを方針
として︑東南アジアに対する外交を展開した︒
しかしなかり冗七八年には︑ベトナムがカンボジアに侵攻したため︑シンガずルがべよムの脅威を訴える反
面︑インド︑不シアとマレーシアは︑中国に対する抑止力をべよムに期待するなど・ASEAN加盟国の間に・足並
みの乱れがみ.bれたほか︑目本も充八〇年には︑べよムに対する経済援助を停止︑した・その間日本は外交上・中
国とASEANのびフンスをとる▼しとに腐心するとともに︑G7首脳会議において・ASEANのスポ﹁クスマン的な役割を演じ奈︑ASEANも国連などにおいて︑次第にそのアイデンティティが認識されるよワつになった・その
後冗八七年には︑霧局の設庭関するマニラ喜(曇§Φ・ぎ§)がA・意されたが・冗八〇年代は・域内の政治︑安全保障問題に忙殺され︑ASEANの経済面における男には︑さしたる進展がみられなかった・ASEANが新しい局面を迎えるためには︑冗八九年にべ妻ムがカンボジアから撤丘ハし︑蓮の崩壊によって・東西の冷
戦構造が終焉するまで︑さりにδ年近い聲が必要とされたのであ(解一九九・年代初頭の鯖においては・﹁むすび﹂
一凹 剛一 一占 剛 田㎞ 一 肋 同1鮒 輔III湘1… 出幽麗欄
において関説する)︒
カ な の カく
①政治協力⁝上述のようにASEANの創設と展開は︑インド.シナ纂を回転軸とするすぐれて政治的な動因
によって毒されることになったが︑バンコックの宣言もその目的の第.項として︑﹁地域的な平和と安定の促進﹂を
明記していた・しかしながらASEAN加鵠の政治協力は︑地域的べ支で行われるよりも︑二国間あるいは噛
間で展開され・ASEANの政治的性格は︑経済的︑社会的分野の協力によ・て︑巧みにカムフ一フージュされていた︒
一九七六年二月のASEAN友好宣一言も︑加盟国と域内における安定︑および﹁平和自由.中立地帯﹂(N︒口.︒h
勺§魯馨ヨ餌⁝Φ9﹃き)の創設を︑その目的として掲げるとともに︑加盟国の意見と立場を調整し︑必要な場
合には・共同行動をとる方針を決定した︒しかしながらそれは逆説的にい・つと︑加盟国の型口が一致しない限り︑共
同行動をとることができないことを確認したに過ぎなかったので鎚︑加盟国のコンセンサスを条件とするASEA
Nの意思決定方式の限界を示すものでもあった︒コンセンサス方式は︑}︑の地域の基底的な民族的︑文化的︑宗教的
な多様性に基因する政治的な妥協の産物であり︑それが逆にアジアの多元性を克服するに当.ては︑栓桔と化するに
ったのである
冗七蕉には・ベキム戦争が大詰を迎・えようとする中で︑域外薗の介入に対して︑中立を維持するために︑
N︒§h℃§ρ閃置︒暴︒αZΦ毎き︒・︒冨二︒コが調印されたが︑それは文字通忽日三コロの域を脱しえなかった︒
同じくそれの環として・Z・PFAN(⁝三葛山ω琶・z2§壽℃ 岡§N︒コ.)の可能性を検討するために︑作
業部会が創設されたが・カンボジア問題の対応に追われ︑本条約は︑陽の目をみる▼しとができなかった.しかしなが
ア ジア ・太 平洋 地 域 の経 済 ・通 貨 協 力
61 ︑bASEANは︑カンボジア問題の解決に当って︑重要な役割を演じ︑とりわけインドネシアは・フランスと並んで・
一九九一年一〇月のパリ平和協定への御膳立てを行っ(廼︒
②経済協カー‑創設以来シンボル的な存在に止っていたASEANの経済協力に・;の方向づけを与えたのは・
充 七 〇 年 繕 成 さ れ た 国 連 の チ 去 が ︑ 充 七 ︑ 奮 勧 告 し た 選 択 的 な 貿 易 の 自 由 化 と ・ 工 業 補 完 お よ び 工 業 化 計
画(﹀〒︾ω伺>z一コ儀鐸ω静り一・︒一℃N︒㎞Φ・護たは℃⑳・薦①U里からなる三つの戦略にほかならなかった・冗ヒニ年の閣僚会議は︑}︑れを棚上げにしたが︑冗七四︑七葦にかけて検討が持続され︑充七六年二月のバリ島における篁回サ︑︑︑ζは︑∪①§ぎ景﹀ω舅︒ ・浄より︑基幹的商品・とた縫品とエネルギーに関する男・域外
市場へのアクセスの改善とともに︑大規模なASEAN工場の建設と︑PTA(℃﹁①ぎ量↓§αq︾§韓曇)の
創設︑およびAIPの協力について合意した︒
③貿易問題‑‑域内貿易の自由化は︑途上地域の経済統合に通有する初次的な戦略であるが・とりわけASEAN
の場合には︑域内貿易の比率が低い(その当時竺五%前後で︑しかもタイの米と・シンガずルの仲継貿暴占めるウエイトが大きか.た)ため︑域内貿易の畠化が急務とされたのである︒PTAは一九七七年の初に調印されたが・それは互恵的な慧関税︑長期契約︑金融面の毒︑政府調達面の優遇︑非課税障壁の撤廃により・域内貿易の促進をはかろ.つとするものであった︒しかしなが.bPTAは︑協力的︑開放的であり︑自由貿易地域を創設する目標はもとよりの}﹂と︑畠化のテンポとその程度さえも明bかにされなかった︒関税の引下げは︑当初曹蜀に・かつ自発的に実施
され︑充八〇年以降は包括的な方式が採用されたが︑その効果は限られたものに過ぎなかつ(畑・その原因としては・
シンガポルが貿易の自由化を強く主張したのに対して︑インドネシアが︑国内市場の開放に反対するなど・各国の
思惑が一致しなか.ただけでなく︑次のような事由が指摘されている︒①重要な品目やセンシティブな品目が例外と
⁝榊
⁝
されたこと︑⑧二〇1五〇%の特恵マージンは︑域外からの輸入に比べて︑格別魅力的ではなかったこと︑⑩シンガ
ポール以外は︑一次産品の貿易が主体であり︑工業製品の多くが︑国内産業を保護するために︑例外品目とされたこ(網畢寛するにASEANの域内貿易の停滞は︑加盟国の経済構造が同質的なため︑その間における経済的な補完性
が欠如していたことによるものであり︑そのような事態を打開するためには︑工業化の推進が必要とされる︒しかし
ながら人︒の最も多いインドネシアを例にしても︑天当りの国民所得が低いため︑国内市場は狭隆であり︑勢いA
SEANの工業化は︑輸入代替を指向するよりも︑植民地時代から踏襲されてきた欧米先進国市場へのアクセスを目
の
的とする︑輸出指向型の開発戦略を採用することになったのである︒
⑤A‑P⁝:第画サミットの焦点は︑A‑Cに向けられ︑一九七七年の第︑画経済相会議においては︑①インド
ネシア・マレーシアー‑尿素・⑪フィリピンー‑過燐酸︑⑩シンガポールhディーゼル.エンジン︑⑤タイーーソーダ灰が
それぞれ選定された・各プ・ジェクトは︑二五〇百万ドルから三億ドルを要するものと見込まれ︑ホスト国がそれの
六〇%・他の四か国が四〇%を支出する}﹂とになった︒またインフラ投資の七〇%は︑福田ドクトリンに基づくδ
億ドルの拠出など・外国の援助に依拠することになつ(耀︒それらの計画は︑国連チ去の勲口したよ・つな︑A口理的な
基準に基づくよりも︑各加盟国の国内開発計画に従って︑選定されたものであり︑しかも後にはシンガポールのよ.つ
に・その計画を撤回する国さえも現れた︒その原因は︑小型エンジンを製造しているインドネシアが︑シンガポール
の生産を大型のものに限定させようとしたが︑市場が狭隆なため︑シンガポんとしては︑}﹂れに応じえなかったた
あである・また資金の拠出割合についても︑非農業国のシンガポルは︑他の加盟国の計画に消極的であり︑それ.り
の計画については︑拠出の分担が︑シンガポん一%︑他の三か国が三%ずつに変更された︒その他タイとフィリ
ピンも・計画の見直しを要求し︑AIPへのコミットメントを延期したが︑それに対してシンガポールは︑ハイテク
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産業を選択する▼﹂とになつ(焔.その箪として︑ーのうち・現実縁動したのは・インドネシアとマレ←アの
肥料工場だけであり︑A‑pが期待を裏切る結果となった理由としては︑次のような事由が藷されている・①他の
途上地域の場A口と同じよ・つに︑加盟国相互の問で︑計画のコス主利益のバランスをとることが困難であったこと.A‑Pが停滞する反面︑逆に域外との協力が円滑に行われたのもそのためである・㊥工場の立地条件やインフラの整
備︑原料や労男の供給等の観占州々りみて︑最適の計票選定された訳ではなかったためであ(罷・⑧フィ←ビリ一アイ.乏アイが券で替︑価格競争力やマをアィングの点において問禦あったこと(タイとフィリピンが計画を撤回したのも︑製︒㎜の国際競争力に問題のあるΨ︑とが判明したためであつ(23)た).⑤国益が優先し・どの国がいかなる響⁝を作
るか(.︑≦び︒ζ艶コ瓢h山︒一餌...≦ぴ鋤代.)を決定するのに時間がかかり︑その鍾も不明確であったこと・計画の棚上げや見
纏 謙 鍵 讐 甥 鹸紘 耐ド髪 縫 擁 潔 ︑鎗 耀 絃 肋
かξ﹂と.@すべての国が政治的に納得し︑経済的にも有効な計画を選定することは・実際問題として至難であっ
た▼﹂と(充八四年五月のASEAN経済相Aム誉おいては︑ぽ案件が承認されなかったため・少なくとも崇国が護すれ
ば可決される}︑とにな.た).曾本の援助にも問題があったことであり︑δ億ドルを拠出するとしても・利子や返済
期限が定め︑bれていなかった上︑紐つき援助に伴う割高なコスる外国企業の排除などが・盟とされたこと(その結
果としてASEANは︑Ecに資金援助を仰ぐとともに︑後述の露暑量8ξ§餅δ暑裂することに髪磁)・◎A‑C⁝.政府→スの男によって︑大規模な工場を新設しようとした全pの停滞とは巖的に・バリ島サ︑︑︑ット直後のクア一フ.ルンプルにおける閣僚会議で蕗脚光を浴びることになったのは・民間のニシア一アィブの
下 に ︑ 既 存 の 工 業 相 互 の 補 完 性 潅 立 し よ ・つ と す る A さ (﹀ ω 舅 婆 三 山 葺 . ー き で あ り ・ 冗 八 ︒ 年 2
○月には・そのたあの基奮定が調印された︒A‑Cは民間部門における工業の垂直的な統A口(すべての製造工程をカ
バーする青工場の建設)・または水平的特化(荒盟国が︑里最終製品の部・叩を分担して製造)をはかうつとするものであ
り・そのたあには次のような手続がとらな廼︒①各加盟国の工業クラブが提案し︑@それをASEANi‑CC
(﹀ω舅︒響ぎ§ーΦ﹃8餌⁝§量有力企業の代表などによって畿され︑民間部門の袋として︑政府部門との意
思疎通をはかりながら・工業化を推進)の作業部Aムに提出する︒⑤ASEAN‑CCの霧局長は︒︒ヨ曇.Φ︒鵠一コ︑
α曇︽客ー奮§Φ同︒‑賓(C♀ME)にそれを送付し︑C♀MEはそれについて評価を行.つ(その計画に対する
慧関税の適用については・︒§曇①8・ぎ§・αぎ雪が評価を行う).⑤最終的な決定は︑ASEAN経済相会議
が行う︒
A‑Cの決定には・膨大な時間と労力が必要とされ︑冗八二年までに三〇件のAと計画が検討されたが︑AS
EANl‑CCによって提案されたのは・自動車の部品など︑僅かの二件だけであり︑しかも冗八四年五月の篁
六回ASEAN経済相譲においては二つの案件も採択されなかつ(超.その結果フー‑ピン︑マレーシア︑タイは︑
国際企業と提携し・単独で島車の国産化に乗り出したほか︑各加盟国は︑A‑Cの枠外で︑独自に自動車の部.嬰
製造し始めた︒
⑥AJV⁝それに対し三九八三年に調印されたのは︑令Cよりも簡便な今V(ゆ餌.一︒﹀‑q..Φヨ①口↓︒口﹀ω国>Z
ぎω垂喜幕三︒門Φω)であり・それは少なくとも二つの加盟国のパーナふ出資するA口弁企業(域外企業の参加も
みとめられるが・域内パートナあ持分は・合計して互%以上となることが条件とされる)に対して︑参加国の間における関
税を五︒%引下げようとする計画である.一九△年六月のASEAN‑‑CC総会の原案によると︑三年後には︑
すべてのASEAN加盟国の間で・特恵関税が適用されることにな・ていたが︑最終的に▼﹂の規定は︑削除された︒
幽 曲L[L網隔馳網 胴 削囮困国 圏 酬
柔 四 年 五 月 の 第 エ ハ 回 A s E A N 経 籍 会 議 に お い て は ︑ 自 動 車 の 部 品 な ど ・ 三 の 案 件 が 承 認 さ れ な 耀 ・ 国 内
携 館 加 盟 国 櫃 の 加 盟 国 に お け る A J V に 出 資 ー か も そ の 製 品 に 対 気 慧 毒 す る 肇 歓 迎
ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力 65
囚通貨・金融協力
ASEANにおける経済男が轡にして始動されたのは︑既述のように・冗七︒年代に入ってからの▼﹂とであるが︑その重点は貿易の自由化と工業化計画に向けられた.書・金融面においては・冗七二年にASEAN加盟国の中銀.通貨当局が︑特別糞賀を創設し︑激動する国際金鍵境への対応と・域内議男の方途を婆することになった.馨面においても︑}九七六年の三月には︑C・FAB(︒・量ぎ曇山ー島曇σq・特別委員会の任務を継承)が創設され︑域内の響.金融協力が促進されることになった・C・FABは・投資保蕩定の締結と︑二重課税の排除︑ASEAN.BA市場の創設︑﹀ω国霧ぎ8︒・憎董一・昊FC)の設立などを勧告したほか︑
禽 鞍 け 裂 縫 保 険 や 関 税 な ど の サ ー ベ ー 曽・ ン ス を 押σ つ と ‑ も に ︑ 日 本 や ア ー カ な ー 融 ・
域内の通貨.金融協力には︑民間部門の男が不可欠であり︑冗七二年にASEAN‑CCの下部組織として創設された金融銀行部門の作業部会は︑活発な窃農開し︑充七九年の背に裂された﹀.・睾¢..b︒=ω舅︒︒ニロ︒=を皮切りとして︑それぞれの国の商工会議所との薩で︑呆・蔓ーア・Ecとの対話を実施した.
鱗 難 瓢 慧 職滅総 納 嚢 羅 講 ㍑嚢 幾
が・それ竺九七九年の6尺ASEANの常任書会により︑ASEANの正式の機関として承認された.また
一九七六年には・ASEANの銀行間協力および中銀・通貨当局との連携を強化するため︑篁回﹀ω国>Zゆ.ロア一コーq
︒︒︒邑が開催された・その下に昼一蕩常任育会が設置されたが︑と‑に℃①噌ーΦ質お︒∋塁Φ︒︒口︒︒︒︒Φ.鋤,
§;︿警隻ぎαΦ鋤⁝量8は︑詫﹀⁝ー8︒・§蒙一8の創設︑BA市場︑アジア決済同明皿︑
蟄保険制度などについて・検討を行つ(耀.次にASEAN♀な通貨.金融男について︑一瞥してみるサしとにし
よう
②決済同盟⁝EPUをモデルとするAPU(アジア決済同盟︑﹀§勺昌ヨΦ⁝コ一︒コ)設藩想の展開過程について
は・糊で論じた如くであるが・ECAFEべ支のAPU設立懲は挫折し︑後述のよ.つに五七四年の九月︑南
アジアを中心とする国々によって・ACU(ぎΩ雪・・d・三が一九七六年か・り実施されるワ﹂とになった.それ
に刺激されて・冗七五年の四月には・ASEANにおいても︑中銀.通貨当局の特別委員会が︑作業部Aムを創設し︑
それの実施可能性を・騰と経済効果の両面から検討することになった.}しの作業襲ムは︑その後ASEANの金融
男に関する小委員会に格上げされ・LAFTAや粟の多角清算犠に関する研究を実施した.一九七七年の万
に・中銀.通貨当局の特別委員会は・LAFTAなど他の多角饗騰の特色荒味した最終案を作成するとともに︑
APUの実施罷性を・技術的に検証した結果︑それによ.て貿易決済の時間とコ条の節約が期待できると得[し
(蝶 襲 魏 越 縫 態 鶴 賑断 薪 嚢 鐸 塞 撰 "蝶
議も・現行の決済システムと銀行ファシそが︑効率的︑かつ適正であるとの認識を示し︑APUの必要性を否定
したが・その理由としては・次のような事由が指摘された.ω域内貿易の規模が小さい▼しと︑㈹国際経済情勢の悪化
跳一 臨馳 一嗣■」晶 曲 一
67ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力
(駄っれて︑加盟国の国際収支が圧迫されていること︑㈹外貨の節約は︑ASEANにとって・深刻な問題ではない}﹂と.万APUを支持する論拠としては︑外墓備の節約に伴って︑貿易の畠化が促進されること・外墓備の有効利用(中央銀押灯︑謳銀だ付が海外において保有する流動資産の節減)が可能なこと︑域内商叢行間の協力が強化されることなどがあげ.bれたが︑多角清算燧の創設が︑外貨準備の節約につながるとの所説には・俄に再することができ
ない︒鎗EANの商業銀行も︑APUの創設によ.て︑海外のコレス関係に︑マイナスの影禦齎らされることを
危惧したが︑国別にみても︑フ﹂ピンは域内貿易の蓋から外れており・この問題に関心を示さなかった・それだ
けでなく︑シンガポ﹁ルもASEANにおける貿易の自由化と︑集団安全保障体制の強化によって齎らされるメリットが︑APUに加入する場△口のコスト(外貨収入の減少だけでな‑︑国際金融センターての発展が阻害される恐れがある)を上廻らない限り︑これに積極的な態度を示すことができなかっ(耀︒
⑮スワッ.フ取決め.・‑・スワッ.フ取決め(ω毒ぎ餐琶とは︑元六〇年代初頭のドル不安に対処するため・先進δか国の中央銀行とスイス中央銀行が︑相互に畠通貨を︑短期間預け合うことによって・為替霧に対する介入資金を調達した取決めになりい︑加盟国の蒔的な流動性の歪に対処するために創設されたシステムである・ASEANのスワップ取決めは︑充七七年の初にASEANの中銀・通貨当局特別委員会によって最終案が作成され︑その年の八月に調印され奈︑それはGmのスワップ取決あとは違って︑共通の準備基金を創設し・加盟国の通貨を対価として︑ドルの売買を行・つものである.従ってASEANのスワップ取決めは・むしろ‑MF2般引出権に類するものであり︑為替平衡機関による為替市場介入の場合と里の原理に基2ものといえる・加禺は二︒百
万ドルずつを拠実口童億ドル)し︑必要とする場合には︑四・百万ドルを屡として・借入れを行つことが罷で
ある︒借入の期間は︑一︑二︑三か晶とし︑憂だけ更新することが可能である・借入国は先物でカバ﹁をとるの
で・支援国はユ占.ダラ杢利に相当する利息をうけとる▼しとになる︒その後スワ..フの総額は.薇ドルに増額さ
れ・借入れ期間も琵に延長された︒当初は蟹;§警が干ジ︑ントに指定されたが︑その後は加盟国の中
央銀行が讐で・その任務藁すことになつ(煙︒一九八七年の百には︑ブルネイに参加の呼びかけがなされた︒ち
なみに本取奮の利用状況は二九七九年が画︑八〇年が二回︑△︑八二年が各面︑八三年が四回︑八四年が
れ 一回であった︒
◎補足的決済メカニズム案⁝ω§奢Φ蕾ミ毯豊ξげ鋤コぎとは︑一九八六年にフィリピンが︑食饗
業機構(閏︒§︒α琶.巳塁︒同.・§雪の.兀エヲ三ト﹀§ω︒・ω①︒︒の論文に基づいて提案した.フ一フンであ
り・その骨子は・次の如くで麓・ω価格はドルで奈されるが︑ω輸入業者は現地通貨で決済を行,つ︒㈲決済手段
としては・現地通貨建の信用状・倉荷証券︑商品契約が用いられる︒署易業者が輸入決済に必要とされる加盟国通
貨を売買するため・加盟国はそれぞれの首都に︑手形交換所に類する清算所を設置する︒ω未決済残高は︑繰越され
るか・現金で決済される・㈹本制度はカウン宇・ト¥ドを多角化し︑外国為替を節約する}﹂とを目的とする︒
⑥域内通貨の使用⁝詫﹀彰曇α‑︒2琶は︑域内貿易の決済に︑域内通貨を使用すべきであると提案し︑
フィリピン銀行協会も︑畠通貨または加盟国通貨による貿易の馨を許可するよ.つ政府に陳情した︒また﹀︒︒曙
司凶§8︒︒§螢喜も・貿易業者の保有する余剰現地通貨を処分するため︑オフショア為替市場の創設を提言した︒
問題はASEAN加盟国の通貨が︑国際通貨に比して︑通貨価値の安定性と︑一般的受領性に欠けるとともに︑資金
の運用と調達にも円滑を期し難いことであり︑域内貿易の拡大に寄与する効果も未知数である︒
◎ASEAN・BA市場⁝三の懲竺九七⊥ハ年の第面﹀ω国>Z‑Uき屏一自‑‑︒︒⇒噛Φ﹃Φコ︒Φにおいて提案され︑一
九八二年に成黍作成された・輸出については︑加盟国が輸出金融シス一アムを完備しているので︑BA市場は輸入金
69ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力
融に用い.りれる.取引はドル建で行われ︑五万ドルを最低の取引単位とする・覇までの期間は・三冒から天︒日と定め.われた.手形の引受は︑ASEAN加盟国において設立された銀行だけに制限されるが・ASEANに所在
する銀行︑公認金融機関は︑引受銀行の承諾を条件として︑手形の再割引を行うことが罷である・AFCはBA市
場 を 支 援 す る た め ︑ . δ 百 万 ド ル の 拠 出 を コ ー し 奈 ︑ A F c の パ イ ・ ッ 許 画 は 成 功 し な か っ た ・ そ の 理 由 は
嫡 紅 紅 h ク B A 市 場 に ︑ 対 抗 で き な か っ た だ け で な 文 加 盟 国 の 為 葺 や 税 制 の 嚢 ︑ な さ れ て い
① そ の 他 : ⁝ 元 △ 年 に は ︑ 日 本 の 総 A 口商 社 を モ デ ル と す る ﹀ の 舅 ぎ 屠 ︒ 邑 量 曼 ︒ § 三 . あ 舞 壽 髪 鍍 馨 舘肇 輩 欝 羅 灘 齢舗難 羅 離
て︑検討が進められた︒
最後に付}瓢qしたい}﹂とは︑ASEANプ・パあ動きではないが︑充九四年の後半から冗九五年の初にかけて︑
癒 讐 店鞭 讃 談 繍 擁 凝 嚢
議(EMEAP︑}﹂れは一九九奪に日銀のイニシアテチによって創設された)において・時期尚早として退けられ奈︑
充九五年の二月には︑δか国の中銀︑通貨当局者が香港において会合し・その・つちの五か国の中銀が・纂の
交換と︑レポを用いた流動性の強化策について︑双務的な覚書に調印した・元九六年の四月には・呆も・季ストラリア︑香港︑インドネシア︑マレーシア︑フィリピン︑シンガポール︑タイの各通貨当局と︑米国債のレポ取引
を行うことにより・ドルを相互に供給しA・う協定を締結した︒その他︑香港金馨理局総裁は︑アジアにおける債券
の清算を目的とするアジア・クリアの創設を提百した︒
(縦 柵蹴 竃 葬 磁 奪 麟 轍 謙 祝 跡 潜 窺 甥 携 騒 鰐 郵
鰻 蝉 叢 鰯 欝 藤 徽 瓢 難 轍 諜 騰鞭欝 蕪 帥藻 鱗 嚇 難 雑 難 驚 饗 ゴ凝 脚 ゼ獅 靴 錘 蠣 璽 信 鯵 鍵 触 劉 藻
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(2)§叙も.亀︒量↓ゴ蝉暮量δ・善巳言コα︒§讐︾ω国>Z為げΦ℃︒ま︒ω︒hカΦ‑q一︒口鋤一︒︒︒︒①門餌ぎコ一コω︒¢一げ
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ア ジ ア ・太 平 洋 地 域 の 経 済 ・通 貨 協 力
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(20)︑守帖織・噛P一Qo幽
(21)↓ゴ山ヨ銘=蝕唱魯5亀貸P一一ω.
(22)ぐくOコαq§・9野℃℃鱒㊤○ーり一・りN(32)︒︒︒層圃Φρ魯ら凡野,δタちなみに過燐酸の因際価格が︑天・ドルであったのに対して・フィ些ン産の場合は三︒八‑三
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